インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話は前回あったキリト着せ替え人形回の続き。着せ替えはありませんが、ゲーム世界ならではの新アイテムを出して引っ掻き回しました。

 視点は前半ラン、後半シノン。

 二人とも一人称が『私』ですが、ランは他者に基本さん付けですます口調なのに対し、シノンは基本呼び捨て、口調は『だわ』『よね』系。地の文でも誰が喋ったか大体書いているので一応分かりやすくはあると思います。

 あと今話、後半に微エロ要素があったりなかったり。

 文字数は約二万四千。

 ではどうぞ。




第五十二章 ~可能性の体験~

「つ、疲れた……ッ!」

 

 そう言って、黒い半袖シャツとズボンの恰好に戻った少年は、ガクッと膝を突いた。

 その姿からは隠し切れない疲労感が滲み出ており、フロアボス戦よりも疲れているようにも見える。

 そこらの女子よりも綺麗な容姿をしているとは言え、キリト君はれっきとした男子であり、これまでお洒落なんてした事はおろか気にした事も無いのは分かっていた。普段しない事だからこそフロアボスと戦った後よりも疲労しているのだろうなと察しが付く。お洒落に興味があって服飾店に入り浸る女子だとしても、何時間も着せ替え人形をさせられては疲弊もする。あまり興味が無い者であれば猶更だ。

 彼が約束を履行する為にアシュレイさんの希望通り様々な衣装のモデルを始めてからおよそ二時間が経過した現在、既に再現された仮想の太陽は中天高く上っており、時刻はもうそろそろで昼食に差し掛かる頃合いになっている。

 最初の小一時間は事前に用意されていた衣装を彼が試着し、それを私達に見せ、その反応でアシュレイさんはデザインの良し悪しを判断していた。

 しかし見ているだけというのは存外苦痛なものである。

 最初は彼が黒コート以外の服を着た姿が新鮮で、また褒めると喜ぶ姿から気にならなかった。アシュレイさんが作った服も最初のメイド服というキワモノだけでなく浴衣といったスタンダードなものと多種多様なラインナップだったため、珍しいという意味では飽きはしなかった。

 ならば何が苦痛だったかと言えば、純粋に『こういう服を着せてみたい』という欲求を抑える事である。

 【黒の剣士】という二つ名が示す通り、彼は私やユウキ、サチさんから服を贈るまでは今も着ている黒いシャツにズボンという平凡な格好だ。普段着と戦闘服を兼ねているその黒い上下の服にはステータスに特殊な効果を加える要素を他と同じく持っておらず、単純に人の好みというデザイン重視のものとなっている。

 私達も何時《圏外》に出るか分からないし、そもそもギルドホームが第二十二層の《圏外》に位置している事から移動する時は基本的に戦闘服となっている。これは休日も同じだ。そういう意味では《圏内》だからこそ彼はコートを脱いでいるのであって、普段はコートを着ているから私達と同じ理由という事になる。

 それでも私達はギルドホーム内であれば私服姿になるし、《妖精》の噂を確かめる為に出歩いた時のように稀に私服を着る事もある。

 だが彼にそのような事は無かった。私達が服を贈るまでに見たのは黒いフーデッドコートかコート姿のどちらかだけ。彼がお洒落したところなど贈った服を除けば今日が初であり、メイド服に浴衣といった豊富なラインナップをとっかえひっかえで着たのなんて前代未聞。

 だから、彼が他の服を着たのをもっと見たい、という欲求を覚えたのも無理からぬ事だった。

 勿論最初は彼だって抵抗した。自身で約束した事とは言え私達が見るとは思っていなかったし、既に女性が着るメイド服という恥ずかしい恰好まで見せたのだ。男子である以上、これ以上の恥部を見せたい筈が無いし、何より着せ替え人形にされて少し疲れていたのもあって彼は渋った。

 しかし……

 

 ――――キリトがお洒落出来るのはこれっきりかもしれないし……

 

 彼の境遇や未来を憂慮しているリーファさんは、少しでも楽しい思い出を残して欲しいと願っていた。

 彼の新鮮な姿を見たいという欲求を満たしたいという欲もあったが、彼女はそれ以上に、他の人が普通に楽しんでいる事を知って欲しいと思っていたのだ。この世界に来る前も来てからも服屋でお洒落するものを買った事も無く、当然着飾った事も無く、今後そんな体験が出来るかも怪しいからこそ、リーファさんは純粋に着て欲しいと思っていた。

 この世界に居る間、これからも同じ事が出来るとは限らない。

 そしてこの世界から生還した後、お洒落に気を回す余裕すら無いかもしれない。

 落ち着いたとは言えキリト君は世界最強の姉の背中を追い掛け、追い求め続けている。仮想世界で経験を積んだ後は、次は現実世界で体を鍛え、強さを磨いていくのは明白だ。その過程で息抜きとして何かを楽しむ時間はあるだろう。

 だが彼はこの世界で《織斑一夏》として既に顔も悪名も広まってしまっている。謂われなき誹謗中傷も甚だしいものだが、大衆がそう信じ込んでいるからこそ、嘘も真実と思われてしまう。

 《ビーター》として振る舞っていたのも、自分から起こしたものだが今後の事を考えての事だったから、それを責める事も出来ない。

 結果、彼に人並みの楽しみを得る事は、SAOから生還した後は限りなく難しいとリーファさんは考えていた。

 

 ――――……直姉……

 

 それは当人である彼もよく理解していて、だからこそ言葉に詰まっている様子だった。

 義理の姉として愛してくれている彼女は、極論で言えば他人だ。ただ『もっと他の服を着たのを見たい』という欲求を満たす為だけに動けばいいのに、それだけでなく自身の事を想っての言動だった事に、彼は戸惑ったようだった。私達が居るのにリアルでの渾名で義姉を呼んでしまうという初歩的なミスを犯す程に。

 彼は、本音を言えばもう止めたい一心だったと思う。何しろ半ば騙された形で試着した姿を私達に観賞されていたのだ。そういう仕事として割り切っていたならともかく来てから初めて知ったなら恥ずかしいと思うのは当然だし、あまりにも長時間続けられるのも辛いだろう。慣れていないなら尚更だ。

 

 ――――…………わかった……

 

 数拍の黙考を挟んだ後、彼は覚悟を決めた面持ちで――――同時に、微笑という喜色を仄かに表しながら、承諾の言葉を紡いだ。

 姉の想いを無駄にしたくない。そして、そこまで想われていた事に喜びを覚えた彼は、私達が選んだ服を着る事に同意してくれた。

 

 

 

 ――――と、同意したのは良いが、そこから一時間半もとっかえひっかえで服を着回した事で精神的な疲労が限界に達したらしく、とうとう膝を突いてしまったという訳だ

 

 

 

 これが冒頭の状況へ至った経緯である。

 誰が予想出来ただろうか。単独でフロアボスと戦い、何十人ものプレイヤーに命を狙われて尚生き抜いた少年が、戦いですらない試着という行為で膝を折るなどと。

 彼の命を狙っている者達が見れば、信じられないとばかりに絶句するか、あるいは好機と見て襲い掛かるかで反応が分かれるだろう。襲い掛かられた場合は瞬時に《ⅩⅢ》で武器を呼び出して応戦し、返り討ちにしてしまうのが目に見えるが。

 

「やっぱり安易に請け負ったのは早計だったか……」

「見ていて飽きなかったわよ、【黒の剣士】クンが着せ替え人形にされるの。なまじ素材が良いから服がよく映えて綺麗だしね」

 

 アシュレイさんの冗談交じりの感想に、私はリーファさん達と共に言葉こそ発しなかったが首肯する。

 何時も見ていて思うが、本当に彼は生まれて来る性別を間違えたと思うレベルで整った容姿なので、余程似合わない雰囲気の衣装でも無い限り基本的にどんな服も似合う。流石にタキシードといったドレスコード系は身長が足りずに『格好いい』と言うよりは『背伸びしているようで可愛らしい』という印象だったが、それ以外は見た目男物だろうと女物だろうと大抵似合っていた。どちらかと言えば容姿から女物に近いものがより似合っていたように思う。

 流石に追い打ちを掛けるような形になるから本人には言わないが、その印象は恐らく彼を除く此処に居る全員共通のものとなっているだろう。

 

「ま、色々いいモノを見せてもらったし、報酬は上乗せさせてもらうからそれで機嫌を直しなさいな。流石に『気に入った服一つ』が報酬じゃ割に合わないでしょ?」

「別に機嫌が悪い訳じゃ無いんだけど……それに、良いのか? 選ぶモノによってはかなりの額になると思うんだが」

 

 アシュレイさんが作る服は、流石は《アインクラッド》の中で《裁縫》スキルを最速で極めた上に、リアルでも服飾デザイナーの仕事を志している事もあってとてもセンスが良く、人気なものとなっている。

 ただそれらは戦闘を目的としたものではなく、彼のリアルの仕事を反映してステータスには何ら影響が無い見た目重視のものが大半。戦闘向きのものもあるにはあるが、そういうものは大抵高級素材を持ち込んでのオーダーメイドが基本らしく、依頼を受けない限りはほぼお洒落専用のものばかりを作っているという。

 それでも人気であるため、アシュレイ作というだけでプレミアが付く程。しかも素材にも拘っているから一着の値段は安い素材で作ったものであれば数千コルで済むが、高級素材で作った綺麗なものは数十万は下らないとされている。

 キリト君が試着した中にはそういったものが多くあるようで、最初辺りに試着した浴衣などは約三十万コル掛かる代物。

 そういったものを無料で複数譲るというだけでも、攻略組と違って生産職として活動しているアシュレイさんにとってはかなり痛い出費の筈。そういう事にかなり敏い彼が心配するのも当然の話だった。

 

「あら? 別にタダであげる服を増やすとは言ってないわよ?」

「……うん?」

 

 しかしアシュレイさんは、馬鹿にしてはいない心底不思議そうな顔で応じ、キリト君は予想が外れて小首を傾げた。しかもアシュレイさんが何を考えているのか分からないからか、こちらも心底不思議そうな面持ちになっている。

 

「早とちりしているようだけど、私があげる上乗せの報酬は服じゃなくてアイテムよ。それもかなりのレア物」

「レアアイテムか……物によるけど、どういうものなんだ?」

「あるクエストで偶然手に入ったものなんだけど、私には無用の長物なものなのよ」

 

 メニューウィンドウを繰りながら言っていたアシュレイさんは、あるアイテムをオブジェクト化して、カウンターの上に置いた。

 それはプレイヤーなら誰もが見ているだろう、慣れ親しんだポーション類の小瓶だった。高さ十センチ弱で片手で掴める程度の小瓶の中に詰められている液体は紫色。禍々しい色では無く、液体を通して向こう側が見えるくらい澄んでいて、とても煽情的な色合いをしていた。

 HP回復ポーションは薄緑色をしており、解毒ポーションは濃い緑色、解痺ポーションは黄色など、種類によって液体の色は基本的に決まっている。HP回復ポーションは効果が上がる程色合いが澄むようになっており、また微妙に小瓶の形状も異なっているので、どちらかと言えばビンの形状で判別するようになっている。

 そしてその紫色の液体が詰まったポーションを、私達は見た事が無かった。キリト君も見た事が無いようで少し困惑の表情となった。

 

「えっと……アシュレイさん、それは……」

 

 この中で最もアシュレイさんと付き合いのあるユウキが困惑の面持ちのまま、控えめに問い掛ける。流石に紫色の液体を飲みたいと思う筈が無く、自分が飲む訳でも無いのに拒否反応が出ているらしかった。かく言う私も同じである。アレは飲みたくない。

 それはともかく、アシュレイさんはその問いに、かつて受けたクエストの内容を思い出しているのか天井を軽く見上げながらその内容を大まかに語った。

 現在デスゲームとなってしまっているこの《ソードアート・オンライン》は、それでもVRMMORPGとしての世界構造はそのままであるため、プレイヤーが習得スキルを元にクリアをするクエストも存在する。そういうものは特定のスキルを習得していなければ進行不可能になってしまうので、受注する段階でシステムが動かすNPCが話し掛けたプレイヤーのスキル値を参照し、条件を満たしていれば発注し、満たしていなければノーリアクションを貫くようになっている。

 アシュレイさんが受けたクエストは《裁縫》スキルが熟練度七〇〇を超えて以降に受けたもの。内容としては指定されたお題に沿ったデザインの服を、指定期間内に指定数仕立て上げる事。

 これだけ聞けばただの納品クエストと思うが、素材はそれなりにレア度があるものを指定される上に、ただスキルを実行しただけでは評価されないというものだった。

 同じ生産スキルである《調薬》を取っているキリト君やシリカさんは、ポーションを作るレシピをクエストで得るか、手探りで見つけ出してそれらを体系化している。レシピがあれば特定の素材を揃えて生産の過程を踏めば良いだけだが、手探りの場合は自力で配合しなければならないという訳だ。

 《裁縫》も必要な素材を集めて特定の過程を踏めば同様にアイテムが完成するが、大抵そういうものは防御力が低かったり、地味なものが多い。それでも《裁縫》スキル持ちが比較的いるのは、戦闘用の衣服や革装備の耐久値を回復するのに必須だから。

 つまり実用性を優先したものが、《裁縫》スキルで行われる自動生産なのだ。

 反面、そのクエストはプレイヤーのセンス、どこにどんな色の糸を使うかの技術が試される、自動生産では決して行われない部分が評価されるものだったらしい。この世界で生活出来るくらいの再現度と謳われていただけあり、本気でこの世界でもデザイナーを目指す者にしかクリア出来ない条件だったのだ。

 幸いアシュレイさんは服飾デザイナーをリアルでもバーチャルでも本気で志している稀有なプレイヤーだったため、素材集めに多少手古摺りはしたものの、製作自体は極めて楽に終えられたらしい。とてもやりがいがあって楽しかった、とは本人の弁だ。

 そのクエストの報酬は《裁縫》スキルの新Modの習得。それは《生産必要素材数半減》というもので、自動生産時に要求される素材数を全て半分にするというものだった。

 ただしそれが発動する条件として、一度実行して実際に作成した事があるものに限られる。

 アシュレイさんは服飾デザイナーとして同じデザインの衣装を大量に作る必要があり、オリジナルデザインの服を作った後はレシピとしてスキルに登録し、素材さえあれば自動で生産出来るようにして店を経営しているので、何気にそのModは大助かりだったという。本格的にデザイナーを志すプレイヤー向けのModだったのだ。

 ちなみにそのクエストは他の誰も起動させた事が無いらしく、キリト君も初耳だったと語った。

 本気でデザイナーを志す者にとっては最大級の報酬が来た訳だが、もう一つ報酬があった。それはとあるポーション系アイテム。

 それが今正に私達の目の前に出され、カウンターの上に置かれている紫色の液体が詰まった小瓶だと言った。

 そのポーションの名称は《メタモルポーション》。

 使用方法は特殊で、ポーションでありながら栓を開けて直接飲むのではなく、小瓶をタップして出て来たポップアップメニューから《対象》を選択し、次に表示される《使用》というメニューを選択する事で、効果が発揮される。

 効果は対象者の容姿を一定時間変化させるというもの。

 使う前にポップアップメニューの《効果の設定》から『性別』、『身長』、『体重』の他、《ソードアート・オンライン》を始めるにあたって誰もがしたであろうアバター作成と同様の設定をすれば、使用した時に設定通りの容姿に出来るというアイテムだったのだ。設定に際してどんな風になるかのプレビューも表示され、そちらで顔の造形や体の細かな部分を設定するらしかった。

 更に時間も任意に設定可能で、最短で一時間、最長で一年と両極端な期間が設けられていた。設定時間が過ぎるか、効果時間内でも《メタモルポーション》の《使用》から《解除》へと変更されているポップアップメニューをクリックすれば、元の容姿に戻れると言った。

 実際にアシュレイさんも何度か使って自分自身をモデルにした事があるが、やはり鏡越しで自分を見てもインスピレーションは沸き立たず、かと言って便利な上にユニークアイテムっぽいから捨てる事も誰かに譲る事も出来ず、今までストレージの奥底に埋もれていたという。

 そして、アシュレイさん曰く、恐ろしいのは異性の性別にすら変化可能である事と、本来ならあり得ない器官を付け足す事が可能な点らしい。

 

「異性にまで……いや、それはSAOのアバター作成を参照しているなら分かるけど、あり得ない器官ってどういう……?」

「……あの、もしかしてケモミミとかですか?」

 

 流石にキリト君は分からなかったようだが、リーファさんは何となく察しが付いたようでそう問い掛けていた。

 確か彼女は機械系が苦手だからキリト君に《ナーヴギア》を譲ったという話だったが、この話に付いて来れて、更に彼よりも早く予想が浮かんだという事はALOにもそういう妖精の種族が居るのかもしれない。

 ゲームや異世界系の漫画、小説にもあるが、獣耳や尻尾を生やした種族は割と登場するから、ALOの種族にそういうのが居ても不思議では無い。

 

「あら、リーファちゃん鋭いわね。漫画やアニメでありがちなケモミミを生やす事がコレは可能なのよ。アバター作成の時には無かったのだけどね」

 

 そう推察しながら納得を覚えていると、彼女の予想は当たっていたようでアシュレイさんがにこりと微笑みながら正解に等しい言葉を返した。

 

「……で、アシュレイはコレを俺に譲るつもりみたいだけど……まさか容姿を変えてまたモデルになるように言うつもりじゃ……」

 

 そんな彼に、キリト君は僅かに警戒して――と言っても猫がするように可愛らしいものだ――、じり、と半歩分右足を後ろへ引きつつそう問い掛けた。どうやら相当着せ替え人形になったのが辛かったらしい。思っていた以上に疲れたのもそれに拍車を掛けているだろう。

 キリト君を見たアシュレイさんは、それもあるのだけどね、と言いつつ苦笑を浮かべる。

 

「私がコレを譲ろうと思ったのは、義弟想いなお義姉さんの事も考えての事よ」

「え? あたし、ですか?」

「……どういう意味だ?」

 

 予想外な答えに二人だけでなく私達も疑問を浮かべてアシュレイさんに視線を送っていると、彼は自身より遥かに背が低い少年へ、真剣な面持ちを向けた。

 

「さっきの様子を見る限り、【黒の剣士】クンは今後碌な生活を送れないと思っていいのよね?」

「……そうだな」

 

 《織斑一夏》に付き纏っている《出来損ない》の悪評、女尊男卑風潮、《ビーター》としての悪名などが折り重なっているせいで、彼はこのデスゲームから生還した後もマトモな生活は送れない。

 この世界に囚われているプレイヤーの大半は中高生だ。義務教育を終えていない者、あるいは終えて高校に通っていた者が多く、生還した後の学業復帰はかなり絶望的にあると思って良い。恐らくそこに関しては日本政府が救済措置を行ってくれるだろう。

 つまりこの世界で生き残っていて、且つ《ビーター》や《織斑一夏》の事を良く思っていない者が多くいればいるほど、彼は現実に帰った後の生活が苦しくなる。

 デスゲームという殺伐としていて、しかも外部から内部の様子を碌に見れない状況に一年以上も囚われていたプレイヤー達を、元の学校が受け容れる筈も無い。よしんば受け容れても待っているのはSAO生還者に対する偏見や差別などだろう。それらに対し攻撃的な対応が起こり、大問題に発展する可能性は決して低くない。

 だからきっと私達は一つの学校、と言う名の監視施設に収容される筈だ。

 良くて普通の学校の体裁は保たれているだろうが、酷ければ少年院といった監視と矯正をあからさまにした施設に移されると思う。

 そういう閉鎖的な空間や環境に於いて風評というのは凄まじく影響力を持つ。派閥や勢力争いが絶えないのも、リーダーとしている者の力でルールを書き換える為。

 キリト君の場合、その環境への適応力は非常に高いだろう。哀しいほどに歳不相応な冷静さと聡明さを併せ持つ彼なら大抵の事に動じず、また意図を理解し、それを汲み取って問題を起こさないよう従いつつ、自身の道を模索する筈だ。

 だが彼を取り巻く環境がそれを完全に阻害する。それは彼の誹謗中傷であり、無理解であり、身勝手な偏見である。そしてそれらは何れ閉ざされた環境だけでなく、彼が身を寄せている住まいがある地域、彼を受け容れた家族へと波及し、どんどん追い詰めるに違いなかった。

 

 

 

 ――――あくまでこれらは私が想像出来る範囲での事だ

 

 

 

 ――――しかし、私の想像力を超える酷い事、惨い事が起こるのは間違いない

 

 

 

 だからこそ、アシュレイさんの大雑把な予想は、しかし残酷なまでに正鵠を射ていると言えた。

 キリト君も自分の未来を嫌という程理解出来ているようで、彼の忌憚を恐れない率直な物言いに対し複雑な心境になって僅かにつっかえながらも肯定を返した。

 

「それに、今も碌に街を歩けないのよね? 何しろ悪い意味でも有名過ぎるから」

「そうだな……」

 

 《ビーター》を名乗り始めたのは彼自身とは言え、護っている対象から悪く言われている事に思うところでもあるのか、それとも他に何か複雑な想いでもあるのか、彼はまた一段と沈んだ空気を纏いながら応じる。

 そんな彼に、アシュレイさんはにこりと微笑みかけた

 

「ならコレはうってつけでしょ? 容姿まで変えるなら服を変えるだけよりもよっぽど効果的じゃない」

「「「「「あ……あああああああああああああッ?!」」」」」

 

 アシュレイさんが言った事の意味を理解した直後、黙って話を聞いていた私、ユウキ、サチさん、リーファさん、シノンさんの五人は驚きの声を揃えて発した。

 確かにそうだ。キリト君の容姿は《織斑一夏》として、黒い衣装は【黒の剣士】であり《ビーター》の証として知れ渡っているから、少しでも出歩けるよう願って私とユウキは彼に紫色を主とした服を贈ったのだ。

 それでも容姿はどうしても誤魔化せないからどうしたものかと、キリト君には悟られないようギルドホームにて三人で悩んでいた。彼の体格や背丈は幼過ぎるという意味でとても特徴的で、顔を隠したり服を変えたりする程度では、日常的に彼を見て来た攻略組や誅殺隊の面々には一発でバレてしまう。遠目ならともかく近付けば一発だ。

 しかし《メタモルポーション》を使って自由に体格や容姿を変えたなら、よっぽどの事が無い限り気付かれない筈だ。クラインさんやアスナさん達なら何となく雰囲気などで分かるかもしれないが、素と《ビーター》の顔とを使い分ける程に演技力がある彼なら誅殺隊程度は簡単に騙せるだろう。見ず知らずの人間ならそもそも疑いすらしない筈だ。

 表向き、キリト君は直接的な交友はヒースクリフさんやディアベルさんといった攻略組でどうしても話さなければならない者とだけであり、それも仕事関係程度という認識になっている。必要だからヒースクリフさん達はフレンド登録しているだけだ、と思われているのだ。

 つまりリーファさんが彼の義姉である事は知られていないし、私達と親しいのもあくまで共に戦う一人だからでありアスナさんといった話さなければならない人を介して知り合っているだけという認識だから、キリト君では無い人と親しげに話していても何ら問題は無いし、《ビーター》が変装しているのかと疑われる可能性も極限まで低くなる。

 仮に親しかったら変装したのではと疑われる可能性は高いだろうが、《メタモルポーション》を使った場合、リーファさんを除いてリアルの容姿に変えられているSAOプレイヤーにはあり得ない『体格や性別などの変更』が出来るから、そもそも変装したという思考すら勝手に消え去る。

 

 

 

 だからそのポーションさえ使えば、キリト君とリーファさんは姉弟水入らずで買い物が楽しめるし、私達とも人目にあまりつかない程度であれば街を練り歩く事も出来るという事なのだ。

 

 

 

「キリト、それいいじゃん! それを使って変装したらその間だけでもボク達と気兼ねなく遊べるよ!」

 

 それを理解してすぐ、ユウキが半ば興奮しながら提案を持ち掛けた。

 去年から季節ごとのイベントに一緒に行きたいとか、美味しいレストランを見付けた時は何時か一緒に食べたいと言っていて、それが叶わない事に諦観を抱いていたからこそ、叶えられる可能性に興奮しているようだった。

 

「そうだね。余裕が出来た時に使ったらいいんじゃないかな。人目がある場所だとキリト、何時も気を張ってるから……」

「誰にも邪魔されないで美味しいものを食べたり買い物をしたりするなら打ってつけだと私も思う。キリト、遠慮しないで受け取ったら?」

 

 サチさんが控え目に、シノンさんが微笑みながら積極的に、ユウキと同様の提案を持ちかける。

 

「私も貰っていいと思いますよ。アシュレイさんが言ったように、リーファさんと想い出を作るなら最適だと思います」

 

 それに便乗するように私も同じ意見を言った。

 恐らくフレンド登録をしているプレイヤーには姿を変えた彼の頭上に名前が変わらず表示されるのだろうけど、彼とフレンドになっているプレイヤーは極僅かで、しかも事情を知っている一握りのプレイヤーだけだ。この《メタモルポーション》の存在を予め言っておけば、姿が違うのに彼の名前が表示されている事態に出くわしてもすぐに状況を理解し、合わせられるだろう。彼が姿を変えて行動している事も他にはバラさないと思うから、私達と一緒に居て疑われる可能性も高くはならない。

 そう結論を出したのは私だけではなかったようだ。

 

「……リー姉は……」

 

 私達の提案を受けた彼は件の小瓶を見て想い悩んでいる様子で、すぐには応じず、特に提案をしていない最後の一人であるリーファさんへ是非を問い掛けた。

 アシュレイさんが薦めた理由は彼女との交流を深めやすくする為であり、想い出を作れるようにする為だ。それに本人が乗り気なのか気になったのだろう。この提案を受けるか否かの判断材料にする為でもある筈だ。

 問い掛けられた彼女は、キリト君を見て何か考え込んでいる様子だったが、義弟に声を掛けられてからすぐに微笑みを浮かべた。

 

「姿が変わるけど、それで思い出を作れるならあたしも良いと思う」

 

 私達のように積極的でこそないが、それでも前向きな意見を彼女は言った。

 しかし、でも、と言葉が区切られ、リーファさんは真剣な面持ちになった。

 

「これはあくまで一つの意見よ。分かってると思うけど、あたし達が言ったからじゃなくてキリト自身の意志で受けるかどうかを決めて。少しでも楽しい思い出を作って欲しいと確かに思ってるけど、あなた自身がそれを望まない限り、本当の意味では作れないの……それに、あたしは本人の意思を無視したくない。それが弟なら尚更ね」

「……」

 

 それは彼を窘め、あるいは叱責するような言葉だった。

 もしかしたらリーファさんは、彼が自身の意見に沿おうとしているのではないかと考え、そうならないよう予め釘を刺す事にしたのかもしれない。

 キリト君にとって自身を受け容れてくれた家族はとても大切な存在であり、同時に嫌われたくない、否定されたくないと一番思っている相手だ。相手の機嫌を損ねないようにしようと、あるいは自身を慮ってくれている家族に少しでも報いようと無意識に思考し、行動していても、何らおかしくは無い。

 彼女はきっと、その思考が行き過ぎるのを危惧した。

 彼女はこのデスゲームに意図せずして途中参加する事になったため、直にキリト君の《ビーター》としての行動を見た機会は非常に少ない。ともすれば闘技場前の一件くらいで、あとは全て伝聞の形でしか知らないだろう。

 それでも彼の他人本位且つ自己犠牲的な精神性は痛い程に理解出来ている筈だ。

 赤の他人で広まっている噂しか知らなければともかく、彼女はこの世界に来る以前からキリト君の事をよく知っていて、既にこちらに居る期間の方が共に暮らした時間より長いと言えど、彼は義姉のリーファさんに最も心を許している。義理の姉弟水入らずの場で彼自身が何か語っている事も考えられる。

 彼の素を知っていて、本当は心優しい人格である事も知っていれば、《ビーター》としての活動や噂も、【黒の剣士】としての活動も、どちらも彼女にとっては違和感しか覚えないものの筈なのだ。

 そして私達がSAOに於ける彼の行動の真意を語っているため、彼の自己犠牲的な思考も知っている。

 何事も、過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 キリト君は人の事を想える、昨今では稀有な人格の持ち主だ。敵意や殺意を向けられても尚、向けて来る者達の事を考えて動ける人などそう多くない。周りや先の事をしっかり見据えて行動出来るのも人の事を考えられている証だ。

 しかし、それは行き過ぎれば自分自身を二の次、三の次にして、他者の事情ばかり優先してしまうようになる。他者に優し過ぎる自己を顧みない自己犠牲はその究極系。

 逆に他人の事情を無視して自分の事ばかり優先し、自身の考えや意見こそが正しいと思い込み、押し通そうとする者は、自己中心的な考えの究極系だ。

 自分本位か、他人本位か。どちらにより重きが置かれるかは時と場合と事情によって変わるので、一概にもどちらがより重要とは言えないが、少なくともどちらかに振り切っていてはならないのは分かり切った事だ。

 彼の実姉であるブリュンヒルデは分からない。しかしキリト君の話を聞く限りそこまで悪感情を持っている様子では無いし、一応社会に出て働けていたのなら、少なくともそのバランスは取れていたのだと思う。

 神童は、件のデュエルでしか見知っていないのであまりよく知らないが、恐らく自分本位の究極系。

 キリト君は他人本位の究極系だ。

 だからリーファさんは危惧した。彼にとって恐らく最も大切で、同時に最も嫌われたくない存在である自身の意見にだけ従うようになる事を。彼から意志と自由を剥奪する事を。

 既にこの世界に於いて光の【黒の剣士】と闇の《ビーター》の二つの側面で、行動、意志の自由が縛られているのだ。その二つの呪縛から逃れられる僅かな機会となるプライベートな時間すらも他者に縛られる事を、彼を大切に想っている彼女が許す筈も無い。なまじ束縛するのが自身なら尚の事。

 あくまで彼が自分の意志で決めなければならないのだ。

 

「……俺は、アシュレイの提案を受けるよ」

 

 義姉の真剣な言葉に耳を傾けていた彼は、少しの間を置いて、彼女を見詰め返しながらそう言った。

 

「あなた自身の意志なのね?」

 

 その決定が本当に彼自身のものかは分からない。本当はリーファさんや私達の意見に流されたのかもしれない。しかしそれらを厳正に調べる術などある筈が無くて、結局は本人の口から聞くしかない。

 そう考えたのだろうリーファさんは、念を押すように確認を取った。

 

「うん」

「……なら、あたしから言う事は無いわ」

 

 返事に間を置かず、けれどしっかりと目を逸らす事無く頷いた義弟の様子に、彼女は満足げに微笑みを浮かべた。

 

 ***

 

「どんな姿で出て来るのかしらね」

 

 義姉弟の一連のやり取りを見ていたアシュレイから《メタモルポーション》を譲ってもらったキリトは、昼食を外で食べる事を建前に私達が使うようせがんだため、早速ポーションを使って容姿を変える事になった。

 現在はポーションの《設定》メニューから変更後のアバターの容姿を細かく選択している頃である。

 彼は試着ブースに一旦引っ込んで作業していて、私達は場所を移動しないで椅子に座って待っている。

 アシュレイはキリトに頼まれて、おかしく見えない容姿のアドバイスをしている。それは良いのだが、ブースに引っ込む際に見せた人をからかうような笑みを思い出す限り、キリトの頼みは真面目にこなしつつ、こちらを驚かせるような容姿にするのではないかと私は少し警戒している。

 とは言え、楽しみにしているのも事実だ。彼がブースに引っ込んでからまだ数分しか経っていないが、楽しみにしている事も手伝って、たった数分でもかなり長く感じてしまう。それが余計にじれったく思えてしまっていた。

 

「アシュレイさん、結構ボクをからかうからなぁ……でも服飾デザイナーを本気で志してる人だから変な容姿にはしないと思う。人の頼みは真剣に受けるしね」

「リーファとしてはどんな容姿だと思う?」

 

 付き合いの長いユウキが言った後、サチがキリトの義姉であるリーファに問い掛けた。確かに私のライバルであると同時にキリトの義姉でもある彼女が、自身の義弟がどんな容姿になるかと思っているのは気になる。

 サチの問いに、リーファは微苦笑を浮かべた。

 

「あの子の性格と変装の目的からして目立つ容姿にはしないと思いますから……まぁ、日本人の容貌から然して外れない辺りかなとしか。最初に浮かんだのはあの子が成長して大人になった姿ですかね」

「あー、ボクも最初それが浮かんだ。ちなみに具体的に言えば背はどれくらいを考えた?」

「あたしより数センチ高い程度……なので、165センチから170センチくらいでした」

「165センチかぁ……ボクは140センチくらいで考えたなぁ」

 

 ユウキの身長が150センチ程なので、頭半分くらいの身長差が出来る。一先ずこの場に居る女子の面々より、リーファの場合は高く、ユウキの場合は低くなるくらいを考えたという事だ。

 そういえば、昔読んだ小説では……

 

「男女の理想の身長差って、丁度15センチらしいわよ」

 

 ちなみにその身長差は、唇を合わせる事を考えたものである。

 

「「「「……」」」」

 

 ぽつりと昔読んだ本に書かれてあった事を言うと、部屋の中が静まり返った。

 他の四人を見れば少し真剣に過ぎる面持ちになっている。多分私もなっているだろう。しかも他の四人もしっかり意味を理解しているらしい。年上っぽいサチはともかく、同年齢らしいリーファ達が知っている事には驚いた。私のように小説を読む方には思えなかったから正直意外だ。

 それに、サチはともかく、何だかんだ言ってランも結構気になっている方らしい。これは新たなライバル出現か。

 

 

 

「はいはーいお待たせ!」

 

 

 

「「「「「ッ?!」」」」」

 

 何故か静まり返り、意味の無い緊張感が室内に満ちたその時、狙い澄ましたかのようなタイミングで試着ブースに引っ込んでいたアシュレイが大声を上げながら戻って来た。

 自身を除く四人へ意識を向けていた私達は、意識の外から掛けられた大声にびくぅっと肩を震わせ、思わず椅子から僅かに飛び上がってしまった。

 そんな私達を見て、女性らしい言葉使いの長身男性は呆れた目を向けて来る。

 

「……大方、【黒の剣士】クンとイロイロとする妄想してたんでしょ」

「い、いやぁ、あはは……」

 

 話を聞いていたのかと思うくらい的確に言い当てて来るアシュレイに、ユウキは表情を引き攣らせながら乾いた笑いを上げた。他の私達は居た堪れなくて、顔を赤くしながら視線を床へと落とすばかり。

 正直、考えなかったと言えば嘘になる。そもそも私があんな事を口にしたのも真っ先に考えたからだ。

 キリトはまだ幼い子供の容姿だから自制を利かせられるが、素以外では私と同年代、事によれば大人と遜色ない雰囲気と口調の状態で容姿までそれに準じれば、ちょっとキツイなと思う自分もいる。いきなり事に及ぶ事は絶対あり得ないが、少しでもそれっぽい雰囲気に流れたら抵抗出来ない自信はある。

 ――――まぁ、キリトがそんな流れにしてくるとは思えないが。

 ……自分で無いと思って悲しくなってきた。

 

「ん、んんっ……えっと、意外と早かったね?」

「誤魔化したわね、ユウキちゃん」

「あ、あはは……」

「……ま、あんた達も年頃だからあまりとやかく言わないけど、自制心は忘れないようにしなさいよ。じゃないとトラウマ植え付けかねないわよ?」

 

 正に今考えていた事までしっかりと言い当てて来たため、アシュレイはエスパーの超能力者なのではと思ってしまった。私が単純なだけだろうか。見る限りユウキ達も同じ思考をしていたようだが。

 そんな私達に呆れ切った眼を向けていたアシュレイは、はぁ、と溜息を吐いた後、頭を振って意識を切り替えたようだった。

 

「取り敢えず、力になれる範囲では最大限助力したわ……きっと喜んでもらえると思うわよ?」

 

 そう言って、にっこりと笑うアシュレイ。どうやら私の予感は的中したらしかった。

 一体どんな姿になったのだろうと思っていると、入ってらっしゃい、とアシュレイがブースに待機しているのだろうキリトを呼んだ。それから間を置かず、ブースとこの部屋とに境界線を作っていたカーテンがシャッと横に開かれる。

 そしてコツ、コツ、と木張りの床から足音を立てて、一つの人影が姿を見せる。

 

「――――」

 

 その姿を目視した途端、少なくとも私は息を呑んだ。いや、瞠目しながら呼吸を忘れた、と言った方がより正確な状態に陥った。

 《メタモルポーション》を用いて姿を変えたキリトは、端的に言えばリーファやユウキが想像していたらしい――勿論私もそこに含まれる――成長した姿になっていた。背丈が高くなり、何時も見下ろしていた私は逆に彼に見下ろされている。肩幅も華奢さも影を見ないくらい男らしいものとなっていた。

 しかしそれくらいは予想出来た範囲内だ。私が瞠目し、呼吸を忘れたのは、そんな事に対してではない。

 上手く表現する事は出来ないが、大人の男性に見える今のキリトは、やはり普段よりも凛々しさを増していた。黒い髪や中性的な容貌といったパーツは殆ど変わっておらず、やはりあそこから成長した姿と言うのが正しいくらい特徴を押さえられている。

 幼さ故か少女に見えていた中性的な彼の顔は、やはり成長した事もあってしっかり男性に見える。長い黒髪は艶やかで、長い切れ目が女性的な妖艶さも見せているが、キリリと引き締められた表情は男性の凛々しさを体現しているのだ。

 更に、今の彼が身に纏っているのは半ば無個性と言える黒コートでは無く、試着した無数の服の中から彼が選んで譲ってもらった代物。

 彼が選んだのはアシュレイさんが手掛けた戦闘用の服だ。

 黒という点ではコートと変わらないものの、あちらが羽織るゆったりとしたものであるのに対し、彼が今着ている服は体のラインを浮き彫りにしている。腰に帯が巻かれているので必然的に和服を想起させるそれは動きやすさを重視しているのか胸元が大きくはだけていて、彼に他意はないのだろうけど酷く扇情的だ。ズボンは側面に一筋の金とそれを左右から挟み込む白のラインが入っていた。

 他の色も入っている事がよりその黒を映えさせるその服は、無論服の色だけでは無く、彼自身の黒色もよく映えさせていた。

 

「見れば分かるけど【黒の剣士】クン特有の特徴を保ちつつ、身長は185センチまで高くしたわ。一気に成長したらこんな感じになるんじゃないかしらね」

「いきなり手足が伸びたから、かなり違和感があるけど……どう、かな」

 

 碌な反応を見せず、ただ目を瞠って黙っている私達の反応をどう捉えたのか、見た目は大人の男性になったキリトが僅かに緊張した面持ちでそう聞いて来た。

 

「……似合ってるわよ、凄く……正直予想以上」

 

 その問いに、半ば呆然としながらリーファが答えた。その顔はやはり瞠目だったが、しかし頬が僅かに朱い事から察するにどうやら見惚れていたようだ。

 恐らく私の場合も、見惚れていたと言っても過言では無いのだろう。

 大人の男性らしいどこか頼れる力強さを容姿として得たキリトは、本当なら多少の違和感を抱くにも拘わらず、今の彼が纏う雰囲気はそれにマッチしていた。齟齬が無いという点で言えばやはり素では無い彼の振る舞いは大人のそれに匹敵しているという事だ。

 成長した男になれば中性的な部分は大抵消え失せるが、今のキリトは確かな男らしさの中に女性らしいものを漂わせている。何歳の肉体年齢を参考にしたかは知らないが、あのキリトが正しく成長すればこういう風に育ってもおかしくなかった。そういう意味でも違和感は無い。

 無論見惚れた理由はそれだけでは無い。

 一番大きいのはやはり、ギャップだろう。それも似合っているという良い意味でだが。

 誰よりも幼くて、異性としての感情の他にも母性のようなものすら覚えてしまうくらい幼い彼が、唐突に違和感を覚えない大人の姿で現れたのだ。何時もは頼ってばかりではいられないと自制を掛けるが、今のその姿では頼り続けたくなってしまう。

 これはもしかしたら私だけかもしれない。私には父親が居なかったし、祖父母はおろか母親にもここ数年は殆ど甘えていなかったから、今の大人の男性らしいキリトに父性を感じていて、だから惹かれていると言われても否定は出来ない。

 

「そうか。変じゃないならよかった」

 

 そして、リーファから肯定的な答えを聞いたキリトが、そう言いながら微笑んだ。

 成長したからか、その笑みは男性がよく浮かべる挑発的なものに見えた。恐らくその笑みは容姿を変える前ならとても素直な子供らしい笑みで、嬉しがっているのがありありと分かるくらい柔らかなものだったのだろう。あの柔らかな笑顔がトドメになった身としてはちょっと物足りなくはある。

 だが、成長したキリトが見せる片頬だけを釣り上げるような笑みもとても似合っていた。安堵しているのは分かるが、その笑い方がどこか余裕を感じさせるものだったから、素直に格好いいと思った。

 これまでに一度も異性に対し、『格好いい』とかそれに類する感想を覚えた事が無い身としては、とことんキリトにぞっこんなのだなと自覚せざるを得なかった。

 無論知り合いの男性の中でも比較的良識的なクライン、エギル、ヒースクリフやディアベルといった者達も、それぞれ違った魅力を持つだろう。少なくとも私が見て来た男性の中では同年代から大人含めて余裕でトップに食い込む。

 クラインは気配りが出来るし、キリトに対して何かと気を揉んで気に掛けられる人格の持ち主だ。エギルは商人として活動しているからかとてもフレンドリーで、クラインとは別の意味で、頼れる大人という雰囲気を持っている。

 ヒースクリフとディアベルは大規模なギルドを率いている事があってか、種類は別ながら同種のカリスマを持っていて、確かにリーダー気質である事を感じさせた。

 攻略組という恋愛に現を抜かせられない立場、キリトにだけ負担を負わせないよう必死に動かなければならない事情、ゲームクリアを求める者達を率いて戦わなければならない状況が災いしているが、出逢いさえあれば普通に結婚出来るくらいには誰もが何かしらの魅力を持っている。エギルは既に既婚者らしいが。

 個人的にクラインとディアベルにそういう浮いた話が無いというのは第一印象から意外には思った事である。

 そしてキリト。

 別に子供の姿の時は頼りないという訳では無い。むしろ幼いのにその精神の屈強さ、不屈ぶり、愚直さを以て他の追随を許さない強者となっているキリトが頼りない筈が無く、その深い見識には何度も感嘆とさせられた。現に戦闘指南を受けている身としては頭が上がらない。

 それでも、どれだけ強くてもキリトは子供だ。素の性格に見合った容姿で甘える――と言ってもその年にしては非常に控え目だ――彼を見れば、もっとしっかりしなくてはという思いに駆られるし、この子を護り支えなくてはという思いも生まれる。

 だが、今のキリトの姿を見ると、そういったもの以上に自分が甘えたいという思いに駆られる。

 体格に比例して大きくなっている手で撫でられたい。優しく抱き締められて、何でもいいからとにかく褒められたい。あるいは、作り物の体とは言えしっかりとしたその体に抱き着いて、その力強さを感じてみたい。

 はしたない、とは自覚している。とても自分が考える事とは思えないとも思っている。

 でも仕方ないではないか。女っ気など全く無くて、そもそも恋愛なんて馬鹿がする事だと眼中にすら無かった私が、それでも心から惹かれ、意識している男の子が相手だ。誰かに甘えた記憶が既に遠い過去となって薄れている身としては甘えられる対象が欠乏しがちだし、好きな相手に甘やかされたい思いはきっと誰もが共通して持つと思う。

 そう思っている相手が大人になって出て来たら……意識するなと言う方が、無茶に決まってる。

 

「ね、ねぇ、キリト?」

 

 顔が熱くなって、動悸が激しくて、正直キリトを直視出来なくなり始めた私がその思いを抱きつつ見惚れていると、どこか夢現といった感じで顔を赤くしているユウキがふらふらと覚束無い足取りでキリトに近付き、名前を呼んだ。

 僅かに濡れた紅い瞳で、自身より遥かに背が高くなった相手を見上げた。

 

「ん?」

「えっと……えっとね、その、お願いがあるんだ……」

「お願い? 何だ?」

 

 すぐ目の前まで来たユウキの言葉に、彼女を軽く見下しながらキリトが首を傾げて問い掛ける。

 それにユウキは尚更顔を赤くして、恥ずかしそうに胸の前まで持ち上げていた両手を軽く握り……

 

 

 

「……今までキリトにしてきたみたいに……ボクを、抱き締めてくれないかな。ぎゅ……って、優しく……」

 

 

 

 妬ま――――もとい羨ましいと思える願望を、か細く口にした。

 

「へ?」

「……だめ?」

 

 戦闘時は殆ど動揺などせず、むしろそれ以外でも割と泰然としている風のキリトは、そのお願いを聞いて素っ頓狂な声を上げた。

 その様子に、ユウキは更に追撃に掛かる。既に濡れた瞳で見上げているが、不安そうに小首を傾げながら、言外にまたお願いをしたのだ。背丈が逆転しているから普段なら姉弟に見えるのに、今は親子に見えなくも無い絵面である。言い方は酷いが犯罪臭がしなくもない。

 

「っ……わ、わかった」

 

 一瞬だが、ユウキの様子を見て息を呑んだキリトは頷き、彼女に近寄った。それから僅かに膝を折り、優しく、しかし力強さを感じさせる大きな両腕で、彼女の華奢な体を包み込む。

 その抱擁は、確かに以前ユウキがキリトにしたものと酷似していた。

 

「ん、ふぁぁ……」

 

 違いがあるとすれば、抱き締められている者が流す涙の理由が完全に違っている事。

 キリトは恐慌を来して流していたが、今のユウキは歓喜に打ち震えて流しているのは明白だ。

 猫のように目を眇め、嬉しそうに涙を流すユウキの表情は蕩け切っている。真剣な面持ちで話す時の顔からはまったく予想出来ないくらい蕩けていて、今にもキリトにキスをねだりそうなくらい、彼女は女の顔をしていた。下手すれば甘えると称して甘噛みすらしそうだ。

 

「はぁ、あ……ぁぁ……」

 

 幸せを噛み締めている故か、蕩けた顔となっているユウキは恍惚とした吐息を洩らす。

 それでもまだ足りないのか、彼女は両腕を、自身を抱き締めている相手の背中に回して抱き締め返した。それだけでなく自分の体を擦りつけるようにぐいぐいと体を当てている。

 あまつさえ肩に乗せていた顎を下ろし、彼の服に猫の如く顔を擦り付け、満足げに吐息を洩らしていた。すぐにぶるると体を小さく震わせた。

 吐息を洩らすという事は逆に息を吸う事もあるという訳で……体を震わせたのは、つまりはそういう事なのだろう。

 

「えっと……ユウキ、そろそろ……」

「やぁ……!」

 

 抱き締めてとお願いされたから実行したキリトが問うが、ユウキは彼の服に顔を押し付けたままくぐもった声で拒否した。更に顔を横に振ってぐりぐりと押し付けてまでいる。

 しかもその声、普段と変わりなく聞こえなくもないが、よくよく聞けば芯が蕩けているようなものになっている。どうやら完全に嵌まったらしい。良く言えば『想いが溢れている』。しかし敢えて悪く言うなら『発情している』という状態。

 端的に言って妬ましく、羨ましかった。

 

「……あの、キリト君……次、良いですか? ユウキだけなんてズルいです……」

「え……まぁ、良いけど……」

 

 同じ気持ちだったらしいランが、意識している相手に抱き締められている双子の妹に嫉妬の目を向けつつ、同じようにお願いをした。

 それを受け、キリトは困惑しつつも承諾。若干躊躇いつつもユウキを抱き締めていた腕を離す。ユウキはすぐには離れなかったので、若干の苛立ちと嬉しげな興奮とを綯交ぜにしたランによって彼から離された。

 

「ふぁぁぁ……」

 

 ランによってキリトから離されたユウキは、しかし未だ夢心地の幸せに浸っているようで酷くだらしのない顔を晒していた。顔は上気して、頬はおろか耳まで朱く、何時もは利発そうに鋭い双眸もとろんと蕩けていた。緩み切った顔からは幾度幸せの絶頂に達したか分からない。

 そんなユウキに代わって、次はランが同じように抱き締められる。

 

「はぁ……あったかいです……」

 

 双子の姉妹故かあまり性格は似ていないが、しかし根っこの部分は同じらしく抱き締められた途端に彼女も声音を蕩けさせた。

 

「うー……いいなぁ…………あ、あたしも、して欲しい……」

「……出来れば、その……私も……」

「え、えぇ……?」

 

 嫉妬と羨望からランが動いた事を皮切りに、キリトはリーファとサチにも頼まれて抱き締める事になった。複雑な事情があるサチは最初躊躇していたが、先にしてもらった三人を見て抑えが効かなかったらしかった。

 傍から見れば五人もの少女を侍らせるクズ男だろう。まぁ、本人は何故頼まれているか分かっていないようだし、そもそも年齢からして悪いのはこちらなので、彼に非はあまり無い。

 ちなみにアシュレイは邪魔するのも悪いと思ったのか、空気を読んで店の奥へ入って行った。声は掛けなくていいから終わったら出てね、とだけ言われた。多分沸き立ったインスピレーションが冷めない内にデザイン画に落としておきたいのだろう。

 とにかく私を除く四人が彼に抱き締められ、誰も彼もが顔を蕩けさせた。ただ抱き締めただけでここまでさせてしまうキリトには内心で恐ろしいと思っている。

 そして、幸せそうな声を聞いて、私は尚更胸中に嫉妬と羨望の念が渦巻かせた。

 

「……キリト。次、私にして欲しいんだけど」

「え……シノンもか?」

 

 誰かと恋仲で、しかもその恋仲の人物にしかしていなかったら私もこんな我が儘は言わなかったが、キリトが抱き締めた四人は特に恋仲になっているという訳では無い。若干一名複雑な立場の人が居るが、血の繋がりは無いのでそういう関係になってもおかしくはない人物だ。

 有体に言えば、ここで私だけしてもらわなかったら他の四人がリードしてしまう。それは嫌だった。

 あと単純に私も抱き締めて欲しいと思っていた。意識している相手に抱き締められたいという願望と、ユウキ達の状態からどれだけ幸せなのか知りたいという欲求が綯交ぜになっている。

 その願望を正直に伝えて、少し意外そうにされたのが勘に障った。知らず唇を尖らせ、ジト目になる。

 

「何よ。私だけダメなの?」

「いや、シノンは言いそうに無いかなと思ってたから、ちょっと意外で」

 

 まぁ、普段の私を元に考えればこの行動は予想外のものになるだろう。これほど積極的に出た事に私自身驚いている部分もある。だからキリトの理由は理解出来る。

 ただ、納得出来るかと言われれば話は別だ。

 

「ふぅん……そう」

 

 言われた事をよく吟味して、短くそう返す。

 何を考えたのかキリトは私より遥かに体格で勝って、ステータスでも勝っているのに、怯えたようにびくりと小さく肩を震わせた。そういうところはやっぱり変わらない。見た目大人になっても中身は変わっていないのだなと思うとそこはかとなく安堵を抱いた。

 そんな事を考えつつ、私は右手を振ってメニューを呼び出す。

 いきなり何をし始めたか予想出来ないらしいキリトが怪訝そうな目を向けて来るが、私はそれを意図的に無視して、メニューを操作する。装備画面に行き、その内とある装備を幾つか解除した。

 途端、シュワァン、と青い光が体から散る。ストレージに格納した装備は私がこの世界に着た時から付けていた胸当てだ。

 

「……何で装備を?」

「……別にいいでしょ」

 

 私の服装はスピードを重視した軽装。フィリアのような背中含めてのへそ出しルックほどの露出では無いが、それでも肩やおへそ、太ももなどところどころ露出している。

 更に体にピッチリと張り付く黒いインナーやホットパンツを装備しているので、胸当てがあればまだ見た目としてはまだマシなのだが外せば半ば下着同然の状態となる。緑の上着があるから完全な下着では無いし、そもそもインナーがあるから下着姿とは言えないのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 それでも敢えて胸当てを外したのは、キリトの暖かさをより感じたかったから。

 別に私の想いに気付いていない言葉を受けたから、それにムカついて、少しでも意識させようだなんて考えていない。仕返しという訳でも無い。単純に胸当てがあったら温かみを感じれない部位が出来てしまうと思っただけだ。

 実際ユウキとサチは胸鎧を外していなかったから、少し勿体無いのではと思っていた。ランとリーファは金属鎧を付けていないからガッツリと触れていたが。

 ……何か、先に幸せそうにしている四人の事を考えると、むかむかして来た。

 

「ん……ほら、早くして。胸当てを外すと結構恥ずかしいのよ」

「……わかった」

 

 その苛立ちを紛らわせるべく、早くと両腕を広げて言う。若干躊躇う素振りを見せつつも私が引く筈も無いし、他の四人も抱き締めた手前引き下がる選択肢が無いキリトは、素直に私に近寄って膝を僅かに折り、両腕を背中に回して私を抱き締めた。

 背中に回された二本の腕の感触。体の前から伝わって来る、私よりも熱いキリトの体温。鼻腔を擽る仄かに甘い香り。

 ぶるりと体が震えた。

 男子とは到底思えないこの甘い香り、そして体を包み込むような暖かな感触が、自然と体を震わせていた。

 

「ん……」

 

 知らず、声が漏れる。

 それはさっき胸当てを、それだけでなくインナーの内側に着ていた下着も外したから。今の私は着けていない。見る人が見れば服の表面からそれが分かる筈だ。

 声が漏れたのは甘い香りや体温を感じたのもあるが、何よりも彼と私の間で胸が潰れたから。リーファやアスナ程では無いが、それでも私とてしっかりあって、ここまで密着していれば撓み、ひしゃげ、潰れもする。

 着けていないのはユウキ達とは違う快感を得たかったのと、もっと密着したかったから。

 そして私が女である事を、キリトに知って欲しかった。

 とは言え、今はただ抱き締められているだけにも拘わらず私が翻弄されていた。洩れてしまう声を抑えたくてキリトの肩に顔を押し当てるが尚更甘い香りが鼻腔を擽り、体温が顔に伝わってきて、却って逆効果だった。押し付ける程にどんどん伝わってくる。

 反射的に少し離そうとしても、キリトが背中から腕を回しているから離れる事も出来ない。離したくないという本音もある。

 

「はー……は、ぁ……」

 

 心臓はバクバクで、呼吸も儘ならない。頭の中もぼうっとし始めた。視界がくらくらしている。吐息も知らず知らずのうちに蕩けてしまっている。息を吐くのと同じだけ吸うから余計に甘い香りを味わう事になる。

 ああ、ユウキ達が感じたのはこれだったのだなと、纏まらない思考の中で理解した。

 きっと今は私も他の四人と同じような顔をしているだろう。だらしがなく、はしたない、恍惚とした表情を浮かべているに違いない。

 そして今の私がキリトの顔を間近で見たら彼の唇を奪うという絶対の確信があった。そういう意味では互いの肩に顔を乗せ合うような抱擁は都合が良くて、けれどどこか残念にも思う。アバターとは言え、甘い香りと安心する体温で幸せを覚えている私が彼の唾液を飲んだら、それはもう到底抱擁だけでは及びつかない絶頂を迎える筈なのに。

 

 

 

 ――――だが、少なくとも今それを求める訳にもいかない

 

 

 

 私とてそこまで乱れてはいない。モラルはキチンとある。そういう事をするなら、相手との同意の上でだ。ムードというのもあるが相手の了解も得ないでするのは、される身として考えたら嫌だと思うし、それで嫌われるのは嫌だ。

 それに、私と同じようにキリトに想いを向けている他の皆への裏切りになるからしたくないというのもある。確かに他の皆とは一人の男性を狙って戦うライバルだが、同時にキリトの事を大切に想い、支えたいと思っている同志だ。その上で想いを抱いているのだから前提となる部分を崩す訳にはいかない。

 このままずっと私達の想いに気付かなかったらもっと激しいスキンシップをする事にもなるだろうが、恐らくそれは彼が高校生辺りになってから。今のキリトはまだ小学生の年頃で、精神的に成熟していないから、男女の付き合いをするにはまだ不適格と言える。冷静ではあるが、そういう意味での精神的成熟では無いのだ。

 ともあれ、行為はともかく、少なくとも想いを伝える事はまだ良いだろう。幾ら精神的に未成熟と言えど恋人の関係は知っているだろうし、告白についても理解はしている筈だ。行為をするにはあまりに幼いとは言え精神的に支え合う大切な関係となる事は決して不健全では無い。ユウキもそう考えていたから――無論想いが溢れてしまったからでもあるだろうが――告白しようとした。

 それでも前述した理由から、それより先に進む事は決して許されない。彼はまだそれを選択出来る年齢じゃないし、精神的にもまだ達していない。そういうのは成長した彼が選んだ女性一人にのみ許される行為。最も彼の内側に踏み込む事を許され、同時に最も彼を支えていると認められた者だけが出来る事だ。

 ならば私達はこの想いを秘めたまま、それでも少しでも見て欲しいという願いを抱いて、キリトに寄り添うだけだ。私達が最も願っているのは彼の安息であり、選んでもらうのは二の次、三の次なのだから。

 彼に安息が訪れたら、それからゆっくりと私達の事をよく知って、選んでもらえばいい。選ばれなかったら潔く引くし、誰も選ばなかったら時はその時だ。

 だけどせめて、私達の事を心配して身を引いて誰も選ばないなんて選択はしないで欲しい。そんな選択は誰も喜ばない。誰も望んでいない。そんな事を考えるくらいなら、もっと貪欲に『一緒に逃げて』と求めて欲しいとすら思える。

 私は彼の優しさに惹かれた。

 彼の強さに憧れた。

 彼の儚さが哀しかった。

 彼の弱さを支えたかった。

 彼の願いを叶えたいと思った。

 彼の祈りが届いて欲しいと思った。

 そして、自分にだけ向けられる彼の特別が欲しいと、そう思った。

 傲慢と言われれば否定はしない。

 けれどこの願いは、大小形の差異こそあれこの一人の少年に想いを抱いている誰もが持っているものであると、私は確信している。

 私はキリトの事が放っておけない。人に虐げられて、傷付く様はかつての自分自身を想起させるから。血の繋がりが無い友人はおろか、血が繋がっている親類縁者にすら頼る事が出来ず、早々に人に甘える事をしなくなった私は、だからこそキリトに同情し、同時にそれでも強く在って戦っている姿に憧憬を抱き、惹かれたのだ。

 そして想いを自覚した。

 今まで一度も異性に抱かなかった暖かい想いが成就する時は、まだまだずっと先の事。

 

 

 

 ――――だから今は……これで……

 

 

 

 胸中で呟きながら、今は自分よりも遥かに大きな体となっている少年に回した腕に更に力を籠め、体をより密着させ、彼の肩に顔を強く押し付ける。脳髄を痺れさせる芳香、胸の奥を激しく掻き乱す暖かな体温、そして安心感が不思議と湧いて来る少年に密着した私は、伝わって来る感覚に身を委ねる。

 本当に自分は彼に惹かれているのだなと再認識しながら胸中に湧き上がる幸せに、時間も忘れ、周囲の事も意識から外して、只管私は没頭した。

 

 




 はい、如何だったでしょうか。

 キリト無自覚の逆襲(?)でした(笑)

 五人にとってはむしろご褒美だったかもしれない。

 最初は猫耳猫尻尾か狼耳狼尻尾で弄んでやろうと思ってたんですが、ALOに回そうかなと思って省きました。

 それはまた別の機会にします。

 ちなみに構想上、効果発動を示すバフアイコンは無し。ただしフレンドになっているプレイヤーから見ると変装してるキリトの頭上に《Kirito》と名前がしっかり表示されている、という感じで書いていきます。フレンドが多いプレイヤーには一切使えないアイテムという訳です。正にフレンドが少ないキリト向け。

 ファッションデザイナーを真剣に志すプレイヤーへの報酬なら別にフレンドから名前が見えてもいいでしょう。だって非戦闘プレイヤーならロザリアみたいにグリーンで悪どい事はレベル的に向いてないですから。

 そしてユウキ達のデレ。普段子供で弟な想い人が大人っぽい姿になったら、多分意識するんじゃないかなぁと思って書きました。ユウキとシノンは割とアッサリ浮かんだ。リーファとサチもちょっと悩みましたが、そこまで苦労はしなかった。

 ただちょっと困ったのがラン。彼女、ちょいちょい出て来てはいるもののユウキに出番取られてて、実はキリトとの接点が薄いというね……でも根っこはユウキと同い年なので、『甘えたい』のと『気になってる男子』というファクターがあるから、という事でやらせました。短かったのはこれが理由。

 つまりまだランはユウキほどヒロインルートは確定してない。ひょっとするとお姉さんポジに収まり続ける可能性も微レ存在。原作での性格や口調が分からないのが痛い。

 何だか今話のハグのせいでうちのキリトが女関係で屑になってる気がしなくもない……何でだろう。やっぱ立場逆転したからかな? されるのはともかくするのがいけないんだろうか。

 まぁ、偶には何時も気を揉んでいる義姉&ヒロインズ&保護者メンバーへのご褒美という事で。



 何しろ次話(予定)からずっと超シリアスばかりですから。嵐の前の静けさです(°▽°)



 シリアスって、直前に幸せがあったらより映えるんですよねぇ……(°▽°)



 ……ところで、ふと思ったんですが。

 確定しているキリトの義姉は現状リーファとユイ。リーファが中学の女子剣道全国大会優勝者、ユイはシステム的に最強。キリト自身ISで戦う場合千冬より場数を踏んでいる事から強さはともかく立ち回り的に戦力は上ですし、実質ユウキ以上に場数を踏んでるから正攻法で強いプレイヤー。

 ゲーム知ってる方なら分かるでしょうけど、本作に登場済みのゲームオリジナルキャラもユイの妹に当たりますので、将来的に義姉は確定で三人いる事になる。そのキャラもシステム面ではユイと同レベル、しかもレベルも高くてかなり強い。

 ……アレ、何か思ったよりヤバくないか、この義姉弟達。原作ISの面子に何か一つでもこのメンバーに勝てるのってあるか……?(汗)

 あ、のほほんさんは和み系最強ですね(これを言いたかっただけ)。異論は認めるが受け容れないです。

 ……のほほんさん、出したいなぁ……クリアまで遠いなぁ……(  ̄- ̄)

 長文失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。

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