合気柔術宗家の家に生まれた梅小路葵が、世界格闘トーナメントに出場するまでのお話。
エピソードゼロ的な内容です。

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強さとは何か、は武術格闘技の永遠の命題だと思います。
文中の英語の出来は、笑ってスルーして下さい。


龍争虎闘 Enter The Dragon

◆龍争虎闘   Enter The Dragon

   〔1〕

 

 梅小路葵は、ひとり物想いにふけっていた。

 目の前では、三十人ほどの男女が、各々合気柔術の技を磨いている。

 彼女は、加茂川の葵橋近くに道場を構える、大和(やまと)流合気柔術宗家の長女である。梅小路家は、本来は武者小路千家系の茶道、嵯峨御流系華道の家元であるのと共に、天道流薙刀術の道場として知られていた。

 大正の中頃、葵の曾祖父が、武田(たけだ)惣(そう)角(かく)から学んだ合気柔術を、天道流の体系に加えた大和流を興し、梅小路家は合気柔術の道場として新たに注目を集める事となった。

 現在では、京舞の家元、井上家から輿入れした葵の祖母の舞の身法が加わり、大和流は他の合気柔術にも例を見ない独特の風格を持つ、京都でも老舗の“実践(戦)的な”道場で通っている。

 大和流第三代宗家、梅小路宗(むね)時(とき)が、合気柔術の武道としての復権を求めて、総合武道オープントーナメントを開催してから、今年で十年になる。最初の頃は、他流派の武道に苦杯をなめさせられた大和流も、三回、四回を数えるうちにかなり武道的実力もつき、優勝者も出るようになって来た。しかし、最近では、大和流はかなり研究され、また後続の学生の練習不足もあり、また他流派に遅れをとる事が多くなって来た。

 そこで今年は、そんな学生に喝を入れるため、他の道場から一人の師範が呼ばれて来た。

 その師範の名前は結城(ゆうき)晶(アキラ)。鎌倉の古流武術の道場「結城武館」の嫡男で、宗時とは古くからの付き合いである。葵も、五歳の時に初めて逢って以来、何度か一緒に練習した事もある。

 スーパーセーフ面、拳サポーターをつけた、トーナメント出場者達に技を指導している晶をぼんやりと眺めながら、葵は二日前の、晶との再会の場面を思い出していた。

 

「あかん、うち、こんなんメッチャ弱いねん」

 葵は、あふれ出る大粒の涙をハンカチで拭きながら、映画館から出て来た。同級生の少女三人が、その少し後からついて来る。

「もー、葵ってば、そんなに泣かんといてよ恥ずかしい。一緒にいられへんやんか」

「なにいうてんの早苗、あの子のあの健気な気持ち、判るやろ?な?」

「な?ちゃうわ」早苗は肩をすくめた。「あれは結局映画やねんから、そこまで入れ込まんでもええやないの」

「ほんまや。気持ちは判るけど、もうちょっと落ち着きいな、合気道の達人はん」

「なんや美樹まで。それにな、うちがやってるのは、合気道やのおて、合気柔術」

「なー、葵ちゃん。合気道と合気ジュージュツって、どうちゃうの?」

「なんや智加、そんな事も知らへんの?」早苗が得意げに言う。「合気道は“みち”で、ジュージュツは“やわらのジュツ”なんや」

「答えになってへん答えになってへん」

 葵は肩をすくめて首を振った。思わず微笑みがもれる。

 秋の日曜日の昼どきの、友人とのこんな他愛もないおしゃべりの時間が、葵は大好きだ。彼女は、ものごころがついた時から祖父に合気柔術を仕込まれた。小学校の高学年の時には、既に大人に交じって稽古をしていた。武道の事を考えなくてもいいのは、学校にいる時か、友人と遊びに来ている時ぐらいなのである。

「なーみんな、お腹減ってへん?何か食べいこ」

 早苗が唐突に切り出した。

「そーやなー、もういい時間やし。どっかいこか」

 皆確かに空腹感はあったので、その提案には一も二も無く賛成した。

「プチモンドヨッチャンビルって知ってる?そこのパスタ屋さんがおいしいねん」

「あ、知ってる。『壁の穴』やろ。確か蛸薬師さんの方やったね。そこいこか」

「うん、いくいく」

 そんな事を話しながら歩きかけた葵達の道を、四人の男達が塞いだ。見たところ大学生くらいの彼らの、リーダーっぽい一人が、一歩前に出ている。髪を肩ぐらいまで伸ばした、一見キムタク風のルックスである。

「ねえ、君達、女の子四人で、どっか行くの?」

 キムタク風が口を開いた。妙に気取って構えている。

「ぼくたち、さっき東京から来たんだけどさあ、京都は初めてだから、よく判んないじゃん。もし君達が良かったら、街ン中、案内してくれないかなあ。ほら、ちょうど四人ずつでいいじゃん。一緒にどっか遊びに行こうよ」

 葵の全身に鳥肌が立った。他の三人も同じような反応をした、と彼女は確信した。

 ジャニーズ系はキライ。関東弁もムカツク。男のおしゃべりはもっとイヤ。

“パス”

 葵達四人は、目でお互いの意見を確認した。

「堪忍え、お兄さん達」葵が静かに口を開いた。「うちらな、あんたらみたいなタイプ、ごっつい嫌いやの。道訊きたかったら、そこいらの交番行って。ほなね、さよなら」

 そう言い放って、さっさと歩き出した彼女達に、チーマーっぽい学生達は一瞬ひるんだ。正面切ってここまではっきりと拒絶されたのは初めての経験だったのだ。それは、彼らのプライドをいたく傷つけた。

「ちょっと待てこら、スカしてんじゃねー」

 ダチョウ倶楽部の上島に似た男が、すれ違おうとした葵の左肩に、右手を掛けて引き止めようとした。

「触らんといて!」

 葵は言いつつ、その右手に自分の右手を重ねると、肩で合気を掛けて外小手に取り、相手が崩れたところを今度は素早く体を逆に返し、小手返しを決めた。上島似は鮮やかに宙を舞い、地面に倒れた。

 練習試合でも、こうはキレイに決まらない。技を掛けた葵本人が、思わず目を丸くした。

「わー、すごーい、護身術みたいやねー」

 智加子が、間の抜けた感想をもらした。

「ムカツク女だな、てめえ。泣かすぞ」

 キムタク風が、凄みながら葵の腕を掴みに来た。葵はその手を四ヶ条で決めて、相手を制するつもりだった。

 が、キムタク風は思いの外力が強かった。技を極めに行った瞬間、腕の筋肉が緊張するのが判った。葵の合気は、腕力に跳ね返されてしまったのだ。

「何度も同じ手が通じるか。あめえんだよ」

 キムタク風は不愉快な笑みを向けて来た。葵の頭の中が口惜しさと怒りで真っ白になった。パニック状態になって無意識の内に、外小手を取ろうとするが、やはり力に負けて、技が掛からない。

「しつけえんだよ!」

 キムタク風が空いている腕を振り上げた。と、その背後に、のっそりと大男が立った。男はキムタク風の腕を掴むと、それを真下に引き下ろした。キムタク風は、わあぅとわめいてバランスを崩した。葵は腕を掴まれたままだったので、キムタク風に引き込まれまいと、咄嗟に肘の曲池のツボを押さえた。急激な痺れで手を放したキムタク風は豪快に後ろに倒れ込み、アスファルトの地面に後頭部をぶつけた。

「いってーなぁ、何しやがんだ……、てめえ……」

 キムタク風の言葉は、尻すぼみになった。180センチを超える身長の筋肉ダルマの姿を見て、少々気がそがれたらしい。

 もっとも当の本人は、彼の事は全く気にも留めていなかった。

「ああ、葵ちゃんか、良かった。道、間違えて困ってたんだ」

「あ、晶兄さん、どっどしたん、こんな所で」

 葵は目を丸くした。と同時にようやく気持ちが落ち着いて来た。

「君の家へ行く所だったんだよ」

「うちの家?何で?」

「いや、君のお父さんに呼び出しを受けてね。“うちの学生に喝を入れてくれ”ってね」

 晶は言いながら、葵に近づいた。当然、キムタク風に背中を向ける格好になった。その背中に向かって、ようやく立ち上がったキムタク風が文句をつけて来た。

「おい、おっさん、何だか知らねえけど、やけに態度でかいじゃねえか。こんな事して、只で済むと思ってんのかよ」

「でな、葵ちゃん家に行こうと思ったんだけど、カン違いして二条で降りちゃったんだよ。確か、河原町今出川だったよな」

 晶は、あからさまにキムタク風を無視した。

「おい、聞いてんのかよてめえっ!」

 キムタク風が、晶の肩を小突いた。晶は素早く振り返ると、キムタク風の小突いて来た手をつかまえた。空いている右手を小さく振り上げる。キムタク風は、思わず空いた手で顔をカバーした。

 次の瞬間、キムタク風は激痛にわめき声を上げながら晶の足下にひざまづいた。晶はすぐに手を放したが、葵にはそれが二ヶ条の逆だと判った。

「何すんだよてめえっ!」

 末生り顔の男が、大きなモーションで殴りかかって来た。晶はそれをダッキングでかわしつつ、相手の懐に入り込むと、柔道の大外刈りの様な技で投げた。柔道の様に腰に乗せての投げではなかったので、相手は背中から真っすぐ地面に落ちた。それが八極拳の抽別子という投げ技だ、と葵は後になって聞かされた。

 四人目は元チャンプの薬師寺にそっくりだった。晶に向って取った構えもボクシングスタイルだった。

「やめとけ」晶は静かに言った。「お前までやられたら、もう介抱してくれる奴がいなくなるぞ」

 薬師寺似は賢明だった。だから晶には勝てない事が判ったのだろう。黙って、うめいている三人を助け起こし、人混みの中へ消えていった。

「ばかやろこのくそたれ!おぼえてろ!」

 最後にキムタク風の声がかすかに聞こえたが、それには少しも迫力が無かった。

「うわー、お兄さん、むっちゃ強いやん。かっこいーわー。素敵やったなー。見とれてもーたわ」

「ほんまや。それに男前やし。晶さんいうてはったね。どっから来たん?トシは?血液型は?葵とはどういう関係やの?」

 早苗と美樹は、晶の両腕にすがりついて、すかさずトーク攻撃を仕掛けて来た。

「俺は結城晶二十八歳。О型の独身。鎌倉の古流道場の息子で、葵ちゃんとは古くからの付き合いなんだ。なー、葵ちゃん」

 晶に話を振られて、考え事をしていた葵は思わず口ごもった。

「えっ、あ、え、うん、そ、そうなんよ。晶兄さんとは付き合い古いねん」

「ねー晶さん。コリュウってなーに?」

 馴れ馴れしい早苗達の攻撃に交じって、智加子ののんびりとした艦砲射撃が入る。

「あー、古流ってのは、日本に古くからある武道でね、柔道の基になったものだよ」

「へえー」

 智加子は、判った様な判らなかった様な表情でうなづいた。

「なあー、晶さん、うちらお腹減ってるんよ。ごはん食べに行けへん?」

「ほんまや、なー、一緒に行こ」

 早苗と美樹は、晶の腕を引っ張りながら口々に言う。

「いや、今から葵ちゃんのお父さんの所へ……」

「ええやん、別に。葵もおるんやし。ごはん食べてから一緒に葵ん家行ったらええやんか」

「そうやー、なー、決定。葵、智加、はよ行こや」

 晶の言いかけた言葉をさえぎって、早苗と美樹は勝手に決め付けてどんどんと晶を引っ張る。

 晶は思わず葵の顔を見た。葵はそれに、肩をすくめて答えた。

 結局、晶は女子高生達に、食事に連行されてしまった。

 

   〔2〕

 

「 “強い”って、一体何なんやろ……」

その二日後、学校の自分の席に着いて、葵はまた物思いにふけっていた。映画を観に行った翌日は、一日中その事ばかりを考えていた。稽古中も、晶を見てはそれを考える、そんな一日を送っていた。殆ど何も手に付かなかったと言っていい。

「どしたん葵、超ブルー入ってるやん?」

 早苗がそう言いながら、葵の横に立った。未だに新品同様の葵の地学のテキストの上に手をついて、彼女は葵の顔をのぞき込んだ。

「……」

 葵は、遠い目をして何も答えない。

「何やの、元気印の葵らしくもない。あさって例の試合なんやろ?そんなダウン系の気持ちじゃだめやんか」

「ええなあ早苗は。いつでもテンション高くて」

「ひとをアホみたいに言わんといて。それより今日、葵ん家に外人さんがくるんやろ?」

「えっ?」

「何や、この前言うとったやん。『試合の二日前に、ゲストで出てくれはる外人さんが来はる』って」

「あー、そういえば、今日の昼過ぎには、名古屋からお客が来るって、お父さん言うてはったなあ」

「何でうちの方が憶えてんねん」早苗は肩をすくめた。「とにかく、今日は皆で押しかけるさかい、ちゃんと面倒見てや」

「よお言うわ。いつも通り好きにしといて」

「なーなー、晶さん、まだいてはるんやろ?うちの事、何も言うてはらへんかった?」

「別に……」

「なんでー。うそやん、何か言うてはったやろ。ほら、うちこんなに可愛いし、『なあ葵ちゃん、あの可愛い子、なんて言ったかな、そう、早苗ちゃん。また、早苗ちゃん呼んで来てくれるかな。今度一緒にお茶でも飲みにいけへんか』とか」

「最後の方、標準語ちゃうかったやん」思わず葵は吹き出した。「あかんて。うちら四人、ひとからげで子供扱いや」

「よーやく笑ろたな、葵」早苗が笑いながら言った。「あんまりブルー入ってると、眉間にしわ寄るで」

「ありがと、早苗。あんたはええ友達やわ。テンション高いけど」

「ほっといて。それより、ほんまに晶さん、うちの事何も言うてはらへんかった?」

「まだ言うてんの?」

 そこへ、物理の授業で別の教室へ行っていた美樹と智加子が帰って来た。

「何や、二人して晶さんの話しして。うちらもまぜてよ」

「そおやー、晶さんかっこええんやし」

「美樹も智加もそう思うやろ」と早苗。「そんな晶さんとひとつ屋根の下にいながら、あんたは何ブルーに浸っとんねんや?」

「そうや、ぜいたくやわ」

 早苗と美樹は、口をそろえてそんな事を言う。

「二人揃ったら、テンション倍になるなぁ」

 智加子が、葵の言葉を奪った。

「誰がテンション高いねん」

「智加が低すぎるだけや」

「えー、そんな事ないよー。うち普通やん」

「これって低いんとちゃうな」

「トロいねんな」

「天然言うてー」

「自分で言うな!」

 親友達の漫才(?)を見て笑いながら、葵の心にはまだわだかまりがあった。

 “強い”って、一体何なんやろ……。

 

 葵達四人が道場へやって来た夕刻には、既に客人は道着に着換えて練習に参加していた。皆に合わせて予備の道着を着ているのだろうが、白い道着の群れの中の金髪は、普段見慣れていないだけに、かなりの違和感があった。

「お父さん、ただいま」

 葵は、その金髪を相手に技の説明をしている宗時に声を掛けた。

「晶さーん、いるー?」

「元気―?どこー?手ぇ振ってーっ!」

 その葵の横で、早苗と美樹が大声を張り上げた。晶は、律儀にも手を振り返し、彼女達を喜ばせた。

「あの娘(こ)達は、相変わらず元気やなぁ」

 宗時が苦笑いをしながら葵に向かって来た。その後ろに、金髪の白人と、レスラーもどきのごつい体格の日本人の男が続く。

「葵、紹介するわ。このごっついのはな、私の京大時代の後輩で、中村君。タイガーマスクやった佐山サトルって知ってるか、彼についてシューティングを学んだ後に、アメリカのJKDアカデミーで、ダン=イノサント師に截拳道を学んだ本格派でな、今は名古屋を中心に截拳道の道場を開いて活躍しとるんや」

「初めまして、中村です。あなたのお父さんには、何かとお世話になってます」

 中村はそう言って小さく頭を下げた。何となく長島一茂に面影が似ていなくもない。

「こちらこそ、父がお世話になってます。よろしゅうに」

 葵は丁寧に頭を下げた。しかし、目は思わず横の白人の方へ行ってしまう。後ろで早苗達が、(カッコえ~)(男前)(色白い)などとため息をついているのが聞こえて来る。

「で、こちらはJKDアカデミー サンフランシスコ道場の学生で、ジャッキー=ブライアント。何でも、何とか言うカーレースのドライバーらしいんや。で、今はオフで、ダン=イノサントから“シューティングの組み技を研究して来い”と言われて、丁度日本に来てるらしいんや」

「Nice to meet you. I’m Jacky Bryant」

 ジャッキー=ブライアントは、爽やかに微笑みながら、右手を差し出した。葵は、思わずスカートで掌をぬぐってから、握手をした。

「ナイス ツゥ ミーチュー トゥ。 アイ アム アオイ ウメノコウジ」

 学校では、ネイティブスピーカーの白人教師に英語を習っていて、そこそこは喋れるだろう、と思っていた葵だったが、口からついて出たのは、たどたどしいカタカナ英語だった。

「ジャッキーやて」

「映画俳優みたいやな」

「葵のあいさつ、カタカナやん」

 早苗達は、高見の見物なのを良い事に、好きな事を言っている。

「今回、彼らにはエキシビジョンをやってもらおうと思とるんや」宗時は、中村の肩を叩きながら言った。「第四回くらいから、名古屋のJKDアカデミーの選手が数人参加し出してたのは知ってたんや。それが、中村君の所から来ている事を知ったのは、つい最近なんやけどな。

 毎回上位に食い込んで来るさかいに、それならいっその事、大々的に截拳道をアピールしよか、ていう事になって、今回、こうして来てもらったんや」

「それにしても」いつの間にかやって来ていた晶が口を開いた。「ジャッキーが日本に来ているとは思わなかったよ」

「晶兄さん、ジャッキーさん知ってはるの?」

 葵は目を丸くして訊ねた。

「ああ、世界格闘トーナメントっていうヘンな大会に出た時に、コイツも選手で出場していたんだ。それ以来の付き合いだから、もう三年ぐらいになるかな」

「ほんまぁ。晶兄さん、随分顔が広いねんなぁ」

「Yeah! Akira and me are a good friends!」

 ジャッキーはいきなりそう言うと、晶の肩に腕を廻した。どうやら、中村が同時通訳をしているらしい。しかも、訳の内容が微妙に違っているらしい。

 ジャッキーは、身長は晶とほとんど変わらないが、筋肉の太さは晶よりひとまわりは細い。晶の重厚さに対し、ジャッキーにはしなやかさを感じる。

「ジャッキー、蒼い瞳がなんてステキなんやろ。サイコーや」

「なんや早苗、もう晶さんから乗りかえたん?」

「現金なコやなー」

「何ゆうてんの、ちゃうやん。でも、どっちもカッコええやろ?」

「そらそうやけど……」

「気の多いコやね」

 三人組のピントはズレまくっている。そんな少女達の会話に思わず笑いを噛み殺しながら、晶が口を開いた。

「宗時さん、どうでしょう?大会のエキシビジョンまで待つ事はないでしょう。皆に、截拳道がどんなものか、見てもらっといても良いんじゃないでしょうか? Jacky, Can you demonstration now?」

「Yeah! Of course.」

ジャッキーは快諾する。

「そうやな」宗時もうなづいた。「みな、截拳道がどんなものか、まだ実際には見た事ないやろしな。ええかな、中村君」

「私は構いませんよ」

 中村も、笑顔で答える。

「よっしゃ、じゃあ、練習はいったん休みや。――おーい、皆、ちょっと練習やめて、こっちへ集合!今から、中村君とジャッキー=ブライアント君が截拳道のデモンストレーションをしてくれるさかい、よーく見て、研究する様に。きっと何か得るものがあるはずや」

道場の中心に、截拳道の二人を取り囲んだ円が出来上がった。

「では、截拳道の基本的な動作を説明します」ジャッキーと向かい合って立った中村が口を開いた。「截拳道では、基本的に右手前で構えます。左利きの人は左前。要は利き腕、つまり強く打てる手を前に持って来ます」

 中村とジャッキーは互いに右構えで、右手首の外側を触れさせる。

「相対練習の場合は、この距離からで行います。で、この状態で相手の正中線にパンチを打ち込みます。が・・・」

 中村は、そのままの状態から右パンチを打とうとした。しかし、ジャッキーの右手で外側へ払われてしまう。

「――この様に、相手は自分の正中線からこちらのパンチをそらしてしまいます。そこで、パクサオという技術を使います」

 そう言って中村は、左手でジャッキーの右腕を叩き落すと、すかさずがら空きの顔面にパンチを放った。寸止めで止める。

「これがパクサオ・ダです。ただ、これだけだと、相手の左腕は空いているので、やはりパクサオで受けられてしまいます。」

 また中村がパクサオ・ダを打つ。今度はジャッキーはそれを左手で外へ払う。

「避けられましたね。そしたら、今度はさらにその受け手をパクサオして、チュンチョイ――縦拳を打ちます。ちょっとこのコンビネーションをやります」

 パクサオ―チュンチョイ―受け手をパクサオ―チュンチョイ。この動作を、二人交互にし始めた。最初の一回づつはゆっくりだったが、二回、三回と段々早くなる。

 ところが五回目で動きが変わった。中村の二度目のチュンチョイを受けたジャッキーの右腕を、中村が引き込んだのだ。

「パクサオにならんで、基本的な動作に、ラプサオというのがあります。この様に、相手の受け手を引き込む動作です。こう引き込んでおいて、グワチョイ―裏拳を打ちます。この、パクサオ、ラプサオなどは、考えてするものじゃありませんので、その時一番早く相手へのエコノミーライン―最短距離を攻められる動作が、咄嗟に出るように、何度も反復練習をします」

 今度は少し離れて、中村は右前、ジャッキーは左前になって立った。

「他の格闘技を練習している相手とは、よくこのようなミスマッチスタンスになります。こうなった場合でも、パターンが変わるだけで、原則は同じです。例えば―」

 中村は右のチュンチョイで入った。ジャッキーはそれを左タンサオで受ける。中村のチュンチョイがそのままジャッサオに変化しつつ、左ビルジーが放たれた。ジャッキーはさらにワンパクサオで受ける。今度はその受け手をラプサオで引き込みつつ、右チュンチョイ。そしてさらに右手で同じ手をパクサオしながら左チュンチョイを決める。

「――このように、とにかく相手の正中線をこじ開け、エコノミーラインを執拗に攻める。これが截拳道の基本にして、メインの技術です。まあ、こんな所ですか。どうも失礼しました」

 中村はそう締めくくって、抱拳を作って頭を下げた。ジャッキーも同じ様に抱拳を作って礼をする。

 皆、初めて目にする截拳道の動きに、大きな驚きと興味を持ったようだ。割れんばかりの拍手をする。

 その拍手がようやく収まった所で、宗時が口を開いた。

「今日の練習はこれまで。明後日には試合やから、明日の練習は自由参加や。各々良く休んで、体調を整えて、外傷なんぞせん様に、試合でがんばってや。では、整列して」

 宗時の指示の下、全員が正面の神棚へ向かって正座した。黙想して、正面に礼、そしてお互いに礼をして、解散となった。

 

   〔3〕

 

 宗時は、晶、ジャッキー、中村を連れて食事に出掛けた。三人娘もそれぞれ家へと帰って行ったので、葵は一人部屋に戻ると、電気も付けずにベッドに横になった。

 ぼんやりと横になっていると、二日前のストリートファイトの一件が浮かんで来る。普段通りに動かなかった自分が悔しい。試合の時の方が、まだ変化に対応出来る。パニックに陥って同じ技を無理に掛けに行った自分が恥ずかしくて、今更ながら全身に冷や汗が吹き出して来る。

 忘れようとしても忘れられない。考えないようにしても思い出す。しばらくベッドの上で右に左に寝返りを打っていたが、やがて、いたたまれなくなって、パジャマ代わりのスウェットの上下のまま、道場へやって来た。

 ガランとした道場にポツンと立ち、葵は頭の中で、あれこれと考えを廻らせていた。

 上島似の男には、しっかりと合気が掛かった。何も考えず、練習して来た通りの動きが出来た。しかし、キムタク風の男には、上手く行かなかった。最初の成功に味を占めて、また同じ事をしようとしていた。意識しすぎた、という事だろうか。

 その直後に現れた晶の動きは、正に臨機応変。少しの力みも無く、思う通りに体が動いている、そんな感じだった。

そして今日の截拳道の動き。約束組手とはいえ、次々とパターンが変わって行くさまは、かなり興味を引かれる所だった。

 人の技術を盗むほど、自分は器用ではない。せめてそのエッセンスだけでもモノに出来ないだろうか。頭の中で技のシミュレーションをしているうちに、葵は我知らず体を動かしていた。

 

「Hi! アオイサン」

ジャッキーに声を掛けられて、無心に体の動きをチェックしていた葵は、飛び上がった。気が付くと、汗だくになっていた。いつの間にか数時間が経っていた。

「What are you doing in this time? Can not sleep, hum?」

 ジャッキーは、葵にも聞き取れる様に、ゆっくりと言った。葵は小さく頷いた。

「Hey アオイサン、Do not think difficultly. Take it easy. 」

 ジャッキーはそう言って笑った。酒が入っているのだろう、白い頬がほんのり赤くなって、子供みたいな笑顔である。

「あ、あのー」思わず葵は問いかけた。「ジャッキーさん、“強さ”って何なんやろ?」

「Pardon me?」

 すかさず問い直されて、葵は自分が日本語で問いかけた事に気付いた。

「あ、えーと、Jacky, I have a question. What is “strength”?」

「“strength”?」ジャッキーは小さく首をかしげた。「Then, Strong One has more power, more speed, and more stamina. Looks like Mike Tyson or someone, you know?」

「あ、んー、ちゃうねん、うちの聞きたい事は、えーっと、どう言うたらええんやろ?えー、メンタルっちゅーんかなぁ、パワーも、スピードも、スタミナも必要やけど、ほら、何て言うか、精神面も含めて、“強さ”っていうのは何なんやろかなー……、と思てんねんけどなー」

 葵の最後の言葉は、ほとんど聞き取れないくらいに小さくなっていた。思わずうつむいてしまう。

「Hum---」ジャッキーは、そんな葵を見て、判った様な判らない様な表情で腕を組んでいたが、やがて口を開いた。「I can’t understand you say, but then, maybe I think アオイサン says “strength” of truth, you know.

I don’t know what you can understand it, but I try to teach the wards of “Founder of Jeet Kun Do” , Bluce Lee, maybe sometime it is your help, I hope so.

He said, “We must be doing like a water. Water change forms everything, and no form itself. If I am in the fighting, enemy move, and I move. Do not keep style and form, like a water. ” you know?」

ジャッキーは出来るだけ、ゆっくりくだいて言ってくれたらしい。しかし、葵には半分ほどしか理解出来なかった。ただ、“水の様に”というフレーズだけは、印象強く葵の胸の中に残った。

「Thank you, Jacky. I gut it…maybe.」

 葵は何とかそう答えた。言葉も判らない小娘の相談に乗ってくれただけでも有難い。そう思う事にした。

「Sorry, I have no words you can understanding. ゴメンナサイ」

 ジャッキーは笑いながら、ぴょこりと頭を下げた。その仕草に、思わず葵は笑ってしまった。

「Thank you, I try to think your words.」

 葵はそう言って頭を下げた。しかし、ジャッキーは人差し指を小さく振って見せた。

「No, no.」

「はい?」

「Don’t think, feel.」

 ジャッキーは頭を指で指しながらそう言うと、にっこりと笑って背を向けた。

「Good night アオイサン. Don’t you get a cold.」

 手を背中越しにひらひらと振りながら、ジャッキーは母屋の方へと去って行った。後には、煮え切らない表情をした葵だけが残された。

 

 結局その夜はあまり眠れなかった葵は、居眠りだらけの授業が終わると、友人達との無駄話もそこそこに、大急ぎで家へと取って返して来た。

 物は試しに、と思い、昼休みに早苗、美樹、智加子に昨夜の話をしてみた。

「なー、みんな、昨日な、ジャッキーさんに『強さって何やろ』って聞いてみたんやんか。そしたらな、ジャッキーさん『水の様になれ』みたいな事言いはんねんな。どういう意味か判る?」

「何や葵、あれからジャッキーさんとこ夜這いかけはったん。大胆な事するなぁ」

「何ゆうてんの早苗、ちゃうやん、葵、道場で練習してる時に、ジャッキーさん来はったんやろ。それやったら、夜這いかけられた方やん」

「まあ、どっちにしろ大胆な告白やね。やっぱりうらやましいなー」

「みんなに相談したうちが間違ってたわ」

「えー、そんな事ないよー」真顔でため息をつく葵に、見かねた智加子がフォローを入れる。「早苗、美樹、あんまりピント外した事ばかりゆうてたらいかんよー」

『智加に言われたない』

 早苗と美樹は思わずハモった。

「水の様になるって、どう言う意味かな」智加子は天井を見上げた。「水って冷たいし、冷静にしろって事やろか」

「いや、ちゃうな」早苗は身を乗り出した。「水の様に、カーッと熱く、沸騰せえゆうとんやわ、きっと」

「それやったらお湯ちゃうの、早苗」

「美樹、知らへんな。お湯の事、ホット・ウォーター言うやんか」

「何かちゃうような気ィするなー」

「ちゃうやろか」

「ちゃうちゃう」

「ありがとう、むっちゃ参考になったわ」

 最後に、葵は力なく笑って言った。

(やっぱり、武術武道の事は、お父さんか晶兄さんに聞くのが一番や)

 結論は、当然の様にそこに落ち着いた。今日は、翌日に迫った試合の為、練習はオフである。他の学生に手を取られる事無く、晶に話を聞ける。

 そう思って急いで帰って来たが、部屋に晶は居なかった。

「晶兄さん、どこ行きはったんかなぁ」

 葵は呟きながら、もしやと思い道場へと向かった。

 見ると、普段使わない時は閉じたままにしてある道場の戸が、半分ほど開いている。

「ああ、やっぱりここにいはったんか」

 葵は道場に入ろうと半開きの戸に手を掛け、中をのぞき込んだ所で思わず息を呑んだ。

 中には、トレーニングウェアを着た晶とジャッキーがいた。二人ともスーパーセーフ面と、拳サポーターを着けている。晶は左手左足が前に来る「左半身」の構え、ジャッキーは右手右足が前に来る「右半身」の構えである。昨日、中村が言っていた、ミスマッチ・スタンスという奴である。

 晶が半歩踏み込んで間合いを詰めた。詰めつつ左の突きを出す。ジャッキーはパクサオでそれを払いつつ右のチュンチョイを放った。晶は間一髪でヘッドスリップでかわす。さらにそこへジャッキーの左ワンジュン(横掌)が放たれる。晶はそれを起式の応用で受けると、そのまま肘を立ててジャッキーの懐へ入ろうとする。ジャッキーは素早くバックステップをすると、半円を描きながら距離を取った。晶はそれを許さず、半歩を用いてさらに追いかける。左ジャブを連打で仕掛けるが、ジャッキーは右ワンパクサオ、左ビルサオで払いつつ、晶の左側へ素早く回り込んだ。

 晶のガードは間に合わず、回り込んだ勢いを利用したジャッキーの右ノウチョイを側頭部に喰らった。晶は前につんのめりながらも、連撃を避ける為に翻身劈を放った。ジャッキーはそれをスウェイでかわし、さらに右ノウチョイを放って来た。

 今度は、晶のガードが間に合った。それを見て、ジャッキーは素早くバックステップして、間合いを取る。

『やっぱり、お前とはやり辛いな』

 晶がボソリと呟く。

『お互い様さ』

 ジャッキーも呟くように言う。

 二人とも英語なので、葵には何を言っているのかは聞き取れなかった。しかし、二人の技の遣り取りに目を奪われ、そんな事を気にする余裕も無い。食い入る様に見続けた。

 今度はジャッキーから仕掛けた。遠くから一気に間合いを詰めて、右ジャクテックを放った。晶は右に体を開いて閉肘で受け流し、半歩入って貼山靠をしつつ、右手でジャッキーの蹴り足をすくい上げた。ジャッキーの体は大きく吹っ飛んだが、辛くも受身を取って立ち上がった。

『何て捌き方をするんだ、コイツは』

 思わず文句を呟いたジャッキーに、晶は畳み込んで攻撃を仕掛けた。半歩ワンツーで攻め込み、ジャッキーがガードを固めて動きが止まったところを首相撲で押さえ込んだ。その状態から肘の寸勁を入れ、左右に崩してから炮提(膝)を入れる。

 ジャッキーは辛うじて膝を止めると、その膝を抱え込んで、体を反らせて強引に晶を抱え上げ、キャプチュードで投げた。晶は投げられながらも体を返すと、勢いを利用してジャッキーの上を取った。マウントポジションから攻めようとするが、ジャッキーは素早くガードポジションを取り、体を返して晶を横にひっくり返すと、晶の腕関節を狙う。晶はそれを察知して、素早くジャッキーの腕を振り払って立ち上がった。

『シューティング仕込みのグラウンド・テクニックか。恐ろしいな』

 晶はニヤリと笑いながら言った。

『スパーリングでグラウンドを抜けられたのは、サヤマ師範とナカムラ以外では初めてだよ』

 ジャッキーもニヤリとし返す。

 ニヤリとしながら、ジャッキーは右ローを放った。晶は炮提で受ける。と、そのローが地に着く前に翻って上段を襲う。それも何とか肘で受けた。再度その足でノウテックを放つのを、晶は半歩入って単翼頂で押し込み、よろめいたジャッキーの顔面に上歩掌を打ち込んだ。

 まともに喰らってバランスを崩したジャッキーは、咄嗟に右ジクテックを放った。それは一瞬気を抜いた晶の腹筋にめり込み、晶は息を詰まらせて片膝を付いた。しかし、ジャッキーも大きくバランスを崩し、背中から床に倒れ、その衝撃に息を詰まらせた。

「晶兄さん、ジャッキーさん、大丈夫?」

 息を詰めて見ていた葵だったが、ダブルノックアウトという、まるでゲームの様な幕切れに、慌てて二人に駆け寄った。

「何だ、葵ちゃん、見てたのか?」

 むせながら、晶が尋ねて来た。

「ええ。晶兄さん探してたら、こんな所でジャッキーさんと乱取りしてるさかい、声掛けれへんかったんや」

「探してた?俺を?何で?」

 そう言う晶に、葵は唐突に尋ねた。

「晶兄さん、“強さ”って何?」

「 “強さって”って、まあ、そうだなあ、やっぱりスピード、パワー、スタミナの三要素が……」

 晶は言いかけて、葵の刺す様な強い視線に気付いて、口を閉じた。横目でちらりとジャッキーを見ると、ジャッキーは晶の視線に小さく肩をすくめながら答えた。

「I said same thing….」

「あ、やっぱり。ジャッキーにも聞いたんだな」

「そやねんけどな、ジャッキーさん、ちゃんと答えてくれはったんやけど、うち英語は今いち判れへんねん。そやから、晶兄さんに註釈を入れてもらおか思たんや」

「で、ジャッキーは何て言った?」

「んーっと、“ブルース=リーが何とか”って言ってはったんは判るんよ。あと何回か“Like a water”って言いはった」

「 “水が好き”?」

「 “水の様に”やろ?それくらいはうちにも判るで」

「あー、ごめん」ようやく咳込みも落ち着いて来たので、晶はひとつ大きな深呼吸をした。「 “水の様に”か。多分それは、ブルース=リーの截拳道理念だと思うよ。

 葵ちゃん、水ってさ、カップに入れれば丸いカップの形になるし、桝に入れれば四角い桝の形になるけど、その中から出したら、やっぱり形は無いだろ?そんな水みたいに、あらゆる形に順応出来て、しかも形に囚われない、というのが“本当の強さ”って事じゃないか、という事を、ブルース=リーが言っているんだよ。それを表現するのが截拳道だった訳だ。

 まあ、俺のやっている八極拳にも“八極無形論”っていうのがあるけどな」

「へえー、“水の様に”って、そう言う事やったんや。でも、そんな、何か雲をつかむ様な事、なかなか出来へんよなぁ」

 葵は思わずため息をついた。

『なあ、アキラ』ジャッキーが英語で晶に話しかけた。『アオイサンに、考え込まないで、感じるままに動いてみろって言ってやってくれよ』

『判った』

「え、何、何、ジャッキーさん、何て言うてはったの?」

「 “考えるな、感じるんだ”って言ったんだよ。要は、さんざん練習して身体に染み込ませた技を、使うべき所で無意識に出せば良いって事さ」

「そんな簡単に言われてもなあ、そんなうまい事いけへんわ」

 葵は頬をふくらませた。

「大丈夫だって」晶は笑って言った。「咄嗟に出るのは、何度も何度も練習した技だけだ。逆に言えば、練習しているからこそ、咄嗟の時にはちゃんと技が出るものさ。考えながらやっちゃだめだ。技を出す時は直感が何よりだ。なあ、ジャッキー?」

「Yes, You must have a pride of your Arts.」

 ジャッキーはそう言うと、親指を立てて見せた。

「自分に自信を持て、言う事?」

 葵は、自分の言葉で呟いてみた。ジャッキーは、笑いながら大きく頷いた。

「自信を持って、感じるままに動け、か。まだ良く判れへんけど、さっきの二人の乱取り見てたら、何となく判る様な気もするわ」

 そこで葵は、ふと口を閉じた。腕組みをして、少々考え込む。

「どうした、葵ちゃん」

 晶が気楽な声で尋ねた。

「なあ晶兄さん、さっき、晶兄さんの言葉にも、うちの言葉にも、ジャッキーさん、ちゃんと答えてくれはったけど、もしかして……」

「ああ、あいつ、ある程度なら、日本語、聞き取りも喋りも出来るぞ」

「ええ?ホンマぁ?」

 葵は、思わず怖い目でジャッキーを睨みつけた。ジャッキーは、肩をすくめて小さく両手を挙げた。

「ゴメンナサイ、アオイサン。でも、アオイサンのEnglish とても上手でしたよ」

「何や、いけずやなぁ。日本語判るって知ってたら、こんなに悩まへんでも良かったのに」

「ちょっとは英語の勉強になっただろ?」

 晶が笑って言った。

「英語なんか嫌いや!」

 葵は、晶とジャッキーに向かって舌を突き出した。

 

   〔4〕

 

 試合当日。

 総合武道オープントーナメント・女子の部は、十三名で競われる。十回目の今年は、今までで一番レベルが高いと噂されるほどの猛者が揃っている。

「なーなー葵、今年、去年よりも女の子達ごっつくない?」

 早苗が、準備体操をしている葵に声を掛けた。

「ホンマやなあ。ほら、あそこの“極真会館”って胸のところに書いてある子ら、あれ、ホンマは男ちゃうん?みたいな体つきやもんな」

 葵が何か言うより早く、美樹が答えた。

「向こうでクネクネ動いてはるの、あれ中国拳法かなぁ。何か弱そうやけど」

 智加子は、かなりの問題発言をさらりと言ってのける。

「ちょっと智加、あんまり大きい声でそんな事言わんといて」

「怒って向かって来たらどうすんのよ」

 早苗と美樹が、慌てて智加子の口を塞ぐ。

「ありがとうな。皆とおると、肩の力抜けていいわァ」

 葵はそう言いつつ、内心はかなり緊張していた。昨年、一昨年と連続優勝をしている葵は第一シードになっているので、試合は随分後になる。が、葵としてはなるべく早く試合を始めて、体を動かしたかった。時間があればあるほど、考えすぎてプレッシャーが大きくなりそうだった。

 目を閉じて、早まる動悸を抑えようとすればするほど、段々ドキドキしてきてしまう。

 あかん、去年まではこんなに緊張しいひんかったのに。

 その思いは、ますます葵の心の焦りに拍車を掛けた。

「あー、ジャッキーや」

「晶さんも一緒やで」

 早苗と美樹の声に、葵ははっと我に返った。

「Hi, ルミ、マミ、カオル、 How are you?」

「全然名前がちゃうやん!」

 ジャッキーのボケに、三人娘の突っ込みは素早かった。

「やあ、葵ちゃん。どうした、あんまり元気じゃないな」

 晶のにこやかな顔に、葵は不安そうな顔を向けた。

「うん、そおなんや。何か変に緊張してもおて。どないしよ?」

「どないしよっつってもなぁ」晶はガリガリと頭を搔いた。

「そうだなぁ、俺が昔、こんな感じの試合に出た時も、やっぱり緊張したからなぁ。とりあえず俺は、『相手は少林寺の木人なんだ』と思う事にしたのを憶えてるよ」

「晶さん、木人って、あのジャッキー=チェンの映画の木の人形の着ぐるみ着てガチャガチャ動く奴?」

 智加子が、晶に向かって尋ねた。

「智加、なんでそんなん知ってるん?」

 早苗が目を丸くして言う。

「だってうち、香港映画ファンやもん」

「えー、そんなん知らへんかったよぉ?」

 美樹も驚いて智加子を見た。

「だって、今まで言うた事なかったもん」

「ま、とにかく」晶は、脱線した話を無理矢理引き戻した。「相手の事をとやかく考えるより、自分の事だ。自分が今までどれだけ練習を積んで来たか、を考えるんだ」

「アオイサン」ジャッキーが、晶の肩を叩きながら言った。「アキラの言う通り。Prideを持っていればNo Probremですよ。相手がどう動いても、アオイサンはいつも通り動けばいい。水みたいに、ね」

「あー、ジャッキー、日本語喋れるやん!」早苗が大きな声で言った。「ジャッキー喋れへんから、やっぱり晶さんやと思っとったけど、また振り出しやん」

「何が振り出しやねん」

 美樹が早苗の頭にチョップでツッコミを入れた。

 

 試合は順調に進み、葵の相手は極真会館(松井派)京都支部の江見に決まった。人数の少ない女子の部は無差別級であり、江見はどう見ても六十キロ超級体格であった。

「なんやあれ、葵、よりによってあんなゴツい子と試合すんの?反則ちゃうん、あれ」

 早苗は容赦ない事を言う。しかし、それには葵も同感だった。

「極真か。間合いの取り方が問題だな」晶が腕組みをして言う。「相手は、中間距離での蹴りと、近距離のレバー打ち、そして膝がメインの武器だ。と言う事は、葵ちゃんの得意な間合いは、相手にとって苦手な間合いだ、という訳だ」

 葵は防具を着けながら頷いた。女子の試合は、レッグガード、拳サポーター、軽量胴、そしてスーパーセーフ面を着けるルールである。

 間合い、か。

 葵は、ぼんやりと晶やジャッキーの動きを思い出していた。ジャッキーのヒットアンドアウェイに対し、晶は執拗なまでのインファイトだった。相手の懐に入るにはどうしたらいいか?入ったらどうしたらいいか?

 考えているうちに、段々頭の中が真っ白になって来た。チーマー風の男とのストリートファイトの時には、自分を見失って頭が真っ白になったが、今回は、自分でも不思議なくらい落ち着いているのが判った。

「白、梅小路葵選手。白、梅小路葵選手。」

 係の声の呼ぶ声が聞こえた。

「葵、呼んではるよ」

「がんばってな」

「ケガしいひんようにな」

 早苗、美樹、智加子の言葉に、葵は小さく頷いた。

「アオイサン、Just moven’ your motion, don’t think. Believe your feeling.」

ジャッキーはそう言うと、親指を立てて笑顔を見せた。

「葵ちゃん」晶が最後に口を開いた。「合気柔術の修行を積んで来た葵ちゃんの動きは、誰がどう言おうと『合気柔術の技』なんだ。自分に自信を持って、思う様に動いたらいい。がんばれ」

 晶は言い終わると、掌を葵に向けて、手を小さく挙げた。葵はその掌を、自分の掌で力いっぱい叩いた。

 葵はゆっくりと試合場に入ると、白い開始線の前に立った。相手の江見選手は既に立っており、闘志むき出しの形相で、葵を睨みつけていた。

 江見とは対照的に、葵は落ち着いていた。「試合」と「ケンカ」とでは確かに雰囲気が違う。「試合」はルールに守られ、比較的安全である。それだけ精神的に楽だ、と言える。

「始め!」

主審の声と同時に、江見が動いた。左前蹴り、左順突き、右逆突き、右前蹴りと連続して打って出て来る。葵は一歩下がって間合いを切り、捌きながら左に回り込む。江見はその動きに反応して、左後ろ回し蹴りを放った。葵はそれもバックステップでかわし、仕切り直しの距離になる。

今度は江見も慎重になった。じりじりと間合いを詰めて来る。

 どうしようかな。

 葵は思わず技の組み立てを考えた。頭の中で技の流れを考えるうちに、相手から視線がずれた。

 江見はそのスキを逃さなかった。鋭い左ローが葵の左内腿に入り、葵の体勢が大きく崩れた。

「あいたっ!」

思わず口走った葵は、咄嗟に後続の右ハイをガードした。直撃はまぬかれたが、体が大きく泳ぐ。

「あー、あぶないっ!」

「葵、逃げーっ!」

早苗と美樹の声が耳に入った。不意を突かれて頭の中が真っ白になりかかったが、何とか踏みとどまって相手を見た。

江見は、チャンスとばかりに踏み込んで来た。もう一発とばかりに、今度は右ミドルが来る。

相手を見ていたお陰か、葵の体は自然に反応した。

右足を一歩踏み出して、体を立て直すのと同時に、軸の回転で蹴りの威力を殺しながら江見の足を絡め取ると、重心を左に移しながら江見の首を上から押さえ込みつつ、絡め取った右足を持ち上げた。江見の体は、きれいに前転する様に転がった。右手は下方へ、左手は上方へ力を働かせる「天地投げ」の応用である。

「待て」がかかり、二人は開始線に戻された。江見は、きれいにあしらわれた事がかなり頭に来ている様である。今にも噛み付かんばかりの目付きである。

「始め」の合図も待たずに、江見は飛び込んで来た。前蹴りで間合いを詰め、一気に懐に入り、葵の首を両腕でロックした。

膝が来る事を読んだ訳では無かった。しかし、打撃系の相手に組まれるのは癪だったので、葵は江見に下から持ち上げる様に体を密着させ、力の入れづらくなった腕をすり抜け背後を取った。首に手を掛け、江見の真下に力を掛けた。江見は少しこらえたが、葵が膝頭で彼女の膝裏を押さえたので、あえなく床に尻をつけた。今度は「後ろ投げ」の応用である。

次の「始め」では、江見は前に出て来なかった。取られて投げられるのを警戒したのである。

今度は葵が出た。江見の思惑を無視してどんどん間合いを詰めた。

江見の苦し紛れの左ローを膝ブロックで受けながら、葵は前に踏み込んだ。左ジャブが江見の顔面をとらえた。続く右ストレート、これも決まる。葵は、自分の気の趣くままに手足を動かすだけで良かった。

江見の右ボディフックを肘で落とし、葵は右足を江見の背後に進めた。そのまま入り身投げを極める。

(ああ、考えるなっていうのは、こういう事なんやな)

体を動かしつつ、葵はぼんやりと思った。葵の体と意識は、半分以上分離していた。

(これが何時でも出来たら、凄いやろなぁ)

もう、江見が何を仕掛けてこようが、全く怖くは無かった。自分でも驚くぐらい、体が反応した。

( “強さ”にこだわっていたいう事は、うちはまだ訳の判らんまま稽古をしてたっていう事なんやろな。でも、もう判った。これや、この境地が目標や。晶兄さんやジャッキーさんは、こんな世界におってんなぁ。敵わん訳やわ)

試合時間の二分間が、あっという間に過ぎた。それとも長かったのだろうか?

大きく息を切らしている江見と礼を交わした葵は、入った時と同じ様にゆっくりと試合場を出た。

まだぼんやりしている葵に、ジャッキーが声を掛けた。

「You can get an answer, can’t you?」

「Yes, I can.」

葵は答えた。その吹っ切れた様な表情に、晶は無言でうなづいた。

 

結局、第十回総合武道オープントーナメント女子の部は、梅小路葵の三連覇で幕を閉じ、一般の部も、軽量級と中量級とで大和流の優勝者を出した。

梅小路家の大座敷に、四十を越える膳が並べられ、慰労祝勝会が開かれた。

宗時は、今大会の弟子達の活躍にご満悦で、いつもより早いピッチで杯を空けていた。

晶とジャッキー、中村は賓客という事で上座に並んで座っていたが、やがて中村が宗時に酒を注ぎに立った頃合いに、何故か宴会に同席していた早苗・美樹・智加子が押しかけて来て、中村の席は彼女らに占領されてしまった。

「いいやん、どうせ場所いっぱいあるんやし」

これが、早苗の失礼な言い分であった。

晶やジャッキーの元には、道場の学生達が次々とビール瓶を片手に挨拶をしに来る。晶はそれを全て一気に呑み干し、相手をする。少しづつセーブしながら酒を口にしているジャッキーは、思わず心配になって尋ねてしまった。

「Are you all right?」

「Sure, of course.」

晶は涼しい顔をしている。

「晶さん凄いなー、なんぼでも呑みはるなぁ」

「ほんま、見てて心配なるな」

「無理したら駄目ですよぉ」

三人娘まで、思わずそう口にする程だ。

そこへ、ビール瓶と徳利を手にした葵がやって来た。

「みんなー呑んではる〜?」

見ると、顔が赤い。皆に注いで回っている間に、何杯か呑まされたのだろう。

「なんや、葵が一番酔っ払いやん」

美樹はそう言うと、自分と晶の間を少し空けた。葵はそこに体をねじ込む様にして座った。

「Hey アオイサン、are you get a drunk?」

「いえーす、べりーちょっとやねんけどね」

「ちょっととちゃうな」

「ちゃうちゃう」

 葵のハイな答えに、思わず早苗、美樹のツッコミが入る。

「良かったな、葵ちゃん」

晶が、新たなビールを干しながら言った。

「ほんまや。これもみいんなが応援してくれたお陰やし、本っ当に感謝してます」

葵は言いつつ、晶の空のグラスに徳利の中身を注ぎ込んだ。

「葵、それお酒やろ」

智加子がゆっくりと突っ込んだが、晶は構わずそれを呑み干した。

「アオイサン、Did you find out an answer of your question?」

ジャッキーは、グラスに手でふたをしながら尋ねた。そうでもしなければ、さらにビールを注がれそうな勢いだった。

「うん、多分。何となく見えたような気ィはするんやけど……」

「ケド・・・、What?」

「うん。見えはしたけど、まだまだたどり着けへんなあ思て。ジャッキーさんや晶兄さんみたいになるには、道はまだ遠いわ」

「大丈夫やて。葵やったら、すぐにもっと強うなるわ」

「今に晶さんでも敵わん様になるかも知れへんよ」

「そんだけ強くなったら、すごいなぁ」

晶やジャッキーが何か言う前に、三人娘が反応した。どうやら彼女達にもアルコールが入って来たらしい。

「葵ちゃん、良い友達を持ってるなぁ」

晶は思わず呟いた。友達二人はそれを聞き逃さなかった。

「いややわぁ、晶さん、当たり前やん!」

「照れる様な事言わんといて!」

早苗と美樹が、晶の頭と背中に同時にツッコミを入れた。あぐらをかいていた晶は、思わず前につんのめる。

「なあ、晶兄さん、もう、すぐ鎌倉に帰りはるの?」

やや落ち着いて,葵が尋ねた。

「いや、前々からの予定があってね。南米のベネズエラにいる、蘇(そ)昱(いく)彰(しょう)っていう八極拳の老師の所へ行かなくちゃいけないんだ。あの人も忙しい人だけど、ようやく日程が合ったんだ」

「そう。じゃあ、ジャッキーさんは?」

「Me? Hum…, I’ll go back to San Francisco tomorrow. And then join in the Tour.」

「ツアー?ああ、何とかっていうレースの?」

「Indy Car Race.」

「そうそう、インディ・ジョーンズ」

「それちゃうて」

智加子が珍しく素早いツッコミを入れた。

「―とにかく、またみんな、いろいろな所に散っちゃうんやね」

葵はしんみりしながら言うと、美樹の手からグラスを奪い、呑み干した。「でもな、でもな、何時か、うちが今よりもっと強うなって、晶兄さんやジャッキーさんに少しでも追いつけたら、きっと、何処かで再会出来る思うんや。二人とも、待っといてや」

晶が、葵のその言葉を飲み込むのには、少し時間が掛かった。

「葵ちゃん、何処かって」晶は、自分の考えをまとめようとするかの様に、大きく間を開けて尋ねた。

「――まさか」

「アオイサン、change your mind, Don’t be crazy.」

ジャッキーも、晶の態度からそれと気付いた様だ。思わず真顔で止めに入っていた。

「いやや。もう決めたんやもん」葵は、晴れ晴れとした表情で言った。「うちの次の目標は、世界格闘トーナメントへの出場や!」

 

 

劇終


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