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男は、女に追われていた。
それは他でもない、男自身が起こした不祥事から起きた事件であった。
絶世の美女から道端で寝ている醜女まで。
欲望の密集地帯とも呼べるニューヨークという都市で、男は大富豪として確立していた。
加えて髭の似合う色男。未だ30代の彼は、不思議な色気を放って世の女性達を惹きつけた。
男もそれを嫌がらなかった。
次から次へと波のように押し寄せてくる女性達を、1人残らず自慢の大豪邸に招き入れ、次から次へと喰らっていった。
寝室の中。朝日と共に目覚めた自分の横で眠る女を見る度に、彼は思うのだ。
――嗚呼、僕は生きている。
どんな大物女優を抱いた時だって、病魔に犯された女を抱いた時だって変わらない。
男には変わらない愛があった。
全ての女性を愛し、そして彼女達も己を愛さなければいけない。
それこそが彼のみが信じる法であり、彼が全ての女性に課するルールであった。
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「という感じに雑誌で特集を組んで欲しいんだ。ああ、僕の電話番号と住所も忘れずに。男は連絡するなとも書いといてくれよ?僕はそっちの気がない。スポーツジムに行った時にハゲのゲイに襲われた時は鳥肌が立ったね、ああこれは記事にするなよ?差別主義者じゃないのにこういった発言はイメージダウンに繋がる」
うんざり顔の記者の前で、ソファに深く座って長い脚を組むサングラスの男は黒い革のグローブを嵌めた手を動かしながら饒舌に話続ける。その様子はまるで舌が複数枚生えているようでもあった。
記者がいい加減話を切り上げようとしたのを見越して、サングラスの男は見当違いの考えを起こして話を続ける。
「おぉっと。その顔は僕のモテ術を知りたそうな顔だ。いやしかし駄目だ。教えられない。全ての女性は僕のものなんだ。渡してやれないね」
「オーケー、オーケー、ミスター・ヴェンジャー。よぉく判りました」
これ以上の戯言はもう懲り懲りだといった調子で、若い男性記者が両手を使って目の前の男の止まらない舌を止める。
記者がこのサングラスの男の家を尋ねてから既に3時間が経過していた。その間、記者が聞けた話は目の前の男のプライベートの自慢話ばかり。
ゴシップ記事の三流記者ならそんな話題にも喜んで舌舐めずりをするのだろうが、生憎自分はそうではないと記者は苦笑する。
記者が持つ手帳には、『military』と書かれていたのだ。
そう、彼は軍事雑誌の記者である。
「ミスター・ヴェンジャー。申し訳ないが、今日お話を伺いに来たのは貴方の成功談の記事を書くためではないのです」
「……そうか。では帰りたまえ。なに、帰りのヘリぐらい何台でも出してやる。最新の光学迷彩装備のヘリを五台でどうだ?満足だろ?さ、出ていけ」
相手が自分の美談を聞きに来た訳ではないと理解するなり、男――ヴェンジャーは饒舌のまま不機嫌になってソファから立ち上がる。
バスローブ姿でそのまま寝室に行こうとしていることから察するに、彼はまた昼間からお楽しみタイムに溶け込むのだろう。
記者は知っていた。目の前のバスローブの男が、どのような人物であるか。だからこそ、売れない軍事雑誌の記者である彼は今その自宅である大豪邸を訪ねているのだから。
「ミスターヴェンジャーッ!私達市民が知りたいのは、貴方の発明だ!!兵器だ!!どうか教えて下さい!!」
ヴェンジャー・アルトスル・コカインド。
天才社長。変態科学者。兵器開発の皇帝。火の7日間を再現できる者。見境なし。女たらし以上の女たらし。
これらの異名を1つに纏めると至ってシンプルな答えが開示される――変人だ。
だが、その変人が今の世界の兵器部門を操っているのだから、何処の国のお偉い方もヴェンジャーを馬鹿にできない。
彼が造った兵器の数々は、時に激しく、時に残酷に、時に敵を一切殺すことなく拘束する、など。
斬新かつ多種多様に過ぎ、あらゆる国の兵器部門の関係者達が彼を欲している。
ヴェンジャー自身はニューヨークに居を構えているものの、何処の国に属することもなく、分け隔てなく武器を売っている。
それこそ国家、非合法なテロリストとの裏取引までなんでもごされだ。
またその類稀なるルックスと、若者に親しまれやすい鋭い物言いからテレビや雑誌にも引っ張り凧。
今、ニューヨークで最も熱い兵器開発者といえば彼の他居ないだろう。
「市民?市民といったか?君は?」
そのままロビーから立ち去っていくかと思われた髭面の伊達男は立ち止まり、怪訝そうな表情で振り返る。
すると足早に記者との距離を詰めていき、その胸を人差し指で指す。バスローブの下に見えるやや褐色の肌は、技術屋とは思えない引き締まった身体をしていた。
「市民が私の兵器のことを知りたい訳がないだろう?君は一瞬で自分の祖国を焼け野原に変えるミサイルを見て心躍るかね?」
ヴェンジャーの声はそれまでの飄々としたものから打って変わって、凄烈なまでの説得力が加わっていた。
世を騒がす変態科学者というよりは、熱心な若手政治家と例えた方が理に叶ってるかもしれない。
「私は使う奴が馬鹿みたいに喜ぶような、敵が畏怖を覚えてしまうような兵器を造ることを臨んでいるが、それに一般人は含まれない?解ったか?」
「は、はい、ミスターヴェンジャー……」
「ついでに言うと私は新しい兵器は造っていない。休暇中なんだ、見てわからないか?ん?」
そう言いながら大仰に手を開くヴェンジャーの服装は、確かに仕事中には見えない。
「申し訳ありません……ミスターヴェンジャー」
根っからの記者であるならば、彼はヴェンジャーに対してもっと食いつかなくてはいけないのだろうが、取材をしに来た時より既に3時間も経過しているのだ。
今日のところはお暇させてもらおうと、荷物を纏め始めた落胆した様子で荷物を纏め始めた記者。その肩が、黒の革のグローブを嵌めた手に掴まれる。
振り向くと、其処に居たのは先程まで取材をしていたヴェンジャーで、彼はサングラスの下から慈悲に満ちた眼を記者に向けていた。
「待ち給え記者くん。僕の屋敷に来たというのに、そんな暗い表情で帰られては我が社のイメージダウンに繋がる」
饒舌に、愉快気に記者に語りかけながらヴェンジャーは親指で自身の背後を指差す。
半分開かれた扉の向こうは寝室のようで、明らかに睡眠を取るためだけに使われるものとは思えない巨大なベットの上で、絶世の美女達が10人ほど待ち構えているのが見えた。
その中には人気沸騰中のモデルや、超有名女優の姿もある。
薄暗い部屋の中、下着姿で談笑したり、寝転がるその姿は結婚前の男性が見るにはあまりに淫靡に過ぎた。
「もし君が男色でないのであれば、そうだな。君が満足するまで彼処で遊んできて貰って結構だ」
囁くヴェンジャーの声を耳にしながら記者の双眸は寝室の中に釘付けになった。
相手となる女性の気持ちはどうなるというのか。そんなつまらない考えは、寝室の中で仰向けに寝転がっていた金発の美女と目が合った時に記者の頭から塵1つ遺さず消え去っていた。
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男を形だけの寝室に投げ込んだ後、ヴェンジャーは1人地下室へと足を運ばせる。
海岸に埋め込まれるような形で造られたヴェンジャーの屋敷兼研究所は、下手な大富豪の家よりなお豪華だ。
有名なデザイナーに頼んで、生活環境は住みやすく、そして女性も親しみやすい構造に。
地下の研究所には、自分が激選した機具しか置いていない。
研究所には例えどんな絶世の美女が頼みこんでも入らせないようにしている。過去数度ハニートラップに引っ掛かって痛い眼を見てるからだ。
故に、ヴェンジャーの研究所に入れる人間はヴェンジャーのみ。
他に許されるのは、人間以外の存在だけだ。
「〈アブソプション〉。仕事だ」
自分以外誰もいない空間で、ヴェンジャーが手を叩いて虚空に呼び掛ける。
すると瞬く間に空中に幾つものウィンドウが立ち上がり、壁の各所に設置されたディスプレイも次々と電源がついて立ち上がっていく。
『おはようございます。ヴェンジャー様』
人間の喉から発せられるものとは到底思えない、機械的な音声。
その声は実体を持っている訳ではなく、テーブルの上に設置されたスピーカーから発せられている。
AI、即ち人工知能という言葉は今や世界中のほとんどの人々が一度は耳にしたことがあるまだ謎の多い部門だ。
勿論、科学者達にとってそれは未知などではない。
人工知能という、人類を支える新しい生命体を造り出した彼らにとって、それは研究材料であり、頼るべき相棒でもある。
ヴェンジャーは初等部の時にそれを独自に造り出し、その第一号がこの〈アブソプション〉となる。
第一号と言っても、造り出したその日から少しずつ少しずつ改良を進め、今では其処いらの人間以上に空気に読めて頭の良い話し相手となっている。
『今日も女性漁りですか?』
「そうだ。何が悪い?」
『子孫を残すつもりのない繁殖行為に私は意味を見い出せませんので』
「お前の次のアップデートには等々、娯楽の何たるかを搭載しなければいけなくなるか」
『記者の方は?』
「ベッドルームでお楽しみ中。あれでは悪い記事を書く気も失せるだろ。まだあったとしても夢中で有名女優に腰を振っている姿なんて晒されてみろ、そのファンに根絶やしにされるぞ。僕の兵器より恐ろしい」
人工知能と会話しながらもヴェンジャーが空中に浮かせた手を軽く横に振り払う。
すると手に嵌めたグローブに搭載された電子盤に反応して、浮遊していたディスプレイが巨大な航空写真を浮かばせる。
それは何かのゲームのCGのようにも見えた。
例えるならそう。ラスボスが住む魔王の城だ。
砂漠のど真ん中に佇む、漆黒の城塞。
その中央に位置するのは悪党達を打ち込む大監獄とも見れる、超巨大な城だ。
「それから動きは?」
『全くありません。無線や衛星電話での会話もありませんでした』
慇懃でありながら雄弁に語る人工知能と会話しながらヴェンジャーは神妙な面構えで自身の顎を撫でる。立派に生え揃えられた顎鬚を撫でる仕草は、映画撮影に臨む俳優にしか見えない。
「一昨日に出しておいた偵察機はどうなった?」
ディスプレイに表示される新たな情報を次々と纏め上げながらヴェンジャーが問う。
すると人工知能である〈アブソプション〉は、聞くものに明らかに口籠っているのを予想させる声色で絞り出すように応える。
『全機、迎撃されました』
「――そうか」
平静を装っているものの、報告を受けたヴェンジャーの心境には僅かな焦燥がある。
数日前。アジアのある地域に出現した超巨大な建造物。
紛争が多いその地域を武器商人としての顔から張っていたヴェンジャーは、偶然その存在を知ることになった。
既に世界各国で報道規制も行われているが、それを支持したのは各国の政府ではない。
〈魔術協会〉。並びに〈聖堂教会〉の連中だ。
ヴェンジャーは神秘に携わるものではない。
故に、神秘を追い求める魔術師ではないし、神秘を管理する代行者でもない。
では何故比較的表の世界に座する彼が、裏の二大組織の存在を知っているのか。
それは、彼が武器商人であることが大いに関係する。
魔術師。
神秘を秘匿し、研究し、人理より外れた存在達。その者達についてはヴェンジャーは詳しくない。
何しろ、魔術師と化学者。魔術は化学の代用品だの、行き過ぎた化学は魔術となるなど、そんな言い回しをする奴らがいるが、実際に研究してる身となるとお互いが相反するものだと重々承知している。
天才化学者であるヴェンジャーもそんな不明瞭な存在と一緒にされてはたまらない。
彼が通じているのは魔術を目的する魔術師ではなく、魔術を道具とする魔術使いの方だ。
魔術使いと呼ばれる人種達は魔術師の様に安全な穴蔵に住まず、大概は傭兵や暗殺者として生計を立てている。
そんな彼らにとって、魔術とはただの拳銃やナイフといった武器に過ぎない。
一族が繋いできた魔術刻印を金品など報酬を得るための俗物に変える。秩序や矜持など度外視した、魔術師とはかけ離れた存在。
そんな彼らにとって、本来魔術師が忌み嫌う筈の技術の結晶。近代兵器も道具に過ぎず、そういったものをヴェンジャーの様な武器商人から買い付けていく。
そんな『お得意様』の1人がこの間教えてくれたのだ。
――どんな願いも叶えてくれる願望機がある、と。
ヴェンジャーはそれを笑い話にしなかった。
それを雄弁に語る魔術使いの怖ろしさを知っていたし、この世には自分の理解が及ばないものがまだまだ存在することを若き天才は自覚していたからだ。
何とも面白い噺だった。
そして、それに夢を見始めた。
「よし、じゃいくぞ〈アブソプション〉」
昔話を思い出しながら、ヴェンジャーは既にディスプレイを閉じて別室の研究室で寝転がっていた。
リノリウム性のベット紛いの長方形のオブジェに仰向けになりながら、その四肢には中々太いチューブが差し込まれている。
チューブの起点に在るのは、赤やら青やら黄色やら、毎秒変色する不明瞭な液体だ。
それらを操るのはアーム型の機械を操作する〈アブソプション〉であり、八体にも及ぶ機械を同時進行で働かせている。
『本当におやりになるのですね?』
寝転がったヴェンジャーに掛けられた〈アブソプション〉の声は、主人を心配する従者のそれだ。
その声にヴェンジャーは苦笑する。人工知能といっても彼が初めて造り出した友人であり、相棒なのだ。
「ああやってくれ。これで僕はまた完璧な存在に近付く」
恐れなど知らないように語るヴェンジャーの四肢には、背後のオブジェに固定するように錠が成されている。
それを見るだけでも、これから行われる実験がどれほど苛烈なものか物語っている。
主人の言葉に半分落胆を隠せないまま、〈アブソプション〉の操作するアームがチューブの起点となる機械のボタンを押す。
すると瞬く間に、謎の液体がヴェンジャーの身体の中に流入していき、同時にオブジェの上ヴェンジャーの身体が跳ねた。
「あっ―――
あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"ぁ"っ!!!!」
悲鳴を上げる原因は正しく流入する液体にある。
白目を向き、体中の至る所に血管を浮き上がらせたその姿は薬物患者のようでもある。
ヴェンジャーの身体に今起こっているのは新たな臓器、器官を創り出す激動だ。
元々在る肉体に、後付して臓器ができる。
ある宗教では、人間は神の写し身とされる。
完璧な存在である神の写し身である身体に、他ならぬ人間の手によって新たな器官が造られるのだ。
内側から押し上げられる筋肉、血管、神経は例外なく次々と悲鳴を上げ、体の主人であるヴェンジャーも慟哭するように身体を痙攣させる。
爪と肉の間、充血した眼球、罅割れた皮膚から、次々と血液が溢れる。
悲劇は数秒だけ。
輸血パックらしきものに入っていた不明瞭な液体が全て空になると、ヴェンジャーは鼓動するように痙攣して、そのうち動かなくなる。
常人も、魔術師も、その姿を見れば彼が死んだと思うことだろう。
しかし、長年彼の従者を努め上げてきた人工知能――〈アブソプション〉だけは取り乱すことなく、変わらず業務を続ける。
『心停止確認。再起動まで、3、2、1』
〈アブソプション〉の呼び掛けに合わせ、フィードバックを起こしたかのように再び跳ね上がるヴェンジャーの身体。
傍から見た者からすればまさに奇跡。まさか死体となった男が心臓の真横に装着された生命維持装置で生き長らえたとは判らないだろう。
「――かはっ」
最初に小さく息が吐かれ、その後咳き込むようにして男がオブジェの上で丸まる。
嗚咽紛いの咳は血液が混じり、しばらく具合悪そうに寝転んでいたものの、数秒経ってヴェンジャーは上半身を起き上がらせた。
そんな主人に〈アブソプション〉は、紅茶でも進めるような気軽さと慇懃さで声を掛ける。
『ご気分はどうですか?』
「……ああ、最高の気分だよ。新しい回路が増えると頭がぐちゃぐちゃになって……色々吐きそうだ」
高熱でも発症したような気怠げな表情をするヴェンジャーの胸から四方向にかけて、それまではなかった『水色に輝く細長い線』が出現している。
『人工的な〈魔術回路〉の作成……恐れ入りました』
「人工知能のお前がそれを言うか?言っとくがな。これを身体に埋め込むのとお前を造り出すのだったら、お前を造り出した方が圧倒的に金がかかっているからな」
それは、若き日のヴェンジャーの金銭感覚がおかしなところあったのだが。実験を成功させたばかりの〈アブソプション〉はそれを口には出さず、ただ賞賛の拍手のSEを送るのみ。
そんな相棒にジト目を送りながらも、ヴェンジャーが片手のグローブを外す。
その手の甲に刻まれた華を連想させる三画の刺青に、ヴェンジャーは息を呑む。
魔術回路を手に入れたからといって、まさかこれ程速くに出現するとは思わなかったからだ。
予兆はあった。戦争の舞台となるあの砂漠に足を踏み入れた時に、既に薄っすらとこの刺青は出現しかかっていたのだ。
それが人工的な魔術回路を手にしたことで完全にその姿を顕にした。
まるでこれで後戻りはできなくなったとヴェンジャーに釘を刺してくるように。
それで良いと、ヴェンジャーは忌々しさと未来を予想しての喜悦を織り交ぜた複雑な感情で刺青を撫でる。
彼が武器となる英霊を呼び出し聖杯戦争が始まる地に向かうのは、これより3日後の話である。