令嬢戦記   作:石和

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第14話

 明かりの灯らない暗い部屋に、小さくすすり泣く声が響く。街灯の僅かな光が差し込むだけの室内で床にへたり込んだ少女。臙脂色の高級感あふれるワンピース、焦げ茶色のブーツと身につけているものはすべてが小さく、身体も小さい。彼女は流れ落ちる涙をぬぐうこともなく、ただ泣き続ける。

 

『ナーシャ、心配いらないわ』

 

 少女が思い出すのは母の言葉。

 

『あなたは祝福されて生まれてきたのよ。だから、私が死んでしまっても、必ず誰かに愛されて生きていけるの』

 

 彼女の母はいつだって、少女にその言葉をかけて抱きしめてくれた。それはきっと、彼女の母がいなくなった時には少女が実家に引き取られるであろうこと、祖父母……母の両親は少女を愛してくれないことを予測しての言葉だったのだろう。そして、実際にそうだった。

 

――――ああ、あれは私か。

 

 ぼんやりと認識したとき、景色は真っ暗な帝都の自室から、太陽の光で明るくなり始めた兵舎の自室へと変わる。………どうやら私は目覚めたらしい。起き上がり、時計を確認する。まだ早朝だ。

 

 懐かしい夢を見た。一人になったばかりの頃の私が出てくる夢。

 大嫌いな淑女教育は厳しいし、家にいても一人ぼっち、大好きなお母さんはもういない。辛くて、寂しくて、悲しくて。

 でも泣いても何も変わらなくて、結局アナスタシアは泣かなくなった。時々屋敷から脱走しつつも比較的おとなしく淑女教育を受け、プルシア家の令嬢という人形になった。

 

 ベッドから降り、自分が寝間着姿ではなく昨日の軍服姿であることを認識する。髪すら解いていないその状況。………そういえば、泣きながら寝てしまったかもしれない。

 泣いていたのはアナスタシアか、それともユリアか。そこの区別すらつかぬとは、なんとも弱りきっている。

 髪を解き、演算宝珠を洗面台へ置く。そして衣服のすべてを脱ぎ捨てて洗濯籠へ投げ入れると、シャワールームへ入る。蛇口を捻れば、そこは水の音だけが響く空間になった。

 

 私――――アナスタシアは、病死した母の声をもう思い出せない。しかし、顔も名前も知らない父親の分まで私を抱きしめた母の腕は細く、日に日に力を失っていったこと、それでも母の笑顔は陽だまりのような温もりがあったことはまだ覚えている。まるで力を与えてすり減っていくようだ、と思った私は、与えられた力で生きていくしかないのだと幼心にも感じていた。

 

――――お母さんの金色は、とても綺麗だったな…

 

 母の髪は、それは見事な金髪だった。あの祖父母も文句の付け所がなかったであろうその髪は光を反射させてキラキラと輝くのがとても綺麗なのだ。一方、私の髪は暗く重たい髪色で、今だって水を吸って白い肌にまとわりつき、模様のように色素の濃さを主張する。

 

 長い髪を絞って水を切り、タオルで身体を拭く。すぐ着れるようにと洗面所の小さな棚にセットしてある下着類を身につけ、洗面台の演算宝珠を掴むなり、魔力を流してサクッと髪の毛を乾燥させる。おもむろに顔を上げれば、鏡に映るアナスタシアの姿。

 

 私が似たのは目の色だけだったなあ、と鏡に映る自分の青い瞳を見つめ、父は何色だったのだろうか、と顔も名も知らぬ父を思った。髪と同じような暗い色の瞳だっただろうか。それとも、人目を引くような明るさを持った瞳だったのだろうか。

 まあ、いくら想像しても答えは無い。仕方のない事だ。

 

 髪を束ね、クローゼットから軍服を引っ張り出す。袖を通し、ボタンをきっちり留め、非の打ちどころなく着こなしたその姿はいつもの様子と変わりなく姿見に映る。

 

 首から演算宝珠を提げ、顔を上げる。

 私はアナスタシアではない。違うのだ。

 

 私はユリア・バーナード。

 

 今は、それ以外の何者でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 皆さんごきげんよう、ユリア・バーナード少佐です。先日はみっともない姿をさらして申し訳ありませんでした。いやあ、だめですね。どうやら私は気が緩んでいたようです。以後このようなことがないよう、全力で気を引き締めていきます。

 

 昨日は夕食を食べなかったので、いつもより多めに朝食を摂りました。そして作戦局へ向かえば、私の異変に気付いていたらしい先輩方に様子見がてら声を掛けられました。ちょっと悲しいことを思い出したのだと言えば、私の経歴を思い出してか皆同じように何かあれば言え、相談には乗ってやると言ってくださいます。ああ、何と優しい職場。まあ、孤児院出身の参謀将校なんてレア中のレア、シャベルを振り回す航空魔導士以上のレア度を誇りますからね。どう対応したらいいか分からない人もいそうですが触れてくれなければオールオッケー。

 

「バーナード、その、何か、」

「はーいはいはい、今日も元気に仕事するのでレルゲン中佐、早くデスク上の書類片してください。いつまでも私が仕事を進められないじゃないですか」

「…………いや、昨日戻ったばかりなんだが」

「そうでしたねおかえりなさい。――――ターニャちゃんは厄介払いと前線押し上げ、両方の意味を込めてライン送りでいいんですよね?喜ぶんじゃないですか?」

「あれを喜んでいると評価するなら、そうだろうな……うっ」

「胃薬ですよー、あと水も」

 

 触れてくれるなその話題、と私が方向転換したら逆に中佐にとっての触れてくれるなその話題になってしまった。少し申し訳ない。言葉の通り胃薬と水を差し出し、彼が服薬したところで業務を開始する。

 シフト始まりに必ず行う戦況の確認。刻一刻と変化する戦況は私が寝て目覚めるまでの間に大きな変化を起こし、毎日毎日追いかけるのが大変である。しかも、そこから戦況予測を毎日毎日行い、作戦局で会議をして共通見解を持ち、そこから作戦を練ったりすでにある作戦を調整したりするのだから頭を使う。

 それが終われば作戦局は非常に喧しくなる。個々が全体の目的達成のために動き回るのだから仕方のない事だが、それにしても聞き取り能力が地味に重要なのは砲撃の鳴りやまぬライン戦線と大差ないのではないか。

 

「東部戦線の書類はまだか?!」

「情報部に情報請求、ついでに物資の輸送状況を鉄道部に」

「今戻った!レルゲンは今すぐ報告に来い!」

「うーん…山道を回り込んだ方が奇襲になるから、戦域はこちらにずらしたほうが…」

「ルーデルドルフ閣下、報告です」

「情報部からの回答と鉄道部からの輸送状況についての連絡をお持ちしました!」

 

 ルーデルドルフ閣下が帰ってきたらしく、騒がしさがいつもより上がっている。また、彼が戻ってきたことで進む仕事がいくらかあったせいで私のデスクはまた書類が山積し始める。それをひたすらに進めて早数時間、夕方になる頃に私の作業は止まる。

 

「あ、資料が足りない…!」

「バーナードが資料庫行くってよ、返却物あるやつは渡せ」

 

 自前の返却ボックスに同僚や先輩たちから数多の資料を入れられ、溜息をつきつつも、いつもの事なので仕方なしにそれを持って足早に目的地へ向かう。結構数が多い。面倒だなあ…と思ったが仕方がない。書類を演算宝珠で浮かせて戻そうかと思ったが、そんな芸当ができるなら私は今頃野戦将校でライン戦線最前線にいたはずだ。

 資料庫へ着くなり自分の身分を確認される。入室許可を得て室内へ入ると、演算宝珠に魔力を込め、地面を軽く蹴る。ふわりと浮く体を制御しながら、脚立要らずで書類を戻していく。

 

 やはり、魔導は便利なものである。適性と魔力保有量に個人差があるため、軍のような規格統一を求める機関で利用するのは難しい所もあるが、こうして個人の作業を楽にできるという点では私は適性有りでよかったと思う。ふわふわ宙を舞えば届かない位置にも書類をすぐに返せる。これば非常に便利だ。最後の書類を戻し終え、自分の書類も引っ張り出す。作業をすべて終え、気分の良さもあってくるりと一回転してみる。おお、長い髪が舞ってちょっときれいに見える。不思議。

 

「さながら妖精のようだな」

「――――っ?!」

 

意識の外からかけられた声に思わず肩を揺らす。下を見ればレルゲン中佐の姿。

 

「え、あ、その、これは、ええっと」

 

 恥ずかしい所を見られた。私何してた?宙に浮いてたけどどんな表情してたかわかんない。でもどげんかせんといかん。どうしよ、ああ落ち着けユリア。こういうときは、ええっと、そう!東洋の国の土下座なるものを!

 

「すみませんでした内緒にしてください!!!」

「何をやっているかよく分からんが」

 

 この書類も戻してくれ、と差し出された書類を空中土下座から姿勢を戻して受け取り、指示された通りに棚へと戻す。そして大人しく中佐の前に降り立つと、頭を下げる。

 

「恥ずかしいので忘れてください……」

「いや、いい光景だったぞ。航空魔導士の飛行は戦闘以外にも使い道があるな。戦後、もしも職を失ったときは曲芸師にでもなればいい」

「失いたくないです」

「冗談だ、そんな顔をするな」

 

 ほら、戻るぞ、と声をかけられる。それに返事をして、背を向け歩き始めたレルゲン中佐に続く。顔が熱くなっているのを必死に冷ましていると、くつくつと小さく笑い声がしたので恨みがましく上を見れば、彼はいつもと少し違う顔をしている気がする。

 

「元気は出たらしい」

「?」

「昨日、泣いているように見えたからな」

「………別に、泣いてなどいません」

「そうか。だが、辛いことがあれば周囲に言えばいい。作戦局で紅一点というのもあって、お前の様子がおかしいと周囲は何だかんだ心配するからな」

 

 そう言ってガシガシ頭を撫でられる。

 ああ、彼は安心したのか。皆と同じく、私を心配してくれていたらしい。

 ユリアは、良い環境にいると思う。作戦局の皆は本当に優しい。いい職場にいるなあ、温かいよなあ、と安堵するのが分かる。

 

 礼を言えば、明日からまた例の作戦について進めていくからしゃんとしろと言われる。それに元気よく返事をして、私は改めて覚悟を決めるのだ。

 

 私はユリア・バーナード。だから、軍人さんを追いかける必要はない。私が大切にしないといけないのは、帝国と、私の職場だ。大切なものの喜びのために、私は何としても、この戦争を早くに終わらせる。

 

 実家からの呼び出しがないことも重なり、私はアナスタシアを忘れて以前より仕事に打ち込んでいく。その内に冬が終わり、春が来る。柔らかな春の陽射し、咲き乱れる花々の豊かな色彩。雪解けた大地に生命が萌える中、参謀本部で長い間練られてきた異色の作戦が完成した。あとは、発動を待つのみ。

 

 






 次回の令嬢戦記は

「主導権」「ユリアちゃんの技量カンスト疑惑」

 の2本です(予定)。






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