Fate/GrandOrder ~憎悪と慈愛と復讐の救済を~ 作:三枝 月季
「ひっどい顔だな、医者がそんなんじゃ、患者は安心できないよ。ロマニ」
室内に足を踏み入れるなり、大仰な身振りで憂いを吐いた美女は、疲れ切った顔の胡乱な視線に溜め息で応戦する。そしてそのまま、ロマニの憔悴の理由を察しているとばかりに、彼女は豊満な胸の下で腕を組むと、端的に切り出した。
「あの娘の事を考えていたんだろう?」
すると、万能の天才と名高き者の指摘に音を上げるようにして、ロマニは口を開いた。
「……なぁ、レオナルド」
「なんだい?」
「ボクは選択を間違えたんだろうか?」
「おや?どうしてそう思うのかな?」
辛気臭い空気を倦む気配はそのままに、ダ・ヴィンチはロマニに微笑みかける。
「……■■■の魔女、■東の■妖、名もなき■と■の弓兵、そして怪物王妃。イモリ・セツナが召喚した英霊たちは、その殆どが反英雄に区分されるだろう存在だ」
「それで?」
「触媒がなかった以上、彼らは縁によって喚びだされたわけだろう?ただの少女が召喚した英霊と考えると不気味じゃないかい?」
「…………いいや。別段、おかしくも不思議でもないだろうさ。つまりはそういう事なんだろう」
そんな分かり切った事で悩むなよ。なにせ、世界一有名な番犬までもが目を光らせている少女だよ?厄ネタに決まっているじゃないか。とダ・ヴィンチは心の中で付け足した。
「そういう事って――」
途端、困惑しきった反応が返る。如何に人を診る医者でも心までは見透かせないのだろう。ともあれ、そんな事で対話が停滞するのはいただけない。とばかりにダ・ヴィンチは続けた。
「なぁ、ロマニ。君はさっき、選択を間違えたのか。って私に聞いたけれど、そもそもからして、その質問は定義がなってないよ。私達に選択の余地などなかっただろう?その上で彼女にそれを負わせたのは誰だい?」
「それは――」
「断れるものなら、誰だって断りたいと思うだろう類のお願いを、最も向いていないだろう少女に乞うしかないのが今の私達なんだよ」
医者の肩へと置かれた芸術家の手は、慰めと共に諦観を促していた。
「彼女が悪人だろうが、善人だろうが。それは今、対して重要な事じゃあない。重要なのは彼女が人類史を背負うに足る人間かどうかだ」
「けど――」
「悩んでも今更だよロマニ。賽は投げられた。何よりも、彼女自身がその事を深く理解している。あの会話はそういう話だったじゃないか」
最後に説き伏せる様な助言を残して、芸術家は泰然と踵を返す。言外に話は終わりだと告げられる形になった医者は、信じられないものを見たかの様に唖然と、その後ろ姿が室外に消えるのを眺めていた。
「――……ああ~、もうッ!!」
そうして、独り、取り残されたロマニは、卓上に刻まれた真新しい傷跡をなぞりながら、怒りとも嘆きともつかない唸り声と共に椅子の背もたれを軋ませた。
※※※
時は昨夜へと巻き戻る。場所は同じく、カルデア内の診察室。登場人物は二人いた。
「気分はどうかな?」
「……そう、ですね。前後の記憶に欠落があるような不快感があって、少し落ち着かないです」
明るい長髪を一つに括った青年医師、ロマニと、黒曜の瞳を眇める漆黒の少女、セツナである。
「……そっか。強制的な魔術の行使だったからね。彼も細かな加減は出来なかったんだろう。でも、安心していい。重篤な後遺症が残る事はないはずだ」
セツナからの答えに暫し、何事かを逡巡した様子で、ロマニは苦笑する。対するセツナはその笑顔を訝しむように眉を顰めた。
「私は一体、何を。どんな粗相を働いたんですか?」
強張った声音と硬い表情で、怯えたように自らを窺うセツナを前に、ロマニは静かに答えた。
「キミは怒ったんだよ」
「怒った?」
「ああ、誰よりも苛烈に怒ったんだよ。それこそ、我を忘れてしまうほどに、キミは所長の身に降りかかった悲劇に対して心を痛めていた」
「……信じられません」
「どうして?」
小首を傾げた医師の、認識の甘さをせせら笑うように少女は告げる。
「だって、私と所長はお互いの事を嫌っています」
「………………うん。なんと言うかその、そんな感じはしていたけれども」
キッパリと言い切ったセツナに対してロマニが狼狽える。悪感情を述べるにしては、清々しいまでの彼女の言い分に、気圧されているかのようだった。
「……もう、いいです。分かりました。きっと何を言われても腑に落ちないでしょうから。その代わり――」
そんなロマニの様子をやはり、呆れたように見つめて、セツナは神妙な顔つきで向き直った。
「聞きたい事があります」
「ああ、勿論。何でも聞いてくれて構わないよ。堪えられる範囲ならば答え――」
その言葉を言い終わらないうちに、ヒュンという風切り音と共に、銀色の残像が彼の視界の端を横切った
「え?」
ロマニの視線が、ある一点を見据えて固まる。
机についた手の平の微かに開いた指の間へと突き刺さったそれを見た途端に、表情を怯ませた彼は、弾かれたように少女へと視線を移して瞠目した。
「ええ、勿論。答えられる範囲で答えて貰って構わないのですが、もしかすると、もしかするかもしれませんよ?」
これには流石にロマニも息を呑むしかなかった。状況への驚嘆は当然として、荒事に手慣れている雰囲気の少女に戦慄を覚えたからである。けれども、それらの感情は一時で、決して長続きはしなかった。セツナから発せられる空気が迫力に欠けているわけではないが、今一つ、切実さが欠けていたのである。彼女の本気はもっと、急所に刃を据えるように予断がないものだ。迷うことなく首元に手を伸ばしたあの瞬間のように。ゆえに、見境のない激情と冷徹な思惑とでなら、後者の方がまだ駆け引きの余地がある。と分析する事が可能なくらいには、ロマニにも余裕があった。人間、何事も経験から学ぶ生き物である。
「知らない事がそんなに不安かい?」
「……ええ、当然でしょう?情報の鮮度とその正否をもとに下す私の決断に、世界の命運がかかっているのよ?何をどうしたら、その恐怖から目を背けられるというの?」
存外、冷静なロマニの反応には少なからず意外性があったと見え、セツナは感心したように僅かな動揺を見せた。途端、唇から零れ落ちた感情は内容に反して、無感動な響きを有していたが、他人事のようなそれは、矛盾よりも乖離性を感じさせた。
「それは寧ろキミの首を絞めるよ」
「………………」
「知ろうとする事で、恐れないようにしようと努めるキミの考えは、とても理知的で尊いものだ。けれど――」
ふと、視線を微動だにしない少女から刃へと移せば、それは小さく震えているようだった。
「分からないという恐怖を克服した後に来るのはきっと、知ってしまった恐怖だよ」
「そんなこと――」
「分かってないッ!!」
「――ッ」
聞き捨てならない。と言うかのように食い下がったセツナの勢いは、絞り出すようなロマニの拒絶と刃から伝わった微かな感触に上書きされる。
「……あ」
「……キミは、分かってないよ」
目前の少女の感性と同じくらいに研ぎ澄まされた刃の冷たさに、温かいものが流れるのを知覚しながら、ロマニは言い切った。絵面とは裏腹に情勢は今やロマニへと傾いている。
「……そう、一つだけ分かったわ」
やおら、深く沈殿するような静寂を越えて、敗北を認めるように潔く凪いだ声音で、少女が言の葉を紡ぎ始める。
「私は分からない恐怖を抱えて、貴方は知ってしまった恐怖に怯えた」
無表情をほんの一瞬、泣き笑いの様に歪めてロマニを見つめるセツナ。余りに儚い、柔らかな眼差しを生み出すその目元は、酷く大人びて見えた。
「その一点だけでもう、こんなにも人は分かり合えない」
けれど、瞬きのうちに、視線は白手袋に滲む流血へと注がれていた。世界の縮図と己の罪業を嘆くかのように。
「……セツナさん」
「それでも、いえ、だからこそ。世界は救わねばならない。なぜなら、今こうして私達が争う事ですら、消されてしまった人々からすれば贅沢に他ならないのだから」
そうでしょう?と尋ねるような、虚無を宿しながらも澄んで光る瞳を前に、ロマニは言葉もなく、たじろぐしかなかった。
セツナはロマニの様子を嘲るような吐息を漏らして、微かに血のついた鋏を片手に踵を返す。
「……せいぜい、醜悪な世界を取り戻す事に奔走しましょう。少なくとも、私が生きやすい場所は此処ではないみたいだから」
ごめんなさいね。と哀しげに、されど安堵するように、言い残して、少女は静かに退室した。
結局、彼女が何を知りたかったのかは分からないままに対話は終わってしまった事になる。
「どうだったかな?」
そう言って、診察室から出てきたセツナを呼び止めたのは、カルデアが誇る英霊召喚成功例にして、天才のレオナルド・ダ・ヴィンチである。彼もとい彼女は、昔からの古い女友達の手を取るように気安く、されど有無を言わさずに、セツナの腕を取ると歩き出した。
「……ん~、そうね。意外と手強かったわ」
「ふふ、そうだろうね。あいつはヘタレで軟弱だけど、根幹はぶれない奴さ」
「ええ、確かに私の認識が甘かったわ。でも――」
瞬間、ガキンッ!!と金属の打ち合わさる鈍い音が回廊に反響する。
「この方法なら誰もが私の意のままかもしれないわね?」
「……笑えない冗談はよしておくれよ」
「あら、本気よ?」
心外だと言うように目を細めて、分かっているでしょう?とばかりに口角を上げた少女の言わんとしている事を、無論、稀代の天才が読み解けぬはずはない。彼女はダヴィンチが防ぐことを見越したうえで、自らの喉に刃を突き立てようとしたのだ。
「――まったく、本当に笑えないよ」
涼しい顔をしながら、少女は己の命を人質に我欲を押し通そうとした。それは余りに危険で、とてつもなく残忍な賭けである。
「……それで、私は何処に連行されるの?」
豪胆で傲慢な表情を覗かせた少女は、何事もなかったかのように柔く微笑むと仕切り直すかの様に問いかけた。すると、刃を受け止めた手のひらを見つめ、その美貌にひとときのモナリザらしからぬ陰を浮かべていたダ・ヴィンチも前を向く。
「何、ちょっとした下準備さ」
途端、悪戯っぽいウィンクを受けたセツナが、辟易とした表情を浮かべたのは言うまでもない。
***
「……本当にこれで狙い通りのサーヴァントが召喚できるのかしらねぇ?」
「フォーウ!!」
明くる朝、依然として昏睡状態の所長と、マシュ、勝手に付いてきた小動物一匹を伴って、カルデアの召喚場へと赴いたセツナは、訝し気に呟いた。
「……やはり、護衛がわたし一人だけというのは不安でしょうか?」
抱えてきた所長を召喚場に誂えられた敷物の上へと横たえながら、マシュが眉を下げる。
「あ、いや。それはあまり心配してないけど……」
『まさかとは思うけど、その目の下のクマ。昨日渡した資料、全部読んだのかい?』
途端、会話に割り込むようにスピーカーから発せられた軽快な声音に、セツナの顔色が頭痛を堪えるかの様に歪んだ。
「残念ながら、全てに目を通せた訳ではありません。ただ、出来る限りの事はしたつもりです」
『そっか~、それは申し訳ない事をした。君の責任感の強さがそれほどのものだとは流石の私でも見抜けなかったよ~』
テヘペロ と言うような顔文字がついていそうなその声色に、セツナの機嫌が目に見えて悪化する。
「と、ともかく。こちらの準備は万全と言えます」
『こちらも、いつでもOKさ。タイミングはそちらに任せるよ』
「フォウ!!」
場をとりなすように声を張ったマシュに、ダ・ヴィンチが声を弾ませる。セツナは自身の苛立ちを落ち着けるように、肩に乗ったフォウを一撫でしてから召喚陣の前に立った。
「――……素に銀と鉄。礎に石と契約の大公――」
深呼吸を一つ、令呪を宿した手を掲げ、暗記した召喚呪文の詠唱を開始する。
「……今のところ、順調のようですね」
ところ変わって、スピーカー側の面々は、それぞれに異なる反応を示していた。
モニターを見つめ端的な呟きを溢すケルベロスと、そんな息子の落ち着いた様子と裏腹に、エキドナは緊張気味に強張った美貌で液晶を食い入るように見ていた。
「うん、順調も順調だね。だから、余り圧を飛ばさないで欲しいなぁ。このままじゃ背中に穴が開きそう」
気持ちは分かるけどね。と、諸々の計器の前に立ち、操作を行っているダ・ヴィンチが苦笑を溢すも、エキドナの反応が返る気配はない。ダ・ヴィンチは、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。
「……あはは。いや、それにしても、キミのお母さんはよく承諾してくれたよね」
その様子に苦笑しながら、ロマニがケルベロスに話題を振る。途端、虹の双眸に射抜かれたロマニが、居心地悪そうにたじろいだ。
「ああ、失礼。あまり気分が良いものではないでしょう?」
謝罪と共に、ケルベロスが視線を逸らす、ロマニは、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「あ、いや。こちらこそすまない。まだキミ達のような存在と向き合う事に慣れていなくて……」
「慣れる必要はありませんよ。母上はまだしも、我々は正規の英霊ではないのですから、そうでなくとも、本来、邂逅する筈のない存在に慣れ親しむのは、あまり褒められた事ではありません」
「うう、何と言うかカルデアには耳が痛い意見だなぁ」
現世と幽世の境界を守護してきた番犬の言葉ともなれば、深く刺さるものがあった。
「……でも、そうは言いつつも、キミたちは力を貸してくれた。その助力に全力で報いる事が、ボクらに出来る唯一の恩返しだ」
遠くを見る様な目で液晶を見つめながら、ロマニが言う。ケルベロスも物思うような表情で状況を静観しながら、口を開いた。
「……正直なところ、私はこの事態に関して、これといった感慨を持っているわけではありません。衰退はどんなものにでも訪れます。かつて、神々が人間達から追いやられたように、その順番が人間達にも回って来ただけなのだ。と」
それは、
「…………うん、そうだね。それは確かにそうなのかもしれない。しかも世界の命運を、一人の少女と過去の栄光に賭けるしかないのだから、ボクたちの在り方は、君にはさぞや醜く映るだろう。だけど――」
ただ、ただ、前を向く。
「滅びが避けられないならば。避けられないなりに、その理由を知りたいじゃないか?」
傍らの獣が虹の双眸を細めたのを気配だけで察しながら、ロマニは捲し立てた。
「勿論、知ったうえで納得できるかは分からないし、納得できたからといって、滅びを許容できるわけでもないだろう。何せ、ここはそういう風にはできていない。何処までも傲慢で愚かしい人類のエゴが作り上げた最期の砦なんだから」
言い切ると同時に、ロマニの肌には痛いほどの緊張が走った。だがそれは錯覚とも思える一瞬の出来事だった。
「……フッ、なるほど。考えてもみれば、神々の潔さも愚かと言えたのかもしれませんね。尤も、現段階ではどちらの愚かさのほうがマシであるのかの判断すらつきませんが、ともあれ――」
感心は元より、愉快なものを見た。と言うように吐息を溢して目を伏せたケルベロスは、最後にしっかりとロマニと視線を合わせて告げた。
「貴方の覚悟のほどは、分かった気が致します」
途端、畏怖からではなく、羞恥からロマニが顔を背ける。
「あ~、いや、そう言われるとちょっと。大層な事を言ってはみたけれど、結局のところはまだ死にたくないし、殺されたくないって事なんだよ」
「ふむ。やはり、私には理解しがたい事柄なのかもしれません。存在そのものが死に寄り過ぎている私は、死を恐れる感情というものに乏しい。ただ――」
言いつくろうロマニをよそに、端的に自身を評価したケルベロスは、母親の後ろ姿を目に留めるや、静かな声色と共に苦笑を溢した。
「これ以上、母上が悲しむことになるのは私も望みません。事態の大きさを考えれば、私があなた方に助力する動機も、なかなかどうして、軽薄と言えるのではないでしょうか?」
時は満ちる――
「汝、三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!」
召喚呪文の詠唱が大詰めを迎える。室内に充満していた魔力と光が、大小様々に収束して、弾けた。
「――ッ」
視界を灼く閃光。咄嗟に目元を庇うセツナと眠り続ける所長を庇うように盾を掲げながら、マシュ・キリエライトは四本の太い光の柱がそれぞれに形を獲得するさまを見ていた。
「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ参上した」
まず、始めに名乗りを上げたのは、
「ほいほい。呼ばれたからには、それなりに働きますよっと」
そんな緊張感に水を差すようにかかった軽快な声は、緑衣を纏い、顔を隠した青年のものだった。
「あら、随分と可愛らしいマスターなのね」
続く、含みのある声色と共に、笑みを浮かべて中空に漂う女もまた、目深に被ったローブで美貌の殆どを秘匿している。
「ふふ。うちを召喚してくれて、おおきにありがとう。好きにやるけど――かまへんね?」
極め付けには、熟した果実のように甘くかぐわしい笑みを浮かべる、艶やかな少女。その額から生える一対の角が、彼女の出自の只ならなさを物語っていた。
泡沫の停滞と共に滅びへと向かう世界。半世紀もの長きに渡り喫煙を続けることで大成する緩やかな自殺みたいに、浮世は少しずつ着実な崩壊の最中にある。いずれ来たる終焉を回避できるか否かは、この場に集った者達の働きに掛かっていた。
時は、2015年。1年の折り返しを過ぎた。7月の終わり。人類の抗戦の幕開けであった。
ロマニの心境変化が忙しい回。