インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話はゲームのホロウ・フラグメント編が開始のお話、そのちょっと手前の話です。

 本格的に始まるのは七十五層攻略の日から三日後(次話)なんですが、今話はキリト落下直後のお話です。

 文字数は約一万八千。視点は読んでのお楽しみ。前半後半で、登場キャラもその二人だけです。

 ではどうぞ。




幕間之物語:義姉弟編 ~死後ノ楔~

 夢を見ていた。

 

『誰だテメェ!』

『《ビーター》……お前達を殺す為に来た、ただの出来損ないだよ』

 

 場所や状況は常にバラバラだが、必ず見る一幕。

 ヒトガタの頭上にある四角錐型のマークが緑色だろうと濃いオレンジ色だろうと関係なく、数人以上で固まっているガラの悪い連中を相手にそう名乗りを上げ、剣を抜くワンシーン。幾度と無く繰り返してきた己の過去。

 必ずでは無いが、半数以上は頭上に表示された横長のバーにあるゲージを全部無くして、その体を蒼い欠片へと爆散させていた。

 誰かがしなくちゃいけない事。する人物は何れ晒し者にされて、生きる場所を喪うからこそ、スケープゴートになり得る存在が必要だった。

 死の世界となった浮遊城の頂きへと進む為の秩序を整え、無秩序の氾濫を未然に防ぎ、その上で野心だとか権力だとかに興味など無く、自身を犠牲に出来る存在。自身の命すらもチップとして賭けられて、ものの道理、人道を踏み外していない者が必要だった。それを為すだけの実力を有する者が必要だった。

 最初はただ『皆の為』と思って、しただけだった。

 自分の過去を晒されて悪意をぶつけられる事も想定済みだった、それが無くても、悪意をぶつけられるように誘導する覚悟を固めていた。そうすれば馴染みの情報屋が責められる事は無いし、確執がある人達も、共通の敵を前に結託して立ち上がる事になって、結果的に攻略へと繋がると思ったから。

 だから、最初はただ『皆の為』と思って、しただけだった。

 

『この、人殺しがァッ!!!』

 

 けど、『皆の為』を想ってした事には、必ず『犠牲者』が出た。

 何もかもに出た訳では無い。むしろ出ないよう配慮していたし、死者が出ないよう配慮した結果、自分が誰よりも前に出て動き続ける事で減らそうとしていた。一番レベルが高かったし、幸か不幸か浮遊城の低層域であれば情報は既に持っていたから単独行動も普通に取れていた。

 その『犠牲者』の半分は、『犠牲者を出す者達』だった。

 どれだけ手を尽くしても減らない犯罪に手を染める者達が沢山いた。中には殺人を良しとするどころか快楽の為に率先して行う集団すらもが発起する始末で、どれだけ対処しても、後から後から湧いて出て来るだけ。カーソルがオレンジ色の者達を次々と監獄へと送って潰していっても、それでも活動は収まらなかった。

 何時しか、『それだけじゃダメなんだ』と、そう考えるようになった。

 それから自分も『犠牲者を出す者達』の一人になった。

 既に手を汚していたとは言え、その世界で人を殺した事は無くて、実際に殺した後は一日中手と足が震えていた。歯の音が合わなかった。

 けど、他の人はそれをする事が出来ない。たとえ自分に命の危機が迫っていたとしても、殺される寸前になったとしても、刃を向けられない。人を殺した時に責められるのが恐いから、人を殺したという罪悪感が嫌だから。

 『なら自分がしないといけない』と思った。『皆の為』に動くならそれくらいしないと、と思ったのだ。

 既にこの手は穢れていて、そしてその世界でも手を汚した以上綺麗事を言う事は許されなかった。馴染みの情報屋は酷く顔を渋らせていたし、幾度と無く止めて来たけど、もう止まらなかった、止められなかった。

 その時には、既に『人殺し』と周囲に知られていたから、今更止める事なんて許されなかったのだ。

 自分自身が『皆の為』を想って止めようと思わず、周囲が止める事を許さず、状況が止められない状態だったから、もう転がり落ちるように次々と人を斬っていった。その世界に囚われてから一年半が経つ頃には、もう人を斬った数は千には届いていないものの、優に五百は超えていた。

 剣を持つ手も、剣も、真っ赤な液体に濡れる幻が何時しか見えるようになった。

 何時からか、人を斬る事が作業と化していた。

 

『かずと……かずとなのね?!』

 

 そんな時に、出逢う筈も無い人と出逢った。

 

『出来損ないの一夏か!』

 

 その後に、自分を捨てた実の兄と出遭った。

 

『『家族殺し』をするつもりか?!』

 

『千冬姉が一人になって寂しがるぞ!』

 

 そして、その人をこの手で殺した。

 受け入れてくれない、認めてくれない実の兄は自分の大切な人の一人を殺そうとしていた。それだけでなく、明らかに生還の為に戦う集団を壊滅させる戦力を揃えていて、危険極まりなかった。

 私情と『皆の為』の想いを以て挑んで、そして殺した。

 その後、異常な状況下に置かれて、目まぐるしい事態を出来る限りの全力で対処した。それから“ともだち”と幾らか話して、大切な人のメールを受けて――――この世界に希望は無いのかと、あって欲しくない事態が現実となっている事に絶望した。

 何よりも、大切な二人が犯された事がショックだった。自分を誘き出す為の餌である事はすぐに分かったが、そのせいで、二人は大切なものを喪った。

 それをした者達を許せなくて、何よりも、それを看過してしまった自身の失態と暢気さが嫌で、二人が死にそうになるのを命と引き換えに助け出した。

 その代わり、自分は死んだ。

 

 死んだ筈なのだ。

 

 それなのに、どうしてか夢を見ている。これまでの軌跡を辿るかの如く。見返すかの如く。読み取るかの如く。

 まだ生きているのだろうかと思った。

 生きているのだとすれば、それは喜ばしい事だ。

 けれど現状を鑑みると決して喜べないし、嬉しくも無い。もう自分に帰るべき場所も無い。死者に帰る場所など用意されている筈も無い。オレンジへと堕ちた自分があの状況から生還する手立てなど無かったのだから。

 それなのにこうして思考出来ているのは、何故なのだろうか……?

 

 

 

 ――――起きて……起きてください。

 

 

 

 暖かな何かに包まれ、それに眠気を覚えながらゆったりと思考していると、何処かからそんな声が聞こえて来た。

 幼さが残っていて、けれどとても理知的な響きのそれは少女のもの。同時に酷く頭を、胸の内をざわつかせる、けれど暖かな気持ちになる穏やかな声。求めて止まない何かを持っているような響き。

 

 

 

 ――――起きてください、キー……起きてくれないと、困ってしまいます。

 

 

 

 微睡みに浸ろうとしている思考を刺激するように急かす催促が再度掛けられた。言葉通り困っているような印象を受ける声音は、けれどどこか楽しんでいるような、嬉しさを内包しているようにも思えた。

 暖かくて、柔らかな何かが感じられた。

 それらを感じた直後、ほっとする何かが湧き上がって、思考が更にゆったりと停止し始める。

 

 

 

 ――――困りました、全然起きません…………もう……こうなったら、最終手段ですから、ね……? キーが、イケナイんですからね……?

 

 

 

 困ってそうで、けれどどこか楽しんでる風な声音だった声は、そこに恥ずかしげな雰囲気も混ぜ込んでそう言って来た。

 何やら物騒な単語が聞こえたような気がするものの口調や雰囲気から多分自分の命を脅かすものではないだろうと考えると、その途端、ちょっとだけ回転した思考がまた錆び付いて、鈍い音と共に停止し始める。

 温かな微睡みと果てしない『ほっとするもの』を覚えて、また意識が没するその直前、ソレは唐突に襲って来た。

 

 

 

 ――――んむ……ん、ぅ……

 

 

 

 薄れに薄れ切った感覚が、無理矢理再接合されていく気持ち悪さが唐突にやって来て、しかしそれでも気持ち悪くない部分が幾つもあった。

 時間の感覚も無くて、主観的に数秒の後に漸く気持ち悪さが薄れた時には、夢に見ていた頃までは普通にあった体の感覚を取り戻していた。さっきの気持ち悪さは、全く感覚が無かった体に感覚を再接合する作業が齎していたものだったのだ。

 恐らく語り掛けていた声もどこか遠くのもののように思えていたのも、感覚が薄れていたからだろう。

 そしてその声の主は、予想以上に近くに居た。

 感覚が戻って瞼を開けて視覚を使えば、視界一杯に見覚えがある人物の顔があった。

 黒く艶やかな髪に健康的で白く柔らかそうな肌をしていて、視界端に白いワンピースが見えた事からも、一人しかいなかった。かつて消滅を覚悟で自分を助けてくれた二人目の義姉、ユイ姉である。

 目を開けた時、ユイ姉は何故か俺の視界の上下反対に映っていたのだが、どうも姿勢を見るに膝枕をしてくれているようだった。そう言えば何気に膝枕はされた事が無い気がする。

 

「ぁ、え、と……!」

 

 目の前で瞼を開けたからか、それとも身動ぎしたからか、何故か瞑っていた瞼を開けたユイ姉はこちらが目覚めた事を見て取るや否や、勢いよく顔を離した。物凄く頬を赤く染めていて、若干目が泳いでいた。恥ずかしそうに口元を手で押さえ隠している。

 

「ユイ姉……?」

 

 その様子に、膝枕をされていた俺は上体を起こした後、首を傾げてしまう。

 いや、そもそも様子どころか【カーディナル・システム】によって消去された筈のユイ姉が、どうして体を得てこうして存在しているのかが疑問だった。

 

「お、起きたんですね、キー……よかったです。何度も声を掛けても一向に目覚めなかったので、ちょっと強引な手段を取ったんですが――――性別が逆でも、成功するんですね、これ……」

「性別……? 逆……? 成功……?」

「あ、いえ、何でも無いです、別に気にしなくていい事ですから。とにかくキーが起きてよかったです」

「う、ん……?」

 

 軽く口元を手で隠しながら口にしている事が引っ掛かってオウム返しに問うが、早口で気にするなと言われてしまって、疑問を残しながらも頷いてしまう。頷いてしまったし、気にするなと言われてしまっては深く追及する事も出来ず、それは流す事にした。

 いや、それよりももっと重大な事を追求しなければならない。

 

「ユイ姉……」

「はい。何ですか、キー」

 

 名前を呼ぶと、ユイ姉はにこりと笑みを浮かべて、嬉しそうに返事をした。その顔からは、俺との会話が楽しくて堪らないという思いが感じられた。

 その表情と伝わって来る思いにそこはかとない喜びを覚えつつ、それを抑え込んで、大事な質問を投げかける為に口を開いた。

 

「消された筈のユイ姉が、何で……」

 

 元々MHCPであるユイ姉はプレイヤーとの接触が禁止されていた。

 しかし、職務と相反する命令のせいでエラーを溜め込んでいたユイ姉は、システムのエラー修正と探査機能が低下している間に接触して来ていた。本来ならそれはあり得ない事だから派手に動けば異物として削除される事は明白で、それを承知の上で俺を助けてくれた。

 あの地下迷宮で、レベル二〇〇というとんでもない能力を有した――更に話によれば無限湧き――死神型ボスを、消滅覚悟で永久抹消する《オブジェクト・イレイサー》を使用して救ってくれたユイ姉は、そのせいで【カーディナル・システム】から異物と判断され、削除されてしまった。

 それが認められなくて、意地で完全遮断される前のコンソールを操作して、どうにか削除対象となっていたユイ姉のデータの一部分を切り取って得たのが雫型のペンダントトップ。それをネックレスにして、普段首から掛けている。

 現状人の手によって運営されていない、そもそもシステムが人の手に頼らない自律システムであるからこそ、【カーディナル・システム】はこの世界に於いて絶対の最上位権限を有している事になる。GMであろうと、プレイヤー達の中では最高権限を有しているが、GMの権限を実行するのは【カーディナル・システム】なのだから、これにはどう足掻いても敵わない。勝つには現実側からのアプローチしかない。

 しかし現在のSAOはそのアプローチがほぼ皆無。

 厳密には失敗が囚われのSAOプレイヤー全員の死亡に繋がる危険性から、実行に移せていないだけ。

 つまりユイ姉の復活は外部からでなくてはいけないが、ログを追えても内部を精査出来ない以上は具体的な行動を起こせないのだから、外部によるユイ姉復活はあり得ない。内部は尚更あり得ない。

 だから俺はユイ姉がこうして目の前にいる事が不思議でならなかった。道理に反している。

 

「それに、俺はあの時……」

 

 道理に反していると言えば、俺自身もそう。

 オレンジの転移制限によってどう足掻いてもあの状況から生還する事は不可能だったのに、どうしてか今はこうして意識がある。体に異常が無いか確認してもアシュレイに仕立ててもらった愛用の【コート・オブ・ミッドナイトΩ】はそのままだし、指貫手袋やブーツもそのままだ。

 この時に俺はこの場所がどういったところなのかも気になって見回し、内心絶句した。

 床は半透明の分厚いガラスが敷き詰められていて、その下は何もない、と言うか上下前後左右全てに夜空が広がっていた。プラネタリウムの如く全方位に星の輝きのようなものが瞬いており、ガラス床の外周には黄金に光る0と1が無数に乱舞して大樹の根を縁取るような形を成していた。

 もう少し周囲を見渡せば、地下迷宮でも見た黒机のようなシステムコンソールと、《アインクラッド》の転移門と同じものが左右反対方向にあった。コンソールの上には文字列が浮遊城の形状を作り出していて、様々なデータが乱舞し続けている。

 星のように煌めく闇に包まれ、周囲には大樹の根を思わせるうねった形で永遠に流れ続ける黄色に光る無数の文字列、足元の床は半透明で深淵を覗かせるという、およそ《アインクラッド》には存在しないだろう中世ファンタジーの世界観を無視した異質な世界が広がっていたのだ。

 まさかここは死後の世界なのだろうかと思ったが、それなら俺が殺した人々や自殺した人々、ケイタやテツオ達も居ないと話が違う事になる。そもそも下に落ちたのだ、地獄のようなところならまだしもこれはおかしい、そもそも死後の世界なら転移門とかシステムコンソールがある筈も無い。

 一定時間経ったらここから消去されるとかなら辻褄は合うし納得もいくが、それでも抹消された筈のAIであるユイ姉がここに居る事に説明が付かない。

 

「……そう、ですね。まずキーには、それについて話さないといけません」

 

 俺の疑問を受けて、ユイ姉は仄かに微笑みを湛え、小さく頷いた。

 

「ですが……ごめんなさい。残念ながら、私にはそれを説明する事は出来ません」

 

 しかし、すぐに申し訳無さそうに目を伏せた。

 

「私自身、全てを把握している訳じゃないんです」

「……それは、ユイ姉自身の事を? それとも、俺の事を?」

「一応どちらも何となくでは察しが付いてますけど、推測で語るには情報が足りなさ過ぎていて、雲を掴むようと言いますか……」

「そうか……」

 

 確かに情報が足りないまま憶測で話を展開していくとそれが先入観になって他の思考に結び付かなくなる事が多い。実際元ベータテスター達が死んでいった原因は、そういった先入観だ。

 だからユイ姉が憶測でも話さない事は賢明だと言えた。

 

「ただ、それでも話せる事はあります……私は、キーの前から消滅してから今日まで、此処にずっと居ました」

 

 何故かは分からない。削除された筈のユイ姉は、訳も分からないまま、日時的に俺の前から姿を消してほぼすぐにこの場所へと移動していたらしい。気を喪っていて、気付けばここに居たものだから最初は困惑したと言った。

 コンソールを動かすだけの権限はあったから色々と調べたので、転移門らしきものから《アインクラッド》へと移動する事が出来る事は判明したものの、実際に転移しようとしてもユイ姉はエラーが出て転移出来なかったという。

 他に分かった事と言えば、この地がどういった場所なのか。

 

「此処は、《ホロウ・エリア》と呼ばれる大規模試験場なんです」

「《ホロウ・エリア》……ホロウ、か」

 

 大規模試験場というのも気になるが、最も気になったのはこのエリアの名前にあるホロウという名詞。何かと《アインクラッド》でも聞いて来た呼称だが、よもや此処ですらこれを耳にするとは思わなかった。

 闘技場のボスと言い、アキ兄の剣と言い、何かとホロウには縁がある。

 それはともかく、《ホロウ・エリア》は本来ならプレイヤーが立ち入る事は出来ない区域らしい。なんでも正式サービス開始、というよりデスゲーム開始と同時に閉鎖された立ち入り不可能区域のようで、行き来するためのゲートそのものがあり得ないのだという。

 《ホロウ・エリア》はユイ姉の話では大規模試験場。プレイヤーが本来入る事は許されない、謂わば運営専用のエリア。

 このエリアの目的は大まかには一つ、細かく言えば二つに分けられるという。

 究極的にはSAO正式サービスの舞台である《アインクラッド》に登場するモンスターや装備、アイテム、スキルなど全てのプログラムコードのデータを収集し、適切な範囲に効果を落とし、あるいは上げるなどのアップデートの検証試験をするのが、このエリアの大きな目的。

 厳密に言えば、アップデートの項目を創り出して検証試験をするのが一つ目。

 二つ目は《アインクラッド》全体で起こっている事象を観測し、データを収集し、蓄積する事。コンソールの上に浮遊城のデータが乱舞しているのはそういう訳らしい。

 この二つ目の目的から、《ホロウ・エリア》のシステムコンソールにはシステム的に改善案を練り出す機能が備わっているという。

 システム的に改善策が出るものなら自動で新規アップデート内容が更新され、データ収集試験がエリアの各地で行われ、十分な調整が行われた後にアップデートされるのを待つ。

 流石にアップデートに関しては手動で行う必要があるので、SAOがデスゲームとなって実質的にGMが存在しない今、一度もアップデートが実行された事は無く、待機状態の項目が増え続ける一方らしい。ユイ姉が確認した時点で既に数十のアップデート待機項目が存在していて、日に日に数個ずつ増えているという。まだ他にもあったらしいが結構な数が新規アップデートの下位互換であったため、自動的に削除されていって、数十個に収まっているとか。

 SAOサーバー内に存在しているため内部からはおろか外部からの干渉も一切出来ない完全に独立した領域は、何者かによって閉鎖された後も、【カーディナル・システム】によって運営・管理され続けていたのだ。

 《アインクラッド》だけでも相当な処理能力を要されるだろうに、それの情報収集と並行して、自動でアップデート項目を更新しているなんて、流石に【カーディナル・システム】の性能には感嘆せざるを得ない。

 

「恐らく、ですが……私が此処に来たのは、《アインクラッド》側で唯一GM権限を有する削除されたAIだからだと思うんです」

 

 ユイ姉は、地下迷宮で消滅してほぼ直後にこちらで目を覚ましたらしいが、その原因は己が有していたGM権限にあるのではないかと語った。もっと言えば、GMに限りなく近いAI――――MHCPだからではないか、と。

 前述した通り、《ホロウ・エリア》はシステムの方がアップデートを自動でデータを収集し、待機状態へと持って行っているが、《アインクラッド》や《ホロウ・エリア》への実際の反映は絶対に手動でするようにされている。

 しかし現状ではGMは居ないし、プレイヤーを入れる訳にはいかない以上、結局アップデート待機の項目数は増えるばかり。

 そこで目を付けたのが、システムの目を盗んで勝手に動き回ったMHCPのユイ姉だった。

 《ホロウ・エリア》は《アインクラッド》を観測し、データを収集し、蓄積する役割も担っている。つまり《アインクラッド》側で削除されたデータすらもログとして残しているという事でありそこから復元は可能なのだ。削除ログとして残っているのだから、リアルの人間の生命と違ってデータとして構成し直せば復元出来てしまう。

 そしてこの《ホロウ・エリア》でのGMか運営側のスタッフとして見立てる事にして、アップデートを反映させるようにしたのではないか、とユイ姉は語った。

 

「私がキーのところへ行けたのも、【カーディナル・システム】のエラー探査機能と修正機能が低下した事によるものですし、ALOという別ゲームからリーファさんが来てしまっている以上はシステム異常があるのも明白。なのでそれの修正パッチを当てる為のスタッフとして私をここへ召喚したのではないか……そう考えられるんです」

「なるほど……」

 

 確かにこちらであればユイ姉達MHCPが接触を禁じられているプレイヤーは一人も居ないし、自由に行動出来る上に、【カーディナル・システム】の指揮下にある従順な存在だ。立場としてもどちらかと言えば運営側なのだからそういうスタッフ代わりは務まるだろう。

 ユイ姉のように人格があるのならMHCPと言えども向き不向きがありそうな気はするけど、取り敢えずユイ姉はそういう事に関してしっかりとやり遂げると思うから、適任だと思う。

 しかしその推測、とても理に適っているとは思うのだけど、一つ矛盾点が出て来る。

 

「でも、それだと俺が此処に来るのはおかしいんじゃ……」

 

 MHCPはプレイヤーとの接触を禁じられている、これは恐らく今も不変の原則だ。

 それなのにプレイヤーの俺が此処に来てしまっては意味が無い。それ以前にその原則がある以上、仮に死んだプレイヤーがこちらに来るのだとしても、ユイ姉の近くには移されない筈だ。

 それとも前提が違うのかと、一旦視点を変えてみる。

 すなわち、原則によってユイ姉の近くに出る事はあり得ないから、その原則を押し付けている【カーディナル・システム】が此処へ移したのか、と。

 死んだプレイヤーが自動的に移される場合も【カーディナル・システム】がしている訳だが、俺がユイ姉の近くに来たのを、敢えてシステムがそうなるよう操作した結果だとすれば、これには何かしらの意図があるのではないかとも思える。

 そう考えれば、原則では無く、システムが立てた計画の何かに沿うようされているとして、ユイ姉とこうして会えたのにも辻褄が合う。

 対面に座ったまま眉根を寄せるユイ姉にこの推測を話してみると、それは考えていなかったようで、少し驚いたように目を見開いた。

 

「なるほど……前提を真逆にすれば、確かにおかしくはないですね。キーと再会出来たのが嬉しくて、てっきり偶然なのかとばかり思って、深く考えていませんでした」

「……俺もユイ姉と会えて嬉しいけど……」

 

 屈託のない、裏表のない素直な言葉を受けて、嬉しいと思った。たった一日しか触れ合っていなかったけれど、そんな短い時間の中でもそう想ってもらえているのは、凄く嬉しい。

 けれど、素直にそれを喜ぶ事は出来なかった。

 

「……キー? どうか、しましたか?」

 

 それを表情に出してしまって、ユイ姉に見咎められてしまった。不安そうな面持ちでユイ姉は手を握って、顔を覗き込んで、問うてくる。

 その綺麗な黒い瞳が眩しくて、直視出来なくて、今更ながら目を逸らしてしまった。

 

 ***

 

「キー……」

 

 会えて嬉しいと言った途端、以前とは違って煌めく光が瞳から失せた状態ながら真剣な面持ちで向き合って話し合っていたキーが今更ながら目を逸らした事に、私は少し悲しく思った。

 キーに説明した通り《ホロウ・エリア》は《アインクラッド》の全てを観測し、情報を収集し、蓄積している。その一部の閲覧を可能としているのが私とキーが居る此処【ホロウ・エリア管理区】のシステムコンソール。

 【カーディナル・システム】によって完璧に復元された私はMHCPとしての機能も有しているので、かつてのように限定的なGM権限も幾らか持ち合わせている。

 その権限とMHCPとしての機能を併用すれば、《アインクラッド》の様子を――特にキー個人なら――観測し続けるのは容易かった。

 私が居なくなった後も必死に戦って、泣いて、挫けそうになって、それでも戦って――――実の兄を殺した事で、その精神的なバランスが完全に崩れてしまった。

 それから多少時間を置いていたら幾らか持ち直していただろう。あるいはリー姉やアスナさん達の誰かが慰めていたり、我慢していた慟哭を受け止めていたならまた違っていただろう。

 リズさんは、そういう意味ではとても惜しかった。あそこでもう少し踏み込んでいればキーのせめてもの意地は破けていて、みっともなく、けれど尊く、子供らしい慟哭をぶつけていた筈だ。実兄と遭遇した後、ユウキさんに慰めてもらっていたように。

 けれどリズさんは踏み込まなかった、キーは意地を張ってしまった、そして間が悪く凶報が届いてしまった。

 タイミングが悪かったと言えばそうなのだろうが、悪すぎた。

 実兄を殺した事で自己嫌悪に陥っていたキーは、場所が場所、相手が相手なだけに動揺し過ぎた。普段の冷静さなんて欠片も無くリー姉とシノンさんを助けに行くことしか頭に無くて、暴走してしまった。

 もう少し冷静だったならキバオウがリー姉達を放り投げる前に仕留め、助け出せていただろう。

 一人目を殺した最初の一撃目は誰も反応出来ていない程の速度だったのだ、その速度を以てリーダーであるキバオウを斬っていれば、その部下達は混乱し烏合の衆と成り果てて、その刃の餌食になるしかなかった。

 指揮官を喪えばどうなるかなどキーはよく知っているのに、あまりにもキバオウ達への怒りと自身への怒りと苛立ちに囚われ過ぎたせいで、判断を見誤った。

 その末にリー姉達はテラスから放り投げられてしまい、キーは命と引き換えに、二人を転移で街へと送り、自身はそのまま落下した。

 ある意味で言えば自業自得なのだろうけど、原因はキーを虐げる者達にあるから、そんな事で責められない。自分の命をもっと大事にして欲しいと思うが、今それを言うのは流石に酷だ。

 ともかく、キーの今までを、そして私が居なくなってからのこれまでを見続けて来た私は、彼が私から目を逸らした理由にも察しが付いている。

 大方、自分と一緒にいたらまた襲われるとかだろう。

 その恐怖や懸念、危惧はして然るべきだ。リー姉達があんな事になっていたのに警戒していなかったらあまりにも安穏とし過ぎているとしか言えない。まぁ、アスナさん達への最初からの対応を考えれば、それをキーが考えていない筈も無い。

 その懸念は決しておかしくない。

 

 

 

 ――――しかしそれは普通のプレイヤーであればの話で、私には関係ない事だ

 

 

 

 だから私は、目を逸らしたキーの背中に両腕を回して、優しく、けれど強く抱き締めた。

 びくりと、愛しい義弟の小さな体は震える。

 その反応に、胸の内に小さくない疼痛を覚えながら、口を開く。

 

「……私はこっちに来てからも、MHCPの機能とコンソールの《アインクラッド》観測権限を用いて見てきました。キーの行動を、決断を、弱さを……全てを」

 

 人間には無限の可能性がある。数値には表し切れない永遠に変動するものがあって、それが要因で数値以下は当然として数値以上の結果を導き出せる事を知っている。キーが正にその筆頭だから。

 そんな彼の義理の姉として受け容れられた私は、人ではない。作られた人造生命、人工知能、AIだ。血の繋がりだとか、世間体だとかもこの世界では無い存在だ。

 

「キーが目を逸らしたのは、きっと『自分の近くに居たら死なせてしまうかもしれない』という思考が原因なのでしょう……でも、私は大丈夫です」

「……何で……」

「だって、私はAIです。こうして死んでも復活しています……不死身、ではありませんが、不滅なんです。このSAOが存在する限り、絶対に」

「な……」

 

 AIだからこそ、プログラムのみで構成されている身だからこそ、たとえこのアバターが破壊されようと幾らでも無限に復活する事が出来てしまう。

 それは本来のプレイヤーだって同じだが、この世界では違う、だからキーは恐怖する。HP全損が現実での死を意味する危険性が高い以上、キーが神経質になってしまうのも仕方が無い事。

 けれど、私にはその心配をする必要が無い。

 だって【カーディナル・システム】が私を無限に復活させるのだから。

 それには思い至らなかったらしいキーは驚愕に固まって、私の顔を見て来た。さっきは暗い表情で逸らされてしまったが、その可憐な顔を見せてくれて、表情が綻んでしまった。

 

「リー姉はプレイヤーですから、HPが全損したら死んでしまうかもしれない、そのためキーの懸念はあって然るべきで……けれど、私はAIで、この世界が存続する限り永久不滅です。ですから私に対してその懸念は的外れなんです」

「で、でも……」

 

 私の言い分で、キーは私と一緒に居る事に対する苦悩の前提を壊されたからか、酷く狼狽えた様子で、それでも反駁しようとする。

 伝わって来る感情は『喜び』と『希望』、それら二つを上回る『不安』と『焦燥』、そしてそれら四つ以上に大きな『恐怖』と『絶望』。最後の二つは実の兄を斃した時から常に、この子の感情の中でも最大級として存在し続けている。

 今のキーの感情は、私と触れ合っていた頃よりも負の想念が遥かに大きく、同時に正の感情は恐ろしく小さい。

 それが私にとって腹立たしく、そして哀しい。

 MHCPはボトムアップ型人工知能、すなわち小さな積み重ねで研究者達が定義する到達点《人間》へと人為的に至る存在だ。

 《AI》である私は《人間》であるキー達プレイヤーが抱く感情そのものを持ちはしないが、メンタルヘルスケアを行う事を仕事とするMHCPとして感情模倣プログラムを組まれているので、人を見続ける事で《人間》と遜色ないくらい思考や精神が成長していく。

 記憶を喪っていた頃でも私の存在を人と誰も信じて疑わなかったのは様々な会話に対する応答パターンが残っていたから。

 それは人も同じだ。

 《アインクラッド》にいる大半のNPCはある意味での極致だ。プログラムされた受け答えにしか反応しないし、反応もほぼ全て画一的で応用は当然変化も無い。

 しかし《自動言語化モジュール》と呼ばれるプログラムを搭載されている人工知能は『この問いかけにはこう答える』、『この話題にはこういう表情を見せる』といったパターンを無限に蓄積していき、それをある程度応用しながら繰り返していく。

 その一例がMHCP試作一号機の私だ。私の思考回路も、そして会話時の表情や選ぶ話題、声音も、全てはプレイヤーのやり取りを見て学習した結果だ。

 人間だと、生まれたばかりの赤子は何も知らなくて、親を、成長してからは周囲の人間を見て学習を重ねていく。感情の名前を知り、どういうものかを理解し、それに対する対処や行動を知って成長していく。その上で生きていく中で必ず生まれる感情に応じた言動を繰り返す。

 嬉しければ笑みを浮かべ、腹立たしければ表情を険しくして剣呑になり、哀しければ涙を流し、穏やかであれば表情は柔らかくなる。《人間》の基本感情である喜怒哀楽の全て、AIはプログラムに沿って学習を行っていく。

 その果てに私達AIは到達点《人間》へと、より厳密に言えば《大人の人間》へと辿り着く。

 しかし、それは《未成熟の人間》もまた同じだと、私は考えている。

 何も知らない生まれたばかりの子供は、作られたばかりのAIと同じで、そこから《人間》を見て学習し、成長していく。

 環境によって精神状態が変わる様に――丁度デスゲーム宣言の前と後で変わった様に――人の心は自身が生きる場所によって大きく変容するし、キーのように人間関係で悪化もすれば好転もする。その中での様々な学習で、子供は徐々に到達点《大人の人間》へと成長していく。

 何時だったか、とある女性はキーの事を《真っ白なカンバス》と例えた。

 《未成熟な人間》も人工知能も、正に《真っ白なカンバス》だ。それをどのように変えるかは全て生きる環境とその者を取り巻く人間次第。

 それを踏まえて私が例えるとすれば《真っ黒なカンバス》だ。混ざり合う事が出来ない拒絶される孤独の黒。ボロボロになってガタが来ても気付かれにくい、気付いてもらいにくい影の黒。何者の色をも受け容れ自分の色とする白ではなく、何者とも混ざり合わない孤高の黒。

 キーのカンバスの色は、その色らしさを引き立て調和させる白ではなく、何者の色も侵食して自分のものとする黒だと私は思う。

 無論他者の技術を学んで調和する事から白であるという意見にも納得はいくし、別段その考えに不満がある訳では無い。

 けれど周囲の影響を受ける事無く生きて来た事を考えれば、白よりは黒なのではないかと思う。周囲の無数の悪意と風潮、行動に対し、悉くを論理的に対応して来たのだから。

 

 

 

 だからこそ、だからこそ私は哀しい。

 

 

 

 どれだけ劣悪な環境を強いられようと、どれだけ人間関係を希薄なものにしなければならなかろうと、どれだけ悪意ある解釈で自身の善行の事実を捻じ曲げられようと、どれだけ幾度と無く大勢で命を狙われようと。

 

 

 

 それら理不尽な悪意に屈する事無く毅然として悪を演じて善を為し、剣を振るい続けた少年が、巨大な闇に心を蝕まれた事が。

 

 

 

 そして腹立たしい。

 

 

 

 優しく強い少年をここまで弱るまで貶めた《大人の人間》達が。

 

 

 

 デスゲームという理不尽な環境に身を置かれた者同士である事から環境の面はキーも他の者達もどうしようもないし、《ビーター》として振る舞っていた事からもキー自身にだってある程度の非はある。だから全面的に《大人の人間》達が悪いとは言わない。

 しかし、長らく観測し続けた中で見て来た《大人の人間》達は、子供と人工知能が行き着くべきとされている到達点にいる者達は、その多くが見るに堪えかねた。

 デスゲームである事に取り乱すのは当然だ。リアルの生活を考えて暗い気持ちになったり、『これは夢だ』と思って現実へ還る事を願って最悪身投げしたり、身投げする勇気は無いが戦う気概も無いから引き籠るのも理解出来る。イライラして人といがみ合うのも十分理解出来た。

 けれどどうしても理解不能な事があった。

 リアルで家計を支える大黒柱ではないからとか、『これはゲームだから』とある意味での現実逃避をしてきた可能性も無くはないが、キーは不安や恐れを抱きながらも剣を取った。ただ自分の為だけでは無く、人の為も含めて、浮遊城の頂きへ到達せんと剣を振るって来た。

 その実績はフロアボス討伐の戦歴とこれまでのLAボーナスの存在、何よりも主街区転移門のアクティベートで立証されている。

 多くのプレイヤーが恐れを抱いているボスとの死闘を、彼は何も情報が無い状態で偵察を行って、その上で今まで生き残って来た。

 多くのプレイヤーが結託して命を狙ってきて、幾度も命を落としかけたものの、毎回機転を利かしてどうにか生き残って来た。

 過程はどうあれ、キーは他のプレイヤー以上の実力者であると結果で明らかにしてきた。レベル、ステータス、スキル値、戦歴、装備、戦闘方法、戦闘経験、攻略効率の全てに於いて、他プレイヤーの追随を許さない結果を叩き出している。その幼さを考えればその価値が桁違いである事は明瞭だ。

 ユニークスキルは習得条件が些か特殊なので一旦除外だ。

 それなのに一部のプレイヤーを除いた大半の《大人の人間》達がそれらを虚構と言い張り、信じようとしない。共に戦った者達の功績だと言い、その場に居た訳でも無いのにまるで見て来たかのような口ぶりで騙りを働き、証拠すらも虚構という認識にして、キーを貶める。

 酷く非論理的な思考だった。理解しようとしても出来ないし、今となっては理解したくもない思考だ。理解出来たとしても応用する価値は皆無とすら思える。

 対するキーは、それに反比例するように酷く論理的な思考だった。

 《ビーター》の役割を淡々と――それなりに辛そうにしながらも――こなし、【黒の剣士】としての働きを今までと同じようにこなし、一部の者にすら中々素を見せようとせず、日々をただ戦いにだけ費やしてきた。

 周囲の人間はそれなりのスパンで休息を取っていた。戦い続ける事は不注意や死を招くと言って、大ギルドの殆どは週一の休暇を設けていた。

 けれど毎日死闘に身を置き続けた彼は特に疑問を抱いていなかった。アスナさん達はともあれ、他の多くは彼に休む事を心情的にも環境的にも許しはしなかった。実際に休んでもまた嘘だと信じて疑わなかった。

 周囲の人間はそれなりの頻度で娯楽を求め、時間を潰していた。生きて来た中で何らかの形で満たしていた欲、それを抑えられなくて、食文化への欲求は大きくなっていた。中には男女の行為を求めて犯罪に手を犯す者、あるいは合意の上で行う者もいた。

 けれどキーは毎日《攻略》という目的に務め、心を潰していた。欲と言えば、大抵自分一人の利益を度外視した、秩序を保つ為の《料理》や人々の利益を考えた《調薬》、システム外スキル構築といった攻略に役立つものへの研究欲ばかり。

 彼の欲を満たす行為ですらも根底は『人の為』なのだ。

 彼に自我はある、自己もある、欲もあるし心もあるが、しかしそれらは決して自身の為では無い。環境、役割、人間関係から求められている偶像と掲げている――掲げざるを得なかった――理想の全てが今のキーに自由を許していない。

 自分の意志など関係ないと言ってただただ役割を全うする事に重きを置いて動き続けるその様は、人工知能以上に人工らしい機械そのものを思わせる。秩序の保続を考えるなら部品の一部。

 個人的な感情の暴走が異例中の異例とさえ思われる程の一貫とした様は、無駄の多い《未成熟な人間》や《大人の人間》とは、とても似ても似つかない。

 その彼がここまで疲れ果て、弱り果て、維持に必要な部品としても役割の全うだけに動く機械としても動けなくなって、死に際になって漸くただの《未成熟な人間》としての姿を見せた。

 そして『人の為』と戦って来た少年は、自身が戦う理由である者達の悪意で心を蝕まれ、弱り果てて、その結果『死』を受け容れてしまっていた。

 

 

 

 ――――それが私はとても哀しかった

 

 

 

 この世界を解放すると確信していた義弟が、その確信を裏切った事にではなく、『死』を受け容れてしまうまで『生きる事』に希望を見出せなくなっている事が、私は哀しかった。

 だから私は希望を見出せなくなるくらい輝く眼から光が喪われたキーの心を、どうにかして支え、癒してあげたいと思った。これだけはMHCPとしての責務だとか強制力だとかではない、義理でもキーの姉としてそうしてあげたいと思った。

 その為にはここで反論を許してはならないと思って、言葉を畳みかける事にした。

 少しでもこの子を癒したいと一心に思いながら。

 

「いいですか、キー。想ってくれる、護ってくれる、慮ってくれる、それはとても嬉しいです、胸が高鳴ってしまうくらいです……でも、それが原因で距離を取られるのは、嫌なんです。哀しくなってしまいます。泣きたくなってしまうんです。大好きな相手から想われる事は嬉しいですが、大事にする余り距離を取られて、その間にキーだけが苦しむのは、私も苦しいんです。そしてキーに腹立たしい思いを募らせてしまうんです」

「腹立たしい、思いを……護ってる、のに……?」

「だからこそ、です……キーだって、リー姉が自分を護る為に傷付いてて、それでも『逃げて』と言われたら……嫌でしょう?」

「…………」

 

 その場を思い浮かべたのだろう、虚空を見上げたキーは、すぐにくしゃりと眉根を寄せ、こくりと無言で頷いた。

 厳密に言えば私が抱くものとキーが抱いたものは多少違うと思うが、大枠で言えば不快な気持ちとなった筈なので、これでいい。想像して、それを抱き、理解する事が今は重要なのだ。

 これで『想像出来ない』とか、『どうして』と問われていたら、お手上げというか何というか、少なくとも私ではどうにもならないところだった。人の心が分からない者に《心》の何たるかを語るには相応しくない私が語っても、肝心な部分は伝わらない筈だから。

 

「……も、もしかし、て……クライン達も、腹立たしく……?」

「思っていたとは思います。それがキーに対してか、それともキーを虐げる人達に対してかは分かりませんが、相当歯痒く思っていたと思いますよ……」

 

 否、確実に歯痒く思っていた。

 何しろ闘技場前のデュエルの話の時点でキーの理解者達は哀しい面持ちを浮かべていたのだ。キーに対する声に思うところがあるのに、それを一人で背負い続ける姿を見てクラインさんが歯痒く思わない筈が無い。事実第七十五層の折、あの侍は一番にキーを庇って、その事を告げていた。

 情報屋として交流が長いアルゴさんなど、キーの《ビーター》宣言の真意を知った途端怒りを顕わにしていたのだから。

 それを思い出したらしいキーはその心情を正確に察したのか、いよいよもって泣きそうな顔になった。

 

「キー、誰かの為と思って動くのは良いですが、何事も自分を一番大事にしないと、ただ痛々しいだけなんです。自分の事を自分で出来ない内から他人を助けててもそれは有難迷惑なだけ。本当に誰かを助けるなら、まずは自分自身を助けないとダメです」

 

 勿論誰かへの手助けが全く為にならないとは言わない。『情けは人の為ならず』という諺があるように、その手助けが巡り巡って思わぬところでキーへの恩返しや手助けとして返って来る事もあるだろう。

 そういう意味では、キーがずっとしてきた事も全ては無駄ではない。

 ただキーは、何事も遠慮し過ぎ、徹底し過ぎだったのだ。何もかも悪意を受けるようにしていたのはマズかった。

 もっと【黒の剣士】としての期待を前面に出していたならもしかしたら状況は変わっていたかもしれない。《ビーター》に対して不満を抱いていたリンドさんはここ最近かなり大人しくなって、キーに対して理解も示していた、第七十六層での対応がその証拠だ。少なくともそれがもう少し早まっていたのはほぼ確実だ。

 

「状況が状況なだけに仕方のない側面もありましたが……ともかく、私は死んでもまた復活するんです――――私と距離を取る必要なんてどこにも無いんですよ」

 

 そうして、ずっと言いたかった事を締めの言葉として言った。

 ずっとずっと親しい人達から距離を取らなければならない日々を送っていたキーは、精神面でボロボロでも、泣き言を洩らす事が許されなかった。ここ最近はよく洩らしていたようだがそれでも少な過ぎる。

 悔しさ、哀しさ、怒り、憎しみ、そして虚無感の全てを曝け出す機会に乏し過ぎる事に、私は胸を痛めた。

 MHCPの本能や職務だけでなく、義姉としての自覚が、そして何よりもこの少年に対する想いが、一緒に居るべきだと訴えていた。

 

「それに、ここにはキーを虐げる人達なんて居ません……離れなければならない原因が居ないんです」

「原因……原因は、俺で……」

「違います」

 

 また暗い表情で反論しようとするから、それを止めるように言葉を被せて否定した。

 

「キーが批判を受けるべき事なんてありません。勝手に周囲が言ってるだけ、好き勝手虐めてるだけなんです……もう我慢しなくていいんですよ。この《ホロウ・エリア》でなら貴方にも、ただ純粋に冒険を楽しむプレイヤーとして生きる事が許されているんです。誰もがしていながら、貴方だけ許されなかった事が、此処では出来るんですよ」

 

 広大な《ホロウ・エリア》は、《アインクラッド》と様々な面で趣が違うし、全てが未知なフィールドはそれはそれは探検のし甲斐があるだろう。

 《料理》や《調薬》の研究熱心な事、様々なシステム外スキルの構築とその練習からして、キーは未知を自らの手と足で探して見つけ出す事を喜びとしている節がある。

 この子にとって、《ホロウ・エリア》はこれ以上は無い幸せな世界になる筈だ。

 

「……攻略は……」

 

 それでも、キーは簡単には幸福の道を選ばなかった。此処まで言っても尚、苦しい世界の攻略について懸念を浮かべるとはもう涙が出て来るくらい真面目で、本当に真剣に取り組んでいたのだと理解させられる。

 それはきっと、幸福を得たら、その後の不幸や絶望が一際辛く感じられるからか。

 あるいは過去の罪が幸福を得る選択を阻んでいるのか。

 

「キーはこの一年七ヶ月もの間、ずっと戦ってきました……《攻略組》は貴方が居ないと崩壊するほど弱くない筈です」

「それは、そう……だけど……」

「確かに時間は掛かるとは思います。でも不可能ではありません。何よりあちらには開発責任者である茅場晶彦がいるんです……キーが重責を背負う必要は、もうどこにも無いんです」

 

 元々、キーのような子供が一人で背負うような重責では無かった。それを一年七ヶ月もの間、ずっと背負って生きて来て、人々の為と戦っているのに報われなかったのだ。もういい加減休んでも良いだろう。

 これでまだ働けと言う者が居たら、きっとその者は、鬼を通り越して、悪魔よりも最低な人格者だろう。

 

「今まで、よく頑張って来ましたね、キー……凄く偉かったですよ。自慢の弟です」

 

 そう言って、抱き締めているキーの頭に右手を乗せて、ゆっくりと撫でてやる。

 

「……ぁ、ぅ、あ……っ」

 

 暫く撫でていたら、私の右肩に顎を乗せているキーが僅かに嗚咽を洩らし始めた。

 以前消滅する間際はこの世界を解放する英雄となるに違いないとそう思っていた。実兄やキバオウさえ余計な行動を起こさなければ、本当にクリアまで行っていた可能性は十分にある。それくらいキーは強い。

 それをここまで弱らせた人々の心なんて見たくないと、私は思った。

 見たらきっと、私が私でなくなってしまう、人々の心を癒す事が仕事であり責務であるMHCPの私では耐えられずに消えると、そう確信めいた予感を抱く自分がいた。

 

「キーが戦わないといけない理由なんてもう無いんです……ゆっくりと休んでください。貴方には、休む権利があるんです」

 

 最初は自主的なものだったのだろうが、それがいつの間にか義務となって、キーの心を圧し潰しに掛かっていた。この小さな体では背負いきれない重責や重荷を背負っても尚立って戦い続けたその様を、英雄と言わずして何と言う。

 ずっと一人で最も危険な戦場を駆け抜けた英雄を、しっかり労い、休ませてあげたいと願って、私はそう言った。

 既に実兄を自らの手で殺めた事でいっぱいいっぱいで、更にリー姉達の事で完全に嵌まった自己嫌悪のサイクルから抜け出せていないのだ。

 今はとにかく休ませる事が最優先。

 自分の事は後回しにして何を言っても休まなくなってしまったら、あるいはどこかで折れるべきだったのに折れないまま――折れても無理矢理継ぎ接ぎで戻して――進んでしまったら、取り返しのつかない事になってしまう。

 そんな嫌な確信が私にはあった。

 

「もう……もう、大丈夫、ですから……」

 

 華奢な体を抱き締めながら言っている内に自然と涙を零す。胸中は、どうしようもない悲しみに満ちていた。

 キーの綺麗な瞳に光は戻らない。

 それが私は、堪らなく悔しく、哀しかった。

 




 はい、如何だったでしょうか。



 ――――何時からキリトはメインとして暫くは出ないと勘違いしていた?



 主人公が苦しんでこそ物語も映えるというものよ(嗤)

 そんなわけで、キリトはまだまだ戦います。絶望があってこそ幸せが映えるのですよ(幸せがあってこその絶望ですがね(嗤))

 それから超久し振りなユイ姉、アッサリと再登場です。そして今までのキリトの行動をバッチリモニタリングしていたという、ある意味恐怖な事実。この子病んだらストーカーになれるよ……

 よかったネキー坊、仮想世界ではお風呂入らない主義で。入ってたら間違いなくユイちゃん大興奮、いただかれてご馳走様な展開になってたヨ。寝ている間に既にナニかをされてたしね(白目) 見た目幼女で百合ィ……

 場所から分かるように、これから《ホロウ・フラグメント》編へと繋がる訳ですが、原典のゲームと違って基本的にシリアスです。ゲームのイベントはあんまり出ないかも。展開そのものはゲームシナリオに一応沿う予定。

 ユイがあそこにいたのは本人が語ってる感じで、GM権限を有する唯一の削除AIデータだったから。一応言っておくと割と自由に動き回れます。どの程度かは今後。

 何故修正パッチを当てるスタッフなのにシステム障害が健在なのか……それも今後です。

 それから、新章となるホロウ・フラグメント編は、《アインクラッド》攻略編と《ホロウ・エリア》探索編が同時進行です。キリトとユイは主に後者にて暫く活動します。

 細かい部分や各フロアボス戦は飛ばし飛ばしになって、イベント発生に妥当な時期に焦点を合わせて語る感じになるでしょう。本編最初ら辺のサクサク具合までは多分いかないかと。暫くは《ホロウ・エリア》導入部でしょうね(探索までが長いヨ)

 というか、第七十五層の中だけで既に四十話以上掛かってるのがアレなだけ。

 ちなみに、《ホロウ・エリア》探索の大筋はあんまり変わりませんので、実況動画などを見れば流れは分かる。基本キャラの立ち位置を入れ替えたり、追加したり程度なんで。無論、前話のようにオリジナル展開も含みます、全く同じでは書いている意味無いですし、信条(結果はともかく過程を変える)にも反しますので。

 では、次話にてお会いしましょう。


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