なんとなーく気恥ずかしくて、憎っくき背中をいつまでもぽふぽふしていると、いつの間にか辺りは駅前の喧騒の景色にすっかり変わっていた。
だから昨日の帰りに引き続き、学校から駅まで近すぎるんだっての……!
……あれ? 今朝の登校時は、この長い道のりが地獄だの拷問だの文句ばっか言ってなかったっけ、うち。ま、いっか。
比企谷と奉仕部のみんながうちを認めてくれたから、嬉しすぎてついつい泣いちゃったけど、何も話せぬままあと少しで駅に到着してしまうという事態にここまで来てようやく気が付いたうちは、思わず頭を抱えたくなった。
──うわぁ……! うちなにやってんのよ! せっかく一緒に帰る為に、降り注ぐ紫外線に目を瞑って駐輪場でわざわざ待ってたってのに、褒められて嬉しくなっちゃって、照れ隠しにぽふぽふしてたら帰り道終わっちゃったよ!
まだ目的果たせてないじゃんよ!
「……ん! んん!」
失態に気付いたうちは、わざとらしく咳払いをしてヤツの注意を引き付ける。
やっと頬を伝ってた水滴も乾いてくれたしね。
「……な、なんすかね」
わざとらしい咳払いで『なんか呼ばれてる』と理解した比企谷は、キョドりつつそう声をかけてきてくれる。うちの顔を見ちゃわないように、あくまでも前を向いたまんまで。
そういうトコはなかなか気が利くヤツだとは思うんだけど、いつまでも泣いてないっての! てかそもそも別に泣いてないし!
そう主張するかのように、うちは無言で歩調を早めて比企谷と肩を並べた。
「……なによ」
いきなり隣に並びかけてきたうちの顔を、遠慮がちに横目でチラチラ見てくる比企谷。
「いや、別に……」
「……あっそ」
……うぅ、こいつの前で泣いたのってこれで何度目だっけ……? ホント最近涙腺がゆるゆるで困る……
おっと、羞恥でまた忘れちゃうトコだった。なぜ今日比企谷との帰宅を望んだのかを。いや、なぜもなにも帰れるんなら毎日一緒に帰りたいけどさ。
「ね、ねぇ、比企谷」
「おう」
「うちさ、あんたに話があるんだった」
「……は? 話ってもう終わったんじゃねぇの?」
あのねぇ……「うち何にも出来なかった」って泣き言を言いたかったが為に、わざわざ待ってたわけじゃないっての……
「……違うから、まだこっからだから」
よっし、とりあえず要件を告げる準備は整ったな。このまま言えずじまいでお別れになっちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしたから、ひとまずは安心安心。
「あの、さー……」
……それにしても、んー……まさかコレを今日言うことになっちゃうとは思わなかったなぁ。今更ながらにバクバクしてきちゃった。マズいマズい、また顔が熱くなってきた。
ファイトだ南! 別に昨日話した話をするだけなんだから、そんなに緊張することないぞー! おー!
散々ご迷惑をお掛けしちゃった城廻先輩の応援を背に、うちはこくりと咽喉を鳴らせて口を開くのだ。
「……比企谷さ、いつウチに来んの……?」
こんな、まるで誘ってる女みたいなふしだらなセリフを吐く為に……
× × ×
「は?」
うちの渾身の質問に、さも当たり前のように意味が分からないという顔で立ち止まる比企谷。
ま……そうくると思ってたけども。
「は? じゃないから。昨日約束したばっかじゃん。国語学年三位とか威張ってるあんたの記憶力はそんなもんなの?」
若干イラッとしたから、おかげさまでバクバクしてたうちのノミの心臓が落ち着きました。緊張と羞恥が解けて逆に助かります。
やっぱこいつのムカつき具合って、うちの発奮材料とか活力源なんじゃないかしら。つまり比企谷はうちのこの先の人生において必要不可欠な存在と言えるまである。
ヤバい、うち思考が完全に比企谷ってるよ。比企谷に侵食されちゃってるよ。
あー、いやだいやだ。ふひ。
「忘れたわけじゃねーよ……た、ただアレだ、それって……まだ先の話じゃなかったっけ……?」
「なんでよ」
「いや、だって昨日…………あ」
こいつめ、ようやく理解したか。
「……依頼、今日終わったんだけどー」
そう。うちが比企谷の口から引き出させた約束は『千佐さんの依頼が済んだら』。
比企谷の中でも、あの依頼がこんなにも早く片付いてしまうという考えが無かったのだろう。
つまり比企谷の中では、
依頼完了はしばらく先→相模の家に行かなきゃいけないのはさらにそのあと→つまりソレはずっと先のお話
って固定観念になっちゃってたんだろうね。
フッ、バカめ。
「だからさっき依頼が終了した時点で、早くうちの家に来なきゃなんないっていうミッションが発動しちゃってるワケよ、あんたは」
「ぐっ……! マジか……」
「そ、マジマジ。だからいつ来るか早く決めてくんない? ……まさかとは思うけど、約束を反古にしたりしないよ、ね……?」
ニヤァっといやらしく歪むうちの可憐で瑞々しい唇。
とてもじゃないけど、お年頃の乙女が人に……それどころか好きな男に見せていいような顔では無いだろう。けどさ? しょーがないじゃん、比企谷に対してはポーカーフェイスが出来ないんだから。
「な、なにもそんなに急がなくても良くな…」
「言っとくけど、今朝お母さんに比企谷が来るって了承したこと、もう話しちゃったから」
「ちょ……報告早くないですかね……?」
「で、お母さんちょー楽しみにしてっから。これでもし約束を反古するような事になったら…………さーて、どうなっちゃうのかなぁ? 美少女中学生のお話とかが、部室で思わず飛び出しちゃうかもー」
そう言ってニヤニヤと比企谷の顔を覗きこむ。
ふふふ、さっき泣かされた仕返しっ。
「……お前マジ最悪な」
「は? 昨日約束したくせに、先のばしにした挙げ句に無かった事にしようとしてる方がよっぽど最悪じゃんよ。どーなのよ、ん? ん?」
やっばい超楽しい。比企谷のぐぬぬ顔見てるとゾクッとくる。
……うちって、ちょっとSっ気があったりするんだろうか……?
「んで? いつにする? なんなら今から行っちゃう?」
「勘弁してくれ……」
「ひひ」
ま、今から来られてもうちが困っちゃうんですけどねー。せっかくだから色々と準備してお持て成ししたいし、どうせなら比企谷との一緒の時間を、思いっきり大切に過ごしたい。
……と、その時、うちの頭の中に“あの日がいい……”と強く強く浮かんできた日があった。
こんなに早く比企谷をお招き出来るとは思わなかったから考えから排除してたんだけど……うん、今なら……
「んん……! ったく、しゃーないなぁ。……じゃあ、ちょっとだけ心の準備が出来る時間をやろうかな……?」
「……あん?」
「……あと一週間もすれば夏休みじゃん? ……だからさ、夏休みまで待ってあげる。その代わり日時はうちが指定するから。うん、決めた。異論反論一切認めないので」
「……なぁ、しゃーないって割に、それ別に俺にメリットなくねーか……?」
「……あっそ。じゃあ今から行こっか」
「相模さんのお好きな日時をお選びください」
「よし」
ぷっ、超笑える! もううち、比企谷なんかに負ける気しない。
愕然とした表情で敗北を認める男子高校生と、それを満足そうに見つめ、偉そうに腕を組んでうんうん頷く女子高生の不思議な構図は、駅前でさぞや目立っている事だろう。ヤバいまた顔がニヤケる。
「んじゃ決定ね。帰ってお母さんに報告したら日時を連絡するから」
そしてうちは、ここ数週間ずっと狙っていた、ある大切なモノを手に入れるチャンスにこの瞬間気付く。
すっごい自然な流れじゃん!
「……んじゃあ、さぁ……そ、その」
すっごい自然な流れだから、なんてことない顔して、なんでもないような感じで普通に聞けば問題ないはずなのに、なぜか途端に緊張が始まるヘタレなうち。
お、おかしいな……こういうのって、いつもどうやって聞いてたっけ……?
えーい、女は度胸! どうとでもなれっ!
「ひ、比企谷の……れ、連絡先、教えといてよ……」
……ひ〜! 言っちゃった、言っちゃったよ……!
男子の連絡先聞くのって、こんなに緊張したっけ!? な、なんかこう、もっとノリと流れで普通に聞けるもんじゃなかった……?
「……なんでだよ」
……む、なにこいつマジでムカつく。人の気も知らないで、なんなの? マジで。
「は? そんなの、連絡先聞いといた方がなにかと便利だからに決まってんですけど。何月何日何時何分ウチに来いって連絡するからに決まってんじゃん。ちょっと考えれば分かるでしょフツー」
ホンっト、うちがどんだけ頑張ってこんな恥ずかしいセリフを口にしたと思ってんのよ。そんな嫌っそうな顔しちゃってさぁ……
なんなの? うちに連絡先教えんのがそんなに嫌なワケ? 普通に凹むからやめてくんない?
「いや、だってお前、俺のメールアドレス知ってんだろ。結城とかに勝手に聞いて勝手にメールしてきたじゃねぇか」
……あ、成る程そういう事か。確かにうち、こいつに一回メール送ったわ。
良かったぁ……そんなに嫌なのかと心配しちゃったじゃない。
「……あ、あれはまた違うじゃん……ひ、人から聞いたヤツじゃなくて、ちゃんとお互いで納得した上で交換しなきゃ、意味ないじゃん」
「? よく分からんが、そういうもんなのか?」
「そーゆーもんだから。だ、大体さぁ……あん時のアドレスなんて速攻で削除しちゃったし、で、電話番号までは…………し、知らないし」
終わりに向かうにつれて、だんだんと尻すぼみになっていくうちのセリフ。
もう! この鈍感バカ! うちはあんたの電話番号が聞きたいの! いつでもあんたの声が聞ける資格が欲しいっつってんのよ! いい加減気付けよバカ!
……ちなみにあの時のアドレスはもちろん消してないし、それどころか送ったメールは保存してあったりする。
「ま、まぁ? うちに教えたくないっていうんなら別にいーんだけど……?」
ふんっ、て感じでそっぽを向いて、超低音でぽしょりと二の句を続ける。
「……明日部室で日にち指定してやる」
「お前悪魔かよ……」
あんたが悪い。羞恥に耐えて連絡先を聞こうと頑張ってる乙女に対しての態度が悪すぎるあんたが全部悪い。
「ほれ」
だいったいさぁ! なんでうちから連絡先なんか聞かなきゃなんないワケ!? こういうのは、男子からお願いします教えて下さいって頭さげてくるもんなんじゃ……って、
「へ?」
なんか比企谷からスマホ渡されたんですけど。
「な、なにこれ」
「あぁ、それはスマートフォンっていう暇潰し機能付きの目覚まし時計でな」
「誰もスマホの説明求めてないから」
そもそもスマホの説明おかしすぎだから。
「……そうじゃなくって、な、なんで携帯をうちに渡すの……?」
「連絡先を交換する機会があんまないから、使い方がよく分からん。勝手に登録なりなんなりしてくれ」
「い、いやいやいや、普通、携帯って他人に気軽に渡せるもんじゃないでしょ……」
「別に見られて困るようなもんは無いから問題ない」
マジですかこの人。
これはうちが信用されてるって喜んでいいのか、誰に対してもこうなのかと悲しんでいいのか分かんないな。どうせ後者だろうけど。
それでも…………どうしよう、ちょっとホッとしちゃってるうちが居る。
だって見られて困るようなものが無いって事は、うん、そういう事じゃん。
たぶん無いだろうなとは思ってたけど、もしかしたら……もしかしたら……雪ノ下さんかゆいちゃん、あと一色さんのどれかとこっそり付き合ってんのかも……とか思ってたから。
「おい、なんでニヤニヤしてんだよ……なんか人の携帯で良からぬこと考えてんじゃねぇだろな……」
「べっ、別にニヤニヤなんてしてないし!?」
あっぶな! 超顔に出ちゃってんじゃん……。うちどんだけ顔に出やすいのよ。
「……んん! さ、さてと……んじゃあ、パパッと済ませちゃいますかっ……!」
そしてうちは震える指先で比企谷のスマホをタップする。
まさか、うちが比企谷のスマホを操作する事になるなんて……。どうしよう、めっちゃ緊張する。好きなヤツのスマホを弄るとか、浮気を疑ってる彼女とか奥さんくらいにしか与えられてない権利かと思ってたよ。いや、彼女にも奥さんにもそんな権利は与えられてないけども。
そして嬉し恥ずかしワクワクで先へと進んで行くと……
「うわぁ……」
思わず声も漏れ出ちゃうってもんですよ。
「悪かったな、登録数が少なくて」
「え、あ、うん……」
うちの微妙な返事に顔をヒクつかせる比企谷だけど、違うから。あんた、なんでうちが思わず声を漏らしたか勘違いしてるから。
──女ばっか……
登録数が尋常じゃなく少ないってのに、数少ない登録者が女ばっか。しかも綺麗どころばっか。
小町ちゃんは当然として、雪ノ下さんと平塚先生は分かる。うちの復学の依頼で交換したみたいから、由紀ちゃんと早織ちゃん、優美子ちゃんも分かる。
でもこの留美とかおりって誰よ……こいつ、まだうちの知らない女とか囲ってんの……? ま、まぁ見られて困るもんは無いらしいから、まだまだ大丈夫、だよね……?
……それにしてもこれは……
「なによ、この『☆★ゆい★☆』と『愛しの後輩いろはちゃん』って……」
「知らねぇよ……あいつらが勝手に登録しただけだ」
……いやまぁ分かってたけどさ、あんたがこうやって相手に登録させてる時点で。
だからってこれは……さすがに直せよお前。
しゃあないなぁ、んーっと……スイッ、スイッ、スイーっ。
ん……性、悪、小、悪、魔……で、登録完了っと。
まぁゆいちゃんは友達だし、可哀想だから武士の情けでそのままにしといてあげよっかな。
ふぅー、無事ひと仕事終えたうちは、ついにメインイベントに突入する。ついにうちの情報が比企谷のスマホの中に入るのだ。現在色んな意味で遅れをとっているうちは、こんなトコでも少しでも目立たなきゃね。
☆★ゆい★☆とか愛しの後輩いろはちゃんにも負けないように!
「んふふ」
よっし、登録完了っと! これ見た時のこいつのうんざり顔が目に浮かんで超笑える。
「……なぁ、マジでお前なんか悪巧みしてたろ。さっきからずっと悪そうな笑みをたたえてんだが」
「は? 別に笑ってもなければ悪巧みもしてないけど?」
そんなすぐバレる嘘を吐いて、「ほいっ」と比企谷にスマホを返す。
んー、今日は最高の日だなぁ。早く帰って日記つけよ。
「比企谷」
これで今日もこいつとお別れ。
やっぱ名残惜しくて仕方がないけど、でもうちは、また比企谷との素敵な明日を迎えられる、とても大切なものを手に入れられた。
「おう」
それは、こいつに認めてもらえる事の喜びの気持ち。
これさえあれば、うちはこの先もどこまでだって頑張れる。
「えと、えへへ、今日はホントお疲れ!」
そして夢にまで見た比企谷の連絡先!
これさえあれば、いつだって比企谷の声が聞けるんだ。……どうせうちの事だから、ビビって電話なんてなかなかかけらんないだろうけど。
でも、いつでもこいつに電話出来るという資格が手の内にあるという事実が、うちをどこまでも舞い上がらせてくれる。
「……お、おう。お疲れさん」
そんな隠しきれない歓びが顔に出ちゃったんだろうね。比企谷はうちの顔を一瞬だけ見ると、照れくさそうに視線をすっと逸らした。
ん? そんなにうちの笑顔が可愛かったのかい? ふふふ、だって仕方ないじゃない? ポーカーフェイスが出来ないんだから。
「んじゃね〜! たぶん今夜電話するから。出なかったら〜……」
「わぁったよ。出ます出ます。……じゃあな」
ぶんぶんと手を振って改札へと走っていくうちに、相も変わらぬ比企谷のめんどくさそうなお返事が追い付いてきた。
やっばい、これで今日はお別れかと思いきや、今夜また話せるんだ!
改札を抜けて振り向くと、比企谷はまだ立ち去らずにうちを見ててくれてた。
女の子の姿が見えなくなるまで立ち去らないなんて、南ポイント結構高いんじゃない?
うちはそんななかなかにジェントルマンな比企谷にもう一度小さく手を振ると、抑え切れない頬の弛みを隠すように勢いよく階段を駆け上がる。
そして、駆け上がりつつ思いっきりニヤけるのだ。うちのスマホに登録した八幡っていう変な名前と、比企谷のスマホに登録したうちの変な名前を思い浮かべながら。
み☆な☆み☆ん
続く
今回もありがとうございました!
大切なモノ→八幡の連絡先でした☆
そしてこれでようやく一段落!前作の終わりから長いことお待たせしてしまいましたが、次回からついにお宅訪問編へと突入します!
が、しかしっ!
申し訳ないです><
もしかしたら次回の更新が結構遅くなるかもです(汗)
ホントすみませんが気長にお待ちくださいませm(__;)m
ではではっノシ