インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
視点:楯無
字数:約七千
ではどうぞ。
――楯無さんって、頼られる事は多くても、
二〇二五年六月七日、土曜日。午後十二時三十分。
IS学園一般拘置所。桐ヶ谷室。
食堂から二人分の食事を取って来た後、私達は壁付けのデスクの前に座り、隣り合わせで食事を摂り始めた。
朝食の時と打って変わり、どこかダウナーな印象を受ける少年はもそもそとゆっくり食事を摂っている。
室内は静かだ。食器を置く音、箸が食器に触れる音、僅かな咀嚼音が耳に残るほどに静寂に包まれているのは、彼が食事中に喋らないタチだから――だけではない。少なくとも今日は、それ以外の理由があると思われる。
午前中の授業の間にいったい何があったのか。気になって仕方なかったが、果たして踏み込んで聞いてもいいものかと悩んでしまう。下世話な思惑で気になっている訳で無いなら仮に踏み込んで聞いたとしても彼は怒らないと思うが、不快な気持ちにさせてしまうのではと思うと、無遠慮に聞くのはどうしても憚られた。
悩み事やメンタルケアも身柄を預かる側としては気に掛けるべきだと思うが、哀しいかな、私がそれに相応しい立場とは思えなかった。簪との関係だけではない。人を率いる地位にいるためか往々にしてリーダー職に就く事が多かった私は、必然的に相談される事も多かった。私はそれに真剣に向き合って来たつもりだが、生来の気質か、普段の言動故か、どうしてもそう取られない事も少なからずあり、相手を不快な気持ちにさせてしまう事もあった。簪との不仲はその一例とも言える。
つまり私は相談相手として立場的に見合っているが、個人の感情や性格面で見ると、あまり相性のいい相手ではない――という事が多い訳だ。
友人によれば、私が共感を示すような反応をすると、得てして反感を抱かれやすいらしい。普段の軽い言動以上に、平均以上の成績を難なく取っている印象から本当に共感しているとは思えないのだと。
それを知った時、ちょっと理不尽ではないかと思ったのは記憶に強く残っている。
自分だって努力しているし、命懸けの家業を継いでいる身である以上むしろ人並み以上という自負があった。しかしそれは余人に知られてはならないものが多く、見えない部分だからこそ一般人からは『苦もなくやってのける天才』と映る。現実と想像の乖離というものが、私を苛んでいた。
――それは、まるで私と簪の関係を示しているかのようだ。
いや、実際に示しているのだろう。《更識》内での評価はどうしても“裏”が関わり、それを彼女に悟られないよう工作していたから、彼女からすれば“なんでもすぐに出来ている”という風に取られてもおかしくなかった。
それは私の自業自得だ。
あの日――父が亡くなり、当主を継ぐ事になったあの日の失言が悪かった。彼女を大切に想い、遠ざけようとするあまりに心無い言葉を吐いてしまった私の失敗が不仲の元凶。
だから私は、彼に聞けないでいる。
彼は妹との関係を取り持ってくれた。自分が大変だった時に、自身を後回しにしてまで、私に《
“裏”を知り、敵を多く作る暗部に身を
少年に疎まれ、嫌われたくない、と……
*
――結局。
食事は始終無言のまま終了した。私って自分で思っていた以上にヘタレだったんだなぁと黄昏ながら食後のお茶をずずっと啜る。粉をお湯で溶かすインスタントの緑茶だが、最近の技術進歩故か茶葉から淹れたものに限りなく近い風味が口内に広がり、ほっと肩から力が抜ける。
そこで、くい、と袖を引っ張られた。
「なに?」
「その、気を遣わせてしまって、ごめんなさい……」
「……はい?」
頬を朱くし、目を泳がせながらの謝罪。いきなりの事に素で気の抜けた声が出てしまうくらい驚いた。
「え、待って。何の事かしら」
「だって楯無、普段はマシンガン並みに話し掛けて来るのに、さっきはずっと無言だったから……」
「……あー」
理由を教えてもらい、察する。踏み込んだ質問をしていいものか、それで嫌われたくはないなぁと悶々とヘタレていたあの無言の時間を、彼は“気を遣って聞かないでいた”という風に解釈したらしい。
やっぱり根っこは良い子なのだなぁ、と分かる思考回路にほっこりする。
マシンガン並みと揶揄されるくらい凄い勢いだろうかと疑問はあったが。
「それは踏み込んで聞いたら嫌がるかなぁと悩んでたから無言だったのよ。気にしなくて良いわ」
「どっちにしろ気を遣わせてるじゃないか」
「ループって怖いわぁ……」
どう答えてもそこに行き着くのね、という呆れを込めて言う。実際無限ループって怖い。
――嫌われたくないと思った、と素直に言えば解決するかもしれないけれど。
それはちょっと、恥ずかしかった。
「それで、話はそれだけかしら?」
あまり引っ張られると取り繕えなくなる気がして、半ば無理矢理会話を打ち切る事にした。話題を変えれば彼も気が逸れると期待して話を振る。
すると納得いかなそうに眉を下げていた少年は気を取り直したように表情を改めた。
食事中の気落ちした様子が薄れているから、少しは気が紛れたようだ。
「あ、いや……この後、購買で食料を買いたい。時間、大丈夫か?」
「今日は半ドンだし、時間は大丈夫だけど……食料?」
はて、なんのつもりだろうと首を傾げる。
ひとまず話は歩きながら聞く事にした。余裕があるとはいえ、時間の浪費は避けるべきだし、余人に聞かれても問題無い内容だと判断しての事だ。
ちなみにそれぞれ自分で食べた分の食器とトレイを持って運んでいる。食堂だと織斑教諭が率先して彼の分も持って行ってしまうからか、今日は頑として譲らなかった。“織斑先生を小間使いにしている”という悪評を嫌ったのか、それともさっき気を遣わせたと思っているからかは分からない。
「それで、食料と言っても購買で何を買うの? 菓子パンかなにか?」
歩きながら問い掛ける。
「肉とか野菜とかお米とか」
食器を載せたトレイを両手で運ぶ少年は、端的にそう言った。
普通の学校の購買にある筈がない野菜等が売られている事はIS学園が作られる経緯に関係がある。
IS学園は人工島の上に作られた施設で、有事の際には籠城、反撃を行えるよう並みの軍事施設を超えるレベルの防備を前提に建造されている。この場合の“防備”とは、ISや現代銃火器の他に、所謂“糧食”を含めての事だ。
学園の地下にも一般に知られているものと知られていないものがある。前者は拘置所や牢屋、冷凍食品などを詰め込んでいる食糧倉庫などで、後者は和人が拷問を行う際に使った部屋や地下特設アリーナなど。
そして一般に知られていない地下施設には野菜を育てる菜園も存在している。人工の日光を使用して野菜を育て、出来上がったものを冷凍し、倉庫に詰めていく事で、有事の際の糧食問題に備えるという目的の施設だ。サツマイモやカボチャ、大根、ニンジン、大豆、唐辛子など、季節や気候を機材で再現する事で土地、気温に左右されないよう育てる菜園により、学園の食糧倉庫には大量の野菜が冷凍保存されている――らしい。
らしい、というのも私自身見た事は無い。有事の際に矢面に立つ生徒会長として聞かされた事があるだけ。
ただ、その菜園の存在があるお蔭で、学園の購買には一般生徒があまり買い求めないだろう食料品がある程度存在しているようだった。
それは言わば、日本政府の苦肉の策だった。
日本は食料自給率がかなりの低水準を記録し続けている。つまり輸入に大部分の食料調達を頼る事になるが、経済破綻寸前の国庫を考えれば、それが遠からず破綻するものだとは目に見えている事。
それはISが世に出る前から続いている事。
そこに来てISという新しい国家予算部門で国庫はひっ迫し、更にIS学園に在籍する生徒、職員の食料調達に掛かる資金も、日本政府が負担しなければならない。『高校一つ分』と言えば安く思われるかもしれないが、IS学園は国際色豊かであり、そこに務める料理人もあらゆる国の料理を出せる腕前を持つ職人。給料は勿論の事、あらゆる国の料理を出せるよう、あらゆる国の食材も定期的に揃えておかなければならない。地元の給食センターなら地域連携や農家直送などで安く仕入れる事も可能だが、IS学園の場合は無国籍、中立の立場な上に、“税金泥棒”と蛇蝎の如く嫌われているのでそんな温情を掛けるトコはない。
厄介なのは、毎日同じ料理、全種類が頼まれる訳ではない事だ。
ある日は中華料理は頼まれないかもしれないし、ドイツ料理、フランス料理が頼まれない日もあるかもしれない。野菜なんかはまだ流用可能だが、魚と肉は季節問わずかなり気を付けなければ食中毒を起こしかねない。
――だから、学園地下の菜園で野菜は自給自足にし、浮いた経費を予備費に回している。
人間数百人分の料理に使われる野菜、と考えただけでも膨大な量だ。それを賄って尚余りある量を倉庫に保存し、僅かな量だけ自炊する生徒のために購買で売りに出す。
つまり購買で買える野菜は、食料調達に掛かっている費用を少しでも回収しようという日本政府の苦肉の策と、食堂で毎日お金を掛けられない生徒の自炊意欲との利害の一致により売りに出されている代物という事だ。
ちなみに、購買に出されている間に少し古くなったものは食堂の調理に回されている。
スーパーなどだとそのまま廃棄処分が多いというが、日本国営のIS学園、ひいては日本政府にそんな余裕は無いのだ。
――そんな裏話を、一旦思考から追いやる。
買おうと考えている物を聞く限り彼は自炊しようとしているのだろう。それは別におかしな事ではない。部屋に備えられてはいないが、ちょっとしたスーパー並みの品揃えの購買には電子レンジ、電気ポッド、炊飯器など、食べるのに使うだろう家電くらいは安めに売られている。それを買うか家から持ってきて自炊したり、弁当を作る生徒も少なからず存在する。
「ふぅん……それにしても、いきなりね? 食堂の料理が口に合わなかったの?」
しかし――そういった生徒は、得てして料理が趣味か、あるいは金欠で毎食食堂には行けない場合に限られる。彼はその歳に不釣り合いな家事の腕を持っているが、必要に駆られてと妥協を許さない気質が相俟ってのものだし、後者に至っては束博士の手伝いでかなりの額が口座にあるらしいので除外される。
料理が口に合わなかったかは、あまり顔に出ないから微妙なところだが、違う気がした。
――脳裏を過ぎるのは、どこか沈んだ様子の少年の姿。
何故だか無関係とは思えない気がしていた。だからか、気になってしまう。
内心どきどきしながらの問い掛け。彼はこちらの内心に勘付いた様子もなく、首を横に振り、料理が口に合わなかったかを否定した。
「クロエに料理の講習を頼まれていてな。更識邸にいる時に二、三回はしたけど、流石に二年以上ブランクがあるとマトモに教えられなくて……」
「……真面目ねぇ」
中途半端で教えたくない、という事だろう。それが自身の腕に対する自負故か、それともクロエに対する礼儀故かは、すぐに分かる事だった。
「それに、食事の度に足を運ばせるのも悪い。楯無も昼休みや休みの日くらいはゆっくりしたいだろう?」
「え? いや、別に気にしなくていいんだけど……」
「生徒会長としての仕事があるだろう。今年は第三回《モンド・グロッソ》とアメリカ・オリンピックがある。織斑先生と楯無はそれぞれ国家代表、代表候補という立場で動く以上、近々忙しくなる筈だ。今日織斑先生が来られないというのもそれ関係なんじゃないか?」
「す、鋭い」
事実確認を取った訳ではないが、おそらくそうだろうと私も考えていた。
一般生徒にはあまり知られていないが、《生徒会長》というのは有事の際に矢面に立つ役職であり、場合によっては教員を引っ張って警備指揮を執る事もある重大な役職だ。生半な覚悟と知識では務まらない。
逆に言えば、その役職に就いている生徒は、教員と同レベルの要領を持っていると外部からは取られる。
《世界最強》であり、日本代表の操縦者である織斑教諭も、自衛隊式の訓練を受けている以上警備の腕はある。《モンド・グロッソ》では選手として出場するので警備メンバーから外れるが、選手でない操縦者は往々にして来賓者の警備に振られる。オリンピックも同じだ。何処に誰が来るか、来賓席の位置、間取り、警備の手順や警備会社との連携なども考え、日本に外国の賓客を招かなければならないので、準備は山ほど存在する。
ISが世を席巻している昨今では、国家代表の評判が国のステータスと直結する部分もある。国家代表候補である自分も《モンド・グロッソ》に出場するし、次期代表に選ばれているので、やはり来賓との顔合わせはある。
織斑教諭は《世界最強》と《国家代表》、《IS学園警備指揮》の者として、私は《次期国家代表》と《IS学園生徒会長》、《対暗部用暗部『更識』当主》として、これから忙しくなっていく。
彼もそれを予想していたらしい。
「忙しい時に俺の事で手を煩わせるのも悪い。少しは自炊して負担を減らさないと、時間のやりくりで困るだろう?」
「……そう、ね。和人君の言う通りかも」
普段こそIS学園の教員、生徒ではあるが、国交に関してはどちらも要職にあるため動く事が多い身だ。彼の近くに居ない時だってあるだろう。
それを見越して対応出来るようにしていてくれるのは、素直に有難いと思えた。
――でも、ちょっとだけ、素直に頷きたくない気持ちがあった。
取扱注意な部分はあるが、彼と一緒の時間は得難いものだと思う。
和人は私の周りに居なかったタイプの人間だ。虚とも、本音や簪、本邸にいる部下たちとも違う気質の人間。気を遣うところは虚に、物静かなところは簪に似ているけれど、でもどこかが違う不思議な少年だ。
――そして、すごく優しい。
厳しいけれど、優しい人だと、あの騒動でよく理解出来た。
それを、きっと“強い”と言うのだろう。
かつて自身が棄てた負を真っ向から受け留め、容認し、苦難の道を進んで、未来を掴もうと邁進するその姿を見て、弱いと言う人なんてきっと居ない。
彼ほど克己心の強い人、私の周りには居なかった。
戦えば、まだ勝てる。
でも――“心”の面では、もう負けてる。
実力も、そう遠からず……
――私よりも、強い人。
心も、体も、そう思えた人は。
彼が、初めてで……
だから、触れ合える時間が減るのは、純粋に寂しくて――――
「――でも私、和人君とお喋りする時間、好き……なんだけどなーって……」
気付けば、横目に少年を見ながら、悪戯めいた風に言っていた。
「……早とちりしてるかもしれないが。一先ず直近で考えてるのは、昼食だけ自炊にして、朝夕で食事に出る時に購買で買い出しをする感じだぞ」
「あ、そう……なの? てっきり三食とも自炊にするものかと……」
「楯無たちが動けないとか学園に居ない日とかはそうするつもりだけど……む。そうなると食料の買い出しは、購買に掛け合って配達にしてもらってた方がいいか……? そうすればいずれは三食自炊も不可能じゃないし、楯無たちの負担も……」
ぶつぶつと、考え込みながら思考を呟く少年。三食自炊でないと分かって浮かんだ感情がまた沈み込んでいくのを自覚する。
「えー……お姉さん、和人君とご飯食べたいんだけどー……」
「部屋に来て食べればいいだろう」
「…………………………………………えっ」
思わず足を止める。訝しげに少年が振り返って私を見て来るが、驚きの方が大きくて反応出来ない。
「なんだその反応。さっきも一緒に部屋で食べたのに、今更だぞ」
「……………………」
言われてみればそうだ。
彼が気落ちしている原因とか、それを聞いていいものか、聞いて嫌われたりしないかと考え続けていたから
私はさっき、男の子と二人きりで部屋で食事を――――
――それからの事は、よく覚えていない。
・更識楯無
中学生にして人の上に立っていた十七代目『楯無』。
親や大人に頼らなければ不安で仕方ない多感なお年頃。暗部の当主となり、安易に頼れなくなり、頼られる側として自立しようと『努力した秀才』。
――そのため、頼れる相手というのがまずいない。
”裏”を知り、同等以上の実力持ち、且つ信用できる相手となると、今まで居なかった。
しかし今、妹を優先させてくれた少年が居る。
『頼る』という事が出来なかった少女にとって、
――キッカケ、経緯は異なるが。
惹かれる理由が『心の強さ』という結論は、姉妹揃って同じである。
・桐ヶ谷和人
半端な仕事は許さない(迫真)凝り性主人公。
何事かが原因で気落ちしていたが、楯無が気を遣ってくれた(半ば誤解)事で持ち直し、積極的に話を振った。『負担を減らそう』という思考は『気を遣ってくれたから報いたい』という奉仕思考に基づいている。楯無たちが手を離せない状況を想定しての申し出だが、ちょっと強迫観念気味な節あり。
『異性』と『二人きり』で『食事』という割とハードル高い案件を難なくこなしている点は無自覚。
クロエと料理講習してたからネ(原典一夏ムーヴ)
性別反転させたら『どこのギャルゲー?』、『絶対気があるだろ』としか思えない状況に頭抱えた(主人公がヒロインムーヴな辺りとか)
楯無先輩は生殺し状態()