見つめる先には   作:おゆ

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エピローグ カザリン・ケートヘンと訪問者

 

 

 

 それは、突然の訪問者だった。

 

 私は「知らない人には戸を開けちゃいけません」という乳母の言いつけを守らなかった。

 私ももう九歳になるのよ。

 それに今のノックは、音だけ聞いてもなんだか優しくて、乳母の言う「悪い人」のものだとは思えなかったんだもの。

 

 今の時間はたまたま乳母もいないし、お父様もいなかった。私しかいない。

 この小さな家には尋ねてくる人なんて滅多にいないから、退屈なお留守番だと思っていたのだけど。

 なんだかどんな人が来たのか、見てみたかった。

 

 

 

 

 ドアを開けると、その人は一歩入った。

 

「わたくしは、サビーネといいます。初めまして。あなたが…… カザリン・ケートヘンね」

 

 私は目を丸くした! その名前は違う。私はペクニッツよ。

 それを見透かしたかのように訪問者は話し出した。

 

「そう、ペクニッツ子爵家の娘ですものね。でも、カザリン・ケートヘンと呼んでも構わないかしら。それもあなたにとってふさわしい名だもの」

 

 尋ねてきたのは女の人。

 乳母と同じくらいの年に見えた。でも、ずっと綺麗だ。

 顔も綺麗だけどなんだか雰囲気がいいのだ。安心できるような、とっても優しい人。

 

「今日来たのは、あなたに聞いてほしいことがあるの。少し長い話になるけど、いいかしら。眠くはさせないわ」

「眠くならないわ。このごろは乳母が童話を一冊読んでもまだ眠らなくて困っちゃうくらいなんだから」

「あらそう? では話すわね。とっても大事なことなのよ。そして今日しか伝えられないことだから」

 

 サビーネという人は笑い、そして長い話を語りだした。

 

「私はみんなが住んでいるこの国の皇帝だったのよ。そう、王様だったの。あなたがほんの小さい子供だった頃までね」

 

 私にも分かるように話してくれた。その内容も素敵なものだった。

 

「そして、わたくしはある時素敵な王子様に出会ったわ。二人は結婚してとっても幸せな日を送っていたの。それがどんなに幸せかわかるかしら。あなたがおませさんだったらわかるかもね」

 

 ころころ笑っていた。

 それを思い出したんだろうか。とっても幸せそうだ。

 王子様と結婚、それは幸せだろうなあ。しかし話はここから変わる。

 

「でもね、王子様は病気になってしまったの。治らない病気よ。そしてついに亡くなってしまったわ。わたくしは悲しかったけど、でも一つ知ってることがあったから頑張れたわ」

 

 なんだか悲しいお話になった。聞きたくない。でもここからがサビーネという人の言いたいことなのね。がんばって聞いてあげる。

 

「それはね、王子様が亡くなる少し前に分かったことなの。私も病気だってこと。長くは生きられないってことも。でもね、かえって気が楽になったわ。王子様と同じところに行けるんだもの。だけど困るのは周りの人なの。王様になれるのはわたくしや家族しかダメなことになっているのよ。わたくしにはもう家族もいないし、たった一人従妹がいたんだけど、その子も同じ病気だったからダメなの」

 

「え? 病気なの!?」

 

 私は驚いて聞いてしまった!

 サビーネという人はとても病気には見えないからだ。動きはとてもしっかりしている。

 

「そう、とっても重い病気なのよ…… わたくしが何歳に見えるかしら? これでもまだ二十八歳なのよ」

 

 もう一度驚いた!

 サビーネという人は少なくとも乳母と同じくらい、五十歳より上に見えたからだ。

 

「体の中身はね、もっとお年寄りなの。あともう何ヶ月かしか持たないのよ。だから、今日しかお話しできないの」

 

 

 

 

 

 サビーネは真実を明かした!

 

 これこそがオーベルシュタインが死の間際にサビーネに渡した情報チップの内容だった!

 

 サビーネは重度の遺伝病だったのだ。

 それは発症するやいなや体が急激に老化し、機能不全に陥って確実に死に至る病いだった。

 そして子を産むこともできない。

 また、全く同じ病気をブラウンシュバイク家エリザベートも抱えていた。

 

 なんという皮肉なことだろう!

 帝国宰相リヒテンラーデが命と引き換えに手に入れた情報の中身は悲劇だった。

 

 あれほど守ろうとした銀河帝国は既に滅ぶことに決まっていたのだ。

 

 あまりの重大さにルビンスキーもおいそれとは明かすことができなかった。それほどの爆弾だ。

 そしてこの情報を受け継ぐことになったオーベルシュタインもまた自身の命が燃え尽きる事態がなければ、あるいは握り潰していたのかもしれない。

 オーベルシュタインの満足げな死に顔はゴールデンバウム王朝が滅ぶことを知っていたからだろうか。

 

 サビーネもエリザベートも死ぬのが決まっている。

 これは澱んで濃くなりすぎたゴールデンバウム王朝の血脈の末期なのだ。

 もう一つ言えば、この病気には違う側面がある。根は同じだ。表われ方が違うだけだ。

 

 それはラインハルトの謎の膠原病のことだ!

 それもまた遺伝だ。

 ゴールデンバウム王朝の血がなぜか偶然にもラインハルトに入っている。それが大元の原因なのだ。

 皮肉な運命としか言いようがないではないか!

 あれほどゴールデンバウム王朝を嫌い、打倒に執念を燃やしていたラインハルトがルドルフの血を受け継いでいたとは。

 

 だがオーベルシュタインが知らなくて、サビーネが知っていることがある。

 

 リヒテンラーデ侯が亡くなる前に書いた手紙でサビーネに一つのことを知らせていた。

 それは、サビーネやエリザベート以外の皇族の行方についての手がかりだった。

 

 帝国宰相リヒテンラーデは長いこと皇族の血筋を受け継ぐものを探していた。

 しかしそれはあまりに困難なものだった。

 なぜなら、しばしば皇族は粛清されていたからだ。皇帝になる競争を勝ち抜いた者たちはライバルだけではなく将来ライバルになりそうな者たちまで徹底的に粛清するのが常だった。

 それは即位の都度多かれ少なかれ行なわれた執拗な探索と排除だ。

 そんなことが繰り返された以上、本来多くいるはずの皇族は根絶やしにされ、たったの一人を見つけることも難かしい。

 

 しかし今、リヒテンラーデのヒントをもとにサビーネはようやく探し当てた。それがペクニッツ子爵家のこの娘である。

 幸いなことにこの娘には遺伝病はない。

 下級貴族で婚姻を繰り返したために遺伝子が薄まったのだろう。

 

 

 

 ところでサビーネは自分の病気を知っても、ラインハルトに隠していた。心配させないように。いや、他の誰にも話してはいない。

 

 そして帝国は滅ぶ。

 

 このことを知っていたからこそサビーネは民主化運動にあれほど寛容だったのだ。

 弱腰皇帝と揶揄され、笑われても帝政に替わって未来を担う芽を潰すわけにはいかない。帝国は終わっても新しく国を立たせ、人々の明日を守らなくてはならないからだ。

 もしもサビーネが何もせずただ死んだなら、ゴールデンバウム王朝がなくなるだけのことでは済まない。勝手に皇帝を名乗る者が並び立ち、分裂国家となり、戦いは果てしなく続いたことだろう。どんなに人類社会は悲劇を経験することになっただろうか。

 

 ただしそれでも大きな懸念はある。

 ゴールデンバウム王朝が続くと信じているものをどうやって説得するか。真実を明かさず説得するのはとうてい不可能だ。

 サビーネが民主化運動と対話するほど守旧派の反発は強まるのは避けられない。

 

 

 

 ここで人知れず人類社会を救う娘が現れる!

 

 汚名を着て、罵られても構わない。他者のためにその身を捧げることを決意した心美しき娘が。

 それは誰にも理解されない英雄だ。

 

 サビーネは病気のことを知るとたった一人運命を共有できる相手にだけ話した。

 エリザベートである。

 するとエリザベートはさして悲しまなかった。かえってサビーネを励ましたくらいなものだ。

 

 そして何と驚きの行動に出ている。

 帝国守旧派の反乱の時、旗印に立つことを要請されたエリザベートはそれを受けた。

 どのみち自分は長い命ではない!

 ならば、これからの人類社会のためできることをする。

 エリザベートが旗印になれば、残らず守旧派が集まる。それを一気に排除すれば、その根を断ち、くすぶり続けるのを阻止することができる。

 人の真意を見分けるのは難しいが、これはたった一度だけできる好機だ。そしてエリザベートでなければできない。

 

 最初からエリザベートは殉ずる覚悟だった。

 事実、それは上手くいった。守旧派を見分けて根絶するのに成功した。狙い通りこれ以降大規模な反乱は起きなかった。またこれほどの反乱も成功しなかったということで、日和見の人間も諦めて変革を受け入れざるを得ない。大きく民主化は前進したのだ。

 

 

 エリザベートとサビーネは最後に視線で語り合っている。

 

「私の仕事は終わりましたわ」

「あなたは立派だったわ。エリザべート。わたくしだけ分かってあげられる。本当にごめんなさい」

「私は先に逝きます。後はお願いします」

 

 サビーネはこのあと大声で泣いた!!

 

 泣かずにいられようか!

 野心による大逆という汚名を受けた娘。だが、誰よりも勇気を持った気高い英雄なのだ。

 人知れずその身を捧げる志を誰が知ろう!

 人類社会を救ったのはまごうことなくたった一人の少女なのだ。

 

 どんなに泣いても泣いても泣き足りない気がした。

 

 

 

 ところが、後にサビーネは狂ったように大声で泣くことになる!!

 

 エリザベートの遺品はいくつかあった。

 そのうちの一つをサビーネは手に取る。エリザベートが肌身離さず身に付けていたロケットだった。

 開けて中を見た。

 

「あっ!! これは!」

 

 サビーネは驚いた。

 中に小さな写真がしまわれてある。

 エリザベートとラインハルト様が踊る姿だった。

 これは、エリザベートがラインハルト様に救われ、オーディンに復帰したときに開かれた舞踏会のものだ。

 

 幸せなエリザベート。

 

 そのたった一瞬を写したものだった。

 

 その時からエリザベートは思い出を胸に生きてきた。

 愛するラインハルト様と踊ったこの時を、幾度も繰り返し思い返したのだろう。

 その一瞬を幾度噛みしめたのだろうか。

 

 エリザベートは女の真実を尽くしたのだ。

 

 ああ、エリザベート! エリザベート! あなたはたった一人を愛し抜いた。

 今までその愛で生きてきたのね。

 

 サビーネは泣き果てた。

 このことをしっかりと日記に記す。自分の死後、人類がこの英雄の真実を知るために。

 

 

 

 

 

「それでねカザリン・ケートヘン、わたくしの従妹エリザベートという人がわたくしと同じ王子様を好きになって、好きで好きで、王子様の守った国の人たちのために命を使ったというお話よ。そしてもう一つお話があるの。絶対にあなたに憶えておいてもらいたいことなのよ。王様になれる家の人の話をしたでしょう? 実はあなたも王様になれる人なの」

「王様? どんなかなあ」

「誰かに言わなくてもいいわ。でもあなたに子供ができたら必ず伝えて頂戴ね。それだけは忘れないで」

 

 正直、王様といっても幼いカザリンにはわからない。

 実際の王様は見たこともないからだ。

 カザリンがサビーネの言う意味が分かるのはもっと長じてからのことである。ここで伝えられた話とサビーネという名前で全て理解した。それはカザリンの大いなる秘密になる。

 この時のカザリンは意味が分からず、かえって自分の聞きたいことを聞いた。

 

「う~ん、あ、その王子様ってどんな王子様? みんなが好きになる人でしょ。モテモテだよね」

「え? 意外とあなたっておませさんね。そう、王子様というのはね……」

 

 

 

 

 カザリンはいつまでもサビーネという人の顔を忘れない。

 

 このとき、夕陽に照らされた顔はなんともいえず幸せの溢れた表情だった。

 

「初めて王子様と話したのは、結婚の話が出た次の週だったわ。屋敷の池にある桟橋で会ったのよ。王子様の金髪がとても綺麗だった。それに見とれていたら、王子様が言ってきたの。『驚かれたでしょう、フロイライン』って。わたくしが結婚を嫌がっていると思ってたのね」

 

 そこでクスリと笑う。

 

「強いられた結婚、そんなのじゃない! こっちは最初から好きでたまらなかったのにね」

 

 そのサビーネの溢れるような愛は決してエリザベートにも負けていない。

 

 銀河の歴史は何によって動くのだろう。

 それは、計略でも陰謀でもない。

 本物の愛こそが全てを動かすのだ。

 

 サビーネは自分に語るように話し出す。それからのラインハルトとの素晴らしい日々を。

 

 

 今、その瞳には何が映っているのだろう。

 

 夢見ているような瞳に映されている。

 彼女が確かに愛した人が。

 

 

 

 

 




 
 
これで「見つめる先には」完結します……

「愛」をテーマに綴りました。
主人公キャロラインの活躍、そしてサビーネとエリザベート、ヒロイン達の愛の物語、いかがでしたでしょうか。

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
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