赤羽の第一艦隊救援から一週間が経った。相変わらず第九鎮守府に目立った戦果、出撃は無く、人手不足の艦娘達は駆逐艦から戦艦まで資材集めの遠征に精を出していた。
「こんなに集めてるのになんでうちは貧乏なままなんですかね」
母港。重油が満載されたドラム缶を丁寧に降ろしながら浜風が愚痴を言う。その言葉には苛立ちが滲んでいた。
それにならうように若葉や吹雪たちもドラム缶を倉庫の前に並べる。ドラム缶を背負うために取り付けられた縄が食い込み肩のあたりに一筋の赤い痣ができていた。
「提督が変なことに使い込んでるんじゃないか?」
「本当にありえそうで笑えねぇよ」
若葉の言葉に天龍が真顔で返す。元より第九の艦娘達は冷泉のことが好きではない。その上冷泉は常に執務室を閉ざしており、普段の行動は電くらいしか把握していない。それだけに鎮守府内に冷泉の黒い噂が立つのはある意味仕方のないことであった。
「そうだとしたら何にだろう、最新の秘密兵器!とか?」
「さぁな。無駄口を叩いている余裕があるなら効率を高めてもらいたいものだが」
突然話題に静かに入ってきた冷たい声。最上の表情が引きつる。振り返らずともわかるこの無愛想な声。他の艦娘達の視界に映るいつもと同じ白い制服、いつもと同じクリップボードを片手に持ち、いつもと同じ不機嫌そうな顔。その神出鬼没さまで、何から何までいつも通りな男。その無機質な不変さには一種の不気味さすら感じる。
「て、提督ぅ……」
「時間が惜しい。補給が済んだらすぐにまた遠征に向かえ。午後の遠征計画に支障をきたしてくれるなよ」
それだけ冷たく言い放つと冷泉はクリップボードにペンを走らせ最上達を睨むように一瞥すると本館の方へと引き返して行った。
「……」
五人は去っていく冷泉の後ろ姿を忌々しげに見送った。どうにも冷泉の態度は冷たく、その上第九の労働環境は劣悪であり、艦娘達が置かれている状況は良いとは言えない。
「ほんっとに可愛げがねぇと言うかなんと言うか……」
天龍が去って行く冷泉の背中に向け、しかし聞こえないように絶妙な声量で吐き捨てた。それに釣られるようにその場にいた者は心なしか冷泉に冷ややかな視線を向ける。
「なんて言うか……よくわからない人ですよね……」
「まぁ、あっちもあっちで大概だと思うがな」
若葉はそう言って工廠の方をちらと見た。
「うおおおお!?」
男の叫びと同時に爆発音。音と同時に全員が目を瞑った。
「またか……」
ゆっくりと目を開け、再び工廠の方を見やると大きな窓から黒煙が上がっている。煙の中でプロペラが弱々しく回っているのだけがかろうじて見えた。
「まぁ……あっちは人当たりがいいだけ充分マシじゃねーか?」
「だらしないのでアウトです」
天龍の意見をぴしゃりとはねのけると浜風は工廠に目もくれず別館へ歩いて行った。
「なんだよお前この間仲直りしたって聞いたぞ?」
不機嫌そうに歩く浜風の後を天龍がニヤニヤと笑いながらついてくる。
「それはそれ、これはこれ。です。そもそもなんで提督はあの人を追い出さないんですかね。あれだけ好き勝手やってるのに」
「あー、確かにそうだね。提督って絶対少佐のこと嫌いだと思うんだけど」
天龍と浜風の間に滑り込むようにして最上が話題に入ってきた。しかし、そうだねと同意する割には最上の口調からは嫌悪感を感じられなかった。対して浜風は対照的に少佐という単語を聞いただけで顔をしかめる。
「どうでもいいじゃないですかそんなの」
「ものすごい嫌われようだ」
「吹雪はどう思う?」
「うーん……私は好きだけどなぁ。面白い人だし」
「……」
三人の背後で展開される若葉と吹雪の能天気な会話でさえ今の浜風にとっては不快なものに感じた。
***
「うひゃあ……ひどいですねこりゃ」
工廠。もくもくと立ち上る黒煙の中から顔を出した明石がため息をついた。
「ちょ……休憩!休憩ーっ!窓開けて窓!」
少し遅れて夕張が叫ぶ。
「ほら少佐!寝てないで手伝ってください!」
すすにまみれ床で伸びている赤羽を明石が半ば踏みつけるようにして叩き起こす。そこで初めて赤羽は飛び起き辺りを見回した。覚醒しきってないのか目をパチクリさせている。
「……車輪に爆弾をつけたあの新兵器はどうなった」
「よく今の一瞬で夢見れましたね」
赤羽はやれやれと軽く頭を叩きながら工廠の隅に置いてあった箱から缶コーラを一本取ると近くにあったガラクタに腰掛けようとした。
しかしその際夕張にすれ違いざまにコーラを横取りされ顔をしかめた。
「しかしこれもう直るのか?エンジン新品に取り替えた方がいいんじゃないのか?」
赤羽は仕方なく近くにあったモンキーレンチを手遊びの相手に選び、今度こそガラクタに腰掛けると黒煙を吐いている戦闘機のエンジンを指しながら切り出した。赤羽に向き合うように夕張がほこりがこびりついた汚い丸イスに腰掛け相手をする。
「うちには新しいエンジンを用意するだけのお金はありませんよ」
「くっそー……」
三人の前には一週間前鎮守府近海の空で暴れまわった零式艦上戦闘機、零戦の姿があった。空母娘が使う手のひらサイズのものではなく人間が搭乗して空を飛ぶ代物である。
もっとも、今はエンジンから黒煙を上げ飛べるかどうかわからない状態になっているが。
「そう言えば少佐」
「うん?」
「最近浜風ちゃんとはどうなんですか」
「うるせぇ」
「即答かよ」
赤羽は不快そうに顔をしかめた。
「なんでもこの間仲直りしたって聞きましたけど?」
「それはそれ、これはこれ。だ。だがまぁほら、確かにありゃ俺が悪いようなもんだし」
「あ、そこらへんは意外と理知的なんですね」
「意外とってなんだよ俺は普通に理知的だろうが」
「理知的な人はいきなり飛ぶかどうかわからない零戦で飛んでいったりしませんよ」
「うぐっ」
バツが悪そうに黙り込む赤羽。今思えば相当な無茶をしたものだ。目の前の零戦は見ての通りオンボロ、明石と夕張、ついでに赤羽の三人がかりで二日前からずっとメンテナンスを行っているというのにまるで機能が回復しない。一週間前の戦闘を最後に限界をむかえたようにも見える。ここまでボロボロの機体であそこまで激しい戦闘を行い帰ってきた。間違いなく墜ちてもなんらおかしくないレベルだ。冷泉があそこまで激怒するのも当然だ。
加えて修理が滞っている理由はもう一つあった。この機体は手を加えられ過ぎていたのだ。機体の隅から隅まで徹底的な改造が施されており、重箱の隅をつつくように点検した赤羽が「考え尽くされた美しい機体」と評した異形の戦闘機は明石と夕張を卒倒させるには充分だった。
「……もう正直このオーパーツいじくるの嫌なんですけど」
赤羽が黙った後話題の終了を悟った夕張が今度は目の前の零戦に話題を変えた。
「だーから言ってんじゃねぇか、無理に直さずとも新しく部品をだな」
「お金」
またしても黙り込む赤羽。
「……誰がこんな改造をしたんでしょうね……」
「さぁな。でもきっと凄腕の技師かもしくはパイロットだ。そこらへんの人間に考えつけるレベルの改造じゃない。戦闘機のことを知り尽くしてる奴の仕事だよ」
「そんなものが森の中に、ねぇ……?」
「あったモンはしょうがねぇだろ……」
夕張に疑惑の目を向けられた赤羽が工廠の隅に倒れ込んでいる明石に目をやりながら答えに困るように応じた。
夕張には未だにこれが信じられなかった。赤羽はこの魔改造された零戦を鎮守府西部の森の中で“拾った”と言うのだ。赤羽が浜風と森で喧嘩した日からしばらくして、突然荒縄を持って森に入っていったかと思うとこれを引っ張って出てきた。
二人は当初面食らったが、暇だったのも手伝ってこの零戦を洗浄、再塗装し、工廠の奥深くへ置いておいた。が、一週間前に突然赤羽がどこに用意してあったのか飛行服を着用して工廠に飛び込んで来るやいなや、
「あの零戦をだせ、今すぐ飛ぶ!」
などと言い出したのだから驚いた。しかもその正確に動くかどうかわからないもので飛んで行き、戦って帰って来たのだから驚きを通り越して笑ってしまった。
「……少佐」
「なんだ?」
黒煙がおさまりつつある機体を見やりながら夕張が二つ目の話題を振った。
「何であの時……飛ぼうと思ったんですか?」
「何でってそりゃあ……俺はパイロットだ。飛ばなきゃなんの役に立つってんだ」
「……」
違う。私が聞きたいのはそういうことじゃない―――
夕張が肩を落とす。彼女としてはそんな答えを期待していたのではない。
「少佐がいた空軍ってどんな所だったんですか?」
興ざめしてしまった夕張が唐突に話題を変える。
「どうした急に」
「あ、それ私も聞きたいです」
突然明石が起き上がり話に入ってきた。
「だって私達が船だった頃は無かったものじゃないですか。そりゃあ気になりますよ」
「あぁ……そうか。日本に空軍ができたのは戦後だもんな……」
二人は第九に訪れる前の赤羽の経緯について尋ねた。まだ彼女らが船だった頃、すなわち‘あの時代’の日本には空軍が存在しなかった。戦後、日本軍は再編されその中で赤羽の所属する日本空軍は作られた。明石と夕張にとっては未知の集団なのだ。興味がわくのも無理はない。それに、この男程のパイロットが所属していた空軍だ。さぞや優れた集団だったのだろう。
「……うむむ」
目を輝かせ迫る二人の予想に反しどうにも赤羽の返答は歯切れが悪い。
と、ここで昼食を知らせるラッパの音が鎮守府内に響いた。
「あらら……ご飯の時間になっちゃいましたね。しょうがない、今度聞かせてくださいね!」
「え、あ……お、おう」
歯切れが悪いままの赤羽をそのままに明石と夕張は素早く立ち上がるとそそくさと工廠を出ていった。
「……」
二人が脱兎の如く工廠を後にするのを不思議そうな顔で見送りながら赤羽がゆっくりと立ち上がる。別に二人と食事を共にしたかったわけではないがどうも二人の態度が気になった。
と、ここで赤羽は自分の足元の紙切れが落ちているのに気がついた。
「なんだ?メモ?」
拾い上げ目を通す。
『零戦は今結構危ない状況なので私達が帰ってくるまで見張りお願いしますね!くれぐれもどこかへ行ってしまわないように!』
「……嵌められたあぁぁぁぁぁ!」
***
昼。食堂で働く間宮や第九のスタッフ達にとってこの時間帯が一番忙しい。どういうわけか常に資金難に喘ぐ第九の資金源としてここだけは一般に開かれており、艦娘やスタッフだけでなく、第九が置かれている島の住人達も訪れる。それ故に食堂は第九の中でも比較的清潔で人の往来も多い。島民達の職場にもなるので人間より艦娘や妖精の人口が多い鎮守府という特殊な環境の中にあってここだけは人口密度が高く、別の世界にあるようだった。
「……うーん、たまにはラーメンとかもいいかな……」
そんな食堂の入り口に置かれた数台の飾り気の無い券売機。その右隣に置かれた背の高い看板に貼り出されたメニュー表を眺めながら浜風が呟く。既に彼女の味覚はラーメンを受け入れる態勢にシフトしており、今の彼女の関心はそのラーメンを醤油味にするか味噌味にするか、更に味玉を二個にするか否かにあった。
「あ、浜風じゃなぁい」
突然横からいたずらっぽさが漂う声が飛んできた。振り返ると明石と夕張が無邪気に手を振っていた。
「あ、どうも……」
「あれ、一人?」
夕張は浜風に気軽に話かけながら券売機に紙幣を挿入し、迷わず‘特盛りラーメン’と書かれたボタンを押した。後ろから明石が首を伸ばし、夕張の選択を観察する。
「あれ?減量するからラーメンは控えるって」
「無理はよくないじゃない」
「良いこと教えてあげようか?それ三日坊主って」
「うるさーい!」
向こうから話かけてきたというのにいつの間にか蚊帳の外に放り出された。浜風は暴風雨のような二人の様子に唖然とする。
「……やっぱりうどんにしておこう」
浜風の指が味噌ラーメンのボタンの右隣の関東風きつねうどんのボタンへスライドした。
***
「それで朝からずっと遠征に?それは大変だったね……」
明石がカツ丼をほおばりながら半ば他人事のように言葉を発する。
「まぁいつものことですけど流石にキツイですよ……なんでうちってこんなに貧乏なんですか……」
浜風が油揚げを噛み千切る。
「うーん……実を言うと
夕張はと言えば器用に野菜の山を崩し麺をすすっている。
「そうなんですか?」
浜風が眉を吊り上げる。明石と夕張は同時に頷いた。
「他の鎮守府だと資材を使うことなんて兵装の開発と艤装の修理、補給くらいしかないから自然と資材の使い道は工廠が全部把握してるって状況になるらしいんだけど、どうもうちはそれ以外にも何か使ってるらしくて。使い道がわからない資材の消費があるみたいなの」
「そんな馬鹿な」
「残念だけど本当。提督も知ってるっぽいんだけど特に何か対策をしてるってわけでもないから多分提督が何かしらの理由で使ってるんだと思う」
「……」
そこで突然三人が黙った。特に何か意識したわけではない偶然の沈黙だった。
「……いや、何というか……すみません、愚痴っぽくなっちゃって」
「はは、いいよいいよ」
浜風がバツが悪そうに謝ると二人はころころと笑う。浜風は苦笑いを浮かべ話題を変えた。
「……二人は今日は何を?工廠が大変なことになってましたけど……」
「一日中あの零戦の修理。まさかあんなに改造されてるとは思わなかった……」
「あぁ……少佐が乗ってたアレですか」
明石が自嘲的に笑う。
「一昨日からずっと修理してるんだけどね……まるで駄目。まぁ直ったら直ったでまた暇になっちゃうんだけど」
「……そういえば少佐は?まさかまたサボって」
「いやいや。今あの人は工廠。それこそあの零戦がぐずりだした時の為に残ってもらってる」
「へぇ……」
浜風の返事には猜疑的な響きがあった。あの赤羽が大人しく工廠で留守番などしていられるのだろうか。
「あ、さては信じてないね?」
「あ、いや……別にそういうわけじゃ」
しかし赤羽と常に仕事をしている二人の手前、本音を見せるわけにはいかない。浜風はまた苦笑し、なんとかごまかそうとする。
「まぁね、そもそも私達以外あの人と会う機会も少ないし。そう思われちゃうのもしょうがないかもね」
「……誤解してる、ってことですか?」
予想外の話に思わず本音を隠すのを忘れる。
「結局あれから時間外の外出は一切しなくなったし、そもそも仕事がある時は前からまぁそれなりに真面目に働いてたしね」
「……」
「まぁ……確かに時々うるさいけどね。でも楽しい人だし、基本的に仕事自体には真面目な人だよ。仕事自体にはね。誤解、ってまで言っちゃうのは言いすぎだとは思うけど」
「……なるほど」
浜風が短く返事をする。うどんの器に目を落とすときつね色の汁に映りこんだ自分の顔が不服そうな顔をしており、急いで表情を作り直した。
正直聞きたい話ではなかった。嫌っている相手の‘良いところ’など大抵は知りたくないものである。自分が嫌いになるほどの悪人なら頭からつま先まで悪人でいてもらいたいものだ。
と、その時である。
「あ、あのっ」
「!」
電だ。冷泉ばりの神出鬼没さである。いつの間にか三人のテーブルの傍に立っていた。
「あ、あぁ……電ちゃん。どうしたの?……ていうか誰に用事?」
「浜風ちゃんに……」
「え、あ、私?」
名前を呼ばれた浜風は慌てて電に向き合った。
「これを提督から……それと、三十分後に会議室に来るように、と……」
「会議室?」
電から差し出された封筒を受け取り、浜風は怪訝そうに復唱する。
「そ、それじゃあ電はまだお仕事があるのでっ!」
そう言って電は足早にその場を去った。
「……」
「そう言えばさ」
浜風が受け取った封筒を見つめながら黙っていると夕張が口を開いた。
「電ちゃんはどうなんだろ?」
「え?」
「ほら、さっきの資材の話。電ちゃん秘書艦でしょ?少なくとも私達よりは提督のやってることわかってるはずなんだけど」
「あー……」
明石と浜風が同時に声を上げる。電は冷泉の秘書。しかも冷泉は電だけはいつも傍に置いている。ということは冷泉の仕事を全部とまではいかないまでも、それなりの範囲で把握しているはずなのだ。浜風としては電が汚職に関与している可能性など、考えたくもなかったが。
「……まぁ、とりあえず行ってきます」
「はーい、いってらっしゃい」
それからしばらくして、食事を終えた浜風は二人に別れを告げ立ち上がった。電から渡された封筒をスカートのポケットに入れ、手袋をはめなおし、スカーフを直し会議室へ向かう。
食堂を後にし、廊下を通り外へ出ると、広場の噴水を横目に本館へ入る。これまた長い廊下を渡り階段を上がる――この階に今回指定された会議室はあるはずだ。
「……ん?」
ふと、会議室近くの道に見慣れぬ影があるのに気づいた。それなりに大きく、微動だにしない。
近づくにつれ、段々とはっきりと見えてくる。人だ。尻を突き出すような不恰好な体勢でうつ伏せになっている。
「……え」
赤羽だ。廊下に倒れこんでいたのは赤羽だった。もはや浜風の理解力を越え、彼女はため息をつくほか無かった。
「何してるんですか少佐……だらしないですよ起きてください」
浜風はできるだけ皮肉げに聞こえるように近づき声をかける。正直話したくない相手ではあるがこのまま放置するわけにはいかない。
「……少佐?」
しかし赤羽は弱々しくうめくだけで反応が薄い。不審に思った浜風は赤羽をひっくり返した。
「うわ!?」
見ると赤羽は恐ろしく悲壮感の漂う表情をしていた。まるで死にかけの様相だ。
「昼メシを……食って、ない……」
「なんでお昼一回抜いたくらいで死にかけてるんですか!」
「やべぇ……目まわってきた」
「ていうかなんでここに……やっぱり工廠で待ってなんかないじゃないですか……ん?」
ふと、そこで浜風は赤羽の震える右手に紙が握られているのに気がついた。物々しい雰囲気の茶封筒。くしゃくしゃになっているがこれは先程浜風が電から受け取った物と同じ物だ。そしてここは集合地点に指定された会議室。
つまり。これが意味することとは。
「はああぁぁぁぁ!?」
浜風が叫ぶ。
「少佐!ちょっと!なんであなたが呼ばれてるんですか!?」
弱々しく返事をする赤羽の胸倉を掴みゆする。赤羽の首が生まれたての赤ん坊のように危なっかしく揺れた。
「やべろのうがゆれるう゛っ」
「答えてください少佐……!なんであなたまでここにいるんですか……!」
赤羽は答えない。しかし代わりに彼の腹が大きな音をたてた。
「……」
「……もう!わかりましたよ何か買ってくればいいんでしょう買ってくれば!」
浜風は赤羽の胸倉を掴んでいた手を放すと踵を返し食堂へ戻ろうとした。一方赤羽は糸が切れた操り人形のようにべちゃりと廊下に倒れこんだ。
「……ラボール巻き、が、いい」
「ラボール巻き!?」
***
「本当にあった……でもなんで私がこんなこと……」
数分後。浜風はぶつくさ言いながら再び会議室へ向かっていた。手には赤羽が指定したラボール巻き。初め聞いた時は何かわからなかったが間宮に頼んでみると出てきたのは少し長めの細い海苔巻きだった。中身はかんぴょうや紅生姜、おかかなどシンプルなものが一本ずつ別々に入っていた。間宮が言うには航空兵が空で食べる為に開発された携行食らしい。
「少佐ー、持ってきましたよラボール巻き。これでいいですか?」
浜風は相変わらず床に突っ伏したままぴくりとも動かない赤羽の前で海苔巻きをちらつかせた。
しかし反応が無い。
「少佐ー、聞いてます?」
「……」
「もう!返事してください!」
浜風はそう言うと赤羽を無理やり起き上がらせた。見ると口が半開きになっている。
「……」
一瞬の沈黙。浜風は意を決したように赤羽の頬を掴み――
そのまま口にラボール巻きを押し込んだ。
瞬間、赤羽の目が見開かれ、凄まじい勢いでラボール巻きが短くなっていく。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ!?」
先程までの瀕死っぷりはどこへやら、死にそうな雰囲気から一転、数本のラボール巻きを一気に食した赤羽は完全にいつもの調子を取り戻し、無駄に良い姿勢で廊下に立った。
「生き返ったァ!流石ラボール巻き……シンプルながらに味覚を刺激し、丁度良い量で腹も苦しくならない。まさしく至高の食い物だな!」
「……はぁ」
一方浜風はと言うとげんなりした顔でそんな赤羽を見ていた。
「……さて」
そう切り出すと赤羽は振り返り、
「悪いな。礼は言う。“ありがとう”。じゃ、俺はこれで……」
そう言って赤羽は踵を返し会議室へ入っていこうとした。
「あああ待ってください!」
浜風は素早く手を伸ばし、赤羽の襟首を掴んだ。急に動きを止められた赤羽は首がしまり、情けない声を上げた。
「何すんだこの野郎」
喉を押さえながら振り返る赤羽。浜風はスカートのポケットから若干はみ出していた茶封筒を抜き出すと赤羽の前に突き出した。元より彼女の目的は赤羽の蘇生ではない。この茶封筒。赤羽が持っている封筒について。それが知りたいがためにわざわざ食堂にまで出向いたのだ。
「これ。少佐も同じものを持ってますよね」
「……おい嘘だろ」
みるみる赤羽の顔が歪んでいく。
「工廠にいたらいきなり高雄がこれを持ってきてここへ来いと言われたんだが……」
そう言って赤羽も封筒を取り出した。浜風の顔から血の気が失せていく。食堂にいた時の自分と同じ状況だ。嫌な予感が加速する。
「まさか……同じ内容が書いてあるなんてことはないですよね」
「そんなわけあるか。同じ内容だったらこっちから願い下げだ」
しかしお互いの手は震えている。実を言うと二人とも薄々感づいているのだ。
――この封筒には、恐ろしいことが書かれている――。
「……もう嫌だ……」
「やめろまだ決まったわけじゃないだろ」
「だったら開けてみればいいじゃないですか!」
「できるか!まだ開けていいって言われてねぇだろ!」
「なんでそういうところだけ変に真面目なんですか!」
「変にってなんだよお前それは軍人として基本だろ!」
「はぁ!?今更あなたが軍人の基本を語るんですか!?」
始まってしまった。こうなると止まらない。少しづつ二人の声量は高まり、やかましく騒ぎ立て始めた。辺りに誰もいないだけに声がよく通る。
二人は興奮し、次第にボルテージが高まっていく。二人分の声が高まり、最大限に高まった瞬間。
会議室の扉が開いた。
「……お取り込み中のところ申し訳ないが、中でやってもらえないか」
沈黙した二人の代わりに誰かが口を開いた。会議室から出てきたのは日向だ。
「……日向?」
赤羽の間抜けな声。
「ああ。特殊作戦支援艦隊‘旗艦’、日向だ」
***
「それで……そこで口喧嘩に発展した、と」
「はい……」
「おっしゃる通りでございます……」
数分後。会議室に入った二人は長方形を成すように置かれた長机の一辺を挟むように日向と向き合あっていた。中には日向の他に最上がいた。困ったように苦笑いを浮かべ、遠巻きに三人の様子を見ている。
「ふむ……本当に仲が悪いな君らは」
日向は腕を組み続けた。その表情には一種の呆れと困惑が滲んでいる。
「無理に仲良くしろ、などというつもりはないが、少なくともこれから一緒に戦場に出ることになるんだ。仲が悪いというのは時に致命的になる。それは認識してもらいたいところだが……」
日向の発言に赤羽と浜風が同時に顔を上げる。
「……やはり」
「ああもう……お先真っ暗だ……」
二人の反応に日向が怪訝そうな顔をする。
「あれ?ひょっとして二人ともなんで呼ばれたのかわかってない?」
突然最上が会話に入ってきた。二人が最上を顔を見ると最上はズボンのポケットに手を入れ、そこから一枚の茶封筒を取り出した。封が切られている。
「……あれは別に読んでもいいものだぞ」
それを見た日向がそう言うと二人は音を立て椅子からころげ落ちた。
「まぁ、もうだいたい中身について察しはついているだろう?」
「う……ま、まぁ……」
浜風が薄笑いを浮かべる。その瞳には一切の希望が感じられない絶望感が感じられた。
「今回私達が集められたのは新艦隊結成の為。第四艦隊、‘特殊作戦支援艦隊’。それが艦隊の名前だ。メンバーは私、最上、浜風、そして少佐の四人だ」
浜風が勢いよく日向の顔を見る。
「四人だけ!?」
「嘘だろ!?」
同時に赤羽も声を上げた。それを合図に二人が顔を見合わせる。
「四人だけ!?」
また声を上げる。
「四人だけだ」
日向の返答に赤羽と浜風はうなだれた。それなりに人数がいればお互いに関わりは少なくても済むが四人となればそうはいかない。嫌でも関わりが増えるだろう。
「不服か?」
突然、底冷えする声。
――この声はッ!
その声に本能的な恐怖を感じ取った赤羽の首がぎりぎりと音をたて回る。
「て……提督ぅ……い、いつからそこに?」
「つい先程だ。全員居るな。まぁ当然だが」
冷泉だ。入り口のすぐ前に座っていた赤羽の背後にいつのまにか立っていた。赤羽が振り返ったことで二人の目が合う。
次の瞬間、冷泉が手にしたクリップボードで赤羽の頭をはたいた。
「あだっ」
「お前の席はそこではない」
そう言うと冷泉は顎で別の席を指した。見ると一脚のパイプ椅子が空いている。既に他の椅子には浜風、日向、最上の三人が着き、すました顔をしていた。
「お前ら……」
「いいから早く座れ」
冷泉に催促され、赤羽はそそくさと席を移動した。それを見ると冷泉もまた席に着く。五人が円卓に着いたかのような緊張した空気が流れた。
「さて。さっさと本題に入ろう。今回お前たちを集めたのは新艦隊結成の為だ」
冷泉は小脇に抱えていたクリップボードを取り出しテーブルの上に置くといきなり切り出した。
四人の顔が引き締まる。
「構成員は今この場にいる四人。赤羽、お前も戦闘員として扱う」
「え」
赤羽が面喰らったような顔をした。
「先の海戦でお前の行動には問題しかなかったが少なくともお前は航空兵としての有用性を証明してみせた。お望み通り航空兵として扱ってやる。そうでなければ明石と夕張にあの機体を修理などさせん」
“お望み通り”と言う点が妙に皮肉げであったが当の赤羽はやや口元を歪ませ、あまり気にしていない様子であった。赤羽にとって母港で慣れない整備作業をし続けるよりこちらの方が良いのは明白だった。
「……さて、先日の第一艦隊と深海棲艦隊との海戦についてだ」
冷泉がちらと赤羽を見やり続ける。
「日向の報告によると先日第一艦隊と交戦した深海棲艦は口答での指示、連携を行っていたとあるが、そこは間違いないな?」
「間違いない」
日向が返答する。
「ふむ……そうか」
冷泉が手元のクリップボードにペンを走らせる。
「やはり、問題に?」
日向の問いに冷泉のペンが止まる。
「……話題にはなった」
「話題?」
日向が訝しげな、少し苛立ちの混じった声を上げる。冷泉が初めて顔を上げ、日向を見やった。
「これだけのことが“話題にはなった”程度なのか?」
日向の言葉には少しとげがあった。そこに関しては浜風も同感ではあった。あの時、自分達の身に起きたこと。深海棲艦達の未知の行動。それなりに大きなことが起こっているはずなのにこれは―――いささか危機感に欠けてはいないだろうか。
それに対し冷泉は口を閉ざし、下唇を噛んでなにやら思案するような素振りを見せた。
「……まぁ、いいだろう」
そう独り言を言うとそのまま続けた。
「実は……今回が特異なケース、と言うわけではない」
「……というと」
「最近、深海棲艦の戦略、連携の取り方、あらゆる面において奴等は変わってきている」
最上が面食らったような顔をした。対して日向は神妙な面持で質問を飛ばす。
「つまり、今回のようなケースは他にもあった、と」
「そうだ。単冠湾グループ海域外でもそういった連中は多く目撃されている。現在大本営でも調査が進められているというがな」
「……提督、まさか僕達が集められた理由って」
冷泉と最上の目が合う。
「……第四艦隊は第一艦隊とは別に分けた主力艦隊。今後、敵の作戦行動はより複雑化することが予測される。それだけにこちらも常に自由に動かせる戦力が必要なのだ」
第四艦隊が結成された理由はこれだった。第九鎮守府は人員不足――というよりは練度の高い艦娘が不足している。そのためそういった艦娘達を主力艦隊に集中させてはいざという時戦力を分散させなければならなくなってくる。ならば始めから分散させ連立させてしまおうという考えだ。
「いいな?日向」
「……わかっているさ」
話がとんとん拍子に進む。冷泉が放つ威圧感に呑まれないのが精一杯な浜風にはもはや話がどこへ向かっているのかわからない。
「任務や演習の連絡は随時行う。何か質問がある者は」
「……あっ、はい」
‘質問’という単語に反応し、やっと浜風が会話に入った。右手を上げ、冷泉の視線を自分に引き付ける。
「なんだ」
「え、えぇと……その……少佐のことについてなんですが」
「……」
赤羽が少し俯いたまま表情を強張らせた。
「……いくら先日の海戦で実力を見せたとはいえ少佐はあくまで人間です。我々や深海棲艦の戦場で戦うというのは……」
これが最大の疑問だった。艦娘と深海棲艦は人間の姿をしているとはいえ実際の人間とは比べ物にならないほどの身体能力、戦闘力を有している。いくら赤羽が優秀なパイロットとはいえ、その実力差は歴然としている。それがわからない冷泉ではないはずだ。なのにそんなことにただでさえ乏しい第九の資材を割くというのは―――
「……整備兵にしておくよりはまだマシと判断しただけだ。使えるものはなんでも使う」
「ですが……」
「……容赦ねぇな二人とも……」
誰にも聞こえないように独り言を言ったつもりだったが冷泉と浜風が同時に赤羽に冷ややかな視線を投げた。そのまま冷泉は浜風に視線を移した。すぐに口を開きはしなかったがその視線には一切の意見を受け付けない、嫌な部類の意思の堅さが感じ取れた。
「指令には従ってもらう。ともかくこいつは今日から整備兵ではなく航空兵とする」
「……」
浜風はしぶしぶ引き下がる。
「他にはいないな?ではここまでだ。解散」
***
「さて……そういうことだ。これからはこの四人でやって行く。よろしく頼むぞ」
会議が終わり冷泉が去った後、日向が沈黙を破った。全員が日向に注視する。
その表情は様々だった。闘志を燃やす者、この世の終わりのような表情の者、ほんの数人であるのにも関わらず見事なほどに違いが出ていた。
「四人か……」
「だ、大丈夫だってなんとかなるよ。ね?」
「まぁ、ともかくまだ始まったばかりだ。気楽に行こう」
第四艦隊は四人。冷泉はこの艦隊の力をどれほどのものと考えているのか。この艦隊にはどれほどの力があるのか。
少数精鋭か――
ただの寄せ集めか――
それはこの時点では、まだ誰も知らないことであった。
「とりあえずなんとかして零戦直さねぇと……」
お久しぶりです!ラケットコワスターです!やっと第六話、投稿できました……思ってた以上に忙しい毎日でした。受験なめてましたわ……
さてさて、第六話、いかがだったでしょうか。今回はギャグに全振りしたギャグパート。第九鎮守府の日常の一場面など書いててなかなか面白い回ではありました。めちゃくちゃ難産な回でもありましたがね……ともかく、ついに結成された第四艦隊、彼らの今後の活躍にご期待ください!ではまた次回!