ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト 作:hirotani
光が晴れ、視界には第76層主街区アークソフィアが広がっている。まるで宮殿の庭のように整備された花壇が、かすかな風に揺られている。
そんな美しい街を眺める暇もなく、転移門の前で待機していた青鎧の男が近付いてくる。
「名前と所属を」
「ビッグス、第27師団」
セツナに続いてクラインとサダヒサも。
「レイン、第27師団」
「アンジェロ、第27師団」
男はオブジェクト化させた紙束を捲る。ギルドメンバーリストを見れば確実だが、ページが長くなっているリストをスクロールする手間を省くための簡略化なのだろう。リストのページは、男が捲る名簿のように所属部隊ごとの細分化ができない。
「
男は名前を確認できたのか、紙束をストレージに納めて憮然と言う。3人はポーチから金属製プレートを差し出す。楕円形のプレートには各々が名乗った名前と所属部隊の番号が刻印されている。男はじっと認識票を凝視し、「よし」と強張った表情を少しだけ緩める。
「同志と認める」
男は敬礼し、3人もようやく慣れ始めた敬礼を返す。金属が擦れ合う音を鳴らしながら、3人は怪しまれない程度で足早に転移門広場から街へと繰り出す。
この検問を突破する手口は、聖竜連合との対立が決定的になってすぐに確立されたものだ。最初の奪還作戦はいかにも聖竜連合らしい装備を職人に作らせ、占領下にある主街区に潜入しようと試みた。だが団員達からの連絡が途絶え、後になって生命の碑で名前に横線が引かれた。死因にPKという報告を遺して。
最初の作戦が失敗に終わったことを踏まえ、血盟騎士団は敵のメンバーを拘束することに注力した。迷宮区タワーから敵陣に侵入し、フィールドをうろついていたメンバー達を拉致し身ぐるみを剥ぎ、そこで彼等が
武力衝突が本格化してから1ヶ月が経った現在では、層の奪還時に拘束したメンバー達から奪った認識票と名前が使われている。こんな金属製プレートを持つだけで大丈夫なのかという懸念の声もあった。検問でマップ追跡されて、提示した認識票の本来の持ち主が牢獄エリアにいるなんてばれたら即アウトだ。しかし案外この方法は上手くいっている。名前と所属。それに認識票と追い打ちをかければ簡単に仲間と認めてもらえる。主街区の転移門はプレイヤーの出入りが激しい。それが相まって、あまり時間を食いたくない検問係の対応はおざなりになる。
何てぞんざいなセキュリティだ。指紋や網膜といった生体認証が普及した社会で生まれ育ったセツナはそう思う。そこにいる人間が本人であるという確証を得ない情報は怪しむべきなのに、あの検問係はセツナ達が認識票を持っているというだけで同志と受け入れてしまった。質の悪いことに、その緩い警備のせいで侵入を許していることに気付かず、何度も領土を奪われている。
でも実際、そういった確実なセキュリティが存在しない時代があったことも事実だ。身分証を持っているだけで別の人間に成り代われる。それを持つだけで仲間と照明できてしまう恐ろしく不用心な時代が。そんな時代をモチーフとしているアインクラッドに、現実での高度なセキュリティシステムは持ち込めない。ゲームマスターの茅場昌彦がシステムをアップデートに盛り込めば話は別だが。
とはいえ、血盟騎士団の警備も強固とはいえない。いつ聖竜連合の侵入を許してしまうかも分からない危うい状況にある。それを防ぐべく、血盟騎士団は検問の際にメインメニューの開示を求めている。自分のステータスをさらけ出すことをゲーマーは拒むらしいのだが、致し方ない。そうしなければ安全な街に入れることはできない。一応、所属ギルドの欄以外はなるべく見ないという配慮をしているようだが。
行き交うプレイヤーの殆どが聖竜連合の街はまるで鏡の国のようだ。皆が同じ色の服を着ていて、同じ赴の鎧を打ち鳴らしている。「スター・ウォーズ」のストームトルーパーのように。皆同じ。集団とはそういうものだ。現にセツナ達は彼等と同じ格好をしていることで、聖竜連合という統制された集団に紛れ込んでいる。
南門から街を出ると、遠くで撒き散らされたポリゴンの光が見える。多分、安全地帯で反乱分子の処刑を行っているのだろう。門の両脇で待機している門番に敬礼し、3人はすぐ近くに広がる森へと入る。
森の中をしばらく進んだところで止まった。3人は鎧と兜を装備から解除し、代わりに黒のフード付きコートを身に纏う。クラインは地味とあまり気に入っていないが、普段着として愛用しているセツナはこのコートがどれだけ動きやすいか熟知している。フードを被り行進を開始する。まっすぐ目的地へ向かうなら平原を通るのが一番だが、生憎そこは聖竜連合に独占されている。森の中は歩き辛いから滅多に使われないし、更に隠蔽ボーナスの高いコートを着ていることもあって、発見されるには高い索敵スキルを必要とする。
隠密スキルを最優先に上げること。セツナは主街区奪還に選抜した団員達にそう指示した。
これからの戦いは対モンスターではなく対人だ。それも正面から立ち向かうのではなく、迂回し、背後から忍び寄り、ウィークポイントを攻撃し、数秒で拘束するか殺す。
戦闘に直結するスキルしか鍛えていないクラインはかなり苦労していたらしい。彼としてはこんな隠れながら進める作戦は屈辱だろう。侍に憧れるあまり、目立って仕方ない武者鎧を防具に選択してしまう男だ。
目的地までの道中で、セツナ達はポリゴンが散っている安全地帯へと近付く機会に恵まれた。予想通り、ポリゴンは処刑された反乱分子達の残骸だった。彼等は1列に並んだ木製の十字架に縛られ、処刑人達が合図と共にその腹へライトエフェクトを纏った槍を刺していく。まるでキリストの受難のように。ある者は1撃で、またある者は数撃持ちこたえたが、皆もれなくポリゴン片へと変わっていった。
この状況も今となっては珍しくない。奪還作戦の後、聖竜連合が反抗するプレイヤー達を処刑していたなんて報告は毎度のことだ。
「くそったれが」
次の受刑者達が磔にされているとき、クラインが静かな怒りを漏らす。
「終わらせたらよ、あいつらを助けようぜ」
「その頃には全員殺されている」
素っ気ない言葉にクラインを更に立腹させる。
「プレイヤーを解放するためにこんなことしてんのに、助けねえなんてよ………」
「その場しのぎの同情で作戦を失敗させれば、犠牲者はもっと増える」
「沢山を生かすために、あいつらは見捨てるのか……?」
「そのおかげで今までの作戦は成功してきた」
作戦上において倫理は障害でしかない。そんなものは捨ててしまえ。いつの間にか、そんな意識が蔓延している。人の死。アインクラッドではそれが身近なものになっている。生命の碑は毎日名前に横線を引くことに忙しい。そのスピードは、皮肉なことに血盟騎士団が層を奪還した直後に早まっていく。
支配している指揮官を拘束すれば、この層は安全になるはずだ。そう都合の良いものにはならず、指揮官を失った街は混乱に陥る。血盟騎士団が鎮圧にあたるのだが、街にいる聖竜連合は圏外に出て特攻じみた攻撃を仕掛けてくる。その様子は地獄絵図だ。全員拘束なんて器用な真似はできず、乱戦の死者は100を越えてしまうこともある。これでも、犠牲者を最小限に留めようとした努力の結果だ。
森をモンスターとのエンカウントを避けながら南東へと突き進み、セツナ達は目的地へと到達する。森の風景は変わらないが、エリアの一角にフラグMobのイベントが発生する石碑がある。
第76層では、毎週金曜日の午前0時から3時までの間に発生するイベントで経験値稼ぎが行われている。この層から命懸けで脱出してきたプレイヤーは、そう言っていた。層の指揮を任された女指揮官は、自らもレベルを上げるためにフラグMob攻略へと赴くらしい。
SAOにおいて貴重な女性プレイヤーにして層の指揮官。指揮官というと安全な空調のきいた部屋でふんぞり返っているイメージがあるが、女性となるとそうはいかない。女性プレイヤーが上官の相手をさせられていたなんて報告も多い。彼女らが凌辱から逃れるには、ギルドにおいて貴重な戦力へのし上がるしかない。
『目標地点に到達。待機する』
書記係へとメッセージを送り、待機すること2時間。情報は確かだったらしく、森の中で列を成して行軍する一団が見えた。先頭を歩くのも情報通り女だ。華奢な体躯に見合わない鎧で身を固めている。
「行くぞ」
セツナの指示で、クラインとサダヒサが左右へと分散する。その姿が木々の群れに消えていくと、セツナは索敵スキルに発見されない範囲ぎりぎりまで近づき、ポーチから職人お手製の火炎瓶を投げ込む。列の真ん中で火炎瓶は炸裂し、暗かった森を炎で照らしてくれた。パニックに陥る一団から、セツナは敏捷度と体術スキルにものを言わせて接近し、女指揮官に体当たりして森の中へと押し込む。
女は抵抗こそしたが、背後には既に回り込んでいたサダヒサが麻痺毒のダガーを突き立て無力化する。更にクラインがローブで縛り上げ、ついでに叫び声をあげないよう猿ぐつわをする。仕上げにセツナは指揮官の手を掴み、ウィンドウを呼び出す動作をさせてギルドから脱退させる。これでマップ追跡の手段は消えた。システム上に登録されたお友達が探す可能性もあるので、安心はできないが。
後方にいる一団がパニックになっているうちに、セツナ達は担架に指揮官を乗せてその場を離れた。運ばれている間、指揮官の女は必死にもがいていた。口に挟まれた布のせいで漏れない叫びをあげる彼女に、かつて自分が《軍》にされたようにセツナはダガーで麻痺毒を継続させていく。
セツナは思い出す。かつて中央アジアの一部地域で行われていた、こうして女性を誘拐して花嫁にする風習の話を。交際どころか話したこともない、町で一目見ただけの娘を一家ぐるみで家に連れ込み、泣き叫ぼうが構わず結婚式を挙げてしまうらしい。
ふと、セツナは自分が無力の女性を連れ出していることに背徳感を見出す。無神経になれ、鈍感になれ。余計な倫理など捨ててしまえ。そう団員達に呼びかけているのは自分なのに。良心が残っているとしても矮小だ。
森を抜けた先にある平原で、女指揮官を降ろす。サダヒサに周囲の見張りを任せ、クラインが兜を脱がせる横でセツナは書記係にメッセージを送る。
『目標を拘束。尋問する』
これでしばらくすれば、血盟騎士団は大部隊を編成してアークソフィアへ攻め入る手順になっている。でものんびりはしていられない。指揮官の失踪を知れば、街にいる聖竜連合はフィールドの捜索を始めてしまうだろう。
セツナは顔の上半分が露になった指揮官を見やる。縛られてもまだ抵抗を続けていて、でも麻痺毒のせいで動作は亀のように遅い。その顔を見て、セツナは驚きとも落胆とも取れる曖昧な感傷を覚える。
「レブロ」
「知り合いか?」
「ああ」
セツナは緑色の粘液が滴る剣をレブロの喉元に添える。
「叫んだり騒いだりすれば殺す。返答以外のことを喋ってもだ。分かったのなら頷け」
レブロはセツナに怒りの視線を向けた後、ゆっくりとした動作で頷く。口元の布を外すと、弾力のある唇がぷるりと揺れた。
「あんたのギルドでの立場は」
呼吸の荒いレブロは吐息だけを口から出している。クラインが「おい」と脅しかけるも、彼にも吊り上がった目を向けている。初めて会ったときと同じ目だ。恐怖に怒りを上塗りしようとする虚勢を懸命に貫こうとしている。
剣を握る手に力を込めたセツナは、刀身を僅かばかり喉元に押し込む。レブロの白い肌に切り傷の形をしたエフェクトが貼り付いた。彼女の目から怒りが消えて、完全に恐怖の色へと変わる。
「………第76師団指揮官」
「与えられた任務は」
「76層の治安維持と、プレイヤーの育成」
「治安維持に処刑は含まれているのか」
「私の判断よ」
これがあのレブロなのか。指揮官が彼女だったという事実よりも、彼女の言葉にセツナは驚愕する。
レブロはいつも自分のギルドに怯えていて、安心することを最優先に考える女だった。それを自ら進んでレベリングに精を出し、逆らう者達を殺すなんて。
ギルドの内情についての報告も、抗争が始まった途端に途絶えた。危険と判断し彼女とのフレンド登録は解除したため、その後の彼女が何を経てこの層の指揮官へと登り詰める選択をしたのかは知らない。
「以前のあんたは、ギルバートが関わり始めたギルドに疑念を持っていたはずだ。何故今、そのギルドのために働いている」
「現実に還りたいから」
「心境が変化した過程を聞いている。なぜギルバートに忠誠を誓った」
「あなたが頼りないからよ。死神さんが攻略を率いるなんて、プレイヤー達が納得しないわよ」
「ギルドは俺の指示通りに動いている」
「私達を敵と決めたからでしょ。皆で共通の子を虐めて、結束を固めるのと同じ」
セツナは拳を頬に見舞う。こればかりはクラインも「やめろ!」と腕を掴んで制止してくる。
「お仲間さんもドン引きじゃない。本当に血盟騎士団はあなたの思い通りに動いているの?」
「返答以外の発言は許可していない」
「そう言っておきながら、あなたは私を殺さないじゃない。私からギルドの情報を聞き出すまで殺せない。そうでしょ?」
セツナは気付く。いつの間にか、レブロの瞳や声色から恐怖が消えていることに。彼女は虚勢故に挑発しているのではない。確固たる自信があるのだ。この状況下にありながら、ギルドに対する忠誠を覆さないという自信が。
ぺっ、とレブロが唾を吐いた。飛び出した唾液はセツナの右頬に命中し、生暖かい粘質の液体がゆっくりと下へ伝っていくのを感じる。
「攻略を邪魔するテロリスト共」
今度は怒りが読み取れる。それもはっきりとした怒り。彼女が本気で怒っているのが分かる。セツナに、クラインに、見張りをしているサダヒサに。3人が所属する血盟騎士団に。
「あなた達は勝てないわ。たとえ降参しても、私達は1人残らず殺す」
恐怖が嘲りへ。嘲りが怒りへ。怒りが殺意へと変わっていく。その殺意には見覚えがある。ボスの間でセツナ達を襲った聖竜連合の攻略隊。穏健派から過激派へと転向したヤマタ。レブロの目は彼等と同じ殺意を秘めている。
「何があんたをそうさせた」
「これは私の意思よ」
同じだ。この1ヶ月で拘束した者達は、最初こそ怯えるなり喚くなり様々な反応を見せていたが、最後には揃って明確な殺意を剥き出しにしてきた。
彼等は狂っているのか。レブロもまた狂っているのか。そうなってしまえば、まともな返答は期待できない。
おぞましい。ナミエを失い、ただ復讐と喉の渇きを癒すために生きてきた自分を見ているようだ。抑えきれない衝動に身を委ねるその姿は見るに絶えない。自らが犯した罪を自覚していないなら尚更だ。
俺も狂っているのか。
違うと、内側から迫る迷いを振り切るようにセツナは聞いた。
「どうしてあんたは狂った」
「私は狂っていない。狂っているのはあなたよ」
自分は誰かに強要されて殺してきたんじゃない。自分の意思でゾディアークを、犯罪者を殺すと選択した。それなのに迷いは消える気配がない。それが本当にナミエを想ってのことなのか、自分の根底にあるのが愛しい感情なのか分からなくなっている。
自分の動悸が早まっていくのを感じる。
「何故だ」
セツナは問い続ける。レブロは答えずに沈黙を決め込んでいる。それでもセツナは問わずにはいられない。その問いがレブロに対してなのか、自分に対する問いなのか曖昧になっていく。
「あんたは何故――」
「離れろセツナ!」
クラインの手がセツナの両肩を掴む。されるがままに上体を後ろへと反らされ仰向けに倒れる。
レブロはどうやら、自分から首を剣に押し込もうとしていたらしい。押し込む前にセツナが剣を放してしまったから、彼女の首は体にくっ付いたままだ。
「何でだよ………」
クラインは静かに、それでも激しく怒気を込めた口調で言う。
「何でこんなことすんだよ………。ゲームクリアって目的は同じだろうが………!」
セツナはゆっくりと立ち上がる。サダヒサも自分の背後で起こった状況を把握すべく、見張りを忘れてセツナ達へと視線を向けている。
自分の意識じゃないようだった。まるでレブロの狂気が自分の中に乗り移ってくるような錯覚を覚える。
「もう、まともに返答できる状態じゃない」
その判断ができるほどに冷静さが戻ってくる。
レブロは地面の草に顔を埋めている。微かにすすり泣く声が聞こえた。なぜ泣いているのか。そんな質問にも答えてくれそうにはなかった。
不意に視界のメッセージアイコンが点滅を始めた。タッチしてウィンドウを開く。
『主街区に向かった部隊が苦戦している模様です。団長は至急、加勢に向かってください』
アークソフィアのある方角へと視線を向ける。街灯の光が漏れだす街の横で、おぼろげだが青い光が見える。
「どうしたんですか?」
「主街区の制圧に苦戦しているらしい。アークソフィアに行ってくる。サダヒサとクラインはここで待機。敵が近付いてきても交戦は避けて移動しろ」
指示を飛ばしたセツナは森へと駆け出す。索敵マップを展開しながら進む道中、事態を知らされていないのか処刑が継続されていた。来た時と同じように繰り広げられている悲劇に目を背け街へと急ぐ。
「なんでや! なんでワイらがこんな目に遭わないかんのや‼」
通り過ぎると、背後から嗚咽交じりの声が聞こえる。必死さを感じる大声だったが、距離が広がっていくうちに聞こえなくなる。もう殺されてしまったのか。それともこれから殺されるのかは分からない。
彼等の死も、これから増える死に埋もれていくのだろうと思いながら、セツナは走り続けた。
♦
1時間半にも及ぶ戦いを経て、血盟騎士団の部隊はグランザムに帰還した。オレンジに転向したセツナはカルマを回復しなければならず、クエストを終えた頃には午前4時を過ぎていて、外周から白みはじめた空が見えた。街の街灯も消えていた。
帰還していた団員達が路地の端でうなだれている街を歩き、セツナは本部へと入る。本部のロビーにも団員達がすし詰め状態で休息をとっていた。
「お疲れさん」
会議室に入ると、行儀悪く机に座っているクラインが疲れた顔で出迎える。部屋にはセツナの他にクラインしかいない。多分、他の参謀職達は奪還したアークソフィアにまだ残っているのだろう。
「サダヒサは」
「あのレブロとかいう女を監獄に連れてった。今回は何人死んだ?」
「こちら側の死者は24人。聖竜連合側は分からないが、多分街にいた連中の殆どは死んだ」
「………そうか」
クラインは頭を垂れる。慰めになるかは分からないが、セツナはアスナから持たされたバケットを差し出す。目の前に何かがあることに気付いたクラインは、間の抜けた顔でバケットとセツナの顔を交互に見る。
「アスナの手作りだ」
「いいのか?」
「2つ持たされたからな。余っても仕方ない」
「おう……」とクラインはバケットを受け取り、中に入ったサンドイッチにかぶりつく。
「……美味え」
食欲に火が点いたのか、クラインは立て続けに頬張り一気に食べた。セツナも自分のサンドイッチを食べる。本当に美味い。見た目はサンドイッチなのだが挟まれているのは肉のパティとレタスで、味付けは照り焼きソースだ。その味は紛れもなく、現実で部活帰りによくチームメイト達と食べていたハンバーガーだった。
「これ、キリトのために作ったんだろ?」
「ああ」
数瞬の沈黙を経て、クラインはバケットに手を突っ込み2つめのサンドイッチ、もとい照り焼きバーガーを掴みがっつくように食べる。食べながらクラインは泣いていた。鼻をすすりながら、時折むせ返りながらも構わず食べ続け、一気に飲み込んだ。
「俺、デスゲームが始まったとき、キリトと一緒にいたんだ」
クラインは涙を手甲で拭いながら語り始める。懺悔室で神父に告白するように。その声はとても彼とは思えないほど弱々しい。
「生き残るために一緒に来いって言われたのに、俺……、断ったんだ。そんとき一緒にログインしたダチを見捨てられなくてよ」
クラインは鼻をすすり続ける。
「あいつの気遣いを踏みにじったってのに……、あいつヒースクリフと戦う直前に、そのこと謝ってきたんだ。他人に無関心な振りしてお人好しだぜ。本当に………。俺は、あんときの俺を赦せねえよ。あいつから貰った蘇生アイテム……、売り飛ばしちまった………」
セツナは黙ってサンドイッチを食べる。この手の懺悔に似た告白は、本人に全て吐き出させるのが一番だ。
クラインも罪を背負っている。傍から聞けば、別に背負う必要のない罪だ。でも彼はそれを背負うと選択してしまった。キリトを死なせ、同じギルドの仲間を死なせ、自分だけがのうのうと生きていることが赦せず。
死者は赦してはくれない。なら誰が赦してくれるのか。そう問い続けてきたセツナは気付いてしまう。
償いの対象が既にいない罪を赦せるのは、罪を抱えた本人だけだと。
自分は死者のために何かした。自分は贖罪に値する苦行を味わった。自分は罪に相当する罰を与えられた。だから罪は消えた。
気の持ちよう。開き直り。つまりはそういうことだ。
それは本当の意味での贖罪じゃない。でも、それ以外に罪の意識が消える方法はもうないのだ。死者も神も赦してはくれないのだから。
それでも、とセツナは自分の在りようが導き出した結論と矛盾していることを理解する。
セツナは自分を赦すことができない。セツナが赦してほしいのは自分ではなく、罪の対象であるナミエであることは変わっていない。滑稽だ。償いのために罪を背負い、負の連鎖に陥った末に出した結論も足蹴にしてしまうなんて。
「団長」
ノックもせず偵察隊長が入ってくる。クラインは慌てて涙を拭った。
「32層も奪還できたか」
「いえ……、失敗しました」
他の団員達に漏れず、偵察隊長も疲れ切っている様子だ。いつもの気迫がなく、声もしわがれて老け込んでしまったように思える。
「損失は」
「マップから反応が消えたのは……、48人です」
それは、第32層奪還のために編成した部隊の3分の1に及ぶ人数だった。第32層は金属素材が豊富に採れる鉱山があり、いわば武器作成、しかも大量生産するのに要となる層と言っていい。聖竜連合の補給を断つために、同時進行で作戦を行った第76層よりも多くの人員を割いた。作戦成功をより確実にするためだ。
しかも48人。第76層奪還の死者24人と合わせれば、とても少ない損失とは言えない。血盟騎士団のギルドメンバーは1300人を越えている。聖竜連合から逃れた攻略組と下層に留まっていた者、更に《MMOトゥデイ》を吸収して巨大化させたのだが、実際に戦闘に駆り出せるメンバーは3割程度で、層奪還に生じる犠牲で数は日を追うごとに減少している。大半の者が強化に専念しなければならないのだ。
か細い声のまま、偵察隊長は続ける。
「鉱山麓の村を制圧しにかかりましたが、鉱山の中に増援が潜んでおり、戦況が不利と判断し転移結晶での撤退を命じました」
「そうか、判断は正しかった。よく戻ってきてくれた」
形だけの労いをかけ、セツナは扉へと歩く。団員達の状況を書記係から聞かなければ。そう思ったのだが、コートの裾を掴まれ立ち止まる。セツナを止めるのは、ひどく怯えた表情を浮かべる偵察隊長だった。まるで幽霊でも見てきたたような顔だ。
「団長……、敵はPKを心得ています……。死んだ者の多くが、成す術もありませんでした………」
「対策を練る。今日はもう休め」
そう言ってセツナは偵察隊長を引き剥がす。意外な光景だ。死神と呼ばれたセツナにあからさまな嫌悪感を示していた彼がすがりついてくるなんて。それほどまでに緊迫した状況だったというのだろうか。だがセツナは、偵察隊長の身に起こった事態を想像することができた。俯瞰から客観視するのではなく、自分にも同じことが起こったかのように主観的な想像で。
セツナが加勢に駆けつけたアークソフィア前で行われた乱戦。血盟騎士団が街を包囲し、街の転移門から増援が現れるとお約束のように起こるいつもの戦いだった。でも、その時ばかりは様子がいつもと違った。聖竜連合達はやみくもに武器を振るのではなく、しっかりと頭や左胸を狙ってきた。麻痺毒を仕込んだ攻撃によって倒れて、なぶり殺しにされた団員もいる。
対人、即ち人殺しの技術。彼等はそれをしっかりと心得ていた。
PK手口は以前から一般プレイヤーの間に広く知れ渡っていた。レッドプレイヤーの襲撃に備えるためであり、公表されても実行に移す者なんていない。ポピュラーな手口の中で最もお手軽で確実なのはポータルPKくらいで、それ以外は純粋にプレイヤーとしての力量や特殊なスキルの習得が必要になってくる。そんな技術を身に着けないのはSAOがデスゲーム故なのだが、それ以上にゲームとして「不必要」だからでもある。
対人戦闘なんてものは腕試しだ。PKで経験値は手に入らないため、嗜虐的愉悦を感じる以外にメリットはない。だから、いくらレッドプレイヤー対策だろうと一般プレイヤー達がPK手口の研究に手を出すことはしなかった。
だが、本来ならば攻略組ギルドであるはずの聖竜連合はPKを熟知しているようだった。そうなると、おのずと彼等が擁しているものが見えてくる。
聖竜連合にPK技術を提供した者。その人物を探し出すことが、この戦争の雌雄を決する。
♦
コンクリート造りの監獄は窓がなく、昼も夜もない。こんな場所に長くいたら体内時計が正確性を失い生活習慣が狂いそうだ。それでも囚人達が健康被害を訴えないのは、肉体が血も内蔵も詰まっていないポリゴンで形成されているおかげだ。現実の肉体は常時健康状態が監視された状態にあるから、その点は心配がない。
階段を下り、セツナはロウソクの弱々しい火を頼りに監房の廊下を進む。
「ねえあんた。外はどうなってるの?」
通りがかった監房から女の声が聞こえる。一瞥すると、燃えるような赤い髪の女が鉄格子を掴んで物乞いのように卑屈な目を向けている。見覚えがある。以前ヒースクリフから壊滅させるよう命令を受けていたオレンジギルドのリーダーだった女だ。セツナが手を下す前に第3者の介入を受け、ここに収容されている。確か名前はロザリアといったか。
「ねえってば」という声を無視して、セツナは廊下を進んでいく。無数にある監房のひとつで足を止め、鉄格子の奥にいる女に語りかける。
「調子はどうだ、レブロ」
コンクリートの床にうなだれていたレブロは頭を上げる。
「………最低ね」
虚ろな声。目もまた虚ろで何を映しているのか分からない。構わずセツナは質問を重ねる。体調が悪くなるはずはない。
「層の占拠を命令したのはギルバートか」
「そうよ」
「なぜあんたはギルバートに忠誠を誓った」
レブロは再び頭を垂れて黙りこくった後、顔を左右に振る。
「………分からないわ。私があなた達を敵視する意識は確かにあった。でも……、どうしてそう思うようになったのか分からないの………」
「そうか」
ある程度予想できた答えだ。占領が始まった直後に拘束されたヤマタも、自分の意識の変容を答えることができなかった。
報告によると、この監獄に送られたヤマタは獄中で死んだ。死因は回線切断だった。監房から消えていることが確認されてしばらく、生命の碑に刻まれた彼の名前に線が引かれたことが確認されている。パニックや絶望。過度な精神的負担による意識障害でナーヴギアが脳の信号を拾えず、回線が切断された状態が2時間続き死亡するという事例はデスゲーム初期に頻発していたらしい。
「あんた達に対人戦闘を教えたのは誰だ」
唐突に話題を変えたことに、レブロは少し驚く素振りを見せる。
「どうしてそんなことを?」
「以前の聖竜連合はオレンジ化を辞さない集団だったが、犯罪行為に特化しているとは言えなかった。むしろ犯罪者狩りを推奨する節すらあった。なのに、ギルドのPK戦術は洗練されていた。ノウハウは最近、ギルバートがそっちに移ってから持ち込まれたんだろう」
レブロは焦点の合わない目で宙を眺め、うなずく。
「あなたの言っていることが当たってるかは分からないけど……。確かに、ギルバートさんがリーダーになってから、ギルドの強化方針が変わった……、気がする」
「強化を主導していたのはギルバートか」
「ううん、違うわ」
「なら誰だ。誰がメンバーを育成していた」
セツナは思わず答えを急いでいる。潜んでいた焦りが明確になり、最初は距離を置いていた鉄格子に自分から近づいていることに気付く。
かなりまどろっこしい聞き方だが、セツナにはレブロから出てくる人物に大方の検討がついている。その人物の名前を出していたのはレブロの方なのだから。
セツナに戸惑いの目を向けながらも、レブロは答える。
その名前は何度聞いても簡潔で味気なく、それがどこか不気味でもあった。
「ポールよ」
なんかキバオウに全部持っていかれたような気がします。
「そういやこんな原作キャラがいたな」と思い出して登場させただけなのに、なんて存在感でしょう。