テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG― 作:澄々紀行
どうして違うのか。
どうして同じなのか。
あたしは何を望んでいたのか。
わたしは何を望んでいるのか。
――もうわからない。
夢と現の狭間だというのなら、いっそ全てを夢にして、少しばかりの悪夢として覚めてしまえばいいのに。
――。
さあ受け入れよう、もう手遅れだ。
無条件に自分を信じていられる時間は、手の届かぬ過去へと落ちてしまった。
ほら、泣いていないで。
顔を上げて。
現実を受け入れなさいよ――愚かな“あたし”。
「聖職者サマ!? しっかりして!」
眠るように気絶したフォルセを後ろから抱き締め、ミレイは悲痛の声をあげた。
(あたしのせいだ……)
気を失う間際に見た、フォルセの放心しきった顔を思い出すだけで、ミレイの胸中に申し訳なさと心配が溢れんばかりに生まれる。
(どうしてあんな酷いことしちゃったの? どうしてあんな酷いことが言えたの? どうして……どうして、どうして――!?)
状況どころか、自分の身に起きたことすらわからない。けれども、不安に流されてまた“暴走”状態になっては元も子もない――ただそれだけはわかるため、ミレイは泣き出しそうな眼へ必死に力をこめ、己にぐったりともたれかかる神父の身体を懸命に支え続けた。
「お前、どんだけ離れたとこにいんだよ!」
「ひゃ!?」
突然の怒鳴り声に、ミレイは肩をビクリと揺らした。
声の主たる赤毛は、ミレイへ背中を向けたまま宙を向いていた。その手に持っている木の杖で、苛立たしげに地面をガスガスとつついている。
「はあ? 巻き込まれないようにって言ったのは俺だって? そりゃあ言ったけど、逃げるにしても限度ってもんがあるだろうが。アルカディアっつったらここの前の前の前のゲイグスだぞ? ……ああ? 懐かしい? これがいわゆるホームシックかって? あっははは……
――うるせえさっさと来い!!」
ドスッ! 大きな音をたてて木の杖が地面に突き刺された。盛大なひとりごとを終えた赤毛――ハーヴェスタは、はぁー、と溜め息を吐いて脱力した。
現在、燃えた森とヘレティックだけが消えた森の前。
ミレイは気絶したフォルセを抱え、ハーヴェスタが呼ぶらしい荷馬車を待っていた。
ひとりで怒鳴る自称審判者に不審ばかりが湧いてくるが、一応は恩人。フォルセが眠っている今、嫌でも頼るしかない。精一杯の警戒と若干の軽蔑を眼に湛え、神父をぎゅうと抱き潰す。
「ったく、馬車が来るまで微妙に時間あるな…………おい、異端」
「な、なによっ!」
「そんなに強く締めたら、怪我に障るぞ。……特に脇腹」
――ほら、ぶっ刺さってただろ盛大に。ハーヴェスタは笑いながら振り向き、くるりと手を翳して、
「ヒール」
治癒術を使った。ミレイが反応する間もなく、治癒の光はフォルセを包み、その身に刻まれた傷を一瞬で消し去った。
「……あっ」
目に見えていた傷が消え――血濡れの法衣に隠れていたものも癒えたのだろう、フォルセの呼吸が少しばかり穏やかになった――ミレイは、安堵の混じった複雑な表情を浮かべた。ぎゅっと唇を噛み締める。悔しい、ハーヴェスタがその気になれば、ミレイは抵抗もできずに攻撃されるのだと知れた。
そして、別の意味でもミレイはフォルセを守れない――けれど、わかっている。無いものねだりをしても意味がないのだ。
法術が使えれば、ハーヴェスタではなく自分がフォルセを癒してやれた。いやそれ以前に
わかってはいるが、だからといってフレイヤ教に入信したいとは思えない。法術のために神を信じるなど、それこそ今己が抱き潰していた聖職者の気を悪くするだろうとミレイは思う。
「リージャ使いまくって戦ってたお蔭だな、脇腹も半分くらいは塞がってた。出血は多いし瘴気も取り込んでたけど……ま、安静にしてれば問題ないさ」
「……そう、よかった。でも聖職者サマ、禁呪のせいで法術使えないって言ってたのに……もしかして、あたしが
「そんな嘘ついてどーすんだよ。リージャ無しで戦うのだって楽じゃねぇのに。……見たところ、法術使えなかった原因は体内マナの損傷だな。全身余すとこなく痛いから、リージャで抑制してたんだろうよ」
自分もあまり詳しくないけどと前置きして、ハーヴェスタは体内マナについて少しだけ語った。
体内マナというのは、その名の通り人体を流れるマナのことだ。マナは第二の血とも呼ばれ、血管にも似た道を通って常に体内を巡っている。フォルセの場合、それが禁呪によってぶつ切り状態にされたらしい。体内のあちこちでマナが滞り、溜まっているために、身体が尋常でなく重いのだ。
更に、マナは普段から頻繁に入れ替えているほど――つまり、術として使用しているほど、身体神経に絡まるように巡り出す。魔術師だけでなく、マナを還してリージャを得る法術師も同様だ。フォルセも当然そうである――ゆえに、溜まったマナは彼の神経を直接抉り、酷い痛みの原因となっていた。
本来ならもがき苦しむしかないその激痛を、フォルセは僅かなリージャで抑え、麻痺させていたのだが――本人が眠っている今、それが彼の意志とは無関係に働いていたことを、ミレイもハーヴェスタも知ることはなかった。
「それじゃあ聖職者サマは、自分の痛みよりもあの子の……浄化を優先したってこと?」
法術を使ったということは、そういうことだ。容赦なく少年を殺そうとしたフォルセの自己犠牲に気付いて、ミレイは己の行動にますます後悔を覚える。
フォルセが銃を持った時に邪魔をしなければ。少年はあのような化け物になることなく生を終えたのだろう。死ぬのは怖い、けれどあんな姿になってまで生き長らえるなど――流石のミレイも、正しいとは思えない。
「さぁな、気になるなら本人に聞けよ。……やっと来たか」
「ふえっ? ……んきゃあっ!?」
――ドシンッ! 重量感のある落下音が突如鳴った。心臓が飛び上がるほど驚いたミレイは、力の限り抱き潰したフォルセを盾に、その正体に目をやる。
「って……馬くらいつけとけよ、怪しいだろ」
「馬?」ジト目になったハーヴェスタのぼやきに、ミレイは疑問を覚え――そして同意した。ハーヴェスタと同じようにじっとりと眼をしぼる。視線の先に現れた物があまりにも、奇怪だったからだ。
音の出所に、一台の馬車が鎮座していた。中に数人ほどの人間が乗れる箱型のもので、上には大量の荷物が無理やり乗せられている。森でフォルセが言っていたように、扉の横には橙の光を帯びたランタンが揺れており、大きな四つの車輪が箱を均等に支えあっている。
――が、その荷馬車には、肝心の動力たる馬が一頭たりとも存在していなかった。箱の前方部に背の低いローブの御者がちょこんと座っているだけで、更にその前にいる筈の、移動力である筈の馬はどれだけ目を凝らしても見当たらない。
「な、なんで馬、いないのよ。それよりどっからやってきたの、この荷馬車」
御者の手に持たれている乗馬用の鞭は何なのかと、ミレイは現実逃避ぎみに考えた。
「馬は遅いので捨てた。馬はアルカディアで牧草を貪っている」
小さな御者が、ローブの奥で口を開いた。平坦な声色だ。顔も体格も見えないために、性別も年齢も窺い知ることができない。
「馬車は急げと言われたから急いだ。可哀想な馬は急ぐために捨てられたのだ。急げと言ったのは……」
「あーはいはい俺だよ俺! 俺のせいで馬いねぇの! わかったからさっさと馬出せ! こえーからそのまま走るな!!」
「ハーヴィは怒っている。可哀想な馬だ」
怒鳴るハーヴェスタに無表情な言の葉を向けて、御者は鞭をひと振りした。パシンッ、とやや軽い音が響いたかと思えば――次の瞬間、御者の前に、二頭の馬がブルブルと鼻息荒く現れた。
「……? うえぇっ!? う、馬っ、えっいつのまに、なんで!? どうやって!?」
「よし、ちゃんと“荷馬車”になったな!」
「ちょっと! なんで納得するのよ!?」
「うるせーな、ゲイグスの世界じゃこれがフツーなの! いいからさっさと乗れ!」
中で寝てていいから、とハーヴェスタは言い捨て、ミレイの腕からフォルセをひょいと抱き上げた。そのまま器用に扉を開けて荷馬車に乗っていく。粗暴なのか優しいのかわからない男である。
その背を呆然と見送ったミレイは、頭をくらくらさせながら立ち上がった。
(い、いったい何なのよ……この世界!)
未だ眠りについている神父に、早速助けを求めたくなったが――残念ながら、既に馬車へ運ばれた後である。
(……これ、ホントに着いていっていいのかしら。審判者っていうのがウソだったら? あたし、また何か間違えちゃったりしない?)
唐突に不安になってきた。何もかもが疑惑で満ちているように感じられる。周りのもの全て、そして何よりも自分自身が信じられない。
(聖職者サマ……ああダメ、聖職者サマに頼っちゃダメ。あんなに傷付いてるヒトに、これ以上酷いことしちゃ、ダメなのよ……)
不安を胸にとぼとぼ歩き、荷馬車の扉の冷えた取っ手を掴んだその一瞬――ミレイは、変わり果ててしまった森へと恐る恐る視線を向けた。
もえさかっていた森はおかしな形に切り取られ、手前の地面には戦闘の痕跡が色濃く残っている。酷い有様、まるでミレイを責めているようだ――否、実際そうなのだろう。森から出たばかりの記憶を思い出すほど、ミレイの頭はズキズキと痛み出す。
(うう、思い出すだけで頭イタイ……。〈神の愛し子の剣〉とか黙示録とか……信じてたこと自体、なんだか夢だったみたいにはっきりしない。
どうしよう。聖職者サマ、せいしょくしゃさま……起きたら絶対、怒るわよね……)
痛みから逃れたいと、腰に提げているレムの黙示録にそっ、と手を触れる。が、期待していた安心感は得られず、無機質な革の感触だけが指先から伝った。ザラリとした真白の経本。今はどうしてだか気持ち悪い。
「おい、いたーん……異端! 早く乗れってーの!」
「う、わかってるわよ!」
償う方法なんてわからない。今のままでは“ごめんなさい”すら言えそうにない――そんな風に思うほど、ミレイの芯はあやふやになっている。
〈神の愛し子の剣〉どころか自分すらも信じられない心境で、ミレイは不可思議な荷馬車の中に、その重い足をゆっくりと乗せた。
荷馬車はあっという間に辿り着いた。時間にして、体感的には長針が一周ほどだろうか。いつまでも夜空が帰らぬ現状では、時間の経過などはっきりとはわからない。
煉瓦で作られたアーチ状の門を潜り抜ける。石造りの道が続く先、白壁ばかりの民家がポツリポツリと、場所によっては敷き詰められるように建っている。これといって特徴もなく、強いていうなら見渡す限り赤い屋根。唯一、西側の高台に見える大きな屋敷だけは例外だが――裕福も貧困も感じられず、やや黄色みを帯びた壁はどれほど時を経ているのか想像させない。
エリュシオン。あの少年の口からも聞いた名の町。確かフォルセは「変わった名だ」と呟いていた。目覚めたら理由を聞いてみたいと、ミレイは荷馬車から降りつつ思う。
「試練とか俺のこととか、聞きたいこと沢山あるだろうけど。それはこいつが起きてから一緒に説明する。だからもう少しだけ待ってな」
背負ったフォルセを指しながら、ハーヴェスタは言った。荷馬車の中でもこの調子だったため、ミレイは諦め顔で頷く。
「ただ先にこれだけ教えとく。……このゲイグスの世界は試練のための場所。ここで起きることは全部〈神の愛し子の剣〉のための出来事だ」
「……、あの子がば、化け物になったことも? あたしが森を燃やして、聖職者サマを傷つけちゃったことも?」
「そ。猪突猛進ぎみのお前が自分不信になって止まってることも、全部な」
口角だけをにい、と上げた笑みに、ミレイは心臓を鷲掴みされたような気分になった。泥のような金眼が、今は磨きあげられた鏡のようにも見え、思わず逃げ腰になる。
「あ、あなた。ホントに試練の審判者……〈神の愛し子の剣〉に関係するヒトなのよね? 信用しても、イイのよね?」
「それ俺に聞くかフツー? はぁ、これだから異端は面倒なんだ……暴走してないだけ、いいのかもしんねぇけど」
「暴走……聖職者サマも、そんなこと言ってた。ねえ、一体何のこと? あの子みたいなことを言うの? あたしがなったような、心も身体もいうこと聞かないような状態のことを言うの? 化け物になっちゃうことも、」
「あーうっせえ! 疑問系を何度も飛ばすんじゃねぇよ! ……そんなに知りたいことあるんなら、見て回れば?」
ハーヴェスタは心底迷惑だ、と言わんばかりの顔で、けれどもミレイを真正面から見つめて答えた。
(あ、わざわざこっち向いてくれた。聖職者サマ背負って大変っぽいのに。……なんだか聖職者サマみたいだわ。やっぱりいい人、なのかしら)
口調や態度のわりにどこか親切。背負うフォルセを気遣う様も丁寧この上ない。信用していいのか。疑い続けるべきなのか。ミレイは困惑するばかりである。
「見て回るって……この町を?」
「ああ、ここはゲイグスの世界にある町だからな。〈神の愛し子の剣〉やその協力者のため、力になる情報をわんさか用意してるのさ。
……だから、頭からっぽのお前でもちょっとは役立つことを詰められるんじゃねぇの?」
――訂正。目の前の男、やはり悪い相手である。
「ちょ……頭からっぽってどういう意味よ!」
「どうもこうも言ったまんまだってーの。それくらいわかれよ!」
「何を、どう、わかれって言うのよ!」
「はぁ? だってお前、………………ぇ?」
怒鳴りあいが突如止んだ。ハーヴェスタは真顔でまじまじとミレイを見つめ、危うくフォルセを落としかける。
「……な、なによ」
死んだような目。そのくせ送られる視線はミレイをきつく責め立てるような色を帯びている。怯えながら窺えば、ハーヴェスタの両肩がガクリと落とされた。その背に乗っかる金色が一緒に揺れる。耳の近くで煩かっただろうに、フォルセは目覚める気配すら見せない。
「……お前、自分のことこいつに言ってねぇの?」
「あたしのこと? 失礼ね、ちゃんと言ったわよ」
「あっそう、なんつったの」
「何って……あたしはミレイ、レムの黙示録の正当な所持者よ! って、グラツィオで」
「自己紹介じゃねーかそれ。……他には?」
「ほかぁ?」ミレイは首を傾げた。他に言うことなどあっただろうか。性別は見ての通り。年齢は言っていないが、十五、まあ見た目通り。
「まさか、気付いてない?」
金色の眼がどろんと揺れた。呆れを滲ませ、どうしてだか唖然としている。
「……あのさ。お前どこ住み?」
ほんの一瞬の沈黙を経て、ハーヴェスタは口調だけ軽く聞いてきた。
「え、いきなりなに」
「いいからさ、もったいぶらずに教えろよ」
「もう何なのよぉ……どこってあたしは、……、んん?」
「あれ?」ミレイの脳裏に闇がやって来た。何もない。何も浮かばない。何をしている。どこそこ出身のミレイです、だとか元気良く答えればいいだけの話じゃないか。なのにどうして口が開かないのか。何も言葉が出てこないのか。
ミレイの顔から血の気がすうっと引いていく。
「お前の家族ってどんなヒト?」
「…………」
「お前の救いたい“皆”ってどんなやつら?」
「……」
「お前の昔って、どんなだった?」
何も答えが、浮かばない――!!
「ど、」
「あ?」
ミレイは切羽詰まった顔で目の前の胸倉を引っ掴んだ。
「……どうしよぉおおおおっ!! ねぇっハーヴィっ、あたし、なんにも憶えてない!! おぼえてないのよぉおおおっ!!」
「うわ!? ちょおっやめろ! 揺らすな! 落とすっ、落とすぅっ、〈神の愛し子の剣〉候補落としちゃうのぉおおおおっっ!!」
がくがくと揺さぶられ、ハーヴェスタから絶叫が漏れる。一緒に神父も揺れる。落とすまいと神父の腰と臀部を鷲掴んだハーヴェスタはきっと一番頑張った。
「これっ、あたしアレよね!? アレ、ききき、き、きお、きおく……!?」
「だああああっ! 揺らすなっつってんだろーが頭からっぽオンナぁあああ!!」
この瞬間――ミレイは、自身が“記憶喪失”であることを理解した。
「んっ……ぐ、ぅ……」
喚き声の中、苦しげな呻き声が聞こえた。ミレイとハーヴェスタはピタリと動きを止め、同じ方へと視線を向ける。
双方から見つめられたフォルセはやはり目覚めることなく顔をしかめ、ハーヴェスタの後頭部にゴツンと頭をぶつけた。
「……つまり、だ」
小さな声で、ハーヴェスタが仕切りなおした。
「お前が今気付いたってことは、当然こいつも知らないわけだよな? ……お前の記憶喪失のこと」
「う、うん……だってあたし、自分が記憶喪失だなんて思いつきもしなかったのよ? っていうかよく考えたら、グラツィオまで船で来たのは憶えてるけど、それより前のことは全然思い出せない……。
っ! もしかしてあなた、知ってたの? あたしも気付かなかったのにどうして?」
「いや俺、試練の審判者だし。異端……お前の存在に気付いた時点で、どういう状態かは探らせてもらってた」
「し、審判者ってそんなこともわかるんだ……驚いたわ。さっきは疑って、ごめんなさい」
「俺は、今の今までお前が気付かなかったことの方が驚きだよ……」
「こいつもこいつでおかしいと思わなかったのか?」ハーヴェスタからフォルセへ向けられる分の呆れまでも受け、ミレイはむぎゅう、と唸った。
(気付かなかった、っていうより……考えるの、避けてたのかも)
ふと思い出したのは、森でレムの黙示録に文章が刻まれた時のことだ。あの時文章を解読したフォルセは、ミレイがヴィーグリック言語を読めないことを不思議がっていた。
ミレイもまた、不思議だった。最初の文はわかったのにどうして読めないのかと。ただそれ以上踏み込まれるのがどうしてだか怖くて――不審に思われるのを承知の上で、大慌てで誤魔化したのだった。
(もしもあの時、勇気を出して相談していたら……森で感じた不満をもっと早く口にしていたら……何か、変わっていたのかしら)
今までどうとも思わなかった些細な出来事。その全てが、重大な分岐点だったように感じられる。ミレイ自身が気付かなかった事柄を悔いても仕方がないのだが――取り返しのつかないことをしてしまった今、どうしても後悔せずにはいられない。
「ま、気付かなくても仕方ないか。異端ってのはそんなもんだ」
「……どういうこと?」
「
「あたしは黙示録のことばかり考えてたから、自分の記憶喪失にも気付かなかったってこと?」
「そういうこったな。ま、お前はまだいい方だよ。んで、
「……、へ?」
気の抜けたミレイを他所に、ハーヴェスタはにんまり笑ってフォルセを背負い直した。
「俺はあくまで審判者。ちょっとは助けてやるけど、探して見つかるもんを簡単に与えるようなことはしねぇよ。知りたいなら、自分の足で探してきな」
「さ、探すって、一体どこでどうやって」
「言ったろ? ここはゲイグスの町エリュシオン。〈神の愛し子の剣〉やその協力者のため、力になる情報を用意してるって。
――んじゃまたあとで、こいつのことは心配しなくていいから精々頑張りなー」
「あっ! ちょっと、待ちなさいよっ……ハーヴィ!」
ハーヴェスタは愉悦を口元に帯びたまま、フォルセを背負って町の中へと行ってしまった。
「あー……いっちゃった。聖職者サマ、連れてかれちゃった」
「どうしよう……」ミレイは途方にくれた。またあとで、と言ったからには迎えにでも来てくれるのかもしれない。とはいえ、見知らぬ場所でひとりにされるのは、とてもつらい。
知りたいなら探せ、とハーヴェスタは言ったが――闇に静まり返った町、一体何処に情報など転がっているのか。
「黙示録所持者は困っている。ハーヴィは不親切な馬だ」
「ひえっ……! あ、あなた、まだいたんだ」
荷馬車の御者だ。ミレイは肩を揺らして驚いた。忘れていた。荷馬車は未だ、その場に残っていたのだ。先ほど散々喚き散らかしたことを思い出し、今更ながら恥ずかしくなる。
「エリュシオンで起きている事柄は今ない。だが起きた事柄はある。名残がある。黙示録所持者は行くべきだと推奨する」
御者が、思わず右から左に流しそうになる声色で告げた。
「えーっと……この町で、何かあったの?」
「母親が殺された」
「っ!? あ、なたの……?」
「違う」
「え」
「幼子の母親が殺された」
喋り方があまりに独特だ。跳ねた心臓を抑え込みながら、ミレイは少しだけ恨みがましく御者を睨む。
けれども何かがひっかかる。殺された。母親が。誰の。幼子の。
「幼子は名をクルトという。東だ。向こうの道だ。今は町長が管理している」
「ここの町長さん? って……ちょっと、待って! あなたもどこか行っちゃうの!?」
「荷馬車はあちらの門に置く。レムの黙示録に願うなら所持者は行くべきだと推奨する。
覚えておくといい『黙示録所持者は全てを通す』。ディーヴは御者、ディーヴは頼れる御者――」
言うだけ言って、御者――ディーヴは、町の反対側にある門へと荷馬車を走らせ去っていった。
いよいよひとりになった。ミレイは不安な表情を隠さず、呆然と立ち尽くしながら考える。
「殺された……クルトって子のお母さんが。……、誰に?」
予感はある。つい最近、母親の料理をいとおしげに語った少年に会ったからだ。異形と化したあの子と関係があるのか。あの子こそがクルトという幼子なのか。もしもそうであるのなら、一体どんな悲劇があって、子が母の血に濡れなければならなかったのか。
「行くの、こわい。……でも、あの子がホントに
この世界で起きることは全て〈神の愛し子の剣〉の試練のため。
この世界にある情報は全て〈神の愛し子の剣〉とその協力者の力となる。
ハーヴェスタの言葉を信用するのなら――行く以外に、選択肢は無い。
「……行ってみよう。自分で決めて進むのは怖いし、自分のこと全然わからなくなってるけど……ひとつくらい、何かがわかってから謝りたいもの」
ほんの少しだけ、勇気を出して一歩を踏む。眠る神父を脳裏に浮かべ、ミレイは震える足を叱咤し、夜の町へと歩き出した。
目的の家はすぐ見つかった。周囲に建つ赤い屋根の家と変わらぬ外観だったが、近付くにつれ、異常なほど濃厚な血の臭いが漂ってきたからだ。
二階建てのこじんまりとした家。クルトという幼子の母が殺されたらしい、悲劇の場所。
錆びた鉄を思わせる温い風が、ミレイの鼻先を掠めていった。
顔をしかめながら歩を進めていくと、家の前にひとりの壮年の男性を見つけた。憂いの表情を浮かべ、法衣を身に纏うその姿は、どこかフォルセに似ている。
「あのぉ……」
「おや、こんばんは」
「こんばんは。あの、あたし……レムの黙示録を持ってて、ディーヴって御者さんに言われてきたんだけど……」
“黙示録所持者は全てを通す。”
そうディーヴに言われたことを思い出しながら、ミレイは恐る恐る話しかけた。
男性は驚くことなく優しく笑った。
「黙示録の方でしたか。ええ、ええ大丈夫、そのように怯えずともよろしいですよ。ディーヴのおっしゃった通り、ここが貴女の来るべき場所です」
「ありがとう。……あなたが、町長さん? なんだか聖職者サマ……あたしの知ってる神父サマみたいな格好ね」
「フラン=ヴェルニカ教団では司祭位を賜っております。ですがこのゲイグスの世界では、今だけエリュシオンの町長です」
「……、へ、へえー聖職者サマと同じ司祭サマなんだ。というか現実のヒトなのね、あなた」
このゲイグスの世界では、と。まるで当然のように言う。もはや驚きを通り越して納得してしまった。いちいち突っ込んでいてはキリがなさそうである。
「名をペトリと申します。こちらとそちらの世界では、どうぞよしなに」
優しさ溢れるその笑みに、ミレイはじんわりと安心感を覚え、素直に頭を下げた。
(聖職者サマみたいに優しいヒトで良かった。そういえば、あたし聖職者は怖いって思ってたけど……これ、記憶を失う前の感情なのかしら)
思えば、怖いと思う根拠が無い――憶えていない、と言うべきだろうか。つくづく感情だけで行動していたのだと、自分のことながら呆れかえる。
(いいわ、前のことより今のことよ。で、このヒトなんて呼ぼうかしら……)
軽い挨拶を終え、ペトリに対する呼称を暫し悩む。司祭だけど町長。ならばこちらの世界に合わせるべきか。
「じゃあ、町長さん。クルトって子のお母さん……殺されちゃったって聞いた。誰がそんなことしたのか、教えてもらえる……かしら」
行くべき、来るべきだと言われたのだから、知ることを恐れるわけにはいかないのだろう。普通なら聞くことを躊躇する事柄を、ミレイは意を決して尋ねた。
ペトリは意外にも――この世界ではそうでもないのか――不躾な質問を気にすること無く、ほう、と憂いを吐いた。
「……とても、凄惨な有様でした。子が母を手にかけることですら、信じられぬというのに……」
「やっぱり……クルトって子が、やったのね」
「ここが長い夜に入ってからの出来事です。目撃した者によれば、あの子は母を手にかけてすぐに町を出たようで……」
「誰も追わなかったの? ……あっ、ご、ごめんなさい。そんなの、怖くて追えないわよね……」
「いえ、森にはハーヴィもいましたし。こちらも変更の相次ぐ試練の準備に入っていましたので。誰も追いはしませんでした」
試練の準備。思わぬ返答に、ミレイはポカンと口を開けきった。優しい、まるで聖職者サマのよう――そう思い始めていた目の前の人物が、急に不気味に感じられる。
(あ、あんまり考えないようにしよ……ここは、不思議なゲイグスの世界。現実とは色々違うんだわ……)
身体の中心からブルリと震え、ミレイは引き気味の思考を振り払った。今は森の出口で会ったあの子、そしてクルトという幼子のことを知るべきだ。怯えを滲ませながら質問を続ける。
「あたし、聖職者サマと一緒にその子に会ったかもしれないの。その……おにいちゃんを捜しに来たって言ってたわ。クルトって子におにいちゃん……兄は、いたのかしら」
「そう歳の変わらぬ兄がいたと聞いております。確か今は、父親と共に森へ仕事に行っているとか」
森にヒトがいる。ミレイはサッと青ざめ、自身の手で燃やした範囲からは逃れたことを祈りながら、話を続ける。
「その子もまだ子供なのに……仕事?」
「活発な子らしく、将来は父親の跡を継ぐようですよ。……すみませんね、私はエリュシオンの町長ですが、現実では遠い地の司祭なので……あまり詳しくは知らないのです」
「そ、そうなんだ……ううん、気にしないで。ありがとう」
妙なところで現実と混ざっているらしい。新たに増えたゲイグスの不思議を気にしないようにしながら、ミレイは疑惑を確信に変えた。
(やっぱり、あの子が“クルト”なんだ……! でもあの子、赤毛のおにいちゃんを捜してるって言ってたわよね。赤毛っていったら、ハーヴィが思いつくけど……)
見事な赤毛を靡かせるハーヴェスタだが――流石に、クルトと歳が変わらないなどと言える見た目ではない。
「偶然、ハーヴィと同じ赤毛のおにいちゃんなのかしら」
「いいえ」
ペトリが思いもよらぬ早さで反応した。驚くミレイに、彼は憂いの欠片も見えない薄い笑みを浮かべる。
「混ざっているだけです。“おにいちゃん”を捜しに出た現実と、ハーヴィに関する記憶が」
「記憶が混ざる……? でも、自分のおにいちゃんのことよ? そんなこと簡単に起きるわけ……」
「夢と現の狭間ではよくあることなのです。それにあの子は
「!? へ、
ミレイは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
「カミサマを信じてないだけで、どうしてそんなことになるの? 信仰心なんて、そんなすぐ持てるものじゃないのに……」
「貴女の疑問に、私は答えることができません」
「ど、どうして!? 聖職者サマと同じ神父サマなんでしょ?
「貴女の疑問に、私は答えることができません」
「っ、っ……ハーヴィは、〈神の愛し子の剣〉とその協力者の力になる情報が、この町にあるって言ってたわ。それでも教えてくれないの?」
「貴女の疑問に、私は答えることができません。……私の役目は、ここで試練の者をお出迎えすることなのです」
柔らかな笑みが今は鉄面皮のような重圧を秘めている。ミレイは絶句した。フォルセに感じた壁どころではない、どう足掻いても無理なものを、ペトリの笑みから感じ取った。
(このヒトは、本当に役目以上のことをしない。……ううん、“できない”。そんな気がする)
水のマナが火の魔術を構成できないように。ペトリもまた、ミレイに対して答えることができないのだ。
「……わかったわ。納得できないけど、この世界の不思議がまたひとつ増えたってことにしとく。
それじゃあ町長さん、質問を変えるわ。クルトと
「ええ、いらっしゃいますよ」
「っ! ……ホントに?」
「クルトの母親はこの家の中で亡くなっていました。今……専門の騎士が調べております」
「専門……そのヒトが?」
「ヘレティック討伐を任務とする部隊の方です。クルトの父親の護衛についていましたが、此度の惨事を受け、おひとりだけこちらに」
生温い臭いの強い入り口を指して、ペトリは和やかに笑んだ。
「異端に関してどうしても知りたいのであれば、彼にお聞きすると良いでしょう。……いってらっしゃい、貴女に女神の御加護がありますように」
ミレイは恐怖で凝り固まった顔で、扉を開けた。ギイ、と蝶番の音がやけに大きく響き渡る。暗い。もわりとした重い空気に眉を寄せ、血の臭いに耐えながら息を吸う。酸素が少ない、なんとなくそう感じた。
この家は四人家族らしい。父と母、二人の兄弟。その数に見合った質素なテーブルと椅子が視界の中央に位置し、その更に奥を見れば使い慣らされたキッチンがあった。食事時だったのか、テーブルの上には二人分の食事が中途半端に用意されている。――皿からパンが転がり落ちた。ビチャッと水音が鳴る。まだ乾いていないようだった。
バケツをひっくり返したように濡れる赤い床と、散乱した食器や食べ物さえなければ。平穏漂う民家のひとつに過ぎないのに。
「お、おじゃましまぁす……騎士サマ、いるかしら……?」
怯えながら、ペトリの言っていた“専門の騎士”を捜す。家具や床の状態が見えるのだ、どこかにいるのは間違いない――暗闇をうっすらと照らす光を追って、ミレイはおっかなびっくり進む。
(不思議な明かり。ランタンとはちょっと違う……)
グラツィオにあった人工灯のようだ。が、どこに光源があるのかわからない。部屋の外から光だけ送られているように感じる。
「……どなたです」
「きゃあああっ!?」
部屋の奥から声が聞こえた。年若い男の声だ。やけに近くで響いたように感じたそれにミレイは悲鳴をあげ、へなへなと腰を抜かしてしまう。
声の主は、それ以上動かずミレイの動向を探っているようだった。警戒、というよりは待っている様子である。そんな気配にミレイはどうしてだか気恥ずかしさを感じ、力をこめて立ち上がった。
「あの! あたし……クルトって子のことを知るために来たの!」
「……、異端の子の?」
「そ、そう……異端……それとあたし、
「あまりおすすめはしませんよ。哀れな異端のなしたこと、貴女にはきっとつらいものばかりだ」
「いいの、あたしは今わからないことだらけで、知れることは知っておきたい。今度こそ、ちゃんと耐えて知りたいの! そうじゃないと、謝れもしない!」
「ですが……」
「お願い! あたし……レムの黙示録の所持者だから」
ああ、と気配が一言呟き、そのままゆっくりと近付いてきた。渋っていたのに呆気ない。“黙示録所持者は全てを通す”――本当に、御者ディーヴの言った通りだった。便利と思う一方、やはり不気味ではある。
ミレイはゴクリと息を呑んだ。一体どんな人物だろうか、フォルセやペトリのように優しいヒトなら良いのだが――血生臭い空気を吸って不快極まりなかったが、それ以上の緊張で喉をつっかえさせる。
「……え、」
現れた人物を見て、ミレイの口から掠れた驚きがこぼれた。
「私で良ければ、貴女の助けになりましょう。……ミレイ」
柔らかな金髪と翡翠の双眸。真白の法衣に深緑のストールを纏う優しげな“騎士”。
ミレイの前に現れたのは、今は深い眠りについている筈の聖職者――フォルセ・ティティスだった。
2015/09/28:完成
2016/12/28:加筆修正
2016/12/28:ハーメルン引越し