インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも皆さん、遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年も本作をよろしくお願い致します。

 そして、おはこんばんにちは、同時にお久しぶりです、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 長らく間を空けてしまった事、真に申し訳ありません。先の展開を考えていたら、何気にここで色々と分岐するなと気付きまして、迷っていました。ある程度定まったので投稿再開です。

 一応のあらすじ。《朝露の少女》編ことユイ編が終了し、現在は《圏内事件》真っ只中。色々と自白したシュミットを伴ってヨルコの下へとヒースクリフ達が向かった辺りの時系列です。

 今話では前半キリト視点、後半アルゴ視点です。間が空いたのでそこまで面白くは無いですが、楽しんで頂けたら幸いです。

 ではどうぞ。




第三十二章 ~事件の推論~

 

 

 六月に入ろうとし、夕陽が顔を出している時間が長くなってきた最近でも、午後七時半ともなれば世界は夜景に染まる。未だ稜線に僅かな茜色を見る事は出来るが既に殆どは闇夜に包まれている。

 そんな第五十七層《マーテン》の裏路地を、俺は《ホロウレギオンコート》のフードも被った完全黒尽くめ姿で歩いていた。

 リー姉にユイ姉の最期、そしてあの後に何をしたのかを伝え、ずっと考えていた戦う理由も宣言した後、本当なら自室にまた戻って眠る筈だった。昨日の闘技場での激闘も然る事ながら、第一層基部フロアのダンジョンでの激戦、そして最後の死神との死闘もあって俺の精神は既に疲労困憊だ。今となっては白の援護も無しにボスと戦闘を繰り広げるのは自殺行為に等しい、元々ソロで戦う事そのものが自殺行為だが。

 そんな俺が、ならば何故この階層に居るのか。それは《圏内事件》について気になる事があり、それを確認する為である。勿論無意味に終わる可能性もあるにはあるが、何かあるかも知れないと考えられるだけで確認する事に意義はあった。

 死亡時のエフェクトは、その音がエネミー討伐時とプレイヤー敗北時とで微妙に異なっているのは、恐らく深く考察しない者でも気付く事柄だ。討伐時の音は重厚なガラスが割れる破砕音に近いが、敗北時の音はガラス製の小物が割れるような音なのである。演出についてはどちらも蒼い結晶片として砕け散るようになっている。

 まぁ、プレイヤー敗北時に立ち会った事が無ければ、分からないのも無理は無い。何せ比較対象を知らないのだから。

 現在この《ソードアート・オンライン》に囚われているプレイヤーの中で、元ベータテスターを除いてプレイヤー死亡エフェクトを見た事がある者はまず少ない、死亡エフェクトの回数イコール死亡人数と同義であるためだ。なので見た回数が一人で重複してくる、見た事が多いのは殺しを率先して行っていた《笑う棺桶》と、何だかかんだで何十人ものプレイヤーを殺している俺くらいなものだろう。サチも三人の死亡した瞬間を見た事はあるが、多分映像としては覚えていても音と演出までは気がいっていなかった筈だ。

 そんな俺が気になっている事は、《カインズ》氏が死亡する時の瞬間である。厳密に言えば死亡した時に発生したエフェクトだ。

 あの時、《カインズ》氏が姿を消した瞬間にガラス製の小物が割れるような破砕音は響かなかったし、彼の体も砕け散るのでは無くて蒼い光に包まれるようにして消えた。しかしその疑問を俺が呈さなかったのは、蒼い光に包まれていく中でも確かに何かが砕け散る光を見たからである。

 恐らくだが、体を包んでいた蒼い光は転移光なのだと思う、転移門や転移結晶を使った時に発生する光だ。転移門は自分にしか効果は無いが、転移結晶は自分以外にプレイヤーネームが分かっていて且つ対象との距離が五メートル以内である場合に限り『ターゲット《プレイヤーネーム》、転移《転移先》』と発声する事で他人を転移させられる。治癒結晶や全快結晶は対象に向けて結晶ごとに決められた式句を言えば良い――《ヒール》や《ポイズンヒール》などがそれに当たる――のだが、転移結晶の場合は大事になるからここまで決まっているのだろう。

 ちなみにこれはアイテムの説明欄にもしっかり記載されていて、それでありながらあまり知られていない転移結晶の使用方法だったりする。言われたら思い出すが普段は使わないので忘れているレベルのものだ。何故なら基本的に誰かと一緒の場合に転移結晶を使う場合は自分のものを使うからである、もし無くて仲間から分けられても自分で使う、故に他人に対して使う事が無くて忘れられる、その程度の認識なのだ。

 それを考慮すると、《カインズ》氏が死亡したというのはただの演出効果で思わせられているだけで、本当は生きているのではとも考えてしまう。ロープで吊り下げられていて、何かが砕け散る瞬間に合わせて転移結晶を使用すれば、結晶片を浴びながら体はその場から消え失せる。タイミングとしては非常にシビアだが、上手く合わされば砕け散る結晶片と転移の蒼い光が重なるのは必然、それを死亡時のエフェクトだと勘違いしたとしてもおかしい話では無い。

 そうなると共犯者の存在が出て来る。まぁ、《カインズ》氏が転移結晶を隠し持ってて自分で転移した可能性も無くは無い。

しかし元々不自然な点が幾つかあるのだ。

 今回の《圏内事件》は所謂《睡眠PK》というものでも無いし、恐らくデュエルによるPKでも無い。圏外でクリティカルダメージを叩き出してすぐに転移させた訳でも無いだろう。そもそも直前にヨルコさんと食事の為に街を訪れていた時点で、圏外に行っている筈も無いし、デュエルを受ける筈も無い。俺くらい疎まれていたり恨みを買っているなら分からなくも無いが、《カインズ》なんて名前は寡聞にして聞かないので、まず違う。

 そうなると怪しくなってくるのが直前まで一緒に居たというヨルコさんだ。一体何がどうなれば食事処へ向かう途中で離れ、気付けば死亡となるのかが分からない。バグを利用されていきなり分断された可能性もあるから一概にも言えないのだが……アスナから追加で聞き出せた事も含めて考えると、何だかなぁと思ってしまうのだ。

 《指輪事件》と名付けられているギルド《黄金林檎》の解散のきっかけ、その真犯人が今回の《圏内事件》の犯人なのではないかという考えと、今回の事件の犯人は復讐に燃えているグリムロック氏なのではないかという考えが、今の所挙がっていると聞いている。

 しかしながら、教会で食事を摂っている間にアルゴがシュミットという《血盟騎士団》所属のランス使いから聞いた話をメールで纏めて送ってくれたのだが、それも併せると尚の事疑問点が浮かんでくる。

 第一、指輪は何処に行ったのかという話だ。恐らくシュミットが受け取った報酬が指輪を売った額の何割かなのだろうとは思うが、ではそれをシュミットにメモで指示を出した者はどうやって奪ったのかが分からない。

 アルゴのメールでは、《圏内事件》の犯人はグリムロック、《指輪事件》は指輪売却に反対した三人とグリセルダ、そして復讐に燃えているだろうグリムロックを除いた誰かだろうと考えているらしいが、本当にそうなのかと俺は思っている。

 まず指輪を持って最前線に行った《グリセルダ》さんと、恐らく復讐に燃えているのだろう《グリムロック》氏は婚姻関係にあった、少なくとも《黄金林檎》発足時点で既に結婚していたらしく、シュミットとヨルコさんもそう言っている事からこれは確実だ。

 重要なのは、この婚姻関係はSAOのシステムで認められていたものである事。SAOでの《結婚》というのは現実のそれ以上の多大なリスクを孕んでおり、アイテムストレージやコルの共有化だけでなく相手のステータスまで閲覧出来てしまえるという、決断するには恐らく現実でのそれをするよりも遥かに固い覚悟を求められる。その上で二人は結婚していたのだから俺はそこに至った二人の間にあったのだろう恋愛感情を素直に尊敬出来る。

 このようなシステム的な《結婚》が成り立つのだから、当然ながら現実と同様に《離婚》が可能だ。この《離婚》は相手との話し合いで共有化されているストレージのアイテムとコルの分配をする必要があるのだが、問答無用で実行するならストレージ内の全てのコルとアイテムを相手に明け渡さなければならない。

 ただそこで、俺は一つ疑問を抱いた。

 売りに出すのだから恐らく夫婦間共有となったアイテムストレージに指輪を入れていたのだろうが、この場合に離婚状態となってしまったらどうなるのかという事だ。相手側が死んだ場合も未亡人だとかで結婚《していた》事になるから、恐らく問答無用で離婚、つまり生存側に全てのアイテムとコルが行くだろう。その場合指輪の持ち主はグリムロック氏になる、ここまでは妥当な話だ。

 ならどうして指輪の行方が不明になった?

 これが俺の疑問である。仮に何も与り知らない場所で妻が死んで、悲嘆に暮れていたとしても、指輪の所在は彼にあると分かるようなものだ。それなのにグリムロック氏は何も言わず、結局指輪の行方は分からない状態になっている。

 仮にストレージ外にあって、グリセルダさんを殺害したプレイヤーが奪っていった場合なら分かるが……十中八九無いだろうと俺は踏んでいる。

 ギルドリーダーは、ギルドメンバーの加入・脱退などを管理する《約定のスクロール》というものの他に、ギルドメンバーに与える印章《シギル》という指輪を有する。《血盟騎士団》の団長であるヒースクリフやアスナ、《スリーピング・ナイツ》のランにユウキにサチ、《風林火山》のクラインなどは、意匠こそ異なるものの右手の指輪にそれぞれ印章を嵌めている。攻略組の一員は必ずと言っていいほど嵌めており、基本的に脱退しない限り外す事は許されていない。

 グリセルダさんの場合、恐らく左手の薬指にグリムロック氏との結婚指輪、右手に印章をしていたと思われるので、まずストレージ外に出す事はおろか装備する事すらあり得ない。まぁ、見ただけでレアアイテムと分かる可能性は限りなく低いが、盗まれる可能性をリーダーが考えない筈も無いのだからストレージ内に入れていた筈なのである。寝ていた時間なら尚更だ。

 よって俺は《指輪事件》の犯人はグリムロック氏、《圏内事件》の犯人はそれ以外ではないかと予想していた。

 そんな俺が《圏内事件》で気になる事がある為に第五十七層に来ている訳は、ヨルコさんに問い質す事がある為だ。狙われている売却反対組の中で、恐らくだがシュミットは今回の事件では完全に白、だがヨルコさんはグレーだ。本当に《カインズ》氏が生きているかは知らないが、仮に生きていたとすれば、直前まで一緒に居て同じく売却反対組である彼女はかなり怪しい。それどころかシュミット限定で情報を出した時点でこちらを誘導しているのではないかとも思えて来る。

 当然ながらここまでの全てが俺の勝手な推論だ、全て外れている可能性だって勿論ある。だが何も分かっていない以上、全て当たっている可能性も無きにしも非ず。仮に外れていた場合はガチで彼女の命が危ぶまれている事でもあるので未然に死亡を防ごうとも考えている。

 アスナ達やリー姉達から後で怒られる事は間違いないだろうが、これも俺なりの考えがあっての事だ。

 ヨルコさんが怪しいと考えているのは、今回の《カインズ》氏の死亡エフェクトに疑念を抱いた事に端を発す。だがあの時は圏内であり得べからざる事態であったため流石の俺も冷静でつぶさに観察出来ていた訳では無い、当然ながら記憶を掘り出しているのだからフィルターが掛かっているのだ。俺の主観で物事を進めていては見落としがあった時に気付けない可能性が非常に高い。

 故に俺は、ヨルコさんを護るつもりではあるが、反対に彼女が第二の《圏内事件》被害者になった時はその瞬間をしっかりこの目に焼き付けようとも考えている。

 極論事件のロジックが分かるなら彼女を護れようと護れまいとどちらでも構わないというスタンスだ、勿論護りたいとは思っているがそれも以前ほどでは無い。今の俺はとにかく《圏内》でも殺人が可能であるという可能性を潰し、俺を受け容れてくれた人達へ危害が及ばないようにする事を第一に考えている。俺一人で護れる命に限りがある以上、限りなく他人に近い者と親しい者のどちらかしか取れないなら、俺は後者を取る。以前のように全てを護ろうとしていては全てを喪う、二兎を追う者は一兎をも得ずだ。

 その分、護れなかった命は俺の業として背負い、決して忘れないようにする。同じ事を繰り返さないように全力を尽くす、そう誓い直したのだ。

 ユイ姉が居なくなった原因は俺が死神に不覚を取ったが故だ。あそこで気を抜かなければユイ姉を喪わずに済んだだろう、あるいはもっとPCへの造詣が深ければもっと大容量のデータを保存出来たかも知れない。そう考えてやまない。

 記憶を取り戻していたユイ姉は、俺を護るあの手段を行使すれば消える事を理解していた、その上で行ったのだろう。それを考えれば俺のこの思考はユイ姉の覚悟を侮辱するに等しい。

 それでも……ああしていれば、こうしていればと、思考が走ってしまうのをやめられない。

 

「……ユイ姉……」

 

 ポツリと、首から提げている澄んだ蒼の雫が先に付けられたネックレスを、黒の革手袋に包まれた右手ですくう。夜の帳に包まれ、闇に沈んだ裏路地の中でも、その雫は自ら発光しているかのようにキラ、キラと煌めく。雫の中には小さな光が揺蕩っていて、水面を思わせる。

 【ユイの愛雫】という名称の、恐らくこの世界で最低価値と判定されるだろう何の効果も持たないこのネックレスは、それでもこの世界でのユニークであり、今日まで存在しなかった代物……そして、たった一日だけの義姉が遺した、唯一の形見。

 義姉の愛が籠められた代物であり、護れなかったという罪の象徴だ。

 まだ遺されただけ良いのだろう。この世界のプレイヤーが死亡した時、その場所にはかつてその者が使用していて、死んだ瞬間から持ち主が喪われた武器しか遺らないのだから。その武器も、時を経れば耐久値全損で消滅するし、階層が上に進めば使い続ける事も難しくなって鍛え直し、形を変える事になってしまう。何れは記憶の彼方に忘れ去れてしまう。

 だが、このネックレスは武器では無い、防具でも無い。ただそこにあるだけだ。俺が死ねば一緒に消える……二つの意味で、俺と共に在る唯一の代物だ。俺が死ねば諸共消える、生きていれば形を変えずに常に寄り添ってくれる、不変故に俺も忘れない。

 だからこそ俺もやり直した誓いを忘れない。俺と近しい者を絶対に護るという誓いを、何に変えても護り抜くという決意を。

 その決意と誓いを胸に、俺は止めていた歩を進めた。

 

 ***

 

 闇夜の帳が下り始め、街灯と家屋から漏れる明かりが頼りになってきた第五十七層《マーテン》。この街にはカリスマお針子である《アシュレイ》が店舗を構えており、また中々施設が整った街である事から何時もなら暗くなった今頃はNPCレストランで食事にありつこうとするプレイヤーで賑わうのだが、予想通り今日はプレイヤーで賑わう大通りも閑散としていた。

 まぁ、当然だろうなと思う。ここは今、この《アインクラッド》全階層を震撼させた《圏内事件》が発生した恐怖の街として有名だ。システム的な保護は確約されている《圏内》なのに殺人が起こってしまったのだから、それを行ったプレイヤーが居る可能性が高い階層に行きたくはないというのはよく分かる。明るい昼ならまだしも、闇夜に包まれた街中など殺して下さいと言っているようなものなのだから尚更だ。

 とは言え、そんな街の、しかも外にずっと立っている自分が言えるような事では無いのだが。

 現在、自分は《マーテン》の転移門に程近い宿の外で待機している。他には警備に当たっていた《風林火山》のメンバーと交代したリーダーのクラインの旦那、エギルの旦那、ユーちゃん、アーちゃんが居る。

 アーちゃんとユーちゃんは、丁度ヒースクリフの旦那を中心にヨルコ氏へ話を聞きに行こうとこの階層に転移した時に、まるで示し合わせたかのように見事なタイミングで転移してきて、合流した。どうやら旦那が言っていた別件とやらは片付いたらしい。アーちゃんに護衛が居たのは驚いたが、ヒースクリフの旦那が付けた人員だと聞けばそれも納得だった。

 両手剣使いのクラディール。《血盟騎士団》に関われば必ず一度は耳にする名前だ。何せ《片手剣》スキルを鍛えていく最中、ランダムで出現するエクストラスキル《両手剣》を第一層ボス攻略の時点で習得し、ボスと戦えるだけの熟練度にしていた剣士なのだから。ボスとの相性もあるし、本人の技量とレベルが極端に高いという訳では無いのでボス攻略に出ていない事もあるが、それでも有名な剣士ではある。一番最初の両手剣使いだからそれも当然だ。

 第一層の頃からヒースクリフの旦那と一緒に居たし、それを考えれば恐らく《血盟騎士団》の中でかなり信用を置かれていると言えるだろう。副団長の護衛とは言え、それを一人で努める事になっている事からも相当腕を買われている事が窺える。

 それはともかく、なし崩し的にクラディールも同行した別件というのは、キー坊からの救援要請だった。《アインクラッド解放軍》のサブリーダーであるシンカーが、キバオウの罠に掛かってディアベルも知り得ていない《黒鉄宮》地下に広がる迷宮の最奥に回廊結晶で閉じ込めたため、その救援に行く際の戦力を欲したらしかった。その大部分が、何故か一緒に行くと言い張って聞かなかったユイちゃんを護る人員を確保する為だったらしいのだが……

 しかしながら、道中で遭遇する敵の数、レベルから、ユイちゃんの護衛云々を抜きにして、結果的にはアーちゃん達が一緒に居て正解だった。最奥に潜んでいた第六十七層フロアボスと同名の死神ボスとの対峙はキー坊だけになったものの、そこに着くまでの道中の敵の勢いがとんでもなかったからだ。それをキー坊自身が認めていたらしいので、既に消耗し切っていたキー坊、ストレア、フィリアの三人では到底切り抜けられない規模だったのだろう。

 

「……そウ。ユイちゃん、居なくなっちゃったんだネ……」

 

 そして、一度は倒したものの、何故か即座に復活した死神の一撃から本来プレイヤーには無い筈の【不死属性】を以て彼を護り、極大の火焔剣を用いて屠った後、キー坊と二人きりで話したいと言った彼女が、もう居ない事も教えてもらった。

 キー坊の弁では記憶が戻ったからあるべき場所に帰ったらしいのだが、見るからに泣きそうな面持ちからは到底喜べない印象しか受けなかったため、ユイちゃんはともすれば自殺したのではないかとユーちゃんは予想しているらしい。この世界に一緒に来た筈の親兄弟が死亡した事も思い出した事で、心が耐えられず……義弟であるキー坊にのみ真実を話して自殺したのではないか、と。

 何故カーソルが無かったのか……一人だけ進行不可の障壁を超えられた理由、そして最後の最後は家族を護る為に【不死属性】とボスを一撃で屠る火焔剣を用いてキー坊を救った謎の少女ユイ。

 恐らくだが、彼女はキー坊にのみその全てを明かしたのだろう。その後はどういう経緯で姿を消したのかは知らないが、あまり良い展開は考えられない。

 プレイヤーにはあり得ない事象を孕んでいる事からも彼女は、ともすればこの世界をデスゲームに変えた存在の手先なのではとも考えてしまうが、キー坊を護っていた事やほんの僅かな触れ合いの間に感じた彼女の純粋さから、そんなあくどい事が出来るとも思えなかった。

 黒幕の手先なのか、あるいは彼女も自分達と同じように被害者なのかも分からない……その答えは恐らくキー坊が持っているのだろうが、正体が何であろうと義姉であった事に変わりは無いし、別れた事を哀しんでいるのも事実なのだから、この話はまだしない方がいいだろうと結論付けた。

 それでも何れは話して欲しいと思う。【不死属性】なんてあり得ないものが何故彼女にあったのか、それを知っている筈なのだから。茅場晶彦がデスゲーム化の黒幕では無い可能性がある以上、少しでもその手掛かりは欲しいと思う。

 最近の《アインクラッド》は本当に色々と起こり過ぎているのだ。現実世界にいる筈のキー坊の義姉リーファの来訪、シノンの不自然な登場の仕方と記憶喪失、ユイちゃんの正体、自分も聞いた事が無い経歴不詳の大剣使いストレア、闘技場のボス、キバオウの暴走、そしてこの《圏内事件》……一気にあらゆる事が起こり過ぎていて、情報が絶対的に不足しているのだから。

 

「キリトの野郎、大丈夫なのかよ……もし本当に死別したんなら最悪二度と復帰出来ないんじゃねェのか……」

 

 男性陣の中でも最古参のクラインが、逆立っている赤みがかった茶髪をガシガシと掻きながら言う。その表情からは心配、そしてもどかしいという二つの感情が見える。

 様々な経緯から人の死に触れて来たキー坊だが、護ると決めた身近な者の死はこれで二度目。一度目は《月夜の黒猫団》、そして今回が二度目だ。彼の性格上、関わりの無い者を巻き込む事は無いのだが、それに反してまでアーちゃんとユーちゃんという攻略組でもトップランクの実力者の力を借りた事からも、絶対に護り抜こうとした事が窺える。

 今回は恐らくユイちゃん自身の選択での死だろうが……義姉として触れ合っていた以上、その死は彼の心に重く響いた筈。最悪、それが原因で二度と復帰出来ない可能性も無きにしも非ずだ。

 あれであの子は繊細で、人が思っているよりも脆いのだから。

 

「……別れ際、哀しそうではあったけど微笑んではいたし、眼も死んでなかったから大丈夫だと思う……何かあったら来るって言ってたし……」

「キチンと会話が成立してたから……まだ、ギリギリ大丈夫なんじゃないかな……多分……」

「アー……」

 

 クリスマスイベントであの絶望の状態と比較して、どうやらギリギリ踏み止まっている段階だろうと二人は予想しているらしい。確かに記憶にある限り、本当に極限まで追い詰められたキー坊はそもそも会話が成り立たないし、眼も闇に閉ざされて死んでる状態になるから、それを考えればまだ大丈夫ではあるのだろう。少なくとも自殺まではしない筈だ。

 それに、今のキー坊には義姉のリーファも居る。彼女は血の繋がりこそ無いが、素性関係無く彼を義弟として大切に想っているのだ、その想いは確かにキー坊も理解している。

 

「ま、リーファっちも居るんだ、今頃泣きついて寝てるんじゃないかナ?」

「……あー……」

 

 恐慌を来した日はユーちゃんに泣きついて寝ていたらしいし、容易にその事が想像出来る。

 ユーちゃんも身に覚えがあるからかすぐに思い出したようで、恥ずかし気に頬を少し赤く染めた。どうやら彼女、キー坊の事を少し異性として気にしている部分があるらしい……今度このネタで強請ってやろうか。

 そんな事を考えていると、一緒に宿屋の外で警戒に当たっているエギルの旦那が腕を組んだまま、首を傾げた。

 

「リーファって言えば、確かあの金髪の嬢ちゃんだったか? ユイの嬢ちゃんを連れてたよな? キリトとあの子の関係は何なんだ?」

「そうそう、あの金髪で耳が尖った子……そういやエギルの旦那は知らないんだったカ? リーファっちはキー坊の義理の姉なんダゼ?」

「……リアルで待ってるって話じゃなかったか……?」

「別のVRMMO……確か《ALO》っていう妖精になって飛べる中々ハードなゲームをやってる内に、気付けば迷い込んでたらしイ。二週間くらい彷徨った末にキー坊と再会したって聞いたナ。キー坊も色々と混乱したらしいけど、一先ずその《ALO》っていうゲームのプログラムが《SAO》のそれとほぼ同じだから混線したせいじゃないかって考えてるらしいヨ」

「ほー……その分だと他にも居そうなモンだがなぁ……」

「今のところ、他に《妖精》らしき人影の情報は耳に入ってきてないヨ」

 

 エギルの旦那の呟きに、こちらは既に手を打っていると答えた。

 リーファの事をキー坊がメールで伝えて来た時に、他にも居るかも知れないからと情報収集を依頼されていたのだ。仮に居たらディアベル率いる《アインクラッド解放軍》に保護してもらうようにも頼まれている。自分としても、本来この世界に巻き込まれなかった者が死んでしまうのは嫌だったし、キー坊から頼まれた事もあって既に行動に移している。

 たった一日、二日程度でしかないが、それでもやらないだけマシだった。とは言え、自分の広い情報網を駆使しても、リーファと思しき第二十二層の噂以外で《妖精》の話は集まらなかったので、今のところは無駄骨に終わっている。いや、まぁ、事実を考えればリーファ以外は迷い込んでいないという事にもなるから、それはそれで喜べはする。

 問題は、何故リーファだけが迷い込んだのか、という事になるのだが。家族がSAOに巻き込まれたからというのは原因にならないし、ALOのプログラムがSAOのそれと同質だったなら他にも大勢のプレイヤーが迷い込んでいたとしてもおかしくない。なのに他には一切聞かないというのもおかしな話である。

 何だか意図的に巻き込まれた……そんな気がしてならない。闘技場に出て来たホロウの件もあるし……

 

 

 

「……やっと見つけた」

 

 

 

「「「「「……ん?」」」」」

 

 そう思考しながら警戒に当たっていると、ふとどこからか聞き慣れた声が聞こえて来て、宿屋の前に立っていた全員が揃って首を傾げた。

 しかしながら、声は聞こえてもその人物がどこにいるのかは分からず、キョロキョロと辺りを見回す。《索敵》スキルを用いても見つけられない。

 

「……キー坊なのカ……?」

 

 職業柄、《索敵》と《隠蔽》の熟練度はかなり前に完全習得している。熟練度最大の《索敵》スキルを使えば、同様に熟練度最大の《隠蔽》でハイディングしているプレイヤーでも大抵は見つけられるのだが、空間に違和感を覚えるのすらも無い事から余程ハイディングボーナスのある装備をしている事が分かる。

 《隠蔽》によるハイディングは、様々な要素が複雑に絡み合って隠蔽率という数値が上下し、数値が高いほどより見つけられにくいという特徴がある。特に夜闇で黒系の装備をしていれば、その数値は余程の事が無い限り九割以上を確実に維持出来る、身動ぎも無ければほぼ低下しない程だ。

 それくらい完璧なハイディングを行えるプレイヤーは、かの悪名高いPoHを除けば一人しか自分は知らない。

 それが《ビーター》と呼ばれるSAO最強の攻略組プレイヤー。またの名を、【黒の剣士】キリト。攻略組でも生粋のソロプレイヤーであり、あの《笑う棺桶》のアジトを自力で気付かれずに見つけ出した実績を持つ剣士だ。ちなみにその実績は自分しか知らない事である。

 果たして、名指しされたからか、それとも最初から明かすつもりだったのか、名前を呟いたのとほぼ同時に宿屋の正面の空間が揺らぎ、その揺らぎの中から小柄で華奢なプレイヤーが姿を現した。予想通りの黒尽くめ……フードを被っているから容貌こそ分からないが、頭上に表示されているプレイヤーネームが、その黒尽くめがキー坊なのだと示していた。

 姿を見せた彼は、両手でフードを払い除けた。そのフードの下からよく見知った顔が露わになる。

 覇気が薄く、とても戦えるような状態では無いと一目見ただけで分かるキー坊の顔には、色濃い哀しみを滲ませる微笑が浮かべられていた。

 

「キリト……もう、大丈夫なの……?」

「……少し、気になる事が出来た。その確認に来ただけだ……用が済めばすぐに帰る」

「そう…………気になる事って?」

 

 ユーちゃんが不安げに問うと、キー坊は視線をこちらから二階へと向けた。

 視線を辿った先の二階の窓は開かれており、そこからヨルコさんと思しき人影が見える。何か喋っているらしいが、システム的に余程の叫び声でなければ聞こえないようになっているので、窓が開いている状態でも外には声が漏れない。なので何を喋っているかは分からなかった。ちなみに、窓が開いていてもあそこから侵入する事は出来ない。

 現在はヒースクリフの旦那を初めとした件のメンバーが中に入って、彼女と話をしている所だが……何を話しているのだろうか? 

 

「窓の近くにいるのはヨルコさんか?」

「え? ……あ、うん、そうみたい。ヨルコさんがどうかし……?!」

 

 キー坊に問われ、ユーちゃんも視線を向けながら言っていた最中、唐突に窓からヨルコさんが身を乗り出した。いや、正確に言うなら背中から落ちて来た、だろうか。更にはその背中に短槍ギルティーソーンと同じような形状の短剣が刺さっているのも見えた。とにかく普通ならあり得ない事態に発展しようとしているのを目撃して、全員がギョッと目を見開く。

 その中で唯一、キー坊だけが動いた。その場で膝を折って、強く地面を蹴って跳び上がったのである。

 恐らく落ちて来るヨルコさんを受け止めようとしたのだろう……

 

「――――」

「……そ、ん……ナ」

 

 だが、間に合わなかった。跳び上がって彼女を受け止めようとしていたキー坊だったが、彼女の体を受け止めるよりも先に、彼女の体の方が無くなってしまったのである。蒼い結晶片が散り、再び《カインズ》氏の時のように、跡形も無く四散してしまった。

 当然ながら、彼女の体は無い。後には逆棘が生えた短剣が石畳の上にカシャンと音を立てて落ちているだけだった。

 そんな中、キー坊はそのまま落ちはせず、宿屋の壁を蹴って対面の家屋へと飛んで行った。一体何をとそれを見送れば、何と移動した先、家屋の屋根の上にはキー坊では無い黒コートの人影があった。位置的に丁度二階窓の対面だったので、もしかするとヨルコさんを殺した短剣を投げたのはあの黒コートなのかと思った、そう考えればキー坊がそちらへ向けて飛んで行ったのも頷ける話なのである。

 黒いフードを被っていて顔は見えないが、平均的な男性の身長はあるだろうその黒コートの人物へと迫ったキー坊は右手に禍々しい曲剣を出現させ、更に自身の左右に炎を噴き上げる戦輪を出現させた。迫る最中に炎輪が加速して黒コートへと先に向かい、追撃する形で家屋の屋根に着地したキー坊が走り出す。

 黒コートはそれを見ても慌てる様子も無く青い結晶……転移結晶を懐から取り出し、右手で掲げた。紅色の帯を引きながら飛ぶ二枚の戦輪は滑らかな軌道を描いて黒コートへと迫ったものの、体に直撃する寸前に紫色のパネル《アンチクリミナルコード》によって弾かれ、力なく街路へと落ちていく。

 

「チィ……ッ!」

 

 走って距離を詰める間にそれを見たキー坊は、立て続けに背後に旋風の中から六本の槍を出現させ、左手の小さな動きで一気に黒コートへと飛ばした。その六本は全て黒コートの体では無く掲げられた転移結晶を狙って飛んでいた。

 だが、その進行を妨げるように黒コートが左手を翳し、それと同時に右手に持っていた転移結晶が砕け散った。

 

「逃がすか……ッ!!!」

 

 結晶を使用した転移は、場所の特定、プレイヤーアカウントの特定、移動判定の発生、実行のプロセスを含むので二秒ほど、実際にその場から消えるまでにラグがある。そのラグの間に攻撃を受けると強制キャンセルになる事は有名で、特に攻略組の間では転移結晶を使用した撤退はタイミングとフォローをしっかりしなければ最悪死なので周知の事実。

 それを見て、このままでは逃げられると判断したキー坊は曲剣を思い切り振りかぶって投擲。超高速で回転する曲剣は凄まじい速度で迫ったものの、黒コートは軽くしゃがんでそれをやり過ごした。

 

「こ……のぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

 

 更に加速し、両手に黒色の湾曲した柄と金色の刃を持つ大鎌を出現させ、振りかぶりながら突進した。金色の刃には黒と白の茨を思わせるオーラが纏わり付いていた。

 そして刃の間合いに入り、空間を引き裂くように黄金色の大鎌が振るわれるが、一瞬間に合わず黒コートが蒼い光に包まれてしまう。本来斬ろうとしていた対象は既にいないため、大鎌の右薙ぎ一閃はただ空しく空を切るだけに終わった。

 

「う、わ、わ……ッ」

 

 大鎌の右薙ぎを盛大に空振ったキー坊は、屋根の上という不安定な足場という事もあって突進の勢いを殺し切れず、よろつき……足を踏み外して屋根から真っ逆さまに落ちようとしていた。

 

「キリトッ!!!」

 

 そこで最も早く動いたのがユーちゃんだった。彼女は【閃光】と呼ばれるアーちゃんよりは筋力値にステータスポイントを割り振っていた筈なのだが、彼女どころか敏捷値極振りの自分をも超えているのではないかと思える速度を叩き出し、地を蹴り、空気を叩いて疾駆していた。

 

「……速ェ……」

「……私より速くない……?」

 

 その余りの速さに、クラインとアーちゃんが唖然と言葉を漏らしていたが、自分も内心で全く同感だった。予想以上の速さに唖然として開いた口が塞がらない程である。

 自分達が唖然としている間にもユーちゃんは疾駆し、キー坊が屋根から落ちて――その間に武器は全て光に包まれて消えた――地面に激突する寸前でスライディングで真下に滑り込み、彼の小さな体をしっかりと横抱きで受け止めた。

 

「キリト、大丈夫?!」

「あ、ああ……」

「よ、良かった……でも、無茶しないでよ、相手は《圏内》でもPK出来る相手なんだからキリトが殺されちゃうかも知れなかったんだよ? それなのに一人で突っ込んで……目の前で人が死んだのを見て、頭に血が上るのも分からなくは無いけど、もっと自分を顧みてよ」

 

 キー坊を抱き留めたユーちゃんは、静かに怒気を発して説教を始めた。さっきのキー坊の行動は、確かに犯人を逃さない為と言えど性急過ぎたし、自身の危険を顧みていなかった。彼は地下迷宮最奥で遭遇した死神ボスとの戦いでも一度死に瀕していたらしいし、普段からずっと無理や無茶をし続けていたから、ユーちゃんも思う所があったのだろう。

 

「アルゴさん、今、キリト君が居ませんでしたか?!」

「ン? おお、ラーちゃんじゃないカ。キー坊ならあそこにいるヨ」

「……んなッ?!」

 

 二人のやり取りを眺めていると、ドタバタと慌ただしくラーちゃんが出て来た。その後に続くようにしてヒースクリフの旦那、ディアベル、サッちゃんが出て来た。どうやらシュミットとクラディールにはまだ中に居るように言っているらしい。

 それはともかく、ラーちゃんが慌ててキー坊の事を聞いて来たので、今も彼を横抱きにしたまま間近でお説教をしているユーちゃんを親指で指し示すと、面白いくらいあからさまな反応をして固まった。アーちゃんとサッちゃんも凄く微妙な表情で二人を凝視しており、そんな様子を一歩引いた所で紅の聖騎士と穹の騎士、侍と商人が温かな微笑みと共に見守っていた。

 

「ふむ、仲睦まじそうで何よりだ」

「確かに」

「これが見れるようになっただけでも良かったぜ、ホント……」

「一昔前では考えられなかった事だからなぁ……」

「……何でだろう。嬉しくはあるんだけど、素直に喜べない俺がいる」

 

 感慨深げに言う四人の声が聞こえたのか、ユーちゃんと揃ってこっちにやって来たキー坊が微妙な表情で四人を見上げながら言った。本人からすれば確かに微妙かも知れないが、今までの事を考えると、こういう光景が見れるようになっただけでも進歩である。

 というか、《ビーター》と呼ばれるようになった当初では全く考えられなかった事なので、自分達としてはとても嬉しい事だ。

 

「……ところでキリト君。話に聞いた限りでは休んでいる筈の君が、何故こうして此処に?」

 

 少し弛緩していた空気を切り替えるように、代表してヒースクリフの旦那が、地面に落ちてそのままだった逆棘のある黒い短剣を拾うキー坊に問い掛けた。

 彼はチラリとヒースクリフの旦那を見やり、短剣へと視線を戻し、次に宿の二階へと目を向ける。

 

「地下迷宮を進む中でアスナからある程度は話を聞いた……それから気になった事があったんだ、それを確かめる為に来たんだけど……遅かったな……」

「と言う事は、キリト君はヨルコさんに確かめたい事があったという事かい?」

「まぁ、他にも幾つかあるけど……シュミットは中に?」

「ああ。ヨルコさんが殺された瞬間を目の当たりにしたからね……随分怯えてしまってるよ」

「そうか……シュミットにも少し確認したい事があるんだ。悪いけど、その部屋まで案内してもらえるか?」

「あ、ああ、それは構わないが……」

 

 ハキハキと答えていくキー坊に、彼と話しているディアベルは少しタジタジとなっていた。たった今二つ目の《圏内殺人》が起こったのを目の当たりにしたにしてはいやに落ち着いているし、ヨルコさんに確認したい事があったと言えば次はシュミットに確認したい事があると言って、イマイチ要領が得ない。

 まぁ、キー坊の言動が無意味なんて事は無いし、これも何か考えがあっての事だとは分かるのだが……この子は一体何に気付いたのだろうか?

 疑問は残るが、今は訊いても教えてくれないだろうと分かっていたので、ディアベルは素直に彼をシュミットとクラディールが居る部屋へと案内した。ヨルコさんが死亡した今、最早外で警戒する意味も無いので、外に居たメンバーも中へと入っている。

 部屋の中では、ソファに腰掛けて頭を抱え震えているシュミットと、その彼を微妙な表情で見つめるクラディールが扉近くに立っているという構図が広がっていた。カタカタと体育会系のガタイを持つ重甲冑を装備している男が震えているのは、傍から見て微妙に不気味だった。まぁ、怯えているからなのは分かるのだが。

 

「……《ビーター》か……」

「アンタがヨルコさんやカインズ氏と一緒に《黄金林檎》に所属していたシュミットか……何度か攻略で顔を合わせた覚えはあるけど、その時とは違って今は随分と怯えてるな」

 

 部屋に入って来て、最初こそ黒いコートを視界に収めてビクリと震えたものの、それを着ているのがキー坊だと分かるや否やほっと息を吐いた。蔑称を口にするその気勢も、今は見る影も無く衰えてしまっている。

 そんな彼を見て、キー坊は何を思ったのか挑発紛いの言葉を放った。それを受け、シュミットは顔を背ける。

 

「……お前には分からんさ。ヨルコを殺したあのコートの奴が誰か分からない……いや、殺されるかも知れない恐怖が分からないお前にはな」

「随分な言い草だな、俺が常日頃から命を狙われている事を知らない訳が無いと思うんだけどな……まぁ、それはいいんだ。アンタには《グリムロック》の手掛かりについて話してもらいたい」

「……グリムロックの? 何故だ」

 

 訝しむように問うシュミットに、キー坊はメニューを操作し、ストレージに格納していた二つの武器を取り出した。どちらも黒く染められている武器で、短槍と短剣……逆棘の生えた、それぞれカインズ氏とヨルコさんが殺された際に使用された武器だった。

 キー坊はそれをシュミットの前のテーブルへと無造作に放る。ガシャガシャと無骨な音が響き、その武器が何か知っているシュミットがビクリを体を震わせた。キー坊はシュミットへと歩いて近寄り、自分達はそれを動かずに見守る。

 

「その短槍と短剣は、それぞれカインズ氏とヨルコさんの二人の殺害で利用されている。どちらも貫通属性による継続ダメージ判定が発生し、更には逆棘が付いているという対人戦闘を前提とした武器だ……同時に、この二つを鍛えたのは、《グリムロック》なんだよ」

「ッ……?!」

 

 どうやらさっき拾ってストレージに収める際に、キー坊は《鑑定》スキルを用いて武器を調べていたらしかった。彼も単独で行動している以上は未鑑定アイテムに遭遇するし、恐らくそれを考えて習得していたのだろう。

 しかしうっすらと予想はしていたが、あの短剣も《グリムロック》が鍛えたというのには驚いた。

 

「俺は《グリムロック》本人を知らない、人格も、どういう人となりでどんな事を好み厭うのかも知らない。だが少なくとも、二人の殺害に使用されたこの武器がどちらも《グリムロック》によるものであるというのは事実……貫通属性ダメージがモンスターには非有効的で、対人戦闘でこそ真価を発揮するというのはアンタも知っている筈。俺が言いたい事、分かるか?」

「……《グリムロック》が二人を殺す事に関わっている……?」

「可能性としては否定出来ないな。さっきの黒コートの人物が脅した可能性もあるし、あるいは《グリムロック》自身があの黒コートの人物なのかも知れない……とにかく、本人で無いならこの武器の作成依頼を誰がしたのか特定したい。だから《グリムロック》が居るだろう場所、あるいはよく訪れる店とかを教えて欲しい」

「…………」

「……シュミット?」

 

 答えを待っても返事が無い事に疑問を覚えたのか、キー坊は重甲冑を纏った男の肩を叩いて反応を得ようとするが、しかしシュミットは碌に反応しない。

 いや、カタカタと震えていた彼は、今はもうガタガタと更にその震えを大きくしていた。怯えがさっきよりも増しているのだ。

 

「……さっきの黒いコートの奴は、少なくとも《グリムロック》さんじゃない」

「何故そう言えるんだ?」

「あの人はもっと背が高いんだ。暗くて見え辛かったが……明らかにあの人より背が低かった、だから違う」

「なるほど……」

 

 この世界は作成アバターじゃないし、成長なんかも反映されないから身長が変わる事なんてあり得ない。それを踏まえればシュミットが言う事は確かな根拠と言えるだろう。キー坊もそれを理解したようで納得の表情で頷いていた。身長を引き合いに出されては違うと言うのも道理である。

 しかし、シュミットはそこで言葉を止めなかった。

 

「それに……あのコートは、グリセルダさんのなんだ……」

「……だから?」

「ヨルコの奴も言ってた……もしかしたら、リーダーが化けて出たんじゃないかって……自分を殺した奴を殺すまで、ギルドメンバーを殺して回るんじゃないかって……アイツは、死ぬ直前にそう言ってて、そしたら殺されて…………ああ、そういえば、あのコートの奴の背もリーダーぐらいだった。アレは、アレはリーダーが、グリセルダさんが化けて出たに違いないんだ、ははっ、幽霊なら《圏内》だろうと関係ないよな! 間接的とは言え俺も関わってるんだ、すぐに俺を殺しにやって来るに違いない!」

「……」

 

 殺されるかも知れないという恐怖、後ろ暗い過去、そして目の前でかつての仲間が《圏内》で殺されたという事実にシュミットの心が耐えられなくなったのか、狂ったように笑い声を上げながら言う。その様は痛々しく、思わず顔を顰めてしまう程だった。

 

「……くだらない」

 

 そこで、狂笑を上げるシュミットを無感情に見つめていたキー坊がポツリと漏らす。そして徐にテーブルに近付き、短槍を逆手で持ち上げ……勢いよくテーブルへと振り下ろした。ガンッ!!! と鈍い轟音を上げて、木製のテーブルに短槍が突き立てられ、紫色の【不死属性】を示すシステムメッセージがパネルに表示される。

 その音を聞いて、シュミットはひぃっ?! と怯え掠れた声を発した。

 

「今のはシステムメッセージだ、俺のこのアバターも宿の家具も、そしてこの槍と短剣も全てが量子演算機器による演算によって構成されているポリゴンの集まりだ。この仮想世界で、俺達が見聞きして、触れている全てがデータの集合体……ヨルコさんにカインズ氏……そして、俺の猛攻撃に対して圏内メッセージを出現させ、転移結晶で姿を晦ませたあの黒コートも、この世界でアバターを動かしている生きた人間、プレイヤーだ。仮にあの黒コートが幽霊だったなら、わざわざデータの武器や転移結晶に頼る必要性が無いし、意味も無い。システムに護られる筈も無い」

「……そんなの、分からないだろ! この世には誰も知らない事だってあるし、幽霊だって実在するかも知れないんだぞ! 俺や《黄金林檎》に恨みを持ってリーダーが化けて出た可能性だってある!」

 

 キー坊の理路整然とした言い分を、シュミットは感情的に恐怖から逃げるかのように怒鳴って言い返した。それに対し、キー坊は鼻で笑う。どこか、昏い瞳で眼前の男を哀れみ、見下すように見ながら。

 

「はっ、化けて出る? 恨みで? 怨霊になってか? それを俺に言うのか?」

「……何……?」

「《ビーター》と呼ばれ、レッドギルド《笑う棺桶》を率いたPoHよりも悪名高く、あのギルドのメンバーを半数以上を殺した俺に対して言うのかと、そう言ってるんだよ。本当に恨みで化けて出られるなら、俺なんて一体何百の死者を怨霊として見てないといけないと思っている。俺は《ビーター》だ、織斑の出来損ないだ、恨みなんてアンタ以上に買ってるんだよ。俺から言わせてもらえば滑稽としか言いようが無いな」

「な……お前ぇッ!!!」

 

 キー坊の言い様に一発で激昂したシュミットが、怒りの形相で立ち上がって掴み掛ろうとした。

 瞬間、キー坊はテーブルの上に置かれたままだった短剣を左の逆手で取り、迫り来るシュミットに神速で振るった。その武器が《圏内》でも殺し得る危険性を秘めた代物であると知っているシュミットは踏み止まろうとするが、それも遅く、黒い刃がシュミットの鎧を捉える。

 直後、ガァンッ! という破裂音と光が暗くなってきた来た室内を満たし、シュミットの大きな体が後ろへとふらつく。倒れるのを拒んだ彼の体の前には、《アンチクリミナルコード》を示す紫色のパネルが出現していた。

 それを見て固まるシュミットに、キー坊は黒い短剣を順手に持ち直して切っ先を向けた。

 

「良いか、これが現実だ。ここは《圏内》、そしてこの剣も俺が持てて、あんたの体を《アンチクリミナルコード》が保護している事を示すパネルが出現した事から、システムによってデータで構築された短剣である事は理解出来た筈だ。この剣は、このSAOでシステム的に認められたデータの集合体なんだよ。アンタは本当に幽霊だとかオカルト的存在が、この科学的な世界で、データの武器を使って復讐をしていると思うのか?」

「……可能性の一つとして、あるかも知れないだろう」

「無いな。断言しても良い。現実世界でならいざ知らず、このゼロと一の二進数でしか構成されていない極めて科学的な世界に、そんなオカルト的な存在は無い。アンタのそれは現実から目を逸らしているだけ、ただ逃げているだけだ。仮に怨霊が存在するとすれば、まず真っ先に俺を呪い殺しに来るだろう者を俺は一人知っている。この世界で誰が最も憎まれているのか、ともすればデスゲーム化させた者以上に憎悪されているのが誰なのか、それを知らない訳じゃない筈だ」

「……」

 

 逆棘が付いた黒い短剣を突き付けられたままの会話、それは終始、キー坊による激烈な主張が続いていた。シュミットの表情は苦み切ったもの、対するキー坊はどこか苛立ちを孕んだものだった。

 

「この《圏内事件》は、何らかの人為的なロジックが絡んでいると俺は睨んでいる。それが圏内PKを可能とする未知のスキルなのか、システム外スキルによるものなのか、あるいはバグを利用したものなのかはまだ分からない。だが、少なくとも幽霊なんてものは絶対あり得ないし、死んだ人間が戻って来る事も無い」

「……クリスマスイベントで、お前は蘇生アイテムを手に入れたと聞いたが」

 

 絞り出すような声で、シュミットはキー坊のトラウマとも言える事を口にした。ピク、と黒い短剣の切っ先が一瞬揺れる。

 

「ああ、アレか……アレは目の前で死んだプレイヤーを、十秒以内であれば蘇生出来るもの……過去の人間を蘇らせる訳じゃ無かった。故に、死んだ人間は還って来ない」

「……それを使っていれば、もしかするとヨルコを救えたかも知れない」

「かもな。だけどただの一時凌ぎだ。相手の出方はおろか目的すらも不明で、更には明らかに殺意を持って殺しに掛かっているのに、何も解決していない状態で蘇生しても意味が無い。大体碌に親しくも無い相手にそんな貴重な物を使おうとは思わないな」

「お前……ッ!」

 

 ぎり、とシュミットが歯軋りをする。それに対し、キー坊は目を眇めた。

 

「利己的な《ビーター》に何を都合の良い事を求めている。そもそも十秒間でも蘇生が可能なユニークアイテム、使うなら攻略に役立たない中層プレイヤーより、攻略組に所属している中でも柱とも言えるヒースクリフやアスナ達に使った方がまだ有意義だ。そんな事も分からないのか」

「ッ……親しい奴が居ないお前には、分からない事だ」

「…………」

 

 憎々しげに顔を歪めるシュミットが口にした事に、キー坊は一瞬目を伏せた。

 それも本当に一瞬で、次の瞬間には再び目を開き、相手を見下し挑発する《ビーター》としての顔に戻っていたが。

 

「そうだな。血の繋がった家族にすら捨てられた俺には永遠に分からない感情だろう。逆にあんたにも分からない筈だ、血の繋がった家族に捨てられた俺の想いは。お互い様だ」

「……」

「……話が逸れたな。つまるところ、俺はこの《圏内事件》は人為的にプレイヤーによって起こされたものだと考えている。そこには《黄金林檎》とこの短剣とそこの短槍を鍛えた《グリムロック》が絶対的に関与しているとも。だからシュミット、アンタには以前グリムロックが訪れていた場所や施設、《黄金林檎》に所属していたプレイヤーのスペルを全てを、宿部屋に備えられている羊皮紙に書いてもらいたい」

「…………良いだろう。だがグリムロックさんがよく訪れていた場所は一つしか知らないし、今もそこに行っているかは分からない、そこは忘れるなよ」

 

 キー坊の頼みを、そう前置きして受け入れたシュミットは部屋の隅に設置されている羽ペンを手に取り、同じく設置されていた羊皮紙にサラサラとペン先を流れるように走らせる。

 すぐに書き終えたそれを、シュミットはキー坊へしっかり手渡した。

 

「……これで、もう俺は用済みだろう。悪いが俺は本部へ帰らせてもらう……団長、副団長、構いませんか」

「うむ……クラディール君、君もシュミット君と共に本部へ戻りたまえ。彼が狙われている可能性が高い以上は一人で帰す訳にもいかない、護衛が必要だ」

「……了解、しました」

「シュミットさん、道中、気を付けて」

「はい……」

 

 ヒースクリフの旦那とアーちゃんに挨拶をし、部屋を退出する前にぺこりと礼をして、シュミットは帰途に就いた。それを追うように、不承不承という感じのクラディールも付いて行った。

 大剣使いが扉を閉め、暫く経っても部屋の中は沈黙が満ちていた。

 

「……行ったか」

 

 いやに落ち着かず、それでいて破る事が躊躇われる雰囲気の沈黙を最初に破ったのは、その雰囲気を出していたキー坊自身だった。やっと肩の力が抜けられる、と言わんばかりの面持ちで溜息を吐きながらそう口を開いて言った。

 

「ひ、冷や冷やしたぁ……何か久し振りに見た気がするよ、キリトの《ビーター》演出」

 

 それに釣られて一番に口を開いたのはユーちゃんだった、彼女もまた溜息を吐きながら安堵したように言う。

 《ビーター》として他者を見下し、挑発する利己的な言動を取るようにしているキー坊を見るのは決して初めてでは無い、むしろ第一層の頃からの付き合いなのだから最も長く見ていると言っても良いのだが、やはり素を見知っていると違和感を覚えてしまう。特に最近は攻略会議に出なくなっていて、ボス戦でしかほぼ見ない事もあってそれに拍車が掛かっている。

 まぁ、冷や冷やした原因はそれだけでは無い。彼のトラウマでもあるクリスマスイベントの蘇生アイテムの話、そして最たるトラウマであろう血族に捨てられた話が出たのだ、タブーとも言える話題が出たのだから彼の味方である自分達としては心中穏やかでは無かった。

 勿論あんな言い回しになっていた事にも理由があるのは分かっている。ここにはキー坊の事をよく知らないシュミットの他にクラディールも居たから、キー坊も《ビーター》の仮面を被らざるを得なかったのだ。それでも本当に冷や冷やさせられたが。

 

「と言うか、些かやり過ぎな感も否めなかったが……」

「まぁ、短剣で斬り掛かったのは多少やり過ぎたかなぁとは思ってるけど……あれくらいしないと説得出来そうに無かったんだよ。そもそも怨霊なんて本当に居る訳が無いだろうに……」

「そ、そうだよね……幽霊なんて居る訳無いわよ! うん!」

「……そういえばアーちゃんって、お化けとか苦手だったよネ」

「あー……第六十五層と第六十六層の攻略、アスナは結構休んでたっけな……」

 

 アーちゃんは親しい者であれば誰もが知るお化け嫌いなので、幽霊迷宮で有名な二つの階層の攻略は何かとつけて休んでいたという経歴がある。まぁ、普段が頑張り過ぎだったので団員からはこれを機に休んでくれと言われていたらしく、特に不満を持たれてはいないらしい。

 そんな事を思い出していると、それを断ち切るようにキー坊が、それはともかくと口を開いた。

 

「これで取りたい確認は全部取れた」

「……そういえばキリト君、宿に入る前にもそんな事を言ってたけど……結局君は何に気付いたの?」

「この中でヨルコさんとフレンド登録をしている人が居るなら、リストを確認してみるといい」

「……?」

 

 アーちゃんの問いに不明瞭で意図が分からない答えを返すキー坊。確認するも何も、既にさっき死亡したのだからフレンドリストにある彼女の名前もグレーになっているだろうと思いつつ、今朝の対話でフレンドになった自分と、昨日なっていたアーちゃんの二人でメニューを開いてリストを確認する。

 ズラッと並ぶフレンドリストの中から、割と新規で登録されて上の方にあった彼女の名前を発見する。その色はログアウト状態を示すグレー……では無く、ダイブ中を示す白、つまりは生存状態を維持していた。

 

「……え? 待って……ヨルコさん、まだ生きてる?!」

「え?! アスナ、それホントなの?! さっき明らかに死んでたよね?! 死亡エフェクトも見たし、姿も無くなってたし……」

「う、うん……キリト君、これは一体……?」

 

 動揺の中でアーちゃんが問い掛けると、キー坊はさっきとは違ってアッサリと話してくれた。

 彼がそもそもこの階層に来たきっかけは、カインズ氏が死亡した時に見たエフェクトが気掛かりだったかららしい。勿論最初から気付いた訳では無く、事件直後のヒースクリフの旦那を中心とした話し合いの最中に気が付いた事だったという。

 通常、プレイヤーやエネミーの死亡エフェクトとはアバターが発光してから蒼い結晶片へと散るが、カインズ氏の時は蒼い光に包まれ、更に周囲に欠片が散って姿が消えるという、かなりあべこべな上に不必要なエフェクトも混ざっていた。それが引っ掛かり、ヨルコさんが狙われている可能性があるとアーちゃんから伝え聞いた彼は、一度ホームへリーファっち達と共に戻った後、こちらへ向かって来た。目的はヨルコさんが死ぬときのエフェクトを見る、あるいはフレンドリストを見せてもらったカインズ氏が本当に死んでいるかを確認する事。

 ただし、後者は強情に拒否される可能性が高い。そのため死亡時のエフェクトを見る事にした。それでも本当に死んでしまう可能性があるのだから護ろうとは思っていた……のだが、そもそも気を付けようとした矢先に事が起こってしまったため、次は黒フードの人物を捕えようと躍起になった。結局それにも失敗したのだが。

 結局はヨルコさんのアバターを包むエフェクトを見て目的は達して、ほぼ確信を持てた。

 しかしまだ確証を得た訳では無いので、今度は《指輪事件》に関わりがあるシュミットに揺さぶりを掛け、手掛かりとなる情報……すなわち《黄金林檎》メンバーのスペル一覧と、グリムロックが行き付けだった店の情報を入手する事にした。

 

「ただ、俺が本当に必要としていたのはメンバー八人の内、たった一人のスペルだったんだけどな。で、これを見て確信した」

 

 それが何なのか気になると、それを見越したかのようにこちらにシュミットが情報を書いた羊皮紙を差し出してきた。それを受け取り、皆で目を通す。

 

「……特におかしなところは無いけど……」

「《Gliselda》、《Glimlock》、《Yolko》、《Caynz》……ん? あれ? 姉ちゃん、ヨルコさんから聞いてたカインズさんのスペルって、これで合ってたっけ? 確かKがイニシャルになってなかった?」

「……そうね、確かにそうだったわ。これは一体どういう事……? もしかして、キリト君が必要としていた情報はこれなんですか?」

「ああ」

 

 五文字中三文字もスペルが異なり、更にはイニシャルまで異なっている事から、恐らくはヨルコさんが故意で違うスペルを教えて来たのだと考えられる。しかしながら、その意図が不明。

 キー坊はカインズ氏の死亡エフェクトに疑念を抱いた時点で、既にヨルコさんが何か絡んでいると睨んでいた。そもそも食事に来たのに圏外へ行っている筈も無いし、人と一緒なのだからデュエルを受ける筈も無い、更にはそんなカインズ氏からヨルコさんが離れるのも土台不自然な話。そのため、割と早い段階で彼女が《圏内事件》に噛んでいると既に予測を立てていた。

 しかしながら《カインズ》というプレイヤーが死亡しているのは、《黒鉄宮》にある《生命の碑》でも既に確認済み。そこが唯一引っ掛かっていたのだが、その謎を解く手掛かりとなったのが昨日の晩にあった《アインクラッド解放軍》の徴税部隊とのやり取り。その中でキー坊は、当初読みは同じだがスペルが違う別のキリトと判断されていたらしい。

 この世界ではスペルが全て同じプレイヤーは一人として存在しないが、スペルこそ違えど読みが同じプレイヤーが存在する。

 ならば、もしかするとヨルコさんは、正にそのパターンの別人のスペルを教えて来たのではないかと考えた。となれば、このKがイニシャルのカインズ氏が死亡した時間、死亡原因に合わせて《圏内事件》を演出したのではないか。そう考えると、全てに辻褄が合って来る。

 ここでシュミットが書いたスペルを確認するまでは確証が無かったため話さなかったが、確認が取れたのでヨルコさんは恐らく黒、そして同様の消え方をした事から十中八九カインズ氏も黒で生存していると確信し、こうして話す事にしたのだという。

 つまり、まず間違いなく《圏内事件》とは見た目だけのブラフであり、実際には誰一人として死んでない虚構の騒動。あの二人が引き起こしただけの演出であるという事だ。

 

「恐らくあの二人は長らく連絡を取ってなかった《グリムロック》に接触して、今回のこの武器作成を依頼したんだろう」

「……じゃあ、さっきの黒いコートの人って……」

「まず間違いなくカインズ氏だろうな。で、必然的にカインズ氏死亡事件の時に見たっていうヨルコさんの発言は虚偽だろう、俺の看破をやり過ごせられる程のやり手とも思えないし」

「なるほど……って、ちょ、ちょっと待って下さい。そうなると色々と前提が狂って来るんですが。私達は《圏内事件》の犯人はグリムロックさん、《指輪事件》の犯人はそれ以外だと考えていたんですが、《圏内事件》があのお二人による仕業だとなると……《指輪事件》の犯人は誰になるんでしょうか?」

「俺は十中八九グリムロックだと思ってる。直接手を下してはいなくとも、シュミットを唆したのは間違いなくあの鍛冶師だろう。そうでないと、結婚してるグリセルダさんが死亡した後、指輪がどこにいったのかっていう話になる」

「……ああ……これは盲点だったな……」

「えーっト……どういう事なんダ……?」

 

 キー坊が唐突に口にした《結婚》がどう関係しているのか分からず首を捻っていると、唯一ヒースクリフの旦那がその意味を理解したようで納得の声を上げた。

 何なのだと思いつつ、キー坊に意味の説明を目で求めると、彼は少し考える素振りをしてから口を開いた。

 

「そもそも男女比が崩れてるSAOでは知られてないんだけど……システム的に《結婚》した男女は、当然現実と同様に《離婚》も考えられてる。で、そもそもこの《結婚》システムは実行する時点で多大な覚悟を求められる。何せアイテムストレージが一つに統合され、更にはステータスを相手にも見えるようになるからだ。今回、俺はそこに《指輪事件》の真相があるんじゃないかと思ってる」

「《離婚》が成立するには両者が合意の上でのアイテム分配、分配をランダムで相手と自分の割合を五分五分にする方法、そして相手百自分零の割合で強制的に離婚するという、合計三つの手段が存在する。そして……死別の場合もこの三つ目の内容に該当する。すなわち生き残った方に、死んだプレイヤーの私物を含めて全アイテムが移動するのだ」

「グリセルダさんが死亡したのは就寝しているであろう深夜、つまりその人が件の指輪を装備していない限りは死んだらグリムロックの方に指輪が移動する。装備していた場合はその場に落ちるけど、指輪スロットはSAOでは左右合わせて二つ、結婚している人って結婚指輪っていうものをするらしいから残りは一つだけど、ギルドリーダーだからギルドの印章をしている筈。これで両手とも埋まってるから件の指輪をしている筈が無い……つまり、死別した時点で指輪はグリムロックの所有物として移動している筈なんだ」

「「「「「あ……ああああああッ?!」」」」」

 

 確かに、言われてみればそうだ。《離婚》はおろか《結婚》した経験があるプレイヤーなんて一人も会った事が無かったから気付かなかったが、これを知っていると、確かに前提として色々と不自然だ。

 一先ずキー坊はシュミットが何をしていたか知らないのでそれも伝え、その上でどうなのか考えてもらうと、やはりグリムロックが犯人の可能性が一番高いらしい。ただ疑問として残るのは、何故グリセルダさんを殺したりしたのかという事なのだが。奥さんを殺したいと憎く思っていたのなら別だが、ヨルコさん達の話から察するに結構な愛妻家だった感じだし、シュミットも信用している節があったから考えにくい事だった。

 まぁ、キー坊から言わせれば、人間なんて分からないものらしいが。

 

「……では、これからどうするかね? もう《圏内事件》は解決したも同然だが……」

「ヨルコさんもバレたって気付いてるだろうし、そもそも《黒鉄宮》に確認に行ったらあの人の場合はスペルに間違いが無いんだから生きてるって分かる。多分明日にでも謝罪に来るだろうし、発表はそれからでも良いんじゃないかな」

「なるほど。じゃあそうしましょうか…………それにしてもキリト君、疲労困憊なのによく来る気になったね? リーファちゃんと一緒に休んでるものかと思ってたんだけど」

「気になって寝付けなかったんだよ……それにヨルコさんの死亡エフェクトを見逃したら確信を得る材料を一つ喪っていた訳だから、無理を押してでも確認を取りたかったんだ。シュミットも本当に殺されたら、もうどうしようもなかったし」

「そっか……でもキリト、さっき黒コートを捕まえようと飛び出したのは本当に無謀だったんだよ? 今度同じ事をやったらお仕置きだからね?」

「……気を付けます……」

 

 ある程度の方針が定まった後、後の事はヨルコさん達に任せようと決まって自然解散となった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 何と今話では二万五千文字に達しています……会話文が多いですが、見逃して頂けたら嬉しいです。そこまで内容も濃くないですしね。

 それでも、今話は原作《圏内事件》に対する色々な矛盾点や疑問点を駆使して、キリトに推測を立ててもらっています。これを読んで、そういえばと思って下されば嬉しいです。

 実際、結婚指輪とギルドの印章を最初から出していて、更に《結婚》システムについて知ってる人がいたら速攻で解決したんじゃないかなと思っていたりします。後はそこにシュミットの自白が合わさればパーフェクトでしょう。

 書いてて思った事……これは原作者が黒歴史って言うのも分かるわぁ……すげぇ書き辛いし、矛盾点一杯過ぎてお腹一杯です。

 まぁ、そこそこ面白いんですが。

 ちなみにですが、まだ《圏内事件》は終わりではありませんので。多分次か、その次で終わりですかね。遅くともそれくらいで終わるでしょう、文字数的に、多分。

 モチベーションが乗っていたら面白く書けるかと……目指すは地下迷宮の戦闘描写レベルです。

 感想や評価、批判、誤字訂正、お待ちしてます。

 では!


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