ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト 作:hirotani
アスナはどちらかというと、キリトにデレるとこの方が印象深いから。
リズベットの気の張り方はどこか悲しげだからいいんです。失恋した女の子って魅力的だと思いませんか? 大人っぽくて。
ひゅー、とすき間を通り過ぎる風の音が聞こえる。その音にあたしの意識は徐々に覚醒して、目蓋を開けた。
割れた石造りの天井から、一筋の朝日が遺跡に差し込んでいた。焦点を合わせると、光に照らされた砂埃が舞っている。綺麗だな、とまだ寝ぼけているあたしは思った。
体を起こそうとした時に、あたしは自分の体が柔らかいベッドロールに収まっていることに気付いた。確か、寝床なんて用意していなかったはずなのに。
「起きたか」
そんな抑揚のない声が聞こえてくる。視線を巡らせると、影の中に紛れてしまう黒いコートを着たセツナが、あたしのすぐ傍に座っていた。
彼の姿を視認して、あたしはベッドロールで寝ていた理由を理解し、同時に眠気が吹っ飛んだ。
「ま、ま、まさか……。これ用意したのあんた!?」
「ああ」
飛び起きてベッドロールを指差すあたしに、セツナはあっけらかんと答えた。
「あたし自分からこれに入ったの!?」
「だとしたら寝相が悪すぎる」
またあっけらかんと、この男は答えた。
ということは、眠っていたあたしはこの男に抱えられてベッドロールに入れられたということだ。
「あ、あんたね……」
肩をわなわなと震わせるが、そんな自分が馬鹿らしくなってすぐに治まった。ポーチの中を確認すると、結晶アイテムはしっかり入ったままだった。
「……ありがと」
せっかくの厚意なのだから、感謝すべきだよね。むしろ、寝ている間あたしに何もしてこなかったんだからもっと信頼すべきだ。悪い人じゃないんだし。
「あんたは一睡もしなかったの?」
「ああ」
「少し寝とく?」
「一日寝なくても問題ない」
「たくましいことで……」
感心、というより呆れながら、あたしの視線はセツナの前に置かれている飾り気のないティーセットに向いた。ランタンとポットとカップ。どうやらお茶していたらしい。というか、この男は料理スキルゼロのくせに自分でお茶を淹れたのだろうか。
「飲むか」
セツナはそう言ってもう1つカップをオブジェクト化させて、ポットから黄色という怪しい色をしたお茶を注いで手渡してきた。あたしは少し物怖じしてしまう。食材アイテムのランクが高ければそれなりの味になるけど、昨晩の苦くて生臭い焼き魚の味はまだ鮮明に覚えている。
どうかランクの高いお茶でありますようにと祈りながら、あたしはカップの中身を啜る。
「マズい……」
「料理スキルゼロだからな」
「こんなものよく飲めるわね」
はあ、とため息をついたあたしはカップを傾けて、中身を床にぶちまけた。ついでにポットに入っている残りも、セツナが持っているカップも取り上げてその中身も全部。床を濡らした液体はすぐにポリゴンの欠片になって砕けた。液体が砕けるなんて、おかしな演出だけど。セツナは無表情のまま、右手がカップを持つ形のまま固まっている。
「どうした」
「水と茶葉出して。あたしが淹れる」
セツナは素直に水と小袋をオブジェクト化させた。小袋をクリックすると、アイテム名を表示したウィンドウが浮かび上がる。
「《ドクダミアンの茶葉》って、こんなのどこで手に入るのよ?」
「アルゲードの怪しい店で譲ってもらった」
「………もしかしてエギル?」
「あいつを知ってるのか」
「よく素材の仕入れに行くのよ」
どうせ在庫を抱えた不良品を押し付けられたんだと思いながら、あたしは茶葉と水をポットに入れた。あたしの料理スキルでも、お茶の怪しい黄色は変わらなかった。そして味も。あたしのスキルのせいか、それとも茶葉本来の味なのか、湿布みたいな味がした。恐ろしいことに、さっきよりマシだと思えてしまう。
あたしはその香りに顔をしかめるけど、セツナは何食わぬ顔で飲んでいる。この男は味音痴だと、あたしは確信した。
「今日も遺跡を探すの?」
「いや。確か遺跡から村に戻る途中、虫型のモンスターとエンカウントするらしいが」
「そうだけど、不死属性がついてるから絶対に倒せないわよ。必ず出るみたいだけど、クエストのイベントでただ逃げるだけみたいだし」
「もしかしたらダメージを与えられる箇所があるのかもしれない。検証の余地はある」
「まあ、そうね」
正直、あたしはこのクエストで最後に訪れる虫型モンスターとのエンカントだけがネックだった。モンスターは巨大な芋虫とのことで、あたしは虫が嫌いだから一目散に逃げたい。でも一応この男はお客だし、そもそもクエストに着いていきたいって言ったのはあたしだし、仕方ない。
「目的が決まったところで、朝食にするか」
「あんたは食材を出すだけにして。あたしが作るから」
♦
「いやああああああっ‼」
絶叫しながら、あたしはラクダを走らせた。後ろには、まるで特撮怪獣みたいな巨大芋虫が砂の上を這って追いかけてくる。
朝早く遺跡を出たあたし達は、村まであと少しといった所で情報通り虫型モンスターとエンカウントすることになった。
でも―
「グロいっ、キモいいい‼」
うねうねと動く体、何個も並んだ目玉、不揃いな牙が生えた大きな口と、そいつは虫嫌いなあたしを恐怖させるのに十分な要素を持ち合わせていた。
あたしは愛着が湧いていたラクダの尻を鞭でがむしゃらに叩き、芋虫との距離を離そうとする。
突然、ラクダはがくんと体勢を崩した。前のめりになったあたしはラクダの背中に顔をぶつけて、振り落された。あたしは地面に落ちて、砂が芋虫へと流れていることに気付いた。いつの間にか、砂漠には芋虫を中心としたすり鉢のようなくぼみができていた。
ラクダは砂の奔流から脱出しようと暴れているが、暴れるほど底なし沼のように体が沈んでいく。あたしの体も砂に沈み始めていた。
「いや……っ」
もがくあたしの視界に、砂の傾斜を凄まじい速度で走るセツナがいた。セツナは何を思ったのか、剣を抜いてあたし目掛けてソードスキルを放ってきた。でも光を纏った剣先はあたしに直撃することはなく、あたしを呑み込もうとする砂を撒き散らした。沈んでいたあたしの膝から下が姿を現す。
「掴まれ」
セツナは昨日と同じようにあたしを肩で背負い、砂の急斜面を駆けあがった。あたしは抵抗することなく、セツナの体にしがみついていた。
くぼみの淵へ到達すると、セツナはあたしを降ろした。
「ここにいろ」
それだけ言うと、セツナは猛ダッシュして離れていく。すり鉢の淵に沿って走るセツナの手から、一筋の閃光が飛んだのが見えた。多分投擲用ピックだろう。ピックは真っ直ぐ芋虫へと飛ぶも、そのてらてらと光る芋虫の体に刺さることなく紫色の障壁に弾かれた。【Immortal Object】というシステムタグが視界に映る。
攻撃に気付いた芋虫は頭をセツナへと向けて、その大きな口から砂のブレスを吐き出した。セツナの体が砂の奔流に吞み込まれる。
「セツナ!」
あたしは自分の下にあるセツナのHPゲージを見た。
「え……」
HPはほとんど減っていない。わずかに減少しても、すぐに回復している。あたしはそれが《バトルヒーリング》のスキルだとすぐ察することができた。あいつも同じスキルを持っていたから。
芋虫が吐き出す砂の奔流へ視線を向けると、その中に幾筋もの光が迸っているのが見えた。ブレスの中から、ライトエフェクトを纏ったセツナが脱出する。
あのブレスをあんな細い剣で防ぎ切れるほどのソードスキルなんてあっただろうか。あたしは2発目のピックを投げる彼に、彼と似た黒衣の剣士を重ね合わせた。
セツナの投げたピックは、今度は目玉に当たる寸前で紫色の障壁に阻まれた。セツナはくぼみの中へ飛び降り、その中心へと走り出す。
「まさか直接攻撃するつもり!?」
強いからって無謀すぎる。あの芋虫は不死属性だから戦っても無駄と、まともに戦おうとするプレイヤーはいなかったのだから。
不意に、横から何かがあたしの頭を蹴った。突然の出来事に体勢を立て直す余裕もなかったあたしは、砂の流れるくぼみの中へと放り込まれた。景色が猛スピードで駆け抜けていく視界の中に、くぼみの淵へと上がるラクダがいた。砂に呑み込まれたと思っていたのに。もがいているあいつに蹴られたんだと、あたしは一瞬で悟った。
傾斜を転がるあたしは砂の流れに抗えないまま、芋虫へと向かっていく。芋虫は体を浮き上がらせて、その巨体を地面に打ち付けた。
周囲の砂が舞い上がり、その範囲にいたあたしの体も宙へ投げ出される。高く飛んだあたしの真下で、芋虫が大きく口を開けているのが見えた。
また砂のブレスが来るんだと、あたしは不思議なほど冷静に考えていた。こんな宙で防げるようなスキルなど持ち合わせていないというのに。
それが覚悟なのか諦めなのかはっきりしないけど、あたしは四肢を投げ出した。
そんなあたしの右手が力強く掴まれた。
あたしは閉じかけていた目を見開く。コートをはためかせた、あいつとは別の黒い剣士が、あたしの手を握っていた。
「セツナ!」
セツナはあたしの体を引き寄せると、一旦掴んだ手を放して抱きかかえてきた。
「掴まっていろ」
静かにセツナが言う。あたしは素直にセツナの首に腕を回した。
あたし達の体は重力に身を任せたまま、芋虫の口の中へ、その奥に広がる闇の中へと落ちていった。
♦
見慣れたリンダースの、あたしの店だった。
あたしはいつものように工房に籠ってハンマーを振り、たまに店頭で馴染みのお客と談笑する。
夕暮れが街を茜色に染める頃、閉店した店にあいつが帰ってきて「ただいま」と言う。
あたしは「お帰り」と、あいつを迎える。
ああ、夢だ。すぐに分かった。
あいつがあたしの家に帰ってくるはずがない。あいつの隣にいるべきなのは、凛々しくて綺麗なあたしの親友の方なんだから。
幸せな夢なのに、あたしは早く覚めて欲しいと願う。意識はその願い通り、あたしを眠りから仮想の現実へと引き戻していった。
目蓋を開ける。
「キリト……」
あたしの横に立っているその背中を見て、無意識に呟いてしまった。キリトではないその男は振り向いて素っ気なく言う。
「大丈夫か」
セツナはポケットからハイポーションを取り出して、体を起こしたあたしに渡した。見れば、あたしのHPは3割ほど減っていた。
「飲んでおけ」
「……うん」
あたしは甘酸っぱい液体を飲み干すとあたりを見渡した。セツナが持っているランタンがなければ、完全に暗闇だ。ランタンの光もそんなに強いものではなくて、あたし達の周囲を照らすだけが精一杯みたいだった。
セツナが壁を照らすと、濡れているのかランタンの光を反射した。心なしか、壁が動いているような気がする。
「ここは?」
「あの虫の腹の中、という設定のダンジョンみたいだ」
「あたし達、飲み込まれたってこと?」
「そういう事だな」
通りで倒せないわけだ。モンスター自体がダンジョンなんだから。ということは、この芋虫の体内はクエスト攻略に必要なダンジョンということだろうか。
今まで誰も掴めなかった新情報を手にしたというのに、あたしは嬉しいと思えなかった。コンティニューが存在しないSAOで、ダンジョンは見つけることよりも、脱出することの方が重要なのだから。
「ここ、転移結晶で脱出できないの?」
「結晶無効エリアみたいだ。回復結晶は使えなかった」
「出口とかは?」
「口から出ようと走ってみたが、傾斜がきつい上に地面が滑って出られそうにない」
「まさか、またあたしを抱えて走ったの?」
「ああ」
「相変わらず無茶するわね」
あたしは不思議と腹が立たなかった。 セツナはあたしに「持っていてくれ」とランタンを渡し、剣を抜いて歩き出そうとする。その黒いコートの裾を、あたしは掴んだ。
「何だ」
「少し、休んでからにしよう」
「そんな暇はない」と言われてしまうんじゃないかと思ったけど、セツナは黙って剣を収めると、あたしの隣に座った。いつの間にか、あたしは笑みを浮かべていたみたいだ。
「何がおかしい」
「ごめん、ちょっと嬉しくて」
この朴念仁な男は、あたしの言葉の意味が分からないだろう。頭上のカーソルが?マークに思えてくる。
「セツナは……、何であたしを助けてくれたの? あんたなら、1人で逃げることもできたでしょ?」
「あんたに死なれたら困る」
短く端的にセツナはそう答えた。相変わらず抑揚はないけど、迷いのない言葉なのだとあたしは信じることができた。
こんな所まであいつに似ている。馬鹿正直で、ストレートで、温かい言葉をあたしにかけてくれる所も。
あの時、あいつとドラゴンの巣穴で野営した時と同じように、胸が締め付けられる。あの時は涙を抑えることができたけど、この時のあたしは抑えることなく泣いた。この世界に来て3度目の涙だった。
あたしは酷い女だと思う。
隣にいる人があいつだったらと思ってしまった。
この人の隣なら、あたしはいてもいいんじゃないかと思ってしまった。
こんな酷い女は世の中にそういない。セツナをあいつの代替品みたいに考えた自分に嫌悪感を覚えた。あたしなんて死んでしまえばいいと本気で思った。
あいつはあいつで、セツナはセツナなのに。
セツナの温かい言葉が、まるで炎を纏った剣のようにあたしの心を貫き、焼くようだった。素直に彼の言葉を喜べないことも、あたしの自己嫌悪に拍車をかけた。
セツナは泣いているあたしに何も言葉をかけなかった。傍から見れば冷たい人だと思う。でも、これが彼の優しさなんだ。下手に慰めの言葉をかけるより、あたしに好きなだけ感情を吐き出させてくれる所が。
「ごめん……。もう大丈夫」
やっと涙が止まると、あたしは掠れ声で言った。
「気を悪くしたなら謝る」
「違うの。セツナが、あたしの好きだった人にそっくりでさ」
「キリトか」
「会ったことあるの?」
「いや。2度も名前を間違えられれば覚える」
「ああ、ごめん……」
あたしは抱えた膝に顔を埋める。今更だけど、とても恥ずかしくて顔を見られたくなかった。
「あんたが泣くほど、酷い男だったのか」
「ううん、その逆。あたし、この物も人もデータの世界の何もかもが偽物だと思ってて、それで本物の何かをずっと探してたんだ。キリトが、その本物をあたしにくれたの。セツナと同じ、人の温かさ。でも、あたしの親友もキリトのことが好きで、その娘ものすごく綺麗で強いから、あたしの出る幕は無いんだなって、諦めた。もう、あいつみたいな人は現れないと思ったから、セツナが言ってくれた言葉がとても嬉しかったんだ」
こんなこと、誰にも言わないと思っていた。胸の中に一生しまっておくんだなと思っていた。なのに、この人には話してもいいと思えた。
「あんたにとって、キリトのことは辛い記憶でしかないのか」
「え?」
「キリトがあんたにくれた本物は、今のあんたにとっては余計なものなのか。余計なものなら捨てればいい。そうすれば泣くほど辛くはならないだろう」
セツナに返す言葉を、あたしはすぐに思いつかなかった。探す必要があったからだ。あたしがあいつを好きになった理由を。
ドラゴンから助けてくれたから?
いや、違う。そんなドラマチックなものじゃなかった。
キリトと交わした他愛もない会話。キリトと食べたホットドッグの味。キリトがくれた毛皮のマントの感触。キリトが食べさせてくれたスープの香り。キリトが握ってくれた手の温かさ。
それらの何気ない小さなものたちが、少しずつ、あたしの冷えた心を溶かしてくれたんだ。
あたしは胸の奥が、ぽっと温かくなった気がした。それはまるで、ろうそくに小さな火が灯ったような、そんなささやかなもの。
それを感じて、あたしは確信する。
あの熱は過去のものじゃない。まだあたしの中で燃え続けている。
「ううん、余計なものなんかじゃない。キリトがくれた本物のおかげで、あたしはこの世界を生き抜こうって思える。あいつがあたしに、生きる勇気をくれた」
あたしはセツナを見つめる。その姿にキリトが重なる。まだ、あいつのことが好きなんだなあと、我ながら呆れた。
「ならここから脱出する方法を探す。あんたには意地でも生きてもらう」
セツナは立ち上がった。あたしも続いて立ち上がる。不思議と、いつもより足が軽く感じた。
「そうね、でもここまで来たら金属見つけようよ」
「ああ、あんたには俺の剣を作ってもらわないとな」
「あんたじゃなくて、いい加減名前で呼んでよ」
「……ああ、リズベット」
セツナから出た自分の名前に、あたしは笑みを零した。名前を呼んでもらえるのは、やっぱり嬉しい。
歩こうとすると、セツナは「待て」と掌を出して止めた。
「足元を見て歩け。胃液に触れたらHPが減る」
足元にランタンを近付けると、そこら辺に水溜りのようなものがあった。
セツナは暗い胃の中を進んでいく。足元の胃液を避けながら、周囲へと視線を巡らせていた。あたしにはランタンが照らしている所しか見えないけど、多分セツナは索敵スキルを鍛えているんだと思う。索敵スキルを上げれば、暗闇でも視覚が補正されて見えるようになるらしい。
どうやらこのダンジョンはモンスターが出ないらしく、あたし達は胃液にだけ注意を向けることができた。このダンジョンを発見できれば、それほど難易度は高くないのかもしれない。
「リズベット」
呼ばれたあたしは、セツナの視線の先へランタンを向ける。目の前に、白い壁が立ち塞がっていた。
「これって……」
「よく見てみろ」
あたしはランタンを上下させ、それの全貌を把握した。それは壁ではなく、あたし達の背を超えるほどの楕円形のオブジェクトだった。
「卵だ」
「この虫こんなものまで飲み込んだの? とんだ食いしん坊ね」
まあ、ゲームだから「設定」なんだけど。
「これがどうかした?」
「胃液に溶かされていない」
あたしは何となく、セツナの意図が分かった。大抵、あたしにとっては酷なことだ。
「これに入るっての?」
「ああ」
セツナは剣で卵に小さく三角窓を開けた。人1人なら入れそうなサイズだ。剣を刺したら中から灰色のドロドロとした液体が流れ出たけど、セツナは気にしなかった。あたしは「ぎゃっ」と悲鳴をあげたが。多分中身は腐敗して溶けた、ということだろう。
「こんなのに入ってどうするのよ?」
「体内の異物というのは、生理現象で自然と外へ排出されるらしい」
「生理現象……」
その意味をあたしは理解する。
「まさか、こいつのお尻から出るってこと!?」
「その通りだ」
「無理無理無理! 絶対ムリ‼」
前はドラゴンの排泄物を触らされて、今度は排泄物になるなんて御免だ。こんな所まであいつに似なくていいのに。
げんなりと肩を落とすあたしをよそに、セツナは暗闇の中を突き進んでいく。ピチャピチャという濡れた足音が止んだと思えば、今度はごそごそと小さい物音が聞こえた。
「セツナ?」
あたしはランタンを掲げてセツナへと近付く。セツナは剣で何かをつついていた。セツナの剣先へとランタンを近付けると、あたしの目の前に白い頭蓋骨が現れた。
「うわああっ」
大きく仰け反って、危うく胃液の水溜りに尻もちをつきそうになったけど、転ぶ寸前でセツナが手を取ってくれたおかげでそれは免れた。
あたしは深呼吸して、もう一度ランタンを近付ける。頭蓋は完全に白骨化しているわけではなく、まだ肉がこびりついていた。残った頭皮からは髪が伸びている。その白骨、というより消化されかけた死体は1つだけでないようだ。何人もの死体が胃液で溶かされた後にまた凝固して、1つの肉の塊になっていた。まるで魚の煮こごりみたいに。
「これ……、何?」
「モンスターに飲み込まれた集団の死体みたいだ」
それがオブジェクトであることは理解できるけど、何てリアルなものを作ってくれたのか。余計なことに凝視すればシステム補正で更に生々しいディテールがもたらされる。
あたしは思わず吐きそうになって口に手を当てるけど、セツナの方は何食わぬ顔で剣をゼリーみたいにプルプル震える塊に突き刺している。そしてあろうことか、セツナはその煮こごりの中へ左手を突っ込んだ。
「な、何してんのよ!」
あたしの質問には答えず、セツナはグジュグジュと気持ち悪い音を立てながら中をかき回し、抜いた。その手に掴んでいるのは―
「
セツナの掌からはみ出す長方形の物体。あたしはそれを毎日見てきたから、すぐに分かった。ゼリー状になった死体の体液にまみれているけど。
セツナは手にはめたグローブで体液を拭き取ると、あたしへと差し出した。あたしは恐る恐る、指で僅かに朱色に輝く表面をクリックする。ポップアップウィンドウに表示されたアイテム名は《ヒヒイロカネ・インゴット》。
「これって……、クエストの金属?」
「このモンスターがクエストで出現するのなら、そうだろうな」
「でも何でこんな所に……」
「あの遺跡でこれを手に入れた旅人の一団が、運悪くこいつに飲み込まれた。というクエストのシナリオだろう」
「随分と凝ったシナリオね……」
セツナは朱色の金属を自分のストレージに納める。
「後は脱出するだけだな」
「方法があればいいけどねえ……」
とりあえず方法を探して試すしかないか。と気の遠くなることを考えていたあたしに、胃の中を見渡したセツナが言った。
「リズベット、卵に入れ」
「え?」
「脱出する」
「ちょっと、あたしお尻から出るのは嫌よ」
「そうじゃない。いいから入れ」
あたしは渋々、セツナが明けた三角窓から卵の中へ入る。何だか、SF映画で見る宇宙船の脱出ポッドみたいだと思った。
「そこから出るな」
それだけ言って、セツナは卵から離れて剣を構える。あたしは彼が何をするつもりなのか、三角窓から見ていた。
セツナの剣が青い光を帯びていく。するとセツナは猛ダッシュし、ピンク色をした粘膜の壁に剣を滑らせた。光の尾を引いてセツナはジャンプし、そしてまた剣を壁に振っていく。
ダンジョンの床や壁は破壊不能だ。そのはずなのに、セツナの剣は紫色の障壁に阻まれることはなく、【Immortal Object】のタグも浮かばない。セツナはその場から離れると、反対側の粘膜にもシステムに規定された剣技を放った。次々と胃の中に赤いエフェクトが刻まれていく。
突然、地面が震えた。ゴゴゴという轟音が響き渡り、あたしはバランスを崩して卵の中で転んだ。
セツナがするっと三角窓から入ってくる。その衝撃で卵が倒れたのか、上下が逆転してあたしの体は卵の中を転がって何度もセツナとぶつかった。
「ちょっと、狭い!」
「我慢しろ」
揺れが激しくなっているのが分かった。卵が揺れているのか、胃が揺れているのかは分からない。卵の中でピンボールみたいに跳ね回っているあたしの三半規管は完全に混乱しているみたいだった。
揺れの中で確かに感じることができるのは、セツナの声だけだった。
「出るぞ」
散々揺れた後、今度はふわりと重力を感じなくなった。その数瞬後、次は凄まじい衝撃が。あたしの体は反対方向へと跳ねて背中が卵の殻に打ち付けられる。そして、卵がポリゴン片になって砕けた。あたしのぐるぐる回る視界に、アインクラッドの天井と砂の地面が映った。卵の狭さから解放された後も、あたしはしばらく砂の上を転がって、止まった。
ようやく焦点が合うようになったあたしの視界に、真っ黒い革の生地が映り込んだ。生地からはみ出た黄白色の肌に浮き出ている鎖骨。その先には僅かに隆起した喉仏があって、更にその先には長い前髪から覗く黒い瞳が―
「リズベット……」
吐息に似た声で、セツナがあたしの名前を呼んだ。どうやら、あたし達はいつの間にか抱き合っていたらしい。どちらかというと、あたしがセツナにしがみついていたという方が正しいと、彼の服を両手で掴む自分の手を見て思った。
「は、はい……」
あたしは少し上ずった声で返事をする。
「降りてくれ……」
そんなセツナの掠れた声で、あたしは彼に覆い被さっている自分の体勢に気付いた。
「ご、ごめん!」
あたしは素早くセツナの体から降りる。砂漠を見渡すと、遠い所に気持ち悪い巨大芋虫が去っていくのが見えた。
「あたし達、どうやって出たの?」
「俺が腹の中で暴れ回って、あいつが気持ち悪くなって吐き出された」
「何だか一寸法師みたいね……」
セツナはゆっくりと状態を起こす。シェルターとして卵に入っていたおかげか、あたし達のHPは減っていなかった。
「どうして、口から出られるって思ったの?」
「死体をつついた時、剣が地面に刺さっても不死属性のタグが出なかった。もしかしたら、中はダメージを与えられると思った」
「それなら先に言いなさいよ。あたしも手伝ったのに」
「リズベットが卵に乗り遅れたら困る」
「なによそれ」
相変わらず無茶苦茶な人。そう思ってあたしは笑ってしまう。
「帰るか」
立ち上がったセツナが言った。
「うん」
「走っていくか」
「それは止めて。歩くわよ」
あたしは足を砂の上に踏み出す。しゃがもうとしていたセツナは、黙ってあたしの後に続く。今日も砂漠はとても暑い。
でも、それも悪くないと思った。
♦
カン、カンと、あたしはハンマーでインゴットを叩く。
《ヒヒイロカネ・インゴット》は特殊な金属だった。通常、武器作成は1本鍛えるのに1種類の金属で事足りるけど、この朱色の金属をいざハンマーで叩こうとメニューを設定した時、システムはもう1種類の金属と一緒に叩くことを要求してきた。つまり、この金属は合金でなければ武器にならないということだ。鍛冶屋として沢山の武器を鍛えてきたけど、こんなことは初めてだった。
あたしはもう1つの金属に、武器作成としてはメジャーな《アイアン・インゴット》を選択し、それと共に朱色の金属を再び炉に入れて、真っ赤に焼けた2つの金属を叩いた。
工房で作業を見守るセツナを、あたしはちらりと一瞥する。セツナの注文は片手用細剣。
あたしはハンマーに更に力を込めて叩く。2つの金属は潰され、くっついて1つになっていく。あたしは休むことなくハンマーを振った。無の境地とまでは至っていない。あたしの頭の中でセツナとの冒険の時間が駆け巡り、そしてあの黒い剣士の顔が現れて離れない。この一ヶ月は思い出す度に辛かったのに、今は不思議と胸が温かくなる。
これだ。この感覚だ。
あいつの剣を鍛えた時と、同じ熱が戻っている。今のあたしの中にある熱はあいつだけじゃない。横にいるセツナがくれた分も確かに存在している。
だから、この人の最高の剣を鍛えてあげたい。どうか、この人の唯一無二の相棒となる剣になってほしいと、あたしは叩く金属に願う。
あいつがくれた心の温度は恋だ。
そしてセツナは、あたしが失いかけていたその温度を取り戻させてくれた。このもう1人の黒の剣士のために鍛えた剣の出来上がり次第で、それを証明できる気がする。
セツナがくれた心の温度。
それはキリトを好きになった鍛冶屋リズベットの、同時に篠崎里香の誇りだ。
繰り返される槌音の後、インゴットが光を放ちながらその姿を変えた。あたしは期待と不安を胸に、全く表情を変えなかったセツナが目を僅かに見開いて、その様子を見届ける。
前後に薄く伸び、剣の姿へとオブジェクトの生成が完了すると同時に、光は治まった。
「……………」
姿を現したその剣に、どんな感想を述べればいいのか、あたしは分からなかった。
一言で言い表すなら、奇妙な剣だ。注文通りの細剣で、レイピアにしては刀身に厚みがある。片刃の刃は日本刀に見えるけど、反りが入っていない直剣だ。何より一番奇妙なのは、刀身が全く輝きを放っていないことだ。インゴットの朱色はどうやら一緒に鍛えた鉄に覆われたようで、灰色の刃はどれだけ研磨しても光りそうにない。
あたしは震える指で剣をクリックした。浮かび上がったポップウィンドウに表示された剣の名前を読み上げる。
「カテゴリ《サーベル》、固有名《ハーディスクラウン》……」
初めて見る名前だ。あたしは頻繁に情報屋の名鑑をチェックしているから、多分今の所アインクラッドに1本だけの代物だろう。
「試してみて」
あたしは剣を持ってセツナに手渡す。すごく軽い剣だった。アスナの《ランベントライト》ほどではないけど、下手に振り回したら手からすっぽ抜けてしまいそうだ。
セツナは剣の柄を握って、メインメニューを開いて装備する。セツナはウィンドウに表示されているパラメータを確認すると、メニューを消して剣を素振りし、慣れた手つきで剣を回転させる。
「軽い……。良い剣だ」
「やった‼」
あたしはあいつの時と同じようにガッツポーズする。
「鞘はどうする? 用意しようか?」
「鞘はいい」
「え?」
セツナは再びウィンドウを出して、目当てのものを選択すると、それは彼の手の中で実体化した。
一瞬、短い槍だと思った。灰色の柄に先端で輝くシルバーの刃。セツナはその柄に、カチンと金属が鳴る音を立てて剣を収めた。
「その鞘って……」
「知り合いに作ってもらった」
帯刀のスキルだろうか。でも、そんなスキルは確認されていない。いくら鞘に刃が付いているからといって、武器の性能を発揮できないスキルがあったとしても使うプレイヤーがいるのだろうか。何にせよ、このセツナが計り知れないプレイヤーであることは確かだ。
「秘密なの?」
「ああ」
「そ、なら聞かない」
セツナは腰に差していた剣をストレージに納めて、代わりに《ハーディスクラウン》をホルダーに差した。
それにしても《
「こいつの代金は幾らだ」
「そうね……、暑い砂漠に放り込まれて芋虫の中に閉じ込められて、ついでにあたしに散々触ったとこから見積もって……」
「まあ、値は張るか……」
「1000コルってとこね」
あたしの提示した金額に、セツナはポーカーフェイスを崩さず、でも数秒間沈黙していた。やった。あのセツナを驚かせたと、あたしは右手を握って小さくガッツポーズする。
「安すぎないか。確かに見た目はなまくらだが、性能は《リーパーズエッジ》よりも高い」
「いいのよ、1000コルで」
あたしは笑いながらそう言う。セツナは100コル硬貨10枚をあたしに手渡す。あたしは満面の笑みで「まいど」と清算させた。
「安くした代わりに、しっかりメンテに来ること!」
「ああ」
「もし折ったりしたら罰金取るから」
「ああ」
「よし!」
2人で工房から出ると、あたしの胃は空腹を訴えてきた。時刻は12時27分を表示している。
「ねえ、乾杯がてらご飯食べに行こうよ」
「ああ、折角だから奢る」
「お! 太っ腹ねえ。じゃあ美味しいお店連れてってよ」
「35層のプレイヤーが経営しているレストランにするか」
「うん!」
あたしが店のドアを開けて、外へ出た時だった。
「リズ‼」
その声が聞こえたと同時に、揺れる栗色の長い髪が視界に入った。
「アスナ!?」
パタパタと走るアスナは、その勢いのままあたしに抱きついてきた。宙を舞っている髪を見て、相変わらず綺麗な髪だなあと思った。ナタリー・ポートマンよりも綺麗だ。
「剣の手入れ頼もうと思ったらお店にいないし、先月みたいに連絡つかないから心配したんだから………」
「ああ、ごめんね。またダンジョンで足止め食っちゃってさ……」
「まさか、またキリト君!?」
「ううん、この人と……」
自然と、アスナの視線はあたしの後ろに立っているセツナに向いた。その姿を捉えると、アスナはきっとまなじりを吊り上げる。その目は、あたしと知り合った頃の「狂戦士」、「攻略の鬼」と呼ばれていたアスナに戻ったようだった。
「あなた……」
あたしはこれが、喜ばしい再会ではないだろうなと、雰囲気で悟った。
リズベットの声が高垣彩陽さんだからか、セツナの名前を呼ぶ所でガンダム00のフェルトを思い出しました。同じピンク髪だから尚更。
そうなるとセツナの声のイメージは宮野真守さんてなるのもどうかなと思ってしまいます。声のイメージは読み手それぞれということで………。