「幕間」二話同時更新の二話目です。最新話のリンクからいらした方は一話前からどうぞ。
二話目の語り手は久々のあいつです。何故かけっこう長くなってしまいました。
「ありがとうございました~」
「「有難うございましたー」」
お会計を終えてお店を出て行くお客さん。あたしがかけた声にかぶせるように店の奥からおとーさんとじーちゃんの声がする。
と、そのお客さんと入れ違いになるかのように、高校生の男の子が一人店内に入ってきた。このあたりでは珍しくない総武高校の制服。
けれど、うちみたいな甘味処に男の子一人というのは珍しい……って、なんと比企谷さんじゃん。
いや、特徴のある髪型に猫背、もしかしたらそうかなーとはちょっと思ったけど、まさか一人でうちに来るとか思わないじゃん。さっきのお客さんが座っていたテーブルの「抹茶ぜんざいセット」の器を下げながらチラチラ見ていれば、その知的な横顔、髪をすかして覗く素敵にゾンビちっくなご慧眼。
うん間違いない。世の中にはボサ髪・猫背の高校生男子なぞ掃いて捨てるほどいるだろうけれど、あの整ってるのに腐っているという絶妙かつ奇跡のバランスの邪眼をもつヤツなど比企谷さんしかいないッ!
……て、熱く語るようなことでもないな。要するに、服装からしても学校帰りらしい比企谷さんが、あたしの家でもある和菓子店兼和風茶寮『御菓子司 あやせ屋』美浜店にご来店してくださった――まあそれだけなんだけどね。
そんなわけで、久々に「あーちゃん」こと綾瀬絢香がお送りしますよ~。
んん? 千葉市の、「あやせ」って名前の女子中学生はヤバイだろって? 大丈夫。どこかのヤンでデレなあやせちゃんは名前の方があやせ。こっちは名字と屋号があやせなので人畜無害。しかもまだピチピチの小学生なので安心してお付き合いくださいねっ!
さてさて比企谷さんが御用なのは私がいる茶寮の方ではなく販売の方のようで、店に入ってからすぐにショウケースの中を覗き込んで……ぎょっとしたような顔をしている。
えぇ~、今日そんな変わったものあったかなぁ。まあ確かにバレンタインデー・ホワイトデーという菓子業界一大イベントのせいで、ちょっと和菓子店ぽくない……ぶっちゃけ「これほとんどケーキじゃね?」みたいな見た目のもどーんとスペースを取ってるけど……てゆーか今ケースの半分くらい
あ、他の和菓子店さんの中には、「伝統を守り、クリスマスやらバレンタインやらというイベントには手を出さない」ってとこもあるケド、うちはどんどん積極的にイベントやってく方針みたい。
大体がおとーさんもじーちゃんも、お祭り好きで新しもの好きなんだよね。だからうちはクリスマスもハロウィンもフェアやるし、季節ごとの限定スイーツみたいなのも結構作る。
「和菓子屋ならではのアプローチってのがあるだろ。生クリーム大量に使うケーキに比べりゃカロリーも控えめだし。 ……それに、せっかくの稼ぎ時に指咥えてみてるだけってのも腹立つしな。ここで稼げば晩酌が旨いって寸法よ」
……お、お父様。それは流石に身も蓋もないのでは……。
でも、それだけじゃない。我が父の作る菓子は美味しいだけでなく、見た目も実に繊細で美しいのだ。いやまじで。
おとーさんの言動は……江戸っ子の職人っていうのに変な憧れがあるらしく、似非べらんめえというか何というかであれなんだけど、その指先が練り上げる菓子の造形は非凡。特に得意とする煉切では、若手のとき出場した「全国創作和菓子コンクール」で金賞を取ったりもしている。本人は最高賞である厚生労働大臣賞じゃなかったと悔しがってたらしいけど。
だから……おとーさ……父はあたしの憧れでもあったりするのだ。
このお店は……多分年の離れた弟二人のうちどっちかが継ぐんだろうけど、もしも二人に違うやりたいことができたなら、その時はあたしが継いでもいいかなぁ、なんて思ったりもしてる。 ……誰にも言ったことは無いけどね。
そんな事を頭の片隅で考えつつ、未だにショーケースの前で何やら悩んでいる様子の比企谷さんに横から声をかける。
「お客様、何かお探しでしょうか?」
「い、いえその……もう少し見てから……」
急に声をかけられ、「もう少し」と言いながらもう帰ってしまいそうな様子で後ずさる比企谷さん。
「こんにちはぁ。そんなに構えなくても大丈夫ですよ」
「は、はい。……あの?」
この反応…………ふふふ。どうやら比企谷くんにはアタシの正体がわかっていないと見える。うむ、まあそれも仕方あるまい。
ジャストなうのあたしは、この店のバイトさん用の制服である、和風・洋風を組み合わせたような……着物風洋服とでもいうようなものプラスお店のロゴ入りエプロンを身に付けており、髪は編んでまとめている。その上化粧っ気が全く無いのをごまかす意味もこめて伊達メガネまでかけているのだ。
別に比企谷さんじゃなかったとしても、じっくり見なければあたしだとは分からないだろう。あたしはただでさえ身長もあってこうしていれば高校生ぐらいには見えるだろうから。
てゆーかわざとそう見えるようにしているんだよね。
現在の日本では、小学生を働かせるということになかなかめんどくさいルールが有る。これは厳密には家業の手伝いでもそうで、「家の仕事を手伝う小学生」というのは黙認されているだけなのだそうだ。
けれど、こと接客の仕事となると「アウト」とされることが多いらしい。……本人が好きでやってるんだから良いと思うんだけどなぁ。
そんなわけで、平日学校から帰った後、今日のように「おかーさんが近所の公園で弟たちの幼稚園バス待ちをして、そのまま買い物して帰ってくる」みたいなちょっとホールの人員が手薄になる時間にお店のお手伝いをして……一応「お駄賃」という名目で1時間あたり800円の「お小遣い」をもらっている。
……んん? それ完全にアルバイトじゃないかって? ……な、なんのことッスか? う、うちは小学生に労働させたりする店じゃ無いッス。いやあたし誰だよ。
まあ、土日とかの忙しい日にはすぐ近くにある大学にかよう学生のバイトさんが入ってくれてるので、それほど長時間仕事をする機会があるわけでもないし。
……などと脳内で長々と語ってしまったけれど、比企谷さんは一向にあたしに気付く様子がない。それほどまでにこの変装は完璧なのかっ!
……なんて、単に忘れられてるだけだったりしたら悲しいなぁ。……だ、大丈夫だよね。クリスマスの後だって挨拶ぐらいはするようになったし、先月のことだってあるし…………い、一応ヒント出してあげよっかな、うん。
「へへ、あたしのお菓子、どうでした?」
そう言ってあたしは伊達メガネをおでこにクイッと持ち上げる。あたしの言葉に比企谷さんは一瞬目を丸くすると、
「あ、なんだ綾瀬か。びっくりしたわ」
そう言って彼はようやく緊張を解く。
「なんだとはなんですか。ここはあたしの
「居るのはおかしくないが、その格好がおかしい」
「え……変……ですか……? あたしこの制服好きなんですけど、似合ってませんかね……」
と大げさにしゅんと落ち込んで見せる。
すると比企谷さんは見てておかしくなるぐらい慌てて言う。
「いや、そういう意味じゃなくて……まさか店員さんやってるとは普通思わないだろって意味でな……。その、制服は似合ってて……大人っぽくて格好いいと思うぞ。逆に合いすぎててまったくお前の事わからなかったぐらいだし」
比企谷さんは冗談という風でなく、真顔でそんなことを言う。
「う……あ、ありがとうございます」
「……なんでお礼……?」
「なんでもないですっ……」
……『似合ってて……大人っぽくて格好いい』……くっ、不意に褒められるとドキドキしちゃうじゃないかよぅ……。まったく比企谷さんはこれだから……ホント、まったくもう、まったくもうだよ!
「コホン。えー、改めましてお客様、今日は何をお探しですか?」
気を取り直し、あたしは営業スマイルで応戦を開始する。
「いや、それは……」
おや……比企谷さん、なんだか言いにくそうだけど、お菓子見に来てるのに言いにくい理由ってなんだろう? まあ時期的にはホワイトデー絡みかな? うちのお菓子もおすすめしたいとこだけど、まずは言いにくい理由だよね。さっきのギョッとしたような表情も気になるし。
「比企谷さん、なんかあるんですか? あたし、とっても気になります!」
「ふ、なんでそんなネタ知ってんだよ……」
その後すぐおかーさんが戻ってきたので、あたしは比企谷さんを奥の席にさそい、お茶を飲みながら事情聴取お話を伺うことに。
最初は言い渋ってた比企谷さんだったけど、食い下がる私にようやく口を開く。
「いや……小町が『ホワイトデーのお返しは三倍返しとかいうよね。……そういえばお兄ちゃん今年は結構もらってたみたいだけど大丈夫?』とか言うからちょっと気になってな……」
比企谷さん曰く、「今年は人生初、まあもちろん義理だろうがそれでも何人もの女の子からチョコを頂き、大変嬉しく思う」
曰く、「で、あれば当然ホワイトデーにはたとえうざがられようともちゃんとお返しをすべきだろう」
曰く、「さらに驚くべきことに、みんな手作りなので三倍返しと言われてもどの程度のものを返して良いのかよく分からない」
「……で、かろうじて値段の参考になりそうな『あやせ屋』のお菓子を確認しに来たわけだ……」
ははぁ、それでやけに集中してショウケース覗いてたんだ……。
「なんか……すまんな。まさか本人が居るとは思ってなかったからな」
彼はそう言って申し訳無さそうな顔をする。
「いえいえ。無理やり聞いたのはこっちですし。どうせですからバレついでになんでも相談してくださいよ」
「そういう訳にもいかねーだろ」
「いえいえ、この前のことのお礼もありますし」
「お礼って……あれは俺大したことしてないだろ」
「まあまあ。あたしはほんとに助かったんですから、そういうことでいいじゃないですか」
この前のこと……については別の機会に。あんまり詳しく語ると比企谷さんとあたしのフラグが立っちゃいそうだから。てへ。
まあ、先日たまたま個人的にお世話になってしまう出来事があったということですよ。
「で、誰と誰からもらったんです? ここだけの話にしておきますから、とっとと全部吐いたほうが楽になりますよっ」
「え、なにこれ取り調べなの?」
彼はまた答えを渋る。
「じゃあ、予想してみましょうか。 ……あたしと留美の他に……雪ノ下さん、由比ヶ浜さん、会長さん。あとは小町さんとお母さん……どうですか?」
「あー……お袋はくれなかった。小町は受験だから既製品。あとは今お前が言った三人の他に川崎とけーちゃん、藤沢、城廻先輩、あとクリスマスイベントで顔ぐらい見てるかもしれんが折本ってやつ」
「そ、そんなにですか……」
な……なんということでしょう。なんだかんだでモテるんじゃないかとは思ってたけど、留美とあたしを合わせたら十一人、二桁じゃないですか!
それに聞き覚えのない名前も……。藤沢さん……は「書記ちゃん」さんのことか。折本さんはなんとなくおぼえてる。海浜校の――ウケるウケると騒がしかった人だよね。でも、彼女も中々の美人さんだったと思うけど……比企谷さんって一体……。
まあもちろん、それが全部本命チョコというわけでは無いにしても……。
「それ、自称ぼっち(笑)のもらう数じゃ無いですよね……」
「自称って言うな。今年はいろいろあってたまたまなんだよ。去年までは毎年小町からもらう一つだけだったし……まあそれはいい」
いやよくないっ。色々とよくないっ。
「とにかく、ここからが本題なんだが……」
本題……つまり、比企谷さんの「本命」は誰なのか、だよね。あたしはゴクリとつばを飲む。
ああどうしよう。ここでもし、「本命は雪ノ下だ」とか、「由比ヶ浜が好きなんだ」とか聞いてしまったら、この後留美の顔を見て話せなくなっちゃうよ……。
「実は……」
「実は……?」
「予算がピンチだ」
「は?」
「いやだから、小遣いが厳しい」
「な、な、何いってんですか比企谷さん! それのどこが本題なんですか」
「ばっかおまえ本題も本題、最重要項目だろうが。今年も小町だけに返せばいいと思って……まあもしかするとその、部活仲間からは「義理」ぐらいはもらえる可能性もゼロではないかもしれんから――一応それぐらいの出費は覚悟……というかまあ取ってはおいたわけだ」
「はいはい」
「で、びっくりこの人数だろ? しかも今ここのお菓子の値段見たら……三倍返しとか無理だろこれ!」
彼はどこか他人事のようにそう言う。
「ちょ、あれはおと……父が作ったやつだからあの値段なんです! 比企谷さんに差し上げたのは……餡を煉ったのは父ですけど、その、形を作ったり細工をしたりしたのはあたしなので――お金なんか取れる代物じゃ無いんですよ……」
お店に並んでいる煉切は、小さいものは二百円台からあるけど、比企谷さんに贈ったようなケーキに近いサイズの凝った細工のものは高いもので五百円近い。
バレンタインの時と並ぶ商品は違っているけれど似たようなデザインのものはある。 ちなみに『恋ごころ』という名前の、ハートを矢で射抜いたデザインのお菓子だと、ホワイトデーバージョンは白いハートにピンクの矢という、バレンタインとは対になるカラーリングだったりする、というふうに。
それで比企谷さんはあたしが贈ったのと似た煉切菓子の価格を確認してたんだろうな。
いまショウケースに並んでいるもので彼にプレゼントした物に近いデザインの商品の値段はそれぞれ、450円・470円・480円(税別)
これを合計して、その三倍返し……で、それを基準に十一人分と計算してみたとすると……げ、消費税足したら五万円近いじゃん。なるほど比企谷さんがぎょっとするわけだ。
「いや、綾瀬が作ってくれたってのは小町から聞いてるから。……あれ、味はもちろん美味かったし、細工だって細かくて食べちまうのがもったいないくらいきれいだった。
そりゃあ親父さんのと並べて比べれば違うのかもしれんが……ちゃんと『売り物になる』お菓子だったと思うぞ」
比企谷さんは離れたショウケースの方にちらっと視線を遣りながらそう言ってあたしの作ったお菓子を褒めてくれる。
美味しいのはおとーさんの餡なんだから当たり前。だけど…………へへ、苦労した細工を褒めてくれたのはすっごくうれしいなぁ。
あんなに気合い入れて細工菓子作ったの初めてだし……。こんなことを言うとあたしが比企谷さんのことを好きみたいに思う人も居るかもしれないけれど……そおゆうんでも無い……と思う。
なんていうか、留美とかまわりの娘たちが一生懸命バレンタインの準備してるの見てて……
留美はお菓子の試作したり、あと「告白するか迷ってる」みたいなこと言っててそわそわ落ち着き無いし……。
それから陶子のやつ。あの子実は彼氏持ちなんだよねー。まったくお互い小学生の分際でけしからん。だいたい普段は結構強気なキャラのくせして彼氏の前では妙にしおらしくなっちゃったりするところが許せん。いや、あたしの許しとかいらんだろーけどさ。
まあそーゆうの間近で見てるとね~ やっぱりあたしもがんばるぞい! とかちょっとは思うわけでありますよ。
だけど今のあたしには、「どうしてもあげたいっ!」て思うような異性が居るわけでもない。でも、折角のイベントだし、おとーさんたち以外にも誰かにあげたいなぁと。
だってバレンタインにお菓子手作りしたはいいものの、あげるのが肉親だけって乙女としてどうなのよ、とか思っちゃうじゃん。
そんな風に思ってたところで留美の「どうやって比企谷さんに渡そうか」っていう話になった時に、じゃあ、せっかくだからうちに来てもらって、留美のついでに受け取ってもらおうと考えたわけですよ。なんだかんだで比企谷さんにはお世話になってるしね。
で、お店のバレンタイン限定煉切の中からあたしが可愛いと思うのを3つ選んで、あたしなりにできる範囲でなるべく同じものを作ろうと目指したわけ。
……まあ、結局比企谷さんが来れなかったのにはがっかりしたけど、小町さんにお願いすることが出来たのでせっかく作ったお菓子が無駄にならなくてすんでよかった。
おとーさんがあたしのためにわざわざ見本まで作ってくれたから、渡せなかったらおとーさんにも申し訳ないな、なんて思ってたからさ。
ちなみにおとーさん、じーちゃん、弟二人の分は一つにドンとまとめて作って目の前で切り分けた。けっして比企谷さんにあげる方に時間をかけるために手抜きしたわけでは無いのよ。ほんとよ。
何を作ったかというと……一度作ってみたかった煉切ホールケーキ!
煉切餡を丸い枠のなかで色ごとに四層に重ね、枠を外したそれを真っ白な餡で覆い、更に甘さを抑えた白い煉切餡と生クリームを混ぜたものを、星口金をつけたクリーム絞りでデコレーション。
そして最後は本物のいちごを乗せて――完成!!
見た目はまるっきりいちごのショートケーキホールサイズ。断面は……羊羹みたいにスパッと切れるので超きれい。味も……これ最高。いちごと生クリームと餡の組み合わせってヤバイ。いちご大福の例もあるように、苺の酸味と餡ってよく合うんだよね~。
弟達やおかーさん、ばーちゃんにもとっても好評でした。
……実のところ、これは何種類も餡を練るほうが大変で、おとーさんとじーちゃんとあたしの三人で作ったみたいになっちゃったけど……。忙しい時期に申し訳ないことしちゃったかなー。
まあでも、おとーさん達こういうチャレンジみたいなことするの大好きだし。やたらノリノリで楽しそうにしてたからいいよね。
とか思ってたら、このケーキ風煉切、おとーさんの手で改良されて、さっき比企谷さんが覗き込んでいたショウケースの中に新商品として並んでるんだよね……ほんと商魂たくましいというか……。いやでも、ケーキ部分の一層がいちごたっぷりの葛ゼリーになっててほんとに綺麗で美味しいんだよ!
そんなことはともかく、
「とにかくですね! あたしのアレを値段の基準にするのは間違ってます。それに……三倍返しとか都市伝説みたいなもんです。きちんと気持ちがこもってれば値段なんて関係ないと思いますよ」
「そんなもんか」
「そうですよ。だいたい女の子の手作りチョコの価値を値段で考える方が失礼です。三倍返しなんて……比企谷さんが一生働いても返せないかもしれないですよ……」
「お……おう」
彼はそれでようやく納得したような顔をする。
「しかし……気持ちを込めるつっても……どうすりゃいいんだ?」
「いやいやそれを比企谷さんが考えるのが大事なんでしょう! 手作りするわけじゃないんですから、『相手に合わせて選ぶ』って感じですかね。そこがセンスの見せ所、みたいな」
「分らんではないが……そーいうのを俺に求められてもなぁ……。だいたいどの店行ったらいいのかも見当がつかないしな」
「まあ……そですかね~……。あ、じゃあ、ちょっと待っててください」
あたしは一度レジ横に行きそこにたくさん挿してあるパンフレットやらの中から一冊の小冊子を引き抜き、それを持って再び比企谷さんのところに戻る。
「それは?」
「じゃじゃ~ん」
彼に聞かれ、あたしはそれを捧げ持つようにして表紙を見せる。
「『銘店倶楽部』……フリーペーパーか?」
「はい。うちも載ってるんですけど、それは置いといて…………」
あたしはパラパラとページを捲りながら、席においてあるアンケート記入用の鉛筆で何箇所かに丸をつけていく。
「はい、どーぞ。あたしのおすすめのお店です。ホワイトデーまでまだ日にちありますし、一度全部まわってみて、その中から選ぶっていうのはどうです? どのお店のお菓子も美味しいので見た目のイメージで選んでもハズレは無いですよ。
まあ……うちの和菓子もご利用いただきたいトコなんですけど……前日買って学校に持っていくのはちょっと大変ですしね~ あ、あとけーちゃんにはこの店のが良いと思います。ここのお菓子、お酒使って無くて見た目もカワイイんですよ……」
そんな話をしている時、鈴の音のような電子音がして自動ドアが開く。お客さんのご来店だ。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ~ ……あ」
母の「いらっしゃいませ」の声についあたしも復唱するように「いらっしゃいませ」という声が出てしまう。今はエプロンも外して休憩中なのに……失敗失敗。
ふと、あたしと母の様子を見ていた比企谷さんと目が合う。なんだろう、微笑ましいものでも見ているような目だ。
「はー……。なるほどなー。綾瀬の言葉使い、目上に対してはやけに丁寧だなとは思ってたが……やっぱり接客とかで慣れてるからなのか? なんというか……小学生なのに大したもんだなお前」
「ちょ、なに話と関係ないところに感心してるんですかっ」
もう……この人ほんと油断できない。
「あ、いやすまん。…………そうだ、お前はこの中だったら何処のが良いんだ? 今日のお礼に何かリクエストが有れば……」
「だ・か・ら・! ……そこは聞いたら駄目なとこなんですよ。ちゃんと一人ひとり、あたしの、皆さんの顔を思い浮かべて選んでください。 ……間違っても、面倒くさいから全員同じのにしよう――とか考えちゃ駄目ですからねっ」
「……まあ、努力はしてみるわ」
「はい!」
**********
そんなことがあってからはや一ヶ月。小学校を無事卒業したあたしは、本日比企谷さん兄妹の家にお招きをいただいたのです。
なんでも、小町さん・留美・あたしの三人の入学祝をしてくれるとのことで連絡をいただき……留美はともかくあたしも? と最初は驚いたものの、まあ多分これがホワイトデーのお返しの替わりなのかなーなどとなんとなく勝手に納得しました。
なにせホワイトデー当日は小学校の卒業式前日で……「比企谷さん、そういえばどうしたかなぁ」とちらっと思ったりしたものの、すぐにそれを忘れるくらい忙しかったんだよねー。あの日の比企谷さんの言動からして、全く何もないってことはないだろうし……。
なんて気楽に考えて留美に案内されつつやってきたと思ったら……。
なんだか小町さんの変なノリで制服姿の披露とかさせられてるし(そもそも「中学校の制服持ってきて」って時点で何かおかしいって気付けよあたし!)
……それに、なんとも言えない場違い感……。
いや、集まったメンバーがね、もうレベル高すぎっつーか……。
筆頭は雪ノ下雪乃さん。言わずと知れた超美人で、艶やかな長いストレートの黒髪、スレンダーな体躯からスラリと伸びた手足……容姿的な弱点なんて上半身の一部が少々ボリューム感に乏しいことぐらいしか無い! おまけにその弱点をむしろ長所だと捉える男性諸氏だって決して少なくは無いわけで……即ち全方位死角なし!
そして対抗、由比ヶ浜結衣さん。可愛らしい、それでいてとても整った顔立ち。普通かわいい系の顔ってどこかしらバランスが崩れてる部分が有るもんなんだけど、結衣さんにはそれが無い。でもすごく可愛いんだよね……。そして彼女は、結衣さんを結衣さんたらしめる最強の兵器を胸部に装備しているのだ。
――これこそ大艦巨砲主義の具現! 正に圧倒的じゃないかッ!!
と、いやその、大きいんだよね……すっごく。それでいて形も綺麗という……。
結衣さんの胸については前にも同じようなことを言ったような気がしないでもないけど……まあ、大事なことなので二回言いましたってやつね。「大きい」「こと」と書いて『大事』だし。
そういえば以前抱きつかれた事のある留美がそのあまりの戦力に唖然としてたっけ。
そしてその留美――我が親友、鶴見留美さん。
最近一緒に居る事も多くなり、だいぶその容姿にも慣れて気にならなくなってきているものの、改めて客観的に見れば彼女もまた相当な美少女なのだ。
確かに眼の前に居る高校生二人に比べれば流石に幼さを感じる。けれどそれが年の割に大人っぽい彼女の容姿に不安定な危うさという魅力を付け加えているようにも感じるのだ。
そういえば……彼女は外見的な雰囲気が雪ノ下さんとどこか似ている。容姿そのものも、彼女の持つ雰囲気も。この印象を持ったのはあたしだけでは無いらしく、比企谷さんが留美のことをぼそっと「ミニの下さん」と独り言のように言っていたのを聞いてしまったこともある。きっとこのまま成長すれば雪乃さんや結衣さんに負けないくらいの美人さんになるに違いない。
もう一人、八幡の妹さんの小町さん。あたしはそれほど接点多いわけじゃないんだけど、留美は随分前からお世話になっているらしい。
彼女は表情がくるくると変り、笑顔がとっても可愛らしい女の子。いろんな事にしっかりしていて、でもなんだかとらえどころがなくて……。すごいなあと思うのは、自分のことを「小町は~」とか言っても嫌味がなくあざとくない……というかあざといのに可愛いという稀有な才能。しかもお兄ちゃん大好き――と、萌えキャラ要素で言ったら彼女がNo.1!
……で、その綺羅星の如き女性陣の中にあってですよ? 外見的には「小学校を卒業したばかりにしては背が高い」程度のことしか特筆すべきこともなく、立ち位置的にも「比企谷さん兄妹と色々親交のある小学生……の、同級生……にこれからなる予定の友達?」という実に微妙な存在が約一名。
……いやほんと、なんであたしここに居るんだろう。
その、あたしだって別に卑下するような容姿じゃぁ無い、とは……思う。背が高くて手足が長い体型も嫌いじゃないし、目は
ばーちゃんは「絢香は和風美人さんだなー」と言ってくれるし、
下の弟も「ぼくね、おねーちゃんとけっこんするのー」とまだ言ってくれてるし。これがまた可愛いのなんのって…………それは関係ないか。
まあ、そんな事をグダグダ考えてたあたしだけど、いちいちそんな事を気にしてるのってあたしだけみたいなんだよね。
雪乃さんお手製という、まるで海外ドラマのホームパーティーに出てくるようなおしゃれで美味しい料理を摘みながら、ごく自然にあたしに接してくれている彼女たちを見ていると……変に構えてしまっているこっちが馬鹿らしくなってくる。
それに……なんだかんだで雑談に盛り上がってる女子陣はもちろん、比企谷さんだって、男子×一名、女子×五名(うちハイレベル美少女三名、実妹一名、普通女子一名)という超ハーレム状態の中で結構平気そうに話をしてる。
ほーんと、一体全体どこが「ぼっち」なんですかね~。「ファッションビッチ」ならぬ「ファッションぼっち」?
なんとゆーか、「俺ってぼっちだからさ、ちょっと寂しいんだよね」……みたいに自分を演出して、それにフラフラと寄ってきた女の子たちを片っ端から……とか?
まあ、どう考えてもそんな器用ではなさそうだなぁ。比企谷さんって、結構小難しいこと語るくせに恋愛方面は不器用っていうか……そこがちょっと可愛く見えちゃったりなんかしちゃって……。
……はっ! これはもしかしてあたしもその魅力の罠にはまってたりするのか?
そんなことを考えながら比企谷さんの方をチラチラ観察してたら……おや? なんか留美に対する態度というか意識の仕方が前と違ってないですか?
上手く言えないけど――こう、ちゃんと女の子として見るようになってるというか……微妙な変化なんで確信は持てないけど……。
バレンタインの後、留美はあまり詳しい話をしてくれないけど、「言いたいことは言えた」と言ってた。 ……つまり、
そう考えれば彼のこの態度もなんとなくは理解できる。
だって、あれだけ可愛くていい娘に想いを寄せられて嬉しくない訳がない。どうしたって意識はするだろう。
――そりゃぁもちろん、年齢のこととかいろいろ考えちゃったりはするだろうから、いきなり付き合う付き合わないの話にはならないのかもしれないけどさ。
もっとも留美のほうは、「八幡が私を恋愛対象と見てくれるなんてありえない」なんて思ってるみたいだけど……あたしから見ると、比企谷さんと留美の二人が並んでいる絵面は結構自然で、年齢やら人間関係やらの余計な予備知識なしにこの二人を見れば、十分アリだ! という結論になるんだけど……こういうのは本人同士の意識の問題だしなぁ……。
「……これも美味しいです、雪乃先輩」
「そう? 先に下味を付けておいたのが良かったのかしら」
「ほら、結衣先輩も食べてみてくださいよー……」
「どれどれ…………へぇ~、美味しいねえ。あたしもこれやってみようかなぁ~」
「「えっ」」
「ん? どったの二人共……」
小町さんは今日から雪乃さんと結衣さんを「雪乃先輩」「結衣先輩」と呼び始めた。まだ少しだけ……どちらかと言うと
そんな中、比企谷さんがタイミングを図ったようにすっと立ち上がり、
「じゃあ、小町頼むわ」
と言って二階へと上がっていく。はて、なにかこの時間にどうしても席を外さなきゃいけないご用事でもあるんだろうか……。 神への礼拝? 黒の組織への定時連絡? そんなアホな。
彼が階段を登るのを確認するように見上げていた小町さんが、やがてくるっとこっちを振り向いた。
「はいはーい。ここで留美ちゃんと絢香ちゃんはじゃんけんをして下さい」
「あのー、何ですか?」「え、何?」
あまりにも突然そう言われたあたし達二人は当然疑問の声を上げる。
「まあいいからいいから。順番決めるだけだから気楽にね」
小町さんに腕を引っ張られて立ち上がり、頭の中は「?」状態で留美と正面から向き合う。彼女も事情はわかっていない様子で困惑顔。けれど横目で雪乃さんたちを見れば特に驚いてる様子もない。結衣さんなんか露骨に知らんぷりしてるし。
……ふむふむ、この流れはあれですね。いわゆるサプライズ的な何かがあるということですな。――そうと分かれば応えてあげるが世の情け。世界の破壊を防ぐため、世界の平和を守るため……じゃないけどっ。
あたしはわざとらしく不敵に笑い、
「よくわかんないけど、やるからには負けない。3回勝負ね!」
あたしは左手で前髪をかきあげ、その手をそのまま前に突き出し、留美の眼前にその指先をビシっと突きつけた。
そんなあたしを見て、留美も呆れたように笑いながら構える。
「じゃあ、勝負!」
「「じゃん、けん、ポン――」」
あいこ、勝ち、あいこ、あいこ、負け、あいこ、勝ちぃ!!
「へへっ、あたしの勝ちぃ」
あたしは一つ跳ねるようにして天に拳を突き上げた。
……お? 留美は結構悔しそうだ。彼女に向かって煽るようにVサインを決めると、留美はぷぅっと可愛らしく頬を膨らませる。
「じゃあ、絢香ちゃん、お先にどうぞ~ 小町の部屋の手前のドアだよー」
小町さんがそう言う。要は階段を上がって比企谷さんの部屋に行けということか。
「えぇー、いやあの……ホント、何なんですか?」
まあ、ここは芸人のお約束として一応渋ってみせる。(誰が芸人だ)
「まあまあ、行けば分かるから」
そう言う小町さんに背中を押され、あたしは留美たちに見守られながらゆっくり階段を登った。
*********
さっき制服を着替えた小町さんの部屋の一つ手前のドア。ここに一体何が待ち構えているというのかっ! ……いやまあ、比企谷さんが待ってるに決まってるんだけどね。
あたしは一呼吸おいてから、トン、トンとドアをノックする。
数秒、ドアがすっと開かれて比企谷さんが顔を覗かせる。
「おう、先に綾瀬か。……まあ入ってくれ」
「はい、おじゃましま~す」
そしてあたしは初めて比企谷さんの部屋に足を踏み入れる。
部屋の印象は……「本ばっかり」
高校生男子の部屋ってどういうのが普通なのかは知らないけど、部屋は綺麗に片付けられており、ベッドと学習机、そして本棚。
パソコンもテレビも見当たらないけれど、その分この本棚がやたら大きい……って、これ、同じ本棚2つ並べて置いてあるのか。
留美から「八幡は本ばっかり読んでる」とは聞いてたけど、なるほどだねー。
何かのアンケートなんかで、何の趣味もない人が、「趣味」の欄に「読書」って書いたりするらしいけど、比企谷さんなら自信を持って「趣味=読書」と書けるだろう。
比企谷さんは、そんなしょーもないことを考えながらウロウロしてるあたしを横目に見ながら、机の引き出しから綺麗に包装された円筒形の包を取り出した。
あ……。なるほどそういうことかぁ。あの包装紙はうちの比較的ご近所にある洋菓子店のもの……先月あたしが比企谷さんに渡した「銘店倶楽部」に載ってて、あたしがお薦めの丸印を付けたお店のうちの一つ。名物の「塩ブッセ」が美味しくて、あたしもたまにお小遣いで買って食べたりするとこのものだ。
「まあ、お前は見ればわかるだろうが……先月のお返しな。ちょっと遅くなって悪かったが、今日来てくれるって話だったから急がなかった」
そう言って比企谷さんはあたしにその包を渡してくれる。
「いえいえ、どうもありがとうございます。へへ、ここのクッキー好きなんで嬉しいです」
「……中身わかるのか」
彼の反応を見るにどうやら正解らしい。多分、透明な円筒ケースに入ったクッキーを3つ重ねて包装してあるんだ。
「まあこれは形に特徴ありますからね~。でもわかるのは『クッキー』ってトコまでで、比企谷さんがどれを選んでくれたのかは分かりませんけどね。ここのクッキーたくさん種類ありますし。
……で、ちゃんとあたしの顔を思い浮かべて選んでくれましたか?」
「そう言う言い方されるとなんか恥ずいが……。まあ一応な。クッキーにしたのも、綾瀬に贈るなら……どうせなら和菓子から離れた方向で、しっとりよりはサクサクした物にしよう……とかそんな感じだ。 ……相手に合わせて考えるって言われてもこんな風なことしか思いつかなくてな……こんなんでもいいのか?」
「はい、
「……選び方は?」
「失礼ですけど渡し方は今ひとつですね~。部屋に入っていきなり立ったままというのは良くないです」
「お、そうか……スマン」
「いえ、でもこれから留美にも渡すんでしょう? だったらもう一回練習しましょう!」
「練習って……どうすりゃいいんだ?」
「最初にクッションか座布団用意して、そこに座って落ち着いてもらうんですよ。まずはそこからです」
「なるほどそういうもんか……」
言いながら彼は部屋の隅からクッションを持ってきた。
「えーと? 『とりあえずそこ座ってくれ』か?」
「はい」
と、そんな風に一連の流れを練習したところであたしはお暇することにする。留美も待ってるだろうしね……って、この比企谷さんから貰ったお菓子どうしよう。このまま持って下に降りたらサプライズにならないじゃん。
うーん、セーターの中に隠せないかな……。お腹側を広げて中にしまってみたものの……無理だ、どう考えてもバレるわこれ。
比企谷さんは、そんなあたしの様子に気づいたらしく、何かを思い出したように言う。
「あ、そういえば小町が、『一人目の子は小町の部屋で待たせておいてあげて』って言ってた。そういう意味か」
なるほどそれならお菓子持ったまま留美とすれ違わないで済む。あたしは比企谷さんに改めてお礼を言い、彼の部屋を出てドアを閉めた。
あたしは下に向かって、
「次、留美呼んでくださいってー」
と声をかける。
「じゃあ、絢香ちゃんは小町の部屋で待っててねー」
下から小町さんの声。
あたしは「は~い」と返事をして小町さんの部屋に。で、ドアは
**********
やや間を置いて階段の音が響く。おそらくは留美が二階に上ってきた音だろう。。
隣でノックの音が響き、留美と比企谷さんがなにか言ってる声。あんまりはっきりとは聞こえないなぁ。
――仕方ない。あたしは隣の部屋のドアがバタンとしまった音を確認すると……そうっと小町さんの部屋から這い出した。
這い出したってなんだよ、お前は混沌の邪神か? などとおっしゃいますな。あたしは文字通り、赤ちゃんのハイハイみたいに
そんなわけで(どんなわけで?)スニーキングミッション開始、である。
階段が近づくと、下から見えないようにするためには更に角度が厳しくなるため、あたしはほとんど
「……とりあえずそこ座ってくれ」
今度ははっきりと比企谷さんの声が聞こえてくる。おお、ちゃんと練習通りにやってるな、えらいえらい。
「遅くなってすまん。もっと早く渡せればよかったんだが、卒業式とか色々あったしな……」
「下で渡そうかと思ってたんだが、ちゃんと一人一人渡したほうがいいってあいつらに言われて……まあ、そんな感じだ」
あれ、留美の声が聞こえて来ない。場所が悪いのか……それとも単に声を出さずに頷いてるだけだったりするのかな? 流石にドア越しの声だけじゃ分かんないや。
「あー、そのアレだ。あくまでこの前のお返しってやつな? ……言っとくがそんな大したもんじゃないぞ。普通に買えるお菓子だ。まあ、評判を聞く限りじゃ、美味い……らしい」
評判……ね。比企谷さん、留美にはどんなお菓子選んだんだろう。やっぱりあの『銘店倶楽部』の、あたしのお薦めの中から選んだのかな……そこはちょっぴり気になるところ。
「うん…………八幡、ありがとう」
お、ようやく留美の声が聞こえた。…………言葉はシンプルなのに、万感こもったような嬉しそうな声。
「それで、な」
僅かな沈黙の後、再び比企谷さんの声。
「まあこれはこれとして、だ。 ……留美、入学祝い、なんか欲しいものあるか?」
「え?」
「まあ、あんまり高いもんは無理だが」
「入学祝いなんて……そんなのいいよ」
「いや、これは俺が勝手に留美に何かしてやりたいと思ってるだけだ。おまえとは、夏以来なんだかんだで縁みたいなもんがある気がするしな」
「……うん……」
……縁、ねぇ。やっぱり比企谷さんの留美に対する態度が前と違ってるのって思い過ごしじゃ無かったみたい。
比企谷さんが「勝手に留美に何かしてやりたいと思ってるだけ」とまで言う時点でもう相当特別な存在ってことだよね。 ……留美がここにお泊りした日、一体何があったんだろう。
「ただ、その『何か』がまるで思いつかん。まあ考えてみれば、俺なんかに小中学生女子の好みなんて分かるはずが無い」
「それは……」
「それで小町に相談してみたんだが、小町は、『なら、本人に聞いてみればいいんだよ。お兄ちゃんの残念なセンスでいらないものプレゼントされても留美ちゃん的に困ると思うし』だと」
ぷぷ、いろいろ酷いなこのセリフ。妹に相談するってのも、小町さんの返しも。
「小町さん……」
「まあそれはその通り、と納得したわけだ。 ……で、どうだ、留美?」
…………比企谷さん色々おかしい。今の言葉に納得しちゃうトコも、その言われたまま留美に聞いてるトコも。
「……そんな、急に言われても思いつかないよ。それに、もし何かもらえるなら、八幡が選んでくれる物ならなんだって嬉しいよ?」
「そうは言ってもなぁ……文房具とかは……学校の指定とかあったりするのか? 服……いや、俺のセンスじゃな……」
いやだから、そういうのはセンスのいい悪いとかじゃなくて、比企谷さんが考えなきゃ駄目でしょってこの前も言ったのに……。
と、ここで留美の……どこか震えるような声が響く。
「ね、八幡……だったら、あの、い、一緒に選んでよ。その……お買い物、連れてってくれたら嬉しい……」
うおおっ、留美から行ったぁ~! デートですね、デートのお誘いですねっ!!
「ああ、だったら小町とも都合を合わせて……
「だめっ」(あほかっ!)
思わず留美と一緒に声出しちゃうとこだった。あっぶなー。
「……留美?」
「だめ。 ……八幡と二人だけがいい」
ひゃぁぁ、留美も頑張るじゃん! デートだもんね、やっぱり二人きりがいいよね。
「いや、それはアレでだな……」
くっ、この男……女子にここまで言わせてまだ渋るかッ。
「だって、小町さんが一緒だったら……八幡は小町さんにまかせちゃって自分で選んでくれないもん。――私……私は、どんなものでも八幡が私のために選んでくれた物がいい」
「…………」
おしっ、黙らせた。留美の勝ちっ!
そして比企谷さんはため息を一つついて、
「まあ、『欲しいものを選んでもらうために一緒に買物に行く』ってだけの話だよな」
と保険をかけに行く。あくまでも『デート』じゃ無いということにしたいんだろうなぁ。
「う、うん。そうそう買物。せっかくだから直接見て選びたいし。それだけだよ」
……お、留美もこれに乗った。無理に「デート」にするより二人で出かけられるようにすることを優先したんだろう。
「…………なあ、留美……。入学祝いの話は小町しか知らない。 ……だから、他のやつらには内緒にしてもらっていいか? その、この前みたいなことになると面倒だしな」
「うん。絶対……絶対に言わないから」
へへへ……。ごめんなさい聞いてしまいました。 ……でも誰にも言わないから安心してね!
「……じゃあ、いつがいいんだ?」
そして若い二人はデートの相談を始める。
スケジュールについてはぜひ聞きたかったんだけど……どうやらカレンダーか、あるいはスマホの画面かなんかをみて話をしているらしく、二人して「この日はどう」とか「その日は用事があって」とかしか言わないんだよね。頼むから具体的な日付を声に出してくれ~……。あたしは比企谷家二階の廊下で蛇のようにのたくりながら心の中で叫ぶ。
……他所様の家で何やってんのあたし……。
結局「デート」の日程は分からずに終わった。南船橋で待ち合わせしてららぽに行くってのはわかったんだけど。春休み中毎日南船橋駅で張り込むわけにも行かないしなぁ……。
*********
小町さんの部屋が外からノックされる。
「おわったよー。下に戻ろ」
と留美の声。彼女たちに気付かれないようにこの部屋に戻っていたあたしは、今ノックされるまで何も聞こえてなかったみたいな態度でドアを開けた。居るのは留美だけ。さっき階段の音がした気がするし、比企谷さんは先に下に降りたんだろう。
「ね、留美も貰ったの? やっぱりお菓子?」
しれっと聞いてみる。
「うん、まだ開けてないけど八幡はそう言ってた。絢香も?」
「あたしはこれ」
そう言って比企谷さんからもらった包を彼女に見せる。
「へぇ~、お店違うんだ。ちょっと意外。……私にはここのだったよ」
そう言って彼女が見せてくれた包は、あたしにくれたクッキーのお店とは結構離れたお店のもの。もちろんあたしお薦めの店の中の一店だ。生ケーキメインのお店だけど焼き菓子も美味しくて……留美のもらったのはマドレーヌのセット辺りかな。
それにしても、仮にも想い人が自分以外にもバレンタインのお礼を返しているという状況なのに留美はとっても上機嫌だ。 ……まあ当然か。今その彼と「デート」の約束をしたばっかりだしね~。
……でも比企谷さん、ちゃんと贈る相手に合わせて選んだんだなぁ。品物だけじゃなくお店まで違うってことは、もしかしてあたしに言われたとおり一度お薦めのお店全部回ってみて、それから改めて買いに行ったのかも。
あたし、確か10個ぐらい丸つけちゃったはずなんだけど……。あのめんどくさがりの比企谷さんがバレンタインのお返しのために何店も何店もお菓子屋さんを巡り歩く姿を想像したら、なんだかおかしくて笑ってしまった。
「絢香、どうかした?」
「ううん、なんでもない。比企谷さんも頑張ったんだなーって」
「頑張った?」
「まあ、おサイフ方面とか色々。だって、比企谷さんお返ししたのって多分あたしたちだけじゃ無いでしょ」
「そっか……」
なんとなく納得したらしく、留美は階段の先に視線を向ける。
へへ、彼女たちだけじゃないんだよ? 留美が、比企谷さんが実際いくつお返しをしたか知ったらきっとびっくりするんだろうけど……誰にも言わないって比企谷さんと約束しちゃったしな~。
**********
あたしたちも下にもどり、みんな揃ってお食事再開。
サプライズ? も終わったので。その手の話題もちょっぴり解禁になったらしい。結衣さんが、
「絢香ちゃんとこのお菓子って綺麗で美味しいよねー。それになんかケーキみたいでびっくりだし。今度優美子たちとも一緒にお店に行くね」
と言ってくれる。話を聞けば、比企谷さんは、結衣さん・雪乃さん・いろはさんには、一人ひとりに選んだ個別のお菓子の他に、うちの生菓子を予約して、放課後総武高からうちの店まで自転車で取りに来てくれたらしい。
それがまさかの、例のホールのショートケーキもどき(中)で、部室で切り分けて食べたら大変好評だったとのこと。
「……そう言えば……あやせ屋って、『御菓子司』の看板出してる割には、なんつーかこう、攻めてるよな」
そんな話を横で聞いていた比企谷さんがぼそっとそんな事を言った。
「へ? 攻める?」
「いや、あれ以外にもホワイトデー限定のケーキみたいな和菓子とか結構あるみたいだったからな」
まあ確かに。そのショートケーキ型の煉切は外見のミスマッチ的な面白さもあってか結構な人気商品になってしまっている。サイズも小(いちご1個カットケーキ風)中(いちご4個ミニホールケーキ風)大(いちご6個ホールケーキ風)と充実展開。
いやこのラインナップ、ほんとに和菓子屋のショウケースかよっ! おとーさん、娘にまで突っ込まれてどうすんの?
「いや~、父と祖父がそういうの結構好きで……『御菓子司』だと何かマズイんですかね」
「別にいいんじゃねえか。いや知らんけど。ただこっちが勝手に「伝統を守ってる」みたいな名前のイメージ持ってるだけだしな」
「イメージ?」
「うろ覚えだが……『御菓子司』って、確か宮中御用達とか殿様御用達とかの公的な許可をもらったお店、みたいな意味だったような」
「へぇ~」
「いやなんでお前が驚いてんだよ」
「だってうちは、今は独立してますけど元々はただの支店で……言われてみれば本店は千葉城のすぐ近くにあるんですよ。『殿様御用達』かぁ、なるほどね~」
本店には何度も行ったことあるけど、たしかに向こうのお店は「ザ・伝統」って感じのお店だった。
「じゃあほんとはホントは御菓子司名乗っちゃマズイんですかね」
ちょっと心配になってきた。すると、
「大丈夫よ、別に問題ないわ」
と雪乃さん。
「そうなんですか?」
「ええ、確かに比企谷くんの言うとおり、江戸時代なら御菓子司を名乗れるのは、今で言う公的な認可を受けたお店だけだったけれど……、最近ではその言葉のイメージからか、歴史も何もなくてもお店の名前につけるところが多いそうよ」
「え、なにそれ。詐欺なの?」
今度は比企谷さんが驚く。
「むむ、うちも微妙ですかね……。本店の方は江戸時代からのお店ですから間違いないとしても、うちは昭和になってからのお店だそうですし……置いてるお菓子も随分違いますしね……」
うちと本店両方で同じものを扱ってるのは、伝統的な焼き菓子数種類だけだ。それに本店ではショートケーキ煉切なんて絶対扱わないだろう。
「今の時代、名前や呼び方にはあまり意味がないという事よ。……大切なのは本質。『あやせ屋』さんにくるお客さんだって名前が『御菓子司』だから通うという方はあまりいないと思うわ。
――あなたのおうちのお菓子が美味しいからたくさんのお客さんがいらっしゃる。きっとそれでいいのよ」
「うん、絢香ちゃんのとこのお菓子すごく美味しいよ。名前なんて……小町、『あやせ屋さん』としか覚えてなかったもん」
雪乃さんと小町さんの言葉になんだかほっとする。
「名前や呼び方にはあまり意味がない……か」
比企谷さんが何故か感慨深そうに言い、
「そうよ、ヒキタニくん」
雪乃さんがそう言っていたずらっぽく微笑う。
「そうか、流石はユキペディアさんだな」
そして比企谷さんがそう返して口角を上げる。
楽しげに絡み合う二人の視線。 ……この二人も特別な雰囲気持ってるよね~。なんというか、「二人で話を始めると他の誰も入っていけない」みたいな。
夫婦漫才みたいな会話している時もそうだし、クリスマスイベントのときとかも、予算とか進行とかの話に夢中になると、二人にしか分からない、他の誰もついていけないペースで議論しているのも見たことがある。
その時の留美はただ遠くからもどかしそうに二人を見てるだけだったけど……。
「でも、私は……私は呼び方って――意味、あると思う」
「留美……?」
彼女は果敢にも比企谷さんと雪乃さんの会話に割り込んでいく。――そう、留美だって前とは違うんだ。
「お店の名前のことはよくわかんないけど、私は八幡のこと『八幡』って呼びたいし、八幡が私の事、『留美』じゃない呼び方するのは……なんか
比企谷さんと雪乃さんの今のやり取りに何か思うところがあったのだろう。留美は比企谷さんをじっと見つめ……それから驚いたように留美を見ている雪乃さんの視線に気づいて、うつむきながら謝る。
「あ……ごめんなさい、その……」
「こちらこそごめんなさいね。そんなに特別な意味じゃなく、ただ個人的な話をしただけのつもりだったの……」
二人がシュンとしてしまったところで、小町さんが声をかける。
「はい、そこまでですよ~、雪乃先輩も留美ちゃんも」
「その、すいませ……」
「だから謝んなくていいんだよー。悪いことしたわけじゃないんだし」
「でも……」
「じゃあ、もう一回乾杯しましょう! 今日はお祝いなんですから」
「そう、そうだよ。じゃあ今度は何に乾杯しよっかー」
小町さんが盛り上げ、結衣さんがそれに乗っかる。じゃああたしも。
「うーん……。ベタですけど、みんなの友情に、とかどうです?」
「おお、なんかかっこいい! ゆきのんもそれでいいよね」
結衣さんは喜んでるけど、雪乃さんはあまりの強引な展開に呆れ顔……。
あ、でも今、留美と雪乃さんが顔を見合わせて二人とも笑った。
「じゃあ、小町飲み物用意しますね~」
二人の様子を見て満足げな笑顔を見せた小町さんが、手際よくみんなのグラスに氷を入れジュースを注いでいく……。
「みんなコップ持った? じゃあ行くよっ」
そう言って結衣さんが高くグラスを掲げる。
「えっと……ここに居るみんなの友情に、かんぱ~い!」
「「「かんぱーい」」」「「……乾杯」」
それからみんな次々とグラスを軽く順番にぶつけて鳴らしていく。
「……比企谷さんも頑張りましたね」
彼とグラスを合わせながら小声で言う。
「何をだよ」
「へへ、おサイフとかお店回りとか色々ですよ。……お小遣い足りました?」
あたしがそう尋ねると、
「ぶっちゃけ親父に前借り頼んだ。で、理由を話したら親父が『お前がそんなにたくさん貰えるなんて、一生に一度の奇跡かもしれん』とか言って半額援助してくれたんで、まあどうにかな」
彼はそう言って相変わらずの斜に構えたような笑みを浮かべる。
「一生に一度って……」
「いや、正直俺もそう思う」
ふ、比企谷さん自己評価低すぎ……でもないのか? 11個、しかも手造りがその内10個って確かに大した戦果かも。
「あはは……まあ何にせよお疲れ様でした。乾杯です!」
「おう、今回は色々とありがとな」
そしてあたしと比企谷さんはもう一度ちょんとグラスを合わせる。
グラスの当たる音は微かだったけど、中の氷が揺れて「からん」と優しい音を立てた。
同時更新の「幕間」2話を合わせるとかなりの長さになってしまいましたが……ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回の2つの話――留美以外の視点から見た、留美と八幡の関係がちらっと見えます。
次の本編については検討中です。時間は大きく飛ばして展開の大きい話に進むのがいいのか、今の続きの日常パート的な話を時系列に沿って書いてゆっくり進めていくのが良いのか……どうなんですかね?
ご意見・ご感想お待ちしています。
11月1日 誤字修正 ご報告ありがとうございました。
11月2日 誤字修正 いつも報告ありがとうございます。普段のエディタじゃないせいか今回は誤字多かったです。すいませんでした。
11月18日(ただし一年後) 誤字修正 対艦ヘリ骸龍様、ありがとうございます。
過去話もたまに見直してはいるんですが、気が付かないものですね……。