相変わらずのゆっくり更新で申し訳ありません。
ようやく田植え(手伝い)一段落。慣れない作業は体があちこち痛くなりますね……。
でもこれでもう少しは更新ペース上げられるかもしれません(但し未定)
ということでお待たせしました。今回も同じ部屋から話が始まります。
「あ。そーいえば留美のクラスって、進路希望調査票、だっけ? あれもう提出した?」
「ううんまだ。 ……でも提出期限来週中なんだよね。私、なんて書こう……」
「まあ、でもまだうちら二年だし、大雑把でいいんじゃない? 職業なんか適当に書く子も多いし、志望校だって何が何でもそこ受けなきゃいけないってわけでも無いじゃん」
「うん、それはそうなんだけど……さぁ」
今日も今日とて美術部室(美術準備室)で放課後会議――というかただお喋りしてるだけ。こんなにしょっちゅう部室に来ててどこが幽霊部員だよ! という声が聞こえてきそうだけど、ここ最近の私と絢香は毎日のように顔
だからといって、大半の日は美術部員らしい創作活動をするわけでもなく、少し話をして帰るだけ。理由は……その……友達と遠慮なく話がしたいから。
……別に小学校の時のようにクラスでハブられているという訳じゃない。ただ、ちょっと……ほんのちょっとだけ「浮いている」かもしれない。
去年同じクラスだった絢香とクラスが別れてしまったのが個人的にはけっこう痛かった。
今のクラスにもそれなりに親しく話す子がいないわけでは無いんだけど……。私の心は「だからその子たちとなんでも話せる友達になろう」とはなってくれないのだ。
なんていうか……波長が合って大事な事でも相談できる、そして私と考え方が違っていてズバズバ意見を言われても素直に話ができる、そんな得難い親友たち――絢香や泉ちゃん――と、どうしても比べてしまう。
例えばクラスの中ではよく話す、比較的仲のいい娘は三人くらいいるけど、じゃあその彼女達に八幡とのことを相談できるかと言えば……やっぱり無理だ。
だったらそれが出来るようになるべく自分で彼女たちとの距離を詰める努力をすればいいんだろうけど……私は未だに自分の壁を壊すことを怖がっている。
これは一昨年の後遺症かな?
昨日まで親しく話していた「友人たち」から一斉に無視されるというあの絶望的な感覚。 そして――それを感じて初めて理解った、かつてその同じ行為の加害者側の一員だった自分の罪への恐怖。どっちの感覚ももう懲り懲りで……。
そんな私自身の心の持ちようもあり、それともう一つ、私がごくたまにだけどモデル活動をしているという話が校内ではそこそこ有名になってしまっている、というのもありで、そのせいか……なんとなくクラスメイトからは遠巻きにするように距離を置かれている、みたいな感じなんだよね。
さらに困ったことに(というか困らないことに)私はこの状況をちょっと寂しいとは思いつつも、同時に面倒くさい人間関係に関わらなくて済むという事にはほっとしちゃってもいるんだ。
そういう意味では……言いたくないけど私はクラス内では「ぼっち」なのかも……。
……ふふ、いいや。なら私は「正しいぼっち」で構わない。
ただそうは言っても……さっきの進路調査票の話に戻せば、私はクラスの友人に「進路希望、なんて書いた?」みたいに気軽に聞いたり聞かれたりする関係を築けていないわけで……。
だからここに来ればそういう話が出来てホッとできる、と。
まあとにかく、絢香が言ってるのはその通りで……進路希望調査票で何かが決まってしまうわけじゃない。
二年生に学年が上がって最初の進路調査なんて多分形式的な意味合いが強いもので、新しい担任の先生とかに「自分はどの辺りのレベルの高校を希望しています」みたいなことを伝えるだけのものだろう。
あとはそれと、来週早々に行われる「学力テスト」(成績には関係ないと説明されている)の結果を合わせて進路指導が進められる、というだけの話だ。
『要は学校側が生徒を管理しやすくするためのデータ集めみたいなもんだからいちいち悩むようなもんじゃ無い。取り敢えず自分の今の成績に見合った志望校を……公立と私立一つずつ書いておけば、向こうも安心して余計な呼び出しとか指導とかしてこないから無難なところを選んでおけばいい。志望校なんて後でいくらでも変更が効く』
……なんて、今のは八幡の受け売りだけど。
確かに八幡みたいな捻くれた考え方じゃ無いにしても、「適当に書いておけばいいや」って思ってる子たちも結構いるんだろう。ただ……。
「泉ちゃんは……やっぱり……」
「うん、職業の方は『画家』か『学芸員』 だから第一志望はここだよ」
そうはっきりと言って彼女は鞄から薄い冊子を取り出す。
『学校法人 山吹高等学校 美術専門科・普通科 〇〇年度入学案内』
泉ちゃんの口からすでに何度も聞いている学校名。薄い黄色地に赤とオレンジの幾何学模様を配し、そこに縁取られた白の文字。入学案内にしては派手な色合いで、けれどもセンスの良さを感じさせる表紙。流石に美術科で有名な学校だけのことはある。
「……泉、それいつも持ち歩いてるの……? だいたいそれ去年のでしょ。うちらが受験するのって……」
「う……。いいでしょ別に。なんかこう……モチベーションっていうか、その」
絢香に突っ込まれて泉ちゃんはちょっと恥ずかしそうな顔をして……だけど、話を引っ込めたりはしない。
「この表紙素敵でしょ……。これ、去年の卒業生がデザインしたんだよ」
「え、高校生のデザインなの!?」
思わず入学案内の表紙を二度見してしまう。言われなければ――ううん、言われてもそんな風には見えない――素人目に見ても洗練された構成の表紙。これを高校生が……。
「この先輩は今、〇〇美大に通ってるんだって」
「へー、〇〇美ならあたしも名前だけは聞いたことあるなー」
うん、私も知ってる。日本でも一二を争う有名な美術系の大学で、確か東京都の西の方……神奈川寄りのほうにあって、東京とは思えないほど田舎――じゃなくて、そう、自然が豊かな環境――らしい。
実はユキ先生がこの美大の出身なんだよね。「近くに遊べるとこが全然無かった」って文句言ってたっけ。
「山吹高校って〇〇美大から電車で15分位の所にあって、学校行事とかで結構色々な交流があるんだって。実際山吹から〇〇美に進学する子も多いみたいだし、それにお祖父ちゃんのお弟子さんが〇〇美で先生してて……その先生わたしもすごく尊敬してる人なんだよね。日本の洋画界に次々に新しい事を取り入れる革命児、みたいに言われてて。だから、できればその先生に教わりたいなー……なんて…………あ、なんかごめんね」
入学案内のパンフレットを胸に抱くように持って夢中になって話していた泉ちゃんが我に返って申し訳なさそうな顔をする。
「いやそれは気にしなくっていいけどさー、泉?」
「な、何? 絢ちゃん……」
「ふっふっふー。今、泉……この表紙書いた人のこと『先輩』って言ってたよ? もう合格したつもりかね?」
絢香はニターっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「え、ホント? そんな事言って……言ったね……。でもわたしそんなつもりじゃ…………」
「あはは。ごめんごめん冗談だって」
うろたえる泉ちゃんに絢香が両手を合わせて謝る。
「……でも、ここ、通いたいな」
泉ちゃんはそうぽそりと言ってパンフレットを握る手に力を込めた。
「うん……」
「実は、ね」
「ん?」
「わたし、去年『こども二科展』っていうので入選して……、その時お世話になった先生から『来年は二科展本撰の方に応募して見ませんか』って言われてるの。もしここで結果出せれば――山吹高の特別推薦枠か……もしかしたら特待生枠ももらえるかもしれない」
「おおっ、凄いじゃん」
ホントに凄い。こども二科展で賞獲ったのは知ってたけど、そんな風に期待されてたんだ……。まあ不思議じゃ無いかもしれない。泉ちゃんは謙遜して入選って言ってたけど実は『特選』だ。それに彼女のお祖父さんが「故・藤澤誠司」だということは美術の関係者なら当然知ってるだろうし。
「うん、だから今年は頑張ってみようと思う」
「頑張るって……今回もやっぱり油絵だよね。大きいやつ?」
「今回は60号に挑戦してみようと思うの」
「ををっ!! って言っててなんだけどごめん。号数で言われてもわかんない」
「絢ちゃん……あなた一応美術部員……」
「はは……」
「でも私もわかんないかも。ここで書いたり見たりしてる10号くらいまではなんとなくイメージ湧くけど、60号って言われると流石に……」
絢香が書棚に置いてあった美術教材・画材のカタログを手に取ってそのページをパラパラとめくる。
「お、あったあった。……60号……長辺が1,303 短いほうがF型で970、Pで894ミリかぁ」
「うん、枠の大きさまで入れると、だいたい縦1.5メートル、横1メートルちょっとって感じかな」
「1.5メートル……で……横が……こんくらい?」
絢香が空中に手で大きな四角を描く。
「わ、けっこう大きいね……。ここで描くの?」
「まだ考え中。流石に一度描き始めたら簡単に持ち運びって訳にはいかないし……。今はスケッチいっぱい書いてるところ」
「そか、頑張ってね泉ちゃん。何も出来ないけど応援するから」
「うん、ありがとう留美ちゃん」
「でも……合格したら……流石にここからは通えないよね」
千葉県から東京に通う大学生なら知り合いにいるけど……でもI市から23区内の旧都心辺りに通うのと、この千葉市から神奈川県寄りの郊外に通うのとでは距離もかかる時間も違う。
泉ちゃんが近くにいなくなってしまうと考えると、ただでさえ親しい友達の少ない私としては寂しい思いもあるけど……。
「あー、そっか。まだ気が早いかもだけど、寮に入るとか? それともまさかの一人暮らし……?」
「それが……お母さんそれなら自分も引っ越すって……」
「え? 泉ちゃんだけじゃなくお母さんも一緒に?」
「うん。新宿に出るならこっちからと時間あんまり変わらないんだって。 ……あくまでもわたしが合格したら、だけどね。もしかしたらその先〇〇美に進む事になっても便利だからって」
泉ちゃんは、志望校さえ決められていない私には想像もできないくらい自分の将来をきちんと見据えてる。こういう子が身近にいると、将来のことを考えるのはまだ早いんじゃないかなー、と頭の中では思っていても、どうしようもなくジリジリと心を焦がす……焦燥感って言うの? そんな感情が沸々と湧き上がってくる。……「私は」このままでもいいのかなって。
私は……子供のころから、格好良く仕事をしてるお母さんに憧れて、ファッション誌の編集とかの仕事をやってみたいと思っていた。今はその勉強の一環としてユキ先生に色々教えてもらったり、モデルの真似事までさせてもらっている。
でも……元々本を読むのが好きで、八幡の影響もあって更に本が好きになった私は、編集に限らず本に携わる仕事――例えば図書館の司書さんとか……も悪くないかな……なんて風に色々と気持ちが揺れ動き始めている。
ちなみにモデルに関しては……将来の仕事としては目指していない。
だいたい、私がモデルをした服はユキ先生がデザイナーとして所属している大手の会社のものじゃなく、あくまでも彼女の個人ブランド「Fairy Wings」のもの。これが正直少々特殊な分野の服で、一般的にモデルと言われてる人が着る服とはちょっとイメージが違うかも。
私がもし本気でモデルを目指すつもりなら、これを足がかりによりステップアップした仕事を……ってことにもなるんだろうけどね。
もちろんモデルの仕事も新鮮な体験が出来て楽しいし、機会があれば経験させてもらえるのはありがたいと思ってるけど……ただどうやら私の身長は150センチ台後半で落ち着きそうだし……その……今のところあんまり胸も大きくならなそうだし……はぁ…………。
ま、まあそういう理由もあって、そもそも本格的にそっちの道に進むのは厳しそうだしなぁ。
「そういえば……絢ちゃんは進路希望、なんて書いたの?」
泉ちゃんが思い出したように絢香に聞いた。絢香は……将来は和菓子職人を目指したいみたいな事をずいぶん前から言ってたけど……。
「ん? あたしは当然職業の方は菓子職人。でもね、とりあえず普通の高校に進学って書いたよ」
「あれ、でもこの前……」
「うん……調理師学校か製菓専門学校で資格とって、あとは家か知り合いの店で修行したいって親に相談したらさ~、『絢香、あんた今の時代高校ぐらい出とかなくてどうするの』って。あたしは逆に今の時代だからこそ早く資格とって手に職付けたほうが良いと思うんだけどねー」
「進学ってことは……」
「とりあえずだけど第一志望は総武高にしといた。あと一応書いたのは△△女子」
「え、総武?」
「うん、だって近いじゃん。通うの楽だし部活やらなければうちの手伝いもしやすいし」
絢香は「将来希望する職業が『菓子職人』で志望校が総武って訳わかんないけどねー」と付け加える。
「近いから」って……公立とは言え県内有数の進学校をそんな理由で……。
でも、絢香はそう言えるだけの成績を取ってるんだよね。一年生の時の学力テストの順位だけで言ったら学年総合で二位から五位の間をずっとキープしてたし。
彼女はそれほど長時間勉強してるってわけじゃない。予習は教科書にさっと目を通すだけ。授業は集中して受けて……そして復習、授業中とったノートを読み返すだけ……らしい。それだけであんな成績が取れるものなのかなぁ……。
でも確かに、去年一年同じクラスにいて、彼女が授業中以外に勉強してるとこってほとんど見たことがないし……。
「じゃあさ、留美も第一志望、『総武』にしとこうよ。そしたら高校も一緒のとこに行けるじゃん。留美ん家なんか特に近いから朝ゆっくり寝てられるよー」
「簡単に言わないでよ……。絢香の成績ならともかく私じゃ……」
一応言っておくと、私も成績は悪いわけではない。学年6クラス、約200人の中で常に30位以内には入ってる……けど、うちの学校から本気で総武高を目指すなら最低でも上位10人くらいの中には入ってないと厳しいだろう。少なくとも朝ゆっくり寝れるという理由で受験する高校じゃない。
「だからー、あくまで志望校じゃん。どうせなら目標は高くっ!」
「うん、わかってるよ……」
そう言いつつも私は自分自身なんだか納得出来ないでいた。
「だって、総武高って……簡単じゃないでしょ。公立落ちたらお母さんたちにも負担かけるし」
「うーん? ……つまり留美は、成績が良くなりさえすれば総武行きたいって気持ちはある、ってことでファイナル・アンサー?」
絢香は半身になって両手のひらを上に向けて腕を軽く拡げたポーズを取り、首を傾げて聞いてくる。
……それは……行けるんなら行きたいけど。いい学校だと思うし――八幡が通った学校だし。
「え、その……ふぁ、ファイナル……アンサー」
私がそう答えた瞬間、絢香の目がキラーンと効果音を立てて光ったような気がした。
「ほほう。なら、さ、……………………………」
「え、でも……………………」
「まあまあ、まずはお母さんに………………」
「絢ちゃんそれいいね! だったら………………」
「……………………」
「………………」
* * * * *
「要するに、だ」
私の支離滅裂でまとまりもなにもない話を聞き終えた八幡が一つ息を吐いてから言葉を発する。
ここは東京の東の端の方、その気になれば歩いたって千葉県にたどり着けるだろうなという某駅の近く。改札を出てすぐの雑居ビルの一階にある喫茶・軽食のお店。
ユキ先生のオフィスに近いこの店は、外観もインテリアも、それにカップやお皿などの食器に至るまでアンティーク風の調度で整えられていて、お洒落で居心地が良い場所だ。
この「アンティーク
普段はお母さんやユキ先生と来ることが多いお店だけど、今日は学校帰りの八幡に途中下車してもらい、お母さんの仕事帰りを待つ間にここで例の――私の進路の相談に乗ってもらっている。
「――留美は、子供の頃からずっと言ってる目標以外の進路を考える事に抵抗がある、と」
「……そう、だね……」
言葉にしてまとめるなら確かにそういう事になるのか。
「それに、まだはっきり『これ』って考えてるわけじゃないよ。さっき言った司書さんって言うのも例えばの話で」
「なら、まだ何もかも迷ってるって事か。なんつーか……その段階でそこまで悩む必要有るのか」
「……悩んでるっていうか……、お母さんとか、ユキ先生とかになんだか申し訳ないっていうか……色々応援してくれてるし、それに今教わっていることも嫌々やってるわけじゃないし」
「じゃあ、しばらく迷いますって答えで良いんじゃねーか?」
「!?」
「そう書けってことじゃなくてだな……『まだ将来について決められないので、迷う時間を延長するために進学する』みたいな感じで考えてみろよ。 ……学生時代はモラトリアムとも言われてる事だしな」
「もらとりあむ?」
「まあ、厳密には言葉の本来の意味とは違ってるんだが……猶予期間――先送りおーけーの期間、みたいなニュアンスだ」
「先送り、かぁ……そんなんでいいのかなあ?」
「留美……何を焦ってんのか知らんが、お前が自分で言ったように、中二で将来の目標をはっきりと決めてるやつなんかそう多いわけじゃない。色々なものを見て、むしろ選択肢を拡げていく時期なんじゃないのか?」
「そうかもしれないけど、でも……泉ちゃんも絢香ももうはっきりと自分がなりたいものが決まってて……」
「たまたま親しい友達が二人そうだってだけだ。 忘れてるかもしれんが、俺なんか中二どころか高二の時の進路希望が『専業主夫』だったんだからな……」
「あ……」
そう言えば……最初の頃はそんな事言ってたなぁ。
「さらに言えば今の俺だって、ようやく本気で勉強したいことは出来たが……その先の目標まではっきり決めてるわけじゃない。将来に悩んだり、目標が変わっちまったりなんて珍しいことじゃ無いし、むしろ留美くらいの歳なら当たり前のことだろ」
「……うん」
「だから、それをじっくり考えるために学生時代がある……んだと思うぞ、俺は。いや将来のことなんか全然考えずにウェイウェイ言ってる奴らも中にはいるとは思うが」
ウェイウェイ…って。
「ただ……留美が今考えてる雑誌の編集者も図書館の司書も、それなりに競争率が高い……なりたいってだけで簡単にはなれない仕事だったはず、だ。まあ俺もそれほど詳しいわけじゃないが」
「う……それは……」
「だから……とりあえずは勉強頑張って、いわゆる良い高校・いい大学を目指すってのもありかもしれん。学歴社会の功罪というか……これで良いのかってのはひとまず置けば……少なくてもある程度レベルの高い大学に進学しておけば、その先での選択肢が広がるというのは確かだしな」
いわゆる「良い高校・良い大学」への進学を目指すつもりなら……この辺りならやっぱり総武高校だよね。いやでも、公立は日程が決まってるから何校も受けられないし、普通なら高い確率で合格できそうな高校を受験したい……今までならそう考えてた――でも。
「ねえ、八幡。私が総武高受験したいって言ったら……無謀かな?」
なんだかんだで八幡には私の成績のことも話してはある。その彼から見てどうなんだろう。
「まだ二年になったばっかりだし、今から頑張れば無謀なんて事はねえだろ」
「ほんと?」
「そこまで構えるほどたいした高校じゃねーよ。なんせ由比ヶ浜が卒業出来たんだからな」
「八幡ヒドい……」
「けど……」
「うん?」
「友達が行くからって理由なら止めておいたほうが良いぞ」
彼は少し真剣な顔になってそう言葉を続けた。
友達――絢香の事か。それは……彼女と同じ高校に進学できるなら確かにそれは嬉しいけど……。
「違う、よ。……そういう気持ちが全然ないって言ったら嘘かもだけど、今八幡が言ったみたいに、将来の選択肢が広がるなら、って。それに、私が八幡の……総武高校の後輩になれたらなんだか嬉しいってのもあるし」
「嬉……だからそういう理由は……まあ制服は似合いそうだけどな……」
「え?」
「あ、いや何でも無い。……そのなんだ、本気で総武目指す気なら少しくらい勉強見てやっても良いぞ」
八幡は何故かちょっとだけ照れたみたいな顔でそう言ってくれた。
……ふふ、言ってくれた。確かに言った!
「八幡!」
「お、おう?」
急に強い口調になった私に八幡は目を丸くしている。
「今、勉強見てくれるって言ったよね」
「……確かに言ったが……急にどうしたんだ?」
「だったら……だったらさ、私の家庭教師してくれないかな? もちろんアルバイト代はきちんと払うから」
「あのな、少し勉強を見るぐらいでお金なんか……」
「少し、じゃなくてちゃんと勉強見てほしいの。同じ勉強頑張るなら中途半端にはしたくない。一生懸命頑張って……本当に総武高校に行きたい」
「……だったら余計俺なんかに頼むよりきちんとしたプロの家庭教師を頼んだほうがずっと……」
「八幡がいい。 ……八幡が教えてくれるなら、きっと私はどこまでだって頑張れちゃう、から……あ……ぅ」
言いながら、私は思わずテーブル越しに、縋るように八幡の手を握ってしまっていた。暖かくて大きな八幡の手。意外にがっしりとした、好きな人の……手。たまに手をつなぐことはあるけど……だからってその時その時、いつだってドキドキしないわけじゃない。
流石に自分の言動があまりにも恥ずかしすぎることに言ってる途中で気が付き、後半の声は些かトーンダウン。ついでに手の方もそうっとずらして彼の上着の袖に持ち替えた。
うう、きっと私赤くなってる……。それでも私は彼の服の袖をキュッと握って、真剣な目で八幡の顔を見上げる。
私の目をまじまじと見返して――一瞬呆けたように固まっていた八幡は、我に返ると慌てたように私から目をそらし、
「あ……いや。だいたいこういう話は親御さん抜きでするもんじゃ無いだろ。まずはご両親の許可をもらってから……」
「もうお母さんには話してOKもらってる」
「は?」
ふふ、八幡びっくりして固まってる。
「八幡、時間の自由が効くバイト探してるんでしょ? 『週に一回か二回、お互いに都合の合う時間にあわせて一回あたり二時間程度。一回につき〇〇円という条件ではどうかしら。もしよかったら一度改めて面接しましょうか』ってお母さんが……」
「待て待て? 家庭教師の話は今出たばっかりだろ。なんでもう親の許可とか取ってんだよ? だいたいバイトの話とかどこで…………、あ~……小町のやつか……」
正解。諸々の情報源は小町さんです。
「私だって色々と考えてるの! 将来の夢を変えちゃうかもしれない事には今も抵抗あるし、八幡がさっき言ってくれたみたいな事までは考えてなかったけど……それでも目の前にある『進学』のことはやっぱり気になるし……今みたいに、不規則に東京通いながらだと塾とか曜日の決まった家庭教師さんは難しいんだ。 ……だから、今日は最初から家庭教師のことはお願いしてみようと思ってたの」
「だからって……」
「八幡なら……八幡の大学とかの都合に合わせて……私の家でも、お母さんの事務所の端っこでも八幡の家でも良いし……あと、ユキ先生のとこも開いてる日なら使ってもいいよって言ってくれてるし」
「でもなぁ……って留美お前さらっと俺の家って……あそこで二人ってのは色々と不味いだろ……」
「なんで? 引っ越しの時は二人だったでしょ」
後からいろはさんも合流したけど……。
「あれは……ほんとは小町も来てくれるはずだったんだよ。けど……なんか前の日になって急に用事が出来たからって」
「え、そうだったんだ……」
あれ……? あの時小町さんからは、
『小町が手伝いに行っちゃうと妹離れの出来ないダメダメな兄が小町をお家に帰してくれなくなっちゃいそうなので心を鬼にしてそちらには行きません。
まあ留美ちゃんといろは先輩になら料理とかも安心してお任せ出来るし……うちの兄がご迷惑をおかけするかもですがよろしくお願いしますねー。あと、お母様にも今回のことお礼を言っておいてね』
という内容の連絡をもらったけど……前日急に予定変更になったっていうのは今初めて聞いた。だいたい、「妹離れ」とか言ってた割に、あの後小町さん時々八幡の部屋に来てるみたいなんだよね……。
「まあ、場所の話はともかく……留美の勉強見るのがアルバイトになるなら悪い話じゃ無いな……。家庭教師は割の良いバイトなんだが……知り合いでもなけりゃ面接で速攻落とされるに決まってるからな」
「なんで?」
「……面と向かって聞くか? 目の前に座ってる男の目を見てみろよ」
言われて私は八幡の目をじいっと見つめる。八幡はちょっと戸惑ったような顔をしているけど……。
「…………?」
…………わかんない。私が首を傾げて困っていると、
「そう言えば留美は平気なんだったな……」
八幡は頭をガシガシ掻くようにしてボソリと言う。
「だから何が?」
「いや、忘れてくれ。お前を相手にしてると変に気にしてる俺が馬鹿みたいだしな」
そう言って、何が面白いのか彼は少しだけ楽しそうに微笑った。
「お前じゃなくて『留美』……」
「それ、もう良いだろ…………」
うん、八幡が私のことを「留美」じゃなく「お前」とか他の呼び方をしても、前みたいに気になるわけじゃない。ただなんていうか……私と八幡が話をする時の言葉遊び――「いつものお約束」みたいなものだ。
「そろそろ時間だな。いつもみたいに早めに駅に移動しておくか?」
ちらっと腕時計を見た八幡が言う。そう、普段なら駅で仕事帰りの母と待ち合わせて帰るところなんだけど――
「あ、今日はね……」
私が説明しようとした丁度そのタイミングでお店のドアベルが「カラン」と小気味よい音で鳴り、洒落たブランド物のスーツを上手に着こなした女性が入ってきた。
ウェイターさんと二言三言話してから店内を見回す彼女に私は軽く手を振る。
「お待たせー。留美、八幡くん」
「お母さんお疲れ~」
「なん、いやその……お疲れ様です……?」
あはは。八幡、今日はびっくりばっかりだなぁ。
私達の席までやってきたお母さんは、近くにいたウエイトレスさんにチーズケーキと紅茶のセットを頼んで私の隣にすっと座る。はー……
「どこまで話したの?」
「一応、家庭教師お願いしたい、ってとこまでは」
「そう……。ね、八幡くん、どう? 留美のことお願い出来るかな。条件面で何か不満があれば……」
「ちょ、待って下さい。 ……正直条件良すぎて恐いくらいなんで不満なんて……というか何でいきなり面接が始まってるんだ……?」
「八幡……細かいことを気にしたら負けだよ?」
「細かくねえよ!」
そう言って八幡が私を睨んだけど、私はさっと目をそらして知らんぷりをする。
「あらあら……。なんだか急なお話になっちゃって御免なさいね」
――御免なさいね、だって。お母さんの口調が家にいる時と明らかに違ってて思わず笑い出しそうになったけど、無理やり息を止めてなんとか堪える。
「いえ。ただ……俺で良いんですか? こんな事言うのはあれですけど、どうせお金をかけるならちゃんとプロの先生を頼んだ方が……」
「私は……一番重要なのは本人がどれだけやる気を出せるかだと思うのよね。……中学生の頃なんか特にそう」
「はあ」
「だから……留美のやる気を引き出すってことにかけてなら、八幡くん以上の人材はいないと思うんだけど?」
そう言ってお母さんはちょっぴりいたずらっぽくくすりと微笑う。
八幡は何故か顔を赤くして……一瞬だけ私の顔をちらっと見てからすぐに目を逸した。
それから少しの間考える様子を見せていた彼は、やがて母の方に向き直り、
「俺で良ければ精一杯頑張らせていただきます。よろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げた。
お母さんはにっこりと笑って私の背中をぽんと軽く叩く。
「じゃあ……留美から聞いてるかもしれないけど改めて。不定期になるの前提だから月決めじゃなくて一回あたり〇〇円。基本は週一回か二回で……日時、それと場所は八幡くんと留美で相談して決めてね。
八幡くんが試験とかレポートとかで大変な時はそっちを優先してもらって……代わりに次の週に回数を増やしてもらうとかの形で調整する……と。こんな感じかしら?」
「分かりました。俺の方はそれで特に問題ない……です」
「あとは……あ、八幡くん、一応私にも連絡先教えてもらっておいていいかしら。それに簡単な契約書作るから住所とかも……」
そうしてお母さんと八幡は、お互いのスマホを突き合わせるようにして連絡先を交換しているところ。
絢香、泉ちゃん、上手く行ったよ!
* * * * *
「ほほう。なら、さ……比企谷さんに家庭教師頼んでみたら? 成績も上がるだろうし……何より比企谷さんと堂々と会える口実が出来る!」
相変わらず私では考えさえしない事をよく思いつくなぁ……。
「え、でも私が勝手に決められることじゃないし」
「まあまあ、まずはお母さんに『総武高校に進学したいから、比企谷さんに家庭教師頼みたい』って言ってみなって。……留美のお母さん、絶対にダメって言わないから!」
なんでそう言い切れるのよ……。でも絢香ってばいつの間にかうちのお母さんとLINEの交換してたんだよね。……二人で私の情報交換でもしてるのかなぁ。
「絢ちゃんそれいいね! だったら……いっその事お母さんと二人で一緒に頼めば比企谷さんも断りにくいんじゃないかなー」
「そうかな?」
「うん、比企谷さんのお部屋紹介したのって留美のお母さんなんでしょ。そういう人から頼まれたら簡単には断れないって思うんだけど」
「それって……強引すぎない?」
「留美……この前『頑張る』って言ってたじゃん」
「言ったけど……でもそれは……」
「比企谷さんが引っ越しちゃって……そんなに遠いところって訳じゃ無いにしても、前よりは会いにくくなるでしょ。比企谷さんが家庭教師になってくれれば、少なくとも中学卒業――というか受験が終わるまでは……なんて言うの? こう……合法的にというか……とにかく一々理由作らなくても会えるんだよっ!」
絢香が両拳を握りしめて熱く語れば、
「うんうんうん!」
泉ちゃんは目をキラキラさせて妙なプレッシャーをかけてくる……。
昔の泉ちゃんはここまで恋愛話に盛り上がるタイプじゃ無かったんだけど……やっぱり絢香の影響なのかなぁ……。
なんて思いつつも、目の前に「八幡」という人参をぶら下げられた私は、結局二人の提案に乗っちゃったんだよね…………。
* * * * *
「それじゃ……改めて、留美のことよろしくお願いします。比企谷先生!」
「あの……先生とかお願いですから止めて下さい……」
お母さんの言葉に、八幡は恐縮半分照れ半分みたいな顔。
「良いじゃない、天下のK大生なんだから堂々と先生って呼ばれときなさいよ。ほら、留美もちゃんとご挨拶!」
「あ、うん。 ふふ……じゃあ、これからよろしくお願いします、八幡せんせ♪」
私は笑顔でぴょこんと頭を下げ、それから八幡に向かって片目をつむって小さく舌を出す。
「おま…………。まあ……こっちこそ宜しくな」
八幡は苦笑いしながらそう言って、自分のカップに残っていたコーヒーをゆっくりと啜り、それから全身の力を抜くように大きく息をついた。
大学生の家庭教師と女子中学生の教え子……このシチュエーションだけでなんだかドキドキしますよね。
この逆のシチュ、女子大生と男子中学生の組み合わせでもドキドキしますよね。
↑
大丈夫かコイツ?
改めて、のんびり更新の本作をお読み頂きいつもありがとうございます!
留美は今回、「八幡と定期的に会える権」を手に入れました。これは八幡たちの進学により別な学校になってしまった他のライバルたちに対してかなり強力なカードになりますね。
あとはスキを見て八幡を押し倒すだけ?
ご意見・ご感想ぜひお寄せ下さい。一言感想、長文のご意見なども大歓迎です。
4月30日 誤字修正 いつも報告ありがとうございます。
――農業初心者による、全く使えない無駄知識――
田んぼの中を進む田植え機は、ハンドルを真っ直ぐにしていても勝手にふらふらと曲がっていってしまいます。
これは泥の中で常にスリップしながら進んで行くためで、直進を続けるためには常に小刻みなカウンターステアリングを当て続けなくてはなりません。いわば超低速ドリフト走行。
したがって苗をきれいな一直線に植えるにはそれなりの技術と勘が必要になります。
コツは近くではなく数百メートル先に視点を合わせて常にそちらに向けて舵を微調整すること。
みなさんも、田植え機を運転する機会がありましたら是非その点にご注意を。
……これ読んでる人で田植え機に乗るような人いるんだろうか、いや、いない(反語)