あるところにシンデレラという娘がいました。
シンデレラの母親はすでに亡くなっており、父親はすでに再婚をしています。再婚相手の女性はトレメインという名でしたが、トレメイン夫人には、シンデレラの父親と出会う前から二人の子供がいました。
その子供というのは二人とも女性であり、彼女らは年齢からしてシンデレラの義理の姉に当たる立場になりました。義理の姉の内一人はアナスタシア、もう一人はドリゼラという名前です。
不思議なことにトレメイン夫人は、我が子二人のことは愛するのに、シンデレラのことは便利な労働力程度にしか捉えていませんでした。「子どもを愛する心」の「子ども」の定義には、血の繋がっていることが必要不可欠なのでしょうか? 血が繋がっていない子どもは、誰も愛することができないのでしょうか?
その点については個人差があると思いますが、トレメイン夫人は愛せない側の人間でした。そしてそんな夫人の娘であるアナスタシアとドリゼラもまた、シンデレラへ同情する心なんて持ち合わせていませんでした。……心の構造も遺伝するのでしょうか?
結局、同じ血を引いた三人の目上の女性相手に、気の弱いシンデレラは逆らうことができません。逆らうどころか、意見を述べることさえ出来ないのです。かつてシンデレラが一度だけそれを試みた日、彼女には「口答えをするな」「余計な口出しをするな」とひどい言葉が返されるだけで何も許されることはなく、か弱いシンデレラには、その言葉の通りに生きることしか出来なかったのです。
……というのが、大体二年前までの話。現在のシンデレラはいじめられることがないどころか、二人の姉や新しい母親と仲良くやっています。それはもう極端なほどに。
なぜそうなったか。それはもちろん、娘を溺愛していたシンデレラの父親が、自分の目が届かないうちに大事な娘をひどく扱う者たちを、その悪行を、永遠には見逃すはずがなかったからです。
たとえトレメイン夫人やアナスタシアやドリゼラが巧妙に、さも自分たちには何事もないというように振る舞っていたとしても、たとえシンデレラが父親を心配させまいと何も言わずに、ただ我慢と忍耐に塗れていたとしても、長い月日に渡り持てるだけの愛を注ぎ続け娘を育てて来たその父親は、その愛ゆえに、ある日真実に気が付いたのです。ただシンデレラの顔を見た時、何かがおかしいと違和感を抱いたことが始まりでした。彼がそこから真実にたどり着くまでは一瞬でした。
結果、シンデレラの父親は自分が働きに出ている間に、その目を離した隙に、愛する娘が控えめに言えば召し使いのように、ひどく言えば奴隷のように扱われていたことを突き止めました。
当然父親は憤慨しました。怒り狂いました。そして怒りのあまりに、魔術に目覚めました。一日限りの奇跡を起こす魔法使いがカボチャを馬車に変えられるのだとすれば、怒りに憑りつかれた父親はカボチャを、自分と娘以外の全てを消し飛ばすダイナマイトに変えられる魔術を習得していました。言うまでもなく、それは誰から見ても突然のことでした。
シンデレラの父親が抱いた物は、怒り……または殺意と呼ぶにふさわしい物です。その激しい怒りは力をもたらし、そうなるとトレメイン夫人とその二人の娘らは、腰を抜かして命乞いをするしかありませんでした。「お前ら全員を肉片に変え、ガラスの靴へ詰め込んでやろう」と指の先へ魔力を集中させる父親を、シンデレラが抱きついて「もうやめて」と止めなければ、今頃夫人らは宣言通りこの世を去っていたことでしょう。
娘に言われて少しだけ落ち着きを取り戻した父親は、娘に免じて怒りを収めるため、トレメイン夫人らに一つ条件を出しました。一年間、お前たちが娘にさせていたような労働を私がお前たちにさせる。それに耐えられれば、命をだけは許してやろう……と、彼はそう言ったのです。
父親は日に日に魔術の腕を高めながら、馬車馬の如く夫人らを働かせました。朝も昼も夏も冬も問わず、ずっと彼女らの働きぶりを見張っていました。そうなってくると彼は仕事には行かなかったことになりますが、代わりに魔術で作った分身が夜十二時までは残業にも耐えて働いてくれるので心配ご無用です。
一方で、つい最近までの自分と同じ扱いをされ、それにいよいよ音を上げ始めた夫人らを見たシンデレラは、その慈悲深い心から己が受けてきた仕打ちを半ば忘れてしまって、ただ彼女らに同情し始めました。彼女は父に「もう許してあげたらどうでしょう」と説得を試みたりもしました。しかし父親は、これだけはいくら娘の願いでも譲れないと言って聞きませんでした。
結局気の弱いシンデレラに父を強引に止めることなど出来るはずもなく、ずるずると一年間が過ぎて行きました。夫人と娘たちは、過労で死んでしまうと言いながらも、見事きっちり因果応報の職務を全うしました。
「確かに条件は果たされた。もう私がお前らに危害を加えることはない。……ただしそれは、金輪際娘に近づかなければの話だ」
きっかり一年間こき使われた夫人らに、シンデレラの父親はそう言い放ちました。
なんとか助かったトレメイン夫人にアナスタシアにドリゼラ。彼女ら三人はその時になんと言ったのでしょうか? 恐ろしい魔術で自分達を脅した男への恨み事や捨て台詞? それとも見逃してもらえることに対する卑屈な感謝の言葉? いいえ、どれも違います。
彼女ら三人は一斉に額を床に押し付けて、シンデレラへ謝罪したのです。
「今まで本当にひどいことをしてきた。謝って許してもらえるとは思わないけれど、本当に本当にすまなかった」
魔術を会得した父親の恐怖による支配で、かつてのシンデレラと同じようにひどい扱いを受けた三人は、その支配的力から許された後でもなお、頭を下げることをやめはしませんでした。
そう、彼女らは地獄のような一年間を経て、自分達がシンデレラへしていた仕打ちがどれほどの物だったのかを真に理解したのです。彼女らは血の繋がらない者への愛と良心、そして罪悪感を得たのでした。
「どうか頭を上げてください」
シンデレラは聖母のような声で三人に言いました。彼女がこの時に特別優しさを持ちだしたのではなく、シンデレラの声は、性格は、いつだって同じような物でした。だからこそ夫人ら三人はさらなる罪悪感を持ちます。
「たしかに、今までお母様やお姉様たちに任されてきた仕事は、正直つらいことも多くありました。でも、だからって誰かを恨んだりなんてしていません。だからもう頭を上げてください」
罪悪感に苛まれた人間が「許し」を得た時にはしばしばそうなるように、シンデレラの言葉を受けた夫人らの心は、複雑にゴチャゴチャとかき混ぜられていました。シンデレラへの罪悪感は、彼女が聖人のような言葉を並べるたびに大きくなります。しかし、その罪悪感さえ包み込んで許してくれるようなその声に、彼女らは甘えてしまいたいとも思い始めたのです。
そうして頭を上げた三人のうち、長女であるアナスタシアが、シンデレラへ対し震える声でこう答えました。彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていました。
「あぁシンデレラ、本当にごめんなさい。どんな償いでもするから、どうか私のことを許して……」
アナスタシアはすぐに泣き崩れました。ドリゼラとトレメイン夫人もつられて泣きだします。それを受けたシンデレラはあわてて三人をなだめながら、
「許すも何も、わたしは初めから何も怒っていませんよ。だからどうかもう泣かないで。償いなんてこれ以上必要ない。あなたたちは十二分に償ってくれたじゃないですか。これからだって家族みんなで、五人揃って仲良く暮らしていきましょうよ。ね……?」
と、いとも簡単に言ってしまいました。これにはさすがに夫人らだけでなく父親も驚きました。いや、むしろ父親が一番度肝を抜かれたのかもしれません。
「おいシンデレラ。お前、あんな目に遭わされたのに、まだこいつらと暮らしたいのか」
「いけませんか、お父様……? わたしはお母様やお姉様たちと仲良くしたいのです」
本当は、ずっとそうしたかったの。……だからお父様がわたしのために怒ってくれた時よりも以前の、昔のような形でだってわたし、お互いがお互いを憎しみ合いながら過ごすよりは、ずっと良いと思っていたのよ。
平然とそんなことを言ってのけるシンデレラに、父親も夫人らも唖然の視線を向けるしかありません。シンデレラ以外の、その場にいた全員が抱いた「信じられない」という心には、それぞれ微妙にニュアンスが違っていたことでしょう。
父親は「娘の望むままに」と、最後には夫人らを許しました。そのことに感謝の言葉を述べつつ、トレメイン夫人と二人の娘たちは、人並み外れて慈悲深い本人から促されるがまま、シンデレラとしっかり抱擁を交わします。三人を受け止めたシンデレラは、それはそれは嬉しそうに微笑んでいました。
血の繋がらない他人へ向けるための愛情が、生まれつき抜け落ちていた夫人らは、こうしてそれを得ることが出来ました。が、どうやらシンデレラにも、人を憎み恨む心が生まれつき抜け落ちていたようです。きっと、それは可能な限り得ないでいられる方が良い物なのでしょう。
人類全てが娘のような人間になれば、世界はどんなに平和になることだろう。そう考える父親は、実はすでに考えた通りのことを魔術で実行できるようになっていたのですが、本人がそれに気が付きませんでした。
シンデレラを巡る問題は、だからそうしてすでに解決された過去の話となりました。あれから数年。長い時間が経った現在では、シンデレラとトレメイン夫人、アナスタシア、ドリゼラは、本当の親子や姉妹のような仲になっていました。いや、もしかすると本当の親子姉妹よりも仲が良かったかもしれません。
シンデレラが聖人のように全てを許したことで彼女らは「仲直り」したということになりましたが、さすがに始めの頃はぎこちないところがありました。しかし、それさえもシンデレラの人柄が解決し、瞬く間に全員が打ち解けたのです。
打ち解けたあとは、休日に父親を含めた五人で歌や劇を見に行ったり、全員で仲良く買い物に行ったりもしました。夜には家でテーブルゲームなどをして遊ぶこともありました。
すっかり仲良くなった女性陣四人が「女子会」と称して父親をおいて出かけようとした際には、怒りとはまた別の強い感情で父親がさらなる魔術に目覚めそうになり、ちょっとした騒動になったこともあります。しかしそれも良い思い出です。
家事だってもちろん全員で平等に分担することになりました。シンデレラにとって今まではつらかったはずの仕事も、母や姉たちとお喋りしながらするようになればむしろ楽しくて仕方がありません。家事や仕事までをも良いコミュニケーションの材料とするシンデレラたち、そんな様子を見ていた父親は、実は自分の魔術による分身が十人くらい同時に、しかも永続的に出せるようになったことを黙っておきました。
そうして、きっと地球上で最も仲が良く最も幸せな家族だったシンデレラ一家のもとに、ある時ついに、お城からの招待状が届く日がやってきました。お城の舞踏会への招待状です。
「あぁ、知っているわ!」
招待状を掲げるようにして立ちあがり、アナスタシアが叫びました。
「お城に住む王子様は、もう何代も前から全員、舞踏会で出会った女性と結婚しているのよ。きっとそのように決めているのだわ」
それを聞いてドリゼラも、思いだしたかのように立ちあがり、アナスタシアの掲げる招待状へ手をかざして叫びます。
「それ、あたしも知っている! ぜひ行きましょうよ!」
うふふ、あはは、と楽しげに、どこへドレスを買いに行こうかなどと話し合う二人は、もうすっかり王子に気に入られたような気分になっていました。
そして、彼女らはシンデレラの手を引きます。
「ねぇシンデレラ、あなたもドレスを買いに行きましょう。舞踏会、もちろん行くでしょう?」
お城の舞踏会はただ楽しいパーティというだけではなく、もしかすると自分が王子様に結婚相手として選ばれるかもしれないチャンスの場でもあります。口には出しませんでしたが、アナスタシアとドリゼラは、シンデレラこそが王子の相手としてふさわしいと考えていました。何しろ彼女より慈悲深い女性はこの世に存在しませんから。
だから二人にとって、シンデレラの返事は想像すらしていないものでした。
「いいえお姉さま方、わたしは遠慮しておきます」
何を言われたのか一瞬理解できず、二人の思考がストップします。
「えっ、ど、どうして……?」
やがて二人の頭の中には、もしかしてシンデレラには結婚願望がないのだろうかとか、舞踏会という大勢の人が集まる場所は苦手なのだろうかとか、まさかドレスを買うお金について変に考えてしまっているのだろうかとか、いろいろな理由が浮かんで来ます。
しかしそうして想い描かれた理由たちは、どれもシンデレラが実際に持っていた物とは違ったのです。
「……実はその、王子様に選ばれた時のことを前提に話すなんておかしいとは思いますけど、でも、もし選ばれてしまったらですよ? もしもそうなったら、わたしは王子様と結婚することになるでしょう?」
「えぇ、そうよ。幸せなことじゃない」
「幸せ……なんだろうとは思います。でもわたしは、わたしはお母様やお姉様たち、それにお父様がいるこの家で、今まで通り家族で暮らしたいのです。これからもずっと、命ある限り永遠に。……だからその、あまり気が進みません」
王子と結婚するなんて、女性としてそれ以上の幸福は考えられない。当然のようにそう考えていた姉たちは、突然それがどうしようもなく間違っていたように感じました。彼女らは正直、シンデレラがそこまで自分たちのことを思ってくれているとは夢にも思っていませんでした。
けれど言われてみて実際に、シンデレラがいなくなった家のことを考えると、途端にそれは耐え難い想像となって彼女らの頭の中を支配したのです。
「……そうね、そうよね。みんな一緒がいいわね。シンデレラあなたの言う通りよ」
「あ、いえ、わたしがそう思っているというだけですよ……? お姉様たちが王子様に会いたいと思うなら、結婚したいと思うなら、わたしはもちろんそれを尊重します。もしも身内が王子様に選ばれることになれば、わたしも鼻が高いですし」
シンデレラはそう言いましたが、つい数分前まで乗り気だった姉たちは、すっかり舞踏会への熱意を失っていました。
けれど彼女ら二人は、結局舞踏会へ行くことになるのです。それは「なんとなくシンデレラがそうして欲しそうだ」という雰囲気を感じ取ったゆえの結論でした。……もちろん王子に対する興味が、完全に失われたわけでもありませんでしたが。
王子を一目見て、ただ楽しんで帰ってくることにしよう。きっとその土産話をシンデレラは楽しんでくれるはずだと、二人はそう想像して微笑んだのでした。
舞踏会当日。
姉二人はこの日のために買ったドレスを着て、上機嫌で馬車に乗って城へ向かいました。シンデレラと父とトレメイン夫人は二人を笑顔で見送ります。存分に楽しんできてね、と。
しかし舞踏会は深夜十二時近くまで開かれるので、姉たちは遅くまで帰って来ないでしょう。今日一日の間、歳の近い話し相手を失ったシンデレラは、トレメイン夫人から「夫人が子供だった頃に開かれた舞踏会」の話を聞かせてもらいました。
当時の夫人は、舞踏会に参加するには若すぎました。いえ、若いというよりは、幼かったのです。そして夫人と同じような境遇の女性は実のところ世の中に大勢います。ただタイミングが悪かっただけという理由で、舞踏会に参加する機会もなく一生を過ごす者もいるのです。
シンデレラはその話を聞いて姉たちの幸運を喜びました。夫人も自分の娘たちが舞踏会へ行けたことへ何か運命的な物を感じているようです。
「もしかするとあと何時間か後には、二人のどちらかが王子との結婚を決めて帰ってくるかもしれないわね」
「そうなればお姉様はきっと幸せになれますよね。……あぁ、でも、お姉様たちは二人で舞踏会へ行ったのに、選ばれるとすればそれは必ずどちらか一人になってしまうんですよね。それだと私は、お姉様たちがそれをきっかけに険悪な仲にならないか心配です……」
王子の結婚相手に自分の娘が、姉が、まさか本当に選ばれるわけではないだろう。二人は初めのうちは完全にそう考えているつもりでしたが、アナスタシアとドリゼラがいなくなってから時間が経つにつれて、じわじわと湧いてくる「もしかしたら」という気持ちを抑えることができなくなってもいきました。宝くじが当たったら何をしようかと考える人のように、その一切が無駄であろうとも楽しい想像を膨らませているのです。
しかし実際は、まだ午後九時にもならない頃、妙な時間帯に家のチャイムが鳴りました。
こんな時間に客人だろうか、珍しい。そう深く考えずにドアを開けた夫人は、そこに立っていた人物を見て驚愕しては一瞬固まってしまいました。
「いったいどうしたのあなたたち」
何事かと思ったシンデレラが見に行くと、そこに立っていたのはアナスタシアとドリゼラだったのです。二人はひどく不機嫌そうな顔をしています。
「あなたたち、舞踏会は……? まさかこんな時間に終わったなんてことはないでしょうに」
夫人は落ち着きを取り戻して二人に訊きました。二人の表情があまりにも恐ろしげなため、何かの事件に巻き込まれでもしたのではないかと心配したのです。一方、そのやり取りを見守るシンデレラの父の周りには、じわじわと魔力が漂っていました。事と次第によってはまた大騒ぎになるでしょう。
ドレスを着たまま、二人は声を揃えて言います。
「お母様、よく聞いて」
何やら不穏な空気を察知したシンデレラが駆け寄って行くと、二人の姉は目線で「シンデレラ、あなたもよく聞きなさい」と伝えたあとに、まだ少し震えている唇を動かしました。
「王子は……あいつはド変態よ」
重々しかった空間に、冷たく乾いた風が吹き抜けた気がしました。
驚いた……というよりは意味が理解できなかったのでしょう。玄関のドアを開けた時と同じかそれ以上に硬直した夫人は、一言、
「……はぁ?」
と声を漏らしました。シンデレラは目を丸くしたまま何も言いません。微動だにしません。
「だから、王子はド変態だったのよ! ただの変態じゃないわ、ド変態よ。変態の中の変態。本当に同じ人間なのかと疑いたくなったわ」
王子と直接会ってきた二人はその後も交互に早口でまくしたてます。ところがその話は、王子の容姿は美しく声も綺麗で、背が高くて紳士的で……と、むしろ王子を褒める文句ばかりが並びました。
夫人とシンデレラは不思議に思って訊きました。
「それで何がいけなかったの? 話を聞く限り素敵な人じゃない」
すると二人の話す勢いはさらに増して、
「そうでしょう? そう思うでしょう? だから、あたしたちだって王子に惹かれたのよ。それで今ならお話しできそうだなってチャンスが来たから、ここぞとばかりに話しかけたの」
アナスタシアがそう言いました。そこにドリゼラが続きます。
「ねぇお母様、シンデレラも。そうやって話しかけてみれば、王子は何て言ったと思う? 彼は、まるで「ご趣味はなんですか?」って訊いているかのような自然さで、「靴のサイズは何センチですか?」なんて訊いてきたのよ!? そんな男性がいる? 開口一番、足の大きさを聞く男なんて、私想像したこともなかった」
王子が変態だと聞いた時もそうでしたが、話の内容を聞いてもなお、夫人とシンデレラにはよく意味がわかりませんでした。話を交わしてすぐに靴のサイズを訊かれるという経験が普通は当然無いものですから、いまいち状況が頭の中に浮かばないのです。
「えー、つまり。王子に話しかけてみたら、急に靴のサイズを訊かれたのね? 不自然なタイミングで」
「そうよ! というか、そもそも靴のサイズを訊くことに対する自然なタイミングってなによ!? 適切なタイミングなんてあるの!? 靴屋でもないのに!」
あたしたちが戸惑って返答せずにいると「靴のサイズというより足の大きさが知りたいんだ」とか、そんなことを高揚しながら言うんですもの。逃げ帰って来たの。
もううんざりだ、と表情で示しながら、二人はそう話を締めくくりました。
夫人には未だにその光景が上手く想像できません。娘たちがとんでもない男に会ってしまったらしいということだけは理解できましたが、自分も何度か顔は見たことのある王子が、そんなことを言う光景がまったく想像できなかったのです。
夫人の知る王子とは王子なだけあって、まさか醜い内面を持つとは思えないほどの美しい外見をしていました。しかし王子が娘たちの言っている通りの男であったなら、娘たちが受けたショックはそれこそ想像もつかないような物だったと、そういうことになります。
「とにかく大変だったようね。立ち話をさせてしまってごめんなさい、早く上がって」
家に上がった二人はすぐにドレスを脱ぎました。何もドレスを着る機会は舞踏会だけではないのに、漠然と「もう二度と着ることはないだろう」と二人は感じていました。それほどまでにショッキングな出来事だったようです。
普段着に着替えて落ち着いた二人は、それからまた舞踏会でのことを話すうちに、やがて感心が少し別な方向へ向かい始めます。つまり王子がどんな人物だったかということよりも、なぜ王子があんな人物になってしまったのか、ということの方に興味が湧き始めたのです。
夫人とシンデレラ、シンデレラの父を含めた五人は、そんな話題でもって議論のようなことを始めますが、当事者ではない三人はもっぱら聞き役に回ることになります。しかしその三人たちにとってもそれは十分気になる話だったので、意欲を持ってアナスタシアとドリゼラの展開する議論に耳を傾けました。
最終的に姉たち二人の間で出た結論は、「人に多大な労力を背負わせるとおかしくなってしまうこともあるのだろう」という物でした。
王子にだって様々な職務があるわけだけれど、それに追われる日々の多忙さは、きっと庶民には思いもよらない部分があるのだ。その思いもよらない多忙さが、疲労なり鬱憤なり何なりを王子の中に溜めてしまい、結果としてそれが、非常に特殊な趣味として発散されてしまうことだってあるのかもしれない。きっとそれは疲労からなる病のような物なのだ。……という結論で話が一段落し、全員が一応の納得をしかけたところで、姉たちはハッと気がつきました。
それは、あまりに楽しい生活をしていたせいで忘れかけていたこと。楽しい生活をさせてもらっていたせいで忘れかけていたこと。決して忘れてはならないことです。……自分たちも過去にシンデレラへ過酷な労働を強いていたということを、二人の姉は今改めて思いだしたのです。
アナスタシアとドリゼラ。彼女らはどちらからともなく視線を合わせ、お互いが同じことを考えていると確認しました。「まさかね……」と。
まさか自分たちがシンデレラにひどい扱いをしたせいで、そのストレスがシンデレラに妙な趣味を抱かせてしまっただとか、そんなことはないはずだ。二人は自分に、そしてお互いに目と心で言い聞かせました。
そして二人は、それによって安心を手に入れるのです。考えてみれば、一年間の労働で罪を償った自分たちには、何も起こっていないではないかと。
「王子のようにならないためにも、働きすぎはいけないわね」
「そうね。そうよ。でも私たちは、いろいろと分担しているし、ねぇ?」
それでもそれとなく、姉たちはシンデレラの方を見ました。
「ええ、そうです。わたしたちはそんなに忙しくしていませんもんね。王子の苦労も、その……趣味の方も、わたしたちにはわかりません」
「そうね、きっとそれが庶民の特権なんだわ!」
言って、姉たちが笑いました。つられてシンデレラも笑い、平和な家庭を見守る父や夫人たちも微笑みました。微笑みの寸前まで、「シンデレラには水面下で進行している何かがあるのではないか」という疑念について一番心中穏やかではなかったのは、誰よりも彼女の父親の方だったかもしれませんが。
けれども結局、全員がそんな心配は杞憂だったと安心させられることになります。くすくすと笑うシンデレラから、おかしな物などこれっぽっちも感じられなかったからです。このシンデレラは、やはりわたしたちの天使なのだ。そう確信しながら、それぞれがうっとりとシンデレラを見つめてしまいます。
信頼と愛の視線を受けたシンデレラは、罪悪感に苛まれました。実はシンデレラは、前にも一度同じような罪悪感を受けたことがあります。それは姉たちに嘘を吐いた時です。
ドレスを買いに行こうと誘われたシンデレラは、家族への愛を語ることで理由を付けてそれを断りました。そして姉たちはシンデレラの言うことを疑おうともしませんでした。シンデレラが聖人のような性格をしていることは、家族全員がすでによく知っていたことだからです。だからその信頼によって、シンデレラは重い罪悪感を背負ったのです。
今だって、そうです。彼女はまた嘘を言ってしまったので、罪悪感に押しつぶされそうになっています。それでも彼女は、シンデレラは嘘を吐くことをやめようとはしません。やめるにやめられないのです。この幸せな時間を可能な限り保ち続けるために、自分の本心を晒すわけにはいかないのです。特に、特に姉たちには、絶対に。
……けれど、ひどい仕打ちに耐えることは出来た彼女でさえ、罪悪感を完全に抑えつけることまでは出来ませんでした。
「ねぇお姉様方、でももしも、もしもですよ」
「うん?」
「家族の誰かが明日になったら突然、王子みたいになっていたら、どうしますか……?」
「……どうって」
その場の誰もが、最悪の明日を想像しました。そして時間が凍ったことを、シンデレラは瞬時に見抜きました。
「冗談ですよ、冗談! でもだってわたし、もしかしたら明日から王子様が家族になるかもって思っていたんですもん」
「あ、あぁ、そういうことね! 残念だったわねー、私も彼の見た目は好きだったわ。見た目はね」
再び全員で、あははと大きく笑いました。
普通の人が異性に抱く感情と同じ意味で、どんな男性よりもお姉様たちのことが好きだなんて……これは口が裂けても言えませんね。涙を流すほど笑いながら、シンデレラはそう思いました。