インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

43 / 446


 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話はタイトルにある通り、シノンがメインです。前半シノン視点、後半キリト視点。

 Fate要素を抜かしているのでアルキメデスの辺りが抜けてますが、こちらはそこまで影響が無いです。

 文字数は二万六千程。

 ではどうぞ。




第四十章 ~弓使いの心~

 

 

 キリトの助力を前提にクエストを受ける事を決め、準備を整えてから第二十五層へ赴いた私達は、クエストを受けてからおよそ一時間後、目的地と思しき場所に到着した。

 場所は驚いた事に、攻略のヒントとなる情報のクエストという訳でも無いのに第二十五層の迷宮区塔の一角だった。これにはキリトも少々驚いていた。

 

「当時どうやってもここは開かなかったから印象に残ってた扉がコレだ。心当たりと言えばこれしかないから、恐らく此処だとは思うが……」

 

 クエストを受注して正確に場所を教えてもらって来られた訳ではなく、ヒントとなる言葉を基にキリトが第二十五層の迷宮区攻略中に引っ掛かった事の記憶やアルゴが増版してる階層攻略編の攻略本を読み返して当たりを付けて、この場所に来たのだ。

 このクエストを受けた時、件のNPC店長から綺麗な翡翠色の宝石が嵌め込まれた首飾りを借り受けている、それは該当する扉に近付けば呼応して互いに輝くというもので、実際に当たりなのかを判断するためのクエストキーアイテムだった。何でも封印を解く古代の魔導具なのだとか、互いに対となっている古代の封印魔法を、解呪魔法が封じ込まれた首飾りによって解く事で、決して開かない扉を開けるようにするらしい。

 余談だが、クエストキーアイテムとは言えアイテム扱いだからか、一応お店で売れてしまえるようだった。まぁ、クエスト以外で有用性が無い事から設定された価格は基本的に低い上に、実際に売ってしまうとクエストを進める事が出来なくなるからやってはいけないのだが。稀に纏めてアイテムを売る際に誤って売却してしまう人がいるらしい。

 そんな訳で準備をしている時は注意しつつ、私は迷宮区で十数回の戦闘を経て弓の感覚を慣らしながら、首から首飾りを下げていた。

 その首飾りは、私が閉じたままの扉に近付く事でぽう、と輝いた。

 直後、翡翠色の宝石から光が迸って扉に放たれて接触、一瞬の間を置いて紫色の文様が浮かんだと思ったらガラスの破砕音と共に粉々に砕け散った。

 

「当たりだったみたいね。それにしても、一年近く前に攻略した場所の事をよく覚えてたわね」

 

 私だったら一年前に通った道や洞窟の事なんて覚えていないだろうし、その自信がある。そもそもここがそうなのでは、と当たりを付ける事すら出来ずに時間を掛けてしまっていたに違いない。

 感心と共にキリトにそう言えば、彼は微苦笑を浮かべて肩を竦めた。

 

「第一クォーターと言うだけあって、ここのモンスターには少しばかり煮え湯を飲まされた苦い思い出があってな。それに、シノンにはユリエールとの対談の際に幾らか話したと思うが、攻略関連のデータ収集は半ば俺の専売特許、それはつまり迷宮区塔の隅から隅までを探索しているのは俺という事を意味する。何故扉が開かないのか、何か踏んでいないフラグでもあるのか、あるいは迷宮区塔のどこかに開けるための隠しスイッチがあるのか、あらゆる可能性を考慮し、それらを虱潰しに検証しなければならなかった……今は開かないと結論に至るまでに、アルゴと出来る限りの全力を傾け丸二日を掛けて調査もしたんだ。切っ掛けさえあれば嫌でも思い出す」

 

 余程苦慮していたのだろう、当時の事を思い出して憂鬱そうに溜め息を吐くキリトからは得も言われぬ哀愁というものが漂っていた。どうやら《アインクラッド解放軍》が半壊させられ、悪夢とまで称された程のボス戦だけでなく、キリトなりに個人的に思うところがある階層でもあるらしい。

 暫く憂鬱そうに瞑目していたキリトは、ふと隣で苦笑する私を見上げてきた。

 

「それより、クエストだ。此処の部屋に件の宝石が安置されているのはまず間違い無い……準備は良いか? 恐らく前衛後衛のチュートリアルのような戦闘が挟まると思うし、ここに来るまで戦ったモンスターより幾らか強いのはほぼ間違いない」

「そうね……」

 

 最初の素材を納入して入手した《弓》カテゴリの武器【白樫の弓】。そしてそれを報酬として得たと同時に習得した、恐らくユニークスキルである《弓術》という武器スキル。目的の部屋に来るまでに十数度の戦闘を挟み、それらの具合は確かめ終えている。

 その感想では、少々癖が強いな、というものだった。狙ったところに上手く射る事が出来たのは六割あるかないかだ、現状使えるソードスキルも一つだけな上に単発、外してしまったら硬直があって隙だらけ。何度かそこを狙われもした、まぁ、それはキリトが私に危機感を促す為にわざと討ち洩らしていただけですぐに対応してくれたのだが。

 しかも狙ったところに命中させられないという事は、前衛のキリトを後ろからプスリとやってしまうという事である。実際に何度かそういう事があった。

 まぁ、何故かその度に警告する寸前で気付いて矢を避けているが。本気で頭の後ろに目があるんじゃないかと思うくらいの超反応にはキリトの常軌を逸した行いに慣れて来たと言えど流石にドン引いた。何で出来るのかと問えば、第六感、と間髪入れず即座に真顔で返されて五秒は絶句してしまった。

 もうアレだ、キリトを戦闘関連で馬鹿にする輩は本当に見る目が無いと思う。現代の、しかも年端も行かない子供が第六感で身の危険を感じる程に経験を積んでいるなど時代錯誤も良いところだ。

 というかキリトは生まれてくる時代を間違えた気がしないでもない。

 

「……シノン? どうしたんだ?」

 

 ぐるぐると、何時の間にかキリトの事を考えて黙っていると、心配になったのか、小首を傾げながらキリトが私の顔を覗き見て来た。彼の綺麗で艶やかな黒髪がはらりと揺れ、水晶を思わせる黒い瞳にはうっすらと私の顔が映っていた。

 自分を見下し虐げてくる者達に対した時の傲岸不遜な様で振る舞う《ビーター》としてでは無く、幼く、あどけなく、純朴さを感じさせる素のキリトの顔が、目の前に広がっていた。

 

 

 

 ――――シノンを護る剣となろう

 

 

 

 キリトの顔を見ていると、およそ一時間前にキリリと毅然とした凛々しい表情で、真剣な面持ちで、本気で言っているのだと分かる声音で私を護ると言った時の情景が脳裏に蘇る。

 私が記憶を取り戻した事は教えてないから、きっとキリトにとって、私の過去など関係なくて、護る事を当たり前と考えて言っていたのだと思う。

 それが、護ると言ってくれた事が私にとってどれだけの意味を持つか、それを知る由も無いから仕方ない事だとは思うが……あの時、私は不覚にも胸をときめかせてしまった。

 期待、したのだ。彼の言葉に、彼の態度に、信念に……私を裏切らないのではないか、と。

 意図してでは無いとは言え、かつて私は人を殺した。

 真っ黒で硬質で重厚な拳銃を強盗から奪って発砲した事でその命を奪った。その殺人は報道でこそ銃の暴発とされ私の名前はおろか存在すら挙がりはしなかったものの、噂として殺人を犯した事は知れ渡った。

 それから私の手を握ってくれる人は居なかった。私が銀行強盗から守ろうとした実母にすら触れさせていない。そして殺人経験を持つ事を知った者達は――実母と親戚の祖父母を除いて――私に肌を触れさせようとはせず、近寄らせようともしなかった、『血が付く』等と言って。

 その癖蹴ったり叩いて来たりと散々してくれたが反撃はしなかった。しても意味は無いと幼心に理解していたからしなかった、仮にしていたらもっと酷くなっていた事は想像に難くない。

 故に私は排他されるのを甘んじて受け、同時に私は他人を拒絶した。ただの一人も私の事を気に掛けず、人殺しと罵り、嘲り、それまで幾らかの交流があった者達すらも掌を返したからだ。

 だから私は本質的に人を信じずに生きていた。記憶が戻ってからもこの事は一切話していない、それは私に親しくしてくれているアスナ達に話したらすぐに離れていってしまうのではと恐れているからだ。心の底からは彼女達の事を信じていないのである。

 だが、そんな私でも信じていいかもと揺さぶる存在が居る。

 それが、キリト。

 彼の来歴は、彼自身の口からも、彼の身の回りにいる者達からも、それ以外の者達からも、情報雑誌でも見聞きして知っている。彼が恐らくはSAOで最もPK……殺人を行ったプレイヤーである事、仲間を目の前で守れず死なせてしまった事、自殺させてしまった事も、全て知っている。

 無論本当に全てを知っている訳では無い、というか彼が裏でしている事を完全に把握し切れているものなど居ないだろう、恐らくはあの情報通の女性すらも欺いて隠している事がある筈だ。

 傍から見れば、凶行を繰り返す彼は絶対悪の存在だろう。だが事情を知り、あるいはよくよく状況を俯瞰すれば彼の行動は必要悪だ。

 護る為に人を殺す。護る為の手段として恐ろしい殺人を行わなければならないなら、必要があるなら彼はその選択を取る、より確実性を期して。そこに幾らかの私情や私欲はあるだろう、護りたいという想い故の。

 だがそれだけでは無い、彼の行動の主軸は全て他者のためなのだ。

 それはどこか歪で、自己犠牲に溢れている愚かな行為に映るだろうが……とても、とても私に似ていた。

 私とて母を護るために銀行強盗から拳銃を奪い、そして発砲した、その結果殺人を犯してしまったがそれ自体を後悔してはいない。少なくとも今は。

 護る為に人を殺し、それを責められている彼と私。違いは、アスナ達のような理解者が彼には居たが、私には居なかった事。もしかしたら話しても大丈夫なのでは、とは幾度も考えているものの、やはり恐ろしいと感じて話すのを躊躇って今に至る。

 それでも、それでも似た境遇のキリトなら……信じてもいいのではないかと、そう思うようになってきていた。

 そこに来て、私を護ると本気で言っていると分かる宣言、それは言葉も相俟って騎士の宣誓にも思えた。

 天然なのだろう、ただ彼は私を護ると誓っていただけなのだから。鍛えて欲しいという言葉をしっかり受け止めてくれて、ずっとそれを続けてくれている、迷惑も掛け続けているのにそれを気にしないでいてくれる。

 キリトなら、私を本当に守ってくれるのではと、そう思える。

 

「……いいえ、何でもないわ……」

 

 キリトの心配そうな顔に微笑を返し、首を横に振る。

 暫く彼は訝しげに見て来ていたが実際に現状で苦悩しているという訳でも無いので、特に何かに気付いた風も無く、そうかと言って追及の手を出さなかった。

 

「……そういえば、少し気になっていたのだけど」

「ん?」

「あなた、普段と口調が違ってない? ここには私しか居ないんだし、何時もだったらもっと柔らかい口調になるのにずっと堅苦しいわよ?」

「…………ああ……」

 

 微妙になった空気を変え緊張を和らげるつもりで私は話を振った。実際、ここに来るまで少し気になっていたのだ、何時もならもう少し柔らかい口調なのに戻っていないなと思っていた。

 彼は言われてすぐには分からなかったようで、最初こそ小首を傾げて不思議そうな顔をしたが、すぐに気付いたようで納得の表情を浮かべた。

 

「そういえば、シノンは俺のこの状態について深くは知らなかったな。俺はダンジョンに潜っている間は基本的にこの口調だ。アスナ達と会話している時は若干和らぐ事もあるが、それも安全領域といったダンジョン内での《圏内》領域くらいなものだ。だから今もこの口調なのは別段おかしくないんだが……まぁ、普段の俺を見慣れてるから違和感を覚えてもおかしくはないか」

 

 そう苦笑しながら言って肩を竦めた後、キリトは表情を改めた。

 

「さて……ところで、そろそろどうする? 入るか?」

 

 話を変える……と言うよりは戻すようにキリトは言ってきた。そういえば部屋に入る準備は大丈夫かと問われたのだった、随分と脱線させてしまった。

 言われ、私は後ろ腰のポーチの中身を確かめた。中には淡い翡翠色の液体が詰まった小さな小瓶が三本、それから緑、黄、赤、青と色取り取りの掌サイズの六面柱結晶体が二個ずつ詰まっていた。

 筋力値の上昇に従って所持容量が増大するストレージにアイテムを入れられるため、戦闘中に手持ちのアイテムが少なくなるというのは現実と違った利点だが、回復のためにいちいちストレージを開き、目的のアイテムを探し、取り出しといった作業を挟んでいては隙だらけに過ぎる。なので腰のベルトにポーチを付け、それに緊急時に使用するアイテムを入れておくよう指導されていた。

 翡翠色の液体が入れられた小瓶、これはキリトが支給してくれている回復ポーションだ。飲むだけで最大HPの七割を即時回復させ、更には三分間持続のHP六割自然回復バフを付与するという途轍もない最高回復力を持つ《グランポーション》と呼ばれるもの。

 ちなみに、一応市場に出回っている種類ではあるが、キリトが渡してくれたこれは市販のそれより回復量が地味に高かったりする。市販のものは即時回復量が六割なのだ。

 聞けば腕利きの《調薬》スキル持ちがエギルさんの店に納入し、それを購入し、渡してくれているらしい。更に言えば、その腕利きの《調薬》スキル持ちに素材を渡しているのはキリトだとか。巡り巡ってという訳だ。

 ポーチの中に入っている結晶体で、緑は解毒、黄は解痺、赤が部位欠損を回復する回損結晶、青が緊急脱出用の転移結晶だ。ポーションで状態異常関連のものは即時回復では無く、効果時間短縮と受ける確率を下げる効果で、耐性スキルや装備と併用しないと効果は薄いと言われたのでストレージに入れている。

 転移結晶に関しては一個でもいいのではと思ったのだが、使おうとした時に落としたら終わりなので、もう一個入れておいた方が良いと言われ、それに従っている。戦闘に関してキリトには基本逆らわない。一応……と言うか、正真正銘の師匠に当たるのだし、キチンと理由があるからだ。

 それらをしっかり個数確認して、視界左上にある自分のHPもフル状態なのを確認してから、私はキリトの目を見返してしっかり頷いた。

 

「ええ、大丈夫そう。無駄話してごめんなさいね」

「いや、構わないよ。それに良い具合に緊張も解れただろう?」

「……そうね」

 

 確かに、ここに来るまでに慣れない戦闘で多少気を張っていた感はある、事実キリトに当てやしないかと考えていたのだし。そこから多少脱線していたが。

 

「じゃあ行きましょう」

「ああ。注意しながら同時に入るぞ、片方が入った途端分断される可能性もある」

 

 やはりダンジョンアタックに慣れているからだろう、キリトがそう忠告しながら、弓に矢を番えながら部屋に入る私と同じタイミングでエリュシデータを構えながら部屋に足を踏み入れた。

 部屋は長方形の形をしていた。部屋の間取りは高さ二十メートル、奥行き三十メートル、横の長さは五十メートルはあった。扉は長辺の方にあったという訳だ。

 その入り口から見て左側には天井にギリギリ届いていない高さの柱があり、その天辺辺りで何かがキラリ瞬く。目を凝らしてみれば、金属の装飾に嵌め込まれた宝石が柱から吊り下げられるように安置されているのが見えた。

 そしてその対面、つまり入り口から見て右側の壁寄りの所には五、六メートルほどの高台らしきものがあった。梯子だとかは無く、どうやら階段状になっている小さな出っ張りに足を掛け、登っていく原始的なタイプらしい。

 入り口以外に扉は無かった。

 大体何となく予想は付くが、一先ず確認と言ってキリトは宝石が掛けられている柱の方に寄って登れるか試した。しかし、彼が柱を上る為の出っ張りなど無く、ならばと助走を付けて忍者よろしく壁走りで駆け上がろうとして……【進入不可領域】という紫色のシステムメッセージパネルに足を弾かれ、宙に放り出された。

 弾かれてすぐに身を翻し、空中で態勢を整えた彼は綺麗に床に足を付けて着地。それから私に顔を向けて来た。

 

「……多分だけど、あの高台から狙えって事よね、これ」

「だろうな。いけそうか? と言うか、まず見えるか?」

「ちょっと登ってみるわ」

 

 この世界では視力と言うより世界の適応力によって感覚の補正が働くので、流石にそれはやってみないと分からないと言って、キリトに一声掛けてから高台に上る。

 こういう時スカートじゃなくてよかったなと思った。

 高台の上はおよそ一メートルの真円程度の足場しか無かった。腰を掛けたり、直立するなら問題無いが、まともな回避行動など取れないだろう。弓に矢を番える程度であれば全く問題無いが。

 

「どうだ? いけそうか?」

「……ギリギリいけるかも、といった所ね。矢に限りは無いのにものを言わせて数で補ったらすぐに当たると思う」

 

 レベル33の私のスキルスロットは九つ。

 それを私は《短剣》、《弓術》、《体術》、《武器防御》、《疾走》、《索敵》、《隠蔽》、《鷹の眼》、《戦闘時自動回復》という九つで埋めていた。

 《戦闘時自動回復》スキルは本来かなりの頻度でHPゲージが赤色にならなければ習得し得ない筈なのだが、何故か私は最初から出現していたので習得している。

 《鷹の目》スキルは副次系に分類されるパッシブ系スキルで、暗視効果の他、フォーカス範囲領域の拡大や《索敵》スキルの効果範囲増大及び効果上昇など、主に視覚系に複数のプラス補正を掛けてくれるスキルだ。《索敵》スキルを鍛えていると出現する事があるエクストラスキルらしく、出現確率は熟練度の高さに比例するという。私の場合、鍛え始めたばかりで出たので、相当運がよかったという事だ。

 お陰で距離が離れていてもフォーカスを当てれば見えやすい状態になっているので、狙いを付けやすくて助かっている。柱に掛けられている宝石も何とか可視範囲内にあるという状態だ。

 矢鱈キラキラ光って見えるのは、恐らく《鷹の目》を習得していない場合を考えてのものだろう。

 

「ん……」

 

 いざ矢を射るとなると、やはり難しいと言わざるを得ないのである程度狙いを付ける。これを繰り返していくことで誤差を修正し、命中率を上げていく事が出来るからだ。

 キリトもそれが分かっているので私に声を掛けないで、狙いを付けるのを見守ってくれていた。

 引き絞っていた矢から右手を放し、ヒュッ、と鋭く風を切る音を上げながら僅かに山なりで飛翔した矢は、残念ながら十センチほど横にズレてしまった。

 

「……難しいわね……」

「ソードスキルを使ったらどうだろう。確か直線状に射るから狙いやすくなるんじゃないかな」

「なるほど……その手があったか」

 

 現在私が習得している《弓術》ソードスキルは一つ、《ウィークネスショット》だけだ。

 直立で弓を縦に構え、番えた矢を強く引き絞った姿勢を維持する事でスキルが立ち上がる、単発ソードスキル。狙い澄ました場所へ目掛けて直進する矢を一発放つだけだが、目や頭部、喉といったクリティカルポイントに当たるとダメージ倍率が跳ね上がるというスキルである。

 通常の矢は物理法則に従って山なりに落ちるので、それを計算して少々上気味に矢を放たなければならないが、ソードスキルに関しては物理法則無視なのか直進する。

 故によく狙えば当たる訳で……

 提案通り、真紅の光を帯びた矢がまっすぐ飛んでいき、一発で宝石に当たり、床に落ちた。

 

「やった!」

 

 

 

「なっ、しま……ッ!」

 

 

 

 思わず喜びの声を上げるのと、キリトの驚きの声が上がるのは同時だった。しかし、何故キリトが驚くと思って下を見て……

 

「……え?」

 

 床には、どこにもキリトが居なかった。淡い青の光が散ったところだった。

 

「キリト?!」

 

 慌てて高台から降りて周囲を探すが、キリトの姿はどこにもない。

 部屋の扉が何故か閉まってしまっているが、迷宮区の扉というものは基本的に開けたらもう閉められないと聞いているから、多分システム的なものなのだろうと判断した。

 それにさっきの声はすぐ足元で聞こえたのだ、部屋から出て行ったとは思えない。

 もしかしたら何か仕掛けが発動し、分断されてしまったのかも知れない。なら出来るだけ早く合流した方が良い。

 

 

 

『グガアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 

 

 

 クエストキーアイテムの宝石を回収しようかなと考えたその時、凄まじい咆哮が轟いた。それは上からで、見上げれば蒼い光に包まれてモンスターが出現したところだった。

 紅い鱗に覆われた飛竜だった。名称は《レッドワイバーン》、レベルは50、HPゲージは二本。ボスでは無いので、ネームドモンスターというものだろう。全長五メートルほどで二、三人程度なら人を乗せられそうな大きさだった。

 それが床の上で呆然と見上げる私に視線を合わせる。

 瞬間、ゾッ、と背筋に悪寒が走った。半ば本能、無意識的に入って来た扉へと駆け出す。一瞬遅れて翼をはためかせる音が聞こえ、全力で走る私の背後をとても大きな圧力が通り過ぎる。ちら、と背後を見やれば、噛み付こうとして狙いが外れたようで、部屋の隅まで飛んでターンしていた。

 その隙にと扉まで辿り着く。さっきまで開いていた扉は閉まっていて、私が近寄っても一切開く気配を見せなかった。アニメや小説でよくあるパターン、私は宝石を落とした事で仕掛けが発動し、閉じ込められてしまったのだ。

 恐らくキリトは転移対象として部屋から追い出されてしまったのだろう。

 背後の赤い飛竜を見やり、空中で溜めを取っているからまだ余裕があると判断して腰のポーチから青い結晶を取り出し、掲げる。

 

「転移! 《コラル》!」

 

 閉じ込められたり、分断された時に危険だと思ったら即座に使えと口を酸っぱくして何度も言われていたから、即座にそれを実行した。転移結晶による緊急脱出だ。

 決して安くはないものだが命を喪うより断然良いからと、使う事を躊躇うなと言われていたから、すぐに使った。

 しかし、結晶が砕け散る事は無かった。

 

「結晶無効化空間?! 嘘でしょう?!」

 

 第七十四層フロアボス戦にて死者を一人出すに至り、キリトが仲間を護れなかった最大の要因、《アインクラッド》でも恐るべきトラップとされている《結晶無効化空間》。それがこの部屋にも仕掛けられていた、しかも物理的にも脱出不可能になっている。

 つまり、レッドワイバーンを倒さなければ出られない、そういう事だろう。前衛後衛のチュートリアルだとキリトの話を聞いて思っていたが、バリバリ激戦の予感がする。しかも仲間が居ない、ソロの状態でだ。相手の動きが鈍いならともかく、飛竜は飛行で突進するからその逆でかなり速い。

 そして私に戦闘経験というものはあまり無い。

 恐らく第五十層で受けるクエストだから、飛竜のレベルもそれに合わせられているのだ。場所が第二十五層だから私でもそれなりに戦えるだろうとキリトは踏んだのだろうが、クエスト受注の階層が抜けていたのだろう。

 私のレベルは33、装備はそこそこだがレベル50相手に十分とは言えない、むしろ不足し過ぎている。スキルも、戦闘経験も、何もかも。唯一の救いは高性能の回復アイテムがある事だが、状態異常を受けてしまってはかなりマズい事態になるだろう。

 詰んだ。

 このまま戦っても、十中八九私は勝てない、負けて死ぬ。現実で未だ死者は出ていないらしいが、そもそも私は《ナーヴギア》を使ってログインしている訳じゃ無いし、恐らく私はバグ対象だ。下手すればそのまま削除され、死亡する可能性が否定できないのだ。

 脳裏に浮かぶ。黒髪の少女が被っているマシンから煙が噴き出し、体が痙攣し、恐らく傍にあるだろう医療機器が虚しくも途切れる事の無い音を上げる、その光景が。

 

「ふッ……ざけんなッ!!!」

 

 その光景に、目の前の絶望に、私は知らず怒鳴り声を上げていた。こちらの様子を窺っていた紅い飛竜が僅かに怯むが、それに頓着せず、私は左手に提げたままだった弓を構え、右手でベルトから吊るしている矢筒に入っている矢を取り、番える。

 ギリギリと、肩口まで強く引き絞り続ける事およそ二秒経過して紅い光が矢を包んだ瞬間、右手を離す。豪ッ! と唸りを上げて、紅い光芒を引きながら真っ直ぐ飛翔。

 矢は飛竜の左眼に刺さった。

 

『グギャアアアアッ?!』

「こんなところで死ぬなんて、冗談じゃないッ!」

 

 急所の眼に矢が刺さって床に墜落し、『設定されている痛み』にジタバタともがく飛竜を嘲るように、自身を奮い立たせるかのように、怒鳴り声をまた上げる。上げながら、また矢を番え、スキルが立ち上がった瞬間放つ。

 今度は喉元に突き立った。再び苦しげな悲鳴が響く。

 どうやら急所を狙っているのと放っているスキルの相性によって攻撃が通じているらしい、HPゲージを見れば、一本目の四割も減少していた。多分眼が最大ダメージだろうと察しを付ける。

 

「私は、強くなるために……ッ!」

 

 強くなるために、なりたいが為に戦っているのだ。キリトのように強くなりたくて。この理不尽なデスゲームをクリア出来る程に強くなれば、きっと過去に勝てると、そう信じて私はキリトに師事したのだ。この程度の苦境で負けてなんていられない。

 それに、ここで私が死んだら、キリトは絶対哀しむ。何もかも手が掛かる私の面倒をよく見てくれて、庇護してくれて、指南してくれるキリトを哀しませたくなんてない。

 私は過去を何も話していないから、これは私の勝手な信頼だが……彼なら、彼になら受け入れてもらえると思うのだ。傷の舐め合いと言われようが構わない、彼の暖かな心から離れたくない、彼を哀しませたくない。

 強くなりたいという想いは消えていない。だが、戦う理由にキリトの力になりたいというものが出来た。助けてもらった分を返したい、彼の苦労を分かち合いたいと、そう願うようになった。

 誰かの為に何かをしたいと、そう思ったのは、あの日以来だ。

 

「だから、私は……死にたくないッ!!!」

 

 幾度も矢を番え、射る。それでも間隔が空くから、紅い飛竜は動いてそれを躱す事が多くなった。システムが動かすNPCエネミーのくせに賢いのが癇に障る。

 幾度も幾度も矢を放ったからか、HPゲージは一本消し飛ばす事が出来て、ゲージの色は黄色だ。だが、それでか方向を轟かせて、若干行動パターンが変化した。アスナから聞いた事はあったし、闘技場でも見て知っていたが、半分を割ってから起こるパターン変化だ。

 その変化は、強行突破だった。《ウィークネスショット》を額に喰らっても飛竜は突進してきた。

 

「しま……っ?!」

 

 スキル後の硬直で動けない私に出来たのは、ただ驚愕を口にする事だけだった。それも途中までしか出せなかったが。

 ゴッ、と重い音が体に響いて、跳ね飛ばされる。閉じている扉に体を叩き付けられて、HPゲージがぐんぐん減って二割を下回って赤色になった。ゲージの下には、スタンのデバフアイコンが表示されていて、体を上手く動かせなくなっていた。視界も危険を知らせる赤色に染まり、元から赤いワイバーンの姿が見えにくくなった。

 

『グガアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 

 それでも、耳は竜の咆哮を捉えた。床にうつ伏せで倒れ伏す私はどうにか動く頭だけを動かし、見上げる。真っ赤な視界に、何か細く黒い影が見えた。きっとそれが飛竜の頭なのだと、鈍くなった思考で考える。

 

 

 

 ――――キリト……ごめんなさい……

 

 

 

 スタンは数秒続くと聞いている、明らかに竜が噛み付いてきて、私のHPを消し飛ばす方が速いだろう。

 そう悟った私は、届かぬと知っていながら心の中でキリトに謝罪した。きっと彼は、また護れなかったと後悔し、泣き叫ぶのだろうと容易に予想出来たから。護ると豪語しておきながらと、きっと自分を責め続けるのだと分かったから。

 悔しかった。この世界に負ける私の無力さにでは無い、キリトを哀しませる自身への無力さが悔しかった、怒りが湧いた。

 

 

 

『ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!』

 

 

 

 怒り、哀しみ、悔しさ、絶望……様々な感情が渦巻いて涙が零れる中、耳朶を打つ竜の咆哮。

 

 

 

「させるかあああああああああああッ!!!!!!」

 

 

 

 しかし、耳朶を打ったのは、竜が轟かせた咆哮だけでは無かった。幼い少年の声が、最強の剣士の怒号が、絶望の轟きを上塗りした。

 真っ赤な視界の中で、細長い影に襲い掛かる黒い何か。はためき、揺らめき、揺蕩う黒。

 その黒が左右に細長い何かを広げ……その細長い二つが青白い輝きを放ち、乱舞した。真っ赤な世界を更に染める青と白の輝きが乱舞するそれは、まるで流星を思わせる輝きだった。

 その乱舞の最中も轟く怒号と断末魔。それは数秒と絶たずに終わった。視界の端で何か青いものが散る光景が見えた後、黒い影が近寄って来て、私の体を抱き起した。胸元に、硬質な何かを押し付けられ……

 

「ヒール!」

 

 その声が響くと、かしゃんっ、と儚い音と共に砕け散った。途端視界左上のHPゲージが一気に右端まで伸び切り、視界も真っ赤から正常なそれへと戻る。

 

「シノン……大丈夫か……?」

「キリト……」

 

 色が戻った私の視界には、涙を湛えて不安そうに表情を歪めたキリトの顔が映っていた。申し訳無さそうで、心配そうで、後悔してそうな、そんな顔。どこか縋っている子供のような顔。

 その顔を見て、その奥に煌めく青い結晶片を見て、生きているのだと実感した。

 

「……私、生きているのね……」

「ああ……転移で、俺は別室に移動させられて、分断された。見通しが甘過ぎた。まさか、弓使いの実力をあんな形で見るようになってたなんて…………ごめんなさい……」

 

 謝罪の言葉は、子供らしいものだった。それだけキリトが気にしているという事で……きっと、私を危険に晒した事を恐れ、私が怒ると思っているのだろう。あるいは、護ると言っておきながらと、そう考えているのか。

 やる事為す事、大抵が常軌を逸して予想を上回るというのに、こういう事ではとても分かりやすい純粋なキリトに、私は笑んだ。きっと今の私は、あの日から一切見せなかった優しさを含む笑みを浮かべていると思う。

 それだけ、心が穏やかだったから。冷たく無機質な、無感動な心では無かったから、そう思った。

 

「キリトはしっかり護ってくれたじゃない。確かに予想外だったけど、あなたのせいじゃないわ……助けに来てくれて、ありがとう。私だけじゃ死んでたわ……」

 

 上体を起こし、床の上に座った私はキリトの頭を撫でた。何となくこうしたい、自然にそう思ったから。

 

「ん……ふ、ぁあ……」

 

 くすぐったそうに、けれど嬉しそうに目を細め、キリトは笑んだ。

 少女のようにあどけなく、しかし女性のように艶然に、蕩けそうな笑みを恍惚と火照らせた顔に、花開くように浮かべた。

 

「ッ……!」

 

 その顔に、私は見惚れ、胸の奥がトクンと高鳴った。

 過去や現在に色々と問題が起こっている身と言えど、私とて十代の女子、所謂思春期というやつだ。

 キリトは見た目女の子だし異性に興味を持つ年頃でも無いが、そこらの男性以上の器量よしな上に面倒見まで良い、加えて性格も良い。

 更に基本的に優しい。勿論締めるところは締めるし、日々の訓練はかなり厳しいが、それも私の事を想ってくれているからなのは理解している。

 ハッキリ言って、これで気にならない方が多分おかしい、少なくとも純粋な感情と礼を言われて嬉しくない者は居ない筈だ。

 かなり崖っぷち感の自覚はある。ユウキやアスナ達の様子を傍から見守ったり、リーファやリズと共にキリトの事で気を揉んだりと、少々後ろめたい心情から一線引いた立場を心掛けて来たものの、なまじキリトに悪意や計画性など無い故に予測など不可能なので不意を打たれる事ばかり。

 正直、ユウキやアスナ達はこれで轟沈したのだなと納得すらしている。

 極め付けが、私達にとってすれば当然と思えるほどに些細な事にすら喜びを見出し、それ以上を求めないという幸福基準の低さ。それがどうしようもないくらいこちらの心を揺さぶってくる。罪悪感だけでは無い、この程度で喜ばないでという想いと共に、もっと喜ばせたいという気持ちすら湧き上がってくるのだ。その割に何も出来てない辺り何とも言えないのだが。

 母性、と言うのだろうか。リーファはかなりブラコンなのだなと他人事のように思っていたが、キリトと接していればなるほど、確かになりそうだと思った。

 あとここ最近確信したが、リーファのアレは多分家族愛じゃなくて異性愛、それもかなり拗らせた感のあるやつだ。幸いなのは病んでない事なのだろうが、キリトを傷付ける敵対者が目の前でやらかせば多分レッドまっしぐらなくらい愛情が振り切れている。まぁ、血の繋がりなんて無い義弟なのだから、思いを寄せる事が間違いという訳では無いだろう。

 キリトの笑顔は、魔性だ、ある意味で伝説に出て来る玉藻の前や妲己といった傾国の美姫を超える勢いで人を惹き付けて止まない。

 これの恐ろしいところは本人は完全に無自覚である上に敵対者には一切効かず理解者にだけ通用するという特殊性、しかも一度効いたらまず間違いなく逃れられないという疑似中毒性まである事。母性を擽る幼さと他の追随を許さない気高い精神のギャップ、傲岸不遜な仮面の下に花開く純粋無垢なまま蕩ける笑顔が中毒紛いの魅力を持っているのだ。リーファは勿論、ユウキもアスナも、ランもサチも、リズにシリカも、あの笑顔にやられたクチだ。

 眠り続けた三日間でさえ寝顔を綺麗だと思っていたし、憂いの表情に目を奪われた事も幾度かあった。正直この一週間でグラついた事が何度あった事か……

 ああ、もう、本当にどうしようも無い。自分はこれ程に弱かっただろうか。軽いつもりは無かったのだが。

 ほんの短い間とは言え、命懸けの中でも浮かべていた思考はキリトの事。更に絶体絶命の瞬間に彼は駆け付け、助けてくれて……大切そうに、私を慮ってくれた。

 

「ふぁ……ぅ、んぅ……」

 

 さらさらと美麗で艶のある黒髪越しに頭を撫でていた手を少しずつずらし、耳を捏ねるように撫で、頬を撫でる。くすぐったそうに、顔を真っ赤にしたキリトが少女めいた反応を見せ、小さな体を震わせる。

 これは……もう、ダメだ。吊り橋効果とか、気の迷いとか、今の心境を必死に覆そうとする単語が浮かんでくるが……熱に浮かされた思考は止まる事無く突き進む。

 小説でよくある『堕ちた』という言葉。それはきっと今の私に相応しい言葉だと考えながら、私はキリトを撫で続けた。

 

 * * *

 

『おお……これは正しく、古代の製法によって作られた魔導宝石! しかも一両日中に……よくこんなに早く手に入れられたものだ』

「それなりに苦労させられたからね……」

「死に掛けたのを『それなり』と言う辺りシノンって結構肝が据わってるな」

 

 骨董店の店主であるNPCに宝石を渡したセリフを聞いて、掛かった時間によって多少セリフが変わるのだなと思いつつ、シノンの言い草に苦笑してしまう。

 あの部屋でシノンが宝石を床へ落したと同時に起動した転移のトラップで、俺は別の部屋に移されていた。階層移動はしていなかったが場所がそこそこ離れていた上に、道中では度々倒さなければ先に進めない結界トラップが発動し、その内部にポップした敵との戦闘を強いられたため、駆け付けるのに少々時間を要した。

 幸いだったのは、俺がその時はソロの戦闘を強いられた事。恐らくアレを設定した者は一度に複数のモンスターを相手させる事で時間を稼ごうとしたのだろうが、俺を一人にした時点でその目論見は潰れたと言える。仲間がいては巻き添えの可能性を考えて《ⅩⅢ》の特性を使えないが、一人であれば自分以外全て敵なのだから、モルテ達を屠った時のように登録した武器を召喚し、雨のように降らせる絨毯爆撃だって可能だからだ。

 それを知っているからこそ、ユウキ達は俺に『単独で攻略組以上の戦力を保有している』と言っていたのである。実際それくらいでなければリズ達を救出出来なかった。

 普段は一人の戦闘でもあまり使わないのだが、今回は嫌な予感がしたので全力でシノンが居るであろう部屋へと戻った。その結果、レッドワイバーンが噛み付く寸前に駆け付けられたという訳である。

 その後は十分近くに渡ってしこたま頭を撫でられ……いや、途中から耳や頬まで触られたか。途中で何やら身の危険を感じた事もあって引き上げる事を提案し、それでやめてくれたが、あのまま続いていた事を考えるとちょっと怖い。何時ものシノンと何か雰囲気が違っていたし。

 それはともかく、レッドワイバーンを倒し、老人NPCに取って来て欲しいと言われた宝石を部屋から回収した事で、晴れてクエストは達成となった。

 

『では、報酬としてこの宝石と……あとは、そうだな、昔に私が使っていた弓を譲ろう。コレクションとして眠らせるのも勿体無い一品で、歳を取った私にはもう使えんからな』

 

 少し待ってなさい、と言って老人NPCは【白樫の弓】を直した時のように階段で二階へ上がり、またすぐに降りて来た。その手には一つの長大な黒い弓が握られていて、カウンターに戻って来た後にそれをテーブルの上に置く。ゴトリと音がしたので、結構重いらしい。

 色は漆黒、材質としては見ただけだが金属、構える時の持ち柄は黒い革がまかれていた。種類としては洋弓だろうが、全長が俺の身長を超えているのを見ると和弓のそれに近い気もする。持ち柄部分はナックルガードのようなものも付いており、見るからに実戦的な洋弓という風情を漂わせている。

 和弓の特性を持った洋弓、という事なのだろうか。

 

『もう十年程前から使っていない代物だ。弦は張り替えておるし、手早くではあるが整備もし直した、定期的にしてもいたから不具合は無かろう。魔物を前に臆さず戦えるお嬢さんであれば、きっとこれを使いこなせる弓使いになれる筈……受け取って欲しい。きっとコイツも、使われる方が喜ぶ』

「そうですか……なら、遠慮なく」

 

 神妙に、しかしどこか喜色を表しながら弓と宝石を差し出す老人。同時にクエスト達成のシステムウィンドウが表示された。それをシノンはタップするのだが、依然としてテーブルの上に置かれている《弓》と宝石は姿を消さない。

 通常、クエスト報酬は武器だろうと回復アイテムだろうと素材だろうと、クエスト達成を知らせるメニュー画面のオーケーボタンを押す事でプレイヤーのストレージへ自動的に格納されるのだが、このように偶にNPCの手で直接渡される事がある。第一層で手に入れたアニールブレードのクエストもその一つだ。

 基本的に手ずから渡されるものはレア物という認識で良い。実際アニールブレードは《始まりの街》の次に赴く街で受けるクエストながら、最大まで強化すれば第三層後半、良くて四層での戦いにも耐える程に強力な剣だった。弓も似たようなものなので、この認識はそこまで外れているという訳でも無いだろう。

 シノンがそれに応じながらまず手を伸ばしたのは黒い弓。左手で持ち柄をしっかり握り、少し重そうにゆっくりと持ち上げ……ようと力を入れたのは分かったが、テーブルの上から持ち上がらなかった。

 

「……重い……」

「…………あー……こう来たか。ステータス不足だなそれ」

 

 シノンのレベルはグレートワイバーン討伐や帰りの道での戦闘を経て34に上がっている。【白樫の弓】は素材を入手する階層で第三十五層が最も高かったのでシノンも装備出来たのだろう。

 だが、続けて受けたクエストの舞台は第二十五層と言えど、出現したネームドのレッドワイバーンはレベル50だった、恐らくクエストクリアの適正レベルもそれくらいだったのだと思う。弓使いがソロでも生き抜けて、且つ分断された仲間が駆け付けられる程度の強さを有していないと、これはクリア出来なかったのだろう。今回はイレギュラーな装備と強さを持つ俺がいたからどうにかなったのだ。

 という事は、武器のレベルも50前後を前提としているに違いないので、シノンはステータス不足で黒い弓を持てないという事になる。まさかこうなるとは予想外だったが。

 武器の装備にも適正レベルというものがある、これは正確には筋力要求値と言う。

 武器だけでなく防具にもこれが振られており、合算された筋力要求値を上回っていればそこそこ俊敏に動ける反面、下回っていれば鈍重になる。細剣使いのアスナやランが防具をあまり装備していないのは筋力要求値=重量が大きくなるのを避けるためだ。

 また、同等の性能を持つ武器であっても当然材質でその重量や特性が変化してくる。

 まぁ、基本的に筋力要求値が高い武具は攻撃力と防御力は高く、耐久値も多い反面、重いという認識で良い。ヒースクリフの甲冑やエギルのバトルアックス、俺の二刀などがその典型例だ。この数値が小さいものはアスナの細剣ランベントライトやユウキの装備類、俺のコートなどである。

 これが設定されているのは恐らく、戦わずレベルが低い者には相応に弱い武器を装備せざるを得なくし、強い者には相応の武器を必要とするようにする事で、上中下の層での戦闘レベルを適切に落とし込もうとしているからだろう。レベルが低い者でも強い武器を持ててしまってはバランスが崩れてしまう、最前線の敵が狩り尽されてしまったら、攻略組のレベリングが難しくなるのだから。

 普通に他のゲームでもレベル制限とかあったから、それを参考にしただけなのだろうが。

 そう考えると、明らかに適正レベル以下のシノンでは装備出来ないだろう。

 正確には筋力値の方が肝要なので、レベルアップ時に得られるステータスポイントを筋力値に多めに振っていると、少しレベルが低くても強い武器を装備しやすくなる傾向にある、実際俺やエギル、ヒースクリフなどはそのタイプだ。

 だがシノンの場合は六:四の割合で筋力と敏捷に振ったバランス型だから、流石に十以上の適正レベル差を覆すには無理だったようだ。

 

「シノンのレベル……と言うより筋力値が、その弓を扱うだけの要求筋力値に達してないんだな。だから持ち上がらないんだ」

 

 筋力値がどれだけ足りていないかは、明確な数値以外にも持った時に感じる重量感で目算を付ける事が出来る。

 例えば、今の俺なら超レベルに加えて筋力値へ多めに振っているので、見た目に違和感はあっても極論エギルの戦斧を、エギル以上に軽々と振るう事が出来る。逆にエギルは、俺の片手剣を振るう時には俺以上に重く感じながら振るう事になる。

 このように筋力値が武器の要求筋力値に比べてどれくらい高低しているかでプレイヤーが感じる重量感に差が出て来る。

 その重量感は大まかに『重量を感じない』、『僅かに重みを感じる』、『少しだけ軽く感じる』、『丁度良い』、『少し重く感じる』、『腰を据えれば十分持てる』、『両手で持てはするが振るのは無理』、『そもそも持ち上がらない』という感覚的な表現で八段階に分けられている。ちなみにこの段階分けをしたのは俺とアルゴだったりする。

 一応、六段階目までなら装備して振るえはする。だが七段階目では装備するとステータスが赤く表示される、それは装備の適正レベルに達しておらず戦闘で大きな不具合を齎す事を示す警告表示だ。八段階目はそもそも装備する事すら出来ず、ストレージに格納する事も出来ない。

 俺の場合、全ての装備が一番最初のようになっているが、シノンの場合はステータスが絶対的に足りないため一番最後の最も重いと感じる段階になっている。故に持ち上げる事も出来ないのだ。

 念のためその基礎知識を鍛えて欲しいと言ってきたその日に教えていたので、シノンも装備不可能という事を悟ったのか、微妙な表情で黒い弓を黙って見下ろしていた。恐らく強さが足りない事に忸怩たる思いを持っているのだろう。

 

「…………私には相応しくない、という事ね……ならキリト、あなたがこの《弓》を使ったらいいわ」

「……良いのか? シノン用に保管しておくという手もあるけど……」

 

 このクエストを受けたのはシノンだし、死に目にも遭ったのだからそれでは納得いかないのではと思ってそう言ったが、シノンはふっと柔らかく苦笑した。

 

「あなたが駆け付けてくれなかったら私はあそこで死んでいたわ、だからこれはそのお礼と思って……それに、エネルギーボウガンも良いけど、あなたの《射撃術》には《弓》を使ったソードスキルもあるんだから。あった方が良いでしょう?」

「それは、まぁ、そうだけど……」

「店主も言っていたけど使える人に使ってもらった方が弓も喜ぶわ。少なくとも私はまだ相応しくない……だから、あなたが持っていて。全ての武器に精通しているあなたなら練習すれば難無く使いこなせるでしょう?」

 

 確かに、弓を使うのは初めてと言えど練習すればそこそこ使えはするだろう、エネルギーボウガンの方が連射性は上だろうが、こちらは恐らく射程と威力が上なのだ。ボスの弱点をよく狙って射るスタイルを確立させれば戦えるだろう。

 だが、今のシノンでは装備出来ないと言えど、レベルが上がれば装備出来るようになるのだ。一、二週間ほどレベリングに注ぎ込めばほぼすぐに。強力な武器を持っていた方が生存確率も高まる。

 それに俺にはボウガンがあるのだから極論不要だ。弓専用のソードスキルが使えなくなるのは確かだが、それで苦戦するという事はほぼ無いだろうし、俺の戦闘スタイルは接近戦だから弓を使うタイミングは少ないと言える。

 

「それに下心だってあるわ、あなたが弓で戦った時の感想を聞こうとも考えてるんだから。言い方は悪いけど、あなたの戦い方を真似すれば生き残れる確率は高まる、少なくとも手探りの状態で戦いながらよりは絶対ね……だから、私が強くなる為に、戦い方を教える為に、使って欲しい」

 

 だから俺にとっての弓は絶対必要では無いと言ったのだが、シノンはそれを予想していたのか、我が意を得たりとばかりに悪戯めいた笑みを浮かべ、そう言ってきた。自分が強くなるために、俺がシノンへ弓使いとしての戦い方を教えられるようになるためでもあるのだと。

 それは、俺に反論させない言葉。

 俺はシノンに鍛えて欲しいと言われ、受諾した。何を目的にしているのか、何故強さを得たいと思ったのか、それに対するシノンの想いを俺は聞いた訳では無いが、それでも鍛えると言った以上は全力を傾けようと思っている。

 それを建前で使われてしまっては、断れる筈も無い。全く意味が無い事であれば断っただろうが、何れ攻略組の弓使いとして戦うつもりであるシノンには確かにその戦い方を教える必要がある。だが俺は剣士だし、《弓》カテゴリ武器のボウガンを用いるとしても武器の特性の違いから必ずしもシノンに適した戦い方に合っているとは言えない。だから俺も学ぶ必要がある。

 そして学ぶには同じ武器が必要。

 故にシノンは、俺がシノンに教えられるようになる為に《弓》を譲り、自分の糧にしようとしているのだ。

 

「……そう言われたら、断る訳にもいかないな」

「ええ、何が何でもあなたに譲るわよ。そもそも私じゃストレージに入れられないんだからキリトの所有物にするしか無いんだし」

 

 白々しく、痛快そうに、しかし不快感を抱かせない程に清々しく悪戯が成功したと喜ぶシノンの笑みに、俺は脱力しながら苦笑してしまった。建前の使い方もここまであっけらかんとされれば苦笑も出る。

 実際本音ばかりなのだろうが、その使い方は俺を納得させるための建前だ。本音を建て前として使うなど初めて見た気がする。

 何となくだが、シノンには今後も口で勝てなさそうだ。勿論《ビーター》としてなら勝てるだろうが、シノン相手にその顔をする必要性があまり無いから、勝てる事は少ないだろう。全くないと言い切れないのは、俺とシノンが直接的に親しいと知られない為に演技をする時だけだが。

 

「じゃあ、譲り受けるよ」

「ええ」

 

 一言断ってから、俺はカウンターの上に置かれている黒い弓の持ち柄を左手で掴み、重さすら感じないそれを持ち上げる。それから右手の指で弓をタップし、武器の詳細を確認した。

 武器の名称は【無銘の洋弓】。

 NPCの店主が使っていたという話だし、《弓》の修復をしたから店主が作り手かと思っていたが、厳密には次々と別の使い手に流れに流れ、その作り手が不明になってしまったという武器らしい。故に無銘になっているようだ。

 しかし、俺は別の事で驚いていた。

 

「……これは……」

 

 要求されている筋力値は、やはり予想した通りレベル50辺りで達する数値だった。故に攻撃力もそれに応じて第五十層辺り、良くて五十五層までは通じるものだと想定していた。

 が、表示されていた攻撃力はエリュシデータの二倍以上。ハッキリ言って予想外にして想定以上の攻撃力だった。

 

「どうしたの?」

「……これを見較べれば分かる」

 

 問うてきたシノンに、俺は左手で出したダークリパルサーの武器ステータスと無銘の洋弓の武器ステータスとを見せ、攻撃力数値の所を指し示した。

 そこを見たシノンは、すぐに俺の驚きを察したようで僅かに眉根を寄せる。

 

「……あなたのダークリパルサーって、第五十五層のレア鉱石から鍛え上げられたものなのよね」

「ああ。だからこの弓も同程度かと思っていたんだが……流石に、二倍以上の攻撃力は予想外だった…………シノン、一応そっちの弓の武器ステータスも見せてもらえるか?」

「分かったわ」

 

 もしコレが《弓》カテゴリの中でも弓にとって普通の値であれば、バグでは無い事になる。

 だがシステム障害によって設定がバグに侵され、数値がおかしくなっているのだとすれば、これを使用するのは正直躊躇われる。

 それを確認する為に、俺はシノンが背負っていた白塗りの和弓のステータスを見せるよう頼み込んだ。同じ弓なのだから、適正レベルに差があるにせよ、この洋弓の設定がバグでないなら白塗りの和弓も同レベルの武器に較べて攻撃力は高い筈。和弓を確認し、攻撃力が遥かに高ければ洋弓の設定は正常、高くなければバグという事になる。

 果たして、シノンが装備していた和弓のステータスは、同レベルで装備出来る片手剣に較べて二倍以上の攻撃力を誇っていた。

 

「……どうやら弓の攻撃力は片手剣に較べて二倍以上の値を示すようだな……」

「バグ、じゃないのよね……」

「比較対象がこの二つしか無いから仮にどっちもバグってたら何とも言えないけど……そうか、レベルが低いシノンがレベル50のレッドワイバーンにあれだけダメージを与えられていたのは、ソードスキルとクリティカルダメージの相性だけじゃなくて、そもそも武器攻撃力が遥かに高かったからなのか」

 

 通常、モンスターのレベルが自分より十以上高い場合、こちらの攻撃は本当に微々たるものか全く与えられない。

 それにも関わらずシノンはたった一人でネームドの一ゲージ分を削り切った。

 それは本来あり得ない。

 プレイヤー同士ならまだダメージを与えられる。モンスターに与えるダメージよりプレイヤーに与えるダメージの方が割合は高めなのだ、恐らく体のどこの部位を斬っても現実では割と手酷いものになるから、それを再現してHPを大きく減らすようにしているのだろう。あとはフレンドリィファイアの危険性はオレンジだけでは無い、という意識を付けるためか。

 だが逆に、モンスターへ与えるダメージには、ダメージカット率というものがデフォルトで存在するので、その数値によって幾らか減衰される。更にレベル補正が入るのでプレイヤー側が低ければ更に減衰が掛かる。

 プレイヤーの場合は防具部分に攻撃した際に発生し、生身の部分を攻撃した時よりも幾らかダメージが少なくなる仕様だ。

 斬撃、刺突、打撃からなる三つの攻撃属性それぞれにダメージカット率が設定されており、これらを通常は耐性属性と呼称する。ちなみに貫通属性は時間経過による継続的ダメージで、毒と似た扱いなので減衰は出来ない。

 これらの事を踏まえると、レベル33であり、更には《弓術》を習得したてだったシノンが、レベル50でありネームドでもあった《レッドワイバーン》のHPを半分まで減らせた事は、普通はあり得ないのである。

 だが、現実として俺が駆け付けた時、死に掛けではあったもののシノンは単独で飛竜の体力を半分削っていた。他に仲間が居る筈も無いのでシノンしかした者は居ない。

 だからかなりおかしいとは思いつつも、《ウィークネスショット》のクリティカルダメージ倍率が相当高かったのだろうと納得して、問い詰める事は無かったのだが、まさかここに来てその疑問に答えが出るとは思わなかった。

 確かにシノンはレベルが低いので、レベル補正によって与えられるダメージは相当低い事になる、更には飛竜の鱗と相性の悪い刺突属性だ。

 しかしそこに、クリティカルポイントに攻撃を与えた時にダメージ倍率が跳ね上がる《ウィークネスショット》、目玉と喉に連射した腕、そして弓の攻撃力が通常の武器の二倍以上であるとくれば話は変わる。

 攻撃力が通常の二倍というのは、単純に与えられるダメージ二倍とイコールにはならない。

 相手の防御力数値はそのまま、こちらの攻撃力もそのままで出るダメージを二倍にしたものが『ダメージ二倍』だ。反面、『攻撃力二倍』という事は、ダメージの計算で使われる『自分の攻撃力』がそのまま倍になっているのだから、相手の防御力を遥かに上回る事になる。故に出るダメージも圧倒的に高くなる。

 

「……なるほどな。弓は接近戦に弱く、また他の武器と違って連撃が出来ない、更に矢が外れればダメージを与える事も出来ない。射程距離で有利ではあるが、外れたら意味も無いし……そのデメリット部分を、一撃の大ダメージで覆すという事か」

 

 ボウガンと違って連射が利かない分、特徴として有するのは射程と威力であると俺自身考えていたのだ、それが正に攻撃力の数値として現れた形になる。

 今でこそシノンのレベルが低いから最前線に出向く事は叶わないが……《隠蔽》スキルをかなり鍛え、技量による命中率を相当上げ、更にシノン自身の攻撃力も高まれば、下手すれば接近される前にハリネズミのように矢を突き立て倒すなんて事も不可能では無くなる。矢の残弾も気にしなくていいという辺りも凄く良い。

 シノン自身、どちらかと言うと距離を取って戦う方が向いているようだし、クエストの道中の戦闘で幾度か外す事はあったが筋は相当良い。鍛えれば本当に化けるだろう。百発百中とまではいかないかも知れないが、攻略組でも相当な強者になる事は間違いない、後方支援としては相当心強い助っ人になる可能性は非常に高いと言える。

 まぁ、戦う畑が異なるから順位付けは出来ないだろうが。

 

「……キリト? どうしたの?」

「……これは、戦い方さえ確立すれば、かなり反則的な強さを発揮出来る……極論、この洋弓を装備出来るようになった時点でシノンは最前線に出られる」

「え……冗談、でしょう?」

「いや、理論上は本当に可能だ。この弓の攻撃力が既にダークリパルサーを超えてるんだ。モンスターのクリティカルポイントに《ウィークネスショット》を的確に当てられれば、一撃で倒せる可能性は十分ある、距離を詰められる前にもう二、三発叩き込めるだろうし……一対一なら、これは無類の強さを発揮する」

 

 勿論それもシステムが動かすモンスターだからこそだ、点の攻撃なのだからプレイヤー相手には通用しないだろう。当てるにはかなりの工夫のフェイント、接近戦に対する強さというものを得なければならない。

 まだ疑わしそうな目を向けられたが、《レッドワイバーン》との戦いで与えたダメージと攻撃力の数値、ダメージを出す計算式について説明したら、言わんとする事を理解したようで目を瞠って驚きに固まっていた。

 

「あくまで理論上という話だし、まだ行かせるつもりも無いけど、《弓》という武器が相当有用で強力である事は覚えていてくれ。取り乱さず、冷静に戦う事を心掛ければ、シノンはすぐにでも攻略組の一人になれる……まぁ、最前線に出るならせめて《短剣》か《長槍》の扱いをどうにかしないといけないけど」

「上げて落とすって、あなた、顔に似合わず案外エグイわよ……」

「いや、《弓》が強いのは確かだけど、一対一でしか優位に立てないからそれで増長されると困るなと思って……実際遠距離武器だけで通用する筈が無い訳だし」

 

 これも全てはシノンを想っての事だ。

 遠距離武器だけで戦い抜けるのが一番良いが、今回のクエストのように分断された時にはシノン一人で戦わなければならない、今回はまだ一対一だったからよかったもののああいう状況では分断された俺や《月夜の黒猫団》が掛かったトラップの時のように一対多が普通だ。

 弓の攻撃は点、つまりは一体にしかどうしても攻撃出来ないので、一対多になったら自然と近接武器で対処しなければならなくなる。《射撃術》を見た感じ、スキルを鍛えたら対複数を前提とした武器スキルも見られるが、それも一方向だろうから多方向から囲まれた時に対処は追い付かないのは明白。ボウガンはまだ連射が効くものの、それでもやはり対処は追い付かないだろう。

 だからこそ、《弓》は射程と威力の強みはあるが、反面一対一でしか優位に立てないという大きな欠点を抱えている事を忘れないで欲しかった。

 今回のクエストで俺が間に合ったのも、全ては絶妙に偶然が重なり噛み合った奇跡の結果だ。シノンの維持、弓の攻撃力、彼我のレベル差、ソードスキルの性能と狙った場所、そして何より設定されていた一対一という状況が奇跡的に重なったからこそ、俺は間に合った。

 俺の強さもあって短時間で辿り着いた事も間に合った要素の一つとしてあるだろうが……やはり、アレは本当に偶然が噛み合った奇跡としか言えない。

 奇跡は何度も起きない。いや、一度起きて命が救われれば良い方だ、故に同じ状況にまた陥っても今度は助からない可能性が非常に高い。生きたいと吼えたところで、敢え無く、呆気無く死ぬのが命を懸けた戦いだ。

 だからこそ俺は、キツい言い方なのを承知の上で、嫌われる事も覚悟して言わなければならなかった。

 俺はシノンを鍛える事を引き受けた者で……もう二度と、仲間を喪わせはしないと誓って、全力を傾ける事を決意したのだから。

 

「……そう、ね…………ありがとう、キリト」

「ん……」

 

 僅かに苦虫を噛み潰したような顔になったが、すぐに意図を察したのか、微笑を浮かべて頭を撫でて来た。子ども扱いをされている事に思うところはあるものの、実際年下で子供だし、撫でられるのは好きなので拒絶はしなかった。

 撫でられると、温かい気持ちになる。忘れてしまっていた何かを取り戻せるような、そんな気がする。

 少しの間撫でてくれていたシノンはふと手を頭の上から退けた。少々名残惜しくはあるものの、ずっとそれをしている訳にもいかないので、俺も胸中に浮かんだものを顔に出ないようにしながらカウンターの机に残っている宝石に視線をやった。

 

「それで、この宝石はどうする?」

「そもそもそれ、どういうものなのかしら。魔導宝石って言うからには相当レアな何かがあると思うんだけど……」

「確かに……《アインクラッド》のバックグラウンドからして、魔法とかそういうものは殆ど無い筈だからレアな要素は十分あるな……」

 

 《大地切断》にて、かつて地上に住んでいて浮遊城へと居を移した者達から次第に失われていった古代の秘術。

 それがバックグラウンドの設定としてあり、プレイヤーのシステムウィンドウも人族が使える数少ないまじないの一種とされている辺り、それが徹底されている。結晶アイテムが中層以上にしか存在せず、また高価であるのも、その即効性だけで無く世界観的に貴重であるとされているからなのだ。

 その魔法的なものが登場した時点でかなりレアだ。今更気付いた感は凄いあるが。

 

「……次のクエスト始動キーのアイテムだったりしてな」

「あー……ありそうよね、私の場合がそうだったんだし」

 

 《弓》クエストが始まったのはシノンが《弦の切れた弓》という《ゴブリンアーチャー》からドロップするアイテムを持っていたからだ、なら続くチェーンクエストもこれを持っていたら起動する可能性は十分ある。

 どういう物なのか判断しかねるが、一応調べてみようと左手で手に取ったそれを右の指でタップし、メニューを表示する。

 その宝石の名称は【フォースフィールド・マテリアライト】。見た目は金色の装飾に嵌め込まれた翡翠の色合いを持つ小石サイズの宝石で、その中身では淡い輝きが明滅していた。虹色の輝きにも見えるそれはとても美しいが、パッと見ただけでは宝石が反射する翡翠色しか見えない。

 

「分類は体防具……体防具?! しかも鎧?!」

「はぁ?!」

 

 俺の声にシノンも驚愕する。何だか今日一日で物凄い回数驚いた気がするが、実際驚愕すべき事なのだから仕方ない。

 【フォースフィールド・マテリアライト】という宝石は、クエスト始動キーであっても素材や換金に分類されたりするという想定を大きく覆し、予想も上回って体防具、それも鎧の分類になっていた。これにはさしもの俺も大声で驚く。

 慌てて説明をシノンと共に読めば、何でもこの宝石は装備した所有者の周囲に不可視にして絶対破られない結界を張り、完全に攻撃を阻む事は出来ないものの威力の大半を削ぐ事が出来るという破格の性能を有しているらしかった。防御力も下手な鎧よりある上に耐性属性であるダメージカット率が五十パーセント、更にHP大リジェネがある始末。

 試しに、唯一鎧系の体防具が未だに【Empty】である俺が装備すると、服を着替える時に出現する蒼い光に包まれる。

 それは一瞬だったのですぐに視界が回復するのだが、ぱっと見ではそこまで変わっているように思えなかった。体や服、足元を見回しても、やはり着慣れた前開きの黒コートとエリュシデータを背負っているだけで、変化は一つもしていないようにしか見えない。

 

「……何か変わったか?」

「あなたが手に持ってた宝石が光に散って、体を包んだくらいは分かったけど……変化そのものは分からないわ」

「俺の体を……魔導宝石というくらいだから、粒子として俺の体を護る設定なのか……?」

 

 実際、黒エルフの騎士の鎧は紋章のようなもので粒子に変換していた、恐らく《ⅩⅢ》のように防具を登録して出し入れするようなものなのだろう。それを考えれば、これが魔導宝石と呼ばれていた事にも納得がいく。

 それを話すと、シノンは僅かに考え込みつつ頷いた。

 

「その可能性はあるわね……装備はキチンとされてるのね?」

「ああ、改めて見たけど装備はされてる……これは、ひょっとすると弓使いの機動力を削がないのと高い防御力を両立させた防具なのかも知れないな」

 

 実際、かなり凄いメリットを持っている上に、見た目防具をしていないから機動力を削がれないで済む。更には高い防御力とHPの自然回復効果まで併せ持っているのだ、ボス戦でも相当粘れるだろう。

 

「なら良かったじゃない。機動力を削がないで高い防御力を得られたなんて、あなたの戦闘スタイルをむしろ万全に活かせる事になるんだから。受けるダメージが減ったのなら受ける痛みも少しは和らぐんでしょう?」

「まぁ、そうだな」

 

 厳密には、どれくらい斬り込まれたのかも関わってくるのだが、大部分でダメージ量が関わっているのは間違いない。

 

「なら階層のフロアボス戦で少しは優位じゃない、HPリジェネも含めてね」

「それはそうだけど……《弓》を譲られたんだから、せめて魔導宝石はシノンが持ってるべきじゃ……」

「私の場合、この胸鎧を外したら肌着同然になるのよ、流石にそれで普段過ごすのは恥ずかしいから嫌。コートは暑くなる季節だと地獄だし、慣れてないと戦いにくそうだし……ぶっちゃけると私が着る分には趣味じゃない。寒かったらまだしも」

「あー…………シノン、割と薄着だからな……」

 

 肩やら脚やら結構露出がある。

 と言うより、些か肌を見せすぎな気もするが……リー姉やストレアも似たようなものだし、シノンはまだマシな方だ。ユウキも案外露出多いし。その辺を注意しないランやアスナ達はどうかと思う。少しずつ暑い日が出て来たからだろうか。

 コートは確かに着慣れていないと弓の取り回しでも邪魔になりやすいだろう、俺も第一層の後はコートを着て戦闘をするまで慣れるのに少しだけ苦労した覚えがある。まぁ、俺の場合はフーデッドローブを着ていた事もあって数日で慣れたが、シノンは慣れていないのだから別だ。

 それにこれから暑くなってくる季節だからコートは確かに暑い。第二十二層は比較的穏やかな気候なので、季節の影響を受けると言えどそれも極端な猛暑や極寒は無い、なのであの階層であればコートでも過ごせはする。

 ここ最近、街に行かない完全オフの時は俺も私服で行動する事が増えて来ているが。

 

「だから、それもあなたに譲るわ。それよりも強い鎧防具が手に入った時は私に頂戴。碌に苦労してない私が持つより、苦労してるあなたが持つべきよ、生存確率的な意味でも、報われなさ過ぎ的な意味でも」

「……分かった」

 

 これは折れなさそうだと悟った俺は、シノンの厚意に甘える事にした。

 事実ボス戦で割とHPが危険域に突入する俺にとって、この魔導宝石の防具は非常にありがたい、闘技場《個人戦》で瀕死に陥った回数がそれを物語っている。まぁ、アレはかなり異常だったが。攻撃を受けた時のエフェクトがどうなるかは分からないが見た目でレアな防具を得たとは思われないし、周囲への対策もバッチリだ。

 

「一先ず……譲ってくれて、ありがとう」

「別に良いわよ……その魔導宝石、キリトがより強い防具を手に入れたら私が貰うんだから、気付かれた時は仕方ないけどキリトの方からは言わないでね。私とあなただけの秘密……約束よ?」

「分かった。約束する」

「よし……!」

 

 俺が出来るだけ誰にも話さない事に頷くと、シノンは軽く頷きながら、何故か小さく拳を握っていた。

 何故拳を握ったのかと問うと、少し慌て、顔を赤くしながら気にしなくていいと言われたので、気にしない事にした。こういう事にあまり首を突っ込むと痛い眼を見るというのは、アルゴとの関係で学んだ事である。

 この後、俺達は漸くうらぶれた骨董店から退店したのだった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 シノンが堕ちた。それはもう、原作とは別方向に。

 これでまだSAOヒロインコンプリートしてないって、どんだけヒロイン候補居るんだと突っ込みたくなる。原作IS以上の人数って……とあるよりは遥かにマシですが(人数と殺傷力と世界規模と権力的に)アレには勝てない。

 リーファとユイは最初からカンスト。アスナ、ユウキもほぼカンスト。リズ、サチ、シリカは崖っぷち。レインとフィリアはまだギリ友人ポジ。ストレアは秘密。

 そんな中でシノンが堕ちた……過去がアレだから一番惹かれやすいと思うんですよね、シノンは。実際Web版ではもっと素直な性格だったらしいし、単行本版でも凄いし。

 アスナは……一応伏線張っているが、どうしよう? フィリアは半ば確定だとして、ストレア、レイン、セブン、プレミアもどうしよう?

 セブン辺りでスメラギさんとレインが保護者をしそうな予感。スヴァルトは荒れますな。

 お察しでしょうがユウキ、リーファに並んでシノン好きなんですよね。だからこの三人はかなりの頻度で視点が回ってくるのです。しかも各章でヒロイン役だし(ユウキは主人公でもあるが)

 More DEBAN村がクーデター起こしそうだ……(;´・ω・)

 にしても、話が進む事に文字数が増えていく……もうちょっとで三万達しそうなのってどうなんでしょう、前回突破してたし。読み応えあると思う方と長過ぎて読む気失せる方、どっちが多いんでしょうか。自分なら長い方が好きなので切りが良いところまで一気に書いてるんですが……話の進行遅いし、くどいですかね。

 良ければその辺どう思っているのか、感想を送って下さる時に合わせて書いて下さればと思います。ちょっと気になるんですよね。

 長文失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。