「今……なんて?」
「提督について、聞いて欲しいことがあるのです」
青天の霹靂とも言える告白だった。電が一人でここを訪れたこともそうだが、提督──冷泉に関する話がある、と。
赤羽も浜風も電の様子に思わず緊張した。これまで電とは何度も顔を合わせてきたし話もしたがこんな雰囲気は初めてだ。さて、どんな話題が飛び出すのか──
しかし紡がれた言葉は二人にとって少し意外なものだった。
「電が秘書艦さんになった時のことなのです」
「秘書艦になった時の話?」
浜風が怪訝そうな顔をする。そんな浜風の様子を見て赤羽も更に首をかしげた。
浜風がこのような反応をするということは──浜風も知らないのだろうか。目の前の電が秘書艦として冷泉に付き従う訳を。第九の面々が渋い顔をしてきた中、彼女だけが構わず冷泉に付いてきたその理由を。
電は第九の中でも最古参と聞く。ならば相応のことを知っているはずだ。
「提督は……あの人は電の命の恩人なのです」
予想外の返答だった。あの冷血な鉄仮面が電の、この可憐な少女の命の恩人だと言うのだ。にわかには信じがたい。
「……どういう……ことなんだ?」
電はそのまま黙り、少し考えこんだがやがて意を決したように赤羽と向き合った。
「……今からちょっと前の話なのです」
***
「第三艦隊、出撃だ」
「……えっ」
提督の冷たい声が飛ぶ。それに向かいあった艦娘は小さく声を漏らした。
電はもともと第九とは別の鎮守府の所属だった。第九より資金も人材も潤沢だったがそれを束ねる提督はいささか厳しすぎる人間だった。
「て……提督さん!今私達が出撃するわけには……!小破三人に中破二人……!これではろくに戦えません!」
提督と向き合った艦娘が異議を唱える。電は第三艦隊に所属しており、電の目の前で食い下がる軽巡洋艦娘はその旗艦、電らのリーダーにあたる。
提督の命令にも異を唱えるだけの芯の強さ、リーダーシップの高さから人望は厚く、電にとって憧れの一人だった。
「大丈夫だ、お前達の役目は敵戦力の弱体化、はなから大戦果など期待しておらん。敵戦力を削いでくるだけでいい」
「で、ですが……!」
「くどいぞ、他の艦隊は既に皆出撃している。お前達も早く行け」
「……!」
結局、艦娘の方が先に折れた。
その日はひどい天気だった。海は大荒れでいつも以上に航行が難しく、電らの任務も非常に厳しいものだった。
どこかの鎮守府の提督が非常に重要な作戦で失敗し、その分の挽回をする──電らはそう説明されていた。なんでも、深海棲艦の大規模な棲地を攻撃し、南方海域のかなり広範囲な制海権を奪い返すことを目的とした一大作戦だったそうだが、結果は人類側の大敗。計り知れない程の損害が出たという。
「……」
そのまま電ら第三艦隊は決して万全とは言えない状態ながら鎮守府を追い出されるように出撃し、ふらふらと目的地を目指し始めた。
電も例外ではなく、痛む体を無理矢理動かし、前へ、前へと進んでいく。
「……っ」
既に旗艦の艦娘も同様の状況であり、とても艦隊とは呼べない程ひどい有様だった。
しかし電らに与えられた任務はあくまで主力艦隊の補佐。露払いを命じられ、本格的な戦闘はこなす必要がない──そういう理屈なのだそうだ。
「……大丈夫ですか?」
「……あぁ、電ちゃん。大丈夫、安心して」
見ていられなくなった電が声をかける。対して艦娘は優しく微笑むだけだった。
「……本当に?」
「ええ。心配かけてごめんね」
「……」
「そんな顔しないで。さぁ、そろそろ戦闘海域に入るわ。慎重にいきましょう。ね?」
艦娘がそう言うと、いつの間にか戦闘海域に足を踏み入れていたことに気づいた。艦隊に緊張が走る。電が艤装を構えると、まるで待っていたかのように深海棲艦が姿を現した。いずれも低級な個体ばかりで強力な集団ではないが今の艦隊の状況を考えると油断はできない。
相手の数を分析する。それなりに数はいそうだ。そう確認すると、艦娘が旗艦らしく勇ましく声を張り上げた。
「砲雷撃戦!始めます!」
***
戦いはすぐに激しくなった。電らもボロボロだったが蓋を開けてみれば他の艦隊も皆同じだった。主力の第一艦隊もすでにどこかで交戦していたらしく、電らほどではないにしろ傷だらけ、普段なら負けない相手でも士気の低さから本当に勝てるのか怪しい状況だった。
「うっ」
「電ちゃん!?」
そのうち電も被弾した。幸い、大事に至るような損害ではなかったが──
「誰か!誰か電ちゃんを!」
囲まれた。
「えっ……えっ?」
今まで経験したことのない状況だった。右を見ても左を見ても敵しかいない。どこを撃つべきなのか、いやそもそもうかつに撃っていいのか、それすらわからなくなる。電は完全にパニックを起こしてしまった。
「まずい!このままじゃ……!」
敵の動きが一瞬止まる。この動きが何を示すかわからない電ではない。
前、後ろ、右左──四方八方から砲を向けられ、照準を合わされていることがわかってしまう。何とかしなければ。そう思う思考とは反対に、吐き気がこみあげてきて体は動かない。
「やだ……やだ……」
「電ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
突然横に強く突き飛ばされた。そのすぐ後に敵が砲弾を撃った音が耳に届く。視界の片隅で砲弾がかすめていったのが見えた。
「うっ……」
突き飛ばされたおかげで電の被弾はなかった。
しかし──。
「!」
顔を上げると艦娘がさっきまで電が立っていた所に立っていた。
既に混乱している電の思考が必死に情報を収集する。そこにいるのは艦隊の旗艦、純白の美しい髪は風になびき、口元に優しい微笑をたたえ、電の前に立ち、その背中には──
何発もの砲弾が着弾した痛々しい跡ができていた。よく見ると二、三不発弾も突き刺さっている。
「だ……大……大丈夫?」
「な、なんで!なんでこんな……!これじゃあなたが……!」
「だって……電、ちゃん……は……私……の……大事な……」
息も絶え絶えで立てているのが不思議に感じられた。冷や水でもかけられたように急速にその機能を回復させられた電の思考が状況を理解してしまう。この艦娘は今自分をかばったのだ。電の代わりに甚大な被害を被ったのだ。
それなのに艦娘は電に優しく微笑みかける。電の無事を喜ぶ。ちょうど──その時だった。
「渦潮だ!退避、退避ぃぃぃぃぃッ!」
もともと酷い天気で海が荒れていたからか、突然渦潮が発生した。少なくとも電が見てきた中ではかなりのサイズであり、、既に何体か深海棲艦が飲み込まれていた。
電の本能がすぐに警鐘を乱打する。体勢を立て直し、一刻も早く渦潮から離れようとする──しかし、艦娘の方はもう逃げられるだけの余力が残っていないように見えた。
「……っ!捕まってください!」
「い……電ちゃん……?……いいのよ、もう……いい、わ。私のことは……いい……から……」
「嫌だ!嫌なのです!」
電は無理やり艦娘の腕を掴み、他の艦娘がしていたのを思い出したようにその腕を肩にまわした。が、もうその頃には渦潮がすぐ後ろにまで迫ってきていた。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
結局、電らはそのまま渦に飲まれた。全身を圧迫するような圧力に襲われる。水は電の体を圧し、捻り、押し流す。そうこうしている内に電の意識は途切れた。
***
「……う、」
電が再び目を覚ますとそこは砂浜だった。なんとか立ち上がってあたりを見回してみると、遠くに大きな建物が見えた。あとでわかったことだが、電は第九の近くの砂浜に流れ着いていた。
「はぁ……はぁ……」
渦に飲まれて電はボロボロだった。近くにあの艦娘の姿はなく、一人ぼっちだった。
全身が平等にはげしく痛んだ。腹の虫も空腹を訴える。心は寂しさを叫び、頭は恐怖を呟き続けた。
やがて眠くもなってきた。電は倒れるようにに寝転んでしまった。
――私、死んじゃうのかな。
とうとうそんな風に考え始める。
――が。
「……大丈夫か」
突然上から声をかけられた。瞳を動かして見てみると、一人の男性が電を見おろしていた。どういうわけか肩で息をしていて、電が反応したのを見て安心したのか少し口角が上がった。
「……」
もう電に返事をするだけの力はなかった。男は電を優しく抱き上げるとゆっくりと歩き始めた。とても、とても優しく。
電はそのまま眠ってしまった。今思うと気絶したのかもしれない。
「……っ」
次に目が覚めた時はベッドの上だった。次に内装がやや豪華な室内の様子が視界に映る。電が寝かせられていたベッドの他に大した物はなく、内装の割に狭くやや寂しい部屋だった。
「……目が覚めたか」
隣から聞こえてきた声に素早く反応するとベッドに隣接するように置かれていた机に先程の男が向かっていた。電の方を見ることはなく、無感情に書類の上にペンを走らせている。
「あなたは……」
「私は冷泉。冷泉君彦という」
男はそこで初めてペンを置き、電と向き合った。気難しそうな表情に、眉間に浅くしわを寄せていたが不思議と威圧感は感じなかった。
「冷泉……さん……」
「あぁ。そうだ」
「……!あっ!あの
自分が置かれている状況を理解すると、電の思考は即座に沢山の質問を引き出してきた。電は自分でもやや混乱したまま、勢いに流されるようにあの艦娘の安否を問うた。
冷泉はその言葉を受けるとほんの少し目を見開き、そのままゆっくり視線を外した。やがて、視線を落としたまま、言いづらそうに、搾り出すようにこう言った。
「……すまないが……君以外には誰にも会わなかった」
「……そんな」
冷泉の言葉にやっと冷静さを取り戻しつつあった頭が即座に真っ白になった。何も考えられなくなり、気づいた時には冷泉の制止をふりほどいて部屋から飛び出していた。
「ま、待てッ!まだその怪我では……!」
背後から冷泉の焦ったような制止が届く。聞こえなかったわけではないが、電はそれを無視し走り続けた。
今思うとあの時何を思っていたかはもう覚えていない。あの艦娘を助けることだけを考えていたのかもしれないし、ひょっとすると絶望感を振り払うためだけに何も考えず走っていたかもしれない。
「はぁ……はぁ……どこです……どこですか!」
どのルートを通ったか覚えてはいないが気づくと先程自分が流れ着いた砂浜に着いていた。既に夜は更けており、見通しは非常に悪かった。
砂浜に着くと電は一瞬呆けたが思い出したようにあの艦娘を探し始めた。名前を呼び、周囲を見渡し、走り回る。しかし、荒れた海に叫び声はかき消され、夜が更けた砂浜の見晴らしなどいいはずもなく、元より傷だらけの足で走れる砂浜の範囲はたかが知れている。
「……っあっ!」
案の定、脚が機能を停止した。電はその場に倒れこみ、激しく痛む脚の状況を理解できず、疑問符を投げかけるばかりだった。
その時だ。
「……う、嘘……」
夜の闇に紛れた海が本性を現した。明るくて見通しがよかったらすぐ気づいてたはずだが、気が動転していたのと見通しが悪かったのでその時の電にはすぐに何が起こっているのか理解できなかった。
嫌な気配に気づき横を向くと、目と鼻の先に高波が迫ってきていた。
「うッ!……うぐぅッ……」
再びどす黒い水に呑まれた。激しい水の流れにめちゃくちゃに流され、身動きがとれなくなる。
――せっかくあの
電は今度こそ死を覚悟した。
「!?」
が、またしてもその覚悟は杞憂に終わる。もみくちゃにされている最中、突然腕の一部に水によるものではない圧力を感じた。そしてそのまま水の流れに反して体が動き、肺に空気が一気に入ってきた。
一瞬置いて、自分が水中から引き上げられたのだと理解する。
「馬鹿なことを……」
安堵したような声が聞こえた。冷泉だった。電はまた──この男に助けられたのだった。
「冷泉……さん……」
「君が探している人物については本当に申し訳ない。だが……今は君の命が大事だ。君が命を落とすことなど、
冷泉は電を高台まで連れていき、そこで肩を優しく掴み電と向き合うとそう言った。
「うっ……ううっ……うあっ……」
電はもう限界だった。そして、彼女が恐らくもう生きていないこともわかってしまった。
「うあ……あっ、ゆ……由良さん……由良さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そこからはあっという間だった。これまで泣く暇も無かった分、わけもわからない量の涙が一気にあふれ出てきた。
その涙に理性が溶かされたかのように電はあの艦娘の名前を叫び、泣き続けた。何度も、何度も叫んで泣いた。冷泉はそんな電が泣き止むまで黙って傍に居続けた。
どれほど泣いたかはわからない。だが、このまま泣き止むことはないのではないだろうかという程涙は出た。涙が枯れるとは言うが、あれは嘘だと思った。
***
「さて……君はこれからどうする?」
電が泣き止んだ頃、そっと冷泉が話しかけてきた。既に日は昇っており、冷泉の表情もよく見れた。
「……前居た所には帰りたくないのです」
「何故だ」
電にはもう元の場所に戻るつもりは無かった。上手く説明はできないが絶対に戻りたくなかった。
「……前居た所はとてもつらかったのです。きっと……帰っても電はまたつらい思いをするだけなのです。それは嫌なのです」
「ならばどうする?街にでも行ってみるか?」
「……冷泉さんの所にいさせてください」
電の答えに冷泉はとても驚いた顔をした。まるで予想外だったとでも言わんばかりの反応だ。
「私の所は地獄だぞ……恐らく君が元いた鎮守府よりもずっと、だ。それこそ私の所へ来たって辛い思いをするだけだ。君の為にもそれは許可できない」
「でも……!私は……!」
電は引き下がらなかった。この人なら。自分のことを助けてくれて、見ず知らずの自分にここまでしてくれたこの人ならどんなに辛く厳しくてもいいと思えた。
対して冷泉の反応は鈍い。返答を濁らせ、視線を合わせようとしない。
「……しかしだな……」
「お願いします!」
「……」
***
「そんなことが……あったのか」
話を聞き終えた赤羽はかつて冷泉が電に見せた驚いた表情と同じ顔をしていた。
「はい……私はあの
「……だが……まだ気にかかる。冷泉が本当にそんないい奴ならなんでわざわざあんな嫌われるような真似をするんだ?」
赤羽の一番の疑問はそこだった。冷泉はまるで好かれたくないかのように自分から嫌われるようなことをしているようにすら思える。何か理由があるのだろうか。
その質問をされると電は口をつぐんだ。そしてそのまままた赤羽から視線をそらし、ゆっくりと口を開き答えをよこした。
「それは……電の口からは言えないのです」
「知ってるのか」
電は“知らない”とは言わなかった。知っているのだ。この駆逐艦は──冷泉君彦が何故ああなってしまったのか、その理由を知っているのだ。
「……提督は……自分は好かれていい人間ではない、と……」
「どういうことだ」
それ以上電が赤羽の質問に答えることはなかった。赤羽は話を続けるのを諦め、簡単に礼を述べた。浜風がまだ何か言いたげだったが、電と目が合うと黙り込んでしまった。
電はそれを会話の終了と判断したのか、そのままそっと部屋を出ていった。
「提督……今度は……電が提督を助けてみせるのです……!」
部屋を出た後、厚い扉を背に電はぽつりと独り言を漏らした。
***
「……どう思う」
「は?」
電が部屋を飛び出して行き、代わりに訪れた静寂の中、唐突に赤羽が口を開いた。そのあまりの脈絡のない口ぶりに浜風は一瞬混乱した。
見ると格子の中の赤羽が珍しく真面目な顔をしている。一瞬だが、どこか冷泉に似た瞳をしているように見えた。
「どうって」
「なぁんだよなんも思うトコないのかよ」
浜風が一瞬赤羽に不穏なものを感じたのも束の間、瞬きをするといつものアホ面に戻っていた。まるで今見たものが浜風の見間違いであったかのように。いや、実際そうだったのかもしれない。
赤羽はそのまま大げさなため息をつくとだいぶくつろいだ様子で牢の中のござに転がった。自室のようなだらけっぷりである。
浜風はそんな赤羽の姿に渋い顔をしながら一人思案を再開した。
先程は赤羽の雰囲気に気をとられ返答に濁ったが、浜風とて思うところがないわけではない。電との付き合いは少なくとも赤羽よりは長いのだ。様子がおかしいことに気づかないはずはない。
電のこれまでの第九での振舞いを一言で表すならば‘沈黙’。秘書艦としてただひたすらに冷泉についてきた。第九の中で、電ただ一人がずっと冷泉の傍に──
だとするとこのタイミングで電がこの話をしたということは?そこには誰のどんな意図があるのだろうか?
「下手すっと今、電は冷泉とは関係無しに動いてるのかもしれねぇぞ」
「少佐もそう思いますか。でも電に限ってそんなことが……」
赤羽が勢い良く起き上がる。
「なんか心当たりないのか?電のことはお前の方が詳しいだろ?」
「うぅん……」
「わかんねぇのかよ……」
赤羽が露骨に失望したような顔をする。しかし赤羽とて浜風が電のことを把握しているとは思っていないだろう。非難というよりはからかいだと浜風は受け取り、お返しと言わんばかりに大きなため息をついた。
「どんなハラがあんのか……策士なんてキャラでもないだろ」
「……」
二人とも神妙な面持ちで黙り込む。思案するように俯いた。
「……ていうかちょっと待ってくださいよ」
が、それから間もないうちに突然浜風が沈黙を破った。
「そもそも少佐の取調べの最中だったはずでは?」
「はァーッ思い出しやがった!そこはそのまま大人しく考えててくれよ……」
「は、はぁ!?ごまかそうとしてたんですか!?」
「え、あぁいやそういうつもりじゃないんだが……」
「本当ですかぁ……?」
「勘弁しろよ俺だって流石に疲れてんだよ……」
「そうは言っても現状少佐を疑わざるを得ないんですよ……」
「ああもうやめろ!聞き飽きたわ!」
「こっちだってもうやめたいんですよこの水掛け論は!」
「じゃやめりゃいいじゃねぇか俺はやってねぇっての!」
「営倉に入ってる人の話なんて信じられますか!?」
「うっせぇ!もう信じてもらわなくて結構ですゥー!」
「このッ……はぁ、もういいです。今日のところはここまでにしておきます。あ、そうそう。今日、間宮さん休暇を取ってしまってるので食事はありませんよ」
そう言って浜風が席を立つ。再び赤羽と向き合った時には非常に穏やかな笑みを浮かべていた。
「えっ、は?マジ?お前らはどうすんの?」
「このあと街へ出ようかと」
「……悪いんだけどさ。そのぉ、俺の分って」
「営倉に入ってる人って何するかわかりませんしねぇ……」
そういうと浜風はくるりと踵を返して部屋を出て行く。
「あーッ!ちょっ、待て、待って!浜風さん!?ごめん!俺が悪かった、悪かったってぇ!ラボール巻きぃぃぃ!」
***
──今から数年ほど前の話だ。
「……」
「……あ」
男と女の目が合った。ほんの数分の短い話だが、それはこの出来事から始まる。
「……艦娘か」
忘れることなどできない。その日は息をするのも憂鬱な程の曇り空だった。もとより気分のいい場所にいるわけでもないので気にはしなかったが、それでも散歩に出ようかと考えた程だったのできっと滅入っていたのだろう。
だからだろうか。海岸線で倒れている艦娘を見つけた時、男は驚きこそしたが、取り乱すようなことはなかった。
男の小さく呟くような声に反応し艦娘が顔を上げた。瞳の光は既に消えかかっており、肩を震わす割に浅い息は、もう彼女が長くはもたないだろうということを示していた。
「……海軍の人……ですか」
「まぁ、そんなところだ」
男が無感情な声で答える。艦娘の顔が安堵したようにほころんだが、反対に男は目を伏せた。
この後この艦娘が何を要求してくるか想像に難くはない。だが、男にはその要求に応えてやれるだけの力も余裕もない。
だからこそ男は目をそらした。相手の失望する顔を見たくはなかったからだ。
「……すまないが、君を助けることは」
「あの子を……助けてあげてください」
「……何?」
思わず顔を上げる。
「多分……この近くに私っ、と、同じ……ように駆逐艦の子が……いる、はずです」
「駆逐艦?」
「い……いな、ずまちゃん、って、言い、ます。はぁ……ど、どう、っか……お願いします!」
男はこめかみに汗が滲み顔を伝っていくのを感じた。目の前の艦娘から発されるそのあまりにも強すぎる意志の力に圧倒されているのだ、そう気づくのに時間を要するほど彼女の気迫に呑まれてしまったのだった。
思わず後ずさる。そうさせた心の働きは果たして前向きなのか後ろ向きなのか。少なくとも男の心に畏れがあったのは間違いない。
「待っ……て!」
男の足首を艦娘の手が掴む。簡単に振りほどけるほどの弱々しい力のはずなのに男の動きが止まった。
艦娘が頭を上げ、血にまみれた顔に鬼気迫る表情を浮かべながら男に縋るその姿は、男がこれまで見てきた何よりも凄まじく、熾烈だった。
「……」
「……おねがい……しま……す」
小さな呟き。消え入るような言葉だったがいやに耳に響いた。そして──その呟きを最後に艦娘は事切れたように倒れこみ、気づけば男の足も自由になっていた。
「……ッ!おい、おいッ!」
男がやっとそう叫んだ時にはもう、そこには彼しかいなかった。恐らく艦娘はあのまま波にさらわれてしまったのだろう。目の前にいたはずなのにその瞬間を見ていない、覚えていないというのは──自分のことながらめちゃくちゃだった。
「……」
男の思考はそうしてひどくゆっくりと再始動した。自分はこれからどうするべきか。真っ先にそう考えた。あの艦娘の影響か。そうならば──
男は踵を返し走り始めた。あの艦娘に報いなければ、という使命感があったわけではないが流石に無視できる程非情な人間ではない。
もう一人流れ着いている保障はない。しかし探せるだけ探してやろう。男は広い海岸線を走った。もし流れ着いているなら時間はあまり残されていない。
「……!」
そして見つけた。大分遠くまで走ったように思う。肩で息をする男の視線の先には小柄な艦娘が倒れていた。ゆっくりと歩み寄り、顔を覗きこむ。弱々しく相手の瞳が動き、男の顔を捉えた。
「……大丈夫か」
こんにちは!ラケットコワスターです。祝☆十話突破。いかがだったでしょうか。
今回はついに電の過去について明かされました。割と重たい出会いだったんですね。やっと書けましたホント……今回一部の文は以前書き溜めてたのをそのまま流用してるので一部高校生の時書いた文が混じってるんですよねぇ(執筆秘話)。
やっと本格的に物語が動き始めました。何やら不穏な空気の定例会議、覚悟を決めた電、そして営倉でアホ面を晒す赤羽……今後どうなるのでしょうか。それでは次回をお楽しみに!