テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter3  半年ぶりの愛すべき街

 

 フラン=ヴェルニカ総本山グラツィオ。

 

 アリアン大陸北部、聖地フェニルス霊山東に位置し、フラン=ヴェルニカ教団に属する聖職者だけでなく他国から移住してきた信者も多い都だ。白亜の壁が特徴的な家屋、建物が数多く並び、道なりに進んだ先に見える大噴水周囲には活気付いた商店が集まっている。

 

 静寂とは言えない。しかし耳に届くのは心地よい人々の生活音。鼻先を過ぎるのは甘い花の香りと住民が焼くパンの匂い。他国の主な街と比べて少々古風、良く言えば伝統的で歴史を感じさせるその街並みは、清く正しくを生活の基準とする信者達にとって実に住みやすいと言えるだろう。

 

 

 この時期美味しい野菜は何か、流行の装飾品はどれか、騎士様に助けてもらった、今日も女神様のお蔭で良い一日が始まる――そんな会話があちらこちらから聞こえてくる。皆一様に微笑みを絶やさず、幸福に満ち溢れている。

 

 誰もに己の幸福を分け与えたいと思う、誰もの幸福を分かち合いたいと思う、そんな空気がグラツィオの都を取り巻いていた。それこそが、皆の愛する女神フレイヤの教えであった。

 

 

 やがて日が沈む頃になっても、都の活気は収まらない。大気中に漂う火のマナによって街灯が夕暮れの都を照らす。今晩の飯は何だ、月が綺麗ですね、騎士様が躓いた、今日も女神様のお蔭で良い一日を過ごせた――昼間から変わっているのかいないのか区別のつかぬほどに元気な住民達の会話が街に響く。ヴェルニカ騎士団より派遣されている憲兵達は、そんな住民達を兜の裏からにこやかに見つめ、時折己らも同じように笑って過ごしていた。

 

 

 その時だった。空が夕焼けに染まり、星が瞬く頃、荘厳な鐘の音がグラツィオの空に響き渡った。瞬間、あれほどまでに賑やかだった住民達は一斉に口を閉じ、憲兵も含め、グラツィオに住まう全ての者が膝をついた。胸の前で手を組み、皆同じ方向へと頭を垂れ、祈っている。

 

 彼らが跪くその方向には、フラン=ヴェルニカが保持する最大の聖堂――ビフレスト大聖堂が聳え立っていた。天まで届くほどに高く、グラツィオのどこにいても見える外観は美しく、神々しい。

 

 その鐘の音が夕刻――十八の刻を告げた。一日は大きく二十四の刻に分けられるが、そのうち三、六、九……など、三の倍数の刻は女神フレイヤへの祈りの刻として定められ、ビフレスト大聖堂の鐘が鳴らされる。その時だけは皆全ての行いを止めて跪き、女神フレイヤへ祈りを捧げるのだ。――とはいえ、深夜、早朝に当たる二十四の刻や三の刻は安らかなる眠りを妨げるべきではないとされ、鐘の塔で司祭の一人が掌サイズの鐘をリズミカルに鳴らすだけとなっているようだが。

 

 約五分ほどか。鐘の音が静かに収まった。余響が残る中、人々は祈りを終え、グラツィオはまた元の賑やかな空気へと戻っていく。空に映る朱色が消えて夜の色に染まるまで、彼らの声は楽しそうに響き渡っていた。

 

 

 

***

 

 

 十八の刻。フォルセもまたグラツィオで祈りを捧げていた。場所は丁度グラツィオの入り口、憲兵達によって守られる正面の門だった。

 

 フォルセがイヤーカフと首のストール――これら二つが祭士と司祭というフォルセの地位を表している――を見せて門を潜った直後、ビフレストの鐘は鳴った。聖地フェニルス霊山にも微かに鐘の音は届いていたが、こうしてグラツィオの地で聴き、祈るのは実に半年ぶりのこと。感慨深く思いながら、フォルセは他の者と共に女神フレイヤへと祈りを捧げた。

 

 祈り終えた後、フォルセは門兵達に労いと感謝を述べ、夜を迎えたグラツィオへと歩き出した。フラン=ヴェルニカ総本山ゆえ、聖職者がいるのは決して珍しいことではない。半年ぶりの再会とわかる者、そうでない者と様々であったが、通り過ぎる者達は皆一様にフォルセへ敬愛の礼を向ける。

 

 人々に礼を返しながら、フォルセはビフレスト大聖堂へと向かっていた。半年の修行からの帰還、そしてヘレティック討伐任務と謎の宝石についての報告をするためだ。己の上官たる隊長テュールが遠征でいない今、フォルセが会うべきはフラン=ヴェルニカ教団の大司教エイルーという人物である。

 

 

「あっ……フォルセの兄ちゃんだ!」

 

 

 商店の通りに差し掛かった時だった。高らかな子供の声がフォルセの背へと投げられた。装飾品店の方からだ。振り返ったそこには十に満たない程度の、活発さを体現したかのような少年が、荷馬車の横に立っていた。フォルセが視線を向けるとパッと表情を明るくして駆け寄ってくる。

 

 

「貴方は……トビーではありませんか。お久し振りです、長く会わないうちに少し大きくなりましたね」

 

 

 眼を柔らかく細め、フォルセは皆に向けるのとはまた違う笑みを溢した。

 

 トビー――トビアスという名のその少年は、商人ギルドに属する商人の息子であり、二年ほど前にフォルセが任務の一環としてギルドの護衛に就いた時からの知己であった。

 

 

(……最初とは大違いだ。あの時は騎士らしくないとさえ言われたのに。きっかけはどうあれ、好かれて嬉しくないわけではないけれど)

 

 

 出会った当初、フォルセはトビーに酷く嫌われていた。が、任務が終わった頃にはすっかりなつかれ、その後に幾度かの再会を経て現在に至る。

 会う度にやれ剣を教えてほしいだの、遊びに行こうだの、流行りの装飾品はいかが? だのと商人の息子らしい小生意気な口調で突撃してくるその姿は、フォルセにとってはなかなかに面白いものだった。

 

 

「久しぶり、兄ちゃん! 何ヶ月ぶり? 確か冬が終わる頃に一回会ったよな」

 

「二月にここで御会いしましたから……八ヶ月ぶりですね」

 

「そんなに!? おれ、仕事でけっこーグラツィオに来てたんだぞ? なのに一回も会えないなんて……あ、わかった。兄ちゃん、ずっと教会とか大聖堂に引きこもってたんだろ? 一日中祈ってても平気そうだもんな」

 

 

 好き勝手言っているが、トビー自身も一応はフレイヤ教の信者である。一日の祈りもきちんと行っており、フォルセ以外の聖職者には敬いの礼を向ける賢い少年だ。が、子供らしく知恵を働かせているのだろう、トビーにとっては多少からかっても問題ない人物としてフォルセは認識されていた。

 

 

「……よくおわかりですね。流石、商人ギルド期待の星」

 

 

 フォルセ自身としては大して気に留めていないため、そんなトビーの内心を理解しながらも特に咎めることは無い。ニヤニヤと見つめてくるトビーにクスリと笑い、フォルセは視線を合わせるために少しだけ身を屈める。

 

 

「あながち間違いではありませんよ、トビー。私は四月から今日まで、フェニルス霊山へ修行に出ていましたから」

 

「……、ほんっとうにマジメだよな、フォルセの兄ちゃんは。でも騎士団はどうしたんだよ、辞めたの?」

 

「まさか。勿論、騎士としての任務も全うしていましたよ。主にフェニルス霊山周辺のものですが」

 

「ならいいけどさ。霊山に引き込もられたら全然会えないじゃん。おれ、兄ちゃんに会いたくていつもギルドの皆にくっついて来てたんだぜ? 修行も良いけど……少しはおれのことも考えてくれよな」

 

 

 本気で言っているかのように、トビーは頬をぷくりと膨らませた。が、小さな友人のそんな反応には慣れているため、フォルセはただおかしそうに笑うだけである。

 

 

「そうだったのですか。すみません、御会いできなくて」

 

「……まー、マジメな兄ちゃんに免じて、許してやるよ! その代わり、埋め合わせ……宜しくな?」

 

「埋め合わせ?」

 

「そう! 実はおれ、あと何日かグラツィオにいるんだ。だからヒマな時にまた剣を教え……いてぇっ!!」

 

 

 ころころと変わる表情にフォルセがうんうんと頷いていると、トビーの脳天に大きな握り拳が振り下ろされた。ゴッという鈍い音と共にトビーが大きな悲鳴をあげる。真正面からその様を目撃し、フォルセはぎょっと驚きながら顔を上げた。

 

 

「……、ああ、貴方は……」

 

 

 フォルセは目を丸くした。その視線は、頭を押さえて蹲るトビーの背後に向いている。

 其処にはいつの間にか一人の男が立っていた。拳を震わせ、怒りで真っ赤になっているその顔は、フォルセの見知ったものだった。

 

 

「こら……トビーてめぇ! ちゃんと馬車見とけって言っただろうがッ!!」

 

 

 鼓膜を震わす怒号が響く。トビーに悲鳴をあげさせた――拳骨を落としたその男は、彼の父マルクスであった。どうやら息子のことしか目に入っていないらしく、フォルセの存在にまるで気がついていない。

 

 怒声をあげる父を、トビーは潤んだ瞳を釣り上げてバッと振り返った。

 

 

「~~~っ! いってぇよ父ちゃん!! この馬鹿力!!」

 

「馬鹿はてめぇだ馬鹿息子! 荷物もまともに見張れねぇのかこのっ!」

 

「い、いいじゃんかよ! このへーわなグラツィオで問題なんか起きるわけないだろ!」

 

「てめぇは何年俺の息子やってやがる! 此処でできないで、一体どこでできるってんだ!!」

 

「!! ~~~ってぇ!!」

 

 

 涙目ながらも生意気に文句を返したトビーであったが、再び振り下ろされた拳にあえなく撃沈した。唸る息子を見下ろしマルクスはふん、と鼻を鳴らす。しかしクスクスと笑う声――フォルセの存在に漸く気がつき、その顔は見る見るうちに赤くなった。勿論、今度は怒りではなく羞恥で。

 

 

「ぁああアンタ、じゃない貴方はフォルセ様! いつから、いやその、お、お恥ずかしいところをお見せしました……」

 

「良いのですよ、マルクス殿。お二人とも変わらず仲が宜しいようで何より」

 

 

 言いながら立ち上がったフォルセは、微笑ましげにそう言った。何の他意も無いのだが、マルクスにとっては羞恥を煽るものだったらしく、いやいやあはは、と営業スマイル崩れを振り撒きながら、息子の身体を無理やり持ち上げた。

 

 

「すいませんね、愚息が失礼なことを。ほら、こいつフォルセ様のことが大好きでしょう? ギルド連中にグラツィオ行きの奴がいるとうちの商売放って無理やり着いてっちまうくらいなんです。いやあ、親不孝な馬鹿息子ですよ。ホント」

 

「親不孝だなんてとんでもない。働く貴方の背をよく見ているのでしょう。流行りの品物をよく勧めてくれますし、他国でのお話も聞かせてくれるので私としてはとても嬉しく、楽しく思っております。頼もしい御子息ですよ。存分に自慢なさってください」

 

 

 最後に会った時もグミを、ええグミを沢山買わされて――。フォルセの視線がどことなく彼方へ向かう中、マルクスは顔から火が出るほどに悶絶しながら、腕の中でもがく愛息子を抱き潰すのであった。

 

 

 

***

 

 

「うげぇ。し、死ぬかと思った……」

 

 

 父マルクスから漸く解放されたトビーは、ぐったりと肩を落とした。掻き回された髪は無惨にもぴょんぴょんと跳ねている。トビー曰く馬鹿力でもみくちゃにされた服は、哀れにもふにゃりと伸びきっていた。

 

 因みに当のマルクスはというと。怒っていたことも忘れたのか『フォルセ様に失礼の無いようにな!』とトビーに言い捨て、再び装飾品店へと入っていった。商談の途中だったらしく、何やら変に気合いを入れていた――騒がしいのは、やはり遺伝のようである。

 

 ふやけたトビーの姿を微笑ましく思いながら、フォルセは彼の手を引き装飾品店前のベンチに座った。

 

 

「実際にお会いするのは二年前の護衛以来ですが……変わらず、お優しい父君ですね」

 

「ただのらんぼー親父だよ……いってぇ。ジマンの息子がバカになったらどーするんだってーの!」

 

 

 今だに疼く頭を押さえながら、トビーは憎まれ口を叩く。だがフォルセと共にいられることが嬉しいのか、すぐに満面の笑顔になった。

 

 

「へへ、でもまた会えて嬉しい。なぁ兄ちゃん、さっき言いかけたけどまた剣を教えてくれよ。おれ、早くヴェルニカ騎士団に入りたいんだ!」

 

「……以前にも言いましたが、私には誰かに剣を教えられるほどの腕はありませんよ。それに私はただ規律に従って騎士団に所属しているだけですから……トビーが目指す騎士様とは、少し違うのではないかと」

 

「違わない! おれ、難しいことわかんないけどさ。昔おれ達を守ってくれたのはフォルセの兄ちゃんだろ? あの時の兄ちゃん、すっごくかっこよかった。だからおれがなりたいのは兄ちゃんみたいな騎士なんだ!」

 

 

 興奮しながら、トビーは当時の再現だろうか――どこか引き締まった表情で腕を振り、敵を斬る動きをした。大きすぎる動作、真っ直ぐすぎる言葉が実に子供らしい。これにはいつも負ける、とフォルセは嬉しさを含みながら小さく苦笑を溢した。

 

 

「ありがとうトビー。わかりました。私でよければ、出来得る限りを教えましょう。ですが私のようになりたいのなら……」

 

「『愛ゆえに愛せよ。目の前の人を、隣人を、何処かの彼方の誰かをも』だろ? わかってるって」

 

「そう……女神フレイヤはいつも我らを見つめています。愛を以て、祈り、捧げ、努めて生きれば慈悲深き裁定が得られるでしょう。だからトビーも、周りの人を大切にしてあげてくださいね」

 

 

 にこりと微笑むフォルセの顔は、正しく神父のそれ――女神フレイヤの代行者に相応しいものだ。わかったよ兄ちゃん、とトビーは一見素直に頷く。その内心で、剣の指導が言いづらくなったと嘆いていることにフォルセは気が付いていたが、何も言わない。

 

 フォルセは視線を動かし、商店通り中央に立つ時計台を見つめた。十八の刻から長針が半分ほど過ぎている。もうそんなに経ったかと、フォルセは眉をピクンと上げた。

 

 

「……すみません、トビー。もう行かないと」

 

「えっ!? もう行っちゃうのかよ!」

 

「色々報告することがあるんです。大司教――エイルー様には事前に鳩を飛ばしていますが、あまりお待たせするわけにもいきません。

 ……もしかしたら、明日もそれほど時間は取れないかもしれないですね」

 

「そ、そんなぁ……!」

 

 

 案の定トビーは酷く落胆した。フォルセの内心を罪悪感がチクリと刺す。だがそこは普段から大人に囲まれているためか、トビーはニカッと笑って立ち直った。

 

 

「それじゃあ、今度は兄ちゃんがニクスヘイムに来てくれよ! 良いもの揃ってる店、おれが案内するからさ!」

 

「……ふふ、わかりました」

 

 

 罪悪で曇ったフォルセに相貌に小さく笑みが浮かぶ。立ち直りの早い子だと感心しつつ、フォルセはトビーの故郷――ニクスヘイムを思い浮かべた。

 

 ニクスヘイムとは、アリアン大陸南部、グラツィオからコンフォ山脈を隔てた南側にある、ギルドの拠点と呼ばれる都市だ。嘗ては商人ギルドと採掘ギルドの小規模な集まりだったものを、フラン=ヴェルニカがバックアップし、今では世界中の流通を担う大市場となっている。

 

 グラツィオの物資は全て、一度ニクスヘイムを通過している。トビーの父マルクスもグラツィオに物資を通す商人の一人だ。山脈によって殆ど隔離された位置にあるグラツィオがこうして豊かに栄えているのは、ギルド拠点ニクスヘイムのお蔭である。

 

 

「必ず遊びに行きます。その時は宜しくお願いしますね、トビー」

 

「うん! ……あ、そうだ兄ちゃん。最後に一個いいか?」

 

 

 ベンチから立ち上がったフォルセを引き留め、トビーは急に神妙な面持ちで、実はさ、と耳打ちしてきた。

 

 

「父ちゃんはあんま大きな声で言うなって言ってたんだけど……最近グリアードとルモルエ、クローシアとますます仲悪いみたいだぜ」

 

「三国の対立は今に始まったことではないのでは?」

 

「そうなんだけど、ちょっと嫌な感じがするって父ちゃんが。最近聞いた話だから、霊山まで噂は届いてないと思う」

 

 

 トビーの言い方では、まるで人間同士に起きた仲違いのように聞こえるが――これはれっきとした国同士の関係悪化に関する話である。

 

 海を越えた先。此処アリアン大陸の西に存在するサン=グリアード王国と、東に存在するセント=ルモルエ帝国。そして南のクローシア皇国。

 現在、世界はこの三国によって治められている。唯一アリアン大陸のみを完全中立の立場からフラン=ヴェルニカ教団が治めているが、ここでは割愛しよう。

 

 サン=グリアード王国とセント=ルモルエ帝国は長年敵対関係にあった。十数年前に大規模な戦争を引き起こしたことは今でも記憶に新しい。しかしそれらを取り纏め、休戦条約を結ぶよう働きかけたのがフラン=ヴェルニカ教団であった。

 

 フラン=ヴェルニカの助力によって、二国間は――国民に限って言えばだが――そこそこ平和的に交流している。国家としては変わらず互いを敵国と認識し、各々多くの問題を抱えているものの、二国はまずまずの平和を築いていると言えよう。

 

 しかし、問題は南のクローシア皇国であった。建国されたのは僅か十数年ほど前――否、建国などといえるものだろうか。それは前述したサン=グリアード王国とセント=ルモルエ帝国間の戦争最中のことだった。嘗ての聖人クラウディウスの名を掲げて突然現れた皇国一派は、戦争中に両国から無理やり独立する形で領土を奪った。独立における理由等は一切不明。戦火の中に在った二国の軍人達の行方も不明。皇国一派の正体もわからず、クローシア皇国は未だ多くの謎に包まれている国である。

 

 現在もフラン=ヴェルニカに対し、二国との対等な関係認知を求めるこのクローシア皇国。当然ながらサン=グリアード王国、セント=ルモルエ帝国の両国とは仲が悪い。否、仲が悪いなどという話ではない。いつ戦が始まっても可笑しくはない、一触即発状態にあった。

 

 

「国境近くの争いも急に多くなったみたいでさ。とくに陸続きでクローシアと繋がってるルモルエは大変らしいんだ」

 

「海を隔てて離れているサン=グリアード王国とは違って、セント=ルモルエ帝国はフェーン大陸のシムナ砂漠に国境が敷かれていますからね。砂漠の東をセント=ルモルエ、西をクローシア……どうあっても衝突は免れないのでしょう」

 

 

 フェーン大陸のシムナ砂漠とは、元々セント=ルモルエ帝国の領土であり、現在は西側をクローシア皇国が占領する地である。

 

 

「あそこは確か、聖地の一つがあった筈だけれど……」

 

「……なあ兄ちゃん、」

 

 

 フォルセの独り言は聞こえなかったらしい。「もし戦争になっても、兄ちゃん達が止めてくれるよな?」不安を顕にトビーは言った。

 

 

「……止めませんよ」

 

 

 が、フォルセはいつも通りの微笑で小さく首を振った。それはどう見ても否定の仕草であり、トビーはなんで? と言いたげにポカンと口を開ける。

 

 

「フラン=ヴェルニカはあくまで中立。仮に戦争が始まってもそれを止めることはありません」

 

「そう……なのか? でも前の戦争はフラン=ヴェルニカが止めて、えっと、きゅうせんじょーやく? を結ぶようグリアードとルモルエに言ったって父ちゃんが……」

 

「フラン=ヴェルニカが戦争を止めたわけではありませんよ」

 

 

 誤解だ、とフォルセは柔らかく目を細める。

 

 

「あの戦争を終わらせたのは……そうですね、かのクローシア皇国と言えるでしょうか」

 

「あんなメーワクな国が? まさかぁ……」

 

「見方によっては本当なのですよ。終わらぬ戦争の最中、突如クローシア皇国と名乗る集団が独立宣言をし、狂人の戯言とは捨て置けぬ謎めいた力と速さで、ファジーブル列島と西シムナ砂漠――あの戦争で、サン=グリアード王国とセント=ルモルエ帝国がぶつかっていた戦場をごっそり奪っていった。

 戦場だけでなく領土をも奪われた両国は、クローシア皇国という共通の“敵”を前に協力を余儀なくされ、やむを得ず、多くの約定や補償を後回しにし、フラン=ヴェルニカの仲介を経て休戦条約を結んだのです」

 

「う、うん……なるほどなるほど」

 

 

 スラスラと述べられるフォルセの説明に、トビーは瞳を丸くしながら必死に着いていく。

 

 

「それから十年以上経った今でも三国の問題は続いていますが、これ以上フラン=ヴェルニカが立ち入ることはないと思いますよ。中立ですから、ね」

 

「ふ、ふーん。なんか、スゲーしょーげき……」

 

「ふふ、トビーにはまだ難しかったですか?」

 

「ううん、そんなことない。ありがとう兄ちゃん」

 

「……こちらこそ。教えてくれてありがとう、トビー」

 

 

 フォルセは再び立ち上がった。もうトビーは引き留めない。今しがた学んだ歴史を整理するので頭が一杯なようである。勉強熱心で何より、とフォルセは内心感心する。

 

 

「心配せずとも宜しいですよ、トビー」

 

「…………へ?」

 

「貴方達の町――ニクスヘイムはフラン=ヴェルニカ教団の庇護の下にあります。戦火が降ろうとも、貴方達のことは我らヴェルニカ騎士団が必ず守ります。安心してください」

 

 

 経典を読み上げる時と同じような表情でフォルセは言う。

 

 

「女神フレイヤの教え、教えに従う迷い子達を悪意を持って害する者あれば……我らは誰であろうと、等しく、愛をもって、“浄化”しますから」

 

 

 優しげに、優しげに微笑む。その柔らかな表情はトビーを安心させると同時に、何故か臆させ身を引かせ。

 

 ビビり顔でブンブン頷くトビーに、フォルセは自身の迫力ある笑顔に気付くことなく頷き返した。

 

 

 




2013/12/01
2014/04/09:加筆
2014/05/07:修正
2016/09/24:加筆修正
2016/11/13:ハーメルン引越し
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