インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話でアキトとの仮想世界での戦いに決着が着きます。

 まぁ、それよりも白がどんな風に暴れるかの方を見て下さればなぁと思います。結構展開的に引っ張ってるんで……(汗)

 あと、最後ら辺にちょっとややっこしい内容があるので、理解が難しければ『そうなのかー』で流して構いません。今後の本編でも触れるので。

 視点はユウキ、アスナ、ユウキ。またユウキがいっぱい(白目)

 文字数は約二万三千。

 ではどうぞ。



第五十八章 ~死闘:骨肉の争い後編~

 

「な、んだと……っ?!」

「うそ……ッ?!」

 

 神童の驚愕の声と、ボクの絶句の声が重なった。

 あのタイミングで、あの状態で、どこから剣が迫るかを把握した上で掴んで止めるなんて。

 そんな事、あり得る筈が……

 

「――――ま、さか」

 

 そう思ったが、瞬間的に脳裏にある光景が蘇った。

 既に一度あり得たではないか。あの闘技場《個人戦》の最後の敵と戦っていたあの時に。壁に叩き付けられて絶体絶命になった時に。丁度今のように相手の大上段の一撃を左手で受け止めるという光景が。

 

 ――――という事は……今のキリトは、まさか。

 

「ったく、くだらねェ真似しやがって。本来ならあまり出る訳にもいかねェってのにオレが戦う羽目になっちまったじゃねェか……」

 

 まさか今出るのかという驚愕、そして一体どうなるのだという戦慄と共にその思考が浮かんだと同時に、顔を俯けたまま神童の白剣を――どうにか動かそうとしているのかプルプル震えている――掴んでいるキリトが、何時になく荒々しい口調で言い捨てた。

 それは素のキリトでは絶対に使わない口調。《ビーター》として振る舞っていても、ここまで荒くて雑な物言いはしない口調。

 それを、ボクは――――ボクを含めた攻略組は、一度だけ見聞きしたことがある。

 あの闘技場《個人戦》終盤の、ほんの僅かな間だけ。

 更に言えば、『オレが戦う羽目になる』と他人事のように言ったのが気に掛かる。

 やはり、今のキリトは……

 

「何だ……? お前、一夏じゃないのか……?」

 

 ボクは以前見ていたからすぐキリトの変貌に察しが付いたが、それを知らない神童は困惑していた。まず間違いなく《織斑》の姓名だった頃にはキリトの二重人格性質は無かった筈だし、そもそも彼を見ていなかったのならあったとしても知らなかっただろう。

 だからこそ神童は困惑しているようだった。

 

「一夏じゃないのか、だァ? クハッ、面白ェ事を訊くなァ、愚兄」

「ぐ、愚兄だと?!」

 

 今まで見下してきた相手から見下す呼称をされた事で神童は怒り心頭らしく、一気に怒りの形相になって刃を押し込もうと腕に力を籠め始めた。

 しかしこの世界は仮想世界。体格では絶対的な差があろうとも、この世界ではレベルとステータスが全てだ。スピードタイプの神童では、パワータイプな上にレベルが途轍もないキリトに勝てる筈も無く、剣はビクリとも動かない。

 誰もがキリトの唐突な変容に愕然とし、沈黙となった状態の中、漸くキリトが俯けていた顔を上げ、目の前にいる自身の元兄を見上げた。

 横から見えるその顔には、嘲弄の表情が浮かんでいた。例え《ビーター》として振る舞っていても決して見せない類の表情は、今の少年が普段とは明らかに異なっている事を意味している。

 

「生憎だが――――」

 

 口の端を歪めながら言葉を発したのと同時、キリトの右側に一本の剣が現れた。

 特徴的な部分がほぼ見られない西洋剣は恐らく第七十五層のNPC武器屋で売られていた代物。突出したステータスこそ無いが、しかし強化すれば使えるだろう剣は、キリトが柄を持っていれば振り下ろすだろう形で空間に現れた。

 

「てんで的外れだッ!!!」

 

 そしてキリトの嘲弄を隠さない声音で発せられた大音声と共に、宙に現れた剣が、白剣を掴まれ身動きが取れないでいる――あるいはキリトの変貌に驚いている――神童へと襲い掛かった。その剣は袈裟掛けに振り下ろす軌道を描く。

 

「ぐぁ……ッ!」

 

 神童は目の前に居る少年の変貌に気を取られていたため、アッサリと宙に浮く剣の袈裟掛けの一撃をその身に受けた。

 とは言え反応速度が半端ではない神童は流石と言うべきか瞬時に白剣の柄から手を離し後退しようとしていたらしく、動かなかったら肉体を両断していただろう一撃は、それなりに深くはあるものの両断まではいかず、神童のHPを残り二割弱まで減らすに終わった。その一撃で三割ほど減らしたという事だ。

 ステータスや装備の性能差を考えると、斬閃の深さに反して些かダメージが少ない。恐らく神童が付けているボディアーマーの性能が防御力とダメージカットに特化しているのだろうと思われた。

 ――――あまり知られていないが、最前線だと防具の性能は防御力値よりもダメージカット率の方が重要視される。

 これはダメージの計算値に使われる値の問題だ。

 極端な話、恐ろしく強大なMobであるボスモンスターの筋力値や攻撃力値はプレイヤーより遥かに高いのが基本で、現にパワータイプであるキリトは、第七十四層や第七十五層のフロアボスに何度か鍔迫り合いで押されていた。つまり相手の攻撃力が高過ぎるため、こちらが幾ら防御力を上げようとも雀の涙ほどしか減らないのだ。

 しかしダメージカット率は、装備出来る全ての防具の値を合算すると一割から三割ほどはダメージを減らせる。受けるダメージが大きい程に、ダメージカット率はより重要になってくるのだ。

 神童が受けるダメージが妙に小さく感じる時があるのは、恐らくカット率の方に特化した装備だからだと思う。無論、これはボクの予想だから外れている可能性も否めないのだが。

 閑話休題。

 

「まだ《王》の事を《織斑一夏》だと思ってンなら随分と脳みそのユルい野郎だなァ。《織斑一夏》を否定したのは、他ならないテメェ自身だってのによォ」

 

 神童が受けたダメージの少なさに対し、キリトと違って装備しているボディアーマーが減らした原因だろう――斬撃は丁度ボディアーマーの上から浴びせられた――と納得していると、宙に浮いていた剣を消したキリトが笑みを引っ込め、険しい表情を浮かべ、神童を睨みながらそう言った。

 その表情を見て、言葉を聞いて、殺し合いを愉しむようなどこか狂った感じがあったキリトの別人格に対する自分の印象が、少しだけ変わった気がする。

 ただ破壊や殺しを愉しむばかりの存在ではないと、キチンと接すれば大丈夫なのだと、そう思える何かが、今のキリトからは感じられたのだ。具体的に何かは分からないけれど。

 

「テメェに捨てられた時点でもう《織斑一夏》は死んだも同然、此処に居るのは別人だよ――――だがな、だからってテメェらに対する感情が無くなった訳じゃねェぞ」

「俺達に対する感情……?」

 

 その感情にボクは察しが付いたが、神童はイマイチ分からないのか怪訝そうな面持ちになった。

 それを見てか、あるいは内に起こる感情故か――――キリトは無表情になった。

 その黒い瞳に、光は無い。

 何も映さず、何にも動じない、虚無の闇が広がっていた。

 

「理不尽への怒り。傍観への憎しみ。仲間がいる事への妬み。誰も見てくれない哀しみ。その他諸々……」

 

 怨嗟と思える低い声音で、淡々と、訥々と語られる端的な呪詛。

 それは口にされた数こそ多くはないが、しかしだからこそその表情とのギャップで恐ろしかった。どれだけ深いのか分からないし、あるいは深過ぎて無表情になっているのかとも思う。

 

「そして……」

 

 彼が続けようとしているその先を、ボクは容易に想像出来てしまった。

 

 

 

「テメェらを――――《織斑千冬》と《織斑秋十》、そしてテメェらを信奉する連中全てをこの手で殺すという、復讐心だ」

 

 

 

「……嗚呼……」

 

 あって欲しくなかった。あるとは思っていたし、むしろ無い筈が無いものだったが、出来ればその感情を発露しないで欲しいと願っていた。

 もっと他の事に目を向けてと願った。

 それが果たされない事を、叶わない事を悟ったボクは知らず知らずの内に、か細く悲嘆の声を洩らしてしまった。剣を持っていない左手で思わず顔を覆ってしまう程に、悲嘆に暮れてしまった。

 

 ――――今まで、幾度も疑問には思っていたのだ。

 

 キリトは、優し過ぎる。自分を虐げる者達すらも助ける対象として見て、命を奪って来る相手に対しても平等に――勿論対応は厳しくなっているが――接するあたりで、ボクは日頃から疑問を抱いていたのだ。どうして怒らないのだろう、と。

 それから時が流れ、闘技場にてキリトの変貌ぶりを見てからある危惧を抱いていた。

 普段接する《表》のキリトから欠落した感情――――すなわち憤怒や憎悪といったものが《裏》のキリトを構成したのではないか。そしてその《裏》のキリトは、自分を虐げる者達全てを殺したいと願っているのではないかと。

 普段からキリトは強さを追い求めている。それは自分が生きるため、この世界の人々のためという側面もあったが、何よりも憧れの存在《織斑千冬》を求めているからだ。あるいは強さこそが元の家族に認められる唯一の方法と思っているからかもしれない。

 けれど今のキリトには既にリーファという自身に愛情を注いでくれる大切な家族がいる。今までのやり取りを見ている限りキリトも相当心を許しているようだし、大切な存在と見ているのだ、そんな彼が《織斑一夏》としてよりを戻したいと考えるだろうか。

 可能性として絶無とは言えないだろう。

 だが、これはあくまでキリトが《織斑千冬》と《織斑秋十》を肯定的に捉えていた場合の話だ。そうでなければよりを戻すという話にはならない。

 キリトが否定的に、拒絶的に捉えていた場合、《織斑》の姉と兄には冷たい態度を取るだろう。もしかしたら無関心かもしれない。最悪、恨み、憎むあまり殺したいとすら思っている可能性は十分あった。その感情があってもおかしくない迫害を受けていたのだから。

 実のところ、キリトと出逢ったばかりの頃から、彼は姉と兄を憎んでいるものかと思っていた。少し前までずっとそう思っていたのだ。

 しかし実の兄と思わぬ遭遇をした直後の反応を見るに、忌避感はあるものの憎んでいるようには思えなかった。リズやリーファ達の会話を聞いて微妙な反応をしていたのがその証拠。とても意外だったから目に付いた。

 神童との一度目のデュエルも、パッと見では怒り狂っているように見えた。

 けれどよくよく見ていれば、キリトの怒りはこの世界にいる人々の想いを貶された事に対してだと分かる。自分が貶された事には怒っていなかった。戦闘中の怒号も、どちらかと言えば剣が届かない自分への怒りのようにも見受けられた。

 だから正直、キリトが神童の事を憎くは思っていないと、そう判断していた。

 そのキリトがさっき絶大な殺気を放った事に心底驚いた。

 《裏》の人格と思しきキリトは、今まで見て来た《表》のキリトより明確な怒り、憎しみ、何より復讐心を抱いていた。

 喜びといった正の感情では、きっと《表》のキリトの場合確かに本音なのだと思う。明るく微笑む顔に嘘があるとは思えなかったし、思いたくない。

 そして負の感情の場合、《表》のキリトの言葉は何かしら誤魔化しが入っていて、《裏》のキリトの弁が本音なのだと思う。きっと本当のキリトは、自分を虐げて来た者達は勿論、ずっと傍観していた――というか多分気付いてすらいなかったのだろう――《織斑千冬》をも恨み、憎み、殺意を滾らせているのだ。

 もしかしたらリアルでも幾度か面倒を見てくれたらしい《篠ノ之束》も、ひょっとしたら、今まで何かと理由を付けて《ビーター》として、《出来損ない》として虐げられているのを看過してきた、ボク達をも殺したいと、そう願っているかもしれない。

 キリトに、大切な人に恨まれている事を考えて、体がぶるりと震えた。

 剣を持つ手は冷え切っていて、カタカタと小刻みに震える。

 

 

 

 ――――けれど、全部殺し尽くしたとして……その後、キリトはどうするの……?

 

 

 

 脳裏で、そう疑問の声が聞こえた。

 復讐者。ただただ自分が殺すと定めた相手を殺す為だけに全て一切合切を擲つ死兵という異常者。目的の為ならどんな手段も講じるし、正道も邪道も、時には味方をも利用し、犠牲にしてでも敵を殺す者。

 ただ一つの目的を果たす為に全てを費やすからこそ、それを止める事は難しい。

 そして、復讐を遂げてしまった後は――――

 

 

 

 脳裏で、血溜まりに倒れている傷だらけの姿が浮かんだ。

 

 

 

 凄惨な傷が無数にあって、けれど、どこか何かを成し遂げた時特有の満足した笑みを浮かべて、永遠に覚めない眠りに就いた姿が。

 

 

 

「ッ……!」

 

 嫌な未来を想像してしまって、ぎりっと歯を食い縛る。

 百歩譲って神童を殺す事はまだ良い。自分だってキリトの為と大義名分を掲げて殺そうと剣を抜いたのだ、少なくともボクは彼を止める権利も責める権利も持たないし、する事も出来ない。アルゴや第二レイドの皆の事で個人的な恨みも出来たから神童を斬りたいとまだ思ってはいる。

 でも、何もかも殺し尽くすのは許せない。人道の話ではない、そんな事をしたら、キリトの心までもが死んでしまうから。

 それだけはボク自身が看過出来ない。

 キリトへの暖かな想いを完全に自覚したあの時に誓ったのだ。明るく笑う彼を、そして彼の心を護ると。この剣と魂に、天地神明――――神様に。

 だから、ボクは……ボクが出来る事と言えば……

 

 

 

 ――――……もしもの時は、ボクの命に代えてでも、キリトを、縛るしか……

 

 

 

 それくらいしなければ、キリトを止める事は出来ないという確信があった。キリトにとって大切な者の命を以てでなければ。

 最悪の場合、残してしまう事になる姉に対する一抹の不安と死への恐怖心を覚えながらも、ボクは心を奮い立たせ、青年と少年の対峙へと意識を戻した。

 

 ***

 

 両腕を喪った事で一時は両足も斬り落とされるかと絶体絶命の危機に陥ったキリト君は、そのギリギリのタイミングで最初に斬り落とされていた左腕の部位欠損が終了、回復したため、すぐさま反撃。左手に喚び出した大刀と素手の攻撃を以て窮地を辛うじて脱した。

 それに私は安堵を抱いた。

 既に【白の剣士】が率いて来たオレンジ達は大半が捕縛、無力化に成功している。先ほどユウキが殺す事も躊躇わない姿勢を見せた事が予想外で浮足立ってしまったようで、剣を向ければ向かっては来るものの、その眼には必ず怯えが見え隠れした。殺されるのが恐いのだ。

 私はそれを当然だと思う。誰だって死ぬのは恐いだろうし、私だって恐い。

 ただ私は、それと同じくらい誰かを殺す事も恐い。そういう意味ではユウキに対して畏怖を抱くと共に、それだけキリト君の事が大切なのだなと、羨望と僅かな疼きを覚える。

 私だって、常に一人で戦って重過ぎる荷を背負って来た彼の事を大切だと思っているし、力になりたいと思っているのだ。

 彼女のような愚直なまでの意志の貫き様は正直羨ましい。

 本音を言えばすぐにでもキリト君の加勢に赴きたかったが、私は今回ボス攻略レイドの指揮を任されている。既にボスは倒したが、その役目をまだ解任されていない以上は別の敵を相手にしている間も指揮を執らなければならない。ボス部屋に来るまでの戦闘でも指揮を執るように。

 だから私はユウキの突出した行動を、本来窘めるべきではあった。

 だが止めなかった。彼女の行動は間違ってなどいないし、彼女の単独行動があったからこそオレンジ達が浮足立ち、ボス戦で疲弊し、団長が茅場晶彦であったと知って動揺していた攻略組も押し返せたのだ。

 ボス部屋の扉が消えた後の動揺から立て直したように、彼女には私やディアベルさん、団長とは別の方向性のカリスマがある。自分やランさんのような計画性のある方針は示せないだろうが、直感的に最善手を打てるその才能は恐ろしい。事実それで攻略レイドを何度も存続させているのだから。

 最も動揺の渦から抜け出して、とにかく【黒の剣士】を――――自身にとって大切な想い人を助けようという一心で、彼女は剣を取っていた。

 そんな動揺から脱したばかりの彼女ですら、再度身を凍らせてしまう光景が広がっていた。

 捕縛されたオレンジも、捕縛されている途中の者も、捕縛している者も、刃を交えている者達も、キリト君の加勢に向かおうと備えていた者達の誰もが息を呑み、その光景を傍観していた。

 大人のような冷静さ、あるいは子供らしい癇癪、そして怒りを抱いていながらも彼らしかったのに、唐突に荒々しい口調と雰囲気に変貌したから。

 《聖竜連合》や《アインクラッド解放軍》には彼に対し刃を向けた事がある者も居て、それでも驚いているという事は、今までただの一度もそんな姿を見て来なかったという事。

 

「にしても、本当に《王》は呆れるくれェ甘いヤツだ」

 

 白剣を掴んで止める為に一度仕舞った大刀をまた取り出し、肩に担ぐようにしているキリト君が、青年とオレンジ達を、続けて《聖竜連合》や《アインクラッド解放軍》、《血盟騎士団》の団員を見て、呆れたような面持ちで言う。青年が斬られながら後退した際に左手が掴んだままだった白剣は、既に青年の手許へと戻っていた。

 はぁ、と溜息を吐くその姿は、無茶をするキリト君の事を案じている面々の姿とどこか重なって見える。

 

「甘くしたらコイツ等も調子に乗るって事は分かってる筈なンだがな……殺しに来ていたヤツまで護ろうなンざ、甘過ぎるにも程がある」

 

 どこか微苦笑にも思える笑みに口を歪めた彼は、まァ、いい、と言葉を続けた。

 それから彼は、周囲に居る私達攻略組やオレンジ達へとまた視線を巡らせる。

 

「テメェ等、その眼でしっかり見とけよ。調子に乗ったヤツがどういう末路を辿るのかを――――なァッ!!!」

「くっ……?!」

 

 言葉を締め括るのと同時、地を蹴って瞬時に青年の眼前へと肉薄し、肩に担いでいた大刀を少女のような細腕一本で大上段から力任せに振るった。

 三日月の如く弧を描いて振り下ろされる出刃包丁を想起させる大刀の刃を、白尽くめの青年――《織斑秋十》こと【白の剣士】アキト――は白剣ホロウ・エリュシデータを右斜め上に振り上げる事で止めた。

 ガァンッ、と重い金属音が響き、火花が薄暗いボス部屋の中を照らす。

 しかし直後、白剣と交錯した大刀が振り抜かれ、青年は後方へ押しやられる。筋力値で押し負けたのだ。レベル一五〇は確実にあるのだから青年が押し負けるのは自明の理だ。

 

「クソがぁ……ッ!」

 

 一瞬で力負けした事に毒づく青年は、少年を掴みあげる為にフリーにしていた左手に翡翠剣ダークリパルサー――恐らくはホロウ品――を取り出し、二刀となった。

 《二刀流》スキルは持っていない筈なのでソードスキルは一切使えなくなるが、この死闘ではむしろソードスキルは悪手と言える。技後硬直を受けない通常攻撃の方が攻めやすいと判断しての行動だろう。

 問題は青年の二刀技術の高さ。

 キリト君の圧倒的なレベル差を才能と技術だけで覆し、ある程度拮抗した実績を持つあの青年の事だ、弱いとは到底思えない。《ⅩⅢ》を持っている事からしても必ず二刀の利点を見出し、ある程度は練習している筈だ。

 幾つもの死線を一人で生き抜いて来たキリト君とは別方向の強さを、あの青年は持っている筈だ。

 

「クヒャッ!」

 

 それを理解している筈だが、しかし恐れるに足らないと判断したのか様子が一変したキリト君は口元に狂笑を浮かべ、鋭く息を吐いた。

 同時、彼の左右に炎と共に二枚の戦輪が、更に背後には穂先を青年へと向けた状態で旋風を纏った六槍が姿を現す。即座に飛来出来るようにか、それとも威力を底上げするためにかどちらも轟々と炎と風を発生させている。その様は業火に豪風のそれ。

 

「テメェが優れてるなら負ける筈が無ェよなァ?! そら、破ってみなァッ!!!」

「この俺を、舐めるなぁぁぁぁぁあああああああああああああッ!!!」

 

 キリト君の挑発を受け、青年もまた同じように左右に二枚の戦輪、背後に風の六槍を同じように出現させた。鏡合わせの如く召喚された二つの武器達は、青年が怒号を上げると同時に放たれる。

 蛇の如くうねった軌道を描いて火焔を散らして飛ぶ戦輪。

 鷹の如く真っ直ぐ鋭い軌道を描いて飛翔する風の六槍。

 それらは、やはり鏡合わせのように真正面から衝突。爆炎と爆風を発生させ、使役者達の後方へそれぞれ弾かれ戻る。

 それを見たキリト君がへェ、と感嘆とも予想外なものを見たとも取れる反応を示す。

 

「どれくらいの期間練習したか知らねェが、即応出来た辺りは流石と言ったところだな、《神童》と言われているだけある」

「ふん、お前とは出来が違うんだよ。一緒にされると不愉快だ」

「……出来、ね……」

 

 苛立ちの籠もった青年の言葉を受けた彼は、意味深な呟きと共に、純粋な苦笑を浮かべた。

 

「ならこの場に居る全員に裁定してもらうとするか?」

「何? どういう意味だ」

 

 唐突とも言えるキリト君の提案に、青年は勿論、その《全員》である私達も揃って疑問を浮かべた。《裁定》と言っても何を裁定するか分からないし、どういう意図があるかもよく分からなかった。

 そんな様子の私達を見て苦笑を深めた彼は、実の兄へと視線を戻して口を開いた。

 

「生き残れば勝ち、死ぬか逃げるかで敗け。それを、この部屋にいるおよそ百二十人のプレイヤーに見届けてもらう、《出来損ない》と《神童》の正面衝突がどんな結末に終わるのかをな」

「断る」

「……へェ?」

 

 青年はバッサリと切って捨てた。

 それにキリト君は興味深そうに、面白そうだと思っている嘲笑を浮かべた。

 

「ま、別にいいさ。テメェがこの提案を受けようが受けまいがどちらかが死ぬまで殺し合うのは決まってるんだ、何せオレが止めるつもり無いからな。そもそも受けるとも思っていない」

「受けないと分かっていても問うなんて、お前馬鹿か?」

 

 キリト君自身もどうやらその提案を蹴られると分かっていたようだ。確かに青年が受けたにせよ受けなかったにせよ、ここで斬り合うのは――哀しい事ではあるが――変わらないため、どちらに転ぼうと彼にとっては大した問題では無かったのだろう。

 でも、それでも提案を持ちかけた事には何か意味がある筈だ。青年が思ったような考え無し、思い付きの提案という訳では無いと思う。

 

「莫迦はテメェの方だ、愚兄。さっきの問いの本命は……」

 

 その考えを裏付けるように、馬鹿にしてきた青年を莫迦にしたような嘲笑を浮かべたキリト君は、しっかりと青年を見据えて口を開いた。

 

「ただの時間稼ぎだ」

 

 そう言った途端、彼の右腕が一瞬光に包まれ、直後には斬り落とされた少女の如き細さの腕が戻った。戦いやすくする為に右腕を戻そうと思って、敢えて無駄と分かっている問答を入れる事で時間を稼いだらしい。

 用意周到に万全な体勢で戦いを挑もうとする彼らしい部分を垣間見た気がする。別の人格だとしても、やはり通ずるものはあるらしい。

 

「なっ、その為に……てか、また愚兄って言いやがったなっ!」

「愚兄を愚兄と言って何が悪い、訂正させたいならオレを屈服させるんだな。まァ、出来るとは思えねェが」

「この、また……! 良いぜ、なら屈服させてから殺してやるよ! 俺を舐めた代償は高く付くからな! 死んで後悔しやがれッ!!!」

 

 右手に純白剣ホロウ・エリュシデータを握り、左手に翡翠剣ホロウ・ダークリパルサーを握った青年はそう怒鳴ってから勢いよく地を蹴って駆け出した。

 同時、青年の頭上に蒼色の細剣と禍々しい黒い曲剣が出現する。

 まだ出していないだけかもしれないが、ひょっとするとお金が有り余っているキリト君とは違って、青年はNPC武器屋で調達をしていないのかもしれない。さっきから召喚される武器の中に店売りのものが見られないのだ。

 エリュシデータとダークリパルサーをどうして持っているかは謎のままだが、ひょっとしたら大枚はたいて調達した武器なのだろうか。それならレプリカ品としてまだ納得出来そうではある。

 とにかく、召喚出来る武器の絶対数で言えばキリト君の方が圧倒的に有利だ。召喚出来る状態になれば彼の優位性は確実なものとなるだろう。

 そう考えていると、蒼の細剣と禍々しい曲剣が勢いよく黒尽くめの少年へと射出された。ほぼ同じ速度のように見えるが、僅かに曲剣の方が速いように思えた。

 

「ハッ、遅ェッ!!!」

 

 射出された瞬間、キリト君は何時になく口汚い口調で罵って動き出した。

 僅かに右へ半歩動いて曲剣を躱した。

 そこまでは辛うじて見えたのだが、その後の動きは全く見えなかった。煙るのすら見えず、気付けば彼目掛けて飛来した曲剣を右手で掴んだ状態で一歩前に踏み込み、右斜め上に振り上げている姿勢で止まっていた。

 一瞬遅れて、離れた場所に蒼の細剣が突き立つ。

 それらを見て漸く、今の一瞬で何が起こったのかを把握した。

 

「何て反応を……?!」

 

 超高速で飛来してくる曲剣をギリギリで躱した後、彼は体を左に捻る事で曲剣の柄をしっかり掴み、自分の武器とした。それからほぼラグ無しで飛んでくる細剣目掛けて右斜め上の軌道に曲剣を振るい、刃をぶつける事で相殺、弾き飛ばした。

 その攻防をほんの一瞬の内にやってのけた彼の――――正確には別人格のキリト君の実力と選択に、私は戦慄した。

 普通ならそのまま横に跳んで避けるし、ユウキなら細剣と曲剣を身のこなしだけで躱し、迫る青年を迎え撃つだろう。

 それを彼はわざわざ危険な方法でやり過ごしたのだ。超高速で飛来する曲剣を躱したところまでは良いが、そこから柄を掴み取り、あまつさえ細剣を正面から弾き飛ばすなど普通は考え付かない。仮に考え付いたとしても、横に跳んで躱した方が安全だからそちらを取る者が多い筈なのだ。

 普段のキリト君や《ビーター》として強気に振る舞うキリト君も、どちらかと言えばまだ安全策を取る方だ。無理無茶無謀な策を実行に移す様はよく見て来てはいるが、それは他に方法が無いからであって、他に安全策があるならそれを取る。

 しかし変貌した今のキリト君は、それなのに最も危険な方法で攻撃を捌いた。

 変貌する前よりも能力が高くなっているからか。

 あるいは変貌する事になった何かしらのファクターが彼の精神面に影響を与えて、危険を顧み見ない戦い方にしてしまっているのか。

 それとも、死にたいと、かつて耳にしたように心のどこかで思っているのか。

 今の状態からして、どうにも後ろ二つが理由だと思えてならなかった。

 

「嘘だろ、今のにも反応するのか……っ?!」

「この程度で殺せると思っていたなら舐め過ぎだ愚兄ッ!!!」

 

 さっきので倒せると予想していたらしい青年は驚き故に走る速度が緩み、その一瞬を突いてキリト君が地を蹴り、空気を叩いて疾駆した。

 即座に距離を詰め切った彼は、再び青年と剣が煙る速さで刃を交え始めた。

 かと思えば、一瞬で青年の剣の間合の外へと離れ、仕切り直す。いきなりの事で隙を晒した青年にまた斬り掛かり、ギリギリでそれを青年は捌く、という展開が何度か繰り返されていく。青年も最初こそ焦りを見せていたが、今は慣れたのか反応が徐々に早くなっていた。

 

「チッ、面倒臭ェな」

 

 キリト君も十分――というか異常なほど――速いのだが、それでも神童の方が反応は早いらしい。大刀だから前動作を見切りやすいからだろう。

 それに気付いた彼は短く吐き捨て、また距離を取った。

 しかし今度は即座に詰める事無く、両手持ちの大刀を正眼に構える。同時に蒼白に輝くオーラが刀身から立ち上り始める。《狂月剣》の遠距離攻撃も可能な単発ソードスキル《ソニックスラッシュ》だ。

 そうと理解した数瞬後、彼は大刀を横薙ぎに振るい、三日月型の蒼白い斬撃を飛ばした。その速度は速いけど、テレビで見た野球の投手のボールよりかは幾分か遅い。巨大且つ輝いているのもあって青年にはとても遅く見えているだろう。

 

「こんな見え見えの攻撃、当たる訳無いだろ」

 

 はっ、と莫迦にしたような表情で言い捨てた青年は、自身に迫る横に広い斬撃の範囲から外れようと、右へ駆け出す姿勢を取った。

 

 

 

「そいつはどうだろうなァ?」

 

 

 

「――――は?」

 

 その直後、キリト君の声が別の場所から聞こえた。

 気付けば彼は、斬撃を放った所から、今正に青年が斬撃を避けるべく移動しようとした先へ既に移動していた。両手持ちの大刀からはやはり斬撃と同色のオーラが立ち上っている。流石に溜めの時間が短かったからか、その規模は小さく、色の濃度も若干薄めではあるが。

 それを見た神童は驚きに固まり、硬直する。

 

「おらよッ!」

 

 その隙を逃さないとばかりにキリト君は大刀を横薙ぎに振るい、また三日月型の斬撃を飛ばす。

 最初に飛ばしたものより僅かに小型だが、しかしそれでも脅威の斬撃には変わりない。

 

「おらおらァッ!!!」

 

 青年が瞬時に回り込まれた上に放たれた二発目から、今度は後退して回避しようとするが、それを読んだようにキリト君はもう二回、一発目と二発目の斬撃を相撃ちにさせるよう斬撃を放った。

 青年は青白い斬撃に四方を囲まれたのである。あまりの速い移動速度があってこそ出来た事だろう。

 しかし、彼の攻撃はまだ終わらなかった。

 

「これでトドメだッ!!!」

 

 そう言って、空中に現れた彼はオーラを纏った大刀を真上から振り下ろし、青年の頭上から襲い掛かるように斬撃を飛ばした。

 前後左右、更に頭上からの五方向同時攻撃。

 さしもの攻略組も、四方向で終わると思っていただけにその徹底ぶりに唖然とした。

 

「チィッ!!!」

 

 青年は、そこで我に返って激しく舌を打つと、地を蹴って宙へと身を躍らせた。前後左右と真上から斬閃が迫っているのであれば、斜め上方へ跳べば斬閃は飛んでこないという判断からだろう。

 高跳びのように斬閃を飛び越えた青年は、空中でキリト君の方へ向き直りながら地面に着地する。流石にほぼ一瞬で四方を移動して斬閃を飛ばしてきた事には警戒しているらしい。自身の反応速度を以てしても見えなかったその速度にか、それともあんな攻撃方法を考え出してすぐ実行に移した彼自身にかは分からない。

 さっきまでの正攻法な戦い方と違って意表を突く戦い方になっている彼に警戒心を顕わにしている青年に対し、歪んだ笑みを見せたキリト君は、直後地を蹴って一瞬で肉薄。

 振り下ろされた大刀と、瞬時に横薙ぎに振るわれた白剣が、また交錯した。

 

 *

 

 さっきまで大刀を手に提げていたキリト君は、今はエリュシデータとダークリパルサーを手にしていた。そして二刀流同士、純粋な技術のみで戦うつもりのようだ。

 一刀だった時に青年を押していたのを考えると、今度もまた同じになるように思える。

 少なくとも、確かに才能の面では青年の方が圧倒的だと私も思う。現にSAOに来てから短いのに、超高レベルのキリト君のステータスで押し切られないよう巧みに技術を駆使して渡り合っているのだから。普通のプレイヤーなら――勿論私も含め――簡単に押し切られて負けている。

 だが、この世界は技術だけではどうしても限界がある。技術は全て、能力、このSAOでならレベルとステータスが伴ってこそ真価を発揮する。幾ら技術があろうと、ステータスが低ければダメージを与えられないのだ。

 その上状況に応じて対応を変えられる柔軟さ、それを適切に行えるだけの十分な経験も必要だ。

 青年もリーファちゃんと同様のALOプレイヤーであった事を考えれば多少経験を積んでいるだろう。リアルで剣道をしていた経験もあって、そこらの初心者よりは断然強い筈だ。

 それでも、ずっと一人で最前線を生き抜いて来たキリト君の短時間ながら濃密な死線の経験に較べれば、まだ足りない。幾ら才能で補えるにしてもだ。

 青年の敗因はレベルとステータス。精神的な面で言えば、ユウキが言ったように誇りの程度だろう。

 

 ――――さっきまでなら、まだ青年にも勝機はあったように思う。

 

 それはキリト君のトラウマを的確に抉れる事。何せ青年の存在はおろか、言動そのものすら彼にとっては全てトラウマに等しいのだ、それが剣を鈍らせるのに直結するのだから勝機は幾らでもあったと思う。現に彼はそのせいで二度も絶好の機会を逃している。

 むしろ何故それで追い込まれるかが結構謎なのだが……多分その辺は、青年の詰めの甘さなのだろうな、と私は納得した。

 常識的な部分はともかく、人付き合いの上で普通と言われる常識や会話内容で言えば結構ズレている感のある私も、以前はちょくちょく詰めの甘い部分があった。地下迷宮の時、ユリエールさんを護ったキリト君の行動の意図を深く読まず、何かが過った通路に顔を出そうとしたのがその証拠。

 そういうのを自覚して直さなければ命に関わると理解しているからこそその頻度は少なくなってきているが、青年はこの短時間で二度もやらかしている。以前のデュエルも最後の最後で負けている。そもそも最初から全力でやっていればキリト君は呆気なくやられていた筈なのだ。

 そう考えると、レベルやステータス以前に、全て青年の詰めの甘さが敗因とすら言えるかもしれない。

 クラインさんを庇った彼を貫いた時に、あるいは首を締めあげた時に、すぐさま首を斬り落としていたなら、ひょっとすると青年は勝利していたかもしれない。いちいち時間を掛けていたからユウキ達に乱入されたり、左腕の部位欠損が回復して反撃を受けたりして追い詰められるのだ。

 

「この……死にぞこないがあああああああああああああッ!!!」

 

 間合いを一瞬で詰めて、離して。

 刃を振るって、躱して、弾いて。

 激しい剣戟と読み合いの応酬が交わされる激戦を見ていると、一際大きな罵倒と共に青年が二刀を振り上げ、刀身を重ね、振り下ろした。その先にいるキリト君は二刀を翳して防御する。

 ギャァンッ!!! とけたたましい音が部屋に響き渡り、幾度か反響した。

 

「何なんだ……何なんだよ、お前は! 訳分からないぞッ! あの速度は何なんだよッ!!!」

 

 一進一退にも思えて、しかし実際は気を抜けば青年が一気に押し切られる形になる鍔迫り合いが始まった途端、青年が怒鳴った。

 その内容は今正に、ずっと第一層の頃から一緒に戦って来た私達ですらも浮かべていた疑問。

 あんな速度は明らかにおかしい。恐らく敏捷特化のアルゴさんですら、あの速度は出せない筈だ。幾ら彼が遥かに高レベルと言っても、敏捷値に振っているボーナスポイントの割合は三、アルゴさんよりも遥かに高レベルと言っても敏捷値は然して変わりない筈だ。

 

「知るかよ、ンな事」

 

 それに対し、キリト君はどこか呆れを感じさせる表情で、端的に答えを返した。

 

「オレはこのゲームの製作に一切関与してねェからな、分かる事はプレイヤーに開示されてる情報だけだ。それに、今この場ではどうでもいい事だろ」

「そうやって、自分がチートしてる事を隠すつもりかよ?!」

「クハッ!」

 

 青年の怒りの言葉に、彼は嘲笑の顔で鋭く息を吐き出し嗤った。

 

「オレからしてみりゃテメェの方がよっぽど反則的だぜ。ALOから来たんだったか? テメェ、こっちに来た時の初期レベルは幾つだったんだよ?」

「30だ!」

 

 押し切られないよう力を籠めていると分かる青年の答えは、声にも力みが反映されたのか語尾が強くなって放たれた。

 それを受けたキリト君は、我が意を得たりとばかりに眼光を鋭くする。

 

「だったら尚更おかしいんじゃねェか? 約一ヵ月前に来たばかりだっつぅのに何で一年半ずっと戦い続けて来たオレと互角のステータスを得てンだよ? 幾ら最前線に籠ったところで一日に上げられるレベルは三前後が限度、取得経験値上昇のバフ装備をしてても一ヶ月で一〇〇以上も上げるには無理があるぜ。最前線近くに籠ってたならもっと早くにテメェの話は聞いていたと思うがな」

 

 それは、恐らく青年の事についてある程度聞いていれば誰もが覚えた疑問だろう。幾ら何でも強くなるのが早過ぎる。

 キリト君のレベルはまず間違いなく一〇〇を超えており、地下迷宮のレベル一五〇だった死神ボスを単独撃破した事から鑑みるに恐らくそれ以上はある。筋力値にボーナスポイントの七割を振っているらしい彼と互角に鍔迫り合うなら、筋力値極振りでも一四〇は必要な筈だ。

 しかし筋力値あるいは敏捷値極振りという偏ったステータスだと、装備出来る装備品の適正幅が狭くなるし、戦い方も偏って来る。それだと中々敵を効率よく倒せず伸び悩む事になる。事実アルゴさんは最前線でも通用するレベルを維持しているが、それでも戦闘を避けるのは、敏捷値へボーナスポイントを極振りしたせいでモンスターへ与えるダメージが少なく、戦闘時間が矢鱈長引いてしまう事に起因している。武器の耐久値も低い筋力値で装備出来るものは概して少ないため、彼女は戦闘が不得手になってしまったのだ。

 それに加えて青年のステータスは恐らく敏捷値寄りのスピードタイプ。どう考えても互角に鍔迫り合うならキリト君以上のレベルが必要になる。

 一年半もの間ずっとモンスターポッピングトラップを踏み続けて来て、恐らく全てのプレイヤーの中で最もモンスターを屠って来ただろうキリト君のレベルに、たった一ヶ月で迫るのは実質的に不可能だ。一年と七ヶ月、すなわち十九ヶ月もの年月の活動をたった一ヶ月に纏めるなんて。

 仮にキリト君が並みのプレイヤーだったり、中層域に留まるレベルでしか動いていなかったなら十分あり得ただろうけど、知っての通り彼の活動は全て常軌を逸している。それをたった一月で追い抜くなんて絶対無理なのだ。才能云々の話では無く、時間的な問題で。何しろ彼はほぼ毎日最前線に籠って戦い続けていたのだから。

 

「誰もいないところで、レベリングしてたんだよ……!」

「それでもあり得ねェな。中層と下層は《アインクラッド解放軍》が援助してる範囲だし、上層ともなれば各ギルドが実力者を探してる範囲だ、エギルも中堅どころの剣士プレイヤー達に援助をしている。【白の剣士】の二つ名が付くのは遅かったにしても、その目撃情報はもっと前から無いとおかしいんだよ、幾ら籠ってても街には戻るだろ……――――テメェ、ホントにどこでレベリングしてやがった?」

 

 そして、とキリト君は続けて、その視線を鍔迫り合いで眼前にある二本の剣に向けた。白いエリュシデータと翠のダークリパルサーに。

 

「その二刀、さっき武器を喚び出した事から間違いなく《ⅩⅢ》も持ってンだろうが、それらをどこで手に入れた? オレとアルゴが把握していた限りでは競売はおろか、そもそも闘技場《個人戦》を突破したプレイヤーはオレを除いていないって話なんだがな」

「話す筈が無いだろ……ッ!」

 

 プレイヤーにとって装備やスキルの詮索はされたくない事だから答えたくないのか、あるいは後ろめたい事があるからかは分からないが、青年はキリト君の問いを一蹴した。

 

「ハッ……だろうな、期待はしてねェよッ!!!」

 

 それに、彼は仄かに苦笑を滲ませ、予想通りだと吐き捨てる。

 同時に、彼は競り合わせていた二剣を押し上げ、青年の剣を上へと弾いた。

 

「くそ……ッ!」

 

 青年は押し切られるのが一瞬早く分かっていたのか、その勢いに逆らう事無く後ろへ地を蹴って後退。それでも油断なく二刀を構えてキリト君の追撃に備えていた。

 青年の頭上には幾つもの光があり、その中から蒼い細剣や禍々しい曲剣、六本一対の槍など、《ⅩⅢ》に最初から備わっていたという武器が姿を現す。

 

「莫迦の一つ覚えだなァッ!!!」

 

 青年の頭上に出現した武器達を見て、キリト君が嗤うと、全く同じ武器達が彼の頭上に同じように出現した。

 それらは出現から一拍置いて、眼前の敵目掛けて射出される。

 青年の武器は真っ直ぐ小さな少年目掛けて飛翔し、横合いから、あるいは上から、はたまた真正面から色違いとなっている武器がその進行を妨げるように割り込む。青年の武器は割り込まれた為に弾かれ、地面に突き立って止まる。

 しかし、少年の武器は弾かれなかった。青年の武器を弾き飛ばしたところで止まり、その切っ先を青年へと向けて静止。直後、豪速でまた飛翔したのである。更に追加でキリト君の頭上や左右の空間から次々と剣や槍、細剣が断続的に射出される。

 

「な、何で墜ちないんだ……?!」

 

 一度も堕ちる事無く自身目掛けて飛んでくる数多くの武器を必死に躱し、あるいは剣で弾きながら、青年が疑問を呈する。

 その間にも弾かれたり躱された武器はまた切っ先を青年に合わせ、背後から、時に頭上から襲い掛かっている。青年は鋭い直感か、それとも見てから躱しているのか、今のところ全てをギリギリで捌いている。

 その疑問に応えたのは、勿論少年だった。

 

「テメェは『当たれば堕ちる』と考えていたが、オレは『当たるまで堕ちない』とイメージしてたからだよ。《ⅩⅢ》は装備者のイメージに沿って動くンだから何らおかしくは無ェ。その気になれば……」

 

 言いながら、キリト君は左脚を軽く持ち上げ、すぐさま地面に下ろし、ダンッ、と音を立てた。

 そこで、青年の周囲を飛び回って不規則的に襲い掛かっていた武器達の動きに変化が生じた。時計回り、あるいは反時計回りに動いていた武器達の動きが止まったと思いきや僅かに高度を高く取って、切っ先を下に向け、一直線に落ちたのだ。

 剣や槍が突き立ったのは、青年の周囲。青年の身動きが取れないくらい狭い即席の牢獄を形成していた。数も多いから隙間もほぼ無いに等しい。槍や斧はともかく、剣や細剣は青年の腰程までしか無いので、相手の顔が見えないという事は無いようだった。

 しかもキリト君のイメージが崩れない限り、決して破れない最強堅牢な牢獄だ。

 

「こんな風に、即席の牢獄だって作れる」

「なっ……! くそっ、出せッ!」

「出せと言われて出す莫迦じゃないンでね……コレで、トドメにしてやるよ」

 

 そう言って、キリト君は両手に持っていた二剣を闇と光に散らし、その手に大刀をまた取り出し、握った。両手で握った途端、黒い刃から蒼白いオーラが立ち上り始める。

 彼が得たユニークスキルの一つ、《狂月剣》のソードスキル。《両手剣》を両手で構えた時に溜めが始まり、次の攻撃に飛ぶ斬撃を追加する《ソニックスラッシュ》だ。

 オーラを迸らせる大刀を両手で握っているキリト君は、それを頭上へ持ち上げ、天高く構えた。天を衝くが如きその威容に、ずっと二人の戦いに固唾を飲んで注目している私達は圧倒される。

 

「な……ま、待てッ! 俺を殺したら千冬姉が――――」

「知った事かよ、ンな事」

「な……っ」

 

 殺意と狂気に満ち溢れていたキリトですらも刃を止めたその卑劣な言葉に、しかし今のキリトは応じず、冷たく言い捨てた。

 それに青年は瞠目する。

 

「そんなにおかしい事か? テメェが見捨てた時点で《織斑一夏》は死んだも同然、今生きているのは《かつて織斑一夏だったニンゲン》だ、なら《織斑秋十》や《織斑千冬》とは家族じゃねェンだよ。仮にそうでなくとも、テメェは勿論、テメェやブリュンヒルデの信奉者は《織斑一夏》を絶対に家族と認めねェだろ。血縁上の関係は切りたくても切れねェし隠せねェから愚兄と呼んでいるが、他人に等しいヤツの事なんて知った事じゃねェ。どれだけ後悔していようが、哀しンでいようが、他人の事情なんて自分には関係ないと思って無視するだろ? それと同じだよ」

 

 つまらないものを見るような眼で言い捨てた彼は、それに、と言葉を続ける。

 

「誰が何と言おうが、テメェを殺す事だけは変えねェよ。言っただろ……調子に乗ったヤツの末路を見せるってよ。テメェは、そう……見せしめだ」

 

 本当に殺す気で居る事に今更ながら青年は絶句する。

 キリト君が頭上に持ち上げている大刀のオーラは既に刀身が隠れる程に膨大となっていて、ゴウゴウと重低音を響かせながら、尚大きくなっていっている。以前に較べて溜めの速度が上がっているのは、果たして《狂月剣》の熟練度が上がっているからか。

 

「くそっ、どうにかして逃げねぇと……!」

「……もう十分だな」

「くっ……?!」

 

 剣や槍の牢獄から脱出しようと足掻く青年を前に沈黙する事およそ数秒後、キリト君はもう十分だと判断したのか、頭上に掲げていた大刀を下ろして正眼に構え直す。青年はそれを見て更に焦りを浮かべた。

 黒尽くめの少年は、その宿敵を見て静かに目を眇めた。

 表情は、意外な事に無。気迫は籠っているが、しかし敵意といった感情などは込められていない不思議な表情をしていた。

 

「これで終いだ。じゃあな、愚兄」

 

 さっきまでの様子からは考えられないくらい静かな声音で言って、キリト君は地を蹴り、空気を叩く勢いで駆け出した。

 ゴウゴウと蒼白いオーラを迸らせる大刀を肩に担いで疾駆する速度は、コマ送りでもギリギリ見えるくらい。恐らく大刀の重量が重いのと、オーラがサーバーに与える影響が大きいために若干重くなっているのだろう、だから私の眼でも見えるくらいになっているのだ。

 けれど、きっと本人達にとってすれば一瞬、刹那にも満たない雲耀に等しい速さ。

 気付けば、視界の殆どが青白い光の壁に覆われていた。遅れて大地震にも匹敵する轟音が部屋中に響き渡り、反響し、薄暗い部屋の中に靄の如く散っていく。

 視線の先では黒尽くめの少年は大刀を振り下ろしていた。恐らく溜め過ぎたが故のあの過剰演出であり、大斬撃なのだろう。壁に見えたのは縦に振り抜いたからだったのだ。

 

「く、そ……認めない、この俺が、こんな……ッ」

 

 黒い刃に左半身を斬り裂かれた神童は、HPが全損していても、まだ体が砕け散っていないから悪罵を吐く。それはきっと完全敗北を喫した現状を容認出来ないからだろう。

 けれど、それが長く続く事はなかった。

 

「五月蝿ェよ、雑魚が」

 

 何故ならHP全損で体が砕け散るよりも前に、キリト君が技後硬直から解放された瞬間、首筋目掛けて大刀を右薙ぎに振い、白い外套を纏う胴体から神童の首を斬り飛ばしたからである。

 また悪罵を吐こうと歪めた顔のまま首は飛び、そのまま神童の後方に広がる底が見えない奈落へと落ちていった。未だ残る胴体も次第に光に発光しているため遠からず蒼い欠片へと爆散するだろうが、見るのも嫌なのか、爆散する前に力無く膝から崩れそうだった胴体を蹴り飛ばし、奈落へと落とした。

 数秒後、プレイヤーアバターの破砕音が響き渡って、【白の剣士】アキトが死んだのだと理解した。

 それが、神童と謳われた者の呆気ない最期だった。

 

 ***

 

 【白の剣士】神童アキトの死。

 それを示すように蒼白い欠片が床石より下から吹き上がって来る。

 キリトは目の前でそれを見下ろし、次第に視線を上げて、少しずつ空気に溶けるようにして散っていく欠片を見送っていた。

 

「――――」

 

 実際にリアルで死んだ訳では無いだろうし、《アミュスフィア》プレイヤーがHPを全損したらどうなるかは、ボク達には分からない。知る術も持たない。

 ただそれでも、命を奪った事には変わりないからか、少年は実兄を構成していた光の欠片が散る様を、静かに見上げていた。

 その後ろ姿からは、戦っている間にはあった憎悪も、殺気も、狂気も、狂喜すらも感じられなくなっていた。色は未だ戻っていないが、さっきまで嫌という程迸らせ、ボク達にも叩き付けていた濃厚な殺気や狂気が無くなっていた。

 その背中には、どこか空虚めいたものが、落ち着いたのとは何かが違う伽藍洞な空気があった。ほんの僅か、ほんの数瞬前に嘲弄の混じった悪罵を吐いていた本人とはとても思えないくらい虚ろで、空ろで。

 その背は、今にも壊れそうな程に、弱々しく映った。

 

「嘘だろ……何で、何で《出来損ない》が勝つんだよッ?!」

 

 ある意味では予想通りな結果を見て誰もが口を開かなかった中で、囚われて無力化された同年代と思しき男子のオレンジプレイヤーが、納得いかないとばかりに声を上げた。

 

「単に愚兄が弱かったってだけの話だろ。殺し合いの世界は弱肉強食、弱けりゃ死ぬンだからな」

 

 そう彼が返した後、ユラリと緩慢な動きでキリトはこちらに振り返った。その眼はオレンジ達へ向けられている。

 こちらに向けられた顔はさっきまでと違って、感情の意味でも表情に乏しく、黒い瞳は光を映していなかった。結ばれた焦点も、オレンジに合っていると言えど、視ているモノは虚空。

 

「さて……次はテメェ等だ。安心しろ、オレは愚兄と違って優しいからな、達磨になんてしないで首を落としてすぐに殺してやるよ。四肢を落としてる途中で死なれちゃつまらねェしな」

 

 それでも、勢いこそ喪われたと言えど殺意は衰えていないようで、絶対に殺すという心が言葉からも読み取れた。

 その言葉には《ビーター》の時のような、あるいは戦っている時のような威圧感は無く、その姿にも他を圧倒する覇者の気というものが欠けていたが、だからこそ恐ろしいと思った。

 余計な装飾の一切をこそぎ落とした末のその言葉は、真っ直ぐで、むしろ真っ直ぐ過ぎて、却って恐ろしい。

 《笑う棺桶》掃討戦にてPoHを始めとした幹部と相対した折、殺意というものを自分は恐らく初めて感じたが、あんなものが可愛らしいと思えるくらいそれは真っ直ぐ過ぎて、純粋過ぎてた。もしかしたらさっきの変貌した状態よりもある意味恐ろしいかもしれない。

 知らず生唾を呑み込み、剣を持つ手がぶるりと一度震え、足が竦んだ。詰まらせこそしなかったが鋭く息を吸ってしまうくらいこの身は緊張し切っていて、恐怖に身を竦ませていた。

 そしてどうしようもなく胸が締め付けられた。

 自分が見惚れた剣が、恋した少年が、殺意に塗れてしまっている事が、気を抜けば涙を零してしまいそうな程に哀しかった。

 人の為に戦って来た少年はだからこそ強くなった。その強さを他者を殺す為に向ける事が、哀しかった、キリトらしくないと思ってしまった。普段ボクが接している彼とは違う人格だと分かってはいるが――――その人格も含めて、《キリト》という一人の人間なのだと思うと、どうしても哀しくなってしまう。

 だが、感情で納得は出来なくても頭で理解は出来た。実兄に対する憎悪が他者に向ける負の感情の中で最大だろうが、だからと言って他の者に向ける感情に負が無い訳では無いのだから、幾度と無く命を狙われた彼が殺意を他に向けるなんて自明の理だった。

 あるいは、ベータ時代からの付き合いで、このデスゲームでも付き合いのある情報屋の女性を殺した者達への怒りが、胸中にあるからか。

 燻っているのか、劫火となっているのか、そこまではキリト本人では無いボクには分からないが、元々の彼の性格を考えればこちらの理由だと納得もいく。私怨も多大に混じっているだろうが、義憤もあるのは間違いない。

 その義憤すらも、殺意に隠れてしまっている事は哀しい事だけど。

 

「「「「「ッ?!」」」」」

 

 神童に向けていたものに較べれば遥かにマシだが、しかし並大抵ではない殺気に、オレンジ達はビクリと体を震わせ、少しでも距離を取ろうとする。

 それを許さないとばかりにキリトは右手から提げていた大刀を手放し、右手にエリュシデータを、左手にダークリパルサーを出現させ、ダランと腕を自然に脱力させる。今までの彼なら左右に広げて切っ先を上に向けていたので、それは構えていないとも取れるが、隙が無い事からアレも構えなのだとは理解出来た。

 同時、彼の周りに風の六槍の他、炎の戦輪、水の細剣、地の斧剣、黒と白の片刃片手剣が出現。更に頭上に無数の片手剣や細剣、曲刀、刀、両手斧などが現れる。

 その切っ先は全て、殆ど無力化されたオレンジ達に向けられている。

 たった一人の少年が、一個人では持ち得ない数千、あるいは万に上る程の数の武器を向けていた。

 オレンジの近くにはさっきまで刃を交えていた攻略組も居るのだが、あの様子では、恐らく諸共殺す気でいる。いや、そもそも攻略組の事を《味方》と、《殺すべきでは無い》と判断しているかも怪しい。フロアボスとの戦いでこそ共闘しているが、リンドや《聖竜連合》などはつい最近まで殺し合いのデュエルをしていた間柄、今の彼なら殺そうとしてもおかしい話では無い。

 負傷者に《ヒールブレス》を使っていたナンを気に掛けているかも怪しい。。

 今のキリトは普段ボク達が接してきた彼では無い。

 彼にとって攻略組とは《護るべき存在》であり、時にぶつかり合って刃を交える事はあっても、彼自身が殺そうとする事は無かった。

 それなのに巻き添えが出る可能性すら度外視して、躊躇なく殺意の刃を振るおうとしている事からも、普段の彼では無い事がよく分かる。今の彼を止められるのは今は居ない――あるいは亡き――ユイちゃんと、それこそ義姉のリーファくらいなものだろう。口惜しい限りだが自分程度では彼を止められはしないに違いない、その確信があった。

 闇に閉ざされた空ろな眼をしている少年が言葉で止まる筈も無い。止めるとなれば、それこそ決死の覚悟で、殺す覚悟もして刃を交えなければならない筈だ。

 むしろその程度で止まれば御の字といったところだろう。

 

「キリト……ッ」

 

 一年半という人生で見れば短くとも、存外の長きに渡って憧れた剣の振るい手の名を囁き声で呼ぶ。ひょっとすると、今生最後となるかもしれないから。

 ここでキリトがオレンジを一方的に殺戮すれば、もうこれから先、この世界で生きる事は出来ないだろう。攻略組からも弾かれるだろう。その後はきっとかつてと同じように一人で戦いを挑み続け、その果てに戦死するのは目に見えている。

 それはダメだ。まだ十年しか生きていない彼は、もっと幸せを知るべきだ、もっと生きるべきだ。

 高々十数年しか生きていない子供の自分が抱く想いは酷く身勝手で愚かなエゴだと理解もしている。

 けれど自分は、これにこそ命を賭すだけの価値があると考えている。

 だからボクは、キリトを殺すつもりは無いものの、殺される覚悟をして挑む気でいた。止める為にキリトと刃を交え――――最悪、自分の死を以て、キリトの死を戒めるつもりで。

 死に際に一方的でも約束させれば、罪悪感で彼も自ら死ぬ為に戦いに行く事は無くなる筈だ。

 コーバッツの時に言っていたように、《誓い》を破る事を酷く恐れているキリトには、これが有効な手だと理解している。どれだけ残酷で、彼の事も、周囲の事も考えていない愚かな考えだとも、理解している。

 その上で実行に移そうと決めて、僅かに膝を曲げて腰を落とし、剣を持つ手に力を籠めた。

 

 

 

「キリト君……すまない。それは、どうかやめてくれないだろうか」

 

 

 

 キリトに斬り掛かる準備が整い、あとはその切っ掛けとなるタイミングを計るだけという時に、声が上がった。

 オレンジが一人でも逃げようとすれば即座に戦いとも言えない一方的な殺戮劇が開幕する、そんな確信を抱く沈黙を破ったのは、これまでずっと口を閉じていたヒースクリフさんこと茅場晶彦だった。

 流石のキリトも止めるのが予想外の人物だったためか、武器はそのままに、顔を茅場晶彦に向けた。その眼は訝しむもので、視線で何故と問うているのが分かる。

 ボクも顔を向ければ、茅場晶彦は沈痛な面持ちでキリトを見ていた。

 

「茅場晶彦であり、君と【白の剣士】の殺し合いを止めもしなかった私が言っても、信用出来ないだろうが……たとえオレンジであろうとも、アルゴ君達を殺した者達であっても、クリアと同時にHP全損者が死亡する可能性を考えると少しでも多くのプレイヤーを生存させた上で、このデスゲームのクリアに至りたいのだ――――頼む」

「……」

「「「「「……」」」」」

 

 沈痛な面持ちで頭を下げ、真剣な声音で懇願する男性の姿に、キリトは眉根を寄せた。

 誰か一人でも悪罵を吐くと思っていたが、男性の言葉に絶句しているのか、それとも真剣な様子に何か言いたくとも上手く言葉に出来ないからか、誰一人として口を開かず固唾を飲んでキリトの対応を待った。

 特にオレンジ達は自分達の命が懸かっているのだから、それはもう焦燥と微かな希望に全てを賭けているような必死さを思わせる程だった。

 

「…………」

 

 キリトは暫く茅場晶彦に視線を向けていたが、徐にオレンジ達へと移す。ビクリとオレンジ達は震え竦んだ。

 彼らを見るキリトの眼には感情らしいものが見えず、変わらず光が失せた黒い瞳があるだけ。何を考えているのか、長らく関係を結んでいるボクもよく分からない程、今の彼は感情に乏しい。

 その彼の顔に、僅かだが葛藤が浮かんだ。オレンジ達を殺すという殺意と茅場晶彦の懇願との間で揺れていた。

 元来が心優しい性根だ。誠心誠意懇願されてはそれを無下に扱う事も出来はせず、今の彼は私怨が混じった殺意に塗れた義憤を優先するべきという考えと天秤に掛け、どちらを取るかで迷っていた。

 しかしその葛藤も、数秒と経たずに結論が出た。

 

「チッ……」

 

 小さく舌打ちを鳴らしたキリトは、両手に握る剣、周囲や頭上に展開していた無数の武器を蒼い光、属性を有している武器は特有のエフェクトと共に姿を消す。

 もしかしたら迷った時点で答えは決まっていて、ただ自分を納得させていたのかもしれない。

 もう一つの、恐らくはキリトの負の側面の体現であろう人格でも、元を正せば《キリト》だ。負の感情が恐ろしく強いとは言え、それでも他者を思いやる心までは喪っていないのではないかと思える。

 その光景を、茅場晶彦は心底安堵した様子で眺めていた。

 その様子を見て、愛する少年が死ぬ道へ進む事も自らが斬り掛かる道に進む事も無くなった事が理解出来た自分は、愛剣を握ったまま強張っていた手から力を抜いて、自然に脱力した。

 

「……よかった……」

 

 胸の内が漸く穏やかになった事で、そっと、心からの安堵の息を吐く。少年を案じる暖かな想いが膨れ上がっているのを自覚しながら、僅かに視界を潤ませながらそう洩らす。

 そして、第七十五層ボス戦から始まった思わぬ激闘が漸く終わったのだと分かって、その結果について思考を回した。

 

 

 

 ボス攻略レイドの犠牲者:第一レイド二名、第二レイド四十九名及び非戦闘員【鼠】のアルゴ。

 

 

 

 オレンジレイドの犠牲者:【白の剣士】アキト。

 

 

 

 これまでの攻略史上で最大の犠牲者数を記録した騒乱の第七十五層ボス偵察戦改め攻略は、《最悪》という二文字を刻むと共に、幕を下ろした。

 

 

 





 はい、如何だったでしょうか。

 一応言っておくと、アキトはリアルではまだ死んでません、あくまでSAOでの判定だけです。まぁ、バッテリーセルを取り外された《アミュスフィア》でもその気になれば殺せるとは思いますが、キーパーソンですしね。

 そんな訳で、《織斑一夏》が覚えていた殺戮・破壊衝動の白、容赦無しの大暴れの巻でした。どうでしたかね。

 最後は元ネタの技を使わせてみました。本当なら《弓》も使わせたかったんですが、シノンの事もあるし、白は大刀で攻め続ける印象が強いので、泣く泣くお蔵入り。取り敢えず同じ武器を持ってる神童よりも格上である描写をしたかったので割と満足。本当は各武器を個別で勝負させたかったんですが、流石にそれはくどいので没に。

 なお本作の白キリトは、元ネタであるBLEACHの虚一護が卍解を一護と同時期に習得したように、表人格キリトが習得した技術は全て同時期に習得、且つ同レベルで使えます。技術面の上下はありません、あるのは感情面や本能面、衝動面だけです。

 白が体得した技術は同様にキリトも使えます。過去暴走時の事で記憶が若干残っているように、白が出ている時の記憶は薄っすらとキリトは覚えているので(ここ重要)

 要は使い方と性格の問題。

 差が出るのはキリトが守護的なのに対し、白が攻撃的だからで、キリトも攻めるようになったら白と理論上は互角。でも衝動や本能の部分では攻撃的になれないので、白と全力で攻撃し合うとどうしても力負けします。無論、逆にキリトが護りに徹すると白はそれを突破出来ず攻めあぐねてしまい、理論上は膠着。

 キリト時に二話分使ってアキトと一進一退の戦いを演じたのに対し、白が一話で完全に圧倒していた部分で、その差を描いてみました。伝わっていれば幸いです。

 最後に。

 次話で漸く第七十六層入りです。ゲームシナリオにある程度沿いつつ、他の方の作品とは別の道を辿るよう頑張ります。楽しみにして頂ければ嬉しいです。

 長文失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。

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