需要があるかは知らんが投下。
第二次大戦終結時の艦船の状態とその後。
1945年12月24日終戦。
○駆逐艦
神風型
・神風
シンガポールにて終戦、1946年3月日本に帰投。
復員任務に従事中、座礁し放棄。1946年9月除籍、1948年2月解体。
・追風
大湊にて終戦を迎える。復員任務に従事、1948年10月任務終了後、除籍解体 。
睦月型
・皐月
終戦を藤永田造船所で迎える。1946年1月修理完了。後、復員任務に従事、1948年10月任務終了後、除籍解体 。
・長月
リンガ泊地にて大破状態で終戦。1946年1月除籍。
1948年12月解体完了。主砲は豊洲公園に移され現存。
・菊月
珊瑚海海戦にて損傷沈没したが、米軍により引き揚げられ調査された後にフロリダ島湾内にて座礁放棄。
吹雪型(特型)
・白雲
終戦時、釧路にて中破状態、長野造船にて1946年3月修理完了。復員任務に従事。1948年10月任務終了後、除籍解体 。
・潮
横須賀にて終戦、復員任務に従事、1948年10月任務終了後、 引き続き日本海軍籍。1951年11月対馬海峡にて触雷損傷。1952年2月除籍解体。
・響
舞鶴にて終戦。復員任務に従事。1948年10月任務終了後、引き続き日本海軍籍。1954年3月除籍解体。
初春型
・初霜
終戦時、沖縄県与論島にて座礁し防空砲台に。数度の空襲を受け、損傷甚大のため1946年3月除籍解体。
白露型
朝潮型
・霞
横須賀にて終戦を迎える。浦賀船渠で終戦の二日前に修理完了。復員任務に従事。1948年10月任務終了後、引き続き日本海軍籍。1955年除籍解体。最多救助艦。
陽炎型
・雪風
終戦時は呉。天一号作戦では魚雷を受けたが不発。呉空襲も多くの艦艇が損傷、着底する中で無傷。大戦を通してほぼ無傷で生き残った豪運艦。終戦後は復員輸送に従事。後に米国が賠償艦として指名したが抽選で中華民国に引き渡された。引き渡し後の艦名は丹陽
・天津風
終戦時は八丈島にて座礁し固定砲台に。戦後、舞鶴で修理。完了後、1946年12月から復員輸送に従事。雪風とともに中華民国に引き渡された。後の艦名は汾陽。
・磯風
坊ノ岬沖海戦で損傷、久高島にて座礁放棄。1945年11月に除籍。終戦時も同島に現存、損傷甚大のため修理は行われず解体。錨は久高島に浜風の錨とともに保存展示されている。
・浜風
坊ノ岬沖海戦で損傷、久高島にて座礁放棄。1945年11月に除籍。終戦時も同島に現存、損傷甚大のため修理は行われず解体。錨は久高島に磯風の錨とともに保存展示されている。
夕雲型
・沖波
終戦時はマニラで大破着底。戦後解体。
・朝霜
終戦時、沖縄県与輪島に座礁し固定砲台に。損傷甚大のため戦後、解体。除籍は1946年3月。
・清霜
横須賀にて終戦を迎える。終戦後は復員輸送に従事。後に賠償艦として米国に引き渡し。
・妙風
舞鶴にて終戦を迎える。終戦後は復員輸送に従事。後に英国に引き渡された。英国での艦名はエアデール。
秋月型
・涼月
終戦時は佐世保、天一号作戦にて大破して満身創痍で帰還を果たす。固定砲台として利用されたのち防波堤として利用された。
・冬月
終戦時は沖縄県与論島にて大和とともに座礁し防空砲台に。数度の空襲を受け、損傷甚大のため1946年3月除籍解体。
・春月
終戦時は門司。実戦に出ることはなかった。戦後は復員船として使用されたあと、ソ連へ売却される。ソ連では駆逐艦「ヴネザープヌィイ」として朝鮮戦争時まで運用されたのち、練習艦「オスコール」となった。朝鮮戦争時には日本海軍と一触即発の事態に陥り、撃沈される未来もあったかもしれない。1963年除籍。
・宵月
終戦時は佐伯湾。天一号作戦成功により沖縄兵員輸送任務に従事。作戦行動はこれのみで終戦を迎えた。戦後復員輸送に従事し、引き続き日本海軍籍。朝鮮戦争時、姉妹艦と敵味方に別れて相対する事態になった。除籍は1964年2月。
・夏月
慣熟訓練のみで終戦を迎えた。終戦時は舞鶴。戦後復員輸送に従事。任務完了後、英国に引き渡される予定であったが引き渡し直前に油槽船武尊丸と衝突して損傷。修理完了後、日本海軍籍となった。1963年8月除籍。
・花月
天一号作戦のため出撃した臨時艦隊を佐伯湾で見送ったのち、大和他、第二艦隊を豊後水道まで護衛。戦後は復員輸送に従事。任務完了後アメリカに一時引き渡され調査された後、日本海軍に復帰。1965年12月除籍。
○軽巡洋艦
天龍型
・龍田
損傷修理、大規模近代化改修中に横須賀で終戦を迎える。レーダーピケット艦としての役割を期待されたが未成。進捗率70%で計画中止。1946年5月標的艦指定。
1953年7月ミサイル実験にて沈没。
球磨型
・北上
終戦時、呉で大破状態。戦後は復員輸送支援にあたる。
半年間の任務に従事。1946年11月標的艦指定されたが、1947年6月解体。除籍は1947年2月。
・木曽
終戦時、マニラで大破着底。1946年3月除籍。
長良型
・五十鈴
終戦時はシンガポール。1946年3月、日本帰投中、対馬海峡で触雷し大破した。修理は行われず1946年5月除籍。9月解体。
夕張型
・夕張
終戦時はサイパン島で座礁、サイパン島上陸を巡る日米の緒戦では日本陸軍に水際防衛に使用された。1944年11月除籍。1946年7月に米国によって撤去作業中、浸水により沈した。
川内型
阿賀野型
・阿賀野
終戦時は佐世保。損傷もなく戦後は復員任務に従事、1948年10月任務終了後、 引き続き日本海軍籍。
1963年3月まで艦歴22年に及んだ。
・矢矧
沖永良部島にて大破座礁着底の状態で終戦を迎えた。
天一号作戦に参加し沖縄まで残りおよそ60kmの距離であった。1945年9月、沖縄兵員輸送任務の帰路にあった皐月が曳航を試みたが失敗。矢矧の乗員を本土に連れ帰った。1945年12月除籍。その後解体。解体時期は1948年とするものと1950年とするものがある。
・酒匂
舞鶴にて終戦を迎えた。戦後は復員輸送任務に従事。
引き続き日本海軍籍。姉妹艦の阿賀野とともに戦後海軍の一翼を担った。1964年3月に除籍。
大淀型
香取型(練習巡洋艦)
・鹿島
終戦時は舞鶴。戦後は復員輸送任務に従事。
任務終了後、本来の練習巡洋艦に指定され次代の海軍の育成にあたる。1961年9月除籍。
〇重巡洋艦
古鷹型
青葉型
・青葉
呉にて大破着底状態で終戦を迎えた。
1945年12月に予備艦指定。翌年、9月より解体。
妙高型
・妙高
終戦をシンガポールで迎える。浮游していたが航行不能状態。防空砲台となっていた。1946年3月除籍。英国に引き渡されたが自沈処分。
・那智
ブルネイにて終戦を迎える。大破着底状態。1946年3月除籍。解体作業時期は不明。
高雄型
・高雄
終戦は呉にて大破着底状態で迎えた。当初は修理も検討されたが、断念され1946年3月除籍後、解体。
最上型
鈴谷型
・熊野
終戦時は台湾(高雄)にて終戦を迎えた。
大破着底状態。1946年3月除籍解体。碇は現在、神戸港にてモニュメント展示されている。
利根型
・利根
終戦を台湾(高雄)にて迎えた。レイテ沖海戦での修理を台湾で終え、単艦で本土へ向かうも米潜水艦からの雷撃を受け損傷。台湾に引き返した。船体の修理のみで機関部の修理は行われなかったため、浮き砲台の状態であった。1946年7月除籍。復員輸送中の隼鷹に曳航され、長崎で解体された。
改鈴谷型
・伊吹
終戦時は佐世保。マリアナ沖海戦で大破したのち、空母改装中にドックで終戦を迎えた。1946年3月除籍。解体作業はそのまま佐世保の海軍工廠で行われた。
〇戦艦
金剛型
扶桑型
伊勢型
・伊勢
終戦時は呉にて着底状態。呉大空襲の折、損傷し修理は行われず防空砲台として利用された。天一号作戦後に行われた沖縄への輸送作戦では航空戦艦として世界で唯一実戦を果たした。1946年1月除籍、その後解体。
・日向
姉妹艦の伊勢同様、終戦時は呉にて大破着底状態。
1946年1月除籍、その後解体。
長門型
・長門
横須賀にて終戦を迎えた。引き続き、日本海軍籍。
終戦時、損傷は軽微なものであったが、修理は1949年まで行われなかった。これは海軍内で戦艦の有用性について議論が纏まらなかった為である。1955年3月予備艦に指定。1956年8月に記念艦として保存されることが決定される。現在も海軍ミュージアムにてその勇姿を見ることが可能。
・陸奥
横須賀にて座礁大破状態で終戦を迎えた。
戦後、1946年3月除籍。その後、解体。陸奥の解体された鉄は一部が東京タワーの建材として利用された。
座礁地点の横須賀市大滝町に、駆逐艦「村雨」の碑と共に碇が展示されている。
大和型
・大和
終戦時は沖縄県与論島にて座礁し防空・固定砲台。
1946年3月除籍。戦後、アメリカ軍に徹底的に調査された為、解体作業に入ったのは1947年に入ってからである。アメリカの核実験の標的艦として検討もされたが損害が大きく曳航は不可能と判断された。
実は秘密裏に移され秘密基地にて今なお存在しているとの都市伝説もある。
〇航空母艦(艦級は省略)
・鳳翔
終戦時は呉。損傷もなく戦後は復員輸送に従事した。
復員任務完了後、除籍解体。
長野壱業が第一次上海事変の折、艦載機のパイロットであり、中国軍のコルセアと日中初の空中戦を展開している。
・瑞鶴
終戦時は柱島。日本の主力空母として唯一の生き残り。
天一号作戦で受けた損傷は応急修理が行われた程度であった。戦後も修理した後に日本海軍の空母として活躍が期待されたが軍備縮小(日本の空母保有は基準排水1万8千トン以下四隻)され、1946年8月除籍。その後解体される。
・龍鳳
終戦時は中破判定の損傷。呉にて防空砲台となった状態で終戦を迎えた。1946年3月除籍。同年7月より呉海軍工廠にて解体12月解体完了。
・大鷹
終戦時は呉。損傷もなく戦後は復員輸送に従事。
1946年11月関門海峡にて触雷し大破。12月除籍。1947年2月より解体。6月解体完了。
・神鷹(シャルンホルスト)
終戦時は舞鶴。船団輸送任務が発令され、積み込み作業中でのことであった。ドイツ籍のシャルンホルストが日本に徴用されたのはミッドウェー海戦で空母2隻を喪失した為であるが、当初はグラーフ・ツェッペリン を希望した。しかし、グラーフツェッペリンが就役間近であった為にドイツに拒否され代替として神戸に当時係留されていたシャルンホルストとなった。戦後は艤装を撤去後に復員輸送に従事。ドイツが返還を希望しため、1947年2月に上海でドイツ側に引き渡された。
・隼鷹
終戦時は佐世保。11月に損傷の修理は完了しており、数少ない作戦可能な大型艦の一隻であった。しかし、艦載機も艦を動かす燃料もなく、係留放置の状態。戦後は二度、復員輸送に従事したが悪天候、波浪によりマニラで座礁。応急修理後日本に帰着。後1947年1月除籍。
・雲龍
終戦時は横須賀で浮揚防空砲台、中破状態であった。
オホーツク海海戦の後、横須賀に戻ったが、艦を動かす燃料はなく。艦載機も陸に下ろされ連絡用に彩雲が1機残されていただけであった。戦後は修理し米国に引き渡された。米国での艦名は「バストーニュ」。
・ 天城
終戦時は横須賀。相模灘航空戦(東京空襲)で損傷、応急修理後、巧妙にカムフラージュされ終戦まで被害は出なかった。戦後は本格的に修理され、米国に引き渡された。米国での艦名は「エニウェトク」。
・葛城
呉港外の三ツ子島沿岸に停泊中、爆撃を受けるも軽微な損傷で終戦まで残り、戦後復員輸送に使用される。
復員輸送完了後、引き続き日本海軍籍。
しかし、航空機の進化、大型化に甲板の長さが足りず朝鮮戦争時には時代遅れとなった。1955年除籍後、解体された。
・ 笠置
終戦時は佐世保。1945年10月に就役。
燃料も、艦載機もなく係留放置されたまま終戦を迎えた。戦後は復員輸送に従事。完了後、引き続き日本海軍籍。第一航空艦隊の旗艦となるが葛城同様、すぐに時代遅れとなった。1955年除籍後、解体。これにともない日本の保有空母はゼロとなった。
松型駆逐艦、海防艦と潜水艦は実装未実装を問わず数が多いからカット。