今になって最上の口調が原作通りになってないことに気づきました……今更修正するわけにもいかないのでこのままいかせてください……
さざ波がにわかに暴れる。穏やかな波が消えうせ、同時に一定の質量を持った物体が高速で通り過ぎ新たに生まれた波を破壊していく。
「右舷に敵影四!」
浜風が叫んだ。
「敵艦確認……狙え!」
日向に声に呼応するように最上と浜風が艤装を持った手を敵に向け照準をつける。
「浜風は後ろの二つを!僕は前の二つをやる!」
「わかりました!」
空にプロペラが空を切る音が響く。赤羽だ。零戦は調子を取り戻し、空を縦横無尽に駆けている。
機体の銃口が宙に浮く目標を捉え、狙いをつけた。
「そこだ!」
機銃口から銃弾が飛び出し、空に陣取る目標が破裂していく。破片が揚力を失い、下の三人に降り注いだ。
しかし三人はそんなことを気にも留めずに目標へ砲口を向けることを止めない。
「撃て!」
爆音が一斉に海に轟いた。零戦が吐き出す銃弾より数倍大きな白熱した砲弾が弧を描く。
着弾。数キロ先の目標の間を縫うように大きな水柱が数本上がる。
「夾叉確認!」
「次だ!」
次弾が撃ちだされる。しかしまた数本の水柱が上がっただけだった。
「外した……」
「雷撃用意!」
海戦は次の段階へ移行する。夾叉が繰り返され動きが止まった目標へ向け一撃必殺の魚雷を叩き込み決着をつける気だ。
浜風の艤装が動き始めると同時に最上も魚雷を取り出し海中へ放る。
日本海軍が運用する酸素魚雷は航跡の隠匿性の高さ、高速かつ長大な射程など魚雷としては極めて高性能なものだ。真っ直ぐに目標に向かって進んでいく。目標は魚雷の航跡に気づかないのか先程から全く動こうとしない。
「着弾!」
目標に魚雷が突っ込む。先程の夾叉弾以上の水柱が上がる。水柱に混じって木片が散った。
「よし!……ん?」
しかし。激しい水しぶきの中から射ち漏らした目標が現れる。
「しまった殲滅しきれていない!」
「任せろカバーする!」
無線機から赤羽の声がしたかと思うと頭上の零戦が軌道を変えた。
「……!待って少佐!背後に敵機確認!」
「うっ!?」
最上の声を聞き操縦席の赤羽が振り返ると機体の後ろに何かがいる。
「しまっ……う、おおおおおおっ!?」
敵の機銃口が赤羽をとらえる。背後につかれ、同時に機動に要するエネルギーも残されていない。万事休す。装甲の無い零戦では敵の攻撃に耐え切れず機体は燃え上がるだろう。哀れ、赤羽興助、死す――
「そこまでだ」
と、そこで日向が動きを止めて右手を上げる。同時に最上と浜風も立ち上がり大きなため息を吐いた。
「また連携失敗だな。反省会だ。少佐、下りてきてくれ」
「下りたくない」
「下りてきてくれ」
「はい……」
第四艦隊の演習は朝から続いていた。そのせいで第九のドックには艤装の砲撃を受け破壊された的が大量に転がっていた。これまでにすでに数十回は何かしらの理由で作戦を失敗している。演習の時点でこれなのだから実戦になったらどうなってしまうのか。
「それにしてもなんで毎回すぐ被撃墜判定出すんですか」
「しょうがねぇだろ、飛んでんの俺だけなんだからそりゃ墜とされるわ」
「“演習弾撃っても構わないぞ、どうせ俺には当たらないしな。キリッ”なんてやってたのはどこの誰ですか」
「あああうるせぇ言うなあああああ!」
ドックでの反省会。浜風が赤羽を追及した。事実、ここ何回かのシミュレーションで赤羽はほぼ毎回撃墜されている。あの海戦の時のようなキレはなかった。
「そういうお前だってなんだあの命中率。目も当てられないじゃねぇか!」
「言わないでください気にしてるんですから!」
「まぁまぁ二人とも……そうは言っても少佐の撃墜数はやっぱりすごいし、浜風だって雷撃戦のスコアはよかったじゃないか」
最上が二人をフォローする。それを聞くと二人はまんざらでもなさそうな顔をした。反面、日向はため息をつく。
「もっとも、少佐が撃墜したのはただの風船、浜風が雷撃したのも完全な静止目標だがな」
「う……」
「まぁ、確かに褒められる箇所もあるんだがな……毎回大事な所で失敗していては意味がないだろう」
第四艦隊が結成されたまではよかったが、毎回毎回出撃のお呼びがかかるのは第一艦隊だった。主力艦隊が二つに増やされてからにわかに第九の出撃回数は増えたが何故か第四艦隊の出番は全く無かった。恐らく、現段階で課題を多く残す練度上の問題なのだろうが、出撃命令がかからないというのは同時に艦隊の経験がまるで積まれないという問題も引き起こす。多くの鎮守府は新艦隊を結成すると簡単な任務に就かせ、経験を積ませるものなのだが第九にその余裕は無い。故に即戦力でなければ実戦にも行かせてもらえないのだ。
「今日はもうこれ以上やっても改善は見込めないな。実戦演習はここまでにしておこう。今夜もう一度会議を行う。それを元に明日また演習だな」
「……ねぇ、日向」
「?」
「あまり言いたくないんだけど、この訓練でどこまで効果が望めるのさ」
「……」
珍しく最上がとげのある言い方をした。
第九は他の鎮守府とは違う。軍隊とは常に膨大な資金が必要であり、特に戦後、軍事に対する一種のアレルギーが根付いてしまった日本では無い無い尽くしで運営している軍事基地は海軍だけの話ではない。しかし第九の不足欠乏は輪をかけてひどい。それだけに高い水準の訓練が行えないという軍隊としてはあまりにも致命的な問題を抱えており、多少のリスクを負ってでも実戦を繰り返した方がよっぽど効果的なのだ。
「だからといって何もしないわけにはいかないだろう」
最上の言葉に日向が冷静に返答する。最上は答えずそのまま少し俯いた。
「わかっているさ、この後もう一度提督に具申しておく」
「お願い」
***
「どうにも上手くいかねぇなぁ……」
数分後、赤羽、浜風、最上の三人は日向と別れドックと本館の間の道を歩いていた。森から東門へ続く一直線の道だ。第九を横断するように引かれているこの道は、かつてここが航空基地だった時の滑走路の一部だった所らしい。
「なんでだろうね……皆実力は充分なんだけど……」
「すみません……私が至らないばかりに」
「浜風は悪くないよ、僕だって反省点はいっぱいあるし」
「……」
「提督、もう無理です」
「ん……?」
ふと、前方で何かを訴えるような声が聞こえた。目えを凝らして見てみると、高雄と冷泉が何やら話しこんでいる。高雄の背後には第四艦隊と時を同じくして再編された新第一艦隊の面々、天龍と吹雪が続いていた。本来ならここに山城もいるはずなのだが、今その姿は無かった。
「まだ小破だ。戦闘を行えと言っているのではない。充分遂行可能だろう」
「そうじゃなくて……!」
高雄の訴えを聞き入れない冷泉。高雄に限らず後ろの二人にも端から見てとれる程に疲れがにじんでいた。ここで高雄が主張しているのは艦隊の疲労だろう。
しかし冷泉は聞く耳を持たない。冷泉が指示しているのは偵察任務。極力戦闘は避け情報収集に徹しろというのだ。それならばまだ小破程度の被害なら充分に遂行可能だろうというのが冷泉の判断であった。
「……あれ、吹雪……!?」
その時、浜風が高雄に立っている吹雪の姿を見つけた。他の二人の背が高いからか、子どものような体躯の吹雪の存在は浮いて見えた。
「ホントだ、吹雪だ……新しく第一艦隊に抜擢された
「吹雪は第一艦隊に抜擢されたのに……私ときたら」
先日まで一緒にいた吹雪の大抜擢に浜風は肩を落とした。なんだか急に大きな差をつけられたように感じた。
「ま……まぁまぁ、第四艦隊には僕らもいるし」
「えっ!あっ、すいませんそんなつもりじゃ……!」
「気を張りすぎだよ浜風。もっと気楽にいこ?ね?」
最上に言われ、浜風が気を取り直す。その間にも冷泉と高雄の話は続いていた。
「まだ異議を唱えられるだけ元気が残っているようだが?悪いが休息は認められない。そも遠洋まで出ているわけでもあるまい。再出撃だ。まだ情報が足りん」
「……」
結局先に高雄の方が折れ、黙り込んでしまった。冷泉はそのまま背を向け、別館の方へ歩いていった。
「大変だね、第一艦隊も」
最上がひとりごちる。その声が聞こえたのか、振り返った高雄と目があった。
「あら……ごめんなさい。変なところ見せちゃったわね」
「あ、いえ……」
浜風と最上が第一艦隊と合流する。近づいて見るとやはり三人とも疲れた顔をしている。それを見ると浜風は耐え切れなくなり口を開いた。
「ひょっとして朝からずっと……」
「まぁな……まだ慣れてる連中はいいが……その……」
高雄の代わりに天龍が答える。それを聞くと吹雪が一瞬体を震わせた。
「わ、私は大丈夫ですっ……!」
そう言って見せるものの腕を押さえる姿は見ていて痛々しい。しかし実際艦娘の体は人間の数倍丈夫にできており、この程度の負傷は‘小破’となる。見た目の割にはまだ傷は浅いと判断されるレベルらしい。
「いや、すまん。そんなつもりで言った訳じゃないんだが……」
少し前の最上のようなフォローをする天龍。そういう彼女の腕にも大きなすり傷があった。
「ちょっと……疲れが見えててね……何故か最近急に出撃回数が増えて……」
「なんでまたそんな」
「さぁ……
「あー……うん、まぁそれなりに色々やってるよ」
とてもではないが一切出撃していないなどとは言えない。二つの
「そういえば少佐はどうしてるの?零戦の調子が大分悪いって聞いてたのだけど」
「だってよ少佐?……あれ」
最上が振り返るとそこに赤羽に姿は無かった。
「?」
「おかしいな、さっきまで一緒にいたんだけど」
「おう、ちょっと工廠に戻ってた」
「あ、少佐……え?」
最上の死角から突然赤羽が現れた。しかしそのシルエットは歪であり、違和感があった。見ると、脇に救急箱を抱えている。それを見た艦娘達は目を白黒させた。
「あ、あの……少佐?何して……」
「何ってほら、怪我してんだろ?ほら腕出せ。化膿しちまうぞ」
「い、いや……そうじゃなくて……」
「なんだよ、俺が傷の手当もできないとでも?」
赤羽は困惑する第一艦隊の輪の中心に入り込み、救急箱を開き消毒液と包帯を手に言い放った。
「少佐、ひょっとして工廠に戻ってた理由って」
「ん、そういうことだ、最上よ。手伝ってくれたまえ」
そう言って赤羽は最上に消毒液の瓶を手渡した。
「……はは、そうだね。わかった」
最上は軽く笑うと瓶のふたに力を入れ捻った。その様子を浜風が呆気に取られたように見ている。
「……お前もだよ何ぼさっとしてんだ」
「え」
赤羽は無愛想にそう言うと浜風には脱脂綿が入った半透明の箱を放ってよこした。
「……」
いきなり現れ最上や浜風と応急手当の準備を始めた赤羽に対し、第一艦隊の面々は呆気に取られていた。艦娘は人間の姿をしてはいるが、だからといって人間と同じ治療を施そうとは誰もしない。それよりも入渠させた方が効率が良いし、実際艦娘相手に人間の治療はそれほど効果がのぞめないのだ。
「艦娘に人間の手当てはあまり意味が……どうせそのうち入渠すれば直りますし……」
「何もしないよりはマシだ。ほら、いいから傷見せろ」
「は……はい……」
そう言って赤羽が近くにいた吹雪の隣にしゃがみこむ。恐る恐る突き出された吹雪の腕の傷を見ると慣れた手つきで傷口の消毒を始めた。
「っ!」
「ん、しみたか?悪いな、ちょっと我慢しろ」
「……はい、大丈夫です……」
赤羽の作業が続く。腕の大きなすり傷、次に脇腹の切り傷、更に頬の火傷――。幸いにも吹雪の怪我は数こそ多いがどれも深いものではなく、応急処置でなんとかなるものばかりだった。
やがて吹雪の怪我の処置が終わる。
「ありがとうございます……」
「おう。許可が下りたらちゃんと入渠しとけ。よし次!」
吹雪に施された処置は几帳面な仕上がりだった。普段の大雑把さからは想像しづらいほどに綺麗に包帯が巻かれている。
礼を言われた赤羽は屈託無く笑うとひらひらと手を振り、次の包帯を取り出した。
「あー……次は?どっちだ?」
***
「うし、こんなもんか」
しばらくして、三人の処置が終わった。
「これで全員か?」
「あ、いえ、まだ山城さんが……少し遅れてくるって……」
「山城?」
「あ、来ました」
「え」
振り返るとそこに山城がいた。以前浴場で出会い張り手を喰らったとき以来の再会になる。
「……何よ」
山城を前に固まる赤羽を不審そうに見る山城。赤羽の視線に何か不審なものを感じ取ったのか胸の前で腕を組み体を捻った。
「……ねぇ……何か言ったら」
「え、あぁ……すまん。なんでもない。よし、傷どこだ」
赤羽は突然我に返ったように顔を上げると歯切れの悪い返事をした。少しぎこちなく消毒液を取り出しながら山城をその場に座らせる。続いて空いた方の手に脱脂綿を持ちながら自身もしゃがんだ。
「なぁ……山城」
少しして、手当てをしながら赤羽が唐突に口を開いた。その場にいた他の五人が談笑し、こちらの話を聞いていないのを確認すると、山城の腕の傷を消毒しながら声をひそめた。
「何?」
「お前……姉貴がいるって聞いたんだが」
赤羽がそう言った途端、わずかに山城の腕が強張った。
「……いるけど。それが何か?」
「そうか……」
「ちょっと。きついわ」
「え?あぁ、悪いな」
山城に指摘された赤羽は軽く詫び、山城の腕に巻きつけた包帯を緩めた。
「艦娘になってないとも聞いたんだが」
「ええ。なってないわ」
「なんでそう言いきれるんだ?」
赤羽が思いのほか食いついてきたからか、山城は不審そうな顔をしながら頭の髪飾りに手をやった。その手の動きにつられて赤羽も髪飾りを見る。金色の装飾が優美に揺れた。
「簡単な話、艦娘のデータは軍属、非軍属関係なく各国の海軍がリスト化して保存しているわけ。当然私も、日向とかそこの吹雪とかも。どうやってるのか知らないけど、そこに登録されてない艦娘はいないって言われるくらい正確だって話よ」
「そこにお前の姉貴のデータが無い、と」
「そういうこと。気になるなら提督に頼んで調べてもらったら?まぁ……あの人が取り合ってくれるかどうか怪しいけど」
「何をしている」
その時‘あの人’が帰ってきた。瞬間、赤羽の表情がうんざりといわんばかりのものに変わる。
「またお前か赤羽……」
赤羽がゆっくりと立ち上がり冷泉と向き合った。手に持った包帯をいじりながら言葉にならない声をこぼしている。何と言って切り出すべきか定まらず、目が泳いでいた。
「答えろ」
「えー……その、あのですね……ご覧の通り第一艦隊の手当てをしていました」
そう言われ冷泉がちらと目をやる。冷泉と目があった吹雪は無意識に山城の背後に隠れた。
「艦娘に人間の医術はあまり効果的ではないのを知っているのか」
「……知ってます」
「そもそも今第一艦隊の被害状況はたいしたことは無いレベルだ。作戦行動に支障はない」
「でも痛いものは痛いでしょう。やらないよりはマシです」
「もういい。早く出撃させろ。とにかくその手当てに意味は無い」
冷泉が不機嫌そうに鼻を鳴らす。いつもの調子で目も合わせず冷たく言い放ち、そのまま第一艦隊に出撃の指示を出した。
「待て!」
それを聞き吹雪が観念したようにドックへ向かおうとしたが赤羽に止められ足を止めた。
「……先程日向が私の所に来たが、現在の訓練に不満があるらしいな」
「……はい。あります」
「その足りない訓練もまともに遂行できないで何を言っている」
「うっ」
「ものを言うならばまずは行動を示してからにしろ。もしくは立場を得るんだな。わかったらさっさと自分の仕事に戻れ……お前達もだ」
相も変わらず冷泉の物言いは的確だが容赦が無い。冷泉の言い方から察するに日向の行動は徒労に終わったようだ。冷泉は畳み掛けるように赤羽の意思を折りにかかる。
しかし、今回の赤羽は引かなかった。
「……提督、何をそんなに焦ってるんですか」
眉をひそめ、何かを疑うように赤羽は言い返した。冷泉としては赤羽がすぐに引き下がると思っていたのか顔を上げ赤羽と目を合わせた。底が見えない冷たい目が赤羽の双瞳を捉える。珍しく反撃してきた赤羽の思考を探っているかのようだった。
「焦っている?私が?」
「今は近くに戦線が構築されてるわけじゃない。そんなに出撃を繰り返さなくてもいいはずでは?偵察にも限度があるし、こいつらも疲れが溜まってる。まだ情報が足りないっていうなら俺……私が飛びましょう。その方がコストも効率もいいと思いますがね」
赤羽の物言いに今度は冷泉が眉をひそめた。
赤羽のこの反論は至極的を射ていた。ここ数日第一艦隊は‘偵察’の名のもと海域調査及び資材の収集を行わされていた。その間戦闘はほとんどなく、実際敵艦隊の情報も無い。偵察をないがしろにしてはいけないというのは赤羽とて充分承知している。しかしここまで力を入れなくてもいいのではないか。赤羽はそう思っていた。
「資材収集についても、それこそ若葉らがずっとやってくれてるのにまだ足りないって言うんですか。提督、まさかとは思いますが」
「待て」
冷泉がぴしゃりと言い放つ。冷泉の語気に調子を崩された赤羽は黙ってしまった。冷泉はその一瞬を逃さずすぐに反撃に出る。
「人を疑うならまずは証拠を見せろ。根拠も無しに上官を疑うのかお前は」
「う……」
「どちらにせよ事実として資材が足りないという現状がある以上、まずはそれをどうにかせねばならん。そうでなければ第九は回らなくなる」
「第九が回せても
赤羽も引かない。一歩前に出ると毅然と言い放った。
「ちょ……ちょっと少佐……」
空気に耐えかねて高雄が赤羽の航空服の袖を引っ張った。「そのへんにしておけ」と言いたいのだ。第一艦隊や最上、浜風らは赤羽と冷泉の険悪な空気に息がつまりそうだった。
「それに……」
「黙れ」
「!」
「これは命令だ。第一艦隊は出撃させる。お前は工廠へ戻れ」
まるで聞く耳を持たない冷泉に言われ赤羽はついに観念し、救急箱を持ち上げ改めて冷泉と向き合い敬礼した。その後最上と目配せし、一人彼の脇を通り工廠へ足を向ける。
が、途中で足を止めた。
「……偵察くらいうちだってできます」
「ふん」
***
「……少佐、あなたやっぱり山城さんのことが」
「いつから見てた明石ィ」
工廠に戻ると明石が現れた。救急箱を片付けている赤羽の隣に中腰になりにやにやと笑いながらからかうように声をかけた。
「それにしても、優しいんですね」
「提督が冷たいだけだろ。これぐらい誰でも当たり前にやる」
赤羽が無関心そうに返す。
「そうですね……」
「しっかしなんで提督はこう……
「ホントですよねー……なんでもあの人、もともとは結構内地の地区の出身らしいですよ」
明石が噂好きの女性の顔になる。聞けば冷泉はもともと単冠湾グループの所属ではなく、内地の方から異動してきた人材なのだという。どこから仕入れてきた情報なのかは知らないが、あの若さでかつ内地で少将まで昇りつめるとは、なかなかのエリートだ。
「あー、内地出身のエリートなのね。そりゃヤな奴になるわ……待て、だとしたらなんでここにいるんだ?別に悪く言うつもりはないが正直エリートが来るような所じゃないだろここ」
「ずーいぶんはっきり言ってくれますね」
明石が赤羽を軽く小突く。すると赤羽は勢いのまま地面に転がった。
「少佐、‘大損害’って覚えてます?」
赤羽が固まった。
「……左遷されてきたのか」
明石の口から出た‘大損害’という単語。赤羽はそれを聞くなり全てを察したように呟いた。
「まぁ、そういうことなんじゃないかって。私達も含めて」
「お前らも含めて?どういうこった」
「大損害の後、多くの鎮守府が立ち行かなくなって、戦力を減らしたり、もしくは解体されました。でも
「……」
赤羽は答えなかった。まるで‘大損害’という言葉がそういう呪文であるかのように彼の動きを奪い、その場に固めてしまったようだった。
「あ……すいません、なんか変な空気になっちゃいましたね。それじゃ私はここで……仕事に戻りますね」
「そのこと」
「え?」
「そのこと。まさか皆気づいてるのか」
「……たぶん」
赤羽は転がったまま尋ねた。固まったまま、口だけを動かして。
明石の返答も簡単なものだった。赤羽はそれを聞くと返事の代わりに小さくため息をついた。明石はそれがもうそれ以上会話が続かないことの意だと判断したようで、そのままその場を後にした。
「……」
赤羽の脳裏にふと、数日前喧嘩した軍規に厳しい浜風の顔が浮かんだ。
***
――何故帰ってきたんだ――
――面倒なことになったぞ――
――どうするんだ、なんて説明すればいい――
――沈んだんじゃなかったのか?既に後釜を用意してしまったぞ――
「ッ!」
ふと、頭の中に響く声。しかし直後に轟音にかき消された。
日が傾き、空に赤みがさし始めた頃。鎮守府西部の深い森で浜風がため息をついた。第九の名物でもある森。その木々の間を抜けると突然、こじんまりとした入り江が現れる。そこは以前赤羽と浜風が喧嘩をした浜風の縄張りだ。ここで浜風のいつもの‘自主練’が行われていた。こころなしかいつもより荒れているように見える。
既に水面には艤装から撃ち出された砲弾によって粉砕された木製の的の残骸が無数に浮かんでいた。当の浜風は独り言を洩らしながら不満そうに破片を拾い上げる。
今日の自主練には身が入っていなかった。午前中の演習もそうだが、その後の赤羽の行動が気になっていた。赤羽のことは好きではないが彼女の中で今回の行動は評価に値した。これが自分に認めた人間によるものであれば彼女の中で純粋な美談として記録されただろうが、それを行ったのが赤羽であり、そのせいであのことを思い出す度に赤羽もセットで思い起こさなければならないのが問題だった。
「浜風?」
ふと、背後から声がする。振り返ると若葉が立っていた。
「若葉……何か用ですか?」
「日向が呼んでる。会議の前に少し話がしたいそうだ」
「……わかりました。二十分後に行くと伝えてくだ――」
「“三十分後に来てくれ”って言ってたぞ」
浜風の言葉を遮る若葉。日向には浜風が何をしているのかわかっているかのようだった。
浜風はそうですかと軽い返事をすると艤装を持ち直し、手袋の裾を強く引いた。
「少し疲れているようだな」
「……ここへ来る前のことを思い出してしまって」
その言葉を聞くと若葉の表情が曇った。
「……浜風も……‘大損害’のせいでここへ来たんだったな」
「……えぇ……若葉は?」
「私は大損害とは関係ない異動で……そうだと思いたいがな」
浜風は再び艤装を構え、的を打ち抜く。
「……すまない、デリケートな話だったな」
「いえ、構いません。昔の話ですから」
意に介さぬ様子で艤装に弾薬を再装填する浜風。銃口が上がり、轟音と共に最後の的が粉砕された。
「……ただ、あれから私の考えが変わったのは確かです。私達はあくまで
「……そうか」
若葉の遠慮がちな返事を聞いていたのかいないのか、浜風は相変わらず手を休めることなく傍に積み上げてあった的を数枚取ると洋上に文字通り棒立ちになっている鉄棒へひっかけに行った。
ふと、空を見上げる。雲行きが怪しくなってきていた。
「そういえば、台風が近づいてるんでしたっけ」
お久しぶりです。ラケットコワスターです。毎度のことですが、本当にお待たせしました。創作活動始めて以来、最強レベルの難産回でした。なんかいつも言ってる気がしますが……
それと、前書きでも書きましたが最上の口調が原作通りになっていないことに今更気づきました……そういえば最上って日向のことさんづけで呼んでましたね……あと「僕」じゃなくて「ボク」でしたね……最上ファンの方、すみませんでした。しかし今更書き直すわけにもいかないレベルで最上書いちゃったのでここについてはこのままいかせてください。ホント申し訳ないです。師弟関係超越するレベルで絆が高まってるってことにしておいてください。
えー、なんというか今回は変なこと書いてしまいましたが以後、気をつけていきたいと思います。次回をお楽しみに。