「なあなあ樹季! ナスビにソースと醤油とマヨネーズと味噌をつけるとステーキの味がするんだぞ! いつも飯の事では世話になってるからな。今日は俺がナスビステーキをご馳走してやるよ!」
そんな風に嬉しそうに茄子片手に言ってきた鳴介に、俺は何とも言えない顔になった。いや、それは普通にソースと醤油とマヨネーズと味噌の味だろ……。茄子の食感じゃステーキってのも無理あるって。
どうやら今、学校で作っている家庭菜園の野菜が豊富に実っているらしい。希望者は持って帰っていいらしく、鳴介のナスビの入手場所もそこだ。採れたてだし、きっとおいしいだろう。……でもステーキはやっぱり無理あるって。
だけど俺はニコニコ笑顔の善意100%で心底「ナスビにソースと醤油とマヨネーズと味噌をつけるとステーキの味」だと信じ切っている鳴介にそれを言うのは酷だと思い、「あ、ああ。楽しみしてるよ」と答えておいた。
…………世話になってるのは俺の方だし、今度俺の小遣いでも買える輸入品の牛肉でも買ってってやるか。
たしか蜂蜜やすり下ろした玉ねぎ、ビールとかに漬けておくと硬い肉でも柔らかくなるんだよな。あとマイタケでもいいんだっけ? 本当は良い肉食わせてやりたいけど、今の俺は小学生。親に食わせてもらっているうちは、ちょっと無理だからな。そこは工夫で補おう。俺もどうにか安上がりで美味い肉が食いたくてよくやってたし。
う~ん、この時代にはまだインターネットがあまり普及していないのが悔やまれるな……。せめてクックパッドでもあれば鳴介の食生活をもうちょっとお手軽に改善できたかもしれないのに。
そんな風に俺が節約を考える主婦のようなことを考えていた、暑い暑い真夏日だった。
……俺はこの日、真夏の暑さなど吹き飛ぶような、あの恐ろしくも悲しい霊と出会ったんだ。
いつも通り授業を終えた放課後、俺達は鳴介に「学校の家庭菜園から欲しい人は野菜を採っていってもいいぞ」と言われて放課後菜園に来ていた。
ちなみに昨日は俺のテクがうなった安肉ステーキと茄子の生姜醤油炒めをご馳走して鳴介に絶賛されたばかりである。……う~ん、ゆきめさんに料理を教えた経験もあるし、こうして鳴介にちょいちょい料理を作ってるから、最近俺の料理の腕が上がっている気がするな。もっとうちでも作ってみるか。母さんも父さんも喜ぶし。こうして考えると料理できるってのもいいもんだ。むこうに置いてきちまった父さん母さんの分もきっちり親孝行だぜ。
そして俺や広たちがわきあいあいと収穫したり野菜を試食していたのだが、そんな中、中島法子……のろちゃんがピアノのレッスンがあるからと先に一人帰ることになった。それを見て俺もそういえば用事があったことを思い出し、先に帰ることをクラスメイト達に告げる。
そういえば今日は母さんに醤油と豆腐買って来てくれって頼まれてたんだよなー。危ない危ない。今日の特売のスーパーはちょっと遠いから、もうちょっと学校に長居してたら夕暮れの時刻に家に帰る所だった。
この童守町で黄昏時で一人とかフラグ過ぎて無理だっつーの! 怖いわ! 思い出してよかった……。
俺は菜園わきに置いてあったランドセルを背負うと、そのまま校庭から出ていこうとする。が、ふと背筋が粟立って背後を振り返る。そこには荷物でも取りに行くのか、学校の玄関に消えていくのろちゃんの姿。
何だろう、妙に胸騒ぎがする。
俺は心にもやもやしたものが立ち込めるのを感じると、その足は自然と玄関へと向かっていた。脇から「なんだ樹季、忘れ物か?」と克也に問いかけられるが、足は止まらない。何かに引き寄せられるようにして、俺はのろちゃんの背中を追って歩いた。
明るい外から校内へ入ると、夏のせいか普段よりよりくっきりと陰影がわかれる外と中の影響か一瞬視界が曖昧になる。
そして…………俺に気づいて振り返るのろちゃんの更に向こうに、"彼女"を見つけた。
校舎の影の中、ひときわ目立つように白く浮かび上がる彼女の姿を。
「あれ、樹季くんも帰るの? だったらよければ途中まで一緒に……」
「のろちゃん、来い!」
「え?」
俺は反射的にのろちゃんの腕を引き寄せ、後ろに下がらせた。そうすると俺は"彼女"……全身真っ白な姿の、手足の無い人形を持った女の子と対峙することになる。
………………おう。
全身真っ白で、手足の無い人形を持った、女の子、な…………。
………………。
(メリーさん回来ちゃったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!)
しかも電話の方じゃないお方だよ!! 殺傷能力的には多分どっこいだけど凄惨さでいえば上の方のお方が来ちゃったよ!? やめて俺的地獄先生ぬ~べ~トラウマランキング第二位!!
今俺かっこつけました! いや女の子守るのは男として当然なんだけど! でもかっこつけました! 背後に庇うとかやっちゃいました!! つまり俺メリー様とガチ対面! きゃあああああ! なんかサイコパワー的なものでげた箱揺らして上履き落としてきたぁぁぁぁ!!!! そして俺の眼前まで迫ってきたぁぁぁぁぁぁ!!
『私のお人形……、手足が……、ないの……』
「あ、はい」
俺気絶一歩手前。けど背後に悲鳴あげてるのろちゃんがいるから気絶も出来ない件。結果手ずからメリー様に差し出されたホラー人形受け取っちゃった件。
そしてメリー様は……えっと、控えめな表現で表すと肌荒れが凄い感じのお顔でくわっと目を光らせてこう言った。
『手足を返して!!』
「不肖藤原樹季、全力で探させていただきます!!!!」
顔面涙と鼻水の洪水の中、俺は敬礼でもって了解した。そしてこれは秘密だが、ちょびっとちびった。……本当にちょびっとだけだ……。さっきトイレで大も小も済ませておいてよかった。でなければ俺は脱糞していた自信がある。
学校のトイレでウンコできるとかすげーと時々言われるが、こう言う事があるから帰宅前のトイレタイムは重要なんだよ!
そういやメリー様渾身の台詞の時腕と足の付け根がぴりっとしたけど、これは「見つけられなかった時はここをちぎっちゃうぜ☆」っていうマーキング的な? は、はは、ははははは…………。
メリー様が居なくなった後、俺の視界はぐるんとまわって真っ白になった。
++++++
「どうした
法子の悲鳴を聞きつけて、担任の鵺野鳴介、クラスメイトの広、郷子、美樹が真っ先に駆けつける。そして頼れる相手が来たことを悟ると、法子は鵺野に抱き着いた。
「先生! 妖怪が、妖怪が……! 樹季くんが、わたしをかばってくれて……!」
「! なるほど」
鵺野はそこに居たもう一人の生徒……藤原樹季の様子を見て納得したように頷いた。
「あー……。駄目だこりゃ。立ったまま気絶してるぜ」
「のろちゃんをかばったところまではかっこいいのにねぇ……」
「無理してかっこつけようとするからよ」
霊能力少年藤原樹季。
彼は、立ったまま白目をむいて気絶していた。その手には手足の無い人形が握られていたが、メリーさんが一時的に去るまで意識を保っていただけ彼としては頑張った方である。
「とりあえず、樹季を保健室に運んでから話を聞こう。……法子。どんな妖怪が現れたか、教えてくれるな?」
++++++++
メリーさん。それはぬ~べ~の物語の中でも特殊な霊で、サイコゴーストと呼ばれるものだ。生前霊能力者だった人間が霊になる事でよりやっかいになった存在である。
一般的に広がっている話では、並外れたサイコパワーを持ったメリーさんは生前それが原因で周りから化け物扱いされていたらしい。そしてある日……大切な人形をバラバラにされた日から三日後。彼女は自殺した。それ以来毎年、自殺した七月にいろんな学校に出没して無差別に生徒を殺す……というのがメリーさんの怪談だ。
そしてこの世界ではそれは噂話ではなく現実で、よりにもよって俺自身がメリーさ……様に人形を渡される羽目になってしまった。俺はこれから一週間以内に学校に隠された人形の手足を探し出さなければ、探せなかった分の手足のパーツを引きちぎられて死ぬ羽目になる。そんなの嫌に決まってるだろ!!
……冷静に考えれば彼女の境遇は過去の鳴介に似通っており、俺自身もぬ~べ~クラスでは無い場所で、更に鳴介が居なかったらメリー様と同じ道を辿っていた可能性もあるものだ。だから無暗に怖がるのも、どうかとは、思うんだが……。
無理無理無理。超無理。
殺害方法が残酷過ぎる上に実際対面してみて超怖かったから怖がるなってのは無理です。だってトータルあの子何人殺してると思ってんだ。あと残された人形超怖い。めっちゃ強い眼力で睨んでくる。え、なに君付喪神的な何か? メリー様の相棒? それともメリー様の末端? この視線の先にはメリー様が居るの? すみません勘弁してください。丁重に扱うんで勘弁してください。
でもいくら怖くても出来れば穏やかに成仏して欲しいのはたしか。殺されてしまった今までの子供に関しては、あの世に行けばあの世が裁定を下してくれる……はず。
だから俺がすべきことは……。
「とりあえず人形の手足を集め終えた後、一瞬でも隙が出来たところを狙って鬼の手を使って俺とメリー様をつないで、俺とぬ~べ~の二人がかりで直接成仏について交渉するのがいいと思うんだ」
「(メリー様?)樹季がそれでいいなら、俺は協力するが……」
保健室で目を覚ました俺は、しばし気持ちを落ち着かせるために時間を置いた後鳴介に提案した。それに対して鳴介は了承はしてくれたものの、こちらを見る目は心配そうだ。
……ま、まあ気絶した後でこんな前向きな提案逆に大丈夫かって思うかもしれないけどさ。でもまさか「お前の昔の体験をメリーさんに見せて共感を得て心を開いてもらった上で成仏させよう」なんて鳴介の古傷に塩すりこむようなこと言えんし……。
多分結果的には漫画と同じように鬼の手を使った時点でメリー様に鳴介の記憶も流れ込むんだろうけど、それまでの過程で古傷掘り起こしてわざわざ鳴介を傷つける必要もないだろう。
結局のところ鳴介のつらい記憶を利用するみたいで申し訳ないが、俺も命がかかっているのでそこはちょっと許してほしい。……すまん鳴介。
「俺たちも人形の手足探すの手伝うぜ!」
「そうよ! ぬ~べ~クラスの結束力を見せてやるんだから!」
「そうなのだ! 樹季くんを死なせたりしないのだ!」
「しょうがないわね~。美樹ちゃんも協力してあげるわ。まかせなさい! こういうの得意よ!」
「俺も探すから、あんまり悲観すんなよ」
「た、助けてもらったんだもの! わたしも協力するわ!」
保健室に来てくれていた広、郷子、まこと、美樹、克也、のろちゃんが口々に言ってくれる。
おお、頼もしい……! それは本当に助かる。まず手足を見つけないと、多分めっちゃ攻撃してきて近づくことも不可能だからなメリー様。まずは交渉のカードを手にいれなければ。
そして翌日から、メリー様の人形の手足の探索が始まった。
が、朝教室に入った途端何故か俺はクラスメイトに奇妙なものを見るような目で見られた。俺の事情は広たちが説明してくれてるからみんな手足探しを手伝ってくれるはずなのだが、どうにもこれは同情とか哀れみの目線ではない。
「ど、どうかしたのかみんな?」
「いや、どうかしたのはあんたよ。なにそれ」
「これか? いや、カバンに詰め込むのもかわいそうだし、手でもって歩くのもちょっとアレだからさ……」
美樹が指さすのは、昨日メリー様から押し付け……託された人形様だ。
多分ちょっとでも手放した時点でメリー様の逆鱗に触れるので、家に帰ってから持ち運び専用に家庭科の授業で余った布で簡単な袋を作ったのだ。適当に扱って怒りに触れるのも嫌なので、ちゃんと息苦しくないように上半身は出るようにしてある。
そう、この人形は赤子のように繊細に丁寧に、大事に扱わねばならんのだ……! なんたってメリー様が怖いからな!
「そうじゃなくて、その服とカツラよ! あと顔もなんか変わってない!?」
「ああ」
どうやら美樹をはじめとしたクラスメイト諸君は、人形様に着させた洋服と金髪のウィッグが気になっていたらしい。いや俺も気づけよ。それつっこまれるわ。
「だって裸のまま家に持って帰ったり持ち歩くの怖……じゃなくて、お預かりしている人形だし、たいせつに扱わないとってさ」
言外に「お前ら俺はあれを持ち帰って、かつ持ったまま寝なきゃならねーんだぞ。しかも一週間。ちょっとくらい見た目を怖く無くさせてもいいだろ!」という主張を込めて言えば、何人か分かってくれたのか哀れみの表情で頷いてくれた。そうか、分かってくれたか。
俺は昨日の夜家に持ち帰った人形様をどうしたものかと考えた。だって素のままの見た目で一緒に寝るとかハードル高ぇっつーの。一週間毎朝布団に黄色い世界地図作る自信あるわ。豆太郎も流石におびえちゃって、添い寝してくれそうになかったし……。
だから最上級の敬いを込めて土下座した後「ちょ~っとお洋服着せさせて頂きますね~。お寒いでしょう?」とか「いやぁ、パンクな髪型も素敵ですけどこの金髪ロングとか似合いそうだな~! 白い肌とくっきりした目鼻立ちにはさぞお似合いかと!」とか「お肌が荒れ気味のようですから、ちょっと整えますね~。うわぁもとが美人だから化粧も映えるな~! チークの色も良くお似合いですね! 紅顔の美少女ってやつですか? いや~美しい上にお可愛らしい! あ、口紅もちょっと塗りますね~」とか……およそ昔別れた彼女にすら言えた事のない褒め言葉を猫なで声で並び立てながら、人形の見た目を整えたのだ。
フッ……学校帰りに恥を忍んで人形用の装飾品を買ったかいがあったぜ。その代りただでさえ金欠の鳴介に出費させてしまったが。……あとでちゃんと返そう。
俺のお経部屋に入る時すさまじい形相で嫌がっていた人形だが、俺が精一杯VIP扱いするとだんだんまんざらでもなさそうな感じになってきたので、見た目の改造はうまくいった。手足が無いのもひらひらのロリータ服(超高かった)で隠れているし、眼球の無い片目もファンシー柄の眼帯を作って隠した。母さんの化粧品をこっそり借りてメイクもしたから見た目だけならもう怖くない! 俺は頑張った!
「それにしても、お前やっぱり凄いな……。霊的な物質に服着せて化粧させたのか……」
「え?」
俺の昨晩の奮闘を胸をはって伝えると、ちょうど教室に入ってきた鳴介がなんとも言えない顔でそう言った。……ふと、何故か鳴介がナスビステーキを提案してきた時の俺の顔もこんなんだったのだろうかと考えた。何とも言えない時の顔ってこんなか……。
「いや、その人形は物質化しているがおそらくもとはメリーさんの霊力の塊だ。普通ならそう簡単に干渉できるもんじゃないぞ。……昨日うちに泊まらなくて大丈夫だったかと心配してたんだが、無用だったみたいだな。いやー、お前もたくましくなったもんだ」
「え、たくましくはなくない? だって気絶してたし」
「ああ。でも……なんか凄いな」
「樹季お前、また器用貧乏な事を……」
「ほ、ほっとけ!」
な、なんだこの空気は! 俺はどうにか恐怖を緩和しようと頑張ったってのに! うう……だってそうでもしないと俺寝られねーし……! この人形様、途中で「私の手足かえして……!」って泣き始めるというホラー演出までしてくんだぞ! こうでもしないと殺される前に俺のライフはゼロだよ! 衰弱死一直線だよ!!
ま、まあいい。とにかく俺の命運は、クラスメイトと鳴介にかかっているのだ!
「とにかく、今日から探索開始だ。みんな頼むぞ!」
「おう、まかしとけ!」
「頑張るのだ!」
「チッ、しかたがねーなぁ」
「元気出して、樹季くん。みんなで探せばすぐに見つかるさ!」
「ふう、やれやれ。しかたがないから、僕も手伝ってあげるよ。樹季くんを死なせたくないしね」
真っ先に男子連中が答えてくれて、続いて他の皆も元気に返事をしてくれた。俺はいい級友を持った……! こいつらホントにいい奴らだよ。
「よし! 樹季のためにメリーさんの人形の手足探し、始めるぜ!」
その後、クラスメイトだけでなく鳴介の呼びかけで「全校大掃除」という形で学校中に協力してもらいながら、人形の手足探しは続いた。しかし両腕と右足は見つかったものの、左足だけが未だ見つからず時間だけが過ぎた。どうやらメリー様は妨害霊波なるものを出しているらしく、俺と鳴介の霊感やフーチの類もまったく意味をなさないのだ。
そして気づけば一週間……ぶっちゃけ詰んでいる。
「メリー様、俺の脚じゃなくて豚足とかじゃ許してくれないかな……。そっちの方が旨いし……」
「いや、豚足は結構人を選ぶ……じゃなくて、そんなことしたら普通に怒ると思うぞ。というか人形が頷いてるんだが……」
「お前……」
俺の馬鹿な提案を鳴介と人形様の両方に否定された。つーか人形様、お前絶対意志あるだろ。合いの手が上手いのが妙に腹立つ。
「とにかく、今日は俺が一日中お前についててやる。最悪左足が見つからなくても、俺にまかせろ! 絶対守ってやるからな」
「ああ、サンキュー。心強いぜ」
頼もしい鳴介のセリフだが、それをありがたく思えど安心はできない。メリーさんは、除霊不可能な霊なのだ。経文や霊力の類は跳ね返される。
これはもう、どうにか漫画通りの流れを作って解決するしか……! いやでも、そうなると鳴介すっげー攻撃されるんだよな。毎度の事と言えど、ダチが傷つくとこなんて好んで見たくない。はて、どうしたものか……。
とか考えてたら。
「ぐあ!?」
「鳴介!?」
メリー様の攻撃が始まった! あ、あいつ邪魔者を先に排除するつもりなのか、鳴介の頭に壺ぶつけやがった! しかも推理漫画なら加害者の凶器に使われるレベルのデカい奴!!
「鳴介、鳴介! 大丈夫か!?」
鳴介の頭からは血が流れだしており、まずどう見ても大丈夫そうじゃない。
今の俺の体格じゃ簡単に鳴介を運ぶことは出来ないし、とりあえず応急処置だ。ヒーリングでなんとか出血だけでもおさえて……。
そうして、俺が鳴介にヒーリングを施している時だった。ひたりと左足に何かが触れる。そして触れられた個所から、どうしようもなく「死」を連想させる寒気が俺の体を這い上がった。
恐る恐る、視線をそちらにむける。
『左足、さがせなかったの……』
メリーさんが、そこにいた。
が、この時俺の恐怖を上回った感情があった。
「テメェ!!」
ずるりっと廊下を這うようにして現れたメリー様……いや、メリーに俺は気休め代わりに持っていた自作の札(鳴介に作り方を教えてもらった)を巻いた鉛筆を投げつけた。案の定すぐに弾かれたが、とりあえず左足からメリーの腕を放すことに成功する。
「お、おまえなぁ! 周りまきこむのはやめろよ! 鳴介死んじゃうだろ!?」
無駄と分かっていても、言わずにはいられなかった。だって、すごい血だぞ! いつも鳴介は傷だらけだけど、これその中でも絶対ヤバいやつ! 怖いけど文句の一つも言いたくなるっつーんだよ!
『ひだり、あし……よこせぇぇぇ!!』
「やだよ! ほら、お前の人形きれいにしといてやったぞ! これで満足しろよ!」
『わたしのひだりあし、かえしてぇぇ』
「テメェ人形この野郎お前まんざらでもなさそうだったじゃん!? 頑張ってもてなしただろ俺!」
いつになくはっきり霊どもに言い返す俺だが、ビビっていないわけじゃない。今はちょっとアドレナリン出過ぎてて麻痺してるけどやっぱ怖ぇ……! 人形のここ最近の上機嫌っぷりを返上するような唐突な手のひら返しにも腹立つけどその前に怖ぇ……!
鳴介が気絶している今、鬼の手は使えない。手袋を単純に外すだけでは鬼の手の力は発揮できない!
どうする、俺。どうする!?
「ええい、ままよ!!」
『!?』
漫画でしか聞いたことないセリフを叫びながら、俺がとった行動とは……メリーさんに特攻し、脚を掴まれる前に抱き着くことだった。
ちなみに人形も持ったままだったから、そのまま抱きすくめる。
「ぐああああ!?」
が、直後に凄まじい拒絶反応。……メリーの念力だ。念力で俺を引き離し、脚をちぎって殺す気だ!
けどさせてたまるか! まだ鳴介の応急処置もすんでないってのに!
ふと、その時だ。一瞬だがメリーさんの気がそれる。……誰かがメリーさんに向かって消火器をふきかけてくれたのだ。
「い、いつきくん!」
「のろちゃん!?」
そこに居たのはのろちゃんで、足をがくがく震えさせながらも消火器の吹き出し口をこちらに向けている。そして一瞬俺に向けていた念力をといたメリーの視線が、次なる邪魔者を捉える。
ヤベェ! このままだと今度はのろちゃんがやられる!
「もう一度だ!」
俺はすくんだ足を再び動かして、無理やり前へ進む。そして再度、メリーに抱き着いた。
けど今度は抱き着くだけじゃない。こうなったら、俺が鬼の手の代わりをやってやる!!
(伝われ、伝われ……!)
無茶だとしても、俺に霊能力があるってんならテレパシーくらい発動しろ! そして俺の思考と鳴介の記憶をメリーに届けてくれ!!
再度、背骨や肋骨がメリーの念力で軋む。だけど放さない、放せない。俺の巻き添えで鳴介とのろちゃんが死ぬなんてごめんだ! それに俺だって死にたくない! こっちの世界で死んだ、この世界の俺のためにもジジィになるまで生きるんだ!!
『!?』
「あ」
直後、俺の額を貫通してメリーの額に見慣れた人外の指が沈んだ。
「鳴介!?」
振り返ると、血だらけの頭をなんとか起こして鬼の手の指だけをこちらに伸ばしている鳴介。そして霊体のそれは俺の額を通過し、さっきまでの俺の願いを叶えてくれる。
流れ込む、記憶の濁流。幼い鳴介。いじめられた思い出。助けてくれた先生。
次はメリーの記憶。自慢だった超能力を、誰にも認めてもらえず恐れられ、苦しくて苦しくて悲しくて孤独だった日々。そのまま終わらせてしまった短い命。
そして俺の記憶。こちらの世界に来てからどんなに恐ろしかったか。怖くてたまらなかったか。けど同時に、どれだけ救ってもらったか。
記憶は全て混濁し、俺は成仏のため説得する言葉を思い浮かべる事も出来なかった。しかしそんな俺を、俺が抱きしめるメリーごと抱きしめた大人の腕。鳴介だ。
俺はそれに勇気づけられると、再びメリーを強く抱きしめた。
言葉はなく、ただただ俺も鳴介も流れ込んできたメリーの記憶の感情に寄り添う。それはメリーの方も同じらしく、俺達の記憶を見ているのか動く気配がない。
やがて、メリーの頬を一筋の涙がつたう。
「……ッ! 神よ! どうかこの子を成仏させてくれ!」
鳴介が経と共に発した言葉と同時に、メリーの体が光る。そして光と共に消えゆくメリーに、俺も何か一言言いたくて口を開く。けど出てきたのは喘ぐような頼りない、言葉にもならない声。
だからおれはメリーが消える寸前までずっと抱きしめていた。……この子が、来世では幸せになれるようにと祈りながら。
「先生……あの子は成仏したの?」
「……わからない。あの子は俺自身だ。もしも子供の頃美奈子先生という理解者にめぐりあえなかったら……俺もあの子のようになっていたかもしれない」
のろちゃんの問いに答えた鳴介は、後半を半ば独白のように語る。
俺は鳴介の頭に応急処置のヒーリングをほどこしながら、ぽつりとつぶやいた。
「それは俺も同じかもな。めいす……ぬ~べ~に出会えなかったらどうなってたかわからない。でもさ、信じてやろうぜ。罪を償ってあの子の魂が来世にいったら、今度こそ楽しく生きれるようにさ」
「樹季……。ああ! そうだな」
鳴介は少し元気が出たようで、俺の意見に同意してくれた。のろちゃんも頷いてくれて、場にちょっとしんみりとした空気が流れる。
しかし、俺はこれだけは言いたい。
「でもなんであいつ人形だけ残していったんだよ!!」
「ははっ、どうやらそれは霊物質じゃなくてあの子の遺品だったらしいな。もう霊気も感じないし、大事にしてやれよ」
「え、これ俺が引き取る流れ!?」
手足のパーツが残った人形だけは、あとかたもなく姿を消したメリーの代わりに俺の手元に残っていた。
その日から、俺の部屋にひとついわくつきのインテリアが増えた。
時々視線を感じるのは嘘だと思いたい。
++++++++
とある彼岸にて。
「………………」
「あ、新顔だ」
「!?」
「あれ、俺の顔になんかついてる?」
「…………」
「あ、もしかして俺と同じ顔したやつに会った?」
「…………」
「そっか。あいつ元気だった?」
「…………」
「よかったー! 俺の分も元気に生きてもらわなきゃ! あとでたっぷり冥土の土産話がききたいし!」
「…………」
「あれ、行かないの? この先があの世の入口だよ。俺は無理してとどまってるけど」
「…………」
「わかった、いいぜ。俺も丁度たいくつしてたから、話し相手になってくれよ」
「………………」
「え、俺の名前?」
「俺の名前は、藤原樹季。これから八十年くらいよろしくな!」