テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter22 日隠れに落つ一柱

 

 グラツィオの朝は早い。

 

 三の刻には小さいながら鐘が鳴らされ(小さすぎて誰も気付かないが)、六の刻にはその鬱憤を晴らさんがごとく清々しい鐘がゴインゴイン鳴らされる。商店通りのパン屋がそれより早く準備を始めるので、皆が起きた頃には街は豊かな麦の香りでいっぱいになっているのが特徴だ。

 

 パン好きには、ある意味楽園のような朝である。たとえ朝食がリゾットであろうとも、パンが良いと駄々をこねたくなるような――

 

 

「おはよう聖職者サマ!」

 

 

 ミレイのハツラツとした“おはよう”に、フォルセは寝崩した着のまま「おはようございます……」と返した。

 

 

「今日はパンを持ってきたわ、聖職者サマ」

 

「今日“も”でしょう……毎日毎食飽きないのですか……」

 

 

 「だって美味しいんだもの」とミレイは簡素な椅子に座り、ホカホカのクリームパンを割った。麦の香りとクリームの甘い香りが、鼻を通って胃にまで広がる。

 

 

「いっただっきまーす! ……聖職者サマ、顔洗ってくれば? あはは、聖職者サマの寝起きも見慣れたわね。あはは」

 

「……。……しつれい」

 

 

 何故ミレイが我が物顔で自室に入ってきたのか。何故当然のようにモーニングセットを開いているのか――何か言いたいのに頭は回らず、フォルセは観念して洗面所に向かった。

 

 

 ここはグラツィオ教会宿舎。教団の司祭以上が個室を与えられて住まう、言うなれば彼らの居城である。

 

 個室にあるのは備え付けのテーブルと椅子、ベッドと小さなクローゼット。そして簡易ながらも立派なシャワーもある。グラツィオ一番の宿には劣るものの、節制を心掛ける教団員には逆に丁度いい部屋だった。

 

 ミレイのことは、宿舎の人間に伝えてある。己の知り合いだから、やって来たら教えてくれと――それがこうして部屋までやって来るのは、フォルセにとっては予想外だった。彼女より先に起きれば問題ないのだが、朝一番のパンを求める彼女は神父である彼よりも随分と早起きだった。

 

 魔王ノックスたる核を退けてから、早三日が経過している。そのうち全ての寝起きを見られ、フォルセは妙な敗北感を覚えるようになっていた。

 

 

(遠慮するなとは言ったけれど。だからといって、部屋まで入ってこなくても……)

 

 

 洗顔を終え、くしゃくしゃの髪を整えながらフォルセは赤面した。

 

 

「今日も早いですね、ミレイ……」

 

「朝一のパンは美味しいのよ? はいコーヒー」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 既に我が物顔で珈琲を煎れられるまでの仲である。夜になれば帰るのだからまだいい、いつの間にか居座られたらどうしようかと、フォルセは密かに悩んでいる。

 

 

「モチロン、パンだけが目当てなわけじゃないわよ。あたしはただ、早く旅に出たいだけなの」

 

「わかっております。私ももう充分動けるのですが……」

 

「もうっ、黙示録の鑑定ってそんなに時間がかかるの!? もう三日も経ってるのよ、三日!!」

 

 

 二つ目の堅焼きパンを丸かじりしながら、ミレイはぷりぷりと怒った。

 

 

 

 ミレイの怒りを説明するには、魔王ノックスを退けた夜にまで遡る必要がある。

 

 魔王ノックスである核を討った後のこと。燃え盛るビフレスト大聖堂の庭は無事消火され、フォルセとミレイは事情聴取のために騎士団本部へと連れられた。

 

 ゲイグスの世界については話せば長くなるので伏せ、二人は魔王ノックスに襲われたこと、禁呪のことについて説明した。騎士総出で敵わなかったノックスにフォルセが打ち勝てた理由は、フォルセがブリーシンガ隊の祭士であるからだと納得されたが、問題だったのはミレイが異端症(ヘレシス)であるということだった。浄化するか否かで暫し揉め、危ういところでフォルセがミレイを庇ったのである。

 

 

『彼女は暴走していない。それに彼女がいなければ、あの核の魔物には勝てなかったでしょう』

 

 

 フォルセの言葉を信じる者は――いなかった。信じ難いと言うべきか。それほどまでに異端の正常さに対して懐疑的なのだと、ミレイはぶすくれながらも感じ取っていた。

 

 

『フォルセ、無事であったか』

 

『エイルー様』

 

 

 そんな二人を解放したのは、フォルセがビフレスト大聖堂で別れた“ばかり”の大司教エイルーであった。

 

 無表情の中に心配を浮かべるアイリスパープルの美女が、フォルセにとってはどこか懐かしい。彼女ならば悪いようにはならないと、フォルセはホッと息を吐いた。

 

 

『ビフレスト大聖堂から禁呪の方陣を見た。あれを崩したのは(ぬし)か?』

 

『はい……真下におりました。なんとか食い止めようと思ったのですが、力及ばず』

 

『いや、お蔭で被害は最小に防がれた。庭にいた住人や観光客は、火事が起きた時点で避難が完了していたらしい。……リージャを失ったな?』

 

『……僅かに残りました、彼女のお蔭です』

 

 

 聖職者サマ、と制止しようとしたミレイを、フォルセは視線で逆に制した。禁呪が途中で収まった理由は未だ不明だが、あの時身体を張って立ち塞がろうとしたミレイの勇気は確かに救いとなったのだと、フォルセはエイルーに訴えたかったのだ。

 

 

『異端の少女がいると聞いたが……(ぬし)のことか』

 

『ミレイよ。その、あたしは……』

 

『エイルー様。彼女は黙示録の所持者です』

 

『……なに? 黙示録……』

 

 

 エイルーの瞳が僅かに険を帯びた。ミレイは緊張で肩を揺らし、身構える。

 

 

『なるほど。伝説が真になったということか……』

 

 

 ミレイの持つレムの黙示録を見つめ、エイルーは呟いた。

 

 黙示録は伝説として、教団に語り継がれている。教団の上層部に当たるエイルーも、当然黙示録の存在を知っていた。

 

 

『その黙示録、我に一時預けよ』

 

『えっ、だ、駄目よ!』

 

 

 突然の申し出――否、命令に、ミレイは渡してなるものかと黙示録を抱き締めた。

 

 

『盗るわけではない。伝説通りなら、黙示録は所持者を選ぶというのだからな。だが本物かどうか調べる必要がある。本物でなければ、教団としても協力はできぬのだから』

 

『エイルー様……』

 

『フォルセ……(ぬし)までそのような顔をするか。案ずるな、必ず返す。……鑑定が終わってからな』

 

 

 エイルーの言うことはもっともであった。フォルセもミレイも、試練の当事者としてレムの黙示録を信じている。だがそれだけでは駄目なのだ。このままでは、ただ黙示録の伝説に縋る狂人扱いされてしまう。

 

 エイルーならば大丈夫だ。フォルセは思い直し、警戒するミレイに向き直った。

 

 

『……ミレイ』

 

『うぅ……必ず、返してくれるなら』

 

『うむ。女神とユーミル、母なるホルスフレインに誓おう』

 

 

 こうしてレムの黙示録をエイルーに渡し、フォルセとミレイは騎士団本部を後にした。

 

 

『大丈夫です。エイルー様は約束を破るような方ではありません』

 

『聖職者サマが言うなら……信じるわ』

 

『ありがとう。この後はどうするのです?』

 

『宿に戻る。記憶喪失だけど、ちゃんと宿は取ってたのよ。……明日、また会いましょ』

 

『ではここから反対側にある教会宿舎に来てください。私は今そこに住んでいます……話を、通しておきますので』

 

 

 そんな会話を交わし、二人は別れた。どちらも疲労が積もり――特にフォルセは、禁呪の影響もあって身体が重く、ベッドに入ってからはすぐに眠りについてしまったのである。

 

 ――それが、今日から三日前のこと。

 

 

「もう我慢できない! ここで立ち往生してる間に魔王が何かしでかしたらどうするのよ!」

 

「お気持ちはよくわかります。ですが黙示録は伝説上の存在……鑑定も慎重に行われているのでしょう」

 

「わかる、わかるんだけど……ううううう……!!」

 

 

 四つ目の堅焼きパンを食べ終わったミレイ。もどかしくてしょうがないという気持ちがよく表れている。フォルセは苦笑しながらそれを宥め、空のカップを持って立ち上がった。

 

 

「新聞、取りに行きましょう。何か面白い記事でも載ってるかもしれません」

 

 

 

***

 

 

「セント=ルモルエ帝国にて入出国制限……」

 

 

 教会宿舎の一階に座り、ミレイは新聞を広げて読む。

 

 

「サン=グリアード王国では王位継承者を巡って軍部が分裂……ううん、随分きな臭いわねぇ」

 

「両国に何か覚えはありますか?」

 

「うふふ、全然」

 

 

 駄目だこりゃ、とミレイは新聞をポイと投げ出した。

 

 

「入国が制限されてるなら、セント=ルモルエには行けないわね。向かうならサン=グリアードかしら」

 

「そうですね。ノックスが手出ししないうちに、試練を終わらせなければ」

 

「でも、黙示録に新しい文章は現れてないわ。一体どこに向かえばいいのかしら……」

 

「当てはあります。勇者の詠歌律唱(ルフィアス)は残り六つ……六つと言えば、各地にある六聖地のことでしょう」

 

 

 新聞の代わりに世界地図を開き、フォルセは説明を始める。

 

 

「六聖地とは、マナの還る特別な場所です。最奥には聖霊(ファスパリエ)と呼ばれる存在が住んでおり、マナの循環を監視していると言われています。

 ここアリアン大陸には、フェニルス霊山と中央部の二箇所がありますね」

 

「そこが、試練を受けるための場所なのかもしれないのね」

 

「特別な六つであるなら、それしか考えられません。もっとも……黙示録の考えはわかりませんが」

 

「でも可能性は高い。だったら行ってみるほかないわ。……決まりね。旅立つ先は、六聖地」

 

 

 世界地図をなぞり、ミレイは嬉しそうに笑った。

 

 そこに――

 

 

「兄ちゃん達、六聖地巡礼に行くのか?」

 

 

 甲高い少年の声が二人を呼び止めた。フォルセは振り向き、驚いた。そこにいたのは三日前に別れたばかりの少年――商人の息子トビーだったのである。

 

 

「トビー……おはよう、お久し振りです。どうしたのですか?」

 

「三日前に会ったばかりだろ、変な兄ちゃんだなぁ。兄ちゃんがこないだの火事に巻き込まれたって聞いて、心配で来てみたんだ」

 

「そうだったのですか。ご心配をおかけしました、この通り大丈夫ですよ」

 

「そっか、なら良かったぜ。……それより兄ちゃん、ホントに六聖地巡礼に行くのか?」

 

 

 トビーは安堵の表情を浮かべた後、興味津々といった様子で尋ねてきた。

 

 六聖地巡礼とは、その名の通り六聖地を順に巡る旅路のことを指す。

 

 

「まだはっきりと決まったわけではありませんが……巡礼、するかもしれませんね」

 

「ねぇ聖職者サマ。六聖地に行くのってそんなにおおごとなの?」

 

「六聖地には巡る順序があるのですよ。最初は王国領土の二つ、その次が現在クローシア皇国領土と主張されている一つ、次が帝国領土。そして教団が管理する大陸中央部、最後がフェニルス霊山です。

 世界各地を巡りますからね、中には数年かけて行う者もいるほどの修練です。……とはいえ、殆どは観光がてらで終わるものですが」

 

「ふーん……大変なのねぇ」

 

「……姉ちゃん誰だ? もしかして……兄ちゃんの“これ”?」

 

 

 ミレイを訝しげに見つめていたトビーは、不意ににやけた顔になって手をぷらぷらさせた。

 

 

「旅の仲間ですよ」

 

 

 フォルセは不躾に揺れる手をやんわりと収め、手短にそう告げた。

 

 

「ミレイ、この子はトビアス。トビーと呼んでいます……あの子の兄君です」

 

「! はじめましてトビー、あたしはミレイ。聖職者サマの仲間よ」

 

 

 小声で“あの子”と言われ、思いつくのはただ一人だけだった。

 ゲイグスの世界で出会った異端の少年の兄――まさか現実で会うことになろうとは、とミレイは平静を保ちながら、心の底から驚愕していた。

 

 

「ミレイ姉ちゃんか、よろしくな!」

 

 

 ミレイの動揺に気付くことなく、トビーは二カリと快活な笑みを浮かべた。そして一転、真面目な顔付きになって二人を見上げる。

 

 

「姉ちゃんも、フォルセの兄ちゃんと巡礼に行くのか? だったらお願いだ、おれも連れてってくれ!」

 

「……ええっ!? 突然なにを……連れてってほしいから、六聖地巡礼のこと気にしてたの?」

 

 

 トビーの突然の申し出に、ミレイは内心の動揺を更に大きくして声をあげた。フォルセも同様に目を丸くしている。一体何が目的かと、真面目に見上げてくる幼い瞳をじっと窺う。

 

 

「ホントは六聖地巡礼じゃなくてもいいんだ。女神様のところに声が届けば……」

 

「何か、女神フレイヤにお伝えしたいことでも?」

 

「違う、女神様じゃなくて……俺の、弟とかーちゃんに」

 

 

 フォルセとミレイは互いに顔を見合わせた。トビーの弟と母には、ゲイグスの世界にて関わったばかりだ。こんな偶然があるだろうかと、互いに言葉を失う。

 

 

「こないだ、火事のあった日に夢を見たんだ。弟……クーがかーちゃんにすがりついて泣いてた。それからおれにごめんねって言ってくるんだ。

 おれ、二人を励ましてやりたくて。二人は悪くない、悪いのはあの異端の化け物だって」

 

「それは……」

 

 

 真実を知っているため、ミレイは素直に口を開けなかった。そして同時に悟った――トビー少年は、弟と母を異端に殺されたと勘違いしている。いや、ある意味正しいのだろうか。フォルセに目を向ければ、言いたいことを悟ったのだろう彼の口から小さく「……当時の記憶を改ざんしてしまっているようなのです」と告げられた。

 

 フォルセは一瞬瞳を伏せ、次いで慈しみを湛えた眼差しをトビーに向けた。

 

 

「お二人は……嘆いていただけでしたか?」

 

「えっ……そ、そうだな……ごめんねって言ってたけど、泣き顔でありがとうって笑ってたよ。何故か」

 

 

 「とーちゃんも同じ夢見たって言ってた」トビーは複雑そうな、しかし少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

 

 

「でしたら、トビーもお二人にありがとうを返しましょう。そのほうがお二人とも喜ぶはずです」

 

「そっかな……おれ、もうあんなこと嫌だから、だから兄ちゃんみたいな強い騎士になりたくて、でも……」

 

「お父君の跡を継がねばならないと、トビーはよくわかっているのですね」

 

「うん。おれ、とーちゃんのこと守ってやりたいんだ。もうおれしかいないから……なんとなくだけどさ、そうしなくちゃいけない気がして」

 

「そんな貴方を、お二人とも女神の御許より見守り、誇りに思っていることでしょう。

 トビー、六聖地は確かに女神の御許に近いと言われていますが、一番近いのは我らの紡ぐ愛の軌跡。いずれ流転するその時まで、貴方の愛は必ずやお二人のもとへと届くはずです」

 

 

 フォルセは神父の顔になり、ゆっくりと、染み渡るような声で言った。

 

 

「祈りや愛、生まれてきた喜びは必ずや届きます。それを信じて」

 

「……うん、わかったよ。ごめんな、話の途中だったのに」

 

「いえ、私……私達も、貴方の話が聞けて良かった」

 

「? まいっか。それじゃ、おれとーちゃんの手伝いがあるから……また会おうなっ、フォルセ兄ちゃんとミレイ姉ちゃん」

 

 

 来たときよりもどこかスッキリとした表情で、トビーは宿舎を出ていった。

 

 手を振り返していたミレイは、その背が扉の奥に消えると、神妙な顔をしてフォルセを見た。

 

 

「……届いたのかしら、あの子(クルト)の祈りは」

 

「きっと。ただの夢とは思えません」

 

 

 フォルセは何事もなくそこにある右腕を擦り、薄く笑みを浮かべて言った。

 

 

「夢のような経験でしたが、あれは間違いなく“現”でした。腕を飛ばされた痛みはまだ覚えているし、あの子を抱き締めた感触とて……この手に残っている」

 

「考えても仕方ない、か。でもあの子……クルトは最期にはありがとうって笑うことができたのよね。それがホントなら、素敵なことよ」

 

 

 ふふ、と自分のことのように微笑んで、ミレイはすっくと立ち上がった。

 

 

「次の試練も、あんな経験をするのかしら。……うーん、早く旅に出たい! いつになったら黙示録は戻ってくるの!」

 

「あの、」

 

「うひゃあああっ!?」

 

 

 気持ちを新たにしていた横から突然話しかけられ、ミレイは素っ頓狂な声をあげた。

 

 そこにいたのは、甲冑を被った一人の騎士。どこか控えめそうな雰囲気を醸し出してミレイ――を通り越してフォルセを熱く見つめている。

 

 

「フォルセ祭士とミレイさん、ですよね? 大司教エイルーより言伝を預かっております。

 『終わったので至急来るように』とのことです。でっ、では……」

 

 

 騎士はそれだけ言うと足早に立ち去っていった。その様子にフォルセは首を傾げる。

 

 

「落ち着きのない、緊張ぎみの方でしたね。どうしたのでしょう……」

 

「そんなことより聖職者サマ! 鑑定終わったって! 早く行きましょ!」

 

「ちょ、ああっ、引っ張らないで……私も黙示録も逃げませんから……」

 

 

 己らがこそ落ち着きなく会話しながら、二人は大急ぎでエイルーのもと――ビフレスト大聖堂へと向かうのだった。

 

 

 

「幼き少年を導く祭士……ああかっこよかったなぁ……」

 

 

 足早に立ち去った伝言騎士が、実は三日前の火事騒動で増えたフォルセのファンの一人であることに気付いたのは、教会宿舎で微笑む神父やシスターだけだった。

 

 

 

***

 

 

「返してくれないってどういうことよ!」

 

 

 晴天の中、冷えきった空気を漂わせるビフレスト大聖堂内部にて、ミレイの怒号が天井まで響いた。

 

 反響する怒号と今にも暴れそうなミレイを抑え、フォルセは大司教エイルーと、集まった司教団の面々を緊張した面持ちで見渡した。

 

 

「返さぬとは言っておらぬ。ただ返すのにも条件がいると言っておるのだ」

 

 

 エイルーは無表情の顔を僅かに困らせながら、フォルセとミレイに向けてそう言った。

 

 

「枢機卿団と司教団にて、黙示録が本物であるとわかった。が、それを異端に託すことに関して意見が割れてしまってな。そこで、ある条件をクリアしたならば認めようということになったのだ」

 

「認めてもらわなくても! あたしはー!」

 

「ミレイ落ち着いて! ……エイルー様、その条件とは……?」

 

「うむ。(ぬし)達にはエオスの遺跡に行ってもらいたい」

 

 

 エオスの遺跡。その場所の名にフォルセは思わず眉を寄せた。

 

 

「確か……六聖地の一つ、玉霊の誕導(ぎょくれいのたんどう)に通じる遺跡ですね?」

 

「何処よそれー!」

 

「ここから南方、コンフォ山脈にある遺跡ですよ」

 

「エオスの遺跡は一部を観光地として開放しておる。が、三日前からある異変が起きておるのだ。(ぬし)達にはそれを解決してきてもらいたい」

 

 

 その言葉を聞き、暴れていたミレイは漸く落ち着いた。

 

 

「異変の解決……それで、あたしを黙示録の所持者と認めてくれるの?」

 

「うむ」

 

「エイルー様、その……それだけで宜しいのですか?」

 

「なんだ司祭フォルセ、(ぬし)らしくもなく浅はかな」

 

「……は」

 

「異変は、遺跡にて聞こえる怪しげな“声”だ。何処から聞こえてくるともわからぬ……未だ発見されておらぬ遺跡の奥地に行くことになるやもしれぬ。気を引き締めよ」

 

「は……は、申し訳ございません。エイルー様」

 

 

 エイルーからの叱責を受け、フォルセは小さくなりながら頭を下げた。

 

 そんなフォルセを、エイルーは僅かに緩んだ目つきで見つめる。

 

 

「顔を上げよ、司祭。……ミレイとやら、これを」

 

「え、これ……レムの黙示録じゃない!」

 

 

 エイルーが取り出したのは、話題の渦中にあるレムの黙示録であった。

 

 

「返してくれないんじゃなかったの……?」

 

「それは(ぬし)のヴィグルテイン媒体としても使われておる。無ければ不便であろう」

 

「そりゃまあそうだけど……このまま持ってっちゃうとは、思わないの?」

 

「なに、その時はヴェルニカ騎士団が(ぬし)を追いかけ回すだけのこと。そこの“祭士”も含めて、な」

 

 

 言外にフォルセと仲間でいられなくなる、と言われ、ミレイはきりりと目尻を上げたまま、黙示録を腰に提げた。

 

 

「いいわ。その異変ってのを解決して、聖職者サマと堂々と旅に出てやるんだから!」

 

「エイルー様、寛大な御心に感謝致します……」

 

「いや、本当ならすぐにでも旅立たせてやりたかった。許せ」

 

 

 黙示録を返そうと尽力したのだろう。エイルーの表情はフォルセらへの気遣いを湛えており、だからこそフォルセも同じような顔つきで再び頭を下げた。

 

 

「それでは、いってまいります」

 

 

 礼をし、フォルセは憤然とするミレイを連れてその場を立ち去った。

 

 後に残るのはエイルー含む司教団の面々。皆一様にホッとした様子で両肩を下げ、安堵の表情を浮かべていた。

 

 

「いや、異端の少女が怒りだした時はどうしようかと」

 

「大司教よ。本当に宜しかったのですかな?」

 

 

 司教団は年配の者が多く、若く女であるエイルーはその中でも異質であった。不安がる面々を叱咤するように彼女は表情を一変させ、向き直る。

 

 

「一度決まったことだ、とやかく言うでない。それに我らがフラン=ヴェルニカの司祭がついておるのだ……信じてやらぬでどうする」

 

「は、確かに」

 

「我らの信仰が彼らの行く末を守るよう、祈りを深めねばなりませぬな」

 

「それでよい。それに……」

 

 

 各々慈しみを湛えて祈りだす司教団に、エイルーは厳格さを表した顔で告げる。

 

 

「教皇ヘイムダルが決めたことだ。我らには従うことしかできぬよ」

 

 

 

***

 

 

 グラツィオの都から馬車で南下し、数刻。フォルセとミレイはコンフォ山脈にある大トンネル――通称“御許の区”へとやってきた。

 

 山脈をくり抜いて造られた御許の区は、アリアン大陸の北と南を分ける検問所であり、旅券を持っていなければ通ることができない。北はグラツィオからの通行人が多い関係で幾つかの宿屋があるばかりの閑散とした場所となっているが、反面、南は大陸最南端にあるギルド拠点ニクスヘイムからの荷が多いため、業者をターゲットとした酒場の並ぶ通りとなっている。

 

 そして、二人の目的地であるエオスの遺跡は、南北それぞれから入ることのできる観光地であった。とはいえ、南北同士が遺跡内部で繋がっているわけではない。どちらも最奥は山脈の頂上に繋がっており、その先は六聖地の一つ玉霊の誕導(ぎょくれいのたんどう)と呼ばれる聖地となっている。

 

 ――以上を、観光ガイドのような口振りのフォルセから教えられ、ミレイはぐっとやる気に満ちた拳を掲げた。

 

 

「つまり、エオスの遺跡に行かないと始まらないってことね!」

 

 

 二人はまず、北側から行ける遺跡へと足を運んだ。

 

 まず目についたのは――光。否、光をモチーフにした石版の数々だった。発掘されたというそれらは厳重に管理されており、無理に近付こうものなら警備の騎士に肩を叩かれることだろう。

 

 観光客はそれなりに多いが、場所が場所だけに皆静かに立ち歩いている。時折小声で聞こえてくるのは、歴史を感じさせる建造物への感嘆、それらを造り上げた古代の人々への尊敬の念だ。

 

 

「うっわぁ……凄い。なんだろ、太陽や月明かりに女神を重ねているのかしら」

 

 

 ミレイは周囲の人々以上に興奮していた。異端であるのに、信者よりもずっと興味深げに遺跡を見渡している。

 

 

「この遺跡、まだまだ奥に続いていそう。発掘されてない場所もあるんじゃないかしら」

 

「六聖地へ続く道の他、発掘途中の現場もありますよ。どちらも制限がかかっておりますが」

 

「じゃあ、もっと広くなるかもしれないのね」

 

「ええ。歴史学者の見立てでは、南側とはやはり何処かで繋がっているそうです。繋がったら、遺跡内部にも検問所を建てねばなりませんね」

 

「でも広がるだけ昔のことがわかるんだもの。そのくらい許容範囲よ」

 

 

 楽しげなミレイを見つめ、フォルセもまた楽しそうに笑みながら口を開いた。

 

 

「ゲイグスの世界でもそうでしたが、ミレイは遺跡に興味がおありのようですね」

 

「知識はこれっぽっちも無いけどね。興味は頭の奥の方からずっと湧いてくるの。何か記憶の手掛かりになるかしら?」

 

「そうですね。六聖地巡りは貴女にとって良い旅路になるやもしれません」

 

 

 すっかり観光気分のミレイを置いて、フォルセは警備を担当している騎士のもとへと歩み寄った。

 

 所属と階級を明らかにすれば、暇そうにしていた騎士の背筋がしゃんと伸びる。暫し談笑した後、フォルセは異変――怪しげな“声”について騎士に尋ねた。

 

 

「それなら此処ではなく南側の遺跡です。どこからともなく呻き声のような音が、三日前から聞こえるようになり……ええ、丁度グラツィオの火災があった頃です。夜遅く、見回りの騎士が最初に気付きました」

 

「火事と同じ頃……ですか」

 

「自分は調査に携わっていないので、詳しくは存じ上げません。ただ、これといってヒトの気配もなく、調査は難航していると……」

 

 

 幽霊の類は苦手です、とミレイと同類らしい騎士に礼を言い、フォルセはミレイを呼びに戻った。

 

 

「ミレイ、声は南側の遺跡とのことです」

 

「あっごめんなさい、つい夢中になってた」

 

「いえ。そろそろ向かいましょうか」

 

 

 恥ずかしさで頬を染めるミレイを連れ、フォルセは南側の遺跡へ向かうべく、一度外へと戻った。

 

 ――そんな彼らを、一定の距離を置いて追う男がひとり。

 

 

「あいつら、ちょいとにおうなあ……」

 

 

 パシャリ、とその男の手の内で鳴ったのは、小型のカメラのシャッター音。ただの観光客とは思えぬ足取りで、その男もまた南側へと向かう。

 

 

 

 検問所を抜け、大トンネルを抜けるまでおよそ五分。歩けば相当な距離になるトンネルには、観光客向けの馬車が一定間隔で行ったり来たりしていた。

 

 フォルセとミレイもその観光用馬車を利用し、無事に南側の遺跡へとやってきた。

 

 

「こっちは……あれ、闇?」

 

 

 ミレイの言う通り、南側の遺跡は闇をモチーフとした石版が多く並べられていた。そして何より北側よりも広い。発掘がより進んでいることがわかる。

 

 

「よくわかりましたね。エオスの遺跡……そして山頂にある六聖地玉霊の誕導(ぎょくれいのたんどう)は、光と闇を司る聖地なのです」

 

「へぇー。六聖地っていうから、てっきり六属性を一つずつモチーフにしてるんだと思ったわ」

 

 

 魔術と法術を含め、この世には地水火風と光闇の六つの属性が存在している。ミレイがそう思うのも無理はなかった。

 

 

「よく間違えられるのですが……六聖地は地水火風をそれぞれ司る四ヶ所、光と闇を司る一ヶ所、そして全てを統括する一ヶ所の計六ヶ所で成り立っています。

 光と闇は表裏一体……リージャを扱う際にもそのように考えられるため、光と闇は一ヶ所に纏められているのですよ」

 

「なるほど……あっ、じゃあ聖霊(ファスパリエ)も二体いるの?」

 

「正解です。光のレムと闇のシャドウが最奥に住んでいると言われています」

 

 

 「レム……」ミレイは腰に提げてあるレムの黙示録に思わず触れた。

 

 

「地水火風はそれぞれ……地のノーム、水のウンディーネ、火のイフリート、風のシルフ。そして全ての聖霊(ファスパリエ)を統括する不死鳥フェニルスが住まう聖地が、グラツィオの北部に広がるフェニルス霊山です」

 

「聖地は六つ、でも特別な存在は七体いるのね。間違えないようにしないと……んんんん?」

 

 

 遺跡を巡りながら解説を聞いていたミレイは、人の少なくなった場所で不意に立ち止まった。

 

 

「どうしました?」

 

「しっ。……何か聴こえる」

 

 

 場所は、観光用に開放されている中でも一番奥。

 

 

 “……ぅ……ぅっ……”

 

「! 声、声が聴こえた!」

 

 

 耳をすませば、確かに呻き声のような音が聴こえてきた。二人は目を合わせ、少しずつ音の大きくなる場所を探して歩いていく。

 

 やがて辿り着いたのは、ひときわ大きな石版の前。

 

 

「ここが一番大きく聴こえる気がするけど……何かしら、この石版。光と闇を使ってるヒトを、別のヒト達が崇めてるみたいな……」

 

「これは……あみにんの壁画ですね」

 

「……“あみにん”?」

 

「二千年前、勇者を助けたと言われる伝説のヒトです。色とりどりの毛糸を使った編みぐるみの姿をしていたと言い伝えられており、現在でも寓話で多く登場しますね」

 

「編みぐるみのあみにん、ねぇ……何かヒントになると思ったけど、うーん」

 

 

 石版を見上げ、ミレイは思考を巡らせる。

 

 

「……ゲイグスの世界みたいに、『黙示録所持者は全てを通す』だったら良いのに……」

 

「なんですか、それは」

 

「馬車の御者がいたじゃない? ディーヴっていうんだけど……あのヒトから聞いたの。『黙示録所持者は全てを通す』って。その通り、あたしが黙示録所持者だって名乗ったら話がすんなり通ったことがあって……」

 

 

 言いながら、ミレイはもう一度石版を見上げた。

 

 ――石版がゴゴ、と音をたて、揺れる。

 

 

「! 聖職者サマ……石版が、」

 

「え、ええ……確かに動きました」

 

「……まさか」

 

 

 ミレイは自分の言った願望が叶ったのではないかと考え、胸を高鳴らせながら口を開いた。

 

 

「あたしは……ミレイ。レムの黙示録の正当な所持者」

 

 

 石版が、ひときわ大きな音をたてて――動いた。

 

 同時に石版周囲の床が揺れ、少しずつ収められるように姿を消していく。体勢を崩しかけたミレイを支え、フォルセは消える床に巻き込まれぬよう急いで後退した。

 

 現れたのは――巨大な“穴”。自然ではない人工的に造られたと思われる遺跡の穴が、ミレイの言葉によって出現した。

 

 

「やだ。ほ、ホントに通った……」

 

 

 驚くミレイを支えたまま、フォルセは現れた穴を険しい表情で覗き込んだ。暗い。底が見えない。吹き抜ける風が穴の先の空洞を思わせ、足元を竦ませる。

 

 遺跡全体が揺れたことで、警備の騎士達も何事かと集まってきた。突如現れた大穴に皆驚きながら、観光客が入れぬよう注意を呼びかけていく。

 

 

 “ぅう……う、ううう……”

 

「! 声、この下から聴こえてくる!」

 

 

 呻き声がより大きくなって聴こえ、ミレイは興奮ぎみに叫んだ。着実に真相へと近付いている。けれども穴は深く、物理的な進み方を躊躇させる。

 

 

「気になるなら、飛び込んでみればいいじゃないかあ」

 

「簡単に言わないでよ。こんな穴、準備も無しに行けるわけ……」

 

 

 「え?」誰とも知れぬ声にミレイは首を傾げた。

 

 フォルセとミレイの間に、ひとりの男が割って入る。男は二人の腰を難なく抱き上げ、見ずともわかるほどニヤリと笑った。

 

 男の首に下げられたカメラが、キラリと光る。

 

 

「ジャーナリストの心得、第一番。スクープの為なら危険を冒せ!」

 

「ちょ」

 

「第四番! におう奴はとにかく抱き込め!」

 

 

 警備の騎士達の怒号が、遠い。フォルセは自分を掴んで離さず、あろう事か助走をつけて駆け出した男を青ざめた顔で見上げた。

 

 逆立った青毛、それ以外は眼鏡が反射してよく見えない――

 

 

「いざ、神スクープのもとへ!」

 

「ちょ、待ってまってぁあああああああーっ……!?」

 

 

 ミレイの悲鳴があがる中、フォルセは抵抗もできぬまま彼らと共に穴の中へと落ちていった。

 

 

 

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