「折本──」さて、この後に続く言葉は── 作:時間の無駄使い
「…ぃちゃん…お兄ちゃん」
幽かに聞こえた声で目を覚ますと、俺の顔を上から覗き込んでいる小町が見えた。
寝る前には消えていた筈の電気も点いているし、どうやらまだ夜のようだ。
「……ん…小町か…」
「やっと起きた…ご飯だよ、お兄ちゃん」
「あいよ…くぅあっ〜〜っ!」
伸びをして布団から出て、立とうとしたその瞬間、小町が肩に手を置く。訳が分からずベッドに座るかたちになり、そのまま小町を見る。
「…どした」と、その顔を見ながら聞くと、その顔は段々と笑顔では無くなっていった。
「…雪乃さんの事、結衣さんから聞いたよ。……だから、今のお兄ちゃんの立場は知ってる。…でもね、お兄ちゃん。これはお兄ちゃんが解決しないと、奉仕部が奉仕部じゃなくなっちゃうよ…。──だから、お兄ちゃん」
──小町も手伝うからさ、一緒に頑張ろ?
そう言って小町は俺から後ろにトッ、トッ、と僅かに下がり、いつも通りの笑顔に戻る。
「そいじゃ、まずはご飯だー!」
「お、おう…。──そうだな…飯だ」
寝起きではっきりしない思考回路に、何やら重要な事を聞いた気がしたのだが、結局のところ総てを思い出す事は出来なかった。
* * *
その後小町特製の夜ご飯を食べ、そのまま風呂に入る。
ドッと襲ってくる疲れとともに、吐き出すような長い溜め息。だが、溜め息をつこうが何をしようが、頭の中にあるのは雪ノ下の事だった。
オドオドとして、まるで何かに怯えるかのような今朝の雪ノ下の姿は、以前のそれとは完全に別物になっていた。
それに、気になるのは何も雪ノ下だけではない。
──陽乃さんも然り。
──由比ヶ浜も然り。
──そして、葉山も然り。
アイツは…葉山は、表にこそ出して居ないが、確実に雪ノ下の事自体は知っている筈だ。
陽乃さんは今朝、雪ノ下の母親までもが絡んでいるような発言をしていた。葉山家ならば──いや、そこまで言わずとも、葉山ならば、知っていてもおかしくはない。由比ヶ浜のが余程外様な筈だし、陽乃さんから聞いていても何の不思議もない。
由比ヶ浜も…そして葉山もそうだが、そうなると俺に対しての接触が今まで通りなのが謎なのだ。いやまぁ、由比ヶ浜に関しては、一部以前との相違点はあるのだが。
俺が復帰した後、奉仕部に一度も行っていないにも関わらず、由比ヶ浜は誘って来ないし、何かある度に引き合いに出してきていた葉山もそこに関して沈黙を貫いていた。更に言えば、平塚先生からすら、お呼び出しがかからなかったのだ。
「お兄ちゃん?どしたの?」
「…なぁ、小町」
「何?」
「……俺は…どうするべき何だろうな」
「………お兄ちゃんはどうなりたいの?」
「…それは──出来れば、『元通りに』なりたい」
「じゃあ、何が足らないの?」
「……それが分かってたら、苦労はしてねぇよ…」
由比ヶ浜と雪ノ下と俺。
この三人で、初めて奉仕部なのだ。
つまり、元通りになるには、俺と二人の溝を元通りに直さなくてはいけない──これは分かっている。
…でも、その方法が分からないのだ。
雪ノ下はそれどころじゃなさそうだし、由比ヶ浜には拒絶された。
更に言うなら、いつもなら俺に何かしら手助けしてくれていた様な気がする平塚先生からも、何もないという事は自分等で解決しろという事だろう。
あとは、本当に外堀から埋めていくしか無い──が、俺ではその外堀を埋める事は出来ない。
取り付く島がない、とよく言うが、本当にそんな感じだ。可能性があるならば、陽乃さん。だけど、あの人は正直何がしたいのか掴めないのがいつもの事だ。今日だって、まるでああなってしまうのが目に見えていたかの様な発言をしていたし、どこまで把握してるのか、まるで分からない。
小町も知ってる風だが、この様子では平塚先生と同じく教えてくれなさそうだ。
「…はぁ。……じゃあ、小町からお兄ちゃんにヒントを上げます。──何も難しい事じゃ無いんだけどね。…まずは、お兄ちゃんが元気でいる事です!元気があれば何でも出来る…訳じゃないけど、リフレッシュしたりすると、何かいい案も出るもんだよ?それにほら、今のお兄ちゃんには、折本さんが居るでしょ?頼るのも大事だよ?」
「……それ、実質ノーヒントだからな……。…それと、この件と折本は関係ないだろ」
「はいそこ!…あのねお兄ちゃん、関係ないから切り捨てるっていうのは、ちょっと短絡的過ぎるよ?どっかでお兄ちゃんが知らない繋がりだってあるのかも知れないし」
「…確かに」
「ね?だから先ずは、相談出来る人にじゃんじゃん相談して、それからだよ」
小町はそう言うと、自作の晩御飯に再び箸をつける。
俺も倣って、箸をすすめていった。
「まぁ本当に詰まってどうしようもなくなってたら小町も手を貸してあげるからさ。お兄ちゃんは一回当たって砕けないとね」
「満面の笑みで恐ろしい事を言うな…」
どうやら、小町曰く出来る事はまだまだあるようだ。
ならば、せめてやってみよう。
──まだ、俺にやれる事があるのなら、嘗ての『友達』と呼べたかも知れない関係に戻れると言うのなら、努力してもいいだろうと、そう思うのだった。
* * *
──雪ノ下陽乃サイド──
──同日・朝。
コンコン…。
いつも通り、朝五時半頃に目を覚ましていた私は、大学の講義の予習を軽く行い、ラジオ体操の様な健康体操を一セット終わらせると、読書に耽っていた。
「?…どうぞ」
…ガチャ……。
「あら、おはよう雪乃ちゃん。今日は早いのね。元気…って訳じゃ無さそうだけど」
「…ふん。放っておいてもらって結構よ」
「そう。…まぁ、それだけ悪態つけるなら大丈夫かな?」
「…それより姉さん」
「何?」
「──学校に、行こうと思うのだけれど」
「……え?──いや、ごめんね、今お姉ちゃんの聞き間違いじゃ無ければ、学校に行くって聞こえたんだけど」
「聞き間違いじゃないわ。そう言ったのよ」
「…大丈夫……なの?」
普通なら、有り得ない会話。
だけど、悲しい事にこの雪ノ下雪乃という私の妹に当て嵌めて言えば、それは『成立してしまう』。
それは、彼女が普通ではないから。普通で無くなってしまったから。
故に彼女には…彼女に関して言えば『成立してしまう』。
実は、冬休みのあの件以来、雪乃ちゃんは学校を休みがちになっていき、今に至っては完全に不登校になっている。
こうなった原因には、比企谷君の『例の件』が関わっているのだけど、どちらかと言えば主的な要因は寧ろ彼女自身にある。
後で聞いた話だから私も全てを知っている訳ではないけれど、どうやら比企谷君のお見舞いに行った時に一悶着あったらしいのだ。…それを悔やみ、性格の堅さが相まって、内部崩壊──というか、軽い精神崩壊の様な症状になっていた。
当然あの母に隠しておける筈もなく、極力穏便に済ませられるように静ちゃんに掛け合って波立たせない様に事態自体は解消した。
今ではそれこそ元通り…に近い状況になってはいるけれど、安心は出来ない状況には変わりが無い。だからこそ彼女は今私と一緒に実家に居るのだから。
「………大丈夫かどうかは…分からないわ。実際に『会って』みないと」
「………………………」
「…お願い、あの母を説得するのを手伝って頂戴」
「相変わらずの高圧的な態度は変わらないね、雪乃ちゃんは」
「っ………!…うっ…うぇっ…ゴホッ!ゴホッ!」
「あ…っ…。──ごめんね、雪乃ちゃん」
「…大丈夫よ。……そう、『私は大丈夫』なの」
この通り、何かあの時に関係する様な事があるだけで、えずいてしまう。
正直言って、まだ学校に行くには早いのは明らかに分かっていた。
だけど、そろそろ何か変化があっても、いいのかも知れない。
どうやら、彼の方は彼の方で、以前の重大な件が完全に片付き、落ち着くまでに少し時間が掛かっているらしいから。
それならば、まだ平気だろう。こちらに意識が傾いていないのなら、幾ばくかの救いようはある。
その間に、雪乃ちゃんを少しでも慣らせられれば、それだけでも随分違うだろう。
──だから私は、珍しく純粋に妹を応援して、母親の説得に協力した。
* * *
「──だからお願い。私を学校に行かせて頂戴」
雪乃ちゃんはそう言って真剣に母親を見る。当の本人は少し困った様な、何かしっくりとこない顔をしている。
「私は、貴女を心配しているのよ?…貴女があんなになってしまうのが、もう耐えられないの。だからこそ、貴女には別の環境を用意して──」
「…待ちなさい。…いいえ、ちょっと待って下さい」
私が、口を挟もうとした瞬間だった。
ウチの中では母親に絶対服従だった雪乃ちゃんが、殆ど初めてと言っていい反論に出ていた。当然、あの人は当惑している。
「…私は、問題から逃げるつもりはありません。…それに、これは私の問題です。だから、…お願いします」
「…………私からもお願いするわ」
「姉さん…」
「……陽乃まで…」
「貴女は雪乃ちゃんが『ああなる』のを見たくないだけなんでしょう?なら見なければいい。…娘を直視出来ないなら、しなくていい。雪乃ちゃんはしっかりと前を向いてるよ。…後ろを見てるのは貴女」
「……黙りなさい」
「黙らない。幾ら貴女とは言え、流石にこれじゃ雪乃ちゃんが可愛そうだからね」
「姉さん………」
たまには、姉らしい事をするのも良いだろう。…まぁ、この後を想像するのはちょっと怖いけどね。
──こうして、物語は
今頭の中にプロットがあるのですが、断りを今のうちに入れておきますと、しばらく折本出てこないかもです。
折本SSだよね?というツッコミが来る前に言っておきます。
これからの話は、雪ノ下を中心に回る予定なので。