インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話はオールリーファ視点。管理区での話し合いだけです。

 また、AI関連でSAO原作に出た話に触れていますが、正直難しいので『そうなのかー』程度で流して頂いて構いません。

 文字数は約一万九千。

 ではどうぞ。




第八十三章 ~根幹と未来~

 

 

 お昼時になってから管理区へキリト、ユイちゃん、フィリアさんが戻って来た後、あたし達は三人から別れた後に何をしていたかを食事の合間に話してもらった。数時間も掛けずに樹海エリアの探索を終えたも同然の結果を出したのは流石としか言いようが無く、あたしはレインさん達と一緒になって彼らを労う。

 とは言え、キリトの所感ではフィリアさん達が細かくマッピングをしてくれていたからこその速さだと言った。

 この三日間、キリトはユイちゃんと一緒に特定箇所への道しかマッピングしていなかったので殆ど虫食い状態に等しく、フィリアさんがレベルやモンスターの種類などを事細かに書き込んでいたマッピングデータがあったからこそ当たりを引き当てられた。故に敵こそ自分やユイちゃんが倒したが、実際最も大きな功績を出しているのは彼女達だと語る。

 実際それは確かだと思って今度はレインさんとフィリアさんを褒めて労うと、彼女達は恥ずかしそうに頬を朱に染めながら縮こまった。とても四つ年上――今年で十九歳――とは思えない反応なので同年齢と勘違いしてしまいそうになる。

 

「それで午後はその『扉』の奥に行くとして、キリト君は誰を連れて行くの?」

 

 そう思考していると、レインさんがキリトにそう問い掛けた。

 

「俺とユイ姉は当然として……後は悩んでる。正直なところ、《アインクラッド》側の戦力を削る訳にもいかないからあまり助力を頼みたくないんだ。それにリーファやシノンには《攻略組》に合流して欲しいとも思ってる」

「あれ……? あたし達は暫くこっちに居続けるって話になってなかったっけ……」

 

 キリトの答えを聞いて、少し前にそう話をしていたようなとあたしは首を傾げる。

 そう疑問の声を上げると、彼はどこか疲れたような胡乱な眼をあたしとシノンさんに向けた。

 

「最初はそのつもりだった。でも俺の予想以上の速さでレベルアップしたからな……」

「「「「ああ……」」」」

 

 たった一日、それも午前中だけで最前線でも通用するレベルに達したのはキリトも予想外だと言っていた。実際30台だったレベルが一気に80台後半まで到達したのには驚いたけど、そもそも戦っていたモンスターのレベルが恐ろしく高くてレベル差による経験値倍率によって得る経験値量が多かっただけ。ある程度レベル差ボーナスを見込んでいたのだろうけど、それが如何に非常識なスピードだったかはユウキさん達の納得の溜め息を見て察した。

 デスゲームになった事で安全性を最優先に考えるSAOプレイヤー達は、基本的に階層プラス10のレベルマージンを常識としている。ポップするモンスターは階層と同じ数が平均らしいから、基本的にレベルアップするには格下のMobを相手に数をこなすしかない。

 迷宮区に入れば階層プラス5は普通で、NMやボスともなれば固有Mobの経験値ボーナスが入るからレベルアップしやすいが、その分だけ危険も多大なものとなる。

 だからこの世界のプレイヤーは基本的にほぼ毎日堅実にMobを狩りに出なければレベルアップ出来ない。あたし達がしたようなパワーレベリングは本来あまり好まれないもの、所謂寄生プレイというものだ。レベルや装備だけでなく、プレイヤー自身の技術が問われるのであれば、それは世間体という意味も含めて二重三重の意味で忌避される。誰しも背中を預けるかもしれない相手が技術も何も無い者である事は避けたいのだ。更に自分に寄生される事を厭う。

 だからこそ、基本的にこの世界について途轍もなく詳しいキリトも、あたし達のパワーレベリングがどれほど異常なスピードを叩き出すか予想出来ていなかった。誰よりも高いレベルを誇るからこそ出来る筈が無かった。

 

「……まぁ、それはともかく、合流して欲しいのは勿論理由がある。システム障害や戦力の低下など諸々含めて体勢を立て直しているせいで七十六層の攻略が滞っている現状も、裏を返せば最前線攻略に二人も参加しやすい事を意味する。何しろ今は戦力が足りないんだ、素で強いリーファと遠距離攻撃手段を持つシノンは余程の事が無い限り弾かれる事は無いと思う」

 

 スキル値の低さはシステム障害という事で誤魔化せるし、元々あたしとシノンさんはキリトとアキトのデュエル時に立ち会うくらいには《攻略組》への参入を強く志望していたので、問題の《聖竜連合》のリーダーにも受け容れられやすい。大ギルドはレッドやオレンジのスパイ疑惑があるので不安だが《スリーピング・ナイツ》や《風林火山》であれば信用出来るので、そちらに加入するという形での合流は十分可能。

 シノンさんは《弓術》という現在の《攻略組》には無い遠距離攻撃手段を持っている。《ⅩⅢ》を合わせれば、基本的には距離を選ばない戦い方が出来るので戦力として見込められる。彼女はまだ経験が少ないのでフロアボス戦には不安要素が多くて出られないが、しかしフィールド攻略やネームド戦で慣らせていけば将来有望なアタッカーになる。

 あたしはリアルで長年続けている剣道や柔道その他諸々の経験、ALOでのVR戦闘の経験を積んでいるので、集団戦の経験を積めばいいだけ。ソードスキルの反復練習は日課である素振りに加えれば解決する。むしろユウキさんの話から聞く今の最前線は下手にソードスキルを打つ方が危険らしいので、実戦で放つ経験が少なくなるデメリットがあるだけで、普段使わない事は然して問題にはならない。無論ボス戦だとそれは通用しないので習得は急務である事に変わりない。

 

「なるほどね……そういう事ならあたしも否やは無いよ。《攻略組》に合流しても一応こっちに来ても良いんでしょ?」

「七十七層に到達するまでは抑えて欲しいけど、早朝か夜中の人目が少ない間なら」

「なら拘る必要はないかな」

 

 本音を言えばあまりこの子から離れたくないけど、ユイちゃんが付いてくれているし、以前と違って今はかなりの実力者として戦力になっているので戦闘面でのサポートも問題無いだろう。

 それに今のあたしではレベル的にも実力的にも足を引っ張る事が容易に想定出来る。もう二度と同じ事を繰り返したくないからあたしは潔く身を引く。

 さて、ではシノンさんはどうなのだろうと思って目を向け――――彼女の顔を見たあたしは、思わず眉根を寄せてしまった。

 彼女はどこか怯えるように、茫洋とした目でキリトを見詰めていたのだ。

 

「シノン……? どうしたんだ、苦しそうにして……」

 

 握った両手を胸に押し当てて緊張と恐怖を抑えようとして、しかし失敗しているその様子をキリトも見て、訝しむ。

 

「っ……な、何でも無いわ」

 

 それに気付いたシノンさんは茫洋とした目と表情を改め、普段の強い意志を感じられる面持ちで答えを返した。怯えの色もどこか焦ったような様子も見られるけど聞ける雰囲気ではないし、恐らく問うても煙に巻かれると思えたので誰も追及しない。

 人には聞かれたくない事の一つや二つはあるもの。それが目に余るようだったり、事態の解決に繋がりそうなのであれば追及するが、そうでないなら触れないでおくのが暗黙の了解だ。

 他の皆もそれが分かっているから何も言わずにいて、問い掛けたキリトだけはそうか、と納得はしていない面持ちで頷いていた。

 

「それで、シノンも《攻略組》に合流してもらえるか?」

「え? あ、ああ……ええ、分かったわ。でも朝と夜にはこっちでキリトに鍛えてもらいたいわね」

「こっちに連れて来られるのはユウキだ。ユウキが良いって言うなら俺は構わないけど……」

「特に忙しくなければ構わないよ。行きも帰りも一緒じゃないとダメならアレだけど、《ホロウ・エリア》側からならボクが居なくても大丈夫みたいだったしね」

「じゃあ……お願いするわね、ユウキ」

「うん」

 

 これであたしとシノンさんは《攻略組》へと合流する事になった。

 正式に所属するとなると幹部会で話し合わなければならないし、そもそも本隊へ加入するとなれば攻略メンバーと一応顔合わせしておかなければならないので、食事を摂りながらその辺の細かな調整はユウキさんに任せる事に決まった。正確にはあたし達がすんなり加入する為の推薦者という立場だ。女性最強の剣士として名高い【絶剣】の推薦ともなれば掛けられる期待は大きなものになるだろうが、その分だけ確実性は増す。

 あたしは剣道を長らくしているし、こちらに帰ってからユウキさんに手解きを受けて、最前線でも通用するだろうと認めてもらっている。ソードスキルだけはどうしてもまだまだだが、それも時間が解決してくれると彼女は言ってくれた。剣士としての技量は多少冷静さを欠いていたとは言えキリトを完封出来た事からも太鼓判を押されている。

 シノンさんに関してはキリトに師事しているので詳細を知っている訳では無いけれど、一緒に戦った身としては息を合わせて戦う点に関しては十分だと思う。彼女の集中力は途轍もないしフォローもバッチリ。彼女に敵が近付かないように、そして彼女の射線に立たないよう配慮すれば、彼女の遠距離射撃は絶大な力を発揮する事間違いなしだ。

 近接戦闘に関しては何も知らないが、キリトが《攻略組》への合流を認めるレベルにあるのは確実だと思う。無論、それは誰かのフォローありで、という注釈が付けられるだろう。彼女のスタイルは弓による遠距離射撃であり、近接戦闘で圧倒するものではないから。

 一先ずあたし達の身の振り方が決まったところで食事を終えたので、食器類をキリトが喚び出した水や風の力で片付けるのを少し離れたところで見守る。

 以前は食器類を洗う際に細剣と六槍を出していたにも関わらず、今はどこにも武器は無い。虚空に水が生きているかのように浮かんで皿を洗い、またどのように起こっているか分からない旋風が洗い終えた皿に付いている滴を吹き飛ばし、綺麗にする。そんな光景が暫く続いた。

 いの一番にユウキさんがどうして武器を出さずに出来ているのかと問うたところ、武器に宿る力を強固なイメージで操る事は以前と変わらないが、いちいち武器を介する必要はないのだと判明したのだという。武器を出して攻撃する今までの使い方は、謂わば効率が悪い方法だったらしい。

 《ⅩⅢ》は無形の武器。それに登録している時点で、登録武器は《ⅩⅢ》そのものと言えて、また同時に《ⅩⅢ》は登録武器とも言える。

 故にいちいち大本の力を持つ武器――炎なら戦輪――を出し、それを介さずとも、炎や水、風を操れるようになった。

 今は繊細なイメージと操作に慣れる為の訓練も兼ねていると、彼は食器を洗いながら語った。あたし達に説明する為に脳内で纏め、それを喋りつつ、一切揺らぎなく皿を水と風で綺麗に汚れを取っていく様はとても不慣れとは思えないくらい整っている。あたしと戦ってから然して時間が経過していないのに、マルチタスク能力がかなり高まっているようだ。

 

「……という事は、《ⅩⅢ》を持っている私も同じ事が出来るのでしょうか……?」

「私も出来るという事になるわよね、それ……」

 

 その光景を感嘆の溜め息と共に見守っていると、理屈を理解したユイちゃんとシノンさんがどこか期待したように言葉を洩らす。

 

「出来ると思う。現にシノンは俺の攻撃を氷で作り上げた盾で防いでいた訳だし……ユイ姉に関しては、実際に試してみたらどうだろう」

「……? 分かりました」

 

 キリトは何故か、ユイちゃんが出来るかを断言しなかった。

 同じ武器で同じステータスなのだから出来るのではないかと妙に思い、ユイちゃんも訝しく思いつつも素直に受け容れた。

 

「俺が言えるコツとしたら、『どういう現象を起こすのか』を明確に想起する事。武器を介する場合は過程が大事だけど、今回の場合何もない場所に炎や水を出すんだから結果の方が大事だ」

「了解です」

 

 感覚的に難しいのだろう、どこか考える素振りを見せながらキリトは食器洗いを続けつつもアドバイスをした。彼女はそれに頷き、右手を虚空に向けて目を閉じる。

 そのまま数秒が経過し、十秒以上が経った後、ユイちゃんは目を開けた。その表情には困惑の色がある。

 

「おかしいです。《ⅩⅢ》で武器の換装は出来ていたのに、同じようにしても出来ません」

「ふむ……多分だけど、『イマジネーション』をどう反映しているかが鍵なんだろうな……」

「……そっか。イメージなんて曖昧なもの、本来その通りに反映させられる方が難しいんだよね……」

 

 キリトの言葉に一同首を傾げる事になったが、ふと何かに思い至ったようにフィリアさんが言った。

 

「その通り。《インフィニット・ストラトス》の操縦者が装着するバイザーの技術を流用されているにしても、流石にイメージを読み取るのはオーバーテクノロジーに近い。俺達がこの仮想世界でアバターをリアルの肉体と遜色ないくらい自然に動かせる理由が脳波にあるのだとしても、流石にそこまではな……まぁ、イメージによって発現した脳波を読み取って反映しているだけなのかもしれないけど」

 

 食器を滞りなく流れるように洗いながら語られた内容に、あたし達はまた首を傾げた。今度は高校生としての聡明なところを見せたフィリアさんも分かっていないようで、何かを考えるように眉根を寄せている。

 

「そうだな……どう言えば分かりやすいかな……」

 

 その様子のあたし達を見かねてか、こちらを一瞥したキリトは食器を洗い続けながらまた口を開いた。

 

「……人間の脳は右脳と左脳に分かれてる訳だけど、基本的に右利きの人は右脳が空間把握能力に優れていて、左脳は言語機能で優れているっていう特徴があるのは知っているかな」

 

 その質問に、あたし達は揃って首肯した。あたしはニュースで見た事があるし、恐らくフィリアさん達は学校で習った事があるのだろう。ユイちゃんは多分【カーディナル・システム】の方がその情報を入手していて、知識領域にインプットされているのだと思う。

 

「人間が空間を把握しようとしたり、距離感を脳で把握しようとした時には、特定の脳細胞、所謂シナプスに電気が走る。その電気を『脳波』って言う。大まかに脳の構造は同じだから、個人差はあれど『特定の機能が働くと特有の場所の脳細胞に電気が走る』のは誰もが一緒。そうでないと《ナーヴギア》や《アミュスフィア》っていうVRハードも全部が全部一人一人に合わせたオーダーメイド品になる」

「確かに、民生品だもんね……」

 

 キリトやフィリアさん達が使っている《ナーヴギア》、あたしや神童アキトが使っている《アミュスフィア》、ユウキさんやシノンさんが使っている《メディキュボイド》は、その全てがスペックに差こそあれ根幹の構造は同一。そうでなければあたしはこの世界で動けていないだろう。

 アバターを動かすのは全運動・感覚神経が通る延髄部分で読み取った電気信号。表情は表情筋への電気信号を読み取っているのだろうけど、空腹時にこちらでご飯を摂ると満腹感を覚えるのは脳の満腹中枢へ刺激を与えている事に他ならない。勿論味覚や嗅覚も、脳に『その感覚を本当に覚えている』と誤認させているから同じ原理なのは間違いない。

 しかし脳波の上書きというものはとても危険なものだというのは有名な話。

 そもそも脳波=電気信号は生物全てに共通するもの、それが乱されたとなっては危険なのも同然。心臓だって電気で動いているし、体を動かしているのも全て電気。てんかんという病気だって脳波が脈絡も無く乱れて痙攣する事で起こるものなのだ、そうなる原因は不明だけど。

 それなのにあたし達はこの仮想世界でほぼ何不自由なく動けている。それだけ高い技術でハードが作られているという証であり、同時に人間が何かをした時に活発化する脳細胞はある程度場所が決まっているという事も意味している。

 恐らくキリトはそう言いたいのだと思う。

 

「つまり、例えば俺が……正面十メートル先に居る敵を認識して、炎をぶつけようと思った時の軌道を思い描く。すると右脳の空間把握を司る脳細胞が決まった形で活発化して、その脳波をハードが読み取り、それを《ⅩⅢ》で反映する……という風に出来ているのかもしれない。その場合、炎や風、氷、雷といった種類はまた別の脳細胞が活発化して反映しているとも考えられる。その場合は時間を掛けて刺激を受けて活発化した脳細胞の脳波を読み取りデータを集める事で、逆に脳に発せられた脳波から特定の事象のデータを見つけ出し、この世界に反映しているという理屈になるな」

「へぇ……キリト君、大脳生理学や人間工学にも精通してるんだね。研究者になれるんじゃない?」

「理屈は分かっても理論を自分で考えて、それを基礎にして何かを作る事は出来ない。俺に出来る事は精々解析と模倣くらいだと思うよ」

 

 レインさんの心底の感心を感じさせる言葉に、彼は苦笑を浮かべて頭を振った。そもそも合っているかも分からない推測で感心されて、研究者になれると言われても誇れないのだろう。

 元々機械音痴なところがあるあたしとしては素直に凄いと思える事なのだが……

 

「ともあれ、俺が考えた理論だとシノンが出来てユイ姉が出来ないのにも説明が付く。あまり言いたくないけど……ユイ姉は、現実の肉体が無いAI、そもそも読み取る為の脳波が無いんだ」

「……そう、ですか……」

 

 どこか信憑性のある理論を語られて、その上で出来ないと言われては反論する余地も無いからかユイちゃんは肩を落とした。見るからに落ち込んでいるその様は哀愁を漂わせている。

 

「とは言え……少し引っ掛かるな……」

 

 全ての食器を洗い終えてストレージに片付けたところでキリトがそう言った。

 疑問程度とは言え僅かにでも希望が見えたユイちゃんはがばっと顔を上げて、食い入るように義弟の顔を見詰める。その気迫に気圧されたのか、それとも勢いや食い付きに驚いたのか僅かに身動ぎしたものの、キリトはすぐに口を開いた。

 

「武器の換装も同じ原理だとしたら、逆に自然属性だけユイ姉は出来ないっていうのも妙な話なんだ。俺の想定が間違ってるのかな……」

 

 《ⅩⅢ》を持っているという共通点を持つキリト、ユイちゃん、シノンさんの間にある最大の違いと言えば、それは当然《人間》と《AI》である部分だろう。性別や装備、レベル差という違いは確かにあるけど、キリトとシノンさんで同じ事が出来ている時点でその違いは今回の問題解決の手札になり得ないのは明白。

 そうなると一番引っ掛かるのはユイちゃんが《AI》である事。この一点に尽きる。

 

「そういえば、昔読んだSF小説の一つに、人間の脳を電子で再現して作り上げられたAIの登場人物が居たわね」

 

 そう考えていると、シノンさんが何か思い出したように言った。

 それを聞いた途端、キリトが物凄くしかめっ面をした、それはもう物凄く相容れない何かを見た時のような顔だ。シノンさんはそれを見て僅かに肩を震わせる。

 

「な、何よ……」

「いや……人間の脳は現代科学、医学でも解明出来ていない部分が多いブラックボックスなのに、そんな事があり得るのかと思って……」

「でもユイちゃんはれっきとした《AI》。今まで人類が想像した産物の一角で、昔はあり得ないって言われてた机上の空論とも言える存在があるんだから、可能性として否定出来ないんじゃない?」

「む……確かに……」

 

 今まで机上の空論と考えられていた産物の一つ《人工知能》がこうして目の前に居る時点で、人間の脳を模して電子で作り上げているのではという可能性は確かに否定出来ない。事実は彼女を作り上げた科学者のみが知る事だ。

 早い話、茅場晶彦ことヒースクリフさんに訊けば早い。

 

「……むー……でもSAOのAIだと結構マチマチなんだよなぁ……プレイヤーと同じくらい感情表現豊かで自然なNPCが居れば、一定の受け答えしか出来ないNPCも居るし、それ全部にAIを積まれているのだとしたらその違いもよく分からなくなってくるな……なぁ、ユイ姉、《AI》ってどういうものなんだ?」

 

 ふと、唐突にキリトが今までの話を根底から覆す――――と言うより半ば無駄にしそうな問いを発して、それを聞いたあたしやユウキさん達は思わず苦笑を禁じ得なかった。問われた本人のユイちゃんなど呆れ笑いまで浮かべている。

 

「よりによって私にそれを訊きますか、キー。それはあなたに、『人間とは何か』と訊いているようなものですよ。そう問われてハッキリと明確且つ具体的に答えられますか?」

「……無理」

 

 自分の問いがどれだけ無茶なものだったか理解したキリトは、苦虫を嚙み潰したように顔を僅かに歪める。ユイちゃんはそれを見て呆れ笑いを苦笑へと変え、頷いた。

 

「ええ、無理でしょう。《人間》と一口に言っても生物学的、発生学的、科学的、倫理感、世界観、果ては宗教観念全て合わせても答えは種々様々。ある人は『汚い存在』と言うかもしれませんし、ある人は『霊長の王』と言うかもしれません、獣と較べて『圧倒的弱者』と言う人も居れば『地球の覇者』と言う人も居るでしょう。つまり答えは現在に至るまで定まっていない……私のような《人工知能》も同じで、これが人工知能である、と定義付ける事は出来ないのです。何故なら真正の人工知能というものが未だ世界で一度たりとも作り上げられていないからです」

「え……で、でも、ユイちゃんはMHCPっていう役割を持ったNPCで、つまりAIなんでしょ?」

 

 AIである筈の彼女が、自分は人工知能では無いという存在の否定とすら言える暴論に驚きを顕わにしながらもユウキさんはそう問い掛けた。自律した知能を持ち、思考し、行動出来る存在である時点で彼女はAIと言えるのだと思うのだが。

 その疑問を浮かべているのを理解したらしい彼女は、生徒にどうやったら分かりやすく説明出来るかと悩む教師のように頤に指を当てて暫く考え込んだ。

 

「そう、ですね、まず人工知能について話しましょうか……AIというのは大まかに分けて二つのアプローチを為されていたんです。一つは《トップダウン型》と呼ばれ、こちらには私が該当します。これは既存のコンピューター・アーキテクチャ上で簡単な質疑応答プログラムに徐々に経験と知識を積ませ、学習によって最終的に本物の知性――――すなわち《大人の人間》へ近づけようというものです。生まれたばかりの赤子が大人になるまでの学習過程を辿っているタイプと考えて下さい」

「……ん? じゃあこのSAOに居るNPCで矢鱈会話や表情が自然なNPCは……」

「恐らくベータ時代から引き継がれているNPCでしょう。ちなみにキー、そのNPCはどういった役割だったんですか?」

「第一層のアニールブレードと交換する為に胚珠っていうアイテムを欲していた民家の、病で臥せってた女の子……頭、撫でてもらった」

 

 良い思い出なのか、NPCとは思えない自然なやり取りを見せるNPCの話を微笑みと共に彼は語っていた。

 確かアニールブレードという武器は第一層に於ける片手剣最強の武器で、キリトはそれをデスゲーム初日の夜に二本獲得したという話を以前聞いた。その時、《リトルネペント》の花付きを倒して胚珠というアイテムを手に入れる際に一度死に掛けたとも聞いたので、胚珠関連だとそれで間違いないだろう。

 デスゲーム初日で不安が大きかった時に頭を撫でてもらった記憶はとても大切なものらしく、キリトとしても良い思い出になっているようだった。少しだけ、そういった救いのような事はあったのだなと温かい気持ちになる。

 

「なるほど……クエスト関連だと【カーディナル・システム】がAIを総括している筈ですが、恐らく個体ごとに積まれているAIが成長していたのでしょうね……」

「かもな……それで、もう一つのタイプは?」

「二つ目は《ボトムアップ型》と呼ばれるものです。これは人間が持つ脳、すなわち脳細胞が約一千億個連結された生体器官の構造そのものを人工の電気的装置によって再現し、そこに知性を発生させようという考え方。つまりはシノンさんが先ほど口にしていたタイプですね」

「な……そ、それは流石に、無理じゃ……」

 

 そのあまりにも壮大、言い換えれば荒唐無稽にも過ぎるビジョンに、思わず呻く。

 そもそもからして矛盾しているのだ。さっきキリトが言ったように人間の脳は未だ謎が多くて解明されていない部分の方が多いブラックボックスとも言えるものなのに、ユイちゃんが語った方は、全て数字で理路整然と作り上げられた謎がある筈もない電子脳。謎があっては、電子脳の場合は矛盾存在となるのだ。存在なんて出来る筈が無い。

 

「ええ、無理です」

 

 その思考を肯定するように、ユイちゃんはあたしへ顔を向けて来た。

 

「ボトムアップ型は思考実験の域を出ないまま放棄されてしまったアプローチです、仮に成功していれば私もトップダウン型では無かったでしょう。そしてそれに宿る知性は、わたしとは本質的に違う、キー達人間と真に同じレベルにまで到達し得る存在となる――――筈、なのですが……」

 

 そこまで理路整然と語っていた義妹の口が、僅かにどもる。それは何か引っかかっているような素振りに見えた。

 

「……先ほど、私はトップダウン型人工知能の成長先である本物の知性を《大人の人間》であると言いました、その歩みが赤子から大人への学習過程だと……だとしたら、トップダウン型とボトムアップ型は、どちらがより人間らしいのかと思って。何も知らない赤子のように学習して成長するトップダウン型と、条件を等しくしただけで知性の質が変わるとされるボトムアップ型では……一体、何が違うんでしょう……」

 

 電子の命である義妹は、苦悩の面持ちで言う。最初が違うだけで全てが決まるのかと悩んでいるのだろうかと、あまり科学者の見解に付いて行けないあたしは単純にそう考えた。

 

「違いなんて、無いんじゃないかな」

「……?」

 

 彼女にとっては存在意義と言っても良い苦悩に対し答えあぐねている中で、キリトが答える。電子の義妹は短い答えの意味するところを掴めなかったからか、どこか縋るような面持ちで彼を見た。

 

「最初は確かに違う、最初が違えば過程だって当然違う……でも、最後は、結果はきっと変わらない」

「それはつまり……ボトムアップ型やキー達人間と同じ本物の知性を私も持っていると、そういう意味ですか?」

「うん」

「……何故、そう思うのですか?」

「そもそもの話、ユイ姉の言う《本物の知性》はどういう意味で定義されているだ?」

「それは……人間と同じ創造性、適応性を持つ知性という意味です」

 

 キリトの問いに、彼女は端的に答えた。言外に自分に創造性や適応性を自然と行う知性は無いと言って。

 

「なるほど……トップダウン型がナビゲーションプログラムやゲーム内NPC疑似人工知能であるのに対し、ボトムアップ型はそういう括りなんだな……で、ユイ姉はトップダウン型のAIだから、ボトムアップ型、所謂《仮想世界の人間》とも言うべきタイプじゃないと思ってる訳か」

「ええ……違うのですか?」

「違う。そもそもその定義だって最初や成り立ちが違うだけなんだからその先なんて幾らでも考えられる」

「む……」

 

 言われ、ユイちゃんは口を噤んだ。その顔からは、考え付かなかったという思考が読み取れる。

 それを見て、キリトが嘆息を洩らした。

 

「大体ユイ姉がその話に当て嵌まる存在とはとても思えない。記憶を喪っている時のユイ姉を誰もAIだと思わなかったんだぞ、気付いていたのはせいぜい元々知っていたヒースクリフくらいだ。しかも《ホロウ・エリア》に来てからは特に誰かから言われもせずに俺をモニタリングしていたっていうし、俺がこっちに来てからは色々と良くしてくれてるし……現実に肉体が無いだけで、ユイ姉と俺との間に差は無いだろう」

 

 ユイちゃんがゲージをイネーブルーにして戦闘型NPCへと自分を改造したのも、キリトが首から提げているネックレスに出入り可能にして戦闘に参加しない間は情報面でサポート出来るようにするなど試行錯誤したのも、全て彼女自身の意志。誰かに言われた訳でも無く、彼女自身が良かれと思って行動した事に起因している。

 それは確かに、彼女の言う疑似人工知能とされるトップダウン型では無く、ボトムアップ型とすら言える。記憶を喪っている時、誰も彼女を人間ではない存在だと思わなかった訳だし、本物の知性とやらを持っていると言われても全くおかしくない。

 

「仮にだ。仮にユイ姉が語った二つの人工知能の定義全てが正しくて、ユイ姉の知性も繰り返された学習の結果で《本物の知性》からは程遠いものだとして。ユイ姉が俺と一緒に居る間に覚えた感情は、全部嘘だったのか」

「それは……」

 

 どこかむくれたように、拗ねたように唇を尖らせながら言う義弟に、電子の義妹は狼狽えた。今まで自分がしてきた言動の全てが虚飾しかないのかと言われているも同然の問いに、彼女はその怜悧な顔を哀しげに歪める。

 

 その表情に浮かぶ哀しみは、とても人から学習して真似ているだけのものとは思えなくて。

 

 その顔を見たキリトは、どこかホッとしたような面持ちで微笑んだ。

 

「言葉に詰まっている事が答えだ。以前目の前で消滅する前に、ユイ姉は泣きながら『胸が温かい』と言った。本当に感情模倣プログラムで表情や言葉を選んで再現しているだけならそんな事は起きない筈だ、今表情を哀しそうに歪める事も、度重なるエラーを利用したとしてもカーディナルから下された不干渉の命令を破って俺に会いに来る事も。以前消滅する前に言った事たけど……」

 

 ――――ユイ姉はもう、自分の意志と心を持ってるんだ。

 

 科学者が聞けばきっと鼻で笑うかもしれない根拠も何もなくて、所謂感情論というものかもしれないけれど、あたしにはその言葉がユイちゃんの全てを集約しているようにも思えた。

 彼が既に言ったように彼女が記憶を取り戻すまで誰もAIだと思わなかった。上位存在にあたるカーディナルの命令を無視してまでキリトに会いに来た事も含めて、彼女は既に自分の意志で行動を選択し、歩んでいる。それは立派な人間と言えるだろう。

 彼女は仮想世界に生きる一人の人間なのだ。キリトの義理の姉という立場に在る、恐らく世界初めてとなる電子世界に生きる人間なのだ。

 始まりは確かにトップダウン型という存在の定めとして、知識も経験も無い存在だった。ボトムアップ型に較べて《質》という部分では大いに劣っていただろう。赤子のように何も知らないけれど言語を識っていて、何時習得したかも分からない知識を基に人と交流を重ね、経験を積み、成長していく存在。行き着く果ては、《質》に《量》で比肩した、生まれが違う人間。

 

 現実に原子で構成されている肉体があるかないかだけで、AIとしてこの仮想世界に存在している彼女も、仮想世界に生きる人間なのだ。

 

「――――」

 

 恐らく求めていた事を言われて――同時にAIである自身も人間と認められて――嬉しかったのだろう、大人の女性としての姿を取っている電子の義妹は義弟の顔を唖然と見つめながらその相貌に涙を浮かべた。はらりと大粒の滴が頬を伝うが、拭う素振りも見せず、無言のままそれを流し続ける。

 彼女が涙を止めて喜びを顕わにしたのは、これから暫く後の事である。

 

 *

 

「ユイ姉が《ⅩⅢ》の属性武器を出さずに力を扱えるかについてだけど、多分無理だな」

 

 ユイちゃんが落ち着いた事で脱線した話を元に戻したキリトは、結論としてそう言った。

 

「さっきも言ったように、俺が《炎》とイメージした際に活発化する脳細胞の脳波を読み取って再現しているのだとしたらユイ姉には不可能だ、何しろ読み取る為の脳が無いから。電子脳があったなら話は別だったかもしれないけどそれも無いみたいだし……」

「上げて落とさないで下さい……」

「……ごめん」

 

 愛する義弟から《仮想世界の人間》という同等の存在として認められ喜びを顕わにしていたところで出された結論に、電子の義妹は僅かな哀しみを伴った微苦笑を浮かべた。肉体が無い、つまりキリトやあたし達と根本的に違う存在という事実は彼女にとって辛い事実である事に変わりなく、それを言外に指摘されたに等しいからこその言葉だろう。

 純粋に出来ない事を悔しがっているだけかもしれないが。

 

「なるほどぉ……でもユイちゃんはキリト君みたいに武器の換装は出来るみたいだけど、それはどうしてなのかな……」

「考えられるとすれば、武器を喚び出す方の原理だけ別枠で……武器一つ一つに武器種固有の値の後に別々のID番号を出していて、それに該当する番号の武器を喚び出しているのかもしれないな。まぁ、今それで困っている訳じゃないから知らなくても別に良いだろう。それよりも樹海探索についてだ」

 

 レインさんが口にした疑問を放り投げた義弟は、苦笑を浮かべて話を変えた。

 

「ボスとの戦闘では、相手が特定の性質を持たない限りは俺一人で相手しようと考えてる」

「「「「「ギルティ」」」」」

「ふぁっ?!」

 

 そして流れるようにとんでもなく莫迦な事を口走ったので、その場にいた面々全員で一斉に有罪判決を言い渡す。この反応の仕方は予想していなかったのか無邪気は反応を見せるがそれでこちらの憤慨が和らぐ筈も無い。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ?! キチンと理由があるからまずは全部聞いてくれ!」

 

 こちらの様子を悟り、そして原因を理解したらしい義弟は慌てた様子でそう言って来た。

 碌でもない理由な気はするが、それでも頭ごなしに話も聞かずに叱責するのは間違っていると理解していたので、あたし達はお互いの顔を一瞬見合ってから一旦身を引いた。

 

「……まぁ、良いでしょう。その理由とは何ですか?」

「えーっとだな……闘技場《個人戦》でホロウがしてきた炎熱ダメージは皆覚えてるよな?」

 

 その問いに全員が頷く。

 ホロウが出した二つ目の武器、炎を吹き出す戦輪を手にした直後発動した技の事は、恐らく観戦した誰もが鮮明に憶えているだろう。事実言われてすぐにあたし達は思い出した。アレよりも驚愕する戦いぶりがその後に繰り広げられたけど、それでも印象深い事は確かである。

 

「俺もアレを出来るようになった。ユイ姉とフィリアは実際にその眼で見てる」

 

 二人が証人だと言うので黒尽くめの義妹と軽装のトレジャーハンターの二人に顔を向ければ、どちらもしっかりと頷いてみせた。どうやら事実らしい。

 

「アレは焦土、つまり地面に足を付けている限り毎秒一パーセントのダメージを与える事が出来る。つまりボスですら最長百秒しか保たないんだ」

 

 百秒。つまりは一分四十秒も耐え凌げばほぼ自動的に倒れてくれるという技を使えるようになった。詳しく訊くとその技でトドメは刺せないらしいが、かなりの速度でHPを削っていくので、マトモに戦闘し、剣弾を放ちながら使っておけば戦闘所要時間が一分未満になるのはほぼ間違いない。

 戦闘時間が短いという事は、それだけ戦う者の負担や疲労も少なくなる事を意味する。

 

「でもそれをするには仲間が居たらダメなんだ。アレは仲間のHPも削ってしまうから」

「なるほど。ソロで戦いたいと言ったのは、仲間が居ると逆に辛くなると、そういう事なのね」

「うん……あ、別にリー姉達が邪魔という訳じゃない。ただ情報が全くない初見のボスを相手に戦うなら一人の方が楽というだけで……味方が居ると、連繋や空間把握に思考を割かないといけなくて、その分だけ《ⅩⅢ》の行使や動作がワンテンポ遅れて、隙になるから。初見の敵にそれは辛い」

「分かってるから安心して。キリトがあたし達を邪険にしている訳じゃないのは理解してるから」

 

 少し慌てた様子で早口に弁解を口にする義弟が微笑ましくて、あたしは快活に笑みながら宥める。そのついでに頭を撫でてやれば僅かに不安を浮かべていた表情は柔らかな笑みへと変わった。

 それにしても、と今話してもらった内容を脳裏で反芻する。

 基本的にプレイヤーよりもMobの方が高ステータスであるのがMMORPGの基本で、このSAOもそれに倣っている。ボスなんてその最たるもので、大人数で挑む事で情報を得て、対策を練って、その果てに漸く討伐が可能になるレベル。

 それをキリトは、一人の方が楽と言った。仲間が居ると、その仲間の行動を常に把握していなければならず、《ⅩⅢ》や自身の戦い方と照らし合わせると相性が悪くて逆に隙が多くなり、結果的に弱体化してしまうと。

 そんなプレイヤーは稀有だろう。一人の方がボスと渡り合えるだなんて、普通あり得ない。

 彼の場合は偶然と偶然が重なって、結果的にそうなっただけだと思う。システムに精通し、システム外スキルを編み出して複数人居ないと出来ないソードスキル連繋を単独でこなし、ボスに対する絶対的な刃を持つに至った。反応速度や剣の技術も他の追随を許さない程に磨き上げられ、それに拍車を掛けるように《二刀流》や《ⅩⅢ》といったユニークなスキルと装備が揃った。

 

 ――――これは、本当に偶然なの……?

 

 奇跡的に上手く噛み合った末の現在と考えれば、可能性としては限りなく低くとも絶無という訳では無いので否定は出来ない。本当に偶然条件を満たしてユニークスキルを修得し、攻略の上で必須だった戦いを突破したからユニーク装備を結果的に偶然手に入れて、それが偶然彼のISにある装備と同じだったからほぼすぐに使えただけかもしれない。

 だが、最後の『ISと同じ装備』という一点が、その偶然に疑念を覚えさせる。

 ユニークスキルに関してはまだ良い。それは複数の条件を満たすだけの素地があらゆる武器スキルを完全習得している彼にはあったから、他の人が普通一つしか満たせない条件を一気に複数満たしていても何らおかしくは無いのだ。

 だが装備に関しては違う。プログラミングされていないとそもそも存在しない装備の中に、本来誰も知る筈がないキリトのISの武器と同じものがある事が土台不自然なのだ。

 

 ――――もしかして、このデスゲームになった異常な世界でこの子が選択した行動すらもが、誰かの掌の上……?

 

 そんな事があるのかと、もしこの予想が真実であった場合の事を考えて戦慄する。

 人間は矛盾多き生き物で、何もかも誰かの思い通りに動くとは限らない存在。言われた事やプログラムされた指示を忠実にこなすロボットとは違うのだ。特に日常と真逆の非日常での行動は、どれだけ特定個人の事を理解している人でも完璧な予測は不可能。幼い子供が自ら率先して戦いに向かうなど誰が想定出来ようか。

 しかし……しかし、万が一、億が一にも彼の行動原理や思想を理解している/そうなるよう誘導している輩が居るのだとして。その輩がこの世界をデスゲームにした事は勿論、この子を陥れて来たのだとすれば。

 決してこの予想はあり得ないとは言い切れなくなる。

 

 ――――そもそも、この世界は色々とおかしい点がある。

 

 『この世界』とは、『《織斑一夏》を虐げる事を良しとする世界』の事。ISが広まり、女尊男卑風潮が蔓延している日本だけでなく世界規模である事を意味している。

 まず最初におかしい点は、彼が虐げられ始めた年齢。たったの五歳の子供と小学生や中学生と較べ、それで貶めようとするだろうかという事。普通の思考回路をしているなら、そもそも較べる必要すら無い事が分かる筈だ。それなのに周囲の人間は彼を貶め、それは世界全体に波及している。無論あたしの家のようにそれに毒されていないところもあるだろうが、それにしては絶対数が多過ぎだ。

 次に、その規模がおかしい事。

 幾ら姉が世界大会の覇者で、その大会も女性にしか扱えないISの操縦者最強を決めるものだとしても、それで何故弟についての話が出る。よしんば出るにしても、日本だけなら分からなくもないが、世界規模である事は妙だ。

 ISを至上とし、それを扱える女性を最高とする思考を持つ女尊男卑の女は、実のところ結構少ない。その風潮のせいで男性との出会いが減り、元々少子高齢化社会の日本はいよいよその出生率を減らしているからだ。生まれた子供が男児である事を理由に殺す者まで居るのだから世も末。近年では一夫多妻制、一妻多夫制――――つまりは重婚制度を法律で認めようという動きも見られているくらいである。

 それもこれも、女性にしか扱えない欠陥をそのままにして世に送り出した篠ノ之束博士と、多少不可抗力ではあるがISの世界大会で優勝した織斑千冬が、共に日本人であった事が原因だ。厳密に言えば基盤を前者が作り、その上を後者が築き上げていった。決め手はやはり世界大会優勝。

 だから『日本の女性は最高』という思考が女尊男卑風潮の輩に根付いていて、そこから『女性は至高の存在』と定義が広がっている。

 日本で《織斑秋十》と《織斑一夏》の両者が比較される事はまだ分かる。本来なら理解したくもないが、物事を冷静に見る為に知っておかなければならないからあたしはその事情を理解した。

 その上で、その思想――――すなわち《織斑一夏》を《出来損ない》とする考えが外国にまで波及する事に、あたしは常々疑問を覚えていた。

 現実世界での社会を凝縮した世界とも言えるこのSAOですら、キリトがアルゴさんを介して《ビーター》の悪事を広め悪感情を向けさせていたにも拘わらず、フィリアさんのようにほぼ無関心だったり、ルクスさんのように偏見も無くすぐ仲良くなったり、ユウキさん達のように親身になる者がいる。リンドさんのように最初はいがみ合っていても長い時間を掛けて理解を示し、歩み寄ろうとする者も現れている。第一層の教会のサーシャさんや子供達のように、そもそも《ビーター》についての悪感情が殆ど無い者まで居る。

 要するに、人の悪評なんてそんなもの。

 流石にユウキさんやリンドさん達はほぼ例外に位置するだろうが、彼女達のように人の噂に惑わされず彼そのものを見た人間は過去にも居た。

 そしてあたしのように、全く関係を持っていなかったからこそ悪感情なんて持っていない人間も居た。現実世界ならそれはごまんといる筈で、誰もが虐げようとするなんて普通おかしいのだ。人間はそこまで単純じゃないし、全く関係ない人間に対してそこまでの感情を抱かない。凶悪な殺人犯を見て怒りや憎悪を燃やす人間などせいぜい被害者くらいなもので、それをニュースで見ても軽く流す程度が殆どなのだ。

 その常識を前提にすると、世界全体に《織斑一夏》を虐げる思想が広まっている事がどれだけ不自然な事かは理解出来るだろう。各国に配られているISに影響されて広まった女尊男卑風潮よりも更に広まっている事実がどれだけおかしい事か。日本にしか居ないたった一人の人間が、世界の主要な大国に複数配られたISへの思想より広まっているなど、どう考えてもおかしいのだ。

 つまり、《織斑一夏》を虐げ、貶め、その思想と思考、行動原理を誘導している輩が、世界の何処かに居る。この子を操り人形のようにしようとしている存在が居る。

 そして、その魔の手は、恐らくこのSAOにすら伸びている可能性が……

 

「――――……リー姉ッ!」

 

 その思考を切るように、どこか不安と切迫を感じさせる声音で義弟に名前を呼ばれた。はっと意識を戻せばキリトはこちらの手を引いて、僅かに不安そうな表情であたしを見上げて来ていた。近くに居るユウキさんやルクスさん達も心配するような面持ちをしていた。

 

「リー姉、いきなりどうしたんだ。物凄く顔が怖かった」

「……そんなに?」

「うん、凄く……そんなに俺が一人で戦う事に反対なのか。いや、当たり前なのかもしれないけど……」

 

 どうやら物凄く怖い顔をしていたようで、どこか怯えを見せながら彼は続けた。どうやらあたしが恐い顔をしていた原因は一人で戦おうとする事に反対を覚えているからと思っているらしい。

 まぁ、実際一人で戦う事に思う事が無い訳では無いけど、それが一番確実で負担と疲労も少ないというのなら是非も無い。ちゃんとした合理的な理由があるのならよっぽどの事でもない限り反対はしない。

 

「ごめん、別にそういう訳じゃないのよ。理由は分かったから反対してる訳じゃないの」

「そうか……でも、それなら何で? さっきの形相は正直初めて見た」

「ぎょ、形相って……」

 

 そこまで言うという事は、それだけあたしの顔は怖かったという事か。確かにかなり真剣に、且つ重大な事を考えていたから、別にそうなっても何らおかしくは無いのだけど……こう、好きな人にそんな感想を抱かれているのは地味にクるものがある。

 それはともかく、これは正直に話すべきかと思案する。

 今後の事を考えるならキリトにはあたしの推察を全て語っておくべきだろう。この歳で聡明なキリトは僅かな情報から真実を見出す事に長けているし、こちらが知らない情報を平然と知っている事もザラにある。あたしの情報や推察がその一助となるなら話す事に否やは無い。

 しかし……この事実は、キリトにとって辛い事になる。それも最大級の傷になる事は間違いない。

 今まで自身が虐げられてきた事全てが仕組まれた事で、苦しみ、恨まれる事になったこの世界がデスゲームになった原因の一端に自分が影響していると、例え推察であろうとも考えてしまったら、デスゲームに囚われてしまった人達の為にと戦って来た彼は壊れてしまいかねない。自分を狙う輩が仕組んだ事が原因で人死にが出て、皆を苦しませていると考えてしまったら、彼の根幹が崩れてしまいかねないのだ。

 この《SAO事件》が過去のものだとすればまだ開き直れる。既に終わった事で、どうしようも無い事だから。

 けれど現在進行形で進んでいる事の原因に自分が関わっていると知ったら、それこそ彼は思い悩んでしまうだろう。あたしが否定した『過去の行動の否定』をまたしかねないし、それが原因で戻ってしまったら今度ばかりはあたしもどうしようもなくなる。そもそもそうしてしまった本人がどうにかしようとしても無理だし、事が大き過ぎるだけにどう足掻いても矯正出来なくなる。

 

 ――――いや……ひょっとして、それすらも想定内の事という可能性も……

 

 よくある、悪役が主人公に『全て仕組んでいた事だ』と告げるワンシーンが唐突に脳裏に浮かび、戦慄する。

 仮にそれが現実のものとなれば、これまでの苦しみの全てがその矯正出来なくなる思考の下地という事になりかねない。

 そしてそれが全ての黒幕の狙い通りだとすれば……

 

「リー姉……?」

 

 どうしたものかと思い悩むあたしに、不安そうに小首を傾げながら見上げて来る幼い義弟。

 全てがあたしの推察通りとは思わないが、それでも完全に否定するだけの材料が無く、むしろ信憑性が増している時点で話すべきではないと思う。推察だろうとこんな事を知りたくないだろうし、知らせるのは酷過ぎる。この世界の最前線で戦って来た理由と根幹、信念、過去の全てを完全に否定する、あたしがした事以上に最低で卑劣に過ぎるものだから。

 であれば、深刻な顔をするだけに足る理由を捻り出さなければならない。下手な事を口にしても即座に嘘と見抜かれる可能性が高いから。

 

「……レベルが足りないという事実があるのは分かってる。でも家族を一人戦わせる事は、本当は凄く心苦しいのよ」

 

 だからこそ、真実と嘘を交えて口にする。

 その想いは確かに真実。大切な家族が一人で戦う事は心苦しくて、でもあたしが弱いからこそそれを認めざるを得ない状況をあたしは苦々しく思っている。凄く悔して、もっと強くならなくちゃと奮起する。

 そして嘘とは、それを抱いたのは今では無いという事。本当は義弟が虐げられる事や《SAO事件》の裏について思考していたが、それを悟らせない為に嘘を吐いた。真実ではある嘘を。

 本当は嘘なんて吐きたくないけれど、どうか許して欲しい。大切なあなたを護る為に吐かなければならないのだから。

 まだこれを伝えるには、早過ぎるから。

 

「ん……なら、もっと強くなって。もっとレベルを上げて、力になって」

「ええ……」

 

 あたしが吐いた真実の嘘を疑う事無く信じ、微笑みと共に願って来る義弟に、声を震わせながら小さく首肯する。

 出来る事なら死ぬまでこの事実に推察ですら考えないで欲しいと、そう切に願いながら。

 

 *

 

 真実の嘘を疑う事無く信じた義弟に心苦しさを覚えつつ不安を解消する為に頭を撫でた後、流石に気恥ずかしくなったのか自発的にキリトは離れた。ユウキさんとシノンさん、そしてユイちゃんの眼がちょっと怖いが、これくらいは許して欲しいと思う。

 

「……あー……えっと……そういえばリー姉とシノンの武器はどうなったんだ? レインに作ってもらったんだろう?」

 

 キリトは気恥ずかしさを紛らわす為かかなり露骨な話題転換を試みていた。問われたレインさんはその意図を察したようで、微笑ましそうに微苦笑を浮かべ、彼はその顔を見てバツが悪そうに顔を背けた。

 そんな彼を見て、レインさんはくすくすと口元に手を当てながら笑う。

 

「笑うなよ……」

「ごめんごめん。えっと、リーファちゃん達の武器についてだけど、一応出来はしたよ」

「……何か引っ掛かる言い方だな」

「シノンちゃんの二本の短剣は文句無しの出来になったんだけど、リーファちゃんの片手剣がね……何度打ち直しても納得のいく性能にならなかったの」

 

 話を聞いてこちらに視線を向けられたので、腰の剣帯から吊るしていた武器を鞘ごと抜いて手渡す。

 あたしの新たな武器となり、しかし製作者のレインさんが納得しない性能のそれを受け取った彼は、すぐに柄をタップして詳細を確認した。表示されたパネルに記載されている情報を流し読みした後、眉根を寄せる。

 

「……確かにバランスが悪いな。低くは無いけど、反面高くも無い」

「でしょ? 最前線で通用しなくも無いけど、正直《攻略組》の一人として参戦するには微妙に物足りないんだよね……ずっと打ち直してたんだけどキリト君が先に帰って来ちゃって」

「なるほど……」

 

 要求筋力値こそSAOでの常識の範囲となる値になったが、武器攻撃力に関してはレインさんの判断によるとかなり微妙なラインらしい。ユウキさんのルナティークと比較すれば一目瞭然で、バグ化の影響で全ての強化が消失しただけでなく基本性能すら低減している彼女の剣にすら、あたしの武器は劣っていた。これならまだジョワイユーズの方がマシと言えるくらいだったのだ。

 だからレインさんは何度も打ち直していたのだが、それでも良いものは中々出来ず。満足のいく出来栄えの剣を求めて打ち直している内にキリトが帰ってきてしまったという訳だ。

 

「うーん……時間をくれるなら俺が鍛えても良いんだけど、どうする? この剣でも一応戦えはするけど」

 

 試す眇めつ剣を見ていたキリトは、そう提案して来た。ニュアンスからして今の剣だとすぐ頭打ちになるからもっと上を目指した方が良いと伝えて来ているのが分かる。

 

「お願い」

 

 願ってもない事なので即座に答えを返す。そのあまりの速さ故か、義弟はくすりと苦笑を浮かべた。

 

「即答か。期待してくれるのは嬉しいけど、出来栄えは完全にランダムだからそこは勘弁して欲しい」

「分かってる」

「ん。じゃあ少し待ってて」

 

 そう言って、キリトはあたしの剣を手に少し離れたところに座る。そのまま右手を振って喚び出したメニューを操作し、半透明の分厚いガラス床の上に複数の道具をオブジェクト化していった。あたしが見知っている鍛冶屋のものより遥かに小型な轟々と火を噴く溶鉱炉と、小さいながらしっかりとした台、そして漆黒に輝くスミスハンマーが次々と光の中から現れる。

 

「ひゅぐ……っ?!」

 

 最後にスミスハンマーがオブジェクト化した瞬間、隣に立っていたレインさんが変な声を上げた。それを訊いた面々が訝しげな眼を向ける。

 

「レイン、どうしたの?」

「あ、あのハンマー……わたし、持ってない。《鍛冶》スキルを取ってるプレイヤーであんなの持ってるとこ見た事ない。マスター鍛冶師が持てる最高ランクのハンマーは黄金色のゴールドハンマーの筈なのに、黒いハンマーなんて聞いた事無いよ」

 

 《鍛冶》スキルに応じて使用出来るハンマーのランクが変わる部分はSAOも同じらしい。

 仮にハンマーの種類もALOと同じだとすれば、最初のハンマーは《カッパーハンマー》で、次に《ブロンズハンマー》、《アイアンハンマー》、《スチールハンマー》、《チタンハンマー》、《メタルハンマー》、《シルバーハンマー》、最後に《ゴールドハンマー》となるのだろう。《ゴールドハンマー》だけは《鍛冶》スキルをマスターしている者にしか扱えないと聞いた事がある。

 それらの色もまた特徴的で、黒に最も近いのは《チタンハンマー》だ。しかしあれは黒紫色なので厳密には漆黒では無い。キリトが取り出した純粋な漆黒色のハンマーは、現在確認されている八種類とはまた別の代物なのだ。

 

「アレは《ヘパイストスハンマー》、鍛冶の神の名を冠したSAOでも最上級に位置するスミスハンマーです。ちなみにアレはユニークアイテムですよ」

「ヘパイストスハンマー……?! しかもユニークって……良いなぁ……」

 

 ユイちゃんの補足を聞いて自分が持つ事は無いと知り、羨ましそうな視線を彼女は黒尽くめの少年へ向けた。

 当の本人は既に集中しているのかこちらの会話や動揺に一切気を向けず、泰然自若とした風情であたしの剣を鞘から抜いていた。抜き身の刀身を暫く検分した後、横に置いている赤々と燃える溶鉱炉へ剣を横にして置いた。真下から溶鉱炉の熱を受ける剣は次第に赤く赤熱していき、終いには柄の先端まで深紅に染まる。

 赤々と輝いた剣は数秒経つと途端に収縮し、二十センチ弱の直方体の金属塊へと変貌した。インゴットと呼ばれる武器製作時に要する《心材》だ。

 薄い翡翠色のそれを一度ストレージに入れた彼は、次に《基材》となる必要素材と、製作される武器のステータスをある程度方向付け、また上昇させる為の《添加材》を選択し出す。思うにレインさんが作った剣のステータスがイマイチだったのは《添加材》の組み合わせか、あるいは種類があたしの剣に合わなかったからかもしれない。

 あたし達が見守る中、静かに素材の一覧をスクロールして選択していたキリトは、およそ二分の黙考の末に選択を終えたようで白いパネルをタップしていく。全てを選択し終えた後には彼の正面に置かれている金床に、《心材》の翡翠色のインゴット、恐らくは《基材》と《添加材》なのだろう麻の小袋が五つほど出現する。

 彼はそれを見た後、五つの小袋を丁寧に溶鉱炉の炎へと入れた。たちまち炎の赤色が蒼を経て、癒しの色にも見える輝く翡翠色へと変わる。

 それを見届けた彼は、何時の間にか取り出していたヤットコ――熱した金属を掴むペンチのようなもの――を手に取り、インゴットを炉へと入れる。数秒と経たずにインゴットは赤く熱され、蒼へと変わり、緑を経て、元々の色に輝きが追加された翡翠色に輝いた。

 色が翡翠色になっても暫くの間、彼はその様子を見守り続けた。真剣な横顔は緊迫感を覚えさせ、それだけ真剣に打ち込んでくれているという事でもある。

 その事実に喜びを覚えた時、彼は動いた。右手に黒いスミスハンマー《ヘパイストスハンマー》を持ち、左手にヤットコを持った彼は、金属塊を炉から出し、金床へと移す。金床に置いた直後、ヤットコで挟んだままハンマーを振り上げ――――打ち下ろした。

 二十センチほどの直方体の金属塊が、かぁん、と甲高い音と共に僅かに変形する。赤い火花の他に白や翡翠色の火花も散る中、彼はまた鎚を振り上げ、また打ち下ろす。

 およそ二秒に一度のリズムで彼は鎚音を奏でる。熱され煌々と輝くインゴットはその度に平たく変形していき、幻想的な火花を散らせる。

 武器製作に於いて、出来上がる武器の性能は完成に至るまでに鎚を振るった回数に比例する。

 ALO基準だと店売りの初期装備は五回、つまり武器強化の十回より少ない。グレードが上がるに連れておよそ五回ずつ回数が増えていくのが基本だ。ジョワイユーズの製作依頼をした時は都合三百回も鎚を振るったと笑い話に話してもらった覚えがある。

 つまりジョワイユーズ以上の性能を得るには、最低三百回を超えなければならない理屈になる。

 レインさんの話だとほぼ二百五十前後が大半だったらしいので、キリトに手渡したあの剣は明らかにジョワイユーズより弱いと判断出来る。

 あまり何度も打ち直してもらうのも《基材》や《添加材》を持ってくれたキリトやレインさんに悪いと思い、どうかこの一度で強い武器になって欲しいと心より願う。ALOで手にしてから長らく苦楽を共にした相棒とも言える愛刀の魂を受け継いだ剣は、姿を変えてもこのSAOの世界から立ち去るまでずっと使い続けたい。その為には強くなってもらわなければならないのだ。

 どうかお願いと、祈る気持ちを抱きながら無心に鎚を振るう義弟を見る。

 二秒に一度の決して崩れない規則的な鎚音は聞いていて飽きるものでは無く、むしろ回数を重ねる毎にあたしの集中力は増していった。百を超え、二百を超え、二百五十を突破した時、何度も打ち直してくれたレインさんも固唾を飲むほど。

 それから十分が過ぎて三百を超えた時、あたしの心臓は早鐘を打っていて、ドキドキと耳の横で聞こえる程激しく鼓動していた。

 

 しかし、鎚の音はまだ止まない。

 

「え……ちょ、どこまでいくの……?」

 

 三百三十を超えたところで、とうとうレインさんが戦慄を滲ませ、心境を吐露した。その気持ちはあたしも全く同じで、しかし知った事かと言わんばかりに鎚の音はまだ回数を重ねていく。

 三百五十を超え、三百七十五に達した時、鎚が振るわれるに連れて輝きを増していたインゴットが一際強く煌めき、直方体の形が剣へと変わり始めた。

 魔法と言っても差し支えない現象を見て、ただ無心のまま鎚を振るっていたキリトも腕を下ろし、その幻想的な光景を見守る。

 数秒して形を得たそれから輝きが失せ、出来上がった新たな剣が姿を現した。

 特徴としては殆どジョワイユーズと同じ。《片手剣》のカテゴリながら《刀》のように反りがあり、片刃の特徴を有していて、刃渡りも《刀》のそれと同等。一言で言い表すなら長刀と言うに相応しい。

 柄はジョワイユーズの深緑から柔らかな翡翠色。本来円状の鍔がある部分には、代わりと言うように黄金の拵えが付けられていて、柄と刀身を連結させるようにハバキが嵌められていた。

 鏡の如く光を反射する刀身には一目では分からないくらい仄かに淡い翡翠色が混じっており、インゴットや溶鉱炉の炎の色が色濃く反映されているような印象を受ける。

 

「それが……あたしの、新しい剣……」

「うん。多分満足してもらえると思う……どうぞ、リー姉」

 

 あたしの独白に応じたキリトは、金床の上にて新生した長刀に手を向ける。最初に持つべきだと言わんばかりの仕草を見て意図を察し、逸る気持ちを抑えられず足早に近付いたあたしは、翡翠の長刀の柄に両手を掛け、一息の内に持ち上げる。

 羽のように軽い訳では無いが、しかし重過ぎる訳でも無く、長年竹刀や木刀を振るって来た身としてはとても丁度良い重みと重心。見た目も好みだが、手に持った感触もしっくり来るもので、あたしは生まれ変わった愛刀に魅了された。

 新生した愛刀を暫し検分した後、肝心の性能はどうなのだろうと柄をタップして詳細を確認する。製作者として気になったらしいキリトもそれを覗き込んで来た。

 

「銘は【都牟刈ノ太刀】……太刀ってあるのに《片手剣》なのか」

「あー……もしかしたら、ALOのデータが入って来てるのかも。都牟刈ノ太刀っていう《片手剣》の古代級武器があるって聞いた事あるし、基を正すとジョワイユーズってALOの武器だったし」

「何故《刀》じゃないんだ……?」

 

 SAOとALOも、武器の名前は大抵横文字だが、《刀》だけは和名なせいか漢字で表記される事がある。正確に言うとSAOでは漢字、ALOではカタカナ表記。つまり漢字表記されているこの長刀は、本来SAOの基準に照らし合わせると《刀》カテゴリでなければならない。

 逆説的に、《刀》でないのに漢字となっているという事は、SAOに最初から登録されている武器では無いという事になる。

 つまりALOから流入して来たデータで、カテゴリはそのままに漢字変換可能な名前の武器だったから変換されたのではないかという予想が立つ。かなりこじつけ感が凄いが、最近物凄いシステム障害を連発している【カーディナル・システム】だから、あり得ないとは言い切れない。

 《片手剣》カテゴリなのは、恐らく日本神話に出て来る剣が大抵片手持ちの代物だからだろう。熱田神宮に祭られている草薙剣も《片手剣》の見た目をしていて、どう頑張っても両手で振るうには柄が短かった。同一視されている都牟刈ノ太刀もそれに合わせてカリチュアライズされた可能性がある。

 

「なるほど。つまり【カーディナル・システム】は自らアイテムやクエストを作るだけでなく、既存のものをアレンジする応用機能も兼ね備えている訳か……オーバーテクノロジーが過ぎるな。ISも自己進化機能があるけど、【カーディナル・システム】も中々だ。どっちもブラックボックスに等しいし……」

 

 そう推察を語ると、話を聞きながら鍛冶道具をストレージに仕舞っていた義弟は納得の表情を浮かべた。どうやらあたしの推察も可能性として十分あり得ると判断されたらしい。何となく嬉しくなった。

 

「何はともあれ、完成だ。リー姉はそれで満足?」

「大満足」

 

 銘の下に記載されている数値は先ほどの剣やジョワイユーズの数値を遥かに凌いでいる。ジョワイユーズでも武器攻撃力だけは最前線で通用するレベルという話だったのに、SAOでのシステムも反映されているこの長刀は、更にそれを超えていた。

 ALOの特性とSAOの特性の両方が合わさった良いとこ取りの長刀。それの出来を端的に良い表すと、彼も満足したようで柔らかく笑んだ。

 

「ん、喜んでくれたようで何より。数に限りのある博打に出た甲斐があった」

「……うん?」

 

 嬉しそうに頬を緩ませながら言われた内容に、強く生まれ変わった愛刀を剣帯に吊るしていた最中のあたしは首を傾げる。

 はて、博打とは一体……?

 

「あの、キリト? 博打ってどういう事?」

「ん……あー……」

 

 思わず率直に疑問を投げると、しまった、と言わんばかりに渋い顔を浮かべた。ただそれは知られたくなかった、というよりも口が滑ってしまうくらいには軽い内容のものらしい。個人的には隠しておきたかったけど、別にバレても支障は無い程度のものなのか。

 

「えーっと……俺はこのSAOで全階層のフィールドボスとフロアボスのLAボーナスを取ってる事は、リー姉知ってたっけ?」

「いや、まったくの初耳なんだけど」

 

 全階層の攻略を率先して行い、全てのフロアボス戦に――たとえハブられていようと――必ず参戦していたという話は聞いている。LAボーナスもかなりの回数取っているとも。だがフィールドボスのLAはおろか、全てのフロアボスのLAを取っている事自体は初耳だった。

 本当なのかと事実確認の為にチラリとユウキさんに視線を向けると、彼女は苦笑と共に頷いた。どうやら本当の事らしい。

 

「事実なのね……それで?」

「ボスのLAはとても貴重で、且つ有用なものが多いのは知っての通りだと思う。で、武器の強化の際に使用すると《基材》や《添加材》を使わなくても成功確率を最大までブーストするアイテムがかつてあった。同じように武器製作時に使用すると、《基材》や《添加材》を未使用で、製作される武器のステータスを限りなく底上げするアイテムもLAとして手に入った」

 

 ……段々話が読めて来た。

 

「つまりさっき出してた五つあった小袋の中身は……」

「五つともそのLAアイテム、ちなみに七十五層フロアボスのLAボーナス。まだまだ残ってるから気に病まなくていいよ」

「そ、そう……ちなみに、あと何個残ってるの?」

 

 あっけらかんと伝えられた事実に頬が引き攣るのを自覚しつつ、どれくらい残っているのか気になったので訊いてみる。その問いには『四十五個』と答えられたので、どうやらかなり余裕があるらしい。

 一度の武器製作で使えるのは最大五個。これは《基材》と《添加材》を選択する際の最大個数。極論一個でも武器製作を行えるので、本来なら一個が最も低コスト。それを五つも使ったのは、複数個使うと高性能の武器を作りやすいから。一個だけだと低性能になりやすいと注意書きがあったらしく、回数に限りがあるのなら最初から打てる手を打った博打に出た方が効率が良いと判断したらしい。

 お陰で一発で強い武器が出来た訳だし、これからもあたしはALOから共に来た愛刀と戦える訳だが、少し申し訳なく思ってしまった。キリトもエリュシデータとダークリパルサーを鍛え直す際に使うだろうし、ただでさえ他の武器も同じように鍛え直さなければならないから大量の素材を要するのに、それを解消できるものを五つも使わせてしまったから。

 

「ごめんなさい、貴重なアイテムを使わせてしまって。そしてありがとう。大切に使わせてもらうから」

「……ん」

 

 一先ずの謝罪を、そしてお礼を言うと、一瞬悲しげになった表情がたちまち笑顔に満ちた。やはり人の役に立てる事を喜びとするのは生来の気質らしい。

 これで一通りの準備が終わったので、あたしはシノンさん、そしてキリトの使い魔であるナンちゃんと共に、ユウキさんに連れられて《攻略組》へ合流するべく《アインクラッド》へと戻る事になった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 今話は原作SAOのアリシゼーション編にて語られたAI関連の話を流用しております。

 AIの二つのタイプは根底から異なっており、ユイのトップダウン型では、電子脳を核とするボトムアップ型のように人と同等の存在にはなれないというのが、本作ユイや原作の見解。

 それに対し本作キリトは、無数の経験を積み、自分の意志で行動を決定出来るユイは、既に人と同じだろうと考えています。

 つまりトップダウンだろうがボトムアップだろうが、時間を掛けて経験を積み、知識を蓄え、且つ意思決定を行えれば『ヒト』であると言っている訳です。

 人間に置き換えるなら、トップダウンは《環境だけ》で人格や成長の仕方が決まる、ボトムアップは《遺伝だけ》で決まる。

 キリトの主張は両方が複雑に関係しているため差はない、強いて言うなら経験という《環境》が大きく左右している(生まれがどうだろうと経験の成長が重要)

 この辺は『幕間の物語:義姉弟編』のユイ視点を読み返して下されば少し理解が深まるかもしれませんね。

 もっと言うならSAO原作(特に九巻以降)を読もう!(笑)(SAO布教)

 ちなみに、リーファ視点の解釈は実姉&実兄(先天的才能優位)と一夏/和人(後天的努力経験優位)の関係性を暗喩していたりする。

 トップダウンとボトムアップも、極論先天的と後天的で行き着く先が決まってる的な解釈になります。それを判ってるキリトからすれば、ユイ姉の悩みはある意味自分自身の悩みでもあるんですよね……だからこそ、成り立ち(先天的要素・才能)じゃなく経験(後天的要素・努力)が重要なのだ、と語ったのです。ユイ姉の話を認めると、遠回しに『自分の努力は全て無駄』と拡大解釈ながら自分で否定することになりますから。

 ……こうして考えると、中々考えさせられる命題ですね、AIの定義。ここまで人間と共通するとは。

 そしてリーファが推察した違和感。纏めると以下の通り。

・そもそも全く関係を持っていない顔すら知らない人間への感情がISに対する女尊男卑風潮よりも世界規模で蔓延しているのは、土台不自然。日本国内だけならまだしも、直葉や木綿季のように日本人でも悪感情を抱いていないのに、全く知らない関係の外国人すら同じというのがおかしい。比較し虐げる年齢は言わずもがな。

・SAOに束と本人しか知らない筈のISの武器と同一のもの(一夏/和人の胸に埋め込まれているISの武装)がある時点で、SAOのデスゲーム化は《織斑一夏》を人体実験に使った輩と関わりがある可能性が高い。

・つまり《織斑一夏》が五歳の頃から虐げられた事も、デスゲームすら、全て仕組まれた事……?

・《織斑一夏》がデスゲームで壊れるあるいは壊れるだけの下地を築く事も、全て予想された事だった……?

 ――――という感じになる訳です。何だかリーファ、原作に較べて実力はおろか頭脳の方面でも魔改造になっちゃってるぅ……愛の力は素晴らしいね(白目)

 最近リーファは既に成人しているんじゃなかろうかと作者である私ですら錯覚していたりする。この子絶対十五歳の精神じゃないよ(笑)

 ……まぁ、それを言うとプログレッシブの中間管理職的ポジのキリト(14歳)の思考や精神も大概ですが。原作の攻略組だとキリトって最年少だよね……? アスナは一つ歳上だし。オイ、醜い争いしてないで見習えよ大人勢(アルゴ&エギルパーティーは除く)

 そしてリーファの新たな武器は【都牟刈ノ太刀】。ALOでの《片手剣》の古代級武器という設定。

 日本神話にて、ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊が手に入れた神器です。一説によれば天叢雲剣や草薙剣と同一とか何とか……

 《片手剣》なのに何故和名とか、その辺の突っ込みは無しでお願いします(; ・`д・´)

 一応全部漢字なのは、ALOのデータが流入しているからって事で(つまり大体妖精王が悪い)

 本作のリーファは片手剣使いだけど、同時に両手で長刀を振るう侍でもあるんダゼ!(生まれる時代間違ってる系強キャラ感)

 何故か《風林火山》のクラインより侍やってるんだよなぁ……( = =) トオイメ

 では、次話にてお会いしましょう。



 ――――今のあたしではレベル的にも実力的にも足を引っ張る事が容易に想定出来る



 レベルは《攻略組》トップクラス、実力は既に素でキリトを完封出来るくらいなのに、この所感。

 この上昇志向と謙遜さ、義弟も大概だが義姉も大概である。この子どこを目指しているのだろうか(白目)


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