「僕の考えていたことは夢物語だったのかもしれない。怪獣を保護しようなんて……」
「百年前には、宇宙ステーションの建設も、誰もが夢物語だと思ってたよ」
「五百年前までは、地球が丸いなんて、誰も考えてたこともなかったんだよ」
「だから、初めて船乗り達が、海の向こうに大陸を探そうとした時も……
誰もが不可能だ、夢物語だと言った。
百年前、初めて人が、小さな飛行機で空を飛ぼうとした時も……
初めて人が宇宙を目指そうとした時も……やっぱり、誰もが夢物語だって言った」
「実現するまではいつも、夢物語なんだよ」
「人間が、地球で生まれた怪獣と、可能な限り一緒に生きていこうとする」
「そんな話、今は夢物語かもしれない」
「けどあんたは、それがいつか実現すると信じて来たんじゃなかったの?」
―――あるウルトラマンと、ある女性の会話
人質を取ったことで、ゾグは人の口を得た。
人の口を得たことで、ゾグは人の声を得た。
言葉は武器。言葉は刃。上手く使えば、より効率よく破滅をもたらせる。
『主は、苦しんでおられる』
『人よ、滅びよ』
『お前達が人類史の中で、他の生物にずっと押し付けてきた滅びを、受け入れよ』
『多数を生かすための犠牲として必要な少数の犠牲となる運命に、抗うな』
『お前達が滅ぼしてきた種族と同じく、お前達も滅びる番が来た。ただそれだけのことなのだ』
『根源的な破滅を受け入れよ』
『人は滅びる。地球も滅びる。それらは、最初から無かったことになる』
『この宇宙に地球が誕生したことで生まれた影響は、全て消えてなくなる』
『我々が、全て消す。地球は最初から存在しなかったことになる』
『それが根源的破滅。根源の破滅とは、最初から無かったことになること』
『恐れるな。怯えるな。拒絶するな』
『どうせ、その感情もすぐに無かったことになるのだから』
ゾグが空で繰り返す声を目覚ましに、羽次郎は意識を覚醒させた。
「う……」
「起きたか」
「……石室、先生?」
羽次郎が体を起こせば、そこは彼の部屋だった。
はっきりしない頭で周囲を見渡せば、椅子に座る石室、嬉しそうに吠える子犬のキサブロー、ベッドの端でうつ伏せに体を預けてくかーと寝ているリナールが見える。
羽次郎は自分が何故ここにいるのか、記憶を順に辿ってその理由を判明させようとする。そして、先の戦いの顛末を思い出した。
「そうだ、母さん! 兄さん! それに根源的破滅招来体! ……づっ」
「無理はするな」
羽次郎の体にはところどころ包帯が巻かれている。
深い傷は多くなさそうだが、体表の小さな傷と、体内に浸透しているダメージが有るようだ。
「……はっ、寝てない、私寝てないよ、リナール寝ないよ」
「ぐっすり寝ていたぞ」
「こ、この体のせいだから……」
彼をずっと看護している内に寝てしまったらしいリナールの起床を見て、羽次郎はあの時、ゾグが攻撃を仕掛けて来た後の事を思い出していた。
「そうだ、あの時……」
ゾグが放った波動弾が迫り来る。
だが、一時的にアグルの光となっていたリナールが分離、羽次郎の体を引っ張ったことで、羽次郎だけは波動弾の直撃を避けられた。
「くうっ」
光太郎の遺体はバラバラになってしまったが、もはや羽次郎にもリナールにもそれを気にする余裕はない。
二人は波動弾の余波で吹っ飛ばされ、木々の合間を転がされてしまった。
「くっ、あの威力で連射できるっておかしくないか……!?」
ゾグは恐るべき脅威であった。ウルトラマンでも倒せる威力の波動弾を人間サイズの目標に撃つばかりか、倒せていないと知るやいなや間髪入れず連射してくる。
一射目は回避できても、この二射目はかわせない。
「アグル!」
リナールは体を張ってアグルを守り、希望を後に残そうとするが、その抵抗はあまりにも儚い。
「っ!」
これで終わりか、と思われた次の瞬間。
羽次郎とリナールは赤い光に包まれて、一瞬で街中まで移動させられていた。
赤い光が、二人をゾグから救ったのだ。
「この光は……ガイアの光……」
「……兄さん」
ありがとう、と羽次郎は言おうとしたが、言い切れずに倒れてしまう。
「! ハネジロー? アグル? だ、大丈夫!?」
ここ数日の正常とは言い難い日々と、激しい戦いにV2の力の負荷が加わって、羽次郎は気絶。深い眠りについてしまっていた。
それから約三時間の後に、リナールに自宅まで運ばれた羽次郎は、自宅で目を覚ましたというわけだ。
部屋の時計を見れば、あと一時間と少しで夕方になるくらいの時刻であった。
「ガイアの光が……兄さんが、守ってくれたんだ」
最後の最後まで、光太郎は人を守る者で在り続けた。家族を想う者で在り続けた。根源的破滅招来体の手の平の上だったとしても、それは変わらない。
「そうか。奴は、お前に自分が兄であるということを明かしたのか」
「え?」
「機を見て言うとは言っていたが、そうか。言いそびれることはなかったのか」
羽次郎の中に、ふっと疑問が湧いてくる。母と知り合いで、兄のこともよく知っているらしい、自分の教師であるこの男は、一体何者なのか。
「石室先生。あなたは、一体……」
「俺も奴の仲間だった。それだけだ。リドリアスや、飛鳥さんや、早田さんのように」
「奴……?」
「お前達の父親だよ。つまり――」
石室は笑む。
「――お前と光太郎の父親もまた、ウルトラマンであったということだ」
「!?」
そして、笑みを浮かべたままとんでもないことを言い出した。
「僕らの父親が、ウルトラマン……!?」
「意外か? ウルトラマンとは単一の神ではない。唯一神でもない。
それぞれの時代で、邪悪から命と平和を守る正義の使者の通称だ。
ゆえに、時代ごとに異なるウルトラマンが居ても何らおかしくはない」
姿を隠すウルトラマンも居ただろう。
時代の陰で戦うウルトラマンも居たはずだ。
羽次郎と光太郎の父は、位相をずらす力を持ち、怪獣頻出期の前に宇宙から来た宇宙怪獣を叩き出したウルトラマンだったのだと、石室は語る。
「地球を守る役目は、誰かから誰かへと必ず受け継がれる。
時に人から人へ。
時に人からウルトラマンへ。
時にウルトラマンから人へ。
時にウルトラマンからウルトラマンへ。
お前が手にした地球を守る力と使命も、誰かから継承したものかもしれない」
ガイアとアグルの前に地球を守っていたウルトラマンが居ないと、何故言えるのか。
ガイアの光とアグルの光を、以前に地球から与えられた者が居ないと、何故言えるのか。
羽次郎は目からウロコが落ちた気分だった。
自分達の前に、ウルトラマンが居たという事実に。
一度も会ったことがない父がそうであったという事実に。
そして、怪獣がまだこの地球に沢山生きているということは、これまでのウルトラマン達が皆、地球怪獣の根絶なんてことを望まなかったのだという事実に。
「お前のそれは、どこかの誰かから受け継がれた光の絆なんだ」
「……光の、絆」
「この地球を守っていた先人からお前達へと、その絆は連綿と繋がれている」
どこかの誰かが世界を守り、子に世界の未来を託した。
一人のウルトラマンが力尽き、次のウルトラマンに世界を託した。
散っていった兵士の一人が、ウルトラマンの背中に平和を託した。
世界とは、そうやって世界を守ってきた誰かの努力と、死と、戦いの果てにある。
そういった者達が誰か一人欠けていたとしても、今の世界はなかった。世界とはそういう物だ。
石室は、それを光の絆という言葉で表現した。
羽次郎は今、そうして過去からずっと繋がれてきた"世界を守るための戦い"というバトンを、多くの人から渡されてこの世界に立っている。
羽次郎が世界を守れなければ、世界は滅びるだろう。
それはこの地球の命全ての終わりを意味する。
同時に、世界を守ろうとした過去の人間全ての努力を、無に返すということでもあるのだ。
残酷な間違い方をしてしまったが、それでも世界と羽次郎の命を守っていた早田光太郎の戦いも命も努力も遺志も、きっと全てが無かったことになる。
「見方を変えるなら、この世界こそが、その繋がりと言えるのかもしれんな」
過去に世界を守った人達と、今世界を守っている羽次郎と、未来にこの世界を守る人達。
その間には、"世界の未来を託した"というか細い繋がりがあった。
「お前が生きている今日は、過去に誰かが命がけで守った未来なのだ。
そしてお前が守った未来が、いつかの未来に、誰かが生きる今日になる。
星を、そして世界を守るということは、そういうことだ。飛鳥羽次郎」
父が守ってくれた今日を生き、晶と権之介が信じた自分を貫き、光太郎から想いを託された今、羽次郎にはその繋がりの存在が何となく分かる。
(……そうだ。一人で世界を守っている、なんて気負いは捨てよう。
この世界は色んな人達が守ってきた、そして未来ではまた別の人が守る世界なんだ)
羽次郎が命尽きた後、新たなる脅威が地球を襲ったとしても、その時はまた誰か別の者がこの世界を守っていくだろう。
それが地球に生きる命の在り方。
寿命に限りがあるために、後を誰かに託し続けてきた命のサイクルの形。
羽次郎は今日この世界を守り、未来の誰かに託すという使命がある。
たとえこの地球に、もうウルトラマンが彼一人しか居ないとしても。
「話を戻そう。お前達の父親の話だ」
「……」
「一途で誠実な男だったが、記憶喪失になっていた時期があった。
そのせいで意図せず二人の女に……いや、これは話さなくていいことか」
「あの、それモロに僕ら兄弟に関わる話じゃないでしょうか」
「これは話さなくていいことだ」
「ゴリ押し……!?」
"異母兄弟だった"という真実、"兄弟が二人とも父親のことを知らなかった"という事実に、何だか嫌な理由がありそうな気配を羽次郎は悟った。
サブカル的かつメタ的な言い方をするならば、羽次郎の父は前作のウルトラマンで主人公。母は前作メインヒロイン。光太郎の母は前作サブヒロインで、石室は前作主人公の親友といったところか。リドリアスは前作のウルトラマンの相棒、と表現するのが妥当だろう。
「リドリアスはお前とお前の父の関係は知らなかっただろう。
だが、お前の父に助けられたことがある怪獣だ。無自覚の親しみくらいはあったかもしれん」
「……」
「分かるだろう? お前達の父の最期も」
「戦って、最後には死んだんですね」
「そうだ」
戦う者の末路の種類など、そう多くはない。
ウルトラマンであるのならなおさらだ。石室は悔いるように、迷うように、羽次郎の両親の友人として表情を曇らせる。
「だから俺は迷っている。お前をこの戦いに、送り出していいものか」
石室は窓に歩み寄る。
黙って話を聞いていたリナールに横にどいてもらい、ベッドから降りた羽次郎もまた、石室と同じように窓に歩み寄る。
開いた窓から見上げる先、イナゴの怪獣に覆われた黒い空の中心には、水色に輝く天使・ゾグの姿と、その額に囚われた羽次郎の母の姿があった。
「お前の母であり、俺の友である飛鳥さんが、あそこに囚われているとしても、な」
「……母さんっ、今助けに……!」
「だめ」
羽次郎は飛び出して行きたい衝動に駆られるが、リナールに手を引かれて止められ、ほんの少しばかり冷静になる。
アグルの力を完全に覚醒させた今の彼には、地球の叫びがおぼろげに聞こえていた。
その声が、今の地球の惨状と、敵の強さと数を知らせて来る。
空のゾグに視線を戻した羽次郎は、目を凝らして『それ』がどれほど異常なものなのかを理解し始めた。
(見れば見るほどおかしい。あれはそもそも、生物なのか……?)
あれは、命ではない。生物でもない。物質でもなければ現象でもない。
あれは『触媒』だ。滅びを仲介し、根源的破滅招来体が地球に滅びをそそぐための触媒。
中間地点でしかなく、伝導のための存在でしかない。
生物ならば普通に生きることもできるだろう。
物質ならば加工することで他の用途に使うこともできる。
だがあの天使は、『滅びをもたらす』以外の何の役目も果たせない存在なのだ。
あまりにも純化された、根源的な破滅をもたらすだけのもの。
ウルトラマンを倒すために、根源的破滅招来体に生み出されたものなのだろう。
副次的に破壊や殺害を発生させるが、それはあの天使がもたらす破滅からこぼれ落ちた、おまけとしての破壊や殺害でしかない。
破滅魔神や波動生命体などの、他のよく分からない巨大生命体もその類のようだ。
根源的な破滅をもたらすための機能しか持たない。
生物としてのサイクルを構築していない。
未来に何も繋げない。
次に何も託せない。
地球の生命と比べれば、根源的破滅招来体の使者達はあまりにも異常だった。
『再度、警告する』
そして、空のゾグが再び麗の声を使って人間達に呼びかける。
母を利用されていることに羽次郎は憤ったが、ぐっとこらえてここは聞きに徹した。
『諦めよ。ウルトラマンを差し出すのだ』
そして、羽次郎は聞き捨てならないことを聞き、ばっと石室の方を見た。
「奴らが言うには、人類には選択肢が用意されているらしい。恭順か、破滅かだ」
「……信用できたもんじゃないですね」
「まったくだ。恭順の条件は武装解除とウルトラマンを差し出すこと。つまり……」
「無防備になれ、と。怪しさ満点ですね」
「だが、地球防衛隊は"こちらの意見をまとめるので待て"と返答を返したようだ。
どう返答するのかは分からん。だが、そのお陰で一部の侵略が止められている」
どうやら現在地球は、根源的破滅招来体のリンチとリンチの間の小康状態にあるらしい。
根源的破滅招来体は人類にウルトラマンを差し出させ、最高に皮肉な結末を演出しようとしているようだ。
だが、そうなったのはおそらく、人類が多大な抵抗を見せたからだろう。
この世界で怪獣頻出期が始まってから約十年。
戦争中が兵器開発で一番技術が発達する……なんて言う人間も居るくらいに、戦いとそれに伴う技術開発は爆発的だ。
ウルトラマンや怪獣が居る世界なら、仮想敵にも使用する場面にも困らない。一年で相当な技術成長が見込めるだろう。それが十年だ。
地球防衛隊が地球規模の組織であったこともあり、人類は地球規模で予想以上の抵抗を見せていたようだ。
とはいえ、敗色濃厚に変わりはない。
アグルの力が加わっても、勝率は余裕で一割を切るだろう。
人類側がアグルを差し出す選択をしないとも限らない。
ピッ、と石室はテレビの電源を付ける。石室の言葉の合間に、テレビのアナウンサーの言葉が時折挟まるようになった。
「空のイナゴのせいか、地球上の通信はほぼ全てが駄目になっている。
残っているのはテレビ回線を含む一部の回線だけだ。
やつらはテレビを通して絶望的な状況を流し、人類を絶望させようとしているのだろう」
【こちら現地からの中継です。怪獣です!
怪獣が立ち上がり、宇宙怪獣と戦っております! 地球防衛隊と共に、です!】
「地球防衛隊は合理的組織だ。
あくまで合理的組織であり、宗教的組織ではない。
怪獣を根絶させリスクをゼロにしようとするのも、一種の合理性からだ」
【空のクラゲのせいで、多くの人々が集団で暴動を起こしています!
宇宙怪獣は大暴れして、世界中を破壊しています!
イナゴは地球の全てを覆い、合体しては大きな怪獣となりもしています!
小天体が宇宙から落下して来ているとの報もあります!
ですが、それでも! 抗っている人達は居ます! どうか皆さん、希望を捨てないで!】
「彼らは宗教的行動のように、"そういう決まりがある"と決めて動いているわけではない。
言い換えるなら、過程や行動そのものに価値を見出しているのではない。
求めるのは結果。
『平和』という結果だ。
彼らが求めるのは安全であり、社会風潮に従って上が出した指示に従うことだ」
【普段、地球防衛隊と怪獣は互いに天敵同士です。
人類を守るため、防衛隊はいつだって怪獣と戦っています。
ですが……ですが! 彼らは今共に戦っています! 敵同士のまま、手を組んでいるのです!】
「宗教で怪獣を倒せ、と言われている者は絶対に止まらないだろうが……
手段として怪獣を倒している彼らは、合理に沿って問題を棚上げすることができる」
【正直な話、怪獣と手を組むのはどうかと思いますが!
呉越同舟という言葉もあります! ここは防衛隊の英断を褒めるべきでしょう!】
「全てが終われば、地球防衛隊は以前の方針をそのまま継続するだろう。
あるいは、根源的破滅招来体を意識して怪獣の殲滅を一時止めるかもしれない。
怪獣もそれは分かっているはずだ。
分かった上で、人間という名の凶暴な獣と一時的に肩を並べて戦っている。何にせよ……」
【怪獣と戦闘機がぶつかりそうになったり!
そのたび怪獣と戦闘機が互いに攻撃をしたりしていますが!
その過程でイナゴや宇宙怪獣は減っています! 僅かづつでも、確実に!】
「根源的破滅招来体は甘く見たのだ。
人間の生き汚さを。その諦めの悪さを。その醜くとも生きようとする意志を。
人類史には不倶戴天の敵と手を組み、外敵を排除するなんていうダブスタはいくつもある。
奴らは人類がどこまで恥知らずになれるかを知らなかった。
生きるため、生かすため、世界を守るため……そのためなら泥でも食える人間は居る」
【今日ばかりは! 私達皆、地球を守る連合軍です!】
「死にたくないという叫びに、綺麗も汚いもない。
生きようとする命に、綺麗も汚いもない。この世界はどうやら、相当にしぶといようだぞ」
【私達もこのまま実況中継を続けます! 皆さん、希望を捨てないで下さい!】
石室は中継が一区切り付いたところで、テレビの電源を切った。
根源的破滅招来体の上位戦力は、地球人にウルトラマンアグルを差し出させる選択をさせるためか、今は動いていないようだ。
だからこそまだ人類が絶滅していないとも言える。
羽次郎はすぐにでも駆けつけたかったが、ゾグから受けたアグルの光のダメージが大きい。
あと十分か二十分か、そのくらいはまだ変身できないようだ。
数時間羽次郎が気絶していたのにこれだ。あの根源破滅天使の攻撃力の高さ、ひいては次元違いの戦闘力の高さが伺える。
(僕は……あいつに勝てるのか?)
「顔を見れば分かる。不安になっているようだな、お前は」
「……はい。すみません」
「そうか……。父親からお前に伝言があると、そう言ったら、聞くか?」
「え?」
「"もしも俺が死んだなら、俺の息子がデカくなってから聞かせてやってくれ"、だそうだ」
石室には、羽次郎に迷いがあるように見えた。
だが同時に、選択を変えるようにも見えなかった。
その迷いは羽次郎の動きを悪くするだけの迷いであり、ゆえにその迷いを払うべく、石室は羽次郎の父の言葉を伝える。
『命を守れ。
自分を含めた、この星の全ての命を守れ。
死を選ぶな。自分にも他人にも死を与えようとするな。
この星は、この星に生きる命全てが生きていくことを望んでいる』
『死なないことを望んでいるのではない』
『生きていくことを、望んでいるのだ。生きろ。いつの日か死して、この大地に還るまで』
疑問に答えを出させるための言葉ではない。迷う人間の背中を押すためにある言葉。それが、少し弱気になっていた羽次郎の背を押した。
「お前達兄弟は、本当に奴に似ている。
無償の守護を苦にしないところも。
命の重さを、しっかりと認識してしまっているところも。
……不安だろうと、勝てない敵が居ようとも、お前も行くのだろう? ウルトラマンとして」
石室は『全ての命の味方』だった男のことを、死なせてしまった親友の姿を思い出している。そしてその姿を、その男の息子と重ねていた。
「すまない。俺には、見ていることしかできないようだ」
「見ていることしかできないのなら、見守っていて下さい。俺を一人にしないで下さい」
だが、青年は石室に導かれるだけでなく、後悔に揺れる石室を最後の最後に、逆に導いてみせる。
「そうすればきっと、僕が孤独に負けることはないと想うから」
「……飛鳥」
「一緒に戦いましょう。たとえ、戦う力がなくても」
その言葉も、姿勢も、雰囲気も、ウルトラマンの名に恥じないものだった。
羽次郎は家を出て、ルナールを従え戦場に赴く。
青年を送り出し、その背中を見送り、石室は空の向こうに向かってぽつりと呟いた。
「お前の息子は、立派に育ったぞ。なあ、―――」
今は亡き、友に向けて。
ウルトラマンの光は心の光。
父の話を聞き、羽次郎の心と繋がるアグルの光はその輝きを更に増していた。
心強くなれば、ウルトラマンの力は更に強くなる。
リナールと並んで歩いて行く羽次郎だったが、その前に一人の男が現れた。
「あなたは……」
「初めまして、になるか。地球防衛隊隊長、権堂だ」
「……!」
今まで何度もアグルの行動を邪魔し、先日の戦いではとうとうアグルに対する明確な敵対行動を取った、地球防衛隊の隊長がそこに居た。
羽次郎は目を見開き、リナールは目を細める。
「行こう、ハネジロー」
「待ってくれ」
羽次郎の手を引き、権堂のことなんて無視して先に進もうとするリナールだが、その行動を羽次郎自身が止めた。
青年はリナールの手をほどき、権堂の前に立つ。
「何かご用ですか?」
「ケジメをつけに来た」
権堂は懐から銃を取り出す。
人一人なら苦もなく殺せる、地球防衛隊の標準装備だ。
羽次郎とリナールは咄嗟に身構えるが、権堂はそんな二人の反応を意にも介さず、手にした銃を羽次郎に差し出した。
「お前の親友、金田権之介を死なせた作戦。
あれを立案した責任者は私だ。私には責任を取る義務がある」
「!」
「私には責任を取る義務が、そして君には私に復讐する権利がある」
権之介が死んだあの一件。
防衛隊の中と範囲を括れば、その中で一番悪いのは、アグルの抹殺を支持した上の人間だろう。
実行犯という意味では、殺したくもないのに殺してしまった石堀だろう。
だが権堂は、その全ての責任を自分一人の命で取りに来た。
「上には話を通してきた。
ここで私を殺しても、その死は秘密裏に処理される。
アグルに対する防衛隊の敵対姿勢は既に解除された。
後は、私の後任が指揮する防衛隊が君と上手く共闘するだろう」
「あなたは……」
「躊躇う必要はない。これは君の正当な権利だ」
元を辿り、辿りに辿れば、権之介が死んだあの一件は、怪獣の危険性を爆発的に増大させていたアグルの行動の結果であり、危険なことに首を突っ込んだ権之介の行動の結果であり、リドリアスとガイアの起こした突風の結果だ。
権之介が死んだ理由は、一言で言えば"運が悪かった"の一言に尽きる。
死者ゼロで終わらせるつもりだった権堂もまた、権之介の死という結果に大きな後悔と罪悪感を背負わされた被害者の一人だ。
だが、権堂本人はそう思ってはいない。
彼は、何の罪も無い一般人を死なせてしまった罪を、ここで償おうとしている。
「私の命一つで、この件は手打ちとしてもらいたい。
私の部下に責任はないのだ。全ての責任は指示を出した私にある」
「……!」
そして、羽次郎の防衛隊に対する悪感情を抱く理由を全て自分のせいにして、彼の悪感情の全てを背負って、それを墓まで持っていこうとしていた。
権堂の目的は一つ。
諸悪の根源となり、死に、アグルと防衛隊の協力関係を構築することだった。
「何故、そこまで?」
「私は、部下と世界を守れれば、それでいいのだ」
確かに、羽次郎の中には防衛隊に対するわだかまりが残っている。
だが同時に、羽次郎は自分が防衛隊に睨まれても仕方がないという認識があった。
アグルが守っていた怪獣が、人間社会に被害をもたらしているということもまた、事実であったから。
「……」
権堂の行動は、地球を守るという目的と、羽次郎がウルトラマンであるという事実に起因している。
権堂はウルトラマンと防衛隊の協力体制を作るためなら、笑って死ねる。笑って己の命を差し出せる。そういう男だった。
人類の平和のためならいくらでも手を汚せるという覚悟と、人類の平和のためなら死ねるという覚悟が、綺麗に共存していた。
(僕がアグルとしてやって来たことは……
きっと、一言で正しいと言い切れるものじゃない。
人によっては、今でも僕の信念は悪に見えるのかもしれない)
バードンの時に示された可能性こそ、最たるものだろう。
あの日、凶悪な人食い怪獣をアグルが守ってしまう可能性、怪獣がウルトラマンを殺してしまう可能性、怪獣を生かすことで大規模な人的被害が生まれてしまう可能性……多くの可能性が、可視化してしまった。
羽次郎が今の在り方を続ける限り、その可能性は残り続ける。
力ある者は、いつだって自分を見ている周囲に気を使わなくてはならない。
バードンの時に可視化してしまった可能性が、リナール根絶決定の後押しとなったことを考えれば、ウルトラマンの軽挙妄動がどんな影響をもたらすのかは想像に難くない。
もしも、ウルトラマンの光を手にした者が正義感から「戦争を無くすため全部の戦争や紛争に割って入ろう!」だなんて考えてしまえば、その先に待っているのは地獄となった地球の未来だ。
ウルトラマンが社会の流れに逆らい、社会の方を変えられなければ、ウルトラマンと社会の間には深い溝が生まれていってしまう。
(この人は、今あるアグルと人々の溝を、埋めようとしてるんだ)
権堂の読み通り、羽次郎の中には負の感情がある。
人がウルトラマンに歩み寄れない理由に、ウルトラマンが人に歩み寄れない理由が加わってしまえば、両者の連携はまず不可能となる。
そうなれば、地球の未来は絶望的だ。
権堂はそれを防ぐために、命を投げ出そうとしている。
だが、権堂は一つだけ読み違えていたことがあった。
確かに羽次郎の中には負の感情がある。
しかし、羽次郎の意志は人並み外れて強靭で、そんな負の感情なんかに振り回されるものではなかったのだ。
「いいんです、権堂さん」
「いい、とは?」
「あなたにそんなことをしてもらわなくても、防衛隊には協力します。
地球怪獣への攻撃を停止している間だけ、と頭に付きますが」
「!」
復讐など、望んだこともない。
大切な人を殺したやつを殺したい、だなんて思ったこともない。
やんわりと手で拒み、羽次郎は差し出された銃を拒絶する。
ウルトラマンとして、彼の手が時に拳を握ることもあるだろう。時に花を握ることもあるだろう。だが、銃を握ることはない。
「誰かを恨んでいるということもありません。
……確かに、防衛隊に対するわだかまりはあります。
でも、誰かを恨んでもいませんし、復讐しようとも思っていません」
「……本当に、誰も恨んでいないというのか?」
「僕があの日恨んだのは、自分の無力だけです」
「―――」
「誰かを恨んだなら、きっとそれも力になったことでしょう。
兄さんのように、誰かを恨む気持ちが、何かを壊す力になったことでしょう」
飛鳥羽次郎は、早田光太郎とは違う。
「でも僕は、守ると決めました。
誰かを恨んでいたら、こうはなれなかったと想うんです」
償う必要など無い。彼は全てを許している。
「失礼します。罪を償うため命を捨てるなんて、悲しいことは言わないで下さい」
「―――!」
羽次郎は権堂に頭を下げ、先に進んでいった。
その後に続くリナールが、少しの哀れみを権堂に向け、忠告する。
「ウルトラマンに甘えないで。人間さん」
「……っ!」
リナールはアグルの味方であり、人類は現状リナールの敵である。リナールの味方であるアグルのため、彼女は権堂に釘を差したのだ。
その優しさに甘えるな、と。
かくして、幼い少女は青年の背中に追いつくべく、小走りで走り出す。
「何をやっているんだ、私は」
権堂は右手で顔を覆い、歯を食いしばる。
「奪った者が、奪った後に、奪ったことを後悔するなど……」
許されることさえも、罰だった。
本心では怪獣と人間の共存を心の底で望んでいた権堂に。
軍人として指示を守る誠実さを持っていた権堂に。
人類の敵か実験材料にしかなれなくなったアグルを死なせない作戦を立てた権堂に。
その結果、罪の無い一般市民を殺してしまった権堂に。
人を守りたくて地球防衛隊に入った権堂に。
守りたかった
罰とは罪を消すものではなく、その人間に罪の重さを自覚させるためにあるのだから。
権堂との会話を経て、自分の内側の感情に決着を付けて成長した羽次郎は、また一段とアグルの光を輝かせていた。
"俺のようにはなるな"と言った兄の声が、彼の脳裏に優しく響いている。
白亜の路面を踏みしめ、青年と少女は空のイナゴ怪獣を見上げていた。
「一杯いるなぁ、あのイナゴ……
融合と分裂を繰り返してるし、個体として存在する生命体かも怪しい」
「私達みたいに、個体であると同時に群体なのかも」
「そういえば、リナールは少し特異な文明を築いてるんだっけ」
「私達は個にして群。個体という概念はあっても、個の名前は無いの」
リナールは顎に指を当て、小首を傾げて上手い説明を考え始める。
「んと、なんて言えばいいのかな?
人間には、"相手の気持ちになって考える"って言葉があるでしょ?
"人の痛みを自分のことのように感じる"って言葉もあるよね。
皆が皆分かり合い、分かち合い、互いを思いやれれば……
個としての意識があることと、総体としての意識があることは矛盾しないの」
「……そうなのか」
リナールは個にして群。そして同時に、『自分が居て相手も居る』という意識を持つ生命体群が、目指すべき到達地点の一つだった。
「相手の気持ちを考えれば、誰だって一つになれるのにね」
「かも、しれないね」
羽次郎は苦笑する。
リナールが簡単なことのように言うそれは、今の人類にはとても難しいことで、同時に小さな子供にだってできることでもあったから。
人を、地球を、一つにする未来は、まだ見えない。
そうやって、彼らが話しながら歩き、一分か二分が経った頃。
ちかり、と彼のペンダントが輝く。
変身可能になったという知らせだ。ゾグから受けたダメージがようやく消えたらしい。
「気をつけて、アグル。あなたは地球に選ばれた。
あなたが手にした海の光にリナール全ての光を加えれば、とても大きな力が手に入るわ。でも」
「でも、力は無限じゃない」
「……うん。地球の敵を一掃するには、もしかしたら少し足りないかもしれない」
敵は無限だ。
無限の彼方と地球を繋ぐワームホールは、今でも地球に怪獣を送り込んでいる。
今の羽次郎は、土砂崩れに立ち向かうアリのそれに近い。
「それに、その大きな力を使えるのは一度きり。
一回の戦いで全てを決めなければいけないわ。だから……」
「僕には勝つか、死ぬまで戦うかの、二つの道しかない」
それでも。
立ち向かわない選択肢など、ありはしなかった。
彼はこの地球にたったひとつ残された、最後の希望なのだから。
「あと一回。一度きりの一回」
彼の右手がペンダントを掲げ、ペンダントから光の海が溢れ出す。
「アグルッ―――!」
溢れ出した光の海が、羽次郎を一瞬にして青き光の巨人に変えた。
『戦おう、兄さん……一緒に! この星を守るために!』
そして変身完了と同時に、アグルは両の手を空に掲げた。
掲げると同時に、アグルの体から赤い光が汾酒する。
あの時、ガイアの光が羽次郎を守った時、その光はそのままアグルの光の中へと入っていった。
光太郎の"弟を守る"という意志は赤い光に反映され、あの時ゾグの攻撃から羽次郎を守り、そして今なお羽次郎の傍にある。
アグルはその光を、ガイアから受け継いだその光を、一気に開放した。
「アグルが……アグルが、変わる」
リナールの呟きを皮切りとして、アグルは更ならヴァージョンアップを開始。
最初のアグルは、黒・青・銀のウルトラマンだった。
V2となり、アグルは青・黒・銀・金のウルトラマンとなった。
そして、今―――その四色に、鮮烈な赤色が加えられる。
「『スプリーム・ヴァージョン』」
そして、ヴァージョンアップは完了された。
まず真っ先に目に入るのは、ガイアのように鮮烈な赤色だ。
胸のプロテクターにあった金のラインは、全身各所に伸びている。
金と赤。この二つが一気に増えたことで、アグルの外見における印象はぐっと変わっている。
カラーリングの変化と膨れ上がった筋肉が、アグルの外見をよりアクティブで動的なものへと変えていた、
かのウルトラマンの名は、"アグルSV"。
ウルトラマンアグル
「大地の光と大海の光。二つを合わせた
リナールに見守られ、アグルは空へと飛び立った。
空を覆う事を第一としているドビシは一旦後回し。
まずは、地球に蔓延っている宇宙怪獣と波動生命体からだ。
『剣よ!』
アグルSVは一声叫び、燃費も切れ味も大幅に改良された二刀を抜く。
そして地球の周囲を信じられないスピードで跳び回り、クラゲのような形をした波動生命体・サイコメザードを片っ端から切り捨てた。
「……あれ?」
「俺達……」
「何を……?」
サイコメザードの力は、広範囲への精神汚染。分かりやすく言うならば、不特定多数の人間への問答無用の洗脳能力だ。
この洗脳は、サイコメザードさえ倒せれば解除される。地上の人間達はアグルがクラゲを切り捨てるたび、正気を取り戻していた。
アグルがサイコメザードを地球上から排除するのにかかったのは32秒。その僅かな時間で、人類は破滅招来体の洗脳から開放されていた。
『残るは』
だが、メザード達も座してやられるのを待つだけではない。
波動の体を捨て、肉の体を持ち、数体のクラゲが数体の怪獣へと変貌していく。
だがアグルは、その変質が終わるのを待たなかった。
『お前達だけだ!』
波動生命体が怪獣に変化するその0.1秒の時間を狙い、加速したアグルSVがすれ違いざまに全てを切り裂く。
そして、全てのメザード達を爆散させた。
『次!』
数の差が在りすぎるこの状況で、"確実に勝つ"ためのゆっくりとした戦いなんてしていられるわけがない。
来た見た切ったの三テンポを、アグルは死ぬ気で維持しながら飛翔した。
『宇宙怪獣っ』
次に処理すべきと判断したのは、ユーラシア大陸を我が物顔で行進する宇宙怪獣達だ。
この怪獣達は根源的破滅招来体ではないが、破滅招来体に無理やりこの星に連れて来られたせいで、怒り狂い周囲を手当たり次第に破壊している。
地球怪獣が抵抗しているものの、破滅招来体が地球侵略用に選ぶほどの戦闘力を持つ宇宙怪獣だ。侵攻速度を緩めることしかできていない。
アグルは右の拳に赤い光を、左の拳に青い光を集中する。
(出来るはずだ。アグルの力と……ガイアの力があるのなら!)
そして、胸の前で打ち合わせた。
二つの光の力はアグルの胸の前でスパークし、ユーラシア上空に向かって広がり、数時間前にそこで開いていたワームホールをこじ開けた。
『帰るんだ、自分達の星に……ここは、お前達の星じゃない!』
そして、アグルはSVの力で膨れ上がった筋肉を用いて、地上の宇宙怪獣を片っ端から空のワームホールへ投げ捨てていく。
十分とかからず、アグルは全ての宇宙怪獣を空へと投げ捨てて、あるべき場所へと叩き返した。否、あるべき星へと投げ帰した。
そして残ったワームホールを、兄から受け継いだクァンタムストリームで薙ぎ払い、一つ残らず消滅させる。
「すげえ……初めて見た……あれが、ウルトラマン……!」
名も無き防衛隊員が感嘆の声を上げる中、アグルは次の目的地へと飛び立った。
アグルとガイアの光は、強いエネルギーとの衝突でワームホールをこじ開けるという特性を持っている。
また、スプリーム・ヴァージョンはウルトラマンの身体能力を飛躍的に増大させ、投げ技などを強化する特性も保っている。
その二つを、アグルは見事に組み合わせていた。
『次で一区切り。次が大勝負だ』
そしてとうとう、アグルは空のイナゴに手を付ける。
目指すは太平洋、そのど真ん中。広大な青い海の上。
『保ってくれよ。アグルのエネルギー……それと、僕の体!』
アグルは海の中心で、絶大なエネルギーを込めた右手を、海面に強く叩き付けた。
アグルが海にエネルギーを叩き込むと、海がまるで生きているかのように脈動する。そして、空は海の姿を映し出す鏡となった。
海と空は、過程こそ違えど『光』の作用で青く見える自然物。
アグルはその相関性を利用し、海に作用させた力を空にも干渉させたのだ。
そして、"空は海へと変わる"。
海へと変わった空は全てのイナゴ怪獣……ドビシ達を飲み込み、ワームホールさえ飲み込み、大きなうねりの中で破壊して、海の藻屑と変えていった。
空の青が海の青へと変えられたまま、空に青色を取り戻していく。
「なんだあれは!?」
「空が……空が、海になった!?」
「空が海になってる!」
「見ろ! 空の大洪水が、イナゴを全部飲み込んでいくぞ!」
人々は空を見上げ、次々と驚愕の声を上げていく。
海と空とを繋ぐのは、人々も見覚えのあるアグルの光だ。
ゆえに人々は、アグルが何かをしているのだとは分かるのだが、何をしているのかまでは分からないでいた。
「人間はもう忘れてしまったのね」
リナールはここではないどこかに向けて、悲しそうな表情で、遠い昔にあった出来事を口にする。
それは、正しく伝承されず、途中で捻じ曲がってしまった神話の真実。
「遠い昔。人がまだ、正しく歴史を残すことができなかった頃。
根源的破滅招来体・ガクゾムが地球を侵略し、蹂躙した。
その時代のアグルが戦ったけど、ガクゾムにはとても敵わなかった」
それは、遠い昔にアグルに選ばれた人間が、根源的破滅招来体に立ち向かった時の戦いの物語。既に神話になった物語。
「でも、その時奇跡が起きた。
人の神ではない、ウルトラマンの神がやって来たのよ。
神の名前は、ウルトラマンノア。アグルはノアの力を借りて全ての敵を打ち倒した」
今、アグルが使った技は、遠い昔にこの世界を守ったアグルが使った技であり、羽次郎はそれを継承したのだ。
「今みたいに、海そのもので、地球を包む全ての敵を倒したの。
星を蝕む邪悪は全て押し流されて、その時も星は救われたわ。
人類の神話において、その時のことは……『ノアの大洪水』と、そう呼ばれたのよ」
遠い昔に世界を守った者の光も、今羽次郎に力を貸してくれていた。
アグルは全ての
そして、宇宙の単極子怪獣・モキアンに突っ込んで行った。
アグルのそんな姿を見て、地上の無数の人々の中から、ぽつりぽつりと『何か』が生まれ始める。世界を変えるような、そんな何かが。
「なあ、俺達……間違ってたんじゃないのか?」
「は? 何言ってんだお前」
それは、アグルの在り方に変革を促された者達だった。
モキアンに
「あのアグルを見てると、焦りみたいなもんが浮かんで来るんだ」
「ああ、なんか分かる。
自分でも気付いてないミスになんとなく気付いたみたいな。
これでよかったのか、何か間違ったんじゃないか、みたいな……」
「ええ、わっかんねえよ」
「さっぱり分からん」
そして、少数ながらも、その気持ちに賛同する者も現れ始めた。
誰もが、時間の流れで変わってしまう。
生きるために鈍感になってしまう。
人は子供の頃にアフリカの貧しい子供達に同情しても、大人になってから改めて見ると、大半の人間がそこに何も感じなくなるものだ。
だって、気にしても何も変わらないのだから。
だから、気にしないようにする。
気にしないように、心をどんどん鈍化させていく。
それが、大人になるということ。
大人になるということは、鈍くなるということでもある。
色んなことに対して鈍くなっていく大人達は、怪獣が無残に殺されようと、血と涙を流して殺されようと、何も感じないようになっていった。
最初は、そこに残酷さを感じていたはずなのに。
何故なら、気にしても何も変わらないから。
だから、気にしないようにした。
怪獣に同情するのを止めて、怪獣を排除してしまおうという世間の流れに、何となくで乗った。
世間の流れに乗るのはとても自然なことで、楽なことだったから。
けれども、それももう終わる。
「今まで正しいと思ってたものより、アグルの方が正しいように見えるんだ。
なんでだろう。分からない。だけど、何か胸の奥に、何かがあるんだ」
「私も」
「僕も」
ほんの一部でしか無かったが、昨日まで怪獣の排除に声高に賛成していた人間達が、アグルの在り方に感化されていく。
彼らの心の鈍感さは取り払われた。
殺される怪獣に同情もする。
人と怪獣の共闘を美しく感じる。
ウルトラマンが怪獣を助ける姿を見て安堵を覚える。
そういった心の動きを、彼らは素直に感じられていた。
子犬を見つけ次第殺そうとする社会は。きっと正常ではない。
子犬であれ何であれ、人は本質的に、弱き者に手を差し伸べたいと思うように出来ているのだ。
ピョートル・クロポトキンいわく、「人間性の内には道徳が本当として必然的に潜んでいる」という。また、「それに反する行動には物理世界における反作用に近いものが発生する」という。
クロポトキンは「鞭打たれる子供を見れば人は不快感を感じ、病人を見れば憐れみから救いの手を差し伸べる」と主張し、『当たり前の心の動き』を人々に訴えていた。
「俺達は何かを、どこかで、いつか、間違えてたんじゃないかって……」
羽次郎は優しかった。
二人の友が信じた通りに。
彼は優しさを失わなかった。
二人の友が願った通りに。
怪獣達も、その優しさに感謝している。
そしてその優しさは、ようやく人々の心に届き始めていた。
全ての障害を打ち倒し、夕焼けの色に染まり始めた空の下、アグルはとうとう母を捕らえた根源破滅天使・ゾグの前に辿り着いていた。
アグルは肩で息をしているが、エネルギー自体にはまだ余裕がある様子。
そんなウルトラマンを見て、ゾグは
『お前に私は倒せない。アグル』
『やってみなくちゃ……』
『母思いのお前に、母をその手で殺せるか?』
『……っ!』
母の声で"母思いのお前に"と言い、母の声で"母をその手で殺せるか"と言う。
根源的破滅招来体は、この上なく悪辣だった。
『額のこれはダミーだ。
既に飛鳥麗は可能性事象として分解され、この体に満遍なく溶けている』
『……!』
『私を攻撃すれば、その瞬間にお前の母は死ぬ』
ゾグは体の一部を失っても死にはしないだろうが、その体に満遍なく麗が溶けているというのが本当なら、ゾグの体が一部でも欠けてしまえば麗は死んでしまうだろう。
世界か、母親か。選べるわけがない。
羽次郎の胸で沸騰するその感情を捨てられるわけがない。
その感情こそが、優しさなのだから。その感情こそが、母への愛なのだから。
捨てられるわけがない。
根源的破滅招来体は、ウルトラマンの兄弟の心をよく理解していた。
理解し、弄んでいた。
上げていた腕を下ろすアグル。
これで終わりなのか、と思われたその瞬間。
息子のために、奇跡を起こす母親が居た。
「撃ちなさい、羽次郎!」
『!? 母さん!?』
「私に構わず、私ごとこいつを倒しなさい!」
ゾグの動きがおかしくなり、その顔からアルカイックスマイルが消え、先程までの嘲笑するような麗の声が消えてなくなる。
そして代わりに、人らしい感情のこもった声が聞こえてきた。
羽次郎は親子の繋がりゆえにか、同じ声であるはずのそれを、一瞬で母の声であると理解する。
『貴様、この体の制御を……!?』
ゾグは驚愕する。
一方的に取り込まれたはずのただの人間が、内部から自分の体を乗っ取ろうとしているのだ。
ゾグの精神は精神と呼べるようなものではなく、生命体が持つ精神や機械のAIのようなものでもない肉体制御システムなのだが、それでも驚愕はある。
母の愛は、根源的破滅招来体の想定を遥かに凌駕していた。
『倒す……? できるわけがない! 母さんまで、母さんまで失ったら、僕は……!』
「甘えるのは止めなさい!
私はあなたの親! ならばいつかは、あなたを置いて先に死ぬのよ!」
『―――!』
首を振って拒絶する息子を、母は叱咤する。
夫が守った世界を守るために。人々の未来を守るために。
そして何より、息子が生きる可能性を守るために。
「命はどのくらいの時間を生きられるかは決められない。
けれど、どう生きるかを決めることはできる! どう死ぬかも!
それは私の権利で、全ての命に与えられた権利なのよ、羽次郎!」
「―――!」
「明日を生きるため、戦うのもいい!
けれど私は、明日を生きるためじゃなく、今この瞬間を生きるために戦うわ!」
死ぬことが、生きることになることもある。
死は絶対だ。死は悲劇だ。ゆえにそれから命を守ろうとする羽次郎は間違っていない。
しかし世界には、食物連鎖を始めとして避け得ない死というものがある。
羽次郎の信念は、これからそういったものと折り合いをつけていかなければならない。
命を捨てて平和を守ろうとする人の存在を受け入れ、食物連鎖などの自然の摂理を受け入れ、それでも全ての命を守るために生きていく。
それは矛盾だ。
両立しようとすれば心が血まみれになっていく矛盾だ。
けれどもきっと、そんな矛盾を抱えて夢を追いかけて行かなければ、羽次郎が理想の未来に辿り着くことはきっとない。
「撃ちなさい、羽次郎! 私を殺すためじゃなく、今ここに居る私が『生きる』ために!」
今を生きるために、今死に行く道を選ぶ。
それが、ウルトラマンの夫を持ち、ウルトラマンの子を持ち、自分自身は何にも選ばれなかった女の覚悟だった。
「それが『光』を得た……あなたの……あなたの役目よ!」
躊躇う。
母との想い出が蘇る。
躊躇う。
地上で助けを求める子供達の声がする。
躊躇う。
今も地球のために戦っている人達や怪獣達の声がする。
躊躇う。
アグルは腕にエネルギーを溜めつつも、攻撃をする・しないの決断さえできないでいた。
『……っ』
母の「撃ちなさい」という声がする。
躊躇う。
兄の「俺のようにはなるな」という声が脳裏に蘇る。
躊躇う。
石室の「この世界は先人が守ってきた世界だ」という言葉も脳裏に蘇る。
躊躇う。
「世界と母親、どちらを選ぶ?」という自分の声さえ、頭の中に浮かんできた。
「大丈夫。私もずっと、あなたを見守っているから」
『っ……! あ、あっ、あああああああああああああ!!』
叫ぶ。
叫ぶ。
叫ぶ。
口の叫びで心の叫びを誤魔化して、アグルは全ての力を右腕に集めた。
叫びで思考を塗り潰し、右手に宿した光を構える。
躊躇いを叫びで押し切って、彼はその手の光を放った。
『ああああああああああああああッ!!!』
放たれるは、赤と青の光が入り混じった
「いいのよ、それで。……大丈夫。あなたは私の……いえ、私達の自慢の息子なんだから」
それが、ゾグの頭部とそこに居た母の姿を、跡形もなく消し飛ばしていた。
『……ごめんなさい。そして、ありがとう』
敵の首魁を倒し世界を救った達成感。
母を失った喪失感。
残る二体の破滅魔人も倒さなければという焦燥感。
母をこの手で殺したという罪悪感。
それらを皮切りに、無数の感情が浮かんでは混ざり、浮かんでは消える。
『ありがとう、母さん……』
だが、絶望はここからだった。
頭を失ったゾグが溶け、球体に成り、再度肉体を構築していく。
再構築される肉体は天使のようだったゾグとは違い、再構築の途中でさえ身震いしてしまう程におぞましかった。
そして、大きかった。
ゾグもアグルの倍以上の身長があったが、その肉体のサイズが更に膨れ上がっていく。
天使から悪魔へ。女神から魔獣へ。聖から魔へ。
ゾグの容姿の印象が、見るも無残に変貌していく。
『……嘘だろう……?』
そうして世界に現出した、ウルトラマンの十倍以上の身長と体重を持つ超弩級怪獣。
母がその身を犠牲にしても、ゾグを倒すことはできていなかった。
アグルは地に降り、膝をついてしまう。
母を殺した心的ショック、それもあるだろう。
だがそれ以上に、初めて行使したスプリーム・ヴァージョンの力と、地球の敵を一掃するだけの光の力に、体が耐えきれていないのだ。
大きな力は、大きな負荷を生む。
ガイアとの激闘、ゾグの攻撃。そのダメージも抜けてない内からアグルSVとなって大規模戦闘。戦えているのが、既に奇跡なのだ。
更に、ダメ押しの戦力までやって来る。
『破滅の、魔人……』
空より降り立つ、新たなる敵。
右には破滅魔人・ブリッツブロッツ。黒白の烏天狗の姿をした魔人。
左には破滅魔人・ゼブブ。蝿の悪魔としか言えない容姿の魔人。
アグル正面のゾグ同様、アグルV2を遥かに超える力が感じられる。
「諦めるな!」
『!』
羽次郎の心に絶望の影が差しかけるが、そこでアグルにも援軍が現れた。
世界各地で怪獣や魔人と戦っていた、地球防衛隊の戦闘機チームだ。
数十という数を揃えた彼らは、巧みな連携でアグルの援護を開始する。
その先頭には、光太郎の親友であり、羽次郎の親友を殺す引き金を引いた男、石堀チームリーダーの姿もあった。
「こちら地球防衛隊。アグルを援護する」
『地球、防衛隊……』
味方でもない。友達でもない。仲間でもない。
だが、とても心強かった。
"敵をぶっ殺す"という分野において、羽次郎がここまで評価している者達は他に居ないだろう。
『そうだ……膝をついてる、場合じゃないっ!』
アグルの心に、戦意が湧いてくる。
まずは一体づつ敵の数を減らしておくべきだと、アグルは
当たれば倒せる。そういう威力の必殺光線。
だがその時、ゼブブを庇うようにブリッツブロッツが動いた。
『!』
ブリッツブロッツの胸部が開き、光線のエネルギーはあっさりと吸収されてしまう。
「なら実弾兵器で! スペシウム弾頭弾、発射!」
光線技が吸収されるならミサイルで倒してやると、瞬時に反応した地球防衛隊がミサイルを放つが、今度はゼブブがブリッツブロッツを庇い、鉄壁のバリアでブリッツブロッツを守った。
ブリッツブロッツはゼブブに防御を任せ、悠々と吸収したエネルギーを反射。アグルの光線を強化して返し、そのままアグルにぶち当てた。
『ぐあっ!』
エネルギー吸収と高機動のブリッツブロッツ。
鉄壁のバリヤーと卓越した近接剣戦闘のゼブブ。
この二体は対照的な能力というわけではないが、この二体が揃うことで互いの弱点や欠点を見事に補っていた。
光線を返されたアグルが立ち上がるまでのほんの数秒の間に、ゼブブとブリッツブロッツは連携して飛行する戦闘機を落とし始める。
「な。なんだこいつら!?」
アグルが立ち上がるまでのほんの数秒。
その数秒で、二体の破滅魔人はほぼ全ての戦闘機を撃墜していた。
「馬鹿な……!」
宇宙怪獣相手なら十分戦えていた。
破滅招来体の兵力であるイナゴさえ、彼らは無数に打ち倒していた。
イナゴの集合怪獣を含めるのであれば、彼らがこの数時間で倒した大型怪獣の数は、数十数百という大台に乗るだろう。
そんな彼らが弱い訳がない。
単に、この二体の魔人が別格なのだ。
そしてこの二体の魔神以上に、ゾグは別格だった。
魔獣となったゾグが空を見上げ、吠える。
するとその咆哮がエネルギーに変わり、空へと舞い上がった。
空に上がったエネルギーは拡散し、雨のように降り注ぐエネルギーの精密射撃に変わる。
そしてそれは、ゾグ達に挑もうとする地球怪獣達を狙い撃つ。
目を疑う光景だった。
ゾグは単体で、地球全土に対する広範囲精密攻撃なんてものをしてみせたのだ。
怪獣の叫びが、地球の叫びが、アグルの耳に悲痛に届く。
『く……そっ!』
アグルは左右の手刀を振るい、青い刃と赤い刃のエネルギーを魔人に飛ばす。
ブリッツブロッツはそれを吸収し、ゼブブはいとも容易く切り裂いたが、その一瞬の隙にアグルは
一発一発がガイアのクァンタムストリームに匹敵する光弾を、ゾグの顔面に向かって連射した。
当たる。
ゾグが目を細める。
当たる。
ゾグが鬱陶しそうに表情を変える。
当たる。
痛みは通っても、かすり傷一つ付かない。
当たる。
ゾグは鬱陶しい攻撃をまとめて吹き飛ばすべく、巨大な波動弾を放った。
アグルは連射を中断して、死に物狂いでその波動弾を回避する。
『ぐ……!』
クァンタムストリーム級の攻撃ですらこの程度しか攻撃が通らない。
ゾグの防御力は、明らかに異常だった。
今、アグルの中にある光を全てシンプルにぶつけたところで、おそらく倒せはしないだろう。
ゾグは続けて波動弾を放ち、死に物狂いで回避したアグルを狙う。
回避直後のアグルは動けない。
アグルの連射技への反撃に、連射技で返すというところからも、破滅招来体の性格の悪さが見て取れた。敵の悪辣な反撃に、アグルは防御も回避もできない。
そんなアグルの盾になるように、最後に残された防衛隊戦闘機に乗った石堀が、ゾグの放った波動弾に突っ込んで行った。
『あっ……』
「すまない」
石堀は機体のスペシウム弾頭とエンジンを諸共に誘爆させ、羽次郎に権之介を殺してしまったことを謝りながら、何の役にも立てなかったことをあの世の光太郎に謝りながら、ゾグの波動弾に押し潰されていく。
「俺が悪いんだ。お前の親友を殺したのは俺で、悪いのは俺だけだ」
石堀もまた、命を賭してでも償いたい罪を、心の中に抱えていた。
「だから俺以外の防衛隊のやつまで、嫌いにならないでく―――」
言葉は言い切られず、眩い爆炎が石堀を飲み込んでいく。
石堀の最後の誘爆操作により、波動弾はその破壊力を戦闘機の破壊だけに使い切ってしまい、アグルは結局無傷に終わった。
体は無傷だった。
……だが、心には、少しばかり傷が付いていた。
『償いなんて……死ぬことなんて! 僕は望んでないと言ってるのに!』
やるせない気持ち。現実への怒り。目の前の巨悪へと向かう正義の使命感。
それらを抱え、両手に剣を出しながらアグルは立ち上がる。
右から迫るブリッツブロッツの光線。
アグルは右手の剣でそれを受け止めた。
左から迫るゼブブの金属剣。
アグルは左手の剣でそれを受け止めた。
ゆえに、真正面から迫るゾグの新たな波動弾をアグルに防ぐ手段はない。
ゾグの波動弾が着弾する直前にゼブブは跳んで下がり、それでも続くブリッツブロッツの光線を処理し切ることができなかったアグルは、波動弾をモロに食らってしまう。
『が、あっ……!』
アグルSVの防御力をもってしても防ぎきれない威力に、アグルは吹き飛ばされ地面を無様に転がされてしまう。衝撃で光の剣もかき消されてしまった。
そして、転がるアグルの体が止まる前に、アグルは回転する視界の中で、剣を引いて構えるゼブブの姿を捉えた。
『!』
転がりながら、地面を思いっきり拳で叩いて体を跳ねさせる。
すると、跳ねたアグルの頬あたりをゼブブの剣が通り過ぎ、切り裂いていった。
反応がほんの僅かでも遅れていたら、ここでアグルは死んでいただろう。
(せめて……せめて敵が一体だったら……他にウルトラマンが居てくれたら……!)
アグルは跳ねた体をひねり、地面を蹴る。
そして地面を蹴った力と飛行能力を上手く重ね合わせて、高速で後方へと跳んだ。
……しかし、距離を取るため跳んだ先には、既にブリッツブロッツが先回りしていた。
『!?』
烏天狗の姿に恥じない速度を見せたブリッツブロッツは、アグルのうなじに肘打ちを打ち込み、仕切り直そうとしたアグルを容赦なく地面に叩きつける。
『ぐぃぎっ、ぐぅ……!』
首の骨が折れそうな衝撃に、羽次郎は歯を食いしばって耐える。
ズタボロの体に鞭打ち、地面に手と膝をついて震えながら立ち上がろうとするアグルだが、ブリッツブロッツはその腹を強烈に蹴り上げた。
『うあっ!?』
アグルの体重とブリッツブロッツの脚力が、そのままダメージに転換される。
引っくり返されたアグルは、そこでまたしても自分の首を狙うゼブブの剣を視認した。
『ッ!』
もはや剣しか視認できていなかった状態で、アグルは転がるようにして避ける。
首の横を刃物が斬った感触がして、羽次郎は迫り来る死の恐怖を噛み殺す。
しかし、転がって回避した先にブリッツブロッツはまたしても先回り。転がって来たアグルの頭を、全体重をかけて踏み砕いた。
『―――あ、がッ』
頭が物理的に何か壊された、そういう感触が羽次郎の体に生まれる。
即死ではない。だがあまりにも甚大なダメージだった。
胸の
ゼブブとブリッツブロッツは嘲笑うような挙動を見せ、頭を抱えて立ち上がれないアグルに対して、二体同時の破壊光弾攻撃を行った。
『あ゛、あ゛あっ!?』
もはやアグルは、地面を転がっているだけのサンドバッグ。
二体の魔神の玩具として、ひたすら叩きのめされるしかない。
そして最後に、ゾグが66万トンのその巨体で、アグルを踏み潰した。
『―――は、か、あ、はっ』
"足蹴にしながら殺す"という、地球の未来と、根源的破滅招来体が地球の命をどう思っているのかよく分かる殺し方。
それにより、アグルはもはや声を発することさえできない。
立ち上がることも、指一本動かすこともできない。
地球に君臨するゾグ、ブリッツブロッツ、ゼブブを前にして、アグルはうつ伏せに倒れていることしかできなかった。
(こんなところで僕が諦めるようなら、きっと僕の理想なんて、叶えられるわけがない)
それでも、心は未だ折れず。
(……光よ)
怪獣も全て倒された。
人の戦力ももう有効なものは残っていない。
ガイアは死に、アグルも既に立てない状態。
にもかかわらず、『飛鳥羽次郎』だけは、何も諦めてはいなかった。
(どうか僕に、もっと力を……光よッ―――!)
彼は己の理想を叶える方が、今日ここで破滅招来体を倒すより、ずっと困難だと知っていた。
もっと困難な物事に挑みたい、そんな未来があった。
破滅させたくない世界があった。
だから諦めない。
彼が根源的破滅招来体よりも倒したいと思う現実が、風潮が、残酷が、この世界にはあった。
『まったくお前は、本当に世話が焼ける奴だ』
遠くの地から戦場を見据え、リナールは呟いた。
「……『光』……」
戦場に生まれる新たな光。希望の光。
それを見て、リナールもまた覚悟を決めた。
リナールは限界を超え、最後の最後の光を振り絞り、アグルに送る。
「思い出して、アグル。あなたは一人じゃない。
一人じゃないから、絶望の淵からも立ち上がれたのよ。
そうでしょう? 『ウルトラマン』……」
最後の力は、まだ枯れていなかった。
ゾグは己の目を疑った。
最後にアグルの死体をズタズタに引き裂いてやろうと、波動弾を撃ったはずなのに。
その波動弾が、"赤い光"と共に現れたバリアに防がれたのだ。
『自惚れるなよ、邪悪』
赤い光は、アグルの内側から湧き出てきた。
そして破滅招来体達の前で、"ウルトラマン"として再構築されていく。
ここに居ないはずの、既に死んだはずの―――『ウルトラマンガイア』として。
『この世界は滅んだりしない。絶対に』
彼はアグルを、羽次郎を守っていた。
倒れたアグルの傷を癒やし、また立ち上がれるようにしていた。
ゾグが殺したはずの、『早田光太郎』として。
アグルと同じ力、スプリーム・ヴァージョンの力を身に纏って。
『兄、さん?』
『これが最初で最後だ。お前を、兄として助けてやれるのは』
『―――!』
これは夢だ。一度きりの夢。見終わった後、もう一度見たいと願おうが叶わぬ夢。
死した光太郎の心の光が、残留思念として一度きりの奇跡を起こしたに過ぎない。
それでも、いい夢であることに変わりなく。
悪夢を終わらせる光の夢であることに、変わりはなかった。
『行くぞ、羽次郎!』
『はい!』
構える二人のスプリーム。
ガイアとアグルの光を手にしたウルトラマン、それが二人。
ありえない可能性が、そこにはあった。
ゼブブは二人のウルトラマンを抹殺すべく、剣を振り上げて突っ込んだ。
アグルは光の剣を出し、それを受け止める。そこで間髪入れずガイアが蹴り込んだ。
同時攻撃にしか見えないほどに、息の合った連携攻撃。ゼブブは脇腹を蹴り飛ばされ、遠く彼方へと吹き飛ばされる。
『来るぞ!』
『はい!』
ゾグは二体のウルトラマンをまとめて倒そうと波動弾を発射するが、ガイアとアグルは息を合わせて同時に飛翔、回避する。
ブリッツブロッツがまたしても先回りするものの、羽次郎達はそれを見てから対処した。
ガイアがブリッツブロッツの腕関節を空中で極め、動きが止まったところをアグルがすれ違うように切り捨てた。ブリッツブロッツの首が、ポロリと落ちる。
『まずは一体!』
ゾグが波動弾を連射してくるが、二人のウルトラマンは飛び回って回避する。
蹴り飛ばしたゼブブが戻って来たのを見て、二人のウルトラマンは飛行機動を切り替えた。
回避しつつ、二人のウルトラマンはゼブブの周囲360°を、球を描くように飛び回る。
そしてゼブブが混乱している内に、二人同時にリキデイターを連射した。
球状に包囲攻撃されたゼブブに、回避などできはしない。
なんとかバリアで防ごうとするゼブブだが、ゴリ押しの全方位攻撃にバリアの隙間を突かれてしまい、やがて十数発のリキデイターが直撃。
あえなく、爆散した。
『続いて二体!』
ガイアの体がほどけ始めている。
光だけで構築された泡沫のような肉体が、限界を迎えようとしているのだ。
アグルの体も動きが悪い。
騙し騙しやっても、その体がズタボロであることに変わりはない。
二人のウルトラマンは、あと三分も戦えない体で、迫り来るゾグを見据える。
『決めよう、兄さん!』
『応!』
そして、飛んだ。
アグルは上空に上がり、海と同質化した空を背に構える。
ガイアは大地をしっかりと踏みしめ、地球と繋がりながら構える。
そして二人の最強光線が放たれ、交わり、相乗化して爆発した。
二人の力は足し算ではなく掛け算の威力となり、ゾグを飲み込んでいく。
全長666mのゾグを丸ごと飲み込む光線だった。
大地と大海の光が、互いの輝きを高め合う光線だった。
ゾグの体が消えていく。かき消されていく。
夜の闇が、光に照らされて消えていくように。
『……地球は、ウルトラマンの星だ』
完全にゾグが消えた後、羽次郎はここではないどこかへと言葉を向ける。
『お前達が何度来ようとも、地球の命の誰かがウルトラマンになる。
誰もがウルトラマンになる可能性を持っている。
何度でも来い。何度でも僕が、そして"次のウルトラマン"が、この星を守ってみせる』
いつの日か、また破滅招来体が攻めて来たとしても。
『僕達は、負けない!』
きっと、この星は負けない。
羽次郎が"皆"のように、想いと在り方を"次の誰か"に残すことができたなら。
日が沈む。太陽が消える。そして、ガイアも消えていく。
夜の帳が下りる前に、ガイアはこの世界から消える運命にあった。
『……兄として言いたいこと、話したいこと、沢山あったはずなんだけどな』
『兄さん……』
『もういい。言う気もなくなった。不思議と、何も言わなくても満足している』
光の粒子となって消えていくガイアが、片手を上げる。
『ハイタッチ……いや、そうだな。ウルトラタッチだ』
アグルも応じて、片手を上げる。
そうして、二人のウルトラマンの手が打ち合わされた。
言葉ではなく、所作で兄弟は心を繋げる。
夢が終わる。終わってしまう。ガイアの姿が消えてしまう。
『幸せになれ。俺も、お前を見守っている』
兄が最後に残した言葉に、羽次郎は感謝の言葉を返そうとして、変身解除と同時に気を失っていった。
人の姿に戻った羽次郎は、森の中に居た。
ダメージが多すぎて、指一本動かせない様子だ。
しかもダメージは彼の命を危険域にまで追い詰めており、全身からの出血だけでも失血死を引き起こしかねない状態にある。
(……勝つには勝ったけど、このまま死にそう……)
死にかけの羽次郎。
が、世界を救ったヒーローをこんなところで死なせるだなんて、そうは問屋が卸さない。
目を開ける余力も無くなってきた羽次郎は初めに光の気配を、次に犬の吠える声を、最後に人の声を耳にした。
「……驚いたな」
羽次郎は頑張って目を開く。
するとそこには、心配そうな顔をしているリナールと、"頑張れ"という意を込めて吠えるキサブローと、携帯電話を取り出した不良のボスが居た。
「こういう奇縁も、あるものなのか」
「……あなたは、ボスさん」
「喋るな。今救急車を呼ぶ」
リナールが光の消えた森を感覚的に捉えた。そしてキサブローがボスを――捨て犬を拾うタイプかつ人を見捨てないタイプの人間――を誘き寄せ、羽次郎の血の臭いを嗅いで場所を特定。ボスが救急車を呼ぶという連携プレー。
死にかけだった羽次郎の命は、こうして奇跡的に繋がった。
破滅招来体の襲撃にも挫けず頑張っていた救急隊員が、羽次郎をすたこら積み込んでいった。
「ありがとう」
救急車の中で、羽次郎の付き添いとして付いて来たリナールが、眠りに落ち始めている羽次郎に感謝の言葉を伝える。
「私達を……そして、この星を守ってくれて」
そして少女は、青年の手を握り、『リナール』として彼に誓った。
「大丈夫。私も、私達も、ずっとあなたを守るから」
少女の声が聞こえているのか、聞こえていないのか、微睡みの中にある羽次郎は夢と思考の海に落ちていく。
(悲しい日々だった。辛い日々だった。
僕がアグルの光を手にしたのは、きっと……
僕と同じ想いをする運命にある人の未来を、変えるため)
戦いは終わった。戦士には休養が必要である。
この後も彼には、根源的破滅招来体よりもずっと厄介な敵が待っているのだから。
(叶うなら。この悲しみが、僕で最後になりますように)
今はまだ叶わぬ願いを胸に抱いて、飛鳥羽次郎は眠りに就いた。
羽次郎は、夢を見た。
青い光の中で、色んな人が羽次郎を追い越していく夢だ。
羽次郎を追い越した人は、羽次郎がまだ辿り着けない海の中に消えていく。
三倉田晶が彼を追い越して行った。
彼女は去り際に、羽次郎に微笑んでいく。
金田権之介が彼を追い越していった。
彼は去り際に、羽次郎の肩を叩いて行く。
リドリアスが空を飛び、彼を追い越していった。
去り際の鳴き声は、きっと羽次郎に向けられたもの。
麗が背後から羽次郎をギュッと抱きしめ、それから彼を追い越していく。
彼女は息子の方を、一度も振り返らなかった。
羽次郎に何のアクションも起こさず、光太郎が彼を追い越していく。
だが海に消えていく前に、一度だけ羽次郎に親指を立てて見せていた。
他にも多くの人が羽次郎を追い越して、海の中に消えていく。
あの海に自分もいつか行くのだろう、と羽次郎は思う。
けれどそれは今じゃない、とも思う。
不思議と、悲しくない夢だった。心に何かが満ちるような夢だった。
これにて終了です。蚊を絶滅させたいと思う普通の人の心の中にも、魔物は住んでいるのでごわす
【以下、サブタイの元ネタを知っている人に対する補足】
・無力感から過去の母の死を自分の罪(殺人)だと思っている兄(カイン)
・善良であるがゆえに被害者になる運命にある弟(アベル)
・カインの周囲で、誰かの掌の上で悲劇を引き寄せる者達(ガゼル法院)
・金の髪の親友(接触者に対するファティマの男)
・母・恋人の死ぬ運命(エレハイム)
・表裏一体の黒群青と紅赤の巨人。青と赤は重なる運命にある(アグル&ガイア=ヴェルトールとヴェルトールイド)
・空より落ちて来た破滅を招来するもの(デウス)
知らない人は知らなくても何ら問題はないです。プロット完成の後に付けたタイトルとサブタイなので、サブタイが分かりづらいストーリーラインの伏線になっているというだけで