インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話の視点はユイ、ユウキ、レインの順番。とうとう地味にすれ違っていた二組が合流、再会致します。

 戦闘シーンはほぼありません、細かな描写は。している、みたいな風のは書いてますが。

 文字数は約二万四千。

 ではどうぞ。



第六十八章 ~祝せし再会~

 

 

「ーーーーふぁぁ……」

 

 《笑う棺桶》首領が意味深な事を言い捨てて去ってから数時間が経過した頃に、私に抱き着いて眠っていた義弟は、とても眠そうな欠伸を見せながら目を覚ました。

 これまで彼の事をずっとモニタリングしてきたものの、ここまで気を抜いた状態を見るのはこの《ホロウ・エリア》に来るまでほぼ無かったように思う。

 そこまで考え、いや、と内心で否定する。確かリー姉と一緒に寝た時はかなり気を抜いていたし、あまり覚えていないが確かユウキさんと一緒に寝た時も結構気を抜いていたように思う。そう考えると、どうやらキーは信頼・信用を寄せるまでが長いものの、一度寄せたらとことん警戒を解くようだ。

 つまり私は信頼され、信用もされているのだと再確認して、何とはなしに喜びを覚えた。

 

「ぁふ……」

 

 そうしていると、寝ぼけ眼でキーが隣で一緒になって横になっている私を見て来た。表情こそ眠そうなものではあるものの、その黒い瞳はぶれる事無く、しっかり私に焦点を合わせている。

 

「おはようございます、キー」

「おはよう、ユイ姉……んーっ!」

 

 寝起きの挨拶をすると、彼も挨拶を返しながら上体を起こして軽く伸びをした。

 PoHが立ち去ったすぐ後はその気配を感じ取ったからか一度目覚めはしたものの、眠気が残っていたためにすぐまた眠りに落ちたが、今回はどうやら本格的に目が覚めたらしい。顔を見ただけでそれが分かった。

 というか、いやに寝起きが良すぎないだろうか。すっかり眠気が飛んでいるが矢鱈それが速い気もする。

 まぁ、それで不都合がある訳でも無いので、別に気にする必要も無いのだけど。

 

「よく眠れましたか?」

 

 何とはなしにそんなどうでもいい事を考えながら、私もまた上体を起こし、一先ずまず確認しておく事を問う。

 その問いに、すくっと立ち上がって軽く柔軟体操をして四肢を伸ばしていたキーが、私を見てこくりと頷いた。

 

「すごくよく眠れた。もう眠くない」

「それはよかった」

 

 現在時刻は午後四時半過ぎ。寝過ぎとも言えるが、今のキーには寝過ぎなくらいが丁度いい。夜しっかり眠る習慣をつけていれば問題も今の所ない。

 となれば、今度は食事だろうと判断する。時間としてもあと少しで夕飯時になるし、多分キーが目覚めたのもお腹が空いての事だと思う。あるいは、私にご飯を作らなければ、という無意識の責務感から目が覚めたのか。

 

「ではキー、管理区へ帰りましょうか」

 

 私とキーが管理区と呼んでいるところは、《アインクラッド》の外周部から落下したキーが直後に目覚めたあの場所【ホロウ・エリア管理区】の事。

 あそこの内部は結構綺麗ではあるのだが、些か殺風景に過ぎるため私達はMobとの戦闘を覚悟して《ホロウ・エリア》へと下り、各地を散策している。

 それでもこの三日間、食事はともかく夜の間は【ホロウ・エリア管理区】で基本的に過ごしている。

 キーには表向きの理由として夜間はMobが狂暴化して強くなる上、どこから仕掛けて来るか分かり辛いから危険と言って、夜は必ず【ホロウ・エリア管理区】で過ごそうと話し合って決めた為だ。夜は休ませなければならないのにMobの存在が原因で寝られないという事になっては目も当てられないので、これも一応立派な理由ではある。

 だが本当の、あるいは最大の理由としては、先ほどキーが眠っている間に接触を図って来たPoHのようなプレイヤーと遭わないようにするため。

 この三日間、私のMHCPの機能を用いて《ホロウ・エリア》を彷徨っているプレイヤー達のログを辿り、現在地を確認して人が居ない場所にばかりキーを誘導していたのだが、まさかこの短期間で接触を図られるとは思っていなかった。

 不幸中の幸いと言えるのは、キーを脳波の上書きで強制的に深い睡眠状態へ落とした直後だった事だろう。

 まだ彼にこの《ホロウ・エリア》の真実を知られる訳にはいかないのだから、今日は出来るだけ早めに引き上げようと決めていた。恐らく今日はPoHも接触してこないだろうが、あの男と同様にこちらに来ている他の者達が一斉に来ては、必死にキーに真実を隠そうとしている私の努力が無に帰してしまう。

 だから今日はもう帰る事を提案した。

 

「分かった」

 

 普段なら夕方になってから戻るのだが、その提案にこのような背景がある事を微塵も知らないだろうキーは、それでも特に疑問を呈する事無く素直に了承する。

 これが連続すれば少し疑念を覚えると思うが、今日は偶々かもしれないと思って流す事にしたのか、あるいはそもそも私の言う事に特に疑問を覚えていないのか。前者ならともかく、後者だと少し危ないな、と思いながら、私も立ち上がってキーと向き合う。

 

「ユイ姉」

 

 向き合った私を見て、キーは胸元のネックレスを手で掬いながら名前を呼んできた。

 それは、恐らく私達の間でだけ通じるであろう意思疎通。彼は言外に『この中に入って』と言っているのだ。

 普通ならそれは出来ないしあり得ない事。

 だがしかし、私はそれを可能にしてしまえた。

 とても綺麗な雫を象ったそれは、見た目とは裏腹に装備品としての最低限の防御性能すら有していない。何しろ例外なく装備品全てに規定されているパラメータ項目の設定を全部《null》のままでオブジェクト化したから、ステータス加算項目にゼロ以外の数値が入る筈も無かった。

 むしろ綺麗なネックレスの形になった事すら奇跡なのだ。半ばダメ元で実行したキー本人もこれには驚いたらしい。

 その経緯があるネックレスは、管理区にあるコンソールを操作して、大半のプレイヤーがスロットを無駄に埋めるゴミアイテムと言うだろうそれにとある機能を持たせた。

 それが指定したNPC――この場合は《MHCP001-Yui》――をデータとして格納する機能。キーが入ってと言っている理由がコレだ。

 その機能を持たせるにあたって参考にしたのは、彼が装備している鎧系防具【フォースフィールド・マテリアライト】という魔導宝石。それは非装備時には綺麗な翡翠色の宝石の形状をしているが、装備した時には細かな粒子となって装備者の体を包み込み、不可視の障壁を張って全属性ダメージを半減する超高性能の防具。見た目に反して鎧系防具なので基本防御力も非常に高く、レアアイテム故にそこらの鎧より性能も上という優れ物。

 それのミソとなる点は、粒子となって分解されて不可視になるもののしっかり装備している事。

 つまりデータとして存在している魔導宝石は、性能や本質の部分は変わる事無く、外見だけ変わっている。

 そこで私は自身のプログラムの内、思考や記憶、言語機能などを司るソフト面はそのままに、アバターという外見のデータ変換を行えるように改良を施した。魔導宝石と同じ原理だ。

 それからネックレスには特定IDのNPCを格納出来る特殊な性能を付与する。そうして私限定で、キーが首から提げているネックレスへの出入りが実現した。

 外見を除いて全ての値が《Null》であり、同時に彼が形状変化の性質を持つ鎧系防具の魔導宝石を持っていたからこそ出来た事だろう。

 面倒な手順を踏んでまでそんな事をしたのは、私自身が足手纏いになる戦いでは邪魔にしかならない為。ならキーのネックレスに入って援護する役割に徹している方がまだマシだろうと考えた結果であるr。

 

「分かりました。ちょっと、待って下さいね」

 

 キーの要求に応じる為に、私はネックレスへ入る為のシークエンスを開始する。

 自分の体のコードを、ネックレスへと入る時に使用するコードへと手動で置き換える。そうすると私の体は粒子を散らして直径三センチくらいの淡い光の珠となる。見た目からは分からないが一応前後方向はあり、また小さくなっているので今の私からすれば小さい筈のキーの体は巨人のように大きく見えている。

 その彼の首元にある淡く水色に光る雫型のネックレスへ、ふわふわと浮きながら移動し、データを重ねる。

 途端、私の視界に移る光景は種々様々な花が咲き誇る開けた草原やキーの巨大な姿から一変し、星々が煌めく闇夜だけが広がる無の空間となる。分かりやすく言えば宇宙空間に居るようなもので、何もないその空間の中心に――そもそもどこまで広がっているか分からないが――浮いている感じだ。

 星々だけしか無い殺風景な場所ではあるが、慣れると案外気にならない。そもそもキーに出逢うまで似たような場所にずっと認識されないまま一人で過ごしたのだ、アレに較べればキーに認識されているだけでも幸福だ。

 

『ユイ姉……?』

 

 何となく感慨深く思っていると、ネックレスへと入ってから一切反応していない事に不安を覚えたのか、どこか心細げなキーの声がどこからともなく響いて来る。

 しまった、と焦った私はすぐ左手を振ってGM権限を保有する者にのみ許されたメニューウィンドウを呼び出し、周囲にホロパネルを六枚映し出す。それはキーの前方、左右、後方の四つの方向、すなわち全方位を見る事が出来るパネルだ。あとはキーの顔をテレビ電話のように大きく移したものと、キーの背後から俯瞰する視点のパネルである。

 それら全てがしっかり作用している事を確認して、私は口を開いた。

 

「すみません、キー。ちょっと考え事をしていました」

『それならいいけど……それにしても、こうして脳内会話をするのはやっぱり慣れないな……』

 

 キーが言う通り、今の彼は口を開く事無く考えるだけで私を会話している。

 私は口から声を出しているが、それはあのアバターを動かす彼の脳へと音声データとして送られる事で彼に伝えられており、ネックレスから声が出ている訳では無い。鼓膜を震わせた際に生じる電気信号を疑似的に再現する事で、彼の脳が『耳から音が入って来た』と誤認するようにしているのだ。

 同様の原理で、現実でなら彼の喉と声帯を収縮させる為に発せられる電気信号を読み取って再現する事で、このSAOでのアバター同士の会話を可能としている。それを応用して、彼が声を発そうとした際脳内に生じた電気信号を読み取り、私に音声データとして伝えるようにして、口を開かずとも会話を可能としたのだ。

 こうする事で互いに第三者に聞かれる恐れも無く会話が出来るようになった。

 ちなみにこの原理はISにも存在するらしい。キーの話だと、IS操縦者が概して装着するバイザーが同じように喉と声帯を震わせる際の電気信号を読み取り、《個人間秘密回線》という文字通り他者に聞かれないチャンネルで音声データとして通信し合うのだという。

 恐らく《ナーヴギア》だけでなくリー姉が使用しているという《アミュスフィア》でも出来る事だろう、とは彼の弁だ。テレパシー紛いの事を科学の力で可能となったのは素直に凄いなぁとも言っていた。

 リー姉の家に拾われてから暫くした後、篠ノ之束博士の指導の下でIS使いとしての勉強や訓練を積んでいたようだが、その間もこのような脳内会話はした事が無かったから、彼にとってはどうにも違和感が残るようで、彼の面映ゆそうな顔がパネルに映っていた。

 

「ふふ、そうやって拗ねてるキーも可愛いですよ」

『拗ねてない。というか、ユイ姉だけ顔が見えるとかズルい……反則……』

 

 むぅ、と納得いってなさそうな顔で、彼にもパネルが見えているのではと思うくらい真っ直ぐカメラ目線で虚空を見るキー。

 反則なのはどっちですか、と私は心底言いたくて堪らなかったが、一先ず堪える事にする。こうして会話するのは楽しいけれどそれでいつまでも時間を潰している訳にもいかない。もう今日は多分来ないというのは私の予想であって、本当にPoHが来ないかは分からないし、他のプレイヤーに会わせる訳にもいかないのだから。

 行動するなら迅速に。

 とは言え、あまり急かすとキーに不審に思われかねないから、慎重に。

 

「そういう仕様なんですから仕方ないと諦めて下さい……さぁ、管理区へ戻りましょう」

『うー、やっぱり何か納得がいかない……』

 

 どうも自分だけ視られているという事に納得がいかない――まぁ、いく筈も無い――キーは不満を洩らしつつ、私達が昼寝をしていた《精霊の森》から最も近い転移石へと歩を進める。

 《精霊の森》は【深緑樹海セルベンティス】エリアの西方にある特殊な場所。回廊神殿、朽ち果てた研究施設を越えた先に広がる、エリアが切り替わる度にランダムで道が繋がって中々出られない《迷いの森》の中に存在しているのが《精霊の森》という特殊なエリアだ。

 ランダムルートの中から来るのはそれなりに大変ではあるものの、モンスターはポップしないし、深い樹海の中で唯一と言って良いくらい陽光が入って来て、綺麗な花々が咲き誇るこの場所は中々に絶景だ。私も気に入っているが、キーは特に痛く気に入ったようでこの三日間の内、昨日と今日は此処で昼寝を敢行したくらいである。《迷いの森》を越える苦労をも厭わないという辺り、本当に気に入ったのだと思う。

 ――――それを、私はとても嬉しく思った。

 キーとて人間だ、心動かされる景色というものも当然あるだろう。けれど極限状態にあった今までの彼を見て来た限り、人と接する事に喜びや悲しみを覚えこそすれ、場所に対する感情はかなり薄かったように思う。基本的にそれらは『誰かが死んだ場所』だったりするばかり、『彼自身が望んで好んでいる場所』を見聞きした覚えは無い。

 もしかしたら場所に思い入れをしない方なのかなと思いもしたが、その懸念はこの《精霊の森》に来た時に晴れた。

 こうして特定の場所を気に入り、苦労をものともせず来ようとするだけでも、まだ彼の心は壊れ切っていない。まだ、まだ回復する見込みは十二分に存在する。

 

「キー」

『ん?』

「また……此処に、来ましょうね」

『――――うん』

 

 また此処へ来ようと伝えた時に見せた顔は、その希望を更に強くしてくれた。

 

 *

 

 ネックレスの中でキーの顔を眺め、彼の周囲を監視し、彼の背後からの視点で俯瞰しつつ、私は彼がマッピングした地図を頼りにどの道を進めばいいかを彼に指示し続けた。ステータスでこそこの辺にいるモンスター達より遥かに上だが、技術や経験が伴っていない以上何時不意打ちを受けるか分からないからネックレスの中に入っているのだから、それくらいはしなければと思ってした。キーが周囲の警戒や戦闘に集中出来るようにという意図もある。

 キーは私の指示を疑う事無く――勿論嘘なんて吐いていない――信じ、歩を進めた。道中で立ち塞がる百には上る蜂や手斧を持ったオーク、両手斧を持ったオークやミノタウロス型モンスター達を、リズさん会心の魔剣エリュシオンを片手に屠り続けて。

 その剣技や足運び、体こなしの全てを、私は俯瞰視点でずっと観察していた。

 今の私はGM権限を用いて【ホロウ・エリア管理区】にあるコンソールを操作し、キーのプレイヤーデータを参照して自身のデータを改変し、戦闘型NPCにしたので、ステータスやスキル値は彼と同等の値になっている。厳密に言えば、所持しているスキルはバグ発生後、スキル値はバグによって低下する前の状態だ。

 《ホロウ・エリア》はアップデートやデバック作業の為に《アインクラッド》の全てのデータ、つまりログを集積する機能を有している。

 その性質を利用して、バグが発生する直前のキーのデータを探し出し、私にアップロードし、そしてキーのスキル値や装備の状態を元に戻した事でそうなった。キーの場合はデバックと言った方が正しいかもしれない。

 ともあれ、キーはバグ発生前の全盛期の頃の装備やスキル、ステータスに戻り、私も同等の力を得た訳ではあるが、だからと言って私が彼と互角に戦える筈も無い。仮に装備も完璧に一緒だったとして、それでも私はキーには勝てない。百回戦っても、千回戦っても、恐らく一万、十万と真剣勝負をしても勝てはしない。

 それはPoHとの対話の際に考えたように、私には絶対的に経験と技術が欠如しているからだ。対人戦のノウハウや駆け引きなんて知る筈も無いし、スキルの発動は出来るとしても、それを戦闘中に瞬間的な判断のもと発動出来るかと言われればそんな事は無い。放てはしても、体で感覚的に憶えていないのだから、連続的且つ不規則な動作の連続となる戦闘中に即座にスキルを放てる訳が無いのだ。

 一言で言えば戦闘技術。細かく挙げればキリがないくらい、私には多くのものが欠如し過ぎている。きっとキーと同じ圧倒的なステータスで戦っても、アスナさんやストレアさんは勿論、多分シリカさんにも勝てないし、剣道の全国大会優勝経験を有するリー姉やSAO最強のキーには掠らせる事も不可能だ。

 だからこそ、私はじっとキーの戦闘を観察している。彼の戦闘を通して私も学習しようという訳だ。

 また、ここで図らずしもネックレスへの同化設定をする際にあの魔導宝石のデータを参考にした事が活きていた。

 あの魔導宝石は装備した際、光の粒子となって不可視の障壁を展開する鎧系防具だ。数値データに違いはあるが外見データで『魔導宝石』という状態と『装備者の体を包むように展開する障壁』という状態の二つを併せ持っている特殊な代物。

 その二つの状態の前者を私に当て嵌めた場合、『人型』と『ネックレス型』となる。

 ただ後者の場合、参考にしたデータをそのまま流用すると、キーの体を覆うように展開される事になる。

 つまり私の意識や言語情報といった『内部データ』はネックレスの内部に格納され、こうして無の世界からパネルを通してキーの周囲を観察している訳だが、『肉体の感覚情報』はキーの全身を覆うように展開されているという訳だ。キーが知覚する感覚は、同時に私も知覚していると思えばそれでいい。

 故にキーが動く度に、私の体も動いている感覚を覚えているし、剣を振るうのも走って移動するのもソードスキルを放つ時の感覚も、全て私はこの身に覚えている。彼の戦いの中で、彼の戦闘的思考を除く全てが私の学習の糧となっているのだ。

 ……実を言うと、この事はキーには話していない。私がネックレスに入ってとても近く感じる事を喜んでいるのを見て、言うに言い出せなくなってしまったからである。流石にこれを教えたらキーも嫌がるのではと思って言い出せなくなってしまった。

 まぁ、こうして中に入っているのは移動したり戦闘時くらいで、それ以外では基本外に出ているからまだ問題は深刻ではない。流石に過剰にプライベートを侵害する気はないのでその辺は私も弁えている。

 ネックレス内に居る間は戦闘の学習もさせてもらうとは言っているし、これもその一環だからと自分を納得させようとしている毎日だ。

 キーの純粋さが辛い……

 

『ふぅ……やっと辿り着いた。分かってはいたけど《迷いの森》はかなり厄介だな……』

 

 ネックレスの中でキーに悟られないよう無言で悶えていると、百数十体目のモンスターを斬り捨てたところで漸く浮遊している逆四角錐型の転移石の下に辿り着いたらしかった。

 マップの位置としては、《迷いの森》を更に西へと向けて抜け、【浮遊遺跡バステアゲート】との境界である橋が見える直前の場所だ。浮遊石のすぐ近くには巨大な神殿がそびえている。

 

「お疲れ様です、キー」

『うん。今は、午後五時手前か……ユイ姉、夕飯は何食べたい?』

 

 ざくざく、と荒れ果てた石畳と生い茂った雑草を踏みしだきながらキーが問うてきて、んー、と私は考え込んだ。

 

「キーの食べたいものにしてください」

 

 数瞬して、私はそう答えた。

 するとパネルに映っているキーの顔がふにゃりとした苦笑を浮かべる。

 

『困る注文の一つなんだけどそれ……』

「キーも偶には私の食べたいものばかりじゃなくて好きなものを食べてください。この三日間、殆ど私の意見ばかり聞いているじゃないですか」

『む……』

 

 それは不公平です、と少し叱り付けるように指摘すると、彼は静かに唸った。

 

『……じゃあ和食にする』

「なんだ、アッサリとすぐ出たじゃないですか」

『いや、ここ最近和食を食べてなかったと思って』

「……あー」

 

 そういえばと、私はキーと一緒に過ごした三日間の献立を思い浮かべた。

 食材を現地調達しなければならないという事もあって、どうしても植物系食材から作ったパンと焼いた肉や採集した野菜類を挟んだサンドイッチや、ビーフシチュー風の鍋物だったり、山菜尽くしの鍋が多かった。言ってしまえばその全てがほぼ洋風の料理なのだ。

 でもキーは生粋の日本人。外国の料理は人並み――年齢を考えれば人並み以上――に出来ると言えど、やはり慣れ親しんだ和食を食べたいと思うのは自然だろう。

 

「まぁ、私は正直、キーの料理なら基本何でもいいので。でも確かに洋風料理が続いてますしアクセントになって良いですね」

『じゃあ和食で。お米と味噌汁、肉と山菜……流石に漬物は無理かな、材料無いし』

「現地調達の素材でそこまで作れるだけでも十分過ぎると思うのですが……」

 

 本気で私はそう思う。多分殆どの人が現地調達だと鍋を始めとした洋風料理になると思うし、パンやお米を作り出すにしても、そもそもそれはかなりの料理好き且つ研究者気質の人でなければ叶わない願いだ。それを一人でこなすキーがおかしいのである。

 まぁ、ただ食べるだけの立場である私がとやかく言える事では無いし、素直に凄いと思える事だから『おかしい』なんて言わないけど。

 そうこう話している間にキーは転移石の眼前まで辿り着いた。それから彼は徐に左手を『金色の円環に重なる逆十字架模様』が刻まれた転移石の表面に押し当てる。

 

『転移、【ホロウ・エリア管理区】』

 

 そして転移時に必ず口にしなければならない形式句を発した。

 直後、キーの体全体が蒼い光に覆われ始め、私が視ている六枚のパネルも全て蒼白い光に覆われる。転移が始まった証拠だ。

 それから程無くして光は止み、散り始め、私達の視界は元に戻り始める。

 

『「――――ん?」』

 

 視界が戻ってすぐ、私とキーは同時に短い疑問の声を上げた。

 【ホロウ・エリア管理区】は真円を描く半透明のガラス板の上に、北側にシステムコンソール、南側に《アインクラッド》に通ずる何故か設置されている転移門が存在しており、その中間地点を起点として北西、北東、南西、南東の四ヵ所に転移石に刻まれていた特有の紋章が床にも刻まれている場所だ。ガラス板の外縁には無数の金色に光るコードデータがまるで大樹の根を思わせる形状を象って間断なく流れている。

 周囲の光景は星々が煌めく闇夜のようで、人がこれを見たらプラネタリウムの中にいると錯覚するだろう。そもそもプラネタリウムに入った事があればの話だが。

 ちなみに、ガラス板の真下は何もない。ただ黒緑色の靄が立ち込めていて、その先は深淵の闇が広がるばかり。ここからでは何も見通せない。

 そんな場所が、私とキーの三日間の活動拠点となっている。

 そしてこの場所はGM権限と【ホロウ・エリア管理区】のスタッフNPCとして宛がわれている私と、その私が付与した《高位テストプレイヤー権限》を有するキーしか入れない。他に人影などある筈も無いのだ。

 

 ――――だが、その事実を裏切るように、管理区のコンソール前には四つの人影があった。

 

 その内、三人まではキーと私は見た事があった。

 紫紺色の装備に身を固め片手直剣を腰に佩いている少女、紅髪にゴシックドレス風の服を纏って両の腰から先細りになる片手直剣を二本佩いている女性、丈の短い蒼いフーデッドコートを纏って後ろ腰に片刃がギザギザの短剣を差している金髪の女性。それぞれ【絶剣】ユウキさん、特異な二刀剣士の鍛冶師レインさん、トレジャーハンターの短剣使いフィリアさんだ。

 あと一人、後ろ腰まで届くふわふわな茶髪にそこそこ上級と見て取れる革装備に身を包んだ軽装、左腰にユウキさん達よりはグレードが低めだと分かる片手直剣を佩いている女性がいたが、それは私も見た覚えが無い。

 いや、リーファさんのような例でなければまず間違いなくデスゲーム宣言の日に《始まりの街》に居たのだから、一度は見ている筈だが、流石に流し見た程度だし、そのすぐ後からキーばかりをモニタリングしていたから分からない。

 覚えていない、というのはAIとして適切では無いので、恐らく私のモニタリング範囲外のところに居たのだと思う。

 その見覚えの無い女性一人と見覚えがあり過ぎる三人、合計四人はコンソールの前で何かをしていた。操作しているのはユウキさんだ。

 

「ッ……アレは……」

 

 最初は驚いて気付かなかったが、コンソールを操作している彼女を見てすぐ、キーと同じく《高位テストプレイヤー権限》を付与されている事が分かった。キーは左手に浮遊石と同じ文様が浮かんだが、ユウキさんにはどうやら右手に浮かんでいるらしい。GM権限の効果で付与されているか否かがすぐ判断出来るからこそ分かった事だ。キーには見えていないだろうが、私には彼女の右手に刻まれている紋様がハッキリ見える。

 

 しかし、何故? と胸中で疑問を呈する。

 

 キーの右手に浮かんでいる『金色の円環に十文字模様』はともかく、少なくとも左手にある『金色の円環に逆十字架模様』は私が此処で付与した特殊な代物。アレを付与できるのはGM権限を持っている者に選別された者のみだ。

 私が付与したのはキーただ一人。

 つまりユウキさんが持っているのはおかしい。仮にここのコンソールを操作して付与するにしてもそもそも管理区へ来るには紋様を得ている者が浮遊石を起動させる必要があるし、それを突破したにしても、紋様を付与する操作はGM権限を有していなければ出来ないのだ。

 ユウキさんのアカウントIDを見る限り、高位権限は有しているがGM権限は持っていない。他の三人は高位権限すら有していない。

 

 ――――つまり、誰かが彼女達を手引きした……?

 

 その可能性を考慮して、あり得はするだろう、と結論付ける。

 そもそも、この《ホロウ・エリア》は基本的にプレイヤーが立ち入れない区域扱いを受けている。何故か設置されている《アインクラッド》への転移門を使えばあちらへ飛べるだろうが、それはあくまでこちらに来た事がある者にのみ可能な事。

 《ホロウ・エリア》に来た事が無い者は、そもそもあちらの転移門を使ってこちらへ来る事は出来ないのだ。

 だからユウキさん達は誰かの手引きを受けてこちらへ来た可能性がある。無論、何故か此処へ来たキーのように原因不明の転移現象で来た可能性も否めない。

 現実的なのはこのどちらか。

 仮に誰かの手引きを受けたのだとしたら、それはGM権限を有する者という事になるが、それはまず間違いなく外部から侵入してきた者だ。

 何故なら、この世界でGM権限を有しているプレイヤーは誰一人としていないから。リアルが茅場晶彦であるヒースクリフも、容姿とスキルがある程度定められている特殊なハイアカウントでこそあるが、扱いそのものはほぼキー達と同じコモンアカウントだから、あの人が手引きしたのはあり得ない。そもそも《ホロウ・エリア》への道が開けている事も知らない筈だ。

 この世界の創造主すら違うのだから、つまり新たに侵入してきた者という事になる。神童アキトは既に死亡判定を受けているのだから論外だが、後者だとすれば彼女達に非はないので警戒する心配はない。

 とは言え、問題はキーと対面した後の事なのだが……

 

『ユウキ……レインに、フィリアも……そっちの人は知らないけど、何で此処に……?』

『え…………き、キリト……?』

 

 はてさて、彼女達との再会は吉と出るか凶と出るか。

 出来る事ならキーの安寧を妨げないで欲しいという願いを抱いている私は、こちらに気付いて唖然としているユウキさん達との対話を見ながら、何時出ようかとタイミングを見計らうのだった。

 

 ***

 

 我が目を疑うとはこの事かと、ボクは途轍もない驚愕に見舞われる中で思考していた。

 謎の黒コートを見失った先に見つけた《ホロウ・ミッション》の討伐対象を難なく撃破し、ルクスを伴って移動して指定ポイントに着いた事で達成。報酬として【ホロウ・エリア管理区】への道を開くと言われて説明が記載されたパネルを読み、フィリアから貰ってマップデータを頼りに転移石へと辿り着いた所で『転移、【ホロウ・エリア管理区】』と唱えた直後転移し、辿り着いた先は未知の場所。

 以前地下迷宮で見た黒机があり、それがキリトの話でシステムコンソールと知っていた事もあって、《高位テストプレイヤー権限》を有しているボクが率先して操作を行った。というか、その権限を持っているボクじゃないと起動すらしなかったというのもある。

 《圏内》扱いなのに鬼のように強いガーディアンが居ない事とか、システムコンソールがあるこの場所は何なのかと謎だらけな場所で四苦八苦しながらも手掛かりとなる情報は無いかとコンソールを操作し、様々な場所に浮遊転移石が配置出来たので場所を確認している最中、背後から転移の音が聞こえたので振り返ったら、視界に入ったのはオレンジカーソルになっている黒尽くめのプレイヤー。

 後ろ腰まで伸びた艶やかな黒髪と色白い肌、あどけなさを残す小ぶりな顔。そこらの女子よりよっぽど華奢な体躯を包むのは黒い外套。手に嵌めている指貫手袋、履いている鋲付きブーツはおろか、シャツにズボンすらもが漆黒という、不審者と思われても仕方ないくらい特異なその出で立ち。

 何時かのクリスマスの時のように瞳から光が失せているが、その容貌を見て間違える筈も無い。

 《アインクラッド》広しと言えど、そんな装いのプレイヤーはただ一人だけ。

 《ビーター》と蔑まれ、【黒の剣士】として最前線で戦い抜いてきた最年少のプレイヤーキリトしか居ない。

 そこまで理解したボクは、まず最初に、自分の正気を疑った。

 確かにボクはキリトの事を剣士として、何よりも異性として好いているが、物の分別は付いている方だと自負している。《生命の碑》の名前に横線は刻まれていないし、フレンドリストの名前も暗転していないけど、それでも理屈としてリーファ達から聞いたあの状況から生還する手段はないと判断出来たから、ボクはもう死んだものだと考えていた。

 納得出来た訳ではないけれど、その事実証拠を否定出来るだけの理屈が無かったから認めるしかなかったのだ。

 求めていないと言えば嘘になる。でも、求めたところで無いものねだりになって意味は無いのだからと、それなら死んだキリト以上の強さを手に入れて、彼の代わりにこの世界をクリアして、姉共々仲間達を解放しようと思っていた。

 あわよくば、恐らくまだ現実で死んでいない彼も一緒に、このデスゲームから生きて解放される事に一縷の望みを託して……

 そう覚悟していたのに、目の前にキリトが居たのだ。驚きもするし、自分の正気を疑いもする、まさか無意識の内に求めすぎて幻覚を見ているのかとすら本気で考えた。

 

「ユウキ……レインに、フィリアも……そっちの人は知らないけど、何で此処に……?」

 

 幻覚だろう、期待させないでと、脳裏で悲鳴のような自分の声が木霊する中、確かに耳朶を打ったその声は、確かにキリトの声だった。

 

「え……き、キリト……?」

 

 どうせ幻聴じゃないのかと、ボクは高まる期待を抑え付けるように胸中で繰り返す。期待して、期待した分だけ絶望するのは、もうまっぴらだ。

 でも。

 それでも。

 

「本当に……キリト、なの……? 生きてるんだよね……?」

 

 彼の頭上には聞いていた通りオレンジのカーソルとフレンドを結んでいる証である《Kirito》と白いフォントで名前が浮かんでいて、真っ直ぐに、困惑の顔でこちらを見て名前と疑問を口にするその様が、どうしても幻とは思えなくて。

 もしもボクの望む幻だったら、きっと迎えに来た時のように微笑む筈だからと、少しでも期待を高めて。

 

「そうだけど……どうして、此処に……?」

 

 困ったように眉根を寄せて、力無く、けれど確かに『ボクが望む最高の展開』――それは本当に都合のいい妄想――では無い会話が成り立った事で、これが今目の前で起こっている現実なんだと理解した。

 仮想世界だけれど、だからこそ今目の前に見える彼は幽霊なんかじゃなくて、本物なのだと。

 あれほど皆が哀しんで、狂おしいまでに求め続けている自分の想い人が、こうして生きてそこに居るのだと。

 

「ッ……キリト……ッ!」

 

 そうと分かったら、もう耐えられなかった。

 涙を堪えるなんて出来なかった。

 喜びを抑えるなんて不可能だった。

 どうして此処に居るのとか、どうやって此処に来たのとか、どうして三日も音信不通だったのとか、他にも沢山ぶつけたい疑問や訴えはあるけれど。

 それよりも、何よりも、いの一番にキリトの温かみに触れたかったボクは、衝動を抑える事も考えず彼目掛けて駆け出し、突進も同然の速度で抱き着いた。

 

「キリトッ!!!」

「ぐは……ッ?!」

 

 彼より体格がまだ大きいボクの全力も同然の突進を、不意を打つ形で受けたキリトは呻きを上げた。更に突進を受け止める事も出来なくて、キリトはボクに押し倒される形で床に倒れ込む。

 

「良かった、良かった……! 生きてた……! 生きてたよぉ……っ!」

 

 今までならそこで離れただろうけど、ボクはちょっと悪いかなと思いつつも、それ以上の絶大な喜びの感情に身を任せて、キリトを押し倒したまま華奢な肢体を強く抱き締めた。

 ぎゅう、と腕の力を強くすると、腕に掛かる圧迫とか、胸に着けている鎧が圧迫してくる力が更に強くなって、それで本当に生きているんだと喜びは更に強くなる。

 同時に鼻腔を擽る甘い香りも、アシュレイさんの服飾店で嗅いだ時のものと同じだ。

 髪質は当然、抱き締める感触も、感覚も、抱き心地も。

 

「キリト……ッ!」

「ゆ、ユウキ、ちょっ、苦し……っ?!」

 

 頬や腕に掛かる黒髪の感触や直接触れ合う頬の柔らかさ、苦しそうに声を洩らす様子、どうにか離れようと抵抗するその様子の全てが、ボクの記憶にあるキリトそのものと一致して、本当に嬉しくなった。

 目元に涙が浮かんで、それが頬を伝うのも分かった。凄く嬉しいから流れた嬉し涙だ。

 今日ほど嬉しさで涙を流した事があっただろうか。きっと生まれながらに背負った死の運命から解放される事が決まった、あの日以来だろう。

 

「本当に……本当に、生きてて良かった……っ!」

 

 少しだけ抱擁を緩めて、押し倒している少年の顔を馬乗りになっているボクは直に見下ろす。

 苦しげに顔を歪めていたキリトはこちらを見上げて、バツが悪そうな面持ちになった。どうやらあの行動がかなり悪い方に分類出来るものである事はそれなりに自覚があるらしい。その上で行動したのは問題だが、全く自覚がないという方がタチが悪いので、今は良いとする。

 その説教をするのは後で、皆と一緒の時でいい。

 今はキリトが生きていた喜びに溺れる方が先決だから。

 

「本当に……凄く、泣いたんだからね……?」

 

 バツが悪いからか若干顔を逸らしているキリトの頬に手を添えて、真っ直ぐこちらを向けさせてやる。それから顔を近づけて、キリトが死んだと聞いた時のあの哀しみの感情を去来させながら、訴え掛ける。

 生きていて嬉しいけど、哀しませてくれた事はとことん責める。

 義理の姉リーファ、剣の弟子であるシノンの事が大切で、場所も場所だから過去の事もあって死なせない決意が強まったのは分かるけれど、だからと言ってあの行動が正しいかと言えば一概にもそれは言えない。無論見捨てる事も正しいとは言えないが、キリトは自分の命の事をもっと省みて欲しいのだ。

 どういうロジックかは知らないが、運よくキリトは生きているだけで、本当ならとっくに死んでいてもおかしくない。現に納得したくはないが生き延びる術がないのだからと誰もがキリトを死んだものと見ていた。

 そんな奇跡が二度も起こる筈も無い。

 

「もう、何処にも、独りで行かないでよ……もっと命を、大切にして……」

 

 キリトの強張った顔を見ながら、目元から涙を流し、頬を伝うのを自覚しながら、訴える。涙は顎先まで伝い、そこから落ちて、キリトが着ている黒いシャツの胸元を濡らした。

 

「キリトはもう、独りなんかじゃないんだから……キリトが死んだら、リーファは勿論、ボクも、クラインも、姉ちゃんやエギルも、サチも、シリカも、リズも……皆、キリトとフレンドになってる人皆が哀しむんだよ。キリトが死んだら、ボク達の心に居るキリトも死ぬんだ……」

「……」

 

 ボクの訴えに、キリトは応えない。

 いや、応えようにも応えられない一方的な訴えだから、それも仕方ない。これはただ責めるだけの言葉なのだから、キリトは黙ってそれを聞くのが正しいのだ。

 それを脳裏で思考しながら、ボクは僅かに瞼を閉じて、押し倒しているキリトの胸に額を押し付ける。溢れ出る涙が彼のシャツをもっと濡らしていき、僅かに身動ぎしたが、それを無視して押し付ける。

 押し付けた額や顔は、全体的に暖かく、柔らかな感覚を覚えた。

 

「キリトが死んだって聞いて、この三日間が酷く億劫だったんだ……攻略だけじゃなくて、ふとした拍子に気分が沈むんだ。リーファ達も、クライン達も、ディアベル達だって、リンドもそうだった……」

「……」

「お願いだから……もっと、キリトは自分自身を大切にして……!」

 

 ぎゅっ、とキリトのシャツを両手で握る。強く額を押し付けて、言葉だけでなく体でも訴えかける。

 きっと今のキリトは、馬乗りになって圧し掛かっているボクの体が小刻みに震えているのを知覚しているだろう。毎夜毎夜、夢に幾度と無く見たキリトが欠片になって砕け散る様が脳裏に浮かんでいて、生きていたからこそそのシーンがより明確に浮かんでしまっていて、怖かった。

 生きていた事は嬉しい、素直に嬉しい。

 でも、だからこそ、もう奇跡は二度も起きないのだから怖い。今度こそ本当に死ぬんだと思うと、何が何でも自分の命を大切にして欲しい事を訴え掛けなければと思った。

 

「リーファ達の状況は仕方ないと言えるかもしれないよ……だから、一概にキリトを責める事なんて出来ない。アレはキバオウが悪いんだし……」

 

 そう、元を正せばキリトに殺されてはいるが、行動を起こしたキバオウが悪いのだ。あの男がリーファとシノンを攫ったせいでキリトがこんな思いをする羽目になった。挙句、キバオウ自身は参加していないらしいが、そこにいたというグリーンの男達に弄ばれたという。その話には殺意が湧く程だった。

 それでも、キリトが悪くない訳では無い。

 それを伝える為に、でもね、とボクは言葉を繋げ、顔を上げた。至近距離でこちらを見る困惑と悲しげな面持ちになっているキリトと視線が交錯する。

 

「時間が無かったにしても、一人で来るように指示を受けていたにしても……誰にも話さないで行った事だけは、キリトが悪いよ。《圏内事件》の時、リーファにも叱られてた筈だよ? 一緒にリズが居たのなら相談すれば良かったんだ」

「……ごめんな、さい……っ」

「……ばか」

 

 泣きそうなくらい表情を歪め、本当に涙を浮かべたキリトの謝罪に、ボクは小さく、弱く罵倒しながら胸を軽くグーで叩く。《圏内》だし、そもそも本当に力を入れていない握り拳で弱々しく叩いただけだけど、恐らく強烈な剣技よりも今のキリトには痛烈な一撃だっただろう。

 それが分かったのは、キリトがボロボロと大粒の涙を零し始めたから。

 時折しゃくりあげる彼は、コートの袖で拭っても拭っても絶えない涙を延々と流し続けた。

 

 ***

 

「はうぅぅぅ……」

 

 ついさっき死んだと聞いたばかりなのに、その本人がケロッとした顔で姿を見せた事で最初に喜色を見せたユウキちゃんはキリト君が泣き止んだ現在、はたと正気に戻ってからずっとこの不思議な場所の隅っこで顔を覆って蹲っていた。

 どうやら嬉し過ぎて押し倒し、更には抱き着きまでしたのを他の人に見られたのが恥ずかしかったらしい。

 まぁ、わたしも同じ状況でそれをしたら物凄く恥ずかしがって同じ事をすると思うから、その気持ちはよく分かった。自分の事ではないので彼女のその様子を見て可愛いなぁとほっこりしているけど。

 

「えっと、ユウキ……?」

 

 そして、ユウキちゃんに抱き着かれ、あまつさえ押し倒されてまでいたキリト君は今の彼女がどうして蹲っているのか分かっていないらしく、困惑した様子で首を傾げていた。話し掛けていいのか悪いのか判断が付かず、彼女の近くでオロオロとしている様はとても子供らしかった。

 ただ……以前見た時と違って、瞳の光が消えてしまっているのは気に掛かったが。

 表情こそ多少あるが、それも少し前に接していた時よりかなり乏しいし、光のない瞳はフィリアちゃんが初めて出会った時の状態に近似している。つまり今の彼は心に深い傷を負っている状態という事なのだろう。

 疑問なのは、ユウキちゃんから話を聞いた限り、その傷となるような事態が分からない事。キバオウ達を斬ったという話は分かるが、今まで数多のオレンジやレッドを斬って来た彼がそれで深い傷を心に負うだろうかと思う。確かに負いはするだろうけど、それでも瞳の光を失くす程ではないだろう。

 という事は、キバオウ達を斬った事そのものではなく、それ以外の何かが原因という事になる。けれど残念ながら、わたしにはそれが何なのか分からなかった。そもそもその騒動についてあまり詳しく聞いていないため、よく知らない状態で分かる訳もない。

 恐らくユウキちゃんなら何か知っていると思うけど……

 

「うぅぅ……!」

 

 ――――羞恥から蹲って身もだえし続けている彼女に問う事は出来そうになかった。

 本音を言えば、あの悶えている姿をもうちょっと見ていたかったりする。

 それと、まぁ、本人が居る目の前でそれについて問うのもどうかと思ったのだ。感情に乏しく、瞳に光が無くはあるが、一応それなりにまともな反応を見せているからあまり刺激しない方が良いだろう。

 とは言え、流石にそろそろ彼女をこちらへ引き戻した方がいいかも、とは思っている。時間は有限だ。あまり詳しく聞いた訳では無いが、今の《アインクラッド》はかなり不安定な状態にあるらしいし、行方不明扱いとなっているだろう彼女は早々に帰らなければならないだろう。

 わたしとフィリアちゃんも早く孤児院の皆と連絡を取って安心させてやらなければならない。あの子達が第七十六層で立ち往生していなければいいのだけど……

 

「えっと、ユウキちゃん、そろそろ話をしたいんだけど……」

「う、うん……」

 

 オロオロとしているキリト君の隣に立って、目の前で蹲っているユウキちゃんに声を掛けると、彼女は僅かにどもりながら反応を返して立ち上がる。こちらに見せた彼女の顔はまだ朱く、それが先の大胆に過ぎる行動にどれだけ羞恥を抱いているかの証左だった。

 その様子を微笑ましく思いながら、さて、とわたしは気持ちを切り替えるように言って、隣のキリト君を見る。

 自分が見られた事が分かったようで、キリト君もわたしを見上げて来た。

 

「ユウキちゃんから聞いてたんだけど、キリト君って外周部から落ちたんだよね? どうやって生き残ったの?」

 

 まず最初に明らかにしておきたいのはそこだった。

 何となくわたし達と同様に強制転移によってこちらに来たのだろうなと思ってはいる――というか状況的にそれしかない――のだが、それを確定的にしておきたかったのだ。ひょっとしたらあそこから自力で生還出来る術を持っていても、キリト君なら何らおかしくないという気すらしている。

 

「ん……えっと……」

 

 その問いに、キリト君はどう答えるべきか迷ったように、きゅっと眉根を寄せた。

 

「俺も、実はよく分かってないんだ。落下してる途中で意識を喪って、気付いたらこの管理区に居たから……」

「かんりく?」

「四人とも浮遊石からここに転移して来たんだよな? 此処は【ホロウ・エリア管理区】と言って、様々なシステム的アクションを行える場所なんだ」

「へぇ……」

 

 ハキハキと淀みなく答える様からして、どうやらキリト君はこちらの事をわたし達よりは深く知っているらしい。

 ユウキちゃんの話から推測するに多分わたしやフィリアちゃん、ルクスちゃんより数時間後に来た筈だが、この情報の差は流石は最前線で常に最新情報を回す為に尽力してきたキリト君だと思った。

 そう思考していると、キリト君は徐にわたしの後ろに目を向けた。

 

「ところで……そっちの人は?」

 

 その疑問を受けて背後を振り返れば、彼の視線の先にはルクスちゃんがいた。確かに彼女とは初対面に当たるだろうから疑問に思っても仕方がない。

 それを察したのだろうルクスちゃんは、一歩前に出て胸元に手を当て、微笑みを浮かべた。

 

「私は、ルクスと言う。君の事は三人から聞いているよ、よろしく頼む」

「……不躾だけど、何でオレンジカーソルなんだ?」

 

 彼女の頭上を見上げながら問うキリト君。

 やっぱり気になるよねぇと思うと同時、その疑問を呈する様子に警戒心といったものがあまり感じられなかった事にわたしは内心で首を傾げた。ここが《圏内》だから、あるいは彼の眼から見ても彼女が好んで人を傷付けるような人格では無いと判断出来たから、あからさまな警戒はしていないのだろうか。

 

「…………こちらに来てから、人を殺してしまってね」

「……そうか。悪かった」

「いや、構わないよ。気になるのは仕方ないからね……」

 

 暗い顔で、けれど正直に答えたルクスちゃんにキリト君は謝罪し、彼女はその謝罪を受けて苦笑を浮かべながら首を横に振った。むしろ隠し立てしようとする方がアレだし、気になるのは確かだから、仕方ないと言えば仕方ない。

 キリト君もその気持ちは理解出来るのか、それ以上追及する事も、謝罪を重ねる事もなかった。

 

「それで、四人はどうしてこっちに居るんだ?」

「わたしとフィリアちゃん、ルクスちゃんは三日前のお昼頃に唐突な転移でこっちに来ちゃったんだ」

「ボクは今日のお昼頃だった」

「四人とも強制転移っていう訳か……となると、俺も強制転移なのかな……」

 

 わたし達がこの《ホロウ・エリア》にどうやって来たかを正直に語れば、彼はそう呟いた。どうやら彼自身、気を喪っていたという事もあって強制転移した瞬間の事を覚えていないらしい。

 ただ、少し気になった事もある。

 以前、わたしは彼をおぶって教会まで運んだ事がある。あの時の彼は闘技場での激闘の疲労や《圏内事件》の経緯を探る為に酷く疲労していて、教会の子供達を軍の《徴税部隊》から助ける為に大暴れした末に、半ば気絶する形でわたしの背中で眠りに就いた。疲労を押してでも動いていたその強靭な精神力は相当なもので、他の追随を許さない域にあると見て間違いない。

 気になったのは、それだけ強靭な精神力を有する彼が、外周部から落下する間に気絶するのかという事。

 確かに第七十五層のフロアボス戦での疲労はあるだろうし、七十六層での混乱を抑える為に走り回っていた事から精神的な疲労はあるだろう。キバオウ達の事もあるし、精神的苦痛はかなりのものと見て相違ないとは思う。

 でも、その疲労があの日より凄まじいものだとは、到底思えなかった。

 死への恐怖から気絶したという線も無くはないが、普通の一般人ならともかく、幾度も生死の境を彷徨う程の死線を潜り抜けて来た彼がそうなるだろうかと思い、どうにもしっくり来ない。そもそも彼は幾度も外周部から落とされている経験を持つと聞いている。今回はオレンジだったから絶対に復帰不可能だった訳だが、それで気絶したと言うにはどうにも弱い。

 ひょっとすると、物凄い速度で移動している間に転移現象が起こって、それで意識と共に記憶も飛んでいるのではないか、と思った。

 転移は座標を移動するだけで移動中の慣性はそのままなのだ。落下中に転移したのなら転移石の地面にそのままの速度で激突し、気絶したという線は大いにあり得る。その衝撃で転移前後の記憶が飛んでいる、という可能性は否定出来ない。

 映像動画とかがあれば良いのだが、このSAOにそんな都合のいいものがある訳でも無し。本人も忘れている以上はどれが真実なのか分からないので気にしても仕方ないだろう。

 些か引っ掛かる事はあるが、取り敢えずそれは横に置いておこうと決めて、別の質問をぶつける事にした。

 

「ちなみにキリト君、今までどこで何をしてたの? それにどうやって此処に? 此処って多分紋様が無いと来られないと思うんだけど……」

「紋様……あの浮遊石にあるアレか」

 

 最初はわたしが言う紋様が何か分からなかったようだが、すぐに当たりを付けたのか理解した表情を見せた。

 

「俺は今まで、《精霊の森》っていう場所にいた」

「「「「《精霊の森》……?」」」」

 

 何その神秘的な場所と思える名前は、と思いながら四人揃ってオウム返しに呟く。

 彼の話によれば、そこは【深緑樹海セルベンティス】エリア――ここで初めてエリアの名前を知った――の《迷いの森》の中に唯一存在する、モンスターがポップしない平和なエリア。色取り取りの花々が咲き誇っていて、開けた場所にあるからか深い樹海の中でも唯一と言って良いくらい陽光が燦々と降り注ぐ落ち着いた場所だという。

 この三日間の内、昨日と今日は疲れを取る為にそこで休んでいたのだという。それ以外はこの管理区を拠点として樹海エリアの各地を転々としていたらしい。わたし達と会わなかったのは偶然のようだった。

 

「キリト……ッ!」

 

 それを聞いて、ユウキちゃんがいの一番に反応を示した。どこか感動したように口元を抑えて震えている。

 

「疲れを取る為に自主的に休むなんて、成長したね……! ボク、凄く嬉しいよ……!」

 

 その感動は、今までいくら言っても絶対に休もうとしなくて、以前休んだのもフレンドになっているユウキちゃんを始めとして多くの人に説得されたものだったからこそ、自主的に休む事を選択したが故のものだった。状況的にかなり切迫してはいるものの、彼女も疲労の極みにある彼を働かせようという鬼畜では無いので、素直に喜んでいるらしかった。

 傍から聞いている身としては、それだけで感動を覚えるのもかなりどうなのかと思わないでも無い。偶に思うけど、ユウキちゃんってキリト君を恋い慕うあまり、時折かなり過保護になっている気がする。

 まぁ、それも長い付き合いだからこそなのだろうけど。

 

「うーん……これで喜ばれるのも、それはそれでかなり複雑なんだけど……」

 

 喜ばれている当の本人はかなり微妙そうな表情をしているが。

 ユウキちゃんの過保護ぶりを受けて微妙な反応を示した時に、もしかしてちょっとした反抗期か何かかな、と何とはなしに思った。年齢的にキリト君にも反抗期が来てもおかしくはない。ちょっと早いと思わないでも無いが、元々彼は精神的に早熟な気があるから普通だろう。

 

「それに、今回も説得されて休んだだけだから、自主的ではないよ」

 

 だが、ユウキちゃんの喜びは残念ながら無に帰す事になる。どうやら今回も誰かに根気強く説得された事で休む事を決めたらしい。

 それにしても、一体誰に説得されたのか。この《ホロウ・エリア》にはわたし達以外にも誰か居るというのか、それもキリト君の事を慮る程に親しい間柄の者が。だとしても一緒にこの場に来ていないのは引っ掛かる。

 

「……説得? 誰にされたの?」

「ユイ姉」

「「「…………は?」」」

 

 ユウキちゃんの問いに対し端的に返された人物名を聞いて、ユウキちゃん、フィリアちゃん、そしてわたしの三人は揃って素っ頓狂な声を上げてしまった。その人物は確かに知っているけど、少し前に彼との対話を最後に行方知らずになり、恐らく死に別れをしたのだろうと予想していた者だったからだ。

 誰が考えるだろうか、彼の義理の姉であるユイちゃんがこちらに来ているなどと。

 

「……えーっと、話があまり呑み込めないんだが。ユウキ達はその人物について心当たりがあるのかい?」

 

 この場で唯一ユイちゃんについて知らないルクスちゃんが、小首を傾げながら疑問を投げて来た。知らなかったらそりゃ話が分かる訳も無いだろう。仮に今まで分かっていても、知らない人物について出されたら分からなくなる事は請け合いだ。

 

「キリトが『ユイ姉』って呼んだ子は、少し前に記憶喪失と精神後退の状態で第二十二層に倒れていた女の子の事だよ。目が覚めた後、ユイちゃんはキリトのお姉さんになったんだ」

「……精神後退をしていたのに、かい?」

「僅かとは言えユイちゃんの方が大きかったからじゃないかな。幼心に思ったとか?」

「ああ……」

 

 ユウキちゃんがユイちゃんの事について端的に説明し、ルクスちゃんも一応事情を把握したようだった。

 まぁ、精神後退を起こしている子が姉を名乗るというのはどういう事なのだろうと、普通は疑問に思うかもしれない。わたしやフィリアちゃんが知り合った時は既に彼女の事をキリト君は『ユイ姉』と呼んでいたし、ユウキちゃんと知り合った時もそうらしかったので、特に疑問に思わなかったけど。

 

「ふむ。けれど、その子もこちらに来ているとして、今は何処に居るんだい?」

 

 事情と関係性を把握したところで、ルクスちゃんは続けて疑問を呈する。

 確かにそれは気になる事だ。あのキリト君が、まさか自分の義理の姉であり戦う力が無いユイちゃんを置いて来る筈も無いし、食料調達で離れるかもしれないけど、それならこの管理区に来る筈が無い。そこらのモンスターを狩ったら、そのまま非ポップエリア故に半ば圏内も同然な《精霊の森》へと直帰しているのは明白。

 此処に何か用事があったのかもしれないけど……

 

 

 

『私なら、最初からずっと此処に居ますよ』

 

 

 

 そう思考していると、ふと、どこからともなく聞き覚えがある声が聞こえて来た。

 

「え……ユイ、ちゃん……?」

 

 ユウキちゃんが、慄然としながらその声の主の名前を口にする。

 その声は少し前にキリト君の義姉となり、そして翌日にシンカーさんを救出する為の地下迷宮攻略後に姿を消した少女、ユイちゃんのものだったのだ。あれから行方知らずとなっていて、キリト君の様子から世を儚んで自ら命を絶ったのでは、と思っていたのだが、これは良い意味で予想が外れたようだ。

 けれど、その姿はどこにも無い。キョロキョロと辺りを見回しても姿が無く、けれど声は聞こえていた。

 まるで幽霊のようだ。

 

『ふふ……混乱していますね』

 

 また声が聞こえた。

 でもどこから聞こえているか分からない。姿も当然見えない。

 これは一体どういう事だと、わたし達は揃って困惑した。

 

『ああ、すみません。今、姿を見せますね』

 

 明るく、茶目っ気を感じさせるいたずらっ子のような声音で少女が言った後、何とキリト君の胸元から淡い蒼色の光が放たれた。

 キラキラと幻想的な輝く蒼い光はシャツの内側から放たれていて、次第にシャツの中から姿を見せる。その光は彼が首から提げている雫を象った蒼いネックレスから放たれていた。

 思わぬ光景に瞠目していると、雫を象ったネックレスから一際強い蒼白い光が飛び出す。

 それは緩く上に上がり、次いで放物線を描いて落ちる。

 そして床から五十センチほどの高さのところで蒼白い光は破裂。閃光は発さなかったものの僅かに光を解放したそこには、一つの人影が存在していた。

 キリト君よりも僅かに背が高く、しかし同じくらい華奢で、まるで姉妹の如く艶やかな黒髪を後ろ腰まで伸ばしているその人物。白いワンピースを纏い、裸足で半透明のガラス床に足を着けたのは一人の少女。

 声から察していた通り、キリト君の二人目の義姉ユイちゃんだった。

 小さな光から現れた少女は眼を瞑っていたが、すぐに瞼を持ち上げ、にこりと微笑んだ。その視線はルクスちゃんへと向けられる。

 

「初めまして、ルクスさん。私はこの子の義理の姉ユイと言います」

「え、えと……は、初めまして……」

 

 驚き冷めやらぬまま挨拶を返す彼女に満足そうな微笑みを向けたユイちゃんは、続けてわたし達に視線を向けた。

 

「そしてお久しぶりです、ユウキさん、フィリアさん、レインさん。またお会い出来て嬉しいです」

 

 そう言って、ユイちゃんは甘いお菓子を食べた時の子供達と同じように朗らかな笑みを浮かべた。本当に嬉しいと思っている事が分かるくらい、その表情に裏は無かった。表だけだった。

 

 ――――却ってそれが不気味に思える程、あまりにも自然だった。

 

 一体これはどういう事なのか。彼女の口調が以前に較べて酷く大人びたものになっている事、そして何よりもユイちゃんがどうしてそこから出て来たのかと、疑問は尽きなかった。謎が多く出て来て困惑は止まらない。

 わたし達の様子を見たユイちゃんは悪戯っ子が笑いを堪えるように口元に手を当てた。

 

「悪戯大成功です!」

「……ユイ姉、混乱を大きくしてどうするんだ……」

「私がする事を黙認したんですからキーも同罪ですよ? 共犯者なんですから」

「それはそうだけど……」

 

 わたし達が驚いて困惑している事にご満悦らしいユイちゃんと、それに加担しつつも呆れながら咎めるように言うキリト君の口振りから、どうやら狙ってした事らしい事は分かった。

 何時相談したかは分からないが、僅かな時間でユイちゃんが計画を立て、どういう手段でかは分からないがキリト君に伝え、彼はそれを黙認したのだろう。

 という事は、わたし達と再会してから今までの全ての会話を、ユイちゃんは彼の胸元のネックレスの中から聞いていたという事だろうか。

 しかし、何故ネックレスの中に入れるのか。あのアイテムにはそういう機能があるのだろうか。

 中世ファンタジーと言えどゲームだから無くは無いだろうが、魔法的なものの大半が排斥されている《ソードアート・オンライン》にそういうものがあるというのは初耳だ。結晶アイテムを除けば精々焚火代わりに焔を吹き出す魔石くらいしか聞いた事は無い。

 

「えっと……キリト、色々と事情を説明して欲しいんだけど……その、ユイちゃんって、もしかして今までずっとそのネックレスの中に居たの……?」

 

 困惑で誰も言葉を発せないでいる中、最もキリトと付き合いの長いユウキちゃんがその問いを発した。微妙に頬を赤くしているところを見るにさっき抱き締めていたのも知られているのかと考えたのだろう。

 その思考を見透かしたのか、ユイちゃんはにっこりと満面な――――ある種イイ笑顔を浮かべた。

 

「はい! シンカーさん達を助け出したあの日からずっと居ました! ユウキさんが一世一代の決意をしたところでアルゴさんの登場で轟沈したのもバッチリ見て聞いてましたよ!」

「――――」

 

 悪魔だ。

 ユイちゃんが浮かべているイイ笑顔と口にしたその内容から、確実にこれは確信犯で言っていると理解したわたしは、一言そう感想を抱いた。分かっててユウキちゃんの心を抉っている言葉を選んでいる辺り、小悪魔よりは悪魔と言った方が的を射ているだろう。

 

「誰か……っ、誰かボクを殺せぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええッ!!!!!!」

 

 どうもわたしやフィリアちゃんが知らないところでも何かしていたらしいユウキちゃんは、ユイちゃんに言われた瞬間凍り付いて、すぐに再起動を果たした。ただしそれは想像を絶する絶叫というおまけ付きだったが。うがーっ!!! と頭を両手で押さえながら雄々しい咆哮を響かせている。

 一世一代の覚悟、というのを聞いて、ああ、告白しようとしたんだなと悟った。そしてそれに水を差す形でアルゴちゃんが入って来た事が原因で出来なかったんだなとも。

 同性として物凄く憐れに思えた。同時にそれでも挫ける事無く意識してもらうよう果敢にアタックしている彼女の心意気に感服を覚えた。

 そしてユイちゃんが確信犯で傷を抉る事以上に不憫に思える事がある。それは、想いを向けられている少年の方は、何が何だか分からずユウキちゃんを抑えようと必死になっている事。

 第三者の乱入もあってお流れになったもののムードというものはあった筈だ。それでも自身が抱いている想いに気付いてもらっていないのはかなり不憫に思える。

 キリト君はまだ小学五年生の年齢。男子はまだ性の事に興味を向けにくい年頃だから仕方ないとは言え、せめて少しでも気付いてあげた方が良いのではと思わないでもない。幾ら経験が無いとは言えユウキちゃんのは相当分かりやすい類なのだ。

 まぁ、今はただ慌てているだけで、普段は気付いているのかもしれない。ユウキちゃんの様子を見る限り可能性は低いなとわたし自身思っているけど。

 この後、ユウキちゃんが落ち着くのに十分を要した。

 

 

 

 ちなみにこの後分かる事だが、ユイちゃんはキリト君がこっちに来てからネックレスの中に入ったらしい。キリト君と別れてからは此処からその様子をモニタリングしていただけという事だった。

 

 

 

 それはそれで別の意味でユウキちゃんは悶絶していたので、気休めにもならなかったが。

 

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 もうね、ユウキって一人で主人公とヒロイン張れるから困る……気付いたらこうなってたよ! 違和感なく書いただけなのに!

 さて、本作では完全に魔改造キャラと化したユイ姉。キリトの戦闘思考はともかく、戦闘時の動作や行動の全ての感覚を常に知覚しているという事で、ただキリトの戦闘を観察しているだけでドンドン学習していっています。

 じわじわとヒロイン枠を狙っていくスタイル……(笑)

 目指せ、《アクセルソード》の大人ユイ。普通に大人ユイは強くて使いやすいし、キャラ的に好み。大人の見た目になったら多分キリトも凄い甘える。

 あとカッコいい、『覚悟は良いですか?!』とか。ユイの妹が重攻撃系だから、彼女は速力重視で武器は《細剣》、《片手剣》辺りを考えているんですが……何が良いかな(既に本作で戦闘するのは決定事項)

 ちなみに、ネックレスと同化とか、感覚を(一方的だけど)共有している設定は【Fate】のエクステラに登場する王権レガリアを参考にしています。あの作品の主人公は戦闘になると指輪の中に移動し、そこからプレイアブルサーヴァントの補助をする感じで、更にサーヴァントを包み込む感覚があるとか何とかありました。

 それを流用したら、ユイ姉も戦闘時に一緒に居られるし、原作ピクシー時のように戦闘補助出来るんじゃないかなと思って採用。色々理屈を書いていますが、私なりに頑張って解釈して、理屈をひねくり出した感じです。

 ISの《個人間秘匿通信》は《プライベート・チャンネル》とも書かれていますね。原理は無いけど、多分喉の筋肉と声帯を収縮させる電気信号を読み取って、それを音声データに変換して、やり取りをしているのではないかなぁと考えました。そうじゃないとSAOの仮想世界でどうやって正確に会話出来るようにするのかっていう話なので。

 異論があるかもしれませんが、ご容赦頂きたく存じますm(__)m

 ユウキのヒロイン度もそうだけど、ユイ姉の魔改造度もドンドン上がっていってるなぁ……ランとリーファも強化しなきゃ(使命感)

 シノン? 彼女は
と《死銃事件》があるので、強化は確定(そもキリトの指導を受けてる時点でお察し)

 長文失礼。

 では、次話にてお会いしましょう

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