インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話は前話の続きで前半リズベット視点、後半はシノン視点。文字数は約二万六千。

 リズ視点では消失したユニークスキルに関する事、リズの鍛冶屋関連について描写してます。シノン視点は、読めば分かります。

 リズ視点は一部だけほのぼの(?)があるけど、全体的に真面目な話ばかり。ゲームだと第七十六層に第二店舗を持ちましたが、それに関するお話です。

 ちなみにサブタイトルの漢字は、『恐れる』の常用外漢字です。

 ではどうぞ。




第六十一章 ~懼れる者~

 

 弱り果てていたキリトはそれから十分ほど掛けて精神的にある程度持ち直した。

 もう大丈夫と言って来た時の表情は、知り合いしか居ない場でだけ見せる柔らかなもので、痛々しい光はあったものの普段と変わりなく見えた。本来なら今年で小学五年生になる子供とは思えない持ち直し様だ。

 その精神力には感嘆せざるを得ないが、同時に複雑なものも覚える。その強さはこの世界を生きるにあたって必要なものだったのかもしれないが、本当なら年相応の弱さでいいからこそ、そのあまりの差異に得も言われぬものを覚えてしまうのだ。

 それでもそれを口にする事は無い。キリト本人がこの道を選び、周囲がそれ以外を許さなかったからこうなっているのだ、不毛な話になってしまうから言う意味も無いのだ。

 この階層で漸く四分の三を過ぎたのだし、元ベータテスター達のアドバンテージもとっくに無くなっているのだからいい加減《ビーター》の重責から解放されてもいいとあたしは思うのだが、元々が人の為にと自らの意志で剣を振るうくらいお人好しな性分なせいかシステム障害によって起きた混乱を収める為に、キリトは率先して動いているようだった。

 ヒースクリフがあまり動いていない事には首を傾げざるを得ないものの何やら事情があるらしいので問い質すような事はしなかった。何気にキリトとヒースクリフは裏で色々と話し合っては動く事があるから、今回もその類かと思ったのだ。

 後に、まさかヒースクリフが茅場晶彦で、キリトが会議の議長をしていたのも今の状況に近い事態を予測して対応出来たからだった事に、あたしは心底驚く事になる。

 閑話休題。

 落ち着いたキリトからこの階層に来て何をしていたのか、どういう事になっているかを教えてもらっていたあたしは、夜でもまだ開いていたNPC経営の武具店や雑貨店の品揃えを見ていく。

 このシステム障害のせいで《鍛冶》スキルがかなり低下してしまったから、今の自分が作る武器とNPCの店で売っている武器のどちらが強いか確認する為の作業だ。前者であればまだ収入が見込めるものの、後者であれば今はスキルを再度鍛える事に注力しようという考えからしている。

 結果的にほぼ同等だったため、それなら今は《鍛冶》スキルを出来るだけ上げて武器の強化や作製時のパラメータが高くなるようにした方が良いなと判断した。

 

「うーん……これは顧客が減るのを覚悟しといた方がいいかも……」

「その口振りから察するに、リズは《鍛冶》スキルが下がったのか」

「そうよ」

 

 武器屋に並べられてる【ディニタース】シリーズの武器を手に取ってパラメータを見つつ、モンスターからドロップする換金素材を売って数十本を纏め買いを繰り返しているキリトの言葉に、各武器のパラメータと睨めっこしていたあたしは頷いた。

 別に隠すような事じゃないし、客を相手に商売している身である以上それに響く事は隠すべきでは無いと判断していたので、素直にそれを明かした。キリトに隠すような事でも無いというのもある。

 

「スキル値が四〇〇ちょっとまで下がっちゃってね。お陰で暫くは商売上がったり。武器作製とか強化、修復依頼でまた地道に鍛え直すしかないわ……そういえばキリトも《鍛冶》を取ってたと思うけど、どうだったの?」

「《鍛冶》は下がってないよ。俺の場合は戦闘スキルが全体的に少し、一部は大幅に下がって、ユニークスキルの幾つかが消失した」

「え……えぇ?! ちょ、あんた、ユニークスキルが消失って……大丈夫なのそれ?」

「殆ど使わなかったものだったからなぁ……これを機に他のプレイヤー、特に攻略組の誰かに出てくれれば全体的な戦力アップになるから御の字だ。一人に戦力が固まってても意味無いし」

「あー……まぁ、それは確かに……」

 

 意味無いとか言いつつも一人でボスを斃せるくらいキリトは強いよねと、苦笑と共に胸中で呟きつつも、あたしは同意を返した。

 既に《ⅩⅢ》や《二刀流》によるシステム外スキル《剣技連繋》の汎用性アップ、レベルや装備で並みのプレイヤーでは太刀打ちできないくらい強くなっているから、キリトが他のユニークスキルを持て余している感があるのはあたしにも分かっていた。

 闘技場《レイド戦》を見ていたから分かるのだが、キリトは基本的に《二刀流》を使い、それ以外のユニークスキルは殆ど使わなかった。《ⅩⅢ》も追撃に使うくらいで、全力で行使した時なんてモルテの時とホロウを相手にした時くらいしかあたしは覚えが無い。

 以前ダークリパルサーを鍛え上げた際に用いた鉱石クリスタライト・インゴットを取りに行く道中で話してもらったように、ソードスキルだけでなく手数で圧倒する為にキリトは二刀を志していた。

 闘技場での死闘、神童とのデュエルを見て思ったが、ここぞという場面以外は通常攻撃、つまりキリトが言っていたように手数がものを言う。

 それを踏まえれば両手武器の分類である刀や両手剣、両手斧、両手棍を好まないのも道理だ。体格的に取り回しという面で難しいのもあるだろうが、ここぞという時にソードスキルを発動するには両手で武器を持たなければならず、それは左右の手で別々の武器を持つ二刀流と相反しているからだ。

 だからキリトが最も使うユニークスキルは《二刀流》となり他のスキルは必然的に使われなくなる。消失したユニークスキルはその大半が両手武器対応のものだったから、キリトとしては本当にそこまで支障が無いのだ。

 他の人にユニークスキルが発現する可能性も出たのは、全体的な戦力向上という意味ではむしろ良かったとも言える。

 両手武器をあまり使わないからというだけでなく、キリトがソードスキルを使うとしても、発動するのは一つだけ。発動出来るスキルの選択肢は広がるだろうが実際に行動に起こせるのは一つだけだ。

 ボス攻略が基本的に集団戦である以上、キリトだけが戦いの手段を多く持っていてもダメだ。ボス戦というのは突出した戦力も必要ではあるが、あまりにも尖り特化し過ぎたステータスが大きなデメリットを背負う――敏捷極振りだと高性能の武具を装備出来なくなる――ように、一人が強くてもレイドとしては強化されない。全員が平均的に強くなる事でレイドの強さは高まるのだ。

 レイドとしての戦いは、一パーティーの戦力を綿密に計算された上での作戦から成り立っている。

 《神聖剣》という防御特化のユニークスキルを有するヒースクリフの隊が持ち堪えられる時間、アスナやクラインが率いるアタッカー部隊がどれだけダメージを与え、そしてヘイトを稼ぐかの目算を全て計算した上で、攻撃と防御、前衛後衛が入れ替わるスイッチのタイミングを見計らっている。

 通常のフィールド攻略であればパーティー内のメンバーの戦力を鑑みて役割を振っているだろうが、レイド戦はそれを大きく見たもの、レイド内のパーティーの戦力で役割が決まっている。そのパーティー内でバラツキがあってはならないし、一つのパーティーだけが強力でも作戦は成り立たない。

 防御特化のタンクはどれだけいても支障無いと思う。むしろタンクに関しては多ければ多いほど良いだろう、タンクの防御力が高ければ連動してレイドの生存率も上がるから。

 だから問題なのはアタッカー。

 あまりに強過ぎる者が一人居てはいけない。それはヘイト管理が矢鱈面倒になり、予想外の事態を招く事が多くなるからだ。攻撃する者に次々とヘイトが移っては防御を担当する者が間に合わなくなる、重甲冑を纏っているプレイヤーは得てして敏捷性に欠けているからだ。

 逆に全体的に弱くてもいけない。与えられるダメージ量が少ないと時間が掛かり過ぎてレイドの集中力が保たず、些細なミスを引き起こしかねないからだ。またスイッチで下がった前衛が持つヘイトを上回る量を得るには、前衛が与えたダメージを短時間で超えなければならないので、瞬間的な爆発力も必要になる。ヘイトに関しては他にも様々な要素があるので多少の修正は利くが、それでも攻撃力が低いと、HPが減ったから下がった者達が狙われ続ける事態に陥るのだ。

 キリトの《二刀流》が発覚した時、《神聖剣》の時よりもある意味騒がれたのには《ビーター》だからだけでは無く、これも関係している。

 防御特化に関しては正直武具の強化する方向性やその種類の豊富さでどうにかなるが、攻撃に関する装備は武器一つ、他には装備の付与効果による補正程度。大ダメージを出すソードスキルを使うにはどうしてもスキルが必要になる。

 ボスはソードスキルを使わなければ中々ダメージを与えられないので、そういう意味では、《二刀流》はアタッカー垂涎のスキルなのだ。だからこそ攻略組随一のダメージディーラーであるキリトも愛用している。

 逆に言えば、キリトにとっては他のユニークスキルは必要無い。片手武器に対応しているスキル――コモンスキルの《曲刀》や《細剣》、ユニークスキルの《暗黒剣》など――であれば《二刀流》と併用出来るが、両手武器はそれが不可能。

 そして両手武器は殆どがボスに有効な重攻撃スキルを多く有している。一撃のダメージも高く、隙は大きいものの仲間と協力すればボス相手にも十分放てるし、あまりデメリットは無いと言えるだろう。

 故にキリトとしてもユニークスキルの消失は痛手では無く、他の者に発現するのならむしろ良いという印象なのだ。

 勿論これは発現する者が攻略に意欲的な人物であればの話。

 仮にオレンジやレッドともなれば脅威となるのは明白で、その場合はキリトがまた出張る事になるだろう。

 とは言え、《笑う棺桶》構成員の半数以上が死亡し壊滅したのを契機にオレンジ達も基本的に目立った行為はせず、水面下で動く程度だからユニークスキルを得たとしても大っぴらに動く事は無いだろう。ユニークスキルを習得したのを契機に調子づいた場合は別だが、そういう者がキリトやユウキ、ヒースクリフ、アスナ達より強いとは思えないので、どちらにせよ面倒が増える程度に留まると思う。

 良かったと思うのは神童が既に死亡している事か。

 自らに制限を掛けていたとは言え、あのキリトを圧倒する程の才を見せた神童がもし万が一にも“限られた者”にのみ与えられるシステム的にも特別なユニークスキルを得てしまっていれば、もっと危険で取り返しのつかない事態を巻き起こしていたとしか思えない。

 ……もしかしたらキリトが神童を殺したのにはその懸念もあったからかもしれない。

 どういう条件で発現するかはまだ分かっていないのがユニークスキルだ、条件を満たしていたかは分からないが、神童に発現する可能性は高いとは言えずとも皆無とは言えない。少なくとも他のプレイヤーよりは僅かでも得る可能性は高かっただろう。

 その懸念が現実になれば危険だと判断したから殺したのではないかとあたしは考えた。無論キリトの個人的な私怨や怒り、立場としての事情もあっただろうが。

 とは言え、あたしのこの推察が当たっているか、それを確かめようとは思わない。神童を殺した事に関して訊くなんて流石に無神経に過ぎるし悪趣味だ。

 だからあたしは、今突き当たっている問題へと話題を変える事にした。

 

「それにしても、全体的な戦力かぁ……そうなるとあたしの《鍛冶》スキルが下がった事は、《攻略組》からすると結構な痛手よね」

 

 その問題が、攻略組御用達となっている鍛冶屋であるあたしのスキルが低減している事。初期状態と言える程まで下がってはいないが、スキル値四〇〇は漸く初心者から卒業する頃で、この辺から上昇幅が小さくなってくる時期だ。

 上げ直すにも時間が掛かるのに、攻略は急がなければならないとなれば、修復で訪れた人達の武器の最大耐久値を大きく下げてしまうかもしれないし、強化も成功確率は低いから失敗しやすい。失敗する分だけ熟練度は上がりやすくなっているようだけど、失敗と分かっていて強化に来る人がいる筈も無く、殆ど上がる速度は一定だ。

 急がないといけないのに、あたしのせいで遅々として攻略が進まないなんて事になりかねない。

 キリトは完全習得のままで問題ないようなので、あたしの代わりに鍛冶をする事だって可能だけど、彼は《ビーター》として良く思われていないから依頼する人はいないだろう。彼自身も武器強化で失敗した時の理不尽なクレームや最前線攻略、その他諸々の手間を考慮して、鍛冶屋をしようとは思わない筈だ。

 

「それに、今のあたしは拠点となる店舗が無いから、どうしても武器の強化や製作、修復作業が滞るし……」

 

 拠点となる生産職向けのホームを購入していれば店を閉めた状態で日がな一日鍛冶に没頭する事も不可能では無いが、道端や露店でするとなれば、どうしても注目を集めてしまう。

 特にあたしは攻略組御用達の鍛冶師として顔と名前が売れている事もあって、こぞって依頼をしてくる可能性がある。

 その依頼を断るのは色んな意味で心苦しい、特にこれまで贔屓にしてくれていた顧客が離れてしまった日には落ち込むだろう。仕事に誇りを持っていただけにそれも一入だ。

 

「……聞いてなかったけど、そういえばリズはどうしてこの層に? リズも帰れないと後から知ったパターンなのか?」

「言われてみれば言ってなかったわね。あたしは違うわよ」

 

 この層に来た経緯を知る筈も無いので、あたしは一緒にNPC武器屋の品揃えを確認しながら事の経緯を話していった。

 

「……そうか。まぁ、攻略組がよく利用してる鍛冶屋のリズが来てくれたのは確かに頼もしいよ……でも、気持ちは分からなくも無いけど、個人的にはちょっとなぁ……」

 

 凡その話を聞き終えた後、キリトは何とも言えない面持ちでそう言った。

 キリトは、クリアを目指す《攻略組》や《ビーター》としての立場の面からすれば心強いと思っていて、しかし個人的には来たが最後帰れなくなる事を知っていたのにこの階層にあたしが来たのは好ましくない様子だった。

 それでも非難して来ない辺り、あたしの心情を理解してくれているようだった。アスナみたいな心配性だったり、無理解な人間だったりすれば『どうして来たんだ』と責めて来ただろう。

 まぁ、生き残れる見込みが無ければ却って邪魔になるからと来なかったと思うが、それはそれ、現在の状況とは違う場合の話だから敢えて言わない。

 

「とは言え肝心要の《鍛冶》スキルが下がってるんじゃね。さっきも言ったけど、暫くはストレージに入れて来たインゴットから製作、戻すっていうのを繰り返すつもり。兎にも角にも今はスキル値を戻さないと」

 

 スキル値が高くなければ《攻略組》の武具の強化依頼なんて請け負えない。修復はしないと装備の喪失に繋がるから請け負うけど、最大耐久値の減耗の程度を考えると、やはり一刻も早く上げ直さなければ支障が大きい。

 その為には、まず拠点となる店舗を所有するのが一番だと思った。

 スキル値が下がったと言えど、一応それまで使っていたスミスハンマーは全種類持参しているから、熟練度に見合ったレアなハンマーを使えば多少確率をブーストする事が出来る。高性能の武器を作れば熟練度の上昇幅も大きくなりやすい感じがあるので、携帯炉では無く固定炉を用いてその補正を大きくしたいとあたしは思っている。

 ちなみにそれならどうして今しないのかと言えば、周囲のプレイヤーを刺激したくないからだ。遅いという訳では無いが既に夜の帳が降りている現在、外で鎚を打つ音など響かせては近所迷惑どころでは無いし、それが原因でトラブルが起きてしまったら目も当てられない。

 

「それで拠点を探していて、その最中に俺を見付けたと……」

「そういう事……んー、鉱石にもよるけど、あたしが作れる物とNPC武器屋の販売品はどっこいどっこいって感じかな……」

 

 NPC武器屋の品とあたしが製作した武器の性能がほぼ同等なら、恐らく依頼されるものは修復と強化が大半だろう。武器製作依頼をされるのは数日内は少ないという予想が立ったので、多少の余裕は生まれたという事になる。鉱石の産出層が下だから、あたしのスキル値が戻らない限り上回るという事は殆ど無い筈なのだ。

 この間に拠点を手に入れて、どうにか一人で黙々と作業出来るようにしなければならない。それも可及的速やかに。

 

「……それで、店舗に出来そうな物件は見付けてるのか?」

「ん? あー、今のところ一つだけね」

 

 この《商店街》エリアに入ってほぼすぐのところ、つまり人通りがとても多く大通りに面している物件が生産職向け、しかも鍛冶屋向けのものだったから目を付けていた。現状誰も購入していないから空き家の状態だ。

 それを購入していないのは他にもいい物件があるかもと思って、一先ず買うのを見送ったから。

 それだけでなく、実は今は購入出来ない理由があった。

 

「ただその物件、あたしの手持ちじゃ足りなくてね……三千五百万もするのよ」

「ぶふっ?!」

 

 生産職向けの物件は平均して三百万コルだ。売り場、作業場、ダイニング兼寝室という構成で、特に前二つの部屋が大きいのでこれくらいの値段となる。

 生活だけなら二部屋程度なので百万から二百万コルが平均的で、高ければこちらも三百万に届く。エギルの店は二階建てだったもののカウンター店舗という小規模な物件だったから二百万コルだった。

 あたしが目を付けていた物件の値段は驚きの三千五百万コル。

 キリトのホームが何故か三千万コルだったように、こちらもそのレベルの値段だったのだ。

 ただ間取りの詳細を見て行けばその理由が判明した。その生産職向けの物件は大通りに面していて客入りを望めるからか、売り場が広く、作業場も広く、更には三階建てで一階より上が生活スペースとして確保されているという代物だったのだ。

 しかもその物件、プレイヤーが所有するホームとしては破格な事にキッチン、リビング、果てはお風呂まで完備されている始末。多分お風呂も値段を高くしている要因の一つだろう。

 二階がそれで、三階が就寝する部屋なのか、キリトのホームのように幾つかの小部屋があった。大店の店長と店子が一緒に暮らす設定なのかもしれない。

 大通りに面していて客入りが良い、三階建て、生活スペースと要素完備、複数人が泊まれるといった様々な要素が相俟って、三千五百万コルという値段になっているのだと思われた。

 それを考えるとキリトのホームがどうしてあそこまで高かったのかが非常に気になるところだが、それはいい。

 問題はあたしがその物件を購入するだけのお金を所持していないという事だ。

 あたしが製作した武器は数十万コルの価格が付いていて、オーダーメイドともなれば二百万前後は普通だった。

 これだけを聞けば、数千万コルは普通に稼いでいるだろうと思われるだろうが、それは早とちりだ。

 日々の生活費だけであればそれくらいは軽く貯まっているだろうが、あたしはエギルとの商談や野良パーティーを組んでフィールドに出て鉱石を集めている。その過程で、鉱石に見合った額、あるいは《圏外》での戦闘に見合った報酬を相手に支払っている。そうする事であたしの店は成り立っていた。

 その鉱石がレアであればコルもかなりの額を支払わなければならない。

 例として挙げると、以前神童を追い返す際に出した現状最強の武器と言える《片手剣》エリュシオンは、武器としての価格は五千万コル。インゴットとしては五百万コル。これが最高級だ。鉱石がフロアボスのドロップ品でLAに近いレア度という事もあってこの価格となる。

 ダークリパルサーに現状で価格を付けるなら五百万コルといったところだろう。キリトのものは試行回数四十回の限界まで強化しているものなので、二千万コルは下らない筈だ。これの元となる鉱石クリスタライト・インゴットの価格は一個百万程度が相場となる。これはマスタースミスが一緒の状態でドラゴンの巣に落ちなければ入手出来ない事、その際に死亡する危険性がある事から、値段がかなり高くなっている。

 では三ヵ月ほど前、キリトがあたしの店を初めて訪れた際に出して素振りした時のスピード重視の片手剣。

 アレは手に入った階層が六十層台ではあるが、レア度そのものは中の上といった程度でそこまで高くはない。作っていた剣の中でも最強だったのは当時の最前線層から手に入ったインゴットで、更に最高の熟練度、スミスハンマー、固定炉という要素があって、偶然高い性能に落ち着いたからだった。

 剣の価格は三百万コル。鉱石の価格は当時なら一個二十万コル、現在は若干値下がりして十五万コルといった程度。

 大体これがインゴットと剣の平均的な相場だ。

 ただし剣の値段は『そのインゴットから作られる剣の中でも最高級品』の場合。確率によっては売り物に出せないレベルの最低品だったり、出せなくは無いが売れないだろうレベルのものが出来る場合だってあり得る。神童に売った剣が三十万コルだったように、通常は二十万から三十万程度の品に収まるのだ。

 その場合は鍛え直す事でリセットする事も可能だが、最高級品レベルがそうポンポン出来る筈も無く、大体は可もなく不可もなくといった程度。良くて高級品レベルが数点出来る程度だ。

 そしてそれら全てが売れる事はあり得ない。

 売れれば鉱石一個に対して何倍もの利益が入って来るが、売れなければ損をする。

 そしてあたしの店は主に修復と強化が人気で、偶に武器を購入される程度だった。

 少しでも武器が売れるようにとレア度の高いインゴットを求めて購入し、あるいは野良パーティーを組んで報酬を支払ったりし続けている中でも、製作した武器の売れが良くなければ支出が嵩むばかり。良い武器も早い者勝ちで、一度それを見た後では他の性能が劣る武器を買おうとする者はおらず、誰もがスルーしていく。

 商売とは入念な準備と堅実さを求められる反面、ギャンブル要素を含むものなのだ。

 なのであたしの手持ちは、一応二千万コルはあるのだが三千五百万コルには程遠く、見つけた物件を購入する事が出来なかったのである。

 一応言っておくと、これでもストレージに入り切らない分のインゴットを武器に打ち直し、NPCやプレイヤーに売り捌いてから来たので、当初より数百万コルは増えている。二千万もあれば拠点を確保して生活基盤を整えるくらいはいけるだろうと思っていたのだが、まさかの値段に愕然とさせられた。

 だから他にはないかと思って街を歩いていた。

 その最中にキリトと出会ったという訳である。

 

「三千五百万……俺のホームより高い値段の物件があったなんて」

「本当よ。まぁ、あってもおかしくはないんだけど……」

 

 平均から外れはするものの、一つあるなら二つ以上あってもおかしくないから、それに対して疑問は覚えない。どうしてこんなに高いのだろうと首を傾げはするものの、一応納得がいく要素があるから問題はない。

 そういう意味ではキリトのホームが謎過ぎである。

 ……あのホームを見つけてから思ったが、もしかしたらキリトのホームは後から町や村の職人にコルを払って依頼して、内装を増築するものだったのかもしれない。土地としては結構余裕があったし、あの内装を見た限り多人数で過ごす事を前提にしているようだったから、増築してスペースを増やすタイプというのは十分考えられる。それを見越した値段だとすれば、アレは自分が見付けたものと同じ割り勘前提の値段だったという事になる。

 という事はあたしが見つけた物件はコンセプト的にキリトのホームと同じ割り勘前提なのかもしれない。稼ぎはともかく、生憎とキリトと違ってあたしは支出がそれなりにあるから、たとえシリカと共有資産としてコルを出すとしても足りないと思う。あの子はあたしと違って一気には稼げないし、ポーションを作る為の素材集めの段階で結構お金を使ってるから一千万あるかも怪しい。

 

「……なぁ」

「ん?」

 

 あの物件良いのに諦めるべきなのかなぁと、胸中で残念に思いつつ片手棍の【ディニタースメイス】と両手棍の【ディニターススタッフ】をカウンターに並べ性能を確かめていると、隣から声を掛けられた。

 顔を向けて先を促すと、キリトは小首を傾げて見上げて来た。

 

「エリュシオンは? アレもインゴットに戻したのか?」

 

 《死の国》とラテン語で付けられている最強の片手剣エリュシオン。

 黒曜石を思わせる光沢と鋭利な刃を有し、刀身と鍔が一体となっている黒に染め上げられたその剣は、第七十四層ボスドロップの鉱石から鍛え上げた、あたしの鍛冶師歴史上最強の片手剣だ。

 

「ああ、アレ? エリュシオンならインゴットに戻さないで、ストレージに入れたままにしてるわよ。あんなに良い出来の剣を無かった事にするのは嫌でね」

 

 本当ならインゴットに戻しておけばあと数十個はインゴットをストレージに入れられた。それくらい容量を圧迫する重量だったのだが、どうしても戻したくなくて、剣のままストレージに突っ込んで来た。

 それに対して後悔はない。あたしの最高傑作をほぼ人の眼に触れる事無く無かった事にするのは嫌だったのだ。

 無かった事にするくらいなら、タダでもいいからキリトとユウキのどちらかに譲りたいくらいだった。無論こちらも商売だから実際にタダで譲りはしない、キリト達なら分割後払いで先に譲るのはありとは考えているけど。

 そんな事を考えつつ疑問に答えると、キリトは僅かに考え込む素振りをして、またあたしを見上げて来た。

 

「エリュシオンって、値段は五千万コルだったよな」

「え、ええ……そうよ」

「なら、俺が買うから、今ここで売ってくれないかな」

「――――」

 

 一瞬、あたしは動きを止めた。

 キリトがそう言って来る事は何となく予想していた。あたしが困っているから、あるいは《攻略組》の攻略活動の為か、あるいはそれ以外かは分からないが、エリュシオンの話をしてきた時点で予想するのは簡単だった。

 簡単な連想ゲームだ。お金が足りない、数千万コルが必要、そして価格五千万コルのエリュシオンの話が出たとなれば、売ってくれと繋がるのは自明の理だ。

 あたしとしては、この話はとても助かる。キリトにとってもエリュシデータを遥かに凌ぐ強力な剣を得るのだからこれ以上は無い話だ。Win-Winな関係という奴だろう。

 しかし、あたしはそれに、すぐには首肯を返さなかった。

 あたしがエリュシオンに五千万なんて法外な値段を掛けたのは、神童に言ったように、あまりに強力過ぎる剣だから。これの所有者がPKやオレンジ行為を率先して行う者だったらその責任はあたしにあるのだし、犠牲者が出てしまうのは嫌だったから、誰も手に入れられないよう人目に触れないようにしていたし、出したとしても到底手を出せない程の額に設定した。

 あたしの友人達ならオレンジ行為を率先して行うとは思えない。キリトはまた別だが、彼の行動は基本的に他者を慮り、秩序を重んじた末での事だから信用して売る事は出来る。

 それでもあたしが売ると即座に返さなかったのは、別の事が気になったからだ。

 

「……キリトになら……今すぐに売るのも構わないわ。でもコレの対になるような剣は無いわよ?」

 

 キリトの《二刀流》は、基本的に左右の剣が同レベル同ランクの剣で完成される。

 エリュシデータは第五十層LA、ダークリパルサーは第五十五層のレア鉱石から鍛えられたレアな高性能の剣。ユニークか否かというレア度の差こそあれ、そのどちらもが大体同じ階層のランクに収まっている。それらを同じくらい強化し続けて来たから、キリトの愛用の二刀となっている。

 しかしエリュシオンを購入して使うとなると、コレと同ランクの武器が無いから《二刀流》を使い辛くなる。左右で武器の重さや攻撃力が異なるからバランスが悪いのだ。

 それにエリュシデータには第一層で使っていたアニールブレードの魂が宿っていて、ダークリパルサーはあたしとの誓いを顕す剣になっているから、どちらか片方を喪うという選択肢をキリトは取れない筈だ。

 融合強化という手もあるにはある。だが、たとえ融合強化が成功したとしても、やはり剣の重量や攻撃力の左右差があるから二刀のバランスが悪い。

 結果的にキリトの強さを削ぐ事になるのではとあたしは懸念してしまった。

 とは言えエリュシデータとダークリパルサーは、既に強化試行回数が限界に達していて、今以上に強くなる事は無い。聞けばバグ化の影響で性能が低下しているらしいし、尚更この階層で戦って行くのは辛いだろう。

 第七十五層の時点で既に買い替え時だったのだ。それをステータスと装備のバフ、ユニークスキルと《剣技連繋》による時間当たりのダメージ量で誤魔化していただけ。闘技場で罅が入ったのはそれを如実に表している。剣の強化の際、耐久力を殊更上げていたからどうにかなったものの、そうでなかったなら戦闘中に破壊されていたのは想像に難くない。

 今でこそ《ⅩⅢ》に登録しているからHPと連動して、武器の損壊は起こらないようになっているものの、やはり威力不足というのはボス攻略の主力メンバーとしてはどうかと思う。

 かと言って、エリュシオンに持ち替えた結果《二刀流》スキルや《剣技連繋》を上手く出来なくなったりすれば、結果的にキリトの強さは削がれてしまう。

 どちらかと言えばあたしはエリュシオンを売るべきなのだろうが、かと言ってそれがキリト弱体化の要因になるのでは本末転倒だと思って、売る事に対してあまり積極的ではなかった。

 しかしキリトは、言葉で返さず目で語って来た。その辺をしっかり考えた上で、あたしの助けとなるべく、エリュシオンを買うと言ったのだと目が語っていた。

 何を言っても折れそうにないその強い眼を見て、あたしは思わずため息をついて、苦笑してしまった。

 

「……わかったわ」

 

 交渉成立とばかりに右手を振ってウィンドウを呼び出し、トレードメニューへと移動する。相手の欄に《Kirito》と記入して決定すると、キリトの方にウィンドウが表示された。

 あたしが相手に渡すアイテムとして【エリュシオン】を選択し、対するキリトは五千万コルをキッチリ選択し、OKボタンをクリックした。

 互いにトレードするアイテムの条件を見て承諾したのでトレードが成立。あたしの財布に五千万コルが加算され、漆黒の剣エリュシオンが蒼い粒子の中から現れてキリトの手に収まった。

 ……これだけの大金、初めて手にするから何だか恐い。あのホームを購入し、家具を始めとした生活用品に食材を買い集めても確実に三千万は残っているだろう。あのホームを私有店舗にしたらすぐにでもホームで管理出来る金庫に突っ込んでおかねば。

 

「は、ぁぁ……」

 

 今まで経験した事が無いレベルの大金を持っている事に恐怖を覚えていると、隣から感嘆の溜め息が聞こえて来た。

 そちらに視線を向ければ、エリュシオンを両手で持って眼前に掲げているキリトが、その光を呑み込み闇を体現しているかのような艶やかな光沢を持つ刀身を試す眇めつ見ていた。

 

 ――――その姿には、どこか浮世離れしている幻想的な美しさがあった。

 

 素直に綺麗だと、そう思った。

 素のままのキリトが素直に感情――恐らくは正の感情――を出していると、本来の性別を忘れてしまいそうな程に引き込まれる魅力が振り撒かれていた。

 何が琴線に触れたかは分からないが、感動するように、どこか惚れた少女のようにうっとりと目を眇めて剣を見る様は、どこかアブない気配を漂わせている。

 薄暗い夜の街中で、艶やかな黒髪を微風でたなびかせ、纏う黒き外套をはためかせる少年は、その水晶を思わせる黒い瞳を闇を体現したかの如く黒い魔剣に向けて感嘆の息を吐いて、剣に見惚れていた。

 いや、魅入られていた、が正しいのかもしれない。《死の国》なんて不吉な名前を持っているから、本当にその剣は魔剣として人を魅入らせる魔力があるのかと、本気で考えてしまう。それ程にアブない雰囲気があった。キリトに惚れている者の誰かが此処に居たら頬を染めていた事間違いなしのアブなさだ。

 そんな印象を抱きつつ、まぁ、今は好きなようにさせてあげようと思ってみていると、右手で眼前に持ち上げている刀身をどこか蕩けているようにも見える濡れた双眸で見詰め、ごくりと喉を鳴らしながら、左掌を当てた。ひた、と掌が刀身に触れたところで、キリトは艶然と目を眇める。

 この時点で、あ、これはマズい、と警鐘が鳴った。具体的には分からないけど、でも今すぐに引き戻さないとちょっとヤバそうな直感が働いだ。

 

「ちょっとキリト、戻って来なさい」

「はぅっ?!」

 

 ペチペチ、と軽く頬を叩きながら声を掛けると、すぐにキリトはこちら側へ戻って来た。以前リーファにべた褒めされた時と言い、意外にキリトはちょくちょくトリップしてしまうクセがあるようだ。そういう事に慣れていないから熱中してしまうのか、それともその方向に熱を入れているからこそのめり込んでしまうのか。

 エリュシオンをユウキに譲っていたらどういう反応をしていたかと考えると、ちょっと興味が湧いてくる。

 

 ――――わぁ、この剣、何度見てもやっぱりすっごく良いね! 流石リズが鍛えた剣は違うなぁ!

 

 ――――ありがとう! 大切にするね!

 

 ……何故か、キリトと違って物凄く陽気に喜んでる様が浮かび上がった。まるっきりプレゼントをもらった子供のような反応が鮮明に思い浮かぶし、余程機嫌が悪いとかでない限りその光景は現実のものとなるだろうと思えた。

 だから、何でキリトだとアブない雰囲気になるのだろうかと内心で頭を抱える。

 ひょっとしてキリトって自覚が無いだけでサイコパスの資質があるのだろうか? 世の中には無機物にすら性的興奮を覚えたり、あるいは凶器を見ると人を殺す瞬間まで想像して興奮するという恐ろしい輩まで居るという話を聞いた事がある。絶対無いとは言い切れないのだ。それだけは無いと本当に、心底、切に願う。

 もしそうだったら、あたしはキリトとの関係を真剣に考え直さざるを得ない。幾らキリトに庇護欲を掻き立てられるからと言っても流石にそれは遠慮する。

 

「あ、あわ、あわわわわ……!」

 

 脳裏を過った下らない思考に集中しかけるも、目の前でわたわたと慌てている少年を見て意識が引き戻された。前にもこんな光景を見たような気がする。やっぱり素の方がいいなぁ……

 そこまで考えた事で、はたと気付いた事があった。

 

「ねぇ、今気付いたけど、リーファとシノンはどうしたの? 宿に泊まってたりするの?」

「……」

 

 首を傾げ、疑問に思ったから何気なく問うと、顔を赤くして慌てていたキリトがピタリと動きを止めて黙り込んだ。その表情は何かを堪えるようなもので、どこか苦しそうに見える。

 何かマズい事でも聞いただろうかと内心不安になってしまった。

 

「……どうかしたの?」

「……もう数時間経ってるのに、メールの返信が、無いんだ……」

「え……」

 

 ボス戦を終えた後、あたしのようにディアベルがフレンドを結んでいる者の殆どはシステム障害の事を伝えられている筈で、勿論キリトからもリーファ達にメールを出したらしい。ボス戦の経緯と上ってきたら戻れられなく事を。

 そのメールを送ったのが午後三時過ぎ。今は午後九時前なのでそれから四半日経過している事になるのに、未だに返信が無いという状態。

 それは、普段のあの二人を見知っている者からすれば、異常に思えた。

 ユウキが告白しようとした時の様子からして、シノンも十中八九ユウキと同じように惚れているに違いないし、リーファも同様だと思う。それなのに返信が無いなどとおかしい。特にリーファは義弟のキリトの事を師として厳しく指導しながらも、家族として愛していた人物だ、触れ合いの機会を自ら捨てるような事は考えられない。

 そのメールがあってすぐこの街へと駆け付けたのであれば返信が無いのも頷ける、メールを出さなくとも直接会って会話出来るからだ。

 けれどキリトの様子からこの層に来ていないのだろうと察しが付いた。だから妙だと思ったのだ。

 

 ――――まさかと思うが。

 

「あの二人の身に、何かがあった……?」

「っ……」

 

 即座に思い浮かぶ事を口にすると、夜の街の静けさ故にキリトの耳にもしっかり届いていたようで、小さくと体を震わせた。キリトもその可能性を考えていたという事だ。

 まぁ、キリトがこれに思い至らない筈も無い。

 

「もしかして、さっき泣いてたのって……」

 

 リーファとシノンの二人と連絡が取れず、自分から会いに行くことも出来ないから危険に晒されていたら助けにも行けないと考えて、寂しく思っていたのだろうか。その不安が、一人で静かな夜の街を歩いていると爆発してしまったのか。

 無いとは言い切れない可能性だ。あたしの誓いに関する事だけでなく、心の拠り所である義姉を喪う事を考えてしまったとすれば泣いてしまうのも道理だろう。

 その考えを持ちながら発したあたしの言葉に、キリトはばつが悪そうに、言い当てられたのが気まずそうに、あたしから目を逸らした。

 それを見て確信した。少なくとも泣いていた理由の一つにはこれがある、と。

 

「ごめん。ちょっと無神経だったわ……」

 

 それからあたしは謝罪した。

 漸く落ち着いたのに、また泣き出すような事、あるいは抑え込んでいるであろう不安を刺激するような事を言ってしまったから。実際本当に無神経で、あたしが言われたら責めるように睨んでいたと思う。

 

「いや、気にしてないから……」

 

 それなのにキリトはばつが悪そうに目を逸らしたまま、あたしの行動を許した。

 ばつが悪そうに、気まずそうに言うその姿からは、どこか後ろめたく思っている事があるようにも見える。

 ……あの二人が危険に晒されているのが、自分のせいだと思い込んでいるのだろうか。

 これもまた、無いとは言い切れない、むしろ泣いていた理由の大部分を占めているのではとすら思える。

 闘技場での観戦や実兄とデュエルをした際に一緒に居たし、話を聞いた感じユウキとのデュエルの際にも二人はキリトと一緒だったという。《弓》を手に入れるクエストでもシノンと共に行動していたから、二人とキリトは親しいと思われても仕方ないくらいではあった。

 だからこそ、キリト自身に報復出来ないなら周囲の人間を苦しめる事で、間接的にキリトを苦しめようとする輩が出るのは必然。そうでなくともあたしとシリカがされたように誘き出す為の餌にされる可能性は低くない。

 キリトが《ビーター》として振る舞い続け、表向き良好な関係を築いている者は居ないとしているのも、これらを未然に防ぐ意図がある。

 かつてリアルで《織斑一夏》を名乗っていた頃の過ちを、また犯さない為に。

 そこまで考え、いや、違うかと胸中でその思考を否定する。

 《織斑一夏》に味方がいなかった事はあたしですら知っていた。

 だからキリトはきっと戻りたくないのだ。親しい者達の事を想って距離を取ろうとしていたのにも、きっとその者達を喪って、また独りになるのが嫌だったから。

 そういう意味ではリーファを喪う事は何よりも恐れる事に値する。彼女はキリトを拾った家の子だ、現実に生還した時に居なかったらキリトは自分を責め続けるだろう。無いとは思うが、彼女の両親からも責められるかもしれない。

 こういう事を一人で考えて、ドンドン深みに嵌まっていって、その思考を否定する人がいないから泣き出してしまったのか……あるとは言えないが、無いとも言い切れない不確定な未来だからこそ、不安も募るというもの。

 そう考えると、何とも哀しい気持ちにさせられる。

 

 

 

 ――――ピロン

 

 

 

 その時、あまりにも場違いに過ぎる軽快な電子音が、あたしとキリトの耳朶を打った。目を逸らして不安を抑えようとしていたキリトも、ばつが悪くて何とはなしにNPC武器屋の武器へと視線を落としていたあたしも、同時に動きを止めた。

 メールの着信は音だけでなく、プレイヤーの視界右上にアイコンが表示されるようになっている。オプション設定で出ないようにする事は可能だが、基本的に音の発生はともかくアイコン表示は誰もがデフォルト状態のままだ。

 あたしの視界右上に、表示は無く。

 キリトは瞳を動かした後、眼を見開いた。即座に虚空へ指を動かし、アイコンをタップしたのだろう、白いウィンドウが表示された。

 

「リー姉……?!」

 

 差出人は噂をすれば影というかどうやら義姉だったらしく、キリトは心底驚き、同じくらい安堵を浮かべる。安心しきったからか弱々しい笑みを浮かべる彼の瞳には涙すら浮かんでいた。

 

「良かったわね、キリト」

「あ、ぁ……!」

 

 張り詰め続けていた別の糸が切れたのか、嬉し涙を零す少年の頭を撫でて言うと、言葉にもならないくらい喜んでいるのか途切れ途切れの声だけ返された。それでも頷きがあったから本当に喜んでいるようだ。

 

 

 

 ――――今更、メール……?

 

 

 

 それでもあたしは、心の底から喜んではいない。むしろ今更ながらに届いたメールに疑念を覚えている。

 《圏内事件》の折、あたしとシリカはキリトを誘き出す為の餌にする為に利用された。麻痺させられた後、モルテがあたしの手を取ってメニューを操作し、フレンドメッセージを送ったのだ。

 それを実際に体験しているからこそ、リーファから送られて来たというメールが、本当にリーファ自身の手で打たれたものなのか疑っていた。

 彼女の性格とこの現状からしてキリトの許から離れようとは思わない筈だ。色々とややこしい立場でキリト自身も表向き親しい間柄である事を隠そうとしているものの、本音を言えばリーファと共にいたいと思っているのは明白、リーファもまた同じなのは分かり切った事。

 あたしのように準備をしていたから遅れたならまだ分からなくもない。シリカのように日を跨ぐくらい入念に備えをしようとしているのなら納得もいく。

 だがそのどちらもキリトにメールの一つを出している筈だ。これは既に考えていた事だから、キリトも無いのはおかしいと感じていた。

 そこに今更来たこのメール。

 基本的に他人には不可視設定なので真っ白にしか見えないウィンドウに表示されているだろう文、それがどういうものかは分からない。もしかしたら準備をする事を告げるものかもしれない。これまでダンジョンに潜っていて、漸く出て来たから準備をする為にメールを送ったという場合も考えられはする。

 けれど以前のあたしとシリカのように捕まっていて、捕まえた誰かがリーファの手を操作してメールを送ったという事も考えられる。

 不安に押し潰されそうになっていたキリトは気付いていないようで――あるいは眼を背けているのか――涙を零して、一先ず無事であった事を喜んでいるが、このメールだけではリーファの現状がよく分からないからあたしは安心していなかった。

 そしてすぐ、その予感が的中した事を知った。

 あたしの嫌な予感通りだった事を知ったキリトは、完全に無表情で、感情が浮かんでいない伽藍洞な黒い眼で、送られたメッセージを見詰めていた――――かと思った時には、何時の間にか何処かへと駆け出していた。

 キリトが目指す方向は、《圏外》へと続く大門がある場所だった。

 

 ***

 

「――――ん……」

 

 深くは無く、浅くも無い微睡みの中にあった意識がふと浮上して、閉じていた瞼を持ち上げる。

 同時に、視界右上に表示されているデジタルチックな時計が、《10:00》へと変わった。

 周囲は薄暗く、視線を上げれば蒼く輝く丸い月が顔を出している事からも、午後の十時である事は明白。キリトを含む第七十五層ボス偵察を目的としたレイドを見送ってから実に九時間程も経過した事になる。

 護衛兼指南役のキリトが居ないのもあって今日は一日お休みにしようとリーファと話し合っていた。お休みと言っても一日中ぐうたらするのではなくダンジョンやクエストに行くのを休むのであり、自己鍛錬はする。私達に一日を無駄に過ごす暇は一切無いのだから。

 それでも休みを取る事になったのは、ずっと気を張り詰めていては疲れるからだ。

 

 ――――本来なら、そうなる筈だった。

 

 本来の予定通りだったなら、今私が居る場所はキリトが所有するバカ高い二階建ての家だった筈だ。

 居心地が良くて、物が少ないから殺風景に思えるものの暖かな雰囲気に満ちるその家の中で、私とリーファは語らっていただろう。

 普段の食事の用意を任せきりにしていたせいで、夕飯までにキリトが帰れなかった場合は、ひょっとすると互いに低いままの《料理》スキルを用いて四苦八苦してリアルに較べて悲惨な料理を作り合っていたかもしれない。もしかしたら外食に繰り出して、当たりを食べて喜ぶか、外れを食べて悔しがるかしていたかもしれない。

 それはそれで楽しそうではあるので、何時かやってみたいと思っている。

 けれどそれは出来なかった。ホームへと戻る途中に遭遇したある男によって、私達は揃って、碌な抵抗も出来ずに連れ去られたからだ。

 

『見つけたで。あんさんらが《リーファ》に《シノン》とかいうプレイヤーやな』

 

 第二十二層の南西にある主街区《ペルカ》から、南の湖畔エリアを介して南東へと向かう道すがらに遭遇した男。凶器モーニングスターを想起させる奇抜な髪型で、スケイルメイルを纏ったそこまで背が高くない男は、私達を見て確認の意味でそう言って来た。確信めいたものが感じられたから恐らく容貌や恰好で既に分かっていたのだろう。

 その男から何か嫌な感じがしたので、リーファと共に足を止めて警戒心を露わにした。

 それがいけなかった。

 私とリーファは、キバオウのしてきた事や性格については聞いていても、その容貌や口調については知らなかった。もしも知っていたら、私達は足を止めず、《コラル》か《ペルカ》に向かって急いで逃げていただろう。

 しかし知らなかったから足を止めてしまった。

 だから周囲の茂みや木の陰に潜んでいたプレイヤーが投げて来た投擲専用の小さな剣――投剣と言うらしい――を受けてしまった。リーファは咄嗟に腰の長刀ジョワイユーズを抜き払い、軽くステップを踏みながら投剣を全て叩き落すか躱すかしていたが、私は碌に反応出来ずに受けてしまった。

 その投剣には麻痺毒が塗ってあったようで、状態異常に掛かってしまった私は身動きが取れなくなり、人質にされてしまった。

 

『あんさんも降参してもらおうか? 拒否したら、こっちのがどうなるか分からんで』

 

 攻撃が当たった事でオレンジになった男が首に腕を回してきて、両手を後ろ手に押さえ込まれた私の頬に、関西弁で喋る男が自らの剣を突き付けて言った。

 ユウキやアスナの剣は勿論、キリトのものより圧倒的に劣る、しかし私やリーファのものよりは絶対的に強いパラメータを持つ剣が、ギラリと陽光を反射して光る。男の眼に躊躇や怯えの色が無かった事からも抵抗したら本気で私を殺す事を理解させられた。

 それはリーファにも分かったのだろう。周囲の男達を警戒しながらも私を助け出すべく頭を働かせていた彼女は、男の言葉に強く歯を食い縛っていた。

 

『この、外道……ッ』

 

 普段の明るい性格、あるいはキリトとのやり取りの際に見せる慈愛溢れる様からは想像もつかないくらい低く、冷たく、恐ろしい声音でリーファは言った。

 《片手剣》の分類の長刀、その柄に巻かれている翠色の革が悲鳴を上げる。柄を持つ両手に籠められる力が一気に強まったからだ。

 声音と柄から上がる音がリーファの怒りを表していて、心底ゾッとさせられた。私は別に敵では無いのに、私にその怒りが向けられている訳では無いのに、冷たい何かが背中を走る程のものが、彼女からは感じられた。

 もしかしたらリーファはキリトから話を聞いて、男の容貌か口調からその名前を察していて、だからそこまで殺気立っていたのかもしれない。

 この世界はどう足掻いてもゲームのシステムから逃れられない仮想世界なので、リーファがどれだけ足掻いてもこの男達に勝利する事は出来ないのは明白だった。それでも彼女程の実力者なら、逃げに徹すれば逃れる事は出来ただろう。

 けれどリーファは逃げなかった。否、私が人質として囚われているから、逃げる事が許されなかったとも言える。

 私を見捨てて逃げてと、そう言いたかった。

 死にたい訳では無かった、死にたくないという想いもあった。けれどリーファまで捕まったら、それが私のせいでもあったら、キリトに顔向けできないと思ったから。リーファに迷惑を掛けたくないとも思ったから。

 だが、その言葉をリーファは予見していたのだろう、口を開こうとした矢先に殺気の籠った眼で睨まれ、言う事は出来なかった。

 そうして、リーファは長刀を鞘に納めた後、それを地面へと放って両手を上げて抵抗しない意を示した。剣道を長年続けている彼女からは考えられないくらい雑に刀を扱っていたが、それくらい怒りが強かったのだろう。

 無防備になったリーファは即座にオレンジになった男の投剣で麻痺させられ、倒れ込んだ。

 麻痺毒で抵抗出来ない状態になった私達は、関西弁の男――後からキバオウと名乗って名前を知った――が掲げた、つい数分前に見たばかりの深い蒼の六面柱結晶体によって移動させられた。

 その結晶――回廊結晶――が記録していた場所は、第一層《始まりの街》の外周部テラス。

 《始まりの街》は転移門から見て北側に《黒鉄宮》、南側にフィールドへと続く大門があり、東には教会がある。東西に伸びる道には至るところに露店が開かれており、以前教えてもらったように裏道には表通りより安価にアイテムが売られていたりもする。

 つまり《始まりの街》は第一層の構造的に最北端に位置しており、そして外周部テラスは《黒鉄宮》の中にあるという――私は見た事無い――《生命の碑》、それを通り過ぎた先に位置している。正に此処こそが第一層の最北端という訳だ。

 前にキリトが言っていた、『目の前で自殺した男』が飛び降りたのも恐らくは此処の事だろう。

 ちなみに、オレンジやレッドプレイヤーを閉じ込める為の施設《監獄》とやらも、この《黒鉄宮》内部に存在するらしい。《生命の碑》があるエリアに入り口があり、《アインクラッド解放軍》がそこに見張りを立てて人の出入りに規制を掛けているとか。

 オレンジの男も転移して来た時には驚いたが、キバオウ曰く、この外周部テラスは《圏外》領域にあるという。《黒鉄宮》内は街の中だから《圏内》なのにテラスは外周部扱いだから《圏外》扱いらしい。

 どうしてそんな設定なのかは分からないが、事実そうなっているからそう納得せざるを得ないと言っていた。

 

『……私達を捕まえて、どうするつもりなの』

 

 連れて来られ、男から降ろされた後、私はリーダーであろうキバオウを睨み付けながらそう問うた。

 その問いに、男はふん、と鼻を鳴らす。

 

『あんさんら、あの屑とそこそこ親しい仲なんやろ? やったら誘き出す餌には丁度良いからな』

『やっぱり……』

 

 キバオウの答えは予想通りのものだった。この男は矢鱈とキリトを――――《織斑一夏》を敵視していたという。神童と手を結んでいた辺りでその本気具合がよく分かるし、誅殺隊を率いているという話から本当に殺意があるのだと理解させられる。

 だからこそ、疑問が浮かんでいた。

 キリトが実兄とデュエルをしていたあの日、キバオウと肩を並べる程にキリトの事を疎んでいると思しき青髪の曲刀使い、《聖竜連合》のリーダーはキリトに対してある程度の理解を示していた。《ビーター》の事を忌み嫌い、闘技場の前でデュエルを吹っ掛けて殺そうとする程だったのに、だ。

 それなのにどうしてこの男はそこまでキリトの事を忌み嫌うのだろうか。それが気になっていた。

 

『何で……どうして、あの子をそこまで虐げるの。どうして見下し続けるの。あの子は、ずっと一人で頑張ってるのに、どうして下だと決め付けて殺そうとするのよ……!』

 

 その疑念は、不可解さは、彼の義姉であるリーファの方がよほど大きかったようで、我が事の如く悔しそうに涙を浮かべながら、キバオウを睨み付けつつそう疑問を投げかけていた。訴えていた。

 弟を想う、正真正銘の姉の訴えだった。

 その訴えに、キバオウは何とも言えない面持ちになっていた。面倒くさいとか、言葉に出来ないとかではない、他の何かの感情が浮かんでいた。

 最も近いもので表すなら……きっと、憐れみ、か。

 

『その物言いと《あの子》って言い方からするに、あんさんはあのガキを拾った家のモンか……あんさん、何も知らないで拾ったようやな』

『何がよ……ッ! 確かにあの子の事で知らない事はまだ沢山あるけど、でも、あの子自身を見ていない人にだけは言われたくないッ!!!』

 

 麻痺毒に冒されているから本来なら大声なんて出せない筈なのに、リーファは怒鳴っていた。体が動けば愛用の長刀を以て男を斬り裂いていたであろう怒気を発しながらの声に、周囲で待機していた数人のグリーンと一人のオレンジの男達が、僅かに怯む。

 リーファは声と気迫だけで、義弟を想う心一つで、圧倒的優位且つレベル的に強者である男達を圧倒していた。

 あるいは男達からすれば、直視する事も憚られるくらい気高かったからかもしれない。たとえ捨てられた子であろうと、疎まれた子であろうと、出来損ないと蔑まれていようと、それでも家族だと胸を張って真っ直ぐ言い張り、虐げている者達を弾劾するその姿は、何よりも気高く、尊かった。その姿に、同性ながら見惚れた。

 その彼女の姿を、キバオウは怯みはしなかったが、どこか感慨深げに目を眇めていた。

 

『……あんさんみたいな女が、もっと多かったら、良かったんやけどな』

『……どういう事?』

 

 疲れたような面持ちで、けれどどこか怨嗟を感じさせる物言いに、私はキリト達から聞き及んでいた印象から何か外れていると思って疑問を投げかけた。恐らくそこがキリトを疎み嫌う核心だと思ったからだ。

 私の問い掛けに、キバオウは視線を虚空へと向けた。

 

『リアルはISを使わん連中すら偉いみたいな女尊男卑風潮になってるやろ、罪も無い男が冤罪に掛けられて、道ですれ違った女から当然のように使いパシリにされる世ン中になってもうた……それを広めたンは大まかには二人。《篠ノ之束》と《織斑千冬》や』

 

 ISの発明者の女性と、IS操縦者の中でも世界最強に位置するブリュンヒルデと呼ばれた女性。

 確かに、ISが男女共に使えるならそんな風潮にならなかっただろうから、篠ノ之博士はその元凶とも言える。織斑千冬は博士の親友として、恐らくは試験段階のものを乗り回していただろうから他の者達よりも造詣が深く、アドバンテージがあった。

 発明者と最初に最強に至った者の国籍が互いに違っていれば日本の女尊男卑風潮はもっと緩やかなものだったに違いない、あるいはISの凄まじさがもっと少なかったら女性が調子づく事も無かったか少なく済んだだろう。

 織斑千冬は強過ぎたのだ。あまりにも強過ぎて、眩過ぎて、女性達が『ISを扱える自分達は男性よりも強いのだ』と勘違いしてしまった。ISを使える事が、そのまま男性を凌駕する事へと繋がってしまっていたのだ。

 私の学校にもそういう輩はいた。

 当然ながら私はそんな風潮に染まっていない。ISが使えるのは性別的なものでしかないし、使えるのであって扱う事に関しては別問題、技術的な部分で言えばプロに劣る事は理解していたからだ。生身では男に勝てないという事をあの事件を通して理解していた部分も手伝った。

 

『その風潮が広まった時、一番被害を受けたんは大人の男や。上司が女やったらリストラなんて当然で、同期で入社した連中で女は出世するが男はずっと下っ端なんてのもザラ……《モンド・グロッソ》なんてモンはワイらにとっては災害、《織斑千冬》なんて疫病神みたいなモンやった。生きる為に稼がないかんのに、それを妨げる風潮をドンドン進めるんやからな。それから能力に合わないのに高い立場に就いて、それでヘマすれば男が悪いと言う。男が最高責任者のとこを除く多くの企業はそうやって衰退して倒産。社員は路頭に迷って、追い詰められた挙句に犯罪に手を出してまう世の中になって、『だから男は』と見下す悪循環が生まれたんや』

 

 それは、分からなくも無い話ではある。

 ニシダさんはネットワーク関連の事で、技術的な話で復帰は難しいと言っていたが、実際は女尊男卑の事も絡んでいるだろう。一家の大黒柱である男性がリストラされやすく、出世し辛く、稼ぎにくい世の中はどこも傍迷惑もいいところだ。

 キバオウの口振りからするに恐らくそういう被害者の一人なのだろう。

 それとキリトを虐げる事に何の因果関係があるのかとも思うが。

 

『それとあの子に、どんな関係があるって言うの……!』

『その風潮を促してたんが《織斑一夏》やったからや』

『『……え』』

 

 リーファが堪え切れずに結論を求め、キバオウはすぐに答えを返した。その内容が予想外過ぎて思考停止してしまったが。

 キリトが女尊男卑を促す要因になっていたなんて初耳だ。キリトを引き取る際に色々と調べたと言っていたリーファすらもが驚き固まっているのを見るに、彼女も初耳だったらしい。

 これはキバオウが考えている個人的な見解なのだろうかと思った。

 しかし、その推測は早々に誤りだと思わされる。少なくともこの場に居るグリーンやオレンジといったキバオウに同調しているプレイヤーは、それが事実だと思っているようで、険しい面持ちで黙り込んでいたからだ。少なくともこの男達にとってそれは真実なのだ。

 

『女だけが使えるIS、それの操縦者の中でも圧倒的な強さを見せつけた《織斑千冬》……あの強さは、男のワイも憧れるモンがあった、それは認める。やけど、あの女は、あまりにも強過ぎた。《織斑》の名前がブランド化する程にな』

 

 『《織斑千冬》が凄い』のではなく、何時しか人々は『《織斑》が凄い』のだと思い始めた。

 キバオウ曰く、そこからが間違いだったという。

 

『《織斑》の一家が、あの姉と《織斑一夏》だけやったらまた違ったのかも知れん。そう思うくらいには年齢差があり過ぎなんや……やけど、実際はちゃう。神童と謳われてるガキがおった』

『織斑、秋十……』

 

 得も言われぬ何かが込められた声音で、リーファがその名前を口にする。

 キバオウはそれにこくりと頷いた。

 

『あのガキは年齢に反して凄過ぎた。文武両道を地で行っていたあのガキを大勢の人間が褒めて、『流石ブリュンヒルデの弟』と誰もが言っとった……あとは分かるやろ』

『あの子は、そこまでじゃなかったから……』

『《織斑秋十》が居なかったら、《織斑千冬》が凄過ぎなかったら、《モンド・グロッソ》に出場したんが《織斑千冬》やなかったら、《織斑一夏》が《出来損ない》と言われる事は無かった筈や……やけど、現実にはなってしもた』

 

 キバオウは、本格的にそれから女尊男卑が進み出した、と言った。明確な比較対象が生まれたからだ。

 世界最強の姉、神童の兄に比べ、弟の一夏は何もかもが中途半端か出来ないくらい不出来だった。幼いから出来ないのが当たり前なのに、ブランド化した《織斑》の一員だから出来て当然と誰も言わなかったのが災いして、それは徐々にエスカレート。

 それは、人々の不満が為した事だったのかもしれない。それは凄すぎる《織斑千冬》と《織斑秋十》に対する劣等感を誤魔化す為の行動だったのかもしれない。

 ともかく、《織斑一夏》は『男の代表』にされてしまった。それも『ダメな男の代表』に。

 キバオウは言う。恐らく女尊男卑を広めたのは、それで利権を得ようと画策した連中だったのだろうと、《織斑一夏》を標的にしたのは『男』という性別全体を貶めるのに格好の的だったからだろうと。

 《織斑秋十》は、少なくとも当時話に聞いた限りでは文武両道だったし、《織斑千冬》が目に掛けていた存在と知れ渡っていたから出来なかった。しようにも大半の人間より上の成績や結果を残していたからその策は成功しないと踏んでいたのだろう。

 だからこそ、まだ幼い《織斑一夏》が狙われた。

 まだ結果を出せる程に成熟しておらず、ものの道理を理解出来ていない子供なら、貶めるのは容易だったから。

 幼いから無理だろうという言葉も、あまりに凄い二人の姉と兄によってブランド化された《織斑の血》が邪魔をしてする。むしろ優秀な二人に教えられているのに出来ないのだから出来損ないだと、そう言われていたらしい。

 実際には、彼は何も教えられていなかった筈だ。多少は教えられていたかもしれないが、家事も勉強も何もかもが殆ど独学で、殆ど構ってもらえなかった筈だ。少なくとも兄からは虐げられてばかりだっただろう。

 その実態を知らない、上辺や噂でしか判断していない人間ばかりだったから、事は勝手に――一部の者にとっては計画通りに――進んでしまった。

 

『《織斑千冬》が途中で気付いていたらまた別やったろうけど、結局のところは後の祭り。それで調子づいた女が暴走して、気に入らない事があったら何かと男に当たり始めた。女尊男卑のせいで男は何言っても取り合われず、女はどんな我が儘でも通るようになって……!』

 

 ぎり、とキバオウが奥歯を食い縛る。過去に何かあったらしく、それを思い出したようで苛立ちを覚えているようだった。

 それを見て、リーファがハッと何かに気付いた顔をした。

 

『まさか……あの子を虐げてたのは、八つ当たりなの?! それだけの為にあなた達は命を狙って来たの?!』

 

 男性がどれだけ声を上げても、理不尽だと叫んでも改善されないなら、下を見れば気は済む。どうにもならないから、どうにも出来ないから、元凶では無いがそれに最も近い存在を虐げる事で無聊を慰める。

 それが今までキリトを虐げて来た、殺そうとしてきた真意なのかと問うリーファは、怒りに満ちていた。

 虐げられる義弟を想って怒る義姉の弾劾を受けたキバオウは、ぎゅっと眉を寄せて深い皺を眉間に刻み、険しい表情を浮かべる。

 

『……ワイはな、リアルではあの三人が通ってた小学校の体育教師をしてたから、それぞれの性格を知ってたんや』

『『ッ?!』』

 

 それは初耳だった。

 けれどそれが嘘だとは思わなかった。アルゴから聞いていたのだが、どうにもキバオウはリンドと違って《ビーター》では無く《織斑一夏》に対してヘイトを溜めていて、リアルで知り合っていたとしか思えない程だったという。

 しかもキリトと初めて会った筈の第一層攻略会議の時から既に喧嘩腰で、ボスを斃した後にはリアルの名前を言い当てる程だったから、その可能性は高かった。

 結論としては彼が通っていた小学校の教員の一人だった。それなら顔を知っていてもおかしくない、むしろ知らない方がおかしい話になる、《織斑》はあまりにも有名なのだから。

 

『《織斑千冬》は問題行動の多い《篠ノ之束》とつるんどったから近寄りたくなかった、《織斑秋十》は何考えてるか分からないガキやった。そん中で、まだ《織斑一夏》はマトモな感性をしとった方や、一回も暴れた事が無かったんやからな――――それがまさか、他のプレイヤーを見捨てる奴やったとは思わんかったわ!』

 

 『見捨てる』というのが始まりの日からキリトが取った単独行動の事を指しているのは、何となく理解出来た。元ベータテスターの大半が疎まれていたのも、ビギナーを見捨てて自己強化という利己に走り、効率のいい狩場やクエストを独占していたからだというのを聞いていたからだ。

 キバオウは他者を見捨てて利己に走った者の事が許せなかったのだろう。なまじ見知った顔で、更にはマトモだと思っていた者がそんな行動を取ったから、尚更怒りが大きくなっていた。

 およそ自身と関わりの無い者達の所業の全てを被ったのが、キリトの《ビーター》という忌み名である事を知っているから、キバオウの怒りの根源も何となく察せられた。

 しかしそれは流石に酷としか言えない。大人ですらどうすればいいか分からず右往左往し、今でも《始まりの街》に引き籠っている者が多いというのに、最初期の頃から他人を助ける為に動けというのは大人には勿論、子供には尚更酷だ。

 キリトは普段こそ精神年齢が高い振る舞いをするが実際は小学生に過ぎない。デスゲーム開始当時など小学三年生なのだからむしろ引っ張ってもらう立場だ。クラインを置いて先に進んだと言うが、その状況と事情ではむしろクラインが責められる方が自然だ、何故あんな子供を行かせたのだと。

 《織斑》だとか、ゲームセンスがあるとか、元ベータテスターとか以前に、人を率いる立場に立つにはそもそもからして幼過ぎるのである。

 仮にキリトが《始まりの街》で人に訴えかけていたとしても、その幼い容姿故に侮られ、聞く耳を持たれなかっただろう。

 それ以前に初日で《織斑一夏》とバレて、当時の惑乱や恐怖も相俟って多くの者がキリトを殺そうとした筈だ。人は行き場のない怒りやどうしようもない恐怖を、とにかく『誰かのせい』にして落ち着けようとする心理がある、大昔の人身御供や生贄がその一つ。

 人の為に動こうとしたキリトの決意を無視して、一時の鎮静を得ようとスケープゴートにしたのではないかとすら思える。何しろ、元ベータテスター達が持っていた『情報』というアドバンテージが既に無いというのに、それでもキリトの事を《ビーター》と蔑み、忌み嫌い、命を奪おうとしているのだから。

 そこに《織斑一夏》という大衆の多くが何らかの負の感情を向ける《織斑》の出来損ないという要素が加われば、その可能性は爆発的に上昇するに違いない。

 『この状況は出来損ないのせいだ』、『出来損ないが生きているからだ』。そう否応なしにキリトに何もかもを擦り付けて殺して。

 きっとそれを皮切りに次から次へと『少しでも生贄に出来そうな者』を殺していくだろう。タチが悪い事に大衆が決めて行動するから誰も止めようとしないし、止めれば自分がと考えるから止まりもしない、自分に矛先が向かない間はずっとそれの繰り返し。

 そして矛先が向いてから気付くのだ。

 

 ああ、こんな事は間違っている、と。

 

 死にたくないと。

 

 自分が当事者にならない限り気付かないから、ずっとキリトを殺そうと狙い続ける。

 《ビーター》として悪意と憎悪を一身に背負っているキリトは生きている限りそれらを背負わされる。

 そして彼はきっと死なないように死力を尽くす。何故なら、死ぬ事はすなわち、彼が護りたいと思っている人々の誰かが生贄にされる事を意味するから。

 キリトが《ビーター》に持たせた役割は、プレイヤー達が持つ行き場のない怒りや憎悪を一身に請け負う事で、秩序の崩壊や自殺者の続出を未然に防ぐ事。

 その役割の人物が居なくなれば、行き場のない怒りは次の標的を求めて彷徨う事となる。キリトに絞られていた狙いが別の存在へと向けられる。オレンジ達なら弱者へ、あるいはこの世界をクリアされたくないからと攻略組へ向けられるかもしれない。

 それをキバオウは理解していないのだ。

 いや、理解しようともしていない。キバオウにとってもう一年半も前に、キリトは絶対悪という理解する必要も無いと断じている存在になっているのだ。だから私達を攫って、誘き出す為の餌とした。所在が分からない、あるいは自身が行けない最前線に居るから、無理矢理出て来ざるを得ない状況にした。

 

 ――――そんな会話を交わしたのが、大体二時を回って少し経った頃だった。

 

 その対話からもう約八時間程も経っている。

 キバオウ達によってフレンド追跡が無効化されているし、メールが届いているけど返信出来るような状態ではなかったから、きっと今頃心配しているだろう。そう思うと胸の奥が疼いた。

 

「キリト……」

 

 テラスに寝転がされている私は浮遊城の外に広がる夜景へと目を向けて、脳裏に浮かべていた少年の名前を口にした。そうするだけでも胸の内が少しだけすっとする気がした。

 オレンジを一人だけ見張りに置いているだけで、キバオウ達はこのテラスに私達を放置してどこかへと去っている。

 麻痺毒を塗った小さな投剣を辛うじて動かせる右手では抜けない左大腿部に刺されたままなので、私達はずっと麻痺毒を解除されずにいる。そうする事でいちいち麻痺毒を掛け直す手間が省けるらしい。だからオレンジは適当に見張りをしていればいいだけという訳だ。

 

「シノンさん、起きたんですね」

 

 そうしていると隣から小さく私を呼ぶ声が聞こえた。私と同様に攫われ、麻痺毒で動けなくされているリーファの声だ。

 

「少し前に、そこのオレンジがあたしのフレンドメッセージで、キリトを此処に呼び付けました……多分、キバオウ達もそろそろ帰って来ると思います」

「そう……」

 

 どうやら私が疲労で眠っている間に、先に目覚めていたらしいリーファがその間にあった事を教えてくれた。

 予想していて現実に起こって欲しくない事が起こる事実に、落胆の気持ちが胸中に湧き上がった。キリトの力になりたいと思っていたのに、せめて足手纏いにはなりたくなかったのに、その結果がこれなのだからまったく笑えない。

 助けに来てくれるとは思う、その事はとても嬉しい。

 だが私達を人質にして自殺を要求する未来が予想される以上来ないでと思う自分もいる。

 このテラスが《圏外》である以上、キリトが何かしら意表を突く形で形勢逆転する可能性も無くは無いが、キバオウ相手にそれは難しいだろうと思えた。あの男は何かと今回本気でキリトを終わらせようとしているから生半な事では体勢を崩さないと思う。

 せめて私達が自分で身を守れるくらい強かったら話は別だったのだろうけど流石に時間が足りなさ過ぎた。

 なるようにしかならないから、私はもう諦めの境地だった。今の私に出来る事なんて無いのだと諦観していた。

 全てをキリトに任せなければならない現状に苛立ちを覚えたが、何も出来ないと諦観を覚えた時は、胸の奥がズキリと疼いた……そんな気がした。

 

 





 はい、如何だったでしょうか。

 麻痺させられている事をキリトがフレンドリストで把握出来ていないのは、クラディール回のようにマップから把握しないといけないから。リストから分かるのは位置情報とHP、所属ギルドや性別くらいなもので、マップで状態異常なども分かるという感じです。実際原典ゲーム(IM、HFなど)も状態異常はリストからの把握が出来ないです。

 圏外なんだから短剣刺さってるならHPは減るのでは、という点に関しては、使用されている短剣に継続ダメージが発生する《貫通属性》が無いからと解釈して下さい。あの属性があるのは短槍や長槍、ピック。短剣は斬撃、刺突属性カテゴリ。《圏内事件》辺りのヒースクリフ視点で武器属性に関しては語った覚えがある。

 さて、今話のリズ視点ではレイドパーティーの役割と戦い方、キリトの立ち回り方について描写しました。あくまで私の私見と原作や他の方のレイド戦シーンを読んでた印象を基に書いているので、十分異論は認めます。作品や人によって変わるでしょうから。

 でも本作では大体このイメージで書いています。リーパー戦も読み返せばパーティー別ですし、原作プログレッシブのコボルドロード戦も似た感じですしね。まぁ、本作のキリトは特化し過ぎですけど。一人レイド状態の戦力ですからね。

 それから、ほぼ予想されていたでしょうが、エリュシオンはキリトの手に渡りました。

 実はあの値段設定、メメタァな事を言えば第七十六層にリズが店を持つ際の資金源とする為に設定していた部分もあったり。割とポーションとかアイテムの値段設定が細かかったのもこの辺の解説で使うため。

 エリュシオンの見た目は、多分描写で何となく察されてるとは思いますが、原作キャリバー編のキリトが持ってる黒い剣をイメージしてます。アレはユナイティウォークスという名称で、名称だけ変わったと思って下さればいいです。

 つまりはSAO版のユナイティウォークスという感じでOK。

 自動的に対の剣を手に入れるイベント発生ですね!(尚、それまでキリトが使用する機会は少ない模様)

 あと件の物件が三階建てだとか生活スペースがある設定なのは、ゲームと違ってキリトやユウキ達が泊まる宿にリズとシリカが泊まれないから。構想ではここにリーファ達が転がり込む予定。

 さて、シノン視点について。

 察されていたと思いますが、キバオウが出張ってました。

 二人を捕まえた午後二時過ぎからシノンが目覚める午後十時までの間にあった、『疲労で眠ってしまう事』は敢えて抜かしてます。そっちよりもシノンの回想シーンの方が重要なので。

 リーファの姉らしい部分とか、キバオウの行動理由とか諸々書きましたが、如何だったでしょう。

 物凄く以前(大体二十話目前後くらい)の感想か後書き辺りに書いた気がしますが、キバオウは本作に於けるアンチ達の声を発信するキャラです。キバオウ個人の事情や心情も入ってはいますが、アンチ勢の中には少なからず、今話で明かされた事情で一夏/和人に当たっている者も居ます。

 まぁ、語られた内容的に、アキトが居る事、ないし居る事は良いとしても出来過ぎた事が原因なんですがね。キバオウも語っている通り千冬と一夏/和人とじゃ年齢差があり過ぎて較べられる訳が無いですし。それでも今まで虐げて来たのはリーファが言った通り完全に八つ当たり。キバオウも《織斑》のブランド化を受けて、十歳に達しない子供がデスゲームで人を助けられる訳が無いという真っ当な思考が出来てない。仮にクラインの庇護下に入っていればまた違ったかもですけど。

 これは事が終わったら鬼神リーファ爆誕フラグですな(嘘) キリトは泣いて怯える(尚、義弟には鬼神化しない(真))

 千冬? 一夏/和人の境遇について見ていなかったから怒る資格無し。そもそも女尊男卑風潮の原因の一端ですから。束さんもここは同様(尚、リーファ達から受ける眼に温度差がある)

 後半でシノンの推察が多くなってるのは、キバオウのセリフを敢えて少なくする事で、イメージ崩壊を防ぐ意味があったり。

 次話ではキリトが駆け付けて大暴れする予定。下層に戻れないのに第七十六層から第一層へ戻るとかどうやってという話ですが、どうするかは色々と予想してみて下さい。次話で答えが出るので。

 長文失礼。

 では、次話にてお会いしましょう。






 ――――《獣》が本格的に影響を出し始めました。



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