インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。
今話の視点はフィリア、ルクス、と移り変わります。
文字数は約一万六千。
ちょっと駆け足感があるのは否めない。あとこれから多分二万突破はほぼ無い、忙しくなってるので……(実は書き溜めも残り僅かなんだ(汗))
ではどうぞ。
ユウキ達が《アインクラッド》へ戻った後、《ホロウ・エリア》側に残っているキリトとナンちゃん、ユイちゃん、ルクス、レインとわたしの計五人と一匹は、それぞれ一人と四人パーティーを作り、早速大神殿最奥の扉の下へ赴いていた。ナンちゃんはキリトの使い魔なので彼と一緒にいる。
道中のMobはわたし達のレベリングを兼ねていたが、一体残すまではキリトかユイちゃんが《ⅩⅢ》の試運転も兼ねてそれぞれが交互に戦い、また《索敵》もわたしが担当していたので、キリトの疲労はそこまででは無い。ユイちゃんが《ⅩⅢ》を使い、少し前のキリトと同じ戦法を取れるようになった点が一番楽になった要因と言える。
安全面を重視して、迅速且つ慎重に回廊を進む事およそ三十分後、わたし達は以前まで開かなった扉の前に辿り着いた。
赤い宝石が嵌め込まれている重厚な黒石造りの扉は、【虚光を灯す首飾り】をキリトが取り出すと中央で縦に割れ、重低音の響きと共に横に開く。その先には黒い闇が広がっていて、扉の向こうに広がる空間を見渡す事が出来ない。
「さて、と……これから中に入る訳だけど、その前に話しておく事がある。俺が皆に助力を求める場合の事だ」
扉が開き切ったのを確認して首飾りを仕舞ったキリトは、背中に吊る二本の片手剣を鞘から抜きつつ説明を始めた。
既にされている説明では、基本的には地面を焦土に変えた削りダメージを利用して戦うので仲間が居ると逆に戦い辛いと聞いている。その為に一人で戦うと言っていたのだが、それでも例外がある。その説明はまだだったので、恐らくそれだろうと当たりを付けながら耳を傾けた。
「先に言った通り、俺は焦土に足を付けている限りダメージを負うアドバンテージを利用して戦うつもりだから、皆には部屋の隅か入り口付近で待機していて欲しい……けど、この戦い方には欠点がある。ワイバーンやセイレーンのように飛行タイプだったり、マグマゴーレムやファイアリザードのように炎に耐性があるタイプだったりすると全く効果が無い点だ。前者はそもそも攻撃範囲に居ないし、後者は最悪HPを回復してしまうかもしれない」
「その時はわたし達も参戦するという訳ですか」
「そうだ。ただし物理的に撤退不可能の可能性が高いから、この扉を潜るなら覚悟を決めておいた方が良い。無理強いはしない」
そう前置きした上で、どうする、と目で問われた。
その問いに一瞬思案する。
わたしは攻略に関係ないダンジョンでトレジャーハントを楽しんで来たプレイヤーだが、それでも最前線近くをソロで潜れる以上それなりの実力があると自負している。それでもボス級Mobとの戦闘経験は片手で数えられる程度。NMを相手取った事は結構あるが、ボス級ともなるととても少ない。
加えてわたしの武器はソードブレイカー。
リーチや攻撃力の低さが際立つ《短剣》カテゴリである事もネックなのに、加えてモンスター相手だとそこまで有用とは言えない種類の武器。《短剣》の中では比較的マシな部類とは言え、ボスと渡り合える程では無い。
まぁ、レインやキリトも居るのだし、それを考えると敏捷性を生かして翻弄する事がわたしの役割と言えるのだが……死の危険性があると尻込みしてしまうのは仕方ないと諦めてもらいたい。
とは言え、行かないという選択肢は無い。何故なら隣に立つ長い付き合いとなる二刀剣士の少女がやる気満々の顔をしているから。
気心の知れた友人が危険なところへ行くと言っているのだ。余程無茶な内容でなければ自分も一緒に行って、少しでも力になりたいとは思う。彼女は何と言うか、どこか放っておけない部分がある。
「キーが行くのに私が行かないなんて事はあり得ませんね」
「わたしも行くよ! 力になれるかもしれないのなら行かないなんて選択肢は無いし、将来的に《攻略組》として戦うかもしれないなら、その予行演習にもなりそうだからね!」
「レインに同じ」
キリトの問い掛けに、ほぼノータイムでユイちゃんとレインは答えを返した。わたしもレインと同意見なので多少杜撰な返答の仕方ではあるものの一緒に行く意思を示す。
「む、む……足手纏いになるかもだから、すまないが私は遠慮しておくよ」
最後の一人であるルクスは、まだ実力とレベル、装備がボス級Mobと戦えるレベルに達していないと感じているのか、申し訳無さそうに眉根を寄せて謝った。
「いや、気にしなくていい。無理して来られるよりも素直に申し出てくれた方が凄く助かる」
「そう言ってもらえると有難いよ。私はこの部屋で、ハイディングで身を潜めておく。ボス戦が終わったらここに来て欲しい……四人とも、絶対に生きて帰って来てくれ」
寂寥感を滲ませながらの懇願に、わたし達はしっかりと頷きを返す。それを見たルクスは仄かに微笑を浮かべ、《隠蔽》スキルを使ってハイディングした。その姿はまるでステルス迷彩のように見えなくなる。
それを見届けた後、わたし達はキリトの先導の下、扉の奥へと踏み入った。
*
暗闇で先の見えない扉を潜った直後、薄い膜を通り抜けたように暗闇一色に染まった視界が光を取り戻した。
ほんの一瞬で闇から抜けた事から察するに、どうやら本当に扉の先を見えないようにしていた闇は薄い膜状に張られていただけらしい。わたしよりも先に扉を潜ったキリト達もすぐ近くに居るので何処かに飛ばされるというトラップも無いようだ。最悪暗闇の中を手探り且つ単独で動かなければならないかと考えていたので、そうならなくて本当に良かった。
扉を潜った先に広がっていたのは、朽ち果てた祭壇とも言うべき場所だった。何かの儀式が出来るくらいの広さを持つ場所があり、その奥には蔓が絡まり苔生した祭壇の跡が存在している。朽ち果ててはいるが、ボロボロになって崩れ落ちている天井を支える木の枝と枝葉の隙間から入って来る木漏れ日が、祭壇跡地を幻想的に照らし出している。
どこか薄暗さを感じさせた大神殿内部と違い、跡地の様相を呈しているこの場所はいっそ清涼とも言える澄んだ空気が満ちていた。
「――――ん、《グランド・ホロウミッション》が発生した」
深呼吸をして清涼な空気を仮想の肺一杯に吸い込んでいると、先頭に立って辺りを見回していたキリトが抑えた声量で伝えて来た。半身向き直ってこちらにも見えるよう可視化されたウィンドウには、ハッキリと《グランド・ホロウミッション》と表示されていて、それを見た面々がピリリと気を引き締める。ぱたた、とキリトの肩に留まっていたナンが飛び立った。
発生したミッションのタイトルは《影に住まいし獣》。クリア条件は《The Shadow phantasm》一体の討伐、推奨レベルは110。
――――推奨レベル……何だか、低くないかな……?
まぁ、それでも自分より高レベルだから危険である事には変わりないのだけど、そんな感想を抱いてしまったのも無理は無い筈だ。どうして此処へ来るのに必須アイテムである【虚光を灯す首飾り】を護るネームドモンスターより推奨レベルが低いのかとても突っ込みたい。多分【カーディナル・システム】の設定ミスか、あるいは単純にカバーするレベルの範囲が広かっただけだろう。
何にせよ、大ボスの方が低レベルというのは助かる話だ。
とは言え、レベルが予想より低いからと言って弱いという筈も無いだろう。何しろ大ボスだ、ボス級ですら無かった叛逆の騎士よりも遥かに強いのは目に見えている、何しろボス特有のステータス補正というものがあるのだから。
「セオリーに従うなら、多分祭壇跡の広場に現れるんだろうけど……」
言いながら階段を上った先に広がる広場を見るが、しかしそこには苔生した石畳が広がるだけで生物は一体たりとも見られない。
――――ふと、嫌な予感を覚えた。
「あれー……何処に居るんだろう? ミッションが発生したなら何処かには居る筈だよねぇ……」
両手に二本の片手直剣を握るレインがキョロキョロと辺りを見回しながら言う隣で、わたしは脳裏でちりちりと疼く何かに従って周囲を――――特に探索中に最も気を向ける足元や背後に注意を払った。しっかり確認しているつもりでも見落としがある場合、背中を向けた瞬間襲い掛かって来るパターンが経験上あるからだ。
愛用の短剣を逆手持ちで構えながら背後を振り返ると――――明らかに不自然な位置に、大きな赤黒い靄が一つあった。半径二メートルはあるだろう黒い靄は少しずつ、しかし確かな速度でこちらに距離を詰めて来ていた。
その頭上には赤黒いカーソル。更に四本連なったHPゲージがあった。
名称はミッションの討伐対象として記載されていたものと同じ名前。
「皆、後ろッ!」
「「「ッ!」」」
各々武器を手に警戒していた中で上がった声に、三人が一斉に入り口がある方へ振り返り、こちらへ近づいて来る赤黒い靄を視認した。
「――――散開ッ!!!」
驚きを口にして対応を遅らせる事も、事細かに指示する事もせず、各々の判断力を信用した短い指示が下される。それだけ焦っているという事であり、現状をどうにかしなければ最悪全滅もあり得ると考えている事の証左でもあった。
指示が下ってすぐにユイちゃんとわたしが部屋の東側に、レインが西側に後退し、キリトが前進して赤黒い靄と対峙する。ナンは飼い主の義姉であるからかユイちゃんの近くを飛んでいた。
本来なら頼まれた通りに部屋の入口付近で待機する方が望ましいのだが、ボスと思しき赤黒い靄が直線状に居たので部屋の隅に行かざるを得なかった。ともあれ部屋の隅へ後退出来た事は僥倖だった。最悪それすら阻止される可能性もわたしは考えていた、部屋の壁際にトラップがあるなどは考えて然るべきである。
それはキリトも考えていたようで、東西に分かれて散開したわたし達をぐるりと見渡して特に変化が無い事を確認してから、彼は左手に長大な黒鋼製の洋弓を握り、弦を弾いた。弦を弾く右手の親指と人差し指で挟まれている部分に矢尻が挟まった。先端はしっかりと赤黒い靄へと向けられている。
一拍の間を挟んだ後、徐々に距離を詰める靄へと鋭い一射が放たれ。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
高速で飛翔した矢が靄に吸い込まれるように突き立った瞬間、幻想的な光景を見せる祭壇跡どころかともすれば樹海全体に響いているのではと思う程の雄々しい絶叫が響き渡る。どうやら無敵状態という訳でも無いらしい。
しかしすぐに、いや、あれは《弓》という遠距離武器だからこそだろう、と思い直す。
恐らくだがあのボスが黒い靄へと擬態している間に近付くと痛い反撃を喰らうのだと思う。その対処の為に《投擲》スキルの武器や《弓》といった遠距離攻撃が必要で、それらの攻撃で無理矢理元の姿へと戻すのだ。それを繰り返す方がよっぽどRPGのボス戦らしい。
わたしの予想が当たっていたのか、直径四メートルの円を描くような靄から巨大なバケモノが姿を現した。頭上にあるカーソルや端が僅かに削れたHPゲージを見るにボスなのは間違いない。名称も同じ。
この樹海エリアのボスとも言うべき存在が目の前に現れたのだ。
ここからが正念場だと、万が一の状況を考えたわたしは、《短剣》の柄を握る手に力が籠ったのを自覚する。
恐らく樹海エリアのボスであろうバケモノは、一言で言い表せられないくらいの異様な姿をしていた。
SAOに登場するモンスターは、その多くが現実世界に存在する動物や植物を禍々しくカリチュアライズしたものが大半となっている。第一層の青イノシシや狼などは言わずもがなだし、植物系モンスターや昆虫系モンスターも、元々は現実に存在するそれらを巨大且つ醜悪なものにしたものが大半。悪魔やスケルトンといった不死のモンスターも居るには居るが、それらはRPGの定番とも言うべき存在となっているから今更。
そういう意味では、今目の前にいるボスはRPG定番の存在の一種と言えなくもないのかなと、わたしは冷や汗を垂らしつつ考える。
ボスは定番通りとても巨大だった。
見た目は一言で言えばワニ。影のような靄が全身を覆っており、目にあたるのだろう部分はバケモノよろしく複数存在していて、口は口裂け女の如くあり得ないくらい広く裂けていた。それ以外の特徴は本当にワニと形容してよく、バケモノと言えるのは体を覆う靄を除けば頭部の異様さくらい。とは言え、体長が軽く二十メートルに達しようかというくらいな時点で頭部が普通でもバケモノと言えるのだが。
そのバケモノはどういう事か、全身に神聖さを感じさせる蒼白い杭が打たれており、幅広句裂けている口も開けないよう極太の鎖で無理矢理閉じさせられていた。
祭壇跡と言い、封印と言えそうな状態と言い、どうもこのボスはミッションのストーリーだと本当にバケモノ扱いされて封印されていた存在に思えてくる。
「全員、後退維持ッ!」
壁際でボスの全体像と印象、そしてミッションの位置付けを考えているところでキリトが声を張り上げた。同時に大きく飛び退きながら弦を弾き、もう三射ほどボスへ向けて放つ。三本の矢は全て的確にボスの血を思わせるくらい真っ赤な眼を三つ射抜き、悲鳴を上げさせた。
眼を射抜かれ怒り心頭なボスは壁際に下がったわたし達と一顧だにせず、真っ直ぐ祭壇跡広場の中央まで飛び退いたキリト目掛けて真っ直ぐ突進する。
その時にチラリとこちらに目を向けられたので、今の内に入り口へ下がれという合図だと理解した。
「ユイちゃん」
「分かってます」
名前を呼んだだけで何を言おうとしたか察せられていたようで、一言で応じた彼女はすぐに入り口へ向かって走り出した。わたしもすぐに後を追う。反対側にいたレインも同じように目配せされ、その意図を察したようで、わたしとほぼ同時に入り口前に辿り着いた。
このボス部屋は、部屋に入る為の大きな扉の前に二十段ほどの階段があり、その階段を上ると広場があるという神殿に多い構造になっている。
わたし達はその階段の途中、広場が見えるギリギリの段差のところで立ち止まっていた。下り切ってボスやキリトの姿が見えなくなると奇襲を受ける可能性が高かったための判断だ、流石に靄として見えるとは言え実体が無くなるという特性は脅威と言っても過言では無い。
段差の途中で立ち止まって振り返ると同時、広場全体の床を焦土の炎が舐め取った。赤々と燃え盛る大地の上に立つ影の獣は忌々しそうに、そして苦しそうな呻きを上げて身を揺すっていた。
その巨体の向こう側から、二刀を持ったキリトが蒼白い光を迸らせながら時計回りに回転し、獣の横っ腹を掻っ捌きつつこちらへ飛んでくる。《二刀流》のソードスキルを使ったらしい。
背後に回られた事に気付いた獣は尻尾を振り回しながら反転するが、それを読んでいた彼は地を蹴り、壁へと跳ぶ。途中で二刀から赤黒い刃を持つ斧剣へと持ち替えた彼は壁に着地し、三角跳びで獣の頭上へ飛ぶ。
獣は憎い少年の姿を見失い、代わりにわたし達を視界に納めた為にこちらへ近づいて来ようとしていた。当然そんな反応をしているものだから頭上に迫る危険には一切気付いていない。
頭上から危険が迫っている事に気が付いたのは、正に斧剣が振り抜かれる直前だった。人間より広い獣の視界がギリギリで捉えたのだろう。真上だったから気付くのが尚更遅れたようだった。
「はああああああああッ!!!」
裂帛の声と共に打撃武器にしか見えない斧剣が振り抜かれ、ゴォンッ、と重い音が響き渡る。焦土によってチリチリと確かな速度で削られているボスのHPゲージ最上段が一気に削れた。
頭をかなりの力で揺らされたからか動きが不確かな獣の眼前に着地した彼は、すぐに弓に持ち替え、西側の壁に移動しながら矢を連射する。同時に彼の左右にエネルギーボウガンが現れ、映画で見たマシンガンの如し速射が獣を襲い始める。
移動しながら故に秒間四本前後と疎らではあるが、その全てが顎関節や目、口元に当たっているため、全く馬鹿にならないダメージ量を叩き出している。エネルギーボウガンの連射も相俟って、ものの五秒でゲージは一本消し飛び、二本目の半分を削り切る。
絶大な攻撃力を持つ《弓》と速射が可能なボウガン、地面に足を付いている限り毎秒一パーセントのダメージを与える焦土のコンボは、恐らくかなり強いのであろうボスに手も足も出させないくらい一方的な展開を繰り広げる。
更に、彼は余裕が多少生まれたからか頭上に片手剣や細剣、両手斧といった武器を何十本も呼び出し、それを剣弾として射出した。スキルの恩恵こそ無いものの武器の攻撃力と使用するキリトのステータスが相俟って馬鹿に出来ないダメージを叩き出すそれらは、全て一本の無駄なくボスの巨体に突き立てられていく。
いっそ憐れとすら思える獣の悲鳴が木霊した。
「うっわぁ……」
「これは……」
その光景にレイン共々思わず引いてしまった。ユイちゃんも口にこそ出していないがかなり微妙な表情をしていた。
これまでも何度か一方的にプレイヤー側が攻撃するシーンは見ているし、地下迷宮で死神ボスを圧倒する姿を見ているけど、それはあくまである程度苦戦しつつも情報を集めた上での事。後者に関しては少し謎があったけど、それでもかなり苦戦していたのは記憶にあるので引くほどでは無かった。
しかし、これは無い。
ボス相手に一人で戦って、ここまで一方的に圧倒出来る光景など誰が想像出来ようか。SAOはVR技術を使ったMMORPG、つまり多人数プレイを前提としており、ボスもまた同様で多人数で戦わなければ倒せない存在なのだ。一人のプレイヤーがどれだけレベルを上げたところで、どれだけ強力な装備を手に入れたところで、普通は圧倒出来る筈が無いのだ。
それをしてしまっているのが大部分装備やスキルのお陰というのは分かっているが、それらを使いこなしているのはキリトの技量。ある意味キリトの強さと言っても差し支えは無い。
だからこそ引いてしまった。
同時に以前彼を完封したリーファにもわたしは内心引いていた。レベル差があるのに技術だけで覆し、あまつさえ一撃も受けずに完封するなど、あの妖精頭おかしいだろう。
義理とは言え、弟が弟なら姉も姉という事だろうか。姉が対人戦最強なら弟は対Mob戦最強という訳らしい。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
そんな事を考えていると、ボスが怒りの込もった咆哮を轟かせた。
同時に体中に突き立てられていた杭が全て弾け飛び、その杭に繋がれていた口元の鎖も全て木っ端微塵に砕け、ゾゾッとするまでに裂けた大口がぐぱりと開かれた。
まさかと思ってHPゲージを確認すると既に三本目の七割まで削れていたので、半分を切るとパターンが変わる法則に従って咆哮を上げたのだろうと納得する。パターン変わりますよ、という運営側の計らいという訳だ。
しかし、まだ戦闘開始から三十秒と経っていないのに半分削るとは、リーファによって今までの事を根こそぎ否定された割にはキリトの実力は下がるどころかむしろ上がっているように思えるのは気のせいだろうか。あれか、叱られても褒められても伸びるタイプという事だろうか。
まぁ、今まで褒められるどころか碌に叱られてもいなかった事を考えると、ある意味納得すると共に、どことなく哀愁を感じてしまうのだけど……何だかんだで今のキリトは恵まれているのでわたしが気にする必要は無いだろう。彼の事は強い義姉達がしっかり見ているのだから。
当の彼は、どこか吹っ切れた様子で意気揚々と無数の剣弾や属性武器を操って獣に襲い掛かり、本気になった獣を完全に圧倒していた。最早憐れを通り過ぎて可哀想と思える。
戦闘開始から僅か一分でHPは最後の一本へ突入している。
これが特定の相手に対しメタを張った者が繰り広げる戦いなのかと戦慄せざるを得なかった。最早戦いと言うのも烏滸がましい、蹂躙とも言うべき様相だ。
「キリトって、少なくともMMORPGにはあるまじき対Mobのメタ存在だよね……」
味方が居なけれ敵が多かろうがボスが相手だろうが、相手の存在がモンスターというシステムが動かす存在であればどんな敵に対しても互角以上に戦えるという確信があった。数が多ければ剣弾を無差別に降らせばいいし、ボス一体ならその剣弾を集中させると共に自分から斬り込めばいい、むしろ味方が足枷というMMORPGにあるまじき戦闘スタイルと光景を前に乾いた笑みと共に言うと、隣に立つ紅と黒の女性、黒の女性の肩に乗っているナンもまた同じように、何とも言えない面持ちで頷く。
リーファとの戦いで完全敗北を喫したように、実のところキリトは生存する為の技能が高いだけで、剣の技術は高い訳では無いらしい。いや、わたしからすれば十二分に彼も強者の範疇にあるのでそんな事は口が裂けても言えないのだが、彼の強さはレベルに後押しされた面が強いようなのだ。
対人戦では経験や技術がものを言う場面が多い。攻撃に関しても、防御に関しても。
しかし対モンスター戦なら話は違う。どちらにも技術は関与するが、それよりも前にレベルやステータスという数値が厳然たる事実として立ちはだかる。
仮にキリトとリーファの戦いがHPを削り合うデュエルであっても、勝者は変わらなかっただろう。現に彼女はキリトが一刀の間も、挑発を受けて《ⅩⅢ》を――彼の認識では全力は一刀らしいが――使い始めてからも、ただの一撃たりとも受けるどころか掠りすらしていない。圏内コードに阻まれていなければ彼が反撃を与えた隙を狙って首を切り飛ばす事は何度も出来たのは明白なのだ。
反面、対モンスター戦では首を飛ばされるといった所謂即死攻撃の心配は基本的に不要とされる。
無論、稀にではあるが、即死攻撃に類する攻撃を持っている存在はいる。
例えば第一層の森に生息する《リトルネペント》などは、その腕に相当する蔦で対象の脚を絡め取って宙吊りにした後、HPが全損するまで袋叩きにするという行動パターンが存在するらしい。アニールブレード取得のクエストを進める為に挑んでいたプレイヤーの中に運悪く犠牲になった者も少なくないらしく、以降あらゆるモンスターは即死攻撃に類する行動を行う可能性があると危惧されて来た。
だがそれは、厳密に言えばステータスの問題だ。極論レベルが高ければそうなる前に抜け出す事も不可能では無いのである。逆に言えば、ステータスが足りなければどれだけ技術があろうとモンスター相手には無意味に等しい。
だからこそのあの結果であり、そして眼前の光景なのだろう、とわたしは何となく遠い目をする。
キリトはソロ。正に即死パターンに嵌れば誰も助けてもらえない立場だからこそ誰よりも強く在ろうとレベリングを続けて来て、最高レベルを誇るようになった。それは技術よりもまずは素体を整える行為に等しい。
反面リーファが生きて来たALOは、どれだけ頑張っても素体、つまりステータスはそこまで伸びなかった。伸びない訳では無いが、ステータス面でモンスターを凌駕する事はなく、必然強い武具と技術を求められる。武具に関してはSAOとほぼ同条件だとするなら差が付くものは技術のみ。だから彼女は対人戦には滅法強い。
それでもキリトの指導を甘んじて受けているのは、シノンと同じくSAOでの戦闘方法に馴れていないが故。幾ら戦闘技術をALOで鍛えていると言ってもソードスキルを使えなければ強力なモンスターは倒せない。厳密に言えば倒せない事は無いが、戦闘が長引いて武器やアイテムの損耗が激しくなってジリ貧になり易い上に非効率的過ぎる。それを教え込まれ理解しているからこそ、キリトもリーファやシノンをシステム面から指導していた。
つまるところ、システム面――――レベルが高く、装備が強ければSAOでは強者足り得る。最低限の技術は生きる為に戦う中でも嫌でも付く。その『最低限』がどのレベルにあるかは個人によりけり。
キリトの場合は強く求めたが故に高い範疇にあるのだろうけど、それは極論『生き抜く為の技能』であって、リーファのような『戦う為の技能』では無い。リーファからすれば理に適っていない動きが多いからあそこまで圧倒出来た。
それでも/だからこそ、キリトはモンスターに対してだけは絶対的強者となり得るのだろう。
影に住まいし獣こと《シャドウ・ファンタズム》が断末魔を上げたのは、わたしの乾いた声から丁度五秒後の事だった。
「《ホロウ・エリア》の敵って……《アインクラッド》よりも強いんじゃ、なかったっけ……?」
獣の断末魔が響くと共にその巨体が砕け散り、蒼い欠片が舞う中で出現した金色の文字《Congratulations!!》を見上げながら、わたしは目の前で起こった出来事に対しそう所感を洩らす。
本当に、《アインクラッド》よりも強い筈の敵が何故か弱く感じてしまうくらいの一方的な蹂躙には、わたしの中にあった常識をぶち壊された気分がして頭が痛くなった。思わず目頭を揉んでしまうくらいには非常識である。そうなる理屈に関しては理解していても、やはりこう、来るものがあった。
その非常識を引き起こした少年本人は不思議そうに小首を傾げている。ちょっとして、何かを考えるように腕を組む。
「んー……今回のボスは相性が良かったからだろうな。それと、多分だけど靄になって擬態出来る特性があったから、ステータスは少し低めに設定されていたんだと思う」
「あー……なるほどね……」
言われた予想に納得を抱く。現にあの靄からボスが現れた時、遠距離攻撃の手段が無ければ危なかっただろうという推測を抱いたのだ、それだけでも十分脅威だから低めのステータスにされていてもおかしくはない。遠距離攻撃が出来なければ靄になられる度に誰かが一撃受けなければならない。雑魚Mobならともかくボスともなれば最悪即死は免れないからこその救済措置だろう。
そう納得していると、午前中にわたしが宝箱から手に入れて彼に譲った貴重品【虚光を灯す首飾り】が前触れも無しにキリトの手の中にオブジェクト化した。
揃って瞠目していると、金の円盤に嵌め込まれた黒い宝石に仄かな光が宿る。
「その光は……」
「《グランド・ホロウミッション》関連なのだとすればレイン達が話してくれた通行不能オブジェクトの解除キーか何かというのが妥当な線だと思う。今後も新たなエリアへ行く為には他のエリアボスを倒して、この【虚光を灯す首飾り】に光を宿す必要があるんだろうな」
レインの問い掛けに、キリトは予想ながらもハッキリとした口調で答えた。ひょっとするとその首飾りと《グランド・ホロウミッション》、そしてこのボス部屋の扉を開ける際に首飾りを要した事からある程度察していたのかもしれない。
「まぁ、俺の予想が当たっているかどうかは件の通行不能オブジェクトの所に行けば分かる事。ルクスの事もあるし、早くこの部屋から出よう」
首飾りを再度ストレージに格納した彼はそう言ってそそくさと出口へと向かった。
***
――――不安だ。
キリト先生達がボス部屋へ入るのを見送った後、私はずっと手前の部屋の隅でハイディングをしていた。
どうもボス部屋での戦闘音はこちらには伝わってこないようなのでどうなっているかは定かでは無いが、少なくとも入り口の扉は開かれたままなので、中に入っている皆がやられたという事は無いと思う。仮にやられたのだとすれば私なんかが勝てる筈も無く万策尽きるため、そうでないのは心底喜ばしい事である。
それにこの小部屋にはMobのポップゾーンから外れているようで、一つ前の部屋にはわらわらと湧いているものの、この部屋ではただの一体たりとも湧く気配が無い。ボス部屋前というのはどのゲームでも《安全地帯》として設定されているようだ。ここは圏内では無いので気を抜けないが、ある程度休む事は出来る。
とは言え、安全を約束されたも同然の現状でも不安は拭えなかった。下手な事をするとハイディングが解けるのでじっとしていなければならない。小部屋に湧く事は無いと言っても、一つ前の部屋に湧いているMob達が物音を聞きつけて来ないとも限らないからだ。
だから私は時間潰しの為に考え事に意識を没していた。
それはキリト先生の指導の反芻だったり、ユウキやリーファ達の戦い方を思い浮かべたりが殆ど。この世界で良い事が無かったという訳では無いが、今の私ではそれらは些か辛い思い出だし、幸せな記憶もそこまで多くはない。リアルの事は寂寥感が半端では無いので最近はあまり思い出さないようにしている。
私はここ最近、ただ漫然と日々を過ごしていた。
それが変化したのは、やはりこの《ホロウ・エリア》に来てからだろう。特にユウキと会ってからは劇的だった。あれからまだ一日しか経っていないのに、もう何日も、何週間も時間が過ぎたように錯覚してしまっている自分がいる。そんな筈はないのに、そう思えてしまうくらい彼女達と一緒に居る時間は濃密だったらしい。
それを悪い事とは思わない。あまり人と関係を持たないようにしていた私だが、それでも人恋しい思いはあるのだから。《ホロウ・エリア》から出られないから仕方ないという免罪符があれば、私もそれなりに気兼ねなくコミュニケーションを取れていた。同年代の人と話すのも久し振りという点でも私の気分を高揚させる。
脳裏にチラつく影が、その高揚を即座に冷めさせるのだが。
ふぅ、とハイディングが解けない程度の小ささで溜息を吐く。
本来であれば、私は皆と一緒に居るべきでは無い。私のオレンジカーソルは確かに不可抗力とも言えるものでなってしまったものだが、私がしてきた事を考えれば、むしろこの色こそが真実と言えるもの。キリト先生は私の事を知らないようだから親身になって教えを授けてくれているが、私の過去を知れば嫌悪を抱くに違いない。勿論ユウキやリーファ達も。
それが恐いからこそ、何も言えない。今の温かみに甘んじてしまっている。
その弱さが疎ましい。
だから私は、自分自身を嫌っている。皆を騙し、皆の優しさに甘んじて真実を語らない自分が、私は大嫌いだ。
それをどうにか出来ない弱さも、また。
そうして、また溜息を吐いた。
その思考を繰り返して何度目の時だったか、ふと自分以外に誰も居ない筈の小部屋の中に人の気配を感じた――――気がした。
ボス部屋の入り口の方へ視線をやるが、そこから誰かが出て来た形跡はない。こちらに戻って来る際にハイディングする理由が思いつかないので恐らくしていないと判断する。次に部屋の中央や入り口へ目を向けるが、どちらにも人の姿は見えなかった。
だがそれでも、人の気配は何故かする。それも脳の奥で警鐘をけたたましく鳴らすくらいの直感が頭を擡げる程にハッキリと、しかも過去覚えのある気配。
――――これは……この嫌な予感と、気配は……まさか。
そんな莫迦なと、浮かんだ予想に否定を出す。だってあの《男》は、数ヶ月も前に【黒の剣士】によって殺されている。ギルドの幹部諸共纏めて殺されている筈なのだ。
だから、ここにいる筈が……
「よォ、久し振りじゃねェか」
唐突に、目の前が真っ暗になった。
ハイディングをしていたのにアッサリと見破られていた私は、ハイディングしていたその《男》の存在に、肩に手を置かれると同時に声を掛けられるまで気付かなかった。
どうして、どうやって、と混乱する頭で思考が回る。
ハイディングは、《隠蔽率》という値が高いほど周囲の風景に溶け込み、姿を隠しおおせられる。この値が下がると他者から見た風景には違和感が生まれ、そこを注視する事で《隠蔽率》はドンドン下がり、一定値以下になるとハイディングが解けて姿を見せてしまうというロジックになっている。
つまり私の姿が見えていない状態で位置を看破するのは普通あり得ない。ましてや私は息を潜めていたし、気配を感じてからは物音一つ立てまいと身震いすらしなかった。視界端にあった《隠蔽率》の値も最高値の95%を維持していた。それなのに一発で看破されるのはあり得ない。
その困惑の極みにあったお陰か私は悲鳴を上げる事は無かった。肩に手を置かれている私が悲鳴を上げると予想していたらしい《男》が口元を右手で押さえていたから、上げようとしても上げられなかっただろう。
意外そうに、《隠蔽》特有のステルスが端から剥げて姿を顕わにしていった黒緑色のポンチョのフードから見える精悍な顔に、ニヤリと歪んだ笑みが浮かべられた。
「ほォ……? ちったァ肝が据わったみてェだな」
どうやら悲鳴を上げなかった事を意外に思ったらしい。
――――かつて、私は《笑う棺桶》の末端として所属していた。
とは言え、一応ギルドとして結成されていた《笑う棺桶》へ正式に加入していた訳では無い。
オレンジギルドも補給が必要だが、《圏外》の施設だけではどうしても調達出来ないアイテム類が出て来る。また、《攻略組》の動きを常に把握していなければならないため、必ず一人から三人ほどはグリーンプレイヤーを非所属として擁し、定期的にアイテムの補給と情報収集へ派遣させていた。大抵のオレンジギルドはこれを常套手段として、軍や《ビーター》/【黒の剣士】の追跡を掻い潜っていた。
まぁ、後者に関しては神出鬼没過ぎるので、運頼みでしかないのだが、基本最前線攻略を優先していた為に実のところ狙って壊滅へ追いやられたオレンジギルドは少なかったりする。むしろ気紛れか、それとも別の用事で下層へ降りたところに出くわしたついでに壊滅させられたパターンが大半なのだ。狙われたら一巻の終わりではあるが、彼の視界や思考に入らないよう身を潜める事に専念していれば運が悪くない限り基本は遭遇しないのである、そもそも活動圏が異なっているから。
ともあれ、そういう役割として私は《笑う棺桶》が結成されてから暫くは派遣されていた。
無論自分から志願した訳では無い。単純にとあるダンジョンへ潜っていた最中仲間とはぐれ、その仲間を殺した後の《笑う棺桶》に出くわし、偶然にも補給役の者が逃げ出し粛清されて空きがあって、加えて年若い女で油断を誘えるという事で命を奪わない代わりの条件として提示され、それを呑んだだけだったのだ。その証として今も私の左太腿には決して消えない《笑う棺桶》のタトゥーが刻まれている。
《笑う棺桶》という大本が潰れたとしても、そのタトゥーがある限り、私が《笑う棺桶》の一員として動いていたという事実は消えない。私が自分の命可愛さに補給を唯々諾々と行っていたせいで一体どれだけの命が失われたか知れない。
そう考えると、とてもでは無いが皆に明かそうという気持ちが萎んでしまう。
それで私はまた、自己嫌悪に陥るのだ。
「んー? オイ、何遠い眼をしてやがんだ。しっかりしろ。あまり長居出来ねェんだよ、こっちは」
現実逃避気味に思考を回していた事を見抜いたらしい《男》――――《笑う棺桶》首領PoHは、タトゥーが刻まれた手袋をしている右手でペチペチと頬を叩いて来た。それで無理矢理意識を戻され、漸く恐怖が体を動かし始める。
「う、ぁ……」
「あん? 何だ、大して変わり無ェのか……いや、んな事ァどうでも良いか。オイ、お前ェに訊きたい事がある。知らねェなら『知らない』、知っているならハッキリと答えろ。良いな?」
「わ、分かった……」
どう考えても勝てないので命惜しさに頷くと、PoHは少し満足げな笑みで口を歪めた。
「んじゃあ訊くぜ……――――【黒の剣士】は死んだのか?」
「……は?」
一体何を聞かれるのかと身構えていると、些か以上に予想外の質問をされ、恐ろしい男を目の前にしているというのに素っ頓狂な反応を返してしまった。
「え、と……?」
「あー……質問の仕方が悪かったか……お前ェ、アイツと一緒に居ただろ? アイツから何か聞いてねェのか? 『自分はどうやって死んだ』っていう内容、アイツの性格的に真っ先に口にしてもおかしくねェんだが」
質問の意図を察せなかったからか、PoHは少しだけ質問の内容を噛み砕いた。
とは言え何を聞こうとしているのかイマイチ分からない。そもそもそれだと、彼が死んでいる前提の話ではないか。
「いや、聞いていない……」
「ほー……」
実際、ユウキ達から聞いたフレンドリストや《生命の碑》関連の話を鑑みると死んでいない筈なので、死んでいないのは間違いないだろう。聞いていないのも、そもそも死んでいないなら聞きようが無い。
私の答えに気の抜けた反応を見せたPoHは、一瞬何かを考え込むような素振りを見せた。
「……なら、次の質問だ。お前ェら、管理区に出入りしてるだろ」
「ッ?!」
次に言われた事に、私は度肝を抜かれた。
【ホロウ・エリア管理区】に出入りしていたところを見られていた事にもそうだが、何よりもあの石で転移した先が管理区であると知っている事に驚愕したのだ。管理区であると知るには、ユウキやキリトの手にある文様が無ければならないし、あるいはユイちゃんの手引きによってでなければそもそも石は反応しない。
逆説的に、この男あるいは男に与する誰かは管理区へ入る為の紋様を得ている事になるのだ。
「アイツは、《ホロウ・エリア》から一度でも《アインクラッド》に帰ってるか?」
「……?」
その驚愕は、続けて放たれた二つ目の質問によって一時的に鎮静化する事になった。
PoHの言葉を直訳するなら、キリト先生が一度でもこの《ホロウ・エリア》から出て、《アインクラッド》へ帰還しているかという意味になる。何故そんな事を訊くのかは分からなかったが、訊いて来るからには何かしら意図があるのだろうとは分かる。
とにかく答えなければこちらの命が危ないので、私は急いで首を横に振った。実際彼はオレンジカーソルなので帰れない。
すると、PoHは唐突にニヤリと口を歪めた。
「ほォ。そうかそうか、アイツ……なるほどねェ……ククク、面白くなりそうじゃねェか……」
何かしら答えを得たらしいPoHは、声量を押さえた笑声を洩らしつつ私から離れた。体を小刻みに震わせているのを見るに余程この男にとっては喜ばしい事らしい。一度も帰っていない事から、復讐の機会を得たと思って喜んでいるのだろうか。
だとすれば、些か疑問が残る。
この男はキリト先生が《ホロウ・エリア》に来ている事を知っている。もし復讐に燃えているのであれば、いっそ手勢を率いて一気に押し寄せてもおかしくない。手勢が居ないのだとすればまだ分からなくも無いが、それだと彼に自身が《ホロウ・エリア》に居る事実を伝えるようなリスクは犯さない筈。今こうして接触して来た理由が分からなくなる。
一体何が目的なのかと内心恐怖を抱きながら考えていると、ククク、と低く嗤っていた男がこちらへ視線を向けた。
「オイ、俺が此処に居る事は言うんじゃねェぞ。もし言ったら……分かってるよなァ?」
ニタリと、悪魔を思わせる禍々しい笑みと共に言われ、体中を悪寒が這い回った。PoHのその視線は今まで幾度となく向けられた性的ないやらしさは怯えていないものの、それでも相手の尊厳を踏み躙り精神を壊す為なら躊躇い無くやるとは理解している。堪らず首を縦に振る。
「ククッ、そうかそうか。そりゃあ良かったぜ。じゃあなァ、期を見てまた会いに来るぜ」
こちらの反応に気を良くしたのか、機嫌良さそうに笑いながらPoHは《隠蔽》スキルを発動。ハイディングで全身が消えてからは笑声も収まり、次第に人の気配は小部屋から出て遠ざかっていったのが分かった。
「……どうしよう……私は、どうするべきなんだ……」
まだ死にたくない。リアルへと帰りたい。まだ生きたい。
でも仲間を裏切りたくない。世話になった皆を裏切る事なんてしたくない。SAOクリアの希望とも言えるキリト先生やユウキ達を犠牲に生きるなんて事はしたくない。
けど……でも……
「死にたくない……死にたく、ないよ……」
私にとって、PoHとは恐怖の象徴。デスゲームの中でも一応の安寧が約束されているものの、それをぶち壊すくらい禍々しく、危険な存在。あの男が殺すと言えば殺されるくらい弱い私では、到底逆らう事なんて出来ない。
仲間を裏切りたくはない。
でも、私は死にたくない。
だから仲間の、キリト先生達の強さを信じる。彼らの強さならきっと大丈夫だから。
そんな無責任で、裏切りと言っても過言では無い行為をすると決めて、私はまたハイディングでキリト先生達が帰って来るまで息を潜める事にした。内心自己嫌悪に苛まれながら、それでも死にたくないのだと言い訳をしつつ。
皆がボス部屋から戻って来たのは、再び私がハイディングしてから僅か三秒後の事。
PoHが立ち去ってから、およそ三十秒後の事だった。
はい、如何だったでしょうか。
サブタイトルの蹂躙は、ボスがキリト(ソロ)によってされる側という意味。《ⅩⅢ》の使い方に幅が出来たキリトは、プレイヤーでありながらホロウのようなボスに等しい存在になったのだ。
絶望的なステータス差があるのにこのキリトをノーダメ完封しちゃえる義理の姉ェ……
何時かブリュンヒルデとリアルで生身同士で戦わせてみたいと最近思っていたり。
……ちなみに、キリト対リーファの話で、実は篠ノ之流《一閃二断》(一撃目横薙ぎで逸らし、即座に大上段に構え直して本命の唐竹を放つ技)を義姉は放ってたりする。
次にルクス視点で久方ぶりの登場、PoHサン。
知らない人も居ると思われるので、まずはルクスとPoHの関係性について。
ルクスは原典であるスピンオフ漫画《ガールズ・オプス》にて《笑う棺桶》の補給役に抜擢されていた過去があります。経緯は本文の通り、殺されたくないから下請けを請け負っていたという間柄。つまりルクスは積極的にしていた訳では無い。
尚、あちらでは《笑う棺桶》に正式に加入しているシーン(システムウィンドウでのやり取り)がありましたが、それをしているとHPゲージ横にギルドタグが付いて身バレしてしまうため、本作では未加入状態としております。タトゥーは変わらずですが。
まぁ、原作とか見てると、《笑う棺桶》ってどうも本作の誅殺隊みたくシステム的にはギルドになっていなかった節があるんですがね。
ともあれ本作では、システム的にギルド《笑う棺桶》は存在している。ただし補給&間諜役を担うルクスは役割の為にタトゥーを刻まれただけで、システム的にはギルドに所属していなかった――――という設定になります。
ちなみに漫画やゲームでは普通に強いルクスですが、本作ではまだSAO編なのでユウキ達と較べれば弱いです、実力も、精神的にも。まぁ、仮想世界で気配察知するくらい素養はある設定なのですが(そもそも比較対象が適切でない説)
まだ精神的に弱めなので『死にたくない』、『生きたい』という想いの為に、黙っている事を決めました。
薄情? 裏切り? むしろ自分本位で何が悪い。誰でも殺されると分かっていると怖いですよね……
そういう意味でも自ら死の危険を増やしに行くキリトは異常なのですよ? 物語でよくある自分が命の危機にあっても他人を助けようとするのは普通異常・異端な行動ですから。本作ではくどいくらいあらゆるキャラが『度が過ぎている』とか言ってますね。
そしてPoHサン。
ルクス:キリト先生は死んでないし、オレンジだから戻れていない(転移門バグ&《生命の碑》に横線が無い事を知っている)
PoH:死んだ時の話を聞いてないのはともかく、戻ってないのは《ホロウ・エリア》の住人になったからだろう(転移門バグを知らない(=キバオウ勢未接触)からオレンジでも帰れると思ってる&《生命の碑》に横線が引かれてない事を知らない)
ザ・勘違い★(ニホンゴムツカシイネ)
PoHサン、生還への希望を勘違いで殺しに動く! 何時気付くだろうネ!(愉悦) なまじ殺しに動くのが他人(嫌悪と憎悪を添えて)なだけに止めようとしても一度ゴーサイン出したら止まらない!(嗤)
――――実はこの勘違いの為にキリトとユウキ達の再会場所を管理区にしたんだなァ……(PoHは原作でも本作でもストーカー紛いの行動)
PoHって、しっかり考えて動かしたら弄れる要素満載な気がするの、私だけ?(むくなひとみ)
では、次話にてお会いしましょう。