インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 相も変わらず全然進まねぇ……にも拘わらず問題は増える。

 単行本だったらここまでで軽く五、六冊出てるんですがねぇ……(汗)

 それはともかく、今話はオールルクス視点。ルクスが抱いている【黒の剣士】や【絶剣】に対する印象の他、樹海の中を進んでいる間の状況を描写します。

 漫画《ガールズ・オプス》の彼女を知っている方なら、もしやと思う部分があるかもしれませんね。

 文字数は約二万文字。

 ではどうぞ。



第六十七章 ~樹海での放浪~

 最前線で戦う人達の強さをこの目で見たのは、少し前に第七十五層主街区《コリニア》の闘技場で行われた戦いが初めてだった。

 最初に見たのは【黒の剣士】/《ビーター》が、たった一人で三体のボスと戦った《個人戦》。長刀使いの青年、戦斧使いの筋骨隆々とした狂人、そして黒尽くめの小柄な少年からなる戦いを、幾度も敗北に近付きながらも制したあの戦いが、攻略組の強さを見た初めての戦いだった。

 そして、ボスと戦うメンバーでの戦闘を見たのは、それから数日後にあった《レイド戦》。第一層、第二十五層、第五十層、第七十四層、そして《個人戦》の最後に出て来た小柄な少年からなる五つの戦い。激闘という激闘を制したのは、結果的に殆どが【黒の剣士】と呼ばれた幼い少年だった。

 【黒の剣士】/《ビーター》の事は、情報誌や人伝、噂話くらいでは聞いていた。

 曰く、織斑の出来損ないだ。

 曰く、情報を独占している卑怯者だ。

 曰く、裏でプレイヤーを殺し続けている狂人だ。

 曰く、単独でボスを斃せたのはチートをしているからだ。

 曰く、SAOのデスゲーム化に一枚噛んでいるのだ。

 曰く、ボスのラストアタックボーナスを誰にも渡さないようハイエナプレイをしている。

 曰く、曰く、曰く……

 悪い噂を挙げればキリがない。他人の悪いところを見るのにそこまで興味を持たない性格だが、そんな自分でもこれだけ知っているのだ、情報屋をしている人だったりゴシップが好きな人ならもっと知っているだろう。

 そんな話をそれなりに知っている私は、けれどその噂を、殆ど信じていなかった。

 二度に渡って行われた闘技場での戦いを観戦してからは、それが正しかったと思った。

 あの少年は、確かに織斑一夏という少年ではあったのだろう。

 けれど出来損ないなのだろうかと思っていた。本当に出来損ないなら、そもそも最前線で戦い続けられるとは思えなかったからだ、臆病な私みたいに。

 本当に情報を独占しているのだろうかと思った。本当に独占して、あの【鼠】と呼ばれている情報屋ですら知らない事も知っているなら、《個人戦》であれだけ苦戦する事は無かったように思える。

 本当にチートしているのだろうかと思った。本当にチートをしているのなら、これもまた同じようにあれだけ苦戦はしなかったと思う。まぁ、ユニークスキルを十種類も得た事に関しては、流石にどうなんだろうと首を傾げざるを得ないけど。

 本当にデスゲーム化に一枚噛んでいるのかと思った。本当に噛んでいるのだとすれば、一体何を目的にしているのか分からなかった。

 本当にハイエナプレイをしているのかと思った。《レイド戦》での戦闘を見る限り、むしろ彼以外のプレイヤーの実力が劣っているから、結果的にトドメを指す役回りになっているだけの印象を覚えた。

 人の噂なんて当てにならないが、あの少年に限って言えば、本当にまったく当てにならないと思う。むしろあんな幼い子供がそんな悪辣な事を出来るのかとすら思える。まぁ、《笑う棺桶》の壊滅に関してだけは、あの少年がした事を私はよく知っているが。

 大勢の人が《織斑》をあまり良く思っていないのは知っている。特に男性に限って言えば、篠ノ之束博士が世に送り出したISの欠陥のせいで女尊男卑風潮になって生き辛くなったのだ、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という諺にある通りどうしても辛辣に当たってしまうのは仕方がないと思う。それも、流石に誅殺隊とかは度が行き過ぎていると思うけど。

 ――――その少年と共に居た人達の事も、私にとっては印象的だった。

 《ソードアート・オンライン》はVRゲーム初のRPG系タイトル。中世ファンタジーを参考にした仮想世界の中で実際に剣を振るい戦っている体験が出来るこのゲームは、MMORPGというジャンルである事と、主に男子が好むリアルタイムバトルゲームである事に起因して、基本的に男性の方に人気があった。

 私のような女性にも人気は出たが、どちらかと言えばそれは興味本位という意味の方が大きかったように思う。無論、私のようなRPGが好きな女子も居るが。

 だからこの世界に、女性プレイヤーはそこまでログインしていない。

 情報屋によるとおよそ一万人のログインプレイヤーの内、女性の総人口はおよそ二千人弱、今となっては死亡プレイヤーから差し引いて約一千人程まで減っているらしい。酷ければ千人を下回るかもしれないとのことだ。

 そこまで現在の女性の人数が減っているのは、少し前に僅かな間だけ裏で横行した『ヤリ姦PK』の所為だ。主に女性に対して恨みがあったり、性欲を抑えられなくなった男性プレイヤー達が、オプションの物凄く深いところにある《倫理コード解除設定》の存在を知ったために横行した、酷いPK方法である。別名『レイプPK』とも言われている。

 対象としては主に《圏内》且つパブリックスペースを利用している女性、ないし、《圏外》で活動している低レベルプレイヤーの女性を標的にされた。

 あまりに酷いため、これについて知った情報屋及び【黒の剣士】/《ビーター》が即刻規制に動き、実行犯は監獄送りにしていたという。《圏外》で逃走あるいは反抗を行った者は最悪HP全損の憂き目にあったとも聞いている。それくらい男性プレイヤーが行った内容が酷かったという事だ。

 このPKに関してだが、標的にされた条件からして、基本的に『個人ホーム所有』と『高レベル』の二つを満たしている女性は対象から外れている。

 なので攻略組に所属していたプレイヤーは一切被害を被っていないらしい。前者の条件はともかく、後者に関してはそれなりに高レベルの男性も動いていたというから、本当に強いのだなと思っていた。

 闘技場で実際にその剣を見たが、やはり近くで見るのとは印象が違った。

 

「フィリア、スイッチッ!」

「了解ッ!」

 

 最後の一匹にまで減った蜂型モンスターの、浮遊城にいる個体では見られなかった動きの攻撃を連続でステップ回避し続ける短剣使いの女性フィリア。その彼女が作り出した隙に、スルリと自然に割り込んで斬り掛かる、紫紺色に身を固めた少女剣士ユウキ。

 細身ながら肉厚の片手直剣を右手に握っている彼女は、歩く剣を持ち上げて袈裟掛けに斬り掛かる構えを取った。

 すると剣から蒼い輝きが迸り、直後、袈裟掛け、右斬り上げ、左斬り上げ、逆袈裟の四連撃からなる《片手剣》ソードスキル《ホリゾンタル・スクエア》が放たれる。十字を二度描くように放たれた斬撃は綺麗に宙を不規則に舞う蜂に叩き込まれ、残り四割程となっていたHPゲージを一気に消し飛ばす。

 その剣速、剣閃、そして戦いの運び方全てがハイレベルで、とても綺麗だった。確かな経験によって整えられた剣技は私には美しく思えた。

 

「はぁ……凄い……」

 

 《レイド戦》では役割が決まっていて、それを十全にこなす事を優先していたから分からなかった剣技の美しさは、私に感嘆の息を吐かせるには十分過ぎた。正確な年齢は知らないけど多分同い年なのだろうユウキは、とても多くの経験をしてきたからこその美しさがあると思った。

 勿論強いけれど、何故だか彼女の剣は魅力的に映った。

 きっとそれは、ユウキが真剣に剣を鍛える事に打ち込んできたからこそなのだろう。生きる為に、現実へ帰る為にだけでなく、彼女自身が剣を鍛える事を好み、率先して強さを求めていたのだろうと思う。そうでなければただ強いだけだろうから。

 

「ん? 凄いって、何が?」

 

 しかし、その自覚は無いのだろうユウキは、私の独り言に反応して首を傾げ、問い掛けてきた。

 その表情は本当に不思議に思っていると分かるあどけないもので、さっきの剣がとても綺麗で、地道な努力をしてきたのだと一目で分かるものという事が分かっていないらしかった。

 

「ユウキの剣技がだよ。同じ片手剣使いである私ではとてもではないが真似出来ないくらい滑らかだった」

「そっか、ありがと」

 

 率直に思った事を口にすると、ユウキはにこやかに笑みを浮かべて礼を言って来た。

 しかしその笑顔は、すぐに屈託のないそれから苦笑へと置き換わる。

 

「とは言え、ボクもまだまだだよ。上には上がいるからね」

 

 謙遜しているように聞こえたがしかし本気でそう思っているらしく、虚空を見詰めて目を眇めたユウキは、どこか羨望と悔しさ、そして一抹の寂しさを顔に浮かべた。多分彼女が自分より上だと思っている人の事を考えているのだろう。

 

「ユウキちゃんより上って言うと……キリト君の事かな?」

「うん」

「キリト……あの【黒の剣士】の事か」

 

 レインの予想に頷いた事から、どうやら彼女が自分より上だと思っている人物とは【黒の剣士】/《ビーター》の事らしい。あれだけ幼い子供に対しても素直に敗けを認める辺り、第一印象から何となく察していたがかなり潔い性格のようだ。

 それはともかく、ユウキより強いと思われているプレイヤーであるあの少年は、確かに凄く強いのだろうと素直に私も思う。

 私があの少年の戦いを見たのは、恐らく殆どのプレイヤーと同じく闘技場《個人戦》の時が初めて。その時、彼は片手剣を両手に一本ずつ持った《二刀流》だったため、純粋には私やユウキのような片手剣使いとは言い難い。

 しかし、あの日からほんの少し前まではずっと片手剣使いで通していたらしいし、そういう意味では攻略組の中でも生粋の片手剣使いという事になるのだろう。【紅の騎士】や【絶剣】、【穹の騎士】を始め多くのプレイヤーが片手剣を使っているが、ソロでずっと活動し続けて来たという事はかなりの実力を有している証左に他ならない。ましてやユウキ本人が認めているのだ、その実力は相当なものなのは間違いない。

 

「以前したデュエルでは引き分けに終わったからね。年齢的に認めざるを得ないよ」

「えっ……ユウキは、彼とデュエルをした事があるのかい? しかも引き分け?」

 

 話に聞いた限り、《聖竜連合》のリーダーであるリンドや《アインクラッド解放軍》のサブリーダーであるキバオウ辺りとはよくしているが、他のプレイヤーとデュエルをしたという話は聞いた事が無い。仮にしていたらすぐ噂として広まる筈だ。

 聞いた事が無いという事は、つまり隠れてしたという事なのだろう。

 その疑問は自己解決出来るが、彼女程の剣士が引き分けになるとは少し予想外だった。大いに苦戦するとは言え勝つものだと思っていたのだが。

 それが顔に出ていたのか、ユウキは私を見て苦笑を浮かべ、困ったように眉尻を下げた。

 

「ああ、これは秘密でお願いね、広まったら面倒な事になるから」

「それは構わないけど……引き分けだったのか。仮にやり合ったら君が勝つんじゃないかと思っていたのだけど」

「ボクを高く買ってくれるのは嬉しいけどね、キリトの努力と潜り抜けて来た死線は半端じゃないからむしろ引き分けでもかなり奇跡的だと思うよ。正直負けて当然だった」

「そこまで彼は強いのか?!」

 

 第一層の頃から攻略組に、しかもソロで居続けているのだからキリトという少年が弱い筈が無いとは思っていたが、まさか【絶剣】とまで言われる彼女にそこまで言わせる程とは思わなかった。勝率なんて無いに等しいとは、それほど隔絶した実力差があったという事か。

 本当に、そんな少年がどうして出来損ないなどと呼ばれているか、私は分からなくなった。

 

「うーん……わたしとレインはそのデュエルを見てたけど、個人的には二人はかなりいい勝負をしてたと思う。レベルと装備のグレードの差から考えるとむしろユウキは凄く善戦した方だと思うよ」

「確かキリト君はレベル150オーバーなんだよね……それでほぼ互角って考えると、確かにユウキちゃんの実力は飛び抜けて高いって言えるよね。あんまりキリト君の事を悪く言いたくは無いけど、ぶっちゃければそれだけレベルとステータスに差があるのに押し切れなかったっていう事なんだし。仮に同レベルに同等のステータスだったらキリト君、手も足も出ずに負けてたんじゃないかな」

「んん……?」

 

 ユウキのデュエルを観戦していたらしい二人は、しかしどうも彼女の評価とはかなり反対の印象を抱いているらしい。

 まぁ、このSAOはスキル制だけでなくレベル制も取っていて、レベルに差が付けば付くほど理不尽なくらい補正が掛かる訳だし、本当にレベル150をオーバーしているのならむしろ引き分けに持ち込まれた【黒の剣士】の実力そのものは低いという事になる。

 いや、攻略組に居る時点でかなり高い方には入るのだろうけど、レインが言う通り仮にレベルやステータスが同ランクだったなら【黒の剣士】は彼女に押し切られ、敗北していたという事になる。

 けれど直に刃を交えた本人は、その少年の事を強いと言う。

 この差は一体何なのだろうか?

 

「二人が言う通り、確かにレベルの事を考えればキリトは弱いって言えるかもしれない、事実ボクもそこについて考えてはいるよ。でもそれを踏まえても、ボクはキリトの事を強いと思ってる」

「それは、どうして」

 

 周囲の警戒をして、フィリアから貰ったマッピングデータを確認しながら樹海の中を進むユウキに、本心で問い掛ける。

 私達三人を先導する形で前を歩くユウキは、チラリと横目で私を見た後、すぐにマップデータに視線を戻した。

 

「キリトはまだ十歳、このデスゲーム開始の日では九歳。しかもボクは姉ちゃんが居たし、レインやフィリアは色んな人に関わって何とか持ち堪えて来たし、多分ルクスも似た感じだとは思うけど、キリトはずっと独りだったんだ……本当に、ずっと」

 

 歩きながら、ユウキはどこか悔やむように、そう言う。

 

「誰からも蔑まれてた。誰からも嫌悪されてた。ある人には恨まれさえして……それでもキリトは、戦い続けて来た。レベル? ステータス? そんなのはただの数値だよ、時間さえ掛ければ誰だって到達出来る、安全性を優先すれば長くなるけど何れ誰でも辿り着ける。キリトの本当の強さは、そんな事があっても、命を投げ出さなかった心だ。生きる為に精一杯足掻く、生きる為なら苦しみすらも受け容れるその心こそがキリトの強さの源泉なんだよ」

 

 マップで道を確認したユウキは、そう言って顔を上げ、薄暗くなっている樹海の奥を見た。

 けれど、きっと今の彼女が視ているのは、樹海では無いだろう……

 

「その生き様にボクは惹かれた。その剣にボクは見惚れた……だからボクはまだまだなんだ。上には上が居る、きっと一生涯掛けたとしても追い抜けないだろう剣士が、少なくとも一人だけ」

 

 そこでユウキは、ふっと仄かに微苦笑を浮かべた。どこか満足そうで、儚く見える柔らかな笑みだった。

 

「仮にあのデュエルでボクが勝っていたとしても、勝負には勝っても、戦う前から既に負けていたも同然だった。キリトの強さは剣じゃない、剣を含めた、彼の心と生き様全てなんだよ」

 

 その表情は、どこか超然としていて、けれど何かに恋い焦がれているような少女のものにも私は見えた。

 その顔を見て、ああ、本当にあの少年の事を尊敬しているんだな、と思った。そしてきっとユウキは、あの少年の事が異性として好きなんだな、とも。フィリアやレインも、どこか暖かな眼差しで樹海の中を歩きながら語る少女を見ていた。

 

「そしてボクは確信した。心が折れない限り、きっとキリトは強くなり続けるって……――――そう、確信していたんだ」

 

 そこで、明るくて、楽しそうに、我が事のように誇らしげに語っていたユウキの声音が、唐突に沈んだ。

 何か大切なものを喪った子供のように哀しげな声音になって、いきなりな事に私は驚いてしまった。

 しかも何故そうなったのか、以前からユウキと知り合っていて、どうも【黒の剣士】とも知り合っているらしいレイン達も分からなかったようで、驚きの顔で首を傾げていた。

 

「ユウキちゃん……何か、あったの?」

 

 嫌な予感を覚えたのか、緊張に表情を張り詰めさせたレインが小さく問い掛けた。

 樹海の中を進んでいたユウキは、その問いを受けた途端、歩みを止めた。

 

「……レイン達は確か三日前からこっちに居るんだっけ。なら知らないのも無理は無いよね…………三日目の夜に、キリトは……」

 

 恐らく、【黒の剣士】の二つ名を背負う少年の身に何かがあったのだろう、それもこれからは強くなる姿を見られなくなるような事が。

 この世界でそんな事があるとしたら、それはもう、手遅れであるという状況しかない。

 ユウキの言葉は僅かに震えていて、先を言う事をどこか躊躇っているようにも思えた。それを表すように彼女の体はほんの僅かに、よく見ないと分からないくらい小刻みに震え、剣を握る手はぶるぶると大きく震える程に力が込められていた。

 それは実際に口にすると本当に認めてしまうからか。

 哀しみや悔しさ、あるいはそんな状況に陥れた人達への怒り故か。

 私はユウキ本人ではないし、あの少年とはまったく関係を持っていないから人となりも分からない。彼女があそこまであの少年の事を尊敬するような事を臆面もなく口にし、そして何かがあったのだろう事に感情を露わにしているのを見る限り、本当に想っていたのだとは分かるけれど、何を思考しているかまでは分からない。

 それでも、口にする事を躊躇っている事くらいは分かっていた。

 

「キリトは……もう……――――」

 

 意を決したのか、再度言葉を紡ぐユウキ。

 

 

 

『規定の時間に達しました』

 

 

 

「「「「ッ?!」」」」

 

 しかし、それは続かなかった。

 ギャアギャア、とどこかで怪鳥が啼く声が聞こえる静けさに包まれた樹海という環境、ユウキの言葉を聞くために押し黙っていた状況を引き裂くかの如く、唐突に樹海全体に響き渡るくらい大きな声が響いた。

 レイン達と合流してからも大神殿前で耳にした機械的な女性の声、システムアナウンスの声だ。

 それが唐突に耳朶を打ち、完全に予想していなかったため四人揃ってびくぅっと肩を震わせた。私やレインなんかは小さくではあるが軽く飛び上がるくらい驚いた。フィリアは目を白黒させていた。ユウキはどんな様子なのか後ろ姿からではいまいち把握出来なかったため分からない。

 

『《Grand Hollow Mission》、《Fragment Hollow Mission》、《Hollow Data》、Activating……Complete。高位権限保有者のテストを開始します』

 

 女性の機会音声が幾つかの流暢な英語を紡ぎ、最後に日本語で何かのテストを始めると宣言した。

 《高位権限保有者》というのは、恐らく右手に紋様が浮かんだユウキの事を指しているのだろうとは分かったけど、他はあまり分からない。まぁ、気が動転してしっかり聞き取れていなかったからでもあるけど。

 前半何と言ったか分からなかったので他の三人に訊くと、ユウキだけがしっかり聞き取れていたようで教えてくれた。他の二人も一番最初のだけは分からなかったらしい。

 最初に言われた英語は《グランド・ホロウミッション》。

 次に言われたのが《フラグメント・ホロウミッション》。

 そして最後に言われたのは《ホロウ・データ》だったらしい。

 ……見事なまでに《ホロウ》という単語が入っていて、ユウキが非常に微妙な顔をしていた。多分闘技場で出て来た小柄な人型ボスの事を考えていたのだと思う。

 

「多分ユウキに対するテストだろうけど……何をするんだろう? クエストか何かかな?」

「フィリア、その予想、当たりみたいだよ。クエスト受注欄に何か更新されてた」

 

 フィリアが眉根を寄せながら予想を口にすると、ユウキはメニューを繰りながら――直前で虚空を指さしていたので恐らく通知があったのだろう――そう言った。私達が首を傾げると、彼女はウィンドウを可視状態にしてこちらに見せて来た。

 そのウィンドウには、現在ユウキが受けている第七十六層でのクエストの他に、私達では見慣れない項目が追加されていた。

 受注したクエストを確認する為のそのウィンドウは、基本的に三つの板面で構成されている。《受注中クエスト》、《達成未報告クエスト》、そして《達成済みクエスト》の計三つ。

 一つ目は文字通り受注しており、且つ進行中のもの。どれだけMobを討伐したか、必要なアイテムは手持ちでどれだけ集まったかもカウントされるため、結構便利だ。

 二つ目は条件をクリアしたものの、クエストボードや発注したNPCに達成報告をしていないクエストのもの。街を出る前や戻って来た時に確認するクセを付けておけば報告忘れもあまり無い。達成した時には視界端に通知が出るのだが、流石にど忘れしないとも限らない。それが期間限定ものだったりすれば目も当てられないだろう。

 三つ目はそのプレイヤーが今までどんなクエストをクリアしてきたかが全て載せられている。情報屋にクエスト関連のものがクリア条件含めて行き渡るのは、この項目があるからこそだ、そうでなければかなりの漏れがあったのは想像に難くない。

 ここまでは全てのプレイヤー共通、これ以外はある筈が無い。

 SAOのウィンドウは背景や文字のフォントといった《スキン》と呼ばれるものは、システムに予め設定されているデフォルトのものの他に、プレイヤーが好きに弄れる設定も存在している。まぁ、それをする物好きはあまりいないけど。

 ともあれ《スキン》に関しては、プレイヤーがその気になれば色々と弄る事は出来るが、逆に言えばそれだけだ。項目を増やす事や減らす事は勿論、順番を変える事も叶わない。それが一つの項目の細部にあるものであれば猶更だ。何しろその辺を不変にしておかないとデータコードが合わなくなってバグが発生する可能性を高くしてしまうのだから。

 だから変化などある筈も無いのに、ユウキが見せてくれたクエスト欄には項目が二つ追加されていた。

 一つ目は《ホロウミッション》。

 恐らくこれはさっき響いたアナウンスによって追加されたもので、多分クエストのように一定の条件を満たすものなのだろう、とユウキは予想していた。何故ホロウとあるのか気にはなるが、《ホロウ・エリア》という場所で発生したミッションだから、と安直に考える事にした。実際当たってる気がする。

 その項目には、現在進行中のミッションがあった。内容は特定のネームドモンスターを討伐、且つ指定の場所まで移動する事でクリア。報酬は無いのでアナウンスにあった通りただのテスト用らしい。まぁ、流石にネームドを倒した時に経験値とコルは貰えるだろう。

 二つ目は《実装エレメント調査項目》。

 エレメントと言うからには何か物質的なものなのか、しかし調査とは何だろうと疑問を覚えつつその項目に目を通す事暫くして、思わず私は眉根を寄せてしまった。

 その項目は樹形図の如く、一つをこなせば次のものが解放されてどんどん広がっていく仕様だった。こなすには設定された条件を満たしていく必要があるが、通常のクエストと異なってそれらは特定のモンスターを討伐したりアイテムを集めるのではなく、累計与ダメージや回復量、状態異常に掛かる回数の他、種類は何でもいいから特定のレベル以上のモンスター――大体が一三〇以上を要されている――を指定数討伐する事だった。

 そして得られる報酬は、《アインクラッド》にレアな装備をドロップさせたり、既定の階層に特有の効果が付与された装備を売るようにしたりなど、まるでアップデートをするかのようなものばかり。クリアすればすぐに得られるのではなく、まるで現状のデータに新しいアイテムやシステムを追加するようなものだった。しかも追加するには《ホロウポイント》と呼ばれる、ホロウミッションを終える事で一定量入手出来るポイントを規定量消費しなければならないらしい。

 とは言え、それでもその報酬として挙げられている装備品やポーション類、あるいは新規システム、ソードスキルなどは全て現行には無いもので、とても魅力的に映った。

 

「うわ、このエレメント報酬の籠手、防御無視バフがある……クリティカルダメージ量が若干下がるけど、でもこれは魅力的だなぁ……」

 

 ユウキがその項目を繰りながら見ていて、一際目に付いたものを見つけたらしくそう言った。私も見たが防具の性能そのものよりもバフの方が強力だった。

 他の装備品も、性能は高めだけれど、どちらかと言えばバフの方が重視されている印象がある。

 これは多分現行の装備品にバフが付与されているものはあまり無いからだろうなぁと思った。あっても獣系特攻、竜系特攻だったり、一部ステータス増強くらいだから、防御無視なんて途轍もないバフは今まで見た事が無かった。他に見ていると『HP減少分攻撃力上昇』なんてバフもあるし、今まで見た事の無い装備品が沢山ある。

 惜しむらくは、それがユウキにしか出ていない事と、それらの条件を達成するのに結構な時間が掛かる事だろう。中にはホロウミッションを規定数クリアとかもある。

 なお、エレメント調査はホロウミッション中、しかも一度に一つしかカウントされない仕様らしい。多分これは一つに絞る事で現行のフォーマットに合わせる事でバグの発生を未然に防ごうとしているのだろう、とユウキは語った。

 

「……はぁ……」

 

 その彼女も面倒くさいと思っているのか少し不満そうにしていて、全ての項目を流し見た後に大きな溜め息を一つ吐いた。

 

「この《ホロウ・エリア》に来てからというもの、本当によく分からない事が続くなぁ……」

「あはは……特にユウキちゃんには紋様が出たしね」

「別に望んでいないのに……まぁ、それはいいや。今はホロウミッションのクリアに専念しよっか。とは言え、ネームドモンスターの場所が分からないけど」

 

 ユウキはそう言うと、気を取り直してマップを再度確認した。可視状態になっているマップには、恐らくホロウミッションに指定されている場所に紅いラインが引かれ、明滅しているが、討伐指定のネームドモンスターの場所までは流石に分かっていなかった。

 つまりホロウミッションを終えるにはこの辺一帯を歩き回らなければならないという事だろう。

 テストという事だし、多分これはクリアしないと他のミッションやエレメント調査が出来ないだろうから、探さなければならないようだ。これが任意であれば無視する事も出来たのだろうけど、下手に無視して紋様が消えてしまったら現状唯一《アインクラッド》へ帰る為の手掛かりを喪う事になってしまうから、それは出来ないようだった。

 

「出来れば近くに居てくれると助かるんだけどなー……――――ん?」

 

 マップを閉じてまた溜め息を吐きながら、周囲の樹海を見回すユウキ。

 すると、ふとあるところに彼女は視線を止めた。その双眸は限界まで見開かれていて、表情も驚愕と戦慄に凍っているように見える。まるで、ある筈の無いものを見た、とでも言うかのように。

 

「ユウキ? どうかしたのかい?」

「――――」

 

 いきなり薄暗い樹海の奥地を眺めて固まったものだから疑問に思って呼びかけるが、彼女は反応を返さない。無視しているというよりは私の声など聞こえていないくらい何かに没頭していると言っても良い。

 ならその視線の先に何があるのだろうと思って私も、恐らく同じ考えに至ったのだろうレインとフィリアも、同時にユウキが顔を向けている方に視線を向けた。

 

 

 

 ――――そこには、一人のプレイヤーが立っていた。

 

 

 

 私達が固まっている場所からおよそ二〇メートル離れた場所にて佇んでいる人影。

 その人影は、一言で言えば《黒》だった。顔はフードを被っているせいで見えず、手も黒革の手袋で指先まで覆われている。裾は足首程まであるロングコートを纏っていて、前はジッパーで閉じられていて、首元からは銀色のチェーンが左右一本ずつ垂れ下がっていた。当然履いている靴も黒い革製の代物。

 どこからどう見ても、闘技場《個人戦》と《レイド戦》の最後に出て来た人型ボスの見た目をしていた。

 ただあの人型ボスや【黒の剣士】と異なっている点があった。背丈だ。

 人型ボスは分からないが、殆ど同じ背丈らしい【黒の剣士】はユウキや私の首元程の高さしかない。

 しかし今私達の視線を釘付けにしている黒コートのプレイヤーの身長はどう見ても大人のそれで、パッと見では私より頭半分は大きい。もしかしたらもう少し大きいからもしれない。離れていてもそれくらい高いのが分かった。

 全身黒尽くめの恰好は途轍もなく怪しく、《圏外》で鉢合わせした時に剣を向けられても正直文句を言えない恰好なので、殆どのプレイヤーは避けている。流石に雨が降っている時は雨よけの為にポンチョやコートを着るが、普段は着用しないのが普通だ。正直戦闘し辛くなるデメリットもあるから多くの人はあまり好まない。

 普段から黒尽くめなのは、【黒の剣士】という二つ名で呼ばれているあの少年くらいなもの。

 逆に言えば、黒尽くめで身長が低ければ、それはほぼ間違いなく【黒の剣士】と言える。

 つまり黒尽くめでも、背丈が大人のそれであれば、絶対【黒の剣士】とは言えない。最悪グリーンカーソルのオレンジやレッドプレイヤーという可能性もある。

 少し離れたところで佇んでこちらをじっとフードの奥から見ているプレイヤーの頭上にあるカーソルの色は――――無かった。

 

「えっ……カーソルが、無い?!」

 

 予想外な事に、背の高い黒尽くめの頭上にはカーソルが表示されていなかった。

 通常、プレイヤーにはグリーンかオレンジ、モンスターには自分より弱いピンクから強過ぎるクリムゾンブラック、NPCにはイエローかイネーブルーが振られているのだが、黒尽くめのプレイヤーにはカーソルが表示されていなかった。ハイディングしていたならあり得ただろうが、こうして姿をしっかり見ている以上は絶対表示される筈なのだ。恐らく他の方法でカーソルを隠す手段は無い筈だ。

 それなのに表示されないという事は、アレはもしかして張りぼてか何かなのだろうかと思った。

 動的オブジェクトには必ずカーソルが表示されるのだが、地面に落ちている石や立て掛けられた看板、木箱、あるいは落としたポーションに装備品などにはカーソルが表示されない。だから私は、ひょっとするとあの人影も案山子のような静的オブジェクトの類なのかと思った。

 しかし、私のその思考は次の瞬間裏切られる。

 案山子や張りぼてなのかとそう考えた直後に黒尽くめの人影がこちらに向けていた視線を切り、背後へ向き直ったからだった。

 こちらに背を向けた形になる黒コートのプレイヤーは、そのまま樹海の奥地へ進むために足を踏み出した。

 

「あっ、ま……待って!」

 

 そこで、これまでずっと黒フードのプレイヤーを見て固まっていたユウキが口を開き、呼び止めた。

 黒コートのプレイヤーはそれで足を止め、左肩越しにこちらへ振り返る。

 

『――――』

 

 声は、聞こえなかった。

 それでも何かを喋ったのはフードの動きから分かった。

 何となくではあるが、『付いて来い』――――そう言ったように思えた。

 そう思っている間に黒フードのプレイヤーは踵を返し、今度こそ奥地へ向けて走り出す。

 

「ま、待って!」

 

 それを見て、何やら様子がおかしくなっているユウキが、親を追い掛ける子供のような表情と声音をして駆け出した。

 ただ黒フードのプレイヤーを追い掛ける事にだけ意識を集中している事が見て取れて、周囲の警戒はおろか、あの黒フードが誘いを掛けているオレンジの類という可能性も考慮していないと分かる様子だった。

 

「待ってくれ、ユウキ!」

「ゆ、ユウキちゃん、ちょっと待って!」

「ユウキ!」

 

 三人で慌てて呼びかけて走り出すが、どうやらユウキは同レベルのフィリアよりも敏捷値にステータスボーナスを振っているのか、あるいは装備の付与効果で敏捷値が高くなっているのか、誰も追い付けず、むしろどんどん引き離されていく。

 

「くっ……やっぱり、私じゃ遅いか……!」

 

 ここで見失ってはマズい事は分かっていたが、どうしてもレベルの差が結構開いている私では他の二人よりも走る速度が遅くて、距離が大きく開いてしまった。

 

「仕方ない、わたしが先行するから、レインは私の反応を追ってルクスと一緒に追って来て!」

「それしかないよね……分かった! フィリアちゃん、無茶しないようにね!」

「分かってる!」

 

 このまま固まって動いていると本当にユウキを見失いかねないと判断したからか、フィリアが少し焦りながら提案する。同じ事を考えていたのかレインがすぐに注意を促すと共に応じると、彼女は一つ頷いて、全力疾走し始めた。その速度はやはり私に合わせていたからかとても速く、あっという間に先へ進んでしまう。

 これまでの時間を殆ど一人で過ごし、レベリングも野良パーティーを組む事すら稀だったので一人で行っていた私はそれなりに高レベルではあると自負していたのだが、この差を見てしまっては、本当の高レベルというものをまざまざと感じさせられる。

 足手纏いにしかなっていないと気持ちが暗くなってしまった。

 

「ルクスちゃん、気にし過ぎちゃダメだよ。最前線で戦ってるかどうかで付いた差なんだから気にする必要も無いの」

「レイン……」

 

 全力で走りながらも考え事をしていた私の様子に気付いたのか、ステータス的に余力があるらしいレインがそう言って来た。

 確かにユウキは最前線で戦うトッププレイヤーの一人だし、レインとフィリアも最前線近くでダンジョンアタックを日常的にしているらしいから、最前線から十層前後下の階層で活動している私より高レベルなのは自明の理。最前線組は未知の領域に踏み込む以上、いっそ過剰な程の安全マージンを取っておかないとすぐ死にかねないのだし、そもそも較べる方がおかしな話なのだろう。

 それでも、今の状況で足手纏いになっている事の言い訳には使えない。たとえ私自身に非はないとしてもだ。

 

「……そうだね」

 

 とは言え、それを分かった上でレインは言ってきているのだと分かったので、表面上は納得した風を装っておく事にした。この気持ちが解消されるのは多分彼女達と同等のレベルと強さを得て、力になる事で恩返しした時だろう。

 上手く騙せたか、それとも見抜いた上で今は何を言っても無駄だと判断して流す事にしたのか、レインは少しの間はこちらを見ていたが、すぐに視線を前方へと移した。

 釣られて私も目を向ければ、三十メートル程先の地点で紫紺色の少女と青色の女性が並んで立ち止まっていた。黒コートのプレイヤーの姿は見えない。

 

「や、やっと追い付いたぁ……! もう、ユウキちゃん、いきなりどうしたの? 一人で突っ走るなんてちょっとらしくないんじゃない?」

 

 残りの距離を走り終え、漸く先行していたフィリアと突っ走っていたユウキの下に辿り着いてすぐ、レインが先の行動についてユウキに言及した。

 それに、樹海の先を眉根を寄せた顔で見ていたユウキは、ばつが悪そうな表情を浮かべた。

 

「ごめん……もしかしたら、キリトかもって思ったんだ」

「え? でもキリト君って、もっと背が低いでしょ? わたしの胸程の高さしか無かった筈だけど……」

 

 レインは私やユウキより少し背が高いけど、どちらにせよあの少年の背丈は私達の首には届かない程度しかないのは周知の事実。あの黒コートのプレイヤーはこの四人の誰よりも背が高かったのだから、明らかに背丈が合わないだろう。

 しかし、ユウキはレインのその指摘に対しても、意見は変えなかった。

 

「少し前、キリトは一定時間自分の見た目を何回でも変えられる特殊なアイテムを手に入れてるんだ。それを使えば髪の色や肌の色だけじゃなくて背丈や容貌とかも含めて変えられる」

「という事は、ユウキはそれを使った状態のキリトなんじゃないかって思って、追い駆けたって訳なんだ……でも、それにしては随分必死そうに見えたね」

 

 彼女があの少年に対して特別な想いを抱いている事はさっき語っている時に何となく察したが、それにしては少しばかり必死過ぎな様子な気がした。

 アレではまるで、一度喪った大切なものを手放さないようにしている子供だ。

 

「それは……」

 

 私の純粋な疑問を受けたユウキは、哀し気な面持ちで眉根を寄せ、僅かに顔を俯けた。

 ……何だか嫌な予感がする。

 まさかと思うが……

 

「……ひょっとして、彼は……死んだのかい?」

「「えッ?!」」

「ッ…………」

 

 哀し気に俯き、先を言わない彼女の様子から考えられる事を口にすると、レインとフィリアは考え付かなかったようで驚いていたが、ユウキは僅かに苦し気な面持ちで息を呑むだけで、肯定も否定もせず沈黙したままだった。

 この場合、沈黙はすなわち肯定と同義と見て良いだろう。

 

「嘘……キリト君、死んだの? あれだけ強いのに?」

「一体誰がキリトを殺せたのよ……?」

「……キバオウだよ。リーファとシノンの二人を第一層外周部テラスから落としたんだ。キバオウ達を排除する為にオレンジになってたキリトは、二人を転移結晶で助け出したけど……オレンジの制約の所為で第八層以下からの落下だと《圏外》の転移門にすら転移出来ないから……でも《黒鉄宮》やフレンドリストの名前はそのままだから、もしかしてって……」

「「「……」」」

 

 あれだけの強さを誇る【黒の剣士】/《ビーター》が、まさかオレンジの転移制約で死亡するとは流石に予想外だった。麻痺毒で嵌められたり、数百人規模のレイドで圧殺されたり、《聖竜連合》辺りが本腰を入れて殺しに出たと思ってばかりいたが、まさかそんな死に方だなんて。

 リーファとシノンというのが誰かは分からないが、あの少年がそれだけの行動をしたという事は大切な人達だったのだろう。

 それこそ、恐らく誰よりもオレンジになる事の危険性を理解しているあの少年が、自身の命と引き換えにしてでも助け出そうとする程に。

 しかし、あの少年が死亡したという事実を知った私は、そういう事かとさっきのユウキの様子や行動に合点がいった。想い人が死んだと思っていただけに、生きている可能性の欠片を見た途端衝動を抑えられなくて行動してしまったのだ、万が一でもあの黒コートのプレイヤーはキリトなのではないかと思ったから居ても立っても居られなかったのだろう。

 それだけ彼女はあの少年を求めているという事であり、支えとしていたという事。

 そしてそれだけ、彼女の心は弱っているという事だろう。

 それも当然ではあると思う。

 ユウキが何歳にログインしたかは分からないが、多分中学生の頃にログインしたと思うから、私よりもちょっと年下だと思う。私は中学二年生の時にログインしたので今年の誕生日が来れば十六歳になる。

 私に恋人やそれに近しい人は居ないが、こんな世界に一人で放り出されたせいで現実で帰りを待っているだろう家族や友人達を恋しいと思った事は無数にある。

 ユウキはこの世界に双子の姉がいるという話なのである意味マシだっただろうが、キリトは彼女にとって想い人であり、【黒の剣士】という攻略の希望だったのだ。その支えを喪ったという事だから弱ってしまうのも頷ける話だと思う。

 どれだけ女性最強の剣士と謳われている強者だろうと、心の方まではそうではないのは明白だ。

 ユウキは私よりも幼い――恐らく、だが――少女なのだから。

 

「……それで、あの黒コートのプレイヤーは何処だい?」

 

 あまりキリトの死亡について引っ張らない方が良いと思った私は、嫌な沈黙に満ちた空気を、その問いで破る事にした。

 実際気にはなっていた。キリトかもしれないと思って追い掛けていたユウキがここで立ち止まっていたのにはどういう理由があるのか、フィリアは分からないが、私やレインはまだ把握していないのだ。

 周囲を見渡した限りでは、少し離れたところ――大体三十メートル先の茂みの向こう――に大きな両手斧バトルアックスを持った何だか強そうな牛男型Mobが、赤いオーラを放ちながらウロウロしているだけ。黒コートのプレイヤーはどこにも居ない、茂みや樹海の薄暗い部分に目を凝らしても一切影も形も掴めない。

 

「此処に着いた途端、何か楕円型の黒い穴に入って消えちゃったよ」

「楕円型の……」

「黒い……」

「穴……?」

 

 ユウキの答えに、イマイチ要領を得なかった私達はレイン、フィリア、私の順で言葉を繋げながら首を傾げた。

 彼女の話によれば、丁度立ち止まっているこの場所までユウキが辿り着いた途端、前を走っていた黒コートのプレイヤーは眼前に手を突き出したという。何をするかと思えば、いきなり地面から黒いオーラが立ち上り、何もない空間に楕円型の黒い穴を形成。ユウキが驚きで動きを鈍らせた隙に素早くその穴に黒コートは入ったという。

 慌てて彼女も入ろうとしたらしいが、間一髪間に合わず、目の前で楕円型の黒い穴は残滓を引きながら薄れ、完全に消失したという。影も形も文字通り無く。

 その数秒後にフィリアが辿り着き、更にその数秒後に私達が追い付いたらしい。

 

「今まで見た事無いからよくは分からないけど、多分アレは転移門の類なんだと思う……」

「ユウキちゃんの話だと、転移結晶を使ったっていう訳でも無さそうだしね……」

「うん……それで、見失ったところであのネームドモンスターを見つけたんだ。しかも三人に見えてるか分からないけど、あの牛男型Mobの頭上にクエストマークがあるから、多分さっきのアナウンスで発生したホロウミッションの討伐対象だと思う」

「「「え?!」」」

 

 黒コートのプレイヤーについて謎がまた増えたところで、今度は私達から少し離れたところでうろついているモンスターが、これから探そうとしていた対象である事が分かって驚いてしまった。

 これは、偶然なのか。黒コートのプレイヤーが走り去った先に偶々討伐対象のモンスターが居たという事が、果たして偶然の出来事か?

 走り出す前の様子からして、本当は私達にあのモンスターを見つけさせるために姿を見せ、走り去ったのではないか?

 でもそれだと、あのプレイヤーはこれから私達が何のクエストを達成する為に動くか知っていなければならないし、対象の名前が分かっているならまだしも、それすら分かっていない状況だったのだから普通に考えてあり得ない。仮にあり得るとすれば、あの黒コートの人物はホロウミッションの内容を知っているか、ないしそれを発注した存在という事になる。

 掲示板やNPCから受けたクエストでも、道中でキーマンとなるNPCと合流する事も無くはないが、そういう場合は大抵そうと匂わせる情報が予め伝えられる。『山に薬草を取りに行ったきり帰ってこない』とか、そういう類のものだ。

 けれど、さっきユウキに見せてもらったクエストの概要は恐ろしく端的で、ストーリー性が一切無いものだった。テストの為だからだろうけど、それなら尚更このクエストの内容を知っているのはおかしい。

 ひょっとすると、あの黒コートの人物もユウキと同様に紋様を持っているのだろうか。だとすればこのクエストを知っていて、誘導出来た事は納得がいく。

 明らかに特殊な権限と機能解放のファクターとなっているあの文様が、そんな幾つもあるとは思い難いけど……無いと分かっていない限り可能性としては十分あり得る話ではある。あと一人か二人くらいは居てもおかしくはない筈だ。

 

「運がいいって言っていいのかな、この場合……? 何だかわたし、そこはかとなく不安を覚えてるんだけど」

「フィリアの不安も分からなくは無いけど、あの黒コートの事は後で考えよう。今はホロウミッションをクリアしてその先にある浮遊石の下に辿り着く事が先決だよ」

「あ、その転移石ってこの先にあるんだ」

「うん。あの牛男型ネームドを倒さないといけなかったから、ある意味丁度良いと言えばいいのかな……」

 

 どうやら転移石の下へ行く為の通り道にホロウミッションの討伐対象は陣取っていたらしい。あの黒コートの人物が私達を誘導しなくても、結局短時間で見つける事も出来たという事だった。樹海の奥地まで行く必要が無くて本当に良かったと思う。

 そうと分かれば早速あのネームドモンスターを倒そうという事になり、ユウキをリーダーとして四人でパーティーを組み、作戦会議を始める。

 討伐対象であるネームドモンスターの名称は《パワードアックス・トーラス》。HPバーの本数はネームド級なので二本。ここは《アインクラッド》と変わらないらしい。

 焦げ茶色の肌をした筋骨隆々の半獣人の姿をしたモンスターで、上半身は裸、下半身は半ズボンよりも短いモノを身に付けていて、両手に持っているバトルアックスからして明らかにSTRと攻撃力、防御力の値が高そうな相手だ。軽装なので事によると敏捷値も高めかもしれない。

 そのモンスターのレベルは95。明らかに筋力値優先タイプ。ヘヴィアタッカーやダメージディーラーのようなビルドと言える。

 ユウキとフィリアが91、レインが86、私が70台後半。片手剣使いが三人、短剣使いが一人、そのうちレインだけ完全に自分の技量で戦うアタッカーで、全員が敏捷値を優先して上げているスピードアタッカーとクラウドコントローラー。

 正面から当たるのは正直危険な構成だ。何しろスピード重視のプレイヤーという事は、防御力が若干心許無いという事の表れでもある。現に金属製の胸鎧をしているユウキが一番重装備と言える程で、次点で露出が多いけど金属の籠手とかしているフィリア、レインと私は革装備だけなので並んで最も防御力値が低い。レベルも含めれば私が当然最下位だ。

 

「この中でアレとまともにパリィ込みで打ち合えるのは、多分ボクだけだと思う」

 

 それらを吟味した上で、ユウキはまずそう切り出した。

 

「レベル差は4。筋力値の差は大きいけど、そこは速度で攪乱してどうにかする。でもそれも確実とは言い難いから……レインに訊きたい事がある」

「何かな」

「正直に答えて。キミは、アレとどれくらいの時間なら一人で打ち合えると思う」

「アレと…………んー……」

 

 真剣な面持ちで放たれたユウキの問いに、レインもまた真剣な表情で腕を組んで考え込み始める。最前線で何度もダンジョンアタックを行っている彼女の事だから結構経験は豊富の筈。多分過去に戦った相手との経験も含めて、彼我の実力差と戦闘のシミュレーションをしているのだろう。

 そのまま黙考していたレインは、十秒ほど経過した時にふと顔を上げた。

 

「ソードスキル無しの二刀で二十秒、込みの一刀なら一分は保たせられる。ただしボスみたいな特殊スキルがあったら一人だと五秒が限度だね」

「五秒以上も稼げるなら十分……なら、この作戦はどうかな」

 

 レインの回答に満足そうな笑みを浮かべて頷いたユウキは、そう前置きして、彼女が考えたという作戦について語った。

 まずユウキが先行し、ソードスキルを交互に放ってヘイト管理を行いつつダメージを与え、注意を引く。

 その間に二刀のレインが横に回り込み、最後にフィリアが入って三人でヘイトを回しながら交互に攪乱攻撃を仕掛け、常に誰かのフォローに入れるようにする。

 三人でネームドを囲って暫く攻撃し、スキルやパターンに既知のものとあまり変化が見られないようなら、そこでユウキが大一番のスキルを仕掛ける。背後に回り、敵のSTR、VIT、SPD、DEXの四つのステータスを纏めて下げる《ファントム・レイブ》を放つのだ。

 上手くステータスを下げられたら、後はルーチンでヘイト管理を行いつつ攻撃を交互に繰り返すだけ。基本的に背中側に来た人がソードスキルを放ってダメージを与える形にすればノックバックが入って対処しやすいとの事だ。

 

「ただこの作戦、問題が三つあるんだ」

「全範囲スキルとか?」

「うん、それが一つ目の問題。まぁ、《両手斧》スキルの全範囲技は《ワール・ウィンド》だけだから、斧が薄緑に光った時点で下がれば対処可能なんだけど……二つ目はアレが周囲のモンスターとリンクするかどうかなんだ。二人の話を聞いた限りだと、この《ホロウ・エリア》のモンスターって探知範囲と追跡範囲が凄く広いんだよね?」

 

 私は殆ど水辺から動かなかったので知らなかったが、レイン達の話を聞いた感じではそういう事らしかった。

 確かに、今思えばあのボスもかなり長く追い掛けて来ていたし、本当の事なのだろう。

 

「うん。まぁ、わたし達が戦って来た限りではリンクはしてなかったんだけど、流石に基本群れてるから、その場合は複数を相手にする必要があったね」

「幸いアレの近くにモンスターの影は見えないけど、万が一もあるから気は抜けない……ここで三つ目の問題が重なるんだ。ルクスの事だよ」

 

 そう言って、ユウキは私を見て来た。その意味するところを理解して思わず眉根を寄せてしまう。

 

「私ではこの辺のモンスターとは張り合えないからね……」

「そう。正直それが一番の懸念事項なんだ……ちなみに、ルクスって《隠蔽》スキルは鍛えてる?」

「鍛えてはいるけど、八〇〇後半だよ」

「八〇〇……?」

「……」

 

 《隠蔽》スキルの事について問われ、その意図を何となく察した私は素直に熟練度を答えたのだが、その数値に彼女は眉根を寄せて数瞬何かを考え込んだ。

 《隠蔽》を取っているプレイヤーは大体ソロを好んでいる人や、フィリアのような斥候役をする事が多いスカウトなのだが、実はそれは少数派。特にスカウト役をこなすなら《隠蔽》よりも《索敵》の方が重要だ。

 《隠蔽》を取っている者の大多数はオレンジやレッドプレイヤーといった不意打ちを目的としている事が多いのだ。

 別に取っていてもおかしい訳では無いが、それにしては数値が高過ぎると訝しんだようだった。

 《隠蔽》の熟練度上げはハイディング中にしか発生しないので、数値が高い分だけハイディング時間が長い事を意味する。無論、ハイディングは攻撃や発声などで解かれるので、戦闘中と並行した熟練度上げは不可能だ。しかも中々上がりにくいため、殆どのプレイヤーはコレの熟練度上げを断念する。つまり数値が高いという事はかなりの長時間ハイディングをしていたという事である。

 下手すれば移動の殆どでハイディングをしている事もあり得るのだ。これだけ数値が高ければ、むしろそれくらいしていなければ上がる筈も無い。

 そしてその疑問は正しい。自分の事について殆ど語っていないにも拘わらずそこに疑問を覚えた事に戦慄を覚えた。彼女の勘は野生のそれかと思ってしまう程の鋭さである。

 

「いや、今はいいか……うん、それくらいあれば十分だよ。ルクスにはボク達があのネームドモンスターを討伐するまでここでハイディングしていて欲しい。絶対、何があっても動かないで。いいね」

「……分かった」

 

 正直、こうして自分だけ安全な場所に避難しているのは心苦しいのだけど、三人とはレベルという残酷なまでの強さの数値に開きがある。無理に言っても困らせるだけなのは理解していたため、素直に私は頷いておいた。

 私がハイディングをする事を承諾したからか、安堵の笑みを浮かべたユウキは、それから他の二人と共に連繋や予想外の事態の対処について幾らか話し合い始めた。

 

 




 はい、如何だったでしょうか。

 もうユウキが主人公で良いんじゃないだろうか(投げやり)

 ゲームキリトの立場に置いただけでここまでとは流石に予想外。

 それはともかく、ゲームとは違う要素が幾つか入りました。

 ゲームでは《ホロウ・ミッション》に関するアナウンスだけここで掛かるんですが、今話ではミッションも二種類に増えており、更にホロウ・フラグメント編のキーワードが出てきました。何がどうなるかはお楽しみに……して頂けるように頑張ります(汗)

 《エレメント実装調査》は、条件を満たして装備やアイテムのデータ取りをして、《アインクラッド》に実装する為の、謂わばアップデートを行うための代物。運営がするアップデートの内容みたいなものと思って頂ければ結構です。討伐なら武器やシステム的な制約の可否の判定を確認したりとか。

 で、それをするには《ホロウ・ミッション》に参加しないといけない感じ。それが出来るのは紋様こと《高位テストプレイヤー権限》を持っている人だけ。現状判明している保有者はユウキだけですね。

 《ホロウ・エリア》探索の為にルクスを鍛えないとなー……ユウキかレインの弟子二号が誕生しそうだ(笑)

 弟子二号と言えば、何気に本作って設定上でも師弟関係いるんですよね。

 直葉と和人。キリトとリーファ、シノン、サチ。ユウキとサチ。レインとフィリア。アスナとリズ&シリカ(《剣林弾雨》参照)。キリトの周りだけでもこれくらい。しかも何気にキリトが一番多い上に、師匠の直葉が弟子でもあるという状態。

 やっぱり仮想世界はもう一つの現実なんだなぁと思ったり……

 では、次話にてお会いしましょう。

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