「……緊張してる?」
最上が軽く吹雪の背中を叩いた。
「だ、だだっ、大丈夫、ですっ!」
「駄目じゃねぇか」
天龍がやれやれと右手で頭を押さえた。
鎮守府南、工廠近くのドック。第九鎮守府を覆う高い塀がここだけには無く、目の前には水平線が広がっていた。ここから艦娘が海へ繰りだし、また帰ってくる。ここはいわば‘海の玄関口’である。
その内の一つに六人の艦娘の姿があった。艤装を装備し、戦闘準備を整えた彼女らには闘志がみなぎっているように見える。
「しかし……流石に第一艦隊となると緊張します……」
吹雪ほどではないにしろ、浜風もまた緊張した面持ちで水平線を見つめている。
今から第一艦隊が向かう海域は鎮守府から比較的近い位置である。
故に現れる深海棲艦も大して強くはなく、戦闘で深手を負う心配はほぼない――はずではある。
「……」
しかし浜風の脳裏には前回の出撃で山城が大破した、という事実が離れなかった。あまり強い敵が確認されてないとはいえ、現に山城は大破して帰ってきた。油断は禁物だ。
「……暇だ」
そんなドッグの様子を近くの工廠の二階の窓から眺めている人間がいた。
「あーここにいた!探したんですよ少佐!」
不意に現れた夕張に襟首を掴まれた。
「ほら、早く山城さんの艤装直さないとですよ!あとほんの少しなんですから!」
「おーう……」
赤羽の返事は素っ気ない。
「ん?」
ふと、工廠の方へ目を向けた浜風と赤羽の目が合った。
「……」
二人はほんの少しだけお互いの目を見つめたがまたすぐにそっぽを向いた。
「ほら、行きますよ!」
夕張は不格好なまま腕を組み横を向く赤羽の襟首をもう一度引っ張り、引きずるようにして工廠の一階へと連れていった。
「各艦、出撃準備」
赤羽が工廠の中へ引っ込むと同時にドッグのスピーカーから冷泉の声が響いた。それに合わせ日向、最上、天龍、そして浜風と吹雪の五人が横一列に並び水平線をのぞんだ。
「今回の作戦の目的は戦線の拡大。偵察ではなく敵の本隊を叩く」
五人は冷泉の声を聞きながら一歩前へ踏み出した。それぞれの前には黒いレールのようなものが敷かれており、足を乗せるとレールが青白く光った。
「目標はD地点。先の出撃でそこに敵の本隊を確認している。貴艦らの奮戦を期待する」
冷泉の口調は妙に事務的だった。
「……」
「出撃!」
冷泉の号令と共に五人の足に装着された艤装が勢いよくレールの上を滑走し、五人は海へと放たれた。
「視界良好、進路よし。索敵開始!」
偵察機が飛び立つ。三機の水上機は雲に紛れて見えなくなった。
***
「ぐへー、暇だぁ」
その頃工廠では。山城の艤装の修理も終わり、再び暇になってしまった赤羽がソファに寝そべりひどく気の抜けた顔をしていた。
「あぁ……また暇に……」
明石ですら別のソファに寝そべり、女性であることを忘れたかのようなだらしない姿勢をとっていた。
「二人とも……流石にだらしなさすぎますよ……」
そう言う夕張にいたってはコンクリートの床に敷かれたゴザの上にもはや雑魚寝してしまっている。
「山城は?」
「まだ疲れが取れないって言って間宮さんの所に食事に行きました」
「……」
「あ、また山城さんのこと考えてますね?やっぱり一目惚れしたんですか?」
「違うわ」
そう言うと赤羽は立ち上がり、背伸びをした。
「ちょっと出てくる」
「はーい」
必要最低限のことだけ言うと赤羽はまた背伸びをし、工廠を後にした。
***
「……」
一方第一艦隊。
「……ふむ……」
鎮守府を出て三十分は経とうかという頃。長らく艦隊を包んでいた沈黙を破ったのは日向だった。
「おかしいな。前はすぐに会敵したんだが」
先程から偵察機を飛ばしては着艦させ、飛ばしては着艦させを繰り返している。一向に敵の気配は無い。
「うーん」
最上が顎に手をあて思案する。
「……」
吹雪は緊張して黙りこくっている。
「なぁ日向、このままだと燃料が……」
「……ん、あぁ、そうだな。ふむ、ひとまずこの先の補給地点に向かおう」
日向が進路変更の指示を出した。天龍の進言に従ってとりあえず補給を行うことにしたのだ。
「補給地点?」
浜風が訝しげに言う。
「あぁ、そっか。浜風は初めてだったよね。ほら、僕達の鎮守府って貧乏だからさ、いつも燃料を満載できないじゃない?だから前にここに来たときに補給所を作ったんだよ。そこにいけば燃料も弾薬もあるし、ね?」
「なるほど……」
艦隊の進路が曲がる。浜風と吹雪もそれにならい東へ進路をとった。
「……」
しばらく無言の航行が続く。相変わらず敵艦はおろか海鳥の一羽も見かけない。
妙だ。もはや艦隊の全員がそう思っていた。浜風や吹雪はともかく、以前から第一艦隊に属する面々は前回の出撃時と比べてあまりにも穏やかな海に不安を抱かずにはいられなかった。
「……見えてきたぞ」
やがて補給所が見えてきた。小さな無人島のようだ。
「あれが……」
「うん。あれが補給地点。とりあえずあそこで弾薬と燃料を……あいてっ」
突然日向が急停止した。浜風に補給地点の説明をしていた最上はそれに気付かず日向と衝突してしまった。
「痛ったいなぁ……止まるなら止まるってちゃんと言ってよ……」
しかし日向からの返事はない。
「?……どうしたの?一体何が……」
日向の背後から覗きこむようにして最上が補給所の様子をうかがう。そして、彼女もまた言葉を失った。
見ると他の面々も同じ様子だ。
「ど……どうしたんですか?」
最後に浜風が身を乗り出した。すると、浜風の目に日向が言葉を失ったその理由、その光景が映りこんできた。
「えっ」
はたしてそこに補給所はあった。が、しかし。
「そんな……」
そこに補給物資はなかった。簡易的なキャンプは荒らされ、破壊されたドラム缶からは重油が漏れ出ており、弾薬は水に沈められている。そして極めつけは―――
「あいつらが……ッ!」
代わりにそこには大量の深海棲艦がいた。陣形を組み、まっすぐにこちらを見据えている。
「……戦闘準備ッ!」
日向が絞り出すように叫んだ。
***
「ここは……」
作戦司令室。仰々しい鉄の扉にはそう書かれていた。
「……」
結局赤羽は食堂へ向かったがそこに山城の姿は無かった。それからそのままふらふらと鎮守府内を歩き回り、現在に至る。
今、赤羽の目の前には鎮守府内でもそう見ない重厚な扉の前に立っている。
ここは作戦司令室。頑丈なその扉の向こうには今、作戦を遂行するためのスタッフ、そして冷泉と電がいる。
「……」
ふと、出撃していった第一艦隊の面々の顔が頭に浮かんだ。
「戦況はどんなもんかね……」
赤羽は第一艦隊の状況が気になり扉に近づいた。あわよくば通信を盗み聞きしてやろうという魂胆だ。
まぁしかし、ここは作戦司令室。盗み聞き対策をしてないはずがない。赤羽はそう思いつつ扉に耳を当てた。
「どれどれ……」
瞬間。赤羽の耳にけたたましい音が届いた。
「!」
「救援要請!?」
続いて冷泉の声。珍しくその声には焦りが感じ取られた。
「場所は」
「B地点です」
聞き慣れない女性の声。
「Bか、ならばまだ分岐点ではないな。山城と高雄を控えさせておいたはずだ。出撃準備をさせろ」
「で、ですが山城さんはまだ出撃できません」
通信手と思われる女性の声にもまた焦りが感じられた。
「なんだと?もう入渠は済んでいるはずだ」
「まだ疲れがとれないと……」
冷泉のうめき声。
「構わん、出せ。そんなもの待っていられるか……電」
「は、はいっ」
冷泉の声には感情を感じられなかった。冷泉から指示を受けた電が慌てて通信機の受話器を取る音がした。
「どれくらいで準備できる」
「三十分で準備できるって言ってるのです」
「遅い。十五分でなんとかさせろ」
「は……はい……」
再び受話器を取る音。
「……あれ?」
「どうした」
「い、いえ……なんでも……ないのです」
その時、電の耳は受話器からの声の他に革靴が木の床を打つような、乾いた音も拾っていた。
***
「うッ!?」
「浜風!」
水柱があちこちで上がる。敵艦隊に包囲され、なすすべも無く第一艦隊は敵からの砲撃を浴び続けた。日向や山城が果敢に応戦するが元々満載ではなかった弾薬は底が見え始め、次第に砲撃が弱まっていく。
「くッ!俺たちも撃つぞ!吹雪、構えろ!」
堪らず天龍が砲撃戦に参加する。しかし一向に敵の数は減るようには見えない。
「どうして……この海域ではこれほどまでの規模の艦隊は確認されてないはずなのに……!」
「鎮守府側からの救援は!?」
「山城と高雄が今出たらしい!」
「くそ……間にあわないぞ!?」
この海域は鎮守府が近くにあるということもあり深海棲艦を見かけることはあってもここまで本格的な艦隊が出張って来ることはない。前回の山城の件といい、完全に想定外だ。
「誰か!浜風の救援に向かえ!」
日向が叫ぶ。先程の砲撃で直撃は免れたものの浜風はダメージを受けていた。
「私が!」
吹雪が飛び出す。しかし横から砲撃を受けまた陣形に押し戻された。
「まずい、浜風が陣形から分断された!」
「おい!誰か行けないのか!?」
天龍が叫ぶ。しかし誰もそんな余裕などないことくらい彼女にもわかっている。
敵艦隊の旗艦らしき軽空母が咆哮した。動物の猛り声にも人間の悲鳴にも聞こえる気味の悪い声だ。
それにならうように他の深海棲艦も叫ぶ。一隻一隻はそれほど強くないにしても数が多い。まるで大軍団の鬨の声のようである。
「くっ……」
対して艦娘の側は誰も攻撃を仕掛けられない。じりじりと包囲網は迫り、単縦陣はいつの間にか輪形陣になり、少しずつ縮小していく。
陣形から離れた所でそれを見ていた浜風の頬を汗がつたった。状況はかなり悪い。本隊は敵に囲まれ、自分もまたそれ以上の数の敵に狙われている。迂闊に動けばすぐにでも蜂の巣だろう。
砲撃音がやむ。各々が波を分ける音だけが戦場に漂う。少しずつ、少しずつ包囲網は縮まる。
「うぅっ……」
やがて限界が来た。包囲網の一角からまた雄叫びが上がる。
「オオオオォォォッ!」
全体が鬨の声を上げる。敵陣の後方にいる軽空母が最後に叫んだ。
「ツブセ」
それはよくわからないうめき声のように聞こえた。でも確かに敵はそう言っていた。浜風の全身に恐怖が走る。
それと同時に全ての敵が包囲網を一気に狭め、艦娘に向けて突進してくる。応戦しきれない量だ。ましてや浜風にいたっては一人である。
「あ……あぁ……っ」
浜風は最早声もも出ない。呼吸が乱れる。汗が尋常じゃない。視界がぼやけ、思考力が失われた。
駆逐イ級が飛び出す。大きな口を開けて浜風に迫った。
刹那、浜風の世界から音が消えた。色も消えた。周囲の動きはひどく遅くなり、ただ浜風の思考だけが高速で働いた。いや、思考というよりは願望と言うべきかもしれない。
――死ぬ。
このままでは死ぬ。嫌だ。死にたくない。まだやり残したことが沢山ある。やりたいことだって山ほどある。せっかく生まれ変わったのに、もう自分はここで終わるのか。嫌だ。嫌だ。それは絶対に嫌だ。それだけは、絶対に――。
浜風が両腕で顔を被う。ゆっくりとイ級が海面から飛び出す。浜風にはもはや願う余裕すらなくなった――
しかし。イ級が浜風に向けて砲弾を撃ち込もうとしたまさにその瞬間、浜風の耳に音が響いた。小さな爆発音。それも、何発もの。随分と久しく音を聞いていない気がした。同時にイ級の悲鳴が上がった。
「!?」
時の流れが正常に戻った。音も、色も帰ってきた。
生きている。浜風の脳裏に真っ先に上がった情報はそれだった。
「何が……」
イ級は急速に浜風から遠ざかっていく。
何が。一体、この一瞬に、何が。
「後ろだッ!か、回避ぃッ!」
突然誰かの声が上がった。‘後ろ’という言葉に反応してとっさに振り替える。
「!」
浜風の視界に不自然な物が映りこんだ。青い水平線、その彼方から飛来する鉄の塊――
「戦闘機!」
一機の
「うッ!」
浜風が衝突の寸前にかわす。戦闘機は速度を緩めることなく戦場を横切ると急上昇し、戦場の空に陣取った。
「何だありゃあ!」
改めて天龍が声を上げる。戦闘機は悠々と空を舞い、次の攻撃の機会をうかがっているように見える。
「味方か……?」
日向が呟く。
次の瞬間、戦闘機が急行下した。
「!」
両翼に取り付けられた機銃が火を吹く。銃口から飛び出した弾丸は戦闘機より速く降下し、大口を開けて今まさに砲撃をくわえようとしていた駆逐ロ級に降り注いだ。
「味方だ……味方だぞ!」
日向が叫ぶ。
戦闘機はロ級の砲撃を阻止したことを確認するとすぐに機体を起こし、上昇する。
その時、ほんの一瞬、浜風と操縦席のパイロットの目が合った。
「えっ!?」
「浜風!」
浜風が驚嘆の声を上げると同時に最上が浜風の襟首をつかみ陣形へ復帰させた。
「大丈夫?」
「少佐です」
「えっ?」
「あの戦闘機に乗っているのは……少佐です!」
浜風が戦闘機を指さして叫ぶ。
「ええっ!?」
戦闘機が高度を取り戻す。
「……いいぞ、やっぱり元気じゃないか。お前」
戦闘機の操縦席。パイロットが目の前の計器に目をやりながらニヤリと笑う。
「よぉし!次はどいつだ!」
操縦席で操縦桿を握っていたのは赤羽だった。乱入者の正体は――赤羽興助だ。
***
「……まさか、いきなり飛ぶなんて言い出すなんてね」
第九鎮守府。赤羽が飛び去った後の水平線を見つめながら夕張が呟いた。
「あとで怒られないといいんですけどねぇ」
明石が緊急の機体整備で額についた油を拭いながら言う。
「どうかな、味方を助けにいったんだから大目に見てもらえるんじゃない?」
「そうじゃなくて。私達の話」
「あぁ……」
***
「誰でもいいぜ、相手してやる!」
「オオオォォォォォッ!」
深海棲艦が一斉に咆哮する。それは突然現れ暴れ始めた赤羽へのブーイングのようだった。
こんにちは!ラケットコワスターです!またもやお久しぶりです!……いやホントすみませんでした。どうにも学期末、テストやなんやかんやと忙しくて……言い訳ですね。はい。もっと頑張ります。
さてさて、第四話、いかがだったでしょうか。とはいえ前編。まだ後編が残っているのでどうとも言えないかもしれませんが……やっとお話が動かせましたね。それにあわせてかっこいい赤羽も書けました。嬉しい!このまま赤羽はかっこいいままでいてくれるのか……後編、頑張ります。お楽しみに!