インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
――――クリスマス。
その単語を聞いて、人は一体何を思い浮かべるだろうか。
子供であれば『サンタからプレゼントを貰える』喜ばしい日だろう。
大人であれば『プレゼントを買わないと』と使命感に駆られ、同時に懐が寂しくなる憂鬱な日かもしれない。なまじ新年のお年玉や年越しの料理にも費用が掛かるのだから憂鬱さは日頃の数倍だろう。
あるいは、恋人と過ごす素敵な一日の一つだろうか。
それとも、独り身の寂しさに歯噛みする日だろうか。
とてもとても下らなくて――――されど、デスゲームという異常な状況に放り込まれ閉じ込められてしまったSAOプレイヤーにとっては、とてもとても羨むべき平穏な日常の一部。
これは、暗雲立ち込める浮遊城の裏で交わされた、当人達しか知らない秘密の逢瀬の記録。
取り立てて特別では無く、けれど確かに尊い日常の一ページである。
***
「……ふン。どいつもこいつも浮かれてるナ。日頃の暗さが嘘みたいダ」
2022年12月24日。
それは年に一度だけ訪れるクリスマスの日。正確にはイブなのだが、日を超える瞬間を含めて祝福出来る今日こそがクリスマスの本番と言えるだろう。
それはデスゲームとなったこの《アインクラッド》も例外ではない。結果はどうであれ、経緯としては真っ当なVRMMORPGとしての初タイトルを飾るべく開発されていたゲームだ、時事や日付に関係あるイベントを盛り込むのがMMORPGである以上そういったイベントが多数用意されているのは必然である。
また、それだけではない。クリスマスを迎えた浮遊城は現在最前線となっている第五層までの全ての階層で雪が降り注いでいる。積もっている雪は軽く数センチに達し、足を踏み出す度に雪特有の音と共にブーツが沈む。
《アインクラッド》の気象は東京都に据え置かれている気象庁が発表する情報を基に再現しているという話だが、無論21世紀の現在に於いてここまで降り積もる筈もない。これは《冬》という概念を基にしてSAOサーバーに積まれているという完全自律システムが忠実に再現しているだけに過ぎない。気象庁の情報や日付は、恐らく《冬》かどうかを判断する為の材料でしか無いのだろう。
このデスゲームが始まったのは正式サービス開始日だったので、11月7日だ。冬本番とは言えないが入りとは言えるだろうその日付からしてまだ浮遊城は夏を迎えていない。
しかしβテストの頃は夏真っ盛りだった。あの頃はうだるような暑さが普通だったから、フードコートや長袖長ズボンという厚着が辛かった覚えがある。
そのクセ、リアルの体は汗を掻いていないのだから不思議だった。
知り合いの少年曰く、肉体が汗を掻くのは高くなり過ぎた体温を下げる為に自律神経が働き、汗腺を開いて――閉じた場合は鳥肌となる――熱を含んだ水分すなわち汗を放出するから、実際に体に熱が溜まっている訳では無いからそれは不思議な事ではない。自分達が『熱い』『冷たい』と感じるのは、そういう感覚を知覚する部分を刺激し、疑似的に感じていると誤認させているのだ――――という理屈らしい。
一応自分も生理学や解剖学を齧っているのだが、《ナーヴギア》の構造や科学的な理屈まで理解している訳では無かったので、その話を聞いた時は素直に感心を抱いたものである。
――――その感心を抱いたのが、今から五ヵ月前。
時の流れは速いものだと思った。デスゲーム宣言の日から数えても早一ヶ月半ほども経過している。
――――それだけあれば、嫌でも適応する、カ。
その思考と共に、眼下に広がる光景を俯瞰する。
現在自分が居るのは第五層主街区にある広場――――の民家の屋根の上。そこから広場を俯瞰すれば、そこかしこに数十人ものプレイヤーが屯しているのがよく見える。
全て、この浮遊城の頂へ到達せんと目指し戦っている者達だ。自他共に認める攻略組である。
この攻略組にも幾つかのグループと言うか、派閥というものが生まれている。
一つはディアベルとキバオウという二人の男が立ち上げたギルド《アインクラッド解放隊》。ディアベルがそのカリスマを以て人員の募集と鍛え上げる仕事を務め、キバオウが最前線攻略を行う隊の仕事を担う役割分担で成り立っている大ギルドだ。ボス戦に出られる戦力で考えれば中堅中庸といったところでこれといった特徴も無いが、強いて言うなら大抵の事には対応出来る程度の汎用性に富む事が特徴だろう。
次にリンドという曲刀使いが率いる《ドラゴン・ナイツ・ブリケード》。リンドは反ビーター派として有名で、その思想に共感した者達がそこに入っている。どちらかと言えば攻撃的な部隊と言える編成をしておりボス戦での斬り込み隊の役割を担っている。
尚、リンドは反ビーター派ではあるが、《織斑一夏》関連にはあまり反応を示さない。そちらに反応を示す者達は基本的にキバオウへと流れている。
次に攻略隊随一のタンクであるヒースクリフと細剣使いのアスナが率いる《血盟騎士団》。攻撃も欠かさないが、どちらかと言うと防御を重視した守りの固さに定評のあるギルドだ。反ビーター、反織斑一夏の意志を反映していないが故に先の二つより規模は小さめだが、しかし攻略隊の最大戦力と言えば此処となる。タンクこそが主要なのだからある意味当然だろう。
次に若武者クラインを筆頭にリアルの友人達だけで組まれた六人組のギルド《風林火山》。人数こそ少ないが、連帯感を武器に統率された連繋を以て強敵にも対抗出来る強さが秘訣の小規模ギルド。攻略隊に無くてはならない存在である。
また、何気にそのアットホームな空気は、常に張り詰めている攻略隊の空気を程良く弛緩させる。そういう意味でも彼らは重宝される存在だ。
次に攻略隊で二、三番目に幼い少女二人組のみで編成される《スリーピング・ナイツ》。恐ろしい事にゲームそのものもほぼ初めてだというのに、攻略隊でもトップを争う程の剣腕をリーダーのラン、サブリーダーのユウキは持つ。たった二人でギルドを組み、剰え他のギルドと拮抗する勢力である事実だけでもそこは明らかだ。
そして最後に挙げられるのが、孤高/孤独のソロ、《ビーター》のキリト。ゲームクリアという大義の為、多くの人々が連繋出来るようにする為に、自らを《悪》として知らしめる演技をし続けている9歳の幼子にして攻略隊――――ひいてはSAO最強の剣士。
攻略隊の内約を挙げれば以上の派閥に分けられる。
しかし、自分が現在俯瞰している広場には、ソロである少年の姿は無い。無論此処に居ては同じプレイヤー達から命を狙われる危険性が高いからだ。常日頃から命を狙われる立場にある以上、人通りの多い場所を避けるのは当然の帰結。
自然、あの少年は人気の無いダンジョン、すなわち最も危険な迷宮区を自らの居住とするようになった。攻略をする場所を自身の寝床と定めたのだ。
――――全てのプレイヤーが、それを『当然』と思っている訳では無い。
ダンジョンにも《安全地帯》というモンスターがポップせず入っても来ない圏内領域は存在するが、それでも街の安心感は一切無い。冷たい床、底冷えする空気、少し離れたところから聞こえて来る怪物の足音と唸り声をBGMに、誰が心休まると言えるのか。
それくらいは、キバオウやリンド達も分かっている。
分かっているが、それを『否定』はしない。『あんなヤツはそこで寝るのがお似合いだ』と思うくらいあの少年の事を嫌悪しているからだ。
けれど、本当はあの少年だって街の暖かなベッドで寝たい筈なのだ。
あんな場所で心休められるヤツは相当歪んでいるか、それを気にする事も出来ないくらい追い詰められているかのどちらかくらい。
当然あの少年の場合は後者だ。心休まっていないと分かっているのかもしれないが、それでも死ぬよりはマシだからと我慢し、それを抑えている。
それは、とても歪だと思う。
《ビーター》の死に意味を持たせているが、死ぬ選択は取らない。だからと言って『死にたくない』と思っている訳でも無い。
あの少年は、来るべき時、然るべき時と見定め判断した瞬間が来れば、躊躇う事無く自身の命を散らすだろう。それこそが『今後』を想っての最善の手だと妄信しているからだ。
だから、眼下の広場に少年が居ないのは、『死にたくない』からでは無い。『まだ死ぬべき時ではない』と判断しているからこそ。
攻略隊に所属している者達にのみ参加資格のあるクリスマスパーティーに居ないのは、それが理由なのだ。
あの少年こそ、最も頑張っていると言うのに。
『《織斑一夏》だから』と、他人の為に背負ったと知らないから『《ビーター》は悪だから』と、そう言ってあの少年を爪弾きにする。
それを、自分はとても哀しく思い、腹立たしくも思う。
――――だから、オネーサンだけでも労ってあげないとナ。
腹立たしく思うなら、哀しく思うなら、せめてこの想いを抱いている自分だけでもあの少年とクリスマスを祝いたいと思った。だから自分は攻略隊主催のパーティーに参加していない。
一応ディアベルからも参加の招待状はメールで受けていたが、それは今回断った。『情報を集める方に注力する』と言って。
勿論、その理由は方便だ。
かと言って嘘という訳では無い。だって最前線の情報を持ってきてくれるのはあの少年なのだから。
あの少年と会って、クリスマスを祝う『ついでに』情報を貰う。
そうすれば、嘘を吐いた事にはならない。あの少年の事を悪くは思っていないディアベルであれば嫌な顔はするまいという信頼もあった。
――――そろそろ時間カ。
視界右上のデジタルチックな時計が、午後十一時を示した。
約束の時間まで残り少し。そろそろ約束の場所へ行く為に移動しようと思い立ち、屋根に座っていた自分は立ち上がる。それから《隠蔽》を維持したまま、広場とは反対方向の屋根から降り、転移門へと向かった。
*
転移門を使って降り立ったのは、深々と雪が静かに降る第一層《始まりの街》。
転移が完了した後、自分は街並みを眺めつつ目的の場所へ足を動かした。
《始まりの街》はクリスマスだからこそのデコレーションをされている訳では無いが、それでも普段に較べればどこか活気があるようにも思えた。此処に残っているおよそ五千人のプレイヤー達がクリスマスという事実で死の恐怖から目を逸らし、空元気とも言える活気を見せているからだ。
それをおかしいとは思わないし、気弱とも嗤わない。自分だって本当は怖いのだ。それを素直に表現出来ていて、現実逃避してでも現状を楽しめているのは喜ばしい事である。
腹立たしいのは一人の幼子の献身を悪し様に言う事。
しかし本人がそれを意図している以上、それをぶち壊すような真似なんて出来る筈も無し。味方が少ないからこそ、その数少ない味方である自分はあの少年の意志を尊重したいと思っている。
勿論、自己犠牲とも言える行動に、思うところが無い訳では無い。《ビーター》として振る舞うと知った時は人生初とも言える勢いで激怒し、叱りもした。
だがそれを全て否定は出来ない。必要であり、誰かがしなければならないと分かっていた。
本当は、《私》がするべきだと思っていた、それが出来る立場だと思ってもいたからだ。情報屋として既に名を馳せていた《私》であれば、効率的に悪のベータテスターを名乗れるだろうと考えていた。それを覚悟してもいた。
βテスト時代のデータをどれだけ提供しようが、どれだけ実地の情報を少年が集めようが、人間は機械では無い、必ずどこかで綻びが出る。その綻びから損害へと繋がり、被害となり、死に掛けるか死ぬかの結果を生み出す。
その時の不満をぶつけられる存在が必要だった。姿なき黒幕では無く、身近な《悪》が必要だった。
それは今後必要不可欠だと思っていて――――しかし、あの少年に先を越された。
ああ、認めよう。
《私》が少年を叱ったのは、少年だけが悪かったからではない、それをさせてしまった自身の不甲斐無さにこそ最も怒っていたからなのだ。
矛盾していると思う。おかしいと思う。論理的ではない事も分かっている。少年にぶつけてはならない事だとは理解していた。
だが、叱らなければならないとは思った。
あの少年の自己犠牲精神は、度が過ぎていた。普通なら泣き喚いても良かった筈なのだ。何も《悪》を演じる必要はあの少年には無かった。
確かに元ベータテスターだったという事実はある。
だがあの少年は、とても献身的だった。慕われこそすれ、疎まれ蔑まれる謂われは全くない。道理に合わない。
それなのに。それなのに、あの少年は、自ら《悪》を名乗った。自身の命の危険を自ら増やすような行為をした。
それは、止めなければならない事だと思った。まだ大人とは言えないが、それでも自分はあの少年より年上だ、なら叱っておかなければと思っていた。それだけで矯正出来るとは思っていなかったが、それでも、後の切っ掛けにでもなればと、そう願っての行動だった。
これから自分がしようとしているひっそりとしたクリスマスパーティーも、『死にたくない』という想いを引き出す為の一つとしたいからでもあった。楽しい想い出が多ければ、少しはあの命を擲つような行動も減るかと考えたから。
無論、それだけでは無いのだが。また確実とは言えないが。
けれど、約束の場所としているあらかじめ三週間前から借り続けている隠し宿に辿り着き、二階に上がった後、備え付けとなっているお風呂に入って身支度を整えようと思うくらい意識しているのは確かだった。
――――少しでも喜んでくれれば、良いんだケド……
そう思いながら、柑橘系の香りがする石鹸を使い、体と髪を洗っていく。
知り合いのアスナに較べれば、自分はまだ起伏に乏しい。女性らしさは体型からはあまり窺えずどちらかと言えば児童体型と言える方に傾いているとは自覚している。まだ期待は寄せられる年齢ではあるものの流石に無理かと悟り始めてもいる。
体が全てでは無いとは分かっているが、少しでも喜んでもらえたらと、何時にない思考があるのもまた事実なのだ。
――――人の事言えないナ。
他の人達がクリスマスの雰囲気に当てられていると思っていたが、存外自分も同じらしい。本当に何時にない思考だ。
自覚と共に苦笑を浮かべつつ、体と髪の泡を桶に張った湯で洗い流す。
それから並々注がれた湯舟に体を沈める。ざばぁ、と贅沢極まりないくらいお湯が溢れ出し、勿体無いなぁという思考が浮かんですぐ消えた。冷え切っていた足先や指先がジンジンと温められていく感覚が何とも言えず心地よい。
リアルに較べればグラフィックにも感触としてもそれなりの違和感はあるが、目を閉じればそうでもないし、慣れてしまえば気にならない。人間とは適応する生き物なのである。
たっぷり二十分は湯舟に浸かった後、流石に時間が時間なので入浴を終了。
手早く服を着た後にせっせと貸し切った隠し宿の二階に据え置かれたテーブルの上に、苦労して手に入れた数々の食べ物を並べる。最後に一本の瓶と二つのグラスを置けば完璧だ。
準備も終わったし、身だしなみも整えたので、後は主役が訪れるのを待つだけとなった。
「……まだかナァ……」
椅子に座り、プラプラと足をばたつかせる。待ち遠しくて堪らなくて、今か今かと待ち人を待つ。
そして、待ち始めて五分と経たない内に、コン、コココン、と特有のリズムで扉がノックされた。自分を除けばあと一人しか使わないノック音を聞いて喜びと共に立ち上がる。
木製のノブを回して扉を開ければ、そこには黒尽くめの少年が立っていた。前開きの黒コートに黒いシャツ、長い黒革のズボン、指貫手袋にブーツ、剣の柄と鞘まで黒という徹底ぶりだ。唯一白いのは女である自分すら羨むくらい滑らかなその柔肌くらいである。
「やっと来たナ。待ちくたびれたゾ、キー坊」
出迎えての開口一番に、女を待たせた事の文句を口にする。
と言っても約束した時間の十分前には来たから本当は言う必要も無いのだが。オネーサンとしては五分前行動が出来ている時点で十分合格である。
「……サンタ……?」
そんな自分を見て、少年ことキリトは困惑も露わに呟きを洩らす。
今の自分の服装は、普段の茶色のフードコートでは無く、所謂サンタのコスプレだった。
白いボンボンが付いた紅い帽子、肩口と胸元がはだけた紅い服、太腿を出した紅いミニスカート、黒いストッキングと紅い靴というその装いは正にサンタコス。
それも正道のサンタでは無く、うら若い女性が着る事を前提とされた少しエロの混じった女サンタコスである。もう少し育っていればこのコスチュームの魅力を発揮出来ていたかもしれないが、無いものねだりと考え思い切ってこれを選んだ。
ちなみにこの服、何気に防寒バフなる超貴重な特殊効果が付与されており、見た目に反して案外寒くなかったりする。ゲームならではのビキニアーマー方式だった。
そして彼の反応は正に自分が期待したものだった。
「そう、今のオネーサンはサンタ! クリスマスの夜、子供にプレゼントを贈るサンタダ! 今日はキー坊にクリスマスを楽しんでもらおうと思ったんだヨ!」
「……」
絶句とばかりに言葉を喪い硬直する少年の手を引いて、部屋の中に入れてから扉を閉める。
そしてテーブルの上に並べられた料理と飲み物を見て、更に彼は息を呑んで唖然とした。
その様子を見て、笑みを深める。
「キー坊はクリスマスパーティーに呼ばれてなかったダロ? だからオネーサンから、何時も頑張ってる良い子なキー坊にプレゼントダ!」
ふん、と鼻を鳴らして腕を組む。
このパーティーで出した料理や飲み物、そしてこのサンタコスの全ては、最前線攻略の情報を集め、纏める傍ら、空き時間をどうにか作って集めたものばかり。キー坊のクリスマスパーティーの為だけに、自分が独力で集め切った品々だ。
サンタコスは作る為のクエストも討伐依頼や素材収集依頼の全てを単独クリアした。料理と飲み物は各階層の街にある美味しいと評判の料理店からテイクアウトして来たし、耐久値が切れないよう時間計算まで全部しての行動。この部屋だって三週間前から借りていたのは絶対するという決意の顕れでもあった。
情報屋としては、一人のプレイヤーを贔屓する事は間違っている。
しかし――――今だけは、ただのアルゴ/一人の女として、この献身的な子供に報いてあげたかった。言葉だけの感謝では無く、想いだけの感謝では無く、形として労いたかったのだ。
「SAO中でキー坊ほど幸せな子は居ないだろうナ! 何せ貴重な女性プレイヤーがちょっとエッチなサンタコスで、ただ一人の為だけにクリスマスパーティーを開いたんだからナ!」
本当、今のSAOに限って言えば、自分がしたクリスマスパーティー以上のものがあるだろうかと思う。規模や華やかさで言えば攻略隊が全力で集めた品々を消費している第五層のパーティーに劣るだろうが、しかし質ではこちらも負けてはいない自信がある。
私はそんなに安い女では無いのだ。
「……あ、るご……」
「ン?」
そう思っていると、途切れ途切れに、震える声で名前を呼ばれた。
少年は、綺麗な黒水晶の如き瞳を涙に濡らしていた。頬を伝い、顎先から落ちているが、それを拭う事も無く、こちらを真っ直ぐ見上げて来て――――
「ありがとう――――」
「――――どういたしまして」
一言ずつ言葉を交わした。
そして丁度、日を跨ぐ。
私達はテーブルに対面では無く隣で座り、私が集めた料理に舌鼓を打ち、互いに普段の仮面では無い素のままで語らい、共に抱き合いながら寝床に就いて夜を過ごした。
勿論、寝静まった後、少年の腕の中にプレゼントを置く事も忘れない。枕元でないのは耐久値の問題があったからだが、抱き合っていたからこれでも良かった。
しっかりと起こさずに用意していたプレゼントを抱かせた後、私も少年の後を追うように睡魔に意識を沈ませた。
*
小鳥の涼やかな音色が耳朶を打つ。
「ん、うぅ……?」
冬本番ではあるが、それでもしっかりと聴こえて来る鳥の声によって意識を徐々に浮上させた私は、ベッドから上体を起こして軽く伸びをした。仮想の肉体も流石に筋線維まで再現している訳では無いが、リアルの頃からの習慣を行うだけでも多少は違って来る。
しっかりと両手や腕、体を伸ばし、脳内に蟠る睡魔を追い払った後、手をベッドに突き――――むに、と柔らかな何かが右手に触れた。
一体何だろうと思って右を見れば、そこには昨夜一緒にベッドに寝た少年が居た。自分の手は彼の腕に当たっていたのだ。
自分が用意したプレゼントを抱き枕代わりに抱えて眠りこけている彼の姿はあどけなく、華奢さと容姿も相俟って可憐に見える。その中性的な容貌からやはりまだ幼いのだと再認識させられる。
そんな少年の寝顔を眺めていると、何となく、特に理由も無く『頭を撫でたい』と思った。思い付いた理由は特に無ければ、それを妨げる理由も特に無いため、起こさないようにと注意しながら右手を動かし、艶やかな黒髪越しに小ぶりな頭を撫でる。
「んぁ……ぅ」
「――――ング」
撫でた直後、彼は小さな欠伸を一つした。すわ起きたかと身構える。
しかし先の欠伸は無意識的なものだったようで、既に丸まって寝ていた少年は更に背中を丸め、縮こまり、また穏やかな寝息を立て始めた。
それを見てほっと息を吐き、また頭を撫で始める。
数分頭を撫で続けた後、お腹が空いて来たため布団から出て、朝食を摂る為に簡単に調理をしていく。《料理》スキルは取っていないから簡単な加工程度しか出来ないが、それでも市販の『辛いだけ』や『香り付けだけ』の香辛料を駆使すれば、そこそこイケる味のものは出来なくもない。豪勢な食べ物は昨夜消費し切ったか耐久値全損で無くなっているから侘しいものだが、これはこれで良い物だ。
重要なのは食品や料理の豪華さでは無く、どれだけ相手を想って作ったか。
余程の事でも無い限りスキル未使用の加工食品は失敗判定にならないので、質素な方がまだ安全と言える。そういう意味でも中々良い。
準備中に一度朝靄が漸く晴れ始めた外に出て、黒パンを数個購入。帰った後に調理用のナイフを用いてパンを長方形に刻み、二枚のパンの間に香辛料をたっぷりまぶした干し肉と野菜を挟む。それを幾つも作る。
飲み物は、この隠し宿の一階で温かいミルクを貰えるので、そちらを利用する。
「あるご……?」
丁度ミルクを注いだカップを両手に持って戻った時、少年が目を醒ます。頭を擡げ、窓から入る陽光が眩しいのか薄く瞼を開ける彼は、こちらに焦点を合わしていた。
「おはよう、キー坊。丁度朝ご飯が出来たヨ」
「ごはん……ごはん…………ごはん……ご飯?」
サンドイッチを置いているテーブルへ更にカップを置きながら言うと、少年は何故か、初めて聞いたかのような反応を見せる。最初にこちらを見て、次にテーブルの上を見て、虚空を見上げ、納得顔をした。
その思わぬ反応に眉を顰める。
「まさかと思うケド。キー坊、もしかしてこの一ヶ月半、ずっと何も食べてないのカ?」
「だって……食べる必要、無いし」
「……ハァ」
《料理》スキルを取る余裕もなく、自分のように街のクエストをクリアして食料品を手に入れる事はおろか、そもそも殆ど街に寄り付かない時点で可能性として考えてはいたが、いやまさかと思っていたのだ。よもや本当に食べていないとは。
仮想世界で幾ら食べ物を食べようが、実際に現実で栄養を摂取している訳では無い事は百も承知。それでも自分達が食べ物を食べるのは偏にこの世界で『生きる』行動の一つだからだ。空腹も極限まで行けば集中力を乱すので、そういう意味でも食事は重要なものとなる。
現実と違って餓死する訳では無い。そういう意味では水を口に含む必要すら無い辺り、確かに便利だとは思う、極論我慢強ければ食事をしなくても良いのだから。
だが何か食べない限り空腹は消えない。むしろそれはドンドン悪化していき、最終的には集中を乱す最悪の要因にもなり得る。
この少年も、それは分かっている筈だ。それなのにこれまでの命を懸けたギリギリの戦い全てに於いて極限の空腹状態のままだった。常に万全を出せない状態で挑んでいたという事だ。
思わずため息を漏らしてしまったが、これは仕方ない事だと思う。
それと、あまりしたくはないが、これはちょっと言い聞かせておかないといけないだろう。
そうと決めた自分は、僅かにバツの悪そうな表情で目を逸らす少年の前で膝立ちになって目線の高さを合わせる。
「あのな、キー坊。何時も頑張ってるのはよく知ってるケド、せめてヒトとして当たり前な生活は維持しないといけないゾ。食事を摂らないなんてそんな、キー坊は機械じゃないんだからサ。お腹は空いてるんダロ?」
「……ん……」
諭すように問えば、少年は少し恥ずかしげに頬を染めながら首肯した。
それを見た自分は我が意を得たりとばかりに笑む。
「なら、そういう欲くらいは素直になっていた方が良イ。キー坊にとって好きな事をこの世界で出来るなら、そういう事は我慢しない方が良イ。自分を抑え過ぎたら辛いからナ……勿論、食事に睡眠もダ。オネーサンは知ってるんだからナ、ここ最近ずっと殆ど寝てないダロ」
「う……」
じろりと見やれば、図星のようで尚更バツが悪そうに少年は身動ぎする。
隠しているつもりなのかもしれないが、ほぼ毎日のように密に情報の受け渡しをしていればそれくらいの予測は立てられる。
「キー坊は『自分』を犠牲にし過ぎダ。だから今日の午前中くらいは休むんダ」
攻略隊は昨日今日の二日はずっと休みなので本当なら今日一日休んでも良いとも思うが、それを言ったところでこの少年は聞かないのは確実だ。何せ攻略隊が動かない事すなわち犠牲の減少に繋がるからと、これ幸いとばかりに情報を集めに走り回っていたのだから。
だから妥協案を突き付ける。極端だから突っぱねられる、なら折衷案にすればいいだけの話。
「……分かった」
その意図を持っていた言葉に、少年は折れた。こちらの意志が強い事を察したからかもしれない。この歳にしてこの少年は恐ろしく聡いからあり得ない話でも無いのだ。
その後、手作りのサンドイッチを食べた少年は仮想世界の料理の奥深さに感銘を受けたのか、料理の研究を自分の時間にする事を決めた。研究をしていれば必然的に食事も摂る事になるからという意図も含んでいるらしいが、どのような形であれ真っ当な食事を摂るのならこちらとしても否やは無かったので勧めておいた。
サンドイッチという簡単なものとは言え手作りのものを褒められた事で内心跳び上がっていたのは、本人には秘密だ。
このクリスマスは私にとって、『これまでの生涯最高の一日だった』と断言出来る、胸の高鳴りと暖かな慕情を自覚した想い出の日だ。
あの少年も、そうであってくれたら嬉しい。
そう思った。
はい、如何だったでしょうか。
丁度クリスマスという事で、デスゲーム中最初のクリスマスをお送り致しました。原典ではプログレッシブの時系列ですね。
何時かアルゴ単独回をするって言ったからネ(パーティーや行動が最早告白レベルな件)
アルゴのコスチュームはソシャゲだろうと据え置きゲームだろうと少ないからネ……その鬱憤を今話で(ミニスカサンタコスとして)晴らしたゾ! おムネのサイズはユウキとどっこいどっこい(リズ≧ユウキ=ラン=アルゴ≧シリカ)と想定してるヨ。
プログレッシブではキリトに忘れ去られていたクリスマス。プログレッシブではパーティーに呼ばれなかった《ビーター》キリト。ここは一緒。
原典ではアスナが寄り添った(無自覚にほぼ一緒に行動していた)
本作ではアルゴが寄り添った(忙しい中で超準備頑張った)
キリトの《料理》スキル取得&完全習得の切っ掛けはアルゴ(手作り朝ご飯付き)
睡眠時間を削るくらい必死なキリトがマトモな食事&睡眠を最低限取るようにしていた理由もアルゴの言葉。
キリトがアルゴを途轍もなく信用している理由もアルゴの想いによる献身故(わざわざパーティーまで開いた)
βテストの頃からの知り合い&デスゲーム初日からの苦労人関係は伊達では無いのだ。
何気に家族関係(義姉&電姉)を除けばユウキ&シノンとタイなんだゾ! 裏の関係を深く掘り下げれば義姉と電姉を除いてアルゴに対する好感度が一番高いんだゾ! 無論アルゴもキリトへの好感度は誰に対してよりも(義姉勢&男性陣除外)最高なんだゾ!
何この相思相愛的な好感度(白目) ある意味ユウキやシノン、ユイ達に勝ち目無いじゃないですかヤーダー(笑) 現状リーファ(告白済み)だけが有力な対抗馬ですネ。
それにしても最初から最後までアルゴとのいちゃいちゃにしようと思ったらシリアスになってしまった! まぁ、今更だがナ!
コレが黒ヶ谷クオリティだと思って、フルのいちゃいちゃストーリーを期待している方々は諦めて下さい。こうなってしまう自分に自分で泣いているので……
ちなみに、アルゴがキリトにあげたクリスマスプレゼントは今後の本編で出すつもりなので、まだ秘密です。
――――さて、年越しの場面は誰にしようかな( ´艸`)
今後も本作をよろしくお願い致します。
では!