インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 Fate要素を省いた結果進んだのは、サブタイトル通り遭遇です。しかしながら視点はオールユウキという有様。

 基本的にキリトは、殊戦闘以外に関しては精神的に滅法脆いです。トラウマ克服し切ってないから仕方ない。

 時間軸としては、キリトとシノンが【無銘の洋弓】と魔導宝石を手に入れた辺りですね。

 ではどうぞ。




第四十一章 ~肉親との邂逅=他人との遭遇~

 

 

 キリトがシノンと共にチェーンクエストを受けに行くと決めた事で、二人に付いて来ていたボクとエギル、レイン、フィリアの四人はここで解散する事になった。

 レインとフィリアは外出ついでに食材と回復アイテムの補充の為に各階層を回ると言って別れた。

 エギルは店の商品となる素材アイテムを集めに回ると言い、ボクも一緒に素材集めに協力する事にした。何時もアイテムを市場価格で安く提供してくれるお礼である。

 大体二時間近くして素材の量が十分と判断したエギルにお礼を言われ別れたボクは、暇になってしまった。今日はオフなので最前線に行く必要も無い。

 

「……リズの所に行こうかな」

 

 今日はもうフィールドに出るつもりは無いが、キリトとのデュエルでかなり愛剣であるルナティークを酷使してしまったのが少し気掛かりだった。刃毀れや罅などが入っていなかったし、念のため数値で確認しておいたがまだ使える範囲だったのでエギルの素材集めに付き合っていたが、戦闘を経てまた減ってしまっていたのでそろそろ砥ぎに出さないと危ない気がしていたのだ。

 鞘がある武器は納刀しておく事で耐久値を僅かながら回復させる事が出来る、ただしそれも雀の涙で、そんな事をするくらいならNPC鍛冶師でもいいから砥いでもらう方が余程良い。

 とは言え、本当にNPC鍛冶師に任せるつもりは毛頭無い。

 砥ぎは耐久値の回復、つまり同じ武器を長く使えるようにする為の作業だが、現実の包丁砥ぎを再現しているのか少しずつ耐久最大値が低減してくる。インゴットに戻し、それから再度鍛え直せばリセットされるものの、ほぼ確実に別の剣に変化してしまうので必要が無ければそれはしたくない。

 NPC鍛冶師に砥ぎを任せるとその低減度合いがかなり酷い。

 反面、プレイヤー鍛冶師になるとこれがかなり抑えられる、使う道具によっては更に抑えられるようで、最高峰はリズ曰く回転砥石らしい。そして彼女はそれを持っている。故に彼女に任せない手は無い。

 そうと決まれば早速行こうと決断し、ボクは三人を見送った転移門エリアに足を踏み入れた。

 

「転移、《リンダース》」

 

 転移するために必要な言葉を口にすると、すぐに体を蒼い光が包み込み、視界も蒼に染まる。それも一秒足らずの事で、一瞬の浮遊感を味わった後にはもう転移は完了だ。

 閉じていた目を開けば、さっきまでいた猥雑として喧噪に満ちる《アルゲード》から一転して、長閑な西洋の街並みが広がっていた。敷き詰められた石畳と西洋建築の家屋が立ち並び、街のそこかしこには小川も流れている。この川に沿って行けば、何れは水車小屋を持つリズベット武具店に辿り着くという寸法だ。

 この街は基本的に喧騒などからは迂遠な場所だ。高級感溢れる第六十一層《セルムブルグ》やフラワーガーデンの異名を持つ第四十七層《フローリア》に較べればまだ日常的な趣があるから皆無とは言えないが、ここを訪れる者の多くが穏やかな気性のプレイヤーだとされている。

 と言うより、この街には攻略組御用達のフリーのマスタースミスが居て、そこに足繁くトッププレイヤーが通っているから騒ぎを起こせないと言った方がより正しい。

 とは言えやはり皆無では無いので、騒ぎ立てる者が居たりする。

 

「店でバイトするくらいならパーティー組んで狩りに行かないかい? そっちの方が実入りはあるんだよ?」

「え、えっと……あの、今は店子なので困るんですが……」

 

 中層を主な活動圏としているビーストテイマーであるシリカは現在、鍛冶師リズベットの下で長らく働いている。それは一人でいるのが危険であるためと、彼女がリズの事を姉として慕っているからだ、どちらかと言うと後者の理由の方が大きいだろう。

 そんな彼女はここ最近、ずっとリズの所に居て何もしないのはと店子として働く事を申し出た。最初こそリズは渋っていたものの、シリカの熱意に負けた事と、事実忙しくなって来ていた事からシリカをバイトとして雇ったと聞く。給金は時給で日雇い制らしい。

 その彼女も服装を普段の紅いレザーコート姿から一新し、リズの赤を意識したようなウェイトレス服を纏って呼び込みや接客を行っていた。

 が、今回はそれが仇になったようで、かなり面倒な相手に捕まっているらしい。どうも彼女のファンらしいが、言っている事が気持ち悪い事この上ないし、仕事の邪魔をしては嫌われるだけである。

 ここはちょっと手助けしようかなと思って、ボクはリズベット武具店の前でやり取りしている二人に近付いた。

 

「ねぇ、そこの男の人、ボクの友達に何をしてるの?」

「何だよ、今取り込み中……って、ぜ、【絶剣】?! 本物?!」

 

 ボクが声を掛けると、顔を顰めた男性プレイヤーがうざったそうな声音で言葉を返してきたが、それもこちらの顔を見た途端驚愕に変わった。

 男性プレイヤーに見覚えは無いので顔見知りでは無い筈だが、どうやら一目で分かる程度にはボクの容姿などは有名らしい。

 まぁ、紫紺色で固めている女性剣士なんて他に居ないのもあるだろう。

 

「ありゃ、一目で分かるくらいには有名なんだ……うん、そうだよ。ボクはユウキ、【絶剣】って呼ばれてるね。で、質問に質問で返すキミは一体何をしてるの?」

「え、えっと……」

「あ、ユウキさん! この人、さっきから何も買わないのにしつこくて……お願いです、何とかして下さい!」

「……へぇ?」

「ひっ……」

 

 シリカがボクに気付いて助けを求めて来て、その内容に目を眇めながら男性プレイヤーを見れば、相手は怯えたように小さな悲鳴を上げてたじろいだ。

 それから程無くして、即座に退散していった。

 

「はぁ……ありがとうございます、助かりました」

「いや、いいよ別に……何もされなかった?」

「あ、はい。触られたとかじゃなくて……その、お茶のお誘いとか、パーティーのお誘いが基本でした。ただ断っても断ってもしつこかったので辟易してて……」

「あぁ……シリカって結構人気あるもんね……」

 

 本人としてはいい迷惑なのだろうが、ファンクラブまで出来てしまっている程にシリカは可憐だ、更に使い魔である愛獣ピナもレア度と可愛らしさが相俟って人気を博す。正直ファンになっている人の気持ちは分からなくも無い。

 だがそれはそれ、これはこれ、相手の迷惑を掛けるような行いは許されないだろう。本人も人気なのはともかくその行動には辟易しているようだからもっと気を使ってあげて欲しいと思う。

 

「シリカ、ああいう人にはハッキリと言わないと。じゃないとどんどんエスカレートしていくんだから」

「うぅ……分かってはいるんですけど、怒るっていう事に馴れてなくて……」

「まぁ、分からなくも無いけど……本当に度が過ぎる事態に発展しかねないから気を付けないとダメだよ?」

 

 実際、《スリーピング・ナイツ》のファンクラブが一時期大騒ぎした事があり、ボクはその際に一度キレて大暴れした事がある。それから事態は沈静化したので事無きを得たが、シリカの場合は極限まで行っても怒らないような気がするから心配だ。

 まぁ、そのガードの意味も込めてリズは彼女を雇っているのだろうけど。

 

「さて……シリカが居るっていう事は、リズも中にいるの?」

「あ、はい、居ますよ。多分砥ぎの依頼をこなしてる頃合いかと……ユウキさんも砥ぎですか?」

「うん。午前中にちょっと酷使しちゃってね」

「そうなんですか。あ、では……いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそです!」

 

 一度接客スマイルを浮かべ、お決まりの文句を笑顔で言ったシリカはボクを伴って店内へと入った。一応外には他にお客も居ないし店子であるシリカが中に入っても良いのだろう。

 店内は様々な武器がショーケースに並べられており、自信作らしきものは壁に掛けられてもいた。そんな見慣れた屋内には何かを擦るような音が断続的に響いている。

 

「リズベットさん、ユウキさんが来店しましたよ!」

「はいはーい! あと三本で砥ぎが終わるから五分くらい待ってて!」

 

 どうやらシリカの予想通りリズは現在砥ぎの真っ最中らしい。

 闘技場《レイド戦》に備えて多くの攻略組が第七十三層や第七十四層でレベリングを行っているので、武器の修復依頼がかなりの数寄せられているのだろう。忙しそうではあるがそれだけ繁盛しているという事だ。

 

「やっぱり砥ぎの途中でしたね……あ、ユウキさん、ポーション購入されますか? あたしの自信作なんですよ!」

 

 そう言ってカウンターから取り出したのは様々な色合いの液体が詰められた小瓶、全てポーション系アイテムだ。

 シリカは新たに生産系の《調薬》スキルを取って鍛えている。

 《調薬》スキルというのは文字通り薬、つまりはポーションの類を作り出すスキルだ。薬草系アイテムから基本的なポーションを作り出し、そこに毒や麻痺毒の素を混ぜると状態異常誘発ポーションに、逆にそれを解除する作用を持つ設定の解毒草や解痺草などを混ぜると状態異常耐性ポーションが出来上がる。幾らか特殊な素材を混ぜればステータスブーストポーションの出来上がりだ。

 このように種々様々なポーションを作り上げる事が出来るのが《調薬》スキルの特徴である。

 ちなみにこのスキル、実は《ポーション作成》スキルを鍛えていると稀に出現するエクストラスキルだ。

 基となる《ポーション作成》は初期から習得可能で、ステータスブーストポーションや状態異常誘発ポーションは作れない。まぁ、回復薬を作れるだけいいのだが、《調薬》の方が優れていると言える部分は必要素材の個数が《ポーション作成》で同じものを作る時よりも少なく、また成功確率が高めである事だ。

 しかしながら、この二つのスキルには他の生産系スキルには見られない欠点というものが存在する。

それはアイテムを生産するにあたって成功確率が存在する事。

 通常、《鍛冶》や《裁縫》を始めとして余程製作過程を誤らなければ、製作に失敗は無い。強化には確率で失敗が存在するし、修復にも耐久最大値減耗の大きさで成功失敗の概念が存在するが、『物を作る』にあたっては全て必ず成功する。

 しかし《ポーション作成》と《調薬》でアイテムを作る際には、全てに於いて例外無く成功確率というものが存在する。成功すれば通常のポーションより僅かに効果が高い――平均して効果が一割高い――ものが出来上がり、失敗すれば問答無用で状態異常誘発ポーションが出来上がる、ちなみに失敗の場合出来上がるのは大抵毒八割で麻痺毒二割の確率だ。

 《圏内事件》の際にリズとシリカを囮に使おうとしたオレンジプレイヤー達をキリトが一時的に麻痺させたのは、この《調薬》スキルを鍛え、状態異常誘発ポーションを振り掛けていたからなのだ。それも後から教えてもらった。

 とは言え、彼も《調薬》が出現したのは一ヵ月ほど前なのでそこまで熟練度は高くないので、状態異常誘発ポーションのレベルも低かった。仮に熟練度が高かったならモルテ達を捕らえる事も不可能では無かったらしいが、たられば話になるためこれについては早々に打ち切られた。

 その《調薬》スキルが出現した事で習得したシリカが何故リズの店でポーション類を売っているかと言うと、単純に要りようとなるプレイヤーが多く訪れるため利益を見込めるからだ。ちなみに彼女はキリトよりも幾分か早く習得していたようで、エギルの店に卸しているポーション類は彼女の作だと聞いている。

 まぁ、これもキリトの状態異常誘発ポーションを切っ掛けに知った事だが。基本的に商人は商談相手の情報を外部に漏らさないのである。

 それはともかく、購入するかと問われたボクは右手を振ってメニューを呼び出し、ストレージ内にあるポーション類の個数を確認した。

 回復ポーションは現在確認されているだけでもポーション、ハイポーション、グランポーションの三種類。即時回復量と自然回復量はポーションが三割と一割、ハイポーションが五割と三割、グランポーションが六割と六割だ。平均市場価格はそれぞれ二百コル、二千コル、二万コルである。

 第七十四層のボス部屋が結晶無効化空間であった事は既に知れ渡っており、最悪これから先のボス戦では結晶アイテムを使えない事を考慮して、ヒースクリフさんとディアベルの二人が攻略組全員にポーションの即時補充を言い渡している。

 それを含めて個数を確認すると、若干グランポーションの残り個数に不安があった。

 

「んー……じゃあグランポーションを五個買おうかな。ある?」

「グランポーションを五個、ですね……はい、ありますよ! ユウキさんは素材を納入して下さっているので二割引きですから、八万コルになります!」

「八万ね……はい」

 

 トレードウィンドウを出し、シリカはそこに五個のグランポーションを、ボクは八万コルを指定して交渉成立の丸ボタンをタップする。これでトレードが成立した事になり、ボクのアイテムストレージにはグランポーションが、シリカの財布には八万コルが追加された事になる。

 他のポーションは大丈夫かと確認するが、状態異常耐性ポーションも普段使わない――と言うかそもそも攻撃に当たらない――ため十分残っているし、ステータスブーストポーションもホームに残しているので、他に買い足す物は無いなと判断してウィンドウを閉じた。

 

「……そういえばシリカ、ピナは何処に居るの?」

 

 今気付いたが、シリカは何時ものように肩にピナを乗せていなかった。キリトのナンならいざ知らず、まさかピナまでもが主人から離れて行動出来るようになったのかと考えていると、シリカが何故か恥ずかしそうに顔を赤くした。

 

「ピナなら多分リズさんの寝室で寝てると思います。最近あそこがお気に入りになってまして……」

「へぇ……」

 

 どうやら単純に昼寝をしているだけらしい。まぁ、キリトの代わりに誰かの護衛をしているナンに較べれば、そこまで離れていないし普通と言えるのだろう。そもそも主人から離れているという時点で普通のAIでは無いのだが。

 それから暫く世間話をしていると、砥ぎの注文分が終わったのかリズが肩を回しながら工房から出て来た。

 

「はぁ、やっと終わった! ここ最近ホントに注文多過ぎよぉ」

「お疲れ様です、リズさん」

「お疲れリズ。で、お疲れの所悪いんだけどボクの剣も砥いでくれるかな」

「やっぱユウキもなのね……って、ん? ちょっと待ちなさい、あんたの剣って少し前に砥いだばかりよ。何でこんな短期間に砥ぐ必要があるのよ」

「そういえばそうですね、確か五日前に砥ぎに来てましたよね」

 

 地下迷宮の探索を終えた翌日にリズの所で砥いでもらった事は、リズは当然として店子として働いているシリカも知っている事だ。そして最前線攻略をしようにも迷宮区には入れないし、ボス攻略なんて無い事から酷使するような事が無い。

 それに思い至ったからか、リズとシリカが訝しげに見て来た。この理由を話したらどう反応するかなと若干楽しみにしつつ、怖い気もしながら、ボクはキリトとデュエルをした事を話すことにした。

 

「諸々の事情があって今日の午前中にキリトとガチのデュエルをしてね、それでかなり酷使しちゃって不安だから」

「き、キリトと……デュエルッ?! 嘘でしょッ?! あんた、キリトとデュエルしたの?!」

「キリトくんとユウキさん……それで、どちらが勝ったんですか?! ユウキさんですか?! それともキリトくんですか?!」

「いやぁ、それが最後はソードスキル同士の鍔迫り合いになって……暴発して、お互いの手から剣が飛んでね、それで同時にHPが半分下回ったからドローになっちゃった」

「「ど、ドローッ?!」」

 

 まさかの結果にはボクも驚いたが、その場に居なかった二人も話に聞いただけで驚愕の声を発した。

 まぁ、実際デュエルでドロー判定が出るなんて滅多に無い、同時判定というのは意図して起こせるようなものではないからだ。それにあの時のキリトはボクと条件を対等にするために幾らかハンデを背負って、純粋な片手剣使いとして戦っていた。

 途中までは圧倒していたが、《ノヴァ・アセンション》の直撃で敗北寸前になってからは一撃たりとも掠らせる事すら出来ず、ほぼ同等にまでボクは追い詰められていた。

 ハンデの有無と戦いの推移から考えて、アレは結果こそ引き分けではあるものの、見方によっては彼より圧倒的にレベルが低いボクは引き分けに持ち込めたのだから勝負には勝ったと言えるかも知れない。だがボク自身は明確に勝利出来なかったのだから敗北と同義だと捉えている。

 それを語ると、二人は何とも言えない面持ちになった。

 

「いやぁ……キリト相手に引き分けとか大金星どころじゃないのに、勝ちと見るどころか敗北と捉えてるって……いっそ清々しいわねあんた」

「キリトくんはユニークスキルや装備の特性を封じて純粋な片手剣使いとして戦ったんですよね……レベルに凄い開きがあるのに引き分けなんですから、もう勝ちで良いと思うんですけど……」

「うーん……まぁ、そうかも知れないけど、ボクとしてはやっぱり明確に勝った時に勝利宣言をしたいと言うか。最後は偶然に助けられた感があるし」

 

 あそこで暴発が起こらなければボクはキリトに敗れていた事は間違いないのだ、キリトがユニークスキルなどを全て解放していた上での結果なら勝利とも捉えられるかも知れないが、実際はハンデを背負ってもらっていたので負けたと言えるのである。

 運で引き分けを引いただけで、本来ならこの身を斬り裂かれて敗北していた筈なのだから。

 

「うー……思い出したら不完全燃焼感が出て来た……」

「ユウキさんって思ったよりバトルジャンキーなんですね……」

「いやいや、キリトとのデュエルだけだから。そんな戦い好きって訳じゃ無いし。運動は好きだけど」

「確かにあんた、運動好きそうなイメージあるわ。物凄いはしゃいでそう。雪だるまとか雪合戦とか大はしゃぎでやってそうね」

「あー……まぁ、姉ちゃんやサチと思い切り雪合戦した覚えはあるかな……」

 

 しかし、残念ながらした事があるのは《アインクラッド》に来てからだ。何せボクが生まれたのは温室効果ガスが盛大に吹き荒れる都会だ、寒くはあっても雪が積もる事などただの一度たりとも無かったため、雪合戦などこの方一度も経験した事など無かった。

 薄っすらと霜が降りるくらいはあったが、雪玉を作れるほど積もった事は無い。なので《アインクラッド》が現実以上に再現した大雪の日に思い切り雪合戦をした事がある。まぁ、第五十五層南端の山のように基本設定が寒冷のフィールドであればたとえ夏だろうと問答無用で雪が積もっているので、そこへ行けば何時でも楽しめるのだが。

 とは言え雪合戦は冬にやるのが楽しいのであって、夏にやっても虚しいだけである。

 夏でやる事と言えばやはり泳ぎとかだろう。《アインクラッド》はその構造上どうしても海では無く湖になるが、それでも広大な土地の大部分が水面という階層もあった。そこで水着に着替えれば多少のバカンスを楽しめるだろう。

 事実、去年の夏はそうしていた者が大勢いた。生憎とボクはキリトの事が心配で最前線からあまり離れなかったので行った事は無いのだが。

 ……機会があれば今度誘ってみようか。丁度時間はあるのだし、キリトも漸く休暇を取るくらい精神的に安定してきたのだから。

 

「ちょっとユウキ?」

「……ふぇ?」

「『ふぇ?』じゃないわよ。いきなり黙り込んでどうしたの? もう砥ぎは終わったけど?」

「え……も、もう終わったの? 何時の間に?」

「何時の間にって……ちゃんと声掛けたわよ。まぁ、何か真剣に考え込んでるみたいだったからしつこくはしなかったけど、砥ぎが終わってもまだ考え込んでるのは予想外だったわ。何か深刻な問題でもあったの?」

 

 どうやら現実の事、こちらに来てからの事、そしてこれからキリトと何をしようかと考えている間に砥ぎが終わってしまっていたらしい。心配そうな表情を浮かべるリズとシリカを見て、そこまで深刻では無いのだがと胸中で呟きつつ、曖昧に笑みを浮かべながら百コル金貨を一枚出してリズに指で弾いて渡す。

 弾かれたコインをキャッチしたリズは、毎度、と言ってボクにルナティークを返す。

 愛剣を受け取って鞘に納めたところで、リズは再び真剣な面持ちでボクを見て来た。

 

「それであんた何を考えてたの? 声を掛けても気付かないどころか数分もそれを続けるなんて、ちょっとただ事じゃないんじゃない?」

「あたし達が協力出来る事でしたら力になりますよ!」

「……あー…………うん……いや、気持ちは有難いんだけど……」

 

 二人は純粋に心配してくれているんだろう、恐らく攻略組だから何か問題にぶち当たっていてそれで悩んでいるのではないか、と。以前極秘任務と称してキリトと一緒に《アインクラッド解放軍》の副リーダーであるシンカーさん救出に向かっていた事もあって、多分そういう方向に余計考えやすくなっているのだと思う。

 が、実際悩んでいるのはキリトについてなので話し難い事この上ない。

 どうやって躱すべきかと思考していると、ふと何かに気付いたようにリズが表情を変えた。心配そうで訝しげな表情から、何か面白いものを見つけたかのようにいやにいい笑顔へと。

 何か少し前に似たようなものを見た気がしてデジャヴと嫌な予感を同時に覚えた。

 

「ユウキ、あんた……まさか、キリトを意識し始めた?」

「え? そうなんですか?」

「ぐ…………凄く純粋に聞いてくるシリカが眩しいよ……あとリズ、キミ、ちょっと面白がってるでしょ」

「そりゃあ他人の恋愛模様を見たがるのは人の性ってモンよ。で、やっぱ切っ掛けはさっき話してくれたデュエル?」

「うーん……明確に意識し始めたのはデュエルからだけど、結構前から気になってはいたんだよね。ただ今まで、それが異性としてなのか、それとも親愛の情としてのものなのかが分からなくてさ……」

 

 まぁ、気付いていなくとも一緒に寝ていた辺り答えは出ていたようなものだったが。

 恐らく分からないから否定する材料を見つけようとしていたが、それが裏目に出た結果になるのだろう。目を逸らそうとすればするほどボクはキリトの事を意識してしまっていた、『目を逸らせ』という思考そのものがキリトを意識していた事に他ならないのだ。

 そしてさっきのデュエルがトドメになった。

 強い人に惹かれたというのもあるが、きっとボクは、第一層ボス戦で彼の素顔を見た時から惚れていたのだと思う。一目惚れという奴だ。

 そして同時に、彼の剣にずっと魅入られたのだと思う。第一層の頃からずっと一緒に戦ってきた彼の泣いている弱い一面も見て、誰よりも努力をし続けて強者になった彼の生き様を顕す剣。ボクも自分の剣に命を懸け、誇りを懸けて戦ってきたからこそ、彼の凄まじさがよく分かる。

 何時か彼の全力に勝ちたいと言ったものの、彼が上を向き続ける限り、ボクはきっと彼には勝てない。ボクが目指す強さと彼が目指す強さは、終着点の次元が違うのだ。

 ボクは自分の命と姉ちゃんや仲間を護れればそれでいいと思っているが、彼は正真正銘、自分の命を燃やす勢いで力を欲して戦っている。そんな彼に、そこまでの執念が無いボクが勝てる筈も無いのである。

 とは言えボクとて諦めるつもりなど毛頭無い。《ソードアート・オンライン》ではどうしてもHP全損の事を考えてしまうから取れない手段というものが出て来るが、リーファがプレイしていた《アルヴヘイム・オンライン》というゲームでは全損しても現実で死ぬ事は無い筈。プログラムフォーマットが同一ならシステムも同一の筈なので、そこまで違和感は無い筈だ。

 この世界で決着は着けられなくても良い。出来る事なら、《アルヴヘイム・オンライン》というゲームを一緒にして、そこで互いに覇を競いたい。

 ああ……どうやら、また新しく死ねない理由が出来たようだ。

 

「ゆ、ユウキ? あんた、いきなり笑い出してどうしたのよ?」

「ん? ああ、ごめん……死ねない理由が出来たなって思って」

「……そう」

 

 どうも表情に出ていたらしく、少し驚いたようにリズが指摘してきた。それに過程はともかく結論だけ口にすると、とても優しげに、何も言わないでリズは微笑む。それは凄くお姉さんらしくて、シリカが慕う理由が分かった気もした。いや、尊敬はボクもしていたけど、姉として慕うという意味が分かった。

 そうこうしていると、カランカラン、と来店を知らせるベルが鳴った。

 

「あ、いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそ……って、キリトくんとシノンさん」

 

 シリカがそれに反応して定例文句を口にし切ったところで、来店した人物が誰なのか気が付いた。

 と言うか、女子の中でも小柄なシリカより更に背が低い華奢なプレイヤーは一人しかいない、黒尽くめなのも含めてだ。その隣に立つシノンの服装も、《アインクラッド》のプレイヤーと比べれば結構変わっているので覚えやすいし。

 

「あ、もうチェーンクエスト終わったんだ」

「ええ。まぁ、色々とあって死に掛けたけどね……」

「あと一秒でも駆け付けるのが遅かったらと考えると恐ろしい……」

「……ご苦労様」

 

 どうやらシノンは本気で死に瀕したらしい。

 聞けば柱に掛けられた宝石を落とした時点でキリトが別の部屋に転移され、直後レベル50のNM《レッドワイバーン》が出現し、シノンは一騎打ちを強いられたとか。出入り口も閉じられ、結晶無効化空間だったため抗戦し、一撃で瀕死に陥ったところでキリトが間に合ったという。

 正に間一髪という訳だ。

 シノンが生き残れた要因は様々な偶然が奇跡的に重なった結果だと、キリトは語った。

 

「へぇ、《弓》ねぇ……今まで碌な遠距離武器があった試しなんて無いのに、よくそんなの見つけられたわね」

「ああ、ほぼ奇跡的に見つけられたんだ。多分ユニークスキルだと思う……ここに来たのはシリカのポーションに用があったからなんだ」

「あ、あたしのですか? あれ? エギルさんのお店に行けば買えるんじゃ?」

「いや、素材を渡すのも兼ねてる。あとさっき行ったけど居なかった」

「あちゃー……入れ違いだね。さっきまでボクと一緒に素材集めをしてたんだよ」

「そうだったのか……まぁ、来たついでだし良いかな」

 

 入れ違いになった事を知って苦笑したものの、すぐに気を取り直してキリトはシリカにトレードウィンドウを差し出し、商談を始めた。

 シリカの方は、同じ《調薬》スキル持ちとして素材は自分で使えばいいのではと言っているが、自分の分は確保しているからと言われ、素材を受け取っていた。代わりにキリトは割引価格でポーションを幾つも購入していく。

 

「わぁ……この素材、結構レアで納入数が少ないんだよ。これだけの数をよく手に入れられたね」

「ん……ああ、それなら上層で割と普通に手に入るけど」

「え、そうなの?!」

「ああ。下層や中層ではレアなモンスタードロップアイテムも、上層の同種モンスターを倒したら普通に手に入ったりする事はザラにあるから。実際エギルからの供給が絶たれた事は無かった筈だし、シリカも他のアイテムで似たような事はあったと思う」

「確かに、言われてみれば昔は手に入り辛かった物が今は手に入りやすくなってる気も……あたしももっとレベリングして、活動圏を押し上げようかなぁ……」

「何なら安全なレベリングスポットを教えようか? まぁ、そこに行くまでが面倒だけど……代わりにリーファとシノンのレベルがある程度上がったらシリカに後をお願いしたい。迷宮区に入れないでいる今はともかく、進めるようになったら俺が見れない事が多くなる」

「あたしに? まぁ、出来得る限りはするけど、あたしにレベリングを見るなんて事が出来るのかな……」

「レベリングが無理なら短剣の扱いとか、《アインクラッド》でのモンスターやアイテムの知識を教えるだけでもして欲しい。俺だけじゃその辺はカバーし切れない」

「う、うーん……よし、わかった。出来る限りはやってみるね」

「ありがとう」

 

 ……見ていてとても平和だと思える会話だった。途中から内容が少し物騒になっている気もしたが、こういう会話を自然に出来るようになっている辺りがとても良い傾向だと思う。

 

「はい、これで全部かな」

「……ん、全部だ。じゃあこれが代金かな」

「えっと…………うん、価格ピッタリ。交渉成立だね」

 

 どうやら話が纏まったらしく、シリカは頼まれたポーション類を、キリトは素材と代金をトレードしてからウィンドウを閉じた。

 それと同時に、再びカランカランと来客を知らせるベルが鳴る。商談が終わったところで来客とはタイミングが良いのか、休憩できないと嘆くべきなのか。リズとしては繁盛している証なので喜ばしい事だろう。

 

「あ! いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそ! 購入ですか? オーダーメイド依頼ですか?」

 

 来店してきたのは、ボクが見た事ない男性プレイヤーだった。

 日本人としてありがちな短い黒髪に黒い瞳、中背中肉の平均的な体格の青年だった。年の頃は中学生から高校生辺りだろうか。身長は一七〇センチ辺りだと思う。目つきが少し鋭くて、十人が見れば八、九人は格好いいと思うような整った容姿をしていた。

 服装は髪と瞳の色に反して白。胴を護るように白銀のボディアーマーを装備しているのでインナーの色は見えないが、革のズボンや上から羽織っている前開きのコート、鋲付きブーツに指貫手袋まで真っ白。鎧防具を装備している事を除けば、キリトの装備と色違いでこそあるが瓜二つな程に似通った意匠だった。

 

「……って、キミ、その耳!」

 

 そして一番驚いたのは、尖っている耳だった。その特徴は間違いなくリーファと同じである事を示す。すなわちALOから迷い込んできたプレイヤーであるという事だ。

 

「キミ、まさかリーファと同じALOプレイヤー?」

「ん? 何でALOを……って、リーファ? シルフの魔法剣士の事か?」

「うん、そのリーファだよ。やっぱり他にもこっちに来ちゃってる人が居たんだ……キリトの予想が当たってたって事だね」

「そうだな……当たって欲しくなかったけど。というか、もしかしてアルゴがリーファに持ち掛けた話はこの事か……? でも、何で俺を遠ざけてまで……」

 

 予想通りリーファの他にもALOプレイヤーが巻き込まれている事が判明し、苦笑気味にボクが言えば、キリトもまた苦笑を浮かべて応じた。それからリーファと二人きりで話すと言ったアルゴの要件の事を推察し始める。

 確かに考えてみれば妙だ。同じALOプレイヤーであるというなら、リーファのようにキリトに保護してもらえばいいと思うのだが……何故アルゴはキリトを遠ざけて話すと決めたのだろうか。

 

「……ん? なっ……お前……ッ!」

「……何か?」

 

 ボクがキリトに話し掛けた事で彼の存在に気付いた黒髪黒目の男性プレイヤーは、目を剥いて驚いた。それを受けてキリトが僅かに目を眇めて冷たい声で応じる。《ビーター》の仮面を被ったのだ。

 そういえば、よくよく考えればキリトって大多数の人間からは憎悪の対象として見られているんだったと、今更ながらに思い出した。

 

「チッ、出来損ないの一夏かッ! 何時か会うだろうとは思ってたが、まさかここで会うなんてな……!」

 

 キリトが《ビーター》を名乗っているのは周囲の人間を巻き込まない為でもあるのだから、その意図が崩れないで欲しい……と思っているボクの耳に、引っ掛かりを覚える言葉が入って来た。

 この男性プレイヤー、キリトの事を《一夏》と呼んだ。いや、既に以前の名前と言えど知れ渡っているのには違いないから、この名前で呼ばれてもおかしくは無いのだろうが……それでも妙だ。

 彼を見下している者達は《出来損ない》や《屑》だとかそういう蔑称一つでしか呼ばない、名前を口にするのすら吐き気がすると言わんばかりに嫌悪しているのだ。

 それにも関わらず、この男性プレイヤーは何の躊躇いも無く蔑称の後に名前を口にした。ひょっとすると、キリトにとって《織斑一夏》時代に何かしら関係が――勿論悪い意味で――あった人間なのかと思い、ボクは後ろにいるキリトにチラリと横目で視線をやった。

 そして、内心動揺した。

 キリトは目を限界まで見開いて、あり得ないと言いたげに、信じられないと言いたげに愕然とした表情で固まっていた。《ビーター》としての仮面など関係なく、ただただ愕然、絶句の表情しか無い。心無し、手が、瞳が震えているように見えた。

 そして微かに唇が動いた。

 

「俺を名前で呼んだ……男…………ま、さか……!」

 

 さっきまでの朗らかな声、芯が通った声からまるっきり変わって、掠れ切ってしまっていたそれを耳にして、その声が本当にキリトが発したものなのかと一瞬分からなくなった。それくらい、変化が劇的だった。

 それを聞いた男が、ふん、と鼻でキリトをせせら笑う。

 

「どうやってあの状況から生き残ったのか知らないけど、よくもまぁ、五体満足で生き残れたな。その悪運の強さだけは俺以上だと思うよ、悪運だけはな」

「……ぁあ……ッ!」

 

 男性が短い問いに対して端的な答えを返した時、キリトがか細く声を上げた。喜びか、哀しみか……あるいは、恐怖故か。

 それは分からないが、二人の関係性はやっと分かった。

 この男性プレイヤーの名前は、少なくともリアルはまず間違いなく《織斑秋十》なのだろう。キリトの事を《一夏》と呼ぶ男性は、少なくともボクが聞き知っている限りでは彼の肉親……いや、元肉親である神童の兄しか存在しないのだ。キリトも、恐らくその認識だから名前を呼んだ相手の性別を口にしたのだと思う。

 そして極め付けに『あの状況から生き残った』という言葉。これは恐らく、話に聞いた第二回《モンド・グロッソ》で誘拐された時に神童の兄は彼を見捨てたという話の事だ。

 そしてその話は、リアルでキリトに何かを指導したらしいPoHと義姉になったリーファ、彼の体に埋め込まれたISを調整している篠ノ之束博士を除けばキリトに理解を示している面々だけ。つまり彼を敵視している人間はその事実を知り得ない筈。

 そう、見捨てた本人でなければ。

 

「……アンタ、織斑秋十ね?」

 

 来店客がキリトを見捨てた張本人だと知って、ピンと場の空気が張り詰め、沈黙が続いた場で最初に声を発したのは店主であるリズだった。リズは鋭い目つきで来店客の男性プレイヤー……いや、《織斑秋十》を睨んでいた。心無し、その口調や声音には苛立ちや怒りが滲んでいる。

 

「そうだけど……あ、ちなみにプレイヤーネームも《アキト》だ」

「安直ねぇ、本名プレイするなんて」

「……」

 

 一応、その本名プレイをしているのはボクもなのだが……まぁ、今は言わないでおこう。

 

「はぁ……で、アンタ客なんでしょ。たとえ誅殺隊だろうと《聖竜連合》だろうと弱小と言われるギルドだろうと、お金があるお客ならあたしは差別しないし、誰であろうとあたしは商売に一切手抜きも私情も挟まないわ。それで、アンタは何が欲しくてウチに来たのよ?」

「この店で一番強い片手剣を売ってくれ」

「……アンタ払えるんでしょうね。言っておくけど、ウチが鍛えてる剣はお安くないですからね」

「それくらいは知ってるさ」

「ふん……」

 

 にこやかに笑いながらリズベット武具店の事を知っていると言った男アキトの言葉に、リズは照れ隠しでは無く本気で苛立ちを込めた息を吐いて、店舗を持っているプレイヤーにだけ開く事が出来るメニューを開き、操作を始めた。

 それから数秒と経たずに彼女の指が一つの小さなパネルをタップし、カウンターの上に一本の片手直剣が出現した。

 その剣は、全てが黒かった。エリュシデータが闇を吸い込むような黒、ボクの愛剣ルナティークが闇を灯す黒なら、その剣は闇そのものを体現するかのような硬質な黒だった。

 硬質さと鋭利さを併せ持つ光沢を放っている剣身は、刃の部分が白いエリュシデータと違って全て黒、ギリギリ淡くなっているかというくらいで殆ど違いは見られない。剣身と一体化している鍔はダークリパルサーに近い形状をしていた。柄は黒い革が巻かれており、柄頭に至るまでが黒一色だった。

 キリトが持っていても不思議では無い剣、それが現れた。

 

「あたしが鍛えてきた中でも一番強くて、今ウチにある中で最強の片手剣よ。銘は《エリュシオン》……ギリシア神話で『死の国』を意味するラテン語で名前を付けられた剣。第七十四層ボスからドロップした鉱石で鍛え上げたから、ある意味ユニークアイテムになるこれの性能は折り紙付き。トッププレイヤーが持つ両手剣すらも容易に凌ぐパラメータがあるわ。実質的に片手剣の中では現状最強と断言出来る」

 

 第七十四層ボス。それはキリトが一週間ほど前に死に物狂いで討伐を成し遂げた、あの青眼と紅眼の悪魔《ザ・グリームアイズ》の事だ。

 それを聞いたアキトが、面白そうとばかりにニィと口角を釣り上げた。

 

「へぇ、そりゃあいい。で、幾らなんだ?」

「そうねぇ……鉱石とコレそのもののレア度がユニーク級である事、今の攻略組が使ってる武器の性能と比較して値を付けるなら……五千万コルね」

「はぁ?!」

「うっわぁ……」

「高い……」

「引くわ……」

「…………」

 

 リズが口にした値段は、あまりにも法外に過ぎる価格だった。流石に予想の遥か上を行っていたので、アキトに続いてボク、シリカ、シノンが思わず言葉を洩らしてしまった。キリトは無言でアキトの背中を見つめていたので言葉を発さなかったが、それでも少々予想外だったからか僅かに目が開かれていた。

 通常、NPCが各階層で売っている普遍的な武器……この場合片手剣を例にすると、最前線である第七十五層の武器でも一本五万コル程だ。システムが自動で無限に作り出している代物なので強化試行回数は少ないし、性能も宝箱やモンスタードロップに較べれば低めに抑えられている。

 ではプレイヤーメイドで言うとどうか。それはリズが作り上げた武器を例にするとよく分かる。

 彼女が鍛え上げて来た剣の値段はオーダーメイドで四十万から百万コル、ショーケースに並べる程度であれば十万コルから二十万コルが平均的だ。その中でもリズがこれと思う逸品は五十万コル以上はする。

 市場価格でグランポーションが二万コル、状態異常回復結晶が三万コル、転移結晶が五万コルが相場とされている。そして一度の探索で転移結晶を使えば、それだけでもかなりの痛い出費となるのが普通だ。攻略組の場合は宝箱やドロップアイテムが多い事から割と稼げているが、それでもかなり節約しなければならない。

 まぁ、最前線のモンスター狩りに一日を費やせば二、三百万くらいは普通に貯められるし、実際《スリーピング・ナイツ》のギルドホームはそうやって購入した。と言っても当時一日で稼げる額は今より少なかったため二、三ヵ月も節約し続けた末での購入だったが。そのホームも三百万コルだ。

 これらの市場価格を知っていれば、リズが口にした値段がどれほど法外なのかはすぐ分かるだろう。攻略組が一ヶ月近く節制しながら最前線に毎日籠って狩りをし続けなければならない程の額なのだ。

 

「なっ、何だよそれ! 幾ら何でもぼったくりが過ぎるだろッ!!!」

 

 まぁ、ボクもそう思わないでも無い。仮にボクが言われた時には同じ反応をするだろう。

 そう驚愕して見せたアキトに、リズはカウンターに置いた硬質な黒い剣エリュシオンの柄に手を置いて奪われないようホールドしながら、はん、と鼻で笑った。

 

「それだけの価値があるって事よ。良い? さっき言った通り、この剣は第七十四層ボスドロップのインゴットから鍛え上げた剣なの、今の所ほぼユニークアイテム、LAと変わりないのよ。もうこの時点で価格は一千万に届くわ、何しろボスドロップである事と性能が折り紙付きだから」

 

 一千万。

 まぁ、それなら少し無理をして一週間ほども最前線に籠れば稼げなくは無い額である。少なくとも丸一日動き続ければ二百万ほどは稼げなくも無いのだから、その分で考えれば何時かで目標金額に達するという計算だ。

 更に迷宮区や各ダンジョンに存在する宝箱は、最初に手に入るものより良いものは基本的に手に入らないものの、それでも価値あるものが復活する事はよくある話。トレジャー収集とモンスター討伐、クエスト消化を一気にこなせば、一千万コルであればギリギリボクでも購入出来なくはない額だ。

 逆に言うなれば、攻略組トップであるボクですら購入出来ない額に設定する理由があるという事である。それは言外にリズがその剣を売らないと半ば決め込んでいるという決意の表れだ。

 

「け、けど、幾ら何でも五千万は高いだろ! まだ一千万なら分からなくも無いけど!」

「最前線の攻略組の両手剣すら敵わない性能がコレにはある、つまりこれを持ったプレイヤーは装備の面では最強に近くなる。そんな奴がPKに走ったらどうなるかは分かり切った事でしょ? 他のプレイヤーが持つ武器の性能がコレに近くなったら、その分だけ値段は下げていくわ。でも今はコレが圧倒してる。だから簡単には手を出せない額に設定しているのよ。悪いけど何を言われたってこの値を下げる事は出来ないわよ、そもそもウチは値切り対象外だしね」

「ぐっ……!」

 

 リズの話を聞いて、なるほど、とボクは思った。

 どうやら彼女としてもただ商売をしている訳では無く、周囲のプレイヤーが持っている性能を鑑みて値段を決めているらしい。性能が高すぎては逆に毒となり得る可能性も多大だから、それを抑えようとまず値段を高く設定し、手を付けにくくしているのだ。

 しかもショーケースにはおろか、壁にすら掛けないという、その他人の眼を忍ぶようにしている徹底ぶりは流石である。

 

「……で、今のアンタが出せる予算は幾らなのよ。その範囲内で剣を見繕ってあげるわ」

「……三十万だ」

 

 ぐっと堪えながら、絞り出すように、恥ずかしそうに予算を口にするアキト。それを聞いてリズが顎に手を当てる。

 

「三十万……ならそっちのショーケースに並んでる片手剣辺りが妥当かしらね。生憎と、あたしお手製の逸品はお安くないので」

 

 そう言って、入り口横に置かれているショーケースに並べられている片手剣を指し示した。確かあそこに並んでいる剣は性能はそこそこだが精々二級品という程度だった筈、最前線では圧倒的にとは言わないがかなり見劣りするレベルだ。

 こう言っては何だが……キリトを莫迦にする以前の問題ではないか?

 まぁ、この世界は才能どうこう以前に、意地と努力の二つで戦い続ければステータスが上がったりお金が貯まったりする世界だから、そういう意味では後から参入した彼が一年半も一人で戦い続けリソースを独り占めにしているキリトに劣るのは自明の理ではあるのだが。

 羞恥と怒りに歪めた顔を赤くしつつ、アキトは足早に指し示されたショーケースへ近寄り、幾らか物色してステータスを見てから一本だけ剣を手に取ってすぐに戻って来た。

 この間、僅か十秒である。

 

「これだ」

 

 そう言ってカウンターに置かれた剣は、さっき見たエリュシオンとは異なって純白だった。一般的と思える西洋剣の形状だが、その柄頭から切っ先に至るまでが、まるで祝福されているかのような純白に染められていた。

 まるでエリュシデータと対極に位置する剣のような色合いだった。

 

「……アンタ、よく吟味したの? 命を託す剣なんだからもっとよく考えた方が身の為だと思うわよ? 後で文句を言われても対応しかねるわよ?」

「うるさい! 俺が良いと言ったんだから良いんだよ!」

 

 リズの忠告を怒声でアキトは拒絶した。それに鍛冶師ははぁ、と呆れた様子で溜息を吐く。

 

「アンタの為を思って忠告したんだけどね……まぁ、良いわ。えっと、《アルジェントブレード》……二十五万コルよ」

「ほら」

「……はい、確かに。じゃあ、はいこれ」

 

 覚束無い手付きでトレードウィンドウをアキトが操作し、逆に手慣れた風に滑らかな動きでリズが操作して代金が受け取った事で、純白の剣は正式にアキトのものとなった。

 その剣の色に見合ったリズベット武具店の『ハンマーと兜が刻まれた盾』が箔押しされた白い鞘に納められた状態で購入した剣を手渡されたアキトは、足音荒く店の出口に向かった。

 その際、キリトの横を通る際に一瞬だけ足を止めてキリトを見下ろしていた。

 キリトを見ているその眼は、しかしキリトを見ていないようにも見えた。憎しみが込められているようにも、哀れみを込めているようにも、別の何かが含まれているようにも思えて……酷く、冷たい色合いをしていると感じた。

 

「……」

「……」

 

 互いに無言で交わされる視線の交錯。それは本当に一瞬の事で、再び白尽くめの剣士が歩き出した事で終わりを告げた。

 そしてすぐに、キリトの元実兄はリズベット武具店から嵐のように立ち去って行った。

 

「はぁ……たっく、久し振りに苛立つ客だったわね…………それよりキリト、大丈夫なの……って、あんた、顔真っ青じゃない!」

「……ぇ……う、ぁ……?」

 

 アキトが立ち去った事で漸く緊張を解いたリズがキリトに話し掛けたが、彼の顔色を見てすぐさま血相を変えた。ボクも店の出入り口からキリトへ視線を戻せば、彼は怯える子供のように身を震わせ、色白の肌を蒼白にしていた。

 ボクはこれを過去に見た事がある。

 忘れもしないデスゲーム開始宣言のあの日、自身の姉が陥っていた状態……恐慌だ。

 幸いボクは姉がそんな状態になった事で却って我を失わなかったが、今のキリトにそんな事は関係ない。今この場所には、キリトが抱える『過去の恐怖』を退けるだけの支えとなれる人物が居ないのだから。

 

「ぅ……カ、ひゅ、ぁ……ッ」

 

 元実兄が立ち去っても、いきなり対面して蘇った恐怖には抗えないようでまともな言葉になっていない途切れ途切れの喘ぎを上げるキリトは、再現された過呼吸で苦しみ始めた。堪らず彼は膝を折って床に蹲る。

 どうやら元実兄が居た時にこの状態にならなかったのは頭が追い付かなかったからで、少しずつ実感が湧いてきて恐怖がぶり返しているという状態らしい。

 この世界のアバターでは原理的に呼吸は必要無いが、隠しパラメータの一つとして酸素ゲージというものが存在するとされる。

 これは水中に潜ったり息を止めたりしてから一定時間が経過すると発生する息苦しさによって限界を知る事が出来るもので、ゲージが少なくなれば現実の酸素欠乏状態の再現が発生する。視界がチカチカと揺らぎ、平衡感覚が喪われるアレだ。しかもアバターでの再現だから、意識がハッキリしている状態でそれらを味わう事になる。

 故に死因の一つには水死もあったりする。この事から誰もが自発的に行っている呼吸は実は必然的に起こされているものなのだという見解が為されている。

 そんな所まで再現され、脳波や電気信号を読み取って感情表現すらしっかり表情に表す技術があるのだから、極限の精神状態まで行けば現実と同様の状態に陥る。恐慌や錯乱状態もその一つ。

 このままキリトが過呼吸で苦しみ続ければ、デスゲームに拘束する為に限界までセキュリティダウンを起こして異常状態でも脳波を読み取れるようになっているだろう《ナーヴギア》ですら読み取れなくなり、回線切断が引き起こされ……最悪、そのまま死亡する可能性がある。事実この世界にもそうして亡くなったプレイヤーが割といる。

 リーファの話から、未だにこの世界でHP全損で死んだプレイヤーは自殺者や回線切断者含めて死んでいないと聞いているが、ゲームクリアと同時に死ぬ可能性がある以上はそんな楽観視など出来る筈が無い。

 それ以前に、キリトが苦しんでいる姿を見て放っておくなんて、ボクには出来ない。

 

「キリト、落ち着いて……呼吸をゆっくりにして……」

「ぁ、ひゅ……ぅ……ッ?」

「大丈夫だから……」

 

 気付けばボクは中腰になって彼を抱き締めていた。背中に回した左腕で優しく抱き締め、右手は彼の艶やかな髪越しに頭をゆっくりと撫でる。そうしながらボクは、彼の耳元で落ち着かせようと言葉を紡いでいた。

 人の温かみに触れる事で落ち着きを取り戻すというのは、昔からボクがされていた実体験だし、逆にボクが姉ちゃんにやった時だってあったからお手の物だ。一緒のベッドで落ち着かせる目的で一緒に寝た事があるのだから猶更である。

 それが効いたからか、冷たくなっていたキリトの体の震えが徐々に収まり出し、速く浅くなっていた呼吸が少しずつ通常の速さと深さに戻り始めた。

 

「うん、そう……ゆっくりでいいから、落ち着いて……」

「ぅ……あ……ふ、ぅ…………くぅ……」

『きゅぅ……』

 

 ゆっくり落ち着かせるべく撫でていると、ふと小さな動物の鳴き声が聞こえた。それと同時に何かをはためかせる音も。視線を上に動かせば、どうやらリズの寝室からどうやってか出て来たらしいピナが近付いて来たようだった。

 そのピナが、キリトの様子がおかしいと気付いたのか、ボクが顎を乗せている方とは反対のキリトの右肩に留まり、彼の頬を舐める。ピナなりに気を使っているのだろう。

 それから数分を要し、キリトは完全に平静を取り戻したのだった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 オリ兄アキトの性格はあんな感じです。一人称は『僕』のままだとなんかアレなので『俺』にしました、才能でふんぞり返ってる系ならこれでもおかしくない筈。

 基本的にオリ兄は、キリト擁護派と相対しても当て馬っぽくなるだけ……の予定。どこまで化けるかは正直分からない。一番厄介なのって、努力とズル賢い知恵の両方を兼ね備えた天才だと思うんで、化けるかも。

 そしてユウキがリーファのお株を取りそう……逆にキリトが誰かに堕とされるような気がしてきたここ最近です。

 ポーションの回復量や酸素ゲージに関してはオリジナルですが、あってもおかしくないと思ってます、特に後者。プログレッシブで溺れたらどうなるかは書かれてなかったけど、こんな隠しパラメータがあってもおかしくないと思う。

 回線切断に関してもオリジナルですので、あまり突っ込まないで頂けると有難いです……異常脳波を読み取れなくなってブツン、という設定で本作は行きます。デスゲーム化に伴って自動ログアウトセキュリティがほぼ無効化されているという感じです。


 それと現在、活動報告の方でSAO編後のルート分岐についてアンケートを行っています、期限はSAO編終了までです。なので現実視点は、多分出ても鈴達では無い。

 ルートは二つ。

 1)解放翌年の2025年四月にIS学園入学(鈴達が直葉&アキトと同年齢)

 2)LS、エディション、HR、GGOやってから2026年四月にIS学園入学(鈴達は直葉&アキトより一歳年下)

 ルート1では他の方の作品と同様に、LS、エディション、HR、GGOがIS学園原作展開と並行しますので結構ややこしい。

 ルート2ではSAOゲーム&原作展開を基本とするのでIS編までが遠いですが、日本国内にいるISキャラは関わってきます。(箒は未定、更識&布仏は絶対関与)

(例:解放直後は2024年なので鈴がまだ日本に居る事から和人のリハビリに付き合う、など)

 詳細は活動報告にあります。奮ってご意見下さればと思います。上述しましたように期限はSAO編が終了するまで……このペースだと物凄い猶予がありますね(笑)

 では、次話にてお会いしましょう。


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