インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。
今話はオールシノン視点。サブタイトルから分かる通り、シノンの鍛練のお話です。
キリトが居なかった間の影響はちょこっとだけ(表に)出ています。
文字数は約二万一千。
ではどうぞ。
「……さて、これからの行動について話をしようと思う」
対集団戦のノウハウについて十分な情報を得たアルゴが足早く《アインクラッド》へ戻ったのを見届けた後、お握りを片手に持って、キリトがそう切り出した。ご飯時にそういう話をするのかと思わなくも無いが、多分時間を有効に使う為という思考でしているのだろう。
今でこそキリトは休めているけど、実際そこまで彼に残された時間は無い。彼が自分で予測したという肉体のタイムリミットまで残り五ヵ月を切っている為だ。あまり彼が最前線攻略から身を引き続けていると攻略速度の関係でゲームクリアが年を越えるかもしれない。
だから少しでも無駄な時間を省いて、有意義に使う事で《攻略組》への復帰を早めたいと思っているのだと思う。わざわざ食事の時間と今後の話し合いの時間を分けるくらいなら、食事中に出来るだけ今後について話し合っていて、食事で余った時間を歓談に使い、終われば即行動にした方が探索範囲も僅かながら広くなるから。
食べながら話すというのは正直抵抗感はあるけど、彼も口の中に食べ物が入っている状態で喋らないため、今は別に指摘しなくてもいいだろうと流す。
それにそういう注意は多分義姉のリーファが必要と思えばする筈だ。
そう思考していると、丁度肉を頬張っていたユウキがこてん、と小首を傾げた。ごくりと嚥下した後、口を開く。
「今後についてって、樹海エリアを探索するんじゃないの?」
「うん、《ホロウ・エリア》の活動方針についてはそれで良い。俺が言いたいのはリーファとシノンについてだ」
「私とリーファについて?」
まさか話し合いの中心の一人が自分とは思わなくて、ついつい言葉を発してしまった。
そんな私の言葉にキリトはこくりと頷き、丁度水を注いだコップを傾けていたリーファにまず視線を向けた。
「既に理解していると思うけど、リーファはソードスキルの発動に関して反復練習をすれば、あと問題なのはレベルとスキル値くらい。スキル値はともかく、レベルはパワーレベリングをすれば良いから、ルクスとパーティーを組んで戦ってもらえばすぐに上がっていく。剣道の経験もある程度活きるから問題なのはレベルだけなんだ」
恐らく最も効率的な方法として考えている事なのだろうリーファの強化案を口にした彼は、次に私を見た。
「対して、シノンに関してはレベルだけの問題じゃない。俺としか共通しない武器スキルがあるし、その戦い方も他のプレイヤーと一線を画しているもの、更に経験も浅い。センスはあるけど十分とは言えない。レベルとスキル値は言わずもがな……今後の攻略でも重要なポジションを確立出来るだけに、俺は出来るだけシノンの育成にも力を注ぎたいと思ってる」
私が習得している《弓術》スキルは、彼曰くユニークスキルの類らしいから他の人とスタイルが重ならない。
《射撃術》を習得しているキリトとなら同じになるかもだけど、そもそも彼は《二刀流》をメインにSAO随一のダメージディーラーとして前衛で戦うスタイル、ほぼ後衛向きの私とはどうしてもスタイルが異なる。一応近接系の武器スキルのメインは《短剣》なのでかなりの近接アタッカーになるのだろうけど、攻撃威力よりはヘイトの管理とデバフ付与の役割が大きいため、やはりアタッカーとは言えない。キリトの言葉を借りるなら、私の役割はクラウドコントローラーやスカウトというものなのだ。
超接近戦と中・遠距離戦、つまり技術が高ければ距離を選ばないプレイヤーになれる。
だがそれは相当な経験を積んで適切な判断を下せる者でなければ十全に力を発揮出来ない難しいスタイルだ。キリトであれば近中遠全ての距離に対応出来るのだろうけど、彼が言ったように私には決定的に経験が不足している。ステータスや装備の面でも問題だけど、自分の力や出来る範囲を未だ把握し切れていない以上、経験を積む事が最優先課題とも言えるのだ。
しかもこの三日間、私はキリトの死が自分の責任であると責め続けていたから碌に鍛練をしていなかった。
それはリーファも同じだけど、彼女の場合は物心ついた頃から続けて来た慣れや経験があるから、キリトを圧倒出来るくらいの実力を維持出来ている。私はこの世界に来てから戦いの術を知り、技術を身に着け始めたので、既に酷い事になっているのは想像に難くない。
気力だけなら前とは比べ物にならないくらいなのだが……気力でどうにかなったら、世の中苦労はしない。
「つまりルクスさんのパワーレベリングにお二人も入れるという考えで良いですか?」
キリトの話を纏めたユイちゃんがそう問い掛ければ、幼い剣士は強く頷く。
「あと付け加えるとすれば朝と夜に俺との鍛練を入れる事かな。ユウキが来られない可能性もあるし、出来れば二人はこっちで寝泊まりして欲しいんだけど……」
「あたしに異論はないよ。少しでも強くなれるのが早くなるならそれに越した事は無いから」
「私もリーファと同意見。これ以上足を引っ張るのはごめんだから」
「ん、なら朝食を終えた後、九時くらいまで鍛練に費やそう。リー姉はソードスキルの反復練習で良いとして、この後はシノンを重点的に見る」
「分かったわ」
今後について決まった後、私達は手早くお握りと肉を食べ終える。使った食器類を水の細剣と風の六槍の力を使って洗ったのを見届けた後、私はキリトに連れられて《OSS試験場》へと場所を移した。
なお、リーファやレイン達は邪魔にならないよう管理区に居続けている。これから一緒に戦う間柄なので互いの事をよく知る為と、リーファはソードスキルの反復練習をするためだ。
「さて……これから久し振りにシノンに鍛練を付ける訳だけど、その前に渡すものが幾つかあるんだ」
「渡すもの?」
何だろうと思っていると、彼はメニューを操作し、すぐにトレードウィンドウを表示して来た。私の目の前に表示されたウィンドウには、彼が選択したのだろうアイテムが幾つか明記されている。
そこには驚きの品があった。
「え……ガルム?! それに《ⅩⅢ》まで?!」
そこに表示されていたアイテムは、キバオウの配下の誰かに取られたままだった愛用の短剣ガルム、そして彼が所持している闘技場《個人戦》で得たレア装備であろう《ⅩⅢ》だった。他には装飾品として《エクスチャーム》というものや《ホーリィリング》という指輪があるが、それらよりも先の二つに驚く。
どういう事だと眉根を寄せながらキリトを見て説明を求めると、彼もそれが分かっていたのかすぐに話してくれた。
元々MMORPGの側面を持つこのSAOは、デスゲームという背景からPKはしてはならない禁忌とされているが、本来のゲームであれば普通に横行していても何らおかしくない行為。オレンジというシステム的に忌避されるようにはされているが、禁止されていない以上はやはり誰かはするもの。
他のネットゲームに較べてPKのリスクやデメリットが多いのだから、その分だけメリットも無ければ話にならない。
茅場晶彦はそういうところにも焦点を向けていたようで、PKをした際、HPを全損して倒れたプレイヤーが所持していたコルの五割、これまでの累計経験値の一割を奪って相手のレベルを下げ――恐らくは即座の報復をしにくくするためやPKプレイヤーの増加抑制のため――、その時装備していたアイテムを確率ドロップ、ストレージに入れていたアイテムの幾つかを確定ドロップするようになっているらしい。
つまりトレードウィンドウに表示されているガルムは、正真正銘私がかつて奪われた愛剣な訳だ。
「なるほど……じゃあ、《ⅩⅢ》は?」
「その前に。確認しておくけど、シノンは第七十五層で何があったかは知ってる?」
「えっと……アキトが攻めて来て、第二レイドが壊滅して、キリトと斬り合って……その最中にシステム障害が起きて、アキトは死んだっていうくらい。細かい部分は聞いてないわ」
「それくらい知っていれば十分だな。その《ⅩⅢ》は、アキトを殺した際にドロップしたものなんだ」
「……」
確かに、アスナやユウキ達から聞いた内容では、あの神童アキトもキリトと同じように《ⅩⅢ》の武器を使っていたと聞いている。それが謎に謎を呼んで不可解さと言うか不気味さを増大させているのだが、既に死んだのだから良いかと話は終わっていた。
PKしたプレイヤーのアイテムをランダムドロップしたのだとして、本当にコレがその一つであるのなら、私はあの男の武器のお下がりを貰うという事になる。
強力な装備である事は理解しているし、これ以上無いものであるとも分かっているのだけど……こう、心情的に受け容れ難いものがあるのも確かだった。
「……これ、受け取らないとダメ?」
「勿論」
出来る事なら、私はあんな男のお下がりを使いたくないのだけど、と我が儘である事も承知の上で問い掛けるが、キリトはにべも無かった。
「《短剣》と《弓》の持ち替えを高速で行えるなら構わないけど……出来る?」
後ろ腰に差している短剣と、両手武器として――人目を考えて普段はストレージに仕舞っているが――《圏外》では肩に担ぐ弓は、その持ち替えが中々難しい。弓を使う為にいちいち短剣を鞘に戻すのもそうだが、何よりも弓で戦うには不利な距離まで詰められてから短剣を抜こうとしても、間に合わない時が多い。
以前キリトと共にチェーンクエストを受けに行ったが、その時に分かった課題がこれなのだ。
その点、《ⅩⅢ》を装備して私の《白樫の弓》を登録すれば、短剣を鞘に納めてすぐにイメージで呼び寄せられるし、仕舞うのも一瞬。つまり武器の切り替えが恐ろしく速く済む。距離によって武器を替えなければならない私からすればこれ以上無いくらい適した武器なのだ。様々な武器スキルを取って状況や相手によって持ち替えるキリトも、だからこそ《ⅩⅢ》を愛用している訳だし。
逆に言えば、これを使わないと慣れていない私では咄嗟に武器を持ち替えることは出来ない。恐らく経験を多く積んでいるユウキ達も咄嗟の持ち替えは出来ないだろうから私が出来ないのも道理だ。
「……無理」
そう納得して言えば、彼は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた。
「だから我が儘を言わない。どうせならアキトよりも上手く使って、正しい使い手になってしまうくらいの気概が欲しいな」
「む……言ってくれるわね」
若干挑発めいた事を言われてカチンと来たので、私も強気に笑みを浮かべてキリトを見返す。
「良いわ。この《ⅩⅢ》を使ってすぐに強くなって見せるから、驚くんじゃないわよ……――――それで、他のこの装飾品はどういったものなの?」
「《エクスチャーム》は取得経験値量を15%引き上げるお守りで、《ホーリィリング》はHPを毎秒1%回復するバフを付与する指輪だ。お守りは俺のお下がり、指輪は多分第七十五層ボスのドロップ品だな。ちなみにLAじゃない」
「毎秒1パーですって……ッ?!」
キリトのレベルの高さを考えればお下がりのお守りの効果が経験値量増加のものでも違和感は無かったけど、まさかHPを毎秒1%回復する指輪をトレードしてくれるとは思わなかった。
私がここまで驚愕したのは、一度の回復量では無く時間当たりの回復量だ。一分経てば六割も回復するだなんてかなり高回転の回復バフなのは明確。何しろポーションが即時三割時間一割、ハイポが即時五割時間三割、グラポが即時六割時間六割という回復割合。それをこの指輪は単体でグラポの時間回復と同等の回復量を叩き出している。
極論、ハイポーションと併用するだけでもほぼ全回復出来るし、《戦闘時自動回復》スキルもあれば一分で自動回復なんて事も可能になる。
それだけこの《ホーリィリング》は貴重な代物であり、値打物という事。それくらいはゲームに疎い私でも分かった。
私が分かったのだから、キリトはもっと理解している事だろう。
「キリト、あなたの判断を間違ってるとは思わないけど、これは前衛のリーファやユウキに渡した方が良いんじゃないの? もっと言うとあなたが装備した方が良いと思う」
極論私は距離を取って弓で戦うから、上手く立ち回ればHPを一ドットも削らずに戦闘を終える事も出来る。それに較べれば前衛で牙と刃を激しく交えるリーファやユウキ、そしてこの世界の柱とも言えるキリトが装備して生存率を上げたり後退する回数を減らしたりした方が、戦略的に良いと思った。
私のその言葉を聞いた彼は、仄かに微笑を浮かべ、優しい眼でこちらを見上げてくる。
「気持ちは嬉しいよ。でも、リーファは前衛として防御力重視の装備で身を固めてるのに対し、シノンは弓使いとして防御よりも敏捷性重視の装備だ。ダメージカット率もそこまで高くない以上はこれで補った方が良い」
「う……」
キリトが言ったように、弓使いとして素早く距離を取って戦うのがメインである私は、短剣のソードスキルの威力やクリティカルダメージ量を上げる為に敏捷値重視の装備を纏っている。リーファに較べれば確かに防御性能は不安がある。レインが拵えてくれた服は前に較べて遥かに性能が高いのだけど、やはり金属装備や胸当てだけで、他は革ですらない布装備だから防御力は紙同然。
こんな状態では同レベル帯の雑魚Mobの一撃すらも致命的。この《ホロウ・エリア》では、それこそ一撃死すらもあり得るだろうし、掠っただけでもゴッソリ持って行かれるのは想像に難くない。
「幸い《エクスチャーム》はダメージカット率が二割もあるし、シノンの回避能力も結構高い、直撃さえ避ければ即死は免れる。《ⅩⅢ》に登録されている盾で防御すれば、連続でさえなければ全損もしない筈。そう考えて俺はその四つをシノンに渡す事にしたんだ」
「なるほどね……」
ただ戦闘技術やレベルだけ鍛えるのかと思いきや、装備の面でまた面倒を見てもらってしまった。しかもしっかりと攻撃面を整えながらも生存能力を高める構成で装備を渡してくるのだからタチが悪い。
とは言え私の事をしっかり指導してくれるという証でもあるから素直に受け取っておこうと思って受領ボタンを押そうとしたところで、ふと気になった事が出来て、オーケーボタンをタップしようと伸ばした指を止める。
「……でもキリト、私、あなたのように《ⅩⅢ》を使いこなせる自信が無いのだけど」
キリトから聞いた限りでは、《ⅩⅢ》の武器を取り出したり仕舞ったり、空中で自在に動かすのは全て装備者の詳細かつ強固なイメージがトリガーになっていると聞く。あれだけ種類が豊富な武器達を、その姿一つ一つを克明に浮かべながら攻撃するイメージを練り上げ、同時に目の前の戦闘にも集中して対応するなんて、私には真似出来そうにない。《ⅩⅢ》の持ち味を活かせないのではないかと不安になった。
しかし、その不安と疑問は予め予想していたようで、彼は微笑みを崩さない。
「心配しなくても、シノンに渡した《ⅩⅢ》に登録されていた武器の大半は外してる。地の斧剣、水の細剣、炎の戦輪、風の六槍、雷の刀、氷の大楯は外せなかったけど」
そう言われ、すぐに受領ボタンを押して新たにストレージに加わった《ⅩⅢ》を探し出し、装備して詳細を確認すると、確かに彼が言ったように特殊な力を有する六つの武器を除いたものは全て外されていた。
「ちなみに外した分は俺が所持してるから」
「そう……」
まぁ、そもそも持っていたとしても対応する武器スキルを鍛えていない私では扱いきれないし慣れていなくて使う事も無かっただろうから、使える人が使ってくれた方が良いと思って、それに関しては特に触れない事にした。
それから《ⅩⅢ》の説明を受け、試しに《弓》カテゴリのところに《白樫の弓》を入れ、言われた通りに取り出すイメージをすると、少し時間が掛かったものの左手に持ち慣れた滑らかな質感の白い弓が出現する。
「ちょっと時間が掛かったわね……」
「こればかりは慣れるしかない。俺はリアルでISを使ってたから慣れているだけであって、最初は二、三秒くらい掛かってもおかしくない。慣れれば一秒未満で出し入れ出来るようになるからとにかくイメージを大切にする事。戦闘で相手は待ってくれないからどんな状況でも一瞬で武器を取り出せるようにしておく事だ」
「分かった」
《ⅩⅢ》を手に入れてすぐに実戦レベルで扱えていたのを見た時、流石に経験が違うなぁと思っていたけれど、そういえばキリトはリアルでISコアを埋め込まれていたという話を聞いた。ISを扱っていた経験で拡張領域から武器を出す際のイメージと同じであった事からすぐに扱えていたのだと察する。
そう考えながら《ⅩⅢ》の登録武器を見ていくと、前々から抱いていた疑問が頭を擡げた。
「……そういえば前々から聞こうと思ってたのだけど、《短剣》って実際のところはメジャーなの? マイナーなの?」
「えっと……攻略組からすればマイナーだけど中堅どころまでならメジャーじゃないかな。細剣よりは頑丈だし、細剣程では無いけどクリティカルダメージは高くなり易い、筋力値の低いプレイヤーも愛用してるし……ほら、アルゴやシリカ、フィリアも短剣使いだろう? 使い手にもよるけど、実力があるなら最前線でも十分通用はするよ。ただ距離を物凄く詰めないといけないのと、武器の攻撃力が他より劣ってる事、ボスにはクリティカルを出し辛い事から敬遠はされがちかな。あと至極どうでもいいけど見た目で劣るからっていうのもあると思う」
「ふぅん……なら、《ⅩⅢ》に登録出来ないっていうのはちょっと妙よね」
《ⅩⅢ》に元からある登録武器の項目は殆どがメジャー武器のようだが、両手棍というように私が他に見ていない武器の項目もある。片手棍よりも威力はあるけど取り回しはしにくいし槍より弱いという微妙なものを選んでいる人は、多分少ないと思う。せいぜい槍と同じスタンスで打撃属性を重視したい人くらいではないだろうか。
「というか、前から気になってたのだけど《ⅩⅢ》って、初期から登録されている武器は合計で十二個なのよね」
白黒一対の片手剣、曲剣、水の細剣、出刃包丁が如き両手剣、星を象ったモノがある片手棍、地の斧剣の両手棍、大鎌の両手斧、風の長槍、エネルギーボウガン、炎の戦輪、氷の大楯の十二個。あと一つは片手剣同士を合体させる事で出来上がる長剣だが、それは別に登録されている訳では無い。
種類としては十一種類でしかない。メジャーを集めるのだとすればせめて《短剣》と《片手斧》があってもおかしくないと思う。
「……んー……?」
そう話すと、キリトはこてんと可愛らしく首を傾げた。
「シノン、《ⅩⅢ》の装備をしっかり見てないな。《短剣》と《片手斧》の登録項目もしっかりあるから」
「えっ?!」
予想外の事を聞いてまだ開いたままだった装備メニューを繰ってよく確認すると、確かに彼の言う通り《短剣》と《片手斧》の項目は存在した。他の項目の間にあったので見逃してしまっていたらしい。
「あったんだ……」
「初期登録武器では項目が無いし、俺は《片手剣》や登録武器ばかり使っていたからな……ちなみに武器を登録出来る事に気付いたのはそれを弄ったから。それで気付いたんだ」
「そうだったの……」
確かに彼が言ったように最前線では《短剣》を使わないだろうし、《片手斧》を使うなら他の武器を使った方が効率が良い。だからこれまで人前で使う機会が無かったのだろう。
「じゃあ、私のガルムを登録すれば、自由に出し入れ出来るのね?」
「それはそうだけど、登録はしても暫くは腰に差した状態にしておいた方がいい。慣れてない今だと咄嗟に抜かないといけない時にイメージ出来ずに出せないと思うから。俺が割と愛用の剣を背中に背負っているのもその為なんだ」
「分かったわ」
確かにいきなりの事に驚いてイメージ出来ず、武器を出せないという状況になる可能性は否定出来ない為、私は登録はしても弓のように仕舞ったりはせず、鞘は腰に差したままにする。
しかし、レインとキリトの短剣で、所持している武器が二つになったなぁ……
「さて、これで装備に関してある程度整った訳だけど……ところでシノン、さっきレインから聞いた限りだと新しく短剣を用意してもらったらしいな」
「え、ええ。あなたから貰った短剣は持ってなかったから……」
「うん。それで、今は二本持っているという事になる訳だけど……さっき言ったように《短剣》の武器攻撃力は低い。でも、その分だけ取り回しが効くし、クリティカルが出れば総ダメージは劇的に跳ね上がる。細剣よりも頑丈だから使いやすいだろうし」
そこまで言ったキリトは、そこで、と言葉を区切って私を見た。
「シノンが希望するなら、俺はシノンを短剣の二刀使いにしようとも考えてる」
「……短剣の、二刀使い……?」
「そう。俺の二刀流と呼び方を分けるなら双剣使いが良いかな。最初は戸惑うけど、武器を二本持っているというのは中々使い勝手がいい、単純計算で手数が倍になる、勿論防御だって左右の手を問わないから成功しやすい。反面ソードスキルを使えなくなるけど、《ⅩⅢ》の特性で使いたい時だけ仕舞えばそこまで問題は大きくない。だから近距離では双剣で、中・遠距離では弓で戦うスタイルを俺は推奨する。《ⅩⅢ》が無ければ双剣は薦めなかったけどな」
二刀の利点を朗々と語る二刀流の剣士は、ただ、と言葉を区切った。
「勿論慣れていない間はリスクがある。俺みたいに両利きであれば問題無いけど、多分他の人にとって右手と左手で別の作業をするのはかなり酷だと思うんだ、ピアノの演奏とか正にそれだし。何度も反復して脳のシナプスがこなれたらそうでもないだろうけど、それまでがかなり危険だ。このまま一刀で慣れさせていくか、それとも二刀にしてリスクを承知で鍛えていくかは、シノンの意志に任せようと思う。今は先延ばしにして後にするのはお勧めできないけど、したいのであればそれを手助けする」
そこまで長い期間練習を積んでいる訳でも無いのにスタイルを変えるのはどうかと思わないでも無いが、キリトが薦めてくれたという事は、少なくともやって無駄という訳では無い筈だ。仮に私に合わなかったとしても、二刀の時に積んだ経験は一刀でも活きるに違いない。元々一刀だろうと二刀だろうと、私のメインは弓だから大きな影響は無いだろう。
「……そうね、目の前に実例が居るんだし試してみるわ。ダメだったら戻す」
「分かった」
そこまで考えて二刀にしてみると言うと、彼はにこりと笑って頷いた。
「というか、キリトって両利きだったんだ」
「そうだよ。そうでないと《二刀流》をいきなり使いこなすのは無理だ、《剣技連繋》の開発ももっと遅れていたと思う」
確かに第七十四層の頃の話を聞いた限り、それまではずっと一刀で通していたという。ベータ時代は二刀で荒らしていたという事はクラインから聞いたが、だからと言って一年半越しの二刀をいきなり使いこなせる筈も無い。それを助けていたのが両利きという事なのだろう。
まぁ、スキルの熟練度を上げる為に影で鍛練していた事もあったのだろうが。
「元々は左利きだったんだけど、矯正させられたからな。お陰でと言うべきか今は助かってる」
「……そう」
あっけらかんと追加で明かされた事実に、私は言葉少なく返す事しか出来なかった。誰に矯正させられたか気にはなったが興味本位で問い掛けるのはどうかと思ったから。
しかし、キリトは少し稀な左利きだったようだ。ユウキやアキトとのデュエル時は右手に剣を持っていたからてっきり右利きなのかと思っていたけど、元々左利きだった事を考えるに右手で剣を振るう事に馴れる為にしていたのかもしれない。あの男の利き手がどちらかは知らないが右手だとしたら、利き手では無い者に敗れたとも言える、今は両利きのようだけど。
「……さて、話も纏まった事だし、いい加減始めよう。時間は有限だ」
そう言って、キリトは両手に武器を取り出した。
蒼い粒子の中から現れた武器は形状が同一の色違いの短剣。やはり右手が黒で左手は白色。肉厚な刀身を持つそれはほんの僅かに湾曲していて、形状としては小説で見たカトラスにどこか近い。カトラスは《曲刀》の別名でキリトが得意とする《片手剣》とほぼ同じ大きさと長さなので、二回りほど小さくした程度だ。
後に聞いたが、右手の黒い短剣は【フィアー】、左手の白い短剣は【プレイ】という銘らしい。それぞれ恐怖と祈りという意味を持っている。
一瞬、彼が愛用している二剣には及ばないが短剣にしてはかなりの威圧感があるその二本に圧倒された私は、すぐに気を取り直して左手にレインから贈られた短剣を、右手は後ろ腰の鞘に納めていた短剣ガルムを持つ。構えに関してはどうすればいいか分からないので、取り敢えずは両腕を程よく脱力させた自然体を保っておいた。
「最後に言っておくけど、正直、俺のスタイルがそのままシノンに当て嵌まるとは思えない。俺は前衛パワースタイルなのに対し、シノンは後衛スピードスタイルだからそもそも戦い方が違うんだ。だからこれからする事はシノン自身が自分に適した戦い方を身に付ける為の戦闘訓練であり、俺はあくまでその手伝いと考えてくれ。俺の技や対処法を見て学ぶもよし、速度に慣れる為に反応速度を鍛えるもよし、戦闘中の並列思考とイメージ能力を鍛えるもよし。とにかくこの戦闘訓練の全てをシノン自身で経験へと還元してくれ」
「分かったわ」
確かに、レベルが圧倒的なだけでなく、彼と私とではステータスのタイプが正反対だし、基本彼は前衛で戦うが私は極力距離を開けて戦うつもりで居る。そうなれば必然的に彼の戦い方はあまり参考にはならない。最低限の参考にはなるが、彼と私とで役割や得意分野が異なるのだから完全に真似をしたところで無駄は大きくなる。
それなら、私の経験を多く積む事を優先し、私自身のスタイルを確立させた方がよっぽど良い。改善点くらいは彼も指摘出来るだろうし。
「じゃあ、準備は良いか」
「ええ、何時でもどうぞ」
私の準備は整っている、と伝えると、キリトは一つ頷いて微笑みを湛える表情を真剣なものへと一変させ、黙り込む。
それから数秒睨み合って、私達は同時に地を蹴った。
*
ガァンッ、と金属がぶつかる音が響き、頬に火花が散る。火花に照らされ一瞬仄かに明るくなった視界には、黒尽くめの少年の可憐ながら厳めしい面持ちの顔が映っている。
視界右上に表示されている時間は午前七時半。鍛練を始めてからおよそ小一時間経過している。
鍛練終了は午前八時と食事中に聞いていた。それから休息をしっかり取って、八時半から九時の間に樹海エリアへと下りて探索するとも。なのでこの少年との鍛練は残り三十分足らずという訳だ。
「く、ぅ……ッ!」
考え事をしていて防御が疎かになったか、思考に私のリソースを割いている事を見抜かれたのか、気付いた時には腹部に華奢な右脚が突き込まれていた。彼と違って痛覚が再現されていないが故に鍛練では容赦するつもりも無いのか、威力を高める為に重心がしっかりした蹴り込み、しかもブーツの靴底に付いている鋲が突き込まれるようにしているというおまけ付き。
筋力値ステータスに加えて敏捷値による加速も加わった強烈な蹴撃に、堪らず後方へ吹っ飛ぶ。無論自分で飛んでダメージを減らす、などという高等技術は出来ていないため、衝撃を諸に受けた状態だ。HPダメージこそ無いが、強烈な衝撃によるノックバックは体の動きを阻害する。
我が身で今体験したように――この鍛練中はおろか今まで幾度も経験したように――一瞬の気の迷い、逡巡がキリトとの鍛練では命取りになる。死ぬ訳では無いが、そうならないようにしているからこそ、そしてこちらの事を真剣に考えているからこそ、変に手を抜いたりせず全力で鍛練を付けてくれる。
この鍛練に限っては、反撃こそが礼と言ってもいい。
故に私は吹っ飛ばされた体が動くようになる前に両手に持つ短剣を消し、弓を持つイメージを練る。動くようになったと同時に弓が左手に現れたので、吹っ飛んだ加速をそのままに地面を蹴って出来るだけ高く跳び、腰の矢筒から取り出した矢を番え、すぐさま射る。
――――が、その軌道はしっかり見切られていたようで、軽く首を曲げただけでアッサリと躱された。想定してはいたので驚きもせず続けて矢筒から矢を取り出すが、胸中ではその凄まじい回避力に舌を巻く思いに溢れている。
矢は《射る》という言葉が指すように、剣の刺突と同様の点での攻撃。攻撃が何時迫るかは距離感の把握は難しくて掴み辛いし、点での集中攻撃なので威力も高い反面、攻撃範囲が極端に狭い事から回避自体は割と容易。攻撃が小さい程に、速度が上がる程に比例的に回避の難易度は高くなる。銃火器の回避が難しいのはそれ故だし、弓矢は銃火器より攻撃速度に劣ると言ってもやはり速い。
それを余裕で見切り、最低限の動きだけで躱せるキリトは、リーファやユウキとの戦いで忘れそうになるがとても強いのだ。ユウキやアスナ程ともなれば余裕で回避しそうなものだが、私はあそこまで最低限の動きしかしないで回避するのは無理、多分シリカとリズも無理だろう。リーファは剣で斬り落としそうなイメージがある。
「この……ッ!」
慣性に従って放物線を描きながら宙を進む私は立て続けに矢を射る――約一秒につき一射――のだが、リーファから聞いた秒間五射以上のキリトに敵う筈も無く、こちらに駆け寄りながら左右に動いてしっかり躱してしまう。
システム障害でスキル値が下がっていないとは言え、そこまで高くも無いので範囲系のソードスキルをまだ習得しておらず、このままでは距離を詰められて一方的に攻撃を受けてしまう。
そうなった時の為に私に譲ってくれた《ⅩⅢ》、それに登録したキリトとレインからそれぞれ贈られた二本の短剣を弓矢の代わって両手に携える。それからほぼ真下へ迫ったキリトに、床へ着地する寸前の私は大上段から二刀を重ねて振り下ろす。
「はぁッ!!!」
「く……ッ!」
横に跳んで躱す事も出来なくは無かっただろうが私の攻撃が届く方が速いと判断したのだろう、真下に迫っていたキリトは双剣を重ねて翳す事でこちらの攻撃を防ぎ、足を止める。
その間に跳んだ勢いで後退しながら着地した私は、弓矢を取り出して射る時間も惜しかったため、心苦しいながらも両手に握る短剣をキリト目掛けて投擲した。
この鍛練中で初めてした攻撃方法にキリトは僅かに目を瞠り、反応が遅れる。当たりはしなかったが珍しいくらいギリギリのタイミングで攻撃を捌いていたため僅かに隙が生まれた。
そこを狙って、あらかじめ出しておいた弓に矢を番え、強く弦を引いてから指を離す。矢はかなりの速さ一直線に飛翔し、空気を切り裂く特有の甲高い音が耳朶を打った。
「何の……ッ!」
その一射をまたギリギリのタイミングで伏せて躱したキリトは、ほぼ同時に両手に持つ短剣を投擲する。《ⅩⅢ》に登録されているその二本の短剣は彼のイメージによって動かされているのか緩く弧を描きながら左右から迫って来る。
「これはどうするッ!」
それだけでなく、双剣投擲した後は間を置かず黒鋼造りの洋弓を携え、不思議な事に私と違ってどこにも矢筒が無く虚空から出現した矢を番える。わざわざ矢筒に手を伸ばして取り出さなくていいそれが、ひょっとすると話に聞いた速射の正体なのかもしれない。
「さ、流石にそれは反則じゃない……ッ?!」
「仕様なんだから仕方ないッ!」
矢筒から矢を取り出さず、ただ弦を引いただけで矢が出現するというのは反則なのではと思って文句を言ってしまったが、正論で返されてしまった。元々仕様なのだとしたら本当に仕方ないと言える。
そう思いながらもどこか納得出来ない私は、取り敢えず目の前に迫るキリトの攻撃を捌く事に集中する。左右から高速回転しつつ弧を描いて迫る双剣、正面からは洋弓の理不尽な仕様によって可能な速度で射られる矢が数本。速度としては矢の方が上、しかし攻撃の躱しにくさは意のままに操れる双剣が圧倒的に上だ。
瞬時にどう動くべきか思案した私は、キリトの矢の軌道上から横にずれる事で躱す。その間に二本の短剣を弓の代わりにまた取り出す。
正面から延々と秒間五本前後の速度で放たれる矢を走りながら躱し続け、とうとう迫った双剣を、両手に持った短剣で弾き飛ばす。攻撃動作で僅かに移動速度が落ちて矢に当たりそうになるも、何とか持ち直してギリギリで躱し続ける。
「く……ッ!」
僅かにでも他の行動を取ったなら、矢は剣山の如く何本も私に――正確にはシステムパネルに――突き刺さるだろう。そう確信を抱けるくらい背中のギリギリ後ろを何度も何度も矢が過る。
キリトなら私の移動先を予測して矢を射れそうではあるが、それをしないという事はこれも私がどう動けばいいかの経験にしようとしてくれているのだろう。恐らくここを乗り越えた後に移動先を読んでの速射が始まる。
だからと言ってそれを恐れ、この状態を続ける訳にもいかない。鍛練を開始する前に彼が言ったように時間は有限、恐れから鍛練を停滞させるような事があってはならない。それは彼の信頼や助力への侮辱に他ならない。
だからどうにかしてこの状況を打破する必要がある。確実とは言えないが、恐らくキリトは移動先にはまだ射って来ないから、ここで対処法をしっかり考え出し学ぶ必要がある。
そして、私は既にその手を幾つか考え出している。
キリトは言っていた。《ⅩⅢ》に登録されている初期武器の内、特殊な力を有している六つの武具は外せなかったと。そしてその特殊な力や登録した武具達は装備者の強固なイメージによって動かされ、再現されると。
ならば私が想像するのは、氷の大楯の力を使った氷の盾。大楯そのものではダメージを受けるのであれば、超高密度になるまで圧縮した強靭な氷の壁を使って防ぐのみ。
「氷よッ!」
イメージを即座に固める為に口にした言葉呼応するように、目の前には蒼白い光から一瞬で構成された壁が出来上がる。すぐ目の前に作り上げたそれからは凄まじい冷気が伝わって来て、軽装の私は一瞬身震いするも、それ以上は堪えて半透明な氷の壁越しに見えるキリトへと意識を向ける。
「な……ッ?!」
矢を射ていたキリトは目を瞠っていた。しかし直後にはどこか嬉しそうで、けれどどこか悔しそうでもある笑顔を浮かべた。矢を射る手は止まっていないが、氷の壁に全て弾かれ、止められているので、当然私は無傷。
だがこの結果に、これじゃないと私は歯噛みする。
防ぐという点で言えば満点と言えるだろうが、この氷は床から生えるように壁として作られているから移動が出来ない。私から見えているという事はキリトにも見えているという事なのだから氷の壁から出た後はさっきと同じように追い立てられるのは目に見えている。それでは意味が無い。
――――もっと、もっと強固にイメージを練らないと。
幸いと言って良いのか、キリトは移動せず矢を射続けている。
もしかしたら同じところを強烈な威力で攻撃し続ける事で貫通させるつもりなのかもしれないが、それは凄まじく非効率的。やはり私に対処法を学ばせる事に重きを置いている為だろう。恐らくだが、コレが実戦では役に立たない事を理解していて、その上で私が更に改良を重ねようとしている事も見抜いているのだ。そうでなければ氷の壁の向こう側――私のところ――に直接武器を召喚し攻撃するか、移動して回り込む。
その事に感謝しつつ、私は更に強く、そして鮮明なイメージを練り始める。戦闘中は下策だろうが瞼も閉じる。耳朶を打つ、断続的に氷を削る矢の音も意識から外す。
――――大事なのはイメージ。この場所を俯瞰するようにイメージして、そこに氷の盾を形成する。
脳裏に浮かぶこの場所の俯瞰図。左に私が、その右側に分厚い氷の壁があり、もう少し右に寄った所に矢を射続けるキリトが居るというその構図。
そのイメージの中にある氷の壁を立体的に見る。
――――この氷を削り出して、私のイメージ通りに動く浮遊する盾。
――――半透明で、私の体をしっかり護れるくらい大きな盾。
――――厚みは普通の盾と同じで、けれど超圧縮で非常に硬い盾。
氷の壁から削り出し、かつて闘技場で見たホロウが操っていた大楯を参考に氷の盾をイメージ。厚みや大きさといった詳細な部分もイメージし終えて、実際にそれを作り出す想像をする。
それから瞼を開ければ――――眼前にそびえていた氷の壁は消滅し、今はやはり半透明ではあるが超密度になるまで圧縮されている氷の盾が、キリトが射続ける矢から護ってくれる光景が視界に入って来た。
「こんな短時間で……ッ?!」
その氷の盾越しに見えるキリトは限界まで目を見開き、矢を射る手も僅かに遅れるくらい驚いていた。
そういえば以前見た時、彼は氷で盾を作るのではなく直接大楯を出して、第二十二層の湖のヌシの突進を防いでいたから、彼はまだコレが出来ないのか、あるいは、漸く最近出来るようになったか。渡されて一時間と少しくらいしか経っていない私が出来た事に驚いているのかもしれない。
――――だが、この程度でキリトが折れる訳も無い。
そもそも、今のキリトはその手に持つ【フィアー】と【プレイ】という黒と白の双剣、そして黒鋼造りの【無銘の洋弓】の三つの武器しか使っていない。私とスタイルを同じにする事で戦闘方法の参考に、同時に全ての距離に対応した攻撃への対処法を学ばせるつもりなのである。
肝なのが、私とスタイルを同じにする、という点。
つまり、私が特殊武器を扱い出したら、あちらも恐らく使い出す。
「まったく、つくづく自分の無能さが恨めしいッ! 俺がそれを出来るようになるまで相当掛かったというのになッ!」
凄惨な笑みを浮かべながらそう吐き捨てたキリトは、こちらの予想通り特殊武器を使い始めた。
彼は左右に炎を吹き出す戦輪を喚び出したかと思えばそれらを飛翔させる。氷には炎だからこその選択だろう。
最初はチロチロと蛇の舌ような弱い勢いでしかなかった炎は、私へ迫るに連れて勢いを増していき、氷の盾まで迫った時には戦輪全体がゴウゴウと燃え盛る炎に覆われる程になっていた。炎は青の方が温度が高いが、だからと言って熱くない訳では無い。恐らく触れれば火傷に似た感覚を味わう事になるだろう。
――――こんな武器を今まで平然と使って来たキリトのどこが無能なのよ……ッ!
《ⅩⅢ》を実際に扱う事で分かったのだが、イメージと一口に言っても相当詳細且つ強固に練らなければさっきのように失敗してしまう。アレも防御の面では成功ではあるけど、仮にキリトが本気で戦っていたなら即座に回り込み、こちらが攻撃されていたのは想像に難くない。
それに私はイメージしている間一歩も――それこそ指一本も――動けない程に集中しなければならない、氷の盾を展開している間も動いていないのは、それの維持の為に意識の大部分を割いているからなのだ。やろうと思えば私も短剣を投げて相手を追尾するように動かせるだろうが、やられたのにそれをしないのは、キリトの矢を躱しながらイメージする事が出来ない。
何かをイメージしている間は碌に動けない。それが今の私の欠点。
それに対し、彼は双剣を操作しながらも矢を立て続けに射て来たし、驚きに見舞われて多少速度が落ちたものの変わらず攻撃の手を止めなかった。つまり彼は私よりもマルチタスク能力が高い。フロアボスにも通用するくらい扱えている彼が無能な筈が無いのだ。
まったく、彼は自分がどれだけ凄い事をしているのかをしっかり理解して欲しい。他に比較対象が居なかったというのもあるのだろうけど、それにしたって《無能》は言い過ぎだ。
――――向上心に溢れているからこそSAO最強に至れている分、その自己評価の低さも全く無駄という訳じゃ無かったのでしょうけどッ!
――――まったく、どこまでも自己評価の低い……ッ!
そのため、内心でそう毒づきながら、斜め前から迫って来た炎の戦輪を双剣で弾く為に両腕を眼前で交叉し、それぞれ斜めに振り下ろす。鈍い音を二度立てて戦輪の刃と私の短剣の刃が衝突した。
ここで、私は初歩的なミスを犯した。
《ⅩⅢ》の攻撃力や威力は装備者のステータスに依存している。飛翔している武器の攻撃にすら、実は装備者の筋力値が適用されているのだ。仮に武器攻撃力値しか適用されていなければボスに対し有効打にはなり得ない。
そのため、飛翔して来た戦輪の勢いは、キリトが戦輪を持って振るって来た勢いと同等という事であり。
叩き落す為に振るった短剣はその勢いに押し負け、私の体に戦輪が当たる寸前で紫のウィンドウが出現し、それに戦輪が衝突。凄まじい衝撃が発生し、視界一杯に爆炎が広がった。
「きゃ……っ?!」
驚いて悲鳴を洩らした私は、あまりの衝撃で軽く吹っ飛ばされ、床に尻餅をついた。手にしていた短剣は離れたところに飛ばされており、私の近くにはキリトの戦輪が炎を散らして床に突き刺さっていた。
「くぅっ……やっぱり、慣れないわね……この衝撃……」
痛みは無いが、その代わりに不快な衝撃へと置換されている為に痺れた体と手を見て苦笑し、キリトへと目を向ける。
視線の先に居る彼は弓矢を下げ、微苦笑を浮かべていた。
「大丈夫か?」
「ッ?!」
かと思えば、二十メートルは優に離れていた筈なのに一瞬で目の前へ来ていた。
これは初めてだったので流石に驚愕し、絶句する。
キバオウ達と対峙した時に同じ事をしていたように思うが、あの時の距離は十メートル足らず、倍以上の距離を一瞬詰めるのとは訳が違う。しかもあの時は速度の慣性を止める為にやや前のめりで踏ん張り、剣を振るう事で漸く相殺出来ていたように見えたのに、今は全くその素振りが無いのだ、物理法則を無視した動きには驚愕の一つもする。なまじ仮想世界という演算によって成り立っている世界なだけに驚愕は大きい。
「き……キリト? え、今、どうやってあんな距離を詰めたのよ? しかも慣性を無視した動きで……」
「ん? ……ああ、そう言えば人前で使ったのは初めてだったっけ……」
どうやら彼自身、そこまで意識して隠していたという訳では無いようで、そういえばと何気ない表情をした。私の手を引っ張って立ち上がるのを助けてくれた彼は、それからアレをどうやってしたのか教えてくれた。
《ⅩⅢ》に登録されている風の六槍。その風を踵を持ち上げた足裏に圧縮して集め、地を蹴り切る寸前で爆発させ、その勢いで加速するという方法らしい。点から点を結んだ直線的な移動法となるこれは、行き着く先に応じて圧縮する風の密度を決定するため、多少融通が利かない部分があるものの速度は折り紙付きだという。
「ふぅん……私もやろうと思えば出来るのよね? 風の槍を上手く使えばいいだけなんだし」
「出来るけど、今は経験を積んで戦闘技術を鍛え事に集中しような?」
「分かってるわよ……」
笑顔で今の私に欠けている事を言われて、少しだけムクれてしまう。出来るなら習得したいと思っていたのにそれを先回りして釘を刺してくるなんてちょっと酷いと思う。使えるようになったら回避や移動で凄く助かると思うのに。
その思考が読めたのか、キリトは途端に虚空を見上げて遠い眼をし、笑みを乾いたものへと変えた。
「コレを完璧に習得するまで、何十回もこけたり壁に顔から突っ込んだんだよな……」
「……」
恐らくこの世界で唯一と言えるだろう痛覚を再現されているキリトが、風を利用して一瞬で超加速した後、こけたり壁などに顔から突っ込む想像をして、少し表情が引き攣るのを自覚した。
繊細な操作を幾度も繰り返し、マルチタスク能力がバカ高いキリトですら何十回も失敗するだなんて、どれだけ苦労するのだろうか、それ。
「それに結構調節が難しいんだ。ほんの僅かにでも圧縮する風の量を誤ると予想以上の速度が出るか、あるいは距離が足りずに隙を晒す事になる。速度があり過ぎるとぶつかった時にダメージが出るし……特殊武器と自分のアバターを並行して動かせない以上、シノンがコレを修得するのはまだやめておいた方が良い。下手しなくても自滅死する」
最後の部分だけ真剣に私の顔を見上げて言って来るものだから黙って頷くしか無かった。
身の丈に合っていない力は自らを滅びへと追いやるとは今まで読んで来た数多の小説の悪役の最期としてよみ見たが、まさか自分がそれに当て嵌まりそうになるとは思いもしなかった。それに幾ら強くなりたくても自滅で死ぬのは御免被りたい。
「分かったわ……」
「よし……――――それにしても、よく《ⅩⅢ》を渡して一時間足らずで氷の盾なんてイメージ出来たな。俺、出来るようになったのは本当につい最近なんだけど」
「あの状況から脱する際に一番攻撃を受けない可能性が高い方法を考えただけよ、そこまで特別な事じゃないわ」
「む……ちなみに、アレからどう動くつもりだったんだ?」
「氷の盾を押し出して、矢の防ぎながら距離を詰める、かしらね……」
「なるほど……」
戦輪を弾けていたら実際にそう動いていた。キリトと私を結んだ直線の間に氷の盾が来るようにしておけば、彼の矢は私には届かず、安全に距離を詰められるから。
それを話すと、キリトは一つ頷いた後に微苦笑を浮かべた。
「何?」
「いや……結局のところ、シノンはメインを短剣と弓のどっちにするつもりなんだ? 弓がメインなら、さっきの俺みたいに攻撃の暇を与えず、防御出来ないくらいの密度で氷で攻撃して、回避先を読んで矢を射る方法が一番だと思うんだ。シノンのそれは多分俺に適した手段の一つだよ」
「……あ」
言われて、気付いた。
確かに私は近付いて短剣で斬り付けるつもりで居たが、ステータスや武器の攻撃力、スキルの優位性を考えるとキリトが言った方法が一番良い。これでは自ら危険へ飛び込みにいくに等しい。
「俺が全力を出していたら躱せるけど、その方法なら多分ユウキやアスナにも通用する。ヒースクリフはまた一工夫加えないといけないかな……モンスターだとドラゴンのブレスを防いで前進して接近戦を挑むようなものだから大抵は悪手だ。以前言ったけど遠距離攻撃を持つ敵は非常に少ないし、攻撃中相手は基本的に動かない。双剣を扱う才能には驚かされたけど、《弓術》を上手く活かすなら距離を開ける事を基本にして、あくまで双剣は接近されてやむを得ない時にだけ使う方が良い」
「分かったわ」
「とは言え、今回は俺も悪かった。遠距離攻撃を多くしてしまったからシノンも距離を詰めざるを得なかった訳だし……これからは出来るだけ接近するように気を付けるよ」
「……程々にお願いするわ」
確かに、キリトが遠距離から延々と矢を放って来たから、それに対処する為に氷の盾を作り、状況を変化させる為に詰めようと考えていた訳だから、彼にも責任の一端はあると言える。
しかし前衛主体の彼が積極的に距離を詰め剣を振るって来るのは、中々恐怖を煽って来る。才能が無い、とはリーファも度々口にしている事だが、それを覆すくらい密度の濃い経験と努力を長らく積んでいる彼の剣は、正直経験の浅い私にはかなり堪える。対応しようにもステータスで押し切られるからどうにか直撃だけはしないよう捌くしかない。それもかなり集中力を要し、異様に精神を削って来るから避けたいくらいだ。
そこまで考え、待てよ、とふとある可能性に思い至る。
ひょっとするとキリトは、彼の剣への対処で回避や防御では無く、敢えて捌くよう誘導しているのではないだろうか。
今まで読破して来た小説も捌くのが一番難しいとあったし彼の技量なら捌こうとする私の動きを読んだ上で刃を届かせる事も難しくない筈。むしろそうならない方がおかしい。
私が接近戦を強いられた時、何よりも重視すべきなのは彼が言ったように距離を開ける事。その方法は幾つもあるが、最終的にはダメージを極力受けない事が重要となる。武器で防御した場合、彼我の筋力値の差によって削りダメージが発生するし、下手に回避行動を取ろうものならそれに反応され軌道を修正され直撃する可能性もある。
なら、ある意味確実なのは攻撃の軌道をこちらが意図的に逸らす/捌く事になる。現にキリトは闘技場でのホロウ戦やユウキとアキトとのデュエルの時、ほぼ防御では無くパリィという弾き防御、つまりは捌く行動を取り続けていた。
極論私が双剣を振るうのは接近戦を強いられた場合にダメージを出来るだけ受けずに距離を開ける事であり、倒す事では無い。それなら弾き防御や逸らす事に馴れた方が一番良い。《ⅩⅢ》に登録しているお陰で武器の耐久値を気にしなくて良いのだから尚更だ。
――――まさか……そこまで考えているの、キリトは……?
確証はないが、しかし確信めいたものを私は抱いた。知らず知らずの内にそれを繰り返す事になった私はキリトに対する畏敬の念を深くする。
確かにキリトは全ての事に対し、初めてのものは才能が無いと言われるくらい下手で成長も遅いのかもしれないが、だからこそ反復練習が多くなって鍛えられる技術があり、理解がある。理解がある彼は、恐らくその道に携わる他の者達よりも一つ二つ違う視点を持つ。
そんな彼が誰かを指導すれば、余程関係が悪かったり指導内容が不得手なもので無い限り、大抵は成功するのではないだろうか。現に私は気付かない内に伝えられていた内容以外の事で鍛えられている。しかも、恐らく接近戦で一番必要となるであろう技術を。
以前彼は、何かを教えるものになりたい、と将来について語った。私はそれに対し、料理学校の先生になればと言い、リーファは道場を一緒に切り盛りしたい、と彼の夢や私の案を否定せずに言った。
当時、既に彼の弟子として指導してもらっていたからこそ『合っているだろう』と思っていたが、ひょっとすると誰かに何かを教える職は、キリトにとっては天職なのではないだろうか。
勿論物凄く理解を深め、その道の技術を高めておかなければならないだろうが、そうした後でなら多分彼は他の追随を許さない高みへと至れる。誰かに教え始めたら新たな改善点や欠点が見付かって、それを直そうとするだろうから尚更腕は高まるに違いない。そして他者と同じ視点を持ちながらも、また違った視点も持った彼の指導は、一味違ったものになるに違いない。
私が教わっているように。
そう考えると、ぶるりと身震いをしてしまう。強くなれる可能性が大きい事への歓喜と、彼が私の想像以上の傑物であるという事への畏怖が、私の体を震わせた。
「シノン?」
私の様子が妙だと思ったのか、彼は小首を傾げて声を掛けて来た。
それに言葉を返そうとするが、しかし何を返せばいいか分からず、中途半端に口を開けたところで止まってしまう。
「……朝の鍛練はもう終わりにしようか。この後には樹海でパワーレベリングがある、しっかり脳と精神を休めてくれ」
そう言った彼は左手に提げたままの洋弓を粒子へと散らし、コートと長髪をたなびかせて踵を返した。その先にはこのエリアから管理区へと戻る為のコンソールがある。
「ぁ……」
その後ろ姿を見て、か細く声を洩らし、反射的に右手を伸ばしていた。
けれどそれは聞こえていなかったのかキリトが立ち止まる事は無かった。どこか残念に思いつつも安堵も抱いた私は無意識に伸ばしていた右手をゆっくり下ろし、胸の前で手を握る。
背中を向けて立ち去る姿が、かつて私に『人殺し』と悪罵を吐いた親友が立ち去る時に見せた後ろ姿と、一瞬重なって見えた。
そんな筈は無いのに見捨てられたように思えてしまったのだ。
恐らくだが、キリトが自分の身を犠牲に居なくなった時の『置いて行かれる』恐怖が、まだ燻っているのだ。だからかつて親しかった人が立ち去る姿と重ねてしまい、寂しく思って、手を伸ばし、か細く声を洩らしてしまった。
それを心の中で自責する。強くなって過去に打ち克つ為には、もうこの程度の事で音を上げてはいられない。
本当に見捨てられたならまだしも、キリトは私を見て、私の事を考え、鍛えてくれている。そんな妄想を抱く必要すら無いのだ。音を上げるなど以ての外。
キリトは生きていた、犠牲になんてなっていない。だからこんな妄想を抱く必要も無い。
「……確かに、休む必要がありそうね……」
とは言え、その妄想のせいで――キリトへの反応で迷ったのは全く別の理由だが――精神的に少し参り、集中が途切れたのは事実。彼の言う通り暫く休んで脳と心を休めるのが賢明だ。
そう納得して、私はコンソールの前でホロパネルを操作する少年の許へと歩き出した。
はい、如何だったでしょうか。
リーファもリーファだったけど、シノンも思った以上に強化された(笑)
キリトが白と戦って漸く知った《ⅩⅢ》の使い方をしれっとやってる時点でもうね……まぁ、流石にキリトみたいに動きながらイメージで武器を動かす、なんて出鱈目は出来てませんが。出来たらキリトは泣いていい(嗤)
そんな訳で、アキトからドロップした《ⅩⅢ》をシノンに渡して、短剣と弓を登録して換装をしやすくしました。HFみたいに持ち替える時間が長いと本作では危険な上に隙だらけですからね。ここを改善しただけでも強キャラなのに、更に鍛練するとなればもうね……
お察しの通り、参考は件の弓兵です。淡々と仕事をこなしそうで基本クール、ゲームだと短剣と弓キャラですし、案外合ってると思う。
しかしシノン、このままキリトに鍛えられていくと、GGOでフォトンソード購入したら原作キリトみたいな弾丸斬り出来ちゃうんじゃなかろうか……? リーファから護身術倣ったら自力でアサダサンアサダサンを撃退しちゃえそう、こう、締め技を極めてしまえそう。
ただしメンタル面の強さは別である(嗤)
割とアッサリ鍛錬に進んでいるので完全復活したかと思ったなら早とちり、しっかりシノンも影響を引き摺っております。自分が心を開こうとしていた相手が居なくなったというだけでこの有様ですからね。
ユウキが無感動になってたり、ランが幻聴聞いたり、リズが一心不乱にスキル上げに没頭してたり……キリトがガチで死んだら精神病む子は何人いるんだろうか……(・_・;)
というか本作の強キャラ達、何かを代償に喪って強さを得ている気が……(; ・`д・´)
……リーファ? 彼女はほら、経歴的に武道をやってる&元々一人っ子&交遊関係自ら狭めるだけあって色々と強いですし。
千冬は天災と一緒にいた&世界最強だからというファクターのせいでリーファと同じ境遇にいるけど、リーファは義弟が出来るまで自発的に孤高していたのに対し、千冬は周囲の環境や振る舞いで孤高になってしまった感がある。
もう本作最強は義理の姉で良いんじゃね、と思うほどの高スペックさである(信じられるか、これでまだ中三且つ権力的なもの一切無いんだぜ……?(震え声))
では、次話にてお会いしましょう。
※パワーレベリング=高レベルプレイヤーが低レベルプレイヤーのレベル上げに積極的に協力する事。寄生プレイを認めた言い方のようなもの。
SAOは戦闘への貢献度や与ダメージ量で配分が決まるので非効率的だが、一般のRPGでは加えたばかりの低レベルプレイヤーを動かさず、高レベルプレイヤーだけで敵を倒し、大量の経験値を与えて強化する場合がこれに当たる。