インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 前半はサチ視点、次にユウキ視点。サチ視点でアキト達が何故来たかが語られ、ユウキ視点でほんの僅かな戦闘シーンとその他諸々が描写されます。

 それから今話以降、注意事項が一つ。



 【キャラ崩壊注意】



 原作キャラが、原作では絶対しないだろう行動を見せます。リーファもそんな感じですが、今話では特にある一人のキャラがヤバいくらいぶっ飛んでます。本作の展開上外したらむしろ違和感があるから行わせました。しっかり心情描写もしてはいますが、ご注意を。

 お気に入り登録者数減少や批判も覚悟の上。

 今話は二万七千文字。

 ではどうぞ。



第五十五章 ~対峙~

 

 

 撤退不可能な中、挫けずに二人の犠牲を払ったものの第七十五層ボスを討伐した私達は、ボス部屋前に締め出されているだろう第二レイドとアルゴさんが居ると思っていただけに、扉が開いた事で見えるようになった回廊に居るプレイヤーが、オレンジの集団とキリトの実兄である事に絶句する事になった。

 そこに居る筈の人が居なくて、気付けばオレンジの軍勢が大挙して集っている、更にはそれを率いていると思しき最前に出ている存在が最近有名になっている【白の剣士】だったから、攻略組は完全な思考停止に陥った。

 

「【白の剣士】……」

「何でオレンジを……?」

「と言うか、マジで第二レイド何処だよ……?」

「……まさかと思うが……」

 

 少しずつ思考が回復し始めた面々は、小さな声量で何故ここに居るか、第二レイドは何処かを推測し合うが、それもほぼすぐに結論は出た。あれだけ大勢のオレンジが集まっている事を、キリトとアルゴさんが見逃す筈が無い。

 あのプレイヤー達はついさっきオレンジカーソルになったばかりだと、そう考えれば、第二レイドが居ないのも頷ける。

 さっきまでいた筈の人が居なくなる恐怖と、そんな事が行える神経に対する戦慄で身を固めた時、オレンジ達の先頭に立っていた【白の剣士】がボス部屋に足を踏み入れた。途端、誰もが弛緩していた空気を再び――もしかすると先のボスと対する以上に――張り詰めさせ、武器を構えた。

 それを見た途端、石床を音高く歩いていた青年は歩を止め、私達をぐるりと一瞥した。それから強気に片頬を歪め、口を開く。

 

「よぉ、また会ったな、《血盟騎士団》の団長サマ」

「……君か。一体何の用かね。と言うか、扉の前に居た筈の第二レイドとアルゴ君達は何処に行った? その後ろに居る大勢のオレンジプレイヤー達もだ、何故彼らを率いているような立場にある?」

「おいおい、アンタが俺に質問出来る立場か?」

「……何?」

 

 不遜も不遜、キバオウさん以上の傲岸不遜な物言いに、さしもの寛容な事で知られているヒースクリフさんも不快げに顔を顰め、短く問い返す。私達も同じだ。

 立場と言うなら、そも、青年の方がヒースクリフさんより低いと思うのだが。

 

「俺にはもうとっくに分かってるんだよ。だから終わらせに来たんだ、あんたと、この世界を」

「……何を言っているのか理解しかねるな。私を殺す意味で『終わらせる』と言ったならまだ分かるが、この世界を、だと?」

「あくまで白を切るのか。なら暴いてやるよ……お前のリアルは、茅場晶彦だ」

「「……」」

「「「「「なッ?!」」」」」

 

 唐突にとんでもない事を言った【白の剣士】に、私達は誰もが絶句した。

 ただ二人、言われた本人であるヒースクリフさんと、目の前に怨敵がいるせいなのか反応が薄いキリトを除いて。そのヒースクリフさんも瞠目はしているが。

 

「言っておくがデマカセじゃない。俺が今から一ヶ月近く前にSAOに来てしまったのは、俺の試験デュエルを見てた奴なら知ってるだろう。茅場晶彦は《アーガス》本社でフルダイブしているのを発見された後、その体は警察病院で厳重に管理されている。他のSAOプレイヤーは、事件直後、政府主導の下で新設された《SAO事件対策チーム》によって各病院へと救急搬送された……その後、対策チームは常にSAOサーバーにログインしているプレイヤー全てのアカウントログを記録しているんだ。映像は無いから、精々『どこでレベルを上げて誰と会ったか』程度しか分からないけどな……だから、アカウント《Heathcliff》のリアルが茅場晶彦である事は、既に対策チームや政府は把握している」

 

 以前の傍若無人ぶりは何処に行ったのかと思うくらい理路整然とした説明に、私達は少しずつ、青年が言っている事は真実なのではと思うようになっていった。なまじリーファから似たような話を聞いているから信憑性があり過ぎるのだ。

 

「そして《アーガス》から流れた研究員の話によれば、アンタ、このSAOの最終ボスを務めるつもりだったんだろ? 何があって最終ボスを務めるハイアカウントで囚われたかは知らないが、少なくともアンタが死ねば、俺達はここから晴れて生還出来る訳だ。そうなんだろう?」

 

 確信を含んだ口調で問い掛け……いや、詰問を向ける【白の剣士】。自然と私達の視線は、沈黙を保って視線を返している【紅の騎士】へと向けられる。

 恐れを抱いているからか、頼もしい味方が敵だったと知りたくないからか、誰も身動ぎしない中で、ただ一人……ヒースクリフさんにほど近い場所に居たアスナさんが、震える手で口元を覆いながら一歩近寄った。

 

「……団長……本当、なんですか……?」

「…………」

 

 彼女の問いにヒースクリフさんは応じない。

 諦観を思わせる面持ちで瞑目しながら青年の言葉を肯定しないが否定もしないというその沈黙は、しかし口で語るよりも雄弁に、言外で事実であると語っていた。

 

「そんな……ッ?!」

「嘘だろ……団長が、茅場……ッ?!」

「俄かには信じがたいな……ヒースクリフさんが、まさか……」

 

 それを理解して、アスナさんは眉を寄せて瞳を揺らした。周囲に居た団員も、ディアベルさん達も、愕然とした面持ちを彼に向ける。

 その気持ちは痛いほどよく分かった。だってヒースクリフさんは面倒見が良くて、攻略にとても真摯で、誰かが死ぬ事を全力で未然に防ごうとする人格者だ。キリトに理解を示している人物なのだ。

 そんな人がデスゲームを始めた狂気の科学者だなんて、誰も想像だにしなかった。

 

「これで分かっただろ。そいつは俺達の敵、殺すべき存在なんだ」

 

 攻略組の誰もが愕然と目を剥け固まる中で、オレンジ達を率いる青年が【紅の騎士】をどこか勝ち誇った笑みと共に睨み付けながら言い、背に吊る白剣を抜いた。それに応じてオレンジ達も次々と剣を抜く。

 今気付いたが、そのオレンジ達は《アインクラッド解放軍》から姿を消したと聞いていたプレイヤー達だった。装備が《アインクラッド解放軍》の黒緑色の統一された制式甲冑である事と、何人かはボス戦でキバオウさんと共に戦っているのを見た事があるから気付けた。あの二人が繋がっている信憑性が更に上がった。

 今はそんな事を気にしている暇は無いのだが。

 

「この……ッ」

 

 青年達が剣を抜いて間を置かず、嫌な沈黙から次第に緊張で張り詰めた空気へと移り変わっていく中で、ボス部屋にぽつりと男の声が上がった。それは《血盟騎士団》の団員の一人、アタッカーを務めていた幹部であり、ゴドフリーさんとは別の両手斧を使っていた人だった。

 

「貴様が、貴様がッ! 俺達の忠誠を、努力を……よくも、よくもよくも……ッ!」

「……」

 

 力無く下げていた大振りなバトルアックスの長柄を持つ手に力を込め、怒りの余り込め過ぎてぶるぶると震え始めたその人は、感情が溢れ過ぎて斧どころか言葉や体すらも震えていた。顔は真っ赤になって、その形相は鬼のようで、眼つきは人を殺せそうな程に酷かった。

 ヒースクリフさん……いや、茅場晶彦は、剣を納めた十字盾を左手で持って佇んだまま動かない。動かないで、静かに凪いでいる開かれたその双眸で、怒りを発露し始めた男性を見ていた。

 どこか諦めているようで、それでいて断罪を求める罪人のようにも見える面持ちで。

 

「この野郎ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 怒りが頂点に達し、それどころか臨界点を突破したらしい男性は怒声を張り上げながら両手斧を振り上げ、茅場晶彦に向かって突撃する。殺意を向けられている男性は、その様を静かに見詰めていた。

 

「死ね、茅場晶彦ッ!!!」

 

 残り五メートルという距離で、両手斧使いの男性はソードスキルを発動した。大きくテイクバックした赤黒い光を纏う両手斧を全力で大上段から振り下ろす単発重攻撃の上位技《ダイナミック・ヴァイオレンス》だ。

 《血盟騎士団》の幹部団員である以上レベルは90近くあるだろう。

 対して茅場晶彦が公表していた自身のレベルは100。加えてそのビルドや装備は典型的な防御型タンクであり、更に《神聖剣》という防御ステータスに多大なボーナスが入るらしい《神聖剣》の使い手であるため、並大抵の事ではHPを大幅に減らす事など不可能。盾で防がれてしまっては、如何に一撃に威力を込めた重攻撃技と言えどもダメージは極々僅かしか入らないのは目に見えている。

 しかし、彼は盾を掲げようとしない。むしろ自らの意志でその刃を受け容れようとしているようにも見えた。

 逃げもせず、防ごうともせず、弁解をしようともしないその姿は、本当に青年が言う通りの悪辣な敵なのか疑問を抱かせるものだった。

 どちらが真実なのか確かめたくとも、もう既に手遅れだったが。

 

 

 

 ――――だが、それを良しとしない者が一人居た。

 

 

 

 それは、キリトだった。

 ステータスを活かした突進速度で割り込んだ彼はエリュシデータを振るって両手斧使いが放ったソードスキルを逸らし、続けてダメージが発生しない程度に硬直が課された男性を空いている左手で押し返した。

 男性はバランスを崩して背中から倒れかけるが、堪えて踏み止まる。

 それから割り込んできたキリトを睨み付けた。両手斧使いの男性の他、多くの殺意を孕んだ視線を、キリトはやはり年齢にそぐわぬ胆力を以て怯む事無くそれらを受け止める。

 その立ち位置は茅場晶彦の前。

 黒幕と思われる男性を明らかに庇う立ち位置だった。

 

「《ビーター》、何のつもりだ……ッ!」

「茅場晶彦だから悪、殺すべき……その答えは性急過ぎるんじゃないかと思って割り込んだだけだ」

「何だと……?!」

「第一層の頃から一緒にボス戦で戦って来た姿を俺達は見て来た、犠牲者が出ないよう尽力し、少しでも早いクリアを目指して攻略に邁進し、団員を束ねて来た姿を。《血盟騎士団》の団員であるアンタはむしろ団員ではないプレイヤーよりそれをよく見て来た筈だ。今までの必死さを見て、茅場晶彦が本当に悪だと言えるのか?」

 

 確かに、これまでのあの人の姿から私も青年の言葉に疑問を覚えた。

 ボス戦で死者が出た時の表情や態度、ボス戦の真剣さ、攻略に向ける熱意は全て本物だった筈だ。それら全てが偽りだったら見事に騙された事になるが、人を見る眼は確かなキリトが『茅場晶彦は悪』という答えに疑問を覚えているのだから、私の疑問もそこまでおかしな事では無いのだろう。

 

「だが俺達は、茅場晶彦がデスゲームにして俺達を閉じ込めたと、あの日に宣言されたじゃないか! 【白の剣士】の話ではリアルでもそうらしいしもう間違いないだろ!」

 

 頭に血が上って冷静では無い団員はすぐさまそう反駁した。

 その怒声に、キリトは何とも言えない複雑そうな面持ちで、小さく嘆息を洩らす。

 

「……正直、ヒースクリフが茅場晶彦なのではと思った事は個人的に何度かあったよ。今回の偵察戦に関しても、普段なら俺が単騎突撃するのを止めないのにわざわざ呼び出してまで止めて、戦力も第一レイドに完全に偏らせた編成だった……まるで、このボス戦では撤退出来ない事を知っていたかのような、そんな気もしていた。それを知る事が出来るのは、俺やアルゴが集める情報に無ければ後は開発者側のみだ。喋り方もインタビューのそれに近かったし、雰囲気も似ていたから、何となく予想はしていた。本当にそうだった事には流石に驚いたけど」

「それで?」

 

 自分の論に反対意見を出し始めた事に苛立ちを感じているのか、青年は眉に皺を寄せた。攻略組の各メンバーもキリトがどうして茅場晶彦は黒幕では無いと考えているのか、その先を知りたくてある人は苛立ちを見せ、ある人は不安げな様子になっている。

 

「さっき、ヒースクリフが茅場晶彦であると考えた理由をアキトは語っていたが、もうその時点で俺には違和感しか無いな」

「はぁ?」

「ここに居る者なら知っているだろう、リーファという妖精アバターのプレイヤーを。あのプレイヤーもアキトと同じ時期に迷い込んできた者だ……リーファを保護した際にリアルの情報を聞いたが、その時、『茅場晶彦が警察病院にいる』事は聞いても、『誰もが《Heathcliff》は茅場晶彦であると知っている』とは言わなかった。仮に知っていればヒースクリフと接触した時点で、それを俺達に明かす筈だ」

「な……ッ?!」

「「「「「あ……ッ!」」」」」

 

 確かに、考えてみればおかしい。私もユウキ達と一緒にリーファさんに会ったし、ヒースクリフさんと一緒に会話しているのを見た事があるが、嫌悪している様子は一切見られなかった。それどころか一緒に食事まで取り、談笑するくらいに信頼を寄せている。

 本当にヒースクリフさんが茅場晶彦であると知っていたなら、すぐさま私達にそれを伝える筈だ。

 

「それに疑問なのは、仮に対策チームが把握していたにしても、なら何でアキトにその情報が渡るのかだ。家族にSAOプレイヤーが居るにしても渡す意図が分かりかねる、居ないなら尚の事分からない。どうやってアキトは『《Heathcliff》が茅場晶彦である』事を知ったんだ? この一年半以上、第一層の頃からずっと轡を並べて戦って来た俺ですら予想として浮かべるくらいで、そこまでの確信は抱いていなかった。《血盟騎士団》の副団長を始めとした団員は予想だにしていなかったくらいだ、一度かそこらの接触で見抜くなんてどう考えてもおかしいだろう」

「く……ああ言えばこう言う、面倒な奴だな……ッ!」

「そもそも真実であれば堂々としていればいい、狼狽えている事が、少なくともさっきの推理が虚言である証拠になったな……――――それで、ずっと黙ってる当の本人からは、何か無いのか?」

 

 団員の怒声を受けたキリトは、その男性には返さず、背後で沈黙と共に佇んで動かない【紅の騎士】へと言葉を投げた。

 その言葉に、男性はピクリと肩を震わせる。

 

「……信じてもらえるかは分からないが……少なくとも、私はこのSAOを、デスゲームにしようなどと考えた事は一度も無かった」

 

 数拍の沈黙を挟んで、男性はそう語り始めた。

 まるで韜晦するかの如く。

 まるで懺悔するかの如く。

 

「私がこの《ソードアート・オンライン》を作り上げたのは、あの赤ローブが口にしていた『鑑賞するため』などでは無い。幼い頃より夢想し、年を経る毎により綿密に浮かび上がる浮遊城の情景を再現する為だった……元々、私が物理学者をしていたのは、この世界に浮遊する鋼鉄の城が存在する事を確かなものとしたいが為だ。無論早くも『存在しない』という結論に達したがね」

 

 訥々と、このデスゲームを作り上げた動機を語り始めた男性。この世界の原初は男性が思い描いていた夢だった、子供なら誰もがするであろう、何ら変哲も無い夢。

 普通なら年を経る毎に現実を知って夢想は想像性を喪っていき、何時しか完全に消え去る筈だが、茅場晶彦の場合はその逆でより細かく思い浮かべるようになっていった。それが衝動となって、VRMMOを作った。何故なら物理学で現実には存在し得ないと証明されてしまったから。

 

「ただ思い描いた世界を駆け回りたかった。空想上の化け物を相手に空想上の剣技で戦いたかった。あるいは非現実的な世界を、この眼で視て、記憶に刻みたかった。その衝動一つで私は仮想世界の構築、《ナーヴギア》の開発、そして既存のMMORPGとの融和を試み、初めて《アインクラッド》を完成させられた」

 

 徐々に力が籠っていく言葉を、だが、と男性は一度区切った。

 

「所詮『作り上げる』事は私の自己満足。そこに辿り着く事、作り上げる事に対する利益や妥当性は《アーガス》に務めていた者達を含めて考えなければならない……それに、幾ら天才と言われていようと、一人の人間に過ぎない私だけでは到底万人受けするようなものは作れない」

 

 軽く頭を振って、口元に仄かな微苦笑を浮かべる男性。

 瞑目しつつ語る男性は、何時誰から攻撃されても決して抵抗しないとこちらに悟らせるくらい、脱力し切っていた。それがむしろ私達の耳を傾けさせる。語る事に全てを傾けているからこそ、こちらも聴く事に全てを傾けられた。

 

「MMOを取り入れる事を決めたのはその時だ。ゲームタイトルのベータテストと銘打てば、多くのテストプレイヤー達が改善点を突き出してくれる。私は、私が思い描いた《アインクラッド》をより良い形で仕上げられるのであれば、努力は惜しまなかった。あらゆる手を尽くし、神話や伝承を読み漁ってはクエストとして導入していく傍ら、人の手を要さない自律システムを作るというかつてない事業にだって取り組み、完成させた。それが本来の《ソードアート・オンライン》だったのだ」

「で、あんたはこの城のラスボスなんだろう?」

 

 この鋼鉄の浮遊城の成り立ちと製作の動機について語られたところで、白の青年が割って入った。

 それに男性は気分を害した風も見せず、鷹揚な様を保ってゆっくりと首を横に振る。表情は渋いものになっていた。

 

「言った筈だ。本来ならばその筈だった、と……私のアカウントは、容姿が固定である事を除けば諸君のコモンアカウントと同等の権限しか持たないハイアカウントだ、ラスボス仕様のスーパーアカウントでは無い。私がログインしているのも、ログイン初日で暴れるだろう一万人のプレイヤーの声を直に聞いて、この眼で見たかったからだ……まぁ、私も諸君と共にこの世界を駆け回りたかったのもあるのだがね、その為に仕事も終わらせて有給を取っていた」

 

 意外とログインした理由が子供っぽかったが、大の大人もログインしているのだから、衝動一つで完成させた人が入ったのも無理からぬ話ではある。むしろ夢想し続けた城が完成しそれが世に出されたとあれば感無量だっただろう。

 それにしても、この流れでいくと茅場晶彦は本当にラスボスでは無いという感じになる気がする……

 

「故に私はサービス開始の午後一時ジャストにログインを果たし、以降一度もログアウトをしていない虜囚の身だ、諸君と何ら変わらない立場にある。そもそもログアウトしていれば警察に捕まって再ログインは出来ないだろうしね……アカウントを変える事も出来ていないから、正真正銘私はデスゲーム化をした犯人では無い。私もあの日、あの広場であの赤ローブアバターを見上げる側だったのだから」

 

 リアルは茅場晶彦であり、この世界で少しでも多くの人を生還させようと戦って来た【紅の騎士】は、落ち着きながらも厳かな様を保ってそう言葉を締め括った。

 ヒースクリフさんの言葉を聞き終えたキリトは、眼前で自身と騎士を睨み付ける青年やオレンジ達を静かに見返しながら口を開いた。

 

「俺達が《始まりの街》で見たあの赤ローブアバターは確かに運営しか使えないGMアカウントのものだが、逆に言えば運営の者であれば誰でも使える代物だ。別の人間がアバターを操っていても茅場晶彦の声が登録されていればあとは口調を真似るだけで再現出来てしまう。俺達プレイヤーが知っている事は一次情報であるように思えるが、実際はネットワークを介して再現されている二次情報に過ぎない」

 

 一息でそこまで言い切ったキリトは、それから、と更に言葉を繋げる。

 

「アキトの言葉が真実なら一つ矛盾が生まれると思う。あの赤ローブアバターはGMアカウント、対して茅場晶彦が使っている今のアカウントはハイアカウントと言うらしいから、別物。アカウントを変えるには一度ログアウトをして一度現実に意識を戻し、ダイブし直さなければならない、それが実状だ。俺達があの宣告をされた時点でマスコミに話が伝わっていたなら、まず間違いなく茅場晶彦がダイブしていた《アーガス》本社のダイブ場所にも人が来ていて、茅場本人が言ったようにログアウトした時点で取り押さえられる筈だ。だからスーパーアカウントで再ダイブする事は不可能だろう」

 

 キリトの長い言葉を聞いて、私は素早く思考を回転させて要点を纏めた。

 あのデスゲーム開始の日、《始まりの街》に集められたのは確か午後五時半ジャストだった。

 それから赤ローブアバターに《正式版チュートリアル》と題されたデスゲーム宣言が終了したのは午後五時四十五分から五十分くらい。

 転移で集められた私達に見せ付けられた各ニュースメディアに報道されていた映像は、数分前にデスゲームの宣告と取り外しへの警告を流した風には思えなかった、短くとも三十分前後は経っていた筈だ。そうでなければあれだけの人だかりは出来ていない。

 《アーガス》本社は大都市と言える東京都に位置していたから、三十分もあれば警察は即座に突入するだろうし、そうでなくとも本社に務めているデスゲームを知らなかった技術者達が押し寄せていた筈だ。

 つまり茅場晶彦が本当に黒幕であったなら、午後五時――あくまで予想――にニュースを流し、四十五分間――そのうち十五分間はリアルに関しては無防備で――警察の侵入に持ち堪え、その上でアカウントを変える為に再ダイブしたという事になる。

 幾ら天才と言われた物理学者兼ゲームディレクターと言えど、流石にそれだけの長い時間警察の突入に持ち堪えるセキュリティを備えていたとは思えない。

 警察を阻むセキュリティはせいぜい電子的なものが個人では限界の筈だ、あまり仰々しいものは社員に怪しんで下さいと言っているようなものだから。

 だからセキュリティは恐らくプログラムによる電子錠だけだっただろうが、現代の科学技術はISの発明によって大幅に進んでいる、プログラムキーくらいは簡単に破りそうなものだ。そうでなくとも警察にも特殊部隊があり、場合によっては武力行使として力尽くで扉を開ける事もあるらしいし、ハッカーで電子錠を解錠する事も容易だろう。

 それ以前にデスゲームに関係無かった技術者達が事情を知ったなら一も二も無く警察に協力し、茅場晶彦がダイブしていた部屋への道を開いた筈だ。最悪その部屋の扉の電源だけ落とせばいい。

 つまり冷静に考えると、キリトと同じように茅場晶彦がアレを操っていたとは考え難い……という結論に達するのではないか。

 そもそも【白の剣士】本人の、『《Heathcliff》はラスボス』という見解は根拠が無いため、真実を指しているとは断定出来ない。

 確かにこれらを考えれば『茅場晶彦は悪』という結論は性急かもしれない。そもそも当の本人は一言も自身のリアルをバラされてから言葉を発していないのだから、悪い方に解釈していって勝手に納得しているだけで、それらが全て真実とは限らない。

 しかし……

 

「なら……ならデスゲームにしたのは誰なんだよッ?! 《ナーヴギア》は茅場が作り出したんだがら、アレに殺人スペックを追加したのも茅場だろッ?! 最初からSAOをデスゲームにするつもりで作ったって事になるだろッ!」

 

 私が思い浮かべようとしていた事を、慟哭に近い悲痛な声音で、男性は彼に叩き付けた。

 そう。《ナーヴギア》は茅場晶彦名義の特許物になっているため、殺人的スペックを有しているアレとSAOのデスゲーム化が揃っている現状では、やはり黒幕はVR技術の生みの親と言える人物という可能性が濃厚なのだ。

 ハッキリと、あるいは朧気でもそれを直感的に理解しているからこそ、多くの者がキリトの言を信じ切れないでいる。

 私も今凄く揺れている。キリトの言を信じて今までのヒースクリフさんを信じたい。ギルドは違うが、攻略組の新入りであった私によくしてくれた一人だし、キリトの事を前々から案じていた仲間なのだから、今までの言動が虚構ではなかったのだと信じたい。

 けれど茅場晶彦であったという事実が、今までの姿は虚構だったのではと恐怖と猜疑心を抱かせるのだ。黒幕では無いと否定出来る決定的な証拠が無い限りその猜疑心は拭えそうに無かった。

 

「茅場晶彦はあくまで量子物理学者兼ディレクター、理論やプログラムを構築する事は出来ても、実際に物を作り上げるのはそういった技術者達の仕事だ。裏を返せば研究者達が納得出来ない非効率的なものは備えられない。忘れているかもしれないが、殺人的スペックを有する最たる要因であるバッテリーセルはスペック向上の為に付けられた代物だ」

「だから何だッ?!」

「茅場晶彦が嵌められたという可能性が残っている」

「……は?」

 

 理路整然としたキリトの言葉に激昂した男に対し、彼は小さな嘆息を一瞬挟んでから、恐らく言いたかったのだろう結論をハッキリと口にした。このデスゲームを始めた真犯人は別の可能性がある、と。

 それに口論していた男は素っ頓狂な声を上げる。他は声を上げなかったが、まさかの言葉に誰もが唖然としているし、茅場晶彦自身も僅かに瞠目した気がした。

 

「は、はは……お前、馬鹿だろ? 何でそうなるんだよ……? そもそも茅場は天才なんだぞ、そんな奴を嵌めれる人間なんて、居る訳……」

「無い、とは言い切れないんじゃないか? 現状決定的な証拠も証言も無い以上はどんな可能性も存在している、ただ百分率の数値が増減上下するだけの話だ。俺がさっきGMアカウントの赤ローブアバターから切り替えるのは無理だろうと考えたのは、この可能性を考慮したからだ。勿論それもヒースクリフの攻略に対する姿勢を見た上で浮かんだ思考な訳だが……仲間への葬儀に出てくれと言っていた時の態度、崩壊したレイドが再起するまで必死にボスの猛攻を捌いていた姿全てが嘘だと、皆はそう思うのか」

「「「「「……」」」」」

 

 少し前、死者の数を聞いた男性の言葉や態度を間近で見ていた団員の両手斧使いは、流石にあの姿を偽りだと即座に断言する事は出来なかったようで、言い淀む。その横顔は懊悩に歪められていた。

 事実ヒースクリフさんは、攻略組から犠牲者が出る度に《黒鉄宮》で必ず葬儀を執り行った。慎ましいと言えば聞こえはいいが、小さく質素な葬儀に参列する者は、ボス戦に参加した全員とは言い切れなかった事も多分にあったが、それにクラインさん達を筆頭にヒースクリフさんも必ず参列していた。

 攻略組であれば嫌という程、その姿を目にしてきている。沈痛と懊悩の表情と佇まいを見せるあの騎士の姿を、幾度となく。

 キリトの言葉も、現状ではただの推論に過ぎない。

 しかし確たる証拠や証言が無い以上は否定出来ず存在する推論なのだ。

 

「何だ、いやに茅場を庇うんだな?」

 

 僅かにだが、それでも確かに場の雰囲気がキリトの論に賛成的な方に傾いた時、まるでそれを狙っていたかのように【白の剣士】が話に割り込んだ。右手に白剣を提げた青年はボス部屋に入って来て、オレンジ達もその後に続いて、こちらに来た。

 攻略組は左右に寄って道を開け、その中央を青年達が通る。

 青年とオレンジ達およそ八十人と、キリトと茅場晶彦の二人が、およそ十五メートルの距離を開けて正面から対峙した。

 

「まさかと思うがお前茅場とグルだったんじゃないか? 茅場はこの世界の『鑑賞』を目的に、《出来損ない》であるお前は周囲を見返そうと『SAOクリアの英雄』になる……そういう契約を交わしてたとか」

「酷い言いがかりだな……それで、何故そう思う」

 

 確かにいきなり酷いなと思っていた私は、青年が何故そんな予想をしたのか気になって耳を傾けた。

 青年はこれまでのキリトの行動、すなわちベータテストより上の階層の最前線でも最速を張れた理由を、茅場晶彦に情報を貰っていたからと言った。また《二刀流》を始め、合計十種ものユニークスキルの取得、他には無い壊れステータスの武具の入手も、その全てを《出来損ない》が持つのはおかしいとも。

 そして、まだユニークスキル一つ、武具一つくらいなら分からなくも無いが、これは明らかに異常だと青年は纏めた。

 

「その異常もお前と茅場が裏で結託していたなら納得がいくんだよ。《出来損ない》である筈のお前が十種類もユニークスキルを得るなんて、そんな事はおかしい、お前より強い奴はごまんと居るんだ。明らかに贔屓されてるだろうが」

 

 ……私はキリトと親しく、彼の事情にそれなりに通じているからそこまで違和感を覚えていなかったが、確かに客観的に見て才能無しと見下されていた彼ばかりが強化されていくのはおかしく映ったかもしれない。茅場晶彦と二人で戦線を支えた事もその推測に拍車を掛けているのだろう。

 青年の言葉に攻略組のメンバーの空気が固くなった。その可能性に気付かされたからか、あるいは既に浮かべていたからか、それは分からないがキリトに敵意が向いたのは確かだった。

 それを見たキリトは静かに瞼を閉じ、僅かに顔を俯けた。

 

「……どれだけ頑張っても、この世界でも俺は、努力すら認めてはもらえない、か……」

 

 ポツリと、何かを追い求めてやまず切望するか細い声が、キリトの口から洩れた。

 きっとそれは、認めて欲しい相手にこそ言われたくなかった事で漏れた、キリトの弱音。《ビーター》でも【黒の剣士】でも無い、《織斑一夏》としての彼の心の叫び。

 

「当たり前だろ。お前のそれは努力じゃなくて、ただのズル、正真正銘のチートだ」

 

 誰よりも生まれながらに先天的な才能に恵まれていた青年は、才能が無く誰よりも死に瀕しながら生き抜いて来た少年に、最強を追い求めて来た彼に容赦なく『ズル』と言った。

 

「違う……」

 

 少年はそれに、小さく横に首を振りながら弱々しく応える。

 

「ずっと疑問に思ってたんだよな、《出来損ない》のお前が何で最前線で戦えていたのか」

 

 そこで、青年の後ろでずっと鋭い眼つきをして黙っていたオレンジの――誅殺隊にいた――一人の男性プレイヤーが前に一歩前に出ながら、口を開いた。その眼はキリトに対する侮蔑に満ちていた。

 

「まさか《ビーター》の語源の通り本当のチートをしてたなんてな」

「それどころか、自分の評価の為に何百人も死なせてるって事になるぞ」

「万に近い人間の未来を滅茶苦茶にしたって事になるしな……」

「こんな奴、さっさと殺した方が良いだろ」

 

 次から次へと、オレンジ達が口々にキリトに対する侮蔑の言葉を吐いていく。何の根拠も無いのに然もそれが事実であるかの如く。

 

「違う……そんな事、してない……っ」

 

 再びか細く、キリトは反駁した。

 俯けられたせいでギリギリ見えるか否かとなっている彼の眦、その端に僅かな雫が現れた……気がした。

 

「とにかく、疑わしきは罰せりだ。一夏、お前も茅場晶彦共々殺してやるよ、それで万事解決だ」

 

 そう言って、青年が一歩左脚を前に出した。

 

 

 

「テメェら、いい加減にしろよッ! さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手に言いやがってッ!!!」

 

 

 

 白剣を提げた青年が一歩踏み出したその時、クラインさんが我慢ならないとばかりに怒鳴り、ドタドタと足音荒くキリトへと近寄った。青年やオレンジ達は訝しむように胡乱な目を向け、キリトは目の端から頬へ雫を流して駆け寄る野武士風な男性を見上げる。

 クラインさんはキリトの近くまで来ると、彼を護るように青年達の前に割って入った。

 

「何だよ、俺達の邪魔をするつもりか?」

「そりゃこっちのセリフだ! 大体テメェら、キリトの何を知ってるってンだよッ?! ベータはともかく、コイツとはこのデスゲームになった正式版じゃ俺が一番付き合い長ェンだッ! だから分かる、コイツがンな莫迦な事やる訳が無ェッ!」

「く、クラインッ?! それは……ッ!」

 

 キリトは、自身を庇ったら巻き込まれるからやめろと言っていたのに、クラインさんがそれを無視してまで割り込んできた事に困惑していた。

 口にしかけた言葉もきっと『それはダメだ』と繋がる筈だった。

 

「キリトにゃ悪ィがもう我慢ならねェ! 俺ァな、目の前でダチが悪く言われてンのを見るのは胸糞悪くて嫌なんだよ、本当ならしたくねェんだよ!」

 

 けれどそれは、クラインさんの義憤によって封じられてしまった。

 怒りに爛々と瞳を燃やして険しい表情をしたクラインさんは、何十人ものオレンジ達、そしてキリトと互角か僅差で上下する程に強い青年を前にしても、それでも怯まず狼狽えもしなかった。

 その姿は正に、仁義に篤いという評判に違わない。

 

「言われても仕方ねェ事ならまだしも、謂われない誹謗中傷なら以ての外だ! だから俺は――――」

「クラインッ!!!」

「うぉわッ?!」

 

 毅然として堂々と思いの丈を叫んでいる途中で、キリトが名前を呼んで、クラインさんを左へ突き飛ばした。

 

「とっと……おいキリト、一体な、に……を……」

 

 突き飛ばされたクラインさんはバランスを崩し掛けながらも立て直し、すぐキリトへ向き直って文句を言おうとしたのだが、それは尻すぼみになって最後まで口にされる事は無かった。

 

「が、ふ……ッ!」

「おっ、自分から殺されに来たのか? 殊勝な心掛けだなぁ、一夏」

 

 さっきまでクラインさんが居た場所に居る、彼を突き飛ばす事で割り込んだキリトの体には、【白の剣士】が突き出した白剣が刺さっていたから。胸の中央を貫いている剣は当然背中まで抜けていて、その激痛を受けているキリトは顔を顰めて呻きを上げる。

 

 

 

「いい子だ」

 

 

 

 その様を見て、青年はそんな事を宣って口元を歪める。あまつさえそれが正しい事であるかの如くキリトの頭を撫でて見せた。

 瞬間、幾人かの様子や纏っていた空気が激変した。

 一番に反応をしたのは二人。

 

「てっ……てンめェェェェェえええええええええええええええええええッ!!!!!!」

 

 まず一人目はキリトに庇われたクラインさん。

 野武士風の侍は瞬間的に怒りのボルテージを跳ね上げ、怒髪天を衝く勢いで怒号を上げながら、今まで見た事も無い憤怒の形相で左腰に差していた鞘から愛刀の【陰雷】を抜刀した。抜刀した愛刀を両手で握って、オレンジカーソルになった青年へと襲い掛かる。

 

「このッ……外道ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」

 

 そしてもう一人は、私の横にいたユウキだった。

 横を見れば、アメジストを想起させる色から鮮血の深紅色へと変わっている瞳に憎悪の闇の炎を灯した剣姫が、怨嗟の声音で、青年に怒鳴っていた。目に見えそうな程に殺意を滾らせ怒号を上げる彼女は、愛用の黒剣ルナティークを抜剣しながら地を蹴って、青年目掛けて矢の如く疾駆した。

 

 ***

 

 

 

 許さない許さない許さない許さない許さないッ!!!!!!

 

 

 

 絶対に後悔させてやるッ!!!!!!

 

 

 

 キリトが体を貫かれた瞬間、血の気が一気に引いて、まるで映画を見ているかのような、ボクの意識がふっと遠のく錯覚に陥った。

 目の前で起こっている事と認識出来ないで客観的に見てしまっていたのだと思う。

 そして、クラインを庇った結果神童の剣に貫かれた事を、まるで正しい事をしたとでも言うような言葉と共に彼の頭を撫でたのを見た瞬間、一気にボクの意識は再覚醒を果たした。

 まるで全身の血が沸騰したかのような怒りを超えた感情の発露、続く暴走に、ボクの思考は暴走を通り越してまともな機能を保っていなかった。

 ただあるのはキリトの全てを愚弄した事、死ぬ事こそが正しいという考えに対する嫌悪を通り越した憤怒と憎悪。

 そして恐らく人生初めてとなる絶対的で絶大で純粋な殺意だった。この男だけはこの手で殺さなければ気が済まないと、今まで敵意は抱いても殺そうとまでは思わなかったボクは、初めて人に殺意を抱いて剣を抜いていた。

 《ソードアート・オンライン》はその設定上PKを推奨していないと言えどシステム的に可能ではあるので、禁じられていない以上はどうしてもそれは横行する。故に物騒なこの世界で何時か人を殺す事になるとは想定していたし、その時の為に予め覚悟を固めてはいる。姉ちゃんは耐えられないかもしれないから、代わりにボクがと思ってもいたくらいだ。

 ただしボクはあくまで自衛手段でPKを行うのであって、自ら率先して行うつもりは一切無かった。流石にそこまでしたくないし、キリトのお陰で手段として使う必要すらボクには無かったからだ。

 だから自らの意志で率先して、更には明確に殺意を抱いて行おうとする事になった現状は、自分の事でも流石に予想外だった。

 けれどボクは、予想外ではあってもこの選択を後悔しない。むしろここで黙ってた方が後悔したに違いないと確信を持って言えるくらい、ボクは神童に憎悪と殺意を抱いていた。

 流石にヒースクリフさんが茅場晶彦であった事には驚愕させられたが、けれどどうしてか納得出来る部分はあったし、悪辣な人ではないと確信を抱いていたから、神童の話は聞いててイライラさせられた。第二レイドのメンバーとアルゴ達を殺した神童に迎合しているオレンジ達にもだ。

 その悪意がキリトに波及した辺りで、正直腸が煮えくりかえるくらいの怒りを既に覚えていた。

 それが神童の一言を契機に爆発した結果だった。

 ボクに絶大な殺意を抱かせるに至った逆鱗に触れたのはただ一つ。

 それは神童がキリトに対し、『いい子だ』と言った事。

 たったそれだけと思うかもしれないが、それで冷えた肢体に怒りと憎悪の炎が一気に行き渡って血が沸騰したかのような熱を帯びたし、意識も覚醒し、今までのボクでは考えられない明確な殺意を孕む怒号を轟かせるに至った。

 その言葉の意味がただ普通に仲のいい兄弟で交わされるものであったならば、ボクも微笑ましく見守るに留めただろう。あるいはキリトが剣に貫かれた時、その一言さえ無ければ、ボクはきっと『巻き込ませたくない』という彼の意志を懊悩した末に尊重し、動こうとしなかったに違いない。

 だが神童が言った場合は『死ぬ事が正しい』という意味だ。

 今まで生きて来た事が間違いで、殺されるあるいは死ぬ事こそが正しいのだと言って、クラインを庇って剣に貫かれた行為を『自ら死にに来た』と自己解釈してそれを褒めた。

 そんな事はあってはならない。褒める部分が違う。

 何よりも『死ぬ事が正しい』だなんて価値観は間違い以上に狂っている。

 現状神童を確実に殺すつもりで剣を抜いている身で言えた義理では無いだろうが、神童を『死ぬべき』だとか『殺すべき』だとか、以前は思っていなかった。

 我が姉がどう思っているかは知らないが、かつて死ぬ定めにあった者であるボクは、生まれて来た一人の人間に価値も意味も無いと思っている。

 子を産んで種族として繁殖、栄えていくシステムの一つが出産であり命を授かる事。人間の価値や生まれて来た意味は、その人間が生まれてから生きて来た中で客観的に判断された人間性によって問われると、生まれた後の行動によって意味や価値は付随すると、何時しか考えるようになったのだ。

 つまり生まれた事そのものに善悪を問う事は出来ないし、逆説的にその命そのものが消え去るべきとも言えない。命を授かった人間の行動、それ如何で価値も意味も決まる。

 何時からだったか、そう考えるようになっていた。

 きっと当時不治と言われていた病に冒されていると知り、それで周囲から虐げられるようになった時がきっかけだろう。

 後世で悪辣な殺人鬼と言われた者だって、生まれた時点やすくすくと育った子供時代は親に喜ばれた筈だし、人を殺そうなどとは露とも思考していなかった筈だ。勿論外国にも多いストリートチルドレンなどであれば親の愛情を知らず、ただ人を憎んでいたという可能性もあるから、必ずしもそうは言えないかもしれないが、あくまでそれは可能性であって善人として生きていた可能性は否定出来ない。生まれた事に対して罪は無い、という言葉の典型例であろう。

 また、世間的な常識で生きていれば『悪人では無い』と思われるし、それから外れれば『善人では無い』と言われるだろうが、ひょっとすれば常識的な『悪人』と評される者も、自身の価値観では『悪人では無い』と思っているかもしれない。自らが正しいと狂信的に信じている者だっているから千差万別なのだ。

 法で裁けない悪人を人の手で裁く行為は、その極致の一つと言える。キリトがオレンジやレッドキラーをしていたのも、彼にとってこの世界の秩序や人々の生活を脅かす存在と判断したからこそだ。

 彼の場合、必要以上に自分は正しくないと無意識に責めて、自身を追い込んでいるが……

 神童の価値観からすれば、一夏=キリトは何らかの理由を以て『死ぬべき存在』に値しているのだろう。恐らくは誅殺隊、神童に迎合しているオレンジ達にとっても。

 ボクもそういう意味では彼らと同じ穴の貉と言える。今のボクは正に彼らと同じ独自の価値観を以て、キリトを虐げ殺そうとする神童に対し、憤怒と憎悪を燃やし、殺意を滾らせ、剣を抜いているのだから。

 神童とて、幾ら何でも生まれたその瞬間からあんな人格だった訳では無い筈だ。

 子は親を見て育つ。親が失踪した後の歪で大変な家庭環境、そしてISと自身の姉の影響で、何があったかあんな人間性を形成した筈だ。真っ当な筈の親が――蒸発した時点で真っ当と言えるかも甚だ疑問だが――居なくなった事で、恐らく常識的な人間性を構築するのに支障を来したのだろう。

 それでもそれは免罪符になんてなりはしない。それはただの切っ掛けであり、キリトを殺す判断を下したのは神童本人の意志。

 それを受けて、周囲の人間は神童の人間性を測り、価値を決める。

 だから自分が神童を殺そうとするのも、巡り巡ってある意味神童の自業自得と言える。殺意を向けられる言動を取っている者が悪い。

 とは言えボクが悪くないとも絶対言えない。

 人を殺す事はどんな状況や事情があっても基本的に悪だ、個人の感情で人の命を奪う事は常識的に見て嫌悪されるべきであり、否定されるべきだ。人を殺せば、その者が生きる筈だった未来を奪った業を、必然的に背負う事になる。ボクは誰かから悪と言われるだろうし、ともすれば何時か業に押しつぶされるかもしれない。

 それは人を殺めた者が受けるべき罰だ。善なる行動と認められたとしても、決してその罰から自分は逃げてはならない。

 きっとそれを神童は考えていない。あの男は人を殺した罪を自らが掲げる『正義』で正当化し、罰から逃れようとしている。いや、その自覚も無く無意識に、自分は悪くないと大衆の意識と肯定を利用して、免罪符を得ようとしている。

 故にボクは神童と決して相容れない。

 ボクは感情的であってもその罪深さを承知の上で剣を抜き、神童を殺すべく地を蹴った。もしかしたら姉に見限られるかもしれない、ともすればキリトに恐れられるかもしれないが、それを理解した上で、神童を殺すべく動いた。

 対して神童はへらへらと軽薄な笑みを張り付けて、キリトの身を挺してクラインを庇った行動を『自ら死にに来た』のだと曲解し、それを褒めた。恐らく代償として喪うものは無いと、そう軽んじた上での浅薄な行動だ。

 結果としては互いに同じ『殺人』だとしても、『人を殺める』事に対する両者の認識と覚悟には絶対的な開きがある。だから絶対に相容れない。

 キリトの行動を曲解し『死ぬべき』という狂った価値観を下に褒めた事に憎悪と殺意を抱いたボクは、人を殺める事に対してあまりにも軽薄且つ思慮が浅薄過ぎる神童に、そういう意味で憤怒も抱いていた。

 

「チッ……」

 

 自身の左から迫るクライン、右から迫るボクを目だけ向けて一瞥した神童は舌打ちした後、自らの剣で貫いているキリトのお腹に左足を据えて思い切り蹴り飛ばした。

 眼だけで彼を追うが、ヒースクリフこと茅場晶彦がしっかり腕で抱き留めていた、HPを見ても七割強は残っていたので問題無いと瞬時に判断して前へと視界を戻す。

 クラインは刀身から翠の光を迸らせて右薙ぎ一閃を放つ《絶空》を放つ。自分も翡翠の光を愛剣から迸らせて、袈裟掛けと逆袈裟二択から、袈裟掛けに振るうのを選んだ《ソニックリープ》で斬り掛かった。

 神童はそれを見た後、蹴り出していた左脚を戻して後ろに一歩下がり、白剣を左腰に擬するように構える。まるで抜刀術のような構えをした途端、白剣から橙色の光が迸り、一瞬後に右斬り上げに刃が跳ね上がった。《スラント》だ。

 クラインと自分が放った翡翠の帯を引く二筋の剣閃は橙色に輝く刃へ同時に衝突し、三つの刃が見事な均衡を保って、その動きを止めた。

 

「お……ォおおッ!!!」

 

 ソードスキル同士の衝突で拮抗するのはある程度予想していたが、こちらがクラインと合わせた二人掛かりであるのに対し、あちらは一人であるため、負ける筈が無いとキリトに対して抱いたものとは別の対抗心が頭を擡げた。

 それに従って突進が止まった事で踏ん張る為に地面へ付けた右脚へ更に体重を乗せ、重心を前にして、全力を以て左に居る神童目掛けて刃を押し出す。

 クラインは両手武器ではあるが、エクストラスキルの武器である《刀》はその性質上、敏捷値が高い程にクリティカルダメージも《片手剣》や《曲刀》に較べて大きくなる特徴がある為、彼は自分と同様に敏捷値へ多めにボーナスポイントを振っている。

 神童は話に聞く限りスピードタイプらしい事から自分と似たようなビルドだろう。剣のタイプはどちらかと言えばキリトに近いパワー型。

 恐らく然程レベルも離れていない筈なので、二人掛かりでどうにか拮抗していた神童の剣を一気に押しやり、後退させる事に成功する。

 表情はつまらなそうなものを見た者特有のそれなので、むしろ後退は自らの意志でした事なのかもしれない。

 そう考えると、まだ煮え滾っている感情の熱量が更に強まる感じがした。

 

「まさかいきなり斬り掛かってくるとはな」

 

 十メートルほど距離を開けた神童は、こちらを取るに足らない存在と断じて――あるいは軽んじて――いるのか、構えを解いて自然な立ち姿で話し掛けて来た。その眼は確かにこちらを注意しているようだが、しかし命を脅かすと判断した警戒心を感じられない。

 明らかに見下していると分かる、そんな眼つきだった。

 その言い草と態度に自分はおろか、両手で愛刀の切っ先を神童に向けて構えている隣の侍も、ぎりっと歯軋りをした。

 

「先に斬り掛かってきたテメェが言えた義理じゃねェだろ」

「確かにね。それに、キリトを殺すつもりで剣を抜いたなら、こうして剣を向けられたとしても文句は言えない筈だよ……――――先に言っておくけど、ボクはキミを許さない」

「……何?」

 

 愛剣を片手持ちで正眼に構えている自分の発言を受け、神童は眉根を寄せ、訳が分からないとばかりにこちらに目を向けて来た。

 それを無視して、自分が何をしたのか、どうして敵意を向けられているか分からないとばかりのその態度に、更に苛立ちと殺意を募らせながら、口を開いた。

 

「攻略組は複数のギルドと幾らかのソロプレイヤーで構成された、一種の大きな組織。その至上命題はデスゲームからの生還、すなわち生存してのゲームクリア……オレンジを率いているキミは第二レイドを壊滅させた。たとえ【紅の騎士】が茅場晶彦で、本当に彼を倒せばゲームクリアになるとしても、四十にも上るプレイヤーの命を直接的、あるいは間接的に奪った事は到底許される事じゃない」

「何だよ。なら一夏はどうなんだ? そいつは多くのプレイヤーを殺してるだろ」

「キミなんかと彼を一緒にするな」

 

 人生で初となる殺意を孕んだ怒りを抱いている自分の声は、今までにないくらい低く、自分でも分かるくらい威圧感があった。神童は取るに足らないと思っているからあまり動じていないようだが、その後ろにいるオレンジ達は、【絶剣】としての異名も手伝ってか顔を強張らせ、中には半歩ほど後退っている者もいる。

 その声音のまま、自分は話を続けた。

 

「確かにキリトは多くのオレンジやレッドを斬って来た。それは到底許されない……けれど、彼が斬ったオレンジ達は、一日一日を必死に生きるプレイヤー達を脅かす存在ばかりだった。殺人快楽者の集まりである《笑う棺桶》はその筆頭。彼の行動で間接的に救われた人も、少なくはあっても確かに居る」

 

 実際は、彼の自己犠牲的な行動で救われた者は数えきれない。《ビーター》としても、【黒の剣士】としても、彼はこの世界に生きる全てのプレイヤーに大なり小なり有形無形関係なく、幾つもの面で助けとなってきた。

 キリトはオレンジキラーとなり、《ビーター》の悪名を利用する事でオレンジ達の行動を抑えて来た。あるいは【黒の剣士】として《笑う棺桶》を潰し、別の意味で多くのプレイヤーに安心感を抱かせた。

 しかし、神童は違う。

 

「けれど、キミの行動は誰の為になった? ボクにはただ命を奪っただけとしか思えない」

「茅場を倒してゲームクリアをする、その為にしたんだ。皆を助けられるなら……」

「仕方ない、と? ……ならどうして、キミは以前のデュエルで顔を合わせた時に明かさなかったんだ」

「ッ……」

 

 予想通りの言葉で反論しようとした神童を、言葉を重ねる事で無理矢理止める。こちらの指摘で神童は口ごもった。

 

「茅場晶彦を黒幕だと断じていたなら、どうしてあの時に明かさなかったんだ。ヒースクリフが茅場晶彦だと断じた経緯からして、顔を合わせた後で判明したという訳でも無さそうだから、あの時に明かしていれば第二レイドの犠牲は必要無かった筈……必要のない犠牲者を出した事に変わりは無い」

「……」

 

 沈黙と共にこちらを睨み付けて来る神童だが、自分がキリトとデュエルしている時に感じた気迫はおろか、《笑う棺桶》メンバーが見せていた狂気や殺意にも及ばない敵意しか乗っていなかったため、内心だけで失笑する。それでも抱いている感情が晴れる事は微塵も無かった。

 神童の実態に幾度目とも知れない落胆と失望を抱きながら、それに、と言葉を重ねた。

 

「茅場晶彦が黒幕だと断じて動いていた訳だけど、キリトが語っていたようにもしも違っていたら? あるいは、黒幕だとしてもアカウント《Heathcliff》を倒したところでその場でクリアにならなかったら? どちらにせよ第百層まで攻略せざるを得ない状況になった時、第二レイドという攻略組の戦力の低下、また情報屋アルゴを喪った損失を、キミはどうするつもりだったのかな」

「それは……」

 

 視線を下げ、僅かに顔を俯け口ごもる姿は、子供が言い訳を考えている様そのものだった。

 その様を見て、はぁ、とこれ見よがしに溜息を吐く。

 

「考え無しにも程がある。幼い頃から《神童》と呼ばれていたらしいけど、ボクには到底そうは思えない。ボクからすれば【黒の剣士】キリト……キミ達が見下している彼の方がよっぽど上だ」

「何だと……俺が、この俺が一夏に劣ってるだとッ?! ふざけるなッ!」

 

 常々抱いていた本音を口にすれば、言い訳を探していた神童が感情的に反応して怒鳴って来た。

 論理も何も無いただ感情的になる様を、ボクはただ冷ややかに暫く眺める。

 

「ボクは至極真面目だよ。事実キミは攻略組へ参入する為の一次試験であるデュエルで彼に負けている」

「アレはアイツがズルをしたからだろ!」

「何もかもをその一言で済ませるなんてね……キリトはチートやズルをするどころか、むしろ自分の力に制限を掛けていた。ユニークスキルを使っていなかったし、剣も一本だけ、武器を召喚する《ⅩⅢ》も未使用。更に言えば完全習得しているらしい《戦闘時自動回復》スキルも使用不可設定……キミと違って胸鎧すら装備していない彼は、ダメージディーラーの欠点である長期戦に向いていない不利、パワー型の欠点である速度での不利を覆して勝利したんだ。レベルという一点を除けば全てフェアな状態で戦っていたんだよ」

 

 神童とデュエルする時、キリトは恐らく敢えて相手のスタイルに合わせた状態で戦っていた。

 それは『認められるため』、もっと言えば『強い事を否定される要素を排除』する為の行動だった。

 あまりにも圧倒された剣戟を前に《ⅩⅢ》やユニークスキルをまともに使えたとは思えないし、使わなかったのも偶然でしか無いだろうが、二振り目の愛剣ダークリパルサーを使わなかった事と《戦闘時自動回復》スキルを無効化していた二点に関しては、明らかにキリトが不利な制限だ。すぐにそれを破る事が出来たし、特に誰かから制限を受けてもいなかったのだから、キリトはそれを承知の上で自ら封じていた事になる。

 片翼の堕天使以上の剣速を持つ神童の四倍速剣技は、二刀であれば対応出来た筈だ。あのボスの瞬時の斬り抜けは八連撃、それを二刀で捌いたのだから、一刀につき四撃は凌げるという理屈になる。刺突なので一刀では四倍速を捌けなかったとしても、二刀であれば十分捌けた公算は高い。

 その制限があったキリトの強さをズルと言うのは、それは大きな間違いだ。

 

「確かに元の才能やスペックではキミの方が上だと思うよ。如何に片手剣使い最強と言われているボクでもキミを相手に勝てるかと問われればほぼ無理だと、今は言わざるを得ない。それだけキミは優れてる……けれどキリトは、キミの才能と剣を上回った、それだけの経験と努力を重ねて来たんだ。確かにキミは才能の面で『優れている』だろうけど、キミには足りないものがあるからこそ、ボクはキミをキリトより『劣っている』と断じた」

「一夏にあって、俺に足りないものだと……? そんなもの、ある筈が無いッ!」

「あるから言っているんだよ」

 

 犬歯を剥き出しにしながら睨み付け、怒鳴って来る神童に短く返した自分は、正眼に構えていたルナティークを持ち上げ、その切っ先を神童に突き付けた。

 

「キミに決定的に、絶対的に足りていないもの……それは『誇り』だ」

「誇りだと……?」

「そう。信念、信条と言い換えても良いかもしれない。これだけは譲れない、これだけは絶対に守る、そう自らに誓った誓約のようなもの……キミにはそれが欠けている。それがあったなら、キミはボクと同様、彼とのデュエルは引き分けに終わった筈なんだ」

 

 キリトがオレンジ達を斬って来たのも、《ビーター》として悪名を背負う事を決断したのも、全ては人のためという信念が故。その剣を穢す事も厭わない、ある意味で彼の精神性を象徴する様は一種の誇りと言うには十分過ぎる。

 故に彼は己に『最強で在れ』と課している。生き抜く為に、【黒の剣士】として人々の希望となる為に、そして認められる為に。敗北を許さず強さを求めて研鑽を積む行動もまた誇りだろう。

 少なくとも、義姉のリーファからも認められたこれまでの行動は、彼にとっても誇りと言える筈だ。

 その誇りの為にも、自分とのデュエルでキリトは死力を尽くした。たとえ多くの制限があったとしても、こちらに合わせたスタイルであろうとも、負ける訳にはいかないと全力を傾けて相対してきた。

 彼と対峙した自分にだって勿論、誇りはある。

 【絶剣】と謳われる程に上達した剣の腕も、本来は姉の他、キリトを始めとした仲間を護る為に力を求めたが故のもの。そう簡単に敗れる事は自分自身が許さない。やるなら全力で。勝利であれ敗北であれ、全力を出した上での結果であれば自分はある程度満足する。

 何であれ自らの敗北を許さない彼と、敗北であろうとも全力を出し尽くした上での結果であれば満足を抱く自分とでは、目指す高みが異なるので彼には敵わないだろうと思っているものの、互いに誇りを賭した勝負であった事は疑いようも無い。

 誇りと誇りの鬩ぎ合い。

 その果てでの引き分けであった事は、自分にとってとても喜ばしい事実だ。目指す高みが異なろうとも決して劣っていないという風に解釈すれば、最強と思っている彼と同格であるように思えて、その背を追って来た身としては最上の誉れであったから。

 対して、彼に敗れた神童にはキリトのような追い詰められた信条も、自分のような信念も無く、あるのはただ薄っぺらい自尊心だけ。

 キリトも自分も究極的には他者の為に剣を振るっているので生半な事では敗北を許さないが、神童は事実を捻じ曲げれば自尊心を保てるので、自身が敗北を喫した理由を正当化する為にキリトを貶めようとしているように過程はどうあれ結果さえ伴えばそれでいいという思考になっている。

 そんな輩が、常に誇りと共に命を懸け、全霊を賭して強さを追い求め、あるいは人の為に戦っているキリトに勝てるとは思えない。

 それは神童が弱いからでは無い、キリトの信念と覚悟があまりにも強過ぎるせいだ。敗北は死を意味すると捉えているキリトがそう易々と敗北を喫するのを認める筈が無く、相手が誰であれ、全力で勝ちを取りに行くのが彼なのである。

 

「ボクとデュエルをした時の条件は当然キミの時と全く同じ。それを前提に、ビルドも近く、装備の構成も近く、同じ片手剣使いであるボクとキミの間に差があるとすれば、レベルを除けばそれくらいなんだ。自身の敗北を認めようとせず、キリトがズルをしたと貶めようとする事で敗北を否定するキミに、誇りなんてあって無いようなもの。デュエルで敗北した後、往生際悪く短剣で刺そうとした、神聖な決闘すら正々堂々も出来ないキミに誇りがあるなんて、到底考えられない」

「勝手な事を言ってくれるな……俺にだって誇りくらいはある、千冬姉の名に恥じない働きをするってな」

 

 苛立ちで眼つきが鋭くなっているが、それでも自らの言葉で余裕を取り戻したかのように笑みを浮かべながら言う神童。

 既に恥じないどころか泥を塗りまくっているとしか思えない所業をしているが、それらを挽回するだけの行動を取ろうとしていたのだろうか。

 

「……そういう事か」

「キリト……?」

 

 神童の言葉に目を眇め睨め付ける自分と、自信を取り戻して強気な笑みを浮かべる神童とで視線を交わし合っていると、後ろからキリトの落ち着いた声が聞こえて来た。

 肩越しに振り返れば、蹴り飛ばされ茅場晶彦に受け止められていた彼は、HPをフル回復させた状態で立ち上がっているのが分かった。その顔は俯けられていて、彼より背が高い自分達にはどんな表情をしているのか分からず、得も言われぬ何かを覚える。

 

「何だよ」

「SAOに途中から巻き込まれた立場のアキトがそれを明かしただけでなく、黒幕である茅場を討てば、この一年半以上もの間攻略組として一緒に戦っていた俺達は茅場晶彦と見抜けなかった役立たずと言われ、代わりにアキトは神童の名に違わぬ英雄と言われる事になる。役立たずの攻略組が壊滅したとしても、その上でクリアさせたとなれば生き残りおよそ七千人を救う事になり、数十人の殺人は免罪符で許される。ボス戦後のタイミングを狙ってオレンジを率いたのは、物量に物を言わせる事で俺達を纏めて排除する為だった……違うか?」

「…………」

 

 前髪でも表情が隠れて見えないキリトの推論に、神童は肯定はしなかったが、否定もせず黙り込んだ。面白くない、とばかりに顰められた顔を浮かべながらの沈黙は、彼の推論が当たっている事を雄弁に語っている。

 どうやら神童はキリトを含め、ボク達を纏めて貶める意図も含んで今回の所業に打って出たらしい。つくづく相容れない思考の持ち主である。

 多くの人の為と動いているキリトであれば、犠牲を少しでも減らそうと一対一の状況でヒースクリフのみに推論を語り、決闘を仕掛けていただろう。

 人の為に動いているか、自分の為に動いているか、それがよく分かる行動である。

 

「……はっ、だから何だよ。実際気付かなかったんだから役立たずだろ」

「貴様ッ、ふざけるなッ!」

 

 何を言っているのか、とばかりに平然と殺した事を青年が肯定した直後、我慢ならないとばかりに怒りに打ち震えている《血盟騎士団》のゴドフリーさんが怒鳴った。

 団員を二人喪った直後、一気にまた喪った事に心を痛めている男は顔を真っ赤にし、鬼の形相で【白の剣士】を睨む。元々温厚で世話焼きなだけあり、そして体育会系の性格で連帯感を好んでいる事からその怒りはとても大きかった。

 

「貴様、人の命を何だと思っているッ?! 我々が生きるこの世界はゲームではあるが、生死が懸かった戦い、貴様がプレイしていたALOと言うゲームのような遊びでは無いのだッ!!!」

 

 それは、この場に居る全員――少なくも攻略組側――の心の声を纏めた言葉だった。正にボク達は命懸けでゲームクリアを目指している、リアルでは現時点で死んでいなかろうと、《ナーヴギア》という拘束具と《ソードアート・オンライン》という檻から解放されない限り、死なない可能性はゼロにならない。

 だから誰もが毎日を一生懸命に生きて、全ての戦いに常に全力で向き合ってきている……それをぶち壊されては堪らない。

 

「あのさー」

 

 その総意が乗せられたゴドフリーさんの言葉に対し、あまりにも軽薄に過ぎる、間延びした男の声が応じた。

 【白の剣士】のすぐ近くに立っていた、見たところ中学三年から高校生入学したてといった風情の男の子だ。赤いシャツに赤い胸鎧、黒いズボン、手には真紅にリペイントされた片手剣が握られている。

 その剣を肩に担ぎ、トントンと刀身の腹で肩を叩きながら、嘲りを含む苦笑を浮かべ、口を開いた。

 

「アンタらが勝手にゲームクリアを目指すって言ってるだけで、俺達は一言も頼んでないんだけど?」

「「「「「な……ッ」」」」」

 

 あまりにも身勝手で、あまりにも自己中心的な少年の発言に、ボク達は絶句させられた。あのヒースクリフさんですら瞠目して動きを止めるのだからよっぽどである。まさかそんな事を言われるとは露とも思わなかった。

 ただ一人、キリトだけは動揺する事無くオレンジ達を、そしてその中心人物である兄を睨み据えていた。

 

「文字通り死ぬまでゲームが出来るって事だろ? むしろリアルで面倒な勉強とか就活とかしなくて済むんだからラッキーじゃん」

「なー。それなのにクリアとかマジ勘弁なんだけど」

「てか、『人の命を何だと思ってー』っていう言葉、すぐそこの出来損ないクンに一番言わないといけないんじゃないの? ほら、【絶剣】が言ってたようにオレンジとかレッドとか狩ってるんだしさ」

 

 次々と、高校生から二十歳前半辺りらしき男子達が言葉を発する。

 それらは全て『死ぬまでこの世界で遊びたい』という、ある意味ゲーマーらしい願いであり……

 

 ――――他者の命を何とも思っていない、酷く傲慢な思想に染まった言葉ばかりだった。

 

 しかも神童の目的と言葉が矛盾している。

 神童はこの世界を終わらせる為にオレンジ達を率いているのに、その率いられている側のオレンジ達はクリアするなと言う。この矛盾は一体どういう事か。茅場晶彦が憎いからただ手を貸しているのだろうか。

 

「……アイツら、俺が援助してた中層域のプレイヤーだ」

「えっ?」

 

 今まで黙ってた分が爆発したか、次々と言葉を重ねて聞き取れないくらい攻略組に対して罵詈雑言を飛ばし始めたのに隠れて、エギルが小さな声でそう言った。思わず近くに居た姉ちゃんとサチ、ボクは禿頭の巨漢に目を向ける。

 黒い肌の両手斧使いの男性は、斧の長柄をあらん限りの力で握り締めていた。

 

「アイツらは早く家に帰りたい、飼い猫に逢いたい、友達と遊びたいって言ってたんだ。だから俺が援助して、せめて死なないようにしてたんだがな……」

「……まさか、ユウキが教えてくれた例の……ッ?!」

 

 エギルの言葉を聞いて、姉ちゃんが驚愕と共に言う。

 神童とこの世界で初めて遭遇したあの日にリズベット武具店にてキリトから少しだけ聞いた、神童と接触した者は途端に態度が豹変したらしいあの話。

 エギルさんが援助しようと思うくらい純粋に願っていた者達が、揃いも揃ってクリアを否定……いや、攻略組であるボク達を否定するような行動を取るとなったら、もうそれしか考えられない。何せここに自分達を支援してくれていたエギルが居るのだから。

 だと言うのにどんどん罵詈雑言はヒートアップしていき……それでいて、どこか中身が無いように思えるのも、神童の目的とオレンジ達の考えが矛盾しているのも、神童が何かしたのだと考えれば納得もいく。

 これがかつてキリトが味わったという、知人――今回はエギルの知り合い――の豹変かと、思わず身震いすると共に戦慄した。以前は早く帰りたいと口にしていた者達が、今では自分達を支援していたエギルを殺す事も厭わない姿勢で、クリアするなと言うその豹変ぶりは恐ろし過ぎる。

 何よりも、そんな事が出来る神童が不気味で、ボクにはこの世界にいるどんな狂暴且つ凶悪なフォルムのモンスターよりも邪悪なのではと思えてしまった。

 人を操り、人の意思を蔑ろにする輩の事をどうして良く思えようか。

 

「だろうな……」

 

 姉ちゃんの予想に、エギルさんも同意見だったようで険しい面持ちになりながら小さく頷いた。その表情にはやるせなさに満ちているように見えた。

 

「それに此処ってゲームでしょ? リアルで死んでなくて、禁止されてる訳でも無いならPKしたっておかしくないでしょ」

「ていうか、ゲームクリアとかやめて欲しいから」

「まぁ、やめたとしても《ビーター》だけは一人でやれそうな分、しっかり殺すけどねー」

「レアアイテムとか沢山手に入るんだろうなぁ……よーし、俺がアイツを殺してやるッ!!!」

「あっ、ズリィッ!!!」

「抜け駆け禁止だぞコラァッ!!!」

 

 絶句している間に、狙いを定めたのかサチと同年代と思しき十数人のオレンジプレイヤーが青年の合図も無しに、彼らと相対している攻略組で最前のキリトに向けて駆け出した。それぞれ武器を握っており、先頭を駆ける二、三人の剣には既にソードスキルのエフェクト光が発生している。

 このままでは物量差で流石にマズいと思って、駆け付けようとしたその時、未だに顔を俯けたままのキリトが動き始めた。

 まず左足を一歩前に踏み出した。

 

「死ぬまでゲームがしたい、ね……だったら――――ここで死ね」

 

 短く、ゾッとするくらい冷たい声で言い捨てた彼は、一度オレンジの少年達に背を向けるように時計回りに一回転し、右脚を前に踏み出して制動を掛けた直後、エリュシデータで遠心力と捻転力を加えた通常の右薙ぎ一閃を放った。

 最前にいた二、三人は諸に喰らって吹っ飛び、後ろから追従していた者達を巻き込んで一気に押し返す。難を逃れた者達も居たが容赦ない攻撃を見て動きを止めた。

 諸に攻撃を受けた者達のHPは全損こそしなかったが残り一、二割となり、危険域の赤色に染まっていた。あと少しで殺されていたという事実にオレンジ達は顔を強張らせる。

 【白の剣士】もまさかいきなり殺しに来るとは思っていなかったのか、唖然として口を半開きにして、固まっていた。

 

「何だ、思ったよりレベルは高めなんだな。一撃で殺せると踏んでいたからどうやら見くびっていたみたいだ」

 

 彼らの唖然、愕然とした視線を一身に受けている少年は、右に振り抜いていた黒剣を下ろし、前を向いた。その視線は神童に向けられている。

 神童は瀕死になるまでHPを減らされ吹っ飛ばされたオレンジ達を心配する素振りも見せず立ちはだかる自身の弟に対し、今にも呪わんばかりの忌々しいと思っている事が分かる険しい面持ちで、キリトを睨み据えていた。

 さっきのキリトの言葉は言外に全体的に弱そうだと――――神童も殺せそうだと、そういう意味としても汲み取れたからだろう。

 

「舐めやがって……少し知り合いに持ち上げられたからって、いい気になるなよ! お前が俺の足元にも及ばない存在に過ぎない事を改めて思い知らせてやる、その足りない頭にも分かるよう、徹底的になッ!」

 

 キリトの言葉と態度に激昂したらしい神童は、手から提げていた白剣を後ろ手に構え、左手を体の前に寝かせ、一刀のキリトと同一の構えを取った。

 

「……誰も、手出しするなよ」

「えっ、ちょ、キリト?!」

 

 短く言われた事に慌てて驚きと疑問を含んだ声を返すが、しかしキリトは一顧だにせず、二歩ほど前に出た。

 その二歩目が、この兄弟で二度目となる死闘の幕開けとなった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 超久し振りな男気溢れるクラインカッコいい回。

 そしてすぐユウキに喰われてしまった。ご免クライン。

 キリトにユウキとアキトの二人とデュエルさせたのは、実はこの二人の差を書くためだったり……あと同一条件だったのも、メタイ話では『キリトはズルをしていない』という証言を出す布石でもありました。勿論『兄と同じ条件になった上で勝たなければ認められない』という面もありますがね。

 まぁ、レベルに差があり過ぎる上に装備の性能も破格なのに引き分けあるいは辛勝の時点で、キリトの才能が二人より無いのはお分かり頂けているでしょう。

 それでもキリトが強いのは努力と経験の密度が違うから。

 原作キリトやぶっつけで代表候補に勝利寸前まで(ビギナーズラックあり)でいった原作一夏で同じ経験積んでたら、多分圧勝してたでしょうね。他の方のSSを読んだ感じだとどうも和人と一夏って同レベルっぽい印象らしいですし。

 そんな訳で本格的な戦闘は次話です。

 実の兄アキトに対してキリトがどう戦うのか、またどのような反応を見せるのか、お楽しみ頂ければ幸いです。

 では、次話にてお会いしましょう。


 ……しかし、ユウキが段々原作の性格から乖離しているような……ランもそうですが、原作であまり描写が無い(登場巻数が少ない)キャラの性格は再現・維持し辛いですね……


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