インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。
今話は現実世界のお話。
茅場&一夏/和人と既知の束さんがどんな会話を何を思って交わしていたか、そして今現在何をしているかのお話。
本作の根幹でもあるんだぜ!(束さんはISの中心だしね)
視点は篠ノ之束さん(ISキャラ)&菊岡誠二郎さん(SAOキャラ)。
文字数は約二万。
ではどうぞ。
――――本作に於ける篠ノ之束は、原作に較べ現実に打ちのめされ、また現状を招いた自身に自己嫌悪を抱いている挫折者である。
昔から、『自分は皆とは違うんだ』と、そう何となく考えていた。
そうハッキリと自覚を持ったのは何時だったか。何時の間にか刷り込まれるように言われていた事もあってそれが当然の認識になっていたのかもしれないが、私はそれを完全に無視し、自分の殻に引き籠ってやり過ごしていた。それが自然だったし、あるいは、それしか出来なかった/知らなかったから。
思えばそれは、自分にとって嫌な事には耳を塞ぐ子供のそれと同じだったのだと、今なら自嘲出来る。
自分が大人になった、という訳では無い。
私――――篠ノ之束は、自身が《天才》である事を自認している。
ある意味それが子供なのだ。
その結論に至った事を理解してもらうには『《天才》とは一体何か』という議題について語らなければならない。
結論から先に言うと、篠ノ之束という個人の価値観からすれば《天才》とはすなわち、他者からの無理解の顕れである。分かりやすく言えば『この人は自分とは違うんだ』という意見の総称な訳だ。
よく『馬鹿と天才は紙一重』と言われるが、それは有意義な結果を出せたか否かというだけでどちらも思考回路や行動原理を理解されていない事には変わりがない。美術家や発明家も、後世で評価された事で天才と称されただけで、生前の殆どは大抵が見向きもされない人生を送っている。数多くの作家や画家などがそうだ。例外としては即時に評価される音楽家くらいだろうが、やはりこちらも感性という意味では他の理解を得られない。《作曲》は正当な評価をされるが《作曲者》の人間性は評価されないという典型例と言える。
《篠ノ之束》は、酷く歪んだ評価を受けている。
例えば《インフィニット・ストラトス》。私が手ずから作り出し、そしてコアの一つ一つに人間と同じように十人十色の違った個性を持つ人格が有しているが故に《娘》と称している彼女達は、最初は一切見向きもされていない。渾身の出来であった論文も一応流し読みはされただろうが現代科学では机上の空論と言われる程の隔絶とした技術のオンパレードであったが故に《現実不可能》と評価された。
当時は怒り心頭であったが、今冷静になって考えると《科学者》という視点に立ってみれば正当な判断だったようにも思う。
《科学者》という人種には己が興味の向くままに研究していると思われる傾向にある。その傾向が誤っている訳では無い、現にISを発明した自分は完全に興味関心の極みを発明へと至らせた権化と言えるのだから否定など出来る筈がない。
しかし待って欲しい。素材から全て自力で集められる手段を持つ自分と違い、他の者達からすれば《レアメタル》などはゼロが幾つも付くせいで個人で手に入れる事など出来ないし、IS並みの技術を要する研究であれば大規模な施設に機器も必要となる。
要するに研究する為には資金も施設も圧倒的に足りない。
そこを解決する為に研究者や技術者達は企業や研究所に自分を売り込む。そうする事で資金援助を受けられ、空想を現実のものと出来るのだ。実際企業や研究所で行われる研究・試験はそこのリーダーや局長が定めたものとなるが、研究室という小さな枠組みであれば割り振られた予算内で研究を行える。無論、予算を振るに値すると評される研究である事が前提ではあるが。
重要なのは、『予算を振られるに値する研究』はある程度成功の見込みがある事。つまり割り振った予算が無駄にならない且つ利益として返って来る高い可能性を有しているか否か。
ISは論文を送った時に既に完成していたものの、それを読んだ者達にとっては突然降って湧いた与太話に過ぎない。企業や研究所が国立附属であれ世界規模であれ一国家を代表するものであれ、予算に限りがある以上、採算の見込めない話を受け容れる訳にもいかない。ISが当初弾かれた理由の幾らかにはその理由もあると思う。
だがしかし、《白騎士事件》を以て我が愛娘達《インフィニット・ストラトス》は一気に関心を集めた。
けれど、それは私が娘達を創り出す/生み出すに至った理由とは完全に異なる経緯と目的――――《兵器》として扱われるようになっただけだった。
ISには拡張領域がある。物質の構造を設計図としてデータに残し、構成を元素へと還元してコアの内部へ格納し、また武器として扱う時には格納した時点でのデータを読み込んで再構成するという機能を以て確立したそれは、軍事目的には持って来いの代物だった。物理的な積載量・重量などでどうしても限界があった武器を、コアが格納出来る限り幾つも、それも直に運搬せずに済むからだ。
また、宇宙航空を前提としていて成層圏を突破する為にも必要だからISは飛翔出来る。
星と星の間でメッセージをしあったり現在位置を把握する為の機能も持っている、頭部に付けるハイパーセンサーがそれだ。同時に超長距離望遠やホログラフィの投影も可能としているツールなのでとても便利。
スラスターやバーニアはロケットに使われている技術の粋を凝集した代物なので航空力学面の技術にも一石を投じただろう。一昔前に流行したロボットアニメは宇宙や空を舞台として飛び回っては戦っていたが、それをリアルで出来ると判れば男性技術者達も黙ってはいない。事実ISが受け入れられて以降、飛行機やヘリコプターなどの技術革新は目覚ましいというコラムを以前目にした覚えがある。
他にも様々な機能があるが、それらは全て、宇宙で長時間活動する為に必要な要素を満たす為の機能として持たせただけだった。宇宙空間での活動を前提としているからこそ最低限必要とする機能なのだ。
しかしそれらは、少し使い方や見方を変えれば兵器として運用出来るものばかり。むしろ件のロボットアニメが戦争物中心であったが故にそちらに思考が引っ張られた感があるのは否めない。
私はそれに憤慨した。大切な娘達が兵器として扱われた事を。
けれど――――確かに、喜ぶ自分もいた。
元を正せばデモンストレーションからして間違っていたのだろう。《白騎士事件》の概要は、日本へ向けて放たれた弾道ミサイル約二千発を当時第一世代のIS一騎で全て撃墜した事と、各国の軍部から捕縛を命じられ向かった戦闘機に空母の数々の撃退。内容からしてどう考えても軍事目的寄りであり、どこをどう切り取っても宇宙航空には結び付かない。
やり方を変えたところで、ISを発表する前の技術では机上の空論でしか無いフィクションの中だけのそれが軍事目的に流用されるのは免れなかっただろう、ノーベルが発明したダイナマイトのように。航空技術に革新が見られた事も、拡張領域や星間通信の技術も軍事的には途轍もない発展を齎す。そこに気付いた者がいればすぐにでも研究が為されていただろう。
けれどやり方を変えれば《インフィニット・ストラトス》の定義を兵器から宇宙スーツの一種と変えられたのは明白だ。
私は間違えたのだ。受け容れられた、理解されたのだと有頂天になっていた/理解されていないのだと分かっていなかった。ただ『認められたい』という欲に走り、かねてからの夢を忘れてしまっていたが故に私は決定的に間違えた。《インフィニット・ストラトス》の、愛娘達を間違った道へと進めてしまった。
対して、道を間違わなかった《天才》もいた。
『はろはろー。もすもすひねもす、おはこんばんにちは、大天災の篠ノ之束さんだよー。お前が《茅場晶彦》だよね?』
『む? どうやって屋上に……いや、良いか。確かに私は茅場晶彦だが、一体何の用だね?』
『んー? いやぁ、世間を賑わせてる《天才》に……と言うより、お前が向かってる先にちょーっと興味が湧いてね。それ以上でもそれ以下でも無いよ』
『ほう。しがない物理学者兼ゲームディレクターである私の《先》にかね』
『そうそう。と言う訳で何を目指してるのか話してくれたら嬉しいなーっていうか話せ』
『君はもう少しものの頼み方というものを学び給え……まぁ、今は休憩時間だ。君を満足させられるかは分からないが、聴きたいというのであれば話させてもらおうか』
その《天才》は大人だった。
自分の限界を知っていて、自分一人に出来る事を分かっていて、他人の力を借りながら子供の頃から描いていたという城を電子の世界で作り上げてみせた。現実に無いのなら仮想でも良いから作りたいと、その一心だけで本気で打ち込んでいた。
自分一人しか抱いていない、恐らく共感を抱かれないだろう《夢》唯一つに全てを掛けていた。
『ふーん……浮遊城、ねぇ。そんなものを作ってるんだ? しかも他の連中と一緒になって』
『私一人では流石に手に負えなくてね。基礎プログラムや理論構築は出来るが、ゲームを作るとなると一人では流石に、な。しかしそんなものとは酷いな、これでも子供の頃からの《夢》なのだが』
『その《夢》を誰にも理解されてないのに?』
『他人の《夢》なんてそんなものだろうさ。むしろ私の《夢》は些か特殊な部類だと思うが。現に君にとっては詰まらないと感じる『そんなもの』という評価でも、私にとっては人生を捧げるに値するものだからな』
『ふぅん……』
何時も何時も研究室に籠ってばかりで、一応最低限の清潔感は保っているものの眼の下には隈を作っているし無精髭があるしで不摂生極まりない見た目ではあったが、しかし《夢》という浮遊城について語る時は何時も子供のように目を輝かせていた。普段冷静で表情をあまり変えない男は、その時だけは何時も不敵な/無邪気な微笑を湛えた。
その姿はどこか、自分が親友に夢を語る時の様に似ているような気がした。
違いがあるとすれば、他者とコミュニケーションを取ったり協力したりしているか。
『煩わしいとか、五月蠅いとか、邪魔だとかは思わないの?』
だからこそ気になった。《篠ノ之束》と《茅場晶彦》の間の何が他者とのコミュニケーションの可否という差を生んでいるのか。
その男も私も、どちらも自身が抱く特殊な部類の《夢》に向かって邁進した者同士。出逢った当時だとまだ男の方は夢を実現させていなかった――ISを創った理由を考えると私もだが形にはしている――けれど、どちらも似た者同士ではあった筈なのだ。
家庭環境はどちらも平凡。ただ本人の人間性のみに差が生まれているのなら、何かが違えば《篠ノ之束》は《茅場晶彦》になっていた可能性がある。また逆も然り。
私の何かが、突き動かしていた。
『ふむ……』
その問い掛けに、男は無糖のコーヒー缶を傾けるのを中断し、開いている左手を無精髭が疎らに生えた顎に当てて思考に没した。
『あるにはあるよ』
数秒後、ハッキリとした口調で男は答える。
『なら切り捨てれば良いじゃん。どうせ《夢》を理解してくれていない輩の事なんて気にするだけ無駄でしょ』
『ふむ……束君、君は些か性急過ぎるな。先も言っただろう、理解されない方がむしろ当然だと。ならば他人の言葉を気に掛けるだけ無駄なのだから無視を決め込めばいいのではないのかね? そも、《夢》とは個人が勝手に追い求めるものであり、そこに他者に危害を加えるものが無い限り他人が干渉して良いものではないと思うが』
『む。だけど、五月蠅いじゃん。五月蠅い虫は潰したくなるでしょ? それと同じだよ。束さんにとって有象無象の声は消したいものなんだ』
『ふふ……私にとってのマスコミ辺りと同じかもしれないな、それは。しかしそれらが煩わしく思える事を否定はしないが、些か喩えが酷過ぎるのではないかね、よもや人間を『虫』と喩えるとは。君は余程人を嫌っていると見える』
こちらの本音に対し、男は苦笑を禁じ得ないとばかりに笑いを洩らした。
『しかし……まぁ、束君も多感な年頃、立場も相俟ってそう思ってしまうのも仕方ない事かもしれないな』
『む。女性にそういう話はデリカシーが無いと思うよ』
『ふむ、以後気を付けよう』
ちょっとマナーがなっていなかったのでらしくない注意をすれば、男は至極真面目な顔で頷いて殊勝な言葉を口にした。ただし内心では絶対反省していないと丸分かりなので、流石に呆れざるを得なかったが。
これで彼女持ちなんだから人間物好きは居るのだなぁとその時は考えていた。
その後、男の方が『時間だから』と言って会話が終わったのだが――――後に、『多感な年頃』が『まだ子供だから』と遠回しに言われているのだと理解させられた。それが私と男の違いなのだと痛感するに至った。
私には、とある悪癖が存在する。
それは興味関心を持った者の事にしか意識を向けない事。親友曰く、それ以外の者への対応は塩を通り越して路傍の石、つまりは無機物や生物でないモノを見ている時のそれと同じ印象らしい。
故に私がかつて認識していた人間は酷く限られた。生みの親ですら『一応肉親』といった程度で、妹や親友に関する興味関心は最大級。
その折に耳に挟んだ、巷で《神童》と呼ばれている親友の弟の一人に関しては最初は興味を抱いていた。自分と同じなのかな、と思って自分から接触する程度には興味を抱かせた。まぁ、最大の親友の実弟という部分がそうさせた理由の大半を占めるのは明白なのだが。
結論から言えば期待外れも良い所。
《神童》は確かに出来が良いと、《天才》を自認する私も認めはした。期待外れと判断したのはそれから後の経過を見ての事だ。
存在は聞き知っていたが親友の家を訪問した時初めて対面した当時四歳だった親友の実弟は、平均的な四歳児にしてははきはきとした口調で会話や応答をこなしていたし、お茶を持って来たり茶請けの菓子を用意したりと気が利いていた。
お菓子を持って来た時点でちょっと親友の顔が微妙に引き攣ったけど多分あれは家計の事で頭を悩ませていたからだと思う。
幾らか会話を通して頭脳も明晰なのだなと判断した後、予め作っていた幾つかの問題も解いてもらった。最初はやる事に対し難色を示したが、親友の私にとって非常に不満のある助言を聞いてからは素直に問いていった。ちなみに難易度は小学校卒業レベルの漢字の読み三十問と算数の計算問題二十問。計算は文章問題を二問含んでいた。
これらを四歳児が全て完璧に解いたので、私は同類がいたと臆面には出さない程度に歓喜していた。
私にとっては普通に出来る事も、他の人にとっては一切出来ない『次元の違う行為』だった。誰も同じレベルにおらず、自分にとっての《普通》を《異常》と見られる事に、私は内心納得がいっていなかったのだ。誰だってそうだろう、自分にとっての普通が異端であると見られた時は。その程度には私も人間だったという事であるが。
とにかく同類がいた事に歓喜した私は何かと理由を付けては親友の家に遊びに赴く事が多くなった。家の方から差し入れを届けるよう言われる事もあって都合も良く、親友もそこが関わると強く出られないので――そもそも手渡すだけで済まさせようと考え付かなかったようだ――私を家に案内してくれた。
それが暫く続き、僅かな疑念が過った。すなわち『コイツは実際は同類ではないのではないか』という疑念だ。本当は違うのではという疑念を抱く事で、実際異なっていた時のショックを和らげようとしていたのだと思う。何年も《異常》と言われていた最中に同類かもしれない存在と会えば、そりゃあ疑心暗鬼にもなるだろう。
結果的にそれは正しかった。
先に言った通り、最初は出来が良いと判断していた。
逆に言えば、判断出来た事はそこだけ。僅かな間で出来の良し悪しが分かっただけでも凄い方だとは思う。人格面は実際に時間を掛けなければ分からないのだから。そう考えるようになったのも実はつい最近の事なので当時はそんな事を考えている訳では無かった、ただ直感に従って断定は良くないと慎重になっていたのである。
《神童》と呼ばれた実弟が成長するに連れて克明になる凡人ぶりを見て落胆は激しかったものである。本人は隠しているつもりだったのかもしれないが、その気になればプライバシーも何のそのな天災を舐めてはいけない。
実弟の行動は良くも悪くも平凡の域を出ないものばかりだった。つまるところ、紙一重の存在である馬鹿や天才に多い『予想外』の行動を《神童》は見せなかったのだ。あの大親友ですら偶に《天才》と呼ばれているこちらの予想を超える身体能力を発揮するし、言動も稀に見せるのに、実弟の行動にはそれらの片鱗すら一切見られなかった。
その平凡な行動がより顕著になったのは、実弟が小学校に入学してから。周囲の人間の言動に看過されたからか一切興味を抱かないくらい平凡へと堕していた。相変わらずテストの点数は良いし、自分の生家にて行われていた剣道教室の戦績も同年代の中では群を抜いていたが、それ以外の項目として挙げられない言動の全ては平凡の域にある。
だからこそ、その実弟は《神童》と呼ばれたのだろうと私は考えている。これは『《天才》は無理解の総称』という持論に基づいた答えだ。
自分やその実弟のように理解を得られない存在は、経験した努力と導き出された結果が釣り合っていない事が多い。自分なら誰に習う事もなくパソコンやプログラムを組んだり、その果てに現代技術を遥かに超越したISを発明したし、《神童》なら明らかに勉強時間や練習時間が短いにも拘わらず他の追随を許さない良好な結果を叩き出している。経験や努力で説明出来ない差があるからこそ、人はそういった人種を《天才》と区別し、無理解を決め込むのだ。
つまり世間一般で言われている《天才》とは、先天的な才能が果てしなく高い/理解出来ない要素で圧倒的な差を見せ付ける人種の事なのである。理解されないから馬鹿と称され、けれど理解される結果を出したから天才と称される。
《天才》とは、本当の意味では誰にも理解されない存在なのである。結果は理解されても、その過程や行動原理は理解されない/見向きされない。
そして一度《天才》であると、自分達では理解出来ないし到底及び付かない差があるのだと思われれば、もう二度と同じ立場としては扱われなくなる哀れな人種とも言える。それを考えればある意味《天才》という世間一般の尊称は蔑称とも裏の側面も併せ持っているのかもしれない。それをどう捉えるかはそう呼ばれている者次第だが。
――――では、真の意味での《天才》とはどういった意味を持つのだろうか。
《茅場晶彦》は、まぁ、ある意味ではそうだとも言えるかもしれない。
あの男は私と違って間違わなかった。SAOのデスゲーム化を知った時だって、互いに《夢》について心底から語り合った仲であるが故に『そんな莫迦げた事をするか』と一蹴し、真犯人を探した。
あの男にとって仮想世界とは、SAOとは、そして浮遊城アインクラッドとは、夢の結晶。芸術家で言うところの絵画、音楽家で言うところの楽曲。完成されたものだからこそ美しいのであり、それに泥を塗ったりわざとリズムや音程を意味無く崩したりなどはしない。美しい一枚絵を穢すような行為を、あの夢に向けて純粋にひた走っていた男がする訳無いのである。
確かにあの男は、命までとは言わないものの自身の全てを注ぐ程に《夢》に向かって邁進していた。交際している女性も同じ研究者であり技術者なのを良い事に、その女性の事を後回しにし、生活全般も後回しにし、とにかく《夢》の実現に向けて一直線に突き進むくらいには没頭していた。
人はそれを『狂っているように』と表現するかもしれない。何となく気に掛かって何度か様子を見に行った時など死んだように眠っていた事も割とあったから、気に入っていた事も相俟って何度か面食らったものだ。天才故に万能である事を活かした家事スキルを駆使し、顔を見に行く度に甲斐甲斐しく世話を焼いたものである。
とにかく、あの男の行動原理はやはり他人には理解され難い性質を持ち、結果を出したからこそ認められた側面がある。つまり彼は世間一般的な《天才》の枠組みにカテゴライズされる。そもそも世間から言われている時点でそうなのだが。
では《神童》と呼ばれている親友の実弟か?
仮にそう問われれば、そんな訳があるかと私なら苛立ち紛れに断言するだろう。《茅場晶彦》に関しては同じ人種である私でも分からない事が多かったが、あの実弟に関して分からない事など殆どない。あるにはあるが、どちらにせよあの男ほど突き抜けてはいない。ただ才能に胡坐を掻いて《天才》を気取っている有象無象の餓鬼に過ぎない。
私が《真の天才》として名を挙げるとすれば――――《織斑一夏》と、答えるだろう。今は《桐ヶ谷和人》と名を改めているので実際に答える機会がある時はそちらで言うが。
あの親友の実弟より四つ年下の幼い少年は、行動や練習の端々を一目見て分かるくらいには才能に欠けていた。時間を掛けて観察を続ければより浮き彫りになるくらい、あの姉と兄の弟とは思えないくらい凡才以下。才能だけを見れば今まで見て来た人間の中でもダントツで最下位を直走る。
昔の私がそれでも認識したのは、ひとえに親友の実弟だったから――――では無い。むしろ彼女の実弟だからこそ、興味を一層喪わせていた。あの《神童》の例があったからこその心境だったのだ。
だがしかし、《出来損ない》と早くから言われ始めた件の少年は、兄である《神童》とは真逆の道を進む。
親が失踪してから暫く経った後、兄は家事を面倒臭がった。姉は学校とバイトで忙しかったから家の中にまで気が回らず、また弟を嫌っていたからこそ、表面上はやっている風に見せ掛けて一切やっていないのが実状。流石にゴミ出し辺りはしていたようだが、自分の分のご飯を作るだけで四歳年下の弟には作らない。
普通なら、二歳や三歳の子供は泣いてせがむだろうが、しかしあの少年は違った。兄が料理をするところを罵倒されながらも見続けた末に自分で作れるようになってしまったのだ。それが二歳半くらいの時。見てくれは非常に悪そうではあったが、しかし辛うじて食べられる程度に完成している辺り、年齢を考えれば異常である。
それは『褒められる』という正当な評価よりも前に、『気味悪く思う』という異常性の方が先に立つ行為だった。
洗濯も、掃除も、次第に見て学び出来るようになった。買い出しももう少し成長してから自発的に出来るようになっていった。五歳になるまでには既に大半の家事は一人でこなせるようになっていた。
勉強に関しても、同年代の中では実はかなり高い水準を保っていた。夜遅くまでノートと教科書と向き合って、学校のテストも九十点以上しか取らない。
小学校に上がった時は既に家の家事を全て毎日行っていたのだから、それを鑑みるとどれだけ凄い事かは分かるだろう。
彼に才能があった訳では無い。《神童》と呼ばれた兄は初めての事にすらほぼ全て即座に適応して高い水準の結果を叩き出すが、弟の方はそれは一切無い。全て最初は手酷く失敗するし、結果が良くなっていくのも非常にゆっくりとした速度だ。統計に取っているからそれは分かる。
だが、その弟が兄と違った点は、絶対に努力を怠らなかった事。
私が《真の天才》として彼を推す理由は、あの少年は自身の努力や経験を認められず、どれだけ存在から否定されようと、決して努力を怠らない《努力の天才》だったからなのだ。
どれだけ否定されても努力を続ける事は実際に口で言うよりも非常に辛い。基本的に人間の『やる気』と呼ばれるものは他者から認められる事や自己満足のどちらかで発生するものだが、あの少年は認められもせず、同時に同年代の者よりも遥かに高い水準にあるのに満足もただの一度もせず、延々と上を見続けて努力を続けた。下の者を嘲笑いもせず、それで自分の方が上だと誇りもしない。遊びに行くといった癒しも、好きな食べ物を食べるという娯楽も、一つも無い。それでも彼は努力を続けていた。
確かに《織斑一夏》は誰もが認めるくらい才能は無い。
けれど、たった一つだけ、彼には誰も持ち得ない才能がある。
それが《努力》という一点。経験を積み、能力を高めていくには誰もが通らなければならない苦痛な選択に関して、あの少年は一番秀でている。
もしかしたらそれは、優秀な姉とそう見える兄を尊敬し、追い付きたいと願っているが故にそう見えているだけなのかもしれない。まだ届いていないからという理由で頑張り続けているからであり、追い付いたら兄のようにもう努力はしなくなるのかもしれない。
そうはならないで欲しい、と思う。
けれど同時に、どうかそうなって欲しい、とも思う。それは一度だけだが、ひょっとすると当たり前で、けれど彼にとっては何にも代えがたいのかもしれない《夢》を知ったから。
『ねぇ、凄く頑張ってて、でも全然認めてもらってないのに、どうして頑張り続けるのかな?』
ISが世に出されて五年の時が経ち、少年が小学校二年生になった頃、ずっと気になって観察を続けていたからこそ抱いた疑問だった。
ISを否定された事で逆上し、《白騎士事件》をマッチポンプで起こし、結果軍事目的で受け容れられた/《夢》が叶わなかった事に絶望して半ば諦めた私にとって、その少年の行動は理解出来なかったのだ。存在から否定されているからこそ誰にも認められないのに、無駄と言われるのに、どうして頑張り続けるか分からなかったから。
眼が湛える光は弱々しく、薄く、何時無くなってもおかしくなかった。体もボロボロで、覇気はおろか生気すら薄い。親友はどうしてこの姿を見ても気に留めなかったか不思議に思うくらい、その少年は弱っていた。
疲れ果てているのは明白だった。ともすれば、今にも息絶えてしまうくらいには。
幸いと言えたのは家事を取り仕切っていたからこそ栄養失調に陥っていない点だったが、そんなのは気休めと言わんばかりに虐待を受け、精神的な癒しも無く、ただ摩耗し、擦り切れていく日々を送るばかり。
それでも少年は、努力を辞めない。来る日も来る日もあり得る筈が無い『認められる瞬間』に向けて邁進し続ける。私のISのように宇宙進出という、友人の男性のように浮遊城の完成という明確な結果が無い努力を、誰に認められる事も無く、満足する事も無く続けていた。
擦り切れ、摩耗していく姿を見ているのが、他人がどうなろうと基本的にどうでもいい私ですら痛々しく思えてしまうくらい、その《天才》は追い詰められていた。
『……?』
少年は最初、こちらの質問が理解出来ていなかった。ある意味当然だ、七歳の子供がそんな事を突然問われて答えられる筈が無い。そういう部分は、少年は《普通》の子供だった。
だからこそ、小学生なら大抵無邪気に答えるだろう内容で訊く事にした。
『ごめんごめん、分かりにくかったね。えーっとね……君にとって、《夢》って何かな? これからどうしたいとか、どうなりたいとか、そういうのは何?』
『ユメ……どうしたいか……?』
疲労困憊の様子で儚げに応じた少年は顔を俯け、それからすぐに見返してきた。
『――――みんなと、いっしょに居たい』
そう、儚げに、純粋に、満面の笑みで《ユメ》を告げて来た。
『――――な……っ』
私はその時、生まれて初めて『絶句』というものを経験した。
てっきり親友や兄のように凄くなりたいとか、生きたいとかだと思っていただけに、そんなありきたりで――――けれど、だからこそ《ユメ》とするにはささやかな願いだったから絶句せざるを得なかった。
それまでも驚きや驚嘆はあったが、言葉を喪うような『絶句』は、それが初だった。
『みんな、《できそこない》って言って来る。だから居なくなっちゃって……でもあき兄はみんなが居て。だからもっとがんばらないと、ふゆ姉もあき兄も居なくなっちゃうから。友だちはみんな居なくなったから』
どこか舌足らずで、純粋さを感じさせる言葉だった。後半は泣きそうになっていて、けれど『自分が悪いから』と思い込んでいるからか涙を見せようとしないで言い切っていた。顔こそ歪んでいたが、しかし声は震えていなかった事は驚嘆に値した。
誰にも認められず、一人ぼっちになって寂しくて、けれど気丈に振る舞う子供がそこにいた。
『……そっか。つまり、君の《夢》は凄くなりたいって事で良いのかな?』
対して、私の声は震えていた。
自分は恵まれていたのだなと、その時になって初めて思い知った。ずっと親友にしか理解されず、親や妹からも異物として見られる自分は不幸なのだと思って、自分は他の皆と違うんだと思うようにしていた。そうやって殻に閉じこもっていれば、せめて今ある幸せは噛み締められるから。
けれど、この少年にはそれも無い。幸せなど一切無く、あるのは理不尽な迫害と虐待ばかり。友だちが居なくなった事実も、家族が居なくなってしまう不安も、ある意味では虐待と言える。
それから解放されるために『凄くなりたい』という《ユメ》を抱いているのだと――――そう曲解した。そうだと言ってくれと願いながら。
『ううん……みんなと、またいっしょに居ることが、ぼくのユメ』
けれど、現実は非情。
こちらの願望が混じった確認に首を横に振り、口にする事だけでも幸せそうな面持ちで、また同じ言葉を口にした。今度はこちらが曲解しないようにハッキリと『自身の《夢》だ』と告げてまで。
痛々しいとしか言えない、満面の笑みで。
衝動的に、目を逸らしたくなった。それも人生初だった。
『……その《夢》が叶わないって、将来皆と一緒に居られないかもしれないって考えて、それでもやめたいとは思わないの?』
『思わない』
『どうして?』
『だって、やめたらおわる。自分で作ったユメだから。なりたいって思ったから。だからみんなといっしょに居られるようになるまでがんばる』
『誰も褒めてくれないのに?』
『褒めてほしくてやってるわけじゃないから。みんなといっしょに居たいって思ったから、がんばってるだけ』
『……頑張っても、絶対叶う訳じゃ、ないのに?』
『やってみないと分からない。やらなかったら出来ないけど、やったら出来るかもしれない。ならやる』
こちらがどれだけ問い掛けても、彼は一切間を開けず全ての問いに答えを出してみせた。どれだけ意志が固いかは理解出来た。
同時に、それがどれだけ苦難の道かも分かっているのだと。ひょっとしたら実を結ばない可能性も理解していて、それでも努力を続けると言っているのだと理解させられた。
『……そっか。凄いね、君は。束さんじゃ無理だなー』
彼の姉を褒めた事は何度もあるが、大体それは驚きをプラスした驚嘆と言った方が良い。純粋に褒める為だけに称賛を口にしたのはそれが初だった。
本当に凄いと思ったのだ。私は一度挫折して、世界がこちらの意志や考えを理解する気が無いのだと不貞腐れていたのに、この少年は無数の否認を受けていながら挫折はしても不貞腐れはせず努力を続けていた。一度抱いた《夢》を形にする為にただ只管に邁進していた。
《茅場晶彦》は周囲に認められ、周囲の助けを借りながらこっそりと自分の《夢》を叶えようとしていた。それは多分に環境や自分の才能を利用しているもので、努力は確かに沢山していたのだろうが才能に裏打ちされているものが大半だった。
《篠ノ之束》は完全に才能に頼っていて、それが無ければ大成しない発明の仕方で有名となった。それ故に歪な評価を受けている。
《織斑千冬》は才能と努力で評価されるようになったが、人間性に関してはかなり脚色されていて正確性は喪われた評価ばかりとなっている。
《織斑秋十》は才能にかまけていて、努力を怠っているが故に凡夫へと堕した。表向きは《神童》のままだが実状は有象無象の餓鬼の一人。将来痛い目を見る事は確実な莫迦。
そして《織斑一夏》/《桐ヶ谷和人》は、ただ只管《夢》の実現の為に孤独な戦いを続けていた。明確な終わりも無く、褒められも認められもせず、誰の助けも無く。延々と孤独の戦いを繰り返す、誰もが厭う努力を無限回。
それは素直に尊敬に値した。最早尊崇と言っても良いかもしれないくらいに狂っていて、けれど純粋故に真っ直ぐな、儚い《夢》を抱いて進む《天才》だった。
誰もが持つ才能は一切持たず、誰も持ち得ない才能を持っている《努力の天才》。天才であるが故に孤独で、孤独であるが故にその才能は誰にも露見しなかった。それに気付いているのは、自分を除けば彼を引き取った家族の義理の姉一人のみ。
引き取ってから半年足らずでその義理の姉は気付いたように、ちょっとその少年の事について知り、行動を見て理解すれば気付くくらいには分かりやすい才能だが、けれど数値で表せない以上評価されない。『結果が全て』な側面がある現代に於いて非常に不遇と言えた。特に日本は時間に焦り過ぎているから適応は尚更難しいと言えた。
それでもきっと、この少年は邁進をやめないのだろうと思えた。
『……うん、教えてくれてありがとね。君の《夢》、お姉さんは理解したよ……だから頑張り給え若人よ、その道は果てしなく厳しく険しい茨どころじゃない道のりだ。誰の理解も得られないかもだけど――――それでも束さんは、束さんだけは、心からずっとキミを応援しているよ』
『……たばね、さん……? それって、ふゆ姉の……?』
『うん? ああ、そういえば名乗ってなかったね……一応聞き知ってはいるみたいだけど、一応直接教えてあげよう。目を皿の様に開いてこの姿を焼き付け、耳をかっぽじってよーく聞いておくように』
名乗らずにここまで話してくれた事に内心驚きつつ、動揺を隠すように、その少年を非常に気に入った事もあってちょっと気合を入れて自己紹介をする事にした。僅かに距離を取った後、ばっ! と手を大きく振りながら向き直って、口を開く。
『遠からん者は音に聴け! 近らば寄って目にも見よ! うさ耳アリス風エプロンドレス姿のお姉さんは古今東西唯一人、すなわち《インフィニット・ストラトス》の発明者にして天災と半ば自然現象扱いを受けている科学者! 篠ノ之家が長女、織斑千冬の大親友《篠ノ之束》とは、私の事也ィッ!!!』
『おー……!』
気合の入った口上とそれに対して上がった間延びしている気の抜けた声。
これが《篠ノ之束》と《織斑一夏》のファーストコンタクトにして、《真の天才》に邂逅した日の出来事であり、如何に自分が子供であるかを理解し、自分の《夢》を中途半端にしたせいで不幸にしてしまった存在が居る事を認識した切っ掛け、その締め括りである。
*
「――――ま、束様、起きて下さい」
「う、うぅん……?」
「束様、起きて下さい。朝ご飯が冷めてしまいます」
ゆさゆさと体を揺らされると共に名前を呼ばれる事で、心地いい微睡から意識が浮上する。
重い瞼を持ち上げれば、私が使っている寝台のすぐ横には瞼を閉じている銀髪の美少女が居た。遺伝子操作をして屈強な兵士を作り出そうとしたプロジェクト、その失敗作として屠殺処分を受けかけていた少女で、偶然にもその施設を潰す際の唯一の被害者としての生き残りだった為に娘として引き取った子である。
名前はクロエ。瞼が閉じられているのは非道なプロジェクトの影響によって閉じざるを得なくなってしまったから。失明している訳では無いが、視覚情報が通常の人間のそれより圧倒的な量で脳がパンクしてしまうため普段は閉じている。ほぼ盲目状態に変わりは無いものの本人は馴れているようで住み慣れた住居では特に不便を訴えるような事は無い。
彼女を引き取ってからはちょくちょく家事を任せるようにしている。何しろ自分は出来ない事は無いのだが生活能力はあってもやろうとしないせいで不摂生になりがちだから。
ついでに言うと、出生からして家事なんて経験していない彼女が朝ご飯を作れているのは、《桐ヶ谷和人》に改名した少年こと和君に教わったから。彼が教えた理由としては、私の不摂生改善の為に一番有効であり唯一の手段だかららしい。
彼のお陰で栄養面のバランスが取れて健康になったし、睡眠不足な点を除けば肌も健康的なモチモチ感を保つようになったので感謝感謝である。
「ほら、束様、早く起きて下さい。でないと遅参になってしまいますよ」
「ああ……うん、そうだね。起こしてくれてありがとう、クーちゃん」
「いえ。これが仕事ですから」
出来た秘書官の如くクールな応答をした彼女は、私の意識が完全に覚醒したと判断したのか寝台を離れて部屋を出て行った。
彼女が口にした『遅参』というのは、現在務めている仕事場へ行くのが遅れるという文字通りの意味。
現在世界各国で指名手配を受けている身ではあるが、和君の身に起こった事やISを悪用している組織、そしてSAOのデスゲーム化が全て関係した事象であると判明した以上、こちらも何かしら動いた方が良いと判断して総務省に作られた仮想課こと《SAO事件対策チーム》に接触し、そこでプログラミングの仕事をするようになったのだ。
最終目標はSAOのプログラムに組み込まれている脳破壊シークエンスコードの除去と全プレイヤーの即時ログアウトだが、仕事をするようになっておよそ半月が経っても未だ目標達成の兆しは無い。
《茅場晶彦》ことあっくんは仕事を頑張り過ぎである。【カーディナル・システム】の防御網を自分が破れないとか、最早世界を見回しても誰にも破れないのではないだろうか。
「まぁ、黒幕は多分別なんだけど……」
寝間着から仕事着兼普段着のアリス風エプロンドレスに着替えつつ、最近漸く尻尾を掴んだ情報について思考を回す。
SAOをデスゲームにしたのは、現在和君の義理の姉である《桐ヶ谷直葉》ことスグちゃんがプレイしているALOの運営企業《レクト・プログレス》の総責任者《須郷伸之》なのは既に判明している。これはまだ誰にも伝えていないが、すぐにでも真実を晒す事は可能だ。
しかし引っ掛かっているのは、何故今になってその情報を掴めたのかだ。デスゲーム開始から一年半経って漸く掴めた時点で怪しいと思うべきだろう。
正直言うと、気付けたのはスグちゃんや例の餓鬼、件の男がSAOに乱入する事になったからだ。前二人は絶対無いとして、可能性として在り得るのは後者の男。他に部下も紛れ込んでいるようだが、《須郷伸之》だけはアカウントが上位権限のそれだった。普通互換性は無いのに、彼女達はSAOへALOアカウントのまま乱入出来てしまっていた。
だからALOサーバーがSAOサーバーのコピーであると気付けた。加えて、ALOとSAOのサーバーをそれぞれ何かしらの意図を以て回線を繋げている、とも。
それらはSAOがデスゲーム化した後の事を考えていなければ出来ない事だ。SAOサーバーとALOサーバーを繋げるなど、下手すればサーバー全体が落ちてプレイヤー全員即死という結果にすらなりかねない恐ろしい事態。一切関与していないのであればサーバーに触れようとしないのは明白で、だからこそ逆説的に勘付けた。もう少し調べればきっと証拠は湧いて出て来る。
しかし気になる事は、その男がどうして二つのサーバーを繋げるような危険を冒したのか。
科学者としての視点に立つなら、それはメリットとデメリットが釣り合っていない。二つを繋げる事で何かが可能になるとしてもそんな行為が知られればただでは済まない。死者がそれで出ていれば極刑は免れないので、サクセスストーリーなど出来はしない。
集めた情報から、人格的に人々を救うために動いているというのは除外している。酷く嫉妬深いらしいし、この男と関わった立場ある人間はよくよく考えればあまりいい結果になっていない。数人ならまだしも全員は流石におかしい。現にあっくんはこの男と関わっているし、ALOという形でスグちゃんやガキも間接的な関係を持っている。
ともあれサーバーを繋げる行為は成功している訳だが、ではその後は何をするつもりなのか。そして何かを為した後、どうするつもりなのか。
きっとそこが、須郷の行動の発端なのだろうと思う。そんな危険な行為に及べる程の何かがそこに関与している。
あり得るとすれば、組織。
そう考えたからこそ、私は対策チームにて仕事をしている。恐らく須郷を動かすに至った原因であろう真の黒幕は【カーディナル・システム】の防御網をすり抜けられる手段を有している。何の切っ掛けや介入も無しにスグちゃん達はおろかデスゲーム化に関わっている須郷すら巻き込まれるのは不自然だ。
ひょっとすると、真の黒幕は須郷すらも捨て駒として扱っているのかもしれない。和君に関わりがあるからという理由で、スグちゃんや餓鬼を巻き込んだ可能性もある。
「……何か、嫌な予感がするんだよね……」
私は非科学的なものも割かし信じる方だ。だからか、実は嫌な予感というのは現在百発百中である。
故に私はその嫌な予感が現実になった時の為に動いている訳だ。否定出来ない可能性を先に見据えているからこそ、和君やスグちゃんをSAOから生還させる糸口を見出す為に。
天災と言われている自分が誰かの為を想って行動するようになった事は、少しでも子供から大人へ変われているのだろうかと考えつつ、着替え終わった私はクーちゃんの朝ご飯を摂りに寝室を後にした。
***
タタタタタタタッ、と小銃の連射の如き速さでキーボードを打鍵する音が部屋に絶え間なく響く。
そこそこの広さがあるオフィスルームには各々に割り当てられたPCの前に齧り付く形で作業をしている者が十数人おり、彼らからも打鍵音は聞こえて来る。
しかし一際速い音はこの部屋に入って間もない者から立てられていた。
このオフィスにいる者達は超一流の著明な研究室の出という訳では無いが、それでもプログラミングや暗号解読、電姉ロック突破などに於いてはそれなりの年数携わっているだけあってスペシャリストと言っても過言では無い。年代は30~40台が殆ど、それだけキャリアを積んで来たという事なので彼らの打鍵も仕事の正確さも並みのものではないのだ。
そんな彼らを凌ぐ打鍵音を響かせ、しかもこのオフィスに入ってそこまで経っていないにも拘わらず他の何倍も仕事をこなしている人物は、このオフィスルームでPCを前に仕事をしているメンバーの中の紅一点だった。昨今珍しい事に女性なのである。
その人物の恰好はオフィスで仕事をするには適していないと言えた。頭の上には機械的な見た目のウサギバンドを模したと思しき飾りを被り、纏う衣服は《不思議の国のアリス》の衣装としか思えない青いエプロンドレス姿。ハッキリ言って異質に過ぎる。普通ならそんな恰好で出社しようものなら即座に首を切られても文句は言えないし、仮に温情があってもその日は仕事に出られず、減給があってもおかしくはない。社交性の欠片も感じられない。
そんな恰好を看過されているのは、彼女がおよそ世界で最も手を出してはならないクラスの人物だから。
他との協調性を見せる様子も無いその恰好とPCの前に齧り付いてのめり込む程の仕事ぶり、そして常人の何倍もの仕事を一気にこなしているその異常さを見せている彼女こそ、女尊男卑の温床を切っ掛けを生み出した【天災】《篠ノ之束》。
そう。世界各国が血眼になって捜索をしている指名手配犯が、この《総務省総合通信基盤局第二分室仮想課》――通称《仮想課》――のオフィスルームの一つに居座っているのだ。
ちなみにこの事実、彼女本人の脅し――――もといたっての頼み、そして見返りもあって、日本政府も看過していたりする。
それは、そもそも彼女がこのオフィスルームで仕事をする経緯が関わっていた。
一時期は世界規模で、現在は一年半も経過した事もあって日本国内規模に収まっている《SAO事件》と呼称される二重の意味で史上初となるVRMMORPGでのデスゲーム事件は、ほぼ静観の様子を見せている。むしろ静観以外に手の出し様が無かったのだ。
《ナーヴギア》による脳破壊シークエンスは幾つかの条件が満たされると発動し、SAOのログインプレイヤーを死に至らしめる。無理矢理《ナーヴギア》を取り外そうとしたり、破壊しようとしたり、一定時間のオンライン回線の切断やコンセントからの電力供給を絶つ事で、ハードの重量の三割を占めているとされるバッテリーセルがプレイヤーを殺す。下手に何かアクションを起こすと、明示されている条件以外でも発動させ人を死なせてしまいかねないから手が出せない。
そうなればあとはもう内部のプレイヤー達の自力の脱出に託すしか方法が無い。
幸い、ログイン時で9歳というレーティングを無視した幼さに反し、全プレイヤー中トップで跳び抜けたレベルのプレイヤーがまだ生存しているので、希望はある。その少年の周囲には、少年に遠く及ばないもののかなりの高レベルプレイヤーが集っているログも見ているため、抗っているのだろうとは予想が付いた。
内部から自力で脱出しようとしている者達が居るとなれば、《SAO事件》の発生と共に発足した《SAO事件対策チーム》がする事は彼らの肉体の維持に尽きた。事件発生からすぐにプレイヤーが《圏内》領域に入ったのを確認すると共に全国の病院へ搬送した自分達には、それ以外に出来る事が無かったのだ。
無論、SAOサーバーのプログラミコードを、もっと言うなら人力メンテナンスを必要としない完全自律システム【カーディナル・システム】の防御網を突破するべくこれまでも奮闘し続けて来た。《SAO事件》のサーバーこそ《レクト・プログレス》が管理・維持を担っているが、プログラムのコピーがあるので、それをミラーサーバーに移して疑似的なSAOを作り出し、【カーディナル・システム】を動かして、それを対象に外からのハッキングを行えないかと試行錯誤を繰り返してきた。
結果は、今も事件解決に至っていない時点でお察し。あまりにも完璧すぎる【カーディナル・システム】の前には歴戦のキャリア達もお手上げだった。
『ねぇ、束さんにもその仕事、手伝わせてくれないかな?』
そんな状況がおよそ一年半続いた頃、唐突に【天災】はやって来た。確かALOをプレイしていたプレイヤーが二人ほどSAOに巻き込まれてしまって、大わらわになった数日後だった。
最初は勿論驚いた。もしもの可能性で世間から非難を浴びせられる事を危惧して秘密裏に行っていたこの作業をずっと世界の何処かを放浪していただろう彼女が何故知っているのかとか、他人に一切興味を抱かない筈の【天災】がどうしていきなり前触れもなくそんな事を言って来たのかとか。
そして悩んだ。彼女を関わらせていいものか、と。
【天災】の彼女は良くも悪くも影響が大き過ぎる。特にISを信奉している者からすれば彼女は神に等しい存在にまで格上げされているらしく、男が寄り付く事をその女性達は良しとしない。女尊男卑風潮が行き過ぎた結果だ。
そして対策チームの所属メンバー、特にプログラム関連の仕事は男性で構成されている。正に【天災】の彼女が此処に居ると知られると命が危ない状態になる訳だ。
加えて決めるのは対策チームのリーダーを請け負っている自分。勿論上に判断は仰がなければならないが、上に報告する場合は『菊岡誠二郎は【天災】の力を借りようとしている』と見られる。この事実だけでも女尊男卑風潮に染まった女性達の粛清対象になりかねない。最悪チームに属している仲間諸共抹消されてもおかしくない。
それくらい、今の日本は狂っている。
それでも正直行き詰まっていた部分もあったので、上に話を通す前提で話を進めた。本人も極力バレないよう動いてくれるらしいし、あとはこちらが周囲に漏らさないよう徹底すればいいだけの話。デメリットが命とは大き過ぎるが、どちらにせよメリットを得ても事件解決に至らなければ似たような状態になるのだと開き直った。
本人からも上に話を通す事の許しを――脅しと見返りも添えて――貰ったので報告し、チームの一人に加えた時に理由を訊いた。何故、いきなりそう言って来たのか教えて欲しい、と。
『うん? そりゃ決まってるじゃん。クソッたれなヤツのせいで色々と台無しにされるのは腹が立つからだよ』
何を当たり前の事を、と言わんばかりの態度で宛がわれた机とPCの前に座りつつ返してきた答えに、自分は困惑を抱いた。それなら何故事件直後に来なかったのか、と。
すると、早速キーボードに手を伸ばして頼んだ仕事をこなそうとしていた彼女は動きを止め、グルリとどこか機械を思わせる動きで首を回してこちらを見上げて来た。その顔に浮かぶ表情は、無機質。
『別に教えても良いけど、知ったらお前、戻れなくなるよ』
ゾッとするほど冷たく昏い声音で淡々と言うその様は【天災】の逆鱗に触れる程の何かがSAOに存在している事を悟らせるのに十分だった。
しかも時期的にALOプレイヤーである《桐ヶ谷直葉》さんと《織斑秋十》君の二人が巻き込まれた直接的な原因だと察せた。
【天災】は特定の親しい者を特別贔屓すると聞いた事がある。恐らく此処に来たのは親友らしいあのブリュンヒルデの弟が囚われる事になったからだろうと推測して、それ以上訊こうとはしなかった。
『戻れなくなる』という意味がどういう意味でか――――日本政府の闇という部分か、それとも【天災】が全力で事に当たる程の案件に巻き込まれるという意味でか、自分はこれまで生きて来た中で最大級の得体の知れない恐怖を日々覚えていた。
「中々心臓に悪いな……」
胃が痛いのは錯覚だろうかと考えながら、最近手放せなくなってきた胃腸薬を水で飲み込んだ。
「ねー、ちょっといーい?」
丁度その時、自分が意を痛める最大の要因の一つとなっている女性が間延びした声を掛けて来た。一体何だろうと、わざわざあちらから声を掛けて来る珍しさに僅かな期待を寄せつつ、彼女に割り当てられたデスクへと向かう。
――――そこで僕は、《SAO》の、そして《ナーヴギア》というフルダイブハードの恐るべき真実の一端を知る事となった。
束は《白騎士事件》を原作同様(明言されてないけどほぼ確定)にマッチポンプの為に引き起こした。
それは『宇宙進出』『宇宙に行きたい』というIS発明の根幹。すなわちIS発明は《夢》の為だったが、ISを否定された時は子供のように激昂し、『認められるため』という欲に走ってしまった。
それが間違いであったと気付き、束はその行動を『《夢》を諦めた=挫折』と解釈した。
反面、茅場晶彦は周囲の協力を以て《夢》を叶えようと動いている。過去、理論上可能ではあっても夢物語的に扱われた電子虚構世界の構築を為す為に、自分と違って他者と協力して進む姿は、自分と違った大人の天才。才能はあった、努力も惜しまなかった、挫折をせず突き進んだ末に《夢》を実現させた者。
それらに対し、織斑秋十は才能にかまけ、他者に理解され難い《夢》を抱いている様子も無く漫然と過ごしている。その姿は他の凡人と何ら変わらない。故に同類では無いと判断した。
そして織斑一夏/桐ヶ谷和人は、束や茅場のような明確な終わりがある訳でも無く、誰にも認められない未来があるかもしれないのに、《夢》を追う事を決して諦めなかった。
茅場も他人に理解されない衝動に突き動かされる天才ではある。才能も環境も使って突き進む姿は正に天才と言われても納得出来た。
しかし織斑一夏/桐ヶ谷和人には、才能も環境も無く、あるのはただ努力のみ。認められる事を動力源として動いた事がある束にとって、誰にも認められないのに努力できる事は才能に見えた。
束とも茅場とも秋十とも違う環境と才能の無さ、認められなさ、分かりにくさという不遇であり且つ報われないであろう努力を続ける姿は、誰にも理解されないが故に天才と言えた。茅場ほど理解出来る要素が無い分だけよりそれは顕著になった。
故に、束は《真の天才》は織斑一夏/桐ヶ谷和人であると考えた。《出来損ない》という正反対の評価こそ、後世漸く評価された数多くの天才達に通ずるものがあったから。
下地は無く、立っている為の基盤すら無いにも拘わらず、理解されないが為に報われないのに努力し続けられる事こそ、少年にしか持ち得ない/存在しない唯一無二の才能なのである。
天災による天才区分
・努力型:茅場、一夏/和人
・慢心型:束、秋十
・理解可能型:束、茅場、秋十
・理解不能型:一夏/和人
・結末具体的型:束、茅場
・結末抽象的型:一夏/和人
・結末無し:秋十
――――一番困難の道であり、理解を得られにくいタイプの天才(結果型でないため傍からは才能無しに見える)が本作主人公なのである。
尚、妖精義姉は義弟の天才性に気付いている(第五十一章既出)
悲報……今話で、ストックが、ネ……尽きたんダヨ( ;∀;)
よって今後は月木投稿でも毎週二回とは限らない不定期投稿。テストに実習前試験などで忙しいので、ご理解頂ければと思いますm(__)m
執筆は続行! でも流石に実習とかテスト間近になると厳しいので、ご理解の程、お願い致したい!(´;ω;`)
では、次話にてお会いしましょう。