家名を大事にするのが西の特徴であるが、この立花雪宗と言う男子生徒は少し変わっていた。家名も名誉もどうでもいい。こんな西国無双の剣士という肩書きより、学園生活を謳歌したいと考えていた。
だが俺がなぜ西国無双の剣士と言われるかというとある日のこと、当時小学生だった俺は得意の刀術で大人の格闘家や名が知れる拳闘家など、次々倒し、九州にて剣術ではもちろん、それ以外の決闘でも無敗記録を維持したため、大人顔負けの強さで将来性があることと立花宗茂のところから肖り、西国無双の剣士と言う肩書きをもらった。
幼少期から好きで鍛錬をし、剣術一つを極めるために鍛錬をしていた。なぜ剣術であるかと言うと、先祖である。立花道雪の雷切の逸話を聞き、剣術を是非極めたい。また雷切のような名刀の一振りを振れる男になりたい、そう小さいころは憧れを抱いていた。故に好きだからこそ強くなった。そういった節もあった。
基礎鍛錬から、精神鍛練、素振り、乱取り、殺陣を父と一緒に鍛錬を熟し、中学の1年では父に一本取れるほどまでに至った。また、立花家の秘伝奥義なども伝授するのに大変だったが、苦ではなかった。崖から突き落とされたり、川で鍛錬している際足を滑らせ、溺れそうになったりもしたが、今ではいい思い出だ。
鍛錬など闘いが苦ではないのならなぜこのようなことを考えたのか? 理由はこの肩書きのせいで毎日決闘、確かに闘いたいが、無謀な者や冷かしで決闘を受けるときはかなりの苦痛であり、時間を奪うことすら腹立しいと思ってしまうからだ。それにこの時間が自分の好きな鍛錬の途中だったり、休憩時間だったりと時間を奪うから余計に苦痛に感じる。一番酷かった例としてはこのようなことだ。
俺には親父と母と俺の3人家庭だ。母は比較的穏やかであるが、親父自身はどんどん決闘して家名を上げろという俺とはまったく反りが合わない。この決闘がたとえ俺が鍛錬中でも学校の行事ごとだとしても決闘しろの嵐で鬱陶しい事この上なかった。
その亀裂に止めを刺したのは、俺が中学一番楽しみにしていた修学旅行の途中で親父から太陽の子メッシといわれる男と決闘しろと言われた。俺は学校行事が終わった後でもいいだろうとゴネたが、NOと断った。そして帰ってきた日に親父に罵詈雑言の嵐を受け、お前は家名を上げることだけを考えればいいと言われた。
家名、家名、家名と俺の一生で一度しかない学園生活より名誉のほうばかり目を向けるこの環境に我慢できなくなり、俺は家から出て行き、親戚の伝手を駆使して、天神館の学長をしている鍋島正の家へと転がり込んだ。最初は驚いていたし、俺自身も無理なお願いしていることは分かっていた。事情を説明し、OKをしてくれた。俺は鍋さんの度量の深さに感無量な思いだった。
天神館に入学と同時に天神館の学長である鍋さんに相談し、自分の置かれている環境や愚痴などを零しながら頼んだ結果、鍋さんのお眼鏡適うやつとだけ決闘件を与えるという制度を設けてくれた。
自分の時間が与えられ、決闘の時間が苦痛に感じないし、強者だけあって学べるところや自分の剣術の見直し、次に繋げられる。正に一石二鳥だ。そういう意味では鍋さんは本当に俺にとっての恩人であり、師である。
当時電話越しから親父には猛反対されたが、雪宗の道は雪宗の道と母親に説得され、何とか折れてくれた。あの時折れていなかったことを考えるとゾッとする。
出世街道と謡っている石田三郎にはよく十勇士に勧誘されたが、断り続けた。理由はやはり団体で行動するより個人で行動した方が俺の性に合うからだ。石田には悪いが、断らせてもらっている代わりに十勇士と鍛錬することは別に断らなかった。だって、西方十勇士の連中は中々骨がある連中ばかりで、俺自身も学べるところが多いからだ。お互い励む関係は嫌いじゃない。
またその仲で島とはよく槍の鍛錬に付き合っている。なぜ刀を扱う俺がやりの鍛錬に付き合うか、それは興味本位であり、極める気はないけど、やっておいて損はないと思ったからだ。鍋さん曰く島は槍の筋がよく、この天神館の2年の中ではトップクラスであろう。
島自身温厚で礼儀正しい故に人間的に好感を持てる、だからよく食堂で一緒に食べる仲であり、勉強を教えてもらう仲である。だが、島は石田のことに気を取られすぎているのが、玉に瑕だ。それさえなければ、個人戦でも団体戦でも真価を発揮するのではないのかと思う。
このようにようやく自分自身の時間が取れるようになった。技術は落ちない程度に適度に鍛錬しつつ、鍋さんの個人的なキツイ鍛錬をこなし、たまには遊びに行きと、まさに俺の悲願である学園生活を謳歌した。そして月日は流れ、2年の春になった頃である。
天神館の学園長室に呼ばれた俺は鍋さんからこのように言われる。
「お前、川神学園に行ってみたくはねえか?」
川神学園といえば、確か武神である川神百代がいる町として有名だ。それ以外でも武士の家系の血を引くものが多い。さらに総本山である川神院に鍋さんの師匠である川神鉄心がいる。是非会ってみたいとは思ってはいたが、この地を離れるのもいささか名残惜しいところはある。なぜ? と鍋さんに質問すると二カッと笑みを浮かべてこう告げる。
「この天神館での学園生活もいいがよ、おめえには川神学園も悪くねえかなってな。それに今のお前なら2年間の留学だと思って、ちょっと刺激を受けるのも悪くねえ」
迷いはあるものの鍋さんが俺のために思って川神学院に行ってこいと言っているんだ。それにこれはチャンスかもしれない、これよりもっと自分を高める環境ができるかもしれないと、決闘三昧だったら嫌だけど、環境下に刺激されることは悪くない。
天神館での環境下も悪くないけど、さらに刺激され自分を高められる場所があるのなら俺はそこに行きたい。そして自分にも雷切を所持して恥じない剣士になりたい。
「分かりました。それではこのチャンスありがたく、掴ませて貰います」
この返事に納得した鍋さんは、川神学院への編入手続きをし、荷物も纏めてくれた。川神学院に行くことを両親にも報告し、親父は家名を上げて来いと煩かったが、小学・中学ほどではなかった。少し鍋さんに絞られ節もあり、強くは言えないのだろう。母親も行くことを了承し、かわいい女の子を見つけてこいと茶々を入れられた。
また、天神館で1年世話になった。学友の島はじめ、十勇士全員とも別れの挨拶を告げ、惜しまれつつも、行ってらっしゃいと言ってくれた。まあ、この日出発の門出ということで十勇士全員と決闘をした。十人を一辺に相手はできないため、初日から3日で分けた。
初日では石田の光龍覚醒後の戦闘力と大村が隠していた真の実力には驚かされたりしたけど、勝ちはした。まあもっとも大村に関してはサシの勝負は二度とやりたくない。次戦ったら、どう転ぶか分からないからだ。それぐらい大村は手強かったし、僅差であった。
それ以外にも後日は、毛利の3本矢、長宗我部のオイルレスリング、大友の大砲国崩しとそれぞれに特徴のある攻撃に惑わされずにきっちり倒しはしたが、全員1年のころに比べて遥かに強くなっているのを実感して、もう少しこいつらとも学園生活を謳歌したかったとしみじみ感じる。互いに武を高めあいたかったなと。
決闘終了後石田からは次は出世街道を走る俺がお前を倒してみせると約束され、そのまま何も言わずに立ち去った。島からは某も一人の武士としても御大将を支えられる立派な武士になるだから、お主も頑張れと激励された。大友は笑って見送ってくれた。東にいる板東武者に立花の名を轟かせるなら、お互い西国武者の気骨を忘れるなと。
こうしてそれぞれから別れの洗礼を受けた俺は飛行機に揺られながら、神奈川にある川神へと向かっていた。
名誉などはどうでもいいが、己を高め、西国武士の気骨を知らしめ、なにより雷切を所持して恥じない剣士になると誓った。
「だから、よろしく、俺の相棒」
竹刀袋に入れている俺の相棒ともいえる、雷切にも誓ったのである。
――――今、一人の西国無双の剣士と言われた男が川神の地に降り立つのである。
――――ここに川神の歴史が動こうとしていた。
「川神かぁ。しょうがねえ、力が最恐であることを証明するかぁ!」
札幌の航空便にて羽田行の航空券を左手で握り、そして右手に川神学園の制服を持った大柄の男は獲物を求めるが如くの貪欲なオーラを漂わせる。
――――この時西国無双の剣士だけでなく。ドイツの軍人中将の娘、さらに北国の最恐も川神学院に集合するとはこの時は誰も予想はつかなかったのである。
西国無双の剣士・北国の最恐は実際の真剣で私には恋しなさい!には実在していません。オリキャラなのでご了承ください。
ここまで読んでいただきありがとうございました!