ラノベを意識して書きました。普段、書き慣れない文章なので、難しいと思いつつも非常に勉強になりました。
『メイド』さん。言わばお手伝いさんの役割を持つ。まぁ、ハウスキーパーとも呼べなくはないそれだ。何だろうか。結論から言おう。
俺はメイドさんを拾った。
その日は友人に頼まれていた仕事を終えて、思いのほか遅くなってしまった。暗闇の中、木製の家を
なんだろうか?
眠気があったが、ほんの少しの好奇心に負け、家と家の細い道。その隙間へと入っていった。今が夜だと言うこともあるが、明かりを遮る壁の間にいたからだろう。始めは、ある程度の距離まで近づいてもそれが何なのか分からなかった。しかし次第に目が慣れていき、その物体の正体が露になる。
それは女性だった。線の細い
思いもしていなかった存在に俺は思わず思考を停止してしてしまった。さっきまで感じていた眠気が一気に吹き飛んでいく。
「………………なんでしょうか?」
俺が近くに寄ったのにも関わらず、何も言わなかったからだろう。女性は顔だけをこちらに向けて俺を見上げ、そう尋ねてきた。暗闇の隙間から覗く顔は無表情であり、氷のように冷たい目が俺に向けられていた。しかしそれとは別に、どこかその目は悲しみを含んでいるようにも感じられる。
「…………こんな所でどうしたんだ?」
「…………貴方には関係の無い事です」
俺の言葉に対し、彼女は目を細くして俺を睨み付けた。その迫力に思わず一歩、足を退きそうになる。確かに彼女の言う通りだ。俺は彼女の事情も知らないし、いきなりそんな事を尋ねられても不愉快なだけだろう。だがそれでも一つ、気になることがあった。
「…………お前さん、今日はここで過ごすのか?」
「……そのつもりですが」
「…………そうか」
その言葉を聞き、俺は衝動的に彼女の手首を掴み、ぐいっと引っ張り立ち上がらせた。少し驚いているような表情をする彼女を無視して、そのまま人里を強引に歩き進んで連れていく。
「…………どういうつもりですか?」
「こんな所で一夜を明かすのは良くない。俺の家を使わせてやる」
「……………………………。」
彼女はそれ以降、何も話さずにただ黙って俺に手を引かれ続けた。土の地面を踏み、木造の家々を横切って、たどり着いたのは、何の特徴もないただの安っぽい家だ。一軒家とは些か呼べないその家の前へ立ち、懐から鍵の束を取り出して、扉を開ける。暗い廊下が眼下に広がる。戸棚の上に置いてある提灯に火縄で灯りを付けて、その先を進んで行く。
ーーーーあぁ、眠い。
先程まで忘れていた眠気が思い起こされた。自分の家と言う、領域の安心感に誘発されたのかもしれない。どんどんと思考が不安定になって行く。眠い、眠い。ただひたすらに眠かった。もう早く寝てしまいたい思いが先行して、自分と来客用の布団を雑に
「…………布団を
そう言って俺は死ぬようにそこへ倒れ伏した。
「……もう遅い、早く寝たほうがいい」
「…………………………。」
とりあえずはもう寝てしまおう。難しい事は明日考えよう。そう思い俺は、一人深い眠りへとついた。
強い日差しが顔を差す。自然に目が開いた。いつもより早い時間だと、体内にある時計がそう告げる。未だ疲れが抜けきらない体を無理やり起こし、目を擦る。今日は仕事がある。二度寝をして寝過ごすわけにはいかないだろう。俺は朝食を作るために厨房へと向かい、そこでふと足を止めた。何やら厨房から物音が聞こえてくる。何だろうか?まさか誰かが家に忍び込んでいるのだろうか?昨晩の記憶があやふやなので、鍵を閉めたのかどうかさえも定かではない。まさかと思いつつも、俺はがらりと襖を開けて音の発生源を確認する。俺は思わず目を見開いた。
そこには俺の知らない女性がいた。銀色の髪色をした彼女は見慣れない格好をしている。確か
「………………何やってんだよ俺!」
思わず頭を抱えてしまう。言い訳はいくらでも出てくる。昨日は疲れが溜まっていたからとか、あまりにも眠くて思考が上手く回っていなかったとか。しかしそれでも見知らぬ女性を勝手に家に上げて、速攻で自分一人だけ眠りに着いたのだ。もうどう好意的に解釈しても馬鹿としか言いようがない。
「どうしたのですか?そのように頭を抱えてらっしゃって」
ふと声が聞こえて来たので、そちらへと視線を戻した。綺麗な女性だった。昨日は暗闇と
「朝食の用意ができております。席へお掛けになって下さい」
意味が分からない。なぜ彼女が朝食の用意をしているのか?そもそも、なぜこうも彼女は自然な態度で自分に接する事ができるのか?その全てが謎だった。
「どうされました?」
「…………い、いやなんでもない」
しかし、ここであれやこれやと考えても仕方がない。とにかく彼女と話をするのが先決だと判断し、俺は彼女の言う事に従った。
「それで、一晩泊めてもらった恩を返そうと、こうして朝食を作ったと」
「はい。その通りでございます」
俺はこうして座布団に座り、彼女に用意してもらった朝食を食べながら、これまでの経緯を聞かせてもらっていた。何やら前に勤めていた仕事先で、主人を怒らせてそこをクビになったとか。それで、途方に暮れていた所を俺に声をかけられたそうだ。何ともまあ、同情せざるを得ない状況だ。
「金銭は持っていないのか?」
「持っていれば、あのような所で一晩過ごそうとはしません」
何の為に働いてたんだよ。と言う突っ込みをしたくなるが、あまり探ろうとするのは無粋だろうと思い言葉をぐっと喉の奥へと押し込める。
「まぁでも俺に声をかけられて良かったじゃないか。でなかったらあんな場所で寝る羽目になってたんだからな」
「はい。なので声をかけられた時にはあまりの生理的嫌悪感に鳥肌が立ちましたが、一応受けた恩は返さなくてはいけないと思い、こうして朝食をご用意させていただきました」
…………ん?
「それにしても、いきなり女性を自分の家へと連れ込むとは思いもしませんでした。そのままの勢いで犯されると推測したのですが、まさか殆ど何も告げないで自分だけ先に寝てしまうとは。更には布団の敷き方もあそこまで雑だと驚きを隠せません。今時、人里の子供でもまだもう少し上手くできると思うのですが」
……なんだ彼女は。喋りだしたかと思うと急に罵声を浴びせかけてきたぞ。眉一つ動かさずにスラスラとここまで毒が吐ける人間がいるとは。
「き、昨日は仕事で疲れてたからあまり頭が働かなかったんだ」
「働いてらっしゃるのですか?てっきり仕事にも就けないダメ男だと思っていたのですが」
駄目だ。彼女の毒舌が止まらない。俺に何か恨みがあるのか?まさか昨日の出来事を根に持っているとか。
「ま、まぁいいじゃないか。とにかくあんたに何があったかは知らないが、こうしてお礼もしてくれたんだ。好きな時にここを出て行って構わないから、それまでゆっくりとしていけばいいさ。お金もそんなに多くはないが、次の仕事が見つかるまでこれでどうにかしてくれ」
俺はお金の入った袋を、ちゃぶ台の上へと置いた。せいぜい一週間、安い宿に泊まれるだけの金銭が入っている。一週間で次の仕事を見つけるのは大変だろうが、目の前の彼女ならそれができるだろうとそう思えてならない。立ち振る舞いといい作られた料理の味といい、これなら最高級の旅館に速攻で採用されてもおかしくはない。しかし彼女の切り出した話は俺の予想の
「そのことなのですが、一つお願いがあるのです」
「お願い?」
俺が聞き返すと彼女はぺこりと頭を深く下げてこう言った。
「はい。どうかしばらく私をここで働かせていただけないでしょうか?」
その言葉を俺はしばらく理解する事が出来なかった。
俺の職業は寺子屋の教師だ。人里の子供に勉学を教えて暮らしている。俺が受け持つ生徒は十代に成ったばかりの子供たちなので、勉学は勿論だが幻想郷のルールや、常識、更には妖怪についての話の方が大事だと言えるかもしれない。元々、子供が好きな俺にはこの仕事は天職だと言っても違いない。そんな環境で俺は今日も働いていた。
「はぁ……」
「どうした?ため息なんて吐いて」
俺が次の授業の準備をしていると、同じ職員である上白沢先生が声をかけてきた。思ったよりため息が大きかったらしい。
「ああ、すみません。少し厄介事に巻き込まれてしまいまして」
「それは大変だな。何があったかは知らないが、私で良ければ相談に乗るぞ」
上白沢先生から、優しい言葉をいただいた。しかし、日ごろから常お世話になっている彼女にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「いえ、面倒事と言っても大した程ではないので、そこまで気にかけてもらわなくても結構ですよ」
「そうか。だが、君と私は同僚なのだから何かあればすぐに言うといい」
「はい、ありがとうございます」
何ていい人なんだ。流石は上白沢先生。俺の頼れる上司だ。そんなありがたい言葉を受け感動した俺は、つい数時間前の出来事を振り返った。
「…………えっと、何て?」
「私をここで働かせていただけないでしょうかと、そう言ったのです。ゴミ虫様」
「最後のはさっき言ってなかっただろ!」
彼女が先程発言した言葉は、なんとも俺が予想できる範疇を大きく越えていた。まさか、そんな提案をされるとは思ってもみなかった。
「それは無理だ。俺は人間一人を善意で一週間、安宿に放り込めるくらいの財力はあるが、人間一人を雇える金なんて流石に持ってない」
「それならご安心下さい。私に給与は必要ありません。最低限の食事と住居さえいただければ、それで満足です」
おいおい、なんだそれは?それじゃあ、バイトの
「いや、確かにそれなら俺は大丈夫だが、そうするとあんたが不遇だ」
「いえ、それで構いません。以前もそうでしたから」
こいつがお金を持ってなかったのはそのせいか!どんな勤め先だ!
「いや、それでもだな……」
「…………どうかお願い致します」
言うと同時に彼女の顔がぐいっと近づく。ここで思う事ではないのだが、改めて綺麗な女性だとそう思ってしまった。無表情に近いその心情はよく読み取れないが、ただブルーに輝く瞳だけはどこか力が籠っているように感じられる。
「………………は、はい」
そのあまりの迫力に俺は思わず了承の言葉を口にしてしまう。そんな俺の答えを聞いた彼女は、にっこりとした笑顔を浮かべてこう言った。
「
「はぁ……」
思い出して、また溜め息が漏れる。明らかに厄介事に巻き込まれている最中だ。このまま行くと絶対ろくなことにならない。早くどうにかしないと……。
「……そう言えば上白沢先生。幻想郷にメイドが働いている所ってどこかにありますか」
俺は少しでも彼女の情報を手に入れようと、幻想郷の歴史をよく知る彼女に話を聞いてみることにした。
「なんだいきなり。そんな話をして」
そりゃそうだろう。幻想郷でメイドがいる場所を知っているかなんて、そんな質問をするのは数ある人間の中でもこの俺くらいのものだろう。
「前に一度だけ見かけたことがありまして、ふと気になったんです」
「…………そうか、まぁいい」
上白沢先生は少しいぶかしんだ様子を見せたものの、深くは言及しないで、そのまま俺の質問に答えてくれた。
「メイドか……私が知る限り、そんな女性がいる場所はただ一つだ」
「知ってるんですか?!」
聞いておいてなんだが、まさか本当に知っているとは思わなかった。流石は上白沢先生。
「あぁ、昔竹林で会ったことがあってな。と言っても、彼女は竹林に行けば会えると言うわけじゃない。その時は偶々、そこにいただけ。本来、彼女は“
「紅魔館……ですか?」
「お前も聞いたことはあるだろう?」
「…………はい」
『
「まぁ、なぜお前がそんな顔をしてるのかは置いておいて、これからもうすぐ授業が始まる。せめて子供たちの前では明るくしておかないと、怖いと
俺の様子を汲み取ったのだろう上白沢先生が、気をつかうように話の流れを切ってくれた。
「そうですね……すみません。とにかく今日もがんばります!」
「当然だ、そうでなくては困る」
上白沢先生の優しい微笑みを見て思った。やはり彼女は俺にとって最高の上司であり、同僚であり、そして先生なんだと。そしてこれからもそれは変わらない。そんな確信めいた事実が、どうしようもなく頼もしく思えたのだった。
家へと帰るために足を運ぶ。しかしその足取りはひたすらに重く、一歩一歩進むのにとてつもない労力を使う。それでも帰る以外に選択肢はないのがまた辛い。そんな俺の辛さとは裏腹に、いつの間にか目の前に我が家の扉が現れた。俺は一つ深呼吸をすることで意を決し、扉をガラリと開け放つ。
「お帰りなさいませ、ご主人様。お風呂にいたしますか?お夕食になさいますか?それとも……に・わ・し?」
何故だろう?ここでどっと疲れが来たのは。
「…………お風呂で」
「死んでくださいこの変態」
「なんでだあぁぁあぁあぁぁ!」
どこだ?どこに変態呼ばわりされる要因があった!?
「私はメイドですから、ご主人様のお背中を流す、というご要望は血の涙を流す程に嫌なのですが、まあ一万歩譲ってまだ良しとします。ですが、調子に乗ったご主人様はそのままこうおっしゃられるはずです。おい、早く俺の股間も洗えと……」
「言うかあぁぁあぁあぁぁ!」
意味わからんとばっちりだ!お前は俺をどんな風に見てるんだよ!
「いや、そもそも最後の“
「いえ、実は庭師の知り合いが一人いまして。その方に今、私の目の前に生えている雑草を駆除してもらおうかと」
「雑草ってあれか?俺のことか?俺のことなのか!?」
「お風呂の準備ができておりますので、早く入ってきてください」
「そこ相手しろよ!」
これがまがりなりにも主人に対する態度なのか?いや、絶対に違う!誰だ!こいつを雇ったのは!と思うほどに、早速こいつを雇ったことを後悔しそうになったが、早くお湯にゆっくりと浸かりたいのは事実なのだ。
俺は黙って彼女の後を追うように、家の奥へと向かって行く。と言うか、そんな短いスカートでどうして中が見えないのだろう?俺がひょこひょこと上下に動く、彼女のスカートに気を取られていた時、ふとそこで気がついた。
「…………十六夜さん、掃除したのか?」
「はい。勝手に物を動かしてはいけないと思い、廊下と窓だけを掃除させていただきました。それと、私のことは咲夜と。そちらはあまり呼ばれ慣れてないので」
なるほど、だがそれでも感嘆せざるを得ない。窓はまだ見ていないから分からないが、俺が今、歩いている廊下はまるで新築のような美しさを誇っていた。恐らく、俺がやってもこんな風にはならないだろう。そんな彼女の仕事ぶりに驚いていた時、唐突に彼女から声がかかった。
「お湯加減が分かりかねましたので、今は少しぬるめにしております。調節をいたしますので、お湯にお浸かりになった後で、どうかお申し付けください」
「分かった」
こう言う気配りができる辺り、とても優秀なんだと分かるのだが、やはり彼女の口から発せられる言葉は非常に刺がある。そこは丸くなってほしいものだ。そんなことを思いながら、俺は十六夜さんのーーいや、咲夜の入れてくれた浴槽へと入る。咲夜の言っていた通り、俺がいつも入っている風呂の温度と比べ、少しぬるいように感じた。
「お湯加減はいかがいたしましょうか?」
「そうだな。もう少し上げてくれないか?」
「かしこまりました」
格子越しに
「これぐらいでよろしいでしょうか?」
「ちょうど良いよ、ありがとう」
十分程経った。そこで咲夜は
なるようになるかと、思考を放棄して上を向き、そのまま目を閉じる。
「お背中を流しに参りました」
……聞こえないぞ、俺は何も聞こえない。
「しゃべらない。ただの屍のようです」
「死んでねぇよ!」
俺はガバッと顔を戻し、声のした方へと向く。そこにはメイド服を捲り上げた咲夜がいた。
「……なぜお前がここにいる?」
「先程、言ったではありませんか。私がご主人様の背中を流すのは全身から血が吹き出すほど嫌なのですが、私はご主人様のメイドですので、仕方がなしに……と」
「いや、別にやれって言ってないから。それに、出血範囲が広がってんじゃねぇか」
しかし俺が浴槽から出ないと、彼女も出ていかないようで、俺は渋々椅子へと腰をかける。
「では、失礼いたします」
背中に柔らかい布の感触が伝わる。ごしごしと、強くもなく弱くもない絶妙な力加減だ。何とも心地好い。
「前にこうしてた事があったのか?」
こんなにも上手なのだ。前の勤め先でも、同じような事をしていたのか気になって尋ねた。
「そうですね。似たような事はやっておりました。ただし、どちらかと言えば嫌がるペットの体を洗うような感じではありましたが」
「そ、そうか」
悪魔の館にいるペット。それはどんな化け物なのだろうか?想像して少し鳥肌が立ってしまった。それから会話が無くなってからも、咲夜は一定のリズムを刻むように、俺の背中を洗い続けた。そしてピタリと、機械が停止するように、背中の摩擦が止まる。
「前はご自分でお願い致します。流石に私も、そこまで軽い女ではございませんので」
そりゃそうだろと、心の中で突っ込みながら彼女の手から布を受け取る。そうして咲夜は浴室から出ようと、扉を開けた時に、ふと立ち止まり、こちら側に振り向いた。
「ご夕食の方ですが、これ以上、家にある食材を勝手に使うのはどうなのかと思われましたので、今朝、清掃させていただいた時に見つけました、よく分からない謎のキノコをふんだんに使用しましたので、ご期待くださいませ」
「何やってんだよ!」
馬鹿か!それ絶対にヤバイやつだろ!
「ジョークです」
「笑えねぇよ!」
「私、軽い女ではございませんので」
「そこは軽くしろよ!」
なんともこれから先が思いやられる。そう思い、俺はただがくりと項垂れたのだった。
やはりと言うべきか、彼女の料理は美味しかった。俺が食にこだわりを持っていなかったと言うこともあるが、それでも今まで食べてきたどの料理よりも美味しいものだと俺はそう断言できる。
しかしそんな絶品の料理を食べているのにも関わらず、満足な食事とは言えなかった。その原因は俺の後ろで物音一つ立てず、俺の体に穴を開けるかのように視線をぶつけてくるメイドにあった。
「……一緒に食べないのか?」
「主人と食卓の席を同じにすることは誉められた行為ではありませんので」
「…………そうか」
いや、それでもやはり食事中に自分の後ろに立っていられるとこちらとしても非常に食べ難い。
「一緒に食べてくれないか?あまりこう言うのは慣れてなくてな」
「いえ、そういうわけにはいきません」
メイドの掟と言うか、ルールのようなものがあるのだろうか?だがこれはもう我慢ならない。しばらく、どうしようかと考えた結果、ならばこれでどうだと一つの閃きが俺の頭に
「命令だ、咲夜」
「かしこまりました」
メイドなだけあって、命令には弱いようだ。彼女は一度、厨房に戻り自身の食事を持ってきて俺の目の前へと座った。
「では失礼いたします」
彼女はパクリと料理に箸を付けて、口へと運んだ。何とも食べる様もいちいち上品に見える。だがその姿とは裏腹に、彼女が述べた食事の感想は上品とはかけ離れた
「ここまで貧相な料理を食べたのは久しぶりです」
そりゃ、あのでかい屋敷にある食材と比べたら、人里で手に入る材料なんて貧相な物だろう。
「悪かったな」
「いえ、私なりの感謝の言葉なのですよ」
そうとは思えないが、満更嘘でもなさそうだ。その表情は先程よりも柔らかい気がする。それから俺たちは黙々と食べ物を口へと運ぶ。沈黙が痛いが、先程のように監視されるよりはマシだ。しかしそこでふと思い出す。
「……そうだ、明日は出掛ける」
「出かけるとは?」
「お前が持ってる服は精々、三日分だろ?下着はどうだか知らないが、まぁ他の着物もいるだろ」
「いつ私の下着を盗んだんですか?」
「盗んでねぇよ!」
彼女が持っていたアタッシュケースにはほんの少しの着替えと下着類しかないと言っていた。それでは普段の生活で
「とにかく、明日買い物に行くぞ」
「いえ、必要ありません。あるものだけで、全てをこなして見せます」
「…………俺と同じ歯ブラシを使うのか?」
「荷物は私がお持ちいたしましょう」
素直になってくれて何よりだ。わざわざ休みまで取ったのだ、明日一日で全てを済ましてしまおう。そうして俺たちは、更ける夜を過ごし、明日と言う日を迎えた。
朝早く、人里が賑わい始めるこの時間帯。俺は既に玄関内で待っている咲夜の元に駆け足気味で向かう。端から見れば女性を待たせているこの状況だが、しかし寝坊をしたわけではないのだ。何ぶん咲夜の準備が早すぎるのが原因である。
「ご主人様、服が乱れています」
急いで準備をしたせいだろう、着物の帯を乱雑に結んでしまったようだ。しかしここに来てやっとメイドっぽい台詞をーー
「見るに耐えません」
と思ったが間違いだった。いつものように毒舌を挟みつつも、俺の腰に手を伸ばし帯を結び直す咲夜。しばらくして彼女が手を離すと、そこにはピッチリと結ばれている帯の結び目が現れた。その正確さがあまりにも咲夜っぽくて俺は思わず薄く笑ってしまった。
それから外へと出て、ざわめく人々の間を縫うように進んで行く。行く人行く人は皆、どこかで見たような顔だ。人里と言う場所は非常に狭い範囲で構成されている。実際、通りすぎた人の中には知り合いもいた。しかし、俺が連れている後ろのメイドの姿を見たからだろう。決して話しかける人物はいなかった。そんな様子で人里の中を進んで行くと、俺が知る中で一番大きな呉服屋へと入る。店内の壁には年月の経った黒く乾いた木が使われており、それがこの店の
「久し振りお婆ちゃん」
「おや、久し振りだねぇ」
近くにいる、柔らかな雰囲気を持つ老年の女性へと声をかける。髪の半分ほどが白く染まっているお団子に結ばれたその頭がゆっくりとこっちへ向かって来る。そんな彼女は、俺が昔からお世話になっているお婆ちゃんだ。
「どうしたんだい?今日は」
「少しこの
そう言って、咲夜の背中を軽く押して前へと出す。
「おやおや、恋人かい?」
「いや、違うよ。ちょっとした知り合いでね」
そうして俺は、今の彼女の衣服状況をお婆ちゃんへと伝えた。お婆ちゃんはしばらく考えるような仕草をした後、俺にこう切り出した。
「じゃあ
和服とメイド服が三着ずつあれば衣服にはまず困らないだろう。
「うんそうだね、それでいいよ。あと寝間着をそうだな、四着貰える?」
「分かったよ、ちょっと待っててくれるかい?」
そう言って、お婆ちゃんは咲夜を連れて、店の奥へと消えていった。
それからは半刻程たった。その間、俺も呉服屋で特に興味も無い品物を見て時間を潰していた。俺は服にはあまり興味がないため、どれもこれもが一緒に見えて仕方がない。明白な違いなんてものを強いて挙げるとすれば、それは布の肌触りくらいであろうか。そんな呉服屋に失礼とも言える考えは、ふとお婆ちゃんが俺の背に声をぶつけたところで、終わりを告げる。
「全部は見せれないけど、取り合えず
どうやら全て、見繕いが終わったらしい。歩きながらそう話すお婆ちゃんに着いて行き、彼女がいる個室へと案内された。個室に入るとすぐに、彼女はいた。
「どうだい?元が美人さんだからね、逆に似合わない物の方が少なかったよ」
銀色の髪に、青く輝く瞳。
「…………どうでしょうか?」
唐突に口を開いた、咲夜の言葉で俺は現実へと引き戻される。
「…………あぁ、似合ってるよ。悔しいけどな」
「それは良かったです」
そう言って深く頭を下げる彼女は凛々しく、そしてとても美しく見えた。
それから人里を回る中、何か必要な物はないかと尋ねると、どうやら紅茶を飲むためのティーセットが欲しいのだと言う。前の勤め先、恐らく紅魔館ではよく飲んでいたそうなのだ。だから当たり前と言えば当たり前なのだが、俺たちは人里で唯一、お茶を専門として扱っている店を訪れていた。お茶なんて適当に
「しかし、よろしいのでしょうか?このような物まで買っていただいて。安い物とはいえ、和服もこんなに多く。まるでご主人様が私の財布のようになってしまっております」
「おい、言い方ってもんがあるだろ。だが、まぁ気にするな。日々の生活費以外にあまり出費も無くてな。お金も無駄に入ってくるから、これくらいならまだ大丈夫だ」
そう。人里の教師と言うのは存外、給与が良い。しかも農家とは違い、安定した額が入ってくるのだ。特に趣味も何もない俺だ。日々の忙しさに流れ、大きくお金を使ってこなかったのだ。だから、これくらいは大丈夫。まだ許容範囲内の散財だ。
「それに、俺は紅茶を飲んだ事が無いからな。少し楽しみでもある」
「そうなのですか?」
「俺は基本、緑茶だから」
紅茶の存在は知っていたが、あまり興味も無かったので、特に手を出そうとは思わなかったのだ。
「では、私が最初に
「へぇ~、それは楽しみだな」
「はい。どうかお任せ下さい」
咲夜は堂々とそう言い切ってみせた。紅茶に関しては相当の自信があるようだ。
「その際にはお茶菓子もご用意いたしましょう」
「帰りに買うか?」
「いえ、私が作りますので」
「へぇ~、そんなものまで作れるんだな」
やはり彼女は万能機だ。一家に一台は欲しいかもしれない。いや、俺は今にでもごみ箱に放り投げたいけど。
「はい。以前の職場ではよく主人に作っておりました」
それならそのお茶菓子も期待できそうだ。
「ならそうだな、クッキーでも頼もうか」
「はい、ご主人様。貴方様に満足いただけるよう頑張ります」
…………ふむ、どうやら俺は熱があるらしい。このスーパー超猛毒舌痴女に少し、本当に一瞬だけドキッとしてしまった。いや、だって不意打ちではないだろうか。急に今までで一番の笑顔を見せてきたのだ。ダメだ、落ち着こう。ここは一句詠んで落ち着こう。
《ミニスカで
パンツが見えない
どうしてだ?》
なるほど。一句詠んで気がついたが、俺は自分で思っているよりかなり動揺してしまっているようだ。普段、疑問に思っていることが思わず表へ出てしまった。ダメだ、こんな生ぬるい解消法では全くと言うほど意味がない。ではこれならどうだと、俺はじっと咲夜の瞳を見る。そして、そんな俺の様子を見た咲夜は不思議そうに首をこてんと
「どうかいたしましたか?」
「…………咲夜、パンツを見せてくれないか?」
「…………死ね」
これだ。これが本来の“
「それで、また俺にはよく分からない陶器が一杯あるが、これで全部なのか?」
「……はい、ありがとうございました」
まだ完全に消えない軽蔑を含んだ目線を送られる中、一応と言った具合で咲夜は礼を言った。それから生活に必要な細かな物を買って帰宅した。全てを揃えた時にはかなりの荷物になっており、俺と咲夜、二人の手が一杯になっていた。
家に帰り、買った物を整理して昨日と同じように風呂に入り、用意された夕飯を食べた。こぽこぽとティーカップに
「お待たせいたしました」
目の前には紅茶とクッキーが置かれた。小さな和風の小皿に、きつね色のクッキーが五つ、重なるように並んでいる。満足に器具も揃っていない筈なのに、いつの間に作ったのだろうか?
「では、いただくよ」
俺は先ず、クッキーを摘まんで指と口との力を使い半分に割った。パキリと固く、乾いた音が口元に響き、その半分が口の中へと入る。続いてカップをゆっくりと傾けて、その中にある紅茶を喉へと通した。
「どうでしょうか?」
「…………あぁ、流石だよ」
そう言う他なかった。何だろうか……今までに味わったことのない、高級感に溢れた味と言うべきか。ふと上品でどこか優しい甘味のクッキーを、香りの良い柔らかな風味が
「自信があると言うだけあるな」
「恐縮です」
俺の後ろにいるので声しか聞こえないが、彼女のことだ恐らく頭も下げているに違いない。
「前の職場では、紅茶の共として毎回クッキーを焼いていたのか?」
「いえ、クッキーだけではございません。一応ですが、ケーキや、パイなども作っておりました」
「へぇ~。ならまた今度、作ってくれないか?」
「かしこまりました」
これだけクッキーが美味しいのだ。きっと他のお菓子も美味しいに違いなかった。それらの洋菓子も、知識としては知っているのだが、実際に味わったことはない。そう思うと、また次に紅茶を
「ご主人様、今日は私の為に多く足を運んでいただきありがとうございました。代わりと言っては何ですが、よければマッサージをいたしましょう」
マッサージか。事実、俺は少し疲れていた。それは今日の買い物と言うよりは、日々の仕事疲れだ。楽しい仕事ではあるのだが、それでもやはり疲労は溜まっていくのだ。
「それはありがたい申し出だな。よければ頼めるか?」
「はい。お任せください」
俺は咲夜の指示通り、うつ伏せになって寝転んだ。
「では始めさせていただきます」
足の裏にぷにぷにとした感触が伝わる。どうやら初めは足の裏から始めるようだ。しかしそこから段々とその位置が上へ上へと上がってきた。足首、ふくらはぎ、そして太ももとマッサージする位置が変わっていく。
「お~っ」
思わず口からそんな声が漏れる。なんとも絶妙な力加減。そんな気持ちの良いマッサージが十五分程経った後、俺はふと咲夜に質問をした。
「なぁ咲夜、明日も出掛けるが大丈夫か?」
「はい。それは問題ありませんが、明日は仕事ではなかったのですか?」
「大丈夫だ。俺は先に行くが、呼びに戻った時に一緒にいてくれればいい」
今日、買い物をしている時にふとある一つの考えを思い付いたのだ。それを明日、実行しようと思う。さて明日はどうなることやらと思ったとき、咲夜の手の位置が再び足の裏へと戻された。また始めからやるのかと思ったのだが、現実はそんなに甘くなかった。いや、甘かったのは俺の方だ。すっかり油断していた。それは今日の買い物で彼女と出掛けたからだろうが、そんなものは言い訳にならない。俺はすっかり忘れていたのだ。十六夜咲夜と言うメイドが俺に対して今までどんな扱いをしていたかと言うことを。
「ッ!」
脳に凄まじい速さで電気信号が走る。全身の毛が逆立つ。手足が痺れて一瞬だが体が硬直する。俺は思わず、咲夜の方を振り向いた。その表情はにこにこと笑っていて、しかしどこか薄っぺらい。言わば営業スマイルと言うやつだった。
「…………いかがいたしましたか?」
「…………お前、初めからこれが目的か?」
「はて、何のことでしょうか?」
確定だ!そもそも俺ごときが、こいつの営業スマイルを見破れるわけがない。わざと俺に
「では続きをさせていただきます」
「ち、ちょっとまッぎゃぁあぁーーーー!!」
しかし不思議なことに、マッサージが終わった後は、妙に体が軽かった。
翌日、俺は学校の授業が全て終わった後に、直ぐ様家へと帰って咲夜を連れ出した。場所は寺子屋。勤務時間がまだ終わっていないのだから、俺がそこへ戻るのは当たり前と言えば当たり前だ。俺が先を歩き、咲夜がその一歩斜め後ろを付いてくる形で前へ進む。そしてとある場所で足を止めた。
「…………ここは?」
咲夜がふとこう尋ねる。俺が足を止めたことで、目の前に広がる場所が目的地だと察したのだろう。
「寺子屋の子供たちが放課後によく遊んでいる広場だ」
決して大きいとは言えないその場所は、しかし子供たちが遊ぶには十分な広さがあった。寺子屋のすぐ裏にあるせいで、太陽の日差しが届かない。きっちり三分の一は薄暗い影で染まっていた。そこで小さな子供たちが十数人ほど、喜声をあげながら追いかけっこをしていた。
「俺も仕事が少ない日はたまに混じって遊んでいる」
子供たちの甲高い声が、空気に
「…………ご主人様の御職業は寺子屋の教師なのですか?」
相変わらず鋭い。いや、ここに連れてきたのだからそう考えてもおかしくはないか。
「ああ、そうだ。それで少し、俺の仕事を手伝って欲しくてな」
「かしこまりました」
間を置かず、彼女は了承する。その言葉にはもう既に手伝う仕事の内容にすら返事をしているのだと俺は知っている。まだ数日しか過ごしていないが、それほど彼女が優秀だと言うことは嫌と言う程思い知らされた。ここまでくれば分かると思うが、手伝いと言うのは、ここにいる人里の子供たちと遊んで欲しいとそう言った内容だ。これは俺が助かると言う部分もあるのだが、それ以上に彼女がただ家で籠るようにして過ごすよりは、こうしてたまに家の外に出るのも悪くないだろうとそう思ったからだ。
「あっ!先生だ!」
子供たちが多くいるこの場所では、誰がそう言ったのか分からなかった。まだ子供だからか、その声では性別すら判断できなかった。子供が一斉にこちらを目掛けてかけてくる。子供とは言え、十人以上が全力でこちらに向かってくる様子は何とも言えない迫力があった。
「せんせ~、最近遊んでくれないから面白くない!」
「ねぇ、一緒に鬼ごっこやろう?」
「せんせーい!」
右へ左へ服や手足を引っ張られ、体がぐらぐらと揺さぶられる。それを無理矢理支えようとするように四方八方から大声がぶつけられた。
「分かった!分かったから、お前ら落ち着け!今日はちゃんと遊んでやるから」
この喚き声の中で俺の声が届くかどうか心配だったが、さらにその喚き声が倍に増したことから、俺の声はしっかりと子供たちに届いていたようだ。その鼓膜を突き破るような声はまるで歓喜のコーラスだった。
「ねぇせんせ。そのお姉さんはだれ?」
どうやら子供たちの一人が、やっと咲夜を認識したようで、彼女に対するストレートな疑問を俺に尋ねた。
「きれーな人~」
「見たことない服だぁ」
「もしかしてせんせいの……これ?」
それぞれ好き勝手に、見た目の感想やら、適当な推測を並べて、またもやガヤガヤと騒ぎ立てる。俺の経験上、これらを全て相手にしていたら日が暮れることは目に見えていた。俺は子供たちの言葉を両断するように、咲夜を紹介することにした。
「この人はな、今日お前たちと一緒に遊んでくれる人だ。咲夜さんって言うからな。しっかりと覚えておけよ。あと俺は困らせたら駄目だが、この人は全然大丈夫だ」
俺がそう咲夜を紹介すると、歓声と共に俺を取り囲んでいた子供たちの大半が彼女の方へと一気に流れた。
「ねぇお姉さん!せんせいとはどういう関係なの?」
「咲夜さん、早く鬼ごっこやろう!」
「咲夜さんは、何でそんな変な服を着てるの~?」
子供たちの興味が一気に彼女の元へ押し寄せる。良かった。受け入れて貰えたか。少し心配だったが、この子達にはそんな心配は必要無かったようだ。そして子供たちのパワーに取り乱し、こちらに助けを求めている彼女の姿は少し新鮮だった。
初めの様子に反して、咲夜は子供の扱いが上手かった。元々、完璧に仕事をこなす彼女のことだと心配はしていなかったのだが、何と言うか妙に小慣れている気がした。子供たちの我が儘に適度に応え、そして最後まで付き合う。その様子が教師である筈の俺より様になっており、また似合っていた。俺と咲夜が子供たちと混じって、鬼ごっこやらかくれんぼやら缶けりをして既に夕方。もう子供たちが帰らなければいけない時間だ。
「ほら、もう帰る時間よ。ご両親が心配なさる前に帰りましょう?」
「え~もっと咲夜さんと、せんせいと遊びたい!」
「もっともっと!」
「我が儘言わないで。また遊んであげるから、今日は帰りましょう?」
「ほんと?絶対だよ!」
「ええ、約束ね」
そんなやり取りが俺の視界の隅で行われる。咲夜も初めは俺の命令でやらされていたように、あくまで作業的に子供たちと遊んでいたのだが、それは次第に変わっていき、最後には咲夜も柔らかい笑みを浮かべるようになり、自身が子供たちと積極的に関わり、遊ぶようになっていた。その様子は咲夜が子供たちに奉仕している様を鮮明に写し出していた。
「せんせ~!バイバイ、また遊んでね!」
「せんせいはもっと私と遊ばなくちゃ駄目なんだよ!」
咲夜が
「はいはい、分かったから早く帰れよ」
遠くから手を振る子供たちへと俺も手を振って応える。夕焼けの真っ赤な日に照らされながら、段々と子供たちの姿が消えていく。一人は家の影に、一人は人混みの中に、そうして
「……慕われておられるのですね」
ふと静けさを破る形で、俺の横にいる咲夜がこう呟いた。
「…………いや、あいつらが人懐っこいだけさ」
繰り返すように静けさが訪れる。そこで咲夜は再び口を開いた。
「……なぜ先生になられたのですか?」
「さあ、何でだろうな?忘れたよ、そんな昔のこと」
切っ掛けは俺が上白沢先生に誘われた事がそうだ。俺が寺子屋に通っていた時、いつもクラスで一番を取っていて勉学に対して優秀だったからだろう。俺もその勧誘をあまり考えないで受けてしまった。しかしこうして改めて考えるとなぜ俺が教師なんて役職に就いたのか、それは自分でもよく分からない。
「…………いやでもーー」
ただ一つ、寺子屋の教師をやるなんて理由があるのだとしたらそれはーー。
「単にあいつらの事が好きなのかもしれないな」
そんな曖昧な俺の答えに、彼女は微笑みで返したのだった。
「幼女趣味ですか……里の自治会を呼んできます」
「台無しだよ!」
子供たちと遊び尽くした晩。俺は咲夜を連れて夜の人里を歩いていた。藍色の紬を着て俺の少し後ろを歩く彼女の距離感は相変わらずだ。だが夜の灯りに照らされる彼女は、その着物の柄と
「…………どこへ連れて行こうと言うのですか?」
夜の人里を突き進む中、ふと後ろから問い掛けられたそんな質問。俺はその返答をするために、僅かに視線を後ろへと向けた。
「……おい、なんで自分の肩を抱いて俺を睨み付けてるんだお前は」
しかしそこにあったのは限りなく冷えた目で俺を睨み付ける一人の女性。なんと言う警戒心だ。まがりなりにもお前は俺のメイドだろうに。俺は咲夜の誤解を解くために、自身の目的地を告げた。
「居酒屋だ。行ったことはあるか?」
「……ああ、お酒に酔わせてそのまま、と言うことですね」
「違げぇよ!」
俺はそうツッコミながらも、足を止めずに歩き続ける。暗闇によりボヤける視界をこじ開けようとする
俺は扉に手をかけて居酒屋の中に入る。空いている訳でもギュウギュウに混んでいるわけでもないその店内は、程よくスペースが埋まっていた。人里の居酒屋の中でも比較的小さい店なのだが、料理の味が良いと評判の店なのだ。
「おやじ、二人だ」
「おう、そこのテーブルに座れ」
おやじに誘導されたのは、一つだけ空いている二人がけのテーブルだった。焦げたような黒みがかった茶色の木材で作られたテーブルは、永年使われたような傷や汚れがびっしりと張り付いていた。
俺たちは席に着き、テーブルの端にあるメニュー表を
「…………何か聞きたいことがあるって顔してるな、咲夜」
「…………よく分かりましたね」
「逆になんで分からないと思ったんだよ」
単純に考えれば誰もがそう思い当たるだろう。いや、それ以前に咲夜の視線がそう告げていた。そしてそんな咲夜はメニュー表で目から下を隠しながら、先程と変わらぬ視線で俺に尋ねた。
「……なぜ私をこんな所に連れて行こうと思われたのですか?」
予想通りの質問。と言うかそう尋ねるのは当たり前と言えた。しかし俺としてはそんな深い考えはない。ハッキリと言って思い付きのようなものなのだから。
「う~ん、何となく。と言うか一度お前と呑んでみたくて。お前、俺にどこか一線引いてるだろ」
俺は自分の考えを素直に、混じりっ気のない言葉を吐露した。対して咲夜は続けろとばかりに無言を貫く。
「まぁ会って四日しか経っていない男に対してそうなるのは当たり前だけど、なるべく早く距離を縮められたらと思ってな」
でないと俺がやりにくい。つまりここに連れてきた理由は、単純に咲夜の為と言う部分が半分。そして残りの半分は自分の為にと言うのが正解だ。そんな俺の内心を聞いて、咲夜は理解したと言わんばかりに軽く息を吐く。
「……なるほど、つまり体目当てですか」
「いや、話聞いてた!?」
どこをどう解釈すればそうなる!結局こいつの結論はそこに行き着くのか。
「どうせここで私の限界が来るまで呑ませ、お持ち帰りして家でぐへへへ……と言う魂胆ですね」
「お前は普段から俺をなんて目で見てるんだよ!」
「虫……いえ、キング・オブ・ウジ虫です」
「酷くなってるんですが!?」
こいつ本当に自分から頼み込んで雇われていると言う自覚はあるのだろうか?いや、給金を支払わないで衣食住だけを提供している身としては、文句を言う権利は無い……と言うことも無いような気がする。もう少し俺に優しくしてくれても良いような。まぁ今それは置いておこう。まだもう一つ、聞いておきたいことがあるのだ。
「で、どうだ?ここ四日、俺の家で働いた感想は?正直に言ってみろ」
そう。これが今日、一番聞きたかった質問。普段、生活している上では全く彼女の感情を見抜けなかったので、もうそのまま俺は率直に真正面から言葉をぶつけることにした。
「特に何も。強いて言えば主が……いえ、主とすら思ってはいないのですが、その人物が多少……いえ、かなり残念な事を除けばいい環境です」
「…………正直に言いすぎだろ」
普通に傷付いた。
「命令に忠実なのが取り柄でして」
忠実過ぎるのも考えものである。
「まぁいいさ。それで、何を頼むか決まったか」
「はい、ご主人様は?」
「ああ、俺も決まった」
そうして俺たちはそれぞれ互いに好きなものを頼み、注文を終えた。一旦、落ち着き息をつく。さて何を話題に切りだそうかとそう考えていた時に、今日の出来事を思い出した。
「にしても今日は助かったよ。俺一人じゃあ、あの元気な子供たちを相手にするのは難しいからな」
いや、本当に助かった。あの元気有り余る子供たちを、あれだけの数相手するとなると、本当に体力の全てを削り持っていかれるのだが、今回は咲夜のお陰でそこまでの疲労は溜まっていなかった。こうして居酒屋に足を運んでいるのが何よりの証拠だ。
「いえ、私としても楽しかったので」
これは彼女の紛れもない本心なのだろう。あの時、笑顔で子供たちと遊んでいた咲夜の顔はとても生き生きとしたものだった。
「少し驚いたぞ。お前でもあんな笑顔を見せるんだなってな」
今思えばあれは相当珍しい光景だったに違いない。あの笑顔を見て、こいつにもちゃんと人間の血が流れているのだと確信できたのだ。それまでは禍々しい毒が体を巡っているのでは?と本気で思ったりもしたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「………………頭のどこを殴れば記憶は消えるのでしょうか?」
などと恐ろしい事を呟いているがそれは無視しよう。
「まぁまた暇があったら遊んでやってくれ。あいつらも喜ぶ」
「…………はい、かしこまりました」
咲夜は不機嫌そうに顔を捻りながらも、そう言ってくれた。俺はそれを嬉しく思いながらも、ここは好機だと、咲夜と出会ってからずっと疑問に思っていた事を尋ねることにした。しかしそのまま聞くのもどうかと思ったので、俺は少し遠回し気味に言葉を使う。
「だがまぁ、随分と子供の扱いに慣れていたようだが……」
流石は咲夜。その言葉で俺の言いたい事を察したのだろう。彼女は顔を強ばらせ、僅かに表情を暗くさせた。
「…………まだ言えないか?」
「…………申し訳ございません」
咲夜はそのままの表情で頭を下げる。これはそう。なぜ彼女がこんな家を無くすまでの状態になってしまったのか?それを尋ねたのだ。しかしあの悪魔の館で子供慣れする機会なんてあるのだろうか?子供を泣かすのに慣れていると言うのなら分からなくもないのだが……。
「いいさ、こちらこそ深入りして悪かったな」
俺たちの間になんとも言えない雰囲気が流れる。初めて会った時でさえ感じなかった居心地の悪さがその場に満ちる。しまった、少し軽卒に行動してしまったかと己の浅はかな行動を悔いるが、しかしやってしまったものは仕方がない。
どうにかしてこの空気を変えなければと、頭の中で様々な選択肢を模索していた時だった。この重たい雰囲気を断ち切るようにして、俺たちの間に頼んでいた料理たちが強引に置かれた。俺は店員のナイスなタイミングに心の中で親指を立てつつ、注文を確認する店員の言葉を流して聞く。
確認を終えた店員が、店の奥へと姿を消した所で、俺は咲夜に声をかけた。
「まぁ今は料理を食べよう。あと連れてきてからでなんだが、酒は呑める方か?」
「強くはないですが、多少は……」
「十分だ」
そうして主人とメイドの、密かな晩酌が幕を開けたのだった。
すっかり夜は
「強くないって言っておきながら、呑み過ぎだ」
「…………申し訳ありません」
本当に申し訳なさそうに、弱々しい声色で咲夜は言った。咲夜にしては珍しく、と言うか初めて俺に弱味を見せた気がする。耳元でなければ聞き逃してしまいそうなか細い声。それからも彼女の現状が伺い知れる。
「貴方の前だったからでしょうか、久しぶりに羽目を外してしまいました」
ふとそんな言葉を溢す咲夜。これはどう解釈すれば、いいのだろうか?もしかして
「しかし万年発情期であるご主人様からすれば、私と密着できると言うこの状況は、むしろご褒美なのではないでしょうか?」
いや、訂正。限りなく
「…………ご迷惑をお掛け致しました。明日からは、しっかりとメイドの役目を勤めさせていただきます」
先程よりも数段暗く、湿った言葉が俺の耳に届く。なんとも変な所で真面目と言うか、割り切りが下手と言うか。
「…………いや、今日くらい適当でいい」
俺はなるべく柔らかい口調でそう言う。
「お前は固い所があるからな。俺としては今日くらい気楽にやってくれた方がやり易い」
これは事実だ。本来俺はただそこら辺に転がっているような普通の男。主従の関係などと言う、非一般的な関係は俺の身の丈に合っていない。もういっそのこと、居候的な関係の方が断然気楽でやり易いのだ。俺はそんな自分の内心を口にしようとしたのだが、それはふと葉っぱから滑り落ちた雫のような咲夜の呟きによって中断された。
「…………貴方は」
「ん?」
「…………貴方はやはり優しいのですね」
俺はそれが咲夜の口から出てきた言葉だと到底信じる事ができなかった。あの口を開けば毒を吐きかけてくる
「…………咲夜、お前今なんてーー」
何かの聞き間違いだろうと、先程の台詞を確認するためにそう言おうとしたのだが、そこでふと耳元に吹き抜ける安らかな吐息が俺の口を急停止させた。
「……咲夜?」
問い掛けても聞こえてくるのは、透き通った深い呼吸だけ。そしてそれが寝息だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「……寝たのか」
そう知覚すると急に物寂しく感じる。辺りをそっと漂う虫の音が、とても親密な物に思えてくる。ふと夜空を見上げた。空に浮かぶ星々が、人里の灯す明かりに負けないようにと己の体を燃やしていた。その隅っこで、月は
「……まぁこう言う夜も悪くはないか」
そう、悪くない。こんな静かな夜も悪くない。まるで世界に置いてけぼりにされたかのような、そんな夜も悪くない。
ふと俺の体がぐらりと揺れる。背中にかかる圧迫感が段々と増していく。背中に乗る彼女の腕にぎゅっと力が込められて、俺をゆっくりと締め付ける。
それを見た小さな小さな黒猫がにゃあと一つ、静かに鳴いた。
ここからはデレ咲夜さんのターンです。
続きはいつか投稿いたします。