インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
視点:山田先生
字数:約五千
ではどうぞ。
ビーッ、ビーッと残響を引く音が木霊する。
第一アリーナ全体に張られた障壁を突き破った闖入者を危険因子と判断し、警告を告げてきているのだ。世界的に見てもトップクラスの情報規制を敷かれるIS学園を強襲する存在だからそれも当然だ。
襲撃者で最も恐ろしく思うのは、隕石の衝突すらも理論上防げるという触れ込みの障壁を突き破ったという点だ。襲撃者が現れてから観客席は一斉に防壁シャッターに覆われ、物理的に遮断されはしたものの、障壁を破った攻撃の前にはあってないに等しい。
しかも、アリーナ地下に設置されたエネルギー炉から供給され、自動修復される障壁が何故か復活しない。
「先生、逃げますよ」
危険に裸一つで晒されているも同然な中、隣に座る少年は冷静さを保っていた。
彼に手を引かれて席を立つ。出入り口の自動扉は非常事態故か固く閉じられていたが、彼が携帯している対IS用護身兵装のエネルギー刃で扉を切り裂き、脱出に成功する。
「か、和人!」
「クロエも逃げるぞ!」
「は、はい!」
廊下で待機していたクロエも困惑を露わにオロオロしていたが、彼の一喝を受け、一も二もなく走り始めた。
「この分だと観客席の出入り口も封鎖されてそうだな……先生、ISは持ってないんですか?」
「い、いえ……」
廊下をアリーナ出入り口に向けて走りながら、私は彼の問いに、首を横に振る。
かつては代表候補生として試合に出ていた身だが、現役当時も愛機は第二世代機ラファールであり、専用機は持たなかった。使用していた機体とコア自体は同じだったが、試合以外ではすぐ整備課に返却していたため携帯はしなかった。
ちなみに先輩の【暮桜】は篠ノ之博士謹製だったので、実は代表と代表候補揃って日本政府謹製の機体を使っていなかったりする。
ともあれ、仮に現役だったとしてもISを携帯していない事を告げると、白髪の少年は難しい表情になった。
「ちなみに襲撃時の対応はどう指導されてるんです?」
「原則無力化です。ISの使用も政府と委員会の承認を原則必要としますが、相手がISを使っている場合はその限りではありません」
一応小型のオートマチックハンドガンを携帯しているが、別にIS技術で作られた訳でも、彼が携帯している護身用試作品と違って対IS用でもない代物なので、今は役に立たない。
――というより、そもそも襲撃自体あまり想定されてませんでしたし……
日本は平和ボケしていると、よく他国から言われ、時には日本国民からも揶揄されるが、今回それが露呈した形だ。デスゲームが起きる前の日本政府の体制で学園運営方針を作り上げた影響だろう。
篠ノ之博士の協力で今後は厳重になるはずだが――――
ともあれ、いま目の前の事をどうにかするのが先決だ。
「じゅあ山田先生がISを使っても今回はセーフ?」
「そうなりますが……」
追加の質問に頷く。
その傍らで、得も言えぬ感覚を自覚した。
何故か、なんだかあまり良くない方向に事が進んでいる気がしたのだ。具合的には《クラウド・ブレイン事変》やそのあとの《ヴァフス騒動》当時の雰囲気を少年から感じる。
「――なら先生、出入り口じゃなくてピットに向かいましょう」
「え、えぇっ?!」
直後、その不安は見事的中した。
いの一番に逃げようと言った本人に前言を翻され、私としては仰天ものだった。話の流れから生徒用にとピットのハンガーに格納されている機体を取り、それで何かをしようと考えているのだろうが――
「で、でも桐ヶ谷君、あなたは――」
「勘違いしてるようですが、ISを使うのは山田先生です」
反応が遅れた私の手を引きながら、少年が勘違いを正してくる。
いや、その内容はなんとなくわかっていた。私が罪に問われるか否かの流れだったから。でも命懸けの事態に挑む姿をありありと予想出来てしまう彼の人柄を思うと、鷹崎元帥達との契約を無視し、事態収拾のためにISを動かしそうな気がしてならない。
彼から否定されたとしてもその危惧は拭えなかった。
「で、ですが、なら何故桐ヶ谷君も来てるんです?!」
「放送室の出入り口も閉じられてたなら、ピットも同じでしょう。こじ開けるなら俺のコレが最適です」
クロエの【黒騎士】の近接武装は物理しか無いですし、と彼が言う。確かに溶接カッターのように使える物の方が扉を切り裂く時、周囲に被害は出辛いだろう。
だが、それなら彼まで同行する必要はない。
「だからってコレを先生に渡して俺だけ逃げるのは得策じゃないです。そもそも、襲撃者がアリーナの連中だけとは限らないんですよ。ピットに辿り着く前にISで襲われたらどうするんです」
「う、それは……」
流石に彼ほどの身体能力があるわけではないため、同じ武器を持ったとしても、間違いなくISには勝てず、殺されるだろう。
「一応
そんなので非難されるのはごめんです、と彼は言い捨てた。
日本の未来を考えるなら、彼は己の身を最優先にするべきである。しかし未来を見るあまり、今の犠牲を生み出すのを良しとは出来ないという事だろう。
その決断には、少なからず賓客として来ている結城家息女も関わっているに違いない。
ともあれ――彼の思惑は理解できた。
私自身、彼の考えには賛成だった。有事の際には矢面に立つ者として、そして生徒を預かる教師として、若者たちを守れる術があるなら出来る限りの事をしたい。
それ以上の問答は必要なかった。足を速め、目的のAピットまで疾走する。
――人工島のIS学園の施設は四方に倣って建造されている。
高速機動訓練に用いられる螺旋タワーを中央に置き、そこから東京湾口に面する北に校舎、西にアリーナ、東に部活棟や整備棟などの各種施設、南にグラウンドや運動公園などが展開されている。
この四方に倣う建造は個々の施設に対しても適用されており、第一アリーナもその例に漏れない。
第一アリーナは楕円型。北東、北西、南東、南西の斜め四方にピットが一つずつあり、間に挟まれる形で東西に電光掲示板、北に放送室、南に管制室がある。観客席は四方のピットと電光掲示板を境にして、合計六つ存在する。放送室と管制室は観客席の上部、賓客席は電光掲示板の下部に位置している。
つまり私達は北の放送室を出て、時計回りに廊下を走り、北東に位置するAピットへ向かっている事になる。
その道中、ピットの出入り口の両隣に設置された観客席の扉を通った。
『なんでぇ! なんで開かないのよ!』
『早く開けてぇ!』
『お母さん、助けてぇ!』
『千冬様ぁ!』
扉の向こう側から、生徒達の悲痛な叫びが届いてきた。それに紛れてアリーナ全体を揺らす振動も床を介して伝わってくる。
「あの、桐ヶ谷君……」
黒の甲冑を纏った少女にピットの扉を開けるよう指示していた少年は、私を見てかぶりを振った。
「避難誘導するならISを纏ってからの方がいいです。今開けても、混乱でロクに声なんて届かない。人の波に呑まれて怪我しますよ」
「っ……」
それは、冷静な判断だった。
感情は、彼女らの叫びを受け、その判断に忸怩たるものを抱かせる。けれど有事対応の事を考えれば彼の判断は決して間違いではないのだ。
私はそうやって自分を納得させた。
――程なく、ピットの扉がこじ開けられた。
道中敵に合わなかった幸運を喜びつつ、私はハンガーに吊るされている深緑の機体を下ろし、仕事服の下に着こんでいたスーツ姿で搭乗した。
――――けれど、ISは起動しなかった。
「え……?」
思考は困惑一色。救助手順、避難誘導、経路の確認でいっぱいだった頭の中が真っ白になった。
確かに女性でもISを動かせない人はいる。適正検査のランク判定で『C』を受けた人でもごく稀に起動も出来ない人が居ると、そう聞いた事はあった。
だが、動かせなくなるという事例は知らない。
適正ランクも変動はあり得る。だがそれは、長期間のIS訓練を受けた末の上昇だけで、低下に関しては聞いた事が無かった。
思わぬ事態に、混乱はさらなる混乱を呼び、どうすればいいか分からなくなる。
「クロエ!」
「ダメです、私の【黒騎士】も……!」
「ISが起動しないって、流石に予想外だぞ――?!」
彼にとっても想定外の事らしく、一気に険しくなった表情でなにやら考え込み始めた。動かない機体に乗っていても仕方ないので私は機体から降りた。
その時、虚空に粒子が集まったと思えば拳大の氷が出現し、彼の手の中に納まった。そしてすぐ光に消える。
「え、桐ヶ谷君、今のは……」
「……どうやら【無銘】は問題ないようです。それに――」
そこで言葉を切り、彼は視線をピットの外――バトルフィールドへ向けた。
フィールドからは地を揺るがす爆音の他に炎の明るさと熱気が伝わってくる。それを飲み込むように膨大な量の水も、まるで生き物の如く蠢いていた。どうも襲撃者の機体だけでなく、【海神の淑女】も稼働し続けているらしい。
可能性があるとすれば、以前【無銘】のコピー対策で瞬時に組んだというアンチ・ハッキング・システムの存在だろうか。逆に言えば彼女しか現行のIS操縦者は戦力にならない。つまりいまこの学園の警備はほぼ丸裸も同然。警備員もそれなりに配置されているが、敵がISを使ってきたらまず歯が立たない。
『いやああああああっ!』
ひと際強い爆発と衝撃。ピットの左右の観客席から、大きな悲鳴が上がった。彼の視線がバトルフィールドからピットの壁に向けられる。
「……アレコレ考えるよりも目の前の事に集中する方が良さそうだな」
腕組みしてそう言った彼は、護身用のエネルギー兵装をクロエに投げ渡した。バイザーで目元は隠れているが、それでもわかるくらい困惑が表情に浮かんでいる。
私もなぜ彼女に投げ渡したのかわからなかった。
二人分の視線が集まる中、彼の両の腰に二振りの日本刀が出現した。左腰は黒、右腰は白の拵えのそれらは、【黒椿】のデータに登録されていた第二兵装――《万象絶解》発動の鍵となる二刀だった。【無銘】の原子操作で構造から再現し、作り出したのだろう。
でも、なぜ……?
「――その護身武器、実は起動するのに条件があるんだ」
両の腰から刀を抜きながら、唐突にそんな事を言い始める。
護身用の試作品に起動条件があったなんて初耳だった。
「万が一にも悪用されないようにと、それ、ISにロックオンされた時しか起動出来ないんだよ。これでも俺、監視されてる対象だから」
「え――――?」
明かされた事実は、そこまで意外なものでもない。民生品にするにあたって悪用対策を練るのは当然だし、世間体的にも彼が持つにあたり、そういった制限を設けてもおかしくはない。
だが――その起動条件が、真実だとすれば。
放送室に居た時はおろか、ピットの扉を開ける時も、ずっとISに狙われていた事になる。
――空気を灼く音がする。
発生源はバトルフィールドの方からだ。そちらに視線を向ける。
「な、何です、アレ……」
ピットの発進口には、一機のISがふわりと滞空していた。
その機体は
通常、ISは部分的にしか装甲を形成しない。スポーツ扱いを受けているため、選手の顔が見えないとあまり受けが良くなく、また最低限の装甲に埋め込まれたバリアブースターがシールドバリアと絶対防御を形成し操縦者を保護するため、基本必要に駆られないからでもある。防御特化型ISで物理シールドを搭載している場合もあるが、それでも肌を全く晒さない機体はない。
そして、おそらくは暗黙の了解だった。顔を見せなければ身元を特定し辛く、つまり裏で悪どい事は出来ないと、そういう空気が醸成されていた。
それが今この瞬間、破られた訳だ。あの中には間違いなく襲撃者が居るのだろう。
深い黒灰色をしたそれは、右手に近接用ダガーを手にしていた。片刃で肉厚のそれは中華料理や麺料理に使う包丁を連想させる。
頭の端がちりっと疼いた――
「俺がコレを止める。先生とクロエは、早く救出に」
「え、でも一人じゃ――」
「ISを使えない現状では却って邪魔です」
バッサリと切って捨てられた。自分自身ここに残ったところで出来る事はないと分かっていたから、私は黙り込んだ。
――分かっていても、それでも口から言葉が出た。
状況を鑑みれば彼の判断は確かに正しい。
でも、ただ”正しい”からと、幼い彼に大人が頼りきりなのは――――
「それに、いま先生がするべき事は違うでしょう?」
躊躇い、逡巡する私に、白髪の少年が肩越しに視線を向けてきた。
敵を前にしてのその大胆な行為。でも敵は、まるで見届けるかのように手出しする素振りを見せず、ただ滞空を続けていた。
それを見越しているのか、彼の意識は私に向けられている。
まっすぐと、黄金色の視線が私を射抜く。
「助けを呼ぶ声を――どうか、無視しないであげてほしい」
それは、真摯な言葉だった。
そして、切実な願いだった。
理性と理屈、合理性で押し殺す彼の声が、聞こえた気がした。
「――死なないでください」
一言、私はそれだけ告げて、踵を返した。敵に背を向けての全力疾走。銀髪の少女も後を追ってきた。
当然――――少年の声が、耳朶を打った。
【状況】
・ISを使えるのは楯無、和人、襲撃者陣営だけ。ただし和人は【無銘】しか使えず、またそれを大っぴらには出来ない
・アリーナの制御系は乗っ取られた(障壁解除、閉じ込め、通信障害)
・和人が黒灰色の全身装甲機体とタイマン
・楯無は炎使いと対峙(他は不明)
・二年次、三年次の襲撃有無は不明
・第一アリーナの救助活動は山田先生、クロエに託される
・クロエ・クロニクル
和人の監視兼護衛(本命)。
しかしISを封印された事で絶賛お荷物に。いちおう周囲は見えているようなので生体同期型IS【黒鍵】とハイパーセンサーは生きている模様。
・桐ヶ谷和人
”助けて”の声を無視できない少年。
過去自分が無視された上にケイタ達の事などで色々トラウマが出来ているが、
『理性と理屈、合理性で押し殺して』一時はピット開放を優先。しかしISを動かせないと分かったので、襲撃者の相手を引き受け、救助活動を山田先生達に託した。
ピットに入る前と敵が現れた後で発言が矛盾しているのは『前半:合理性』、『後半:感情』の対比。
ホントは今すぐにでも来賓席に走っていきたかったりする。
あらかじめ緊急時の行動範囲を学園全体に広めている辺り、用意周到である。
……通信障害がある時点で爆破ライン関係なくなってそうですけどネ。
・山田麻耶
生徒思いな教師。
和人はまだ生徒ではないが、ほぼ決まっているようなものなので見方がどうしても子供・生徒扱いになる。その理想と現実のギャップに忸怩たるものを覚えた。
――そのギャップがあったから、和人の本心を察せた。