赤羽が営倉に入れられてから第九の時間は異常に速く過ぎていった。まるで塊のように不規則に時間が流れているように感じる。
朝起きていきなり山積みの仕事を押し付けられた者が気づいた時には食堂で昼食を前にため息を吐き、その日の業務を全て中止し倉庫の整理を行う羽目になった者が次の瞬間には工廠の床に寝転ぶ──そんな妙な雰囲気が第九を覆っていた。
「……」
やはり──何故──
そんな中、冷泉はいつも通りだった。自分の執務室に引きこもり、先程届いた手紙を何度も何度も読み返しながらその度に眉間のしわを深めていった。
「提督?」
「!」
珍しく不意をつかれたように冷泉が顔を上げる。その視線の先には高雄が立っていた。
「何の用だ、簡潔に頼むぞ」
「準備委員会の招集が終わりました。名簿です」
事務的に告げると高雄は一枚の紙を取り出し、手渡さずに冷泉の机の上に置いた。数時間前に自身が命じた定例会議準備委員会の名簿だった。対して冷泉はそれをちらと見やり、内容をおおかた把握すると無愛想に高雄に返した。
「ご苦労。引き続き取り組め」
「……はい」
いつになく威圧的な雰囲気の冷泉に高雄はややひるんだように見えたが、すぐにたて直すと書類を受け取り部屋を出て行った。
そのまま執務室の扉をそっと閉めると高雄の口から大きなため息が漏れ出た。
「随分滅入ってるみたいだな」
「っ、と……」
横から声が聞こえ反射的に口を塞ぐ。声の主を探すと隣の部屋の扉の前に日向が立っていた。高雄をからかってはいるものの当の日向自身もあまり元気がなさそうに見える。
「滅入らないわけないじゃない……朝起きてみれば資材庫はめちゃくちゃ、犯人は少佐で状況を理解する間もなく定例会議の準備委員長に任命されて……一気に仕事が増えたわ」
「それは私もさ」
「わかってるけど……」
相手が日向だと気づき安心したのか急に愚痴っぽくなる高雄。対する日向も高雄の反応は想定内だったのか肩をすくめながら応える。
そういう日向の腕にも書類が抱えられていたが、朝から働き通しの高雄は日向に何の仕事を振り当てたのか忘れかけていた。確か、日向なら大丈夫、とそれなりに重要な仕事を任せたはずなのだが、それすらど忘れする程疲労しているのか、とやや自分に辟易した。
「ところで、少佐には会ってきた?」
「あぁ。思ったより元気そうではあったがな」
話題の終了を感じ取ると次に出たのは、やはりというべきか赤羽の話題だった。
当然ながら昨夜の一件は赤羽と冷泉だけの問題ではなかった。朝、資材庫の様子を確認しに行った明石はそこで崩れ落ちた資材の山、そこに埋もれ重傷を負った赤羽を発見し、流石に頭を抱えたという。もとより第九に所属する者は多くなく、この話が伝播するのに時間はかからなかった。
その話を受けた第九の面々の反応は一言で言うならば‘困惑’であった。それぞれがそれぞれの受け止め方をし、反応も変わっていたが皆根底にあるものはそれだった。
「それで、あなたはどう思うの?」
高雄は手で“歩きながら話そう”と示し、廊下を少し進むといきなり切り出した。どう思う、とは勿論赤羽のことである。
「……正直、嘘をついているとは思えない。少佐は嘘をつくとき、独特の間を置いて話すからすぐわかる。それに、彼の話は辻褄があってないわけじゃない」
「そうね……むしろそういう点では提督の言っていることの方が無理があるのよね……結局少佐の動機は明らかにできなかったんでしょう?」
「あぁ。そこに関しては若葉が今取り調べてる最中だしな。流石にかんかんだったぞ」
「でしょうね……」
無意識に顔を手で覆った。小さなため息とともに今与えられた情報を咀嚼する。
「ただ……それを差し引いても少佐の話は現実味に欠けるのよね。流石に大の大人を片腕だけで放り投げる子ども……っていうのは……ねぇ?」
「まぁ、そうだな」
「……どうなっちゃうんだろ」
ふと、日向を前にして既に崩れかけていた高雄の口調が更に砕けた。高雄の微妙な変化を日向は敏感に感じ取り眉を少し上げた。
「何か不安ごとでもあるのか?」
「あなたはないの?」
「不安のない人生なんてあるはずがないさ」
「またそうやって茶化す」
「……何か妙なことが起こっている、とは思う。お互い気を張っていよう。用心にこしたことはないだろうさ」
「……」
高雄は黙って頷いた。
***
「……」
一方、高雄が居なくなった執務室では。書類を読むのをやめた冷泉が手帳に忙しなくペンを走らせていた。かと思えば突然別の書類を取り出しなにやらメモを書き込む。冷泉のデスクワークは第九にいる者であってもなかなか目にしないが、それでも冷泉が平時とは違う状況である、と一目でわかるほど忙しない様子だ。
「提督……」
「なんだ高雄。もう用はないはずだぞ」
「電です」
唐突に届いた予想外の返事に反射的に顔を上げる。そこには電が立っていた。別に珍しいことではないがどうにも雰囲気がいつもと違った。いつもの小動物的な雰囲気をあまり感じさせず、かと言って毅然とした雰囲気であるわけでもない。
しかしこういう時の電は決まって何か話がある。冷泉は電に聞こえないように小さく息をつくとまた手元の書類に顔を落とした。
「悪いが今は忙しい。話なら後にしてくれないか」
「ど……どうして少佐を閉じ込めたんですか」
しかし電はおかまいなしに無理矢理話を切り出す。
「資材をどこかへ持ち出そうとしていたからだ」
「嘘……ですよね」
「……はぁ」
今度は隠すことなくため息をついた。ペンから手を離し、改めて電を向き合う。
「電。
「で、でも……」
「電」
冷泉の語気が強まる。これまで何度も赤羽を黙らせてきた声だった。怒鳴るわけではないが聞く者の言葉を粉砕し無理矢理口をつぐませる嫌な雰囲気。電も例外なくひるんだ。
それを境に冷泉はまた顔を落とす。もうこれ以上は話さない──電は冷泉の態度を瞬時にそう理解した。
──が。
「……この間の海戦……ありましたよね」
電は退かない。自らを奮いたたせ、またも無理やり言葉を紡いだ。冷泉は答えない。
「あれを見て電は……もう何が
「……」
「だ、だから……一生懸命考えたのです。電にとって……な、何がいいことなのか」
しかしなけなしの勇気はすぐに枯れ、電の声が震え始めた。電が何を言おうとしているのかなんとなく察しがついたのか、冷泉は何か思案するように目を閉じた。
「あの人達が何かしようとしてるんだと思います」
「ありえん。そうだとしても時期尚早だ」
「……ばれたら大変なことになるのです」
「ばれんさ。そこまで間抜けではない」
「……で、でもっ」
「電!」
冷泉が声を上げた。突然のことに電は口をつぐみ沈黙が流れた。
冷泉と電が互いを見つめ合う。二人の付き合いは第九の中では最も長く、深い。それだけに多くの秘密を共有しているのだ。電は──知っていた。初めから全て知っていたのだった。
だからこそ。だからこそ彼女は動いてしまった。
「電。何度も同じことを言わせるな」
「それでも電は……や、やっぱり
「……おい!」
電はそう言うなり冷泉に背を向け走り去ってしまった。とっさに冷泉は手を伸ばすが届くはずもなく、空をかくだけだった。
そのまま執務室に一人、冷泉だけが残され先程とは違った沈黙が流れる。
その沈黙の中で冷泉は大きく舌打ちをすると椅子に体を預け、今日一番のため息をついた。
「また‘少佐’か……」
***
「だぁかぁらぁ……」
「ああもう……進まないな……」
場所は変わって営倉。あの一件以来定例会議の準備と平行して赤羽の取調べが行われていた。取調べを行うのは最上と若葉。営倉の鉄格子を隔てて三人はここ数時間ずっと向き合っていた。
「俺はやってねぇっつってんじゃねぇかよ……信じてくれよ最上ぃ……」
第九の中でも比較的仲の良い最上に疑われているというのは流石に堪えるようで、どこか赤羽の様子はしおれて見えた。
「そうは言ってもなぁ……今の僕の立場的に簡単にはうんって言えないんだよ……」
「そうだぞ。それに時間だって余ってるわけじゃないんだ」
「やってもないこと話せるわけねぇだろ……」
申し訳なさそうに話す最上に対して若葉の言葉には棘があった。最上が赤羽の聴取役を名乗り出た際に日向の推薦で若葉も任命されたそうだが、最上の様子を見ていればその意図も容易に読み取れた。
最上は他人に甘い節がある。それが彼女の長所でもあるのだが、こういう場においては余計な枷でしかない。対して若葉は資材庫がやられたと聞き、真相究明を誰よりも望んだ。おおよそ二人とも尋問には不向きな状態に思えるが、日向曰く“今取れる最善の人事”らしい。
「あの資材を集めるのにどれだけの時間を使ったと思ってるんだ……若葉の三日間を返せ……」
「うるせぇぇぇ!俺は無実だぁぁぁぁ!」
「ま、まぁ二人とも落ち着いて……ちょっと休憩しよ?ね?」
しかし最善の人事とは言えそれは最悪の中の最善、そいうやつであり尋問は平行線だった。言葉が恨み節のようになってきている若葉に、ヒートアップし始めている赤羽。話がかみ合うはずもなく──堂々巡りになりはじめた尋問に最上が休憩を申し出た。
「……」
「……」
鉄格子越しに赤羽と若葉がにらみ合う。昨日まで食事を共にする仲であったはずだが、事情が事情なだけに仕方ない。
赤羽の犯行を受け多くの者が困惑したが少なくとも答えは出さなければならない。中には客観的な視点にこだわった者も居り、若葉もその一人だった。それゆえ若葉は尋問の前に“相手が少佐といえども容赦はしない”と宣言しており、あくまで赤羽を疑ってかかった。今の彼女にとってはこの事件に関わった者全てが怪しいのだ。
「わぁかぁばぁ……信じてくれよ……同じ器のラーメン食った仲じゃねぇかよ……」
「食べてない。若葉だって少佐を疑いたくはないが、今の状況じゃ一番少佐が怪しいからな」
「あんまりだ」
最上の提案を受け入れ、尋問が中断されたが、それでも二人のぎすぎすした雰囲気は続いた。最上が今更ながら後悔したような顔をしていたが後の祭りだった。
赤羽の尋問が始まってから相当な時間が経っていたが尋問は堂々巡り。赤羽としてはやってもないことを話せるわけがなかったが、若葉はあくまで公正に裁いているだけであり、どちらにも非がないだけにタチが悪かった。
「……と、ところでさ少佐。他の皆には会った?みんな忙しくてさぁ」
「定例会議だろ。冷泉が言ってた」
苦し紛れに最上が話題を変えるが逆効果であったとすぐに悟った。赤羽の声色が明らかに不機嫌になったからである。
「……」
「……」
「……」
気まずい。三人とも黙りこくってしまい、嫌な空気が流れる。元よりいい空気では無かったが更に重苦しくなってしまった。
なんとか話題と空気を変えなければ──最上の目的はもうすっかり切り替わってしまった。しかしこの状況で何を言い出す?尋問を行っている時よりも頭が働いているのを感じた。
「……そういや……」
最上が思案していると唐突に沈黙が破れた。破ったのは意外にも赤羽。空気を重くした責任を感じていた最上は勢い良く顔を上げ、赤羽の次の言葉を待った。
「その定例会議についてなんだが……」
「会議くらい空軍でもやってただろう?」
若葉が噛み付く。
「ちげぇよそこじゃない。会場がここになったって話だ。なんつーか……冷泉は予想外って顔してた。あの反応からすると、ここが会場になるのって初めてなんじゃないか?なんでここが指定されたんだろうなぁって」
「あぁ……確かにね」
最上はそう言うと再び沈黙が訪れるのを嫌い、聞かれてもいないのに海軍の定例会議について解説を始めた。せっかく見つけた話題を手放したくはなく、いつも以上に饒舌になる。
曰く、戦後沢山作られた鎮守府、それらを地区毎にグループ分けし、さらにそれを束ねる大本営という構図ができ、第九はその中でも単冠湾グループの所属になる──
「あぁ……それは高雄から聞いた。鎮守府の数が随分増えたって話も」
「え、そう?ま、まぁそうだよね。ただ……いいことばかりじゃなかったんだ」
「というと?」
「今回みたいな件が何度も起こるようになったんだ。ちょっとした事件程度ならよかったんだけど……」
最上がそこで突然口をつぐむ。最上の言葉が途切れたのを聞き若葉が反射的に顔を上げた。見ると宙を見つめ黙っている。その表情は何か思案するようにも見えた。
「最上?」
「……どうも、深海側に寝返る人が出てきちゃったみたいなんだよね」
「え?」
若葉がため息をつき最上の言葉を引き継いだ。
「……深海について人類を裏切る提督が現れたんだ。そっちの方が
「……」
それを聞き赤羽の表情が険しくなる。
「それから……年に一回、各鎮守府の提督達が集まって会議を開くようになった。一年の活動報告、今後の作戦展開……」
「そして相互監視のためか」
赤羽の重苦しい言葉に若葉が頷く。
「そう。それが定例会議……なんだけど、確かに、第九が会場になったのって多分初めてだと思うんだよね」
最上が会話に戻ってきた。先程ちらと見せた雰囲気はきれいさっぱりなくなっており少し違和感を感じる程だ。
「なるほどな、そりゃ冷泉も焦るわけだ……今回の一件がバレかねない」
「その前に少佐が突き出されるだろう」
「だからぁ……」
そこまで話すと今度は赤羽が口をつぐんだ。そのままゆっくりと表情が「最悪」に変わっていく。
つられて若葉と最上も赤羽の視線の先へ目をやる──と、営倉の入り口に浜風が立っていた。
「お疲れ様です」
浜風はそう言いながら軽く会釈した。何か用事があるのか営倉へ歩みよってくる。一歩毎に赤羽の表情が至極嫌そうな顔に変わっていくがおかまいなしだった。
「あ……取り込み中でした?」
「いや、まぁ……一息ついてたとこ」
「高雄が呼んでました。準備の件で話があると……」
「あ、そう?あー……でも少佐は……」
「私が引き受けますよ。ちょうど仕事終わったところですし」
「そっか」
***
「……」
「……」
高雄から呼び出しを受けた二人はさっさと営倉を出て行ってしまった。最上がすぐ出て行くのは予想通りだったが若葉まで出て行ってしまい、赤羽にとっては最悪な状況になってしまった。
浜風が振り返る。するとすぐにもはや形容しがたい表情になっている赤羽が視界に映った。
「……さて?」
浜風が手近な椅子に腰掛ける。
「詳しく話してもらいますよ」
「おれやってない」
「それだけ言われても話が進まないんですが……」
「……やってもねぇことをどう話せってんだよ」
赤羽が小さく呻き顔を手で覆う。それを見て浜風もため息をついた。
「そう言われても、少佐の証言には反証材料が多すぎるんですよ……」
「冷泉の言葉を信じるのか」
「少佐の証言に比べればまだマシなことを言ってます」
「……くそ、頭でっかちめ」
悪態をつき鉄格子を殴りつける。瞬間、赤羽が顔を歪めた。
「痛かったんですか?」
「うっせぇ!」
赤羽も浜風も、もううんざりだと言わんばかりの顔をしていた。真実に照らし合わせればこれ以上ない時間の無駄使いをしているのだが、浜風がそれに気づくことはできないし赤羽にもそれを証明する手段はない。時間だけが無駄に過ぎていった。
「それで、消えた資材はどこへ?」
「冷泉に聞け」
今日だけで何度したかわからない返事を叩きつけるように浜風に返すと視線を落とし、そのまま黙り込んだ。
何故信用してもらえないのか。そう考えるとみじめなものだが、日頃の行いと言われるとそれまでである。反省はしても後悔はしない──とは赤羽のポリシーではあるが、もう少し素行に気をつけておくべきだったと後悔を感じ始めていた。
「……しょうがねぇだろそれが俺なんだから……」
「何か言いました?」
「別に」
搾り出すように呟いた赤羽の言葉は誰にも届くことはなかった。届かなくていいのだが。
「あの……」
その時だった。不意に赤羽の浜風の耳に声が届く。顔を上げると先程まで浜風が立っていた場所に電が立っていた。
「電……?」
「電じゃないか、どうしたよ?」
「今……お時間ありますか……」
「え?」
電は伏し目がちにゆっくりと部屋に入ってきた。何やらただならぬ雰囲気をまとっている。
歩きながら呟くようにそう告げると顔を上げる。少し自身が無いように震えて見えたが、その瞳には何か今までと違うものが感じ取れた。
何か重要な用事がある。そう感じ自然と二人とも身構えた。
「提督……冷泉さんについて……聞いて欲しいことがあるのです」
こんにちは!(久しぶりのあいさつ)ラケットコワスターです。今回はさほどお待たせしませんでしたハイ。
えー、さて、第九話、いかがだったでしょうか。今回は本来プロットになかった部分を急遽入れた回だったのですがその割にはまとまってる方……なのかな?何気に重要なシーンも入ってますしね。電ちゃん何言う気なの……
やっとここまで来た……って感じです。言うなれば第一チェックポイント。遅っせぇ。そんなわけで次回はついに明かされる電と冷泉の過去。電は何故冷泉の傍にいるのか。お楽しみに!