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History was changed at the momentⅡ[前編]《起》
History was changed at the momentⅡ[前編]《起》
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今を遡ること、およそ七〇年前。
大日本帝国とアメリカ合衆国が、太平洋の覇者の座をかけて激突しました。
一方、この世界史上他に類をみない大戦争の最中、二人の英雄が広大な太平洋を所狭しと駆け巡り、幾度となく干戈を交えていました。
その二人の英雄の名は、ウィリアム・ハルゼー・ジュニア。そして、長野壱業です。
アメリカ合衆国海軍大将ウィリアム・ハルゼー・ジュニア。
部下達を苛烈な言葉で奮い立たせ、自身は溢れんばかりの闘志を顕にして砲弾が飛び交う最も危険な前線を恐れることなく突き進むその雄姿から、
その凄まじい攻勢は日本海軍を幾度となく窮地に追い込み、同時にその圧倒的なカリスマとリーダーシップをもってアメリカ海軍を支えました。
一方の、大日本帝国海軍少将長野壱業。
劣勢となり敗北を重ねた日本海軍の中にあって、どんなに不利な戦況となろうと未来を予知しているかのごとき天才的な知略をもって劣勢を覆し、連合国からは「魔術師」と呼ばれ恐れられ、日本海軍では「戦神」と讃えられた智将です。
戦場の全てを見通すその神謀は最小の戦力でもって最大の戦果を挙げ、数多の艦と兵士を救う一方で敵となったアメリカ軍には災厄と破壊を振り撒き甚大な被害を与えました。
南太平洋海戦、ガダルカナル攻防戦、レイテ沖海戦、そして、坊の岬沖海戦。
ハルゼーと長野が激突した戦いは、その殆どが太平洋戦争の趨勢を大きく動かすターニングポイントとなる激戦となりました。
長野とハルゼー。その最初の激突こそ、陸上爆撃機を空母に載せて東京を空襲するという前代未聞の奇策をもって幕を開けたドゥーリットル空襲。
それは、やがて雌雄を決することとなる二人が初めて出逢った戦いであり、それから三年半に亘って続くこととなる二人の宿命が始まった戦いでした。
真珠湾奇襲からの劣勢による市民の動揺と厭戦気分を防ぐため、そして、アメリカ海軍が受けた卑劣な騙まし討ちの報いを日本に受けさせるべく僅かな戦力を持って日本の勢力圏に突入するハルゼー。
アメリカ海軍の奇策を完全に見抜き、自身の職をも投げ打つ覚悟でこれに備え、果ては自ら戦闘機に搭乗してアメリカ艦隊を迎え撃たんとする長野。
そして、奇策を成さんとする猛将と、最前線にて首級を挙げんする勇敢な智将の激突の結末は、その後の太平洋戦争の流れだけではなく、日米両国の歴史を、ひいては世界の歴史をも大きく変えることとなるのです。
History was changed at the momentⅡ
太平洋戦争シリーズ
長野 VS ハルゼー
~宿命の始まり、両雄相まみえるドゥーリットル空襲~
その第一回は、太平洋戦争における宿命のライバルとなった二人の熾烈な戦いから、兵を率いる将の在るべき姿に迫ります。
「こんばんは。みなさん、得河です。History was changed at the momentⅡ。今週からは、太平洋戦争シリーズの第二弾です。先週、先々週の二回に亘って、太平洋戦争を駆け抜け、その後の日本を守り続けた長門型戦艦二隻を主人公にお伝えいたしましたけれども、今週と来週は二回に亘って、長野壱業とウィリアム・ハルゼー・ジュニアの二人の対決を取り上げます」
「世界最大の大洋、太平洋を舞台に繰り広げられられた太平洋戦争。南方資源の獲得を目指す日本と、それを阻止すると同時に日本勢力圏の市場獲得を狙うアメリカ。太平洋を挟んだ両大国の激突によって戦場がアジア各地の、そして太平洋の陸・海・空を問わず生み出され、多数の将が己の知略と武勇の全てを尽くした四年の間の大戦。今回取り上げます、長野とハルゼーもまた、この戦争の中で死力の限りを尽くして戦い抜いた指揮官でした」
「真珠湾奇襲、ミッドウェー海戦、硫黄島の戦いなど、太平洋戦争において転換点となった戦いはいくつかありますが、この二人の戦いもまた、太平洋戦争の流れを大きく変えるものであったと言えます」
「項羽と劉邦、アレキサンダー大王とダレイオス三世、上杉謙信と武田信玄。彼らのように宿命のライバルとなった二人は、やがて、祖国の命運を背負い、世界史上最も熾烈な海戦にて因縁に決着をつけることになるのであります」
「さて、今日のその時は、昭和一七年四月一八日午前七時四一分としました。長野が駆る戦闘機が、ハルゼーの指揮下にある空母ホーネットを銃撃したその日、その時でございます」
「南太平洋海戦、ガダルカナル攻防戦、レイテ沖海戦、そして、二人の宿命の対決の終着点となった運命の坊の岬沖海戦。長野とハルゼーの繰り広げた激戦の数々は時に戦局を大きく動かし、歴史の流れを変えていきました。長野とハルゼーの二人は、太平洋戦争の結末を最も大きく左右した指揮官と言っても過言ではないかと思います」
「え~、二人の激突の裏には、知略、機転、執念が織り成す様々な熱いドラマがあったわけですけれども、その数々の激戦の、宿命の始まりこそ、今日の、ドゥーリットル空襲なのでございます」
「日本の首都東京への直接爆撃を狙うアメリカ海軍に、それを阻もうとする日本海軍。しかし、当時、ハルゼーは一機動部隊を預けられるほどの指揮官だったのに対し、長野は聯合艦隊司令部附の参謀でしかありませんでした。長野とハルゼーの最初の激突と言われているわけですけれども、実際のところ、当時の二人の立場からすれば、直接相対することなどありえないはずだったのです。そんな二人が、どのようにして巡りあい、そしてどのように戦い、どう立ち回ったのか、日米両国が戦後に纏めた資料をもとに読み解いてまいりますけれども、まずは、この両雄が、それぞれに海軍の中で頭角を顕していく経緯、今日はそこから、話を起していくことにいたします」
アメリカ合衆国ニュージャージー州東部の街エリザベス。
ニューヨークのスタテンアイランドとニューアーク湾を隔てて対岸に位置するこの街で、ハルゼーは西暦一八八二年一〇月三〇日ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・シニアの長男として生まれました。
父親もまた、海軍軍人で、ハルゼーの家系には船乗りや海軍軍人が多かったと言われています。
少年時代のハルゼーは、アメリカンフットボールに熱中する、腕白なスポーツ少年でした。
一九歳のとき、ハルゼーは海軍士官を養成する
一九〇八年。
このグレート・ホワイト・フリートには、アメリカ海軍の海軍力を世界に、特に、日露戦争に勝利した結果太平洋における最大の艦隊を保有するに至った大日本帝国海軍に誇示する狙いもあったのです。
ハルゼーも、東京に寄港した際に親善艦隊の乗組員として歓迎会に招待され、日本海海戦時の聯合艦隊旗艦三笠にて日本海軍の英雄、東郷平八郎とも顔を合わせました。
その時のことを、ハルゼーは太平洋戦争中にこう語っています。
「東郷は小海老のように小さな男だった。それゆえに胴上げして三回も高々と放り上げることもできた。しかし、もしも我々が今の状況を知っていたならば、三回目の胴上げの後に彼を受け止めたりはしなかっただろう」
「あの舞踏会で見た日本人は、皆ニヤニヤした顔を浮かべていて、その裏でよからぬ事を企んでいるようにしか思えなかった」
別の会場で東郷と出会っていた後の上司となるニミッツや盟友スプルーアンスが大きな感銘を受けていたのに対して、ハルゼーは異なる感想を抱いていました。
日本海海戦も聯合艦隊による卑怯な奇襲攻撃であり、日本人は雌猿と中国の皇帝によって中国から追放された極悪人の交尾による産物だと豪語するなど、当時からハルゼーは日本人を蔑視する思想を持っていました。
その後、ハルゼーは第一次世界大戦中は駆逐艦長として活躍し、終戦後は海軍大学校への赴任のほか、その他大部分の年月を駆逐艦乗りとして過ごしました。
しかし、そんなハルゼーに転機が訪れます。
西暦一九三四年。ハルゼーは、空母「サラトガ」の艦長職を提示されます。しかし、ハルゼーは当初この提案に困惑します。正規空母ほどの大型艦の艦長というポストは確かに魅力的ではありましたが、ハルゼーの経歴のほとんどが駆逐艦に関するものであり、航空機に関してはほとんど素人同然だったからです。
対潜戦闘であれば第一次世界大戦で経験しているため、潜水艦部隊の運用にはまだ理解がありましたが、航空機など、まさにハルゼーにとっては畑違いのものでした。
航空分野の素人であるハルゼーに空母の艦長職が打診された背景には、当時のアメリカ海軍航空部隊ならではの事情がありました。
当時、アメリカ海軍では航空部隊の指揮官になるには、パイロットの資格が必要とされていました。ところが、当時のアメリカ海軍には、パイロット資格を有し、かつ正規空母の艦長職につけられる大佐以上の階級を持つ士官は不足していたのです。
ハルゼーは悩んだ末にこの提示を了承し、パイロットの資格を得るためにペンサコラ飛行学校に入学します。
ハルゼーはこの時五一歳。若い士官らに混じって熱心に教育を受けますが、やはり年齢による体力の衰えなどもあり苦労することとなりました。しかし、ハルゼーは訓練課程を一切省略することなくその翌年にパイロット資格を得て、正式に空母サラトガの艦長に就任しました。
それからハルゼーは、それまでの駆逐艦乗りとしてのキャリアから離れ、航空部隊の指揮官としての道を歩んでいきます。
一九四〇年には航空戦闘部隊司令官に任命され、日本海軍聯合艦隊を仮想敵とし、日々訓練に明け暮れる日々を過ごしました。
ブルドックを思わせる厳つい顔つきや、歯に衣着せぬストレートで粗野な口調で部下達を鼓舞する姿、見敵必殺を徹頭徹尾貫く勇猛な指揮ぶりから、ハルゼーは
一方、長野は明治三一年五月×日、群馬県○○市にあった長野豆腐店の長男として生まれました。
小学校時代から既に優秀な成績を修めていた長野は、大正二年、一六歳の時に故郷群馬を離れ江田島にあった海軍兵学校の門を叩きます。
海軍兵学校でも、彼の成績は常に優秀でした。また、同期や後輩を誘い、休みの日曜日には度々潜水艦や航空機といった新兵器の運用、対策に関する勉強会を開くなど、とても真面目で先見性のある生徒として評価されていました。
大正五年。長野は海軍兵学校を九六名中五番目というとても優秀な成績で卒業し、海軍少尉候補生となります。
その後、装甲巡洋艦や戦艦などで軍務経験を積んだ長野は、大正一五年に海軍大学校に入学しました。
海軍大学校は、部隊を運用する指揮官に必要とされる高度な海軍戦術を学び、時には自分自身で新たな戦術を練り上げる機関です。ここで長野は、潜水艦や航空機等といった第一次世界大戦後に大きな進歩を遂げた新兵器をどう用いるのか、模索する日々を送ります。
『対潜戦闘ニ関スル意見書』
『対空戦闘ニ関スル意見書』
『
『真珠湾攻撃想定』
長野は、この海軍大学校でいくつもの新兵器を用いた戦術を提言しました。
中でも、長野が特に力を入れて研究していたのは、航空機の運用に関するものです。時には航空機を開発する技術者や、現場の整備員などとも直接意見を交わし、それらの意見を提言に盛り込むほどの熱の入れようでした。
長野が残したいくつもの戦術案は海軍大学校でも大いに評価され、海軍の上層部からも注目を集めることとなりました。
後に、大日本帝国海軍最後の聯合艦隊司令長官となる小沢冶三郎も、長野が卒業した翌年に教官として海軍大学校に赴任した際、長野が残していった航空部隊の運用に関する意見書に深い感銘を受け、彼の湧くが如き智謀を「秋山真之中将の再来」と讃え、さらに戦後には自分に航空戦術を教えてくれた大恩人の一人として、長野壱業の名前を挙げています。
こうして、後の日本海軍の指導者達に大きな影響を与える成果を残した長野は、海軍大学校を二二名中第五位の成績で卒業し、昭和五年五月、三二歳の時に海軍航空本部に配属されました。
航空本部での訓練を経てパイロット資格を得た長野は、昭和七年に空母鳳翔にパイロットとして配属され、第一次上海事変時にも出撃します。
その後、日本海軍一の錬度を誇る精鋭部隊を擁する航空母艦「加賀」の艦長などを歴任するなど、長野は日本海軍でも指折りの航空に精通した指揮官としてキャリアを積んでいきました。
そして、昭和一六年二月。
時の聯合艦隊司令長官、山本五十六は長野が海軍大学校に残した真珠湾奇襲を想定した意見書を見て、小沢と同様にその才能と智謀を大きく評価します。そして、彼を直々に聯合艦隊司令部に参謀として迎え入れました。
長野とハルゼーは、互いの海軍を仮想敵と位置づけ、それぞれに相手を打倒する策を日々検討します。
昭和一六年一二月八日。日本海軍航空部隊はハワイ島に密かに接近していました。
午前六時、空母から第一次攻撃隊一八三機が真珠湾停泊艦艇に向けて発艦。さらに、第一次攻撃隊は真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に向けて攻撃を開始。
結果、日本海軍航空部隊は戦艦八隻を行動不能とする甚大な被害をアメリカ太平洋艦隊に与えます。
長野とハルゼーの因縁の始まり、ドゥーリットル空襲まで、あと四ヶ月――
「……」
誰だ、こんな番組作ったの!? 責任者出てこい!
「零戦一機で敵艦隊に突撃した提督が智将…?」
おいなんだお前ら、その目は!?
──智将(笑)、ププ。
テメェ、ぶっとばすぞ!
《後藤陸将さんからの補足》
1 太平洋戦争シリーズはこの世界では計四週に亘って放送されました。
一回目と二回目は「日本の守護神、長門型戦艦」と題しまして太平洋戦争を駆け抜け、唯一稼動状態で生き残った二隻の戦艦にスポットをあて、その武勲を紹介していたという脳内設定です。
多分、一回目は「さらば師匠!英国東洋艦隊、暁に死す」なんてタイトルで、セイロン沖海戦を取り上げて、二回目は「侵略者を討て~さらば大日本帝国海軍、聯合艦隊最後の戦い~」と題してオホーツク海海戦を取り上げたんでしょうね。
一回目と二回目は書きませんけども。
2 史実だとハルゼーは東郷に会った時の感想を戦後に語っているのですが、自作設定で戦中に語っていたということにしました。まぁ、誰かに一度くらいは話していても不思議ではないでしょうし。
3 ハルゼーの生い立ちに関する部分のみ和暦ではなく西暦を使っているのは、日本人以外の人物の年表に和暦を使うのに違和感を感じたからです。今後は、和暦で統一していくつもりです。
4 最前線に躍り出てエースコンバットやる軍人を智将と呼ぶことに違和感を感じる人がいるかもしれませんが、まぁ、そこはカテゴリー上のことなのであまり気にしないでいただけると助かります。
5 このような対決スタイルの特集であれば、どちらかというと「英○たちの選択」の方で取り上げられた方がしっくりくるとも思います。しかし、やっぱり殿様ボイスとあのEDテーマの方が好みなので、「その時」でやらせていただきました。
6 ハルゼーに関しては本編において具体的な言及はあまりないため、今後も自分なりの解釈で描写していくことになりますのでご了承下さい。
《ピロシキィからの補足》
例によって最後の所は私が書いております。