テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG― 作:澄々紀行
「っへっくし!」
審判者たるハーヴェスタは盛大にくしゃみした。そこはエリュシオンで唯一“屋敷”と称される三階建ての家屋、その最上階にある一人部屋。ベッドにランプ、小さなテーブルとソファ等々、黄金で彩られた豪奢な家具が適当に並び、窓辺に立つ彼の背を無言で見守っている。
その部屋の窓からは、エリュシオン含む外の景色を悠々と一望できた。見れば緩やかな丘から大して広くも狭くもない敷地を借りて、幾つかの赤い屋根がまばらに収まり、隙間を埋めるようにほっそりとした木々が植えられている。
平々凡々――見れば見るほど平和な町だ。見慣れすぎたその光景に、ハーヴェスタの口はくしゃみしながらへし曲がっていた。遠くに見える森は歪に“切り取られ”、町中では物騒な殺人が行われ、町には珍しい外来者が二人もいるのだが、それでもハーヴェスタにとっては普段と大差無いようにしか見えない。
もっと大きな刺激が、それこそ夢から一気に引き上げられるような激動があればいいんだが。ハーヴェスタは大きな溜め息を吐いた。審判者の日常は長い――飽きているのだ、色々と。
「あの異端……無事クルトの家に着いたみたいだな。ったく、ヒント与えすぎなんだよ。お人よしってキャラじゃねーだろディーヴっへっっくしっ!!」
無感情な御者を思い、ハーヴェスタは鼻をすすりながら窓を閉めた。眼を余計にどろんとさせながら振り返る――ハーヴェスタの金眼とは正反対に輝く黄金の物々が目に付いた。
居心地の良さそうな家具、いかにも金持ちが好みそうな前衛的なデザインだ。このやろう、家具のくせに俺より生き生きしてやがる、とハーヴェスタは苛立ちを隠さず舌打ちした。
逃げるように部屋を出て、廊下の赤絨毯を踏み歩き階下に向かう。一階。横広の階段を降りるハーヴェスタを広いエントランスが出迎えた。視線を巡らせ、客間へと足を運ぶ。ゆうるりとした歩調で中へ入ると、彼の趣味ではないきらびやかなテーブルとソファと、彼好みの質素な暖炉が鎮座していた。
客間のソファに寝かされ、眉を寄せて眠るフォルセを――ハーヴェスタは無表情で見下ろす。
「……〈神の愛し子の剣〉」
フォルセが痛みに呻いて寝返りを打った。治ったとはいえ怪我人だ。本来なら、ちゃんとした場所に寝かせて休ませてやるべきなのだろう。が、どうせ目覚めたら外へ出る、少々適当に寝かせておいても問題ない――ハーヴェスタはそう思いながら、死にきった眼に相応しい面で物思いに耽る。
「二千年前、あいつが持ってたのと同じ。“神の愛し子”が振るう聖なる刃。悪夢を終わらせる唯一の、
……く、あっははは」
不意にわらった。
「――顔は似てるよなあ」
神父を眺めるそのほほえみは、まるでとうに旅立った故郷へ向けているかのごとき複雑な感情で彩られていた。
暗闇から現れた見知ったヒト。ここにいる筈がないのに、とミレイは震えた声で指をさす。
「どうして……な、なんで、聖職者サマが……」
「ハーヴィに連れてかれた筈じゃあ、」呆然としたミレイの呟きに、フォルセは惨劇の行われた部屋の真ん中で申し訳なさそうに微笑んだ。
「この町の、一番大きな屋敷で休ませてもらってます。……すみません、本当なら私も共に来るべきだったのでしょうが」
「い、いいのよ……だって、疲れてるでしょうし、それに……」
言葉が出ない。言うべきことがあると頭ではわかっているのに、あまりに急すぎて心が追い付かない。
「……っ……」
ミレイは唇を噛んで、俯いた。せめてフォルセが目覚める前に何かを変えておきたかった。クルトの詳細を知るでもいい。自分の無知を直すでもいい。とにかく良い方向へ変わらないと、顔向けなんてできやしない――そう、愚かな頭で思っていたのに。
「顔を上げて、ミレイ」
優しさばかりの呼びかけに、しかしミレイは無言で首を振る。駄々をこねる幼子のようだ。ミレイはますます自分が嫌いになる。
「そんなに自分を責めないで。大丈夫。……私はクルト少年と
「……、は?」
ミレイは思わず顔を上げた。役目がどうのと、つい最近どこかで聞いた――そう、この家の前で出会った町長ペトリが言っていた言葉である。
「あなた……誰?」
怯えと不信と、けれども自身ではどうしようもない変な確信をもって――ミレイは、尋ねた。
「大丈夫。……私はクルト少年と
少しだけちぐはぐな返答と共に、フォルセは相変わらずの澄んだ瞳で微笑んだ。
少年クルトが自らの母親を殺したという、この民家。温かな食事風景を思わせる筈の食卓が乱雑し、壁や床は未だ乾かぬ血で濡れている。
夜闇の中でそうとわかるのは、淡い光が部屋を照らしているからだ。法術の一種だろうか。奥から現れたフォルセに従うように、光が少しだけ強くなった。
――対してミレイの顔は、秒を重ねるごとに表情を無くし、瞳は遠くを見つめ出す。
「クルト少年のことからお教えしましょうか? それとも
「……それが、あなたの役目だから? 役目だから、ここにいるって?」
「ええ。役目だから、此処にいます」
「……、聖職者サマ、気絶して連れてかれたわよね?」
「連れていかれましたよ。今も寝てます。ぐっすりと」
「……あぁそう。“役目”を持った聖職者サマ。でも寝てるの、聖職者サマ。まるで聖職者サマが二人いるみたいね?」
「ええ、よくわかりましたね」
「……、へぇ。そうなの。二人いるの、聖職者サマ。へぇ。へ、
――あああもう意味わかんなぁああい!!」
フォルセの眼前であることも忘れ、ミレイは頭を抱えて絶叫した。
「ミレイ」
「気にしないようにしてたけどもう無理! なんなのよこの世界! 子供は化け物になるし、あたしは燃やすし、燃えてる森は消えちゃうし、ハーヴィは恩人でムカつくし、馬のない馬車は出てくるし馬はいつの間にか現れるし!!」
「ミレイ」
「やっとまともそうな町長さんに会えたと思ったら、役目がどうのって訳わかんないこと言うし、
あ、あ、挙句の果てには眠ってる筈の聖職者サマが出てきて!? 聖職者サマ増殖!? ちょっと嬉しゲフンゴフン――んもうなんなの!? ゲイグスの世界ってなんなのよ!! もうもうもうーっ!!」
「ミレイ」
ミレイは歪みきった表情で帽子ごと頭をかきむしった。胸中の自責と度重なる不可思議が、ミレイの許容を超えたのだ。帽子につけたヒルデリアの花飾りがチクンチクンと指を突くが、その痛み以上の熱が脳も感覚も焼いていき――心なしか、服のリボンも逆立って見える。
そんなミレイを、フォルセは壊れた蓄音機のように呼び続けている。その姿は、例え司祭の位を戴いていようとも不気味でしかない。ミレイが誰かと問いかけるのも無理はなかった。
が、目の前で微笑む青年はどう見ても――フォルセ・ティティスその人である。
「そ、そうよ……これはきっと夢。うふふ、またハーヴィに頭からっぽとか言われちゃう。聖職者サマにも迷惑かけるわね。うふふ、ふふぅうぐぐぐぐ……」
早く覚めないかしら、とミレイは乾いた笑いを浮かべてほっぺをむぎゅりとつねった。
「ミレイ」
「ふふ、ふ……。……。なんでしょーか」
「私は、貴女の知りたいことのために此処にいる」
狼狽えるミレイをじっと見つめ、フォルセは言った。
「貴女が知りたいことを知るために、まず私が“何であるか”を知る必要がありますか?」
「い、言ってる意味が全然わからない……けど、ひとつだけ。思うことはあるわ」
ミレイは頭を抱えながらも、確信めいた眼差しでフォルセを見つめ返した。
慈愛に満ちた眼、常に弧を描く唇。それらを見た瞬間に湧いた思考を、おずおずと吐き出す。
「あなたは、あたしの知ってる聖職者サマにそっくりよ。でも違う。会ったばっかりの頃には似てるけど……でも、違うの」
経過した時間的には今だって“会ったばかり”に入るだろうが、少なくともミレイはそう感じていた。
目の前のフォルセは、グラツィオで出会った時の彼に近い。――表情が違うのだ。まるで何ひとつ後ろ暗い所は無いとでも言いたげな、透けるような笑みを浮かべている。
フォルセが“二人”いるというのなら、きっとここにいるフォルセは禁呪を受ける前の彼なのだろう。こうして比較対象が現れたことで、フォルセが禁呪を受ける前と後――その微細な違いを痛感する。
(でも、違うなんて今更よね。法術使えないって、ちゃんと教えてもらってたじゃない。
……それに、マナが傷付いて身体中痛かったって、あたしはハーヴィに言われるまで全然気がつかなくて、なのにあんな平気そうに動いて、あたしのこと守ってくれて……疲れて当然、変わって当然だったんだわ)
法術が無くとも、フォルセは強かった。頼れるヒトだった。だからずっと、任せきりだった。
加えてフォルセが〈神の愛し子の剣〉だったがために、ミレイは知らぬうちに全身で寄りかかっていた。けれど、そんなミレイの期待を受ける裏で、フォルセの心身は変わってしまっていたのだ。恐らくは彼が思う以上に大きく、そしてミレイが漸く気付くほどの小ささで。
(その分あたしも頑張るからって……なんて軽い言葉を言ったのかしら。あたしは結局、聖職者サマのためになんか考えてなかったのに!)
全ては、“皆を救いたい”という願いのため。レムの黙示録のため。そのために必要だったからフォルセを頼って、頼って、頼りすぎた。だから簡単に失望できた――あまりに短い間で、多くを望みすぎたのだ。
ミレイは、フォルセの家族でも何でもない。信者ですらない。だのにフォルセが〈神の愛し子の剣〉であるから「助けてくれるべき」と一方的に縁を結び、勝手に期待し、不信を覚え、裏切られたと暴走した。それでもなお優しかったフォルセを見て漸く――ミレイは、己の身勝手ぶりを理解する。
これなら、まだ〈神の愛し子の剣〉と知れる前のほうが良かった。知った後でも、グラツィオで核の魔物を前に挑んだ時くらい、フォルセを思うことができたなら。あの時の燃えるような激情は、想いは、一体ミレイのどこに隠れてしまったのだろう? それを再び見つけることができたなら、少しはマシになれるのか。
「あなたは、少なくともあたしの知ってる聖職者サマじゃないって、ほんとに心の底から思ってる。
……でも、大切なココロを忘れた今のあたしにとっては、確かに必要な役目を持ったヒトなのかもしれないわ」
「ミレイ」
「あたしは、自分のことしか考えてなかった。
「――」
「今のあたしには自信なんてこれっぽっちも残ってない。けど今だけ、もう一度だけ自分の感覚を信じることにした……だからここへ来たのよ。
……これで間違ってるなら、あたしはレムの黙示録を持つに相応しくないんだわ、きっと」
レムの黙示録を放棄する覚悟さえ持って、自身の感覚に再び賭ける。
確証はない。ただの直感だ。自信を無くしたミレイが抱いた、弱々しいにも程がある直感だ。ぶっちゃけるとヤケっぱち。後も無ければ先も見えないのにギャンブルへ身ごと投じる、そんな無謀な心境だ。
虚勢といえども胸を張って、真っ直ぐ射抜くように問いかけたミレイに対し、
「……ああ。貴女はとても、強いヒトだ」
フォルセは、微笑を少しだけ揺らした。
「……? えぇっ? な、なんで。止めてよ。あたしそんな褒められるようなことしてない。慰めなら……いらないわ」
「慰めなどではありません、貴女が
フォルセが抱いていた想い――そんなことを言われて、ミレイが拒否などできるわけがない。しかし目の前のフォルセは“フォルセとは違う”と言ったばかりだ。知りたいという欲求を抑え付け、ミレイは不審を彼に向けた。
「それが聖職者サマの本音だっていう証拠はあるの? 言ったでしょう? あたしはあなたを“あたしの聖職者サマ”だとは思えない。だからどれだけあなたが彼に似ていても、信じるわけにはいかないのよ……」
「なるほど。では私を“フォルセ・ティティス”ではなく、ペトリ町長と同じく貴女に協力する者として……ならば?」
「え。それなら……信じるしか、ないのかも……?」
「なるほど。ではやはり、私が“何であるか”を知っていただく必要がありますね」
「貴女が知りたいことを知るためにも」先程言った台詞を、フォルセは歯切れ悪く呟いた。翡翠の瞳が宙を飛ぶ。憂いを帯びた表情が、彼をますます“フォルセ”にする。
(んぐぐぐぐ……痺れた足をツンツンされてるような気分だわ。やっぱりどこをどう見ても聖職者サマ……でも、やっぱりなんか違うように見えるし……あああああっ! こんな顔、ずるいわ!!)
ミレイの眉が、年頃の少女には似合わぬほどに寄せられた。怒っているのではない、今にも叫び出しそうなのを耐えているのだ。
“フォルセが困る姿”は見ていてつらい。記憶に新しい、傷付いた彼の姿が視界をちらついて止まない。もしもこれが自分を嵌めようとする罠であるなら、これほど効果的なものはないとミレイは思う。
「じゃあ聖職、んんっ……騎士サマ。あなたが何者か、そしてその他モロモロも……教えてもらおうかしら」
「随分喧嘩腰ですね」
「し、仕方ないでしょ! あたし今、疑心暗鬼のカタマリなんだから!」
「ふふ。では、今一度ご挨拶を。
私はフォルセ・ティティス。ヴェルニカ騎士団ブリーシンガ隊にて祭士位を賜る騎士。
「うんん……町長さんから聞いたのと同じ…………ん、っ?」
「浄化した? 二年前?」ミレイは疑問符を浮かべた。胸の奥をざらりと撫でられたような不快感を覚える。
自身の知っている“彼”と目の前の“彼”――今の言葉こそが、最も違う部分ではなかろうか。
「クルト少年が
「どういう……こと?」
「過去の再現を行っているのですよ、このゲイグスの世界では」
“過去”、“再現”――フォルセの放った言葉が、ミレイの脳内をぐるぐる巡る。
「今この世界で起きている出来事は、“フォルセ・ティティス”があのヘレティックと戦い、浄化した過去に基づいたものです。
少年クルトも、その家族も、そしてこの私も……皆、過去を再現しているゲイグスの住人」
「え……そ、それじゃああなたは……元々別の誰かで、今は過去を再現するために聖職者サマになりきってるって言うの……!?」
ミレイは確かに疑った。あなたは誰かと、目の前のフォルセをはっきりと疑った。
それでも動揺を隠せぬほど目の前のフォルセは“フォルセ”であるし、何よりその明らかになった理由は、にわかに信じがたいものである。
「……どうして、そんな面倒なことをしてまで再現なんて」
この際、“何故他者の過去を忠実に再現できるのか”という疑問は置いておく――このゲイグスの世界では、不可思議なことばかり起きているのだから。
今のミレイが知りたいのは、方法ではなく理由だった。ミレイの疑問に、フォルセは何でもないような顔をする。
「試練のためです」
「し、れん……? まさか、〈神の愛し子の剣〉のための……!?」
ハーヴェスタやペトリが語った言葉を思い出し、ミレイは驚きをより顕にする。
「でもっ、それじゃあおかしいわ。だって聖職者サマ、あの子のこと初めて見たような反応だったもの! 昔の出来事を再現して、あの子もあなたと同じように本人と瓜二つなら……それこそ、お、オバケにでも遭遇したような反応になるんじゃないの!?」
「二年前に此処へ来た時、既にクルト少年は森へ行った後でした。私は今宵と同じようにこの家を調べ、そしてあの子を追いました。けれど追い付いた時にはもう……あの子は、ヘレティックと化していたのです」
「じゃあ聖職者サマは、あの子の元の姿を知らなかった……? でも、それならもっとおかしい。ここが本当に聖職者サマの過去を再現してる世界なら、聖職者サマが知らないものは存在しないハズでしょう?」
フォルセがヘレティックとなる以前のクルトを知らないのなら、当然この世界にも“子供の姿をしたクルト”は存在しない筈――ミレイはそう主張したい。
だが――、
「私が知らずとも、女神は知っている」
ミレイの疑問に対し、フォルセは否定を告げた。
「女神……サマ?」
「我らの所業を全て、余すところなく……生死の一片までもを知りつくし、そして愛している存在。
――此処は女神の創りしゲイグスの世界。〈神の愛し子の剣〉の試練がため、女神の記憶すらも情報となる」
「つまり、」フォルセが笑った。
「この世界では、私の知らぬ事実を女神の記憶で補完しているのです」
「ほ、かん……」
「覚えておくといい“女神の記憶は全てを知る。”女神は史実、女神は嘘つかない――」
歌うように言い放ったその顔は――ほんの少しだけ、違う誰かを彷彿とさせた。
「……、確信した。やっぱりあなた、聖職者サマじゃないわ」
脳がフラッと飛んでいくのを感じながら、ミレイは気が抜けたようにがくりと肩を落とした。
エリュシオンに存在する中で最も大きな屋敷。三階建て。赤い屋根の周囲から浮き出るように濃紺の屋根を被り、部屋の数だけある古びた金縁の窓は、さながら礼服のポケットのようにきっちり閉まり――と思いきや、突如バンッ! と音をたてて一斉に全開となった。
「っあああああ言い過ぎなんだよどいつもこいつもぉおおおおおっ!!」
ハーヴェスタの絶叫が夜のエリュシオンに響く。わざわざ窓を開けて言い放った、周囲の迷惑なんて知ったこっちゃない様子だ。が、事実この町にいる者共――ゲイグスの住人は、審判者が多少喧しかろうが地団駄踏もうが、まるで気に止めない。またか、と皆同じ笑顔を浮かべて名物扱いするほどである。
さて、何故ハーヴェスタが絶叫するに至ったか。その原因は彼の眼の“向こう側”にあった。――ミレイの様子を窺っていた彼にとって、向こうにいるフォルセの発言は予定外だったのである。
ドスドスと窓辺を殴りつけるその様子は、実に滑稽で喧しい。が、同じ部屋で眠っているフォルセはやはり起きない。ヘレティックとの戦闘で消耗したとはいえ、既に起きていてもおかしくはないのだが――どうしてだか、目覚める気配すら見せない。
「再現中はちゃんとなりきれってーの! なに俺の説明することまで喋ってんだ! いくらあの女が黙示録所持者だからって、言いすぎにもほどがあるだろうがあの柔らか石頭どもがぁああああっ!
……、はあ。ったく……試練やりたくねぇから異端を放り出したのに……とんだ助っ人が入ったな」
散々叫んでようやっと落ち着いたハーヴェスタは、窓をガチャンと閉め、振り返り、横たわるフォルセをじとりと見下ろした。
「再現されたのがお前の過去で良かったな? ……あれだけ言われてまだあの女を心配してるとこに、俺は感服するよ。ほんと……」
ハーヴェスタは心底からげんなりし、赤毛の頭をがしがしかきむしる。
――ザクッ。
「あん?」
痛々しい感触がハーヴェスタの指を襲った。赤毛に埋もれたヒルデリア――桃色の花弁を模した髪飾りによって、指の肉を裂いたのだ。
「……。あっ、やべ」
ハーヴェスタは慌てて指を治療した。やる気ない表情すら崩し、それどころかこの世の終わりに遭遇したような面で迅速に治癒の光を宛がう。――傷は浅かったらしく、すぐに治った。綺麗になった指を暫し見つめ、ハーヴェスタは不意に鼻でわらう。
「はっ……痛みを治すのも、抑えるのも、結構しんどいもんだよな。
いっそ痛いままの方が楽かもな。……特に、〈神の愛し子の剣〉ってやつは」
死にきった黄金の瞳が不意に揺れ、視線が指からフォルセ、そして部屋奥の暖炉に向かう。
暖炉の上には、古びた写真立てがひとつあり――赤毛の剣士と金髪の騎士が、仲良さげに写っていた。
「……本当に、顔はよく似てる。だが今はそれだけだ。俺はまだ何も認めちゃいない」
未来の幸福を誓うその写真を、ハーヴェスタは腕を軽く一振りして(魔術の風をふわりと飛ばして)優しく倒した。
「二千年ぶりに、また覚悟を決めてやる。
――似てるのが顔だけで終わるのか、俺がしっかり見定めてやんよ」
望郷にも似た色を一瞬浮かべ、ハーヴェスタは目覚めぬフォルセを見つめながら、再び“向こう側”を覗き始めた。
ゲイグスの世界はひとつの舞台である。
試練のために多くの事柄が用意され、住人総出で〈神の愛し子の剣〉を待っている。彼らは皆乞われれば力となるが、少々頭が固いので役割以上のことなどしやしない。審判者たるハーヴェスタがしょっちゅうぶちぎれるほど、ゲイグスの住人というのは融通が利かないのだ。
が、彼らの頭を少しだけ柔らかくする例外が存在していた――“黙示録所持者”である。
『覚えておくといい“黙示録所持者は全てを通す。”ディーヴは御者、ディーヴは頼れる御者――』
荷馬車の御者ディーヴの言葉通り、黙示録所持者というのは色々と優遇されるらしい。ゲイグスの住人は可能な範囲で所持者を助ける。少しばかりわかりづらいのは御愛嬌、なのかもしれない。
「特に私は身も心も“フォルセ”ですから。力になりたい、応えてやりたいと思っている貴女に対し、与えられた役目以上の情報をぽろっと口にしても……仕方がないのです」
「つまり……余計に言い過ぎたってこと?」
「ええ。ハーヴィは怒っていますね。……我々ゲイグスの住人は、融通が利きすぎるのもイケナイようです」
クルトの家は二階建てだった。クルトが暴れた痕跡か、所々がボロボロに砕けている階段を上りながら、フォルセは後を着いてくるミレイに向けてそう言った。
「予定では、彼がゲイグスの住人について説明する筈でした」
「だったらさっき言ってくれれば良かったのに! もしかしてハーヴィ、わざと何も言わないであたしを……!?
……まあいいわ。それよりあなた……ほんとは聖職者サマを演じてるだけなんでしょう? 説明は助かるけど、いいの?」
「もうまた引っ掛かった!」折れた手すりに服のリボンを引っ掛け、ミレイは唇を尖らせる。
「演じてるだけ。……本当にそう思いますか?」
首だけで振り向いたフォルセがうっそりと笑ってミレイを見下ろした。暗闇に似合うその面に、ミレイの背筋がゾクリと冷える。聖職者サマはこんな顔もするのか、いや違う目の前の彼は――
「貴女だからこそお聞きしたい」温とも冷ともつかぬ声音が、ミレイの意識を浮上させた。
「この姿も、記憶も、感情も……全てフォルセ・ティティスと同じもの。二年前を再現していると言いましたが、今の私は法術を使えない。現在のフォルセと同じ状態です。
体内マナの損傷により、この身は常にザクザクと剣で斬られるような痛みを纏い、それを僅かに残ったリージャで無理やり抑え込んでいる。
……それでも貴女は、私をフォルセではないとおっしゃいますか」
思いもよらぬ問いかけだ。芯がはっきりしていれば即答できたのだろうか――少なくともミレイは、ひゅっと息を呑んだまま固まった。
ギシギシと階段を鳴らす音が一人分減る。立ち止まったミレイを他所に、問いを投げかけた当の本人は、再び前を向いて上っていってしまった。
演じている。当の本人から告げられて、更には自身も違うと確信していてなお、ミレイの無意識は“彼”をフォルセだと認識してしまう。考えるより先に、ただ視界に入っているだけで“フォルセが傍にいる安堵感と罪悪感”をミレイに与えるのだ。
ミレイは詰めていた息をふう、と吐いた。冷静になれ。そもそも目の前の“彼”に何を求めているのか。――思い出した、知りたいことのためだ。クルトのこと、そして
「……、当然よ。だってあたしの聖職者サマは、気絶したままハーヴィに連れていかれた方だもの」
己自身に言い聞かせ、ミレイは階段を一気に上りきった。
狭い廊下から幾つか扉が見え、そのうちのひとつを前にフォルセは立ち止まっていた。聞こえていたのだろうか。フォルセは薄く笑みを浮かべている。
「……騎士サマ。あなたには“ゲイグスの住人”である自覚があるんでしょう? だったらその時点で、あなたは聖職者サマじゃない。聖職者サマを演じてるだけのヒトよ」
「ふふ。ならば貴女が出会ったあの少年も、クルトを演じているだけのヒトですか」
「……ええそうね。あの子はクルトじゃない。でも、少なくともあたしは痛いし苦しい。あの子を助けたいって今でも思ってるし、でも思い出すと恐ろしいし……もう全部が苦しくて仕方ない。
だからあなたが聖職者サマじゃなくても、あたしはこのまま行く。もう一度だけ、自分の感情を信じたいから」
「――」
「それに、あなた達が言ったのよ? 『このゲイグスの世界には〈神の愛し子の剣〉とその協力者のため、力となる情報が用意されてる』って。
だったら行くしかないじゃない……あたしは今度こそ、聖職者サマの助けになりたいんだから」
フォルセは笑ったまま下がった。フォルセのようで、どこか違う笑みを浮かべる彼の思考は、ミレイにはわからない。
ただ、今一度。望みのため、聖職者サマのため、愚かな自分を変えるため――ミレイは思ったままに行動する。そのための勇気を振り絞る。
(変わらなくちゃ……イイ方向に)
そのためならば、不可思議な舞台にだって特攻しよう。
渇いた喉をこくりと鳴らし、ミレイは扉を開いた。
2016/01/06:完成
2017/01/03:加筆修正
2017/01/03:ハーメルン引越し