ありがとうございます。
――本日のゲストは、老若男女問わず絶大な人気を誇るこの方。
人気アイドルグループ、STORMの西郷さん。
一九八三年、東京都の生まれ。
小学生のころからゲームが大好きで、特にレーシングゲームが大のお気に入り。
学校から帰るとすぐにテレビの前に噛り付いてよくお母さんに叱られていたそうです。
小学六年生のころ、友人といっしょにオーディションを受けて事務所に入り、一六歳でSTORMのメンバーとしてCDデビュー。
歌と踊りだけでなく、バラエティー番組にも数多く出演して子供から大人まで幅広い人気を集めています。
昨年はあの年末の歌合戦の白組司会にも抜擢されました。
STORMの他のメンバーも歌やバラエティー以外にも様々なジャンルで活躍されていますが、メンバーの中でも特に俳優としての活躍の場の多い西郷さん。
二〇〇×年に公開された映画、『Red Sun, Black Sand』にも実際に陸軍の兵士として硫黄島で戦った西郷さんの曽祖父の役で出演し、日本国内外で高い評価を受けました。
『Red Sun, Black Sand』のメガホンを取ったウェストツリー監督もまた、西郷さんの演技を見て「類まれなる才能だ。ハリウッドでも十分にやっていけるだろう」と高く評価したそうです。
その後も数多くの映画に出演し、現在大ヒット上映中の映画『弁護側の背信』にも、勤めている弁護士事務所の所長の不審な死をきっかけに事件の真相を追い求める新人弁護士の役で出演しています。
STORMの西郷一成さんの登場です。
「依頼人の登場です!!」
司会者のコールと同時に、スタジオの中央に設けられた扉が開き、西郷が姿を現した。
「東京都からお越しの、西郷一成さんです!!」
彼の姿が露になった瞬間、観客席からは黄色い声援が飛び交った。
――依頼人NO.1 西郷 一成 さん
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
軽く頭を下げた西郷に、司会者も倣って頭を下げた。
「聞きましたか?この声援」
司会者はスタジオの観客席を指さす。
「いつもはね、もうちょっと年配の方が多いんですよ。でも今日は若い女性ばっかり!スタッフも言ってましたよ。西郷くんが出るってSNSで流れた途端にスタジオ見学応募のメールがめちゃくちゃ増えたって」
「この間出てた秀吉の掛け軸みたいなそんな大層なお宝を持ってきたわけじゃないんですけどね……」
「いやいや、お客さんはお宝よりも西郷君見たがってますからね。でもひょっとすると、こりゃあ今回の観覧チケットをネットオークションかけた時の値段の方が、西郷君のお宝よりも高額なんでことも……」
「それは恥ずかしいですよ」
司会者と西郷の掛け合いに観客席からも笑いが零れた。
トークもひと段落したところで、スタジオの中央にはワゴンが運ばれてくる。ワゴンの上には紫の布がかけられており、その下に何が隠されているのか分からない。
「さぁ……それでは、早速お宝を拝見してみましょうか。お宝、オープン!!」
司会者の掛け声と同時にアシスタントの女性がワゴンに被さっている布を捲った。
普段なら、お値段が張りそうな美術品や骨董品らしきものを見て観客も感嘆の声をあげるところなのだが、今日のスタジオの反応は定番のそれとは異なっていた。
「おや……これは、銛ですか?」
ワゴンの上に鎮座していたのは、銛だった。組み立て式なのだろう一mに満たないほどの三本の棒が並べてあり、一番奥に並ぶ銛の先端部には三股の槍のようなものがついている。
「てっきりウェストツリー監督のメガホンとかが出てくるかと思ってましたが、一体これは?」
「これは、長野壱業提督が使っていた銛です」
「ええ!?あの長野提督の銛ですか!?」
西郷の説明に司会者は目を見開いた。観客席からも驚きの声があがる。
「僕の曽祖父はあの映画の舞台となった硫黄島で戦っていたんです。僕も祖父から聞いたのですが、何でも硫黄島を要塞にする工事の最中に長野提督が金剛で硫黄島を訪ねて物資を補給してくれたそうで、その時にどういう流れだったのかは知りませんが、曽祖父が長野提督の銛をいただいたそうなんです。硫黄島は農耕や牧畜には難しい場所なので、時にはそれを実際に使って曽祖父も漁をしていたらしいですよ」
「いや、何であの長野提督が銛持って硫黄島に来たのか不思議でしょうがないんですけど。あれ?物資ってひょっとして漁の道具のことですか?物資の補給って、自給自足するための道具ですか?それって他局で西郷君の先輩がやってる開拓島やないの?」
観客らも司会者の冗談に笑い声をあげた。西郷も笑いながら説明を続ける。
「僕も映画をきっかけに色々と調べたんですけれども、当時の硫黄島は本当にそんな感じだったみたいです。最終的に硫黄島は陥落して曽祖父も米軍の捕虜になるのですが、あの銛はその時に硫黄島に置き去りにされていたそうです。戦後曽祖父は硫黄島の戦没者慰霊会に入り、遺骨収集事業に参加した際にこの銛も回収したと聞いています」
長野壱業(一八九八~一九四五)
――長野壱業は世界四大提督の一人にも数えられる海軍軍人である。
長野は、一八九八年に群馬県○○市にあった長野豆腐店の長男として生まれ、中学校卒業後に故郷群馬を離れ海軍兵学校に入学。
入学当初から成績優秀で、時には同級生や後輩に航空機や潜水艦といった新時代の兵器について教授するなど、任官前からその類まれなる先見性から一目置かれる存在だった。
その後無事兵学校を卒業し海軍少尉となった長野は順調にキャリアを重ね、大正一五年には海軍の戦術等について研究する海軍大学校に入学。
潜水艦を使った通商破壊や空母機動部隊についての運用について研究を重ねた長野は、ここで多くの論文を執筆している。
このころに長野が立案した真珠湾奇襲計画が後に時の聯合艦隊司令長官山本五十六の目に留まり、実際の真珠湾攻撃計画の原型となったと言われている。
長野自身は対米開戦には慎重な立場を取っていたが、対米強硬派の世論の声に後押しされるかのように、一九四一年十二月八日、布哇真珠湾を日本海軍の空母機動部隊が奇襲。ここに大東亜戦争に火蓋が切られた。
山本に引き抜かれ聯合艦隊司令部となっていた長野は、アメリカ海軍による日本本土空襲計画を阻止するなど開戦当初からその智謀をもって大いに活躍したが、その後山本の戦争計画に猛反発したことでミッドウェー海戦の直前に第四艦隊へと左遷される。
その後、南方海域で行われた多数の海戦に参加して武勲を重ねた長野は、レイテ沖海戦等を経て海軍の現場指揮官から絶大な支持を得るようになる。
しかし、海軍上層部への反抗心は薄らぐことがなかったらしく、内海待機を命じられていながらも勝手に出撃して当時要塞化が進められていた硫黄島に救援物資と称して拿捕した米軍の輸送船を持ち込むなど一歩間違えば首が飛ぶようなことも平然とやってのけた。
そして、一九四五年八月一九日。米軍が上陸した沖縄を救援すべく長野率いる艦隊は、巨大台風の真っ只中に飛び込み二倍以上の艦船を擁するアメリカ艦隊を壊滅させるという奇跡を成し遂げる。長野によるアメリカ軍の予想だにしなかった反撃とそれによる甚大な損害が、トルーマン大統領に対日講和を考えさせた一因とも言われている。
戦後、長野は連合国から戦犯に指名されるが、これは連合国に多大なる損害を与えた長野に対する復讐じみた判決だった。
しかし、朝鮮戦争時に長野が戦犯に指名された理由がマスコミによって暴露されると、日本国民はアメリカの行った暴挙に対し各地で激しく反発した。
これを受けて、GHQは一九四九年に長野を戦犯から除外。戦犯の汚名を返上した長野は日本海軍の良心にして最強の提督として後世に語られることとなる。
二〇〇×年には坊の岬沖海戦に臨む長野を主人公に描いた『水平線のダイヤ』が公開されるなど、現在でも長野の人気は根強いものがある。
――改めて依頼品を見てみよう。
長野壱業の銛である。
三本に分割できる構造になっており、全て繋げるとおよそ二mほどの長さとなる。柄の材質は樫で、連結部分にねじ穴の細工を施した金具が埋め込まれているようだ。銛の先端部分は鉄でできており、三股で返しのついた針がついている。
柄の中央には『交骨尖兵』と刻まれている。この号は、軍神と謳われた戦国武将上杉謙信に肖り長野が乗艦に掲げた毘沙門天の旗印が、アメリカ海軍からは
果たして鑑定や如何に。
――依頼品 長野壱業の銛
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鑑定中
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鑑定中
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鑑定中
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「さぁ、ご本人の評価額ですけれども」
「そうですね……前にこの番組に出た長野提督の書が確か五〇万円だったので、強気に七〇万円で!!」
「おお!!では七〇万円で参りましょうか、OPEN THE PRICE!!」
その掛け声を合図に出演者がスタジオに設けられたボタンを押す。
ボタンを押すと同時に、スタジオの巨大な招き猫のセットの中央に設けられた液晶が発光する。
「-,---,---,--0」
「-,---,---,-00」
「-,---,---,000」
「-,---,--0,000」
「-,---,-00,000」
「-,---,200,000」
「-,--1,200,000」
「¥,--1,200,000」
「-,¥-1,200,000」
「-,-¥1,200,000」
「すごい!!一二〇万円ン!?」
「ええ!?」
司会者も西郷も驚きを隠せなかった。観客席からの拍手の音の間からも感嘆の声がもれている。
「え~、長野壱業の銛で間違いございません」
鑑定士が口を開く。
「長野壱業は、映画や小説の影響もあるのでしょうが最近では常勝無敗で智謀湧くが如し、知勇兼備の将と言うイメージがあります。ただ、実際にはまぁ変人のような側面があったことでも知られています。彼は南方に赴任していたころ、泊地に船を停めて海に銛一本担いで潜ることをよくやっていたそうですよ。毎回多種多様な魚を取ってきては食卓に賑わいをもたらしていたと当時の同僚の記録にあります。この銛についても当時の長野の指揮下の士官の記録に残ってましてね。レイテ沖海戦の前に、泊地の近くにワニが出ると聞いた長野提督は組み立て式の銛をもって単身ワニに立ち向かい、見事仕留めたそうです」
「えぇ!?ちょ、ちょっと待ってください。ワニって、あのワニですよね!?それを仕留めたって」
「いや、実際にこの銛が腹に刺さったワニの写真が残ってるんですよ。当時の婦人雑誌にもワニにも怯まぬ勇敢な日本兵ってタイトルで掲載されてましてね、残念ながら長野提督の顔は映っていないんですが。その後長野提督は主計課の兵たちを率いてワニを捌いて部下に振舞ったんです」
司会者も、西郷も少し引いている。自分たちの知る偉人の姿とはかけ離れたエピソードに会場は少し白けた空気に包まれた。
「通常、銛にこのような値段が付くことはまずないのですが、長野提督の逸話に登場するものであるということ、後は刻まれている言葉が珍しく意味が分かるものだったということでこの値段をつけさせていただきました。長野の書や銘を刻んだ私物については市場に出ることも稀にあるのですけれども、刻まれている言葉の意味が理解できないものであることがほとんどと言っていいでしょう。ひどいものになると南方の鳥の名前とか、貯水池なんて書いてある場合だってあるんです。この銛の柄の部分に刻まれた『交骨尖兵』の場合は、『我こそは南海に跳梁跋扈する海賊の一番槍なり』という意味と思われますが、今回のように我々にも解釈できるような勇ましい言葉が刻まれている場合には値段が高くつく傾向にあります」
「い、いや~。どうですか、西郷君」
「値段にビックリしたのもありますけど、正直なところこれでワニ突いたってエピソードの方が驚きました」
「確かに、値段よりもワニ突いてた方がインパクト強すぎますって。僕てっきり、長野提督もあの無人島で小麦粉チネってる二人組みたいに「とったど~」って言ってたぐらいかと思ってたんですけど、まさかワニを「とったど~」してるとは」
「そうですよね。島を開拓してるあの先輩たちだってワニを仕留めて食べるなんてことやってないはずですよ」
西郷の先輩を使ったネタがうけたのか、観客席の白けた空気に少し笑いが戻った。
「まさかの偉業でしたけど、これもあの長野提督所縁の品ですからね、大事になさってください」
「はい、ありがとうございました。番組の最後までよろしくお願いします」
「この後もよろしくお願いします」
――CMの後は、亡き祖母が貸金庫に残していたあの戦国武将の書が登場!!
なんだこの鑑定士さん、人を変態だとかネーミングセンスがないってディスってんの?
「『交骨尖兵』…Englishだとクロスボーンヴァンガードデース?」
「…あっ、カロッゾって提督っぽいですね」
俺にバビロニアを建国せよと申すか?
「え、夕張さん誰の事言ってるんですか?」
…ネタが通じないって悲しいなぁ。
ビロシキィからのおまけ。
銘:備州長船住兼光 暦応四年 号:雷切り兼光
-¥150,000,000
主人公の腰にぶら下がってる。マグロ捌いた刀。
皆が安いっていうから数字足しといたよ。
18.12.12