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男は美学にそって生きていた。
ただ世界にとって害悪となる存在を人知れず消す。
それは別に天候や災害、病原菌などの大規模な話ではない。そんなものは科学に生きる研究者達の仕事だ。
男が殺していたのは、もっと別のもの。
一般的に、怪物だとか呼ばれる異形の存在達を彼は依頼されて狩っていた。
勿論、彼にも矜持というものは存在する。
彼は殺人マシーンとしてではなく、1人の職人として怪物達を殺めてきた。
依頼主の要望を聞き、その心情を理解し、出来るだけ依頼主の言う通りに敵を殺した。
それが仕事における信頼となり、新たな仕事への繋がりになるからだ。
本日の獲物は魔術師だった。
依頼主も同様で、そちらは時計塔の魔術協会に属する魔術師であるらしい。
依頼主は〈創造科〉の重心の分家の長らしく、運悪く屋敷の外に出た時に跡取りを傭兵気取りの魔術使い共に攫われてしまったらしい。
跡取りには既に、魔術師の家系の命とも呼べる魔術刻印の移植が成されており、依頼主は子の命よりもそちらの方が目的で彼に依頼したのだろう。『種』さえあれば代わりが効く子の命は魔術刻印のついでに過ぎない。
魔術刻印と切り離されていれば、子の方は処分しておいてくれと頼まれた。
胸糞の悪い話だと思った。それは本当だ。
しかし、彼は所詮雇い主にとっては道具と同義。自分ではそうじゃないと思っていても、打ち込まれた指示に従順なコンピューターのようなものだ。
疑問を感じても、それを表に出してはならない。
そんなことを理由にして、またこの〈右腕〉のように大切なものを失いたくはない。
標的の拠点に張られた結界を解くのに30分掛かった。
魔術師ではない彼のような男が結界を解くのは、それなりの準備と時間を要するのでこれでも良い方だ。
まぁ、起点を結界の外側に造っていた為構造さえ解ってしまえば解くのは一瞬だったのだが。結界を張るにあたって、最も重宝しなくては起点を外側に幾つも点在させるあたり、標的は相当頭が悪いか考えなしかの二択だと判断できる。
標的の住居はほぼ煉瓦で構築された二階建ての廃墟。
人里から遠く離れた森の中に建てられている為人払いもいらない。そういった意味では、仕事人である彼にとっても気兼ねなく仕事が行えて都合が良かった。
門の前に屈強そうな男が二人。何方も銃火器を所持しており、肉体戦の腕はたちそうだが魔術が使えるかどうかは判断がつかない。
見た目だけで判断するのであればそういった類の戦術は苦手そうな脳筋顔であるが、魔術師を見た目で判断してはならない。
花のような少女でさえ、その実獅子すら片手で殺す猛者である可能性が十分に有り得る世界なのだ。
そういった不明瞭な相手にはあまり魔術による攻撃は行わないのが彼の流儀だ。そもそも魔術師ではなく魔術使いである彼は、魔術そのものが得意な方ではない。
そのようにして彼が手にした武器は――旧世代の遠距離武器・クロスボウであった。
色々試したがこの武器が1番彼の手に馴染むのだ。
「――」
カスタマイズしたクロスボウの弓床に、よく手入れをした鉄球を置く。
矢を使うこともあるが、今回は殺傷力の高い此方で敵を仕留めることにした。第一、矢の方には魔術的措置を行っているものが多く、鉄球と違って消耗品なのだ。
一度其処を戦場だと認識した後の彼の行動力は凄まじく、迷わずクロスボウの引き金が引かれる。
鈍い音を立てて勢い良く射出された弾丸は、直進して片方の頭を文字通り吹っ飛ばし、
「ひっ!!?」
相方の異形の死に驚いたもう片方の頭も、背後の扉に跳弾したのを利用して首から上を引き千切った。
恐るべき威力だが、これは何も魔術を使ったわけではない。ただ単にそうなるようにクロスボウを改良した、彼の技量が良かっただけに過ぎない。
首尾よく廃墟に侵入した彼は、門番に続いて次々と獲物を食い殺していく。
先程と同様にクロスボウで。少し梃子摺る相手ならば或いは魔術的付与をした魔弾で。或いはその他の骨董兵器で。
人を殺すのに美学はいらない。以下に低コストに。それだけが仕事人に求められる戦いの基本だ。
彼の持つ美学とは、それとはまた別のこと。
彼の仕事に時折関係する事態に関してのみ、彼の厄介な美学は働いた。
20人程殺した時だろうか。彼に立ち向かう刺客の数がピタリと止んだ。
既に足元には血の水溜りができていたので、標的であるこの集団の頭目も漸く観念する気になったのだろう。
最上階まで足を運ぶと、標的は恐怖に震えきった顔でソファの上で頭を抱えていた。
歳は五十路辺りの男で、自分を殺すであろう男を見るなり標的は震え上がって自身が腰掛けたソファに縋り付いた。そんなことをしても家具は守ってくれないというのに。
「失礼。何故俺が此処に来たか、お解りか?」
眼鏡の下の肌は傷だらけで、窓から入り込んでくる月光に照らされた彼の素顔はまるで獣のような獰猛さに過ぎた。
その顔を見て標的は漸く理解する。
傷だらけの顔に、隻腕。時代遅れの武器を好み、魔術師を次々と狩っていく傭兵。
自分達と同じ、金さえ貰えればなんだってやる魔術使いの存在を。
「ガントレット……!!」
それが異名なのか本名なのか、異名だとしてどのような意味を持つのか。標的である男には理解できない。
ただ、それが男にとって今現在自分の命を狙う悪鬼の名前だということは、どうしようもなくはっきりとしていた。
たまらず震え上がった男は部下が背後に控えているのも気にせず、泥にまみれた床に両膝と両手をついて頭を下げる。
「頼む!!見逃してくれ!!私達は金さえ払えば何だってやる傭兵なんだ!!別にアンタの所の依頼主に恨みはない!!ガキだって返す!!」
「……そのガキは何処だ」
決して油断せず、交渉に応じようとするガントレット。
標的からしたらその真意がどうあれ交渉の段階まで持っていけただけでも命を繋ぎ止めることとして上々だ。
標的の背後に控えていた部下が別室へと続く扉へと入ってから数秒後、退出した部下に連れられて出てきたのは10歳前後の少女であった。
「――」
小汚い雑巾のような衣服を着せられている姿はあまりに痛ましい。
南瓜の実のような髪色も、あどけない表情によく似合うそばかすも、きっとこんな状況でなければどれもが彼女という向日葵を彩る材料になっていたことだろう。
それを最も阻害していたのは、彼女の〈背中〉だ。
「……おい」
彼の冷え切った声が空間に木霊する。
一度肩を震わせた標的は、胡麻を擦るような軽薄さで問に応じる。
「は、はい?」
「この子の、背中はどうした……」
標的の部下に連れられて来た少女。
彼が雇い主である魔術師に奪還することを頼まれたその少女の背中――その皮膚が、ほとんど毟り取るように剥ぎ取られていた。
艶を残す少女の肌が。まるでナチス・ドイツのユダヤ人に対する拷問のように。
出血は下手な治癒魔術によって無理矢理止められているものの、赤黒く変色した少女の背中は見るに耐えない。
それでいて、痛覚を遮断されたのであろう。そんな自身の背中や現状を理解していない少女の様子が、何よりも痛ましい。
「背中……あ、あーっ!魔術刻印のことか!!すっ、すいません!!もう商品として売っちまって!すぐ配送業者を呼び返しますので少しお待ちをーーがぁッ」
何の悪びれも無しに部下に命令して少女の肉片を持ってこようとした標的の頭を、彼は躊躇うことなくクロスボウで射撃した。
吹き飛ぶ頭。狂乱に陥る他2名の部下の命も、彼は躊躇することなく刈り取った。
残るのは血に濡れた床の上で首を傾げる幼い少女のみ。
彼女は人が死んだという現状にも気が付かずに首を傾げて、膝を折って目線を合わせる彼の顔をまじまじと見つめている。
何も知らない少女という歳でもない。腕を見ると注射痕が幾つかあったことから、一時的に思考能力を低下させられているのだろう。
可愛そうだが、今だけはそれでいい。
自分の姿も、この惨劇も、何もかも分からない赤子のようなままで。
魔術刻印と乖離されていた場合、速やかに処分しろというのが雇い主の
片手で持っていたクロスボウが揺れる。
正確には、彼の手が震えていたのだ。
このようなあどけなき少女を葬ることは、彼の美学の反する。
何の罪もない無垢なる者の命を奪うことに、何の美学を見出だせようか。
彼には少女を殺せない。だが、少女を優しく抱き締めてやる資格は彼にはない。そうできる腕も、片方は遠き過去に失われてしまった。
未だ状況の掴めていない少女に、彼はぎこちなく微笑みかけた。笑顔になっているのかも不安になるほど。
「……名前は?」
「……アンナ」
下の名前は答えなかった。それがわざとだと気がついた時、彼はそれ以上踏み込もうとしなかった。
魔術師に関わらず、家庭にはそれぞれの事情がある。安易に踏み込んでしまうと、開いていない傷を無理矢理開く結果になるかもしれないからだ。
武器を置いた彼は再度問い掛ける。
「アンナは……1人で此処に?」
頷くものだと思っていたが、少女は首を横に振った。
まさか地面に転がっている肉片達のことを指しているのだろうかと思ったが、少女が彼の目の前に突き出したのは片方の手の甲だ。
其処に刻まれていたのは、魔術刻印とはまた別の〈魔力で精製された赤い刺青〉。
「これは……」
彼は知らなかった。
魔術世界に属していたとしても、ただ依頼されたことを仕事として淡々と来なす彼はその情報を耳にしていなかった。
何せその戦争が始まったのは数百年も前。今では世界各地で亜種的な戦争は繰り返されているが、どれも小規模なもので話題になるようなものではなかった。
彼はそれが英霊を使役する為の鎖であり証――〈令呪〉と呼ばれる強制命令権だということを知らなかった。
「『ドン・キーホーテ』も、一緒……」
少女が見せた明るい表情の意味がわからず顔を顰めたガントレットだったが、すぐにその表情は驚愕の色を成したものに変貌を遂げる。
少女の背後で口角を吊り上げる不可思議な存在に、彼は目を奪われたのだった。