第マイナス15夜「壬生カグヤ①」
○
1にして0。0にして1。
人はあらゆるモノの始まりを根源と呼び、魔術師と呼ばれる人の理を離れた者達はそれを追い求めて生を消化する。
根源、それ即ち起源。
全ての始まりが0だとするのであれば、1になるとき始まりは本当の意味で始まったこととなる。
不老不死、平行世界の運営、時の流れ。
数多の可能性への扉がその始まりには隠されている。
これはその始まりを追い求める噺。
全ての願いを叶え、他者の望みを踏み躙る。
全ての始まりを手にする少女が、どのようにしてその1を手にしたのか。
真理の果ては第六の壁の向こう側。
或いは幻想郷の奥、全てを見通す魔術師の眼球の中に隠されている。
今は閉ざされてしまった第六の壁を超えた先に、『彼ら』の求めた真理は隠される。
太陽の巫女が嘆き、山羊の頭蓋骨が嗤う、天上の主。
理不尽へと挑み、根源の一歩手前にて
彼こそがこの物語の結末である。
彼を救うには、彼が封じ込められたのと同じ力で扉を開くしかない。
誰もが彼を待っている。誰でもなかった彼が蘇るのを待っている。
これは全てが決まった物語。
結末が決まった物語を今綴ろう。
アルクネヴィリア区事件簿
……報告官 ■■■■■■■
○
ロンドン時計塔。
其処は一般的にいえば英国の観光名所として語られる場所だろう。
しかし実際の其の場所は、数多くの若き魔術師が日々奮闘し、現実を知りながらも一族の為に研究を続ける熟年した魔術師が蔓延る一般人が知り得ぬ裏の世界。
その正体は、四十を超える学院と百を超える学術棟と、そこに住む人々を潤す商業で成り立つという巨大な学園都市。
国籍・ジャンルを問わず魔術師たちによって二世紀頃作られた自衛・管理団体。魔術を管理し、隠匿し、その発展を使命とする。という名目を表向きに建造されてはいるが、実際は非人道的な研究も兵器で行われている現代の都市伝説の集合体のような場所である。
内部構造は19世紀の英国と類似しており、『貴族』と呼称される権力者達が内部で派閥争いをするなど、一部では中々に泥泥とした空気が漂っている。
そんな中、その時計塔が誇る最高学府の校舎に、威厳と体調の悪さによる声の低さを織り交ぜたような男の苦言が室内に響く。
「いい加減しつこいぞ、トーサカ」
苦言を吐く男は三十代半ばといった年齢の長髪の筋肉質の男で、静謐な雰囲気とは裏腹に服装は赤いコートの上に黄色い肩帯を垂らすなど、些か過激なファッションに見える。
そんな男が年期の入った木製の椅子に腰掛けながら忌々しそうに視線を送るのは、男とは違って東洋人らしい顔の造りをした、比較的美人と呼べる黒髪の女性だった。
垢の抜けていない様子や年齢からして、まだ成人したばなりなのだろう。
彼女は男を問い詰めるように間に挟んだ机に自身の掌を叩きつけると、男以上に不機嫌そうな冷笑で頬を引き攣らせていた。
「お言葉ですが、頑固なのは貴方です……教授。いい加減理由を教えて下さい」
この時点で、何度も同じ質問をされていた男は、目の前の女――遠坂凛がどのような疑問を口にするか予想ができていた。
「なんで私じゃなくて、ルヴィア――エーデルフェルトが聖杯戦争の参加者に選ばれたんですか!!?」
今彼女の口から直接吐き出された『ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト』と遠坂凛は、先代の何れかが同じ魔法使いの弟子にしてもらった経歴がある。
鉱物を主とする宝石魔術や、魔術師にあるまじき体術、性格など、遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは共通点が多いが、それ故に同族嫌悪が発生してしまっている。
故に彼女は、自分ではなく
「私とルヴィアの能力はほぼ互角の筈です!いえっ、僅差で私のほうがっ!!」
遠坂凛の物怖じしない物言いに、さしものベテラン教師も片手で頭を抱えることになる。
ロード・エルメロイⅡ世。
ロンドン時計塔に属する魔術師達の最高学府の教授であり、時計塔に名を連ねる貴族の一員でとある。
本名は別にあるらしいが、彼を知る者は尊敬と敬意を込めてロード・エルメロイⅡ世と呼ぶ。
といっても、彼は別段卓越した魔術師というわけでも、勿論魔法使いであるわけでも断じてない。
彼が得意とするのは他人の教育。まだ魔術師としては若い身でありながら、彼は時計塔で最も優秀な教師と呼ばれているのだ。
彼の教えを受けた生徒は誰しもが優秀な魔術師へと成長していき、その一部は時計塔の魔術師の最高位である『王冠』の階級にまで手が届くのではないかと噂されている。
今彼の目の前に居る女、遠坂凛もまたその一人であるのだが、彼の生徒の共通点は何も優秀という優れた点だけではない。
彼の頭痛の大いな原因となるのも、共通点の1つだ。
「知らん。それとこんな場所で禁則事項に触れかねない名を出すな。滅多には居ないと思うが、何処ぞの馬鹿が盗聴している可能性がある。フラットとかな」
フラット、と自然に出された名の人物もエルメロイの生徒の一人に当たる人物ではあるのだが、この青年も青年でどうにも優秀であるのに頭の螺子が外れている。
エルメロイはそんな青年の悪意のない笑みを思い出し、それとは似ても似つかない遠坂凛の引き攣り顔を重ねながら、眉間に指を当てて苦言を吐いた。
「ついさっきお前と同じ言葉を吐いた男がいる」
「ッ!?誰ですか!?もしかしてそいつにも権利を」
「馬鹿者。あんな大馬鹿者を聖杯戦争に参加させられるか」
その時点で遠坂凛は何となくその人物の顔を頭に思い浮かべることができていた。
先ほど名も出たフラットその本人であろう。
彼は魔術を使うことでは非出てはいるが、魔術師としては優秀でも何でもない。
放っておけば秘匿すべき魔術をテレビの前で堂々と使ってみせるだろう。
そんな人物と同じとされては、今は遠く離れているとはいえ、代々冬木市のセカンドオーナーである遠坂の名が泣く。
その汚名を払拭する理由も兼ねて、再度遠坂凛は己の欲望を口にするのだった。
「私に!!」
「えぇい!!喧しい!!いいから出ていけ!!」
●
「全くもう……何で私に任せないのよ……」
教室を出た後の遠坂凛はずっとこの調子だ。
眉間に皺を寄せながらブツブツと独り言を吐く。
以下に美人といえど、その様子を目にすれば熊でも逃げ出すことだろう。
普段は冷静沈着な彼女をそうせざるをえない程に、遠坂凛の現状は鬼気迫っていると言わざるおえない状況であった。
冬木市で行われた聖杯戦争。
七騎の英霊を糧として奇跡の成就を果たすことを謳い文句とした願望機の争奪戦は、初めはある魔導の一族によって執り行われた。
それが始まりの御三家。アインツベルン、マキリ、そして遠坂である。
初めは、魔術師全ての悲願である〈根源〉への到達を目標として手を取り合っていたが、聖杯を手にできるのは1人だけ、争うのに必要なサーヴァントが制御不能に陥るなど、様々な問題が発生する。
後に様々なルールが提案され、結局問題だらけの聖杯戦争は第三次にまで渡った。
1930年頃に開催された第三次聖杯戦争は、第二次世界大戦真っ只中に行われた。
それまで不干渉だった魔術協会や聖堂教会に目を付けられ、結局の所アインツベルンが聖堂教会に話をつけて監督役を呼ぶこととなる。
そのおかげもあってか、第三次は今までになく順調に進められた。
と思われていたが、御三家の願いも虚しく、当時猛威を奮っていたナチス・ドイツによって聖杯が奪われ、聖杯戦争は中止。
規範外のクラスのサーヴァントを呼び出すなどの不正を犯したアインツベルンはともかく、他の参加者達はさぞかし落胆したことだろう。
それから冬木の地で聖杯戦争は行われていない。
第四次聖杯戦争の為に意気込んでいた遠坂凛の父も、聖杯戦争についてはまるで夢物語でも話すかのように扱っている。
そう、それはもはや過去の戦争。
二度と起きない惨劇だとばかり、遠坂凛は思い込んでいた。
しかし先日、時計塔に入学してから2年程経って落ち着いてきた遠坂凛のそんな考えを打ち破る会話を聞いたのだ。
――ルーマニアにて、聖杯戦争が再び開始されると。
会話を聞いたのは本当に偶然。
偶々提出用のレポートの為に資料室に向かう途中、〈貴族〉の1人と思わしき男と、大凡魔術師とは思えない男の会話を耳にしたのだ。
〈貴族〉の方は知っていた。ロッコ・ベルフェバン。時計塔、召喚科学部長を務める老魔術師だ。
学部長に就任してから既に50年以上経過しているが、未だ権勢を保っている大魔術師と会話しているのは誰かと目を見張ると、どうにもその男は魔術師には見えなかった。
黒のサングラスとジャケットが印象的な、顔に傷の痕がある筋骨隆々とした肉体とかなりの強面の男だった。
2人は見たところ、ベルフェバンの研究室から出たばかりだったようで、その間に交わされた短い会話に確かに織り込まれていたのだ。
『聖杯戦争』『ルーマニアに行くのを忘れるな』『エーデルフェルト』など。
まるで遠坂凛を決められた運命に誘うかのような、聖杯戦争に関する数々の単語が。
それからの遠坂凛の行動は比較的速やかに過ぎた。
貯蔵している宝石の数の確認。
知り合いの魔術師達へのさり気ない情報集め。
休学日がどれくらい取れるかの計算に、実家への連絡……は辞めた。
未だ根源への到達への到達を諦めていない父親に聖杯戦争が始まるとの情報が伝われば、もしかしたら自分が参加すると言い出しかねない。
あの慎重な父がそうするとは思えなかったが、念の為、遠坂凛が実家に連絡することはなかった。
不安なところがあるとすれば、まだ完全に父から魔術刻印を譲り受けてないことにある。
父は娘の実力を自分以上と十分に認めていたが、それ故に最後の一欠片のみは、時計塔を無事卒業してからと託けられた。
家を出た時はその事に不満など抱かなかったが、今になって遠坂凛の心境に焦燥と不安が湧き上がる。
遠坂の魔術刻印さえあれば、自分は万全な状態の魔術師として戦いに赴くことができる。
そもそも、エルメロイが遠坂凛の聖杯戦争参加を渋ったのもそれが理由だ。
魔術師の中ではお優しい部類の彼には仮にも教え子を、魔術刻印を受け継ぎ切っていない未熟な状態で戦場に出すなど言語両断なのだろう。
そんな教師心を有り難く思う反面、やはり余計なお世話だと腹立たしくもあった。
聖杯戦争に参加できなくても、その現物を目にしなければこの憤りは抑圧できない。
そんな自分勝手な欲望を実行しようと考えていた矢先、角を曲がって来た人影に気が付かず正面衝突してしまう。
「あぅっ!?」
「―――」
遠坂凛が間抜けな声を上げて尻餅を付くのに対して、ぶつかった相手も弱々しく転げたものの、声も上げずに床に横たわっている。
「いてて……ッ。ごっごめんなさい!考え事してて!!貴女、大丈夫!?」
立ち上がった遠坂凛はすぐさま横たわっている少女に手を差し出すも、少女に動きはない。
黒いYシャツと淡い藍色のスカートを着た東洋人の少女だった。整った顔立ちをしているようにも見えるが、長い前髪で隠れて素顔は目にすることができない。
少し時間が経過すると、まるでそうすることを設定されたロボットのようにむくりと少女は起き上がり、遠坂凛の手も借りずに立ち上がる。
自分の手で服に付いた埃やらを払っているその姿にも隠せない気品を感じ、遠坂凛は目を丸くして感心した。
「……へー。堂々としているのね。時計塔じゃ東洋人は肩身狭いでしょうに」
そこで漸く遠坂凛の存在に気が付いたかのように、姿勢を正した少女と目が合う。
翡翠色の瞳をした、何処か人間離れした少女だった。
人間と呼ぶにはあまりに出来すぎた、人形やホムンクルスのような、静謐で不思議な雰囲気。
サイドテールの髪を直す仕草の1つ1つにも、陶器のような肌が揺れて、やはり何処か人外めいた雰囲気を連想させる。
そんな美人に、遠坂凛は何処か見覚えがある気がした。
「あら貴女――」
「あの」
初めて聞いた少女の声はまるで初めて囁いた雛鳥のように小さかったが、それを聞き逃す遠坂凛でもなかった。
何はともあれ同郷の身だ。いくら競争心の激しい魔術協会の学生とはいえど、交友を深めるのも悪くはない。
珍しくそんな懐の深い精神を顕にしていた遠坂凛の期待を裏切るように、少女の険のある鋭い眼光が射抜いてきた。
「もう行っていいですか?」
「えっ」
「この先に用があるので」
一瞬不快な気分に陥った遠坂凛であったが、よく考えれば少女の受け答えは魔術師としては別段おかしくもなんともないものに見える。
自分の研究成果にしか興味が無い魔術師にとって、無機物有機物関係なく他とは研究の材料であり、もしくは材料を発見する為の売人であり、また邪魔者でしかない。
一般の魔術師とは違って、人間的な常識のある遠坂凛やロードエルメロイ二世は別として、大概の魔術師の言動は何処か棘のあるものが多い。
そういう視点を交えて再考すると、少女の受け答えは魔術師としてはまだマシな方だ。
頷いた遠坂凛は自分よりも年下の少女の為に片足を軸にして廊下の壁に寄る。
「引き止めちゃってごめんなさい。どうぞ。私も今度からは気を付けるわ」
高校時代の優等性気分で優しく微笑みかける自分は、さぞかし親しみやすい年上を演じられているのだろう。
そう自信があった遠坂凛の目の前を、少女は足早に素通りしていく。
これには自分が人格者であることを自覚している遠坂の次期当主も額に青筋を立てる。といってもその表情は笑顔のまま、再度呼び掛けた声は愛嬌と冷徹を織り交ぜた複雑な声色だ。
「ちょっと待って、貴女」
「……何ですか?」
鬱陶しそうなのを隠すつもりもない少女にやはり腹を立てながらも、遠坂凛は先輩として物怖じせずに忠告する。
「喧嘩を売る訳じゃないんだけど……ぶつかったのは私が悪いわ。悪い。だけど、もうちょっと愛想をよくしたらどうかしら?綺麗な顔が台無しよ?」
宿敵であるエーデルフェルトの御令嬢に吐く啖呵まではいかなくとも、それは十分に熱の篭った台詞であった。
怒って口喧嘩に持ち込まれるか、問答無用で決闘を申し込まれるか。
普段ならこんなことで一々時間を取らない遠坂凛も、重ねて続く不運に苛立ちを覚えているのだろう。
例え騒ぎになったとしても、憂さ晴らしに一戦交えるのもいいかと思い始めている。それが年下の魔術師ともなれば気が引けるところもあるが、無論手加減はするし、もしかしたら相手が自分以上の使い手である可能性もある。
謝罪は後日昼飯か何かを奢ることにして美談として収めたら全て丸く――
「ご忠告有難うございます。では」
そんなこの後の計画を無視して、少女は素知らぬ顔で廊下を進んでいった。
1人残された遠坂凛は呆気に取られながらも、『まぁそんなものか』と納得して肩を落とす。
そうして少ししてから、平静を取り戻した筈の遠坂凛の表情が徐々に強張っていき、周りの目も気にせずに彼女は勢い良く振り向く。
当然、其処にはもう先程の少女の姿は無い。
まるで狐に化かされたかのような違和感は、やはり間違いではなかった。
「っ。またやられたぁ……。先輩に何て手を使うのよ、まったく……」
まるで先日にも似たような経験があったかのように、悔しそうに歯噛みする遠坂凛。
元々少ない預金が、『財布をすられたこと』で更に軽くなったことに目尻を涙を浮かべつつ、再びあの融通の効かないロン毛教師にどう納得させるかという事案に考えを移行させていた。