インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

視点:キリト

字数:約九千

 ではどうぞ。




審判 ~特異点(しゅじんこう)の成り損ない~

 

 

 《ソウル・トランスレーター》が作り出す仮想世界は、VRMMOを始めとする一般的なそれと異なり、ビジュアルデータはダイブ者の記憶を下敷きにして作り出している。

 《ニーモニック・ビジュアル・データ》。

 それは万物がポリゴンで形作られる従来のものと異なり、本物さながらの感触をダイブ者に与えてくる。しかしそれは当然だ。《ナーヴギア》や《メディキュボイド》は脳波を刺激し、実際に見て触れたように情報を与えるのに対し、STLはダイブ者の記憶――マイクロチューブ内で該当する光子――を刺激し、意識へ浮上、再生させる手順を踏んでいる。

 幻聴・幻覚は、その症状を呈している人にしか見えない。だが全員がそれを認識すれば、それは決して幻などではない。STLの《ニーモニック・ビジュアル・データ》は、誰かの記憶情報を、STLを介して他人に見せるものと考えていい。

 

 ――その技術を、俺は既に知っている。

 

 なぜなら、それは須郷信之がSAOで研究し、俺がシノンを目覚めさせる際に利用した《具象化技術》そのものだからだ。あの研究データは《SAO事件対策チーム》、すなわち菊岡誠二郎が俺の《ナーヴギア》から接収している。敢えて聞いてはいないが、まず間違いなく《STL》の開発に利用されただろう。

 VRワールドを構築するのに必要な制御機構【カーディナル・システム】はSAO製作者にして現ALO運営者である茅場晶彦により提供されている。

 だからSTLを使えば《ニーモニック・ビジュアル・データ》で形作られた仮想世界へとダイブ出来るのだ。

 

    *

 

 ダイブしたワールドは教室一つほどの広さのワンルーム。床は木製のタイル、壁や天井には清潔感を漂わせる白の壁紙が張られており、電灯はないが昼間のような明るさだ。そして大きな姿見が一つ。

 このワールドはSTLテストの最初、アバターを初めて作成する際に利用したものだ。だから姿見以外の物が置かれていない。

 その姿見に己を移す。

 そして、苦笑が漏れた。

 【カーディナル・システム】は指示さえあれば《アイングラウンド》のようにゼロから全てを作り出せるが、当然ながらダイブ者の記憶通りに再現する事も不可能ではない。それはアバターとて例外ではなかった。

 

 なぜ予め作られたアバター――例えば、SAOやALOのもの――を流用しないのか。

 

 その問いに対し、菊岡はこう答えた。『STLはダイブ者が持つ強固な自己イメージを基にアバターを作り出すからだ』と。

 何故自己イメージを基にするのかまでは答えなかった。STLの演算に負荷が掛かるからか、あるいはアバターだけアプローチ法を変えてしまうと不都合があると考えたからなのか、そこまでは不明だ。

 分かっているのは、菊岡が言った事実一つだけ。

 それはある意味で残酷な事実でもある。

 

「自己イメージ、か……言い得て妙だ」

 

 自己イメージ。

 その単語をポジティブに取るか、あるいはネガティブに取るかは人によるだろうが、俺の場合はネガティブなイメージに偏っている。散々みんなから自己評価が低いと言われたのはそれが原因だと思う。

 背が低い。力が弱い。女のような髪の長さ。傷だらけの体。ナノマシンを移植された眼。etc.etc……身体的特徴について言及された事は数知れない。他者に誇れたのは、義姉が褒めてくれた髪くらいなものだった。

 他者と比べ、ネガティブな印象を持つ思考を『コンプレックス』という。

 ある意味での心の傷。

 ――言うなれば、負の瞋恚。

 つまり《STL》が形成するアバターは、自身に対する心の傷(コンプレックス)が強いほど、深ければ深いほど、それが如実に反映されているという事なのだ。

 自分にとっての『負のイメージ』とは、まず間違いなく《織斑一夏》時代の記憶であり、獣の瞋恚である。憎悪を肯定し過去を受け入れている俺の自己イメージにより黒髪黒目のアバターが作られた事は必然と言えた。更に【ビーター】という《織斑一夏》として振る舞っていた影響かSAO前半期の二刀装備になっている。背中に掛かる重みは、ともすればSAO時代よりも遥かにリアルに感じられる。

 

「……まだまだ、か」

 

 秋十と刃を交えたばかりのせいか、心情が引きずられているのだろう。秋十に対する憎しみは俺の自己イメージを()へと寄せるファクターそのもの。

 このアバターが白髪金瞳となり秋十と対峙しても変わらなかった時、俺は本当の意味で過去に打ち克ったと言えるのだと思う。だから俺の心はまだ打ち克てていない。打ち克てていたら、あの試合でも変に長引かせず、開幕から一気に終わらせていたのは明白なのだから。

 やはり真の意味で過去に打ち克つには、万全を期して織斑秋十を、そして織斑千冬を打ち倒さなければならないのだ……

 

「――いい加減、仕事をしよう。しかし秋十がいないんだよな……」

 

 再度己を省みた後、頭を振って思考を切り替える。

 ここに来た目的は俺が反省する事ではなく、秋十が須郷を通じ、【無銘】を俺に埋め込んだ組織と内通していないかの確認のためだ。リアルタイムで束博士達も見る以上、あまり悠長にもしていられない。そうして部屋の中を見回すが、自分以外に人影は見当たらない。オブジェクトは姿見だけだから隠れている訳ではないだろう。

 しかし探し始めてすぐ、離れた空間に光が発生した。

 先にダイブした筈の秋十が後から来るのは、もしかしたら博士達が俺に配慮し、気を鎮める時間を設けてくれたからなのか。だとすれば後で礼を言っておこう。

 そう思考を終えた俺だったが。

 予想と異なる人物がそこに立っていた。

 

「……誰だ、あんた」

 

 光の中から現れたのは、リアルやSAOで見た青年ではなく、肥満体型の中年男性だった。でっぷりとした腹部により引き延ばされた黄ばんだシャツ、黒ずんだジーパン。顔も髪も脂ぎっていて、ニキビが顔中にびっしりと出来ている。

 あまり言いたくないが……かなり、醜悪な見た目だ。

 その男がこちらを見つけた途端、ぎょっと眼を開いた。

 

「お、おまっ、一夏?! なんでお前がここに……まさか、俺を此処に連れてきたのはお前の仕業か?!」

「……まさか。秋十、なのか……?」

 

 男のセリフ、そしてネットから隔絶された学園地下のVRワールドに来られるのが《STL》ダイブ者だけという状況から、中年の意識が秋十だと結論を出すまでに間があったが、しかしそれも仕方ない事と言えよう。

 俺が記憶している《織斑秋十》とは、内面と違って外見は人受けのする整った顔立ちであり、黙っていれば好青年と受け取られる容姿をしている。そして秋十の強い自尊心はその容姿に対し強固な自信、すなわち《正の自己イメージ》を構築している筈なので、自分とは真逆の自己イメージを以てリアルと同じ容姿のアバターを作るものだと思っていた。

 その予想を裏切り、どうやっても好意的に見れない容姿になっているとはまさか思うまい。

 声も元の好青年然としたものから低くうねったようなものに変わっていて、面影がまったく無かった。

 

「はぁ? なに言ってるんだよ、お前。なんでそんなことを聞くんだ?」

「や……気付いて、ないのか? リアルと全然姿が違うぞ」

「……え?」

 

 俺の反応の理由が分かっていない様子だったが、その指摘で自分の体を見て、ようやく意味が分かったらしい。

 

 

 

「え、な、は? な、なんで。なんで()()の格好になってんだ?!」

 

 

 

 惑乱するのは仕方のない事と言えよう。

 だが、それも理由が分かっていないのであればの話だった。どうやら秋十からすればあの容姿は見知ったものであるらしい。

 しかし……

 

「……前、世?」

 

 しかし、理解に苦しむ単語が、まるで当然の事の如く飛び出てきた。

 前世。

 それはある生を基点として、それより以前の事を指す言葉。仏教をはじめ転生の概念を有する世界観なら必然的に内包している概念。仏教においては『(さん)()』の『過去世』に該当するもの。

 哲学的思考故か学術研究も過去に為された事があり、スティーヴンソンは1961年から生まれ変わり事例の調査を始め、最終的に2000 例を超える『生まれ変わりを強く示唆する事例』を収集した結果、最終的にある種の『生まれ変わり説』が考察された経緯もある。

 他には前世療法と呼ばれるものがある。催眠療法の一種であり、人間は死後人間に生まれ変わるという転生論を前提としたそれは、退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導し、心的外傷等を取り除くと主張されている心理療法の一つだ。

 学術研究、前世療法はどちらも他者の主観的主張を基にしており、物的証拠などによる実証が困難なため眉唾物として知られている。自分とて、簪に勧められたサブカルチャーで一般的な概念を知り、軽く調べただけで殆ど信じていない。あり得ないものとみんな考えているからこそフィクションの題材にされている。

 だが、こと今回に限っては事情が異なってくる。

 《STL》は己に抱く強固な《自己イメージ》を基にアバターを形成する。

 それは《ⅩⅢ》や対廃棄孔、ホロウ戦で使った瞋恚で曲げられるものではない。なぜならその《自己イメージ》は己の過去であり、歩んできた道程、思い悩んだ心の軌跡そのもの。その極致が瞋恚である以上、瞋恚を用いた《自己イメージ》の完全否定は、すなわち自我の崩壊に直結する。いま在る己の全てを否定するからだ。

 己を騙すとしても、出来るのは表面的なものまで。

 いや、『これは嘘である』と自身を騙そうとすればするほど、その事実を強く意識する。それもまた己に対する《負のイメージ》に他ならない。

 

 つまり――――あの醜悪な恰好が、秋十の前世の姿というのはほぼ間違いないのだ。

 

 あの容姿の年齢がいまの秋十から見て過去であればまだしも、どう考えても未だ訪れていない未来の姿なのだから。

 それに前世を覚えているならこれまで秋十が神童扱いされていた事にも納得がいく。中身は大人の知能と精神状態なのだ、まったくの素人と違って一度経験した事があるのなら卒なくこなせてもおかしくない。転生者と知らない人間からすれば神童扱いするのはむしろ当然なのだ。

 

「驚いた。あり得ない与太話だと思ってたのに、前世を()覚えて()る人間()ってホントにいたのか」

「――そんな事言って、お前もなんだろ」

「……はぁ?」

 

 中年の返しに、今度はこちらが困惑する。

 なぜそんな思考になったのかが分からない。本当に俺も前世を覚えているのだとすれば、なぜ出来損ないと言われるほどに何もできなかったのかという話になる。小学生レベルの勉強なら同格になれてもおかしくないだろうに。

 

 

 

「お前、【白式】の事を知ってたろ?」

 

 

 

 ……そんな、俺の疑問がどうでも良くなる事を言ってきた。

 

「……どういう、意味だ……?」

 

 知らず、声が震える。

 手に力が籠る。

 それを知ってか知らずか、中年男が下卑た笑みを浮かべた。

 

「あの試合の時、お前、【白式】を見て言ってただろ。『その機体……』って。《織斑一夏》になった自分に宛がわれなかった事に対する疑問の答えが出て、思わずっていう感じで漏らしてたぜ」

 

 

 ――まさか。

 

 ――でも、この言い方は。

 

 

 中年男のセリフ、その下敷きとなっているだろう思考、前世という不鮮明な前提条件を鑑みながら思考を回し、一つの仮説を立てていく。

 その過程で一つ、確認する方法を思いついた。

 

「……まさかと思うが」

「ん?」

「SAO時代。二十二層での、デュエルの後。『黒い猫』と言いながら、サチを見ながら『とっくに後悔してるか』って言ってたのは…………お前は、()ってたのか。SAOがデスゲームになる事も。中で、何が起きるのかも、ぜんぶ……」

 

 

 

「なんだ、お前。まさか知らなかったのか?」

 

 

 

「――――」

 

 

 

 あっけなく、真実を告げられる。

 

「あ、そういう事か。お前アレだな、《インフィニット・ストラトス》は知ってるけど、《ソードアート・オンライン》は見てなかったクチか。《Kirito》って名前付けてたからてっきり知ってるモンかと思ってたぜ」

 

 中年男の中身は秋十だ。訳も分からず俺を憎み、邪魔者扱いしてくるあの男だ。その男が生まれて初めて――まるで、仲間を見つけたかのように、馴れ馴れしく話してくる。

 その内容が理解できない。

 意味は分かる。

 同じ日本語だから分からない筈がない。

 ……けれど。

 言っている事が、どうしても頭に留まらない。

 脳が理解する事を拒絶しているのだ。

 

 ――それでも、鍛え上げた思考速度が、とうとう理解へと手を伸ばした。

 

 意味を、内容の意図を咀嚼する。

 呑み込む。

 理解する。

 ……理解、してしまう。

 

「知らないなら教えてやるよ。《ソードアート・オンライン》ってのは、キリトって主人公が《二刀流》でデスゲームの首謀者の茅場晶彦を倒してからの――――」

 

 

 

「だまれ」

 

 

 

 咄嗟に出たのは、拒絶(逃避)の言葉だった。

 それ以上聞いていれば気が狂ってしまいそうだった。

 

「なんだよ、そんなに怒って……ああ、ネタバレがイヤってタチなのか? それなのにSAO側のヒロイン総取り出来るってスゲェな? どうやったんだよ? それにSAOを知らないなら、病死する筈の木綿季と藍子の姉妹が生きてるのはなんでなんだ?」

 

 グイグイと、いっそ不気味なくらい話しかけてくる。肉の間から覗く黒の瞳が濁って見える。

 ――四十八層でアキトと初遭遇した後の事だ。

 リズやユウキは、アキトの眼に対し奇妙な感覚を覚えたという。当時はアキトと会った人が態度をまるっきり変える事になった要因のものかとも思ったが、みんなに変わりが無かった事に安堵を覚え、それ以上は考えないようにしていた。

 けれど、その『奇妙な感覚の眼』と言っていた事が分かった気がする。

 女性キャラ(ヒロイン)という単語から理解した。

 恐らくこの世界は、男の前世で言うところのサブカルチャー作品だったのだろう。《インフィニット・ストラトス》と《ソードアート・オンライン》の二つに分かれていて、それが融合したのがこの世界なのだ。俺が前者を知っていて、後者を知らない転生者だと決めつけ、この男は話しかけてきている。

 《織斑一夏》が《インフィニット・ストラトス》の主役男性なら、《キリト》は《ソードアート・オンライン》の主役男性。

 現実世界で会ったIS関係者は《インフィニット・ストラトス》に於いて《織斑一夏》に惹かれ、寄り添う女性キャラクター達。

 仮想世界で会った人達は《キリト》に惹かれ、寄り添う女性キャラクター達。

 

 ――そういう認識なのだ、この男は。

 

 紙面上、物語上の登場人物としてみんなを見ている。

 だから『総取り』だとか、人を物扱いするような言葉が出る。

 ……だから平然と、木綿季と藍子が何故死んでいないのかと問える。

 この男にとって他人の人生は全て紙面上のものでしかない。

 この男にとって他人の死は涙するに値しない。

 

 あるのはただ、醜い欲望。

 

 人を弄び、己を良く見せる舞台装置としか他者を見ない狂人なのだ。

 ――これまでの半生が脳裏に浮かぶ。

 《織斑一夏》として生きた半生の苦しみはこの男のせい。

 《桐ヶ谷和人(キリト)》として戦った全てをこの男は識っていた。その上でこの男は、死者が出た事件をも『たかがゲーム』と嘲笑い、軽んじたのだ。

 【月夜の黒猫団】の事を、ケイタ達の苦しみを、サチの恐怖すらも識った上であのとき嘲笑ったのだ。

 もう何を言って無駄だ。

 この男は、その見た目同様に前世の頃から、魂から――――

 

「――腐ってる」

 

 怒りと憎しみが止め処なく湧き上がる。二つはより合わさり、結合し、より強固な意志――――殺意へと昇華した。ピキパキと音を立てながら、まるで鱗のように肌を白の殻が埋め始める。

 それを見てか、中年男が眉根を寄せた。

 

「おいおい、酷い言い草だな。まあデスゲームの事を知ってた上で動かなかった事に対して言ってるんだろうが、お前も似たようなものだろ。ISの方を知ってるなら、その上で動いて、誰かを利用した事くらいあるんじゃないか? そうやって【白式】を手に入れて、IS側の主役も手に入れようとしたんだろ?」

「……どうやら俺が苛立っている理由を理解出来ていないらしい。そもそも、前提からして履き違えてる」

 

 顔まで仮面が覆い尽くし、声が反響音を伴い始めた。【無銘】による負の第二形態。これもまた俺自身が抱いている《負の自己イメージ》らしい。自然と反映されたのは、それほど殺意が強固という表れだ。

 

「俺が殺気立っているのはお前がデスゲーム関係で動かなかったからじゃない。それを誰かに言ったところで誰も信じなかっただろう」

「まあ、そうだな。でもなら何に怒ってるんだよ」

「お前のすべてにだ」

 

 二十二層での発言。

 七十五層で、第二レイドを壊滅させた事。

 ……なによりも。

 この男が『作品の主役』という身勝手な理由で俺を追い詰め、殺そうとしてきた事実が、俺を殺気立たせる。

 

「作品? 主役? 転生者? ……ははっ」

 

 

 

「ふざけんじゃねぇぞお前ェッ!!!!!!」

 

 

 

 何かが、堰を切って噴き出した。

 半ば無意識の内に体が動いていた。背負っていた黒剣で、気付けば中年男の肥え太った腹部を袈裟掛けに斬りつけていたのだ。するとSTLが読み取った『血液』のデータが再生され、秋十の《ニーモニック・ビジュアル・データ》形式の体から血が噴き出す。

 

「ひっ……ひぃいいッ?! い、痛いィッ?! 血ィッ?!」

 

 痛みにもんどり打ち、血を流しながら男が叫ぶ。脂ぎった汗を顔中に浮かべながら甲高い悲鳴を上げる。

 一歩、前に踏み込む。

 

「く、来るなァ?!」

 

 すると数歩分大きくヤツは後退した。血だらけになった手を突き出し、怯えの表情を見せる。もう片方の手はまだ腹部に当てられているが、手で防げるほど小さくない切り傷に顔を顰めている。

 

「こ、こんな事をして、良いと思ってるのかァ?!」

「お前が言うなよ、クソニンゲンが」

 

 喚く男の雑音を吐き捨て、剣を振るう。ブヨブヨの左腕が跳ね飛んだ。

 

「いぎぃっ?! ひぃっ、ひぃぃぃ……! また……またなのかよ! またお前が俺を殺すのかよ!」

「はぁ?」

「お前に何が解る! 就活の厳しさなんて知らないクセに、先に仕事に就けたからって弟と比べられ続ける俺の気持ちが解るか?! どんだけ努力しても不合格になった時の絶望が、弟と毎日毎日比べられるのがどういうことかお前に解るのかよ?!」

 

 痛みで思考がトんだらしい男が、錯乱しながらそう喚き立てる。

 推察だが、前世では血を分けた弟に殺されたのだろう。就活で苦労してたところに弟が先に内定を貰った事で比較される事が苦しくなったクチか。

 それから何をしていたかは、体型と性格を考えれば、自ずと察せられるというもの。

 そして、俺に対して当たりが強かった理由も、ようやく見当がついた。

 前世で自信を殺した『弟』を俺に重ねて見ていたのだろう。比較される事に対する怒り、『弟』に対する羨望と嫉妬、鬱屈した怒り、そして殺された事に対する感情諸々が俺に来ていたのだ。

 これでは俺に対する仕打ちの理由が分からないのも当然だ。

 誰が分かるというのだ、前世の『弟』に関する八つ当たりなどと。

 ――だからどうした。

 比べられる事が、努力しても認められなかった時の絶望だと?

 

「解るさ。なにせ物心付いた時から、どれだけ努力してもお前と比べられ、その周囲の人間に認められなかったからな」

「お前と俺とじゃ程度が違うんだよッ!!!」

「へぇ、そう……まぁ、俺は既に職を得ているから、職を得られなかった事に関するお前の気持ちは解らないし、解る必要性も感じないがな」

「ガキ……このガキが……――――ガキがぁぁぁぁ!!!」

 

 怒りで痛みと我を忘れたか、男は裏返りながらも野太い悲鳴と共に体を起こし、迫ってきた。圧倒的な質量が押し寄せる。その体が間合いに入るや否や、俺は右手の剣を軽く一薙ぎさせた。

 ズグジュッ、と生々しい音と共に脂肪が裂け、更に血が噴き出す。

 痛みで足を取られ、また転がり、男はもんどりうち始めた。

 

「いっ……あ、ひぎぁぁああ……っ!」

 

 脂汗を流して痛みに喘ぐ姿は、俺の殺意を更に燃え立たせた。こんな男に俺は虐げられ、数少ない友人を失い、過酷な環境に身を置く事になったのだと思うと耐え難かった。

 

「おい、立てよ。立ってなにか言ってみろ」

 

 近づいた俺は、無感情な声音でそう言って、鋲付きブーツの爪先で腹部を蹴った。丁度斬り付けたところだったため激痛が走ったようで、男の悲鳴が一瞬止まる。

 そんな事は、俺には関係ない。

 連続で蹴り上げる。ゴスッ、ドスッ、と鈍い音が上がる。

 悲鳴も上がる。汚い雑音だ。

 

「この程度じゃ俺の気は収まらない。都合八年は受けた仕打ち、()()を付けても全然足りない。前世の弟となにか因縁があったらしいがそんなの知った事かよ。八つ当たりされる側としちゃ堪ったものじゃない、いい迷惑だ……なぁ、なにか言ってみろよ。なぁ。オイ」

 

 言葉にする毎に何故だか全身が沸騰するような熱を帯びるように感じた。視界がぎゅうぎゅうと狭まって、血と汗でドロドロの肉塊に焦点が絞られる。呼吸が深く、けれど速くなる。

 握る剣の切っ先が震えていた。

 

「――い」

 

 そこで、肉塊が音を発した。足を止めて、意識を傾ける。

 すると今度はハッキリ聞こえた。

 

 

 

「死にたく、ない……」

 

 

 

「そうか、なら俺はお前の言葉を借りてこう返そう――――()()()()()()()()()()

 

 

 

 冷たく言い捨て、首を狙って剣を振り下ろした。

 

    *

 

 ……しかし、首が落ちる事は無かった。

 俺の剣は、横から割り込んできた刀身に止められていた。

 緩く湾曲した日本刀だ。それを持つのは女性。昔に比べて肩甲骨くらいまで黒髪を伸ばし、剣道着を着込んだ義理の姉・桐ヶ谷直葉だった。

 

「どうやって、此処に」

「束さんに呼ばれたの。ビジュアルデータ形式が違うだけで【カーディナル・システム】を使ってる以上は《アミュスフィア》でもダイブ出来るワールドだって話だから、【黒椿】を経由して来たのよ」

「そう」

 

 ギリギリと、鍔迫り合いを続けながらの静かな問答。それは嵐の前の静けさのように張り詰めているように感じた。

 

「どうして、割り込んだんだ」

 

 その静けさを破るように、根幹に触れた。

 怜悧に引き締められた日本人然とした顔が、僅かに歪んだ。

 

「止めないと……和人が、帰って来なくなる気がしたから」

「…………そ、う」

 

 悲しげに、静かに告げられた途端、全身を震わせるほどだった殺意が、怒りが沈下した。肌を覆っていた白の殻もたちまちボロボロと崩れ始め、すぐに無くなった。

 最後に顔を覆っていた仮面が剥がれる。

 間近に、義姉と顔を見合った。

 

「……落ち着いた?」

「……ん」

 

 ゆっくりと剣を下ろし、頷く。

 義姉は、にこりと微笑み、俺を優しく抱擁した。

 両目にジンと熱が生じ、温かい液体が溢れるのを感じながら、俺は全身から力を抜いた。

 

 






Q:なんで秋十、矢鱈と馴れ馴れしいの?
A:マウント取りです


Q:結局束を始めとした外部はどこまで把握できてるの?
A:今話で秋十がゲロッた内容だけです。前話は秋十の記憶、深層心理部分の回想です。


Q:秋十が『狂人』って、和人に比べれば全然一般人レベルじゃね?
A:秋十がユウキやアスナ達を『作品のキャラクター』としか見ず、人の生き死にも『物語』としか見ていない事に気付き、その視点・生き方についての評です。
 実際に生きている世界なのに『読者視点』の感覚が抜け切ってない事を指しています。


Q:和人って、秋十と対話時はかなりキレてね? 沸点低い?
A:今まで苦しんできたの全部コイツの八つ当たり、理不尽な因縁、思い悩んでいた事も全て『物語上の事』という事が分かってド怒りモードです。
 必死に努力した事を『まあ乗り越えて当然だよね』って言われてイラァッとするパターンの超悪化バージョンでございます


Q:最後直葉が言った事って?
A:平然と人を傷つけられるようになると感情を抑える事が容易になって、獣化が進みやすくなるため。ただでさえ問題山積みな上に和人は溜め込んで爆発するタイプなのでネ。


Q:こんなトラウマ級の事して、ホントに記憶ロック可能なの? 保険ってなんのこと?
A:《STL》ってフラクトライト(魂)のコピーが出来るんだよね。
 技術的には……ほれ、キリカがおるじゃろ?(むくなひとみ)


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