インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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視点:簪、楯無

字数:約一万二千

 事態は風雲急を告げる……!

 ではどうぞ。




十八幕 ~更識の姉妹~

 

 

 違和感を覚えたのは、その日の朝からだった。

 

 東京都千代田区の女学校に通う自分と本音は、あきる野市入間町にある更識邸から護衛付きの送迎車で登校していた。最近はそれに、東京都西東京市向台の帰還者学校に通う和人が同乗する形になっていた。護衛の手間や人件費の事を考えて纏めたのだと、私でも察せたものだ。

 しかしその日――五月二十七日の朝は、そうはならなかった。

 午前七時四十分頃。朝食を済ませ、身支度を整え、登校しようと玄関から外に出れば、車は二つ用意されていた。聞けば片方が女学校行き、そしてもう片方が帰還者学校行きだという。

 何故わざわざ護衛対象を二つに分けたのか、という疑問を本音が投げた。

 それに当主からの命ですと答えたのは、先代楯無の時代から長く仕えているという一人の老執事だった。見た目こそ五十代前半で通用するが、実年齢は七十を超えるという話のその男は、今朝現楯無から送迎車を分ける指示があったのだと話す。

 

『桐ヶ谷様を狙う者が増えた事で、簪お嬢さまが巻き込まれないようにとお考えになって、送迎ルートを分けたようでございます』

『それって……桐ヶ谷君を、見捨てるっていう事……?』

 

 まるで私の為に囮をさせるような物言いに、顔を顰める。きっとそれは、こういう時だけ大切なように振る舞う姉への反感もあった。

 その私の言葉に、老執事は首を横に振った。

 

『とんでもない。むしろより確実に護衛出来るようにという目的の為です』

『……そう』

 

 そう言われてしまえば、護衛やその手筈について一切把握していない私としては、もう黙るしかなかった。素人考えで口出ししても良い事など無い。

 疑問が無かったと言えば嘘になる。

 彼を狙う者が増えたと老執事は言った。過日の《事変》以降、急速に彼のファン――流行に倣えば《クラスタ》――が彼の知らぬところで急増している今、やはり同じペースで反感を抱く《アンチ》というものも増えている。そのアンチ筆頭はやはり女権団体を初めとした女尊男卑の人間と、織斑千冬を至高とするあまり彼を《出来損ない》と貶める者達だ。

 規模で言えば、かつてに較べて確実に縮小していると言えよう。その巣窟と言えた国際IS委員会が今や篠ノ之束博士の手に落ち、役員や運営諸々の人員が刷新され、正常な体勢へと向かい始めているからだ。

 だが危険度で言えばどちらも段違いに高い。

 なにしろ彼女らは本気でISを至高と考えているし、男を見下し、虐げる悪習すら一時は治安維持を看過させる程の勢いがあった。彼女らは自身の思想が()()()と本気で考えているのだ。つまり、歯止めが効かないのである。

 そうなれば、それこそ《事変》でのセブン・クラスタ達のようにどんな手段にも手を伸ばす。彼女らが考え得る最強武器はISだが、彼を《出来損ない》と見下している彼女らであれば、拳銃一つでも十分殺せると判断して持ち出さなくてもおかしくない。無論、確実性を期して複数人で銃を持ったり、軽機関銃を持ち出したりなどはするだろう。

 

 つまり彼女らは、銃火器という()()()()()()()()()()()()()を手に彼を襲撃する恐れがあるという訳だ。

 

 それは、現当主を筆頭とした上層部も同じ考えなのだろう。もしISを持ち出してくる事を考慮に入れているなら護衛に操縦士を加えてもおかしくないし、なんなら私に【打鉄】を貸与するなどして、何が何でも彼を死なさない対応の指令が下る筈。そうしないという事は、つまり現実的に考えて銃火器での襲撃を一番警戒しているという事だ。

 ――そこで、気付くべきだったのかもしれない。

 私達の送迎は護衛を目的としたものとなっている。

 だが、護衛は何も、老執事や送迎中に付く男達だけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 送迎手段やルートの変更を予め聞かされていてもおかしくない。何故なら、送迎中に襲撃された場合、どこをどう通れば安全に逃げられるかを、護衛は把握していなければならないからだ。普段と同じ送迎ルートを通るかもしれない不鮮明な唐突さは、護衛を任されている者がしてはいけない案件である。

 加えて本音と現当主の親密さを考えれば、時間的に詳細は無理でも、メールなりなんなりで一言伝達されてもおかしくなかった。『詳細は彼から聞くように』――そんな電文が、無い方がおかしかったのだ。

 私はそれに気付けなかった。

 でも、本音は気付いていたようで、眉根を寄せた険しい面持ちで老執事を睨んでいた。普段見ない表情を見て、それでも勘付けなかった私は、相当な平和ボケをしていたのだろう。

 

 送迎の為に乗り込んだ車の中で、私は意図も容易く気絶させられた。

 

 ――そして今、意識を浮上させた私は、己の不甲斐無さを悔やみ、無力を呪いながら、事の首謀者を睨み付けていた。

 

「漸くお目覚めですか、簪お嬢さま。昨夜は遅く寝られたようですね」

 

 そう厭味ったらしくお嬢さま呼びしてきたのは、一人の老人だ。今ドキ、コスプレや二次元くらいでしか見ないだろう執事御用達な燕尾服を隙間なく着込み、片目用のモノクルを付け、白髪を綺麗に撫でつけるという『これでもか』と言わんばかりの執事然とした男。

 無論、送迎を分ける事を説明した、あの老執事である。

 

「……樫木……」

 

 樫木(かしぎ)宗助(そうすけ)

 それが先代から今代、長らく更識に仕え、私達の世話役までしていた老執事の男の名。同時に、車内で私と本音を無力化、後に気絶させ、どこかの廃工場へ誘拐した犯人の名。

 朝からあった違和感。

 彼への信頼が失せてから、次々と湧き出してくるそれを自覚して、この男への不信が揺るぎないものとなった。

 その男から視線を外して、周囲を見回す。一緒に囚われた筈の幼馴染の姿が見えなかった。

 

「……本音は、どこ」

 

 誘拐され、太いパイプに縄で縛り付けられた私と実行犯である樫木が居る廃工場は、ほぼ全ての機材やコンテナ等が撤去されていて、ガランとしていた。広さは体育館二つ、三つ分くらいだろうか。横に広いシャッターが反対側に見えるが、そこが開いていない辺りから察するに事務員用の出入り口から私を運び込んだのだろう。

 つまり本音が居るとすれば事務員用の部屋くらいしかあり得ないのだが、見回した限りではそうと思しき部屋が無い。

 だから居場所が分からず、樫木に問うしかなかった。

 

「これから死にゆく貴女に教える必要性を感じませんな」

 

 樫木は白手袋を嵌めた左手で顎を撫でながらそう言った。

 

「……死ぬ?」

「ええ、死にます。もうすぐで死にます。利用価値が無くなればすぐにでも心の臓を止めましょう」

 

 これからの予定を告げるように淡々と、滑らかに言ってのける男。その表情は冷徹を通り越して最早無だ。私を殺す事に躊躇いは勿論のこと、達成感といった感慨すらも見出していない。

 白い髪と皺の浮かんだ相貌。その中で、唯一黒い瞳が、私を捉えている。

 ――ぞわりと、全身の産毛が総毛立った。

 感じた事がある。だから分かった。

 これは殺気だ。

 ()の少年が負の第二形態に変貌した時、ただ放たれただけのものと同質のそれ。私を殺すという絶対の意志。氷のような、冷徹な瞋恚。

 ガラガラと、彼に抱いていた印象が崩れていく……

 

「……どうして……?」

 

 まるで踏み締める大地が崩れていくような錯覚を覚える中、そう問いを発したのは、無意識の事だった。搾り出したような掠れ声に芯は無い。

 私は人が嫌いだった。

 姉と較べ、劣っている事を詰る更識の者達の事も、好きではなかった。

 とは言え、全員が私を(なじ)っていた訳ではない。幼馴染の本音、その姉の(うつほ)は姉と比較しなかった。それは目の前の樫木も同じで、私にとって《父》とは亡くなった先代楯無だけではないと思う程だった。

 それだけに、失意は大きくなって、私に襲い来る。

 

「――教える必要性を感じませんな」

 

 これから死にゆく貴女には。

 そう言われた事で、私はもう訊く事を止めた。樫木の目的は分からないが、長年暗部に身を置いていた男だ、無駄に情報を与えるようなご都合展開をしてくれるとは思えなかった。

 ――この世界は現実だ。

 ――都合のいい、夢物語(童話)なんかではないのだ。

 怨嗟のようなひび割れた声が脳裏に響いた。それは、私が求めて止まない《夢》を、大好きなモノ全てを否定するに等しい言葉。現実を直視させる、絶望の真理。

 

 ――あなたは、無能でいなさいな。

 

 姉の声が、木霊する。

 私を縛り続ける呪いの言葉。仲が良かったそれまでを、全て否定するに等しい訣別の呪詛。何に於いても上を往くものが発した離別の言霊。

 指先が、すぅっと詰めたくなる。

 

 ――もう、無駄だよ。

 

 また、ひび割れた声が響いた。

 それは紛れもない自分自身。《夢》を見る中で、絶えず脳裏で囁き続けた自身の理性。現実を生きる為に希望を砕く自分自身。

 それが、私を見ている。

 諦観と、絶望と、悲嘆と――憎悪。

 見て取れる感情はそればかり。その真っ赤な瞳が、鏡で見るそれより昏く見えた。

 

 ――もう終わりだよ。

 ――助けなんて、来ないよ。

 

 その昏い瞳で《更識簪》がそう言った。

 それを私は、否定出来なかった。否定できるほど楽観的ではなかった。否定できる、材料も無かった。私を信じ、愛し、守ってくれる人は居ない。幼馴染の所在も分からない以上、彼女の助力も絶望的。廃工場の雰囲気からして人通りもかなり少ない位置だろう事は見て取れた。

 他者の助けが無ければ救われない。

 でも――現実で、助けてくれる人なんている訳が無い。

 私が出来る事はただ待つだけ。でも誰も来ないのでは、意味が無いのだ。自分で脱出する術も無い以上詰みなのだ。

 

「ふ、ぅぅ……っ!」

 

 唇を噛んで、俯く。

 無力感を呪いながら、どうして私ばかり、という恨みが胸中を占めていく。

 いままで十五年を過ごして来た、あまりに冷たく、過酷な世界。生まれながらの暗部の家系。生まれながらの、出来損ない。それが私、《更識簪》。物心つく前に母は病没し、父も病死して、唯一の肉親からも疎まれているいま、私が生きる意味は無いに等しい。

 こんな辛い世界を、《現実》とは認めたくない。

 ――思考が飛躍する。

 これは現実ではない、という逃避。

 これは無数に重なった世界の、たった一つの相で起きているだけの、取るに足らない出来事だ。きっとそれらの世界の内には、《全てが起きなかった世界》もある筈だ。《更識》の家に生まれず、姉も生まれず、母も父も死なず、一人っ子の娘として生を受け、平凡だが幸せな暮らしを送っている■■簪も、どこかの世界には居るに違いない……

 そんな妄想を脳裏に浮かべる。顔の朧気な女性と、鮮明な男性に挟まれ、両手でそれぞれの手を握り、どこかのレジャー施設で笑い合う光景が浮かぶ。

 求めて止まぬ、羨望を抱いた他者の光景だ。

 ――どうして私ばかりが、こんな目に。

 人並み以上には努力している自負があった。学校の勉強と、代表候補生としての高い水準の専門勉強、操縦者としての技術研鑽、機体調整の為の知識と実技など、同年代の学生と較べれば自分の時間というのはとても貴重で、だからこそ夜更かしをしなければマトモにサブカルチャーへの没頭も出来なかったくらいだ。もしその数少ない趣味すらも無駄と言われれば、《更識簪》という個人は不要であるとすら言える。それくらいには、自分の生活を削って生きてきた。

 姉と較べられる事への反骨心。

 和人という少年への憧憬と興味。

 私を支えているのは、その二つだけだ。姉を見返せれば何でも良くて、ISになんて関わるつもりが無かった身からすれば、いっそ褒められてもおかしくない程の努力量。

 ここまで頑張っているのに、この世界はあまりにも厳しい。

 

 ――もう無駄だよ、何をやっても。

 ――彼も言っていたでしょ?

 ――この世界は《現実(じごく)》なんだって。

 

 無表情になった《更識簪》がそう囁く。

 抗う力はなく、気概も喪った私は、瞼を閉じた。闇に視界が覆われ、全身も闇に包まれたような錯覚を覚える。その中でも往生際悪く、私は温かい光の中で笑っている自分の姿を夢見ていた。

 ――残された僅かな理性の中で、ふと、僅かな皮肉(アイロニー)が浮かんだ。

 現実の過酷さに耐えきれず、夢想の中に逃げ込もうとしている自分は、ある意味ではかの獣――ホロウ・キリトの相似形ではないかと。

 二親を失くし、あらゆる人から虐げられ、誘拐され、見捨てられ、絶望する。その過程こそがあの《負の二次形態》であり、ホロウ・キリトの原点だと聞いた。人への究極の不信と世界への絶望こそが根源だと。

 それ故に、かつての彼は《現実》を厭い、《仮想世界》へと身を浸した。デスゲームになったため疑似的にも現実に近しくなり、紆余曲折を経て、彼は《現実》に於いても他者と比肩し得ないあまりある価値を手に入れたのだ。竜使いの少女に語っていた内容から察するに、おそらくその望みもあって仮想世界に彼は嵌ったのだと思う。

 翻って、私は仮想世界に入った事は無く、ただ彼を見て憧れ、強さの根幹を知ろうとしたが、結局なんにも還元出来ていない。現実の闇から伸ばされた手に囚われ、連れ去られようとしているのに、それに対して何一つ対抗する手段が無い。

 もう目を開ける事すら億劫だ。

 助けは来ない。姉は自分の事など微塵も気にしていないだろう。人通りの無い此処では、第三者の介入なんて絶望的だし、一般人が来てしまえば樫木の手に掛かって意味も無く死んでしまう。

 私が出来る事は、もう自身の死を受け容れるだけなのだ……

 冷たくなった手先足先から、体と意識の接続が徐々に切れていく。全身が無気力に蝕まれる。

 自分自身が裁断され、縮小されていく感覚。闇のような脱力感の中でぎゅっと手足を縮め、小さく凝固した無機物へと変化していく……

 

 

 

「――簪ちゃん!!!」

 

 

 

 ――それは突然の事だった。

 がしゃぁっ!!! とけたたましい音を響かせるガラスの破砕音と、金属がひしゃげ砕ける甲高い音に紛れながらも、その音は――姉の声は、確かに耳朶を叩き、意識に届いて来た。

 瞼を開く。

 頭を持ち上げて、前を見る。

 

「よかった……無事だった……!」

 

 喜色を表す蒼髪の女性。

 赤い瞳は涙に濡れ、薄暗い工場内からだと逆光に見える中でも煌めているように見えた。

 はたはたと頬を伝い、地面に雫を垂らす彼女は、私を見て心の底から安堵している。

 水色の三叉槍、胸部装甲の青いクリスタル、両手両足を包む先鋭化された腕部、脚部装甲を持つ【海神の淑女(エーギル・レイディ)】。それを操る人なんて、たった一人、次期日本代表の筆頭候補である姉――

 

更識■■(お姉ちゃん)!?」

 

 ぎょっと目を剥いて驚く。

 なんで此処に、という疑問でいっぱいだった。助けに来たのは火を見るよりも明らか。しかしその疑問は、居場所を突き止めた方法ではなく、助けに来た理由についてだった。

 

「な、何故此処に?! あの小僧の救援はどう――」

「――――黙りなさい」

「――し、が、ぁぁああああああ?!」

 

 激しく狼狽する樫木に、姉はゾッとするほど冷酷な声で、冷徹な手で黙らせた。三叉槍を瞬く間に振るい、樫木の両手両足を斬り落としたのである。

 びしゃばしゃっ、と血が流れ、大きな血だまりが出来る。達磨になった樫木はそこへと落ちた。

 

「ぁ、いぎぃ……っ?!」

「そこで寝てなさい。簪ちゃんに手を出した報いよ。後で死ぬほど辛い拷問に掛けてやるわ。老い先短い人生を棒に振った事を後悔するだけじゃ済まないほどの、とびっきりのをね」

 

 血だまりでジタバタともがく樫木にそう言い捨てた彼女は、ホバー移動でこちらに来るや否や、鋭い水のカッターで縄を切り裂いた。自由の身になる。

 直後、抱き締められた。

 

「よかった……無事で、本当に良かった……!」

 

 抱き締められたから、よく分かった。彼女の声がほんの僅かに震えている事が。彼女の腕が、足が、肢体が――全身が、小さく震えている事が、よく分かった。

 カチカチ、と歯の根が合わない音も聞こえた。

 ――あの姉が、天才の姉が、恐怖している?

 ――何に、恐怖しているの?

 困惑が浮かぶ。答えなど分かり切っているけれど、それは私が今まで彼女に抱いていた印象とまるっきり逆の事だから、すぐに呑み込めなかった。

 この人が、姉が――私が死んでいたかもしれないという可能性に恐怖している、なんて。

 そんなの、信じられなかった。

 

 ……けれど。

 

 この人が、本当に恐怖し、涙していると感じたのは事実だ。

 分からない。

 ……訳が分からなかった。

 

   ***

 

 二〇二五年五月二十七日月曜日、午前八時十五分。

 IS学園生徒会室。

 

 ――どうする、私はどうするべきなの?!

 

 焦燥が胸中を駆け抜ける。思考は千々に乱れ、動悸は激しい。ハッキリ言って冷静な判断を下せる状態では無いと、混乱気味の今ですら思える程に、私は焦っていた。

 つい数分前、本邸の方から連絡があった。学校付近に張り込ませている護衛の定期連絡で、簪と本音が登校していないという連絡が学校からあったという。体調不良で休んだのかとも思ったが、私はそんな連絡は受けていない。

 だからすぐに分かった。彼女達の身に、何かがあったのだと。

 本家からも分家からも妹が疎まれている事は知っていた。自分も、主に年若い小娘が当主になった件で疎まれているが、暗部を統べる者であるからか手出しされる事は少なく、反面妹に矛先は向きやすかった。だから先手を打つように暗部から切り離したのだ。私と彼女の比較事象を一つでも減らすために。

 それが今回関わっているかは定かではない。どれだけ凄腕と言えど、他者を四六時中護れる存在は居ない。その隙を突くのもまた暗部だからだ。

 だから今は、理由はどうでもいい。

 大事なのは、大切な妹とその幼馴染の従者二人が、どこに連れ去られたかという事だ。怪しいのは運転手やその護衛だが、彼女達の送迎に就いている者は誰もが先代の頃から更識に仕えている者達ばかり。信用に足る者達である以上、外部犯である可能性は非常に高い。

 虚に情報収集をさせているが手古摺っているらしく中々情報が来ない。送迎車を襲ったなら確実に騒ぎになっている筈なのに、それが無いというのだ。

 

 ――何かおかしい。

 

 得も言えぬ違和感が込み上る。もどかしい気持ちに駆られ、いまからでも飛び出したくなってしまう。

 だが闇雲に動いたところで意味は無い。国家代表候補筆頭として専用機を貸与されている私は、それだけで国を滅ぼせる戦力扱いを受けている。下手に動こうものならすぐ拘束され、処罰対象になってしまいかねない。

 

「お、お嬢さま!」

「っ……虚ちゃん、何か分かった?! 簪ちゃんと本音は?!」

「い、いえ、それが、簪様たちではなく……とにかくこれを!」

 

 困惑と焦燥の面持ちで、彼女が最近よく調べものや仕事で使っているタブレット端末を受け取る。表示されているのは有名な動画サイトだった。それの生中継映像が全画面表示で映し出されている。

 動画は俯瞰視点なのか、三、四階建ての雑居ビル群を見下ろす位置からのものだ。画面端で見切れていたり、ビル群の周囲を飛んでいるのは、私も見慣れているISである。それが三機。【打鉄】が二機、【ラファール・リヴァイブ】が一機。撮影者のものも恐らく【打鉄】で、多分四機動いている。

 それに私は顔を顰めた。頭の中は、疑問符でいっぱいだ。

 何で簪ちゃん関連の情報を探っていたらこんな動画に行き着いたのか、という疑問も確かにある。しかしそれ以上に、こんな大捕物の話は聞いていない、という疑念が強く沸き上がった。

 犯罪者の捕縛作戦でISが導入される事は決して少なくない。なにせ現代兵器相手にはほぼ無敵で、爆発物を前にしても平然と踏み倒していけるくらい頑丈な代物だ。安全性を優先するなら全ての警察部隊に配備される方がいいレベルである。しかしコアの上限数や国家間の関係もあり、警察には配備されず、事前計画で派遣された操縦士が動くくらいだった。

 その際、真っ先に声が掛かるのは専用機持ちだ。何しろ訓練機は補給諸々の準備を毎回必要とし、終わればコンテナへ収納する手間があるのに対し、専用機は操縦者がその場に行けば全て事足りるので、関係各所の手間が圧倒的に省かれるからである。

 だから疑問に感じていたのだが――それは、すぐに氷解した。

 

『さっさと死ねェ!』

 

 口汚く言った女性が【打鉄】標準装備の近接ブレード《葵》を振り下ろす。その刃は、雑居ビル前の道路を走っていた一人の子供に向けられたものだ。

 腰までなびく白髪と、華奢な矮躯の黒服の子供。

 振り下ろされる鋼の塊が、子供を捉える直前。子供は横に全力で跳んだ。アスファルトの地面を割り砕きながら【打鉄】はそのまま通り過ぎる。

 

『誰が死ぬか!』

「……和人君?」

 

 空を飛ぶ四機のISを前にそう吼えた胆力に感心するよりも前に、その声の主が明らかになって、私の思考は今度こそ空白になった。右目に巻かれた黒い眼帯と、左目の金色。そして覚えのある黒――正確には紺色――のブレザーの制服まで記憶と合致すれば、間違いようがない。

 先週から簪たちの送迎に同乗し、学校へ通うようになった桐ヶ谷和人その人だ。

 彼はビルの間を縫い、ISが通り辛いところを選んで逃げているようだった。それを執拗に追い、時にブレード、時にIS専用の銃器で致死の攻撃を仕掛ける三人の女たち。

 

「何よこれ……護衛は、何をやってるのよ?!」

「そ、それが、音信不通で……」

「……!」

 

 ぐっと、歯噛みする。

 分かっている。彼らに付けていた護衛は長年更識に仕えていて、経験豊富の実力者だが、ISを前にしては流石に手も足も出ないという事を。立ち向かったとしても秒で引き潰され死ぬ事は、操縦者だからこそよく理解していた。

 おそらく、彼らはもう……

 無事を祈りながらも、同時に冥福も祈っておいて、私は思考を切り替えた。

 懐から携帯端末を取り出し、ホーム画面に設置している電話帳アプリを開く。目当ての件名を見つけてすぐにダイヤルを掛けた。

 簪と本音二人の誘拐と、彼に対する襲撃のタイミングは、あまりに綺麗に揃い過ぎている。狙ったかのようなそれは、決して偶然のものではないだろう。

 最悪の可能性がすぐに浮かんだ。両方を人質に取り、どちらを選ぶかという選択。そして、どちらを選ぼうとも、すぐに助けに行ける場所に居ない以上はどちらも取りこぼすという、最悪の未来だ。

 正規、真っ当な手段なんて、取ってられない。

 《更識》という家に於ける《桐ヶ谷和人》の価値は、彼の命一つで家の取り潰しも考慮に入れなければならないほどに大きいものだ。彼が居なければ日本の未来が無いとなれば、元帥は無能の暗部など容易く切り捨てるだろう。仮令歴史ある暗部だとしても、だ。

 翻って、簪の方はそうでもない。代表候補生第二位であり、じきに専用機も貸与される話が進んでいるというが、彼女個人は《更識》を大きく揺るがす程では無い。せいぜい私が死んだ時の代理くらいにしか周囲には評価されていないだろう。

 

 ――それでいい、と私は考えていた。

 

 私が優秀であればあるほど、彼女は暗部に近付かなくて良くなると考えていた。だから頑張っていた。

 《楯無》を名乗っている理由は、一も二も無く、愛しい妹を、残る唯一の肉親を守るためなのだ。無邪気に慕ってくれた彼女を不幸にしたくないが為に身を粉にして働いて、心を鬼にして邪険にした。

 それほど、彼女の存在は大きい。

 彼女が死んでしまえば、私は《楯無》を名乗る意味の殆どを喪うも同然である。

 日本の未来など知った事では無い。私と彼女の暮らす環境が少しでも良いものになるなら、という程度の認識だ。良く仕えてくれている布仏姉妹はまた特別だが。

 だから、彼女を救うためならば、どんな手も打つ腹積もりだった。

 ――電話が終わる。

 ISの使用許可が下り正式に日本の領空圏内であれば飛行可能となった。矢継ぎ早に虚に指示を出し、今後の対応について方針を示しておく。

 

 それでも、まだ悩む事はあった。

 

 それは、簪たちと和人、どちらを先に救うか、という点だ。

 簪の居場所は既に割れている。彼女の携帯端末は電源を切られていたが、有事に備えてこっそり通学鞄に忍ばせていた探知機が仕事をしてくれた。

 だから問題はどちらを優先するか。

 (■■)として、()を優先するか。

 当主(楯無)として、和人を優先するか。

 ――立場上で言えば、躊躇いなく後者を優先するべきである。

 仮に簪を優先し、そのせいで和人が死んだ場合、《更識》は言うまでも無く取り潰される。日本の裏社会に精通していると言えど怨恨を買っていない訳ではない。ここぞとばかりに叩かれるのは目に見えた事だ。日本の未来を考慮し、冷徹に徹するならば、和人を優先する以外には無い。

 だが……それを選び切れない、(■■)が居た。

 簪が在ってこその(楯無)なのだ。彼女が生きているからこそ、私は姉で居て、同時に楯無として、自分を張り続けられている。なのに彼女を死なせてしまっては本末転倒。

 しかし状況は、立場は、彼を優先しなければならない。

 板挟みに遭っていた。

 

 その時、懐の端末が振動した。

 

 階段を駆け下りながら、制服の内ポケットからそれを出す。画面には《桐ヶ谷和人》とあった。

 

「――――まさか」

 

 ざぁっ、と血の気が引くのが分かった。間に合わなかったのか、と。

 彼は生体同期型のISを持っている。しかし世間にはまだ公表されていないし、公表時期も《モンド・グロッソ》にすると元帥達と話し合って決めているから、律儀な彼がそれを使うとは到底思えなかった。つまり彼はほぼ生身でIS四機を相手に凌がなければならないのだ。

 無論、見えないところで無銘の能力をフル活用しているとは思うが、常に中継されている以上はそれも限度がある。

 だから、最悪の予想が浮かんだ。

 私が選び切る前に、もう全てが終わり始めているのではないか、と。

 震える手でボタンをタップ。ダイヤルを繋げる。

 途端、スピーカーからは騒音が響いて来た。

 

『――楯無、聞こえるか』

「和人君?」

 

 間を置かず、切迫していると分かる少年の声が聞こえた。

 まだ生きていたと安堵すると共に、驚愕が湧いて来るが、それらが言葉に出るよりも前に端末からの声が畳みかけられる。

 

『いいか、よく聞いてくれ。俺はいまIS四機に襲われてる、女権団体らしい、俺を殺してVRの黎明を終わらせるというのが目的だそうだ』

 

 ほんの少しの情報を聞いて、彼を殺したところでVR技術は途絶えないなど、色々言いたい事が浮かんだが、努めて口を(つぐ)んだ。

 スピーカーから爆音と、女の罵り声が聞こえて来る。

 ずしゃぁ、と地面を滑る音がした。それから走る足音が連続する。

 

『――同時に簪と本音も攫われたらしい。女権団体が言ってた、内部犯だろう。()()()、楯無は簪達を助けに行ってくれ』

「え、えぇ?!」

 

 現在襲撃真っ最中の本人からそんな事を言われると思っていなかっただけに、驚愕は一入だった。

 しかし――ショックは、すぐに収まった。

 SAOでの彼の在り方を知っていたからかもしれない。自分よりも他人を優先する、というその生き方を知っていたから。

 

「で、でも和人君、私は――」

『――簪を死なせたいのか?』

 

 

 

「そんな訳ないでしょう!!!」

 

 

 

 それは、最早反射だった。迷いとか悩みとか、立場とか、そんなの一切合切考えない、心の底からの本音だった。

 ――スピーカーから、ほんの少しの、微笑む気配。

 

『ん、なら尚の事行かないと……()()()()()、だもんな』

 

 くすくすと、揶揄うように彼は笑って、そう言った。そして有無を言わさぬように電話が切られる。

 つー、つーと無機質な音が鳴る端末をスリープさせ、ポケットに仕舞い込んだ私は、両手で頬を叩いた。ぱんっ、という乾いた音がして、ジーンとした熱が伝わって来る。

 

「……ありがとう、和人君」

 

 彼の言いたい事は、よく伝わった。

 ――かつて、彼は誘拐され、捕まり、悍ましい人体実験を受けた。

 死んでもおかしくない環境に身を置いた彼は、きっと今の簪の状況に、自身を重ねていた。救いの手が無かった自分と重ね――だからこそ、私にその救いの手になるよう発破を掛けたのだ。

 彼からすれば、私と簪の関係はもどかしいものだったに違いない。

 でもそれは、生きていなければ成り立たない関係だ。同時に、生きていなければ、彼女との仲違いを解決する事は出来ない。私は永劫後悔に苛まれ生きていく。

 実姉と事実上の訣別をした彼からすれば、本音も言い合わず、面と向かって対峙しない内の離別は、喩え無関係な他人だとしても見たくなかったのかもしれない。

 あるいは、それに近い経験があったからこそ、無関係とは言え身近な人間の私達に、同じ思いをさせたくなかったのか……

 人の好い彼の事だから、どれもあり得そうだった。

 

「――往きましょう、レイディ」

 

 扇子から吊り下げた一対の根付(ねつけ)に呼び掛ける。

 脳裏に、“Yes,my Master”という優しい女性の声が聞こえた。

 二次移行(セカンド・シフト)を果たした【海神の淑女】を纏った私は、一目散に探知機が示した座標へと飛翔した。

 

 

 

 ――そうして、私は妹を助け出せたのだ。

 

 

 

   ***

 

 スリープさせた端末を制服の内ポケットに戻す。

 本来であれば、直接聞くつもりだった言葉(助けて)。それを聞いていない以上、これは本当に勝手なお節介。身勝手な、俺のエゴ。踏み込むべきでない領域まで土足で踏み入った自覚はある。

 だが、いま彼女が置かれているだろう状況が、かつての自分と似通っていると察せれば、自ずとその心境も想像出来る。

 それで人を救えるなら、間違ってはいないだろう。

 発破は掛けた。

 間に合うかどうかは、もう俺が感知するところではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――もう、俺に出来る事はなにもない。

 

 顔を上げ、空を見る。

 【打鉄】三機と【ラファール・リヴァイブ】一機を操る四人の女性が、怒りに顔を歪め、俺を見下ろしていた。

 

 






・更識簪
 比較され続けてきた事で、人間嫌いになった人物。
 彼女は”運が悪かった”。暗部に生まれ、優秀な姉を持ち、それを超える間すらなく次の課題が迫りくる。早くに父母を喪った今、唯一の肉親である姉からは邪険にされ頼れない。
 幼馴染は居たが、彼女は《裏》に触れている反面、自身はなんら関わっていない。
 その劣等感は自身を苛み、何時しか非現実へと逃避。現実を(うと)んじ、(いと)い、拒絶する簪は、全てを諦めようとした。かつての少年のように。

 ――そうして絶望し切るその寸前、救いの手は伸ばされた。

 これはただのキッカケ。スタートラインを踏む、前哨戦。
 その手に抱くものは、果たして。


・更識()()
 公私の立場で板挟みに遭っていた人物。
 政府に古くから仕える暗部家当主《楯無》としては、和人を優先()()()()()()()()()
 しかし一個人《■■》としては、簪を優先()()()

 ――その決断は、第三者の発破で下された。

 この先どんな結末になろうとも、■■は決して、後悔しないだろう。
 ここに覚悟は固まった。


・桐ヶ谷和人
 にっちもさっちもいかない姉妹を二ヵ月ほど見守っていた少年。
 二人が訣別するのも仲直りするのも別に構わないが、個人的には、本音を言い合った上で結論を出す方がいいだろう――という身勝手なお節介で、楯無を煽った。
 これで間に合うかは和人にも分からない。自分で何とか出来る事と出来ない事の線引きが出来るようになった事で、サバサバした面が出てきた。

 ――和人も、二人に重ねて見ていたものがある。

 これは彼のエゴ。
 彼が抱く、未練の残滓。
 在り得たかもしれない少年の、歪な形になった願いは―ーそれでも確かに、二人の命と心を絶望から守った。
 最早為せる事は無い。
 願わくば、より良い未来になりますように――
 それが、彼のエゴだった。


『――同時に簪と本音も攫われたらしい。女権団体が言ってた、内部犯だろう。()()()、楯無は簪達を助けに行ってくれ』
契約:簪を危険に晒す人物への対処に協力する(意訳)

 簪を優先して和人を見捨てる事を前提にしたものではない(戒め)
 これを結んだのは和人が現実に復帰した直後であるため、『まだ会った事もない人物を守る事に了承した』という、持ちかけた楯無のシスコン暴走ぶりと引き受けた和人のアレぶりが顕著に表れている。

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