インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 キリのいいところで一旦区切ったので、今話は一万六千文字とちょっと少なめ。でも超シリアス。

 視点は前半キリトで現在の精神状態を描写し、後半リズベットで色々な感じですね。

 それと今話、原作と設定が違う部分が出てきます。後書きでそれについて触れるので分からなかった人は後書きで把握して下さい。

 ではどうぞ。



第六十章 ~ボロボロ~

 

「即興ではあるけど、一先ず今話し合った事を基に暫く行動する事にしよう……皆、お疲れ様」

 

 午後八時半。

 ボス戦から立て続けに起こった予想外の事態に対応し続け、更に会議を開いて話し合っていた中で、半ば必然的に議長に選ばれた俺は締め括りの言葉としてそう言った。

 およそ一時間半を掛け、《第一回第七十六層事変対策会議》で上がった議題に一通り解決策――と言ってもその場凌ぎが殆どだ――が出揃い、二、三日であれば何とかなるだろうと十三人と喫茶店のオーナーであるエギルの全員が賛成した事で、一先ずの終了と漸く相成ったのだ。

 数日とも言えない短期間しか凌げないだろう突貫の対応だが、そもそもからしてシステム障害なんて俺達の手に負えるものでは無い。

 そもそもシステム障害が原因である以上、俺達には問題を先送りにする事くらいしか出来ない。

 根本的な解決が望めない俺達に残されているのはゲームクリアただ一つ。それでこの世界から解放される。頭を悩ませる問題から解放されるのだ。

 とは言え数日やそこらで完全クリア出来るほどこの世界は甘くない。

 家庭用のコンシューマーゲームであればプレイ時間も数日で、ストーリーだけなら二日ほどで終えられるだろうが、この《ソードアート・オンライン》はMMORPGだ、そもそもからして多人数プレイを前提とされている以上ごり押しが殆ど通用しない。

 MMORPGなんて基本的に終わりが用意されていない。コンシューマーゲームでのストーリーはグランドクエストがそれに当たるだろうが、それが終わってもコンテンツが終わらないよう、ユーザーを留めておくようにすぐアップデートと言う名のテコ入れが入るから、終わりが無い。

 ネットゲームの終焉は、ユーザーが居なくなって運営するメリットが喪われるか、あるいは本当にアイデアを出し尽くしてこれ以上続けても評価を落とすだけと判断された時のどちらかくらいなもの。

 デスゲームという檻と化したこの世界に、自然消滅なんてあり得ない。あるのはプレイヤーによる百層の頂きへと達するグランドクエスト攻略ただ一つ。

 その為に最前線攻略に勤しまなければならないが、スキルの初期化や消失、装備のバグ、果ては転移門の機能不全なんてバグとしか言えないシステム障害が立て続けに起こっているから下手に動けない。普段ならこの時間は迷宮区へ入っているだろう俺ですら慎重を期して未だ《圏外》に出ていないのだから、どれだけ警戒しているかは推して知るべしであろう。

 俺達プレイヤーは、仮想体に身をやつしているだけ。その仮想体も動作一つ一つの入力は俺達の脳が行っているが、それを反映しているのは全てシステムだ。この世界の全てがシステムで動かされているのだ。

 どれだけレベルがあろうと、どれだけ権限を持っていようと、システムには逆らえない。それがこの世界の真理であり紛れも無い事実。

 だから俺達は次善策だとか、それを起こさない為の予防策なんて立てる事は出来ず、ただ対応策を立てるという後手に回らざるを得ない立場にあり続ける。なまじGM権限所有者がおらず、運営もシステム頼りだからこそのこの状況は歯痒い。

 それでも文句なんて言ってられない。不満なんて洩らせない。癇癪を起こしている暇などある筈が無い。

 この身は卑怯者を自称する最前を進み続ける《ビーター》だ、他者が足を止めている間に二歩も三歩も前を進んで人々を嘲笑い続けなければならない身だ。

 この身は《攻略組》に属し最前を進み続ける【黒の剣士】だ、他者が足を止めるなら道を切り拓いて前を進み人々に希望を齎し続けなければならない身だ。

 俺の個人的な感情なんて優先されるべきじゃない。

 《ビーター》織斑一夏の、【黒の剣士】桐ヶ谷和人の、個人的な感情は大切じゃない。

 

 ――――だと言うのに……

 

 会議の終わりを告げ、宿から逃げるように外へ出て立ち去った俺は、ただ何となく気が向いて転移門から見て北西方面、すなわち《商店街》エリアへと足を向けていた。

 この《アークソフィア》は第一層主街区《始まりの街》にコンセプトこそ似せているが、あそこが全方位に施設が満遍なく広がっていたのに対し、こちらはハッキリと区画分けされていた。《始まりの街》が発展途上の街であるならこちらは発展し栄えた街と言う表現をするべきか。

 

「……誰も、居ないな……」

 

 上層の街とは言え、やはり第三クォーターを抜けてすぐで、更には《始まりの街》を思わせるコンセプトだからか相当な広さを持つこの街の《商店街》エリアには、俺以外にプレイヤーの姿が見えなかった。

 夜半になると大半のNPCの店は閉まるし、この騒動でまさかエギルのような店舗を持っている者が他に居るとも思えない――ちなみに宿の買い取りには俺が大部分出資している――ので、恐らくは酒場の類だろう。

 しかし明かりが漏れる建物の何処からも、プレイヤーと思しき生活音や騒音は聞こえない。鉄格子が幾つも下ろされている街並みは閑散としていて、既に暗くなっている道に居るのは俺一人だけだ。

 それも当然だろう。今はどこかに隠し宿はないかと歩き回っていたおよそ二千五百人ほどのプレイヤー達が、次は外でも寝やすい場所はないかと探し回ったり、パブリックスペースでの場所の取り合いを始めた頃合いだ。そういう施設はさっきまで俺がいた区画や、《アークソフィア》の特徴とも言える城の近くの城下町辺りにあるから、お金が無くて困っている者達がこの辺に来る筈も無い。

 だからこそ、人目を気にする事無く気兼ねなく散歩が出来る。あわよくば夜中でも開いている店の品揃えを確認しようとも思っていたりする。

 エギルやアルゴと、個人的だけでなく立場――商人と取り引き相手――としても付き合いがある俺は、出来るだけ自分には不要なアイテムを提供するようにしている。それは他の必要としているプレイヤーへと渡り、結果的に生存率の上昇、攻略組の戦力増強のどちらかに繋がる。

 巡り巡って俺の目的の為になるのだ。

 それにエギルは中層ゾーンのプレイヤーの育成支援を、アルゴも多種多様な面で人と関わりを持てる事から、様々なプレイヤーから信頼と期待を寄せられる。

 それは次第に俺以外からのアイテムの提供が行われる事を意味する。

 俺が居なくなっても問題無く回るようになる。

 

「……俺は、何時まで生きて、いられるかな……」

 

 第一層の時と異なり、今はデスゲーム開始宣言の後に較べて俺に対するヘイトがある。この階層に来た以上後戻りが出来なくなっている今、誅殺隊や俺を排斥しようとする者が束になって掛かって来ては、滅多に撒けはしないだろう。

 転移も《アークソフィア》にしか出来ないと分かった以上、オレンジになる訳にもいかない。

 オレンジカーソルのプレイヤーには様々なデメリットが課されるようになっている。《圏内》へ入ると矢鱈強いガーディアンが襲って来る――俺は経験無いのであくまで人伝でしか知らないが――のが代表的だ、基本的にそれが要因となってオレンジ化はデメリットばかりとなっているものの、根本的にはそれが原因だ。

 しかしオレンジにはもう一つ制限されているものがある。

 それが転移に関するものだ。

 先の制約を考えれば、オレンジは《圏内》の転移門には原則転移出来ない。

 しかし逆に考えれば《圏外》の村や町に存在する転移門へは変わらず転移可能という事である。転移結晶が手に入ったのは第九層で、実は転移門ありの《圏外》村が登場したのもそこからだった。

 更にオレンジが転移結晶を使った場合、緊急脱出の転移先へ選べるのは『現在層に存在する《圏外》の転移門』だけ。つまり第二十二層のフィールドから第五十層の《圏外》転移門へ転移結晶で行く事は出来ないし、第八層以下ではそもそも使用すら不可能。

 俺がオレンジになる訳にはいかない理由がこれ。

 現在層とは、すなわち『地面から離れる瞬間まで足を着けていた階層』という意味。システム的には『プレイヤー座標があるフィールドの縦軸座標』が現在層と言えるだろう。

 なので俺がオレンジになった場合、今までは第八層以下で外周部から落とされる訳にはいかなかった。今となっては第七十六層以上の転移門が《圏内》の主街区のみとなっているから尚更そんな状況になっている。

 まぁ、昔と違って一定確率系状態異常が無効化されるから、麻痺毒で身動き取れなくされてそのまま落とされるような事は無いけど、だからと言って安心は出来ない。

 俺が頑なにオレンジになるのを拒絶し、グリーンが相手であれば先にオレンジにさせていたのも、これが理由。単純に排斥されるからではなく生き残る逃げ道が無くなってしまうからだ。転移結晶で逃げる事が出来ない。落とされたら終わりだ。

 けれど、それが出来ていたのも全ては偶然が重なっていたからだ。何しろモルテもアキ兄もグリーンだったのが数人で、他は全部数が多くともオレンジだったのだから。仮にグリーンの数が多かったなら俺はオレンジになっていたに違いない。

 現在、変わらずリー姉とシノンからの音沙汰は無く、現在位置も追跡不可のまま。

 HPは減っていないから安心だが、むしろダンジョンに潜っていると勝手に表示される追跡不可状態なのにHPが一切減っていないというのも引っ掛かる。ダンジョンに潜っているなら、弓使いのシノンはともかく前衛のリー姉は一度くらい減っても良い筈なのに、この一時間半ちょくちょく確認していたものの一ドットたりとも減少してはいない。

 

「シノン……リー、姉……」

 

 何か嫌な予感がする。頭の中がモヤモヤとして、胸の奥が苦しくなるくらい、不安になる。

 アキ兄とのデュエルが第二十二層で行われた時点で本当ならストレア含めて三人を俺のホームから離れさせておくべきだった。

 それをしなかったのは、居て欲しかったから。離れて欲しくなかったから。

 そう、ただの俺の我が儘だった。

 三人の為に本当は離れるよう言っておくべきなのは分かっていた、事前にそれも伝えて了解は取っていたから、多分言えば素直に退去してくれたとは思う。

 でも……あの広い家で、また一人になるのは、いやだった。あの温かみを知ってしまった以上、ナンと一緒に居たとしても満たされないのだ。

 リー姉達が来て、俺があの家を『何となく買わなければならない』と思った理由が漸く分かった。

 あの家は《織斑》の家に似ているのだ。本当なら両親も居たのだろうあの家は、姉があまり戻らないから殆ど二人暮らしの俺とアキ兄には広過ぎた。それでも他に家なんて無かったし、広いと思うくらいで他に不満なんて無かったから特に気にはしなかった。掃除は大変だと思ってたけど。

 一緒に暮らしていても、アキ兄とあまり顔を合わせないようにしていたし、あっちも合わないようにしていたから、殆ど一人で過ごしているようなもの。冬姉が帰って来てもすぐ出て行ったから変わらない。

 《織斑》に関していい思い出が無い俺が、それでもあの大きなホームを買ったのは、ひょっとしたら、過去を振り切れていなかったからなのかもしれない。

 アキ兄を斬った俺だが、それでも認められたいという想いはあった。もうあり得ないと思ってはいても願っている俺がいたのもまた事実。

 あのホームはきっとその象徴。皆を呼んで宴会を開いたのも、リー姉達に退去を言わなかったのも、《織斑一夏》の意識で生きている俺が持っていた願いを叶えたかったから。誕生日パーティーで楽しそうなアキ兄を、家族で楽しそうに暮らす人達を見て、羨ましく思っていた俺の羨望。

 リー姉と一緒に居たいと思ったのは、《桐ヶ谷和人》としての想いもあるけれど……どこか、《織斑千冬》と重ねて暮らしていた節はある。離れたくなかった。

 

 ――――それが原因で、もしもリー姉とシノンが危険に晒されていたら……

 

 そう考えると、心を鬼にしてあの日退去させていればと思うが、もう後の祭りだ。

 俺に出来る事はただダンジョンに潜っていたから気付かなかっただけである事を祈るばかり。出られなくなっていたり、あるいは《圏内事件》の時のリズ達のように誰かに攫われていたりではない事を祈るしかない。

 死んでほしくない。居なくなってほしくない。

 もう《ビーター》が原因で、護りたい人が死ぬのは、いやだ。

 近しい人が死ぬのはいやだ。

 

 ――――誰かが死ぬのは、もう、みたくない。

 

 誰も居ない、夜の帳が降りた薄暗い《商店街》エリアの道を歩きながら、そう胸中で洩らす。紛れもない本心。

 それは矛盾。

 人を殺しているのに、それがいやだという、自分の行動に対する否定であり嫌悪。

 けれどそれを仕方がない事と断じる自分もいる。何かを護るには何かを代償にしなければならない、傷付けて来る相手から護るには、その相手を傷付けなければならない。殺しに来るのであれば、殺られる前に殺らなければならない。

 そう学んだ。

 あの研究所で。

 そして、この世界で。

 《織斑一夏》としても、《桐ヶ谷和人》としても、《ビーター》としても、そして【黒の剣士】としても、今まで生きて来た全てがそう伝えて来た。

 俺が見下されるのは出来損ないだから、力が無いから、弱いから。だから、生き残る為には強くならなければならない、殺られる前に殺らなければ生き残れない、その為に必要なものを揃えておかなければならない。

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。それが殺し合いの世界の鉄則で、このデスゲームのある意味での真実。

 レベル的に強くなければボスと戦えないし、心の面で強くなければそもそも《圏外》にも出られない。どちらも揃っていなければ人を相手にした殺し合いなんて出来る筈が無い。

 俺にはリアルでの経験があった。だからまだどうにかなっていた。

 ……でも。

 

「……ちょっとは……いい……か、な……?」

 

 歩いていた足がよろけ、服飾店のウィンドウに凭れ掛かる。

 その振動で、ぽろ、と右の頬を雫が伝う。

 第二レイドを全滅させられ、アルゴを殺された――その時は生きていたと知らなかったから――と思った俺は、殺意に駆られるがままに剣を振るった。それ自体に後悔はしていないし、間違ったとも思っていない。

 けれど、あの行動を責める俺がいるのも事実。

 そして、アキ兄を殺した事を懺悔する想いがあるのも事実だった。

 幾ら憎くても殺す必要は無かったと叫ぶ俺が居て、幾ら血族でも同情する必要は無いと叫ぶ俺も居る。

 冬姉が相手でも殺すのかと訴える俺が居て、あそこで殺らなければ殺られていたと訴える俺も居る。

 きっと常識的に考えれば前者の方が正しいのだとは思う。

 でも皆を護りたいと、あるいはユウキ達のような俺を支えてくれる人達だけでも護りたいと思っている俺としては、あの行動は必要なものだったのだと考えてもいる。

 あの行動は本当に正しかったのだろうかと、もう取り返しのつかない状態まで進んでいるにも拘わらず――あるいは、だからこそ――そんな事を考えてしまう。

 今でこそ第七十六層のシステム障害で色々と有耶無耶になっているが、何れ報いを受ける日が来るんじゃないかと、そう不安に思ってならない。それが直姉に降り掛かるのではと、タイミング的に不吉過ぎて思わずにはいられない。

 間違っていたら、報いを受けて俺は死ぬ。

 でも、きっと正しかったとしても……何かしらの形で俺は殺される。正しいだけで、イコール間違っていない訳では無いのだから。ものの見方なんて価値観の数だけ変わるのだから。

 

 俺は、どうすればよかったのだろう。

 

 どうするのが最も正しかったのだろう。

 

 本当は分かり合えなかったのではなく、俺の方が分かり合う事を拒絶していたのではないだろうか。許せないと、攻略の障害になるという理由があるからと、和解する道を見つけようとしていなかったのではないだろうか。

 

「う、ぅぅ……ううぅぅぅ……ッ!」

 

 ウィンドウに凭れ掛かった俺は、そのまま背を預け、ずりずりと座り込んでしまった。体育座りになった後、膝に顔を押し付けて嗚咽を堪えようとする。

 もう何がどうなっているか分からなくなってきた。

 第七十五層ボスは結晶無効化空間どころか撤退不可能になったし、苦労して倒したと思ったら第二レイドは全滅させられてるし、アキ兄は訳が分からない事で殺意を振り撒いていた。

 あのままアキ兄の流れに乗せていては危険だと判断して無理矢理割り込んで、その果てに俺は、この手でアキ兄を殺した。

 あの時は頭に血が上っていた。どこか自分自身じゃないような感覚で、情景を俯瞰していたように思う。俺がアバターを動かしている筈なのに、どうしてかそうは思えないような奇妙な感覚。それが途中から起こって、前は苦戦したアキ兄をむしろ圧倒して、アッサリと、呆気なく――前の苦戦ぶりに較べれば――殺した。

 頭でアレは仕方が無かったと納得はしていても、感情で出来ていないまま、事態は進んで俺がずっと危惧していた事がシステム障害で起こってしまった。

 それからずっと動き続けていたから冷静になる暇も無かったけど、いざ忙しさから解放されると、ずっと考えないようにしていた事ばかりに思考が向かってしまう。リー姉達の事やアキ兄の事などだ。

 そうなると分かっていたから自分から敢えて忙しくしていた。勿論この状況を幾らか想定していて、他の誰よりも現状に対応出来るからでもあった。

 それらが一段落付いて考えてしまった今、どうして泣いているか、それすら俺には分からない。

 この涙はアキ兄を殺した事に対する罪悪感か、分かり合えなかった事に対する哀しみか、リー姉が居ない事に対する寂しさか、分からない。

 複雑過ぎるからか、それとも単純に理解出来ないものだからか……

 

 ――――そんな中でも、一つだけ分かっている事はあった。

 

「もう、疲れた……」

 

 《ビーター》を演じるのも、【黒の剣士】を振る舞うのも、蔑まれるのも、疎まれるのも、頼られるのも、もう疲れた。

 一度長く休暇を取って気を抜いたせいか、一旦離れて戻って来たこの立場は、一度幸せを知った後には辛過ぎる。

 ずっと気を張り続けていた。最前線の攻略くらいならまだいいが、そこに人間関係や騒動が関わってくるとなればまた別だ、様々な事に気を遣わなければならないから余計に疲れる。これならルーチンワークの方がよっぽどいい。あれはあれでまた別の意味で疲れるけど、人が関わる事に較べれば遥かにマシだ。

 その上、俺にも責任はあるだろうけど、アキ兄とは結局本音を言い合う事無く死に別れになった。

 冬姉がこれを知ったら、今の俺を見たら、どう思うだろうか。

 アキ兄を殺したのだから、事情はどうあれ、斬り殺しに来そうな気はする。アッサリ殺されるか、尋問を受けながら徐々に殺されていくかの違いだろうか。少なくとも家族殺しの俺の言い分は聞かないだろう。

 束博士はどう思うだろうか。元々興味が無い人間に対しては淡泊だったあの人は、俺が桐ヶ谷家に拾われて会いに来たあの時以降からその辺が改善されたらしいから……普通に嫌悪されそうな気もする。

 直姉はどう思うだろうか……侮蔑や軽蔑、だろうか?

 

「あ、ハは……」

 

 

 

 ――――そうなッても……仕方なイ、かな……?

 

 

 

 ある意味当然ではあるだろう。家族殺しをしたのだ、そんな人間を受け容れてもらえるとは到底思えない。

 直姉は研究所に居た人や追手を殺した事も、この世界でしてきた事も全て話して、その上で俺を受け容れてくれた。それは本当に嬉しい。

 でも、流石に今回はダメだろう。

 良くて絶縁。悪くて、直姉の手で殺される、だろうか。

 篠ノ之龍韻師範には悪いが、俺にとって師匠は直姉という意識が強い。武道を教えてくれた期間も。だから直姉は、弟子の不始末を付けると言って引導を渡してきそうな気もする。その辺、直姉も冬姉と同様厳しいから。間違った事をすればしっかり叱るから。

 今回の事でそうなっても……反論は当然、文句も言えはしない。

 ああ、やっぱり自分の感情を優先するべきではないと、そう思う。その結果がこれなのだから。

 皆も変わらず接してくれはしたものの、心の底ではどう思っているか……

 

「……もう……ヤ、だ……」

 

 この世界を生き抜くと誓った。この世界をクリアすると、リズとダークリパルサーに、そしてユイ姉に誓った。

 その誓いを破るような思いを抱いて、それを受け容れようとしている俺は最低だろう。家族殺しという意味でも、誓いを破る人間という意味でも、そして皆を裏切ろうとしている意味でも。

 【黒の剣士】は攻略組の一員として、腕の立つプレイヤーとして頼られているからこそ付けられた二つ名だ。その名を背負った俺が戦いから逃げるのは、それは皆の信頼と期待を裏切る事に他ならない。

 最前線の情報収集をアルゴだけに任せる事になるし、大変なマッピングも他の人に任せきりになる。いや、そもそもボス戦で戦力として頼られているのに逃げる事になるのだから、そっちの方が最低だ。

 漸く得た、『出来損ない』以外の評価と信頼、信用。とても重い責任もあるけど、それでも失望される事を何よりも恐れている俺にとってはとても喜ばしいもの。

 それを自ら捨てるなんて、今までの自分自身の意志とかけ離れている。

 だのにそれを受け容れようとしている。幾度も否定し、拒絶してきた《死》も受け容れようとすら思っている。それはつまり、もう生きる事――――未来を想う事も諦めようとしている事と同義。

 疲れた。逃げたい。もう苦しいのはいやだ。誰かを殺すのも、自分のせいで誰かが死ぬのもいやだ。

 もう、楽になりたい。

 

 

 

 生きていたい――――もう苦しみたくない。

 

 

 

 捨てられたくない――――見捨てテ欲しい。

 

 

 

 寄りを戻したい――――戻したクなイ。

 

 

 

 死にたくない――――死ニたイ。

 

 

 

 憎くなんて無い――――ニクい。

 

 

 

 護りたい――――コワしたイ。

 

 

 

 皆を助けたい――――モウドウデモイイ。

 

 

 

 裏切りたくはない。誓いがあるから、戦わなければならない。どの道逃げたところでこの世界から解放される訳でも無いのだから意味が無い。この世界で死ぬまで、生きている間、戦わなければならない。

 自ら死ぬ事は許されない。

 【黒の剣士】として、《ビーター》として……この身ハてるまで、ずっと。

 心がコワれても、命をモやし尽くすまで、ずっとこの地獄は続く。

 《ビーター》が死ぬ事にイミはあるのだから自殺なんて無駄な真似は出来ない。ダレかにころされる、じゃないと、意味が無い。

 

 嗚呼、ダレか、誰でも良いから、殺して。お願いだから。

 

 殺シて。

 

 死なセテ。

 

 ミ捨テテ。

 

 ワスレテ。

 

 

 

「――――キリト?」

 

 

 

「ッ……?」

 

 服飾店のウィンドウ前で蹲って考え事をしていたからか、人が近寄っていた事に、声を掛けられるまで気付かなかった。

 内心でどうしようもないなと呆れる。《圏内》だからどんな方法を用いても死ぬ事は無いけれど、だからと言って気を抜いていい訳では無い。人通りが今は無いからと言って考え事に耽ってもいい訳では無い。そんな事が出来るほど、楽観視出来る状況でも立場でも無いのだから。

 その思考に改めて再認識した自分の事について乾いた溜息を内心で付きながら顔を上げる。

 ウィンドウ前で蹲っている俺の前に立っているその人は、少しキツめのベビーピンク色の短髪に赤を基調としたエプロンドレスに身を包んでいる、頬にそばかすがある女性プレイヤー。膝に手を当てて屈みこんでいるその人は、まるでこちらを案じているような表情で顔を覗き込んできていた。

 その人物は、鍛冶屋を営んでいるリズベットだった。

 

「リズ……?」

「どうしたのよ。人気が無いとは言え、こんなとこで泣いてるなんて……何があったの?」

 

 何時の間にかこの階層に来てしまっていたらしいリズは、隣の地面に座って、頭を撫でてきながらそう問うて来た。優しい声音で、とても落ち着く声。

 だから俺の心は、余計にざわついた。知られたらどうなるのか考えてしまった。

 拒絶されて、きっと蔑まれると思った。

 

「……言いたく、ナい」

 

 それが嫌だった。隠し事はダメと分かっていても、すぐにばれると分かっていても、それでもこの関係を続けたかった俺は、話すのを拒否して、黙秘する事を選んだ。信頼して、信用してくれて、案じてくれているリズの紺碧の眼に、俺を否定する色が宿るのを見たくなかった。

 脳裏で、最低だ、と罵る自分自身の冷たい声がした。

 “ともだち”を騙す選択をした事を知って、リズ――――リズベットが片手棍で殴りに来る光景が見えて。

 

 

 

 そうなったらシアワセかナぁと、思ッた。

 

 

 

 未来がナいのなら、シに目くらいはシアワセが欲しかッた。

 

 ***

 

 

 

 ――――さて、どうしたものかしら……

 

 

 

 第七十六層に上ったら最後、それより下の階層には戻れないという事をディアベルのメールで知ったあたしは、最終的にはこの階層へ来る事を決断した。

 当然最初は二の足を踏んだものの、あたしの店の利用者は殆ど階層を跨いで来るプレイヤーばかり。その往来が途絶えるという事は商売上がったりになるし、あたしの店を利用していたのは攻略組と言えるトッププレイヤーが多かったから、最前線に行けば少しは力になれるだろうと考えたのだ。

 アスナ達の愛剣の世話をするのはあたしだと誇っていたのもある。

 店子として働いていもらっていたシリカも同じ決断をして、準備があるからと明日来る彼女を置いて先んじて最前線の街に来たあたしは、まず拠点となる店舗の確保を急ぐ事にした。

 もう戻れないと知った上での決断であるため、第四十八層《リンダース》に構えていた水車小屋の鍛冶屋は引き払って幾ばくかのコルを取り戻し、売り物だった武器も残っていたものは一つを除く全てをインゴットに戻してからストレージに突っ込んできた。多少容量が足りなくてコルに替えざるを得なかったが、それは仕方がないと割り切っている。

 そんな事を敢行していたため午後八時半という遅い時間になってからこの街へ来たあたしは、早速NPCやそこらのプレイヤーから街の構造を聞き出し、一先ず生産職向けのホームがありそうな《商店街》エリアへと歩を進めた。

 あたしは攻略組御用達の鍛冶屋としてかなり稼いでいたし、その気になればインゴットから武器を鍛え直して売り払ってコルを稼ぐ事も、これまでの鍛冶や素材集めの戦闘で得た経験値によるレベルで、マージンは十分と言えないもののこの階層でも戦えはする程度はあるから自力で稼げもする。

 とは言え今の情勢で《圏外》に出れば、コル欲しさに狂暴化しているプレイヤーに襲われかねないので、《圏外》で稼ぐのは極力避けたい。

 同時に《圏内》と言えども宿の外やパブリックスペースで寝るのも遠慮したい。無いと願いたいが、寝ている間によからぬ事をされている危険性を否定出来ない以上、やはり就寝するのは自身のホームが一番だからだ。

 この状況だとパブリックスペースは既に定員オーバーしていると思うけど。

 そう考えながら良さそうな物件は無いかと探していると、薄暗くなっている街のどこかから、子供のすすり泣くような声が聞こえて来た。まさか知らずに来て帰れなくなったから泣いているのかと思い、何とはなしにその鳴き声の人物を探した。

 まさか、それがあたしの知り合いのキリトだとは思いもしなかった。

 確かにキリトは子供としか言えない年齢だ。あたしも大人から言わせれば十分子供の範疇だろうが、キリトはそれ以上だ。まだたった十歳の子供だから泣くのも不自然ではない。彼が実は脆いというのは知っているし、トラウマがあるのも知ってはいる。目の前でユウキが慰めて漸く落ち着く程だったのも見ているから尚更だ。

 だが、それらはほぼ人目が無かったからこその行動だ。基本的に人目がある場所だとキリトは弱味を見せないようにしている。

 だからキリトが人の往来が無いと言えど街中で泣いているとは思いもしなかった。

 知らない子供はおろか、知り合いで、それもキリトだと知ったあたしが見てない振りをして素通りする事など出来る筈も無く、何時もの世話焼きで声を掛けるまでは良かったものの、弱々しい反応の上に何があったか話したくないと来た。

 これには流石に対応に困る。

 何しろキリトの場合、地雷が多い上に、一つ一つの規模がヤバすぎる。可哀想だから、見てられないからと慰める為に話を聞き出そうとしたが最後、痛いしっぺ返しを受ける事は想像に難くない。

 それで下手に驚いたりすればキリトはもう二度と相談しそうにない。というか絶対しなくなる。

 それに、歳に似合わない程の冷静さを有するキリトは、多分こちらを気遣っている部分もある。あたしが知らなくていい、知ったら気を遣ってしまうような内容は敢えて話さないようにしているとも思えるのだ。

 だから無暗に突っ込んで訊く事が出来ない。

 

 

 

 ――――とは言え……

 

 

 

 ちらりと、隣で今も涙を零しながら黙り続けているキリトに視線を向ける。全く泣き止む気配はなく、それどころか普段の芯の強さも雲散霧消してボロボロのような印象を受ける彼は、まるで捨てられた子供であるかのような感じだ。いや、『ような』では無く、まるっきりそのままにも思える。

 こんな子をこのまま放っておく事は出来ないし、出来るとしてもしたくない。あたしはそんな外道では無い。

 『話したくない』と言ったという事は、裏を返せば『泣いている原因に何か良くない事があった』のは確かなのだ。それが何なのかまでは分からないが、今までのキリトの反応から察するに、多分あの神童関連だろうとは目星が付く。

 この子はとても強い。どれだけ殺意を向けられようと、拒絶されようと、生半な事では弱音一つ吐く事が無い。

 この子が泣いている場面を見たのは神童と対面してトラウマがぶり返したあの時だけ。それ以外は闘技場やデュエルといった、泣いてはいないものの弱ってはいるくらいなもの。

 つまり絶対神童が何かしらの形で関係している。

 まだこの階層に来て数分と経っていないし、アスナ達とも会って何があったのか話していないから何も知らないあたしは、その辺に触れる事は出来ない。何も知らないあたしが触れていい事では無いだろう。

 

 

 

 ――――まぁ、多分リーファも知らない事をあたしは知っているんだけどね……

 

 

 

 それはキリトがかつて《織斑一夏》として生きていた時の日常。

 どれだけ神童が悪辣で、織斑千冬が愚鈍で、この子が健気で気丈に生きていたかを僅かな間でもよく理解させられた記憶だ。

 それを基にキリトを支えようとする事は出来るが、あたしはそれを話していないから、急にそんな事を言っても却って警戒させてしまうのは目に見えている。そもそも自分の過去を勝手に見られていい気分はしないだろう。

 結局あたしに出来る事は、キリトが落ち着くまで黙って寄り添うくらいなものだ。何に泣いているか分からない以上はそれくらいしか無い。

 一人にしてそっとする、という選択肢も無くは無いが、キリトに対する場合一人にさせるつもりは一切ない。直接見た訳では無いが、アスナ達から聞いただけでもよっぽどの自己犠牲精神と、『自分の何かが悪い』と追い詰める思考を展開する子供なのだ、むしろ一人にする方が酷い話だろう。

 温かな家族を求め、“ともだち”に羨望を抱いているキリトにとって、沈黙でも寄り添う事こそがきっと何よりの支えであり救いだと思うから。

 

「――――……ねぇ」

 

 そうして、大体十分が経った頃だろうか。

 静かに嗚咽を洩らしていたキリトは、か細く、弱々しい――――神童の兄とこの世界で初めて対面した後よりも弱々しい声音で、声を掛けて来た。

 

「ん……何?」

 

 普段なら、あたしはしっかりと目を向けて声を返していただろうが、今だけは視線を向けず、天蓋に映し出されている夜空へと向けて声を返した。出来るだけ優しく、あたしは気分を害していないと、言外に伝わるように。

 それに安堵したか、それでも緊張しているのか、キリトは暫し間を空けていた。呼吸を整える細やかな音が耳朶を打つ。

 

「……俺は……リズに、誓った。このゲームをクリアすルって……ダークリパルサーを、キタえてもらった、あの時に……」

「ええ……誓ってくれたわね。今でも鮮明に思い出せるわよ」

 

 事実だ。

 あれから三ヵ月ほど経ったものの、あの感動は、そしていじらしい子に抱いた慕情は今でも鮮明に思い出せる。と言うか、今でも心に宿っている。誰よりも幼く、けれど強く気高い少年の覚悟と誓い、そして細やかな願いを伝えられたあの時の事を、忘れてなるものか。

 あれを忘れてしまえば、あたしは自分自身を許しはしないだろう。

 それを抱きながら、覚えていると微笑みと共に言えば、キリトはひく、と小さくしゃくり上げた。

 

「もし……もしモ…………あの誓いを……俺が……おれ、が……」

「……キリト……」

 

 かたかたと、小刻みに隣に座るキリトが震えるのを、肩を合わせて座っていたあたしは如実に感じ取って、流石に違和感を覚えた。

 どうしてあたしとの誓いの話にそこまで怯えるのか。怯える要素など無いだろうに、何故。

 明らかに異常で、どうしても見過ごせないその様子に、あたしは再び二つの選択肢を迫られていた。

 すなわち問い質すか、黙って寄り添うか。

 

「……ちょっと、こっち来なさい」

「ぅ……?」

 

 あたしが取ったのは、また後者だった。

 泣いて怯え、言葉を途中で止めてしまう程の動揺を引き起こす内容であれば、あたしの方から無理に問い質すのはやめておいた方がいいと判断した。キリトはこれで聡明だ。必要であれば必ず話すと信用出来るからこそ、敢えて今は聞かない事にした。

 何を言おうとしたのか、あの誓いについて何を思っているのか、あたしにそれは分からない。

 知力の差どうこうよりも前に、あたしはキリトではないから、同じ人間では無いからこそ、キリトの気持ちなんてあたしには分からない。似た過去があるなら、あるいは幼馴染だとかリーファのように一緒に暮らしていたとかそういう近しい点があったならまだしも、出会ってたった三ヶ月な上に頻繁に顔を合わせている訳ではないあたしが察せる筈も無い。

 とは言え、予想出来なくもない。

 ひょっとすればあたしとの誓いは、今の弱っているキリトにとって重石になっているのかもしれない、あるいは誓いを守れないと弱気になっているのかもしれない。

 後に続く言葉が何かは分からないけれど、『もし』なんて否定的且つ仮定を意味する言葉を口のした上にこの状態を鑑みれば、その辺が妥当だろう。

 確かにあたしは無責任だったと思わないでもない。支えようとは思った、少しでも背負わせてとも思った、けれど元々キリトが背負っているものは大き過ぎるから辛いに決まっているのだ。

 その上でクリアする事を誓わせたのだから、キリトが弱音を吐いたとしても、誰にも責める事は出来ない。

 大人でも投げ出したい程に重い誓いを結ばせたあたしに出来る事は、最初から寄り添う事だけだったのだ。本来ならきっとそれすらも烏滸がましいだろうけど、責められるのはあたしだ、キリトの為を思ってするなら自分に向けられる罵倒の言葉くらい受け容れる覚悟である。

 生半な悪罵くらいでは到底済まされない苦痛を受けて尚戦って来たキリトを知っていれば、それだけで弱音を吐く気にはなれないのだ。

 だからこそ、今弱気になって、涙と共に吐き出しているキリトの弱音を受け止めるつもりで、以前ユウキがしていたように華奢な体を抱き締めた。横に座っているからちょっと不格好な気はするが抱き締めるのに支障は出ていなかったから気にせずそのまま続行する。

 シリカよりも、あたしが見て来たこの世界の誰よりも小さな子供。きっと陰では何度も弱音を吐いて来たのだろうけれど、あまり人前で曝け出さなかったからこそ誰にも知られず、受け止められなかったそれを、少しでも知りたかった。

 無理矢理訊くのでも無く、勝手に聞くのでも無く、ただ自然な弱音をあたしは知りたかった。何を思って泣き、何を想って生きているのか、それを少しでも知りたかった。

 この作られた仮想世界で『本物だ』と信じられる事と言えば人の想いくらいなものなのだから。

 

「あたしは、まだ今日何があったのかをよく知らないし、キリトについて知ってる事もあんまり無いからさ、あんたが何に悩んでるか分からないし、何で泣いてるかも見当が付かない。だからあたしの言葉は薄っぺらくて、勝手な事をと思うかもだけど……」

「……?」

 

 キリトを抱き締め、肩に顎を乗せる形で喋っていたあたしは、そこで一旦顔を離す。瞳を潤ませ、両頬に雫を伝わせている少年はキョトンとした顔であたしを見上げて来ていた。

 その子供の頭を優しく撫でながら、口を開く。

 

「キリトはさ……多分、難しく考え過ぎなのよ」

「ぅ……?」

「何に泣いてるかも、何で弱気になってるかも分からないけど……多分悩み過ぎてるんだろうなっていう事くらいは分かるわ」

 

 《ビーター》の真実を知っているからこそ、そして普段のキリトの行動の真意を聞き知っているからこそ悩み過ぎなんだと思った。今泣いているのもきっと何か良くない事があって、それに対する行動か、あるいはそれを止められなかった事に悩んでいるのではと、あたしは思っている。

 後悔する必要も苦しむ必要も無い事すらひっくるめて背負おうとする性格故の結果が今の状態なのだ。

 

「あたしはね、泣きたかったら我慢しないで泣いていいと思う。泣いている理由は分からないけど、でも泣き喚くのを我慢してたのは、何かが引っ掛かってるからなんでしょ?」

「……ん……」

 

 半ば確信を抱きながらの問いに、キリトは返事こそしなかったものの僅かに顔を俯け、小さくこくりと首肯する。

 やはり、予想した通りだった。

 泣いているのは、つまり何かを後悔している事。けれど嗚咽を堪えようとしているのは何かが引っ掛かって『それをする権利はない』と自らを縛り付けている結果だ。

 あたしが最初から居たなら羞恥故とも考えられるが、その前から嗚咽を堪えていたのだから、羞恥は考えられない。

 この考えを後押ししているのは、さっきキリトが途中で止めた言葉だ。さっき幾らか予想していたが、アレが関係している何かが原因で涙を流していて、けれど子供のように泣き喚かないように堪える。所謂『後ろめたい事』もあるが故に泣き喚かない。

 その行動をあたしは立派だと思う。時と場合、事情にもよるが、ただ泣き喚くばかりでは情けないと思う事もあるにはある。

 けれど同時にキリトに対しては莫迦だなと思う。彼を見下す意味では無く、まるで弟に抱くような優しい思いのそれだ。

 さっき本人にも言ったが、色々と難しく考え過ぎなのだ。

 

「キリトは大人でも考えないくらい難しい事を、ずっと考えてると思う……だからさ、泣いたりとか弱音を吐く時くらい、もっと素直になっても良いと思うのよ。自分にも、他人にもね」

「他人にも……」

「悩んでる事を相談したり、泣き言をぶつけたり……ね。一人で抱え込むのが一番辛いのよ。自分自身も、そして泣いてるのを見てる他人も……あたしも今、キリトが何で泣いてるか分からなくて、だからこそ支える事も慰める事も出来ないから、辛くて悲しい気持ちになってる。あたしよりもキリトはもっと子供なんだから、もっとあたしや他の皆を頼ったって、絶対罰なんて当たらないわよ」

 

 そもそもこんな幼い子供が他者を頼らず一人で生きるなんて事を、周囲が許していい筈も無いのだ。本人がそれを拒否してるし逆に助けられる事の方が多いから何とも言えない状態になっていたが、せめて心くらいは支えさせて欲しいと思う。

 けど、心を支えるならまず何に悩み、何に哀しんでいるかを教えてくれないと行動出来ない。

 だからあたしは知りたいと思うし、教えてとも、頼ってとも思う。

 きっとユウキ達も同じ気持ちだ。

 

「キリトが話したくなったらで良いけど、あたしも、リーファやユウキ達も、皆があんたの事を支えたいと思ってる。苦しんでる事を知って、そして分かち合いたいともきっと思ってる……少しずつでいいから、ちょっとは頼るようにしなさいよ。じゃないと、力になりたくても、どうすればいいか分からないからさ。言葉にしてくれないとキリトと別人のあたし達は分からないから」

 

 それでも、あたしはそれを無理に聞き出そうとは思わないから、今は寄り添うだけに留めておく。

 ただ、何時でも頼って良いんだよと、そう訴える事だけはしておく。これをしておくか否かだけでも随分と違うだろうから。

 優しく頭を撫でながら、黒水晶を思わせる瞳を覗き込みながら、あたしは心の底からの本音を訴えた。

 中々人を信じられない気質のキリトは、それでも一度内側に入れた相手を信じる傾向にあるから、きっとあたしのこの言葉が本気の心配から来るものだと分かってくれている筈だ。

 

「リズ……」

 

 あたしの訴えを聞いて、か細くキリトが名前を呼んできた。

 それに言葉は返さなかったものの小首を傾げ、聞いている事の意思表示と、先を促すのを同時に行う。

 暫くの間、キリトは喋るか喋るまいか悩んでいる様子だったが、結局話してくれる事は無かった。何に懊悩して話さない事を決めたのかは分からないが、ただ自分の心情を知られたくない、というよりはあたしの事を慮って遠慮したようにも感じた。

 正直に言えば、その遠慮は不必要なものだ。

 だがそれを話すか否かもキリトが決める事だし、自身が関わったせいで恨まれた過去を恐れている節がある彼に他者を関わらせるのは恐ろしいに違いなくて、無理に聞き出す事をあたしはしなかった。これがアスナやユウキならしていただろうが、キリトに対してだけは別だ。

 年齢に反して強いと思わせる《ビーター》の仮面を被り続けているこの少年の心は既にボロボロで、下手にその領域へ足を踏み入れる事は出来ない。

 だからあたしは、キリトが泣き止んで落ち着くまでの間、一緒に服飾店のウィンドウに背を預けて座ったまま寄り添い続けた。

 隣に座る小さな子供を優しく抱き締めて、頭を撫でながら、落ち着くまで。

 

 




 はい、如何だったでしょうか。

 前書きで書いた原作との変更点は、オレンジによる移動制限関連です。特に転移が変わってますね。

・変更点
 原作:転移結晶でも他の階層の圏外転移門へ転移可能
         ↓
 本作:転移結晶では他の階層の圏外転移門へ転移不可能
    転移結晶で転移可能なのは、最後に足を着けていた階層の圏外転移門(第九層以上)
    圏外転移門からなら他の階層の圏外転移門へ転移可能

 オレンジは《圏外》の村などにある圏外転移門で階層を行き来するのが基本とされています。オレンジで《圏内》に入ると、鬼強いガーディアンが来て、捕まったら監獄行きになるからです。

 原作第八巻の《圏内事件》の際、PoHとザザ、ジョニー・ブラックが立ち去った後のキリト視点で、転移結晶での移動の話が出ていたので、原作では多分転移結晶でも圏外転移門への移動は可能なのでしょう。本作ではそこを変更しました。

 更に結晶での圏外転移門への転移も、それを使った階層と同じ階層の門にのみと限定しました。

 転移結晶や圏外転移門がどの階層で登場したのかも不明ですが、本作では原作プログレッシブの第三~九層まで続く大型キャンペーンクエストに倣い、九層から転移結晶と圏外転移門が登場するようにしました。これは何かと魔法っぽいものがあるエルフに関連付けた方があり得そうだなと思えたから。デスゲーム宣言の時点で転移結晶の存在をキリトは知っているようなので、原作ベータで登った階層を考えると多分妥当だと思う。

 圏外転移門は第九層以上にしか無いので、第八層以下だとオレンジは容易に行き来する事は出来ない。

 つまり、仮にキリトがオレンジになった時に第一層の外周部から落とされたら、『最後に足を着けていた階層』が第一層で、第八層以下だから圏外転移門が存在しないので、ロジック的に死ぬしかない。

 キリトが頑なにオレンジにならなかった理由がコレ。オレンジになると、外周部から落とされた場合に緊急脱出で復帰不可能だから。グリーンを相手にする時はわざとダメージを受けていたのもこれが理由です。

 とにかく、キリトの場合オレンジになったら一巻の終わりという認識でOK。

 今更になってその思考が出て来たのは、リーファとシノンが音信不通になって不安になっているから。モルテの時のリズとシリカを思い出してこの状態。

 キリトの精神的な脆さと、弱音を吐く時の幼さを上手く表現出来ているでしょうか……あと段々狂って来た。切っ掛けはアキトを自分で殺した事。やっぱりアキトはどうなってもキリトに悪影響しか与えない。

 ちなみに、キリト視点の内面や認識描写と、他キャラ視点のキリトに対する推察や認識が食い違う事が多々出てきますが、わざとです。今話なんてキリト死にたいって考えて嘘吐いた事に気付いて欲しい、リズに殺して欲しいと思ってるけど、リズは助けようと考えてますからね。しかもキリトが完全に明かしてないから完璧にすれ違っている。

 今後更に悪化する予定(あくまで予定)

 では、次話にてお会いしましょう。






 ――――感情《自己嫌悪》が情動《自己憎悪:殺意》へ昇華しました。常に自身への憎悪、殺意が高まり続けます。


 ――――本能《生存本能》が弱化し、死に瀕した際の爆発力が消失しました。他者が死に瀕した際の犠牲心が大幅に強化されました。


 ――――《獣》の干渉が強化され、干渉時の理性が弱化しました。憤怒、殺意、憎悪など負の想念を覚えやすくなり、爆発力が大幅に上昇しました。大切な者が悪意によって危険に晒されると最大限の狂化が入ります。



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